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はてなキーワード: 心の理論とは

2019-08-27

anond:20190827140633

心の理論 vs 共感

感じること、思いやり、認識することに関して:

サイコパス傾向とASDでは異なったタイプ共感障害がある

Alice Jones)

冷淡/情緒の乏しさのある子どもは十分なToMがある

ASDの子どもはToMは不十分だが、十分な同情心がある

Jones、 Happe et al.(2010)JCPP

・多くのASD児は保護者(多くは母親)をとても慕っている

他者の苦悩に十分反応する

⇒社交性の問題ではなく、ある特定社会的能力認知問題である

http://www.aiina.jp/seishounen/kowakasien/H29_kowaka_siryo3.pdf

2019-04-07

anond:20190407230551

^ こういう時間とか心の理論がなくて規律が守れない人間をどう社会化するかって悩むよな

2018-10-11

anond:20181011184334

エビデンス

実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

それこそ、そのエビデンス(論文)でも提示されればいいんじゃないですかね。

この辺りのこと?

Jonathan Shedler,"The efficacy of psychodynamic psychotherapy."(American Psychologist 2010)

Falk Leichsenring,Sven Rabung,"Effectiveness of Long-term Psychodynamic Psychotherapy: A Meta-analysis"(JAMA 2008)


フロイト理論の諸々の失敗

精神分析医のフィーリス曰く(1)、フロイト派のセラピービクトリア時代の人たちには、うまく機能していたが20世紀半ば以降、人々の「性格の鎧」の質が変わり、セラピーはうまく機能せずに行き詰まって失敗することが多かった。

フロイト派の精神分析法は、「幼少期の体験が成人してから人格の基礎となる」というものが骨子の一つ(2)だが、そのことに大打撃を与える調査が出てきた。1990年代マシュマロ実験の文献を詳しく調べたマーティンセリグマンは、幼年期のできごとが成人してから人格に影響を与えるということは、ひどい心的外傷や栄養失調があった場合にはありうるかもしれないが、それ以外では有力な証拠ほとんどないと結論づけている(3)。子供時代と成人してから性質に、ごくわずかな相関は認められるが、それは主に遺伝的(生まれつきの)性質、つまり概して明るいとか気難しいといった性質の反映として説明できるという。

また心理学者のバウマイスター一同がフロイト提唱する理論メカニズムの数々を現代の文献と付き合わせて検証したところ、最も最悪な理論昇華説だということが判明した(4)。そもそも昇華説には根拠がない上、事実はその逆だと考えられる理由が多いからだ。

もちろん、フロイト理論示唆的で興味深いものが多いし、余談だが「快感原則彼岸」については現代思想の中ではかなり重要位置づけになっている。ラカン執拗にこの論文にこだわるわけだしね。

それに、フロイト批判をしたバウマイスターは、フロイト提唱する説でエネルギー重要位置に置かれていることに敬意を表して、フロイトが使っていた自己を指す言葉自我(エゴ)」を使って、「自我消耗」という言葉を「人の思考感情や行動を規制する能力が減る現象」に名付けた。自我消耗に関しては、後に脳波記録検査法(EEG)で脳内の前帯状皮質におけるスパイク発火(エラー関連陰性電位)が対応する脳機能であることが確認された(5)。


科学的な心理学

著名な心理学者であるスティーブン・ピンカーは、 今回で言えば「人生全体」「物語の蓄積」「人生の深み」といったことで、科学基本的研究方略である単純化(simplify)」を退けようとしていることに苦言を呈している(6)。 研究対象をとなる複雑な現象をいろいろなレベル単純化し、いろいろなレベルごとに 解明していくことを拒んで、複雑な現象ありのまま理解しようとしていたのでは研究はいつまでたっても現状に停滞したままになる。単純化を嫌って、複雑な現象を複雑なままで捉えようとする人文系学問に多く見られるのこうした研究方略を、ピンカーは完全な正確さを求めて「原寸大の地図」 を作った愚かな地図職人を描いたホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)の寓話批判している。

現代心理学の始まりブント(Wilhelm Wundt: 1832-1920)のライプチヒ大学での心理学実験室創設とされるように、そのスタートから科学を目指したものだった(7)。 人文学科学化と言っても、物理学化学実験を導入するのではなく、心理学実験手法神経科学実験手法(EEGfMRIなど)を取り入れればいいのである。また、国際的科学心理学学会APS(Association for Psychological Science)の会長だったカシオッポはこうした点に注目し、心理学科学と他の文系学問とのハブとなるべきであると主張している(8)。

個人的には、人生全体から人間理解フロイト理論人間理解よりも、人類史から人間理解(進化心理学)(9)や神経科学から人間理解の方(10)がより多くのことと整合性が有ると思うし、「物語」を一切考慮しないで休職者の約53%を予測したリシテア(11)といったことの研究心理学がより一層取り組んでいくことを願ってるわ。


▼出典

(1)Allen Wheelis,"The Quest for ldentity"(New York: Norton,1958).

(2)Sigmund Freud,"Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie(『性理論三篇』)"(1905)

(3)M.E.P.Seligman,"What You Can Change and What You Can't :The Complete Guide to Succesful Self-Improvement"(New York:Alfred A.Knopf,1993).

(4)Roy F. Baumeister,Karen Dale,Kristin L. Sommer,"Freudian Defense Mechanisms and Empirical Findings in Modern SocialPsychology: Reaction Formation, Projection, Displacement, Undoing, Isolation, Sublimation, and Denial"(Journal of Personality,1998)

(5)Michael Inzlicht,Jennifer N. Gutsell,"Running on Empty: Neural Signals for Self-Control Failure",(Psychological Science 2007)

(6)Pinker, S."Science Is Not Your Enemy: An impassioned plea to neglected novelists, embattled professors, and tenure-less historians." (New Republic, 2013)

(7)Bringmann, W. G., Bringmann, N. J., & Ungerer, G. A."The establishment of Wundt's laboratory: An archival and documentary study." (W. G. Bringmann, & R. D. Tweney (Eds.), Wundt studies: A centennial collection (pp. 123-157). Toronto: Hogrefe. 1980)

(8)John Cacioppo,"Psychology is a Hub Science"(Observer 2007)

(9)Martin Daly, Margo Wilson,"How evolutionary thinking inspires and disciplines psychological hypotheses." Pp. 15-22 in XT Wang & YJ Su, eds., Thus spake evolutionary psychologists.(Peking University Press,2011)

(10)一例を挙げれば、心の理論(Theory of mind)における神経科学役割とか。サイモン・バロン=コーエンが有名だろうが、研究は色々有りすぎて挙げきれない。

(11)HR テクノロジーで、人や組織パフォーマンスの最大化を図る 「リシテア/AI 分析サービス販売開始(https://www.hitachi-solutions.co.jp/company/press/news/2016/1201.pdf)

2017-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20170202005430

相手にも意志がある」ということを理解できてないからじゃない?

男性って心の理論が発達しないまま大人になってる人多いよね。

2014-02-20

アスペルガー症候群診断基準変更、の報に、

ASD診断基準変更、の報に、これからアスペルガー症候群じゃなくなりそうな一自閉症者が思うこと」(ここまでタイトル)

DSM改定で「アスペルガー症候群」の診断名がなくなったらしい。「社会コミュニケーションの障害」「限定した興味や反復行動」に絞った結果、有病率は1/4程度に減ることが見込まれるとか。自分大学時代に診断を受けた「アスペルガー症候群」の人間になるのだけれど、まっさきに思ったことは、「なんだかなあ」だった。Twitterで呟こうと思ったらひどく長くなってしまったので、匿名ダイアリに投稿してみることにした。昨今いわれる「一記事800字ルールから大きく逸脱していて読みにくいと思うのだけれど、勘弁願いたい。

アスペ本質は「心の理論」の障害じゃなくて、感覚の取得機能の異常(異常というか、「社会適応必要情報だけを拾えない)だ、という風に、(旧診断基準では「アスペルガー症候群」と診断されていた)自分は考えている。考えている、だけだとアレなので、一応つけくわえると、以前、お世話になった先生に確認したところ、「その考えは間違っていない」というような事を言われたので、おそらく間違えてはいない(一応、そんなような研究結果もあったと記憶している。まあ、私は学究者ではなく一当事者なので、エビデンスが若干いいかげんなのは許してもらいたいのだけれど。

人間感覚には、いまどきのカメラのように「オートフォーカス機能がついている。それも、大変高性能な。これが、オートマじゃなくってすべてマニュアルなのが自閉症(=アスペルガースペクトラムだ。たとえば、誰かが「それ」と言って何かを指差したとする。定形発達の子供は、「指示の対象目線を向け、そ話者が何かしらの指示または主張を行うに備える」という一連の処理を、ごく自然に身につける。しかし、自閉症者の視界は、蟻の視界だ。「特定の範囲の、限られた情報」だけを拾うことができない。まず、「人間輪郭」を意識するのが難しい。うごき、を俯瞰してみることができない。そして、「手振りの意味」を理解するのには、もっと時間がかかる。

差した先を意識すればよい、と学んだとしても、その後がまた大変だ。自閉症者のせまい視界は、「それ」として指し示された物体「以外のもの」を意識できない。あたかも同化するように自閉症者の意識は「それ」とひとつになってしまう。指示、という行為の先にある意図へ辿り着けない。本人の記憶にも残らないような小さい自分に、こんな小さな「ロス」をくりかえして、自閉症者の社会能力定形発達者のそれからどんどん遅れてゆく。

自閉症者は往々にして、「世界自分とのあいだに、一方通行の分厚い硝子の壁がある」という表現をする。入ってくるものは、とき自分たちに害を与えるけれど、こちらがわから触れることはできない。氾濫した感覚世界に、ドナ・ウィリアムズが自著のタイトルとして記したように、「何者でもなく。どこでもいない」自分けが残される。興味が限定されるのは、何かしらア・プリオリな原因があるわけではない。単純に、あまりに「細かすぎ、多すぎる」情報の波に晒されていることの裏返しだ。自閉症者は、その複雑すぎる世界規則化するために自らひねりだしたルールにより所を求める。あるいは、数字言葉などの「より強固で、確実な」曖昧さの無い世界に逃避し、没入していく。

さて、ここで重要なことがある。成長が遅い、ということは、「いずれ追いつく可能性がある」ということだ。IQが高い場合は年齢が上がればコミュニケーション能力は(或る程度は)向上する。限られた環境であれば適応できるようにもなる。IQが低いと、成長速度が社会要求する適応レベルに追いつかないので、わかりやすい「知恵遅れ」になる。旧DSM水準においては、診断の多軸性、「コミュニケーション能力の障害」以外の細かい部分こそに、自閉性の障害の本質があったように思う。高機能自閉症者(これまでの診断基準でいう「アスペルガー症候群」、言語機能に遅れがあるものは「高機能自閉症」)は、往々にして、その能力努力によってコミュニケーション能力が向上させ、また、社会の中で自分が受容されるポジションを獲得し、
たかも「社会適応した」かのように振舞うことができるようになることもある。けれど、知覚過敏や感覚から来る負担の大きさ、ある種のデリケートさ(適応しても処理量は変わらないせいで疲れやすい)、過集中傾向、カクテルパーティ効果への適応不可能などは歳を重ねてもあまり改善しない。二次障害との複合で、ひどくなる場合もある。そして二次障害。我らが最大の敵である二次障害だ。慢性的感覚的に、また社会的ストレスを受ける環境による鬱や神経症PTSD様の症状(瑣細な感覚刺激からフラッシュバックを起こし、日常生活に支障が出る)なども、かなり改善させづらい。というより、社会に出ている多くの自閉症者は、コミュニケーション能力の障害以上にこれらに苦しめられることとなる。これらの人間に、「アスペルガースペクトラム」の診断基準から外れたとき医学はどのように対応するのだろうか?

私事になるけれど、自分二次障害への対応に、かなり苦労した。「病気になる原因」というのが感覚的な特性と、それによって経てきた生育環境に大きく拠っているために、一般的治療方針アドヴァイスがあまり役に立たないためだ。普通人間は、ごくふつうの家庭で(母親は多少厳しくて神経質だったけれど)そこそこ健康に育ったにも関わらず、重篤なフラッシュバック症状(いわゆる「自閉症パニック」の主原因になるもの)を抱えたりしない。精神科、に行って自分が求めた治療を受けられたケースはとても稀だった。最初の二件くらいは適当に薬を出されて、経済的継続困難なカウンセリングを勧められて終わり。結局、これではらちがあかない、と感じて(また、「はっきりさせるために」)実家に帰って診断を受けてきた、知的障害者向けの施設外来先生、そして、某k橋先生(統合失調の大家である)との出会いが、自分にとっては得がたかったけれど、必要治療を受けられないままの人は未だ多いと思う。数年前にアルバイトを探していたとき、2ヶ月ほど支援センターにお世話になる機会があった。自分大学時代と比べてこの数年、随分とサポート体制が整ったのだな、と感じて感心した(そして、その実現に走り回ったであろう人々に敬意を覚えた)、それからしばらくしての今回の報だった。

未だに「心の理論」ありきの「アスペルガー症候群とは」みたいな文章はよく見る。精神医学世界って当事者も臨床も置いてけぼりなんだな、遅れてんなあ、というのはずっと思っていたけれど、今回の改編でよりその印象は強くなった。二次障害が軽くなって、今の生活が忙しくなるにつれ、自閉症を取り巻くもろもろの社会的状況に興味を向ける機会が減ってしまったので、偉そうに論じる権利は無いのだけれど、「まだこんなに遅れているの?」と、失望にも似た気持ちになったことは否めない。

私は診断をうけたとき、その時点で、もともと積極奇異タイプだったこともあり、社会能力自体はかなり改善していた。コミュニケーション能力に重きを置く診断基準だと、今はそのように診断されるかかなり怪しい。当時は、二次障害が今より重かったのに加えて、義務教育期間を終えたことで、それまでの細かな「不便(大学でお世話になった先生曰く『目に見えない腕の欠如』」がいちどに明らかになり、社会的な困難が顕著になっていた時期だったため、「診断が下っている」ことに、自分自己分析の面で、そしてひとから助けを得る上で、随分と助けられた。この障害がときに致命的なのはコミュニケーションの障害よりもっと前のステップ感覚すること、世界に。社会に働きかけること、「関わる」ことそのものに困難を抱えるからだ。「コミュニケーション能力」だけに重きをおいて、障害の本質をばっさり切ってしまった新基準に、本来の意味で自閉性の障害を抱えた人間たち(ここ数年で顕著になったように、世間においてけして少なくない)を、フォローできるとは思えない。

自由業で不安定な生活なので、定期的に、「障碍者手帳を得るべきか」に迷うのだけれど、この機会に行動すべきかなあ、と、また、少しだけ迷っている。職種的に実感する機会は少ないのだけれど、「診断を持っている」というのは、「障碍者の枠に入れられる」ということであると同時、「自分の特異性がア・プリオリものとして理解され、社会的に許される」手続きでもある。<そして、負担の多い日常に対してシステム的なバックアップを受けられる、というのはとんでもなく大きい。

以前は、手帳を取るなんて甘えだ、と思っていた。実際、生活しはじめると、やるべきことをやるために、使えるものを使わないことこそ甘えなのではないか、と思う。今のうちに診断書もう一回出してもらって、支援センター相談に行くべきかなあ。けれど、ここまで「診断されない人間が出る」ことに異を唱えておきながら、自分はいつも立ち止まってしまうのだ。生きることに混乱を抱えるのが、自閉症特有事象であるはずはない。そんなことは重々承知していて、その上で、おそらく定形発達であれば経験しなかったであろう経験を、自分は重ねてきている。そして、思ってしまうのだ。自分のこれは、この、抱えた差異と、それによって生じる無数の困難は、自分経験し・乗り越えてきた沢山のことは、果たして「障害」なのだろうか、と。無論、この逡巡が、社会的に「障害」とみなされるか、サポート必要とし、サポートを得ることで社会構成員としての生活を送ることへの困難が軽減される人間存在するか(そして、自分がそのサポート必要としているか)、という観点とは、デリケートながら別の問題だ、ということも重々承知しているのだけれど。

2013-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20130207135507

まず始めに、SFは難しい理屈が並んでて勉強の本みたい、というイメージがあって、

娯楽のつもりで読んでるのに理科のお勉強とかやってられっか、という拒否感が強い。

その感想は「自分はバカです」って言ってるようなもんですよ。

真面目に理科のお勉強やってればやってるほどSFが如何に荒唐無稽で肝心の理論ブラックボックス化されてるかはすぐにわかる。

陽電子頭脳とかふざけんなwってなる。

あと

「この程度のSF知識は持ってて当然だろ?」的な前提で劇中技術の説明をされることも多々ある。

本当に前提的に持ってるべき知識なら劇中で説明台詞すら入れない。ページの無駄から

2010-08-24

とても独善的で頭の悪い人の心の声

長年付き合った彼女とひょんなことから別れてしまい、

その寂しさを埋めるべく、とても安易に、簡単に新しい彼女を作った。

新しい彼女は中々頭のよろしくない子で、

やれ「昔の浮気相手(?)からヤラないか…と誘われて困る」だの、

「私の事が好きじゃないから仕事を優先するのね…」だの、

そんな事付き合って一ヶ月の彼氏に言うか!?

心の理論という概念がないがなもし‥

(それともこれが普通なのか?良く解らんよ女は)

まぁ何が言いたいかというとだ、安易に物事は決めちゃイカンということだ。

多少は吟味をしよう、何事も。

往々にして僕は簡単に手に入るものへ安易に手を出してしまいがちだけど、

それがとんでもない毒りんごって可能性もあることを理解しよう。

頼むぞ明日自分

さて、どうやって別れるか思案中。

その考えはキライだ!っていうのが一番いいのかどうなのか。

はぁ別れてしまった彼女にもう一度会いたい…

ゴミのような思考回路なのはよくわかっています。

ただ何らかの形でガス抜きをしたかったの。

2010-08-12

http://anond.hatelabo.jp/20100812023437

ブックマークコメントにもあるが、これが「サリーとアンの実験の再現」であるなら、

①キー・アイテムは家の中、もしくは村のどこかにある。

ならず者が村を襲ってキー・アイテムを奪った。

ここで、③ならず者のことを知らない旅人がやって来て、キー・アイテムを探し始めた。どこを探し始めたか?

という質問に、「家/村の中を探す」と答える話であるはずだ。

サリーとアン課題」は「自分はある事実(②)を知っているが、それを知らない他者はどう考えるか(③)?」という問題であり、

ならず者のことを知らない旅人」のような「ある事実を知らない他者」がいないのであれば、それは「サリーとアン課題」とは関係がない。

「他者」ではない自分/プレイヤーキャラは、自閉症である/なしに関わらず、当然、アンのかごやならず者アジト?を探すだろう。

もちろん、「プレイヤー自身は②を知っているが、プレイヤーキャラは②を知らない」というケースは(理屈としては)絶対に無いわけではないだろうが、

その場合は「プレイヤー自身はある事実(②)を知っているが、それを知らないプレイヤーキャラはどう考えるか(③)?」に忠実に正解し得た、という話であって、

これはもはや、むしろちょっと適切な行動すぎるといっていい話である。

なんにせよ、「マリーとアン課題」は"「ならず者が強奪してしまったので、その家には既にアイテムはない」という論理が理解でき"ないという話ではまったくない。

これは、父親が"「サリーとアン課題」は「心の理論」にまつわるものである、という論理が理解できない"という話なのだ。

「私としては無論愛情は別にして、息子の心理を深く理解しようという考えは最早ない。そのあたりのことは、かなり過去に悩んだ」というが、悩んだときにきちんと学ばなかったのか。

2008-06-10

ぞく☆せい

http://anond.hatelabo.jp/20080610215148

 

こういう「○○の奴が悪い事をした、やっぱり○○は悪い奴だ」的メソッドのはそれこそ昔から掃いて捨てるほどある。

簡単に言ってしまえば

犯人は○○だったらしい(しかし俺は○○じゃない)」

→「○○って気持ち悪い(理解しがたい)」

→「○○の奴は居なくなってしまえよ(そっちの方が俺にとって住みやすい世界だよ)」っていう心の理論だ。

もちろん、今は時期柄オタ批判が多いが、

オタクによるDQNスイーツ批判や、非モテウィンプによるモテリア充マッチョ批判だって同じだ。

 

で、こういうのに思うんだけど、こういう時に人は瞬時に切り捨てる○○を(当たり前だけど)自分に無い属性を設定する。

オタクじゃない俺にとってオタク気持ち悪いから居なくなってしまえよ。

スイーツとか言ってるような三次元バカ女はどうせ俺に利するものなんてないんだ、居なくなってしまえよ。

俺は無宗教だからカルトに信心してる奴の気が知れないや、邪魔だから居なくなってしまえよ。

こうして人は「俺に関係のない(or俺にとって邪魔な)○○、居なくなってしまえよ」だ。

 

でも、それってズルくね?

色んな角度で考えてみよう。

例題)秋葉原オタク非モテ派遣男の子青森県出身)が無差別殺人を行いました。

「やっぱりオタクって気持ち悪いや、居なくなってしまえよ(by非オタク)」

「やっぱり男性てす暴力に訴える!ああ恐ろしい!(byフェミニズ子)」

「やっぱり非モテって病んでるんだよ!どんだけー!(byモテ男)」

「やっぱりウィンプのようにウジウジ生きていると自分を守れないどころか人さえ傷つけてしまう。人はまず強くあるべきだね(byダンコーガイ)」

「やっぱり青森県民って野蛮!リンゴばっかり食べてるから血に飢えてるんじゃない?(by秋田県民)」

「やっぱり人間って理解できないや、居なくなってしまえよ(by地球)」

 

どれもアホみたいな言い方だ。うん、「どれも」ね。

 
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