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はてなキーワード: 政策決定とは

2022-07-09

安倍さん

個人的安倍さんイメージは大物政治家という感じがしない人だった。

官房長官時代小泉さんのおまけって感じだったし、最初総理大臣の時は病気ですぐ辞めちゃったし。

二回目の総理大臣は長く務めてたけど、なんというか他に見当たらないんでとりあえず安倍さんで~って感じで続投し続けたって印象だった。

報道なんかから伝わってくる性格も迂闊さが目立つ人で、それでも麻生さんとか石破さんとかよりはまだマシだから総裁やってたって感じ。

すごく小物感のある人だった。

なんというか平社員っぽかったのだ。

良い人かというと微妙だけど、ことさら悪どい人かというとそこまででも無いって感じ。

なにかというと安倍さん日本の政治ダメにしたって言われてるけど、あの人は結局その場その場で流れに乗ってただけの人なんじゃないだろうか。

安倍さんあんまり主体性のある人とは思えなかった。

モリカケ桜を見る会安倍さんが関わっていなかったという事はないだろうし、政策決定責任がなかったとは言わない。

それでも安倍さん自民党を変えたというより、民主党政権時代を経て変質した自民党安倍さん対応し続けたといった方が近いと思う。

自民党権力維持になりふり構わなくなったから、安倍さんもなりふり構わなくなったんじゃないだろうか。

今回の事件安倍さんが亡くなったけれど、それで自民党がなにか変わるかというと多分なんにも変わらないんじゃないかと思う。

総理大臣菅さんや岸田さんになっても自民党が変わったって感じ、全くしないしね。

個人的には好きな政治家って訳ではなかったけど、さほど嫌いという訳でもなかった。

ぶっちゃけ安倍さん個人にはさほど興味が湧かなかった。

直接話したり、生で演説聞いたりしたら印象変わったのかもしれないけど、そういう機会も無かったしね。

ただそれでもテレビネットでよく顔を見ていた人が、ああいう形で亡くなったのは悲しいし寂しいという気持ちはある。

司法の場でモリカケ桜を見る会について追求がなされなかった事も残念だ。

正直なところ現実味がなさ過ぎて自分でも白々しいとは思うのだけど、それでもご冥福をお祈りします。

2022-06-26

anond:20220626174303

党内で意思一致がとれてないとそういう変な文章が出来る

政策決定会議最後まで全体合意に至れず、もう時間無いし、こういう文面なら君らも受け入れられるでしょ?って無理やりまとめたんだろう

多分前回に比べて表現規制派はある程度立場が悪くなったんだろうな~とうかがえるけど、まだ残ってる

2022-06-17

黒田さんの発言に目くじら立てて日銀総裁の適性まで判断されてた人を見る目が確かなはてなブックマークのみなさんは当然日銀政策決定会合黒田さんが何を発言たかも把握してるよね

完全に観客の前でブレーキを壊すパフォーマンスだったね今回は。

https://www.youtube.com/watch?v=XFDnkunL8UA

はっきりと価格目標が達成されるまでは意地でもYCCを維持するってことらしい。

俺をとめられるものなら止めてみやがれってことだろう。

ただし

・急激な円安日本経済にとってマイナスであること。

現在インフレコストプッシュインフレであること。

・そして、今のペースのインフレ日銀も憂慮しており、これで良いといってるわけではないということ。

などが強調されていた。

マスコミ理解力翻訳能力ゴミすぎるせいでこんな当たり前のことをいちいち日銀総裁がいちいち説明してるのウケる……。

2021-12-19

建設工事受注動態統計への立憲民主党の追及はきっと尻すぼみになる。

代表枝野から泉に交代して、追及型野党をやめたから?違う。

立憲民主党事務能力的にまともな追及はできないから?それはあるかもしれないが今回は違う。

そういったことではなくてもっとお家芸の、ブーメランになるから

今回の問題は、互いに関連しあう2つの問題にざっくりと分けられる。

1つは、統計法によって定めを行った期限より事業者が遅れて出してきた個票に手を加えて、受注タイミングを改変したというもの

もう1つは、受注が二重に計上されていて、実際よりも上振れてしまったというもの

このうち、遅れて回答してきたものに書かれていた本当の受注の数字を全部、提出後の翌期の数字としてまとめる改変はかなり以前から行われていた。というのも、未提出の企業の受注は実績なし、つまり0として計上しているとそもそも公表しており、しかも遅れてきた回答を反映するような定例的な遡及しての改訂が無かったからだ。

https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/jouhouka/sosei_jouhouka_fr4_000006.html

平成12年4月平成25年3月までの推計方法

調査結果については、建設業許可業者全体への復元母集団推定)を行う。復元母集団は、調査実施の前々年度末における建設業許可業者の名簿である。この母集団に対して、各標本毎に定められる抽出率の逆数を各標本の調査結果に乗じることにより、母集団推定値を算出(復元)する。(未回答業者は実績なしとして取り扱う。)

これはつまり民主党政権をとっていた時代にも、国交大臣がきちんと監督ができていなかったということを意味する。公明党大臣監督できていなかったことには間違いないから追及自体はされるべきであるが、民主党政権時代自分たちも見過ごしていたとなると、いくら基幹統計といっても作成の細部まで政治家管理することは難しいという話に収束してしまい、追及は尻窄みになるだろう。

次に、政策決定にも直接的な影響があり得る、受注が二重に計上されてしまった問題だが、こちはいっそう立憲民主党は追及しにくい。だんだん報道でも着目されるようになってきたが、二重計上の問題2013年から行われた建設工事受注動態統計での作成方法の変更に端を発している。もう一度、先ほどの

https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/jouhouka/sosei_jouhouka_fr4_000006.html

平成12年4月平成25年3月までの推計方法

調査結果については、建設業許可業者全体への復元母集団推定)を行う。復元母集団は、調査実施の前々年度末における建設業許可業者の名簿である。この母集団に対して、各標本毎に定められる抽出率の逆数を各標本の調査結果に乗じることにより、母集団推定値を算出(復元)する。(未回答業者は実績なしとして取り扱う。)

を見てみよう。"各標本毎に定められる抽出率の逆数を各標本の調査結果に乗じることにより、母集団推定値を算出"、とある。これが、2013年度以降では

母集団に対して、各標本毎に定められる抽出率の逆数及び回収率の逆数を各標本の調査結果に乗じることにより、母集団推定値を算出(復元)する。

と変更されている。変わった点は、2013年度以降については回収率の逆数を乗ずるプロセスが追加された点だ。これが二重計上を招いてしまった理由である

たとえば日本建設会社が1万社あるとして、その全ての会社調査することは費用時間が嵩み、月次で発表する統計としては難しい。そこで、このうちから100社をサンプル調査するとしたとしよう。対象となった会社には統計法によって回答が義務付けられるものの、忙しかったりすることで実際にはすべての会社がきちんと回答してくれるわけではない。ここでは50社が期日までに回答を行い、20社が遅れて翌月に回答、そして残りの30社は音信不通だった場合を考える。当然ながら期日までに回答を行った50社の数字を足し合わせただけでは日本全体の受注額にはならない。1万社から100社をサンプルとして抽出したのだから、この受注額に100倍(1万÷100)をする必要がまずある。これが2013年度より前に行われていた推計方法だ。しかし、これでは当然ながら回答率が50%しかないので、実態よりもかなり過小になってしまう。そこで、回収率も考慮するように変更するようになり、2013年度以降では回収率の逆数(1÷(50÷100))も乗ずるようになった。ここで問題となってくるのが、期日までには回答をしないものの、遅れて、あるいは四半期や半年にまとめて提出してくる会社存在。従来は、期日までに提出されなかった分は実績なしとして0と計算しつつ、遅れた分を翌期にまとめて計上するだけだったので、30社の音信不通会社の受注はどこにも反映されないという過小推計が発生していた一方で二重計上は起きていなかった。一方、2013年度以降は、回収率の逆数を乗じた時点で、遅れた20社、音信不通の30社の分も期日までに提出した会社と平均的に同じとした数字が計上されている。ここに、遅れた20社の受注が従来通りに翌期にまとめて計上されたので、今度はその分が二重に計上されるという過大推計が起きるようになってしまった。(なお、当然ながら上記の社数は例示であって実際の数字とは異なる。実際の回収率は60%程度

https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/singi/toukei/meetings/iinkai_47/siryou_4a.pdf

とのこと。)

さて、立憲民主党の追及の観点からこのことを見てみよう。二重計上を生んだ推計は2013年度、つまり安倍政権に移行して以降に行われた。しかし、当然こういった基幹統計での変更は簡単には行えない。国交省の内部で議論をするだけでなく、統計委員会にその変更で構わないと認めてもらうなど時間の掛かるプロセスを踏む必要がある。具体的には

https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/jouhouka/sosei_jouhouka_fr4_000006.html

本推計方法は、平成23年9月統計委員会から答申(府統委第115号) に基づき、より的確な推計を行うために変更しています

とある。つまり平成23年という民主党政権をとっていた真っ只中だ。当然、国交省内部での議論や、実際の推計方法テストもこの前後を中心に行われたであろう。つまり、回収率の逆数を乗じるように変更を行うのであれば必要となる、期日までには回答しないが後で回答してきたものをどう扱うかといった問題を見過ごしてしまったのは、民主党政権の国交大臣や、あるいは統計全般管轄する総務大臣ということになる。ここが今回の件の根本問題である。これでは、立憲民主党はとても追及はできない、少なくとも自公のみを追及することは困難だ。

以上のことからして、建設工事受注動態統計への立憲民主党の追及が尻窄みになることはほぼ間違いない。というか現時点で毎月勤労統計の時と比べてすでに迫力がない。本来は毎月勤労統計の件を受けて再チェックをした上での問題なので今回の方が深刻なのに、だ。そして、今回の件の報道を率先した朝日新聞もこのことに気付いたのか、これをブーメランではなく泉代表の非追及型野党路線のためだとするような報道を始めだした。立憲民主党の追及の手が弱くてもそれは路線問題で、別に民主党の見落としが原因を作っていたというようなやましいことがあるからではない、としてあげたいのだろう。このまま、この件は(政治的には)毎月勤労統計の時のような大きな動きにはならず萎んでいく可能性が高い。だが、そんなこと許してはならない。

2021-11-01

anond:20211101173715

研究職なれるくらいの規模の企業だと、非正規ガーとか氷河期ガーとかインボイスガーとかも響かないだろうしな。

ハウスメーカみたいなアレな奴がトップ企業だったりしなければ、ある程度の規模の企業所属していれば、コロナ対策議論政策決定の仕方にそこまで異論は無いはず。

馬鹿じゃないと、いきなりイベルクチンガーとか、検査拡大が全てとか言えないよ。

2021-10-15

官僚です

立憲民主党の「この国に生きるすべてのあなたへ」というのが、はてブで盛り上がってるから見てみた感想

https://change2021.cdp-japan.jp/100movie/

以下、枝野議員ビデオメッセージを『』で示し、⇐で所管を書いていく。

あなた仕事日本を支えていく仕事です』『官僚政治家パートナー』『官僚奴隷ではありません』

⇐まぁ誰に聞いてもこう言うよね。でも、民主党議員に風が吹いてた頃、罵倒された挙げ句「悔しかったら当選してみろ」と言われたのは忘れてないよ。

長時間労働環境過酷すぎる』

官僚長時間労働の原因は国会予算法律なのは枝野議員なら知ってるよね。で国会対応の大変さってのは与野党わず、①根回し、②国会答弁対応の2つに分かれる。①にしろ②にしろ立憲民主党議員こちらの負担配慮してくれてると感じたことは少ないよ。個別の少数の議員は、質問通告をギリギリにしないなどしてくれるけどね。

今立民主党幹部になってる議員が日曜深夜に提出した質問通告「日本の内政について」「日本外交について」は半ば伝説になってるよ。役人は金曜からまり込んでこれを待ってたわけだけどずっこけたね。

政治家への忖度はいりません』

提案をしただけで左遷されるような政治はあってはならない』

民主党政権の時に「民主党に従えない官僚はクビです」って宣言してたけど撤回でいいのかな。まぁ枝野議員は「『政治主導』なんてうかつなことを言ったら大変なことになった」「与党がこんな忙しいとは思わなかった」って反省の弁を述べてたけど、党としてそういう見解なのかな。

内閣人事局制度見直して』

そもそも政治主導を強硬に主張してたのは旧民主党で、内閣人事局も成立は安倍内閣だけど原案旧民主党政権時だったよね。それは間違ってたってことでいいの?

というか内閣人事局ができる前は幹部人事は大臣及び族議員了解がないと成立しなかったってのも枝野議員なら知ってるよね?つまり現場としては人事権族議員から官邸に移っただけって感覚

で、族議員によっては役所案に口をだす人も居れば善きに計らえって人もいただけの話。

全体を通して総花的で美辞麗句に彩られてるけど、「何を」「どうやって実現するのか」に欠けてる印象がある。

政策決定ってのはどうしても利害が絡んでその調整が必要なのにその難しさから逃げてるって感じ。

民主党政権時代に、民主党の連れてきた某省顧問が退任の際に「政府が動けば金も人もすぐにつくと思ってた。実際は、どの省庁もそれぞれが抱える重要課題について優先順位を付けて動いていて、こちらの言い分(例えば生活保護の拡充とか)を通せば、一つ重要施策(インフラの補修とか)ができなくなる。それをようやく理解できた」って言ってたけど、そこからの成長を見せて欲しい

2021-09-29

anond:20210929063543

言いたいことが全く伝わっていないようで・・・

そのような「経済学的な正論」の話をしているわけではない。それは経済論壇で勝手にやってくれという話。

(1)減税を決める政治的プロセスでも相当の時間がかかるのに、さら景気回復貧困層に届くまで待てと言っているに等しい。アベノミクスでも8年経っているのに、あと何年待てばいいのだろうか。

(2)だから財務官僚を前にして説得できる能力がある人間がどこにいるんだ、という話をしているわけで。「そんなに減税したいなら社会保障費をガンガン削らせろ」という話になるに決まっている。経済学経済政策論の話じゃない。あくま政治的駆け引きにおける政策決定プロセスの話。

(3)だからそれが楽観論。国民全体の生活に深く関わる政策というのは、失敗したら後戻りすればいい、というものではない。「最悪のシナリオ」を全く想定していない政策論は非常に危険だと思う。

(4)「野党提示する減税策」がどのように無党派層有権者の目に映っているのか、という話をしているのであって、いくら完璧理論武装しようが野党の支持者が増えることは絶対にない。

2021-08-27

anond:20210827001151

多くの経済論客の類の人の本業はまさに大学かにいる学者なのだから政策としてどうは政策決定者が決めるべきことだと思うけどなあ。

政治家とか官僚とかが考えるべき点を「論客」に負わせるのはなんか違うと思う。

2021-05-15

メモ選手応援したいがオリンピック続行はヤバいというジレンマ

これはある意味典型的認知的不協和なんだろうな。

あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手応援したい、というジレンマ

全国的感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。

wikipediaによると以下。

認知的不協和とは、人が自身認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語アメリカ心理学者レオンフェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和典型例なんじゃないだろうか。

しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。

例としては、うなぎ大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみ規制すべき等も思いつく。

自分欲求社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分なかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。

うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。

うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共判断は成立しない。

うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法ひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的制度設計だ。

しかし、人間心理矛盾をなんとか解消

公共的な意思決定は、決して個々人の選好の集合や多数決ではない。

そう考えると、現代民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。

個人的には好きではないけど自分社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。

そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。

近代民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカ建国者のひとりジェファーソンは、

公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共課題自分欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政必要市民資質だと考え、他方、代表者議員)に必要資質アリストクラシー自然的貴族)と呼んだ。

しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。

社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき

ふつうの人々は、自分内面を整理するために、どちらかの認知一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知修正してゆくことになる。

今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。

オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。

社会規範に合わせて自分に対して一貫性要求しがちな日本人特に自分欲求我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。

別の例を挙げれば、60年代セクト化が加速したサヨクの動きが典型例。

エスカレートした「総括」要求など。

また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知一貫性他人に求める一例。

サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。

自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。

まさにこれが心理学が扱う認知的不協和テーマなのだろう。

党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、

それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。

ますます両極化が進んでいき、相手方一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやす立場の人とと

そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。

認知的不協和を解消しにくい人々。解消しやすい人々。

コロナ対策では人流の抑制課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。

しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、

次第に言葉の力は失われ、今では行政政治家も口にしなくなってしまった。

もっとも同時に、自粛警察あんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。

ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。

思い出すのはベトナム反戦運動ベトナム反戦真っ盛りの60年代アメリカブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たち

反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。

コロナ禍でのステイホームムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。

自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしま業界

それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。

オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会安全自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。

以上の話は、人々のジレンマ構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、

自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在自分社会立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、

自分自身党派性無自覚であってはいけない、

知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性アピールされているに過ぎない。

しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。

重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、

相手立場を知る、という機会自体重要なんじゃないかな。

オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、

そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。

飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。

タレコミも減ってきたという声もきかれる。

こうした寛容さは、行政飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。

人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。

しかし、人々の寛容が進めば、自粛警察抑止力を期待した政策は効力を失う

こうして考えてみると、自粛要請ベースとした日本流政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。

自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人メンタリティと、同じ社会構成員にも同じ一貫性要求したがる相互監視ムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルール判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。

ましてや大阪市市長さんのように、それを体現たかのように

感染者がいなければオリンピックもやっている。一生の思い出に残る行事実施したい

などと、都合のいい解釈認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、

人々は、ルールへ従うことの意味不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視機能せず、自分生活を変えることなコロナへの懸念自分認知のなかで両立させてゆくだけだ。

しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢限界をとっくに超えているしで、

人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。

自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナ心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。

本来政策というのは、そんな人々の認知世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。

例えば、自分の考えと相反していても、オリンピック応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、

あるいは、オリンピック懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。

「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元政策を決めるべきではない。

しろ個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民判断を見極めたほうがいい。

しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。

いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。

将来シナリオを示さない。予測分析を共有しないから、いつも唐突首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。

ある意味ガバナンスの基本ともいえる、こうした事柄に目を背け、

政策への信頼を、世論(最大多数の認知)で推し量ろうとする、その姿勢こそが日本ガバナンスのガンだと思う。

2021-03-06

シグロ氏の発言について、ある左翼かつリベラルから見た感想(続き)

前半はこちら↓

https://anond.hatelabo.jp/20210306213555

結局のところ、このイシグロ氏のインタビューの浅さ、つまらなさは、インテリ向けの文学芸術業界という自分の属する世界世界全体であるかのように錯覚して語っているところにある。

その上で、あくまでもそういうインテリ業界文学芸術業界への提言、また自戒としてイシグロ氏の発言を読むなら、部分的同意できないこともない。イシグロ氏は「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術必要です」と言う。必要かどうかはわからないが、非リベラルの人が思想感情表現した芸術があってもいいというのはその通りだろう。リベラル原則からしても、非リベラルの人の表現自由制限するのは筋が通らない。ただしその表現批判する自由もあり、表現する以上は批判を受けるリスクは負うべきだというだけだ。

しかしここでもやはりイシグロ氏との現状認識の断絶は感じる。イシグロ氏から見ると世界リベラルが作った芸術ばかりらしいが、少なくとも私は日本に生まれ育って、「リベラル以外の人たちがどんな感情や考え、世界観を持っているのかを反映する芸術」の方を圧倒的に多く目にしてきたと思う。そもそもポリティカルコレクトネスなどが日本で多少とも意識され始めたのはごく最近のことであり、それ以前の言論にせよ芸術にせよ、今の視点で見れば差別偏見にあふれているもの普通だ。

たとえばイシグロ氏と同じくノーベル文学賞を受賞した川端康成という作家がいて、日本はいまだに高く評価され、小さな書店にも文庫本の数冊くらいは置いてあるだろう。私も過去にいくつも作品を読んできたが、同時に忘れられない言葉がある。ある時私の母親が言った「若い時に川端康成を読んで、女は芸者しか出てこんのかと思った、芸者にならにゃいけんのかと思った」というものだ。私は芸者という職業否定しないが、ここで問題なのは芸者の側ではなく、女性を極度に美化しつつあくまでも鑑賞される客体として描きがちだった川端康成視線の方である現在の目で見て、こういう川端康成視線女性蔑視的要素を含まないということは難しい。

また私は十代の頃に太宰治を読み、貧しく教育のない芸妓を買い取るようにして妻にした挙げ句、その妻が他の男と寝ていたというので絶望し、何やら自分が裏切られたかのように荒れている主人公(これは作者自身体験に基づく)の思考回路がよくわからないと感じたことがある。しかし当時の私はまだ、そんなものはわからなくていいと突き放すことができなかった。そこであれこれ想像力を駆使しつつ、そういう「苦悩」に何とか共感できないかと努めた記憶がある。ずいぶんと「理解しがたい他者」に耳を傾けようとしたものだ。その後フェミニスト批評に触れたりする中で、共感できなくて当然だったといつしか思うようになったが。『男流文学論』や『妊娠小説』を笑いつつ興奮しつつ読んだ日を思い出す。

私の世代には、そういうフェミニスト批評のように、また女性自身による新しい表現のように、男性作家視点を相対化してくれるだけの「他者の声」が辛うじてあった。その他の多様なマイノリティ視点から作られる芸術も探せばそれなりにあった。しか古典とされるようなものは言うまでもなく、世間で人気のあるもの話題になっているものは多くがリベラルでも何でもなく、機械的に「差別語」を排除したりする他はポリティカルコレクトネスにも多様性にも無配慮なのが普通だった。それにもかかわらず、「逆差別」だの「自虐史観」だのとリベラル側の価値観攻撃する言説は早々と巷にあふれていた。私は左翼だが、小林よしのり作品をいくつか読んだことがある。周りで流行っていたからだ。小林よしのりは「じいちゃんの死は無駄だったというのか」といったまさに感情に訴える手法保守派戦争観を広め、当時の若い世代にかなり影響を与えた。

シグロ氏の周りはどうなのか知らないが(と皮肉を込めて言うが)、日本書店というのはいまだに「嫌韓本」が山積みにされたり、保守論客歴史本がベストセラーになったりしている。イシグロ氏の小説を読むようなインテリ層の一部はそれに眉をひそめるかもしれないが、現実として、日本にはずっと「リベラル以外の人」の表現があふれ、どこにでもいる「リベラル以外の人」がそれをのびのびと享受している。「ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許である社会などいったいどこにあるのだろうか。私は見た覚えがない。

小説であれ、大衆向けのエンタメであれ、もっとオープンになってリベラル進歩的な考えを持つ人たち以外の声も取り上げていかなければいけないと思います。」そう思うのかもしれない。「私は人生の大半を進歩自由主義的な考えのもとで心地よく過ごしてきた」と言えてしまうような人は。この言葉移民であり民族的マイノリティであるシグロ氏の口から語られることは、イギリス社会成熟を示すものでもあるだろう。

しかあいにく、私の住んでいる世界はイシグロ氏の世界とは違う。イシグロ氏の世界にしても、単にイシグロ氏に見えていないだけで、リベラル価値観の過剰ではなくその不足に苦しんでいる人がまだたくさんいるだろうと私は思う。私はリベラルとして非リベラル発言権を奪えとは言わないし、またその声に耳を傾ける人がいてもいいと思うが、私が日本社会でより多く耳を傾けたい声は、やはり非リベラル社会が長らく抑圧してきた、今も抑圧している声の方である

ところで、私は川端康成太宰治作品差別的な要素があると言ったが、かれらの本を絶版しろとも、教材に入れるなとも、子どもに読ませるなとも思わない。差別的要素があるからといって作品全体が否定されるべきだとも思わない。私は川端康成文章の美しさも、太宰治小説面白さも理解することができる。それに価値がないとは言わない。

キャンセルカルチャー」という言葉が指す状況を私は詳しく知っているわけではないが、作者がある場面で「政治的に正しくない」言動をしたからといってその作品全否定したり、市場から完全に追放したりすることは私は支持しない。差別思想公的な表明は批判されるべきだが、芸術表現を直接的に規制したり、作品を抹消したりすることは慎重であるべきだと思っている。

この点はおそらくイシグロ氏の考えと私の考えは近いだろう。芸術総体として愛するならば、自分の嫌いな作品理解しがたい作品が生まれてくる可能性も含めて愛さなければならない。私は現在視点川端康成太宰治表現の一部に批判をもっているが、その批判を表明する方法作品を焼いたり隠したりすることでは決してなく、批評や新たな作品で相対化していくこと、注釈を書き加えていくことだと思っている。

ただし同時に、かれらの作品にも行動にも現在から見て許しがたい要素があること、それは当時には自覚も変更も難しかたかもしれないが、今後の社会に引き継ぐべきではないこと、そこを否認するつもりもない。作品は消さないが、今後も読まれ続けるのなら、そういう観点から批判作品自体と同じくらいに読まれ、語られるべきだと思う。もし川端康成教室で読むのであれば、教師にはその美しさだけでなく、その女性の描き方が一方的であったり一面的であったりすること、フェミニズムを通過した視点でどう見えるかというようなことにも学生の注意を促してほしいと思う。これが過剰な要求であるとは私は思わない。

最後に、イシグロ氏が述べている「感情」というものについて少し違う角度から見ておきたい。最初に書いたように、私は政策決定などにおいて事実科学的根拠より感情が優先されるような事態は望まない。この点ではイシグロ氏に同意する。

しか人間感情というもの社会のあらゆる場面で抑えられるべきとも、それが可能とも思えない。イシグロ氏の主張を大きくまとめると、現在世界(実際はイシグロ氏の属するインテリ業界)はリベラル側の感情を優先しすぎるものになっているので、感情優先を抑えると同時に非リベラルももっと発言の場を与えるべきだ、と読める。私はこれには同意できない。

まず現状認識が違い、芸術世界リベラルに席巻されているようには到底見えない、というのが上に書いたことだが、それとはまた別に文学芸術世界でまで政策議論場合のように感情排除する必要はないだろうと思う。イシグロ氏は小説家として、感情を重視する文学トランプ支持のような不合理に加担した可能性を反省しているのかもしれない。しかし思うに、それはそれで文学の買いかぶりというものだ。感情に訴え、感情を揺さぶもの文学芸術の他にもいくらでもある。むしろ現実生活が多様な感情を強く喚起するからこそ、それを芸術表現し直すことが対象化や客観視の手段になりうるのだ。そして文学芸術は、合理性を追求する世界からこぼれ落ちる感情思想避難所としての役割をもっている。人間が完全に「合理的」な存在に変化しない限り、この役割がなくなることはないだろう。科学エビデンスに基づいてワクチン政策を決めるように自分人生を生きられる人はいない。そんなことを個人に求めるべきだとも思わない。

また、イシグロ氏の言う「リベラル」に人種的民族的性的その他の抑圧されてきたマイノリティが含まれるのだとしたら、かれらが時に強い攻撃性をもってその感情、蓄積されてきた恨みや怒りの感情表現することを私は一律に非難したくない。被差別者表現が時に復讐的な攻撃性をもっていたり、「逆差別」と見えるような偏見を含んでいたりすることはある。それ自体はたしかに「良いこと」とは言いがたい。しかしこれもまた現状認識問題になるが、今の社会マイノリティマジョリティ攻撃するような表現公然と行えば、より危険さらされるのはマイノリティの方である。だから圧倒的多数マイノリティはそんなことをせず、むしろ感情抑制に非常に長けている。

BLMを暴力的だと言って眉をひそめる人を数多く見たが、私が以前から思っているのは、もし黒人たちがその何世代にもわたる奴隷制怨恨復讐としてそのまま投げ返したなら、アメリカ白人社会はすでに何度廃墟になっているかからないということだ。しか現実はそうなっていない。現実マイノリティは、時に攻撃的に見えることがあるとしても、総体として恐ろしく理性的で自制的で、そして寛容なのだ。何一つ復讐も、感情表現することもできずに埋もれていった膨大な被抑圧者の忍耐の上に今の社会は維持されている。多くの被差別者は、深い痛みを抱えながらも、求めるのは復讐ではなく次世代幸せになることだと穏やかに語る。その中から時に感情的な表現が投げかけられたとして、それを感情的だと単純に排除することを私はためらう。

ずいぶんと長くなってしまったが、ふと書く気になったので書いた。まだいくつか書き残している気もするが、土曜も一日つぶれたことだしこのへんで。

2021-02-07

anond:20210207115225

ていうかそもそも論の話

二十世紀人口爆発徴候があって

政策決定サイドの方では、少子化するしかない方向で議論を固めたのが先なわけで

世界的にね

いざ少子化成功しちゃったら辛い辛いと叫んでるわけだけど

それは人類の滅びとかい論点ではない

しろどちらかといえば滅びの回避副作用

2021-02-03

anond:20210203202019

そもそも終わってるんだよ」も単なるお前の個人的感想しかない

現実は単なる再配分政策に過ぎないんだから

そう、単なる再分配政策にすぎず、所得云々は対象者の中で実際に本当に苦しいと思ってる人はいなくて、見かけ上政策やってるように見えて少子化対策負担子育て世代内で押し付け対応しようとしてるから叩かれてるってここまで話が進めば理解できるな?

そして別に俺が正しいとかお前が正しいとかはてな民が正しいとかなく、政策決定の場でもないんだからむしろ個人的感想以外なにかあるのかよ教えてくれよお前のも個人的感想じゃん。

2021-01-28

XX民主党 はなぜ論理的に主張できないのか

XX民主党とは

「XX民主党・・・ 自由民主党立憲民主党国民民主党 のことを指してます

この人らって、「相手を納得させるために、自分意思ロジカル表現しようとする習慣」

が欠如しているように見える。これってなんなんだろう。なぜなんだろう。と、考えています

ダメな例:立憲民主党コロナ対策提案 by 枝野

論理性の無さの具体例がコレ。

https://note.com/edanoyukio0531/n/n5fab565585bc

提案内容の良し悪しは僕には分からないが、立論のしかたが超イケてない。

枝野なんて政治家のなかではかなり頭いい方(僕よりも全然頭イイはず)なのに、これですよ。

上の記事のどこがイケてないか、念のため書いてみるとですね。

導入:台湾NZうまくいってるよね。→うんうん

冒頭で、台湾NZうまくいってるよね、参考にできるよね と始めています

本当は冒頭は「各国がコロナに苦しむ中、NZ台湾では感染封じ込めに概ね成功し、経済も順調に回復しています」とかの方が

キャッチーなんだけどね。でもまあこれはよい

つづいて:台湾NZうまくいってるのは、ゼロコロナを目指したから →雑すぎないか

うまく行っている理由が、ゼロコロナを目指して「徹底的な感染の封じ込めに取り組んだ」ことが奏功、

としている。これはさすがに雑すぎるだろう。

ゼロコロナを目指すことは、原因ではなくて、結果なのだろうに。

というのも。そもそも はじめから Withコロナを目指す国なんて いるわけがない。

しくじってコロナ蔓延させてしまった国たちが、

仕方なく Withコロナいかにして国民生活を回していけるか考えているわけですよね。

ゼロコロナを目指しさえすれば、ゼロコロナが達成できる、だったらパンデミックなんて起こってない。

つづいて:台湾NZうまくいってるのは、島国から →おいおい

んじゃ、なぜ台湾NZではゼロコロナが達成できてるんだろうか?

この問いを立て、彼らのやっていることを分析し、日本も真似よう! まあそういう筋立てになるべきですよね。

ところがこの問いに対する答えは、「台湾NZ島国日本も同じ島国からできるはずだ」で終わっているw

おいおい。

結論:ぼくの考えたさいきょうのたいさく →待ってくれよ

こんなふんわりした掛け声から、どう具体的な対策はが生み出されるかというと

台湾NZ成功との関連性が全く見えない、3つのプラン唐突に出てきておわり。

なにこの「ぼくの考えたさいきょうのたいさく」。

結論が正しくても 論理破綻していたら無意味

なんとも、極めて残念な立論だと思うのですね。

たとえ提案内容が正しく、丹念に検討されたものだったとしても、それを納得させるための論理破綻している。

これじゃ誰も立ち止まって聞いてくれやしないっすよ、残念極まりない。

XX民主党ダメ理由

なんでこんなことに、なってしまうのでしょうか。

僕が思うに。「自分意見を、違う意見の持ち主に納得させようとする」

という良い大人なら、極めて日常的に行われる営み、XX民主党の人たちには欠如しているのではないか

本来選挙で勝つための王道っていうのは、自分意見を、異なる意見もつ有権者に訴えて、

ほおアイツの言うこともモットモだ、と思わせること(小泉純一郎なんかはそれだな)。

野党であればなおのこと、その戦略に頼らざるを得ないはずなんだが

XX民主党与野党わず、全員この試みを放棄して、次の戦略をとっている。

  1. 多数派意見自分意見として訴える(例:「国民はこう考えているんですよ!」)
  2. 集票力のある支援者意見を、自分意見にする(連合、教団、後援会・・・

そうして票を集めるために、最初から結論多数派意見に合わせようとするから論理おざなりになる。

論理おざなりになることの副作用

論理おざなりになるということは、大変深刻だと思うのですね。

政策決定プロセスブラックボックス

モリカケ桜、学術会議問題なんかで共通する

問題本質は、政策決定プロセス不透明性ですよね。

結論が正しければ正しいんだ」「連合意見と一致したからこれがいいんだ」

政策を決められると、困る。なぜか。

状況変化に対して無力

結論に至るプロセスブラックボックス化されると何が問題かというと、

状況の変化に対して政策を柔軟に変えることができなくなる。

政策の前提となるINPUTに変化があれば、それは政策変更のトリガになるべきなのに

どのようなINPUTから政策立案されているか可視化されていないと、その変化を検知できない。

かくして1945.8.15まで戦争が続けられる、と、まあこれは飛躍ですが

やばいねこれは。

この問題が、自民党だけでなく、すべての XX民主党政策立案共通してんだよな。

フルーツバスケット

いきなり乱暴結論に飛躍しますが。

この構造を変えるには、まずは人を全取り換えしてみるしかなさそうな気がしてます

多選の禁止、すなわち現職・元職の議員出馬禁止

こうすれば属人化も防げてあらゆる議論可視化され、一石二鳥なんでないの。

僕今まで選挙に行ったことないけど、もしフルーツバスケット党ができれば、一票いれるよ。

2021-01-08

はてなブックマーク政治に影響を与えているのか【追記あり

自民党政権がなんらかの政策を行おうと「検討」をする。(この「検討」は内輪での「決定」と同じと思われる)

その「検討報道はてなブックマークトップページに載る。

ものすごい数の批判的なコメントを含んだブックマークがつく。

やがて自民党政権日和って「検討」をひっこめる。

こういう流れが年間をとおして繰り返されているように見える。

はてなブックマーク政治に影響を与えているのだろうか?

これは間違った問題設定の可能性もある。

はてなブックマークだけ見ていると、そこで見かけたコメント世論のものだと思い込む典型的エコーチェンバーに陥いるかもしれないからだ。

だがそれにしても、偶然にしては上記のような流れが多すぎる気もする。

やはりはてなブックマーク政治的な影響力があるのではないか

もしあるとすれば、どういう因果関係でそうなっているんだろう?

霞が関で働いている人や政党政策立案担当者が、情報収集のためにはてなブックマークを見ている可能性はありそうだ。

保育園落ちた日本死ね!!!」というエントリ国会で紹介されて話題になった。

https://anond.hatelabo.jp/20160215171759

これは増田政治的な影響力を持ったというよりは、エントリについたブクマ数が多かったせいで、これを国会に持ち込むことができる誰かの目にとまったはずだ。

まり影響力があったのは、はてなブックマークの方だ。

もうひとつ考えられる可能性は、はてなブックマーク自民党の「ソーシャルリスニング」の対象になっていることだ。

民主党政権を取られた後、自民党ネット上での選挙対策を強化した。

情報参謀』 (講談社現代新書)という本は、自民党の初期のネット選挙対策を担った人が書いた本だ。この本の冒頭に登場して威圧的に著者と話すのは、現在茂木敏充外務大臣だ。

ネット上で自民党擁護工作を行う団体自民党ネットサポーターズクラブがある。これは現在平井卓也デジタル改革担当大臣電通出身)が中心になって2010年に立ち上げた組織だ。

さら自民党ネット上で世論対策をやるために、民間調査会社ネット監視委託した。

その中には「ソーシャルリスニングサービス提供する会社電通資本が入っている)も含まれる。

ここからは仮説だが、自民党が使っている「ソーシャルリスニング」の指標はてなブックマークブクマ数が含まれているんじゃないだろうか。

おそらく複数の経路で、はてなブックマーク自民党政策決定に影響を与えている、という仮説を立ててみる。

これを「陰謀論」だと断定するブクマコメントトラバを残して、考えるのをやめるのは簡単だ。たぶん99%以上の人がそうするだろう。

だが社会科学的なリサーチ対象として、真面目に、計量的に調べて判断するにはどういうリサーチデザインをやったらよいのだろう。いまのところ自分にそれをやるスキルはない。なんとかしたいとは思っているのだが。

追記

かに、別のソース新聞雑誌等)の言説と比較してその影響(相関?)の程度を調べないと意味がなさそうですね。。。

そもそも「影響」という言葉定義曖昧すぎることに気づいた。

影響=「はてなブックマーク批判的なコメント数、ブックマーク数があるしきい値を越えると、自民党政権報道された「検討」内容を撤回する傾向がある」ぐらいかな?

2020-12-31

anond:20201231171525

お得意の恫喝とやらでひるむ馬鹿おったら国会議員辞めろw

恫喝されて政策決定してるんだったら自民カスじゃんw

2020-10-25

若者菅義偉を支持する理由

特に難しく考えることはない、現政権与党政策の影響による「悪い実感」を受けてる人が少ないからだろう。

若者生活者視点であるため文書偽装とか政策決定プロセスとか外国人技能実習生問題など実生活に程遠い事より自分自身生活重要なのだ

今の生活をどうするか、これからどうやって暮らしていこうか・・・・これから人生をどうして行こうか?

俺が20代や30代の頃より真剣にそして真面目に考えている若者が非常に多く非常に感心する。それを馬鹿にするつもりはないと予め言っておこう。


それが普通だと思うし、今の政権を見ると巧みな政権運営で国民の実生活に直接影響がないようなレベルでの不祥事が多く、これらの不祥事が影響を

与えるのは20年後30年後の話だろう。今の若者にこの巧みさを懇切丁寧に説明しても「悪い実感」がない状態では五月蠅いおっさん扱いされるのが

普通であるし、自分自身が同世代だった時も実際にそう言うおっさんやおばさんを「五月蠅い」扱いして耳をかさなかった。


我々が出来ることは今の若者可能な限り大変な思いをしないよう動くことだけである。たとえそれが焼け石に水でも。

2020-10-12

anond:20201012161410

提言をたくさん出しているよ。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-15.html

これを元に研究費の配分とか政策決定がなされる。ips細胞関連に重点的に予算を割り振りましょうとか、〇〇を観測するために人工衛星打ち上げましょうとか、こういう災害対策にこの分野とあの分野の成果を取り入れたハザードマップを作りましょう、とか。新聞を丁寧に読むと、時々、提言の内容についての記事が載っているよ。今度、注意して読んでみて。

現代では、科学の成果は、医療だったり気候変動対策災害対策ダイレクトに結びついているんだ。だから経験と見識のある人がこういった方向づけをしてくれないと、生活にも影響してくる。それに権威のある人の提言でないとお役人も聞いてくれないからね。

日本学術会議には完璧組織ではないと思うけど、ないと結構困る。

2020-08-30

anond:20200830150907

じゃあ、政策決定ほとんど官僚介入してるから

安倍無罪なんやなw

こいつおもしれー

友達には優しいとか安倍かよw

2020-08-27

コロナウイルスがもたらす日本人文学危機

コロナ人文学ヤバい

といっても哲学とかそういうのじゃなく、歴史学とかがヤバい

もうちょっと言うと、日本史とか日本文学とかはぜんぜん大丈夫なんだが、西洋史とか東洋史とか、要するに外国のことを調べる学問ヤバい

今はまだ大丈夫だけど、じきに破綻する。

なぜかといえば非常に単純な話で、研究を進める上で必要資料アクセスできないからだ。

歴史学根本は、オリジナル資料(=一次史料)にあたることにある。一次史料には色々な形態があるわけだが、歴史上の出来事の背景とかを実証的に調べようと思ったら、公文書館にある史料を使うことが不可欠だ。

そして公文書館というのは行政機関なので、日本国立公文書館外務省外交史料館東京にあるように、あるいはイギリス国立公文書館キューにありアメリカ国立公文書記録管理局ワシントンDCにあるように、当然ながらそれを管轄している国や地方自治体に設置されている。

そう、公文書館に行けないである

コロナが2~3年で過ぎ去り、その後はすべてが元通りになるなら、その数年を耐え忍べばいい。数年が過ぎればまたヨーロッパなり世界の他の国なりに行けるようになる。当然、歴史学も元通りだ!

でも残念ながら、中東諸国の割安の航空券ヨーロッパ渡航できる日々は、もう戻ってはこないかもしれない。航空券が割高になるだけではなく、全世界的に航空産業が縮小し、これまでであれば容易にアクセスできていた史料アクセスできなくなるかもしれない。

明治維新以降、政府が雇ったお雇い外国人たちによって、ランケに始まる近代歴史学日本に持ち込まれた。だが初期の日本歴史学はあまりにお粗末なものだった――現在の水準からすれば。

オリジナル史料を見ずに、西洋人の書いた歴史書を読んでそれを日本語で紹介して論文を書き、吾は教授でございと偉そうな顔をしている。英語フランス語ドイツ語の文献だけを読んでヨーロッパ史全体を講じるなんていう無謀なことが平気でまかり通っていた。

けれど、そのような稚拙な「論文」も必要だったのだ。日本歴史学が独り立ちするためには。

やがて、それらの先人たちの業績を踏み台にして、きちんと史料集(=オリジナル史料を集めてまとめた本)にあたって論文を書く人や、英仏独だけではない色々なマイナー言語習得して研究する人が増えてくる。そして、交通技術の発展に伴って海外旅行安価になるにつれ、国外文書館アクセスして論文を書く人が増え、英仏独以外の言語を学ぶ人が増え、留学して現地で学位を取る人も増え、日本歴史学レベルはどんどん上がっていった。

2000年代から2010年代にかけての日本歴史学界で生み出された外国研究レベルの高さは誇るに値する。もはや横のものを縦にしただけではまともな論文とは見做され得ない。現地の言語を読めることが最低条件で、その上でどのようにオリジナル面白い研究成果を積み上げるか。多くの研究者たちが競うように優れた論文や著書を生み出してきた。

そこをCOVID-19パンデミックが直撃したのだ。

留学の予定も史料収集計画も、すべてが白紙になってしまった。

分野によって違うと思うが、外国史を学ぶ者は多くの場合修士課程博士課程で留学をする。これは現地で史料収集したり、現地で言葉勉強したり、現地の研究者と触れ合ったりするきわめて重要プロセスで、修士卒ならともかく博士号を獲ろうと思うなら避けては通れない。多くの研究者はだいたい1年から3年くらいの留学を経て、外国歴史に興味がある若者から若手の歴史研究者へと成長する。

COVID-19直撃世代は、この留学経験を持てない。彼らは外国研究者として足腰を鍛える機会を奪われることになる。

2~3年でコロナ禍が終熄するなら、この世代が数年間のハンデを背負うだけで済む(たとえば、留学することな博士課程の年限が来てしまったとか、在学を引き伸ばす羽目になり学費が余計にかかったり就職市場に参入するのが遅れたとか、せっかく学振DCを取ったのに海外調査をすることな任期が過ぎてしまったとか、そういう悲劇が量産されることだろう――外国研究者は学振研究費のかなりの割合出張費に充てている)。

けれど、コロナ禍が終熄しなかったら、あるいは終熄後に海外調査ハードルものすごく高くなってしまっていたら、日本外国研究は大きな打撃を受けるだろう。

そりゃ、留学終えてる組は今すぐに困るってことはない。彼らはもう現地語ペラペラだし、これまでの現地滞在史料たっぷり集めてるだろうから、当面はそれを消化しながら外国研究者とオンライン会議すればいい。

でも、これから留学しようとする人たちは、現地に長期滞在して外国能力を鍛える機会を奪われ、史料を集めることもできず、中途半端研究能力しか持てないままに博士課程を終えざるを得ないことになる。

もちろん、先行世代よりマシな点もある。デジタルアーカイブの発展によって、従来は現地の図書館に行かないと見られなかった古書や古新聞が自宅にいながらにして読めるようになった。中には所蔵している史料ウェブで見せてくれる親切な公文書館もある。外国雑誌だってオンラインで入手できるし、何なら研究書をkindleで読んだっていい。そういえば友達ドイツ語学術書kindle版で引用していた。

から研究の水準が明治時代に戻るということには、おそらくならない。

ただし、その方向性限定される。

どのような種類の史料必要かは、結局研究テーマに左右されるのだ。もしも「ドイツにおける日本人のイメージ歴史」を調べたかったら、古書や古新聞を徹底的に調べればそれでいい。けれど、「1960年代における西ドイツ政策決定過程」みたいなテーマを扱おうと思ったら、公文書館史料を見なければお話にならない。

現代日本で考えてみればよくわかる。「安倍首相メディアでどう扱われているか」と「安倍内閣の内側ではどんなふうに物事が決められているか」とでは、立論に使うべき資料全然違う。前者は新聞ネットを見ればそれでいいが、後者情報公開請求必要だし、『朝日新聞』や『週刊文春』だけを見て後者を論じたら手抜きだと謗られるだろう。

そして歴史学とは「昔のことなら何でも扱う学問」であり、内部には表象を論じる研究から外交政策を調べる研究者まで色々いるのだが、後者のような人たち――つまり研究のために文書館史料必要とする人たち――の研究はずいぶんやりにくくなるだろう。外国研究において、思想史文化史古代史の割合が高くなるかもしれない。

(いやでも、ガチ思想史文化史をやろうと思ったら文書館史料を見ないといけない局面も割と出てくるので、思想史なら文書館行かなくてもいいでしょ、という話にはならないんだよな……明治時代知識人留学先の国に出かけてその国の文書館史料使って明治期の思想についての本書いた人とかいからな……逆にある程度昔の外交史だと関係する史料ほとんど翻刻されてたりするし……)

逆に、先行世代よりも悲惨な点は何か。

それは研究レベルが上がってしまたことだ。

ネット上で読める範囲古書や古新聞だけを史料として使って「18世紀におけるドイツ諸邦の外交」みたいな研究をまとめたとして、明治時代ならこんな多くの一次史料を使うなんて素晴らしい研究だと大絶賛され東京帝大の教授になれるかもしれない。でも現代では、研究レベルが上がってしまった現代では、「新聞しか見てないじゃん。文書館史料使ったの? え? 使ってない? レベルいね」と一蹴されてしまう。論文英訳なり独訳なりして海外ジャーナル投稿しても、それなりのレベル雑誌からは軒並み落とされるだろう(というか、国内でも有力学術誌の査読を通過できるとは思えない)

ふんだんに文書館史料を使う質の高い研究に慣らされてしまったら、今更横のものを縦にすれば教授になれていた時代研究水準には戻れないのだ。

ハードルを下げる?

外国最先端研究成果がワンクリックで手に入るこの時代に?

つい去年まで史料調査のために渡航するのが当たり前で、今アラサー以上の人たちは研究水準が高かった時代を身を持って知っているのに?

コロナ禍の影響が数年で収まるのなら、業績の不足で苦しむのは直撃世代だけで済む。だが、もしもコロナ禍の後遺症が何十年も続くのであれば、外国史を研究する歴史家たちは困難な撤退戦を強いられることになるだろう。

それはより史料入手の容易なテーマへの撤退戦であるかもしれないし(政治史ハードルが高いから、表象歴史とかを研究しよう)、より史料入手の容易な国への撤退戦であるかもしれない(○○国と比べて××国の方がデジタルアーカイブが充実してるから、○○史じゃなくて××史をやろう)。

ともかく、これまで日本歴史学が積み上げてきた多様性は、徐々に失われていくことになるだろう。

日本外国研究にとって、冬の時代が迫っているのかもしれない。

まあそうは言っても史料さえどうにかなれば研究はできるので文化人類学記述言語学よりはまだマシ。これらの学問では現地に長期間滞在して現地人の間に分け入って調査する必要があるので、現在レベル渡航制限が長続きすると文字通り危機に瀕する。これらの分野では伝統的に外国に関する研究が盛んで、オセアニア島国アフリカの奥地で調査してきた日本人が何人もいるのだ。今後、外国舞台にした文化人類学記述言語学は消滅し、国内対象として細々と生き延びるほかなくなるのかもしれない……

(まあ、国内伝統文化方言を保存するために、一度外国文化言語記述するのに使っているエネルギーを全部日本に関する研究に注ぎ込むのもアリかもしれない……でもCOVID-19で次々と伝統的なお祭りやら寄り合いやらが中止になっているし、うかつに都会の大学修行する若手研究者が離島山村に出かけてお年寄りのインフォーマントと接触するのもはばかられるよなぁ……)

ブコメにお返事

日本だけの問題では無さそうなのでよりデジタル化したりオンラインで閲覧する仕組みが出来そうだけど

デジタルアーカイブの発達はうながされるだろうけど、そんなに急速には進展しないだろう。それには2つの理由がある。

第1に、単純にデジタル化はすごい大変なのだマトモな国なら行政の作った公文書は破棄されずに何十年にもわたって保管されているのが普通で、それらすべてをデジタル化するのは労力がかかるというのは納得してもらえると思う(国だけじゃなく地方自治体にもその自治体公文書集める公文書館があったりするからね。連邦制の国だと連邦レベル・州レベル・市レベル文書館が別々に設置されていたり)。優先順位をつけてやっていくほかないけど(「まずは外交関係公文書を先にデジタル化しよう。環境保護関係は後回しだ」)、優先順位の低いテーマ研究しようと思ったらそれでは困る。

第2に、困るのは外国研究者だけで、本国研究者はそんなに困らないのだ。

日本人がイギリスドイツ調査に行けなくなっても、イギリス人やドイツ人の歴史家は何も困らない。彼らは渡航制限など気にせず自国にある公文書館アクセスできる。これは日本のことを研究する日本人の歴史家にとっても同じだ。仮に外務省外交史料館から外国研究者の姿が消えたとして、いったい日本研究者になんの不都合があるのだろう?

(ここでは「外国人」と書いたが、厳密には、外国拠点を置く研究者と言った方がいいだろう。日本大学で教鞭を執っている中国人日本史研究者はなんにも困らない。逆にうっかり日本学の専門家として英米大学就職しちゃった日本研究者は大変だ。また、日本研究する歴史家がなにも困らないというわけではない。日米関係歴史研究しようと思ったら当然アメリカに行かなければいけないし、国内政治だけを研究する場合であっても、日本政府公文書管理がザルすぎるせいで重要史料日本じゃなくアメリカにあるみたいな状況もありえるので……)

まり世界的に、自国研究する研究者にとってはあんまり困らないが、外国研究する研究者はめちゃくちゃ困る、という状況が訪れると思われる。外国研究者への配慮が、果たして自国公的施設デジタル化への強い圧力となるだろうか? 正直疑問だ。

資料を集めたり読んだりするのはその国の研究者に依頼する、というのはダメなの?現地に行く必要性がよくわからなかっった。

第1に、それ本国研究者に何のメリットがあるの? お金を払ってやってもらうとして、その人件費渡航費よりも安上がりだとはとても思えないんだけど…

第2に、史料の山に埋もれて色々探していく中でお目当ての史料を見つけるコツとか時代ごとの史料の特徴を見分ける目とか崩し字の読み方とかそういった歴史家としての技倆が養われるので、単純に他人に任せればよいという話ではない(「時代ごとの公文書形式の違い」みたいなのも当然論文テーマになるけど、これ書くためにどのくらいの史料読む必要があると思う?)。

ていうか、なんか勘違いされてるフシがあるけど、読んだ史料が全部研究に使えるわけじゃないからね。目録面白そうな史料があったか地方文書館に足を運んで閲覧してみたけど期待ハズレで全然使えませんでした、とか、膨大な史料の山を探しまわってようやく使えそうな史料の一群を見つけました、とか、何気なくパラパラめくってた史料の片隅にさり気なく重大なことが書いてありました、とか、そういうのあるあるなので。お目当ての史料だけ外人コピーしてもらえばいいじゃん! なんて夢物語しかない。

第3に、そもそも論としてなんで自分研究オリジナリティの源泉たる史料の入手を現地人任せにするのか。現地の文書館に通って現地人がちっとも注目してないけど重要史料を発掘したなんてこともあるわけだけど、そんな史料を現地の研究者にコピーさせられるわけないだろ、常識的に考えて……論文で発表するまで史料存在をひた隠しにするわ……(現地人が自力でたどり着く分には止められないけど、わざわざここにこんな重要史料がありますと教えてさしあげる必要はどこにもない)

日本史であっても一次史料海外にある日本キリシタン史では、史料アクセスハードルが以前から言及されていたのを思い出した。

なおアジアアフリカの旧植民地ではそういう状況がデフォルトの模様。日本史研究する日本人の歴史家は日本国内研究を完結させられる余地があるけど、インドネシア史を研究するインドネシア人の歴史家がオランダに行けませんとか、インド史を研究するインド人の歴史家がイギリス(ryとか、台湾史を研究する台湾人の歴史家が日本(ryとか、そういうのはマジで研究に支障が出るよなあ……

そもそも論だが、「日本人が」イギリス政治史とかドイツ経済史とかを研究する意義が不明。「現地の研究者に任せる」だと何故駄目なのか?

それな! ぜひ同じことをドナルド・キーンロナルド・ドーアケネス・ポメランツイアン・ニッシュJ・ヴィクター・コシュマンブレット・ウォーカーにも言ってきて!

2020-07-20

東京発着をGoToキャンペーンから除外するって決めた時点で、キャンセル料の保障を同時に打ち出せないって、政治センスがなさすぎだと思うよ

2月末の一斉休校のあたりからずっとこんな調子

政策決定の結果、どういうことが起こるかを先読みする力が政府に欠けているんだろう

2020-06-27

anond:20200524233706

この時書いたブコメに准じて、都知事選候補者公約確認中。

確認方法は、「都知事選 公約」などで出て来た候補者公式ページ公約から、「障」「発達」などのキーワード検索

いずれも、6/27(土)19:00現在

なお、探して見つかった物だけなので、見落としがある可能性はある。

公約内での比率が大きいのは山本太郎氏、公約が(少なくともホームページ上では)詳細なのは宇都宮健児氏かな・・・

ここで挙げてない候補者についてはまだ調べてないが、公約発信の媒体としてホームページに力を入れてない候補者もいるようなので、一律ホームページ判断するのはフェアじゃないかもしれない。

小池百合子

公約のページが全て箇条書きであり、項目数が多いため、どの程度具体性や力点を置いてるかが良く分からない。個人的には、成人障がい者障がい者スポーツの面からしか公約に掲げてない気がするのが気になる所。

とはいえ、「児童発達支援」と「重度心身障がい児への支援」の2項目で触れている以上、障がい児の子育てについて課題と考えてはいると思われる。

https://www.yuriko.or.jp/policy

※該当すると思われる項目のみ抜粋

障がい者を含めたeスポーツ振興

障がい者スポーツ支援強化・メジャー

児童発達支援センターの整備推進

・重度心身障がい児への支援強化

・「感染症バリアフリー」の検討マスクや消毒液等の優先提供体制・透明マスク接触必須障がい者への感染防止策・多様な申請手法情報発信最適化(手話字幕の追加、音声認識アプリ活用)など

デフリンピックなど障がい者スポーツ国際大会東京開催を推進

山本太郎

8つの公約の中の1つに挙げ、1ページ丸々使って以下の通り公約している。今回調べた候補者の中では一番「公約の中での割合」が大きく目標に具体性もある一方、個人的には、掲げる政策目標が具体的過ぎて範囲が狭い印象も受ける。

https://taro-yamamoto.tokyo/policy/7-2/

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障がい者のことは障がい者で決める東京

都の障がい者政策部局責任者に障がい当事者を立て、審議会等の政策決定の場には必ず障がい当事者を半数以上とし、個々のニーズや障がいにあった十分な介護保障する東京に。フルインクルーシブ教育の実現。

かつて米国教育特殊教育リハビリテーションサービス局次長クリントン政権)を経験し、オバマ政権では世界銀行顧問にもなったジュディ・ヒューマンさんは「当事者政策決定過程重要位置を占めることが重要です」(『季刊福祉労働』81 1998年12月25日号)との言葉を残しています

障がい者は、日頃の生活差別を受けたとしてもどこに相談したらいいのかもわからず、いつも困っています。都にも障がいを理由とした差別に対する相談の窓口はありますが、障がい者の多くは、そのような窓口があることすら知らず、また体制的にも内容的にも十分なものではありません。障がい者差別をなくすためこのような窓口の充実を行います

また、現在の多くの障がい者政策は、障がい者のことをわかっている風の有識者障がい者を「お世話」する施設運営者などが決めてきたとの批判もあります。このことにより障がい者が本当に求めていることに対応してきたとはいえないとも言われています

このような問題を解消するためにも障がい者関係する部署には必ず障がい者責任者として配置します。また、障がい者としても障がいの種類によって必要なことや、思いも違ったりするので、あらゆる障がい者政策決定の場に参加していただき、その数は必ず半数以上とします。

障がい児が普通学校に通うだけで、インクルーシブ教育を実現している!ということに表向きはなっていますが、実際には、普通学校の中で、特別支援学級普通学級に分けられているのが現状です。これはまだまだ本当の「インクルーシブ」ではありません。心のバリアフリーを実現するために、最終的には、障がい者と健常者が分けられることなく一緒に学べるフルインクルーシブ教育を目指します。

また、障がい者の住んでいる地域や年齢による格差や断絶をなくして、どこでも、生涯にわたって安心して暮せる地域生活支援を行います。加えて個々のニーズや障がいにあった十分な介護保障するために重度訪問介護の充実を国や自治体連携してはかります

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宇都宮 健児

※7つの重要政策の1番目、「重要政策01 だれもが働きやすく、くらしやす希望のまち東京をつくります」の中で、以下の通り公約している。

※ただし、障害者福祉はそのページ内でさら12個立てた項目の6番目であり、どの程度力を入れるのかはやや不透明な気もする(とはいえ公約は詳細に書かれており、やっつけな感じは受けない)

※なお、7つの重要政策の5番目、「重要政策05 教育現場への押しつけをなくし、すべての子どもたちが生き生きと学べる学校をつくります。」の中にも、「障がいのある子どもたちの教育を受ける権利」について触れた項目が立っている。

http://utsunomiyakenji.com/policy/important01

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障がいのある子どもを抱える学童保育室の人員体制民間学童保育も含めて強化します。

知的障がいや精神疾患など様々な困難を抱えた路上生活者地域生活できるようにサポート体制を作ります

障がいのある人もない人も、ともに生きる東京しま

障がいのある人の権利を確保する東京をつくります

日本政府批准をした国連障害者権利条約を実質的ものとするため、平成30年に施行された「東京障害者への理解促進及び差別解消の推進に関する条例」をより一層充実させ障がいのある人とない人が共生できる東京をつくります

東京都の障がいのある人にかかわる政策策定する会議等には、障がいのある当事者が必ず参加するようにルールします。

住宅相談介護支援医療システムの整備を行い、家族に頼らなくても障がいのある人が安心して暮らせる東京のまちをつくります

市区町村に対して財政補助を行います。重度障がい者地域での自立生活社会参加や見守りなど必要に応じたサービスが受けられるよう市区町村財政援助を行います

障がいのある人と家族が、安心して暮らせる東京しま

出前福祉制度を導入する~江東区兄弟餓死事件のような悲惨事件をなくし、福祉の行きとどかない死角地帯をなくす。

老老介護」も大きな課題ですが、高齢の親が障がいのある人を介護し続ける「老障介護」が、「老老介護」とならんでいま大きな問題になっています高齢家族に頼らなくても、障がいのある人が安心して暮らせるように在宅支援を拡充します。

障がいのある人が住むことができるバリアフリー都営住宅建設検討します。

視覚障がい者の転落防止のためのホームドアの設置、障がいのある人への差別のないバリアフリーまちづくりをすすめます

身近な地域相談できる場と、その人にあった療育教育保障しま

ADHDLD自閉症などの発達障がいなどの早期発見につとめながら、適切な支援が得られるように、身近な地域相談できる専門機関を増やします。

障がいのある子どもたちが地域普通に学べるような環境を充実させます。誰もが合理的配慮を受けて学べるよう教育の場を充実させます

障がいのある人の医療無償化を実現します。

憲法25条の暮らしを実現するために、障がいのある人に、都独自所得保障を拡充しま

多くの障がいのある人たちは、きわめて低い所得水準を強いられ、生活保護や障害年金基準引き下げによって、さら貧困なくらしや家族への依存が強められています生活保護基準の引き下げに反対し、障害年金の抜本的な改革を国に強く求めていきます

東京独自所得保障施策検討実施します。

障がいがあっても働ける仕事の確保に努めます障害者就労支援施設への「優先発注」の促進策を具体化します。

災害を想定し障がい者安心して避難生活を送れるような体制をつくります

避難所をバリアフリー化し、障がい者が参加した避難訓練を実施します。

医療介護保障視覚障がい者聴覚障がい者のための情報コミュニケーション保障を行います

制度の谷間のない障がい者施策実施しま

東京都は独自に、病名や障害種別障害者手帳の有無で福祉サービス対象判断せず、「その他の心身の機能障害」(長引く病気など)が認められる者も、支給決定過程におけるアセスメントが受けられる仕組みを検討します。

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http://utsunomiyakenji.com/policy/important04

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障がいのある子どもたちの教育を受ける権利保障します。

障がいのある子もない子も共に学べるフルインクルーシブ教育の推進・整備をすすめます

学びの場における障がいを持つ子どもの、ハード面、ソフト面での支援体制の整備・充実をはかります

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小野 泰輔

4つ立てた主要項目?の4番目「4.誰もが安心安全で心やすかに暮らせる東京へ」の中で、16項目中の以下3項目で関連する公約を掲げている。うち育児に関わる2件は、無難にまとめすぎていてどこまで力を入れるのか読み取りにくいものの、2項目あるので「取り敢えず書いただけ」という印象は受けない。

https://ono-taisuke.info/policy/

手話言語条例を制定し、聴覚障害者の方とともに歩む東京都を実現します。また、障害者雇用の向上のため、分身ロボット等のテクノロジーを使った就労、超短時間労働制度などを公共事業から導入します。

●まだ多くの保育所対応が困難な病児・病後児保育を拡充するため、対応施設を設置する民間事業者基礎自治体さらなる財政支援を行います

医療ケア必要とする障害児に対して、縦割りになっている保育・療育の垣根を超えて対応できる施設事業者を増やし、そのための専門人材育成に努めます

2020-05-22

コロナで大損害な人列伝

(1)菅義偉

2020-05-13

誰が安倍政権を支持しているのか ––ビジネスエリート

コロナ禍が始まってからというもの安倍政権に疑問を抱く人が増えてきたようであるNHK世論調査によると、安倍政権支持率4月の時点で39%まで低下し2018年4〜6月以来の40%割れであった。しかし、「支持しない」は38%と、まだまだ均衡している状態だ*。

* 内閣支持39%、不支持38%(NHK世論調査http://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/

国民に嘘をつき民主主義破壊し続ける第二次安倍政権が8年続いていることが信じ難いことだが、まだまだ安倍政権は磐石である。一部の野党支持者(反安倍派)の中には、世論調査選挙結果操作されているなどという人もいるが、さすがに陰謀論が過ぎる。現実を見なければ、現状を打破していく方法も見つからない。

一体誰が安倍政権を支えているのか?安倍自民党投票し続ける人々の一つのイメージ像を描いてみようと思う。

想定するペルソナはこうだ。彼らは、旧帝大、有名私大卒業した優秀な人々。家庭は裕福で、高い教育を受け、厳しい競争を勝ち抜いて来た*。上場企業就職し、一部は官僚医者弁護士会計士になり、社会の一線で活躍している。いわゆるビジネスエリートである。要領よく仕事はできるし、人付き合いも多く、適齢期に結婚相手も見つけて家庭を築く。思想としては保守的である日本的伝統を重視するというよりも、無難リスクをとることを好まない安定した生き方である政治的にどこかの政党を強く支持するということはなく、SNSでも政治的意見ほとんど発さない。敵を作るだけで良いことは何もないかである

* 「東大生の6割ほどが,年収950万以上の家庭の子弟ということです。この層から東大生が出る確率は通常よりも2.6倍高いことも知られます。」「データえっせい: 東大生の家庭の年収分布https://tmaita77.blogspot.com/2015/02/blog-post_2.html

日本社会政治の現状に対して問題があると思っているが、自分社会を変えようという気概を持つことはなく、デモ活動等をする人々を冷笑している。リテラシーは高く一般常識はあるが、自分積極的政治家の主張や活動を調べたりすることはなく、野党批判ばかりで頼りなく現実的でないと思っている。セクハラ女性差別時代に合わせて配慮しなければいけないと思っているが、極端な主張をするフェミニストは嫌いである。蓮舫や、福島瑞穂やグレタ・トゥンベリパフォーマンスだけで現実感がないと思っている。東日本大震災とき放射性物質汚染福島から避難を主張した人や、コロナPCR検査の拡大を主張する人は極端だと思っている。社会に対し不平不満を言うのは賢い振る舞いではない。社会を変えることな簡単ではなく、社会の中で自分がうまく立ち回って生きていくことの方が重要である

こうした、賢く無難に生きていたいと思っている彼らにとって、自民党投票することもまた無難選択である*。安倍晋三個人主義主張にはあまり興味がない。SNS安倍政権擁護し反安倍派を攻撃するネトウヨとは違って、安倍総理を積極的に支持しているわけではないが、マスコミ偏向報道に遭いながらよくやっていると思っている。彼らは所得も高く、自分努力地位を築いてきたと思っているので、自分の払った税金怠惰な人々に使われることをよく思っていない。組織に属し、雇用は守られていて休業手当やテレワークにも対応できるので、生活に対する危機感はそれほどない。彼らは自分たちがマジョリティ多数派)に属していると思っており、自分たちの利益既得権益)を守ってくれるのは自民党であるし、勝ち馬に乗っていたいのである

* 「東京大学新聞社が毎年新入生を対象に行なっている調査によると、自民党支持率は近年劇的に上昇している。「東大生なんて高所得者層の子どもが多いんだから、現状肯定なのは当然じゃないっすか」 」「やっぱり安倍政権しか選べない」東大生はなぜ自民党を支持するのか | Business Insider Japan https://www.businessinsider.jp/post-34482

* 東大生はなぜ“森友改ざん問題”後も安倍政権を支持するのか | Business Insider Japan https://www.businessinsider.jp/post-164956

自民党政治家やその支持者に圧倒的に欠けているのは、マイノリティ(少数派)、弱者に対する視点であると、私は思う。自民党理想とする国家は、強くて自立した日本人が生きていければいいので、弱者を救う必要などない。(これは安倍政権に限ったことではないが、)戦後長く続いた自民党政権で、少子高齢化には何の対策もされず、世界でも類を見ないデフレ経済は進み、格差貧困は拡大し、女性障害者外国人弱者に対する差別放置され、教育に対する投資は削られ、技術開発・生産性世界に遅れをとることとなった。金持ち自分でなんとかできるから弱者を助けなかった結果、国全体が貧しくなったのだろう。

安倍総理は、能力二の次自分に味方する人間ばかりを重用し、ポストを用意し、金を配り、逆に意見の合わない人間は干すことで自民党内での地位を強固なものにしてきた。アベノマスク等の政権政策決定過程には疑問を抱いた自民党議員もいるようだが、選挙報復されることを恐れる彼らは安倍総理の駒だ。官僚もまた同じく、政権意向に従った者は栄転し、法に従い公文書改竄告発しようとした者は自殺に追い込まれた。国民のためを思って仕事をする者は安倍政権では活躍できない。自分たちだけは甘い汁を吸いたいと考える政治家、官僚、そして自らは勝ち組にいると思っている国民安倍政権を支えている。

そんな彼らが国民全体に占める割合は(これは感覚的なもの根拠はないが)1割程度かと思う。残りは、ネトウヨ1割、他よりマシ2割*、といったところだろう。また機会を改めて書きたい。ご意見があれば頂戴したい。

* 他よりマシの例。「アンチ安倍の人に質問安倍総理/内閣が辞めたら、全部解決するの?」 https://anond.hatelabo.jp/20200512021208

2020-05-02

anond:20200501122943

なんか増田山本憎しで微妙主語というか論点をずらしているよね。


山本政策決定トリアージから漏れ産業限定している)

増田→みんなが(全員が、と言い切っている)


山本→どんな立地でも繁盛する店(再起可能なだけで潰れないとは言っていない)

増田→助かるのは(略)財務体力のある店」(潰れる潰れないの話にすり替えている)


山本→(増田の例えでいうなら)大学に受かっても学ばない人達(が外食

増田大学に受かる人たち


山本も衰退するのが外食だ、と言っているじゃん。

外食は参入者が多いから新しい大学ができているだけで。

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