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2023-12-31

[] 増田ブコメアウォード2023グランプリが決定!!

一般社団法人 日本流増田協会は、優れたブックマークコメント顕彰する制度増田ブコメアウォード2023」が2023年12月31日に開催され、 「グランプリ」が決定しましたのでお知らせいたします。

グランプリ GRANDPRIX】は、

今年の漢字 2023 歴代漢字と振り返る 発表日は12月12日 漢字の日 | NHK | ニュース深掘り

www3.nhk.or.jp/news/html/20231212/k10014285311000.html

に付いたブコメ

少し前にも書いたけど、カルト宗教ジャニーズ宝塚日大、そして政治家裏金と、様々な業界居座り続けた悪しき慣習にメスを入れた年だったんだから「膿」一択だと思うけどね。 - cia62872 のブコメ

b.hatena.ne.jp/entry/4746306407935043727/comment/cia62872

に決定致しました。

【授賞理由

今回の増田ブコメアウォードでは世相とどうコミュニケーションをとり、ブコメに反映したか評価ポイントとなった。

当該ブクマ家は世の中の動向をよく観察し、批評性と楽しさをリズミカル表現していた。



この1年、はてブ話題になった諸々の総括的な意味でもこれかなと。ブコメの後にダイハツも出てきたし。

「なに増田代表ヅラしとんじゃコラ」との意見に対しては、増田全体の総意ではなく増田個人が選んだアウォードという事で。

2023-11-03

anond:20231103200401

派遣会社が間に入るのが日本流

日本人技能実習生を使えば時給300円くらいで済むんじゃね

2023-08-28

anond:20230828092607

山林とか部活問題もそうだけど、個人責任感を利用して、負担を極力押し付けるのが日本流

山林は放置されたところに外国人ギャングが住み着いてアジト化する、部活は若くて美人な新任教師部活顧問を苦に自殺するくらいしないと変わらないだろうなあ。

anond:20230828092029

山林とか部活問題もそうだけど、個人責任感を利用して、負担を極力押し付けるのが日本流

2023-08-12

anond:20230811162326

んなこたぁない。

日本人には日本人流の教養の形がある。

明治初期あたりに日本に来た教養ある欧米人日本人に対する評価を見ればわかるだろ。彼らも日本流の教養のあり方を尊敬して見ていた。それどころか二次大戦から戦後にかけてもそうだったろ。

2023-07-23

anond:20230723101606

コストコ外資だけど、現地で店舗運営するのは日本人だし。

末端のバイトにまでちゃん本国のやり方が輸入されてるのだろうか?仕事だけ日本流で、バイトが1500円分以上、死ぬほど働かされたりしてませんかね。

2023-06-16

男性」って「黒人」なんだよな

バイエ・マクニール

Baye McNeil

作家

2004年来日作家として日本での生活に関して2作品上梓したほか、ジャパンタイムズ紙のコラムニストとして、日本に住むアフリカ系の人々の生活について執筆。また、日本における人種多様化問題についての講演やワークショップも行っている。ジャズ映画、そしてラーメンをこよなく愛する。現在、第1作を翻訳中。

日本に住んで15年、もうとっくに”空席問題”には慣れてしまった。

筆者だけではないと思う。日本に住む多くの外国人は、電車バスに乗るとき、あるいは、カフェ公共の場にいるあいだ、多くの日本人が自分そばに座らないという空席問題をある程度経験しているだろう。

日本人独特のシャイさの表れ?

なかには、隣が空席なんて経験はないという人や、たとえ空席でも気にならないという人、空席のほうがゆったりできてむしろいいという人もいるだろうが、その他大勢外国人にとっては違う。日本人とよりよい関係を築き、日本での暮らしをより快適にしたいと願うからこそ、空席問題理解し、自分の中での問題解決に努める必要がある。

私自身は、時間の経過とともにこの問題に対する考え方は変化してきた。いちばん最初の頃は、これこそ日本人の差別意識かと思いこみ不快に感じていた。だがすぐに、多くの日本人と知り合う中で彼らの意見を聞き変わっていった。

私の隣の席が空くとしても、それが日本人独特のシャイさの表れと感じたことをもある。また違う視点では、どうやら私がどんな人間かを推測した結果、隣に座らないことをあえて選択しているのかもしれないと想像もした。

そう思った理由は友人たちの助言だった。私が隣に座った人に誰彼かまわず英語で話しかけそうな人間だとか、不躾にも女性ナンパするのではないかなど、いずれも失礼な想像ではあるのだが、仮にこのように推測されていたとしても人種差別的だとは言えないレベルだ。もしかして隣を空けておくことが外国人に対する日本流の気づかいなのかと考えたこともあるが、この考えも長く続かなかった。

いずれにしても外国人の隣に座ろうとしない日本人がとても多いということはいえる。理由はいろいろあるだろうが、少なくとも積極的に座るようなことは私の経験ほとんど見掛けない。外見が日本人と異なるだけで、日本ではこの空席問題がつきまとうのだ。

https://toyokeizai.net/articles/-/248134

ソロ男性のジェントル https://anond.hatelabo.jp/20230614232146

2023-02-06

国産ジェット失敗で終わった所でなんか影響ある?

な~んもないと思うんだよな。

どうせ日本流の規格を作れたわけでもなく、もしもっと半端に成功してても中途半端に国が介入した巨鯛な不良債権となるだけ。

こんなのとっとと倒れて正解じゃんとしか

つうか「誰が責任取るんだ」みたいに言ってる奴らはなんなん?

そもそも責任って取るのがメインじゃねーし。

バカ過ぎるわ

2022-11-29

anond:20221129125412

弱者の味方をちゃんとやってくれる日本共産党保守に近いと思ってる

 ← よくわかってるじゃん。日本共産党結構ナショナリストで、自民党みたいに中国共産党に対して媚びを売ったりもしてないし、北方領土返還交渉でもソ連共産党員妥協せずに四島じゃなくて全千島列島返還を求めているし、変化にはたいてい何でも反対だし、保守的なナショナリストなんよな。あの三島由紀夫も「天皇に関する事以外は共産党と一致する」とか言ってるし、意外と石原慎太郎渡辺恒雄に近いのかも知れない。

自身立場は決して弱者ではないので日本共産党に大きく共鳴するわけでもないし思想信条は大いに異なるのだが、まあ言論の自由保証されている社会という観点から言って、日本共産党みたいな野党もある程度の勢力を持ってガンガンもの言える状況は、決して悪くないというか、あるべき状態だとは思ってるよ。

ただ、俺から見て不思議なのは日本社会での弱者とか搾取されている側の人間たちが、何故か共産党のような弱者の味方である勢力批判的であって、搾取する側の強者たちを支持してる連中が多いってこと。

不思議ではあるんだけれども、これはこれで悪いことじゃないんだよね。おかげで俺らは日本社会で下から突き上げや揺さぶりに怯えることな安心していい思いができるわけだからねww  

日本流の資本主義社会格差社会バンザイだね😁

2022-11-23

30年来の熱狂的な野球ファンだけどWBCマジで萎え

大幅な制度改定がない限り今後も予選で韓国台湾などアジアの国と当たり続け、ドミニカベネズエラプエルトリコと当たることは無い。

また、決勝ラウンドの米国開催がもうなくなったので東京ドームのような自宅のしょぼい庭的な球場(左中間右中間がとんでもなく狭い)での試合を見せられ続けることになる。

野球ワールドカップグループリーグが毎度毎度東京ドーム萎えるって……。


あとグループリーグ突破してから早々にグループリーグで対戦した国とまた当たる制度萎える。

(余談だけど、

日本流独自の打撃メカニクスで何十年もこの国はやってきてるからムービングファスト打てなくて優勝できないのは今回も変わらねえんだろなあ。

なんであんな前でさばくの?160キロ打てるわけないやん。村上宗隆ですらめちゃくちゃ前さばきやん。

MLBレベルポイント近い打者って日本人だと柳田大谷くらいやん)

この大会バカだろ。

準決勝以降は神。

2022-09-24

日本オタクコンテンツでは昔から常にセクシャルマイノリティが何の理由必要とせず当たり前に存在していたのだが?

歴史修正主義を今すぐやめろ。

常に何の理由必要とせずセクシャルマイノリティが当たり前に存在してきたのが日本オタクコンテンツだ。

それを不適切だとして勝手に改変しセクシャルマイノリティ存在を抹消してきたのが欧米だ。

その欧米が今さらになって急に「セクシャルマイノリティに寛容な進歩的なボクちゃん達」に目覚め「日本は遅れてるゥ~」などとイキり散らすのは、許さない。


例によってまた元発言の主の名前武士の情けで伏せといてやる。

ちなみにこれみんなスーパーマンの息子をポリコレが無理矢理ゲイにした時の話な。


>逆だよ。同性愛であることに「なぜ」は要らんのじゃ。掘り下げるかどうかは作品趣旨テーマによるが、当たり前のようにそこに居る、が大事で今まで蔑ろにされてたことなの。

逆だよ。同性愛であることに「なぜ」が要らんかったのが日本じゃ。

当たり前のようにそこに居る、が今まで蔑ろにされてたのが欧米じゃ。

>「我々を納得させる理由がないとセクシャルマイノリティ存在を許さない」という人。現実セクシャルマイノリティももちろん同じ目線を向けて生きている。

「我々を納得させる理由があろうとなかろうとセクシャルマイノリティ存在を許さない」としてセーラームーンCCさくら勝手に改変したのが欧米なのだが?

「「我々を納得させる理由がないとセクシャルマイノリティ存在を許さない」という人」なんてのは、日本オタクにはもともと存在しないのだが?

ポリコレ話題になった時だけなぜか急に発生するのだが?

不思議なのだが?

なのだが?






異性愛者のキャラで「なぜそのキャラ異性愛者になったのか」の掘り下げはどれだけ存在するんですか?その掘り下げがない異性愛者の恋愛描写は「そういう配慮」とは感じないんですか???

基本的恋愛物のコンテンツは「なぜその人を好きになったのか」を掘り下げるものなのだが?

>好きなもんを好きなことに理由なんて無い思うんやけど

>私だって妻のこと好きやし


逆だよ。

好きなもんを好きなことに理由なんて無いはずなのに、あきらかに理由がある」から自然に見えて反発するんだよ。

その理由とはもちろん「ポリコレ配慮するため」。

本当は同性愛者じゃないのに「ポリコレ配慮する進歩的リベラルインテリ」だと思われたくて同性愛者のふりしてるようにしか見えない。



>「理由説明してくれないと存在に納得できない」というのは同性愛差別のもの

誰も「存在に納得できない」とは言ってない。

「その作品に登場する必然性があるのか納得できない」しか言ってない。

現実フィクション区別くらいつけろよ。

同性愛者が同性愛である事に理由なんてないし、作者も当たり前に存在すると思ったから登場させてるんですよ。

逆だよ。

当たり前に存在するものとはされていない欧米価値観が背後にあるから、無理にでも「当たり前に存在するんだ!当たり前に存在するんだ!」と強調する必要があり、

それで唐突かつわざとらしい描写になるから反発されるんだよ。

日本オタクコンテンツなら自然に当たり前の存在として同性愛者を描いてきた。

このスーパーマンのような無理やりゴリ押しするような不自然さは日本オタクコンテンツには無い。

>これちょっと違うな。「作者も当たり前に(同性愛者が)存在すると知っていたから」に訂正します。

同性愛者が同性愛である理由などなく当たり前に存在してきたのが日本オタクコンテンツなのだが、

欧米日本と違って同性愛差別が酷くて「当たり前には存在しないもの」として扱われてきたから無理矢理「当たり前に存在するんだ!当たり前に存在するんだ!」と強調しなきゃならないので

「当たり前」な感じが全然しなくて描写唐突かつ不自然から反発を招くんだよ。

欧米ポリコレコンテンツの側が「同性愛者が当たり前に存在するもの」として描かれてきた日本オタクコンテンツから謙虚に学べよ謙虚に。

日本オタクコンテンツなら自然に当たり前の存在として同性愛者を描いてきた。

このスーパーマンのような無理やりゴリ押しするような不自然さは日本オタクコンテンツには無い。

から日本オタクコンテンツセクシャルマイノリティが常に登場してきて日本オタクは誰もそれを悪くは言わなかったんだよ。

欧米人のオタクがどう思ってたのかは知らないけどな。日本オタクなら「セクシャルマイノリティ存在すること自体が嫌だ」とは“絶対に”言わないし、

セクシャルマイノリティ存在すること自体が嫌だ」と言うオタクがいるならそいつ日本人じゃないだろう。

少なくともキリスト教イスラム教社会多数派となる文化圏で育った人間じゃなきゃ「セクシャルマイノリティ存在すること自体が嫌だ」という発想には“絶対に”ならない。


先入観偏見とは何ぞや?という疑問に対して、とても納得の行く答えを身を持って示してくれているツイート

先入観偏見とは何ぞや?」というのがよくわかるツイートだな。

日本人は欧米と違って遅れてるからセクシャルマイノリティ先入観偏見がある奴ばかりに違いない」という「先入観偏見」だな。

日本人に対する”「先入観偏見」だ。

実態は「真逆」なんだがな!!!!!俺はべつに「日本にはセクシャルマイノリティに対する差別は無い」とは言ってねーのだが?

日本人は伝統的に「セクシャルマイノリティは当たり前に存在する」として、テレビとかでもオネエキャラとか昔から普通に受け入れてきたのだが?

しかし、だから差別が無いかというと、そんなふうに「オネエキャラ」みたいに面白おかしく弄って消費するのも一種差別なんだが?

ただしそれは欧米流の「存在自体を認めない」というタイプ差別とは異なるスタイル差別なんだが?存在自体は認める、ただし弄る、というのが日本流の差別なんだが?

そんなふうに存在のものはとっくに受け入れてる日本に「存在自体を認めない」とする欧米流の差別への対抗である存在を認める」という形のカウンター方式押し付けても意味がないばかりか

「弄る」という日本流の「差別」を「差別じゃない」から「良いこと」とされかねないから、マイノリティ立場からすれば迷惑なんだが?

俺がもしマイノリティ立場だったら、「俺のことはほっといてほしい、存在無視してほしい、面白おかしく弄られるのはもう嫌だ」と思うと思うのだが?そういう「俺がかまってやると相手も嬉しいはずだ」とかい勘違い善意押し付け弱者からすれば「攻撃」としか感じられず、そっちのほうが差別なんだが?



同性愛者が同性愛である理由などなく当たり前に存在してきたのが日本オタクコンテンツなのだが、

欧米日本と違って同性愛差別が酷くて「当たり前には存在しないもの」として扱われてきたから無理矢理「当たり前に存在するんだ!当たり前に存在するんだ!」と強調しなきゃならないので

「当たり前」な感じが全然しなくて描写唐突かつ不自然から反発を招くんだよ。

欧米ポリコレコンテンツの側が「同性愛者が当たり前に存在するもの」として描かれてきた日本オタクコンテンツから謙虚に学べよ謙虚に。

2022-07-12

anond:20220712205040

海外もやってるんすね。勉強になりました、ありがとう

なんとか日本流の警備を復権させてほしいですね。

海外SPもやってるぞ。

そもそもSPなんて、海外の方が精鋭揃いなんだし、日本海外の真似してるだけ。

今回真似もできてないことが分かったけど。

2022-07-09

anond:20220709101031

日本フェミ女性アカンところは日本外国自分にとって美味しいところだけつまみ食いするとこだよな

海外女性自由なのはそれなりの責任義務リスクを負ってのことなのに

そこから逃げて日本流に男に食わせてもらおうとしてる

2022-03-30

単純に

何かある度に、「アメリカでは、日本常識とされている~~がダメです!」みたいに言われるじゃん。

しかも大体、単に「へえ、アメリカではそうなんだね」じゃなくて「だから日本は遅れている!」みたいな言い方になるじゃん。

例えば家庭教育だと

アメリカでは、子どもが×歳になったら親は子供と同じお風呂に入りません!」→「子ども風呂に入る日本文化児童虐待!」

アメリカでは、子どもから親が少し目を離しただけで捕まる!」→「日本もそうしよう!留守番やお使いは禁止!」

みたいな。

あとは

アメリカでは、何でも裁判解決する!」みたいな雑語りも、昔はやたらそれが良いことかの様に押されていたけど、

最近ではそれが富裕層に著しく優位な形でしかないことや、「刑務所社会」化を進めていることが分かってきた。

「へえ、アメリカではそうなんだね」で良いじゃん。多くの日本人にとっては子どもとお風呂に入るのが団らんの象徴です(話を繋げるなら「アメリカではどうですか?」)、で良いじゃん。

自分文化自分で考えるべきだ。仮に海外文化を取り込むとしても、それは何十年と言うスパンで考えるべきことで、テレビの「ここがへんだよ日本人」とかSNSの多少のバズりとか「ポリコレ」とかで急変させるものじゃないんだよ。

蒸気機関車便利だねとかキリスト教進んでるねみたいなことを数年で急激に取り入れる様な明治維新経験意識されてるのかも知れないが、あれは例外的な物だし、当時の人々も非常に困惑してて「和魂洋才」とか実学偏重教育問題かに発展したわけだよな。

というかその「アメリカでは」「〇〇では」って何なの。どこの州のどういう集団のどの階層差してるの。多分、一握りのWASP第一印象だよな。絶対黒人とかヒスパニック文化なんか参照してないだろ。

言ってる奴自体生活100%をそのどこかの「アメリカ」ナイズしてるわけでも無いしな。

じゃあ「アメリカでもやってるからハーグ条約ちゃんと従いましょう」っていうと、アメリカMeToo日本に取り入れようとしてる人たちは反対するだろうし。

東南アジア日本企業が続々進出してた時にも、東南アジアの人々は多少労働環境などの影響は受けただろうけど、何でも「日本流」にしなかったし、今でも何でも「中国流」にしてないだろ。

逆に、アメリカルイジアナ州で、ハロウィーンの季節に日本留学生が間違った家に遊びに行ってしまい「フリーズ!」と「プリーズ!」を聞き間違えて乗込んじゃって射殺されたって事件あったけど(うろ覚え)、その場合は大方仕方ないと思うよ。

(あとこの場合留学生の遺族はアメリカのその州の裁判に則って争って、賠償金を得た。これは郷に従った正当性のあるやり方。)

雑に羅列すれば、日本には日本のそれぞれのポリコレがあるし、中国には中国のそれぞれのフェミニズムがあるし、韓国には韓国のそれぞれのエコロジーがあるし、ブラジルにはブラジルのそれぞれの家族があるし、エチオピアにはエチオピアのそれぞれの宗教がある。

それをアメリカ西洋一色にする必要はない。(もちろん日本も、日本一色にすることを求めない。)

自分身の回り文化をしっかりと考えていない人間が、他国文化についても語れる訳ないだろ。それも数年の留学とか、SNSの雑なブームとかで。そっからだよ。

2022-03-06

韓国での「玄界灘」の呼称

玄界灘というか、朝鮮半島九州の間にある海域のことを「현해탄(玄海灘)」と表現することがあるらしい

日本海のことを東海と呼ぶのには強く拘る割に、玄海問題ないのか、と思ったけど

最近では、日本流呼び方だということで批判されたりもしたようだ

2021-09-29

いっぱい産んだらいっぱい死なせる。これが日本流一人っ子政策

児童相談所なんかいらない。

2021-06-18

anond:20210618123651

やってますポーズは実に見事な日本流ですな

多少は違えどみんなそんなレベル

2021-05-15

メモ選手応援したいがオリンピック続行はヤバいというジレンマ

これはある意味典型的認知的不協和なんだろうな。

あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手応援したい、というジレンマ

全国的感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。

wikipediaによると以下。

認知的不協和とは、人が自身認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語アメリカ心理学者レオンフェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和典型例なんじゃないだろうか。

しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。

例としては、うなぎ大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみ規制すべき等も思いつく。

自分欲求社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分なかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。

うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。

うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共判断は成立しない。

うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法ひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的制度設計だ。

しかし、人間心理矛盾をなんとか解消

公共的な意思決定は、決して個々人の選好の集合や多数決ではない。

そう考えると、現代民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。

個人的には好きではないけど自分社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。

そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。

近代民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカ建国者のひとりジェファーソンは、

公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共課題自分欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政必要市民資質だと考え、他方、代表者議員)に必要資質アリストクラシー自然的貴族)と呼んだ。

しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。

社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき

ふつうの人々は、自分内面を整理するために、どちらかの認知一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知修正してゆくことになる。

今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。

オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。

社会規範に合わせて自分に対して一貫性要求しがちな日本人特に自分欲求我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。

別の例を挙げれば、60年代セクト化が加速したサヨクの動きが典型例。

エスカレートした「総括」要求など。

また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知一貫性他人に求める一例。

サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。

自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。

まさにこれが心理学が扱う認知的不協和テーマなのだろう。

党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、

それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。

ますます両極化が進んでいき、相手方一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやす立場の人とと

そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。

認知的不協和を解消しにくい人々。解消しやすい人々。

コロナ対策では人流の抑制課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。

しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、

次第に言葉の力は失われ、今では行政政治家も口にしなくなってしまった。

もっとも同時に、自粛警察あんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。

ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。

思い出すのはベトナム反戦運動ベトナム反戦真っ盛りの60年代アメリカブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たち

反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。

コロナ禍でのステイホームムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。

自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしま業界

それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。

オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会安全自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。

以上の話は、人々のジレンマ構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、

自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在自分社会立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、

自分自身党派性無自覚であってはいけない、

知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性アピールされているに過ぎない。

しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。

重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、

相手立場を知る、という機会自体重要なんじゃないかな。

オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、

そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。

飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。

タレコミも減ってきたという声もきかれる。

こうした寛容さは、行政飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。

人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。

しかし、人々の寛容が進めば、自粛警察抑止力を期待した政策は効力を失う

こうして考えてみると、自粛要請ベースとした日本流政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。

自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人メンタリティと、同じ社会構成員にも同じ一貫性要求したがる相互監視ムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルール判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。

ましてや大阪市市長さんのように、それを体現たかのように

感染者がいなければオリンピックもやっている。一生の思い出に残る行事実施したい

などと、都合のいい解釈認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、

人々は、ルールへ従うことの意味不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視機能せず、自分生活を変えることなコロナへの懸念自分認知のなかで両立させてゆくだけだ。

しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢限界をとっくに超えているしで、

人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。

自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナ心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。

本来政策というのは、そんな人々の認知世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。

例えば、自分の考えと相反していても、オリンピック応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、

あるいは、オリンピック懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。

「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元政策を決めるべきではない。

しろ個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民判断を見極めたほうがいい。

しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。

いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。

将来シナリオを示さない。予測分析を共有しないから、いつも唐突首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。

ある意味ガバナンスの基本ともいえる、こうした事柄に目を背け、

政策への信頼を、世論(最大多数の認知)で推し量ろうとする、その姿勢こそが日本ガバナンスのガンだと思う。

2021-03-31

[]堀和生氏による「慰安所管理人日記」論評

http://www.kr-jp.net/ronbun/msc_ron/hori-1502.html より

慰安婦達が受け取った金を貯蓄や送金をしていたことは疑いがない。野戦郵便局対象軍人軍属のみで民間人は使えないので、慰安婦慰安所従業員軍属待遇であったことを確認できる。

1943年以後占領地域から日本への労務利益金、政府海外受取(主に郵便預金)が急速に増えていった。

占領から資金流入封殺措置として、送金額制限圧縮強制現地預金制度、送金額一定比率負担を課する調整金徴収制度預金凍結措置等が次々と導入された。

ただし、この日本流入資金のさまざまな規正措置は、地域ごと時期ごとに頻繁に変更されており、現在その制度運営のすべてをあとづけることはできない

上記からは、地域や時期によっては、内地において相当額を引き下ろせていた慰安婦もいたとしか読めない。

これらから、以下の単純な結論を導くのは早計ではないだろうか。

(1)日本政府は、軍票・南発券で膨張した資金日本内地朝鮮への流入を極力規制した。慰安婦達が内地朝鮮に送金した分については、先に述べた外地送金の引出額制限預金凍結措置によって、月々規定生活費水準を超える額は引き下ろせなかった。つまり一定の額しか引き出せない状態で、すぐに日本朝鮮統治の崩壊を迎えたと思われる。

2021-03-11

anond:20210310120801

それで日本企業は上手くやれてるんだから何の問題もないんやで

日本経済がだめなのとは別問題

日本に足りないのはスティーブ・ジョブズジェフ・ベゾスのような起業家やねん

有望な新しい企業が出来さえすれば、社員日本流でもかまへんのや

2020-09-21

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日本における米国経営手法プラザ合意後の日本選択

1970から1980年代前半は、アメリカ視点から見れば米企業が多額の損失を被り失業が増大した時期であった。1985年プラザ合意円高が進行すると、日本企業利益を円に替えることで利益を薄めるのではなく、利益ドルのまま米国内で再投資することを選択不動産買収などに走り、幹部候補社員には、アメリカ合衆国で必要米国経営手法学習MBA 取得など)を推奨した。

この結果、海外ではルックイーストとまで呼ばれた日本経営手法日本では顧られなくなり始めた。まず、企業青田買いが進んで官の人材不足が囁かれるようになると、官民の協力関係においては民(私企業)が優位にたつ傾向が生じるのに時間はかからなかった。次に、利益を確保するために終身雇用制度放棄する企業が続出したが、官はこの流れを阻止できなかった。

1990年代バブル景気崩壊し、事業の再編成が必要になると、終身雇用制度放棄して、必要スキルを持つ人材必要な期間だけ雇用派遣労働)する『米国流人事管理手法人員の最適配置、リストラクチャリング)』を導入する日本企業が続出、「リストラ」は整理解雇を暗示する言葉としてとらえられ始めた。

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