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はてなキーワード: ポリティカルコレクトネスとは

2023-11-17

anond:20231116195651

全てリベラリズムポリティカルコレクトネス)の立場から判断しているという点で、一貫性がある意見だと思うけどな。

リベラリズムから見ると、同性婚夫婦別姓法律改正してでも認めることが望ましく、祝福すべき結婚

またリベラリズムから見ると、年の差婚特に男性が年長、女性が年少)は法律改正してでも規制すべき、忌まわしい結婚ということになる。

それ以外では近親婚。

近親婚は法律規制しているままで良くて、リベラリズムでは認めるべきでない結婚

特に女性が年長の近親者に意のままに操作されてしまうから

ただし、いくら当事者意思決定能力制限されるといっても、知的障害者の成人、特に出産育児も自ら希望している女性結婚リベラリズムも祝福するよ。

優生主義的な社会に立ち向かう当事者意思を阻む資格は、誰にもない。

2023-11-14

岩井年の差婚について

自分もイケるかもと勘違いするおっさんが増えるのが嫌」みたいな意見散見されるが、マジでこの国の民度と知能は終わってるわ。

人権意識なんて微塵もねーな。

同じ口でポリティカルコレクトネスだのLGBTだのルッキズムだと言ってると思うと片腹痛いわ。

恋愛成就可能性の低いカテゴリーに入ってる人間は身の丈に合わない相手アプローチすんじゃねえぞ、って完全なる差別からな。

2023-09-29

"意識高い系" よりも、ある集団を "意識高い系" と揶揄する品性のほうが気持ち悪い


"匂わせ" よりも、ある行為を "匂わせ" と非難する品性のほうが気持ち悪い


ポリティカルコレクトネス" よりも、ある事象を ”ポリティカルコレクトネス" と 断罪する品性のほうが気持ち悪い

2023-09-20

世界無意識戦争へ向かっている

ポリティカルコレクトネス世界戦争に向かわせるとしたら、今これを書いている俺や読んでいるあなた日本社会の一員として戦争に向かっていると言えるだろう。

世界秩序の安定のためにロシア中国のような社会主義国価値観を認めるとしたら、いくばかの人権侵害政治体制について傍観しなければならない。こちら側の価値観では不当な事実だとしても、彼等にとっては正当な理由があるのだから

しかし、西側諸国や同一の価値観を共有する日本において、これらの社会義国の論理多様性の一つとして許容することができるだろうか?

現代ポリティカルコレクトネスを強烈に重視する社会において、市民政治家、国もその決断はできないはずだ。その決断の積み重ねが社会主義国との摩擦を生み、結果として世界社会主義国の脅威ともう一度対峙することになるだろう。市民ポリティカルコレクトネスという意識の高まりによって世界じわじわ世界大戦に向かっているのである

そしてそれはつまり、いまこれを書いているおれと、これを読んでいるあなた戦争に向かう推進力となっている、という意味である

2023-09-09

anond:20230909090322

ポリコレ正義じゃなくて競争優位性だぞ。

ジャニーズ不採用正義だと考えるから、性加害は本気で撲滅するのにロシア国民差別しないのは本気じゃないから? みたいな誤謬に陥るんだよ。

最近ディズニー白人主人公黒人変えたり、ポケモンでも肌の黒いキャラを出してたりするよな。

いや確かに、ああいポリコレには多様性推し進めたい側面はあるのだろう。

アサヒ性犯罪を無くしたいという意図に嘘はないと思う。

だけど、連中もビジネスなのだから、それでカネを失うような暴挙はしない。

今や国際的ポリティカルコレクトネス利益を生むんだよ。

だって、今回の事件ニュースで追ってたら、

「え? アサヒ以外のビールを飲んでるの?? 先輩にとって性犯罪ってどーでも良いんすか?」

ってなるだろ?

正義に従ってることが価値になる世界なのさ。

2023-09-08

anond:20230908111944

叱るとき支配欲で欲情してない自信があるのかい

ポリティカルコレクトネス正義の拳を振り上げるとき痴漢が弱い女子蹂躙するときに感じる支配感情と同じ劣情を覚えてないと、言い切れるかい

2023-09-06

男らしさが時代と共に変遷するなら、ポリティカルコレクトネス絶対的な正しさじゃなくファッションに過ぎないのだろうか——

2023-09-03

anond:20230903084651

ウマ娘で釣るなら「スポ根性的消費の食い合わせの悪さ(またはその矛盾への愛)」、凱旋門賞でなら「欧州競馬貴族主義ポリティカルコレクトネス矛盾(またはそれによる欧州競馬限界)」、新シナリオなら「オリジナルウマ娘人気と競馬愛、サラブレッド愛との間に揺れる心」的なテーマで書けそう

2023-08-22

anond:20230822150715

まず、はっきりいって、ポリティカルコレクトネスにおいて、内心の自由はない。

「私は実は黒人を心の中で差別しています」なんて奴は許されない。 

教育の失敗、あるいは知能の不足とみなされて矯正される。

 

これは別に誤解だとか、ツイフェミガチバカどもがそう思い込んで暴れてるとかでなく、思想大元がそうである

自由が何よりも優先される国アメリカ合衆国において「自由優先したらとんでもないことになったじゃねーか! 自由もあるいていど制限しないとだめ!」で始まったのがポリコレ運動だ。

ヘイトスピーチきっかけになった事件が分かりやすく有名だな(マスコミ差別用語を意味なく叫びまくった犯罪者が居た)。

からポリコレ自由制限してますよね、と言われても、そうですがなにか? という話。

 

お前は、だからポリコレは間違っているんだ! と主張してもいい。

内心の自由かばかり言ってられないよね、とウンウン頷いてもいい。

そこは思想対立である。一致した見解は無い。

2023-08-03

日本SNS界隈では比較ポリコレ親和的はてなー原爆バービーにブチ切れてるのは自然ことなんだよな

ポリティカルコレクトネスは「抗議の声を上げる」という運動部分がキモなので、

こうして声を上げることがポリコレであり、それに対して米映画界が反省して、今後マイノリティたる日本民族に配慮した映画を作るようになればそれはポリコレの新たな成果となる

普段ポリコレ棒とかいって揶揄してるXに巣食ってるアンフェ界隈や表自界隈が今回の原爆バービーにキレてるのは頭が悪いダブスタ野郎ばっかでだっせーなとなるんだけど、

以前からポリコレ理解を示していたはてなーがキレるのはむしろ当然であり誇らしいことなんだよな

2023-08-01

外人ジャップさぁ…アーユーオーライポリティカルコレクトネスすらわからない後進国とはトモダチデキナイよ?」 日本人「あっワッワッそんな考えもあるんだねワッ」

外人ジャパニーズ原爆並の衝撃白人美人面白人形元ネタ実写映画始まるワヨ!ジャップはコレ見てシコりな!」 日本人「Kill you

映画バービー公式アカウント炎上ポリティカル・コレクトネス

私は今漫画業界の末席にいて、且つ今の日本漫画業界のあり方は好きなほうです。

から外圧に感じる外国から意見というのは煩わしく感じているし過ぎた意見文化衝突で

宗教戦争でもあるなとさえ思ってる、そういう立場です。

から私の意見は著しく公平性を欠いています

それにあまりちゃん知識もないのでいろいろ間違ってたら申し訳ないです。

今回はそんな自分のしごとである漫画ポリコレについての話というか、愚痴です。


上記の通りそういう立場ではありますが私はポリティカル・コレクトネスの考えは支持する立場でいます

からポリティカルコレクトネスを腐しすぎるオタクは私も大嫌いです

今は変革の過渡期であり厳しいのも当然でそれでも私達の次世代の子どもたちが差別偏見に苦しまないために

自分愛してたものをあえて手放す時期なのかもなとも考え直したりもしました。

だけど今その考えがかなり揺らいでいます

海外国内の、アメリカなどに精通している方から日本漫画海外に比べて

ポリティカル・コレクトネス意識エンパワメントエクイティも欠いてるというのは本当散々言われ続けたことです。

(これに関しては半分その通りでなぜなら日本漫画消費者第一主義からです。

読者の読みたいものを描くのが仕事です。千差万別有り人権無視したようなポルノから

フェミニズムエンパワメントなどを主題とした漫画もあり一括りで言えない部分があります

そしてどれだけ過激に思える漫画でも配慮というのは確実にされていますしチェックは入ります

その作品がどれだけポリコレ配慮するか、エンパワメントを含むかなどは作者個人思想によると

いったところが大きくほとんどの編集部作家思想尊重してくれます。)

それだけ海外から日本漫画は遅れていて海外常識思想アップデートしなければ

取り残されて業界は死んでいくし次世代の子どもたちに禍根も残していくのではとおもうところもありました。

でも結果がこれで、結局海外標榜する政治的配慮日本は入ってないんだなとわかりました。



本来ならこれを打ち壊すための考えがポリティカル・コレクトネスなんだけど

これのために愛してる物を手放そうとしてたのにこんなんじゃまるで

搾取されてるのに気づかずに権力者に阿ってるみたいで馬鹿みたいだなと思ったし

結局これはただのムーブメントしかなくてこれに乗って次世代の子達は本当に幸せになれるのかなって

疑問を抱くようになってしまった



ミームつくったり乗っかってはしゃいでるのはアメリカ人全体じゃなくて馬鹿ポリコレ無頓着人種差別人間かもしれないけど

多様性エンパワメントフェミニズム、それにトキシック・マスキュリニティから解放の点で

褒めそやれてた映画広報人間はそれに見合うきっとそれなりの大学をでた教養ある人間なんじゃないんですか?

そんなひとって国の代表的存在だと思うけどそんな人があの意識なら海外にとって

虐殺行為って多様性否定よりずっと罪が軽いんだなと思ったしそんな国から発祥した考えに私は説得力も感じられなくなりました。

爆弾の下には惨たらしく亡くなる方がいるって戦争たくさんしてる国だったら容易に

想像つくと思ってたからこんな軽いジョークとして扱われて、

向こうの言う正義って本質からっぽなんだなってガッカリしてもいいじゃんという気持ちです


バービーが無邪気にはしゃいだピンクキノコ雲の下には無差別殺害された

凄惨子供達の死体が何万体とあるはずなのに。

日本の子どもたちの命はバービーにとって羽より軽いんだなあと思いました。


それでもポリティカル・コレクトネスについてはこれから必要だと思っています

必要以上に腐す人間は嫌いです。

そしてオタク共は皆人権意識が低くてポリコレが嫌いって思ってる他人を見下す意識高い人間も嫌い

でもそれ以上に馬鹿馬鹿しい~~って気持ちになってしまってる

ポリコレにというより今まで日本漫画をくさしてきた人の浅さにも

その考えに結果的に阿ろうとした馬鹿で浅い自分に対してもです

2023-07-31

anond:20230731181351

いや同じことだよ?

政治的正当性のために、愛国心を持って、君は原爆の不当性を主張してるでしょ?

それがポリティカルコレクトネスなんだよ?

ポリコレが要らない、って言うのはこの場合オッペンハイマー白人社会白人のための映画から配慮必要無いって意味だよ

ポリコレバーベンハイマー

エターナルズについてポリコレ描写押し付けがましいと騒いでいた人たちがいた。

しかし同映画内でポリコレは我々日本人の観客の視点包摂していた

それは原爆引き起こし惨禍を同映画の中で映したシーンに表れている

いまバーベンハイマーというミーム問題になっているが、日本の人たちが怒っているのは政治的正当性の欠如についてだろう

まさにこれがポリティカルコレクトネスを求める主張である

当然だが、外国人日本好きな人たちを除いて、日本の歴史なんて大して知らないし、我々が原爆の不当性を主張しない限り、それは伝わることがない

ポリコレ邪魔で、要らないと主張する人たちが自覚するべきなのはポリコレは我々日本人も時に包摂しているということである

オッペンハイマーアメリカ映画であり、白人視点が描かれていれば十分であると主張するなら確かにポリコレ必要ないだろう

ももし、貴方がこの問題について何かしらの異議を唱えようとするなら、どちらかの立場を必ず取らないといけないってことだ

anond:20230731005440

バービー声優の声が可愛すぎるからポリコレ配慮してない駄作

あんロリ幼女のふりしたかわいすぎる脳がとろける声じゃなくて実年齢80歳♂だけど自称8歳♀のトランスエイ声優じゃない限り真のポリティカルコレクトネスは完成しない

2023-07-26

anond:20230726002904

共産党絶対正義なのだから、やることなすこと全て正義です。

一見悪いことのように見えても、革命のためのわずかな犠牲なのです。

ナチス絶対悪なのだから、やることなすこと全て悪です。

ナチスはいいこともやっているという人がいますが、悪の存在わずかでも肯定することは、ポリティカルコレクトネスに反します。

2023-05-27

田舎中流家庭にいる高齢こどおじニートへの救いについて

単なる憶測にすぎないが、田舎でそれなりに立場のある親の子どもは、ガキのころに天狗になりやすい。

しか都市部大学に出たとき自分の実力を思い知る。今まで見えていたものは単なる幻想で、自分など大したことはなかったと。ここで非常な挫折経験する。

「私がいちばん馬鹿」のようなポジションになってしまうとその中でもより挫折やすい。これは都市部私立高校でも発生する。

昨今では、地方東京の断絶が進み、学歴差も大きくなっている。田舎しかたことがない子どもは、東京の強大さを全く知らないのに「自分ナンバーワン。少なくともだいぶ優れている」と思っている。自分田舎を100倍したもの日本のすべてだと感じるのだろう。だから位置的にもそのようになるのだと感じるのは自然なことだ。「日本」と「アメリカ」の関係もあるが似たようなものだ。

こうした子ども首都圏に行くと自分味噌っかすであることを全身全霊・魂レベル経験することになる。そこらへんのどこにでもいる凡愚とされる。準備などしていなかった衝撃である。年々、この落差がどんどん激しくなっているように思う。

彼らは「地元の名士」の子どもでもなかったりする。地元の名士は何かと東京と繋がっているものからそういう情報が入ってきやすいが、彼らはそういう情報がなく、表面的な文化の部分でのみ都会を理解しているのである。これはしか原理上どうしようもないことになっている。

彼らのほとんどは挫折によって苦しみながらも自分立場をなんとか確保して成長していく。とくに、若いころから苦い経験を飲み込んで努力を積み重ねてきた人間は、問題を抱えつつも人格的にも能力的にも徐々に成長していく。こうした人間適応し、確固たる居場所を獲得する。そういう人々が家臣団として東京周辺にザッと住んでいるのだ。城下町のように、家来として東京の中心地を囲んでいる。そして主君のお望みの通りに馳せ参じるのである。また、各々の人生を歩む。よく成功しようとしたい者は海外に出る。海外というのは「アメリカイギリスEU」などのことだ。ここ最近主君アメリカとみなしているのである。長いものには巻かれろということだ。

しかし、大した努力や積み重ねもなく、今まで1番を獲得し続けてきた子や、親から1番になること、1番でなくともある程度優位な立場を得ることを強いられ続けてきた子、強制的にレール上を歩かされてきた子は、ここで強烈に挫折を味わい、脱落していく。「挫折」と表現されたくすらないかもしれない。ちっぽけなプライドゆえに「挫折」と捉えられない。「挫折した」のではなく、「今も挫折し続けている」のだ。立ち直る術を知らない。

「本気を出してないだけ」「時代が悪かった」「環境が悪かった」と、なんとかして知性化という合理化を図り、自分の心が折れていることを観測できない。もう耐えきれない。心を捻じ曲げようとする。「お前ぐらい勉強ができるもの無限にいるぞ」と受け入れられない。そのような「田舎」など、全国で見ればほとんど無限にあるのだ。足軽にもなれないような実力なのに、身分家老ぐらいあると感じている。穢多非人程度の扱いをされるのは、到底受け入れられない。

自分を知らないし、他人のことも知らない。ただただ軽視されることに耐えられないのである第一、もはや身分が違うからといって人を軽んじていい世の中ではない。ますます生きにくくなる一方だ。ポリティカルコレクトネスとはそういう流れだろう。

生きている意味とは何かわからない。親もまた、その挫折真剣に受け止められない。立場が違いすぎるがゆえに、わかってあげることができないのだ。わかってくれるような親ならば、初めから違った教育をしている。

彼らは、性格も歪んでいるために、友人関係を結べない。「バカ無能で愚図でおまけに性格も悪く、カッコよくも可愛くもなく、一人で生きる力も無いし、人のために何かすることができず、依存性が高く、他の周りの人たちよりも恵まれ環境なのに文句ばかり言う割に、他人の助言を聞き入れもしない」という、どうしようもない子どものできあがりである。何者かになろうとしていると表現されている。アイデンティティ崩壊がある。すぐそこに救いはあるのに、自らが軽んじている相手に頭を下げて敬意を払うことができない。この私が。屈辱だ。なぜ私がこんな目に。私は軽蔑などされるべき対象ではなく、人を一方的軽蔑しても良いはずなのに、なぜ人は私を軽蔑してくるのだろうか。なぜ人は精神を蝕んでくるのか。

わかっている人でも、これを鋭く指摘してはくれない。下手に関わって逆恨みされたくはない。全く無関係の嫌な奴の精神の奥深くを抉ってもメリットなどないのだ。すぐに離れていくことだろう。そもそもまり距離が遠すぎて、そういう人に出会うことがない。ただ運のみである。そういう運命の人たまたま自分の近くに来ることは少ない。理解のある彼くん、私の王子様、ぼくの女神さま、オタクに優しいギャルなど。

大抵、こうした子の親は両親とも毒親であり、子どもアダルトチルドレンである

そして親にそこそこの金があれば、脱落しても引きこもりをすることができる。

自分ゴミクズであることを受け入れて、セルフネグレクト邁進する日常選択できる。幸福だ。絶望という名前はついているが、幸福で穏やかな毎日を送ることができる。

何をやっても無駄なのだという学習性無力感精神麻痺。突然湧き上がってくる希死念慮。荒廃した生活死ぬという選択が取れない優柔不断さ。他責的・他罰的な発言努力をしようと「学問」に活路を見出すも、それをどう活かせるのかは未知数であり、どうすれば生きることができるのかはわからないのだ。学問は決して救わない。機械的人間大量生産する教育システムのもの時代遅れなのである経済の硬直化と後進性と長老支配学問民主化により、昭和初期の三流エリートぐらいの知識があるだけでは、生存には足りないのだ。自分の力での生き方はわからないのに、生存自体はし続けることができるという矛盾。欲が無い。欲を持つことができない。

そして、そうした努力も長くは続かない。学校勉強ぐらいしか知らないのだ。狭い価値観ゆえにそれしか道がないと勝手に思い込んでいる。やがて意味がないと気付くのであろう。容易にやめてしまう。簡単にたどり着けるところまでやったあとはすぐにやめてしまう。見下していた賤業には就きたくないという都落ち拒否する愚かなプライド山月記で何を学んだのだろうか。そしてある日、その「賤業」にすら就けなくなる。精神子どもなのに、体だけはしっかり老化していく。虎にすらなれないのだ。

親に中途半端に金があるのが厄介である。親は、償おうとする。子もときには努力しようとする。それでもうまくいかないし、近所は理解しない。何か精神的に異常なのであろうという、全く異なる価値観によって蔑まれる。それが村社会というものだ。

親に金がなければ、生きていくために自力仕事につく他ない。首都圏で揉まれ続ければ、やがては苦しみながらも自分の生きる場所を確保できるだろう。

しかし、ただ親元で小さな世界で何年も何年も閉じた生活を送っていると、そうした道も閉ざされる。貴族的な生活放蕩放縦嫌悪している相手依存しているという忌避感。

年齢の数値は淡々と増えていく。やがて手遅れそうなことに気付くのであろう。

なんなのだこの人生は。なんなのだこの世の中は。許しがたい。テロリストたちへの深い共感

人は言う。「自分が招いたことだ」「自己責任だ」と言う。この世には悪しかいないように見える。悪辣社会の中で自分けが虐げられている。他人に「自己責任だ」と言う者もまたコンプレックスを抱えている。「お前が悪いのだろう」と言いたいのだ。「お前の自己責任だ」という言葉は、「俺が悪いとでも言いたいのか?」の裏返しだ。

他人は楽しんでいるではないか。どうして私が苦しまなければならないのか。

異世界かもしれない。異世界に行けば、愚かな民たちを嘲笑い、自分が正しく認められる世界に行けるのではないかと、光を見出す。

更に狩られているだけなのだ。その精神看破しているぞ。ただの餌だ。空想世界へようこそ。現実直視できない。現実はどうしてこう苦しいのか。

しかし、現実は「そんなどうしようもないものではない」ということをまだ知らない、という点が彼らにとっての最大の不幸である価値観のものがどうしようもなく古いのである

自分がどうしようもないダメ人間だという真実をすべて受容して、それを打ち払おうと一歩一歩踏み出すことでしか道は開かれない。外に出て、本を読むなど世界を広げれば良い。また、生活パターンを変える。思考を広げる。それが本来学問というものだ。

人材は不足している。別に自分はそういう人物なのだから仕方がないのだ。でもそれを、自分で変えようと進み続けることで自分人生が拓かれる。ニートのままでも別にいい。全然変わらなくてもそれはそれで仕方がない。

本来絶望する必要はないはずなのに、どうしても絶望したいのだ。能動的に幸福になるために受動的に絶望選択している。

絶望することで、「ハンデを負っているのにここまでできる自分はすごいのだ」と思いたいのだ。セルフ・ハンディキャッピングという。

そうではない。より強い絶望を選ぶべきなのだ能動的に絶望を選ぶことで、受動的に幸福になれるのだ。自ら絶望しなければならない。今より苦しめば、今より苦しまなくなる。

苦しみからずっと逃れようとして「楽な苦しみ」を選び続けているだけなのだ世間はそれを看破して「楽でいいね」と言っている。世間側のイラつきもある。

もしくは、やはり目を閉ざして、元の穏やかで苦しいメルヘンワールドに戻るかだ。知らぬが仏という。こんな偏見にまみれた文章などくそったれだ。せいぜい凡人たちは、社畜を頑張れば良いさ。

教育ママも、また、気をつけなければならない。教育ママコンプレックスは、子ども愛玩動物のように扱おうとすることで子どもに伝染し、子どもを生涯苦しめることになる。愛と呼ばれるものではない。

頑張ってほしい。

2023-05-19

anond:20230516192954

その気持ちはわかる。

もし自分が性同一でなく、脳の性別がそのまま戸籍性別だったらそういう風に思っていたと思うので。

自分は該当パターン当事者です。

先にいっておくと多分その気持ち感覚増田にはわかることはないしわからないと思う。

身体違和については自分もまさに例に挙げてもらったようないわゆる「セルフイメージとのずれ」以上でも以下でもないという認識、つまり整形をするかしないか程度の認識をしている。

しかし、自分性別が男/女だという確信はまた別のところにあるので、それはまた別の感覚である

そのことが感覚にわからないのは非常に正常なことだとも思うし、

からないことそれ自体は決して悪いことではないのでそのままそっとしておいてもらえると助かるかもしれない。

性同一性障害は脳の先天性な性分化疾患であるのではないだろうか]

一応自分なりに考察したところによると、性同一性障害心の問題ではない。

あくま自分の例をベースに考えたところ、おそらく先天性な性分化疾患範疇に収まるものだと認識している。

身体のどこかの性分化が正常に行われなかった場合、それは性分化疾患となる。性分化疾患には逆の性別に体の部位ごとが分化してしま症例がある。

性同一性障害はその脳版なのではないかと考えている。(ちなみに、同性愛傾向の人の中にもその一種の人もいるだろうと推測している)

その正常に性分化が行われなかった場所が脳である場合、脳と身体の性分化がずれ、あるいは逆になり、性同一性の一致に支障をきたすのではないだろうか。

これはあくま自分場合であるが、子供の頃から趣味思考、行動がいろんな人から異常だと驚かれて育ったが、自分世間で言われるほどの奇異で奇特な異常者だとは思えなかった。自分のような思考をして物事に対して自分と同じような興味関心を抱くような人物像は、決して割合としては多数派ではないとは思うが、とはいっても異常者といわれるほど「おかしい」行動でも思考回路でもないと思っていた。よくいる類型的な青年像の一パターンに収まる範疇思考回路や趣味だと思っていたからだ。女社会という中では確かに異常者であるが、仮に男女全てを含めて考えた場合、そこまで「異常者!」とは思えなかった。確かに自分みたいなタイプ女性は見たことがなかったが、男には割といる感じがした。

そこで、それを確かめるために男子校状態学校に入ったり(※)、部活スポーツにおいても男子共通の枠の競技をでやってみたところ、やはり自分は男社会暗黙のルールをなぜか知っていて、そして女社会暗黙のルールをどんなに明文化されても感覚的にはよく理解できていないということをより強く実感した。そしてやはり自分と似たようなタイプ青年はたまに遭遇するので、自分がそこまで仰天されるほどの社会不適合な異常者ではないということもより強く「実感」した。

学部選択については、もちろん自身のもともとの関心がそういうSFメカ趣味だったのもあるが、何番目かの理由としては、あえて男社会に身を置いて様子を探ってみる、という目的もあった。

自分にとっては性自認性別はどうでもよく、どちらかといえば、「社会から異常者だと言われる」ことの方が高校生までの自分にとっての解決するべき問題であった。

そこで、自分女子社会の中だけではなく男社会の中でも異常者扱いされるのか、それとも男性社会では「想定されている社会性のある人物像」側に入れるのか、そこが自分にとっての興味関心だった。

から考えれば、非常に自分男性性を重視していた部分はある気はするのだが、それを男性特有の発想だとは思っていなかった。例えば、「少年よ大志を抱け」的な気負いはあったが、そのような頂点を目指す思考はだれでも持ってると思っていたし、これが男性特有の発想だとは思っていなかった。

どんなに合わせても明文化されていない女性集団暗黙のルール理解できない、それこそあまりにも自分女子集団による善し悪しの価値基準を納得できず、行動にも反映できないため未成年とき自分自分発達障害的なものを疑っていた。しかし、不思議なことに男性集団に混じると男性集団のほうの暗黙のルール感覚的になぜか教わらなくとも理解できていた。そして、自分発達障害的なものではなく、性別に由来する行動の原理が逆なのだ認識するようになった。

長くなったが、自分の「性自認」の感覚はこのようなものである。アホなので今でも特撮ヒーローのように正義とは何かを自身に問いかけながら振舞いたいと思っている。

他人からの見られ方について]

自分は諸事情あって外見のパス度(=希望性別で見られる度合い)は高くない。容姿においては中性的男性的な雰囲気女性だと思われている。雰囲気普通女性とは違うため同性愛者の女性だと思われることが多い。性同一の診断の紙きれは持っているが、「治療」の予定はない。ただ、声は子供の頃からの訓練によって男性女性両方の声を出すことができるので、電話通話のみの相手には何も言わず男性で通すこともある。

他人から視点については、自分のことを「同性愛者であり、なぜか異様に男特有無意識の行動をとったり集団におけるポジション志向したり限りなく男と同じ行動ばかりとろうとする女性」と認識される状態でも個人的には構わないと思っている。

というか自分のやろうとすることを妨害しないでいてくれれば他人自分のことをどう思おうと構わない。

もちろん「こいつはそういうやつなんだな」と理解して認識してくれる人間の方と距離を詰めたり仲よくしたりしたいとは思うが、別に増田もそういう相手と親密に打ち解ける仲になりたいとは思ってないだろうし。

[余談]

ちなみに先述の発言をひっくり返すようなことを言うが、おそらく「心が異性」と宣言するタイプの人の多くは思い込み勘違いが多いように見える。特に、女→男(心は男と宣言するパターン)の場合は、わざわざ言って回っている人は変身願望が強い若い女性がそう宣言しているだけのことが多いのではないだろうか。

また、本当の性同一性障害の人で特に女→男の人でおそらく真正だろうなという雰囲気の人については、彼らの多くは男の姿と声で堂々と社会に紛れ込んでいる。もしかしたらすでに増田の周りにいるのかもしれないし、仮にいても気づかないと思う。日常生活において見ず知らずの他人パンツの中身を見る機会など基本的にはないので、まずわかることはない。あってみればわかると思うが「元女です」と宣言されたところでまず信じられない程度には通常の男性である。もし、実際に彼らにあって、雰囲気をみて「どうみても元女だ」と疑えるのならば、その人は同時に世の生まれ持っての男性の多くにも元女疑惑をかけながら生きなければいけないだろう。

性自認という言葉必要か]

不要

自分性同一性障害を脳の性分化疾患一種だと思っているが、それについての研究政治的イデオロギーによって非推奨になっている。原因はおそらく、自分は異性になりたいと主張する人のうち、脳の性分化による性同一性障害の人は多くはないからだろう。

昨今のLGBT法案における性自認についての言説は海外による政治イデオロギー問題だと思っている。これによると、ポリティカルコレクトネスによると、本人の資質はさておき戸籍と別の性別になってみたい、戸籍と別の性別として暮らしてみたいという願望を持っている人は誰でも「自分性自認は○○」と主張していいことになっているようなので、性自認という言葉自体ライト意味合いのものに変容してきているように見えるのだ。

たとえば、「トランスエイジ」について。

自分実年齢に違和感はあるし実感してる年齢と実年齢がずれているというそ感覚自体は分かるが、だからといって自分トランスエイジだとかはバカバカしくて真面目に主張する気にはなりえない。

その感覚性別に当てはめたものが「性自認という用語意味」なら、性自認ってだいぶ軽い言葉だったんだなーと思うし、トランスエイジのジェンダー版がトランスジェンダーならトランスジェンダーってのもめちゃくちゃな発想だなーとも思う。

主題が右に行ったり左に行ったりふらふらしつつ長くなったが、この文章が誰かの役に立てばいいかなーと思ってる。

2023-05-10

「正しいことを言った方が勝ち」みたいな状況はいつまで続くか

これもポリティカルコレクトネス一種だと思うんだけど

特にオープンインターネットだと正しいことを言ったほうが正しいみたいな風潮が有るが

そろそろいいんじゃない

苦しくなってこないか

2023-04-30

『「ポリコレで息が詰まる」的なの、言わんとしてることは分からんでもないが、そもそも日本って本来的な意味での「ポリティカルコレクトネス」も全然浸透してないので息が詰まるほどあふれてないと思う』

…って、日本作品しか見ない人?

日本国内にはハリウッド等の海外作品豊富に公開されているんだから

ポリコレで息が詰まる」ってのはそれらを含めての話だろうに。

世界観が明らかにファンタジーだったり時代ものだったりするのに、後付けで、それまで描かれてきた世界観とは整合性のない人種的多様性性的多様性をぶっ込むから

そのシリーズの従来の世界観が好きだった日本ファンは「ポリコレで息が詰まる」と感じているんだよ

2023-03-19

anond:20230319175259

現代つーか2020年以降のポリティカルコレクトネスは攻守がいつも入れ替わって面白い

良かれと思って韓国若者日本への憎悪を植え付けてきた左派が、逆に社会の分断を生むと批判されたり

欧州極右ユダヤ系住民同性愛者への連帯を示し、反ユダヤ主義・反同性愛を隠そうともしない中東マグレブ出身移民を痛烈に批判したり

女性安全児童の連れ去りを擁護してきたジェンダー学者が、国際社会最先端価値観アップデートできてないと批判されたりする

2023-03-06

トランス女性問題は、女性女性権力に胡坐をかいた罰だと思っている

身体男性の「女性」が、風呂トイレを使うことに対する問題

根本的に女性女性権力無自覚で、それを傲慢行使した結果の「罰」、「因果応報」だ


ポリティカルコレクトネスの内容は、基本的フェミニスト女性が決定してきた。

女性の体には価値が無い、子供を産む必要が無い、男性としての体や能力はなくても、男性としての権利は欲しい。

トランス女性権利も、女性が向上させたというのは否定する人は居ないだろう。

TERFが発生する前は、トランス女性は「精神女装」の為にフェミニスト化し

フェミニストもそれに迎合してきた。


女性の体であることを利用しながら、「女性の体には価値が無いこと」「性別関係ないこと」「男性女性に従う必要があること」

を訴え続け、実際に社会はそうなった。その結果「女性の体には価値がある(守る必要がある)」「性別関係ある」と訴える女性は「TERF」として区別された。

ポリティカルコレクトネスは、フェミニスト女性が決定してきた。「男女平等主義者」でもなく、「フェミニストである

ポリティカルコレクトネスから男性排除された結果、フェミニスト意見が認められるとともに、フェミニスト差別主義者となった。


今、TERFの発言に耳を傾ける人は居ない。いや、一部にはいるが、「保守的なおじさん」という、ポリティカルコレクトネス世界では役に立たない存在である

女性女性であることの権力無自覚で、無自覚にそれを振り回した結果、女性は「強者」として、誰も守れることができないという構造に陥った。


フェミニストが「男性権力も大切だ」「男性を大切にしよう」と訴えていれば、耳を傾けてくれる人は居ただろう。

女性性的価値を振り回さず、自制していればトランス女性権力もここまで向上しなかっただろう。


ペニスを持つ女性」という、フェミニストが生み出した、というよりフェミニスト精神が具現化した存在が、今フェミニストを苦しめていることに

正直フェミニストに苦しめられてきた側としては少し愉快という気持ちしかない。まぁ今更自分たちが声を上げた所で、男性の声はポリティカルコレクトネス世界には届かないのである

大いなる力には大いなる責任が伴い、それをおろそかにした人間は大きなしっぺ返しを食らうことをこの先人類の知恵として蓄積していきたい。

2023-03-03

悲報外国人。今更になってJRPG差別用語であることを認識する

きっかけはFF16の吉田PがYoutubeチャンネルインタビューで"JRPGという言葉が好きではない、最初聞いたときほとんど差別用語のように感じた"と発言したこと

ttps://www.youtube.com/watch?v=8ZTNoV2Iey0&t=1688s


これがきっかけでJRPG論争が勃発。そんな意味はしらなかった。そんな用語ではないというお決まり発言が飛び交う。

Kotakuなどのポリティカルコレクトネスを重視するメディアも参戦。


それに合わせて、FEZというインディーゲーム開発者が当時和ゲー馬鹿にしていた動画

デビルメイクライ西洋リブートされた作品)の制作者が日本版デビルメイクライキャラクター日本人からめて馬鹿にしていた件も発掘。

ちょっとした騒ぎになっている模様。


ttps://twitter.com/Dreamboum/status/1630631748617773056

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