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はてなキーワード: 通奏低音とは

2024-11-11

通奏低音

日本では通奏低音という語は「常に底流としてある、考えや主張のたとえ」などを指す言葉として音楽以外の分野で比喩的に用いられることがあるが、おそらくこのような用法は低音を持続すること(ドローン)や執拗低音(オスティナート・バス)と混同された結果の誤用であろうと考えられる。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK077K70X01C24A1000000/

2022-06-07

anond:20220606233532

すでに知ってそうだけど

同時に音を鳴らす「和音」をいか時間的に進行させるかの考えが「和声法」

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連続する「旋律メロディ)」をいかに同時に重ねられるかの考えが「対位法

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さらカノンの話とか、ルネサンスバロック古典派の変遷とか、

パッヘルベルカノン」って3声カノンに加え通奏低音も伴ってて、そのコード現在もっとも有名なコード進行になってて

まさに上記の変遷をぴったり表してる話とかいろいろ浮かんだけど長くなりそうなのでやめた

2021-12-29

anond:20211229152345

オタクな男が児童ポルノ(萌えキャラとかポスターとか)を愛好する加害者で、私達女性被害者である

これはあなた幻聴ですよ。母親に対する恨みが消えてない。

はてなにはずっと流れている通奏低音だけどな。

自分たち社会の一員であり模範になるような行動でモラル

守らなければならない。こういう前提に同意しないのだったら

意志を持つべきだと思う。自分たちのほうがモラリストだという主張を

オタクがしてるのは気持ち悪い。

2021-07-03

東京都合唱祭Cブロック感想

Twitterでは身バレするかもなのでここで。

2021/7/3北とぴあ

NYMC Japan

柔らかな響き。アカペラならではのよく聴きあった融ける和音が魅力的。2曲目は、遠い大地から聴こえてくるような幻想的な部分と、力強いエネルギッシュな部分の対比がよかった。

粋声

すげえうまい。もうプロでしょ。(感動したので言葉が悪くなりすみません

各人の技量がとても高く、パート内の声が揃っており、和音完璧。などと私ごときテクニックを褒めるのはおこがましいので、曲の感想を。

隠れキリシタンオラショ祈り歌)をモチーフにした曲。潜伏の末にもはや意味がわからなくなったのであろう、ミサ曲の聖句の残滓が見え隠れする中、「瀬戸潮騒…」と日本語があらわれ、江戸期のおそらくは貧しい人びとの暮らしが立ちのぼる。かと思えば強く鋭くアレルヤアレルヤ…!と歌われて、長い年月を経てなお信仰が「ある」のだと思わずはいられない。

圧巻。

法政大学アリオンコール

1曲目、静かな決意のようなものが伝わってくる演奏

2曲目、若く瑞々しい爽やかさを感じる。この合唱団によくマッチした曲だと感じた。コロナ禍のためあまり練習できなかったとの事だがよくまとまっていた。挨拶した学生さんから、やっと歌えて嬉しいという気持ちが伝わってきた。

合唱団ミモザ

入場が楽しくてノリが良くて元気!

1曲目、万華鏡のように入れ代わりながらユニゾンになったり音がぶつかったりするのがカッコいい。攻めの姿勢演奏が小気味よい。

2曲目、一転して優しい雰囲気。大切な女友達に誘われているようで嬉しくなる演奏

3曲目、冒頭のアルトの、包むように支えてくれるところが好き。

東京都立大学グリークラブ

1曲目、グレゴリオ聖歌とおぼしき清潔なユニゾン旋律が、ふわりと現代的な和音に広がるのがとても好き。

2曲目、ルルルの重く歌うところとスッと抜くところのコントロールがカッコいい。腹筋が使えてるのだろう、日々の基礎練習を讃える。

プロフェッショナルな上手さとは違うのだが、音楽を作る意志に溢れている。アマチュア音楽するひとつ理想型では?!

アンサンブル

明るいノンビブラートの声で、丁寧に聴き合っている上品演奏。少人数で、各自和音の中での自分役割を味わいながら演奏しているように感じた。

この人数で歌うのは怖いけれど楽しいだろうなあ…。

合唱団エトワール

高齢化で…」と謙遜ぎみに挨拶されていたけれど、とても素敵な演奏でした。

女声はまろやかにつややかに伸びやかな声、男声はしっかりした支えで力強くも優しい声。

声がとてもしっくりと溶け合っていて、長年のご活動で皆さん仲良しなのだろうなぁと思います

楽譜の音をただ出すだけでなく、曲を「歌って」いる、心がある。これもアマチュアひとつ幸福なかたちだと思いました。

あけぼの

カッッッッコ良い!!これぞ男声合唱醍醐味

1曲目「優しき歌」は混声版しか知らなかったので男声版に衝撃を受けた。やはりメランコリックで、混声版だとここが痺れるんだよ〜、という部分は期待を裏切らず心拍数を上げてくれる、たっぷりした演奏ステキ過ぎる。

2曲目、斎太郎節系のワクワクする曲。エンヤトットじゃないけどベース通奏低音ビートの上を高声が華やかに駆け回るケレン味ロビーストームで聴いたら恋に落ちそう。

最高でした!

北区混声合唱

ルネサンス曲とメロディック現代曲の取り合わせ。

1曲目はホールの響きを味方に付けて包み込むような演奏

2曲目の後半、ごうごうとうなりをあげる春の嵐のようなエネルギーと喜びでした。

2021-05-29

第一志望に受かったけど

高一、高二の時は部活が忙しいことを言い訳にして、本当は自堕落生活のせいだけど、勉強をサボっていた。親にそんな自堕落生活をしているのに京大志望なんて鼻で笑われるよって言われて、自堕落生活をやめたくなかったから、京大志望って書くのをやめた。地元の某旧帝大に志望を変えた。でも、本当は京大の総人が大好きで、総人に行きたいと通奏低音のように思っていた。高三になったら京大に志望を戻して、死ぬ気で頑張ればなんとかなるのではなんてアホなこと考えて、自堕落生活を続行した。

高三になって、自堕落生活を抜け出すのは無理だった。染み付いた自堕落はどう足掻いても抜け出せない。土日の勉強時間なんて最低0時間、最高六時間、平均5時間だった。平日は塾で自習してたけど、毎日1~2時間ぐらいは寝てた。模試の判定は某旧帝大でCかDしか取らなかった。京大は怖くて一度も書かなかった。

共通テストは直前にやり込んだらなんとかなった。2番目に行きたかった学科ボーダーギリギリを掠めた。だから、一番行きたかった学科は諦めて第一志望を2番目に行きたい学科にした。そのあとは関西の某私立受けたら落ちてて、そこから二週間ぐらいはそこそこ本気で勉強した。

入試当日、今までの自堕落受験勉強に自信が持てなくて、会場までずっと泣きそうだった。仮想的な自信を頑張って想像したり、駅名から下ネタを考えたりして慰めた。会場についてからも、ただひたすら大学に大して、●大様、愛しています、どうか受からせてくださいとずっと祈っていた。幸い、入試問題は自分得意科目が難しくて、苦手科目が簡単だった。

発表までの期間は何もできなかった。後期の勉強に手がつかなくて、小説書いたりしてた。

合格発表の日、受かるかどうかは五分五分だと思っていた。浪人になる未来が怖すぎて震えていた。

合格文字を見たときは信じられなかった。浪人しなくてよくて、高い私立に行かなくて済んでホッとした。同時に、合格を大して喜んでいない自分存在にも気づいていた。

奇跡合格だと思った。大学生活頑張らないと、流石にバチが当たると思った。

大学入学して二ヶ月経った。頑張ろうとは思うけど、頑張るとはどういうことなのか、わからない。授業もサークルバイトも新しいことはひと段落たから、できつつあるルーティーンをこなすだけになっている。このままでは本当に神様的な何かに申し訳が立たない。この四年間頑張らないと、そのさきの人生の生きる意味を無くす気がする。このまま頑張らずに生きるんだったら、死んだ方がマシなような気がする。

こんなことを考えていると、段々と通奏低音が大きくなってくる。総人を目指して本気で勉強していたら、第一志望の学科に入れるほどに勉強していたら、人生もっと変わっていたのではないか自分もっと成長していたのではないか。そうやって過去のイフにしがみついて現実から目を逸らそうとしてしまう。

現実と向き合うだけの勇気が欲しい。

2021-02-13

森林原人

文春のインタビューを読んだけど、あれだけセックスしてても、女の子モテない、AV女優にもイケメンのほうがモテているという現実に対する悲しみが通奏低音にあって読んでてつらかった。女は、男は性欲ばかりで恋愛には興味ないと思ってるようだけれど、森林原人でさえ解消できない自己承認問題を、貴女チョコレートが解消しうるのだと知ってほしいし、イケメン殺到して渡してフラレる必要はないのです。

2021-02-11

クラシック初心者への教え方がおかしいだろ

https://anond.hatelabo.jp/20210210234834

クラシックを聴いたことのない人に教える教え方がおかしい。

オススメの本を教えるのに似ているが、自己顕示みたいになる。

本当に初心者への教え方ってもんがあろうに。

ここはお前の知識ひけらかしの場じゃねえ!(「え、あの程度でひけらかしとか…」って思うお前がすでにもうダメ

まずだな。

(1)誰でも聴いたことのあるメロディーを含まれているもの。もしくは非常にノリがいいもの

(2)できるだけ短いもの

(3)ジャンルを選ぶ。

こんな感じ。

ポップスしかいたことのない奴は、クラシックはとにかく長い・退屈と思ってしまうから交響曲とかをいきなり勧めてはいかん。勧めても1つの楽章だけだ。組曲も全曲じゃなくて1つの楽曲だけを紹介しろ

(3)はオーケストラが好きなのか、ピアノが好きなのか、くらいでいいと思う。

オーケストラもしくは弦楽で、聞き覚えのあるメロディがあるものならこんな感じだ。よく入門的なCDレコードにある奴だけど、そういうふうに導入としてすでに確立されているわけ。

10曲を厳選する。

パッヘルベルカノン」(「3つのバイオリン通奏低音のためのカノンジーグ ニ長調」)

ベートーベントルコ行進曲」(劇付随音楽アテネ廃墟」より)

ハチャトゥリアン剣の舞」(組曲ガイーヌ」より)

ホルスト木星」(組曲惑星」より)

ベルディ「凱旋行進曲」(歌劇アイーダ」より)

・ラベルボレロ

ビゼー 歌劇カルメン前奏曲

ロッシーニ 歌劇ウイリアム・テル」序曲

チャイコフスキー 組曲くるみ割り人形」(これは全曲どれも有名なのでOK

モーツアルト 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(第一楽章だけでも全曲でもOK

こうやって書くとなんか本当に「初心者向け」っぽくなるが、それでいいんだよ。初心者向けなんだから自己顕示やめろ。

まあ、それを聴いたら、アレだ。ちょっと難しいのに手を出してみるのもいいな。

ストラビンスキーなんかどうだ?(自己顕示

2021-02-04

フェミニズムが死すべき理由

 15歳のときベル・フックスの「フェミニズムはみんなのもの情熱政治学」を読み、それが私のバイブルになった。そこに書いてあったフェミニズム説明を読んだだけで、それが世界を変えるとわかった。地元図書館にかろうじてあったフェミニズム書籍コーナーに潜り込むや否や、 牟田一恵や田嶋陽子世界に浸りこんだ。私が進学先の大学を選んだ理由は、その時すでにTwitterで名を馳せていた北村紗衣先生が教鞭をとっていたからだし、ジェンダー論の授業があるからだった。大学を出て最初についた仕事では社内セクハラの撲滅に従事し、プライベートでもTwitter消費者運動を通じて、男女差別と戦ってきた。ほぼ十年、このために使った時間は知れない。

 何が言いたいかというと、フェミニストを名乗れる人間がいるとしたらそれは自分だということ。九州田舎で育った孤独ティーンエイジャーにとって、フェミニスト冒険譚を読むのは震えんばかりの興奮だったし、目を見開かされる思いだった。周囲にこんな人は見た事がなかったけれど、ネットを通して自分と似たような人が他にいるとわかって希望が生まれた。大学に通い始めてからは、フェミニストでいることにひねくれたプライドもつ人を他にも何人か発見した。けれどそれはまだ珍しかったし、社会の主流な考え方からはすっかり外れていた。だから、なぜせっかくそれなりの企業就職した自分が、社内恋愛の末の寿退社ではなく、男受けの悪い反セクハラ活動血道を上げているのか、誰も本当にはわかっていなかったし、私はフェミニストだと言うと、ほとんどの人が眉をしかめた。月日を経て、私は同じ志を持つ仲間の輪を少しずつ広げた。職場教育、そしてマンガアニメなどの趣味世界。それぞれの世界活動する私たちを、フェミニズムが互いに引き寄せた。そんな仲間の助けがあったから生き延びる事が出来た。けれど仲間を探すのは難しかった。私たちはまだ、社会の中で傍流だったのだ。

 でもこの十年、状況は様変わりした。映画ドラマフェミニズムに則って制作されるのが当たり前になった。アナ雪や逃げ恥を通じフェミニズムは恥ずかしがらずに誰もが楽しめるものになった。

 そして、たぶん一番重要なのは、今やフェミニストはカネを、そして権力地位をも持っているということだろう。世界で一番大きな、そして一番勢い良く成長している企業女性配慮し、女性を雇っている。日本大企業や省庁も女性差別をやめ敬意を示すようになった。強い女性はかっこいい。私たちは勝ったのだ。

 そして、そこに問題がある。私たちは未だに自分達が反乱軍かのように振る舞っているけれど、今やフェミニズム帝国だ。十年前までは私たちはおおむね正しく、批判的外れで間違っていた。だから他人に耳を貸さな私たち習性は深く根付いている。それどころか、フェミニストに向けられた批判スクラムを組んでやりかえすのが絆を深めるためのちょっとしあ儀式になってすらいる。今までは誰かの批判攻撃するのも、かつては大したことではなかった。一握りのフェミニズム親和的な人以外にそうした論考が読まれる事はなったからだ。そんな内なる声も、今や大きな問題になっている。フェミニストが本当の権力を振りかざしているからだ。キズナアイラブライブポスターへの攻撃、宇崎ちゃんポスターにまつわる献血ボイコットは、フェミニストの私にとって恥ずべき出来事だった。けれど恐ろしいのは、その暴力的な振る舞いが、フェミニスト界隈に常在する何かと同じ感じがすることだ。それでいいという空気があることだ。ただ驚くしかない。その空気はあっという間に、誰かが大切に育ててきた営みを、無造作に叩き潰すほどに膨張した。ファミリーマートのような主流の大企業ですら、私たちの突きつけた理不尽圧力に巻き込まれている。今や私たちは、「自分反乱軍だと思い込んでる帝国軍」なのだ

 だから日本は未だ後進的な男性社会で、私たちフェミニストはそれに反抗するレジスタンスであり、いつの日か勝利するだろう」みたいな、フェミニスト界隈の通奏低音はすごく違う感じがする。たしか私たち女性は、かつては家父長制にいじめられたり、大企業無視されたりしていた。でもそれは、私たちにカネも力も無かった頃の話だ。今や私たちには権力があり、日本資本主義社会私たちを標的にするのではなく仲間とみなすのやぶさかでない。20年前の男性社会私たちお茶くみや家庭に押し込めようとしていたけれど、今や私たち仕事学術に家庭に多くの選択肢を持つ一方で、文句も言わずに黙々と経済的後ろ盾になってくれている。

 フェミニズムの愛すべき要素の一つに、共感連帯を大切にするという価値観がある。誰かが泣いている時、証拠事実検証は、大抵役に立たない。いの一番に、「私もあなたのために怒りたい」と表明し、それを実行しなければ社会は変わらないのだと、痛い目に遭いながら学んできた。これはフェミニズム界隈を通底するルールだ。誰かが被害を表明すれば、ただちに飛んでいって守り合う。客観的データに基づく結論は、提示するのに時間がかかるし決まって歯切れが悪い。だからスピード攻撃力が高い「お前は差別主義者だ。私は傷ついた」と言い切る思い切りが習慣になる。

 なのに、フェミニスト自分たちの共感埒外にある人々へ示す冷酷さには、思わず目を丸くしてしまう。知りうるほとんど全てのフェミニストが、自分より年収の低い男性や、性的魅力に乏しくオタク文化に逃げている(と見なしている)男性嘲笑し、あるいはそういった言説を窘めもしない。逆に高学歴高収入男性や、容姿に優れるなど性的魅力が豊富タイプは、あらゆるレトリックを用いて養護し、倫理的お墨付きを与える。収入学歴容姿共感駆動するフェミニズムは、これら男性ステータスに対してどこまでもプリミティブな接し方をする界隈だ。フェミニズム世間を席巻し、プレイヤー絶対数が増えるにつれ状況は悪くなっている。

 解決策を知っているというつもりはない。けれどどこかで何かが間違っていると意識することはできる。現に私より若い世代では、女性たちの間ですらフェミニズムへの忌避感が広がっていると感じている。しか私たち現役フェミニストは、フェミニズム忌避する女性に対してどんな態度をとってきただろう?ここで口にするのも憚られる、卑劣言葉を投げつけては、仲間内での連帯を高めてきたのではないか?こう想像するのはおかしな事だろうか――この深く根付いたクソっぷりが、若い世代を遠ざけているのでは?

 あたりを見回すと、私たちが育ててきたフェミニズムが、自由への革命から威圧的権力へと姿を変えたのがわかる。私たちは確かに素晴らしいものを生み出した。けれど私たちは不注意で、普通の人々を傷つけないための安全策を怠った。私たちは不注意で、未来フェミニストたる多くの若者たちを成長の各段階で追い出してしまった。私たちは不注意で、世界アップデートしたとき失うものがある人を気にかけなかった。いい目を見る人のことをだけを考えていた。(だいたい自分達のような人々だ。)

 古い世代の連中より高潔でありたいと、いつも願っていた。けれど蓋を開けてみれば、力不足ゆえに無害なだけだった。体に染み付いた被害意識は、私たちいじめ行為に至る際の非道言い訳と成り果てた。

 だから言いたい。フェミニズムは終わりにしよう。フェミニズムは素晴らしいことを色々してきたけれど、今のフェミニズムは歪んだ復讐心暴力衝動に駆り立てられる怪物だ。まともな答えは、これを終わらせてもっと良い何かを作り出すことしかない。

 もっと良い何かとはどんなものだろう?私たち攻撃したラブライブには希望を感じる。私たちが巻き込むのに失敗した若い世代女性をはじめから取り込んでいるからだ。どんな未来が来るにせよ、私たちは良き人物になることを重視する必要がある。今までよりずっと。

 弱さへの憎悪と、強いものへの阿諛追従は終わらせなければいけない。これはフェミニズムとあまりにくっつきすぎている。だからこの星からフェミニズムを消し去るしか、確かな方法はないと思う。

2020-10-31

月経を抱えた人生が始まった12

お礼と追記------------

ホッテントリ入したので多くの方に読んでもらえたようで、感謝です。

どうかあなたの周りにいる思春期まっただなかの娘さんたちの辛さにも、ちょっと心を向けてあげてください。


あとあれだ・・・男のつらさについて語りたい感じのブコメの方。

別のところで存分に語ってくれたらいいんですよ、あなたの辛さも。

ここでは女性の体とホルモンについての話をしていますので。


娘は中容量のピルの投薬がもうすぐ終わるけど、割と絶好調に近付いてきている。一安心

彼女の二大懸念事項である生理不順とニキビのどちらにも劇的に効果があると知って、低用量ピルの投与を始める可能性が濃厚です。

ブコメでもピル飲んでQOL爆上げという方が複数いたけど、私も実は昔飲んでました。

ライナーで事足りるくらいの出血量になるし、傷みもほぼ無くなるし、いつ来るかが確実にわかから月経生理現象から制御対象になるんだよね。

それでも思春期女子にいきなり使う事への抵抗があったのは、自分の中に残った「性と生殖自然に任せたら問題ない」という根拠不明のなにかがそうさせたのかも。

タンポンも、ピルも、痛み止めも。もしかしたら無痛分娩も同根なのかも。

あしかし。

コメントでも自分思春期が辛かった事を書いてくれた人がいっぱいいるけど、やっぱり必要だよね「思春期外来」っていう結論に至りました。

できれば親の付添なんか無くても気楽に行ける、若者向けの性と生殖相談窓口が欲しいのよ。

(本当は男子の陰茎周りの話もティーンカップルの性の話も相談できる医者必要だよね。)

これが少ないためにどんだけの子供が苦しんでいるかと。

母親なのに30日も生理が続いてて気付かないの!?とも言われたけど、これがまさにそういう問題

「血が止まらないんだけど」→「10日くらい続くのはよくあるよ」

「まだ続いてるんだけど」→「止まって、再開して、また2週間以上続くのもぜんぜん珍しくないよ」

みたいな感じで母親自分経験者だからこその無理解で、子供医療から遠ざけがち。

ほんとかわいそうな事をした。

睡眠外来とかもここ10年くらいでかなり増えたな、という実感があるけど、このくらいの数になってほしいなあ、思春期外来も。

各所の婦人科医さん、頼んだ・・・

以下本文------------

https://note.com/wakari_te/n/ne5fc8dd14fda

これ読んだのでここ1ヶ月のことを書き残しておきたい。

中1の娘がいる。

初潮からちょうど1年くらい。

初経から1年はぜんぜん出血量も多くなかったが、その頃から不定愁訴というのかな、

「頭がいたい」

だるい

「おなかが痛い」

「なんかしんどい

が明らかに増えてきた。

小学生時代はとにかく健康優良児、スポーツ万能。

ワクチン以外で病院に行ったことも殆ど無いような子。

いつもやる気に満ちあふれていて、溌剌という言葉がぴったり来るような女子

それがいきなりどんよりモードになってきたのだから、親としても戸惑った。

でも思春期というのは男女問わずそういうもんだということも言える。

寝る時間が遅くなったり、友達関係も心の動きも複雑になるし、心身症みたいなこともおこるだろう。

ホルモン暴走が数年が続くのだから、男女とも体がおかしくもなるだろう。

そう考えていた。

ところが先週、娘が

「頭がフラフラする」

と言い出した。

寝不足なんじゃない?と軽くあしらっていたが、生理が止まらいからかな?と言い出す。

何日続いてるのか聞くと、32日と。

1ヶ月ダラダラ出血してるわけ。

ここ1週間くらいは出血量も増えて辛いと。

あーこれはそろそろ産婦人科に連れて行かないといけないのか、でも近所は産婦がメインだし、友達の目とかも気になるかもしれないし。

思春期外来もあるレディースクリニックは人気すぎて全然予約取れないな~

とか考えているうちに、次の日には

頭痛がしてダルい、起きられない」

と臥せってしまった。

慌てて貧血用のサプリを飲ませ、取り急ぎ近所の産婦人科に連れて行った。

運良く女医さんがいた。

取り急ぎ貧血気味なので生理止めないとね、という話になり、プラノバール14日分を処方される。

中容量ピルだ。

ところが、これを飲むと高頻度で吐き気副作用が出るらしい。

娘はバッチリはまって吐き気で起きられなくなった。

吐き気止めを朝夕飲み、体を引きずって学校に行ったが体育は当然できず、早退。

飲むタイミング食事を調整することで、数日かけてようやく吐き気がマシになり、日常生活が送れるようになってきた。

(余談だがこのプラノバールは緊急避妊で使われるケースもあり、この場合は数倍の量を一気に飲むのでさぞキツかろう・・・と思った)

ここ1ヶ月、おそらく貧血通奏低音様の腹痛に邪魔されて、娘のパフォーマンスはガタ落ちだった。

運動系習い事は1/3も通えず、塾も半分しか行けなかった。

それが原因で数学英語で全くわからない単元が出てきてしまったらしく、初めて「わからいから塾に行きたくない」と言い出した。

やっぱり英数というのは明確に階段状になっている科目なので、一段つまずくとそこを抜かしての巻き返しはできない。

追加で登校したり、動画学習をしたり、質問に行ったりそれなりに大変だったけど、早めにわからない部分に気付いたため何とか追いつけた模様。

おやすみのために塾や習い事学校電話して説明しまくって(コロナ禍なので体調不良に皆センシティブで、娘には気の毒だがかなり詳細な説明を求められる)。

何回も説明しているうちに気付いた。

この紆余曲折みんな、男子だったら全く必要無い苦労なんだよね。

むろん、障害がある子、持病がある子、体力が無い子も相対的に不調が続いている状態といえる。

でも、人口の半数が(いわゆる高温期の)月間14日程度は相対的不調、うち7日程度は絶不調。

それなのに、統計的に差が出ないレベルにまで勉強や諸々の活動をできてるというのは、これは相当に、がむしゃらに頑張っているという事なのでは?!と気付いた。

中学受験すらこのハンデの中でやってたんだな。

自分もしてきた苦労なのに、(むしろ自分生理が重い方なのに)なんでこのハンデに今まで気付かなかったんだろうと不思議に思う。

思うに人間は慣れるからだ。出血にも痛みにも。

そういえば出産後、保健師さんに

貧血でも人間からだは血がない状態に慣れるんですよ。

でも、鉄剤を飲んで『体が楽になった!』と気付いて、初めて貧血自覚するんです。」

という話をされたけどこれに似てる。

私だけじゃないし、調子が悪いのが普通だし、慣れるし慣れさせられる。

いわゆる生理痛があまりなく、「生理が重い」という自覚が無い娘だが、それでもフツーの日常を送り、フツーの中学生としてフツーのパフォーマンスを出すのにこれだけの紆余曲折がある。

小学生の時みたいな男女区別がつかないくらいの、生気が充溢してる毎日ってのは送れないもんなのだなーと。

婦人科では低用量ピルを勧められた。

ローティーンあいだは無排卵性の月経である事が多く、この場合子宮内膜の増殖は多くなく、したがって出血も少なめだが、周期が安定せず、月に何度も出血したり、何週間もダラダラ出血したりする。

逆に排卵のある月経になってくると出血も痛みも増して「重い」月経になってくる。

金銭負担もあるし、副作用もあるし、また調整に時間かかるかもしれないけど、痛みと出血PMSが大幅に軽減するならやるべきかも。

妊娠する必要が無い時には生理不要なのだ本来は。

思えば自分思春期の頃、月経が来るたびに憂鬱で苛立っていたが、単に体調不良からでない。

このアンコントローラブルで自分の足を引っ張るだけの生臭い血みどろのヤツがずっと自分人生に付き纏うことに対して、えも言われぬいら立ちがあったのではないだろうか。

もっとコントローラブルな対象として見ていいはずだ、月経も。

というわけで、考えても見なかったが、娘に低用量ピルをすすめると共に、もはや「生み上げた」存在である自分にもミレーナを使う事で、月経からの開放を目指そうと思う。 

月経を「受け入れて共存するもの」とするか「克服すべき不調」とするかによって対応が変わるのだろうと思う。 

娘にも娘の選択があるだろうが、私は後者を選ぶ。


ちなみに、女はツラいマウントしたいわけじゃなくて、この初潮直後のローティーンの体調グダグダしんどい感じ、言語化がうまくできないのか世の中であんまり見ないな、と思って親の立場からですが書いてみました。

成人女性月経にまつわる話はすごく出回るようになってきたと思うんですがね・・・普通は恥ずかしいし、隠したいしね。

2020-10-12

anond:20201012014337

クールってのは冷酷とはチゲーんだよ。心が暖かくてもクールな人はいるしこのキャラはそうなんだよ」

を副テーマ通奏低音)に据えた二次創作をコツコツつづけてれば

公式ちゃんとチェックしてくれる分野が多いとおもうぞ。

公式、意外と二次こっそりしっかり見てるぞ。

なにも表現も発表もせずに他人表現愚痴ってもそれは公式に汲み取られるのは無理だろうとおもうわけです。

あとよくあるけど推しを攻めであって棒扱いする二次がイヤなら自分推しを受けにして穴扱いすればええやで

意外と体力も技術いるから、ガチりょうじょくものかける人てジャンルに2~3人程度とめったにいない。やれれば影響力マシマ

2020-08-08

anond:20200807074835

保守コロナ平気派の通奏低音現状維持バイアスとか正常性バイアス

その反対の何かと気にしいな人がリベラルかつ自粛派になるんじゃない

あんまり不思議ではないと思う

2019-10-25

anond:20191024170738

通奏低音警察です。

比喩的用法にしても、通奏低音意味本来バッソ・コンティヌオから掛け離れ過ぎています

古楽ファンとしては見過ごし難い.....

2019-10-10

anond:20191010010318

あーーーー!

通奏低音がンチャンチャンチャンチャってずーっとながれてるやつね 裏拍の

 

 

ソソソラソミソ、

ソソソラソミソ、

ドドドレミドミーソソー、

ドドドレミー、

ドドドレミー、

レレレドレーミーソーファーミーレ

ソソソラソミソ、

ソソソラソミレー

ドーーーーーー

ってやつね(自分は移調ずみ?でおぼえてた)

魚も両方聴きます

中部

2019-04-07

日曜日が終わってしまうので、ここらで一発、何らかの生産的な行動をやっていきたいぞ、と思ったわけですけども、なぜかこうして増田に張り付いています

人はなぜ、このような選択をしてしまうのでしょうか。

前頭前野の敗北であり、辺縁系勝利です。勝利勝利、大勝利長良辺縁系ではありません。

なぜか私のPCデスクには知恵の輪が転がっています。なぜでしょう。お見舞いでもらった品です。なぜ知恵の輪。ボケ防止にとのことでしたが。

ところで、先程PCデスクと言いましたが、これは厳密に言うと、いえ別にそんな厳密とかじゃなくて普通に言ってそうなんですが、私が今パソコンを置いている場所は、PCデスクなどという大層な代物ではありません。

というかデスクですらありません。

私は椅子の上にディスプレイキーボードマウスを置いています

正確には、椅子の上に、ホームセンターで買った合板を乗せて、それを机とし、周辺機器を乗っけているのです。

これは案外便利です。広い、安い、手軽、収納やすい。見た目のアレさにさえ目をつむれば、非常に合理的選択であると言ってよいでしょう。

あるいは、見た目などという些事に囚われていないことが、余計に合理的選択であることを強調している、とさえ言ってもよいかもしれません。

ところで、さっきまで、やむを得ない事情により、VBAなる恐ろしい言語を使っていたのですが、これには様々な謎仕様があるようです。それらは名状しがたき恐怖で我々を戦かせます

一般的に知られていると思われる謎仕様と致しましては、例えば、配列におけるReDimなるステートメントが上げられるでしょう。

他にも、例えばマクロ高速化のための方策として、範囲配列に代入するというテクニックが紹介されることがありますが、この配列範囲との間にも謎の関係性が存在しています

この手のソフトウェアを扱うに当たり、いちいち一つずつセルに値を書き込むことはご法度、というのが定番ではありまして、私も素直にこの定石にしたがい、セル範囲二次元配列に格納したりしております

しかし、範囲配列に代入した場合、その配列の要素のインデックスは、どうも1から始まるようなのです。

なぜ1スタートなのでしょうか。VBA仕様においても、配列の添字はいちおう0から始まることになっているのですが、範囲配列に格納した場合、0行0列の要素は空となっており、Array(1,1)にRangeの始点の値が格納されております

まあたとえ1スタートであっても、言語内で仕様統一されているのであれば、まだよいのです。

しかしここが彼の言語の恐怖ポイントなのでありまして、どういうことかといいますと、

すなわち、今度は逆に配列範囲に代入、すなわち配列の各要素の値を対応する範囲セルに書き込む場合インデックスが0である要素から順に処理されるのです。

範囲配列に代入するときインデックスが1から始まるのに、配列範囲に代入するときインデックスが0から始まるのです。

Array = Range

Range = Array

とすると、一番上の行と一番左の列が、空白行、空白列になってしまうのです。

なんですかこれは。誰が考えたんですか。おかしいでしょう。私はおかしさのあまり死にました。

この理不尽さに比べれば、Collectionなる連想配列の添字が1から始まることなど些事に過ぎません。

昨日までJavaJavaしていた人は、どうやら配列なんぞには目もくれていなかった様子でしたので、この謎仕様に気づくこともなかったのでしょうが、悲しいことに、この謎仕様配列を用いた高速化テクニックはほぼ必須スキルでありますので、例の御人も、遅かれ早かれ、この罠に絡め取られていたことでしょう。

あるいは、この謎現象回避するための方策はきちんと用意されており、無知な私はそれを知らないがゆえに、このような的はずれな不満をぶちまけているのかもしれません。

しかし、上述したような単純かつ直感的な代入が上手くいかないという仕様は、やはり、なかなかの欠陥ではないかと思うわけです。

まあそんな愚痴はどうでもいいのです。変な仕様適当にハックしてやればよいのです。

でもクラスモジュールとやらのパワーは貧弱なのでそれも大変困難ではあります

標準モジュールライブラリもどきをちまちまと作っていくしかないのでしょうか。

とてもではありませんが、こんなもんを極める気にはなりませんので、そこら辺のことをいい感じにまとめてくれている知見があればよいのですけれども、しかし、まともな人間はこんなもんを相手にしたりはしない、というパラドックスがあります

https://sites.google.com/site/compositiosystemae/home/vbaworld/upper/interface はわりとよかったような気がします。システムハンガリアン使ってますけど)

こんなもんを扱わざるを得ないような環境に留まってしまっている私がおかしいという話もあります

悪いことは言いません。pythonで書かせてください。お願いします。

そんな増田の切なる願いは、社会という名の抗いがたい泥沼に絡め取られ、今日も悲しみに満ち満ちたコードを生成していくのであります

そういえば今日休日でした。休日普通楽しいものなのではないでしょうか。どうしてこんな悲しい気分になっているのでしょう。

答えは簡単でして、悲しいことを書いているからです。楽しい気分になるには、楽しいことを書く必要があります

楽しいこととは何でしょうか。例えばオナニーなどが挙げられます人生において、オナニーよりも楽しいことは、あまりありません。

よって、楽しくなるには、オナニーの話をすればよいです。

私は一時期、DLditeで同人音声を漁っておりまして、催眠に掛かるべく邁進していた時期もありました。

しかし一度も催眠に掛かれませんでした。

なぜ私は催眠に掛かれないのか。

集中力の欠如、衝動性の強さ、慢心、環境の違いなど、様々な要因が考えられますが、最も大きな原因と思われるのは、台詞めっちゃ気になることです。

おっさんが考えた可愛い二次元女の子みたいな台詞が、えらく癇に障るのです。

そのために、可愛らしい女性の声に没頭できないばかりか、声によって現実に引き戻されてしまう、という逆説に襲われるのです。

おっさんは蓮を咲かせる泥だという話もありますが、恐らく、真に良質な泥おっさんというのは、非常に稀な存在なのでしょう。

まり、いいおっさんは泥ですが、悪いおっさんゲロということです。

しかし、これもおっさんに限らず、大抵のことに言える話でありまして、良質なものはどこでも少ないものです。

生の増田を見てもそうでしょう。

ホッテントリに上がる増田しか見ないライト増田、あるいはブクマカには想像もできない世界が、生の増田には広がっています。例えばこの増田とかです。

(これは私見ですが、VIPやなんj、あるいは虹裏などと比べても、増田の毛色は違います

増田ほとんどは泥であり、ホッテントリに上がった増田は花なのです。

私も泥として、増田たちに養分供給していきたいと思います

何だかまた悲しい話になってるじゃないですか。なぜ私はいつも悲しい話をしてしまうのですか。

それは恐らく、心の通奏低音(俗用)のようなものが、悲しみに染まっているからです。

基本的に悲しんでいるので、無意識に任せて話すと、悲しい話ばかりが飛び出てくる、というわけです。

この休日も悲しいまま終わりそうです。恐ろしい恐ろしい。これも人生という感じですね。

2019-03-22

運び屋  (2018) クリンイーストウッド監督・主演 感想ネタバレ

https://www.google.com/search?q=こち亀 不良

ときどき見かける「イケメン/美少女勝手に惚れられる主人公マンガ/ライトノベル作品が都合よすぎなのでキモイ」論、共感したことなかったんだけど、ようやくそ気持ちちょっとわかったわ

 ハリウッド映画らしさ

 ディズニー映画やその亜流などに顕著だが「偽りの勝利」→「どん底/敗北/最大のピンチというクライマックス」というパターンを踏む作品が多いのは周知の事実で、本作でも「麻薬の運び屋になる」→「大金を手にする」「最初はおそろしかったヤベー奴らに一目おかれるようになる」→「ヤベー奴らが代替わりしてもっとヤベー奴に締められる」「家族との亀裂深まる」「順風満帆に見えた犯罪稼業もDEAに嗅ぎつけられい逮捕されるかわからない」という風に展開していく。

 その展開は「間違った価値観に基づく悩み(疑似問題)」→(最大のピンチ)→「真の問題に気づくことと、問題解決のセット」というプロセスによって挟まれていることが多い。(ファインディングニモ然り、シュガーラッシュ然り、インクレディブルファミリー2然り…)

 クリンイーストウッドらしさ

アメリカン・スナイパー』『15時17分、パリ行き』『ハドソン川の奇跡』『インビクタス』あるいは別監督の同年作品グリーンブック』みたいな、実話に強く寄せた話ではない(一応、実在事件インスパイアされてはいるが、左記作品群のようには実名使用していない)。

 花卉栽培に熱中し、実益があるもんだから家族を顧みず全米を飛び回る。ところがインターネットの発達により実益消滅、畑は差し押さえになる。みんな金がないのが悪いんや…から始まる物語

グラン・トリノ』を連想しながら鑑賞。

 ハッピーエンドというと、多くは「生きるか死ぬかの賭けに勝つ」「優勝してチャンピオンになる」「絶体絶命のピンチに遭遇し知恵と勇気で切り抜ける」「悪者をやっつける」「宝石を手に入れる」「一か八かの挑戦をして成功する」「追手から逃げ切る」といったものになり、「死ぬ」「負ける」「やっつけられる」「大金を手に入れられない」「失敗」「捕まる」で終わるものは通常バッドエンドとみなされることになる。

 ところが『グラン・トリノ』は最後主人公リンイーストウッドが撃たれて死ぬが、ハッピーエンドなのである。これは「生命を失わない」ことより高い価値を持つもの主人公リンイーストウッドが手に入れたというによって達成される。すなわち「他者との精神的つながり」が、生き長らえる、物質的な豊かさを超える至上の価値としてアピールされているのだ。(もっと一般的なのは童話の昔から定番の男女間のカップル成立だが、『グラン・トリノ』の場合アジア人少年とのつながりを得ることができれば死んでもいいという価値観

 

 本作では、「間違った価値観に基づく目標と偽りの勝利」は「(悪いことをして)カネを稼ぐ」「それによって、家族ではなく、在郷軍人仲間(ベトナム戦争に参加していたという設定)や園芸職人仲間から称賛される」「モテる」で、成功=偽りの勝利シーンに”ああ、こいつ(クリンイーストウッドあかんやつや”という通奏低音がいやというほど鳴り響いている。

 

公正世界信念

 ところが、このじじいがいろんなところで調子よすぎるのである

 前述の「ヤベー奴らに脅されたりスマホSMS)も使えなくてバカにされたりもしたが、持ち前の気骨ある行動とイケメンぶりで一目置かれるようになる」もそうだが、

家族とのディスコミュニケーションマイナス要因で「妻からは冷たくあしらわれ、娘から12年間口をきいてもらえず、家族の中では唯一孫娘だけが味方」

 からの「妻が病気で倒れたと孫から連絡を受けるも、コカイン運搬中であり、どうしても駆けつけられないし事情説明できない。そのためついに孫娘からも敵に回る宣言を受ける」という最大のピンチの後には、

 「どうにか一仕事終えて家に駆け付けたら死にかけた妻に”あなたはひどい夫だったけど、最後そばにきてくれて看取ってくれるなんて超最高よ愛してるわ”と言われる」のだ。

 妻の葬式、娘とも和解葬式優先したために、グレードアップ後の、一目置いてくれていたやつらよりさらにワルいやつらに殴られる。(唯一のダメージらしいダメージはここだ)

 そして逮捕

 裁判では無罪を勝ち取ろうとする弁護士を制して「わしゃ有罪じゃ」

 潔く罪を認めるクリンイーストウッドがカッコいい!

 最後は、刑務所の中で再び大好きな花育てを行うクリンイーストウッド

 引いて、終わり(ゲットワイルドは流れない)

 っていやいやいやいや。違うでしょ。

 何(1)妻が死んだ(2)ちょっと殴られた だけのダメージで 幸せいっぱいに園芸やって終わってんだよ。(服役中だけど)

 全然釣り合わんでしょ。

 娘もなんで最後ちょっとふらっと現れて口先で謝っただけで受け入れてんの?

 涙まで流して「なるべく面会に行くわ」「(犯罪で稼いだお金で)取り戻したお父さんの大事な畑は私が守るわ」と抱きしめてたの?

 「わしゃ有罪じゃ」宣言、そりゃ万ドル単位犯罪マネーを蕩尽しといて当然でしょ。

 前半にはアジア人差別するクソ白人至上主義野郎だった『グラン・トリノ』の主人公が、見終わったらいい奴だったと心に残るのは、撃たれて死んだから

 (自分東欧移民でややカースト低め、非WASP白人だったということもある)

 本作の主人公くそじじいが因果不応報で、びっくりしたわ。

 

 

 最初の話に戻ると、「空から美少女が降ってきて惚れられるし俺はTUEEE」な話を叩く人は、等価交換を重視してるのかもしれないと思ったよ。

 何らかの理由がないと、いい結果を享受することはできない、逆に悪いことをした人は罰を受けなければならない

 という価値観の中で生きているんじゃないか

2018-01-09

成人式スクールカースト社会階層

先日成人式に出席した増田です。

個人東京大学に通っていますが、成人式は、高校卒業までを過ごしたいわゆる「普通地方都市のものに出席しました。成人式自体は非常に平凡かつ平和ものでした。近くに住んでいたというだけで同じ校舎にぶちこまれていたかつての級友たちとの再会を楽しみ、今は東京に戻っています

さて、出席して改めて思うのは、成人式は「中学最後学校行事」だということです。主催地方自治体と、その対応する教育委員会ですし、会場の治安維持には当時の先生方が駆り出されていました。(平和ではありましたが、「荒れる新成人対策はがっつりされていました。以前大変なことになったことがあるようです。)そして、学校行事である以上、その場にはあの頃と同じ「スクールカースト」の力場が保存されていました。あの頃の教室雰囲気を思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした(!)が、あの独特のサルリバイバル感が無理で成人式に出席しない、という選択をする人たちの気持ちは十分に分かりました。私自身は、あの頃にいい思い出はないもののそれなりに神経が太いので気になりませんでした。(「地元」というコミュニティからある程度離れてしまっているのもあると思います。)

ただ、あの頃の学校行事と異なり、成人式にあっては、その当時のスクールカーストに加えて(成人式では一時的に不可視であるように振る舞うことが求められているものの)社会的役割分担(階層)がある程度見えています。これら2つの構造」の比較検討は、フィールドワーク考察としてはかなり面白いと思ったので、とりあえず雑に考えてみます。(レポートじゃないのでテキトーです。許してね)

スクールカースト社会階層

改めてスクールカースト俯瞰的に見てみると、以下のようなマトリクスで整理することができるはずです。どこかのブログ記事かなにかの受け売りで、スクールカースト一般問題を語るのに適切かどうかはわかりませんが、今回は便利なので使ってしまます

\学業成績が優秀(教員従順学業成績が不振教員反抗的
コミュニケーション比較的得意リア充タイプ「不良」タイプ
コミュニケーション比較的苦手優等生タイプオタクタイプ

以下、成人式時点での社会階層(の萌芽)との対応を述べていきます

リア充タイプ

ほとんどが大学に進学。東京圏地方都市であることも要因としては大きいだろうが、東京私立大に通っている割合がきわめて高いことが特筆すべき点。背景として考えられるのは、彼ら/彼女らの家庭が比較的安定していたこと、自分自身の容量の良さから「楽かつ評価される」選択肢を選び取ったことなどか。就職先として地元という選択肢はかなり薄めのよう。

当時から「不良」タイプとの関係性が良好であり、アルコールにも慣れていることから同窓会後の2次会でも中心的な役回り男性の中でも血気盛んな層は「不良」タイプ女性ワンナイトラブをキメたよう。

「不良」タイプ

高卒もしくは専門学校に進学。いわゆる「地元コミュニティの中心をなしているようで、そのコミュニティ関係性を悪化させてしまっていた「元」不良たちはそもそも成人式に出席していなかった。家庭環境がさまざまだが、比較的早い段階で家計を支えることが期待されており、当時のような「ヤンキー」的振る舞いはほとんどなかった。それでも様々な着飾り方、騒ぎ方で成人式の夜を賑わしていたが……。一方で大学学者一定数いて、多くは高校からの推薦で、地方大学に在籍しているよう(就職意識してか、比較理工系が多めであるように感じた。)

「つっぱり方」を基軸とした当時の力関係希薄になるにつれ、地元自営業者の息子/娘もこの層と仲良くしていたのはおもろいかな。

優等生タイプ

大学学者が中心であることは「リア充タイプ共通しているが、比較国立大学学者が多め。(女性を中心に)典型的には地元大学学生だが、理工系を中心に東京圏の中堅私大にも分散していた。地元との関係性は一番希薄であるものの、地元就職視野にいれた就職活動を行うよう。大学入試偏差値就職を考えた場合、在籍中の大学の「レベル」はリア充タイプ拮抗しており、今となっては絶滅寸前の浪人経験者もこの層に集中。(余談だが、イキリオタクの如くこの文章を書いている私もこの層に属していると言える。)

一部は大学での経験をもとに「リア充タイプへの順応を見せているか

オタクタイプ

大学もしくは専門学校学者ほとんど。コミュニティとしての「地元」には所属していないものの、実際は地元に残っている場合が多い。なぜか分からないが、男性ではスーツの着こなしが一番微妙だった。当時と比較して「優等生タイプとのコミュニケーション志向している様子が見て取れ、同窓会ではアルコールも控えめい、かなりおとなしく過ごしていた。高校卒業フリーターをしている層はここに集中しており、このご時世にあってコミュニケーション能力の果たす役割の大きさを感じずにはいられなかった。

考察的な何か

当時のスクールカーストに対して学歴復讐、みたいな素敵なことはなく、社会の荒波と言われるようなものは(少なくとも自分地元では)スクールカーストとなんとなく連続している。ただ、東京大学に進学することは、「提示されている選択肢の多さ」という点で大きなメリットであり、また、終わりつつある「普通地方都市」という機構から脱するためのいちばん有効手段

もちろん家庭環境は当時のカーストから現在の状況までを形作る通奏低音であるものの、社会全体の成長という神話が終わってしまった自分たち世代にあって、ふたたび地方における「構造」として安定的であるかどうかは疑問。「不良」タイプの家庭の再生産は現在就職環境にあっては以前より難しいし、「優等生タイプ提供される地元就職先の選択肢は縮小しつづけている。「オタクタイプは「結婚しない/できない」問題の中心にあるし、今後の私の街はどうしようもなく不安定な何かしらになってしまう気がする。

2016-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20160725101247

ああ、上の増田引用して「損」という言葉を使ったのがマズかったかな。だいたいのお話はわかるんだけど、私が言ってるのは、自分のあずかり知らぬところで「ファッションユニフォームだ。ユニフォームを着ていない者の参加は認めない」的な「選別」のシステム存在していて、それが社会のあらゆる場所にまで及んでいたことに気付けば、そりゃ異議申し立ての一つもしたくなるよねというレベルの話ね。元増田辞書的な、もしくは論理的意味での「損」をしているかどうかは別として。

別にレストランクラブが「とあるユニフォーム」によって客を選別する程度であればよいが、ファッション(髪型や化粧を含む装飾文化すべて)による選別は、就活から婚活までありとあらゆる場面に及んでいるよね。現状のファッション貴方のいう「応募者全員サービス」というにはあまりに大規模な、社会全体の通奏低音たるシステム。それは貴方も「生活基盤」という言い方をしているから分かっているはず。繰り返しになるけどそんな重要システムならなんで義務教育で教えないの?というのが元益田の主張だった。義務教育化の是非はともかくとして私はファッションによる選別システム存在することを知らせる役割の人はもっと増えてもいいと思うね。「そんなシステム知らなかった!」という人ってネット見てると男女関係なく結構いるしね。

2015-11-13

【祝!2期】響け!ユーフォニアム空気デカリボンちゃんが泣いた日

要約すると

長くなってしまったので簡単にまとめます

響け!ユーフォニアムの2期が決まってうれしいです、とても面白い作品でしたね

・素晴らしい点を上げるとキリがないのですが、私はとりわけこの作品の描く「空気」が好きでした、作品テーマの一つでもあると思います

特に2話の葵ちゃん「みんな~問題のない方向へ~まとまっていく」というセリフ、8話の麗奈特別になりたい」というセリフ、この2つが重要なシーンではないでしょうか

・この空気に着目した上で10話、香織先輩が再オーディション希望するシーンを見ると、とても感動しま

・更に11話、デカリボンちゃんが泣くシーンも心を打たれます

・久美子の心の成長も見所の一つです、でも久美子って少し流されやすいような気もしま

劇場版、そして2期、本当に楽しみです

と大体このような感じ

最初

ユーフォニアム2期+劇場版総集編決定!うれしいです

しまだご覧になったことがないという方は、本当にオススメ作品です、ぜひぜひこの機会にご視聴ください

ところで、響け!ユーフォニアムってどこが面白いの?と問われたら、視聴済みの皆さんは何と答えます

作画の綺麗さや演出の巧みさ、声優さんの演技の上手さなど色々なものが思い浮かびます

答えは一つではないと思いますが、私には響け!ユーフォニアムのココが好きだ!という点がずばり一つあります

それは、今まで深夜アニメーションという媒体では余り描かれることのなかった部活学校という空間空気

引いては集団の中で発生する同調圧力的な側面について描き、それをしっかりとエンターテイメントとして見ていて楽しい物に昇華しているという点です

群れとスイミー

少し話は変わります

みなさんスイミーという絵本をご存知でしょうか

おそらく一度は聞いたことがある、どんな物語か程度なら知っているという方も多いと思います

ストーリー説明は省きますが、絵本の中でスイミーはたくさんの仲間達と一緒に大きな魚のふりをして泳ぎ、マグロを追い払いますよね

あのスイミーが案じた作戦、これはおとぎの世界の話だけではありません、現実世界でも類似の例を見つけることが出来ます

例えば、チョウチョウウオという魚です

沖縄方言ではカーサと呼ばれ、その意味は葉っぱ、名の通りほのかな橙黄色に色付いた木の葉のような魚です

一匹でも十分に綺麗なこのチョウチョウウオですが、海の中で生活する時は大きな群れを作ることが知られています

チョウチョウウオはそれほど大きくない魚ですので、単体ではすぐに捕食者に狙われてしまます

ですからまとまって大きな集団を作ることによって、捕食されることを回避しているわけですね

このようにして魚が群れを作るメカニズム、そこにあるシステム群知能といいます

群知能は魚の群れを説明するための用語というだけではありません、他にも自然界の様々な場面で見ることのできる普遍的概念です

ところでこのチョウチョウウオの群れですが、全体としては同じ方向を向いていても

中を細かく見てみるとそれぞれの個体や個々の集まりでは別の方向を向いていたりすることに気付きます

スイミーは全員が一丸となって戦うお話でしたが、現実世界チョウチョウウオでは少し違うわけですね

から全体を俯瞰して眺めるとみんなが同じ方向を目指しているように見えても、それぞれにはぞれぞれの想いがある

群れと人間

こういった群れの構図は人間社会でも随所に見られます

大きいものでは会社組織、小さい単位なら家族や友人関係かもしれません

そして多くの人が人生において最初にそれを経験する場所、それが学校であり、とりわけ部活動なのではないでしょうか

一概に部活動といっても様々あります体育会系ならサッカー野球文化部なら美術などが有名ですよね

そしてもう一つメジャーものの中に冗談めいて体育会系だとも文化部だとも言われる部活があります

そう吹奏楽部です

吹奏楽部サッカー野球と同じ、体を使った集団競技です

それが体育会系といわれる所以なのかもしれませんが、一つ他と決定的に違う点があります

それは圧倒的な力量を持った選手が一人や二人いたとしても、それが集団にとって即大きなアドバンテージとはならない、という点です

吹奏楽という競技においては、群れのレベルは全体の平均ではなく最も弱い個体能力度合いによって決まるからです

これは積極的底辺能力押上げようという助け合い精神、教え合いの動機ともなり得ます

いざという時には、底辺を全体のために容赦なく切り捨てるという残酷な選択を強いる結果にも繋がります

吹奏楽ほど、群れというもの意識する部活は他にはないかもしれません

そしてそこには、必ずしも絵本で描かれるスイミーのようなやさしさも海で群れをなすチョウチョウウオのような美しさも、あるとは限りません

そんな吹奏楽という部活

そこにスポットライトを当てたアニメーション作品

それが京都アニメーション制作の「響け! ユーフォニアム」です

響け!ユーフォニアム空気

吹奏楽舞台であるといっても、1話や序盤では多くの時間キャラクター紹介、人物の関係性やこれからの展開をほのめかす場面に割かれます

主人公である黄前久美子はどんな子であるのか

彼女高校生となって吹奏楽部に入部し、新しい学園生活、新しい友達上級生と馴染んでいく過程を描いています

そんな序盤のキャラクターのやり取り、シーンの一つにこんなものがあります

久美子の幼なじみであり部活の先輩でもある葵ちゃん彼女と久美子の会話です

久美子「でも今日みたいに聞かれたら、全国大会目指すっていう方に手挙げるでしょ」

  葵「そりゃあ…ねえ」

久美子「だからややこしくなるんだよ、大人はずるいよ」

  葵「それ言ったらどっちにも手を挙げなかった誰かさんが、一番ずるいんじゃない?」

久美子「それは……そうだけど……」

  葵「きっと、そうするしかないんだよ。みんな何となく本音を見せないようにしながら、一番問題のない方向を探ってまとまっていく、学校も吹部も、先生も生徒も」

久美子「どうして……?」

  葵「そうしないとぶつかっちゃうからだよ、ぶつかってみんな傷ついちゃう

――――「響け! ユーフォニアム」第2話



この言葉学校という世界しか知らなかった高校生の頃に立ち戻って考えてみれば、いっそう共感のできる言葉だと思います

そして、学生の時のみならず、社会人となってからもこの「空気」を読めという感覚は常についてまわるものです

集団、群れがあればそこには空気があります、そうして出来上がった集団の流れ、空気に逆らうことはとても難しいものです

特に思春期女の子にとって集団から抜け落ちたり弾かれたりすることは、死ぬほどに辛いことだと思います

2話の終盤、このシーンはさらっと流れます、その為とりわけ重要ではないシーンのように思われるかもしれません

しかし、深夜アニメにとって大事だと言われる1~3話において、2分以上の長尺を取り久美子との二人きりの会話を描いているのは、このカット以外にはないんですね

音楽通奏低音という言葉があります本来バロック音楽における用語ですが、転じて「常に底流としてある、考えや主張のたとえ」というような意味も持ちます

吹奏楽でいうならば久美子や友人である緑輝や葉月がいる低音パートですね

彼女たちの低音が吹部の演奏を支えてるように、葵ちゃんのこの言葉響け!ユーフォニアムという作品における通奏低音となっています

部長葵ちゃん

続く話数、これ以降の3~6話ではある意味葵ちゃんの言っていた通り、一つにまとまり

一致団結してサンライズフェスティバルという地域イベントに向けて頑張る吹部の様子が描かれます

しかし、当の葵ちゃんは今までとは違う、空気の変わってしまった吹部についていけず退部を決意しま

顧問の滝先生が赴任して来なければ、部のやり方が変わらなければ、葵ちゃん最後まで部活動を続けたかもしれません

ただ去年の出来事経験した葵ちゃんにとって今の空気はどうしても受け入れることの出来ないものだったのです

退部後の葵ちゃん部長の晴香がファミレスで二人、話し合うシーンがあります

葵ちゃん自分はそこまで吹部が好きではなかったと言った後、部長に対し晴香はどう?と問いかけます

部長は即答することが出来ません

今までの吹部とは違う、全国大会出場という大きな目標を掲げ、部員一丸となって全国という高みに向けて邁進する宇治高校吹奏楽部

ですが、一人ひとりが見ている方向は必ずしも一致していません、全体では同じ方向を向いているように見えても個々人の想いはそれぞれなのです

ここまでが7話でした

久美子と麗奈

そして続く8話、とても印象的な回ですね

放送当時一番話題になった回でもあると思います

この第8話終盤、麗奈と久美子の密会シーンは中盤のクライマックスです、その内容を憶えている人も多いでしょう

麗奈と久美子、二人以外は誰もいない小高い丘の上、眼下には楽しげなお祭りの光、麗奈はまっすぐと久美子を見据えて言います

 麗奈「ねえ、お祭りの日に山に登るなんて馬鹿なこと、他の人はしないよね」

久美子「うん、まあ……」

 麗奈「久美子なら分かってくれると思って。私、興味のない人と無理に仲良くなろうと思わない。誰かと同じで安心するなんて、馬鹿げてる。

    当たり前にできあがってる人の流れに抵抗したいの、全部は難しいけど。でも分かるでしょ?そういう、意味不明気持ち

久美子「うん、わかるよ。高坂さんの気持ち

 麗奈麗奈

久美子「麗奈……」

 麗奈「私、特別になりたいの。他の奴らとおなじになりたくない」

――――「響け! ユーフォニアム」第8話


麗奈の想いは誰しもが持っている気持ちです

特に未だ少年少女時の万能感から脱却しきれていないモラトリアム期の高校生ならば、それは多くの人が抱いた「本音」かもしれません

特別になりたい」

しかし、多くの高校生はその本音を隠します、他者とぶつからないよう、ぶつかって傷つかないよう、波風を立てず皆と同じように日々を過ごします、それが「普通」なのです

麗奈は違います、久美子にはっきりと言います特別になりたいと、他の人に流されたくないと

葵ちゃんセリフと対になるこの言葉、少し甘酸っぱく子供っぽい麗奈のこの告白は、久美子の心を大きくざわつかせました

そして続く9話、ここからやっと吉川優子ことデカリボンちゃんと吹部のマドンナ中世古香織先輩にスポットライトがあたっていきます

デカリボンちゃんと一度目のオーディション

去年までの熱意のなさが嘘のようにやる気を出し、ここまで大きなゴタゴタもなく順調に進んできた北宇治高校吹奏楽部

あとは大会に向けて全力で頑張っていくだけという感じですが、その前に一つ課題を乗り越えなればなりません

オーディションです

先生が事前に発表していたこの実力制メンバー選抜は、ことの成り行き次第では少々問題が起きそうな雰囲気です

さてオーディション視聴者としてはポニテ先輩のことも気になりますが、吹部として重要なのは麗奈と香織先輩、どちらがソロを吹くのかという点です

部員殆どは、麗奈が優れたトランペット奏者だということは知っていても、上級生であり、部内屈指の実力と人望を兼ね備えた香織先輩がまさか負けるとは思っていません

しか当事者である香織先輩の認識は少し違っています麗奈の実力を認め、負ける可能性を十分に考慮しているようです

さあ、結果はどうなるのか?と言うと……

意外にもあっさりと負けてしまます

この結果は当然ながら驚きを持って迎えられます、中には滝先生選考に内心疑問を呈した部員や不満を抱いた部員もいたでしょう

しかし、個々人の想いとは関係なくこの時の部内の空気オーディションの結果を受け入れるものでした、空気が異を唱えることを許さなかったのです

集団空気に逆らうというのはとても難しいことです、もしもこのまま何事も無く事が運べば、大した波乱などなく一致団結して大会まで進んでいたかもしれません

ここで爆弾を落とすのがデカリボンちゃんです、オーディションから少したった頃、滝先生に対し部員が見守る中、こう言い放ちます

リボン高坂麗奈さんと以前から知り合いだったって本当ですか?」

先生「それを尋ねて、どうするんですか?」

リボン「噂になってるんです、オーディションとき先生がひいきしたんじゃないかって、答えてください」

――――「響け! ユーフォニアム」第10

この出来事から急速に部内の空気は変化していきます、元々個々人の中ではオーディション結果に対しくすぶっていた所もあります

0から1に突然変わったというような変化ではありません、空気意図的誘導しようとするそんな人物がいたわけでもありません

それどころか自分たちが一体どこに向かっているのか、それさえ誰にも分からぬまま漠然と悪い方向へ流れが変わっていく、そんな様子が丁寧に描かれています

香織先輩と再オーディション

先生音楽の知識こそ豊富ですが、教員としての指導経験はまだ浅く、この事態に戸惑い苛つきます

かねた部長が、このままではいけない、そう覚悟を決めなんとか解決しようと動き出した頃、丁度時を同じくして滝先生は一つの解決策を見出します

部員たちが見守る中、滝先生が切り出したのはこんな提案でした

先生今日最初にお知らせがあります。来週ホールを借りて練習する事はみなさんに伝えてますよね。

    そこで時間を取って希望者には再オーディションを行いたいと考えています

    前回のオーディションの結果に不満がありもう一度やり直して欲しい人はここで挙手してください。

    来週全員の前で演奏し、全員の挙手によって合格を決定します。全員で聞いて決定する。これなら異論はないでしょう。いいですね?」

――――「響け! ユーフォニアム」第10

この言葉に対し、香織先輩は一歩を踏み出すように立ち上がり、高く手を掲げ、まっすぐと滝先生を見つめて言います

「再オーディション希望します」

香織先輩という人物についてはこれまでも何度か描かれています

葵ちゃんが退部し、部長がめげてしまった時にはおみやげを持参して励ましました

ポニテ先輩は、葵ちゃん部長に加え香織先輩だけが、去年の部内のゴタゴタに対して真摯に解決しようと頑張っていたと言います

公園で二人きり、デカリボンちゃんから本人や父との縁故理由に滝先生麗奈を贔屓した可能性を告げられた時も噂を止めるようお願いするだけです

これらのことから伺えるのは香織先輩のやさしさであり、部に対する想いです

部長と共に、損な役回りを引き受けてでも部内の空気を良い方向へ持って行きたいという、そんな心配りです

その香織先輩が、今まで吹部内の空気をなによりも優先してきた、そんな香織先輩が、初めて自分の想いに素直に寄り添って決意表明したのがこの場面なのだと思います

しかしたら吹部の嫌な空気、それを払拭するためにあえて希望した、もしくは香織先輩を推す部内の空気にのせられる形で希望しただけという穿った見方もできるかもしれません

しかし、友人を心配そうに見つめる部長眼差しや驚きを持って香織先輩に視線を集める部員達の表情からそうではないことが見て取れます

香織先輩はこのとき空気に反発したのでも迎合したのでも、そして沈黙したのでもありません、ただ自分の確かな意志を表明したのです

まっすぐに滝先生を見つめ、自分の想いを吐露する香織先輩のその姿は麗奈が久美子にした特別になりたいという告白に重なります

オーディションの結果

さあ再オーディションです

まずは香織先輩が、吹き始める前こそ緊張の面持ちでしたがいざ吹き始めると特にミスもなく、普段通りの演奏を客席に座る部員たちの前で披露しま

そして麗奈トランペットを構え、その音を響かせます

二人の演奏が終わり、よりふさわしいと思う方へ拍手するよう言われます殆ど部員はどちらにも拍手することが出来ません

そんな空気の中、滝先生は香織先輩に問いますあなたソロを吹きますかと

香織先輩は麗奈こそが、自分ではなく麗奈こそがソロを吹くべきだと、そう言い

それを聞いたデカリボンちゃんは泣いてしまます、大粒の涙を流しながら、わんわんと声を上げて

一度目のオーディションの時ではなく、二人の演奏が終わった時でもなく、滝先生麗奈を選んだ時でもありません

デカリボンちゃんは香織先輩が負けたことが、選ばれなかったことが、技量的に麗奈に劣っていたことが悔しかったのではありません

人を気遣い自分よりも他人を思いやり、誰よりも優しい先輩、その先輩がたった一度、自分のために、自分だけのために

宇治高校吹奏楽部中世古香織としてではなく、一人のトランペット奏者として初めて挑んだ、ぶつかって傷付くことを恐れずに挑戦した

その特別ものへの憧れが、それが叶えらなかった事が、デカリボンちゃんは何よりも悔しいのです

悔しくて仕方がなかった、だから泣いたのです

ただしそれは数ある理由の一つでしかありません

もしもその悔しさだけだったなら、こんなにも大粒の涙を流すことはなかったでしょう

なぜならば、デカリボンちゃんはおそらく再オーディションが決まったその日から自分がこの日再オーディションの当日、誰よりも悔しい思いをするという事は分かっていたからです

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2015-03-04

男性の生きづらさと女性の生きづらさについて

とかくこの世は生きづらいと漱石が書いてからもう幾年が経ったのか、数える気にもならないから全く知らないし、単なる話の枕に過ぎないからどうでもいいんだけど、どうも今の世はもっと生きづらくなってきているようだ。

様々な問題が山積みだし、聞いたこともない問題が次々に産まれては解決されないまま消えていく。じゃあ解決しなくていいんだ、って感じでほっといてるとリーマンショックやら原発爆発なんかでツケが回ってくる。もぐらたたきはメタファーとしていつも非常に有用だ。

僕は政治家でも経済学者でもないから、それらの問題には何も言えないけど、よくネットで話題になる男性女性という二つの性の問での生きづらさという問題には何かが言えそうな気がしてこの文章を書いている。ネットでこういった類の文章がよく書かれるのも似たような理由だ。(大体の人は男か女だから一端の口を聞ける。)

この、男性女性の間での問題というのも、今まさに解決しないでいたツケが少子化雇用問題という形で噴出してきているところだ。全く無関係に見えるところにまで飛び火してもいるだろう。

僕がこの問題について今まさに書いているのは、さっき言ったように僕がこの問題について何かを言えそうというのもあるが、この問題が今の日本社会の最も大きな問題で、これを解決すれば今の日本殆ど問題は解決すると思っているからだ。

これまでの日本

これまでの日本では、男性女性を抑圧してきた。日本の「社会」というのは男のもので、女は付随物に過ぎなかった。だから社会的成功した男には女がついてきたし、逆に社会的成功してない男には殆ど女が寄り付かなかった。女は対異性的成功していれば嫁として社会的成功することができ、それ以外で生きる道は存在しなかった。

からこれまでの日本での性差問題というのは、社会的成功をできない、もしくは興味がない男と、対異性的には成功できない、もしくは興味が無い女のものだった。彼らは「社会から疎外されていたのだ。

しかし、女性が抑圧から解放され始めたことで問題が全体に波及する。

女が「社会」の付随物ではなくなったために、社会的成功しているにも関わらず女を手に入れられない男が増え、反対に、対異性的には成功しているもの社会的には成功できない女も出た。

これまでは男は社会的に、女は対異性的成功していればよかったのだが、両性ともに社会的にも対異性的にも成功を果たさなければならなくなったのだ。

それによって負担が増えたように感じる、対異性的成功していない男は女性解放を訴える女達に怨嗟の声を上げ、社会的成功していない女は社会的成功約束しなくなったふがいない男達に対して罵りの声を浴びせる。

現代日本

現状、男性女性も、どう生きていても非難を避ける事は出来ない。

たとえ対異性的成功しようと社会的成功をしていない男はクズだし、両方で成功果たしていてもリア充と言って叩かれる。

たとえ対異性的成功しようと社会的成功をしていない女はビッチだし、両方で成功果たしていてもリア充と言って叩かれる。

では、女性解放が更に進めば事態は更に悪化するのだろうか?

勿論そうではない。

かつてアメリカ黒人解放の声を上げた時最も人種間の争いが激しくなったように、今は過渡期に居るだけだ。

将来の日本

将来、女性が完全に解放された時、本当にそんな時が来るのかはわからないが、その時は性別の間の争いはなくなるだろう。誰もそれを意識しないからだ。

仮にその時が来ず、人種差別のように、女性差別社会通奏低音のように流れ続けたとしても、解放が進めば進むほど事態はよくなる。

対異性的に認められることと社会的成功イコールになる時代になるからだ。

女性社会の一員になるということはそういうことだ。

主夫が認められつつ有るように、女性解放というのは、男性の中の女性性の解放でもあるのだ。

まとめ

漱石小説もこの問題について書いている。彼の小説日本エリート西欧流行っている恋愛というものをしてみんとしたものの集積だ。社会的にはエリートなんだけど恋愛的、対女性的には坊っちゃんで、結局それは上手くいかないまま終わった。村上春樹がその後を継いで成功しようとしている、とか言われてる。

2014-11-10

鈴木大介氏の著作『最貧困女子』を読みました。

鈴木大介氏の著作『最貧困女子』(幻冬舎新書ISBN-13: 978-4344983618)を読みました。

売春などを生業としつつ、風俗世界からも、福祉からもの世界から排除されている女性たちに関する本です。

もちろん、現在のことを書いた本です。

感想を書こうと思ったら、ぜんぜん指が進まない。

読んだ直後はそうでもなくって、スラッと書けると思ってました。

何がそうさせたのか?

それは、たぶん全編に渡って通奏低音にように響く、著者である鈴木大介氏の絶叫ではないかと思います

本音を言えばルポライターとしての僕の心情は、もう限界だ。”(p.210)

当事者である女性たちに共感するのではなく、彼女たちのことを、見てしまった者、知ってしまった者としての苦しみが吐露されていました。

自分自身、短い間でしたが、かつて風俗業界の周辺で働いていたことがありました。

障害者福祉現場でも働いていました。

そして、どこでも、あっと言う間に「適応」という名の心の麻痺完了させました。

風俗世界で、絶え間ない選別が行われていることを知っています

障害者福祉世界で、それまでの生活の中で培ってしまった「面倒くささ」ゆえに居場所が見つけられない人を知っています

そのことに対して、「そういうもの」と思ってしまった自分がいます

仕事をしてお金をもらうため、そんな自分を維持するための防御として。

本の全編に渡る絶叫は、鈴木氏の「適応」しないぞ、という叫びのように思えました。

はいえ、本の記述は決して感傷的ではなくあくまロジカルです。

ロジカルでないと、見えなくなってしまうのが、最貧困女子からです。

幼少期には、家庭からはじき出され、それと連動して児童福祉から「見捨てられ」、

少女期には、地元女子グループからはじき出され、何より地元からはじき出され、

成年になって、風俗世界からはじき出されてしまった、

そんな絶え間ない選別と排除の結果、最貧困女子が生まれていると、鈴木氏は書きます

そのプロセスを実に丁寧に記述します。

丁寧に記述することで、鈴木氏は「でもそれって自己責任でしょ」というエクスキューズを封じているように思えました。

自己責任論は、ありとあらゆる立場から発せられていて、そのひとつでも「あり」としてしまえば、最貧困女子存在が見えなくなってしまう。

その不可視を最大の問題にしています

個人的に読んでいて辛くなったところは、彼女たちの成功体験と失敗体験についてのところでした。

失敗体験の話からいきましょう。

”だが問題は、その補導時の対応だ。基本的に、警察少年課や地域少年補導員、児童相談所などは、万引き少年少女補導時には親や施設先生などの保護者を呼び出すという、杓子定規対応しかしないことがほとんどだ。確かに少しは話を聞いてくれるから少女としても、『この人は頼れるかも』と淡い期待を抱くが、最終的な対応である保護者の呼び出し』『虐待する親のいる家や居心地の悪い施設への送還』は、彼女らにとっての裏切り行為となる。これがいけない。”(p.88-89)

緊急的に福祉対象となるべき状況にあるにもかかわらず、当事者自身が、頑なに福祉による救済を拒否する心情の根底には、上記のような幼い時期の失敗体験(福祉行政は助けてくれない)が横たわっている。

失敗体験は、強力に刷り込まれて、福祉による救済への反発力として働きます

次に成功体験です。

家と地元からはじき出された女の子は、路上に出ます。さしあたって必要ものは、毎夜の安全で温かい場所(居場所)です。

それを与えてくれる人間は、まず第一に買う男であり、風俗スカウトであり、アウトローセックスワーク関係者たち。

彼らは対価として、彼女たちの肉体と尊厳要求します。

(ああ、また書くのが辛くなってきた。)

彼女たちが、そういう方法で居場所を確保できたことは、成功体験となります

失敗体験と同様に、成功体験も、強力に刷り込まれて、肉体と尊厳犠牲としてその日その日をやり過ごすことへの親和力として働きます

ただし、その対価の価値が「若い女だったから」に過ぎないので、年齢を重ねたり、さら若い女性が現れて相対的若さを失ったりすることで、簡単に崩壊してしまものです。

しかし、そこに立ち止まって、こだわってしまう。

障害者福祉特に就労支援世界で、よく言葉にするのが、まさに成功体験と失敗体験です。

社会に出たことのない人や、何らかの事情社会からはじき出された人に対して、自信と経験を身につけてもらう方法として、とにかく小さいこから成功体験を積み重ねるということをします。

それを繰り返すことで、社会へ出る(戻る)ための基礎体力をつけてもらいます

はいえ、本当にそれがいいのかどうかは、当人しかわかりません。

支援する側として、この手法ですら相手によっては押し付けではないかと思ってしまうこともあります

彼女たちのケースに目を通すと、成功体験と失敗体験は、(それが外野人間が望んでいるベクトル正反対だったとしても)やはり強烈に人の心に作用するものだと、図らずも証明されてしまったような気がしました。

この本で鈴木氏は、後半で風俗セックスワークで働く女性を分類し、状況を少しでも改善するための方策を提案しています

幼少期には、子供たちが、夜でも居ることができて、ご飯が食べれて、ゲームができて、年長者になってもウザくならない(重要!)、シンプルに「居たくなる居場所」を作ること。

思春期には、街で出てしまった少女たちを「家に帰す」に終始することのない、「『少女自身による独立』への意思」を尊重した支援を行うこと。

また、少女たちが恋愛依存やすいことを肯定して、自爆的な失敗をしない恋愛ができるような「恋活」の重要性。

そして、それら全てを踏まえた上で、支援制度が整わない間の、苦肉の策としての「セックスワークの脱犯罪化・正常化社会化」。鈴木氏は、本文中で、明確に未成年者のセックスワークを「非人道的」と否定しているので、まさに苦肉の策として提案しています

そして鈴木氏は、これらの提案を、専門家でもない一介の記者が考えた稚拙な提案と、何度も何度も前置きしながら書いているのです。

その前置きの中からも、冒頭に書いた鈴木氏の絶叫が聞こえてくるようです。

「この本を読んだ」という事実を、自分自身無視できない、どこかに公開して残す必要があると感じました。

以上、『最貧困女子』を読んでのエントリを、とりあえず書き終えるものします。

2013-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20130705233344

元増田です。

ギター弾けるのは凄いですね。

コードを瞬時に理解して指を押さえないといけないから、修練大変だろうと思うので。


自分はポピュラー系の楽器だとベースが大好きだったりする。

へ音の世界で、ある意味バンドの采配がかかっている楽器

ハマったのはバロック通奏低音が原点で、それからだいぶ時間が経って、ニコ動ティッシュ姫演奏に衝撃を受けたのがきっかけ。

レッチリとかから入ったわけじゃないので邪道かもしれないけど。


実は今仕事でペア組んでる子がギターやってて、その話をしたら「最初ジャズベもどきの安物で十分だから、早く楽器買って始めちゃいなよ~」と言ってくる。

気持ちは嬉しいけど、しばらくはヴァイオリン一本になっちゃいそうだなあ・・・

2012-11-24

ヱヴァンゲリヲン疾走する。情弱は追いつけない。

音楽評論家宇野功芳に「メータ(注:インド出身指揮者)のブルックナーなど聴くほうがわるい、知らなかったとは言ってほしくない」という言葉がある。

その言葉にならうのであれば、本作を過剰に批判する側にも、称揚する側にも、「ヱヴァンゲリヲンはそういうものなのだ。知らなかったとは言ってほしくない」の言葉を添えたい。

「Q」はアップデートされた「エヴァであるから「旧作の狂気が帰ってきた」と称揚する評は間違っている。「意味がわからない、映画としての書法をなしていない」との評価も間違っている。

見る側を常に裏切るのが「エヴァなのだ

庵野新劇場版を作る前の宣言文でいった。

「この 12年間エヴァより新しいアニメはなかった」と。

その言葉伊達ではなかったと、冒頭シーンで感じないものがいればそれは不感症なのだ

あの冒頭シーンを見てこの作品を全否定するその神経が分からない。

そう、まずはヴィジュアルの評価から入ろう。

状況の分からない空間戦闘からノーチラス号の発艦シーンまでの息詰まる緊張感と圧倒的なヴィジュアルにため息をつかないものがいるとすれば、それはブーレースの演奏するマーラーを前に「精緻にすぎる」などと見当外れの批判をする童貞ラヲタのようなものだ。

圧倒的な美しさ、スタイリッシュさ、その疾走にはに頭を垂れるしかない。涙は追いつけない。

参照される古今東西映像作品の断片に庵野の美意識が振るわれ、結晶として屹立するその様はベルント・アロイス・ツィンマーマン音楽を思わせる。

ネットにもビジュアルに対する批判は少ない。

あるとすれば、脚本、演出による。

しかし、どれも的外れものに過ぎない。

いくつか代表的なものあげてみよう。面倒なので3点に絞る。

1.いみがわからない

私も意味がわからなかった。もう自己パロディしか思えないほどのとっちらかった謎、伏線、設定に呆然とする気持ちはわからないでもない。

しかし、こうした要素は「わからない」ことも含めて、自らを「サービス業者」と規定する庵野の「サービス」であり、そのインタビューにもあるように「酒のツマミ」として楽しむべきものなのだ。すでに2ちゃんには解釈をめぐりいくつもの「名解釈」が登場している。そこにエヴァ本質はないのでその解釈論争の成立自体「そういうもんだ」と楽しむのが正解だ。「しらなかったとは言ってほしくない」

だいたい、我々が生きているこの世界自体、意味がわからないだろう。

2.登場人物の行動に整合性がない

そうだろうか。ある程度登場人物のおかれた状況に寄り添って、「補完」すれば整合性は保たれてはいいか?たとえば「破」で「行きなさいシンジくん」と煽ったミサトが「Q」で別人のように冷淡だというのも「ミサトの14年間の辛苦」といったもの忖度すればあながち整合性がとれないわけでもない。

だいたい、我々が生きているこの世界の人物自体、行動に整合性がないだろう。

3.リアリティにかける

ゲンドウと冬月の「二人のネルフ」はどんな金で動いてるんだとか、吹きっさらしのグランドピアノがなんであんなに綺麗なんだよ普通さびるだろとか、まぁ分からないでもない。

しかし、エヴァとは「私小説なのだプライベートフィルムにおいて、美意識表現される「わたくし」の前に「世界」のリアリティはある程度犠牲になるのだ。

つーか、あの廃墟、ぐっとくるじゃん。それでいいんだよ。

だいたい、我々が生きているこの世界の自体、リアリティがないだろう。

同様に依存症にも似た称揚にも目が当てられない。

4.狂ったエヴァが帰ってきた。俺たちのエヴァだ。

どこ見てんのかね。この「狂気」は完全に「作った狂気」だ。綺麗にまとまりすぎているし、旧劇場版アドリブ奏法のようなどこに行くのかわからない狂気ではなく、計算された狂気だ。

「序」と「破」をいったんたたき壊すための仕掛けであり、旧劇場版の「狂気」に魅せられて未だに90年代から一歩も動けていないものへの「釣り針」だ。

から、この「狂気」に「狂喜」するものは救いようがない。

この作品は「シン」へのかけ橋である以上、注意すべき点は以下の3点に絞られる

・旧劇場版とほぼ同じ立ち位置にいる「無限に後退していくシンジ」をQで再度設定しながら、決定的に違うのは旧劇場版シンジの周りにはダメな大人と壊れたアスカしかいなかったのに、新劇では導き手としてのアスカとマリが設定されていること。

・旧劇場版で「鬱シンジ」を否定し、「序」、「破」で設定した、ポジティブな「シンジさん」(セカイよりもポカ波を選んだシンジ)も「Q」で全否定したこと。

・露悪的な破壊の中で、通奏低音のように「やり直し」「成長と大人になること」「社会とつながること」を流していること。

上記を踏まえると、庵野<旧劇場版で引導を渡したはずの「エヴァ」に依存するヲタク>をもう一回、別のアプローチ説教しようとしているように見えて仕方ない。ヒントは同時上映された「巨神兵東京に現る」に流れていたようにも思える。

我々は上記3点の「伏線」に「シン」でどうオトシマエが付けられるのかを見守るべきであり、やはりつまらぬ結論ではあるが、それまで判断を留保すべきなのだ

つーか、こういう厨二病全壊な文章をかかせるエヴァさいこうって話ですよ。

2012-10-08

職質とネット犯行予告逮捕

小女子事件のときも今回の時もそうだけど、治安関係者は「本当にやるかどうかわからない以上本気として対処せざるを得ない」とか言うんだよね。

でも、通り魔とか、ネオ麦茶の件とか、実際に発生した事件に対してどの程度の抑止力があったのかがよくわからない。分析・評価がされてるように見えない。

仮に、ネットでの犯行予告はなかったものとして、実際に事件が発生した後から遡及的に捜査をはじめたとして、現状のアプローチ比較してどの程度の差があるのだろうか。「犯行予告だけで真に受けるから犯行予告をする愉快犯」という事件の発生数まで考えると、かえって無視したほうが社会全体としてははかどるのではないだろうか。

というところまで考えて思い出したのが、職質に対する疑問。それも、下手すると「男が一人で歩いてる→職質」みたいなことがある地域もあると聞く(秋葉原とか、池袋とか?)。あれも、「もしナイフなどを持っていたら治安が云々」と犯罪予防効果を主張するのがいるが、実際のところウチの職場ちょっとココロが病んじゃってた子、職場ナイフ(それも戦争映画しか見ないようなゴッツイの)持ち込んでて問題になってたが、スルーされてた。あれも結局、犯罪の抑止効果なんてロクになくて(宝くじにあたる程度?) それよりも単純に「検挙件数」をかさ増ししてるだけにしか見えないんだよね。やらないほうがマシ、というレベルで。

こういった世の中の(正しそうだけど非効率な)流れに対して通奏低音のような何かがあるのだろうけれども、頭が悪いので何がどう悪くて、なにをどう改善すれば良いのか思いつかない。それでも、ちょっとしたエロマンガでつかまるカナダや、裸で踊ってると射殺されるアメリカや、そもそも何が何だかよくわからないメキシコや、宗教批判のマンガ書いただけで殺人公認になったり、号館された女を犯人と強制的に結婚させて「なかったこと」にするインシュアラーな国々に比べれば、まだまだ平和なんだけどね。

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