高一、高二の時は部活が忙しいことを言い訳にして、本当は自堕落な生活のせいだけど、勉強をサボっていた。親にそんな自堕落な生活をしているのに京大志望なんて鼻で笑われるよって言われて、自堕落な生活をやめたくなかったから、京大志望って書くのをやめた。地元の某旧帝大に志望を変えた。でも、本当は京大の総人が大好きで、総人に行きたいと通奏低音のように思っていた。高三になったら京大に志望を戻して、死ぬ気で頑張ればなんとかなるのではなんてアホなこと考えて、自堕落な生活を続行した。
高三になって、自堕落な生活を抜け出すのは無理だった。染み付いた自堕落はどう足掻いても抜け出せない。土日の勉強時間なんて最低0時間、最高六時間、平均5時間だった。平日は塾で自習してたけど、毎日1~2時間ぐらいは寝てた。模試の判定は某旧帝大でCかDしか取らなかった。京大は怖くて一度も書かなかった。
共通テストは直前にやり込んだらなんとかなった。2番目に行きたかった学科のボーダーギリギリを掠めた。だから、一番行きたかった学科は諦めて第一志望を2番目に行きたい学科にした。そのあとは関西の某私立受けたら落ちてて、そこから二週間ぐらいはそこそこ本気で勉強した。
入試当日、今までの自堕落な受験勉強に自信が持てなくて、会場までずっと泣きそうだった。仮想的な自信を頑張って想像したり、駅名から下ネタを考えたりして慰めた。会場についてからも、ただひたすら大学に大して、●大様、愛しています、どうか受からせてくださいとずっと祈っていた。幸い、入試問題は自分の得意科目が難しくて、苦手科目が簡単だった。
発表までの期間は何もできなかった。後期の勉強に手がつかなくて、小説書いたりしてた。
合格発表の日、受かるかどうかは五分五分だと思っていた。浪人になる未来が怖すぎて震えていた。
合格の文字を見たときは信じられなかった。浪人しなくてよくて、高い私立に行かなくて済んでホッとした。同時に、合格を大して喜んでいない自分の存在にも気づいていた。
奇跡の合格だと思った。大学生活頑張らないと、流石にバチが当たると思った。
大学に入学して二ヶ月経った。頑張ろうとは思うけど、頑張るとはどういうことなのか、わからない。授業もサークルもバイトも新しいことはひと段落したから、できつつあるルーティーンをこなすだけになっている。このままでは本当に神様的な何かに申し訳が立たない。この四年間頑張らないと、そのさきの人生の生きる意味を無くす気がする。このまま頑張らずに生きるんだったら、死んだ方がマシなような気がする。
こんなことを考えていると、段々と通奏低音が大きくなってくる。総人を目指して本気で勉強していたら、第一志望の学科に入れるほどに勉強していたら、人生はもっと変わっていたのではないか、自分はもっと成長していたのではないか。そうやって過去のイフにしがみついて現実から目を逸らそうとしてしまう。
慶応に行きたかったけど家の問題で塾にも予備校にも行けなくて 自宅浪人して入っただいぶ慶応よりランク落ちる大学で 首席とって奨学金もらいまくって就職で無双してたやつ知ってる