はてなキーワード: カルメンとは
どこの公立の学校だろうが、教育実習生は必ず来る。この実習生の前でピアノを披露するのが半ばお約束になっていた。
たいていの教育実習生は私のぶったたきタッチに凍り付いていたのを思い出す。
BrahmsのPiano Sonata No.3を弾いた時が一番凍り付いていたのではないかと思う。中2の話である。
Scriabin Op.2-2は、何処に行っても本当によくひいた。これが中3の話である。
Scriabin Piano Sonata No.5を高2の時に弾いた思い出がある。
Chopin Scherzo No.4はおそらく中1の時だ。
シューラ・チェルカスキーがStockhausen Klavierstück IXをやったので、中3の時真似していた。一番濃厚に思い出す。
意味も分からずに現代音楽を覚えるという経験は、無駄になっていないと思う。
ポップスも、プリンセスプリンセスのMをやってくれと言われて、一回やったことがあった。あの時代、ピアノのイントロがああやって入ってくるのは貴重な作品で、令和のポップカルチャーの中のピアノとは和声イディオムが違う。
私の親がクラシック偏重に否定的だったので、クラシックではない「軽音楽」を大量に購入しており、その中にリチャードクレイダーマンのLPがあった。
なんと!全曲楽譜がついていたのである。とにかく、全部練習した思い出がある。でも、人前でギャラを取って弾いたことはない。
小学生から中学生にかけて、都内の人には共感を得られないような、雑多な覚え方で習得していた。
田舎ではホロヴィッツのカルメン変奏曲のコピーは出回っておらず、これは弾けるようにならなかった。すでに地方都市と首都圏ではコピーが出回っていたのである。
ドラマツルギーというのは劇作術と言って、ドラマをよりドラマらしく仕立てるために使われる方法論であったり、信念であったり、あるいは独自の法則のことを言うのである。
例えば、有名なもので言うと「チェーホフの銃」という、「劇中に登場した銃は必ず使われなければならない」という法則がある。つまり、ドラマの中に無駄な道具立てや登場人物は存在してはならないという、ある種の劇作術における信念を表しているのがこの「チェーホフの銃」というドラマツルギーなのである。
他にも卑近な例を上げるとすれば、『とある魔術の禁書目録』にて「熱膨張って知ってるか?」とか「粉塵爆発って知ってるか?」「電圧が例え数億ボルトでも――」云々、といったように、現実の法則を切り取ってドラマの中に無理やりぶちこむことでドラマを成立させる手法も、一種のドラマツルギーであると言える。これらのことは換言すれば、ドラマの中にはドラマの法則性、そして、現実の法則性とは独立した独自の法則性がはたらいているということになる。コーヒーに浸かった銃がそのまま使用できてしまえばその時点でドラマは終わってしまうのである。ドラマと、現実は違うものだし、時にはそれは大きく食い違っていなければならないものでさえあるのだ。
で、最近見られるのはこのドラマツルギーと現実の法則とを幾分混同している人々である。
例えば某漫画における「意識混濁している少女を結婚に誘導する行為に異を唱えたい」という意見は少しズレてる、ってな話なのであって、劇を進行させるための道具立てを批判するという行為がズレていることを俺は人々に知ってほしいのである。そんなこと言ったら刀ブンブン振り回してるキャラクターは現実においては銃刀法違反だし、「味方に当たったら危ないから、もっと安全な短刀を使うべきだ」みたいなカンボジアPKOばりの意見さえ正当化されてしまう。
というか、こういう物語のキャラクターに対する善悪理非とか倫理的瑕疵を検証する姿勢は俺としてはブーイングの対象である。歌劇『カルメン』に登場するカルメンは倫理的に破綻したジプシーだから悪だ! とか言ってる人間がいたら困惑してしまうのと一緒で、「このキャラクターは倫理的に現実と乖離している」って意見全般は、基本的にナンセンスなのだということは知ってほしいんですね。いや勿論そういう意見を一切封殺するのもまた息苦しいんだけれど、某ラノベに即して言うならば「ドラマツルギーって知ってるか?」ってな話なのである。
鉄腕アトム「透明巨人の巻」という話がある。若き天才である花房博士が物質伝送機のせいで、ウサギ、魚、ロボットの融合した怪物になってしまうエピソードで、「ハエ男の恐怖」が元になっている。その最終部で、博士が悪党を罰するために物質伝送機であちこちに飛ばしてヒーヒー言わせるドタバタがあるが、その中でラインダンスの真っただ中に飛ばす。悪党どもが冷や汗をかきながら一緒に踊ってごまかす横で、レオタード姿の女性が並んでいる。
また、これはどこで読んだのか忘れたのだが、手塚治虫が宝塚劇場を訪れ、レオタードというか舞台衣装の女性に囲まれて興奮のあまり卒倒しているコマのある漫画があったと記憶している。
つまるところ、こういうスカートやレオタードのラインダンスは宝塚が起源なのだろうか?
まずは基礎的な情報を手に入れるために、ウィキペディアで「ラインダンス」を検索した。すると、意外な事実に行きあたった。
ラインダンス(Line Dance)とは、ダンスフロアに整列し、全員が一斉に同じステップを踏むダンス。主にカントリー・ミュージックやポップスなどの曲で踊られることが多いが、音楽ジャンルに特に限定は無い。
また日本ではポンキッキーズという番組で知名度を上げている。本番組の場合では、主に小中学生の女子は椅子を一列に並べた状態で、ポンキッキーズれていた[ママ]曲や洋楽を流しながら座ったり立ったりしてラインダンスを行う形だった。それに加えて普通のダンスを混ぜて行う為に非常に難易度が高かったが、成功すると非常に見た目がよく、放送当時はこのダンスを学芸会や体育祭で取りあげる学校も多かった。
ひらけ! ポンキッキ!から視聴していた自分のような人間からすると非常に懐かしい。しかし、あの女子たちの踊りは確かに脚を上げるものではなかった。
それならば、あの踊りの名前は何か? 散々探し回った結果、次のことが分かった。横に並んで脚を上げる踊りはロケットダンスと呼ぶそうだ。なるほど、このキーワードで探すとたくさん見つかる。リンクが多いと投稿できないので、冒頭のhを抜く。
ttps://www.youtube.com/watch?v=4i7y6XE7sz8
ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm31659056
ttps://www.youtube.com/watch?v=fVewBno93RA&list=RDfVewBno93RA&start_radio=1&t=137
名称は、米国のダンスカンパニーロケッツからだろうか?(後ろの男性諸君の笑顔がいい)
ロケッツは、1925年にセントルイスで、「ミズーリ・ロケッツ (Missouri Rockets)」として結成された。創設者のラッセル・マーカートは、1922年にブロードウェイの「ジーグフェルド・フォリーズ」で見た「the John Tiller Girls」(英国のダンス・グループ)にヒントを得て、「もし、もっと背が高くてもっと脚が長いアメリカ人の女の子たちに、複雑なタップダンスと目の高さのハイキックをさせることができたら...イチコロだ!」と確信した。
だが、ここから名前が来ているとすれば、ラインダンスはフレンチ・カンカンではなくアメリカ起源ということになる。
第二次世界大戦終結後の1946年に、宝塚音楽舞踊学校を宝塚音楽学校と改称し、4月22日から宝塚大劇場で公演を再開した。再開第1作は『カルメン』『春のおどり』の二本立てで、大戦中に入団した計3期69名がラインダンスを披露した。
とある。ここまでは想像がついた。宝塚ではなく松竹のであるが、おおよそ同時代の写真がある。
1927年、岸田辰彌が欧米遊学から帰国。岸田はこの経験を活かして、日本初のレビュー『モン・パリ 〜吾が巴里よ!〜』を日本人の世界旅行記をテーマにして制作する。同年9月1日から上演され、画期的な内容で大ヒットを記録した。主題歌レコードがヒット、当時としては露出の高い豪華な衣装も話題となった。ラインダンスを初めて演目に取り入れ、16段ながら(現在は26段)大階段も登場した。以後、少女歌劇のレビューに欠かせないものとして定着する。
つまり、ラインダンスは1927年にまでさかのぼるのだ! 実際問題、当時としては露出の高いと書かれているが、それがどの程度かはよくわからない。ウィキペディアに写真はあるが不鮮明だからだ。歯がゆい!
しかし、1930年の「パリゼット」の写真はあった。確実なことは言えないが、ほぼレオタードだ。日本国内で初めてバレエが演じられたのは1911年の帝国劇場であり、レオタード的なものに対する抵抗は、わずかながらも減っていた可能性がある。
今まで、同じ少女歌劇団としてこの二者を併記したが、それぞれカラーは大きく異なる。長くなるが、「松竹歌劇団」の項から引用する。
宝塚歌劇との比較では、松竹歌劇の方がよりスピード感と大人の男性の嗜好(色香)を優先した演出を行っていた。これは片や下町の浅草、片や山の手の日比谷(東京宝塚劇場)という、両者が拠点とした土地柄の違いによるものともされるが、前述のように、東京松竹が発足する以前から、松竹レビューの基本要素には「エロティシズム」が含まれていた。青地晨は次のように述べている。「昔はズカファンにとっては松竹は下品でみられなかったし、SKDファンには宝塚は気取って鼻もちならなかった。だが、二派に分れてシノギを削るほど、本質的な違いはなかったにせよ、宝塚と松竹と、それぞれのカラアと伝統があったことはいうまでもない」。戦後の占領期には松竹・宝塚両方を取り上げる雑誌が複数刊行されており、ある程度観客層の重複もあったとみられるが、戦前からのファンには、両方を愛好するファンを「節操がない」と批判する向きもあったという。
こうした説を補強する、次のような画像がある。
1932年、松竹の「らぶ・ぱれいど」公演の様子。 明確にレオタードを確認できる。
スポーツ新聞ではラインダンスを撮影するとき、たいてい脚を上げているところを映しており、これってどうなのか、と思わなくもない。最近、女子スポーツの写真をことさら性的に撮影することを阻むため、JOCが対策に乗り出すことにしたそうだ。いいことだと思う。女性がスポーツを思い切り楽しむとともに、写真を撮る楽しみも守られるよう明確なガイドラインを望む。それと同時に、スポーツ新聞のこういうチアのアンスコばっかり撮っちゃう傾向にも一定の歯止めがあってしかるべきだろう。ついでにノーバン始球式という表現もギャグが滑っている気がする。
しかし、自分も同罪かもしれない。ある程度読んでもらうためにはタイトルを工夫せねばならず、レオタードで読者を釣ってしまっている。
上記の松竹歌劇団の動画が含まれているリストをたどっていると、驚くべきものを見つけた。
https://www.youtube.com/watch?v=BVKkNAf1ruI&list=RDfVewBno93RA/
なんと、1940年代にはすでにチアの見せパンのようなものが存在していた! こうなると、見せパンの歴史はサーカスの衣装などにまでその調査を広げないといけない。もっとも、これは見せパンなのかスカート付きレオタードなのか判然としない。一瞬お腹は見えてるけど……。
英語版ウィキペディアのshortの項には、bun huggers(ショーツみたいなブルマー)について次の記載があった。
In 2008 it was noted that the International Volleyball Federation used to require that female volleyball players wear such garments while playing.
なんと、ブルマータイプの衣装の強制が21世紀になっても行われていたのである。にわかには信じがたい。以前にはビーチバレーの衣装の強制について調べたが、問題はここにもあったのである。
さいわい、こうしたことは昨今になって改善され、好きなものを着ていいことになった。動きやすいようにショートパンツが多いが、ブルマーが強制されなくて本当に良かった。
僕はブルマーが好きだ。だが、強制は大嫌いだ。ブルマーが好きなら嫌がる女性にはかせて喜ぶなどもってのほかだ。
それとは別に「Short shorts」と呼ばれる短パンがあることも知った。自分が以前の記事で1930年の The Women’s League of Health And Beauty=The Woman’s League of Health and Beautyのブルマー風のものやナチス時代にブルマーにカウントしていたのはこれだったかもしれない。やはり写真だけではわからないことが多いが、念のため訂正しておく。ブルマーの世界的な分布についても、再考を要する。
今回は、フレンチ・カンカンへの興味から派生して、ラインダンスについて調べた。1930年代にまでさかのぼることが分かったが、それがフレンチ・カンカンからの影響を受けているとはっきり示すには至っていない。彼がパリにいたのは名高いMistinguettが活躍した時期のことで年代に矛盾はないが、証拠は不十分である。
また、追加調査により、ブルマーや見せパンの広がりの年代がかなりずれる可能性が見つかった。今後も調査に役立ちそうなキーワードが見つかり次第、記録していきたい。
演劇って、結構ニコニコ動画的だと思うんだけどな。拍手で88888888とやるのなんか。
ちなみに拍手で88888とコメントを打ち始めたのは、俺なんだけどw 堀江貴文とひろゆきの対談生放送の時。— Cubeべぇ。【世界を股に掛ける怪盗カルメンサンティエゴ】 (@tkskk) 2020年3月4日
正確には流用。当時、GyaO!がUSENにあった頃、GyaO!ジョッキーという動画生ラジオ放送があって、番組の最初と最後にコメント欄が「8888888888888」で埋め尽くされていた。初めて視聴したとき、意味が分からなかったが、しばらく考えていたら拍手の演出だと気がついた。それをニコニコ生放送でやった— Cubeべぇ。【世界を股に掛ける怪盗カルメンサンティエゴ】 (@tkskk) 2020年3月4日
ネットってこんなこと言うやつちょくちょくいるよね。「俺は駆け出しの頃のたけしに一杯奢ってやったんだよ」って真偽不明の武勇伝語るジジイみたいなもんだよね
別にカルメンだって、「それより昔のナニカ」に似てるだろうさ。
音楽もそうだが、物語も骨子だけ見れば、数種類にしか分類できない程度のものだよ。
当たり前だ。
知名度に恥じないだけのクオリティだと思う。
しかしまさか、あの作品の登場人物みたいなシチュエーションをリアルで体験することになろうとは・・・。
と言っても俺はエスカミーリョではない。それは別の人だ。
ルックスも育ちも悪くないのに、コミュ方面がとんでもなくウブだったり、仕事では男ばっかの組織で中堅の末席を汚してる所とかそっくり。
あと、俺もバラを貰ったら萎れてからも後生大事に取っておいてドヤ顔する人です。
ただ、出会った女の順番が逆だった。
最初のカルメンとは、少しばかりの火遊びから程なくして、ものの見事にフラれた。
当時はマジでオペラよろしく「昔は愛し合っていたじゃないか!」と憤ったものだ。
今はもう、そういう真剣さにはあまり意味がないことは分かってるけどね。
そして彼女はあっという間にエスカミーリョ氏とデキ婚してしまった。お幸せに。
以上、元カノの話は終わり。
そんな黒歴史的アバンチュール(?)から1年くらい経って、今カノのミカエラを知り合いから紹介された。
ただし青い服ではなく、長いストレートの黒髪がトレードマークだ。
この人とは慎ましいけど落ち着いた関係が続いていて、ゆくゆくは結婚したいと思ってる。
結果的に超シャイな彼女をこっちが一方的にリードし、時には「俺について来い」的ポーズを取ることもある感じ。
なので女性に情熱的刺激を求める男にとっては退屈でダルい人ということになると思う。
かくいう俺は刺激より安らぎが欲しいので助かってるけどね。
最近は「たぶんこの人となら大丈夫だろう」という、根拠のない信頼感を抱くようになった。
気持ちが燃え上がる代わりに、静かな喜びを味わっているというか。
まあでも先のことは誰にも分からない。
もし万が一、今の彼女とも上手く行かなくなったら、さっさと諦めた上で他の人を探すしかないだろう。
もちろん別れが辛くないと言えば嘘になる。
でも「彼女じゃなきゃダメなんだ」「彼女と絶対一緒になりたい!」みたいな童貞臭い思い入れは、現実の前ではとことん無力なのだ。
あーめんどくせ。
他にオペラネタといえば、さらに昔サロメばりに交際を迫られたこともあったっけ。
とにかく病的なくらい一途で、危ないくらい情熱的で怖かった。昔の彼氏に対してもそんな感じで付き合ってたのだろうか。
こちとら別に預言者でもなんでもないし、いきなり服脱ぎ出すとか、首を刎ねられた上にキスされるとかはなかったけど。
で、本当の所ホセなのかヨカナーンなのかについては、実はどちらでもなく、レイズナーのマンジェロということでとうの昔に結論が出ている。
つまり誰かと付き合うことでお互いの人生が変わることはあっても、持って生まれた非コミュでキモメンで変態な人間性は微塵も変わらないということですね。当たり前だけど。
あ、別に「マンジェロ系男子」や「マンジェロ系増田」を流行らそうみたいな意図はない。
それこそ「ネタが古過ぎて伝わらないモノマネ選手権」の世界だろう。
というわけで、レイズナーは別に見ても見なくてもいいから、カルメンだけは絶対に見とけ(あと余裕があればサロメも)と、ここまでの話を要約して締めることにする。
児童ポルノなど子どもの性的虐待の問題に取り組むNGO「国際エクパット(ECPAT)」の事務局長、カルメン・マドリナンさん=写真=がこのほど来日し、東京でセミナーを行った。
インターネットの普及やグローバル化で問題は深刻化しており、子どもを守る法の強化が必要と指摘した。
国際エクパット(本部・バンコク)は世界各地に拠点を持つ国際ネットワークで、児童買春などに反対する活動をいち早く始めた。児童保護の教育プログラムの専門家でもあるマドリナンさんは、警察庁のセミナーに続き、11月26日に国会内で開かれた与野党議員との会合に参加。児童ポルノの深刻な状況を報告した。
それによると、子どもの性的虐待の場面を写した児童ポルノ画像はネット上で増えており、〈1〉毎日約200の新しい画像が流布している〈2〉国際刑事警察機構が集めたネット上の画像で被害児童数は1万~10万人、その8割が6~12歳と推定される〈3〉より暴力的でより幼い子の画像が増える傾向がある――という。
また、英米加豪などの捜査機関が情報を分析した結果、ポルノ所持で逮捕された者の40%が子どもへの犯行を実行、15%が計画したことが明らかになったという。
「見る行為と犯罪の関連性がわかってきた。麻薬や銃と同様に、反社会的な使い方をされる危険性がある物は所持から禁止する必要がある。製造や流布の禁止だけでは十分ではない」とマドリナンさんは言う。
「表現の自由」の侵害が懸念されている点では、「多くの国で議論になったが、児童ポルノは重大な犯罪であり、まず子どもを守るのだと合意したうえで、各国とも両者のバランスをとる努力をしている」と紹介。「アニメやゲームなどの性的表現も『子どもを性的満足の道具にしている』という観点から、多くの国が処罰化を進めている」とし、日本での議論を促した。
セミナーに出席した国会議員からは「日本でも所持を禁止する法改正を急ぎたい」(民主党の小宮山洋子衆院議員)との発言があった。
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20091205-OYT8T00253.htm?from=yolsp
淀川長治がキネマ旬報年間ベスト10で最高点をつけた洋画のリスト
1950年 自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ)
1958年 白夜(ルキノ・ヴィスコンティ)
1961年 素晴らしい風船旅行(アルベール・ラモリス)
1965年 81/2(フェデリコ・フェリーニ)
1967年 欲望(ミケランジェロ・アントニオーニ)
1968年 2001年宇宙の旅(スタンリー・キューブリック)
1974年 フェリーニのアマルコルド(フェデリコ・フェリーニ)
1975年 ザッツ・エンターテインメント(ジャック・ヘイリー・Jr)
1976年 トリュフォーの思春期(フランソワ・トリュフォー)
1978年 家族の肖像(ルキノ・ヴィスコンティ)
1980年 ルードウィヒ/神々の黄昏(ルキノ・ヴィスコンティ)
1987年 グッドモーニング・バビロン!(タヴィアーニ兄弟)
1988年 ザ・デッド(ジョン・ヒューストン)
1989年 生きるべきか死ぬべきか(エルンスト・ルビッチ)
1990年 フィールド・オブ・ドリームス(フィル・アルデン・ロビンソン)
1991年 シェルタリング・スカイ(ベルナルド・ベルトルッチ)
1994年 オリーブの林をぬけて(アッバス・キアロスタミ)
何処かで不用意な発言をしてしまったがために回りが騒ぎ出す「炎上」が
倖田來未の一件でネットだけでなくリアル社会にも蔓延している様な気がするんだけど
(マスコミ経由の炎上は綺麗な炎上と抜かすわけじゃあるまいな?)、
昔のネット黎明期の頃はもっと酷かったと言うか、あの頃の個人のWebサイトは日記でバカを晒し(誇張も含む)
それを紹介すると言うのが一種のパターンだったんだけど、かつてクソゲーハンターとして名をはせていた
ABCこと阿部広樹氏(以下ABC氏)は自分に合わないものは何でもこき下ろしまくってて、センチメンタルグラフティを巡る騒動は
当時ギャルゲーハードと化していたサターンのメガドラ回帰を望んだセガ信者(と言うかセガ研究会)を巻き込んだ事で
有名なんだけど(※1)、そんな彼の日記の中に友人(記憶だとカルメン伊藤氏)からどうみても絵を始めたばかりの
今思えばスルー扱いの絵描きサイトを晒して大炎上と言う事態になった、あの騒ぎは結構大きな騒ぎで結局はABC本人が
そのサイトの掲示板に出てきて説明して収束したように記憶している。今思うと批判とはけ口が半ばバーストした感じの今の炎上と
違って、あの頃の炎上は気に入らないのものはとにかくこき下ろそうぜ、と言う感じ半ばリンチに近い状況だった様な気がする。
※1 センチメンタルグラフティは大きく値崩れしてギャルゲー史の汚点と言う称号を与える事ができたが、後のシスタープリンセス以降が良い様にABC氏が激しく嫌悪してきた「萌え」もしくは「キャラ萌え」のムーヴメントは止められなかったし、残酷ゲームにいたってはGTA3で流れが出来ると思ったら神奈川県の有害図書問題で大きく減速した感じがある。今、ABC氏がここを覗いているなら(無いと思うけど)今の状況ををどう思ってるのか聞いてみたい。