鈴木大介氏の著作『最貧困女子』(幻冬舎新書、ISBN-13: 978-4344983618)を読みました。
売春などを生業としつつ、風俗の世界からも、福祉からもの世界からも排除されている女性たちに関する本です。
もちろん、現在のことを書いた本です。
感想を書こうと思ったら、ぜんぜん指が進まない。
読んだ直後はそうでもなくって、スラッと書けると思ってました。
何がそうさせたのか?
それは、たぶん全編に渡って通奏低音にように響く、著者である鈴木大介氏の絶叫ではないかと思います。
”本音を言えばルポライターとしての僕の心情は、もう限界だ。”(p.210)
当事者である女性たちに共感するのではなく、彼女たちのことを、見てしまった者、知ってしまった者としての苦しみが吐露されていました。
自分自身、短い間でしたが、かつて風俗業界の周辺で働いていたことがありました。
そして、どこでも、あっと言う間に「適応」という名の心の麻痺を完了させました。
風俗の世界で、絶え間ない選別が行われていることを知っています。
障害者福祉の世界で、それまでの生活の中で培ってしまった「面倒くささ」ゆえに居場所が見つけられない人を知っています。
そのことに対して、「そういうもの」と思ってしまった自分がいます。
仕事をしてお金をもらうため、そんな自分を維持するための防御として。
本の全編に渡る絶叫は、鈴木氏の「適応」しないぞ、という叫びのように思えました。
とはいえ、本の記述は決して感傷的ではなくあくまでロジカルです。
ロジカルでないと、見えなくなってしまうのが、最貧困女子だからです。
幼少期には、家庭からはじき出され、それと連動して児童福祉から「見捨てられ」、
少女期には、地元の女子グループからはじき出され、何より地元からはじき出され、
そんな絶え間ない選別と排除の結果、最貧困女子が生まれていると、鈴木氏は書きます。
丁寧に記述することで、鈴木氏は「でもそれって自己責任でしょ」というエクスキューズを封じているように思えました。
自己責任論は、ありとあらゆる立場から発せられていて、そのひとつでも「あり」としてしまえば、最貧困女子の存在が見えなくなってしまう。
個人的に読んでいて辛くなったところは、彼女たちの成功体験と失敗体験についてのところでした。
失敗体験の話からいきましょう。
”だが問題は、その補導時の対応だ。基本的に、警察の少年課や地域の少年補導員、児童相談所などは、万引き少年少女の補導時には親や施設の先生などの保護者を呼び出すという、杓子定規の対応しかしないことがほとんどだ。確かに少しは話を聞いてくれるから、少女としても、『この人は頼れるかも』と淡い期待を抱くが、最終的な対応である『保護者の呼び出し』『虐待する親のいる家や居心地の悪い施設への送還』は、彼女らにとっての裏切り行為となる。これがいけない。”(p.88-89)
緊急的に福祉の対象となるべき状況にあるにもかかわらず、当事者自身が、頑なに福祉による救済を拒否する心情の根底には、上記のような幼い時期の失敗体験(福祉や行政は助けてくれない)が横たわっている。
失敗体験は、強力に刷り込まれて、福祉による救済への反発力として働きます。
次に成功体験です。
家と地元からはじき出された女の子は、路上に出ます。さしあたって必要なものは、毎夜の安全で温かい寝場所(居場所)です。
それを与えてくれる人間は、まず第一に買う男であり、風俗のスカウトであり、アウトローなセックスワークの関係者たち。
(ああ、また書くのが辛くなってきた。)
彼女たちが、そういう方法で居場所を確保できたことは、成功体験となります。
失敗体験と同様に、成功体験も、強力に刷り込まれて、肉体と尊厳を犠牲としてその日その日をやり過ごすことへの親和力として働きます。
ただし、その対価の価値が「若い女だったから」に過ぎないので、年齢を重ねたり、さらに若い女性が現れて相対的な若さを失ったりすることで、簡単に崩壊してしまうものです。
障害者福祉、特に就労支援の世界で、よく言葉にするのが、まさに成功体験と失敗体験です。
社会に出たことのない人や、何らかの事情で社会からはじき出された人に対して、自信と経験を身につけてもらう方法として、とにかく小さいことから成功体験を積み重ねるということをします。
それを繰り返すことで、社会へ出る(戻る)ための基礎体力をつけてもらいます。
とはいえ、本当にそれがいいのかどうかは、当人にしかわかりません。
支援する側として、この手法ですら相手によっては押し付けではないかと思ってしまうこともあります。
彼女たちのケースに目を通すと、成功体験と失敗体験は、(それが外野の人間が望んでいるベクトルと正反対だったとしても)やはり強烈に人の心に作用するものだと、図らずも証明されてしまったような気がしました。
この本で鈴木氏は、後半で風俗やセックスワークで働く女性を分類し、状況を少しでも改善するための方策を提案しています。
幼少期には、子供たちが、夜でも居ることができて、ご飯が食べれて、ゲームができて、年長者になってもウザくならない(重要!)、シンプルに「居たくなる居場所」を作ること。
思春期には、街で出てしまった少女たちを「家に帰す」に終始することのない、「『少女自身による独立』への意思」を尊重した支援を行うこと。
また、少女たちが恋愛に依存しやすいことを肯定して、自爆的な失敗をしない恋愛ができるような「恋活」の重要性。
そして、それら全てを踏まえた上で、支援の制度が整わない間の、苦肉の策としての「セックスワークの脱犯罪化・正常化・社会化」。鈴木氏は、本文中で、明確に未成年者のセックスワークを「非人道的」と否定しているので、まさに苦肉の策として提案しています。
そして鈴木氏は、これらの提案を、専門家でもない一介の記者が考えた稚拙な提案と、何度も何度も前置きしながら書いているのです。
その前置きの中からも、冒頭に書いた鈴木氏の絶叫が聞こえてくるようです。
配偶者控除なくして、パートタイマーの賃金あげるような動きが必要。 今のパートタイマー主婦は旦那の稼ぎがあるから「配偶者控除あるし130万円でいいや」って人おおすぎ。なので女...
元増田の言う本に出てくるような、親からも仲間からも社会からも見捨てられた未成年の少女は パートタイマーとしてすら働けるわけがないだろうに。 内容なんぞろくすっぽ読まず、た...
良い文章だなぁ。増田の意見も聴きたい。
親との折り合いがつかないのなんて女子に限らず男子も同数いるはずなんだが、 そこに全く焦点が当てられていないどころか本のタイトルからして完全無視されてるのが気になる。