はてなキーワード: 事実検証とは
“それは理解のない職場や学校や実家や親類の前など、出生時割当ての性別のフリをしなければならないところで不本意にそうさせられているだけのふつーのトランスであって、その原因の一端はやっぱりお前ら差別者なんですよ”
“これは判決を全く読んでいないか読み取る力がないかのどちらか。そういう判決ではない。”
“トランスヘイターの人が考えた言葉が「事実」として広まっていく過程が観測できて恐ろしいよ。”
“場面的トランスジェンダーなんてどこの誰かもわからない匿名垢がいきなり出した言葉にいとも簡単に踊らされている、集団心理の怖さ。事実検証なんてどうでもいいんだろうね、面白おかしく刺激を求めて騒げれば。”
“「ジェンダーフルイド」(gender fluid) は、外的要因で性自認が動かされることであり本人の都合よく性自認は変化しない。”
結構何かといろんな炎上騒動を起こして結局叩かれまくった末に引退したんだけど、
「双葉ちゃんねるや2ch(5ch)やニコニコ等に存在したほとんどの荒らしやクソコテは全員この鋼兵と同一人物だった!」
「彼は膨大な予算をかけて全国各地のプロバイダーと契約して数百のクソコテ名義・回線を使い分けまくって日本のネット中を同時多発的に荒らし工作していた!」
っていう変な陰謀論な妄想をこじつけられてて、現役時代に炎上騒動でヘイト溜めてた頃とはまた別の種類の変な人に粘着されてる感じなんだよね。
統失が鋼兵のニコニコ大百科記事を好き放題に書き換えたせいで現実に起こった炎上騒動と荒唐無稽な妄想がごっちゃ混ぜになっためちゃくちゃな記事になっちゃってて、
それどころか昔から普通に活動してるゲハの古参クソコテやふたばの荒らしの大百科記事にもソレが湧いちゃって
「○○の正体は実は歌い手鋼兵だった!」「引きこもりゲーマーを装いつつ裏ではニコニコで歌い手活動をしていた!」みたいな妄想記述を各所にバラ撒いてて、
他の大百科のユーザーからすると状況は大体察しててそんな妄想誰一人として信じてない感じなんだけど、
問題なのは妄想バラ撒きマンとそれを修正する一般ユーザーとで編集合戦が起こった際、
あろうことかニコニコ大百科の運営って高確率で妄想バラ撒きマン側の修正内容の状態にしてから編集ロックかけちゃってるっぽいんだよね。
理由としては「統失が意味不明なことをゴネてる=傍から見ると満場一致でない状態で独断で記事が編集されたように見えるから」ってことみたいなんだけど、なんだかなぁって。
特に鋼兵の大百科記事なんか長年妄想記事の状態で編集ロックされてるから紐づく掲示板では運営に対する不平だらけで、
過去ログ見る限り「この記事内容について完全な虚偽の状態で編集ロックかけられている、どうにかならない?」みたいな問い合わせは何度も何度もいろんな人が運営にしてるみたいなんだけど、全て「個別の案件は対応しない」の一点張りらしい。
まあ匿名で活動してる人に関する炎上騒動の事実関係がどうだのなんてさら第三者の企業には判別するのは難しいんだろうけどなぁ。。。このレベルの奴が弾けないのはいくらなんでも自浄作用がなさすぎじゃない?
Qアノンって大統領選という重大ニュースと絡む話だからちゃんと事実検証が行われてデマはデマとして顕在化してるけど、
実際ネット上の炎上騒動や5chの歴史まとめなんて全容把握してる人が少ない分Qアノン以上の荒唐無稽な妄想だらけなのかもね。って思った話。
https://anond.hatelabo.jp/20210204104014
フェミニズムの愛すべき要素の一つに、共感や連帯を大切にするという価値観がある。誰かが泣いている時、証拠や事実検証は、大抵役に立たない。いの一番に、「私もあなたのために怒りたい」と表明し、それを実行しなければ社会は変わらないのだと、痛い目に遭いながら学んできた。これはフェミニズム界隈を通底するルールだ。誰かが被害を表明すれば、ただちに飛んでいって守り合う。客観的なデータに基づく結論は、提示するのに時間がかかるし決まって歯切れが悪い。だからスピードと攻撃力が高い「お前は差別主義者だ。私は傷ついた」と言い切る思い切りが習慣になる。
多分、Twitterがなければもうちょいまともだったんじゃないかね。
収入、学歴、容姿。共感で駆動するフェミニズムは、これら男性のステータスに対してどこまでもプリミティブな接し方をする界隈だ。フェミニズムが世間を席巻し、プレイヤーの絶対数が増えるにつれ状況は悪くなっている。
これも、結局「フェミニストの中で力を持った(フォロワー数が多い人間)」が、実は従来通りの男社会のコードに合わせるタイプの人間だったから、だよね。
お前ら深く考えずに回ってきた発言をRTしまくるからダメなんだよ。
古い世代の連中より高潔でありたいと、いつも願っていた。けれど蓋を開けてみれば、力不足ゆえに無害なだけだった。体に染み付いた被害者意識は、私たちがいじめ行為に至る際の非道な言い訳と成り果てた。
別にそこまで言わんでもいいじゃん。
今の過剰な力を放棄すればいいだけよ。
15歳のとき、ベル・フックスの「フェミニズムはみんなのもの―情熱の政治学」を読み、それが私のバイブルになった。そこに書いてあったフェミニズムの説明を読んだだけで、それが世界を変えるとわかった。地元の図書館にかろうじてあったフェミニズム書籍コーナーに潜り込むや否や、 牟田一恵や田嶋陽子の世界に浸りこんだ。私が進学先の大学を選んだ理由は、その時すでにTwitterで名を馳せていた北村紗衣先生が教鞭をとっていたからだし、ジェンダー論の授業があるからだった。大学を出て最初についた仕事では社内セクハラの撲滅に従事し、プライベートでもTwitterや消費者運動を通じて、男女差別と戦ってきた。ほぼ十年、このために使った時間は知れない。
何が言いたいかというと、フェミニストを名乗れる人間がいるとしたらそれは自分だということ。九州の田舎で育った孤独なティーンエイジャーにとって、フェミニストの冒険譚を読むのは震えんばかりの興奮だったし、目を見開かされる思いだった。周囲にこんな人は見た事がなかったけれど、ネットを通して自分と似たような人が他にいるとわかって希望が生まれた。大学に通い始めてからは、フェミニストでいることにひねくれたプライドをもつ人を他にも何人か発見した。けれどそれはまだ珍しかったし、社会の主流な考え方からはすっかり外れていた。だから、なぜせっかくそれなりの企業に就職した自分が、社内恋愛の末の寿退社ではなく、男受けの悪い反セクハラ活動に血道を上げているのか、誰も本当にはわかっていなかったし、私はフェミニストだと言うと、ほとんどの人が眉をしかめた。月日を経て、私は同じ志を持つ仲間の輪を少しずつ広げた。職場、教育、そしてマンガアニメなどの趣味の世界。それぞれの世界で活動する私たちを、フェミニズムが互いに引き寄せた。そんな仲間の助けがあったから生き延びる事が出来た。けれど仲間を探すのは難しかった。私たちはまだ、社会の中で傍流だったのだ。
でもこの十年、状況は様変わりした。映画やドラマはフェミニズムに則って制作されるのが当たり前になった。アナ雪や逃げ恥を通じフェミニズムは恥ずかしがらずに誰もが楽しめるものになった。
そして、たぶん一番重要なのは、今やフェミニストはカネを、そして権力や地位をも持っているということだろう。世界で一番大きな、そして一番勢い良く成長している企業は女性に配慮し、女性を雇っている。日本の大企業や省庁も女性差別をやめ敬意を示すようになった。強い女性はかっこいい。私たちは勝ったのだ。
そして、そこに問題がある。私たちは未だに自分達が反乱軍かのように振る舞っているけれど、今やフェミニズムは帝国だ。十年前までは私たちはおおむね正しく、批判は的外れで間違っていた。だから他人に耳を貸さない私たちの習性は深く根付いている。それどころか、フェミニストに向けられた批判をスクラムを組んでやりかえすのが絆を深めるためのちょっとしあ儀式になってすらいる。今までは誰かの批判を攻撃するのも、かつては大したことではなかった。一握りのフェミニズムに親和的な人以外にそうした論考が読まれる事はなったからだ。そんな内なる声も、今や大きな問題になっている。フェミニストが本当の権力を振りかざしているからだ。キズナアイやラブライブのポスターへの攻撃、宇崎ちゃんのポスターにまつわる献血ボイコットは、フェミニストの私にとって恥ずべき出来事だった。けれど恐ろしいのは、その暴力的な振る舞いが、フェミニスト界隈に常在する何かと同じ感じがすることだ。それでいいという空気があることだ。ただ驚くしかない。その空気はあっという間に、誰かが大切に育ててきた営みを、無造作に叩き潰すほどに膨張した。ファミリーマートのような主流の大企業ですら、私たちの突きつけた理不尽な圧力に巻き込まれている。今や私たちは、「自分を反乱軍だと思い込んでる帝国軍」なのだ。
だから「日本は未だ後進的な男性社会で、私たちフェミニストはそれに反抗するレジスタンスであり、いつの日か勝利するだろう」みたいな、フェミニスト界隈の通奏低音はすごく違う感じがする。たしかに私たち女性は、かつては家父長制にいじめられたり、大企業に無視されたりしていた。でもそれは、私たちにカネも力も無かった頃の話だ。今や私たちには権力があり、日本の資本主義社会は私たちを標的にするのではなく仲間とみなすのにやぶさかでない。20年前の男性社会は私たちをお茶くみや家庭に押し込めようとしていたけれど、今や私たちが仕事に学術に家庭に多くの選択肢を持つ一方で、文句も言わずに黙々と経済的な後ろ盾になってくれている。
フェミニズムの愛すべき要素の一つに、共感や連帯を大切にするという価値観がある。誰かが泣いている時、証拠や事実検証は、大抵役に立たない。いの一番に、「私もあなたのために怒りたい」と表明し、それを実行しなければ社会は変わらないのだと、痛い目に遭いながら学んできた。これはフェミニズム界隈を通底するルールだ。誰かが被害を表明すれば、ただちに飛んでいって守り合う。客観的なデータに基づく結論は、提示するのに時間がかかるし決まって歯切れが悪い。だからスピードと攻撃力が高い「お前は差別主義者だ。私は傷ついた」と言い切る思い切りが習慣になる。
なのに、フェミニストが自分たちの共感の埒外にある人々へ示す冷酷さには、思わず目を丸くしてしまう。知りうるほとんど全てのフェミニストが、自分より年収の低い男性や、性的魅力に乏しくオタク文化に逃げている(と見なしている)男性を嘲笑し、あるいはそういった言説を窘めもしない。逆に高学歴、高収入な男性や、容姿に優れるなど性的魅力が豊富なタイプは、あらゆるレトリックを用いて養護し、倫理的なお墨付きを与える。収入、学歴、容姿。共感で駆動するフェミニズムは、これら男性のステータスに対してどこまでもプリミティブな接し方をする界隈だ。フェミニズムが世間を席巻し、プレイヤーの絶対数が増えるにつれ状況は悪くなっている。
解決策を知っているというつもりはない。けれどどこかで何かが間違っていると意識することはできる。現に私より若い世代では、女性たちの間ですらフェミニズムへの忌避感が広がっていると感じている。しかし私たち現役フェミニストは、フェミニズムを忌避する女性に対してどんな態度をとってきただろう?ここで口にするのも憚られる、卑劣な言葉を投げつけては、仲間内での連帯を高めてきたのではないか?こう想像するのはおかしな事だろうか――この深く根付いたクソっぷりが、若い世代を遠ざけているのでは?
あたりを見回すと、私たちが育ててきたフェミニズムが、自由への革命から威圧的な権力へと姿を変えたのがわかる。私たちは確かに素晴らしいものを生み出した。けれど私たちは不注意で、普通の人々を傷つけないための安全策を怠った。私たちは不注意で、未来のフェミニストたる多くの若者たちを成長の各段階で追い出してしまった。私たちは不注意で、世界をアップデートしたとき失うものがある人を気にかけなかった。いい目を見る人のことをだけを考えていた。(だいたい自分達のような人々だ。)
古い世代の連中より高潔でありたいと、いつも願っていた。けれど蓋を開けてみれば、力不足ゆえに無害なだけだった。体に染み付いた被害者意識は、私たちがいじめ行為に至る際の非道な言い訳と成り果てた。
だから言いたい。フェミニズムは終わりにしよう。フェミニズムは素晴らしいことを色々してきたけれど、今のフェミニズムは歪んだ復讐心と暴力衝動に駆り立てられる怪物だ。まともな答えは、これを終わらせてもっと良い何かを作り出すことしかない。
もっと良い何かとはどんなものだろう?私たちが攻撃したラブライブには希望を感じる。私たちが巻き込むのに失敗した若い世代の女性をはじめから取り込んでいるからだ。どんな未来が来るにせよ、私たちは良き人物になることを重視する必要がある。今までよりずっと。
弱さへの憎悪と、強いものへの阿諛追従は終わらせなければいけない。これはフェミニズムとあまりにくっつきすぎている。だからこの星からフェミニズムを消し去るしか、確かな方法はないと思う。
ファクトチェック(英: fact checking)とは、情報の正確性・妥当性を検証する行為。事実検証または事実確認とも呼ばれる。
……ということなのだが、この「ファクトチェック」なる言葉をカテゴリタイトルにして投稿してる奴はなんというか、うん、タイトル通りだね、意図がわからない
延々と「~~~~ってマ?」と意味不明で意図不明なダジャレもどきを言う、笑えないスベリ芸人だ
冷静に考えてもそんな事実ねえよ、お前がチェックしているものはなんだ、自分のアレさか
ちなみにコレは個人的な恨みだが、藤原啓治さんが亡くなった際に「トニー・スタークが自ら犠牲にしてコロナウイルスに立ち向かったってマ?」みたいなネタ書いたのだけは許さない
インターネットで見かけるけど現実でもたまにいる「頑固バカ」の特徴
・自陣と他陣に分けて考え、他陣がひたすら憎い
・他陣を持ち上げるやつも憎い
・他陣に言い負かされるのが悔しくてたまらない
・他陣の悪い部分を強調して喧伝する
大体これだけで説明できる
地頭が良くても事実検証や論理展開や議論というのは非常に難しいので、この状態から脱することはできない
でも10人居たら7人くらいは、白か黒かのようなハッキリした自体ではないと気づくのでこの状態に陥らない
(単に何も考えてない人も含まれるが)
何の因子で陥るかどうかはまだよく解っていない
一つ分かっていることは
「今まで常識だと思ってたことを裏切る情報が出てきたときそうなりがち」というものが有ると思う
これ何か名前ツイてないの?
自陣が好きで他陣アンチになるケースと
他陣が嫌いで自陣に寄るケースが見受けられる
あの人達は「被害内容」も「解決と見なすハードル」もメチャクチャ高く設定してるンよ。
「20万人がさらわれて性奴隷にされて敗戦時は虐殺されて私は辛くも逃れた生き残り」とか
「(慰安婦にしては若すぎるのは)1950年以降まで慰安婦やらされてたから」とか
・日本人慰安婦のほうがずっと多かった
・安くない給料もらってた
・強制連行は嘘
これについては日本人も悪いんだよ。
後から「間違いでした」」「誤報でした」「わざとやったんじゃなくあくまで誤報です」
「誰もが誤報と気づける状況になってから数十年認めなかっただけです」
とか言っていま朝日新聞はじめ無責任な日本メディアが逃げてるわけだけど
日本人が
ってサインを送り続けて
それを受けた挺隊協のような民間団体も気を大きくして
みんなでどんだけハシゴ外すねんて話だよ。