はてなキーワード: 敬称略とは
プフィールとかハーブピーリングとかフォーとかでおなじみのアレ
(以下敬称略)
浅乃ハルミ
https://www.instagram.com/p/CBDX8GanbDS/
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https://twitter.com/kawai_asuna/status/1259988145149374464
南キカ
https://www.instagram.com/p/CAEb8YbpTWx/
りっきゅん
https://twitter.com/riku_cos_9/status/1269917289047920640
sami 吃吃
https://www.instagram.com/p/CBDHmwXH7LY/
おはちか
https://twitter.com/ichika33333/status/1126765017418698753
あと数人いるけども疲れたのでここまで
○祝福派
・はてブ
○中立
・なんJ(5ch)
○アンチ
・ヤフコメ
・ニュー速(5ch)
・ニュー速+(5ch)
・嫌儲(5ch)
・なんJ(5ch)
・爆サイ
ざっと見てきただけだけどこんな具合で、はてブとなんJ以外はほぼ眞子さま小室さん(以下敬称略)叩き一色。
ご存知ヤフコメがひどいのは言うまでもないが、
他の多くの掲示板も同様に誹謗中傷が並ぶばかりで掲示板ごとの特色のようなものはあまり感じられず。
中立と位置付けたなんJは眞子小室自体にはあまり感心がなく、騒動を祭りのネタとして扱っているという印象。
『文學界』2021年9月号に掲載された桜庭一樹「少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞の文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。
この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章を投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者の見解が掲載された。
この記事では総括として、両者の見解を検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭と鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリーの仕様でURLの掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。
両者の主張は、以下のように整理できるだろう。
桜庭:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。
鴻巣:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。
桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈の自由〟を奪」うことを挙げている。
一方で鴻巣は自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説の可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。
では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである。
鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品の創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である。文学の解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分が想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないのである。解釈は批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである。
鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解の文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣は見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。
繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ。私小説もフィクションだからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣が誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。
繰り返しになりますが、
「作品からの読み、想像であり、実際のテキストには書かれていないストーリーを、主観的な読みではなく実際にそう書かれていたように紹介する」
のは一線を超えていると思ったのです。
作者だからではなく、他の方の本でも同じように疑問を持ったと思います。
(この部分です) pic.twitter.com/vFmVBO6fhC— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
いえ、また繰り返しになりますが、どう評しても自由とは言っておらず、
「読まれ方は自由だが、実際の描写にはないストーリーを、読み、想像で考えたとき、それを主観的な解釈として書くのはよいが、実際にそう書かれていたように客観的事実として書くのは一線を超えている」
と考えています。(続)— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。
この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授の日比嘉高(モデル小説研究のフロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在の人物をモデルに』と事実に立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実の事実」の問題を切り分けている。
この記事でご紹介いただいたのですが、わたしの原稿に〝介護中の虐/待〟は書かれておらず、またそのような事実もありません。わたしの書き方がわかりづらかったのかもしれず、その場合は申しわけありません。影響の大きな媒体であり、とても心配です。否定させてください。https://t.co/HdC6Cb8g7b— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 24, 2021
(強調は引用者)また今回は「自伝的随想」としてご紹介くださったこともあり、登場人物を離れ、実在の家族に言われなき誤解が降りかかることを危惧したため、わたしはこのように必死になって訂正をお願いすることになりました。それは確かに、評者の方には関わりのない事情ではありますが…(続) pic.twitter.com/8rixc3Ot4c— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
桜庭の実存にとって「現実の事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭はあくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである。飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家の動機ではなく、作家の根拠にフォーカスするべきである。この記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。
とはいえ、桜庭の見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。
今回の一件に際して、文芸時評の不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭もツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣も見解において「批評」という言葉を用いている。
だが、文芸時評は批評でしかないのだろうか? 文芸時評は英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル的特性があるのではないか?
文芸時評が新聞という巨大メディアに掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭は見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり、文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。
文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭は新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷の鳥取で一人暮らす実在の老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実の現象のレベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか?
以上の論点を踏まえて、時評担当者の見解を検討することもできるだろう。
桜庭の見解は冒頭、「私の自伝的な小説『少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身や夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家の藤田直哉が端的に指摘しているのでツイートを引用しよう。
「夫婦が深く愛し合っていたかどうか」を確定する根拠は、虐/待があったかどうかを確定する根拠と同じぐらい、作品のテクストにはないのではないかな。母親がそう言っている、語り手がそう推測したようだ、というところまでは書いてあるが、しかしそれが「作中の事実」かどうかはサスペンドじゃないかな— 藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 (@naoya_fujita) September 7, 2021
つまり、あらすじに書いてよいのは、「作中の事実」であるべきではないか? 今回であれば、あくまで一人の人物の視点に立って、「私の自伝的な小説『少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか。言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列がテクストに書いてあるとはいえ作中人物の「主観的解釈」なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか。
あるいは、そもそも「事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分は幸せだと信じ込みながらオンラインサロンの主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せな生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せは事実ではなく評価だからだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか?
最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。
「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」(https://anond.hatelabo.jp/20210826203711)の著者です。
非本質的な、《誤読か否か》を議論するコメントが依然として多いので、記事を改めて補論を書きます(文中敬称略)。
元の記事では鴻巣の意見から矛盾を示すために使ったまでで、「解釈」という言葉を本文で一切用いずとも問題を整理できるし、他にも鴻巣の矛盾を指摘できるのでそうします。
「作中に描写がないこと」を「作品に書いてあるかのように読める断定で書いた」こと
である。
そしてこの点について鴻巣はスルー、もしくは無理筋の意見を出しているのみである。
①27日13時39分
いえ、また繰り返しになりますが、どう評しても自由とは言っておらず、
「読まれ方は自由だが、実際の描写にはないストーリーを、読み、想像で考えたとき、それを主観的な解釈として書くのはよいが、実際にそう書かれていたように客観的事実として書くのは一線を超えている」
と考えています。(続)— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
②27日16時43分
繰り返しになりますが、そういった解釈の豊かさ、多様性が大切である一方、今回の
「直接描写されていないことがあたかも書かれているように掲載されてしまった」
は異なる問題だと思います。
ここは、どうも平行線で、同じやり取りをずっと繰り返しているので、そろそろやめたほうがよいかなと。— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
桜庭自身は鴻巣との対話をやめたが、外野はこの点について把握しておくべきであろう。
Aさんが重病にかかり、病院のICUにいる描写がある。
場面が転換して、葬儀のシーンになり、棺が運ばれていく。
Aさんの友人が泣いている。
「Aは死んだ」という明示的な記述はなくても、「死んだ」と理解する合理的な理由があります。
あらすじとして「Aは亡くなり……」と書くのはNGでしょうか?— 🐈🦔鴻巣友季子(『翻訳教室 はじめの一歩』(ちくま文庫)) (@yukikonosu) August 27, 2021
このツイートが議論として成立するためには、「描写がある」「明示的な記述はなく」という仮定は客観性を持たねばならない。「主張が正しいか」という検討以前の条件である。
よって鴻巣は、桜庭が言う「直接描写されていないこと」は、主観ではなく客観としなければならない。
④27日11時6分
なにが作中に有り、なにが無いか、その判断もまた作者桜庭さんの主観にすぎない、ということはお分かりいただけないでしょうか。つまり、あるひとりの読者=作者の主観だということです。「読解の自由」はお認めになると。それは作中になにが書かれているかを決める自由でもあるのではないでしょうか。— 🐈🦔鴻巣友季子(『翻訳教室 はじめの一歩』(ちくま文庫)) (@yukikonosu) August 27, 2021
お分かりいただけただろうか?
鴻巣は桜庭の言う「直接描写されていないこと」を「なに」という言葉に置き換え、「あるひとりの読者=作者の主観だ」としている。この矛盾について解決しない限り、鴻巣の意見は無理筋であり、鴻巣は桜庭と議論する土俵にも立てない。
なお、鴻巣は主張が成立しないのだから、厳密には「平行線」ですらないだろう。
テクストに「ない」ことを「ある」かのように書いた(ことが検証できる)あらすじなどという珍妙なものを読む機会がないので、そのようなあらすじを目にしたのちにいざ対象のテクストを読み始めた者がどう反応するのか、筆者には確たることは言えないが、あらすじに書かれた鴻巣の解釈だけを前提とし、桜庭の提示した(あるいは以下で私が説得的に示す「真っ当な」)解釈に思い至りもしない、という可能性はあるだろうと考える。
それは「読み」が閉ざされたことを意味する。なお、「どこかでおかしいとわかるはずなのでそうはならない」と言うのであれば鴻巣の書いたあらすじが頓珍漢だと認めることになる。
また、鴻巣はEvernoteでは「作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいことです」と述べていたが、「むずかしいこと」ではなく「不可能な」ことにすり替わってしまった。
たいへん明快なご解説を拝読しました。今回、作者は「あらすじと解釈の分離」という一点に要請を収斂されました。仰る通りそれ自体は不可能なのですが、「読む」という行為この根本的なことが、意外にも一般に理解されにくいようなのです。— 🐈🦔鴻巣友季子(『翻訳教室 はじめの一歩』(ちくま文庫)) (@yukikonosu) August 27, 2021
こうしたすり替えをわざとやっているのであれば大した度胸だと感心する。同時に、不誠実な書き手だと評価する。
ついでなので、鴻巣の読解が「曲解」であることも示します。(「誤読」とは言いません。桜庭が使わないので。)
不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞くと、母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた。離婚の話が出たことなど具体例を挙げてみるが、「そうだったっけ?」と不審げになる。それから急に目を光らせ、「人の記憶って、その人によって違うね?」と言った。
瞬間、母とわたしが同じ過去の〝ある時〟……七年前に最後に会った時のことを思いだしているとわかったが、いま対立するのは不毛だと、「ふーん……?」と目をそらした。
それから、
「もしかしたら、病気になる前は、お互いに向きあってたから性格や考え方がちがいすぎてぶつかってたんじゃない? この二十年は病気という敵と一緒に戦っていて、関係が変わったとか」
と言ってみると、母ははっと息を呑み、「そう、その通りだ」と大きくうなずいた。
(桜庭一樹「少女を埋める」https://note.com/sakuraba_kazuki/n/ne3b7aa29cd58)
「不仲だったころ」は「病気になる前は、お互いに向きあってたから性格や考え方がちがいすぎてぶつかってた」を指すのではなく、介護していた「この二十年」を指すというのが鴻巣の読解です。
この読解を支持できる方は根拠をつけて教えてください。「病気になる前」であるという解釈をあえて却下する理由込みで。
なお、この点についてのツイートを鴻巣はなぜか削除していますが、ツイートはこちら(https://twitter.com/maffumi/status/1431506303784943616?s=20)へのリプライの形でした。(スクリーンショットを見たければTwitterに上げても「私は」構いません。)
さて、(桜庭も言及している)「母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた」に呼応する、
いよいよ蓋を閉めるというときになって、母がお棺に顔を寄せ、「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」と涙声で語りかけ始めた。「お父さん、ほんとにほんとにごめんなさい……」と繰り返す声を、ぼんやり寄りのポーカーフェイスで黙って聞いていた。
内心、(覚えてたのか……)と思った。
(Ibid.)
の「内心、(覚えてたのか……)と思った」も、「不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞」いたのも、「もしかしたら、病気になる前は、お互いに向きあってたから性格や考え方がちがいすぎてぶつかってたんじゃない?」と言ったのも、すべて〈わたし〉なので、「不仲だったころ」をいつとするかによって、母が「お父さんを虐めた」のがいつだったと〈わたし〉が考えているかも決まる(と考えるのが普通だと思いますがどうですか?)。
当然のことですが念のため言っておけば、実際にいつ「虐めた」かは、作中世界では〈母〉のみが把握し、〈母〉の心中に作品の視点は入り込めない。よって問題となるのは〈わたし〉がどう考えているかを、〈わたし〉視点の文章で解釈することです。
私は「不仲だったころ」を「病気になる前」としか解釈できません。よって「虐めた」のも「病気になる前」としか解釈できません。
困りました。私の読解力がないんでしょうか。解釈の自由を標榜する皆様、お知恵をお貸しください。
「テクスト解釈の可能性は無限である」と言っても、それは「解釈の対象、つまりは焦点を当てるべきもの(事実やテクスト)が存在しない」ということにはなりません。「テクスト解釈の可能性は無限である」と言っても、それは「どのような解釈の試みもうまくいく」ということではないのです。
(ウンベルト・エーコ『ウンベルト・エーコの小説講座:若き作家の告白』、和田忠彦、小久保真理江訳、筑摩書房、2017年、48頁)
朝日新聞で翻訳家・鴻巣友季子氏が連載する文芸時評に、取り上げられた小説の作者である桜庭一樹氏が抗議の声をあげた(以下敬称略)。
争点となっているのは、「弱弱介護の密室で」母は「夫を虐/待した」という記述である。これが、(テクストに書かれた/現実に起きた)事実であるかのように断定口調で書かれていることに、桜庭は懸念を示す。
抗議を受けて、鴻巣は時評について補足するEvernoteを公開した。
8月の朝日新聞文芸時評についてです。https://t.co/xI1mbbGQr4— 🐈🦔鴻巣友季子(『翻訳教室 はじめの一歩』(ちくま文庫)) (@yukikonosu) August 25, 2021
その後、Twitterで両者はやりとりし、当該の記述が解釈であればそれは批評として受け入れられること、解釈が読者に開かれているという点については意見の一致を見たが、桜庭はなおも以下のように批判する。
鴻巣友季子さんからご意見の表明がありました。わたしは、これは無理のある詭弁だと考えます。自分の解釈とはっきり書かれていることを混同したまま、まとめてしまっています。不誠実かつ未熟な評だと思います。https://t.co/rVv04gScKn pic.twitter.com/VUbZNXnd1j— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 25, 2021
すなわち問題は、
①「作品紹介のあらすじと解釈を分離する」ことはどれほど「むずかしい」(鴻巣Evernote)のか
また、
の二点である。
以下、この二点を検討するが、最初にこの件に関する筆者の個人的な感想を示しておけば、今まで自らの未熟さを自覚せずに仕事を続けてきた鴻巣の不幸と、巻き込まれた桜庭に同情する。
また、鴻巣の解釈がどれだけ妥当であるかについては議論しない。
あらすじを書こうとしていたのだが意図せず解釈が混入してしまった、という事態は、なるほど確かにありそうである。
要約に際して、物語内の複数の出来事や行為を紹介する必要が生じる。そこで出来事Aと行為Bを結びつける際に、「主人公はAによる寂しさからBに及んだ」などと(うっかり)書く。
ここで、対象のテクストに主人公の寂しい感情について明確な記述がない場合、これはあらすじと解釈が分離できなかった例だと言える(本当は憤りからかもしれない)。
小説に明記されていないからといって「Aが起こった。主人公はBした」とだけ書くのは文章としてあまりに不自然なので、それを補おうとして解釈が入ってしまうというのは大いにありうるだろう。こうした場合、分離は「むずかしい」。
またこのとき読者は、「寂しさ」が対象のテクストに書かれているのか、評者の解釈なのか判別できない。
一方、解釈によって生み出された記述であるということを評者が自覚している場合に、「これは解釈だ」と読めるように書くことは容易である。
「〜〜であろう」「〜〜と思われる」「〜〜のではないか」「〜〜が見て取れる」「〜〜のようだ」「〜〜からか」など、日本語には断定を避ける言葉遣いが様々あり、あるいはストレートに「〜〜と評者は読んだ」などと書くことができる。
最後の例は稚拙に映るかもしれないが、プロの書評家の文章にも頻出する(具体例は省く)。
さて、鴻巣は当該の書評文について、「そういう物語として、わたしは読みました。ここが、作者の意図と違うと指摘されているところです」と明記している(鴻巣Evernote、強調原文)。
自らの解釈だと自覚しているである。(ところで、「作者の意図」という言葉を桜庭は使っていない。)
そのためこれは「詭弁」であり、断定的な言葉は避けられたはずだ、と桜庭は指摘している、のだろう。
意図せぬ解釈の混入はありうるとはいえ、解釈の産物であると自覚した文章について、「作品紹介のあらすじと解釈を分離する」ことはさほどむずかしくないと思われる。
それが「むずかしいこと」だと感じるのであれば、それは単に書く力に乏しい(「未熟」)からである。
では、解釈があらすじに混入した場合、何か不都合が生じるのであろうか。特に不都合がないのであれば勝手にやればよいだろう。
あらすじに解釈が入っていると何が困るか。
当事者である桜庭は、「わたしの懸念は、私小説として発表されたこの作品の評で、ある人物が「病人を介護し虐/待した」と書かれたことにあります。そうも解釈できる、ではなく、あたかもテキストにそう書かれていたかのようにです」とツイートしている(https://twitter.com/sakurabakazuki/status/1430736782979596290?s=20)。
ここでは、「作品が私小説であること」が重大なファクターであるかのように受け取ることも可能であろう。前掲ツイートの「またそのような事実もありません」という記述からも、現実にそのようなことがあったか否かが問題とされているようにも読みうる。
もちろん、私小説に固有の問題は別個に検討すべきものであろうが、本稿では、作品が私小説であるか否かによらず、鴻巣の弁明が妥当性を欠くものであることを示したい。
(追記:実際桜庭個人の懸念としては現実としての事実にあるのかもしれないが、続くツイートにある「問題としているのは「評者が読み解いた解釈を、テキストにそう書かれていたかのようにあらすじ説明として断言して書いた」こと」をここではこの問題の本質として考える。その意味で、「わたしは一つの「小説」として読んでいますので、作者のご家族に関する「事実」については切り離して考えさせてください」[鴻巣Evernote]という鴻巣の主張に乗る)
解釈である部分についてあらすじとして断定的な書き方をすれば、それは小説の「読み」を閉ざしうるからである。
前節で扱った例で言えば、「寂しさから」とあらすじにあれば、それは対象のテクストに寂しさが理由である旨が書かれていると読者は「読んで」当然である。この時、「憤りから」であるという「読み」の可能性は閉ざされる。
すなわち、解釈は解釈であると自覚した上で断定的な言葉を選択した鴻巣の行いは、小説は多様な「読み」にひらかれているという鴻巣の信念と矛盾しているのである。
「小説は多様な「読み」にひらかれている」べきであると(は明確に書いていないので本当は思っていないかもしれないが)思うのなら、「むずかしいことですが、作品紹介のあらすじと解釈を分離する努力をするべきでした」と続くはずなのだ。
鴻巣にとって「作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいこと」かもしれないが、それを果たせないことにより、作品の「読み」は閉ざされる。
評者自身の読みの自由を主張し、それを反映させる(無能力により反映してしまう)ことにより、他者の読みの自由を奪うことは、単純に暴力である。「書き」に注意すれば避けられたはずの、いわば過失致傷である。
それは評する作品を損傷し、また、時評の読者(の能力)をも傷つけうるだろう。
書くこと/書く者は、読むこと/読む者に対してこうした暴力を為しうる。
「自分が文章をどう読むか」ではなく「自分の文章を読んだ者がどう思うか」まで思いを至らせることができて初めて、自らの読みを主張する正当性が備わるのではないだろうか。
各シリーズを作った本数順にまとめていく(他は順不同、敬称略)
富野監督がレジェンドであり、それ以降のロボットアニメの名監督・後継者ははっきりと出ていない状況
庵野監督はネームバリューはあるが手掛けたロボットアニメのシリーズ数はそんなに多くない
ロボットアニメの世界では創聖のアクエリオンやマクロスFなど手掛けた河森正治監督が庵野監督への対抗馬筆頭候補となっており、統合的には富野監督の後継者たる次のロボットアニメのレジェンドの登場が待たれている
『霞が関のリアル』という本を佐藤優氏(以下敬称略)が書評している。辛い評価を付けているが、少し前に読んだ身として、このレビューにはかなり問題を感じた。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/291751
なお、佐藤が取り上げている部分の内容は、https://www3.nhk.or.jp/news/special/kasumigaseki/article/article_190408.htmlにあたる(ウェブ連載を本にしているので、違いはあるのだろうが大筋は同じと思われる)。
佐藤は、東大法学部卒、国家試験に首位合格しながら官僚にならなかった、以下の青年の発言を引いている。
「官僚は最初の数年間は下積み時代っていうのがありますし、実際のいい仕事、意思決定に関われるのは8年目とか10年目の課長補佐以降だと聞いています。それまでの期間がもったいないですね。上の世代の人が下積みの重要性を言いたがるのは正直理解できません。むだに思える雑用に時間を費やしたくない。新卒という、ある意味社会の変化にいちばん敏感な時期の力を最初から最大限発揮していきたいし、そういう力を積極的に使っていこうという企業の中で成長したいんです。年功序列であったり、政治家の意見も聞きつつ空気を読んで判断しないといけないという霞が関の風土にも染まりたくない」
これに対して、
「国際的にも高度な専門知識、あるいはキャリア官僚として必要な知見と能力を身に付けるには、最低、10年くらいの下積み期間は必要」
とし、10年下積みもできないやつは官僚になるな、と主張する。こんな志の低いやつばかりで、日本の若いエリートは質が下がっている……というのが、佐藤のレビューの趣旨だ。
だがこの青年は、はじめから第一線の専門家として活躍したいとは書いていない。形式的で無駄な雑用をしたくないし、若い時期の感性をきちんと使いたいし、意味のある仕事をして成長したい、という主張であり、まっとうと思える。ある意味ではそれも「下積み」であり、この青年が嫌がっているのは、もっと無意味で非合理的な「下積み」だろう。若手官僚が能力を活かして働ける環境になっていないのは確かだ(そのことは、この本でも繰り返し言われている)。だいたい、こういう状況が続いたために官僚の志望者が減っているという現状を、佐藤はどう考えているのだろうか。
佐藤は言及していないが、この後で青年には親類に官僚がいて仕事ぶりもある程度知っており、官僚を目指したと書かれている。だが、近年の霞が関の不祥事をみて、組織全体が振り回されることにげんなりして止めた、とある。分量の制約があるといわればそれまでだが、佐藤が取り出した部分だけ見ると、優秀だが志の低い学生が語っているようにみえる。
国家公務員試験は一定の準備と対策を必要とする試験で、どれほど優秀であっても、勉強せずに合格できるものではない。トップ合格であればなおさらだ。この学生に対して、佐藤は
「この青年は人事院から国家公務員総合職試験1位合格という通知書を用いて、コンサルタント会社か投資銀行のような年収の高い企業に入る道具にしようと考えているのだと思う。こういう志の低い者は、霞が関に来ない方がいい」
と評している。コンサルや外資に就職しようとするやつが、国家公務員試験合格をアピールポイントに使うようなコスパの極めて悪いやりかたをするとは思えない。邪推や侮辱の類だと思うし、そう思わせるような切り出し方をしているとも感じる。
この連載や本で取り上げられている事例の大半は、朝から夜中まで働かされ、しかも前時代的な慣習に絡め取られている霞が関の現状についてだ。政治家に小間使のごとく使われ、昔に比べてやりがいもない、そういう話ばかりだ。上の東大生の話も、それが知れ渡ってきたので優秀な人材が官僚を目指さなくなった、という文脈に置かれている。
そうした労働問題に全く触れず、「志の低いやつは官僚になるな」という主張に合致する例をなんとか引っ張り出してきた(上記の通り、合致しているとは思えないが)という事自体が、佐藤の考えを明確に示しているといえる。官僚の志に比べたら、深夜労働も、政治家の官僚への横暴も、意味不明な慣習もさほど問題ではないということだ。
佐藤がこのような評価をすることも、なんとなくわかる。佐藤の著作を読む限り、官僚時代は昼夜を問わず働いて活躍してきたようだし、政治家に尽くしてこそ官僚、という信念もあるのだろう。何の著作か忘れたが、「忙しいし徹夜したいところだが、なにかあったときにちゃんと頭が働くように毎日5時間は寝るようにした」という、一周回った社畜自慢に苦笑したことがある。
そういう彼にとって、「官僚が長時間労働で体調を壊す」「妊婦の官僚が夜中まで働かざるを得ない」「政治家の支持者の子どもの宿題を官僚がやらされる」というのは、べつに驚くことでもないし、問題にするようなことでもないのだろう。だが、そうした実情も知れ渡り、政治支配が強まって官僚の権限も減り、官僚を目指す若者は減っている。そうしたことを問題にしたこの本を読んで、「10年下積みできないやつは官僚を目指すな」と臆面もなく書けるというのは、どういうことなのだろうか。それによって状況は悪くなるとしか思えないが、後輩たちにたいしてそれでいいのだろうか。
一応書いておくが、私は別に佐藤が嫌いというわけではない。著書もなんだかんだで10冊近く読んできたし、官僚としては有能だったのだろうとは思う。『国家の罠』と『自壊する帝国』の2つは今でもおすすめできるし、
外交官時代のエピソードはなかなかおもしろい(「盛ってる」と思われる部分は多いが)。それを離れたビジネスや教養主義的な本は、薄っぺらくあまり見るべきところはないと感じるが、かといってひどい本というわけでもない(宗教系の本は未読)。
これまで佐藤の書く文章で、そこまで大きな違和感を覚えたことはなかったのだが、このレビューには佐藤のもつ官僚観が剥き出しで現れたのだろうし、それゆえに強く引っかかったのだと思う。こうした佐藤の官僚観は、とても認められるものではないし、一般的には「老害」と呼ぶのではないかと思う。
小室圭とマーク・ザッカーバーグと立花孝志(敬称略)の三名に恨みがあるわけではないが、この三名の顔から似た印象を受ける。失礼を承知で書くと胡散臭さを感じる。顔立ちが特に似通っていないのに不思議だ。強いて似ている点を挙げればアゴの形かもしれないが、じっくり見てみるとそこまで似ているわけでもないし、彼らの性格が共通しているわけでもない。三人ともメディアで悪く言われることが多いので、偏見を持ってしまったに違いない。
直接彼らと対面して、彼らなりに抱えている事情について聞いてみれば考えも改まるかもしれないが、おそらくそんな機会はない。
書いてみて本当に失礼な日記だと思う。たぶん自分は根拠のない自信にあふれた相手が嫌いなだけだ。ある種のひがみだろう。
異世界ファンタジーなんかでビキニアーマーを見るたびに「こんな戦士なんているわけないだろ」的な気分になるのだが、古代のピクト人だったかケルト人だったかは、全裸に帯をまいただけの姿でローマ軍に襲い掛かってきたそうだから、全くのでたらめというわけではなさそうである。実際、全裸のおっさんが襲ってきたらかなり怖い。ところで、九十年代のビキニアーマーや前垂れ(ふんどし? スリット?)で目覚めた性癖を持つ、自分と同年齢の男性は少なくないんじゃなかろうか。
そういえば、三国志には蜀の南方に位置する敵である孟獲の妻、祝融夫人が出てくるが、最近のゲームだとこれもビキニアーマーだったり毛皮ビキニだったりする。実際、当時の雲南省の人間がどんな格好をしていたのか知らないのだが、これはさすがに違うだろう。もっとも、実は漢の服装もわかってない。
ちなみに、調べたら孟獲は元来漢の人であり、南蛮人になったのは三国志演義の演出らしい。
用事があって横浜駅西口のカラオケ屋に数年ぶりに行ったのだが、廊下まで聞こえる音量で奇声を上げている連中がいて閉口した。夜の客引きも増えたことだし、治安が悪化しているのではないか。というか、そもそもまん延防止措置下でも「お酒ありますよ」という呼び込みが多数あった。やれやれ。
入口の前で溜まりこんでいた大学生は不倫を自慢げに話していたのでこれも不愉快であった。だいたい、こうした話はフィクションだから面白いのであって、実話ではちっとも面白くない。本当はもっと落ち着いたパセラあたりでやりたかったのだが、満員だった。向かう直前に電話すべきだった。
ところで、公共の場ではできない重大な話を自宅以外でするときはどこですればいいのだろう。会議室だろうか?
……これを書いている途中、surfaceがマウスを認識したりしなかったりする。いちいち抜き差しする音がするのだが、マウスの寿命かもしれない。
熱中こそしていなかったがクラスのみんなが見ていたアニメの細部を、何の脈絡もなく思い出す。たとえば「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」に「二郎丸スペシャルスペシャルスペシャルスペシャルスペシャル」という実況泣かせのマシンがあった。なんか「ダスダスダスダス!」と叫びながらマシンを加速させていた覚えがある。
近頃はウィキペディアの漫画とアニメの記事がやたらと充実しており、調べては懐かしい思いに浸るのだが、最近になって土方レイが女の子ではないことを知ったのである。
この頃のアニメは思い出補正もあるせいだろうか、当時のアニメの画像を見ると、思っていたよりも絵が荒いというか、癖のある画風である。九十年代のアニメはスレイヤーズをはじめとして目鼻をクシャっとさせた画風だった。あるいは、アゴと比べて不思議な場所に口があった。スレイヤーズは見ていないけれども。
この日は個人的な調べ物をしていたらあっという間に夜になってしまった。七時が日没だったのに。日が暮れてからはだらだらと増田を眺めてしまって無為な時間を過ごす。大体、九時半から十時半が一番眠く、寝床に入るのは自慰をしない限り十一時頃である。とはいえ、人生の時間をすべて有意義に使おうとするのも一つの強迫観念ではある。
自慰といえば、最近コンドームなしで自慰をしたら、精液を飛ばし過ぎたりティッシュからこぼしたりしたので懲りた。
手帳に日記を書いてから郵便局へ行って、ちょっとだけ家事をやってから筋トレとジョギングをし、アガパンサスとヒマワリとオシロイバナが咲いていたので写真に撮ってランチ垢に載せた。で、シャワーを浴びてから靴下とプロテインを買った。ところで、近頃の薬局はコンドームを紙袋に包まないと以前に書いたが、店によるようだ。
それから、ネットをだらだら見ていたら、いつの間にか有給休暇がほぼ終わった。
数年前は休日を無駄に過ごすことを惜しむように美術館に足しげく通ったものだが、緊急事態宣言のせいで美術館なしでもやっていけることに気づいてしまったせいだろうか、近頃は月に一度しか行かない。
すっかり出不精になってしまっており、いよいよ終映が近づいているエヴァンゲリオンを見るのもだるい。確かに薄い本は欲しいし、一度目に見逃がした細部も気になるが、そんなことよりも自分の中でエヴァンゲリオンが完全に成仏してしまっており、過去のものになってしまっている。庵野秀明の目論見通りだ。
そうそう、ジョギングの成果だろうか、数年前は右脚の付け根の骨が骨盤(?)から外れそうなゴリゴリした音を立てていたのだが、近頃はそんな様子は全くない。
しかし、さっき口の中で皮がむけて血が出た。なぜだ。
たくさん知らない映画教えてくれてありがてえ、本当世界にはThank youが溢れてる多謝。
昔作業所のこと増田で書いてバズったけど、増田もはてなも親切な人ばかりで素晴らしいな
追記ここまで
好きな映画監督羅列するからおすすめの監督か作品教えて (みての通りニワカです)
竹中優介
統一感があるかわからないので 一応説明しておくと、好きな作品はゆるいやつが多い。森田芳光、荻上直子、山下敦弘など
特に洋画でゆるいやつとか全く知らないので知りたい「バグダッドカフェ」とか?
アニメも少しだけ観る、、鬱っぽいのも好き。もちろん日常系も好きだった。でも、萌え萌えみたいなのはちょっと苦手になってきた。SF好き。アニメは最近まじでみてない。直近でみて面白かったのはゆるキャン、91days、ジョーカー・ゲーム。
ポンポさんは一昨日観た。めちゃくちゃ面白かった。アニメ映画ならみれるかなって思ってる。
「(ハル)」「間宮兄弟」「僕達急行 A列車で行こう」てか森田芳光監督荻上直子監督は全部
「めがね」「かもめ食堂」「運命じゃない人」「天然コケッコー」「リアリズムの宿」「ラヂオの時間」「マジックアワー」「愛のむきだし」
「サッド・ヴァケイション」「害虫」「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」「ゆれる」「花とアリス」「南極料理人」「キサラギ」「サマータイムマシンブルース」「クヒオ大佐」「パビリオン山椒魚」「博士の愛した数式」「勝手にふるえてろ」「好きだ、」「3年目のデビュー」
ご覧の通り2000年代ばっかです。
読んだことのある、観たことのある、漫画・小説・映画・アニメで百合だなあと思ったものの感想まとめてみた。
敬称略。
■漫画
・ポプテピピック/大川ぶくぶ →誰がなんといおうと百合なんだよ!!文句言うな!
・うさぎのふらふら/隈井 →とてもお気に入り。雰囲気最高。なぜ2巻しかないのか?
・CCさくら/CLAMP →知世ちゃんが神。わたしの永遠のアイドル。
・ハクメイとミコチ/樫木祐人 →うーん百合なのか?作者の今後の展開次第。別に百合方面に展開しなくても大好きだよ!
・はなにあらし/古鉢るか →他の百合漫画をすごく研究してるように見受けられる。技巧的な印象
・少女革命ウテナ(最近でた続きの巻)/さいとうちほ →川上とも子の不在が漫画にまで影響している…悲しい
・シャドーハウス/ソウマトウ →百合って括りの読者もいるらしいがピンとこない
・陽だまりに寄り道/嶋水えけ →短くまとまっている。まあまあ
・乙女ケーキ/タカハシマコ →超好き。本で持ってたの手放したけど買い直したやつ
・シメジシュミレーション/つくみず →うーん悩むけど少女終末旅行より好きかも?そもそも四コマって形式が好き
・コレクターズ/西UKO →百合はまあまあだが本好きという設定の人物、本屋で写真を撮るのはやめましょう
・新米姉妹のふたりごはん/柊ゆたか →わりと真剣に面白いし登場した料理を作ってみたくなる
・ゆりこん/久川はる →明るくて好き!時々読み返す
・ユリ熊嵐/森島明子 →ふつうに面白い。アニメ全部観てないです…
・NKJK/吉沢緑時 →お気に入り。お笑い×シリアス×百合。時々読み返す
・ムルシエラゴ/よしむらかな →ぶっとんでて良い。さわやかさすら感じる
・人でなしの恋(画集だけど)/沙村広明 →捉え方次第では百合
■映画
・アデル、ブルーは熱い色 →レア・セドゥ最高最高最高最高
・キャロル →途中盗聴されるあたりつらいけど好き
・オーシャンズ11 →まあまあ
・攻殻機動隊(実写) →ファンの作った同人映画って感じが半端ないけどあのシーンは悪くなかった
・アンモナイトの目覚め →エンディングの後、どうなるんだろう気になる。想像しちゃう
■アニメ
・少女革命ウテナ →アンシーが飛び降りようとするところ泣いてしまう本当に
・少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録 →人生で一番観た映画。台詞含めてもはや美しい音楽
・シムーン →「アーエール!!!」のシーンが好き。アングラス……
・THE IDOLM@STER →運動会の回とかいおまこ
・THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ! →最初から皆売れっ子で強めで素晴らしい
■小説
・茨の城/サラ・ウォーターズ →なかなかに面白い。読み返すかは不明
・わたしを離さないで/カズオ・イシグロ →ルースのキャシーへの粘着は百合みある
・キャロル/パトリシア・ハイスミス →映画とまた違う良さ
・白い薔薇の淵まで/中山可穂 →ちょいちょいある男サゲはどうかと思うけどなんだかんだ好き
・アステリズムに花束を(百合SFアンソロジー) →手放したけど色のない緑がまた読みたくて買い直した
・レズビアン短編小説集 →『マーサの愛しい女主人』、『しなやかな愛』が特に良い
・フラニーとゾーイー/サリンジャー の中の『フラニー』 →男女のカップルの会話中心だけど、なんだろう百合を感じる(フラニーの中に)
呉座勇一氏のNHK大河ドラマ降板を憂う - 與那覇潤|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
今話題のこれ。自分は一般論部分には特に反論はないし具体論についても部分的に同意するところはある。
まあその上で色々思うとこがある中で恐らく最もどうでも良さそうなところに噛み付くのだが。
元のツイートは職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない、とする(呉座氏以外の)主張に対して、そうしたロジックを認めれば「在日問題も『帰化しろ』で終了してしまう」と批判したものだ。
これの話って五野井DaDa論争のことだろうと思う。以下のTogetter見るに個人的には心底”Theネット”という感じで大変意義のない争いにしか見えんけど。
学者「ナチズムには差別が内在しているので表現の自由に値しない。共産主義?それは別」 - Togetter
けどこの與那覇先生の読解って正しいんですかね?当時のやり取りそのまま引用するとこういう感じで(敬称略)。
五野井「どの表現も加害となりうる。では表現一般とヘイトスピーチの違いは何か。それは後者が差別煽動であり、それに踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきた点だ。「私にはヘイトスピーチする自由がある」を「私には差別に基づく加害や殺人煽動する自由がある」に置き換えてみてくれ。」
DaDa「何言ってんだ、その言い分だと共産主義に踊らされた者らによって現在まで多くの人々が傷つき殺されてきたから、共産主義は禁止もしくは監視あるいは一定の制限の下にしか存在を許されない、なんて理屈が罷り通ることになる。」
五野井「わたしは共産主義には微塵の魅力も感じないが、そもそも共産主義はヘイトスピーチと違って、人種差別が内在していないことは明らかだ。ナチズムが禁じられる理由は、まさに人種差別と差別煽動が埋め込まれているからである。「差別煽動」という術語をわざと外す暴論には感心しない。誠実な反論を望む。」
DaDa「あら、共産主義に内在的に埋め込まれている階級出自による煽動は差別でないとは斬新な見解ですこと。」
五野井「人種差別の話をしているのになぜ階級の話になるのか。人種は階級のように移動できるのだろうか。できないだろう。それをあえて比較対象とするのは不誠実だ。為にする批判ではなく、改めて誠実な議論を求める。」
DaDa「階級は移動できる問題ないって安直に社会学者が言うの致命的な発言でなくって?」
五野井「人種って移動可能なのですね(笑)。あなたは、人種は移動できるという想定を前提でわたしに議論をふっかけてきたわけですが、まずはどうやったら人種が移動できるかを教えて下さい。なお階級は、容易ではありませんが移動可能ですよね。ライフピアも大勢いるし。あと社会学者って誰のことかしらん?」
DaDa「人種は移動できるっていつ何処で誰が言ったんですかマイケル・ジャクソンですか?」
五野井「わたしが移動不可能な人種差別を問題にしているのに、あえて移動可能性のある階級の問題とわざと等価にして食いついてきたのはあなただろう。ポップなネタに持ち込んで、ごまかそうとする悪いクセはやめなさい。不誠実な相対化で立論をしているかぎり、あなたには勝ち目はない。で、社会学者って誰よ?」
DaDa「だから、人種>階級が絶対に優先だって学問的定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的でしょう。あと社会学者だか政治学者だか人文学者だか知らんけど階級移動なんか些末なことって言い放てるなら社会問題にコミットする立場として大問題に違いないと思いますよ。」
本当、意味のない議論だよ。このTogetterのはてブが何で真面目に議論してるかも理解できんほど噛み合ってないやり取りなんだわ。
それはともかく、五野井先生は「職業や学歴など、本人の選択次第で「移動可能」な特性を非難するのは差別ではない」なんて言ってます?これ”差別を論じるに人種と階級は移動可能の可否に違いがあるから等価に扱えない”であって”移動可能な属性なら差別ではない”ではないんじゃないかなあ。DaDa氏も借金玉氏も呉座先生も與那覇先生も勘違いされてるようですが。いや、たぶんDaDa氏は他3人と違って最後の最後で気付いたんでしょうね。だから最後に「人種>階級が絶対に優先だって学問的定説あるんですかあ、差別に優劣ありってそれこそ差別的」と五野井先生が階級差別の存在を否定していない可能性を認識したような反論をしている(反論として妥当とは言わないが)。
「お嬢様の自己実現なんて知らんがな」から「女性の自己実現を否定している」という解釈はダメだと與那覇先生がおっしゃるなら、直接言ってもないことを実際にあった主張だと断定するのはギルティーでしょうとも。しかしまあ素晴らしい見識を備えた学者方がアルファツイッタラーが気付いていることにすら気付かないのはいかがなものか。それこそ「誤読」ないし「意図的に歪曲」と言われても仕方ないのでは。
「実証的に文言を読み解けば不当だと論証できる非難」を傍観するべきでないということのようなので気になったところ指摘しておく次第。
まあ、五野井先生もかなり微妙な手法使ってて、例えば「共産主義には人種差別はない。ナチズムには人種差別と差別煽動が内包されている。差別煽動という術語を外すな」と言っていたのに階級差別の話を持ち出されたら「人種差別の話をしている」と言って差別煽動の部分を吹っ飛ばしてしまう。だから勘違いを引き起こすわけで…。もっと問題なのは五野井先生は当初の書き方だとヘイトスピーチについては差別煽動であることに重きを置いてたはずなんですね。それによって生じる被害の害悪は果たして「移動可能」か否かで変わるものなのか?差別を語るうえで属性の「移動可能性」に着目すること自体は王道にしてもそことの論理的接続性は本当にあるのか。
ところがDaDa氏はそこを指摘するわけでもなく、何故か人種差別云々に乗っかってしかも「移動可能」とかいうそれを考慮すること自体は実はわりと妥当な部分に噛み付いて滅茶苦茶にするしなんなんでしょうねこれ。そもそもマルクス主義持ち出してきたのも大体イメージ人によって変わるとこだから困ったもんだなと思わないでもない。
それで言うとここには引用してないけど階級について「移動困難」だと五野井先生が認めているところがあって、むしろそっちの方が突っ込みどころでは?ヘイトスピーチの定義を調べた人は「変更不可能または困難な属性を理由に~」みたいな文章見たことあると思うんですよ。移動困難ならば移動不可能と同じカテゴリーではってことね。もちろん困難とはどういう意味でどの程度困難なのかって話がその次に待ってるんだろうけど…。
まあ今更どうでもいいね。語ってもしゃーなし。
移動可能というか変更可能/不可能を考慮することはあるということを上で書いたので一応実例は出しておく。
まあわりと差別とかを考えたことある人には馴染みがある考え方の1つだと思うのだが、呉座先生(ともしかしたら與那覇潤先生)の反応見るにあまり知られてないのかな。
日本国籍は,我が国の構成員としての資格であるとともに,我が国において基本的人権の保障,公的資格の付与,公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。一方,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である。
上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという、子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。
とある増田経由でこのtogetterまとめにたどり着いたが。これはひどい。
2. (より大きな原因)正規雇用者中の男女格差(2a や 2b)
2b. 専門職: 高所得の専門職から女性はかなり排除されている。
で、山口の大きいほうの原因当ててないじゃん、という話にはならない。それは誰のせいで格差ができているからに依存するから。
ショーン 女性が昇進を断る、管理職候補女性が寿退社(女性の昇進意欲が低いエビデンスあり)
低い昇進意欲のエビデンスが女性の昇進率を下げているなら、「所得格差は女性が昇進を望まない結果」はあり得る話。話はかみあっている。これを
ここからショーン君は鮮やかな論点ずらしを見せる。「男女格差は女性が辞めたり時短にした結果」という自分の発端のツイートとそれへの指摘は無視して、別の話を始める。
と誤読する増田君にはなんといっていいやら。あとは推して知るべしで、時間の無駄だから読んでない。
順不同、敬称略。
今年導入されたTwitterの新機能フリート。24時間で消滅する発信の使い所に期待
https://www.youtube.com/channel/UCtL4YVGDSz3d9btmDLfMhfQ
ホロライブと中台関係について詳しく書かれていた記事を見たのだが、そのブコメ等を見てもあまり共有されてないのかなと思って。
ホロライブが中国の政治的にセンシティブなとこ、もっと言えば「一つの中国原則」のような独立運動が燻る領域に突っ込んだのは今回の件が初めてではないという話。
湊あくあが昨年3/31の『【Vtuber】一週間お疲れ様でした。【湊あくあWEEK】19:00』の配信中に中国と台湾を別の国と認識していると捉えられなくもない発言をしてbilibili側が荒れた騒動。
大体経緯はこう。
4. bilibili側は荒れて、それを知ったがあまり理解できていない湊はいらすとやの土下座イラストに自分の顔を貼り付け「ごめんね」と書かれたコラをツイート
5. bilibiliのあくあのチャンネルが凍結される
まあ「日本の飲み物のシークワーサージュース飲んだよ」「沖縄の飲み物だよ」「沖縄の飲み物なんだ」みたいな感じ。
沖縄は台湾の代わりの喩えとして不適切?まあそうかもしれないけど。
何にせよ要するに「中国の飲み物」を否定し「台湾の飲み物」だと訂正した発言だと捉えられたわけだ。
とはいえ、この騒動は「炎上」と評されがちだがBANはされども特に公式の謝罪はなかったはずだし実際そこまで燃えていなかったようだ。
当時の書き込みを調べると無知な湊を誘導するようなコメントを書いたのが許せないという論もあったようだし。
一方で台湾を独立した国だと捉えているような発言をすればBANされるという可能性をこの時点で示してもいたのである。
癒月ちょこの6/11の配信『【#ちょこオネア】第6回ちょこオネア今回のゲストはスバおかコンビ!無事クリアすることができるのか?!』においてチベットを独立した国として扱っているかのような出題を行い問題視された騒動。
事前に視聴者から募集した問題として次のような問題が出された。
Q.日本の十二支に猫がいないのは有名な話ですが、世界には十二支に猫がいる国があります。では、次のうち十二支に猫がいない国はどこでしょうか。
まあbilibiliでは「チベットは中国の領土であり国ではない」ということで燃えました。
特に今回はタピオカの時とは違って前準備の段階でチェックできたはずでしかも国と明言されているという違いもある。
ここに至ってカバー公式も言及せざるをえなくなりbilibiliに次のような声明が投稿された(何故か日本語)。
上記の問題について弊社は深く反省し、事態の重大さを改めて認識致しました。
今回のクイズに関しては、監修が不十分だったため、それぞれの問題について確認が疎かになっていました。
その事で、中国のファンの方々の感情を深く傷つけてしまった事を深くお詫び申し上げます。
今後同様の問題を避けるために、コンプライアンスに対する教育や研修を進める中で、中国に関する知識の教育も行なってまいります。
これまでのご声援、誠にありがとうございます。
この問題を投稿した視聴者が叩かれるという可哀想な出来事もありつつも声明以降炎上は終息していった。
「今後同様の問題を避けるために、コンプライアンスに対する教育や研修を進める中で、中国に関する知識の教育も行なってまいります。」というわけでタピオカの件から1年越しで中国進出による政治的リスクへの対策も取られることが明言されしばらくこの手の問題は起こらないと思われた。
9/24に赤井はあとが配信した『緊急会議!はあちゃまのプロヂュース作戦!』において「どの国が多いか」という質問に対しYouTubeのアナリティクスを読み上げたのだがその中に「台湾」が入っていた。
これによりbilibili側が燻っている最中、翌日9/25、時間にして約12時間後に桐生ココが『あさココLIVE 9/25 #asacoco』を配信しその中で今度はアナリティクスそのものを開示した。
もちろん内容はYouTube側が作ったグラフそのものだが、「上位の国」に「台湾」があるという構造になっており国扱いしていると炎上した。
結局赤井・桐生両名はbilibiliでの生放送権限が剥奪されることとなった。
赤井の権限剥奪が先だったか桐生の配信が先だったかは今となっては調べようがない(記事:https://ytranking.net/blog/archives/36947によれば赤井が剥奪されたのが先っぽいか?)が、これを問題視する中国人からすれば赤井の配信が燃えている最中に桐生が問題視されていた行動と同様の行為を更に一歩踏み込んだ形で行ってきたように映ったようだ――つまり不幸なことに赤井はミスだが桐生については偶発的事故ではなく重大過失または故意があると見なされたのだろう。
特に一部の過激派は桐生の行為は台湾問題に敏感な中国人に対する挑発的な宣戦布告と受け取ったのである。
一方で赤井の発言はそれなりに問題視されどもそこまで大きな炎上となってもいなかった。
もちろん最近上がった記事で解説された諸々を巡る政治状況や以前からあったbilibili側の不満等が無ければ桐生に悪意があると捉えられることもなかっただろうし複雑な背景が絡み合った結果でもある。
ただ、仮に赤井の件がなく桐生がアナリティクスを言及したのが最初という状況なら、炎上は起きてただろうがここまで悪し様に解釈されたかは微妙なところではないか。分からんけど。
この後のカバーと「ひとつの中国」を巡る話はブコメでもよく知られているので省く。
カバーは中国から事実上撤退するようだがそれは間違った行動ではなかったと思う。むしろ自分は支持している。
というのもカバーがチャイナリスクと付き合えるとは到底思えないからだ。
著作権問題の際にも6月に問題が発覚してから過去の動画を一部非公開するだけの場当たり的対応をした(任天堂には直接謝罪を行ったようだが他については不明)ために、7月末にそれまで放置していたゴーストトリックの配信アーカイブを権利者削除されて結果所属VtuberがYouTubeのペナルティを受けて休止に追い込まれている。
今回の中国問題についても、「台湾を中国と別の国だと捉えたと解釈されるとBANされる」「チベットに対して国という表現をすると燃える」という先例を身をもって知っていたはずであった。
それにも関わらず再発を防げなかったのである。
こうした弥縫策ばかり行う傾向にあっては騒動が起こるのは早いか遅いかでしかなかった。
これは事の善し悪しの問題ではない。しかし現地調査をして政治的タブーやリスクを避けるのは海外進出の際の必須条件ではなかろうか。
それができないのであれば目に見えて大きな地雷が埋まっていた地域、今回で言えば中国には進出するべきではなかったろう。
まあ英語翻訳の最大手だったHololive Moments(解散済)は中国人運営だったし、そう考えると海外展開は今のような形と変わっていたのかもしれない。
他意はまったくないんだけどYoutubeで凄い人気だというのを聞くとどの層が主に支持しているのかなあと単純に不思議に思った。
ちなみに自分は30代前半の男でアメトーークとか直撃で見てきた世代。でもなんというか宮迫(以下敬称略)については司会者としているけど特別おもしろい印象もなく、かといって何かネタとかテレビでの喋りが取り立てて面白い印象もなかった。なんというか熱烈なファンとかいないタイプの人だと勝手に思っていた。
なのでYoutubeを始めたといきいたときは成功するのかな?と思っていたが蓋を開けてみるとすごい支持をうけて大成功していて驚いた。好き嫌いは別にしてカジサックとかオリラジの中田とかが成功してる理由(というか支持層)は何となくわかる気もするんだけど宮迫についてはどうしてもわからない。
ファミリー層にウケそうでもないし、かといって男性ウケするタイプの人でもないような気がするし(ケンコバとかエガちゃんとかとも違う)、女性ウケなのかな?とおもったけどゆっても結構オジサンだし。若者やキッズにうける感じもしないし、、と単純に不思議だなとおもってる。
(2020/12/29 16:02追記 274曲聞いた 更新終了)
※歌配信やその切り抜きは除外
敬称略、各枠内での並びは順不同
https://www.youtube.com/playlist?list=PL7zJKCZCIu37pRAs1IQxUto2mld6-oyq9
書くまでもないことは省略します。オタクは自分の感性が全てです。
この回のMVPは船木さん,竹内さんの2人。ともに初披露曲も含めて高いレベルのパフォーマンスを披露していた。特に船木さんの『もらい泣き』には本当に驚いた。
次いで岸本さん,宮本さん。岸本さんは『大阪で生まれた女』の謎のイロモノ感がなければ船木さん竹内さんに匹敵。宮本さんはとにかく全ての楽曲を「宮本佳林色」に染める能力が半端なく高い。
続き書きました https://anond.hatelabo.jp/20210106221023
さきの冬まで元気いっぱいうごいていたウイングがぴくりとも動かない……いったいスイッチを入れない間なにがあったのかと思うが、ウイングが動かないのでエアコンの真下にしか風を送れない。
今はなきナショナル製のもので、つまり買い替えのタイミングだったということなのだろう。
冗談抜きにエアコンに生殺与奪を握られているといっても過言ではないこの夏、なんと、寒がりの夫はエアコンの不調に対してさして痛痒を感じていないようで、買い替えようと相談しても反応が鈍かった。
「高いし…」と全然乗り気ではない。
たしかにエアコンは高いが命にはかえられないので、私は自腹で買い替えることに決めた。
新調したエアコンが、家庭に不穏な空気を流すにあたって、この自腹というのがポイントになった。
私の財布からすべて出すということは、この買い替えについての裁量はすべて私にあるということに他ならない。
どこで買うか、何を買うか、すべて私は独断することができた。
まだまだ外出自粛のご時世、家電量販店に出向く気にもならず、近所のなじみの電器店にすべてをお願いすることにし、必然的にエオリア一択。
下見に来た電器店の方とは、何畳用をつけるか、お掃除ロボのメリットデメリット、室外機の霜取り機能うんぬん、電気代…といった話にとどまり、いわゆるそれがIoT家電であるという認識は、実際にエアコンが取り付けられ、取説を開くまでまったくもっていなかった。
開いてはじめて「おっ、これがもののインターネット!」くらいのもんだった。
そしてこれはなかなか重要な点だと思うが、このエアコンがいくらして、どんな機能があるかという話は夫には特にしなかった。
その理由はさして興味もなさそうだったからに他ならない。それでも「スマホアプリ入れたら外から操作できるらしいよ」くらいのことは言った。
対して夫は、あー、今どきの家電だね、でもおれは別に家の外から操作できなくてもいいわ、というていどの反応で、当然アプリも入れなかった。
エオリアアプリをひらくと、画面の右上に、家の形をした小さなアイコンが表示される。
エアコン側の設定で「遠隔ひと検知」機能をオンにすると、エアコンのある部屋の家族の活動量が時間ごとにグラフ化され、それを見ることができるというものだ。
(空気清浄機能がついている機種では、空気の状態もチェックできるらしい)
注意書きとして「本サービスは監視サービスではありません」との記載があり、実際に、グラフ化される活動量も「ない」「少ない」「多い」というごくシンプルな3段階、部屋にいる人数などがはかれるような機能では決してない。
それでも、老人や子どもがいると異変に気付きやすいのかもしれないな、と思った。
夫婦ふたりの世帯のうちにはあまり必要性を感じず、私は当初この機能をオンにしていなかった。
ただ、そこをオフにしていたとしても、「おへやモニター」で、エアコンが稼働している時間帯は見ることができる。
私は、仕事から帰る前にこの機能を使って、夫がもう帰宅しているか、まだなのかを判断するようになった。
考えてもみなかった方向性で便利で、わたしはいい買い物したなと満足していた。部屋もちょうどよく冷えるし。
で、ここまで書けばだいたいわかると思うが、私はこの、エアコンが稼働している時間帯をスマホから見られるという機能をもって、本来ならば稼働しているはずのない昼間の時間帯に、どうやら我が家のエアコンが風を吹き出しているらしいのを、この夏数度発見している。
夫は仕事中に家に帰ってくるようなことはない、本来ならば。(リモートワークもしていない)
もしかしてタイマー設定のミス…? エアコンの不具合…? というのも考えなくはなかった。
そこで遠隔ひと検知機能をオンにしてみることで、エアコンが稼働している時間帯に、ばっちり家に人がいることをつかんだ。
ちなみに活動量は多いになっているタイミングが多く、稼働時間は2時間、多くて3時間程度。
さて、これをどうとらえるべきなのか。
この家には私と夫しか住んでいない。鍵をもっている第三者は私の知る限りいない。
他人がどうにかして鍵を入手し、たまに侵入しては、2~3時間涼んでいるという可能性も捨てきれないが、それよりは夫が帰宅している可能性が高いだろう。
…いったい何をしに? もうぜんぜん考えたくないよね~。
いまのところ、家に変わったところ(トイレットペーパーが朝に比べて減りまくってるとか)、かわったにおい、忘れ物、毛髪ふくめ落とし物…などの痕跡は見つけていないが、エアコンの季節がそろそろ終わろうとしている今、突き詰めて調べるのか、スルーするのか、そろそろ結論を出さなければならないのだろう。
ことが自宅でおこってるため、もしほんとうにそういうことなら証拠の隠滅は入念に行っているようだがカメラ仕掛けりゃ一発だろう。
私はエアコンを買い替えただけなので、このなりゆきにとても驚いている。探偵をやとったつもりはなかったが、気づけば部屋をいいかんじの温度にするのが得意な探偵を雇った感じになっている。
夫もアプリを入れていれば、あるいはもう少しこの夏のエアコンの買い替えに興味をもっていれば、もう少し夫婦間の会話があれば…外からエアコンの稼働時間がわかることに気づいていただろう。
どーすっかなーいろいろめんどくさすぎるだろ…と思って現実逃避に増田なんかしているが、万一私がこの家を出るような事態になったとして、このエアコンは必ず持ち出す。
それだけは決めている。
というかそれだけしか決めてない。
どうするかね本当に…意外な展開すぎて頭がおいつかないというか、おいつきたくないと願っているというか…
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※なんか伸びてる…帰ったら気になるトラバとブコメにレスさせてください
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こんばんは。なんかすごい伸びててびっくりしました。
いろいろと説や疑問が出てきているようなので、以下につらつら書いています。
そのあとすべてではないですが、勝手にレスさせてもらってます。
続編希望とたくさん書いてもらっていますが、この追記は続編ではありません。(そんなにはやくことはうごかない)
【説について】
●確実に否定できる説…
・義両親…故人
・実の親…600km離れたところに居住。コロナ禍の中無言でやってきてどうにか鍵入手して家入ってたら驚く。
・日光照射による誤作動…夏場外出中は遮光カーテン引きっぱなし。万一引き忘れても直射日光は入らない構造。
・エアコン側の設定…最初にうかれテンションで取説を読み、いる機能いらない機能を一度に設定、不穏な動きを感知した時点で見直しているので考えづらい
・IoT不具合…作日の私の書き方が悪かったところなのだけれど、「遠隔・ひと検知」機能は、エアコンを稼働させていない状態であっても、室内にいる人間の活動量が記録・グラフ化されるもので、エアコンの稼働時間帯がわかる機能とは別物。ただしそれらは「おへやモニター」というカテゴリでまとまっており、同じグラフで確認できる仕様。そして、「遠隔・ひと検知」による活動量の記録については、記録をとりはじめてから我々の生活時間とまったく齟齬がなく、昼間の不穏な例の時間についても活動量記録とエアコンの稼働時間帯は一致している。そのため誤作動の可能性は低いのではと考えています。
●うーんと思う説
・第三者の居住・侵入…セキュリティのことは書けないが、ちょっと難しいんじゃないかと。侵入はともかく、居住されてるとなるとさすがになんか痕跡残りそうだがどうなんでしょうね。
・単に休憩・自慰行為・AV鑑賞のために一時帰宅している… ルート営業・営業じゃないんですよ。ただ、自分の裁量で中抜けして帰ってくることはできなくはない。
昼間稼働していた日数については、周期性はなく、頻度的には会社にぎり中抜けを怪しまれないと想像できる程度です。
ここは具体的な職業はさすがに書けないので申し訳ないが、一緒に暮らす者の肌感覚として、そうまでして家で休憩することはないが、しかしご宿泊の対義語としてのご休憩ならあるいは…と思わせる線というか。
●だったらいいなと思う説
・エアコンが一人時間に退屈して、暇をもてあまし冷やしている … なにそれめっちゃかわいいな、やっぱりエオリアの親権は私が取ります
・エアコン自身が暑さに耐えかねて冷やしている … ブコメにも(ピュア)とあったがめっちゃかわいいな、この酷暑ならなくはないかも
【疑問について】
・活動量についてはどんな塩梅で記録されるのか:二人でいても座り作業(PC操作、TV鑑賞)等をしているときは「低い」となり、逆に一人であっても起居が多いと「多い」となる、そんな印象。ご休憩時はどうなんだろうな…? 一人でそれっぽい動きしてみるか(ほかにすることあるだろう)
・なぜエオリア一択なのか:いわゆる「街のでんきやさん」パナソニックショップで購入したからです
・ステマでは:ステマならパナソニックがこっそりお金くれるってことですかね…ほしい…。どっちかというとダイマですが、そもそもこれ読んで誰かエオリアほしくなりますかね。怖くないです? 私はわがことながら怖いです。(なんかだんだん自問自答になってきてほんとに怖いな)
【レス】
●トラバ 本題と離れたところですごい盛り上がっててびっくりした。男女や夫婦のことは盛り上がりますね
>関西人『オチないんかーい!!』
>つづきはウェブで!!
→やりとりに笑ってしまった
→どこではやってんですか? 興味あります
→笑ってしまった。たいていの探偵は部屋をいい感じの温度にはできないですよ
>疑心暗鬼こじらすより、早いところ原因突き止めたほうがいいんじゃないの 突き止めた後の行動は慎重にしたほうがいいかもしれないけど
→疑心暗鬼にはなってるけど、まだこじらせてないという認識だったんですが、増田に書く時点でこじらせてんのかもしれないですね
>エアコンの付け外しって、冷媒入れ直す必要があるから、あまり良い印象がない なので、家を出ていく場合、そのエアコンはくれてやり、慰謝料で新品を買うのが吉
→ああーなるほど。実家600km離れてますしね…。愛着出てきたし親権ほしいんですが…
【ブコメ】
●全般として
・具体的なカメラ機種・レコーダー機種などのアドバイス:ありがとうございました。検討します。録音のみでもというコメントもあったけど、もしほんとうにご休憩が行われてたとして、その音声だけきいちゃうと、映像を自分で想像してしまいそうで嫌なので録画のほうに舵を切ると思います。
・続編希望:もしほんとにクロならその後の展開なんてとても書く気にならないのですが…。起こってること不穏すぎて、おもわず軽い感じで書いてしまってますが、この胸自体はめちゃくちゃ轟いております。
ちらほら文章ほめてくださったかた、ことがことなのでお礼言うのもなんかあれですが、ありがとうございます、それでもうれしかったです。
・エアコンが動いてるのを察知したら早退・有休などで帰宅して現場をおさえては?:それやりたいの山々なんですが、個人情報管理に大変厳しい職場で、休憩中以外私用スマホを触れないのでなかなか難しいのです。
●個別
※敬称略
>bbbtttbbb カメラかー。カメラはかわいそうだなぁ。のびのびと目いっぱいオナニーしてるだけかもしれないってかそういう可能性のが高いと思うから
「のびのびと目いっぱいオナニー」って文言おもしろすぎません? 素直で無邪気で感動しました。
>haru-k すごい面白いから続編読ませてほしい。できれば勧善懲悪もので、決めシーンで爽やかな風がいっせいに吹き始めてほしい(エアコンから)
→笑ってしまいました。いっせいにってどういうことですか、複数台のエアコンからってこと…?
それはまさしく >sds-page びっくりするほどディストピア!びっくりするほどディストピア! って感じですね
>ellfield 『万一私がこの家を出るような事態になったとして、このエアコンは必ず持ち出す』……増田が肩にエアコンを担いで「俺たちの冒険はまだ始まったばかりだ!」みたいな絵面を想像した。
→最高ですね。ただ、エアコンはギリ担げたとして、室外機が…
→てめーらふざけんな、前後して心温まってんじゃねえぞ
→そっちのほうがまだいい
>mshota ちょっと楽しんでるやん→探偵をやとったつもりはなかったが、気づけば部屋をいいかんじの温度にするのが得意な探偵を雇った感じになっている。
→楽しんでないっすよ! 内容があれすぎるんであんま重い筆致にならないようにと思って…
>paperclipsquare エアコンに興味なかったくせに帰宅して涼んでるの面白い。
>NQQN 家にいるのが夫だとして、買い替えに非協力的だった割に内緒の帰宅中にエアコン堪能してるの嫌やわ〜〜とケチな感想抱いた
>zeromoon0 そもそもエアコンなんて家の大事な設備の買い替えに興味無いとかいう時点で不倫じゃなくてもマイナスポイント高い。
→…そーれなー!(9太郎)
>kabayakinkabayakin 丸太の代わりにエアコンを持った増田の絵が浮かぶ
>uskey “万一私がこの家を出るような事態になったとして、このエアコンは必ず持ち出す。” みんな丸太は持ったな!!で脳内再生された
→光栄です
>cl-gaku “「おっ、これがもののインターネット!」”リテラシー高いな
>mayumayu_nimolove オチが書いてないぞ!昼間エアコンが稼働してる日に突撃するとこまでがデフォで続きはCMの後で繋げるのが一流のテレビマンだろ。
→なにいってんの?
>komayuri 連載小説の第1話なら150点じゃないですか!
→ありがとう。2話未定です。
>behuckleberry02 なんでちょっとワクワクする書き方なんですか。面白くなっちゃうじゃないですか。
→いや、だから、内容が内容だけにあんま重い筆にならないように…。でも他人の家のこんな事情、面白がるよりほかにないです
>makimakiJP とにかく証拠保全!エアコン稼働する日に周期性があればピンポイントで探偵雇える。それなら安くあがるよ。決して相手に悟られないこと。自分の決心が決まったら動く。これが小町で得た私の知見です。小町にも来てね
→小町へのお招きとアドバイスほんとうにありがとう。小町は大学生の時すきでよく見てました。(とんだキャンパスライフ)
→アイコン最高ですね。ターャジス
>modal_soul ここからIoTに目覚め、「Alexa, OK, google、懲らしめてやりなさい」までたどり着いてほしい
→アレクサとグーグルホーム、どっちが助さんでどっちが格さんなのかは議論の余地ないですか?
>michiki_jp IoTのカギ、IoTのカメラなどIoT家電に投資して欲しい。なんなら寄付したい。
→本気で寄付してほしいと思ってしまってすみません。いやしい。
>nekomimist "ウイングがぴくりとも動かない" うちのパナのエアコンかな
>benking377 ダメな時のコナンが根拠に持ち出しそう
>RondonZoo "毛髪ふくめ落とし物…などの痕跡は見つけていない"これを完璧に処理するのは難しそう。見つけていないというより探していないなら可能性はあるかな。
→めちゃくちゃ目を皿にしてはまだ探してないけど、まったく探してないことは決してないです
>Dragoonriders "いったい何をしに? もうぜんぜん考えたくないよね" なんで見ないふりしてるんだろう。一生見ないフリするのだろうか。増田に書いてるんだからそれも人生か。ホラーでない限りはそこに人が居る事実は変わらない。
→一生はしないけど、いろいろ面倒だし、動き出すにはエネルギーいることなんで…。降ってわいたできごとで心の準備できてなかったってこともありますし。つまりそう、それも人生です。
>david_lynx 家族の相談ぬきで、共有する家電を買うのは男ばかりかと思ったら。
→言われてみれば確かに
>T-norf いいタイトルだなぁ。ちな、夫さんの尊厳のために、カメラ仕掛けるなら玄関ぐらいにしといてあげるといいと思う。他人の例ですまないが、男ってこういう生き物なので
→タイトルおほめいただきうれしいです。カメラ位置は検討します。玄関だとなんか本当にクリティカルなことが起こってたとして、言い逃れの余地を残しそうな気がします。
>noki_e 活動量多いが地味にくるな…ギュっとなってしまった。どうか誤検知誤作動であってくれ。増田が辛くならないことを願う
→シンプルに内心を気遣っていただき、ほんとうに痛み入ります。とてもありがたく思います。
→ぴちょんくんはパナじゃなくてダイキン(だれも突っ込んでないから思わず…)
>kokumaijp 昼間だけの闇Airbnbをやっている可能性
>ifttt "部屋をいいかんじの温度にするのが得意な探偵" バチボコ無能そう
→かわいいっしょ
>yetch “部屋をいいかんじの温度にするのが得意な探偵”なんかカワイイ
→かわいいっすよね
>namisk 「部屋をいいかんじの温度にするのが得意な探偵」とぼけた感じのキャラ。
→かわいいっすよねぇ
>metalmax 家政婦のミタゾノなら完全に黒だと思い込んで家庭崩壊してから実は黒ではなかった、いっしょになって盛り上げてたミタゾノさんが急に手のひら返してなんかいい感じの事を言う、また1からやり直そうってパターン。
→なんてニッチな感想。さっぱりわからんが興味深く読みました。
>quality1 女装して妻の下着の匂いを嗅いでたとか、良かったけど良くなくて困ってますみたいな感じで続きをお願いします
→いやぜんぜんいいですそれくらい。困りもしないし、この結末は理想的
なぜならあなたが症状があっても「濃厚接触者」じゃないとほぼPCR検査がうけられないから、症状のある人が過去14日のすべての通りすがりの病院の正式名称までをいちいち思い出して何度もググらなければならないからです。おかしいだろ。クラスタの名前が一覧でみられれば「あっその近くでバス待ちしたんだった」「どきっとした」とかあるだろ。
知らなかったでは済まされないと知る努力を市民に押し付けるつもりなら地名をはっきり都道府県サイトで公表しろ
身体的自覚があっても接触自覚がなければ検査がうけられないゆがみをどうにかしろ
5/1 墨田区の「山田記念病院」の関係者が32人、江東区の特別養護老人ホーム「北砂ホーム」の関係者が30人、練馬区の「練馬光が丘病院」の関係者が5人です。
4/30 神奈川県 横浜甦生病院 小田急線駅員 相模原市北里大学病院
4/30 東京都警視庁の警察学校 霞が関の国土交通省 江東区特養老人ホーム北砂ホーム
4/28 「聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院」
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000969.html?word_result=%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A+%E5%9B%BD%E5%86%85%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%8A%B6%E6%B3%81 このへん自分も体調崩してたからメモしてない
4/22 横浜のグループホーム、横浜市内の同じ病院に勤務する3人の医師
4/20 北海道 札幌呼吸器科病院 千歳市のグループホームぬくもりのさと 北海道がんセンター 札幌厚生病院 十勝岳ハイヤー 石橋胃腸病院
4/19 大阪のリハビリ病院 なみはやリハビリーテーションステーション 看護師に感染後も(感染病棟で)働かせる
4/18 大津市役所
テレビ朝日 ←追加
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200403/k10012365481000.html 4/3以前(終息)
森三中黒沢かずこ(4/22陰性2回。自己判断で休業、「複数の医療機関を受診して」PCR検査)
志村けん(死亡)
ラジバンダリ西井(4/22陰性2回)
ツイッター「コロナ闘病中」https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20200421-00000049-jnn-soci
岡江久美子(死亡)
https://www.jiji.com/jc/v7?id=coronavirusvip 有名人リスト
法政大、
東京大、
※クラスターが発生していることを公表できるということは、PCR検査をキチンと実施できる医療システムがあるし報道も動いているということなので、むしろ公表されてもいないし、そもそも把握されてもいない、という部分が一番危険です
うちの県がそうなので私はずっと怒っている
4/23 「埼玉県内では、21日までに感染が確認された686人のうち半数以上の349人が、病床がひっ迫していることなどから自宅での待機を余儀なくされています。」www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20200423/1000047916.html
その日の厚生労働省発表の入院待機者(全国)329名 ねえどういうことなの?
感染してるような症状がでたらどうしたらいい?
馴染んだスーパーにも病院にも迷惑をかけられずにでかけられずすれ違う人におびえて外に一切出ず
※座ってるしかできないくらいの息苦しさがでたら保健所に電話するのではなく救急車のほうを呼ぼう