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2022-05-31

表現の自由重視の参院選候補者が多くて嬉しい

今度の参院選コンテンツ系表現の自由保護に関して勢力的に活動してくれている候補者が多くて嬉しい。

この分野では知名度トップクラス赤松健と、同じく自民から藤末健三。

表現の自由イシューに関してはマイナスイメージが広まっている立民からも栗下善行出馬

俺はよく知らんが、維新松浦大悟って人もそっち系に強いらしい。

(敬称略)

こうやってコンテンツを守ることをメインイシューに置いた政治家が何人も出てきてくれるとは、良い世の中になったもんだ。

国政選挙で良い意味投票先を迷えるとは思えなかった。

政治全体で見たら目くそ鼻くそを比べ合うような悲しい選挙になりそうだし、あくま限定的ジャンルの話ではあるけれど、ともあれ。

唯一の懸念投票先がバラけることで一人一人の票が伸び悩んで共倒れになることだけど、そのリスクはまあ民主主義なら仕方ないことか。

表現の自由問題は54万票獲得で山田太郎議員が有名になった時よりもさらに加熱していて、所謂"オタク票"はもっと伸びると思うし、一人でも多くの表現の自由議員国会に立ってくれると良いなぁ。

2022-05-28

テコンドーオリンピック日本代表肩書

なんかオリンピック出場の肩書仕事してるテコンドー人が謎に多いので、今までオリンピック(公開種目時代を除く)に出場した日本人選手を列挙していく(以下、敬称略)。

 

2000年シドニー五輪テコンドー公式種目化)

男子58kg級 樋口清輝(一回戦敗退。現、全日本テコンドー連盟 熊本県テコンドー協会 理事。)

女子67kg級 岡本依子銅メダル。現、テコンドー指導者牧師

 

2004年アテネ五輪

女子67kg超級 岡本依子(一回戦敗退。二大会連続出場)

 

2008年北京五輪

女子67kg級 岡本依子(一回戦敗退。三大会連続出場)

 

2012年ロンドン五輪

女子49kg級 笠原江梨香三位決定戦敗退)

女子57kg級 濱田真由三位決定戦敗退)

 

2016年リオ五輪

女子57kg級 濱田真由(準々決勝敗退)

 

2021年東京五輪

男子58㎏級 鈴木セルヒオ開催国枠出場。一回戦敗退。現役)

男子68㎏級 鈴木リカルド開催国枠出場。一回戦敗退。現役)

女子49㎏級 山田美諭(開催国枠出場。5位。現役)

女子57kg級 濱田真由開催国枠出場。11位)

※ 団体戦エキシビションであり、競技としては存在せず。オリンピック出場選手にはカウントされない。

 

こうして並べてみると、予選勝ち上がって出場する事の難しさを痛感しますね。

そんな中で唯一予選を勝ち上がって出場してる樋口先生は流石ですね。

2022-05-26

前の会社呪い

前に勤めていた会社の話。

書き殴りだけど、書いて向き合うことで楽になれたらと思った。

多少のフェイクあり。

登場人物(敬称略)

私…新社会人ピヨピヨ新卒飲食業接客業経験あり

A…部長みたいな役職上司

B…部の発足当時からいるベテラン上司

会社接客業ブラック多忙

部署…何でも屋みたいなところ。少数精鋭(ブラック)

_____

私は就業2日目から電話を取っていた。

新卒事務職初めてだったので、正しい言葉遣いが分からない。電話作法も分からない。

電話を終えた後はいつも指摘が入る。

A「今何回『えーっと』っていったと思う? そんなに『えーっと』ばかり言ってる人から説明されたらお客様不安になるよね?」

私「はいすみません

A「あとお客様に謝るときは『申し訳ございません』だよね」

私「はい、そうです」

A「それからお客様同意するときは『左様でございますか』って言おうね。『そうでございますか』って何…?」

私「…気を付けます

A「あ、あとこれもなんだけど…(以下略)」

フィードバックを沢山くれた。私が至らなかったことが多くとてもありがたかったけど辛かった。後から言うくらいなら先にマナーを教えて欲しい。ほぼ研修も無かった。一通り覚えてから電話番が良かった。

事件1:就業(確か)3日目くらいの話

最初の内は、電話は全て上司に取り次ぐよう言われてた。

多分就業3日目くらいのことである

電話が鳴ったので震えながら出た。

私「〇〇会社の私でございます

客「もしもし、〇〇です。今日の◎$♪のことなんだけど◎$♪×△¥●&?#$にお願いしてて?◎$♪×△¥●&?#$!…」

何を言っているのかよく分からなかった。でも何か手配が必要そうだったからとりあえず上司に投げようとする。

私「分かりました。それでは担当の方にお繋ぎしてもよろしいですか?」

客「何で代わる必要があるの?◎$♪×△¥●&?#$!を△¥●&ってだけじゃん!!」

私「申し訳ございません。私では分からないので…」

客「あん日本語からないの? ¥●&?#$!って言ってんの!! こっちは時間がないんだからさっさとしなさいよ!!!

私「申し訳ありません! 大変申し訳ありません!」

就業3日目だが…?(白目)

とりあえず上司電話を繋げと言われているのに渡せない。何を言ってるのか分からない。謝るしかできない。

パニックになった私からBさんが受話器を取り上げて無理やり代わった。

B「お電話変わりましたBと申します。大変申し訳ございません…。はいはいかしこまりました。はい承知いたしました。はい、そのようにいたします。ええ、それでは失礼いたします」

電話は1分もしないうちに切れた。

Bさんが

お客様がお忙しいのに親切で掛けてくださったみたいですよ」

と告げた。

正直内容は覚えてないが、別に掛けて来なくても支障のない電話だった。「親切で」掛けて来てくださったものだったらしい。

Aさんが

どうしてこうなったの? ただ『申し伝えておきます』って言えば良かったのに」

と言った。

申し伝えておきます、って何ですか、とは言えなかった。そんな言葉遣い一度も使ったことない。ましてや全ての電話を取り次ぐよう言われていたのに「申し伝えておきますで良かったのに」なんて言われなきゃいけないんだろう。

私はお客様から電話特別対応必要なのかもしれないと考えたから代わろうと思ったのに。

ここから先はショックで思い出せない。ただ泣きじゃくって過呼吸になった記憶しかない。

事件2:私がいじめてるみたいじゃん

多分2週間くらい経った頃の話。

上司Aがいない時に電話がかかって取った。掛けてきたのは陽気なタイプの方だった。

私「〇〇会社の私でございます

客?「え? 私と苗字同じです〜!すご〜い運命ですね〜!!!

みたいな感じでキャッキャと勝手に盛り上がられた。そんなの知らん。

あっ、そうなんですねーと愛想笑いで返す。

でも早口で何を言っているか分かりにくい。かろうじて多分営業じゃないかと分かった。

営業のお電話お断りするように言われているので

私「営業のお電話でしょうか」

と聞いてみるとなんか濁された。そして

客?「A様はいらっしゃいますか?」

と尋ねられる。

私「あの営業のお電話は全てお断りしております申し訳ございません」

と言うと

客?「そうですか〜。ではA様にこちらにお掛けいただきますようお願いいたします」

みたいなことを言われて切られた。

どうすればいいのかオロオロしているとBさんが

B「誰から電話だったの?」

と聞いて来たので

私「わからないです、多分営業のお電話でした」

B「着信履歴から調べた?」

私は着信履歴見方が分からなかったのでこう言った。

私「いや…分からなくて」

B「そう。楽しそうに馬鹿笑いしてたのにどこからかかって来たかからないんだ。お客様から電話だったらどうするんだろうね…」

と鼻で笑った。

ここで勘違いが起きている。

私は着信履歴見方が分からずに「分からなくて」と言った。

それをBさんが

着信履歴を見て調べたけれど、どこから掛かって来たのか「分からなくて」』

だと解釈してそう言った。

私はBさんの言葉に「お客様から電話だったらまずい」と思ってずっと落ち込んでいた。終礼で今日の報告をする時にその件を伝えた。

Aさんが

着信履歴を見てGoogle検索してみた?」

そう聞いて来たので

見方が分からなかったので見てないです」

と正直に告げた。

するとBさんが

「え? 見方知らなかったの?」

と驚いた。

「知らなかったです」

Aさんが見方を教えてくれたので調べたら本当に営業電話だった。とても安心したのも束の間、Bさんが

「どうしてそう言わなかったの? 私が仕事教えないでいじめてるみたいじゃん」

みたいなことを言い出して、それからはもう覚えてない。

ただショックでさっきの「馬鹿笑いしてたのにね」のフレーズを思い出して悲しくなってもう電話は二度と取りたくないと思った。してたのは馬鹿笑いじゃなくて愛想笑いだ。もう何もわからない。苦しかった。

印刷が剥げて数字ボタンもわからないようなボロボロの子機でどうやって着信履歴見るんだよ。

ここら辺でぷつりと糸が切れた。

事件3:えーカウンター

私は電話中だけでなく、会話でも「えー」「えっとー」を多用していたみたいだった。

業務を教わって

B「じゃあ私がさっき教えたこ説明してみて」

と言われ説明をしてる際、Bさんがおもむろに紙を出して

「今から何回えーって言ったか数えるから

と言って正の字で数え始めた。

私「〇〇が〇〇で〜、え〜っと」

B「はい1回」

私「あ、違…。えっ…その…」

B「2回目」

私「〇〇が…〇〇が〇〇になって…えっ…」

B「3回目」

ー中略ー

私「えっ…えーと…」

B「(無言で正の字を書く)」

私「あっ…そ、その…〇〇が…〇〇が…」

B「〇〇が何?」

私「〇〇がっ…〇、〇〇が…」

ここで過呼吸になって「トイレ行きます」と言って逃げた。

ボロボロ泣いた。苦しかった。

今思えば大したことなかったかもしれないけど、圧迫感みたいな、強迫されているような感じで当時はとても嫌だった。

今は辞めてよかったと本当に思っている。

あの会社は私には全く向いていなかった。

でも今でもこの会社のことを思い出して苦しくなる。涙が出そうになる。フラッシュバックする。トラウマになっている。電話が怖い。あの着信音を思い出すだけで怖くなる。

苦しい。

書き殴って見つめ直して、少しでも楽になれたらいいのに。

あれからずっと電話トラウマだ。

上手く話せないし慌ててしまうしパニックになってしまう。

電話を怯えずに取れるようになりたい。

受け答えがスムーズにできるようになりたい。

お仕事難しい。

楽になりたい。

早く呪いから逃れたい。

2022-05-13

ポール牧という名前増田に出てたので調べてみた。

ついでに自死した芸能人を見ていた。

昔の知り合いでAB型の奴が言ってたのは、

自殺する人が多い血液型はAB」だった。

でもこれを見ると、少し疑問に思う。

誰かそんな統計の事、知ってる人いる?


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%83%BB%E8%87%AA%E6%B1%BA%E3%83%BB%E8%87%AA%E5%AE%B3%E3%81%97%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%91%97%E5%90%8D%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7

ポール牧 AB

上原美優

伊良部秀輝

藤圭子 B?

木村花 A

三浦春馬 AB

竹内結子 A

神田沙也加 A

渡辺裕之 B

上島竜平 AB

敬称略

2022-04-10

これってオープンレタープロトタイプ

緊急の呼びかけ > 【署名対象者変更につき4/10まで期間延長】賛同の呼びかけ:トランス女性に対する差別排除とに反対するフェミニストおよびジェンダーセクシュアリティ研究者声明 | ウィメンズアクションネットワーク Women's Action Network
https://wan.or.jp/article/show/8254


2019年2月末の記事っぽい


オープンレターが出るより2年以上前にこういう取り組みがあって、呼び掛け人には小宮友根、清水晶子、山口智美敬称略50音順)が含まれている

また、公開して2ヶ月ほどで2715名の賛同者を集めたようだが、今もなお彼ら全員の名前(と所属)を公開しているようだ


> なお、3,342名から署名が集まりましたが、同一の賛同者による重複署名、氏名の入力 がない署名、氏名ととらえがたい文字列署名については除外し、有効賛同者数には含めませんでした



オープンレター 女性差別的な文化を脱するために』では十分になされていなかった、もとい恣意的運用されていた不審署名者の除外は、こちらではきちんと機能したのだろうか?

また賛同人について、まだ全て把握できていないが、もしかして相当数が被っていたりしないだろうか……?



最後に、感覚的な話となってしまうが、この運動声明文とオープンレター本文と読み比べると、文体から非常に似たような雰囲気を感じた(言い回しにひどく既視感を持った)

不寛容」を「非寛容」と書きがちな北村センセの例のように、自然言語解析に掛けたら何らかオモシロい一致が見られたりしませんかねぇ




2022-04-09

anond:20220409192642

○巻頭メッセージ

憲法民主主義」「原発」「沖縄基地」「差別貧困解説

津田大介ジャーナリスト

メッセージ寄稿者(順不同、敬称略

海渡雄一弁護士

岩井俊二映画監督

想田和弘映画監督

熊谷和徳タップダンサー

水上貴央(弁護士 ReDEMOS

島田雅彦小説家

茂木健一郎脳科学者)

谷口真由美(法学者 全日本おばちゃん党

田原総一朗ジャーナリスト

いとうせいこう小説家 クリエーター

田坂広志(多摩大学大学院教授

稲垣えみ子(元新聞記者 アフロ&超節電生活

蓮池透(元原発技術者)

遠藤ミチロウミュージシャン

目取真俊小説家

中山きく(元白梅学徒隊 語り部

屋良朝博(ジャーナリスト

仲村颯悟(映画監督

大田昌秀(元沖縄県知事 社会学者

香山リカ精神科医

ドリアン助川詩人 作家 ミュージシャン

浜矩子経済学者

森達也映画監督

桑原功一(フリーハガー

島本脩二(編集者 『日本国憲法』)

園子温映画監督 アーティスト

むのたけじジャーナリスト

上原良司(元学徒兵特攻隊員 故人)

奥田愛基市民活動家 SEALDs ReDEMOS

写真(順不同、敬称略

安田菜津紀佐藤慧、齊藤靖行、森住卓山城博明、丸田祥三、会田邦秋、福島菊次郎

○そのほか

若者座談会

若者への推薦図書一覧

巻末付録「今さら訊けない(?)選挙ABC

カバーイラスト

江口寿史

装幀

祖父江慎+コズフィッシュ

2022-01-30

anond:20220130140506

これもいいね

ホリエモンが「人を使うのが下手なヤツはいつか倒れる」と主張する真意

2021/11/28(日) 20:43配信

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ITmedia ビジネスオンライン

アイティメディアインタビューに応える堀江貴文氏(撮影山崎裕一)

 あまたの事業成功させてきた起業家ホリエモンこと堀江貴文時代の寵児(ちょうじ)といわれ、ITビジネス宇宙事業など、それまでの常識を覆す手法で自らの構想や事業を実現してきた。ただ、初めからその背景に莫大な資金や、特殊な才能があったわけではない。 堀江自身が好きなことに没頭してきた結果、ビジネスが生まれていったのだ。

【一気に見る】「堀江さんが最も大切にしているものは何ですか?」への回答

 起業家堀江メッセージは、いたってシンプルだ。

 あえてレールから外れよ。

 3歳児の気持ちで、のめり込め。

 常識とか世間体なんか、ぜんぶ無視だ!

 近刊非常識に生きる』(小学館集英社プロダクション)では「自分人生を取り戻す」ための、41の行動スキル指南している。書籍の内容から堀江が考える経営者必要な考え方を語ってもらった。

甘え上手が最強。弱い自分さらけだせ!

 自分のなかで一番を決めるのは好きではないのだけど、「堀江さんが最も大切にしているものは何ですか?」とあまりにたくさん聞かれるので、とりあえず「時間です」と答えている。それ以上、説明するのは面倒くさいので、詳しい理由は省く。

 シンプルに言うなら、時間とは、最も貴重な資源なのだ

 僕はふだんから時間を1秒でも最適化するために、さまざまな技術を持った有能な人たちの助けを得ている。密度の高い人生は多くの人に助けてもらって、初めて成り立っているのだ。僕が立ち上げたたくさんの事業に関わってもらっている、何百人ものスタッフはいつも感謝している。

 僕はプログラムはできるし、お金管理能力もある。ビジネスパーソンとしての総合力は、かなり高い方だろう。けれど、僕よりもっと出来のいいビジネスパーソンは、身近に何人もいる。レベルの高い人たちと一緒にいるから、何でもかんでも自分ひとりで処理してしまおうとは、思わない。

 もしかしたら、ひとりである程度、うまくできるのかもしれないが、それで余分な時間が取られてしまタイムロスを避けたいのだ。

 他人に任せられる仕事は、他人の手を頼りまくることをまず選ぶ。

 人に任せたぶん、別の新しいことに時間を注ぎたいのだ。

 手柄が任せた人のものになるのも、抵抗がない。時間がもらえるなら、手柄なんかどうでもいいのだ。

 サラリーマンには、自分ひとりで何でもこなしたい人がいる。部下や同僚の能力を下に見て一匹狼を気取り、ひとりで仕事を進めてしまう。それがストレスフリーだというなら結構だが、賢い生き方ではない。

 自分を使うだけで、人を使うのが下手なヤツは、いずれエネルギーを使い果たし、倒れるだろう。そのとき、誰かが助けてくれるだろうか?

優れた人に甘え倒すのが、賢いビジネスパーソン

 いまの時代、何でもできる! というアピールは得策ではない。できるヤツは、上にいくらでもいるのだ。能力アピールより、できない自分さらけだし、「助けて」と平気で言える人の方が好感を持たれる。助けてくれる人も集まりやすい。

 ひとりで何でもやろうとしてはいけないのだ。逆に成長のスピードを遅くする。

 お金を出せるなら出していいし、手の空いてる同僚や部下に遠慮なく振ってしまおう。優れた人に甘え倒すのが、賢いビジネスパーソンだ。

 組織のなかでの協調性を高めよう、などと言いたいわけではない。別に周囲のご機嫌を取る必要なんかは、ないのだ。やりたいことをよりスムーズに、大きなレベルで進めていくには、周囲のスキルを使わせてもらった方が、実利は大きい。

 遠慮したり意地を張らないで、他人の手を借りまくろう!

 あなたの面倒な仕事を引き受けたがっている人は、必ずいる。

 何でも人任せで甘ったれるのは論外だが、自分が苦しいときに無理して強がるのはいけない。何の得にもならない。弱さをさらけだす勇気を持とう。

 弱みをさらけだし他人を頼る人は、嫌われてしまうと勘違いしていないか? 誤解だ。弱みを躊躇(ちゅうちょ)なくさらけだせる人は、逆にモテるのだ。

 人は、「助けて」と口に出して言う人を、助けたいと思うようにできている。基本的に、人はみんなおせっかいなのだ

 堂々と頭を下げ、できる人の厄介になってしまおう。(敬称略

2022-01-26

子ども向け番組ルッキズムガバ論とか

子ども向け番組に感じた違和感の正体…ヒーローと悪役の見た目から考えるルッキズム山崎ナオコーラさんに聞く』

https://news.yahoo.co.jp/articles/1f4617873399c61edb2f30eb519e6312a2aa7d3e

ツッコんだ時点で負けのようなガバガバ論だったが、やはり突っ込まずにはいられなかったのでツッコんでおく(敗北)。

山崎さん(以下敬称略) 日本の子ども向けのアニメ番組戦隊ヒーロー番組などでは、悪役のキャラクターが黒っぽい色で表現されたり、目を細くつり上げられていたり、歯がギザギザとがっていたりすることがまだありますね。このように、外見とキャラクター悪者である、といった性格や設定)をひもづけるのがルッキズムです。

幼いころから「悪そうな見た目の相手はやっつけてもいい」とするルッキズムが刷り込まれしまっていたんですね。

お手本のようなガバ論。

この特徴で真っ先に思い浮かんだのは「Go!プリンセスプリキュア」のクローズ(https://www.toei-anim.co.jp/tv/princess_precure/character/close.php)。

彼は悪役らしい見た目に違わず1話から主人公キュアフローラの敵として登場するが、しかし最終的にはフローラと対になる存在としても描かれ、彼女に新たな価値観を与え、ある種爽やかなエンドを迎える。

「悪そうな見た目の相手はやっつけてもいい」ではなく、寧ろ、「一見悪そうな見た目に見えても独自流儀を持ち、時として主人公サイドに劣らぬ価値観を持つ」ということを象徴するキャラクターである

『善と悪は戦いながら 終わりのないメビウスの輪 正義だって立場で変わる それが現実なんだね』(クローズ所属する敵組織キャラソン「Perfect Black」から引用)

上記山崎ナオコーラ氏の論に従うと、悪役キャラを悪役的な記号で示すのがそもそも間違いだということになるが、それは逆に危険な考えではないのか。

大切なのは「見た目に関わらず、作中で重要役割を持ち、活躍する」ことである

悪役らしい見た目のキャラが単に倒されるばかりの作品ならば議論に値するかもしれないが、現実の子ども向け番組はそうではない。寧ろテンプレの悪役キャラの方が珍しく、皆何かしらの主義主張や背景を持ち、既存価値観に一石を投じていくことが多い(時には喋らぬ怪獣すら)。

また、子ども向け番組では子ども一見して味方と敵を判断やすくするために、製作の都合上使われるカラーリング統一されがちであるということも付け加えておく。

次。

子供向けのアニメ特撮ものも、一見外見が良く、正義の見方と思われるキャラが、悪者って言う展開も、子供教育必要だと思う。

ヤフコメより引用したが、これはそもそも書いた人間認識が間違っている。

一見正義の味方に見えて実は悪者であるというキャラクター子ども向け番組にどれだけいることか!

例として最もわかりやすいのは「仮面ライダーゼロワン」より天津垓だろうか(https://www.tv-asahi.co.jp/zero-one/cast/gai.html)。

作中では大企業・ZAIAエンタープライズジャパン代表取締役社長であり、白基調服装クリーンイメージ言動も丁寧。

変身した姿・仮面ライダーサウザー金色王道にかっこよくデザインされており、動物モチーフには子どもに人気のコーカサスオオカブトが使われていて隙がない。

作中では、洗練された社会人である天津に対して、新米社長である主人公言動の粗が目立つというシーンも存在した。

ゼロワンだけでなく、実は悪者であるというキャラクターはそこら中におり、もはや子ども向け番組テンプレの1つと言ってもいい。

批判したり、提案をするならせめて事実に基づいてしてほしいところである

存在しない事実を挙げて教育を憂う人は一体何と戦っているんだろう...。

どうせならちゃん番組を視聴し、誠実に議論をしてほしい。

ということで自分から一点、子供向け番組ルッキズムに対する問題提起をしておく。

上でも紹介する仮面ライダーゼロワンでは「ヒューマギア」という、人間によってつくられた人間そっくりの人造ロボットが多数登場する。

ゼロワン世界ではこのヒューマギア一般流通して社会を支える歯車の1つになっているのだが、一覧(https://www.kamen-rider-official.com/zukan/character/1749)を見るとしばしば既存価値観再生産のような見た目のヒューマギアもいる。

白衣の天使ましろちゃん」は素直に捉えれば「看護してもらうナース美人かわいい方がいい」という願望を反映した見た目・ネーミングだと考えられるし(他のヒューマギアはこんなにキラキラした名前ではない)、ラッパーと言えば黒人アフロだぜ!と言わんばかりの「MCチェケラ」などもいる(他の職業ヒューマギア殆ど一般的な日本人の見た目)。

前述の通りこのヒューマギアたちは人間によって開発された「商品」であり、これらの価値観ゼロワン世界意図的再生産されているというのは、議論余地がある点かと思う。

というかルッキズムって本来こういうのをもうちょっとどうにかしようよ、という話じゃないの?

2022-01-20

パッションをぶつけようと思ったけど卑怯なので増田

https://omocoro.jp/kiji/317659/?s=09

まずこちらの記事、嫌いである。訳が分からん

オモコロ記事が訳分からんから嫌いとか向いてねぇから帰れよと仰る方もいるだろうがオモコロは概ね好きなうえでこの記事が嫌いなのだ

オモコロ分からん界でもトップARuFa(敬称略)だと考えているが、彼の訳の分からなさは「意味不明のAが理解不能のBになる」という展開が多く、こちらも「お!今回はどんなバカやってくれちゃったのかな〜?」の気持ちで読むことができる。予定調和予測不能から楽しいのだ。ホーム・アローン泥棒が次どんな罠にかかるのかワクワクする気持ちに近い。

対してこちらの記事は最強のパスタ……最強のスパゲッティ。近年Twitter料理人大袈裟で逆に魅力のない煽りを散々見てきた中でシンプルに最強の二文字となればなるほど出してみよの気持ちで挑むことになる。

なにしろスパゲッティは独居人類の強い味方。一戸一皿の最強があると思っている。我が家の最強と君の最強、比べてやろうぜの気持ちでこの記事を開いた。

オモコロ意味不明インターネットだが同時にやり手広告会社でもありグルメ情報PR・非PRわずなかなか力の入ったものも多い(オススメはこれと言って思いつかない。オモコロの8割は脳を通り過ぎる途中で霧散するので)

そんな中で最強のスパゲッティだ。よほど自信があるんだろう。

まあ枕でフリー素材を多用し横道に逸れていくのもオモコロでは珍しいことでもない。最強に支障はない。

そして記事スクロールしていくと現れる龍。なるほどなるほど……。

支離滅裂インターネット一定需要がある。なるほどなるほど……。

全く無意味スカイリム情報、合っているのか間違っているのかもわからない。なるほどな。

なるほどなるほど……で、スパゲッティは?

タイムスリップ?ない?は?

なんとかなった?お!スパゲッティは?

……は?

イオイオイオイオイ……。

スパゲッティは?

あっ、編集後記!

オモコロには記事の末尾に画像数枚とごく短いメッセージで今回の記事のこぼれ話や補足が行われていることがある。

おそらくそこでスパゲッティの味や完食した皿、レシピがあるに違いない。

どれどれ〜?

……。

龍が何時間かかって何が大変でなんて説明してんじゃねえよ!!!!!

なに僕も苦労したからこれに免じてみたいな面してんだよ!関係ねぇだろそっちが勝手にやったことはよ!

こっちは君の最強のスパゲッティを見に来てんのになにプロ仕事の裏側……こうなってるんですみたいな得意げな雰囲気漂わせてんだよ!

制作過程は出しても苦労してますアピールすんな!

おもしろ努力を感じさせるな!

なにより最強のスパゲッティ!!!!!!!!!!!

出すべきはスパゲッティだろ!

出せよ!

最強なんだろ!出せ!

お前の思う最強のスパゲッティを!出せ!

なぁ!

なんでだ!

なんで裏切った!

最強のスパゲッティ……見たかったんだよ!

最強のスパゲッティ

最強のスパゲッティ

最強のスパゲッティ

最強のスパゲッティ

2021-12-31

パチスロ演者YouTubeがつまらなくなった話

どこかの媒体に属しているパチスロ演者YouTubeがつまらなくて最近見る気がおきない。

登場人物がいっぱい出てくるけど敬称略名前出してる人を批判してますけどだいたいみんな好きで一部を除いてほぼ見てます

昔見ていたYouTubeで有名だった演者達は皆つまらなくなったと感じる。

シーサがオワコンなのはゴッドなどの一撃のヒキを見せれなくなったからつまらなくなったという動画をどこかで見た。最近思うのがシーサだけでなく他の演者もやる気がなかったり茶番だけで押し切ってる感じがすごい。

・みんな惰性で打ってる

何か事故ったらサムネイル用に大袈裟リアクションしてるだけじゃん…

とにかく台がつまらないのでどれだけ演者がうわ〜〜って言おうがこっちにはその人が本当に今の台をもっと打ちたいって感じや楽しんでる感じが全く伝わってこない。特に寺井一択、あと女

女は話もつまらいから誰かと対決したり連れ打ちしたりばかりで本当に見てられない。サムネイルで女ってすぐ分かるのだけがありがたい。見なくていいから。

あと一応フォローしておくと寺井一択は好きなので現在進行形で見てる。黒バラを無断でパクってた頃は本当に面白かっただけに余計悲しい。

忙しいからかもしれないけど今の寺井一択動画撮れ高みたいなの気にしすぎて迷走してる。今日は負ける雰囲気→設定も良く中途半端に出る→不機嫌になって二度と打たないと言って実践終了、これを見せられてこっちはどうしろと?

アルドノアゼロは確かにクソ台だけど視聴者に二度と見ないって言われてもおかしくないぞ?

もはやもっくん以下。クランキー記事を書いてた頃からやり直してほしい。

プロ意識低ない?

あくま演者ってパチスロ打って出演料と再生数稼いでご飯食べてる(食べようとしてる)わけじゃん?

で、主に有象無象演者知識も立ち回りもクソなので見てる側を楽しませる、これで戦ってるわけじゃん?

いくらサムネイルで頑張って釣っても手抜き実践は分かるよ。それをされるともう見なくていっかって思っちゃう

・5号機から何も成長しなかった演者

5号機AT時代はそれでもよかったんだよ。凱旋のSGGや天井で見せ場作れたり、ハーデスで2万枚出したら再生数もドカンと跳ね上がるんだから

そもそも万枚の呪いに取り憑かれて一撃を目指そうと荒い台しか打ってこなかった人は今も5号機の番長星矢まどマギ2を打ち続けている。そして全然伸びていない感じがする。

まりもの新台実践動画面白いかどうかは置いといてまた次も見ようと思う。えなこや絶笑といったクソ台の回にもどこがどうクソなのか、打ち手としてひとつひとつ説明している。そのクソ台ときちんと向き合ってる証拠だと思う。だから実際打ったことのある人はそのクソ感に対して共感できるしまた見ようと思うのだ。

まあそもそもまりもはライターあがりでパチスロの腕も知識トークスキル演者とは違うって言われたらそれまでなんだけど

・昔の動画のほうが面白いのか?

これは分からないけれどそう感じてしまう。そもそも昔の台のほうが今より面白いかたかと言われたらそうでもない。5号機AT時代前のズルズルとハマってボーナス引いてもART入らず、ART入っても駆け抜け終了の動画なんて腐るほどあるので一概には言えない。

サイトセブンちょっと前、昔のおもスロやたまくしげなどを出している。数字のとれない演者はやれないと感じたのか。

たまくしげを改めて見ると懐かしさを感じながら割と面白かったが、やはり今の6号機で作られると面白いかは分からない。そもそもテレビ用で企画もしっかり作られているため比較は難しいのかもしれない。

それでもバトルリーグはクソつまらなかった。それは今も昔も変わらずだった。

いかに台と向き合えるか

今の台が規制が辛い、もうこれは仕方ないこと。視聴者側も分かってる。

6号機は一撃(といっても2400枚だけど)出るようにすればリゼロのような無抽選区間が生じる、それをしないなら叛逆のようなミミズのようなグラフしか描かない。鉄拳デビルは見せ場作れる可能性もあるけどATすら見せれない可能性もある。

まり絶対どこかに歪みが生じるんだよ、規制上6号機は100点満点の台なんか出せないんだよ。それでもその中で好きな台を打ってる動画を見つけたか視聴者側はクリックしてるんだよ。

それを知ってか知らずか演者は揃いも揃って台を見せる気がない。それだけでなくつまらなそうに打ち、二度と打たないと寺井一択は言う。

もうリールを見せずに打ち手の退屈そうな横顔で画面の半分使うのをもうやめにしてほしい。5年前ならそれで良かったんだけど令和3年でもそれを続けるのはキツいよ。

リアクションを見たいわけじゃない

パチスロ動画なんだからあくまでメインはパチスロ演者あくまでおまけであってほしい。演者側に知識がないのは全然いい。仕方ない。

ただ知らないならじゃあこれは特化ゾーンかな?みたいなことはしゃべるなと思ってしまう。演者の顔なんか映さなくても動画は成り立つしむしろさないほうが見やすい。

なんなら下手な話だったらいらないし本当に見せたいリアクション茶番は後から編集で付け加えたらいいだけ。いちいち手を止めてリアクションして知り合い呼びにいってうお〜ってしなくてもいいよ。


じゃあパチスロYouTubeは全てオワコンなのか?と言われるとそんなことはない。

面白いと思ったチャンネルや人はたくさんいました。

研修オワコンチャンネル、令和ベストテン、現役設定師などの動画最近界隈であったニュース新台情報をまとめておりとても参考になる。実践動画ではないので更新頻度が高いのもいい。

アウトローの話が好きなら大崎一万発やヒロシヤング、昔からライターの話はやはりとても面白い。

昔話と作り話だとパチッターが面白かった。今はパチマニという名前に変わってる。

プロの立ち回りを参考にするなら狐であったり解析者ヲ猿の動画勉強になる。ヲ猿は好き嫌い分かれるが狐は動画も丁寧で(少し丁寧すぎる気もするが)分かりやすい。負けている人は絶対見たほうがいい。

ここまでは非実践動画

実践だと桜鷹虎が見やすい。(メーカーでの案件動画を除く)新台も最速で上げてくれるしこの動画を見たら大体どんな台か分かる。

そもそも他の演者が顔出しと声ありでやってる試打動画が分かりづらすぎる。通常時どこを狙って下さいとか見てりゃ分かる情報なんか6号機のほとんどの機種はいらないし、試打動画なんてメーカー仕様で打ってるデモ機だからどうせそんな挙動しないでしょって場合も多い。それより実際にホールに置いてある台がどんな挙動をするのかを知りたい。

そんな中、桜鷹虎は話もリアクションもせず淡々と進んでいく。実践中は編集もあっさりしていて本当に見やすい。

パチンコだけどプロ実践だとわーさん

面白いかどうかは別、だってただのプロが稼働するだけだから面白さは必要ない。それでも他の動画にない強みがプロガチ実践するという点。関西弁大丈夫なら見れると思う。

ガリぞう動画とかは決められたホールでの立ち回りなのでやはりリアルではない。同じパチンコプロでいくとトラマツがいるがわーさんに再生数で負けていた。

実践かつ企画番組好きな人だとてえんだ、ポンコツメガカスなどが見やすくて面白い。マイナーパチンコ屋や旅打ちなどに焦点を当てている動画も多く、見ていてほっこりする。一番演者に近いかな。

ウラキープラザパチンコ屋の裏側を知れて面白い。ゴト動画とかカス台を文句言いながら打つ動画バラエティー番組見てる感じになる。ただ後ろで店員が他の店員面白がって殴ってる体育会系のノリはどちゃくそ寒いし、もはやネタにすらならないただの暴力なのでいつか炎上してほしい。

くずパチはこれぞ演者と言わんばかりのトーク全振り。トーク面白くて見れる唯一のパチンコ番組。この二人だからこそできる面白さ。チャンネル登録はしてるけどこの二人しか見ていないのでこの記事を書くまでチャンネル名が分からなかった。

なちゅう。一人であれだけ喋れるトークスキルはすごいと思う。ただ名前出してる人の中で唯一見てない。オカマが受け付けないのとGストップではしゃぎすぎてペナしてるのを見て以降、一生見る必要ねえわって決めた。

それでも茶番企画に振り切ったゆうちゃろがたまに面白い時があるのでペカるは登録してるし応援してる。

スロパチステーションセブンtvは見たことあるけど陽キャがわいわいしてるだけで無理だった。楽しませようという気はあって人気もあるんだろうけど受けつけなかった。リアクション見たい人はいいんじゃないかな。

これを見るならういちのボート見てるほうが楽しい

はたして動画がつまらないのは台が悪いのか、演者が悪いのかどっちなのか?

どのチャンネルが生き残るのか?それとも全てのチャンネルが死んでしまうか?

答えは5号機最終撤去から出てくるんじゃないでしょうか?

2021-12-01

美人作家の良書が読みたい

急に、美人作家の方が書いた本が読みたくなりました。好きな作家は下記です(好きな順・敬称略)

津村記久子

村田沙耶香

山田詠美

綿矢りさ

恩田陸

松村栄子

綿矢りささんは美人ですね。本谷有希子さんは何冊か読みましたがあまり合いませんでした。川上未映子さんは何故か食指が動かないです。

美人作家の良書が読みたい

急に、美人作家の方が書いた本が読みたくなりました。好きな作家は下記です(好きな順・敬称略)

津村記久子

村田沙耶香

山田詠美

綿矢りさ

恩田陸

松村栄子

綿矢りささんは美人ですね。本谷有希子さんは何冊か読みましたがあまり合いませんでした。川上未映子さんは何故か食指が動かないです。

2021-11-22

anond:20211121144613

自分は理性に基づいて〇〇派を批判している」と思う人も、相当の部分は感情に基づいている、という主張ね。

サヨク杉田水脈、もへもへ、JAnon、ほんこん小林よしのり高橋洋一阿比留小川榮太郎門田隆将櫻井中本香、百田、上念、青山高須、 (敬称略)らのツイート発言記事コラムなんかを見続けること読み続けることができるかと問えば、たぶん耐えられないだろう。短時間、少量ならともかく、日常的に毎日虎ノ門ニュースを見る、HANADA、WILLを毎月読むのは無理だ。

それは理性でねじ伏せることはできない。

逆に、ウヨの人が読み続けられないだろう文章もある。

2021-10-26

眞子さま小室さんの結婚に対する各所のスタンスまとめ

○祝福派

はてブ

中立

なんJ(5ch)

アンチ

ヤフコメ 

ニュー速(5ch)

ニュー速+(5ch)

嫌儲(5ch)

なんJ(5ch)

二次裏ふたば

ガールズちゃんねる

爆サイ

ざっと見てきただけだけどこんな具合で、はてブなんJ以外はほぼ眞子さま小室さん(以下敬称略)叩き一色。

ご存知ヤフコメがひどいのは言うまでもないが、

他の多くの掲示板も同様に誹謗中傷が並ぶばかりで掲示板ごとの特色のようなものはあまり感じられず。

中立位置付けたなんJ眞子小室自体にはあまり感心がなく、騒動祭りネタとして扱っているという印象。

他だと嫌儲ふたばではヤフコメ過激バッシングムードに対する冷笑的な態度が多少見られたが、

それはそれとして眞子小室は叩くというスタンス

ネット良心はてブだけとか終わりだよこの国。

2021-09-11

鴻巣友季子の時評は何が問題だったのか

 『文學界2021年9月号に掲載された桜庭一樹少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。

 この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者見解掲載された。

 この記事では総括として、両者の見解検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリー仕様URL掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。

見解検討

 両者の主張は、以下のように整理できるだろう。

桜庭文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。

鴻巣文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。

 桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈自由〟を奪」うことを挙げている。

 一方で鴻巣自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。

 では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである

 鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である文学解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないである解釈批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである

 鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。

 繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ私小説フィクションからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。

 ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。

 この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授日比嘉高モデル小説研究フロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在人物モデルに』と事実立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実事実」の問題を切り分けている。

(強調は引用者。これは桜庭が声をあげた最初ツイートだ)

(強調は引用者)

 桜庭実存にとって「現実事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭あくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家動機ではなく、作家根拠フォーカスするべきであるこの記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。

 とはいえ桜庭見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。 

文芸時評というジャンル

 今回の一件に際して、文芸時評不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭ツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣見解において「批評」という言葉を用いている。

 だが、文芸時評批評しかないのだろうか? 文芸時評英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル特性があるのではないか

新聞というメディア

 文芸時評新聞という巨大メディア掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。

 文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷鳥取で一人暮らす実在老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実現象レベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか

 以上の論点を踏まえて、時評担当者見解検討することもできるだろう。

書いてあればよいのか

 桜庭見解は冒頭、「私の自伝的な小説少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家藤田直哉が端的に指摘しているのでツイート引用しよう。

 つまりあらすじに書いてよいのは、「作中の事実であるべきではないか 今回であれば、あくまで一人の人物視点に立って、「私の自伝的な小説少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列テクストに書いてあるとはいえ中人物の「主観的解釈なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか

 あるいは、そもそも事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分幸せだと信じ込みながらオンラインサロン主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せ生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せ事実ではなく評価からだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか

参考になりそうな文献

 最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。

2021-08-29

続・鴻巣友季子の時評は何が問題なのか

 「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」(https://anond.hatelabo.jp/20210826203711)の著者です。

 非本質的な、《誤読か否か》を議論するコメントが依然として多いので、記事を改めて補論を書きます(文中敬称略)。

 元の記事では鴻巣意見から矛盾を示すために使ったまでで、解釈」という言葉を本文で一切用いずとも問題を整理できるし、他にも鴻巣矛盾を指摘できるのでそうします。

論点整理・集約版

 少なくとも桜庭が問うている本質的問題は、

 「作中に描写がないこと」を「作品に書いてあるかのように読める断定で書いた」こと

 である

 そしてこの点について鴻巣スルー、もしくは無理筋意見を出しているのみである

①27日13時39分

②27日16時43分

 桜庭自身鴻巣との対話をやめたが、外野はこの点について把握しておくべきであろう。

 鴻巣意見無理筋なのは以下ツイートから明らかである

③27日1117

 このツイート議論として成立するためには、「描写がある」「明示的な記述はなく」という仮定客観性を持たねばならない。「主張が正しいか」という検討以前の条件である

 よって鴻巣は、桜庭が言う「直接描写されていないこと」は、主観ではなく客観としなければならない

 ところが③の直前の、桜庭に宛てたツイートはこうだ。

④27日11時6分

 お分かりいただけただろうか?

 鴻巣桜庭の言う「直接描写されていないこと」を「なに」という言葉に置き換え、「あるひとりの読者=作者の主観だ」としている。この矛盾について解決しない限り、鴻巣意見無理筋であり、鴻巣桜庭議論する土俵にも立てない。

 なお、鴻巣は主張が成立しないのだから、厳密には「平行線」ですらないだろう。

 論点整理は以上である

 

 以下、元記事にやや補足しておきます

 テクストに「ない」ことを「ある」かのように書いた(ことが検証できる)あらすじなどという珍妙ものを読む機会がないので、そのようなあらすじを目にしたのちにいざ対象テクストを読み始めた者がどう反応するのか、筆者には確たることは言えないが、あらすじに書かれた鴻巣解釈だけを前提とし、桜庭提示した(あるいは以下で私が説得的に示す「真っ当な」)解釈に思い至りもしない、という可能性はあるだろうと考える。

 それは「読み」が閉ざされたことを意味する。なお、「どこかでおかしいとわかるはずなのでそうはならない」と言うのであれば鴻巣の書いたあらすじが頓珍漢だと認めることになる。

 また、鴻巣Evernoteでは「作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいことです」と述べていたが、「むずかしいこと」ではなく「不可能な」ことにすり替わってしまった。

 こうしたすり替えをわざとやっているのであれば大した度胸だと感心する。同時に、不誠実な書き手だと評価する。

鴻巣解釈検討

 ついでなので、鴻巣の読解が「曲解であることも示します。(「誤読」とは言いません。桜庭が使わないので。)

 不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞くと、母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた。離婚の話が出たことなど具体例を挙げてみるが、「そうだったっけ?」と不審げになる。それから急に目を光らせ、「人の記憶って、その人によって違うね?」と言った。

 瞬間、母とわたしが同じ過去の〝ある時〟……七年前に最後に会った時のことを思いだしているとわかったが、いま対立するのは不毛だと、「ふーん……?」と目をそらした。

 それから

「もしかしたら、病気になる前は、お互いに向きあってたか性格や考え方がちがいすぎてぶつかってたんじゃない? この二十年は病気という敵と一緒に戦っていて、関係が変わったとか」

 と言ってみると、母ははっと息を呑み、「そう、その通りだ」と大きくうなずいた。

桜庭一樹「少女を埋める」https://note.com/sakuraba_kazuki/n/ne3b7aa29cd58

 「不仲だったころ」は病気になる前は、お互いに向きあってたか性格や考え方がちがいすぎてぶつかってた」を指すのではなく介護していた「この二十年」を指すというのが鴻巣の読解です

 この読解を支持できる方は根拠をつけて教えてください。「病気になる前」であるという解釈をあえて却下する理由込みで。

 なお、この点についてのツイート鴻巣はなぜか削除していますが、ツイートこちら(https://twitter.com/maffumi/status/1431506303784943616?s=20)へのリプライの形でした。(スクリーンショットを見たければTwitterに上げても「私は」構いません。)

 さて、(桜庭言及している)「母は「覚えてない」と心から驚いたように見えた」に呼応する、

 いよいよ蓋を閉めるというときになって、母がお棺に顔を寄せ、「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね……」と涙声で語りかけ始めた。「お父さん、ほんとにほんとにごめんなさい……」と繰り返す声を、ぼんやり寄りのポーカーフェイスで黙って聞いていた。

 内心、(覚えてたのか……)と思った。

(Ibid.)

 の「内心、(覚えてたのか……)と思った」も、「不仲だったころもあったよね、と遠慮がちに聞」いたのも、「もしかしたら、病気になる前は、お互いに向きあってたか性格や考え方がちがいすぎてぶつかってたんじゃない?」と言ったのも、すべて〈わたし〉なので、「不仲だったころ」をいつとするかによって、母が「お父さんを虐めた」のがいつだったと〈わたし〉が考えているかも決まる(と考えるのが普通だと思いますがどうですか?)。

 当然のことですが念のため言っておけば、実際にいつ「虐めた」かは、作中世界では〈母〉のみが把握し、〈母〉の心中作品視点は入り込めない。よって問題となるのは〈わたし〉がどう考えているかを、〈わたし視点文章解釈することです。

 私は「不仲だったころ」を「病気になる前」としか解釈できません。よって「虐めた」のも「病気になる前」としか解釈できません。

 困りました。私の読解力がないんでしょうか。解釈自由標榜する皆様、お知恵をお貸しください。

 最後に、本から引用します。

 「テクスト解釈可能性は無限である」と言っても、それは「解釈対象、つまりは焦点を当てるべきもの事実テクスト)が存在しない」ということにはなりません。「テクスト解釈可能性は無限である」と言っても、それは「どのような解釈の試みもうまくいく」ということではないのです。

ウンベルト・エーコウンベルト・エーコ小説講座:若き作家告白』、和田忠彦、小久保真理江訳、筑摩書房2017年、48頁)

2021-08-26

鴻巣友季子の時評は何が問題なのか

 朝日新聞翻訳家鴻巣友季子氏が連載する文芸時評に、取り上げられた小説の作者である桜庭一樹氏が抗議の声をあげた(以下敬称略)。

 争点となっているのは、「弱弱介護密室で」母は「夫を虐/待した」という記述である。これが、(テクストに書かれた/現実に起きた)事実であるかのように断定口調で書かれていることに、桜庭懸念を示す。

 抗議を受けて、鴻巣は時評について補足するEvernoteを公開した。

 その後、Twitterで両者はやりとりし、当該の記述解釈であればそれは批評として受け入れられること、解釈が読者に開かれているという点については意見の一致を見たが、桜庭はなおも以下のように批判する。


 すなわち問題は、

①「作品紹介のあらすじと解釈を分離する」ことはどれほど「むずかしい」(鴻巣Evernote)のか

 また、

解釈が「混同」されたあらすじは悪いのか

 の二点である

 以下、この二点を検討するが、最初にこの件に関する筆者の個人的感想を示しておけば、今まで自らの未熟さを自覚せずに仕事を続けてきた鴻巣の不幸と、巻き込まれ桜庭に同情する。

 また、鴻巣解釈がどれだけ妥当であるかについては議論しない。

作品紹介のあらすじと解釈を分離する

 あらすじを書こうとしていたのだが意図せず解釈が混入してしまった、という事態は、なるほど確かにありそうである

 要約に際して、物語内の複数出来事行為を紹介する必要が生じる。そこで出来事Aと行為Bを結びつける際に、「主人公はAによる寂しさからBに及んだ」などと(うっかり)書く。

 ここで、対象テクスト主人公の寂しい感情について明確な記述がない場合、これはあらすじと解釈が分離できなかった例だと言える(本当は憤りからかもしれない)。

 小説に明記されていないからといって「Aが起こった。主人公はBした」とだけ書くのは文章としてあまりに不自然なので、それを補おうとして解釈が入ってしまうというのは大いにありうるだろう。こうした場合、分離は「むずかしい」。

 またことき読者は、「寂しさ」が対象テクストに書かれているのか、評者の解釈なのか判別できない。

 一方、解釈によって生み出された記述であるということを評者が自覚している場合に、「これは解釈だ」と読めるように書くことは容易である

 「〜〜であろう」「〜〜と思われる」「〜〜のではないか」「〜〜が見て取れる」「〜〜のようだ」「〜〜からか」など、日本語には断定を避ける言葉遣いが様々あり、あるいはストレートに「〜〜と評者は読んだ」などと書くことができる。

 最後の例は稚拙に映るかもしれないが、プロ書評家の文章にも頻出する(具体例は省く)。

 さて、鴻巣は当該の書評文について、「そういう物語として、わたしは読みました。ここが、作者の意図と違うと指摘されているところです」と明記している(鴻巣Evernote、強調原文)。

 自らの解釈だと自覚しているである。(ところで、「作者の意図」という言葉桜庭は使っていない。)

 そのためこれは「詭弁」であり、断定的な言葉は避けられたはずだ、と桜庭は指摘している、のだろう。

 意図せぬ解釈の混入はありうるとはいえ解釈産物である自覚した文章について、「作品紹介のあらすじと解釈を分離する」ことはさほどむずかしくないと思われる。

 それが「むずかしいこと」だと感じるのであれば、それは単に書く力に乏しい(「未熟」)からである

 では、解釈があらすじに混入した場合、何か不都合が生じるのであろうか。特に不都合がないのであれば勝手にやればよいだろう。

「読み」を閉ざす「書き」

 あらすじに解釈が入っていると何が困るか。

 当事者である桜庭は、「わたし懸念は、私小説として発表されたこ作品の評で、ある人物が「病人介護し虐/待した」と書かれたことにあります。そうも解釈できる、ではなく、あたかテキストにそう書かれていたかのようにです」とツイートしている(https://twitter.com/sakurabakazuki/status/1430736782979596290?s=20)。

 ここでは、「作品私小説であること」が重大なファクターであるかのように受け取ることも可能であろう。前掲ツイートの「またそのような事実もありません」という記述からも、現実にそのようなことがあったか否かが問題とされているようにも読みうる。

 もちろん、私小説に固有の問題は別個に検討すべきものであろうが、本稿では、作品私小説であるか否かによらず、鴻巣の弁明が妥当性を欠くものであることを示したい。

追記:実際桜庭個人懸念としては現実としての事実にあるのかもしれないが、続くツイートにある「問題としているのは「評者が読み解いた解釈を、テキストにそう書かれていたかのようにあらすじ説明として断言して書いた」こと」をここではこの問題本質として考える。その意味で、「わたしは一つの小説」として読んでいますので、作者のご家族に関する「事実」については切り離して考えさせてください」[鴻巣Evernote]という鴻巣の主張に乗る)

小説は多様な「読み」にひらかれていると思います。また、作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいことです。

 鴻巣のこの文章は奇妙である

 解釈である部分についてあらすじとして断定的な書き方をすれば、それは小説の「読み」を閉ざしうるかである

 前節で扱った例で言えば、「寂しさから」とあらすじにあれば、それは対象テクストに寂しさが理由である旨が書かれていると読者は「読んで」当然である。この時、「憤りからであるという「読み」の可能性は閉ざされる。

 すなわち、解釈解釈である自覚した上で断定的な言葉選択した鴻巣の行いは、小説は多様な「読み」にひらかれているという鴻巣の信念と矛盾しているのである

 「小説は多様な「読み」にひらかれている」べきであると(は明確に書いていないので本当は思っていないかもしれないが)思うのなら、「むずかしいことですが、作品紹介のあらすじと解釈を分離する努力をするべきでした」と続くはずなのだ

 鴻巣にとって「作品紹介のあらすじと解釈を分離するのはむずかしいこと」かもしれないが、それを果たせないことにより、作品の「読み」は閉ざされる。

 評者自身の読みの自由を主張し、それを反映させる(無能力により反映してしまう)ことにより、他者の読みの自由を奪うことは、単純に暴力である。「書き」に注意すれば避けられたはずの、いわば過失致傷である

 それは評する作品を損傷し、また、時評の読者(の能力)をも傷つけうるだろう。

 書くこと/書く者は、読むこと/読む者に対してこうした暴力を為しうる。

 「自分文章をどう読むか」ではなく「自分文章を読んだ者がどう思うか」まで思いを至らせることができて初めて、自らの読みを主張する正当性が備わるのではないだろうか。

 まさか、「すべての断言には解釈が含まれいるかもしれないと思って読め」などと「むずかしいこと」は言うまい

2021-08-02

ロボットアニメ監督たち

シリーズを作った本数順にまとめていく(他は順不同、敬称略

富野監督レジェンドであり、それ以降のロボットアニメの名監督後継者ははっきりと出ていない状況

庵野監督ネームバリューはあるが手掛けたロボットアニメシリーズ数はそんなに多くない

ロボットアニメ世界では創聖のアクエリオンマクロスFなど手掛けた河森正治監督庵野監督への対抗馬筆頭候補となっており、統合的には富野監督後継者たる次のロボットアニメレジェンドの登場が待たれている

富野由悠季 合計8シリーズ

高橋良輔 合計4シリーズ

川瀬敏文 合計4シリーズ

谷田部勝義 合計3シリーズ

高松信司 合計3シリーズ

井内秀治 合計2シリーズ

長浜忠夫 合計2シリーズ

庵野秀明 合計2シリーズ

河森正治 合計2シリーズ

佐藤竜雄

出渕裕

京田知己

谷口悟朗

今石洋之

平野俊貴

望月智充

米たにヨシトモ

奥田誠治

2021-07-11

佐藤優による曲解官僚

霞が関リアル』という本を佐藤優氏(以下敬称略)が書評している。辛い評価を付けているが、少し前に読んだ身として、このレビューにはかなり問題を感じた。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/291751

なお、佐藤が取り上げている部分の内容は、https://www3.nhk.or.jp/news/special/kasumigaseki/article/article_190408.htmlにあたる(ウェブ連載を本にしているので、違いはあるのだろうが大筋は同じと思われる)。

本の内容の曲解

 佐藤は、東大法学部卒、国家試験首位合格しながら官僚にならなかった、以下の青年発言を引いている。

官僚最初の数年間は下積み時代っていうのがありますし、実際のいい仕事意思決定に関われるのは8年目とか10年目の課長補佐以降だと聞いています。それまでの期間がもったいないですね。上の世代の人が下積みの重要性を言いたがるのは正直理解できません。むだに思える雑用時間を費やしたくない。新卒という、ある意味社会の変化にいちばん敏感な時期の力を最初から最大限発揮していきたいし、そういう力を積極的に使っていこうという企業の中で成長したいんです。年功序列であったり、政治家意見も聞きつつ空気を読んで判断しないといけないという霞が関風土にも染まりたくない」

 これに対して、

国際的にも高度な専門知識、あるいはキャリア官僚として必要な知見と能力を身に付けるには、最低、10年くらいの下積み期間は必要

とし、10年下積みもできないやつは官僚になるな、と主張する。こんな志の低いやつばかりで、日本若いエリートは質が下がっている……というのが、佐藤レビュー趣旨だ。

 だがこの青年は、はじめから第一線の専門家として活躍したいとは書いていない。形式的無駄雑用をしたくないし、若い時期の感性をきちんと使いたいし、意味のある仕事をして成長したい、という主張であり、まっとうと思える。ある意味ではそれも「下積み」であり、この青年が嫌がっているのは、もっと無意味で非合理的な「下積み」だろう。若手官僚能力を活かして働ける環境になっていないのは確かだ(そのことは、この本でも繰り返し言われている)。だいたい、こういう状況が続いたために官僚の志望者が減っているという現状を、佐藤はどう考えているのだろうか。

内容を都合よくかいつまんで批判している

 佐藤言及していないが、この後で青年には親類に官僚がいて仕事ぶりもある程度知っており、官僚を目指したと書かれている。だが、近年の霞が関不祥事をみて、組織全体が振り回されることにげんなりして止めた、とある。分量の制約があるといわればそれまでだが、佐藤が取り出した部分だけ見ると、優秀だが志の低い学生が語っているようにみえる。

 国家公務員試験一定の準備と対策必要とする試験で、どれほど優秀であっても、勉強せずに合格できるものではない。トップ合格であればなおさらだ。この学生に対して、佐藤

「この青年人事院から国家公務員総合職試験1位合格という通知書を用いて、コンサルタント会社投資銀行のような年収の高い企業に入る道具にしようと考えているのだと思う。こういう志の低い者は、霞が関に来ない方がいい」

と評している。コンサル外資就職しようとするやつが、国家公務員試験合格アピールポイントに使うようなコスパの極めて悪いやりかたをするとは思えない。邪推侮辱の類だと思うし、そう思わせるような切り出し方をしているとも感じる。

佐藤があえてこの例を取り上げる理由

 この連載や本で取り上げられている事例の大半は、朝から夜中まで働かされ、しかも前時代的な慣習に絡め取られている霞が関の現状についてだ。政治家小間使のごとく使われ、昔に比べてやりがいもない、そういう話ばかりだ。上の東大生の話も、それが知れ渡ってきたので優秀な人材官僚を目指さなくなった、という文脈に置かれている。

 そうした労働問題に全く触れず、「志の低いやつは官僚になるな」という主張に合致する例をなんとか引っ張り出してきた(上記の通り、合致しているとは思えないが)という事自体が、佐藤の考えを明確に示しているといえる。官僚の志に比べたら、深夜労働も、政治家官僚への横暴も、意味不明な慣習もさほど問題ではないということだ。

佐藤経験との合致

 佐藤がこのような評価をすることも、なんとなくわかる。佐藤著作を読む限り、官僚時代は昼夜を問わず働いて活躍してきたようだし、政治家に尽くしてこそ官僚、という信念もあるのだろう。何の著作か忘れたが、「忙しいし徹夜したいところだが、なにかあったときちゃんと頭が働くように毎日5時間は寝るようにした」という、一周回った社畜自慢に苦笑したことがある。

 そういう彼にとって、「官僚長時間労働で体調を壊す」「妊婦官僚が夜中まで働かざるを得ない」「政治家の支持者の子もの宿題官僚がやらされる」というのは、べつに驚くことでもないし、問題にするようなことでもないのだろう。だが、そうした実情も知れ渡り政治支配が強まって官僚権限も減り、官僚を目指す若者は減っている。そうしたこと問題にしたこの本を読んで、「10年下積みできないやつは官僚を目指すな」と臆面もなく書けるというのは、どういうことなのだろうか。それによって状況は悪くなるとしか思えないが、後輩たちにたいしてそれでいいのだろうか。

増田佐藤氏にたいする評価

 一応書いておくが、私は別に佐藤が嫌いというわけではない。著書もなんだかんだで10冊近く読んできたし、官僚としては有能だったのだろうとは思う。『国家の罠』と『自壊する帝国』の2つは今でもおすすめできるし、

外交官時代エピソードはなかなかおもしろい(「盛ってる」と思われる部分は多いが)。それを離れたビジネス教養主義的な本は、薄っぺらくあまり見るべきところはないと感じるが、かといってひどい本というわけでもない(宗教系の本は未読)。

 これまで佐藤の書く文章で、そこまで大きな違和感を覚えたことはなかったのだが、このレビューには佐藤もつ官僚観が剥き出しで現れたのだろうし、それゆえに強く引っかかったのだと思う。こうした佐藤官僚観は、とても認められるものではないし、一般的には「老害」と呼ぶのではないかと思う。

2021-06-29

小室圭とマーク・ザッカーバーグ立花孝志が出てくる日記

六月二十四日(木)

小室圭とマーク・ザッカーバーグ立花孝志(敬称略)の三名に恨みがあるわけではないが、この三名の顔から似た印象を受ける。失礼を承知で書くと胡散臭さを感じる。顔立ちが特に似通っていないのに不思議だ。強いて似ている点を挙げればアゴの形かもしれないが、じっくり見てみるとそこまで似ているわけでもないし、彼らの性格共通しているわけでもない。三人ともメディアで悪く言われることが多いので、偏見を持ってしまったに違いない。

直接彼らと対面して、彼らなりに抱えている事情について聞いてみれば考えも改まるかもしれないが、おそらくそんな機会はない。

書いてみて本当に失礼な日記だと思う。たぶん自分根拠のない自信にあふれた相手が嫌いなだけだ。ある種のひがみだろう。

六月二十五日(金)

異世界ファンタジーなんかでビキニアーマーを見るたびに「こんな戦士なんているわけないだろ」的な気分になるのだが、古代ピクト人だったかケルト人だったかは、全裸に帯をまいただけの姿でローマ軍に襲い掛かってきたそうだから、全くのでたらめというわけではなさそうである。実際、全裸おっさんが襲ってきたらかなり怖い。ところで、九十年代ビキニアーマーや前垂れ(ふんどし? スリット?)で目覚めた性癖を持つ、自分と同年齢の男性は少なくないんじゃなかろうか。

そういえば、三国志には蜀の南方位置する敵である孟獲の妻、祝融夫人が出てくるが、最近ゲームだとこれもビキニアーマーだったり毛皮ビキニだったりする。実際、当時の雲南省人間がどんな格好をしていたのか知らないのだが、これはさすがに違うだろう。もっとも、実は漢の服装もわかってない。

ちなみに、調べたら孟獲は元来漢の人であり、南蛮人になったのは三国志演義の演出らしい。

六月二十六日(土)

用事があって横浜駅西口カラオケ屋に数年ぶりに行ったのだが、廊下まで聞こえる音量で奇声を上げている連中がいて閉口した。夜の客引きも増えたことだし、治安悪化しているのではないか。というか、そもそもまん延防止措置下でも「お酒ありますよ」という呼び込みが多数あった。やれやれ

入口の前で溜まりこんでいた大学生不倫を自慢げに話していたのでこれも不愉快であった。だいたい、こうした話はフィクションから面白いのであって、実話ではちっとも面白くない。本当はもっと落ち着いたパセラあたりでやりたかったのだが、満員だった。向かう直前に電話すべきだった。

ところで、公共の場ではできない重大な話を自宅以外でするときはどこですればいいのだろう。会議室だろうか?

……これを書いている途中、surfaceマウス認識したりしなかったりする。いちいち抜き差しする音がするのだが、マウス寿命かもしれない。

六月二十七日(日)

熱中こそしていなかったがクラスのみんなが見ていたアニメの細部を、何の脈絡もなく思い出す。たとえば「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」に「二郎スペシャルスペシャルスペシャルスペシャルスペシャル」という実況泣かせのマシンがあった。なんか「ダスダスダスダス!」と叫びながらマシンを加速させていた覚えがある。

近頃はウィキペディア漫画アニメ記事がやたらと充実しており、調べては懐かしい思いに浸るのだが、最近になって土方レイ女の子ではないことを知ったのである

この頃のアニメ思い出補正もあるせいだろうか、当時のアニメ画像を見ると、思っていたよりも絵が荒いというか、癖のある画風である。九十年代アニメスレイヤーズをはじめとして目鼻をクシャっとさせた画風だった。あるいは、アゴと比べて不思議場所に口があった。スレイヤーズは見ていないけれども。

この日は個人的な調べ物をしていたらあっという間に夜になってしまった。七時が日没だったのに。日が暮れてからはだらだらと増田を眺めてしまって無為時間を過ごす。大体、九時半から十時半が一番眠く、寝床に入るのは自慰をしない限り十一時頃であるとはいえ人生時間をすべて有意義に使おうとするのも一つの強迫観念ではある。

自慰といえば、最近コンドームなしで自慰をしたら、精液を飛ばし過ぎたりティッシュからこぼしたりしたので懲りた。

六月二十八日(月)

手帳日記を書いてから郵便局へ行って、ちょっとだけ家事をやってから筋トレジョギングをし、アガパンサスヒマワリオシロイバナが咲いていたので写真に撮ってランチ垢に載せた。で、シャワーを浴びてから靴下プロテインを買った。ところで、近頃の薬局コンドーム紙袋に包まないと以前に書いたが、店によるようだ。

それからネットをだらだら見ていたら、いつの間にか有給休暇がほぼ終わった。

数年前は休日無駄に過ごすことを惜しむように美術館に足しげく通ったものだが、緊急事態宣言のせいで美術館なしでもやっていけることに気づいてしまったせいだろうか、近頃は月に一度しか行かない。

すっかり出不精になってしまっており、いよいよ終映が近づいているエヴァンゲリオンを見るのもだるい。確かに薄い本は欲しいし、一度目に見逃がした細部も気になるが、そんなことよりも自分の中でエヴァンゲリオンが完全に成仏してしまっており、過去のものになってしまっている。庵野秀明の目論見通りだ。

うそう、ジョギングの成果だろうか、数年前は右脚の付け根の骨が骨盤(?)から外れそうなゴリゴリした音を立てていたのだが、近頃はそんな様子は全くない。

しかし、さっき口の中で皮がむけて血が出た。なぜだ。

六月二十九日(火)

これから仕事に行くのがめんどくさい。めんどくさいが、達成感はあるのが救いだ。

2021-06-20

追記した」好きな映画監督羅列するからおすすめ監督作品教えて

追記 

たくさん知らない映画教えてくれてありがてえ、本当世界にはThank youが溢れてる多謝。

教えてもらった映画の中で観た+好きなのは

トイレット」「百万円と苦虫女

作業所のこと増田で書いてバズったけど、増田はてなも親切な人ばかりで素晴らしいな

追記ここまで

好きな映画監督羅列するからおすすめ監督作品教えて (みての通りニワカです)

敬称略

森田芳光

荻上直子

西川美和

内田けんじ

山下敦弘

青山真治

竹中優介

新城毅彦

統一感があるかわからないので 一応説明しておくと、好きな作品はゆるいやつが多い。森田芳光荻上直子山下敦弘など

すごいエログロホラーあんまり。 

特に洋画でゆるいやつとか全く知らないので知りたい「バグダッドカフェ」とか?

アニメも少しだけ観る、、鬱っぽいのも好き。もちろん日常系も好きだった。でも、萌え萌えみたいなのはちょっと苦手になってきた。SF好き。アニメ最近まじでみてない。直近でみて面白かったのはゆるキャン91daysジョーカー・ゲーム

ポンポさんは一昨日観た。めちゃくちゃ面白かった。アニメ映画ならみれるかなって思ってる。

好きな監督湯浅政明今敏


何も考えず大好きな映画邦画)羅列する

(ハル)」「間宮兄弟」「僕達急行 A列車で行こう」てか森田芳光監督荻上直子監督は全部

「めがね」かもめ食堂」「運命じゃない人」「天然コケッコー」「リアリズムの宿」「ラヂオの時間」「マジックアワー」「愛のむきだし

サッド・ヴァケイション」「害虫」「エリ・エリ・レマ・サバクタニ「ゆれる」花とアリス」「南極料理人」「キサラギ」「サマータイムマシンブルース」「クヒオ大佐」「パビリオン山椒魚」「博士の愛した数式」「勝手にふるえてろ「好きだ、」「3年目のデビュー

ご覧の通り2000年代ばっかです。

映画趣味は周りにいるんだけど似た好みの人がいないどうしたらいいんだろうか。

破壊屋さんのツイッターとかブログとか見て情報収集してる

2021-06-12

百合だなあと思う漫画映画アニメ小説のまとめ

読んだことのある、観たことのある、漫画小説映画アニメ百合だなあと思ったもの感想まとめてみた。

敬称略

漫画

ポプテピピック/大川ぶくぶ →誰がなんといおうと百合なんだよ!!文句言うな!

うさぎのふらふら/隈井 →とてもお気に入り雰囲気最高。なぜ2巻しかないのか?

CCさくら/CLAMP →知世ちゃんが神。わたし永遠アイドル

ハクメイとミコチ/樫木祐人 →うーん百合なのか?作者の今後の展開次第。別に百合方面に展開しなくても大好きだよ!

はなにあらし/古鉢るか →他の百合漫画をすごく研究してるように見受けられる。技巧的な印象

少女革命ウテナ最近でた続きの巻)/さいとうちほ →川上とも子の不在が漫画にまで影響している…悲しい

わがままちえちゃん/志村貴子 →志村貴子

青い花/志村貴子 →志村貴子

・おとなになっても/志村貴子 →志村貴子

・娘の家出/志村貴子 →志村貴子

シャドーハウス/ソウマトウ →百合って括りの読者もいるらしいがピンとこない

・陽だまりに寄り道/嶋水えけ →短くまとまっている。まあまあ

乙女ケーキ/タカハシマコ →超好き。本で持ってたの手放したけど買い直したやつ

少女終末旅行/つくみず →神…!!!泣く。シメジも良い

シメジシュミレーション/つくみず →うーん悩むけど少女終末旅行より好きかも?そもそも四コマって形式が好き

メジロバナの咲く/中村明日美子 →美麗

コレクターズ/西UKO →百合はまあまあだが本好きという設定の人物本屋写真を撮るのはやめましょう

新米姉妹ふたりごはん/柊ゆたか →わりと真剣面白いし登場した料理作ってみたくなる

ゆりこん/久川はる →明るくて好き!時々読み返す

ユリ熊嵐/森島明子 →ふつう面白いアニメ全部観てないです…

・NKJK/吉沢緑時 →お気に入りお笑い×シリアス×百合。時々読み返す

ムルシエラゴ/よしむらかな →ぶっとんでて良い。さわやかさすら感じる

・人でなしの恋(画集だけど)/沙村広明 →捉え方次第では百合

映画

アデル、ブルーは熱い色 →レア・セドゥ最高最高最高最高

キャロル →途中盗聴されるあたりつらいけど好き

オーシャンズ11 →まあまあ

攻殻機動隊(実写) →ファンの作った同人映画って感じが半端ないけどあのシーンは悪くなかった

アンモナイトの目覚め →エンディングの後、どうなるんだろう気になる。想像ちゃう

アニメ

少女革命ウテナ →アンシーが飛び降りようとするところ泣いてしまう本当に

少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録 →人生で一番観た映画台詞含めてもはや美しい音楽

ユリ熊嵐 →最後まで観れてないけど雰囲気は好き

シムーン →「アーエール!!!」のシーンが好き。アングラス……

灰羽連盟 →レキ大好き、最近見返したけど皆良い

THE IDOLM@STER →運動会の回とかいおまこ

THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ! →最初から売れっ子で強めで素晴らしい

小説

・茨の城/サラ・ウォーターズ →なかなかに面白い。読み返すかは不明

わたしを離さないで/カズオ・イシグロ →ルースキャシーへの粘着百合みある

キャロル/パトリシア・ハイスミス →映画とまた違う良さ

・卍/谷崎潤一郎 →悪女さん…周囲の巻き込み方が半端ない

マラケシュ心中/中山可穂 →濃ゆい!!かなり好き

・白い薔薇の淵まで/中山可穂 →ちょいちょいある男サゲはどうかと思うけどなんだかんだ好き

ナチュラルウーマン/松浦理英子 →のっとふぉーみー

ハーモニー/伊藤計劃 →意外とキアンが好きだ

・アステリズム花束を(百合SFアンソロジー) →手放したけど色のない緑がまた読みたくて買い直した

レズビアン短編小説集 →『マーサの愛しい女主人』、『しなやかな愛』が特に良い

■番外 ソロ百合

フラニーとゾーイー/サリンジャー の中の『フラニー』 →男女のカップルの会話中心だけど、なんだろう百合を感じる(フラニーの中に)

フラニーとゾーイー/サリンジャー の中の『ゾーイー』 →兄と話しているだけだけど百合を感じる(フラニーの中に)

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