はてなキーワード: 小森陽一とは
昔からはてなブックマークをやってた人なら流れをうろ覚えしているだろうけど、漫画『海猿』というのは昔は「原作・小森陽一」とか紹介されていて、ドラマや映画がヒットしてる最中に佐藤秀峰先生は小学館と揉めて、原稿を引き上げて権利を取り戻したって経緯がある。
小森陽一先生は海保や海自などをテーマにした海洋漫画をいくつも手掛けてる漫画原作者で、『海猿』では立ち上げ時にちょっとだけ関わりあったけど原作者といえる仕事はしていないでしょって揉めた。「漫画原作者」の定義って普通は「原作小説の作者」か「ネーム(脚本)執筆者」かだけど、アイデアや資料提供程度の仕事だったんだろうと。
映画2作目の時に主演俳優が会った「原作者」というのは小森陽一先生のほうだったのではないか。その時に編集者も帯同して「これは漫画家からです」って事前に描かせてたサイン色紙を渡した光景が想像できる。
その後、佐藤先生は出版社と決裂し、フジテレビとも突撃取材問題でトラブルとなる中で、交渉の結果、映画3作目と4作目の制作契約が結ばれ、原作者として「初めての」撮影見学に行った際に雑な対応をされて嫌な記憶を残してしまったと。
過去ブクマ探してたら佐藤本人がサバサバと「海猿」と小森の関係を語ってる昔の記事見つかったわ。戯画化されてる「描くえもん」よりかはわかりやすい。
そもそも『海猿』は「ヤングサンデー」の編集者が、当時、映像制作会社に所属していた小森陽一(『海猿』には原案取材としてクレジット)さんと知り合いになって、お互い海が好きということで、海上保安庁の話を描こうとしていた。そこで小森さんが原作を文章で書いて企画会議に出して、「原作としては使えないけど、海上保安庁というのは珍しい」ということで、企画だけが残っていたんです。それを編集者が「佐藤君、描いてみないか」と持ってきて、話を受けたんです。なので、僕は小森さんの書いた原作を読んでいないのですが、小森さんは自分が原作者だと思っていらっしゃるようで、そこからお互い齟齬があったんですよね。
『文學界』2021年9月号に掲載された桜庭一樹「少女を埋める」を取り上げた、鴻巣友季子による朝日新聞の文芸時評に対して、桜庭が抗議の声をあげ、記事の訂正などを求めた(文中敬称略)。
この問題に関して筆者は「鴻巣友季子の時評は何が問題なのか」に始まる3本の文章を投稿した。その後、桜庭の求めに沿う形で、9月1日に朝日新聞デジタル版の時評で文面が修正され、9月7日付朝日新聞本紙および朝日新聞デジタルに、両者と時評担当者の見解が掲載された。
この記事では総括として、両者の見解を検討するとともに、時評担当者が「期待」しているという「文学についての前向きな議論」のために、この一件にまつわる諸論点を、桜庭と鴻巣が直接言及していない点も含めて挙げる。なお、はてな匿名ダイアリーの仕様でURLの掲載可能数に制限があるようなので、最小限に留めている。
両者の主張は、以下のように整理できるだろう。
桜庭:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるか否かによらず、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして書いてはならない。
鴻巣:文芸時評の評者の主観的な読みは、その読みが合理的であるならば、あらすじとして書いてもよい。
桜庭は主張の根拠として、そのようなあらすじの書き方が「これから小説を読む方の多様な読みを阻害」し、「〝読者の解釈の自由〟を奪」うことを挙げている。
一方で鴻巣は自身の主張を、「あらすじも批評の一部なので、作者が直接描写したものしか書かない等の不文律を作ってしまう事の影響は甚大」であり、「読み方の自由ひいては小説の可能性を制限しないか」という懸念により根拠づけている。
では鴻巣は「あらすじも批評の一部」であるという主張をどのように根拠づけているか。これが不明瞭なのである。
鴻巣は「あらすじと評者の解釈は分けて書いてほしいと要請があったが、これらを分けるのは簡単そうで難しい」と書くが、その後に続くのは、作品の創造的な余白を読者が埋めるという、読解についての文章である。文学の解釈にそのような性質があったとして、それがあらすじと解釈の分離の困難とどう関わるのか、説明されていない(まさかテクストに書いてあることと、書いていない部分から自分が想像したこととが融合してしまって分離できないというのだろうか。テクストは目の前にあるのに)。つまり鴻巣は、「書く」ことについて言及していないのである。解釈は批評の一部でしかない。当然ながら、読んだ=解釈しただけでは批評は成立せず、「書く」ことが必要不可欠である。だからこそ桜庭の主張は鴻巣の読みの否定ではなく、「分けて書いてほしい」というものだったのだ。分けて「書く」ことが「読み方の自由」を否定することにはなるまい。そして実際にデジタル版の時評の文面を「修正」できたのだから、分けて書くことはさほど難しくはないはずである。
鴻巣は「合理性」や「妥当性」にこだわりを見せるが、この見解の文章がそれらを備えているとは言い難い。また、鴻巣は見解を発表する段になっても、そもそも桜庭に何を問われているのか理解していないふりをしている、あるいは単に理解できていない。
繰り返しになるが、問題は「書く」ことなのだ。私小説もフィクションだからどのように読んでもいいとか、誤読される覚悟もなしに私小説など書くなとか、私は鴻巣評のように読んだとか、信用できない過去語りだとか、あるいは鴻巣が誤読しなければこんな事態にはならなかったとか、そんなことは関係ない。どう読んだっていい。批評家が誤読することもあるだろう。批評家が作者の意図しない優れた読解をすることもあるだろう。ただし、自分の読解が生み出しただけの出来事を、実際に作品にそう書かれていたかのようにあらすじとして断定で書くべきではない。
繰り返しになりますが、
「作品からの読み、想像であり、実際のテキストには書かれていないストーリーを、主観的な読みではなく実際にそう書かれていたように紹介する」
のは一線を超えていると思ったのです。
作者だからではなく、他の方の本でも同じように疑問を持ったと思います。
(この部分です) pic.twitter.com/vFmVBO6fhC— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
いえ、また繰り返しになりますが、どう評しても自由とは言っておらず、
「読まれ方は自由だが、実際の描写にはないストーリーを、読み、想像で考えたとき、それを主観的な解釈として書くのはよいが、実際にそう書かれていたように客観的事実として書くのは一線を超えている」
と考えています。(続)— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
ただそれだけのことを、桜庭は何度も何度も直接本人に訴えかけた。にもかかわらず、鴻巣がその声が受け止め、真摯に答えたとは思えない。
この文章を書いている最中に、『現代ビジネス』上に、飯田一史による記事「「少女を埋める」論争が文学史上「奇妙」と言える“3つのワケ”」が掲載された。そこで名古屋大学大学院教授の日比嘉高(モデル小説研究のフロントランナーと言ってよいだろう)は、「作家である桜庭さんの方がTwitter上で『私小説』『実在の人物をモデルに』と事実に立脚している点を強調している」と述べているが、桜庭は慎重に「テクストという事実」と「現実の事実」の問題を切り分けている。
この記事でご紹介いただいたのですが、わたしの原稿に〝介護中の虐/待〟は書かれておらず、またそのような事実もありません。わたしの書き方がわかりづらかったのかもしれず、その場合は申しわけありません。影響の大きな媒体であり、とても心配です。否定させてください。https://t.co/HdC6Cb8g7b— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 24, 2021
(強調は引用者)また今回は「自伝的随想」としてご紹介くださったこともあり、登場人物を離れ、実在の家族に言われなき誤解が降りかかることを危惧したため、わたしはこのように必死になって訂正をお願いすることになりました。それは確かに、評者の方には関わりのない事情ではありますが…(続) pic.twitter.com/8rixc3Ot4c— 桜庭一樹 (@sakurabakazuki) August 27, 2021
桜庭の実存にとって「現実の事実」がいかに重大なものであったとしても、桜庭はあくまでそれを「テクスト(に書いてあるか否か)という事実」と「あらすじの書き方」との問題の下位に位置付けている。主張の動機と主張の根拠を分けるべきである。飯田は、「作家が「トラブルを予防する」ために「事実の側に立つ」点でまず「少女を埋める」はきわめて珍しい事例なのだ」と書いているが、「トラブルを予防する」のは主張の根拠ではなく動機である。この一件を「論争」と表現するのであれば、作家の動機ではなく、作家の根拠にフォーカスするべきである。この記事のまとめ方に〝私は〟断固抗議する。
とはいえ、桜庭の見解にも問題点が指摘できる。それも踏まえて、以下、「文学についての前向きな議論」のための論点を、差し当たり三つ挙げる。
今回の一件に際して、文芸時評の不要説や批評の死が取り沙汰されもした。桜庭もツイートで「批評ではない未熟な文章」などの表現を使い、鴻巣も見解において「批評」という言葉を用いている。
だが、文芸時評は批評でしかないのだろうか? 文芸時評は英語ならliterary review(あるいはbook review)やliterary commentary、フランス語でならchronique littéraireなどと言うだろう。批評critiqueと時評は同一視してよいのか? 批評の要素を備えているとしても、時評には時評に固有のジャンル的特性があるのではないか?
文芸時評が新聞という巨大メディアに掲載されている点をどう捉えるか? 桜庭は見解において朝日新聞の「影響力は甚大」としている。また桜庭は「これから小説を読む方の多様な読み」について言及するが、「これから小説を読まない方」が時評だけを読む可能性も大いにありうるだろう。あるいは前項と関連づければ、文芸誌などの批評は全く読まないが時評は読むという新聞読者はいるだろう。つまり、文学の読者と時評の読者は必ずしも重ならない。
文学の読者であれば私小説で描かれたことが現実でもその通りに起きたと断定できないと承知しているが(あるいは、そのような認識の者を文学の読者と呼ぼう)、時評の読者がそのような前提を共有しているとは限らない。桜庭は新聞の影響力への言及の直後に「私は故郷の鳥取で一人暮らす実在の老いた母にいわれなき誤解、中/傷が及ぶことをも心配し」たと述べている(繰り返すが「をも」という表記に注意。その一点だけで抗議しているのではない)。今回の問題(ここでは主張の論理ではない、現実の現象のレベルである)はそもそも、「文学についての」「議論」だけに収まらないものをも含んでいるのではなかったか?
以上の論点を踏まえて、時評担当者の見解を検討することもできるだろう。
桜庭の見解は冒頭、「私の自伝的な小説『少女を埋める』には、主人公の母が病に伏せる父を献身的に看病し、夫婦が深く愛し合っていたことが描かれています」と書く。鴻巣評の印象を覆すためにあえて母の献身や夫婦の愛を強調したのだろうが、このまとめ方については異議もあった。文芸評論家の藤田直哉が端的に指摘しているのでツイートを引用しよう。
「夫婦が深く愛し合っていたかどうか」を確定する根拠は、虐/待があったかどうかを確定する根拠と同じぐらい、作品のテクストにはないのではないかな。母親がそう言っている、語り手がそう推測したようだ、というところまでは書いてあるが、しかしそれが「作中の事実」かどうかはサスペンドじゃないかな— 藤田直哉@新刊『シン・エヴァンゲリオン論』河出新書 (@naoya_fujita) September 7, 2021
つまり、あらすじに書いてよいのは、「作中の事実」であるべきではないか? 今回であれば、あくまで一人の人物の視点に立って、「私の自伝的な小説『少女を埋める』では、病に伏せる父と、献身的に看病した母とが深く愛し合っていたことを、主人公が見て取ります」くらいが妥当なのではないか。言うなれば、「夫婦が深く愛し合っていた」というのも、「愛しあっていたのだな」という文字列がテクストに書いてあるとはいえ作中人物の「主観的解釈」なのだから、〈そのような解釈が書いてある〉という形であらすじを書くべきではないか。
あるいは、そもそも「事実」と相容れない表現というものもある。極端な例を挙げれば、自分は幸せだと信じ込みながらオンラインサロンの主宰者に投資し続ける人物のことを「幸せな生活を送り」などと書くのは、たとえ作中に「幸せである」と書かれていたとしても、おかしいだろう。幸せは事実ではなく評価だからだ。書かれていないことを想像するとともに、読者は書かれていることについても想像し、評価する以上、書いてあれば何でもあらすじに含めてよいとは限らないのではないか?
最後に、「文学についての前向きな議論」に役立ちそうな文献を、備忘録も兼ねてリストアップしておく。
元朝日記者の講師契約打ち切りか 脅迫事件の北星学園大(10/31 07:30、10/31 07:56 更新)
札幌市厚別区の北星学園大に、元朝日新聞記者の非常勤講師の解雇を要求する脅迫状などが届いている問題で、教職員らで30日に結成した「大学の自治と学問の自由を考える北星有志の会」は、同大が来春、この講師との契約を更新しない方向で検討に入ったことを明らかにした。
有志の会によると、田村信一学長が29日、学内の会議で初めて表明した。講師を雇用し続けるには、人的、財政的な負担が大きすぎ、来年度の入試も不安、との理由を挙げたという。学長は11月5日に予定している評議会に諮問し、理事会の意見を聞いた上で、学長として最終的に判断するとの考えを示したという。
この講師は2012年からこれまで、1年ごとの契約を2回更新している。同大は北海道新聞の取材に、「内部の会議での話なので、内容は答えられない。(講師の契約については)学内手続きにのっとって進める」と話した。
大学関係者によると、北星大は脅しの電話、メールに対応する職員や警備員を雇ったため、1500万円前後かかった。爆破予告により、授業や入試が妨害されることも心配している。
朝日新聞元記者を来年度雇用しない意向 北星学園大学長 2014年11月1日04時02分
慰安婦問題の記事を書いた朝日新聞元記者の植村隆氏(56)が非常勤講師を務める北星学園大(札幌市厚別区)に、植村氏の退職を求める脅迫文が届くなどした問題で、田村信一学長は31日、植村氏との来年度の契約について、更新しないことを検討していると表明した。
田村学長がこの日、記者会見して明らかにした。学長は、29日にあった副学長、各学部長、事務局長らとの会議で、植村氏との来期の契約を更新しない考えを持っていることを伝え、ほかの参加者からも賛同を得られたという。
11月5日にある大学最高意思決定機関の評議会と、中旬に開かれる理事会でも各メンバーから意見を聴くといい、その上で理事長と話し合い、12月上旬までには決めるという。
田村氏は更新しない意向を固めた理由について、警備強化などで財政負担が厳しい▽教職員が対応で疲弊している▽入試の際、受験生を巻き込んでまで「厳戒態勢」を続けるのは難しい――などの理由を挙げた。
その上で「今期については植村氏との契約を守っており、来期の更新がなくても外圧に屈したことにはならない」と説明した。一方で、「今でも抗議電話はある。我々も小さな大学であり、学生確保も安泰ではない」と語った。
こうした対応に反発する一部の教職員は30日、「大学の自治と学問の自由を考える北星有志の会」を設立。メンバーは「更新しなければ、外圧に屈したと受け取られる」と話した。
また、有識者らが結成した「負けるな北星!の会」も31日夜、札幌市内でシンポジウムを開催し、約220人が参加。同会メンバーは「言論テロに屈したように見られることになれば、社会へ与える影響は大きい」と述べた。
慰安婦問題:北星学園大 元朝日記者処遇巡り学内相反 2014年10月31日 06時30分
従軍慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の植村隆氏(56)が非常勤講師を務める北星学園大(札幌市厚別区)に脅迫状が届いた問題で、田村信一学長が来年度以降は植村氏を雇用しないとの考えを学内の会議で示していたことが、関係者への取材で分かった。
大学側の動きに危機感を持った教授らが30日、「大学の自治と学問の自由を考える北星有志の会」を結成。メンバーの教員は毎日新聞の取材に「脅迫者の要求に応じれば被害は拡大する。踏みとどまらないといけない」と話した。
関係者によると、学部長らで構成される全学危機管理委員会が29日に開かれ、田村学長が「財政的、人材的問題」と「入学試験が心配」などの理由を挙げ、「来期の雇用はない」と述べた。11月5日に開かれる臨時の大学評議会に諮問。大学評議会や理事会での意見聴取などを経て、最終的には田村学長が決定するという。
植村氏は2012年4月から非常勤講師を務め、留学生向けの講義を担当している。
毎日新聞は北星学園大に文書で取材を申し込んだが回答がない。【山下智恵】
http://mainichi.jp/select/news/20141031k0000m040172000c.html
慰安婦:元朝日記者に応援団「脅迫文で講師辞めないで」 2014年10月03日 07時30分
北星学園大(札幌市厚別区)に元朝日新聞記者の非常勤講師を辞めさせなければ学生に危害を加えるとの脅迫文が届いた問題で、作家の池澤夏樹さんら識者が呼びかけ人となり、解雇しないよう同大を応援する「負けるな北星!の会(マケルナ会)」が6日に結成され、東京都と札幌市で記者会見を開く。
元朝日新聞記者の非常勤講師は1991年8月11日の大阪本社版社会面で元従軍慰安婦の証言を報道した植村隆氏(56)。
同大によると、植村氏は2012年4月から、非常勤講師として留学生向けの講義を担当。今年3月中旬から、植村氏の採用を疑問視したり辞めさせるよう求めたりする電話や電子メールなどが大学に届き始めた。5月と7月には脅迫文が届いたほか、「大学を爆破する」との脅迫電話など、1日に数十件寄せられる日もあったという。
こうした状況に「脅しによる解雇が通れば、私たちの社会をも脅かすことになる」と案じた札幌市内の女性が9月、同大を応援するメールを送るよう知人らに提案。支援の輪が広がり、会の発足につながった。池澤さんのほか、山口二郎法政大教授らも呼びかけ人となり、2日現在、上田文雄札幌市長ら100人以上が会の趣旨に賛同している。
脅迫文については、同大から相談を受けた道警札幌厚別署が威力業務妨害容疑を視野に調べている。同大の田村信一学長は「大学の自治を侵害する卑劣な行為で、毅然(きぜん)として対処する」との文書を出し、「学生や植村氏との契約を誠実に履行すべく、万全の警備態勢を取りながら後期の講義を継続する」としている。【山下智恵】
http://mainichi.jp/select/news/20141003k0000m040135000c.html
学者や弁護士ら、脅迫状届いた大学を支援する会 2014年10月7日03時39分
北星学園大(札幌市)に、非常勤講師を務める元朝日新聞記者を退職させるよう脅迫状が届いた事件を受けて、学者や弁護士、ジャーナリストらが6日、同大を支援する「負けるな北星!の会」を結成した。東京都と札幌市で記者会見を開き、「学問と言論の自由を守るため市民は結束すべきだ」と訴えた。
この元記者は今春、朝日新聞社を早期退職した植村隆氏(56)。2年前から北星学園大の非常勤講師を務めている。
呼びかけ人には元共同通信編集主幹の原寿雄さんや精神科医の香山リカさん、北海道大大学院准教授の中島岳志さんらが名を連ねる。野中広務・元自民党幹事長や上田文雄・札幌市長ら約400人が賛同しているという。
東京での記者会見で、呼びかけ人の一人で弁護士の海渡雄一さんは「言論を暴力で封じ込めるのはテロリズム。テロが放置されないよう市民も結束して『許さない』というメッセージを社会に送るべきだ」。小森陽一・東大院教授は「学問の自由の封じ込めで、憲法違反だ」と主張した。市民文化フォーラム共同代表の内海愛子・恵泉女学園大名誉教授は「外部からの脅迫で大学がいかようにでも動くという先例を作ってはならない」と訴えた。
小林節・慶応大名誉教授は、ネット上に元記者の長女の写真などがさらされていることに触れ「10代の女の子の顔写真や名前までが公開され、自殺を教唆する書き込みもされている。テロとしか言いようがない」と語気を強めた。
会は今後、北星学園大を支援するための署名活動や集会を呼びかけていく。
◇
同会は呼びかけ人のメッセージを発表した。
■池澤夏樹さん(作家)
たくさんの人が一人の人を非難している。その非難に根拠がないとしたら、もっとたくさんの人が立ち上がってその人を守らなければならない。
ぼくは喜んでその一人になる。
ぼくたちは言葉を使う。暴力は使わない。
■原寿雄さん(元共同通信主幹)
植村さんの勤務先である北星学園大学への脅迫に加え、娘さんに対するひどい脅迫めいたバッシングは、単なるヘイトスピーチではなく、明らかな犯罪だ。こういうことが見過ごされるようになったら、日本社会の自由な言論が封じられ、ものが言えなくなる。これは、大学の自治だけの問題ではなく、日本社会の大問題である。
■森村誠一さん(作家)
戦時報道の問題で、今「朝日」が他のマスメディアのバッシングの的にされています。同業者が同僚の報道内容を餌にして叩(たた)きまくっているのは、「叩けば売れる」からです。次は自分が的にされるかもしれないのに、“武士の情”どころか、売上第一主義で叩きまくっています。
しかし反対者が「朝日」の元記者と家族・学生に至るまで、暴力的脅迫をあたえるとなると、思想、表現、報道、学問などの自由を弾圧するテロ行為となります。
日本はいま憲法をめぐって永久不戦と集団的自衛権が争っています。この両派のどちらからでも、反対思想、反対表現者に対するテロリズムが発生すれば、テロ派が民主主義の天敵であることを自ら露悪することになります。植村隆氏に対する暴力的弾圧を、広島、長崎、三百万を越える犠牲を踏まえて得た民主主義の名にかけて、絶対に許すべきではありません。
◇
呼びかけ人は以下の通り。
池澤夏樹(作家)
荻野富士夫(小樽商科大教授)
加藤多一(絵本作家)
香山リカ(立教大教授)
古賀清敬(牧師・北星学園大教授)
斎藤耕(弁護士)
新西孝司(元高校教師)
千葉真(国際基督教大教授)
中野晃一(上智大教授)
西谷修(立教大特任教授)
藤田文知(元BPO〈放送倫理・番組向上機構〉)
藤原宏志(元宮崎大学長)
真壁仁(北海道大教授)
森村誠一(作家)
山口二郎(法政大教授)
結城洋一郎(小樽商科大名誉教授)
負けるな北星!の会 中野晃一氏と山口二郎氏「日本式マッカーシズムと学問の自由への脅迫」 日本外国特派員協会
Koichi Nakano & Jiro Yamaguchi: "Japan-style McCarthyism and Threats to Academic Freedom"
中野晃一
https://twitter.com/knakano1970
中野晃一 Koichi NakanoさんはTwitterを使っています: "情勢は極めて厳しいですが、引き続き北星学園が負けないよう応援を。まだ学内で頑張っている方たちがいます。 “@doshinweb: 北星学園大、元記者の契約更新せず 学長、脅迫問題で方針 http://t.co/yYVgdbsJBS”"
https://twitter.com/260yamaguchi
先日、本欄で日本におけるマッカーシズムの出現を指摘したが、事態は一層悪化している。元朝日新聞記者で、記者時代に従軍慰安婦について記事を書いた植村隆氏及び家族に対する人身攻撃が常軌を逸している。
植村氏は、今年春から関西の私立大学の教授に就任する予定だったが、右派メディアの攻撃によって辞退を余儀なくされた。現在は、札幌にある北星学園大学の非常勤講師を務めているが、関西の一件で味をしめた右翼の脅迫によって、来年度の継続が危ぶまれる状況となっている。植村氏の書いた記事に批判があれば、言論で戦えばよいだけの話である。学生や家族まで巻き込んで危害を加えるなどと脅迫することは、言葉によるテロである。
現状を憂うる学者やジャーナリストが集まって、北星学園大学が学問の自由を守るよう支援する運動を始めることとした。今の大学への攻撃を見ていると、戦前の天皇機関説事件や蓑田胸喜一派による自由主義者追い落としを思い出す。まさに戦端は開かれた。ここで右翼の横暴を止めなければ、これから日本における学問の自由は崩壊することになるだろう。
意見は違っても、言論には言論で対抗するのが自由主義の本質である。本紙の読者の方々にも、ぜひ関心を持っていただくようお願いする。
東京新聞10月5日
慰安婦報道めぐり脅迫文 2大学に元朝日記者の退職要求 2014年10月1日03時00分
北星学園大(札幌市厚別区)に今年5月と7月、慰安婦問題に関する記事を書いた非常勤講師の元朝日新聞記者(56)の退職を求め、応じなければ学生に危害を加えると脅す文書が届いていたことが捜査関係者への取材で分かった。大学側から相談を受けて、北海道警札幌厚別署が威力業務妨害の疑いで調べている。
捜査関係者によると、文書は学長ら宛てで、5月29日と7月28日に郵送で届いた。印刷された字で「元記者を辞めさせなければ天誅(てんちゅう)として学生を痛めつける」「釘を混ぜたガスボンベを爆発させる」などと書かれ、元記者や朝日新聞の報道を批判する内容。それぞれ数本の虫ピンが同封されていたという。大学関係者によると、9月中旬に「爆弾を仕掛ける」との内容の電話もあったという。
元記者は91年8月、元慰安婦の証言を韓国紙などに先駆けて報じていた。
また、帝塚山学院大(大阪府大阪狭山市)にも9月13日、慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の人間科学部教授(67)の退職を要求する脅迫文が届いていたことがわかった。大学は被害届を提出、府警が威力業務妨害容疑で調べている。元記者は同日付で退職した。
府警や大学によると、同大狭山キャンパスに法人理事長や学長らに宛てた封書が計4通届き、それぞれA4判2枚の文書に「辞めさせなければ学生に痛い目に遭ってもらう。釘を入れたガス爆弾を爆発させる」などと記され、釘1本が同封されていたという。
元記者は韓国・済州島で女性を強制連行したと証言した吉田清治氏(故人)に関する記事を数本書いていた。朝日新聞社が8月、吉田氏に関する記事を取り消した際、吉田氏の証言を最初に取り上げた記事の筆者を匿名でこの元記者と記したが、その後、元記者でなかったことが確認された。
慰安婦報道 元記者の家族も攻撃 2014年10月7日03時38分
慰安婦報道にかかわった元朝日新聞記者が勤める大学へ脅迫文が届き、警察が捜査を進めている。インターネット上では、元記者の実名を挙げ、「国賊」「反日」などと憎悪をあおる言葉で個人攻撃が繰り返され、その矛先は家族にも向かう。暴力で言論を封じることは許せないと市民の動きが始まった。
この元記者は今春、朝日新聞社を早期退職した植村隆氏(56)。2年前から続けてきた北星学園大(札幌市厚別区)の非常勤講師を現在も務めている。
大学は9月30日、学生と保護者に向けた説明文書の中で初めて、植村氏の退職を求める悪質な脅迫状が5月と7月に届き、北海道警に被害届を出したことを明らかにした。3月以降、電話やメール、ファクス、手紙が大学や教職員あてに数多く届き、大学周辺では政治団体などによるビラまきや街宣活動もあった。
同僚教員は言う。「もはや植村さんだけの問題ではない。大学教育、学問の自由が脅かされている」
攻撃は北星学園大にとどまらない。帝塚山学院大(大阪府大阪狭山市)にも9月13日、慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の人間科学部教授(67)の退職を要求する脅迫文が届き、府警が威力業務妨害容疑で調べている。元記者は同日付で退職した。
「反日」「捏造(ねつぞう)記者」といった言葉で、北星学園大に勤める植村氏を中傷するネット上の書き込みが目立ち始めたのは今年1月末だ。
「週刊文春」2月6日号が「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」との記事を掲載していた。かつて慰安婦の報道にかかわった植村氏が、4月から関西の大学で教鞭(きょうべん)を執ると伝え、植村氏が書いた記事について「捏造記事と言っても過言ではありません」との研究者のコメントがつけられていた。
ネット上で、大学へ抗議電話やメールを集中させる呼びかけが始まった。3月、大学側が「採用予定だった植村氏との雇用契約は解消されました」とホームページで公表すると、ネットには「吉報」「ざまぁ」の書き込みが相次いだ。
植村氏によると、その後、自宅に面識のない人物から嫌がらせ電話がかかるようになった。ネットに公開していない自宅の電話番号が掲載されていた。高校生の長女の写真も実名入りでネット上にさらされた。「自殺するまで追い込むしかない」「日本から、出ていってほしい」と書き込まれた。長男の同級生が「同姓」という理由で長男と間違われ、ネット上で「売国奴のガキ」と中傷された。
嫌がらせや中傷は今もやまず、植村氏が弁護士を通じてひどい書き込みの削除をプロバイダーに求めているが、削除が追いつかないという。
■各紙、足並みそろえて批判
朝日新聞は10月1日付朝刊で元記者の勤務先の大学に脅迫文が相次いで届いたことを報じた。2日付で「大学への脅迫 暴力は、許さない」と題した社説を掲げたほか、毎日、読売、産経の各紙も社説で取り上げ、厳しく批判した。
朝日の慰安婦報道を紙面で批判してきた産経は同日付で「大学に脅迫文 言論封じのテロを許すな」と題した「主張」を掲載。「報道に抗議の意味を込めた脅迫文であれば、これは言論封じのテロ」「言論にはあくまで言論で対峙(たいじ)すべきだ」と訴えた。
毎日は3日付の社説「大学への脅迫 看過できない卑劣さ」で、今回の事件の背景には「一部の雑誌やネット上に広がる異論を認めない不寛容な空気がある」と指摘。「ヘイトスピーチ(憎悪表現)にも相通じる現象だ」とした。
読売も3日付で「大学への脅迫文 言論封じを狙う卑劣な行為だ」と題する社説を掲載した。
■家族や職場への攻撃は卑劣だ
〈植村隆・元朝日新聞記者の話〉 1987年5月、朝日新聞阪神支局に男が押し入り、散弾銃で当時29歳の記者が殺された。私は彼の同期だ。問答無用で記者が殺されたあの事件と今回のケースは異なるが、身近に思えてならない。家族や職場まで攻撃するのは卑劣だ。私が書いた元慰安婦に関する記事に批判があるが、記事を捏造(ねつぞう)した事実は断じてない。今後、手記を発表するなどしてきちんと説明していきたい。
■テロ行為にも等しい
〈五野井郁夫・高千穂大准教授(政治学)の話〉 民主主義の要である言論の自由を暴力で屈服させるテロ行為と等しく、大変危険だ。ネットや雑誌で「売国奴」「国賊」という言葉が飛び交う中、短絡的なレッテル貼りが今回の事件を惹起(じゃっき)していると考えられる。言論を暴力で抑圧してきた過去を日本社会は克服したはずなのに、時代が逆戻りしたかのようだ。私たちはこうした脅しに屈してはいけない。
■社会への不満、背景に
〈鈴木秀美・大阪大教授(憲法・メディア法)の話〉 嫌韓・反中やヘイトスピーチにつながる排他的な考えのはけ口として、朝日新聞の関係者を攻撃する構図がある。背景に現在の社会への様々な不満も重なっている。雑誌が「売れる」ことだけを考え扇情的な記事を書き、こうした暴力性をあおっている側面もある。メディアにはものごとを冷静に考える材料となるような建設的な議論が求められる。
■脅迫は許されない
〈八木秀次・麗沢大教授(憲法学)の話〉 慰安婦問題を報じた元記者が中傷されていることを当事者の朝日が問題視して、読者の理解を得られるだろうか。普段、企業や役所の不祥事を厳しく追及しているのだから、執筆の経緯を元記者が自ら説明すべきだ。ただ、個人を「さらし者」にして攻撃するネット文化にくみすることはできない。脅迫は許されないし、職を奪うまでの行為は行きすぎている。
■国際的評価を下げるだけ