はてなキーワード: パフォーマーとは
表題の通りなのだが、自分はどうも好意を好意として伝えられないタイプのようだ。
そのため昔から「偉そう」「生意気」「上から目線」「何様のつもりだ」と、この手の類の悪口は散々言われてきた。
指摘されて素直に改善できるなら世の中警察はいらないんじゃないか?とすら思う。
それに敵がいればそのぶん少なからず味方もいるわけで、自分はその人間関係を大切にしながらここまで生きてこれた。
じゃあ外野のヤジにいちいち耳を傾ける必要もないだろうよ。そのスタンスで三次元の推しを応援してきた。
推しが何の界隈なのか、どうやって出会ったのか、などは全て省略するが、
自分はともかくある推しに興味を持ち、接近したくて現場へ通うようになった。
その現場はまだまだ過疎な場所だから、何度か顔を出せばすぐ認知され、推しと二人で絡む時間がどんどん増えた。
推しはいつも丁寧に、それでいてフレンドリーに声を掛けてくれる。
客とパフォーマーの関係を飛び越えて、時に友人のような、時に恋人候補のような接し方で夢を与えてくれる。
そんな甘い蜜を吸って期待しない人間がいるんだろうか。いや居ない。
自分はいよいよ「推しの為に尽くしたい」と願った。そして布教活動を始めた。
ツイッターの応援垢を作り、推しの知名度が上がるような投稿をする。
現場の様子をレポートし、撮影許可が出ている場所なら自費で投資した良い機材で撮影し、無料で閲覧できるようにする。
差し入れは小袋包装の分けて食べられるものを。或いは推しのロゴ入りオリジナルグッズを。推しだけでなくスタッフや関係者、現場を共にする他の演者にも。
物販も当然、推しのグッズを大量に買い、顔を売るために配る。推しのアカウントにリプをして士気を高める。
そうこうしている内、推しとの距離感はどんどん縮まっていった。現場へ行けば向こうから歩み寄ってくる。プライベートな話もする。
他の客の所へ行って構わないと告げても、なぜか側を離れない。それどころか推しは日常の弱音などを聞かせてくる。
推しの好意はひしひしと感じていた。また推しの周りにいる関係者からも同様に、好かれているのが分かった。
他の客と自分とでは明らかに接し方の差があった。言ってしまえばVIPだ。
そこで自分はもっと推しを売り出すためにはどうしたらいいか、推しのパフォーマンスを高めるにはどうしたらいいか、持ち得る限りの知識を全振りしてアドバイスをした。
更に関係者達へのリプを積極的にするようにし、推しを宜しく頼むという気持ちで冗談をかましながら場を賑やかせた。
今考えるとこの頃から少しずつ、推しの様子が変わって来ていたのかもしれない。
ツイッターの投稿は途絶え、自然とリプやファボを出来なくなった。時々ふらっと投稿がありここぞとばかり応援リプをすると、以前のフレンドリー感はなく、明らかに事務的な対応。
現場へ行けば会話はするが、以前の活気がない。何か悩んでいるのか、元気を出してくれと声を掛けても手応えがない。
そんな日々が続いたある日、公式アカウント上で不特定多数へ通知が放たれる。要は、スタッフ気取りの迷惑行為をやめろ、周囲に迷惑をかけるな、無礼な発言をするな、特別扱いを期待するな。
それに対する推しや関係者のコメントはどう見ても自分を指しており、はっきり言ってカッとなった。
なぜ今になって爆発させた?まずそれが最初の感想だ。なぜ、嫌なら嫌だったとその場で言わなかったのか。お前のそれは迷惑行為だから、有害行為だから慎めと、なぜ言わなかった。
そしてそんなに不愉快だったのにも関わらず、だったらなぜ接触したのか。推しもその周囲もだ。VIP席に座って期待しない方がおかしいんじゃないのか。
テキストで喧嘩をしたってラチがあかないと、次の現場へすぐさま乗り込んだ。そして件の知らせについて話がしたいと上へ伝えた。
関係者曰く、グッズ作成も撮影もその他なんやかんやもこっちは頼んでいない。ファンとパフォーマーの線引きを勘違いされたら困る。改善されないなら現場に立たせられない。
また、年下からアドバイスや指示をもらうのも気にくわない、そんな趣旨の事も。
結局推しとは直接話せなかった。
それ以上のオチは特にない。自分はすっかり熱が冷めて、出禁にならずとも自然と現場からは足が遠のいた。キツネにつままれたような心地は少しする。
勿論自分が舞い上がって熱心に通っていた、ただそれだけの話と言えばそうだ。だが、そうさせたキッカケはパフォーマー側にあるというのはどうしても書き添えたい。
なお内容はフェイクをまじえている。
健くんがラジオで毎日楽屋挨拶をするように伝えてくれたお陰でjrもきっと反省していると思います。
もしかしたら初日・千秋楽しか挨拶をしない習慣だったのかもしれないし、座長が毎日挨拶をしなくて良い派だったからそれに倣ったのかもしれない。だけどもそれは外に出たら非常識なことだから、今までのなんとなくをぶち破ってでも、誰かが教えなきゃいけないこと。健くんが後輩に反省する機会を与えられる存在になったこととても嬉しく思います。
だけど私はそんなこと知りたくありませんでした。
これから舞台を見る時、健くんが楽しそうにjrと話していても内心どこかモヤモヤがあるのかもしれないだとか、この子が挨拶した子でこっちがしなかった子だとか、この三宅担は昨日jr担を叩いてたのかもしれない、このjr担は健くんを批判してたかもしれないだとか舞台に集中したいのに雑音がたくさん入ってきてしまいます。さらにjr担は挨拶が出来ない子を応援しているという罪悪感を持って劇場に入らなければならないかもしれない。
健くんが後輩に教えたかったことは、観客にわだかまりを残し、周囲に傷をつけないと教えられないようなことですか?
健くんが挨拶が出来なかった時は先輩のファンにも、自分のファンにも、まったく無関係な一般人にも怒られましたか?
あなたが大切にしている後輩とそのファン、さらには健くん自身のファンすらも軽率に辛い状態に追い込んでいることが悲しくて仕方ないです。
座長が作り続けてきたエンターテイメントに汚点を作ったのは間違いなく健くんです。
健くんがファンに叱ってもらいなさいというから私は心を鬼にして健くん宛にこのブログを書いています。
これから健くんにファンレターを書くどなたかにおねがいです。健くんにこういう感想もあったと伝えてあげてください。
そしてjrを叩いてるV担へ。
あなたが今叩いてる人達は何年も滝沢秀明の舞台をバックjrではなく、一人の出演者として舞台で戦い続けてきた人たちです。滝沢歌舞伎においては、健くんの先輩です。きっとDVDすらも見たことないだろうけど座長が育てたパフォーマーです。見もせずに、見るつもりもないのに知った気になって、人様の舞台の出演者を叩くことは恥だと思います。
結局、サブカルが好きって言うのは「これが好きな自分は特別」っていう感覚が第一なんだと思うんすよ。
ただもうSNSさんが発達しすぎて、そこらじゅうに「サブカル好き」がたくさんいることに気づいて、サブカルオタクは死んだんですよね。
いい時代ではあると思うんですよ。
ただ、自分のアイデンティティだったり、個性だったりに自信の持てない十代の若者にはキツイと思う。多分。
今でもインターネットにはアンダーグラウンドは存在しているし、密かに活動しているクリエイターやコアな人気をもつパフォーマーもいるにはいるんだけど。
それにたどり着くまでには運と根気がかなり必要になってきている気がする。
一昔前、自分が「サブカル」だと感じていたものはマイナーメジャーといったあたりだろう。
今ではそんなマイナーメジャーのカルチャーなんて氾濫していて、ファンもくっきりとその実像を確認することができる。
「自分だけがこのカルチャーを愛している」という錯覚は既に失われつつある。
確かに愚かな自己肯定の方法だとは思うけど、十代の頃はそれにしがみついてでもいないとしんどかったんだ。
不安だったし、寂しかった自分を強くしてくれるのはサブカルだけだった。
当方、女。とあるオタク趣味にかれこれ10年近くつかっている。根強い人気を誇り、それなりに経済規模がある界隈ではあるが、一般的趣味とは言い難い。人によっては気持ち悪がられることもある。奇異な世界だから。なので私も「○○が好きなんです~♡」とはカムアウトしていない。
その界隈は基本的に女で構成されている。クリエイターも女、受け手も女。女の女による女のための界隈。男性で興味がある人は1%もいるかどうか。
界隈は、知的な人が集まりやすいのか何なのか(単なる私のフォローの傾向かもしれない)、ポリコレ意識がやたら高い人が多い。はてなーを煮詰めたような人たち。フェミ系。
私の尊敬するオタ仲間のKさん。いつも感想文にはお世話になってます。私のちんけな視点・解釈では至らない、世界の深みに連れて行ってくれる方。
しかし、そのKさんのポリコレツイートに最近げんなりしてきた。男の性欲がなんちゃらかんちゃらの表現は~って…。
その理屈ってさぁ、私たちにも当てはまりませんか?私たちの表現だって女の性欲に直結したものじゃん…。性欲っていうと大げさな感じするけど、萌えとかトキメキってそういうことだよね。
女性を抑圧する?いやぁ、私らの表現でもバリバリやってますやん。それどころか男性に対しても抑圧やってますよね。
ポリコレを盾に、ある種のフェチズムを矯正しようとしたり、人目のつかない場所においやって経済合理性のもとに消滅させようとする姿勢は恐怖だ。
私は嫌だ。私の愛する愚かで狂った世界を、外部の正しさで変えられたくない。生きがいなんだ。世間から石を投げられたとしても無理だ。今更、足を洗うなんてできない。
今はいいかもしれない。女向けは活動家のターゲットにはなりにくいだろう。でも風向きなんていつでも変わる。次は私たちかもしれないんだよ。怖くないのかあなたは。
追記:何かおっさん疑惑をかけられたり、名誉男性扱いされてるのが不愉快なので、ぼかしたけどこの際、全部ぶちまけます。私の好きなものは宝塚です。トラバで当てた人、お見事。
クリエイターが女って書いちゃったからBL言及が多いけど(宝塚はパフォーマーと言った方が正しいがフェイク入れました)、私はBLは嗜んでいません。ただBLが槍玉にあがった次はうちだろうな、ぐらいにはシンパシーを感じている。宝塚とBLの相性はいいので。
こっからは、雑な自分語りになっちゃうんだけど、宝塚ファンを代表してとかではなく、一個人の葛藤だと思って読んで欲しい。
私は、一時期愛する宝塚から離れたことがある。というのも自分が宝塚の生徒を搾取してるのではないかと苦しくなったからだ。
10代、20代、30代の期間を、ファンのぶつける男役というファンタジーを生きてくれる。
「○○さんは宝塚を卒業したら、家庭に入って幸せになって欲しいわ」こういうことを言うファンがいる。こういうのを聞くたび、暗い気持ちになった。結婚=幸せという価値観にうんざりするのか、それとも、私たちのファンタジーのためにそういった人生の選択肢を諦めているのではないかという恐怖なのか。
Babymetalをご存知ですか。
世界に受けた原因として、
バンド、というよりライブを重視しているミュージカル的な複合芸術チームなんです。
音楽、ステージ、ダンス、世界観 etcのどれもが高い評価を受けてます。
それぞれの要素はまだまだ伸び代があるっていうからすごすぎます。
ここからが本題。
そんな彼らのキャラは?
自分から一次情報に手を出さない人には、知られていないし毎回説明しないといけないんですね。
新聞・テレビの役目は崩壊中だけどまだまだ影響力があって、日本のこの状況は違和感ありますよ。
複合芸術の評価と書きましたが、個人的に一番興味があるのはこのグループのキャラクター性です。
それこそバラエティや芝居やグラビアさえこの素材を生かさないなんてもったいないと思います。
アイドルとかエロ目線とかじゃなく、この人たちは本当に世紀の大スターなんです。
荒れる例えですが、天皇陛下がごくたまにテレビ取材を受けられて、お人柄なりに感銘を受けることがあります。
マスコミ主体のアホみたいなキャラ設定とか、パパラッチ要素はいりませんが、
彼女たちの人柄を正当に評価してあげてもいいとそろそろ思うのですよ。
森川葵演じるヒロインを取り合う相手役に北村匠海と佐藤寛太が出ていた。
2人とも、とんでもなく顔が整っていて、且つ芝居も観れないレベルのものじゃなかった。
佐藤寛太本人は違うけど、彼が所属する事務所LDHには、EXILEや三代目J soul Brothersがいる。
映画「HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY」 予告編 - YouTube
LDHは2015年から身内向けに作っていたはずのプロジェクトで、今年色んな界隈の所謂オタク層にその存在を知らしめた。世間が思う「浅黒い肌にムキムキに鍛え上げられた肉体、無精ヒゲを生やしたむさ苦しい男達」というイメージに反して、このドラマや映画のシリーズに登場するLDHの面々は、そういった”イメージ通り”のメンバー(AKIRAや関口メンディー)に加え、男らしさは残しながらも綺麗な顔立ちや可愛らしい甘い顔立ちのメンバーが多く出演する。三代目J soul Brothersの人気の火付け役となったであろうメンバー・岩田剛典などが正に良い例だろう。ここ何年かでLDHに所属するアーティスト達のビジュアルやコンセプトが、時代や流行に合わせて変化しているのをなんとなく傍目から察していた。だんだんとマーケット層のメインが様々な世代の女性に絞られ、アーティストでありながら、アイドルとして彼らを応援、消費できるスタイルへと変化しているように思う。(勿論所属しているアーティスト全員に該当する話ではない)三代目も先輩グルーブであるEXILEと同じようにボーカリスト・パフォーマーとメンバーの役割は分かれているものの、パフォーマー(ダンサー)である彼らは、俳優、モデル、DJ、アートディレクター、ファッションデザイナー、ラジオパーソナリティと様々な顔を持つ。これは、彼らのもう一つの先輩グループであるEXILE THE SECONDや後輩のGenerationsにも同じ事が言え、正に「歌って踊るアーティスト」としての一面と個々に活躍する彼ら個人の活動をファンが楽しんで、応援するシステムが既に出来上がっている。(これも勿論全員に当てはまる話ではない)
超特急「My Buddy」Music Video - YouTube
一方、北村匠海が所属するスターダストにも歌って踊る所謂”男性アイドル”が存在する。メインダンサー、バックボーカル(ダンサーがメインで踊り、ボーカルがバックで歌う)”超特急”である。彼らは今年、武道館でライブを行い、今冬から来年にかけてツアーも決定している。最新曲「My Buddy」では彼らの”可愛さ”と”かっこよさ”の両方を堪能できる一度で二度おいしい世界観のMVを公開しており、この曲は橋本環奈・渡部 篤郎主演のドラマ「警視庁いきもの係」のタイアップ曲にもなった。北村匠海自身も「DISH//」というグループに所属しており、アイドルでありながら俳優業にも精を出す内の1人だ。当然超特急にも、俳優業をこなすメンバーは複数いて、多くの人気俳優を抱える事務所に所属しているだけに、彼らも作品に出逢う機会には恵まれているように思う。スターダストには彼ら以外にも、アイドルユニットは存在していて、メンバーの年齢層もユニットのコンセプトも様々であり、LDH同様、ファン層がユニットを選り好みし、住み分けできるようなシステムが出来ている。これは恐らく、同事務所の看板女性アイドルユニット「ももいろクローバーZ」の成功例にならって作られたものだろう。
ここで、今一度日本の男性アイドル産業に置いて、長年一党独裁を築いてきたと言っても過言ではない”ジャニーズ事務所”と上記2つの事務所が展開する”アーティスト”、”アイドル”の違いというのを改めて考えてみたが、「研修制度がある(ジャニーズJr.と呼ばれるCDデビュー前のタレントたちを多く抱える)」「SNSを利用していない」「自社でミュージカルショーを定期的に行っている」「冠番組を持つグループがいる」くらいしか最早存在しないのではないかと思っている。「見目麗しい顔が整った男性アイドル、アーティストや少年たち」は正直言って、もうジャニーズ以外の上記の事務所にも(好みはあれど)多く存在してしまうのだ。ちなみに私は、ジャニーズなら山田涼介や佐藤勝利は顔が整っているという価値観を持って生きているものの、スターダストなら超特急のユースケや北村匠海も顔が綺麗だと思うし、LDHでは登坂広臣や白濱亜嵐も綺麗だと思う。そこに関して、どこがどう凄いとか誰がどう良いみたいな話はもう殆ど、微妙な好みの差の話でしかない。そもそも「冠番組がある、なし」については、番組などがない代わりにスターダストもLDHも様々なコンテンツを駆使して(有料のものが多いが)ファンに提供しているように思うし、LDHにおいては、今度Generationsがとうとうテレビ朝日で冠番組をスタートさせる事にもなっている。ネット配信も含めると既にEXILE THE SECONDの黒木啓司がAbemaTVで自身がMCを務める音楽番組を持っているし、EXILEのメンバーでも冠番組を持つ者もいる。
GENERATIONS、初冠番組がテレ朝“進出” Abemaオリジナルが初の地上波レギュラーに | ORICON NEWS
実際、男性アイドル産業に数年前から着手している芸能事務所はこの2つだけではない。スターダスト同様多くの人気俳優が所属する「アミューズ」も所属タレントだけで構成されたアイドルユニットを様々なコンテンツと絡めて売り出し始めた。期間限定コンテンツを匂わせながらも、ちゃっかりCDまで出している。流石、アミューズ。
キャスト|「ドリフェス!R」5次元アイドル応援プロジェクト公式サイト
なんならこの事務所は、所属タレントだけで開催するイベントで若手俳優がそれこそ所属アーティストの歌を歌ったり、踊ったりもしている。あの神木隆之介もだ、というから驚きである。
モデルプレス - アミューズ「ハンサム」今年は初の試みで開催 神木隆之介、吉沢亮、小関裕太ら出演者&公演内容発表<HANDSOME FILM FESTIVAL 2017>
似たような事は、福士蒼汰が所属する研音「研音若手俳優によるスペシャルイベント MEN ON STYLE 2017」もやっている。(しかし福士蒼汰は出ない)どこのタレント事務所もアイドル産業が儲かる事をわかっているのだなという感じを察してしまうし、ある程度演技仕事で一定数の知名度とファンを獲得している彼らが出演するとなれば、一定の売上も確保できるのだろうから事務所側としてみたら、良いビジネスコンテンツなのだと思う。
事務所の運営とは関係ない部分で言えば、日本の若手俳優はピンからキリまで存在するが今やその勢いは年々増しており、特に新規ファンを獲得しやすい2.5次元舞台などで一躍有名になれば、その界隈から様々な分野の仕事へと手を広げる事も難しくはなくなった。テレビドラマに出演する事もできれば、大手のレーベルでCDを出す事も出来る。ここにLDHは目をつけて、2.5次元界隈で人気の俳優を自社が手掛けるコンテンツ(ハイローや舞台「幽劇」)に呼び寄せた。アミューズが展開するアイドルプロジェクトも正に、この2.5次元人気に肖ったものであろう。
こうした大手の芸能事務所がしれっとアイドル産業に手を出す中では、ジャニーズ事務所に所属するタレントが新たな層のファンを獲得するのはかなり厳しくなっているのではないかと考える。デビューしてからキャリアが長く、経験も豊富でファン数も安定している中堅層(V6、KinKi Kids、嵐、関ジャニ)は良い。そこから下の世代は、今もそしてこれからも厳しい戦いを強いられるようになるのではないだろうか。特にこれからデビューするかもしれないジュニア勢にとっては、他事務所のデビュー組レベルのタレント達と仕事を取り合っていく事になる事態は、決して未来が明るいとは言えない状況なのかもしれないし、逆に燃えるというタレントもいるかもしれない。
だからこそ、他の事務所同士が各々手を取り合ったり、競合しながら、男性アイドル産業に様々な形で参入し、成功を収めている今、いくら永続性はある程度(ジャニーズ事務所所属のアイドルグループの存在が永遠ではない事はここ数年、"特に"昨年私達は思い知っている)保障されていたとしても、AbemaTVでのホンネテレビを見て、SNSを利用する他事務所のタレントやアーティストの売り方について批判をしている”ごく一部”の人には是非、広い視野を持って、アイドル産業に目を向けて見て欲しいと思う。
批評するだけで満足せずに、どうか是非他事務所や他所のタレントに目を向けて、どことも上手く競合できるように目を光らせておいて欲しい。
(この匿名ポストは、口下手な俺が近しい人間に近況をまとめて報告するための書き込みなので、「ワケわからん」という人は、無視してほしい)
.
.
.
別の人ってのは、そうだな……あるところで、超っ絶美形、お耽美系おまけにXジェンダーという、やたらキャラが立ってるモデル兼役者さんを見かけたと思ってほしい。
そのヒト、ビジュアルと毒のあるキャラを買われてライブや芝居の客演に引っ張りダコで、思わず本人を確認しにライブハウスに行ってみたのよ。
期待にたがわぬ超絶美形だったんだけど、本題はこの人ではなく(いや、このモデルさんも追っかけるつもりだけど)。
.
「ほんとかぇ?」と最初は思った。
その劇団、サブカルとか下北沢とか、そういうのを全然わからん俺でも知ってるくらいの有名劇団で。
旗揚げ公演のときは、ギラッギラのお耽美系女優でキャストを固めていて、そこにサブカル大好きティーンが「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるような感じで。
.
で、その女優さん。
いっつも学ラン、学帽のショタ扮装で、ほんとうに純朴な少年みたいなキャラで、セリフ回しもトツトツとしているし、どっちかというと「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるサイドのヒトじゃね? と思ってた。
あるときまでは。
.
ところがね。
とあるライブのゲストパフォーマンスで2人がコンビで出演した時。
そのままユラっとたちあがって身体を動かし始めたら、いきなり周囲の空気が変わったのよ。
.
もうね。
ダンサー。
超ダンサー。
.
ボディコントロールの精度とダイナミックレンジがハンパじゃない。
スタイルとしては、最初は土方巽的な暗黒舞踏の系譜かな、と思ったんだけど、見てると洋モノのコンテンポラリーに近い感じ。
.
でも、それにしてもね。
ああいう動きは、それこそモーリス・ベジャールなんとかカンパニーとかに10年くらい所属しないと出来ないんじゃないの? まだ若いのに。
そう思ってチャラっと調べたら。
母娘2代、姉妹そろっての舞踏家ファミリーで、子供のころから母君の手ほどきを受け、美大に進学して上京してからは、もう在学中から現在にいたるまで、
.
個展で踊る
有名ミュージシャンのMVで踊る
ミニマルミュージックのセッションでゲストパフォーマーとして踊る
そして、誰からもお座敷がかからないときは自主活動として踊る。
.
踊る踊る踊る。スキあらば所かまわず踊りだす、踊りの国の踊り姫であることが判明。
(いやマジメな話、ソロのフリーランサーってどこで仕事を取ってくるんだろう?)
.
ほかにも。
その女優さん、最初は普通のチンマリした女の子だと思っていたら、ネット上に、背中出しのコスチュームでプロに撮ってもらった宣材写真があって。
もうね、肩甲骨の自由度と張り付いてる三角筋の厚みが、完全にアスリートのそれ。
いやもちろん、シルヴィ・ギエムみたいに絞りに絞った体型ではないけど、学ランの扮装に完全にダマされてた。
完全に本職のダンサー。
.
というわけで、がぜん興味がわいたんで、その“伝統の小劇団”の公演を予約して、行ってきましたよ、もう。
.
もうね。
シンガー。
超シンガー。
.
少しかすれた、でもよく伸びるアルトで、ピッチとアインザッツをガチキープしたうえで、朴訥な少年みたいなキャラクターをいい感じにのっけてくる。
ほぼ本職のシンガー。
.
ところで、ここまで劇団の女優、女優と書いておいて、演技に一言もないのは。
だから、客演の寸劇とかで短く少ないリハーサルではアドリブがきかない。
(在学中に自主制作の映画に1本出ているらしいが、内容までは知らない)
.
・ただし、所属の劇団でガッチリ稽古をすれば、プロ水準の演技はできる。
実際、主役級のキャスティングを的確にこなしていた。
少なくとも、演技といえば映画とTVしかみたことのない俺にはそう見えた。
.
という感じ、なのかなぁ。
(ダンスになると手持ちの材料ですごい振り付けをするのと対照的)
ともかく、その意味ではキャスティングが当て書きとハマり役に限られる感じで、「アクトレス! 超アクトレス!」とは言えない感じ。
まだ今のところは。
案外、早い時期にその域に到達するかもしれないけど。
.
劇団の公演自体はおおむね満足。アートでビザールで猟奇的な感じ。
そこで今度は彼女が時おり客演しているバーレスクチームのパフォーマンスに行ってきましたよ。もう。
.
で、見てきた印象を簡単に書くと、
.
・ダンスを見て、
やはり動きのキレすさまじき。
チップばら撒き、飲み代払いまくりなれど、かぶりつきで見た。元は取った!
.
・ダンスが終わって
話を聞こうとしたら、追っかけが周りを取り囲む(俺も含む)。
.
もともと芝居好き。
劇団オーナー氏の文芸思想面に共鳴、心酔、ならば何も言うまい。キャリアとか。
.
・余談、『草迷宮』以外にも女力士がいるらしい。寺山修司好みのモチーフらしき。
.
というあたりで。
……興奮冷めやらぬ中、この3ヶ月の自分を振り返る。
自分は何をこんなに、このダンサー(と周辺の人たち)に入れ込んでいるのか?
あれだ。
何が楽しいかというと、若い人たちが劇団やライブで頑張ってるのを見ると、その、あれだ。
大森望とか小林よしのりがAKBにハマっているのを「自分の娘みたいな年頃のアイドルに入れあげるって、それはどうよ?」とか思ってたのがね、これが自分がハマってみると、
_人人人人人人人人人人_
> スッゲー楽しいの <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
.
そしてね。
この歳になって「和風アングラもいいな」という自分を今さら発見した。
夢野久作とか寺山修司とか麿赤児とか唐十郎とか横尾忠則とか佐伯俊雄とか『ガロ』とか古屋兎丸とか、そういう日本の猟奇的な世界とは無縁で生きていくものだと思っていたんだけど。
これがねぇ。若い人が過去の作品群や事件を掘り返しながら、自分にしてもまだガキだった'60年代の新宿的世界をガチでやろうとしているのが面白くて。
.
ほかにもね。
その女優さんと美形モデル氏を起点に人脈をイモづる式に掘っていくと、面白い人たちが出てくるわ出てくるわ。
誰に頼まれたわけでもないのに、全身を蛍光色にペイントして街角にくり出してフォトセッションをやってるギャルの集団とか。
どこから出演料が出るわけでもないのに、「調香師の貴婦人と助手たち」みたいな架空のストーリーでコスプレ衣装合わせをして、参観料を取って企画として成立させてるコスプレイヤーとか。
.
みんな“何か”になりたくて、
“何か”をしたくて、
でも、それが“何か”はっきりしていなくて。
.
みんな若さにまかせて、アルバイトを掛け持ちしながら、もがいてる。
.
おお! こりゃ、リアル日本版『レント』(と、その元ネタの『ラ・ボエーム』)の世界じゃないのよ!?
いいねぇ。じつにイイっすねぇ。
.
この歳になると、知り合いで創作的なことをやってる人間は、
.
・その周辺で稼げる分野に落ち着くか(←俺のことだ)、
・完全に足を洗って別の仕事を見つけるか
.
どれかになるんだけど、まだ、そのどれでもない状態でやっている、やれている人たちが、まぶしくて、まぶしくて、もう。
.
この女優さんにしてもね。
.
っていう流れに乗る前に、
っていう流れに乗る前に、
.
多少無理をしてでも金と時間を作って四方八方にコネのある舞踏家に師事して、それをテコに国内でも海外でもいいから名前の通ったダンスカンパニーにもぐり込むことを最優先にするだろう。
その後は、
.
・一般人にも名の通ったポジションを取ることを最終目標に、有名振付師のゴーストから経験をつむか、
.
・彼女の母君みたいにレッスンプロとして“ダンスを見たい人”より“ダンスを演りたい人”を客にするべく、行政とかに売り込みをかけるか、
.
・あるいは、ヨーロッパみたいにハイカルチャーに一定の需要がある国にイチかバチか、飛び出してみるか。
.
……10年後、20年後も踊っていたいなら、これくらいしか選択肢はないんじゃなかろうか。
.
でも、おそらく、それじゃ満足できない何かがあって、それに衝き動かされているんだろう。
(と思ったら、海外留学が決まったらしい。いいぞ、行ったれ行ったれ!)
.
ま、ともかく。
独立起業という名の引きこもりになって、はやЖ年。なんか世界がせまくなる一方だった自分の生活が彼女ら彼らのおかげでムチャムチャ彩り豊かになった。
この人たちには、いくら感謝してもしたりないが、直接言うとキモいので、ここでこっそり発言。
.
日本習字では毎月、お手本と冊子が送られてくる。
お手本は原田観峰、冊子には日本習字の高位段の会員の作品が掲載されていた。
子供ながらに自分はすごく美しい字だと思ったし、きっとすごい人たちなんだろうなぁ~と思っていた。
中学三年生くらいの時、たまたまネットで原田観峰について調べたらとあるサイトでぼろくそにたたかれていた。
内容は「書道の世界に段位を持ち込んで人々の誤解を招いた」というものだった。
私の中で原田観峰のイメージが崩れてしまい、同時に自分が恥ずかしくなった。
もしくはYoutubeの誰かの動画コメントに「下手」「正しくない」「正しい書き方は~」
そもそも、2chは便所の落書きだし、匿名のコメントでは判断の仕様がない。だか私にはこれらの書き込みにはおそらくある程度の説得力があるように思える。
そしてどうやら書道業界では柿沼康二という人物が相当な実力者らしい。
彼は、昭和の三筆の一人である手島右卿に師事し、毎日書道展毎日賞という書道界では栄誉ある賞を20代で受賞。大学生の頃は16時間を臨書に費やしていたという。
私の中で彼は、わかりやすい「書道のすごい人」になり、書家の指標になった。
人間は単純だから、複雑な社会を一つの軸や価値観を通してしか見ることができないという話を聞いたことがある。
なるほど。
例えば漫画を見てみよう。
ある売れている漫画が2chなどで叩かれている光景を目にする。
絵が下手なのに売れているのが理解できない、ストーリーが下手なのに売れているのが理解できない、と。
人間社会は複雑なので、実際には「マーケティング」「絵」「ストーリー」「タイトル」「時代性」「知名度」……そして「好み」非常に多くの事柄がかかわって「売上」という数字をたたき出している。
それなのに一つの項目だけを見て売上を語ることはおろかである。
だが、それでも人は絵のうまさだけで売上を語りたいのだ、2chに書き込みたいのだ。
私が今どういう状況かというと、ちょこっとだけ書家の世界をのぞいてみたい。
漫画家のランキングをつけようにも、何度やっても決まらないだろう。
ただ、一流の漫画家を挙げろと言われれば誰もが納得する名前が挙がることだろう。
だが、私の好奇心がそれを欲している。
ならば下手という指摘はなぜできるのか。
これは断言するが、書道業界を知らない素人にとって書道のすごい人は武田双雲だ。
たとえ武田双雲がプロからみてどれだけ下手で臨書をしなくても、その事実はおそらく変わらないだろう。
柿沼さんはどう思うだろうか。素人に理解されなくてもいいと思うだろうか。少しでも多くの人に本物の書を知ってほしいと思うのだろうか。
このことを悲しむだろうか、残念に思うか。自分がその立場なら残念に思うかもしれない。
でもこの話は書道業界だけの話ではなく、音楽、映画、現代芸術、きっとどの業界にもある。
だから柿沼さんもまた別の業界の素人であってその道のプロから何か思われるかもしれない。
もちろん、彼の情熱を見る限り、芸術分野ならきっと通じ合うものがあると思うが。
私の言いたいことは、素人というのはそういうレベルの人であるということ。
自分の当たり前が通じない、それも毎年何万人もの素人が新しく量産される。
私が長々と何を言いたいというかというと、書道はブラックボックスであるということである。
芸術系の分野ではおそらく、自分の知る限り最もブラックボックスである。
現代芸術では絵のうまさは最も重要な項目ではない。最も重要なのは文脈である、らしい。
その作品がアートの歴史の中でどういう立ち位置にいるのか、どういうコンセプトなのかが重要な位置を占める。
私は書道のことに詳しくはないが、書道の世界の美しさ、素晴らしさ、良さは言葉で説明できないようなものであるのではないかと思う。
もっと言うと王義之の書が最高といわれるが、素人にはわからない。きっと時間をかけて書にふれれば見えてくる世界もあるかもしれないが、素人にその気はない。
私はフォントが好きなので、いろんなフォントをよく眺めている。王義之の書より日本語フォントに美しさを見出す。
もちろん、それはあくまで、私の心の中の世界の話であり、好みである。正しさではない。
書道の正しさでは王義之だろう。それか書道とフォントは全くの別物だから比べることじたい意味がないのかもしれない。
まぁ、書家のいうなんちゃって揮毫も多くの素人が美しいと思うのと同じかもしれない。知識不足で見えない世界のため、下の世界で満足しているだけかもしれない。
話は変わるが、待ちゆく人に好きなフォントを聞くと「MSゴシック」だそう。たぶんデザイナーではありえない。少なくとも自分は好きではない。
美しいとされるフォントは手書きの温かみを再現していたりするので、書道から教えられることは多いかもしれない。
でも私は彼らを馬鹿にしたりはしない。無論、私は一流デザイナーではないし、アーティストではないから柿沼さんと比較はできないが。
つまり素人というのはそういうものである。どの業界もきっと素人にわかってもらえない苦労はある。
だからやさしく教えてあげればいいと思う。
書道界で名をはせている人はなぜ有名なのか?
美しいとされる文字はなぜ美しいとされるのか?
正しさはどこにあるのか?美しさはどこにあるのか?
そもそも沢山の人が訪れる分野ではないかもしれない。ネットで書道の情報を集めるのは(ほかの分野に比べれば)大変だ。
派閥ではなく真に実力で名をのこした書家を知りたくても素人にはわからない。
つまり、ブラックボックスの芸術なので、ネットで書家が叩かれているのが正しいのか正しくないのか、的外れなのか的を射ているのかわからない。
下手といわれても素人目にはすごくうまく見える。
下手なのを説明できないのであれば、うまいのを説明できないのではないだろうか。
私は説明もなくただ、下手だといわれても素人だから納得できない。
追記:
そうか…
悪文ごめんね。思ってることを書き連ねたらこんな文章になってしまった。
冷静になって読み返してみると話が飛びすぎてるし、後半読みづらいのは確かにある。
ごめんね。
でも頭が悪いっていうのはひどいよ。
言いたいことを要約して書くけど、
ステージ上にパフォーマーさんが表れ、子どもたちは我先にとステージ前に集まっていった。
親たちは少し離れた位置でそれを見ている。
親子イベントということもあって、パフォーマンスの内容は色々な作品を作っては子供にプレゼントするというものだった。
6歳の息子は物怖じしない性格でぐいぐいと最前列に出て猛アピールを続ける。
3歳の娘は場の空気に圧倒されてしまったのか、少し離れた位置で参加したい気持ちと葛藤した様子でイベントを眺めている。
息子のあまりの食いつきっぷりにパフォーマーさんも少し持て余す様子。
一向に作品をもらえない息子だが、一生懸命アピールすれば報われるわけではないことを知る良い機会だと温かく見守っていた。
しかし息子氏、よっぽどもらいたかったのか女子向けの作品にすら小さな女児を差し置いて猛烈にアピールし始める。
そこは流石に空気を読む必要があることを教えねばと、戻ってきたら言い聞かそうと思っていた。
娘はもらえないことを悟ったのかすでにこちら戻ってきて妻の膝の上に座っている。
かくしてイベントが終了するもとうとう一つとして作品をもらえなかった息子。
案の定妻のもとに来るとそうそうに顔をぐしゃぐしゃにして大声で泣き始めた。
作品をもらえた子どもたちに肩身が狭い思いをさせるのも申し訳ないと、「だらしがない!」と叱りつけようとした瞬間、息子は泣きじゃくりながらも思いがけない言葉を口にした。
「妹に、取ってあげたかった!」
それを聞いた瞬間、兄に抱きつきながら同じく火の着いたように泣き始める娘。
慰めるように二人を抱きしめる妻の目もすでにうるうるしている。
そんな状況に耐えられるほどぼくの涙腺も強くはなかった。
端から見たらもらえなかったくらいで一家総出で大泣きとかどんだけだよって思ったかもしれないけど、息子の成長と家族の愛情を思いもよらない瞬間に実感できた幸せに溢れる出来事でした。
そりゃパフォーマーだけで運営できるものではないし、最初に資本を投下するのも事務所何だろうけど。
ベリで一人浮いているパフォーマーだった嗣永さんが、ベリ活動休止後もわざわざアイドル続けたくて慈しんだグループなのに。
嗣永さんの作った中身のない心地よい表象の世界をぶち壊しやがって。
あれだけ貢献した人の、どんな形であれ強い影響下にあったグループを、事務所が”一方的に「はい、おしまい」ってさ。
アンジュルムの時だって、結果的に成功してなんか有耶無耶になっている気がするけど、勝手に改名しやがって。
ティーンズをあれだけ握手だのライブだのでこき使っておいて、彼女からも主体性すら剥奪して、そんなのもう見ていられないよ。
ただただムカつくわ。
社会人になって年数はもう二桁になろうとしていた私たちは、頑張って来たご褒美とかこつけてアジアへの旅行を決めた。
みんな結婚こそはしていないものの、私は男と住んでもう5年にもなるし、
他の3人もこの数年ですっかり落ち着いている。
そんな独身女4人の旅行先に、英語圏の南の島とかでなく亜熱帯にあるアジアのリゾートを選んだのは、
歴史ある寺院を見たり、安くエステをしたり、少しスピリチュアルにな気持ちになるため、では本当は無かったのかも
なんて少し勘ぐったりする。体をよく鍛え黒のトライバル柄のタトゥが日に焼けて薄くなった
ビーチにいる男の子と私たちは昼間からビールを飲んで「可愛いねオネエサン」なんて言われている。
彼らは本当に日本語を良く知っていて、少し前に流行ったお笑い芸人のネタを口にしたりもしていた。
そんな旅行の最終日だった。
「クラブへ行ってみようか」
誰かが言い出した。とっくの昔に忘れた夜の過ごし方だった。
もう若くは無いけどここは外国だしツーリストも多い。いいよね。
私たちはマーケットで1500円で買った安物のワンピースに着替え、入念に化粧を直し、宿泊していたヴィラを出た。
店の集客をする少年や、お祭りの屋台で売っているようなボタン電池で光る耳のようなものを売っている男、
謎の白い粉を売りつけてくる男、この夜の街の現地人は皆、働いてるんだ。
私たちは現地人によくモテた。日本人だからかもしれない。お金を持っていると思われているんだろう。
実際、ジゴロをやっている現地人は多いって聞く。彼ら、都合よくヒモにさせてくれる日本人女を探しているのかも。
それぞれのお気に入りの男を見つけ、フルーツの盛られた黄色や緑色のカクテルを飲んでいる同士3人を、
私は遠れたところから眺めていた。
横ではパフォーマーの女性がファイアーダンスを踊っていて人だかりができている。
「日本人?」日本語で声をかけて来たその男は、肩に着きそうなくらい伸びた髪で少しだけ日に焼けていた。
無地のくすんだ青のシャツに、グレージュの海パンを履いている。荷物は持ってない。
若いけど、なんだかちょっとこなれた感じ。学生の卒業旅行ではないみたい。
私たちはみんなのいるルーフトップのフロアを抜けて、音楽のあまり聞こえない2階のベランダに腰を下ろした。
不意に、私の髪をかきあげる彼の右手。その手でそのまま、顔を引き寄せられキスをした。
女の子の二の腕にキスしたみたいなふにゃりとした唇、首筋に塗られたオールドスパイスの香り、
体温が上がっているんだと感じるのにすぐ、思考が停止する。何も考えられなくなる。
「いい曲」そう行ってフロアに手を引かれた。今日は有名なDJのワールドツアーなんだとか。
私たち、体を寄せ合って揺れてた。チークタイムかよ、って心の中で毒づいて少し恥ずかしくなって笑った。
でもそんなのすぐに忘れて目を閉じる。
音楽が流れて体を寄せているだけなのに飽きることなく時間が過ぎる。
ずっとこうしていても時間が過ぎないなら、死ぬまで踊っていられるんじゃないだろうか。
引き寄せ会う、ただの二つの物体。それ以外のことは何の意味もなさない。今は。
どれくらいそうしていたんだろう。
不意に聞き覚えのある歌が流れて来た。日本語の女性ボーカルが歌う。
「愛してると言って、声を聞かせて」
外はすっかり明るいけれど、まだまだ人が出る気配はない。
「やるじゃん」なんてからかう、随分前に遊び慣れた女たち。その言葉、そっくりそのままお返しします。
頰にキスをして私たちは別れた。彼は宿泊先のホテルを耳元で囁いた。
帰りの空港に着くと、彼が搭乗口の柵に持たれていた。
「またおいでよ」
もう会うことは無いってわかってる。
そうそう海外旅行なんて行けたものじゃ無いし、多分次は違う国に行くだろう。
それに帰国したら、この一年中夏の国で一晩で生まれた安物の気持ちは綺麗さっぱり無くなるものだ。
なんて、分かっているからこんなに悲しい。
安物だなんてこれっぽっちも思っていないけれど。それも、今だけ。
日常は何も変わらず私を迎えてくれた。
あの作品がアイドル=カワイイを脱却できていると思う点は大きく二つある。
ひとつは、主軸として「(私達で)終わりにする」物語だというところ。
カワイイという他人に媚びた、というと言い方が悪いが、他人のウケに依存する状況を続けていると、
どうしても商業的になってきてその「カワイさ」を演じ続けることを強いられるようになっていく。
それは現実的に考えても辛いことだし、アニメとはいえ女性も人間、歳をとり成長し進学就職していくもの(=ずっと一緒には居られない)というリアルな思考が、暗黙的にキャラクターたちにも存在していた。
そこで彼女たちは、アイドルという青春を引き伸ばす道を選ばずに、作中にして若干1年、現実の声優ユニットとしても5年で「おしまいにした」。
それも、人気の絶頂の最中でその決断を、予め意図したとおりに断行した。
その振る舞いには、これまでのアイドル文化に対して投げかけるような強烈な思想を感じる人もいるだろう。
作中のライバルグループは、メジャーデビューして続けていくことを選んだが、
彼女らはそれを否定するでもなく、「私達がどうありたいか」という思考を大切にした。
その思考について、本編だけでなく劇場版の過半をそれに割いてまで、伝え続けた。
そういうところが非常に現代的だと思うし、観る者に旧来のアイドル観からのアップデートを促すようにも感じられる。
ふたつ目は、作中における「カワイさ」の表現について、あくまでも彼女ら自身の「カワイイ」観・美意識に基いているところ。
パフォーマンスを自分たちの手で、裁量で、決定し作り上げているというところから、現代的な感覚に寄り添う配慮がみられる。
そもそもアイドル活動を部活という設定にしたところからそうだけれど。
もちろん美少女もののメディアを原点にした作品だから、彼女らが自発的に表現した「カワイさ」自体が男性ウケに寄せてあることは否定しない。
けれども内発的に行動している設定にすることで、「やりたくないけどウケの為にやらされる」ような見る側も心苦しい媚び方を見せなくてよくなった(少なくともアニメ上では)。
それどころか、彼女らの美意識に従えば、それの転び方によっては「ウケは悪いが独特な自己表現をするグループ」になっていたかもしれない。
実際に作中で迷走してロックバンドKISSのコスプレをしだす一幕があったほど。
ともかく、そうした主体的に行動するウーマンパワー的な土壌を作っておくことで、女性視聴者も作品を受け入れやすくなった。
結果として「一見男性向け作品なのに女性ファンも非常に多い」コンテンツとなった。これも今時のヒットコンテンツではよくある現象だ。
ちなみに、この「自分たちがカワイイと思うことはやるけど、そう思わない(嫌な)ことはやらない」という、
女性アイドルら自身の尊厳を守るというかパフォーマーとしての意志を尊重する動きは、大手に属さずにアイドル的な活動をする現実の若者にも広がっており、
もはや今の若者はそういうグループしか応援しない、と言うと大げさだが、そういう審美眼はちゃんと持っている人が多い。
他のアイドルアニメ作品でもそういう思想は共通していて、例えばアイドルマスターシンデレラガールズも、
アイマス作品は土壌としてファンを大切にする文化があるにもかかわらず、アニメでは「ファンの期待に応える」ような描写はほとんどなかった。
描かれたとしても「ファンはいつも支えてくれている」というような、受容の存在として描かれていて、ファンの期待や要望の圧力に従うような描かれ方はしなかった。
その一方で何が描かれたかというと、一貫して、アイドルたち自身の内面の成長が描かれた。
ただ、外面からの圧力がなかったわけではなく、それはプロダクションやTV局側の方針との衝突いった形であらわれており、
それと折り合いをつけながら、けれども自分の守りたい個性や魅せ方も守っていくあり方を、
周囲の支援のなかで「彼女ら自身が」見いだしていく、という大筋になっている。
やはりラブライブと同様に、いい意味で「内輪で閉じている」のだ。そしてそれを良しとしている。
まるで、この世界のプロデューサーの仕事は、個性的な人たちの自己実現を助けることが主で、
その過程で生まれるキラキラをパフォーマンスという副産物に変えて売っているかのよう。
そして、「それは創作上だからこそできる綺麗言だよ」とはもはや言い切れない時代だと感じる。
自分たちがやりたいようにやるから、共感してくれる人はついてきて。
そういう思想をベースに、角が立たないように上手にやっていく。
もちろんそういう風潮にもマイナス面は当然ある。
商売に長けたプロデューサーに主体性を奪われないために、アイドルら自身にセルフプロデュース力が求められる。
成功するグループとしないグループの差はより残酷に可視化される。
けれども私たちは、往年のアイドル文化を作ってきた人たちが、丸坊主にしたり惨めな謝罪会見をさせられたりと、もっとむごたらしいものを見てきた。
だからアイドルが主体性を取り戻した「パフォーマー」に変化していくのは時代の流れだし、そういう価値観を含む創作がヒットするのも必然のことだと思う。
かつてのオタク文化の評論などで有名になって文化人を気取っている40、50の方々は、やはり頭がカタくなっておられて、
あまり最近のアニメ、とくにアイドルアニメなんかについて好意的な評をしない、どころか言及すら嫌がるレベルで卑しめがちな感じがする。
ユーリ面白くて数時間後に迫った最終回が楽しみすぎるので思ってること書くよ!
私は好きなものや気になったものについて、よく検索かけて他の人がどう言ってるのかを見たりする。勝手に同意したり反論したりして楽しむ。まあこの習慣のせいで最近はしんどい思いをすることも多くなってきたのでやめたほうがいいのかなとも思うんだけど。
ユーリでももにょ案件は結構あった。ユーリにかこつけて実在のスケーターの画像をBL的に消費して楽しむファンとか、最初は面白かったのにホモで気持ち悪いとかトレパクとか。
実在人物のそういうアレで大騒ぎするのは小学生が「AくんとBちゃんが付き合ってまーす!」って騒いでるみたいで品がないなあと思う。ああやって騒ぐタイプの人とは仲良くできないな。それこそいわゆる生物案件なんだから腐女子が得意な検索避けで楽しむべきなんじゃないの..あとユーリに限らずクソコラやめてほしいな〜〜〜〜楽しいのはわかるけど失礼じゃないかな...
ホモで気持ち悪い、あるいはホモじゃないから尊い、みたいなゲイフォビア発言が大手を振ってまかり通る日本はまだまだ遅れていて悲しいなあ。わかる、わかるよ、私も昔はどっちかってとBLに対し否定的だった。例の水泳アニメを見てうわあ...って思ったりもした。
でも、今から思うと多分「普通じゃないこと」に対しびっくりしちゃっただけだったんだよね。「これまで自分の中で培われてきた常識から外れている」「衝撃的」な絵面に対する拒絶反応。最近は考え方が変わって、どういう性別だろうと親愛の情を抱くことは当たり前のことだと思うようになったからユーリもなんの違和感なく見ている。キスしたからって恋愛とは限らないし逆も然りじゃない?いろんな解釈があっていいと思う。全部当たり前で普通だよ。
ここからは個人的な見解だけど勇利とヴィクトルの関係は師弟愛から始まってはいるけどいろんな愛情が混ざり合って結婚して当然だしセックスしててもおかしくないかなってくらいには発展してるとおもう...ただGPF終わったら離婚しそう(ごめん)っていうか、なんか一種の青春みたいだよねっていうか、最後のGPFという刹那っていうか、まあこの辺は日本語得意な人に任せた!
そしてトレパクはまあ専門外なので論ぜぬ。黒だったら残念って感じ。「検証画像がフォトショ」みたいな反応も見かけたし個人的には白を信じたいけどな〜〜〜〜。
あとまたこれは別の問題だけど、「ホモで気持ち悪いという感想をおおっぴらに言えないために鬱憤の溜まった人たちで構成された集団が好機とばかりに卵アイコンで叩いている」という印象が拭えないので、なんかもう、地獄だな、と。大勢が好きだ、面白いと肯定するもののよさが自分だけちっともわからないみたいときのマジョリティに対する腹立たしさ、圧迫感みたいな気持ちめちゃくちゃよくわかるんだよ...それで鬱憤溜まるのも叩きたくなるのもわかるんだよ...地獄...
私とある漫画のとあるマイナーキャラが大好きだったんだけど、その子が理不尽に殺されて、でも殺した方のキャラが人気で、私は許せないのに殺した方のキャラを擁護する声の方が大きくて、あまつさえ「彼こそ主人公」みたいなコメントがたくさんあって、重要キャラだから公式でもどんどん優遇されて、一方私の好きな彼はグッズやサブコンテンツでもハブられ続けて...そんな風潮を見て悔しくて悲しくて腹が立って、眠れない夜とかあったくらいなんですよ...だから気持ちはよーーーーーーーくわかる。しんどいよね。そのうちエネルギーが怒りに向かうんだ。 違う話だって?そう思うならごめん。でも私は一緒だと思う。
あとはあれだ、「本格的じゃなかった」みたいな批判。まあそれはわかる。スポ根を期待して見たらスポーツを題材にした少女漫画だったのでがっかりした、という人がいてもおかしくはないかな。私は少女漫画も好きなのでこれはこれで、といった風に楽しんでるけれど。あと演技中の心理描写は本格的を謳うのにふさわしく緻密だと思うよ!きっと修行パートが足りないんだな。ユーリに12話は短いよ!!!!!
個人的な見解もういっちょ。ユーリを作品としてLGBT問題とくくりつけるのは賛同にせよ批判にせよお門違いだと思うよ!!!!!そんなにウェイト大きくないよ!!!理想の世界ではあるけど!!!まあユーリみたいな雰囲気の創作物が増えたらいいなあとは思うかな。
さて、こういう話はもういいかな!ここからはJJの話させて!私はJJが大好きです!!!
あーJJ!!!!!!!大好き!!!!!!!初登場回の初演技で、あのずっとこちらと目が合ったままの謎スピンで一目惚れしました。アニメに限らず、スケートにも限らず、私ああいう根っからのエンターテイナーな選手が大好きなんです!!!!
パフォーマーには二種類いると思ってる。一つは己の内面を見つめ己を表現するアーティスト型。もう一つはお客さんを感動させることを目的とするエンターテイナー型。両者の違いは端的に言えば内向的か外向的かってところなんだろうと思う。ユウリカツキなんかは典型的な前者だよね。そして私の解釈ではJJことジャン・ジャック・ルロワは絶対後者。スケートどころか、氷上に限らず彼の生き方そのものがエンターテイナー。あー好き!!!!!!!!
JJの彼女も大好き。イザベラちゃんっていうらしいね。JJってたくさんのJJガールズに愛想振りまいて、EDでは左右に女侍らせてたりもして、それでもイザベラちゃんは全く意に介してないどころかJJガールズの存在を自慢にまでしていている。多分左右に女侍らすJJを見ても「さすが私のJJね!」って肯定してくれそうだし、イザベラちゃんはジャンジャックルロワの「JJ」という理想、生き方をまるごと肯定してくれる女性なんだなって思った。JJみたいなタイプの極めて外向的なパーソナリティを支えるには最高のパートナーだと思う。
どーも最近のコンテンツでは「飾らない自分を愛してくれる」みたいな、たとえ世界中に否定されてもたった一人に肯定してもらえればそれでいい的なことを信奉しがちな気がするけど、JJはそんなこと求めてないんだと思う多分。たった一人に肯定されるだけじゃ足りないからどこまでもどこまでもストイックに上を向く、立ち止まらない、立ち止まれない状況に自らを追い込む。そんなJJに向かって「あなたの良さは私が知ってるから十分でしょ」みたいなこと言うタイプのパートナーは窮屈だろうなと思うよ。今のところは。
オーケー、優勝を逃し婚約がおじゃんになって、イザベラちゃんの前でどういう顔をしたらいいのかわからない19歳のただのジャンの前で、エンゲージリングをはめたままの薬指を愛おしそうに握り込めて「楽しみだわ、JJ」ってイザベラちゃんが微笑んでくれるところまで妄想した。さあ来い最終回!!!!!!!
(さっき今のところは、って言ったんだけど、私はもともとオタクとして闇属性なのでどうしてもこのGPFまでがJJの選手としての絶頂だったとしたらって事態を想像してしまう。大会に出ても成績が振るわず、どんどん優勝が退いていくJJに対してイザベラちゃんがどう反応するのかってのは...まあ...気になる...)
否!!!!!!!!!!!!!!!!一人のJJガールズとして宣言します!!!!!!!!!私はJJの大逆転優勝を信じてる!!!!!!!!!!頑張れJJ!!!!!!!頑張れイザベラちゃん!!!!!!!!!!!!!ジャン・ジャック・ルロワをどうかよろしく!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!最終回楽しみ!!!!!!!!!
便宜的に「性の悦びおじさん」という俗称で呼ばせてもらうが、最初に断っておくと、彼がパフォーマーとして優れている、というのはエントリの本筋ではない。まず前提として知ってほしいのは、現状、彼が不憫すぎる状況に置かれているという問題だ。
「性の喜びを知りやがって」発言の一般人男性が盗撮されネット上で玩具にされている事について - Togetterまとめ
その解決方法の1つがタイトルの通りなのだけど、これは囃し立てるような冗談で言っているわけではなく、わりと真剣にベストな方法ではないかと思っている。
以下、やや長文になるが整理しながら論を進めたい。
ニコ動に投稿された盗撮動画に端を発して、その後はまとめサイトやSNSでも拡散され、「性の悦びおじさん」は今や一番ホットなコンテンツ(玩具)になってしまっている。さらにはその人気にフリーライドしようと、ネット民がこぞって盗撮行為を行っているからタチが悪い。
まだ本人が騒動に無自覚であれば救いもあるが、以下のツイートにあるように「盗撮してくる人が多くて腹立つ」と本人も憤慨している様子。
@SAKU_wss さっきの写真はお願いして撮ってもらった写真です!お願いしたら快くOKしてもらえました「盗撮してくる人が多くて腹立つけどお前達はいいな!」って言ってくれてそこから1時間以上話し込んで、すっかり仲良くなっちゃいました☺️誤解生むようなツイート内容でごめんなさい!— SAKU@WSS? (@SAKU_wss) 2016年10月23日
誰かも知らない連中から隙きあらばカメラを向けられ、目撃情報はSNSで広くシェアされる。東京はマッドシティかよ。こんな世の中、確実に狂ってる。彼はポケGOのラプラスじゃない。肖像権だってある一般人だ。
昨年、チャゲアスのASKAがシャブ容疑で逮捕されたが、彼がブログにアップしていた文章が統失患者(あるいは覚せい剤の副作用)のそれを思わせる内容で、はてブ界隈でも話題になったことは記憶に新しい。
ASKAのブログ(2016.01.09~13公開分/キャッシュ) - Togetterまとめ
その狂気的な筆鋒から、彼がどれほど異常な世界に生きていたのかは察するに余りあるが、数あるエントリの中でも、特に以下の記述は当時の彼の心情をよく表している。
これが彼のリアルな心象世界だったのだから正に生き地獄だが、ここで思い起こされるのは、そう、これは今の性おじさんの置かれた状況に酷似している。似てはいるが大きく異なるのは、彼が生きている世界は無情にも現実という点だ。幻覚幻聴ではないので有効な対処法はなく、もはやそこに救いはない。
【動画あり】統合失調症体験ができるVRがとてもしんどいと話題に - Togetterまとめ
ひとたび外に出れば統合失調症のVRを強制体験させられると考えてみてほしい。こんな世界に生きていれば、壊れていない大脳だって加速度的に欠損してしまうだろう。
過去には『ぼっさん』もフリー素材として利用されていたが、彼の場合は自身が素材になることを容認していたし、そもそもは自業自得なところもあった。盛り上がっていたのもコアな界隈だけであったし、実生活までストーキングされるようなことも当然なかった。
直近の似た例として『たれぞう』もいるが、彼は自らYoutuberとして動画をアップしていたし、オッサンの身で小学生のOFF会に参加する等、ネット民に目を付けられても仕方のない理由が少なからずあった。
その点、性の悦びおじさんの場合は、ただ電車内で独り言をいっていたにすぎない。マナーとして不適切ではあるものの罪を犯したわけでもなく、咎められこそされ、ここまで晒し行為を受ける謂れはない。
唯一『左足壊死ニキ』に関しては近いものを感じるが、彼の場合は重篤な負傷者であるため、ネタにできない(嘲笑できない)禁忌感を放っており、ネットで行われる行為は晒しというよりも生存報告の意味合いが強い。そのため写真を撮られることはあっても、動画を撮られ晒されることはほとんどない。また元より壊死ニキはホームレスであり、悪臭を撒き散らして街の地べたを根城にし、常に痴態を晒していることからも、写真を撮られることはあまり気にしていないように思う。憂慮すべきはもっと別にあるのだから。壊死ニキの胸の内は分からないが、性の悦びおじさんと同じ文脈では語れないだろう。
有り体に言って、性の悦びおじさんは面白い。つらつら書いた後に矛盾するようで申し訳ないが、私はネットにアップされた彼の動画をあらかた視聴している。要するに彼の大ファンだ。
彼の動画は「性の悦びを知りやがって」と情緒たっぷりに憤るものが有名だが、実はその後も継続して見事な口上を披露している。勘違いしている人も多そうだが、彼は世間にその異常性を笑われているわけではなく、彼自身の言葉で人を魅了しているのだ。
彼には人を惹きつける類まれな才がある。
堂に入った佇まい、舞台演者を思わせる通る声、研ぎ澄まされた言語感覚、魂を揺さぶるシャウト、横溢するルサンチマン…etc. 長所を挙げるとキリがないが、私が彼にここまで強く惹かれる理由は、古き良きテキサイ時代を彷彿とさせる、その突き抜けた非モテ芸にある。
以下、彼の口上から言葉の一部を引きたい。
Making love. I make love.
I'm alone ago. 20 years ago. no make love.
I want to make love.
I want to feel... ecstasy!! will... ecstasy!!
それを諦めん、それまで諦めん Making love.
I go. making love.
する!すると言ったらする!
諦めん! Never give up.
I want to make love. I want will ecstasy, ecstasy.
する! 諦めん!
なんで諦める必要があるか 20年以上しとらん!
これを即興でやる。予定調和のスタンダップコメディ等とは違い、脳直で吐き出される言葉の数々には五感を揺さぶるパワーがある。さながら本格ジャズの即興演奏だ。
圧巻と言う他ない。長らく暗渠で醸成されたであろう負の感情が、これでもかと言わんばかりに炸裂している。有象無象の非モテ民が束になっても敵わないだろう。彼の言葉には彼だけが語れる真実がある。
この流れで勝手を言わせてもらうと、ネットに跋扈している非モテ気取りどもは、大抵世間ウケを狙っただけのファッション非モテ()だ。テキサイの畑で育ったヨッピーだって、非モテのスタンスを取りながらも、結局イケメンで若い頃からモテまくってただろうし(結婚おめでとう)、オモコロのライター陣とかも似たようなモンだろう。非モテ(童貞)の気持ちを代弁している伊集院も、冷静に考えれば美人タレントと結婚してるモテ豚なわけで、あくまでビジネス非モテに過ぎない。
性の悦びおじさんは、積み重ねてきた負のバックグラウンドが違うのだ。だから彼から放たれる言葉は最高にエモーショナルで心に深く刺さるのである。
彼は数字が取れる。動画の再生数だけでなく、彼に関するツイートのRT/Favの数を見れば明らかだ。また彼は個のキャラクターが立っているだけでなく、その噺・口上によって人を惹きつけるため、自らコンテンツを生み出し続けることができる。Youtuberとして成功するにはこのポイントは欠かせない。
例えば件のYoutuber『たれぞう』は同じくニコ動で人気を博したが、彼の場合はあくまで第三者(職人)の手により「神(ZEUS)たれぞう」という虚像が作り上げられ、さらにヒカキンとの対立煽りを演出することで再生数を伸ばしていった。いわばユーザーの連携プレーにより動画を創っていたのが実情なため、肝心のたれぞう自体には創造性はなく、自らアップしている動画はあまり再生数が伸びていない。
その点、性の悦びおじさんは違う。ありのまま(Rawデータ)でいい。ベルジャネーゾ氏のように、特定発言だけがフィーチャーされた一発屋でもなく、安定してコンテンツを供給できる実力もある。そして彼は唯一無二の存在であるため、ブルーオーシャンで勝負できる。
Youtubeを見渡して欲しい。人気Youtuberと呼ばれる者たちは「性の悦び」を知ったような顔をして、どこかで観たようなネタを焼き直しているだけだ。キレ芸を得意とするシバターもいるが、彼は道楽でやっていることを公言している(豪邸も披露している)し、女に困ってそうな様子もまったくない。過激な発言をしてみたところで、所詮アッパークラスの戯言に過ぎないのだ。
ヒカキンを筆頭格として、人気Youtuberはネット民に蛇蝎のごとく嫌われる。それはネットには常に妬み、嫉み、僻みといった、人間の負の感情が渦巻いているからだ。人格者であっても無条件に叩かれる。そんなネットの特性故に、かつて「非モテ」文化が隆盛を極めたが、今の時代には真の「非モテ」ヒーローが不在であるため、ネット民の淀んだ感情は行き場をなくしている。
非モテヒーロー不在のこんな時代だから、性おじさんへの期待も自然とデカクなる。ネット民から愛される素養がある以上、彼が人気Youtuberになれる公算は極めて高いだろう。
一番の理由は冒頭でも書いた通り、彼の不憫な状況を解消するための手段に成り得るからだ。彼が公式にYoutuberとしてコンテンツを発信すれば、盗撮動画をアップする必要も薄れる(希少性が下がる)ため、次第に晒し行為も淘汰されていくことが考えられる。またコンテンツ保護の側面もあり、動画が再生されればその利益はすべて彼に還元される。ユーザー観点で見ても、動画を視聴する後ろめたさがなくなるため、純粋な気持ちで彼を応援することができ、まさしく良いこと尽くめである。
と、尤もらしいことを書いてみたが、以上の理由がすべて見せ玉となる本命ストレートな理由がある。それは、
性の悦びおじさんが抱える、性(セックス)に対する渇望は本物だ。とある動画で雄弁に語っていたが、彼はデリヘルこそ利用するものの、風営法を遵守し、己の哲学に従いソープには頑として行かず、20年以上ガチでセックスはしていないという。
彼は安いセックスは拾わないのだ。彼が求めるものは一点の曇りもないピュアな愛――。
これだけオサセが幅を利かせる世の中で、女どもがガラケーよりも簡単にパカパカ股を開く淫れた世にあって、なぜ彼に光が当たらないのか。小学生ですらスプラトゥーンで8人プレイに興じているというのに、なぜ彼のペニスはいつまで経っても1人プレイ限定仕様なのか。なにも彼はセカンド童貞の操を守っているわけでも、純愛セックスを諦めているわけでもない。「する!すると言ったらする!」という固い決意にあらわれているように、彼はただひたすらにセックスを求めているだけだ。
ブロガー、歌い手、実況者、生主、Youtuber。特定の界隈で人気を得た者は間違いなくモテる。合法的にセックスできる。例を上げればキリがないので、ここであえて詳細に語る必要もないだろう。不細工だろうがクズだろうが関係ない、人を惹きつける才能があればセックスの道が拓ける、それがインターネッツだ。
セックスの舞台として、Youtubeを利用することは下賤だと思う人もいるかもしれない。だが、ヒカキンが歌うYoutubeのテーマソングを思い出してもらいたい。
今ならかなうさ夢あきらめるな Let's Try Again
少し真面目な話になるが、性の悦びおじさんが独力でYoutuberデビューすること難しいと考えている。高度な知識はいらないが、多少のスキルとリテラシーが求められるし、それなりの撮影機材や動画編集ソフトがある方が望ましい。彼がそれらを持ち合わせている可能性は極めて低いだろう。
マルチチャンネルネットワーク(MCN)への加入が最適に思われるが、マージンとして利益の20%~50%を持っていかれるので、タイアップ広告が期待できない彼にとっては、都合がいいように搾取されるのが目に見えている。
理想形はユーザー(ファン)が無償で手助けしてあげることだ。できることなら企画立案も含め全てのサポートを私がしたいが、彼とコンタクトを取る手段がないため難しい。連絡先を知っている(聞いた)人がいれば教えて欲しいと切に思っているぐらいだが、この方法は現実的ではないだろう。
期待したいのは、オモコロの企画としてヨッピーあたりがデビューの手助けをすること。取材という形で彼の真意を確認するだけでも意義はあるし、彼がYoutuberになることに前向きであるなら一先ずは動画投稿までをサポートするだけでもいい。趣旨を正しく説明すれば炎上することもないだろうし、記事により初動で勢いがつけば性おじさんにとっても大きな手助けとなるだろう。バーグハンバーグバーグがMCNと交渉して、特別待遇の橋渡しをするものいいだろうし、可能ならバーグ自身が継続してケアをするのも悪くないと思う。
ちなみに動画の一面だけを見て彼を異常者・コミュ不全と思ってる人もいるようだが、若者と柔和な表情で話している様子も確認されていて、その点は心配しないでいいだろう。
性の悦びおじさんのデビューが成功した場合、彼の生活は一変するだろう。街で騒がれることがあっても、それは「人気Youtuber」として親しまれるという意味に変わる。
人気が出ればYoutube以外の展開も期待できる。ノンフィクションの自伝を執筆するのもいいだろう。彼の生い立ちは興味深いものがあるし、「ある日突然、異世界――皆に一方的に監視されている――にワープした」という流行りのラノベのような設定も地で使えるので、出版社からも引っ張りだこだろう。
ただ、これは身勝手な願望も含まれるが、彼がセカンド童貞を喪失した場合、その時はスパっと引退してもいいのかもしれない。
一昔前、『アジア系』という非モテ界のカリスマと讃えられたテキサイがあった。運営者である『蝦』氏はネットで彼女を作ることを目的にサイトを始め、彼女できた瞬間にスパっと更新を止めたのである。最後の日記は彼女の手によって書かれ、掲示板には「閉鎖おめでとう」という切ない言葉が並んだ。人気絶頂の中でサイトは閉鎖され、彼は伝説になった。
Youtubeのチャンネル名は「はてなポイントを使い切るまで死なないブログ」というモテ男のブログ名にあやかって「セカンド童貞を喪失するまで辞めないYoutuber」としてもいいかもしれない。
こんなブログを発見して、ああなるほど外からはそう見えるのか、と思ったわけで。
http://voya.hatenablog.com/entry/2016/09/22/110841
この人の捉え方は
「自分がプロデューサーという立場で担当アイドルと恋人(とははっきり言わないけれども、かなりそれに近いような)関係になる」という奴
だ。そして超解釈すると、そういった職権乱用的な邪な振る舞いを、オタクは無邪気に受け入れているように映るのだろう。
現実にそういった邪な現象が多発していることを知ってると尚更、度し難い設定だというわけだ。
オタクというものは得てして、虚構と現実を上手に混同して楽しむのが上手い。
それと同時に、現実のクソな部分、ドロドロした部分は冷徹に無視するのも上手い。
現実のドロドロした業界を背景とした大衆アイドルに興味もなければ、ゴシップのような下世話なネタも嫌う。
だからそもそも現実のアイドルとプロデューサーがうんぬんという話自体、あずかり知らぬオタクが多いのだろう。
耳に入ったとして、そういう世界と、自分たちの愛する作品世界は別モノだと受け止めるはずだ。
仮にその疑念を拭えなかったら、エロ同人誌のネタにでもするところだろう。
そしてコンテンツの側も、オタクの感性に沿ってキレイな世界を演出する。
オタクの間ではシモの部分を描いたアイドルものは成功しないという共通認識すらあるくらいだ。
アイマスは題材的に、業界要素に触れざるをえないコンテンツではあるが、
アニメなどで触れたとしても、上層部とのビジネス方針の対立だとかポエムバトルだとかで、
あくまで「美しい世界」の範疇だ。性的な堕落・腐敗を描いてリアリティを出そうとすることはない。
こっち方面のオタクが求めるのは、社会派な問題提起を含むアニメではなく、
他にも、「プロデューサーとアイドルの恋愛」を問題としない理由がある。
そもそもアイマス作品の主目的が「プロデューサーの立場でアイドルと親密に」というものではないからだ。
ファンの多くは、「プロデューサーの立場で担当と親密に」という要素を楽しみながらも、
あくまでその要素、展開は「お約束」として流しているように思える。
実際にコンテンツに触れていると、プロデューサーという役柄は、
職権を利用して擬似恋愛的な「俺嫁」欲求を正当化させるためというよりは、
なぜなら、ゲームの中核となるのは、アイドルといかにイチャイチャするかではなく、
アイドルをいかに育てる(プロデュースする)か、という部分にあるからだ。
アイドルが、他のアイドルたちと切磋琢磨し、時に仲良く、時にぶつかり合ううちに、
アイドル同士の関係性も深まり、人間としても成長し、それがライブという結果に表れる。
それを見て「やったな」とプロデューサーが声をかける、そういう世界観を骨子とするコンテンツだからだ。
まあ実際にプレイヤーがすることは雑務的な作業なのだが、ストーリーとしてはそう描かれる。
そうやってアイドルとして成長していく様を見てきたプロデューサーとしては、
そのアイドルを幸せにしたい、輝いてほしい、もっと良さを伝えたい、そう思うのは自然なことだ。
言ってしまえば仮想的な子煩悩だが、その欲求はプロデュース精神に通じるところがある。
そう考えれば同作がファンのことを「プロデューサー」と呼ぶ理由が分かると思う。
そうやってプレイヤーが「父性」に導かれてプレイをするうち、諸々の課金をするファンになる。
そして、その思いがちょくちょく何かしらの形で反映される――
何かの実装だとか、現実のライブパフォーマンスだとかの形で。そういう循環で成り立つ世界だ。
アイマスの世界にいる人間の感覚としては、アイドル同士のエピソードは言うまでもなく、
プロデューサーとの関係性についても一線は越えない清く正しく美しい世界を見ている感覚だ。
精々おまけ程度のボイスなどで、アイドルがプロデューサーを慕って妄想・妄言を呟くくらいで、
基本的にプロデューサー側からアプローチをしたりするものではない。
ギャルゲー的な選択肢による会話でアドバイス等することはあるけれども、
その辺りのバランス感覚は、経験者なら暗黙的に了解するところなのだが、
そうでない人は下世話な方向に強く推定してしまいがちな所かもしれない。
感動を誘う演出や表現として、キャラと演者がシンクロしているような言い方がされることはあるけれども、
ほとんどのファンは声優をキャラそのものとしては見ていないし、声優さん個人の個性も尊重している。
キャラを現実に降臨させるためのパフォーマーとしての立ち位置を望んでいる。
非アイドルもののアニラジでもそうであるように、本来の個性を抑えてキャラに寄り添わせるような空気は一切ない。
むしろ逆に、中の人要素がキャラに反映される、ということがあるくらいだ。
また、最近のヒットしたアイドル作品、デレマスやラブライブに関しては、
キャラの純粋さ・いい子ぶりとは対照的に、中の人たちは非常に芸人力が高い。
これは親しみが持ちやすいのと同時に、中の人はアイドル的な上品さを気にしなくてよくなる効果がある。
乱暴に言えば、キャラと同一視して恋するようなキモい人をふるいにかけられる、とも言える。
くだけた言動や女子らしからぬ振る舞いが許されるというか歓迎される風潮は、良い傾向ではないかと思う。
「声優はオタクの幻想を受け止める」という言い方を否定はしないが、
わたしは踊ることが好きだ。
初めて踊ったのは4歳の頃。
そこからのめり込みジャズにバレエにヒップホップに一通り経験してきた。
踊ることで生計を立てていく難しさを実感しながらもインストラクターとバイトの掛け持ちをしつつ、たまにバックダンサーとしてアーティストのバックで踊らせてもらっている。
同じスクールには、同じ頃から通っていたとてもダンスの上手い華のある子達が何人もいた。1人は早々にダンサーを諦めアイドルの道へ行った。彼女は今も輝いている。ちがう1人はダンサーとして、パフォーマーとして某大人数グループにいる。そしてまた別の彼女も違うグループではあるがアイドルの道を選んだ。彼女は今も踊っているのだろうか。余談であるが彼女たちとは某大型歌番組に私がバックダンサーとして出演した際に舞台裏で会うことが出来た。
彼女たちとは別に、またひとり、アイドルの道を選んだ人がいる。彼はスクールに通い始めた時期も同じでとても仲がよかった。わたしの比ではないくらい上手であった。音感が違った。そんな彼はある日いきなりわたしに、事務所が決まった、と告げてきた。
てっきりこの頃一大勢力を誇る某三代目さんがいる事務所だと思ったのだが違った。ジャニーズだった。彼もまたアイドルの道を選んだのだ。彼が活動を始めてからしばらくは連絡を取り合っていたが、たまたまわたしが彼の知り合いだと知らない知人が彼のファンだと知ってしまう機会があり、そこから怖くなって彼と連絡を取ることはなくなった。ありがたいことに私自身にも仕事がやってきたタイミングでもあった。
彼は何故ジャニーズを選んだのだろうか、と考えたことがある。踊ることで生きていくという意志を持っていた彼だった。イントラとして、ダンサーとして生きていく難しさは私が今身をもって感じているし、彼もきっと気づいていた。そんな彼が選択したのがアイドルだった。アイドルなら踊れるし生きていける、彼の名前はそこからしばらく検索していない。彼の母経由で近況を聞くことはあるが。
昔のように、彼と一緒に踊ることはもう無理であろうが、もしかしたら彼と同じ番組に出ることや舞台に出ることはありうるかもしれない。そのときまでに私は恥ずかしくない実力を身につけないといけないし、もし彼が手を抜いて踊っていたら罵倒する準備は出来ている。
それが実現するのは数年後なのかはたまた数ヶ月後なのだろうか。