はてなキーワード: パフォーマーとは
実在する人間を使って、男女・男男・女女でカップリングを組む、あるいは自分自身(二次創作者)との架空の恋愛模様を妄想するものである。
それと同様のジャンルとして2.5次元二次創作(以下半ナマ)がある。こちらは実在する人間が演じた作品の登場人物を使ってカップリングを組んで妄想するものである。これも、登場人物同士だけじゃなく二次創作者とのもの(いわゆる夢)も含まれる。
これらは代々、「隠れるべき存在」であるという認識のもと密やかに続いてきた。
しかし近年、腐女子(男性もいるかと思うので、以下BL愛好者)が市民権を得てしまい、そこにLGBTの待遇是正問題が浮上してきたことと相まって、「ナマモノ・半ナマは何故隠れるべきなのか?」「隠れる必要はない」と豪語する輩が増えてきた。非常に良くない。
何故良くないか?
よくナマモノ・半ナマの秘匿性をLGBTへの差別だと言う者もいるが、同性愛が気持ち悪いから隠れるべきじゃないのだ。
これは人によって分かれると思うが、少なくとも増田は異性愛でも同性愛でも夢でもそれが実在の人物が関与する「架空の恋愛」なのだったら隠れるべきだと思っている。
ナマモノを嫌いな人が自衛すればいいんじゃないか?これも違う。
Twitter・Pixiv、BL特化型サイトのピクブラであっても、そこは私的な空間ではなく公共の場だ。姿が見えなくても同じページを共有する人間が確かにスクリーンの向こう側にいる。
そのような場で不快なパフォーマンスが突然行われたとする。近所迷惑レベルの騒音での演奏だとか、過度にグロテスク・エロチックな仮装とかと思ってくれていい。
それを公園の利用者が苦情を言ったり注意してもやめてくれないとしたら当然パフォーマーが非難されるだろう。公園の管理人が呼ばれたり、警察沙汰になってしまう可能性もあるし、Twitterで拡散されてアーティスト人生が終わるかも。
少し飛躍した例かもしれないが、「嫌いな人が自衛すればいい」はそれと同じことだ。
どんなに自由に開け放たれた空間であっても、そこには思いやるべき他者がいる。
アカウントに鍵をかけたり、パスワード制サイトにこもらない限り、私的空間というものはインターネットには存在しないのだ。
近年BL需要の高まりを見てBL的な絡みを積極的に行う「BL売り」が横行している。
そしてBL愛好者だけじゃなく「男性同士の友情」を好きな層も確実に存在している。つまり、男性と男性が絡むことに需要がある。
それが心根から行われていれば何も言えないのだが、残念ながら世の中には商魂たくましく自身の利益のためにBL売りをする芸能人がいる。
彼らは自らBL的な振る舞いをする。でも、だからと言ってナマモノ愛好者が隠れなくて良いわけではない。
そんな彼らにも当たり前に彼ら個人をちゃんと好きなファンがいて、そしてそのファンは彼の性的指向を同性愛者じゃないと思っているはずだ。
あるいは同性愛者だと公表しているにしても、共演者や相方、同グループのメンバーと恋愛関係にあるなんて思っていないはずだ。
もしそんなファンがナマモノ・半ナマを見てしまったらショックを受けるだろう。そしてその対象とされているキャラや芸能人に対して「あらぬ誤解を与えかねない表現をする人」というレッテルを貼ってしまうだろう。
「●っさんず●ブ」がおおっぴらに出られるのは、彼らの恋愛関係が作品内で認められた「公式」だからだ。
それ以外の作品や実在の人物については、作品内で結婚・パートナー等が明言されていない限り非公式のものである。
BLとばかり言っているが、これはもちろんGLでも男女CPでも同じである。そして、夢でも。
夢女子がよく言う「うちの彼氏」的な発言、普通に虚偽情報の流布だし誰もが見える場で自己満足行為に興じるようなものだ。
そういえば最近、「舞台俳優の発言をもとにした2次元キャラクターのBL妄想だからOK」「伏せ字を使っているから公の場で書いてOK」というものを見かけたが、もちろんこれもいけない。
ナマモノって何?半ナマの線引きわかんなぁいと言っている人に言いたいのだが、そこに一瞬でも「実在の人物」が介在した場合、それは「ナマ」である。
続いて後者についてだが、増田はつくづく不思議である。「なぜ伏せ字を使うのがBL愛好者だけだと思うのか?」と。
あまり大声で言えないが、いわゆる愚痴垢や壁打ち垢というものが存在する。内容は名前から推して知るべしなのだが、そのようなアカウントの界隈の人々は普通の検索ではヒットしないように伏せ字を使う。そう、ナマモノ・半ナマをオープンでやっている人々と同じように伏せ字を使うのである。
もちろんその方々が全てナマモノ・半ナマ愛好者なわけではない。むしろ、そうじゃない人の方が多い。
本来は愚痴垢なども隠れるべきだと増田は思うのだが、それを盾にナマモノ・半ナマ愛好者が隠れなくて良いと主張できることはない。どちらも須らく隠れるべきなのだ。
ここまで様々な隠れない派の定説を否定してきたが、増田個人で考える隠れるべき理由も一つ上げておこう。
非常にありきたりな理由ではあるが、それは「気持ち悪い」の一言に尽きる。
スレタイにもしているが、ナマモノ・半ナマをオープンで行う輩は、痴漢とほぼ同値である。
痴漢は電車や道端などの公共空間で相手の快不快を考えず自らの性的欲求に従って行動する。そして、ときおりこんな言い訳をする。「性欲があるから仕方ないのだ」「誘うような服を着ている方が悪い」と。
ナマモノ・半ナマをオープンで行う輩はTwitterやPixivといった公共空間で、その他のオタクの快不快を考えず自らの欲求に従って実在の人物を性的に消費する。そして、ときおりこんな言い訳をする。「萌えたから仕方ない」「嫌なら自衛しろ」と。
正直増田には、どちらも誰かを性的に消費することを正当化している同類に見える。
これが例えばセクシー女優・セクシー俳優であればある程度許されることもある。もちろん彼・彼女にも過度なセクハラを行うべきではないが、少なくとも「そうされても良い」としてくれている人々である。
「そうされても良い」としていない人に対して性的に消費するというのは、言ってしまえば侮辱行為である。
…とまぁ、ここまでナマモノ・半ナマにかなり厳しいことを述べてきたが、かく言う増田も実はナマモノに沈んで数年、BL愛好者としては10年選手である。気持ちは痛いほどわかるのだ。
痛いほどわかるから、土下座してでもお願いしたい。隠れてくれ、と。
BL売りに萌えてしまう気持ちも、それをされなくても飛躍した妄想で恋愛関係を勝手に考えてしまう気持ちもわかる。
でも、そういう我々の性癖を「気持ち悪い」と思う人がいる。確実にいる。
そういう人々を、我々の身勝手で傷つけて良いことはない。
そしてもし、「嫌なら自衛しろ」というスタンスを貫き通しておいて、最終的に傷つくのは我々なのである。
自衛を強要させられたナマモノ・半ナマを嫌う人々に、誰にも迷惑をかけないように、この気持ち悪い性的嗜好を共有できる仲間と人の目を盗むようにして逃げてきたサイトやアカウントを晒される。
もちろん、晒しのモチベーションは一概に怨恨目的だけではないと思うが、でもそういう人が多いのは事実である。
これは、避けられるはずである。
自分の幸せを追求するのは人間のあるべき姿だが、そのために他者の幸福をないがしろにすべきではないというのも人間のあるべき考え方だと思う。
こういう注意をすればなぜか「じゃあ〇〇はどうなんだ」などと言い出す輩もいるが、それはあなたが注意してくれれば良い。
私は、私とその仲間がひっそりと生きているテリトリーを侵されるのが許せないだけである。
ルールが多い・旧態然としている・息苦しい、肩が凝る界隈かもしれない。でも、マナーとルールを守れない人間に不寛容なのはどんな社会でも当たり前だ。
どうかどうか、我々と全てのオタクの幸せのために、オープンでナマモノ・半ナマをするのはやめてくれ。
あっちなみに、よく「公式は伏せ字なんかしらねぇよw」とか「伏せ字で検索するほど暇じゃねぇよw」とか言ってる人いますが、
公式は存外我々のことを「よく見ている」し、「知っていても利益になるなら黙認(あるいは単にスルー)してくれている」だけで、知らない公式の方が少ないと思います。
/を入れて伏せたつもりでいる人もいる(検索で引っかかります)し、伏せ字だって半角英字にすればいいみたいに考えている人もいますが、鍵垢じゃない限り、そのツイート・投稿は誰でも見れます。
そして「良い公式」ほど我々のことをじっくり観察している。「何がほしいか」「何が需要があるか」、考えている。考えてくれている。
そういう人たちに対して、不快感を与えるような言動をさらけ出しても良いと思えるなんて、正直コンテンツを享受する人間の態度としては最悪だと思っています。
たとえ露骨にそういう売り方(BL売り・夢媚び)をされたとしても、明言されない限りは「そう見える」の範疇です。
長々書いてきましたけど、言葉を選ばず端的に言うなら、マジキモいことやってる自覚持って、クソみてぇな公開オナニーしてんじゃねぇよって話です。はやく自分がキモいって気づいて!
読みやすいように少しだけ文章直させてもらったよ、あと、ブクマコメとかみて思ったこと以下に書いたよ。
まず、痴漢被害に苦しんでいる人の気持ちを考えずに〜っていう方、ごめんな。
そうして苦しむ人がいる痴漢と同じくらい不快でやってはいけないことだよって言いたかったんだけど、それで痴漢被害に苦しんでいる人らに不快な思いさせちゃダメだよな。本当にごめん。
それから、新幹線で匂うもの食うな的なルールの押し付けを感じるっていう例えを見て笑った。それも私の嫌いなやつだ。
「押し付けられている」と感じるかもしれないけれど、なぜそれが作られ、存在しているのかよく考えてみよう。「人様に迷惑をかけないため」ということもあるけど、「自分が平和に暮らすため」でもあるんだよ。
美味しいものを食べたいなら電車じゃなくテーブルに向かって食べた方が美味しくないか?それと同じで、迷惑をかけるリスクの低いところでやる方が安心して創作できないか?
そういうゾーニングの内側にわざわざ入ってきて晒したり「こういうものがあります!」と取り沙汰するナマモノ嫌いは、もうそれはお前が悪いとしか言えません。
ナマモノ自体が気持ち悪いのもわかっています。それをどう発散するか・発表するかという話です。
ナマモノも「性的に消費する」なの?という方もいると思うが、たとえ性的消費じゃなくても架空の人間関係をあたかもそうであるかのように流布することに正義はないよ。
性的な絡みがなければ良い・未成年だからダメ(成人ならOK)ではない。BL売りやGL売りをする人だとしても、彼らの私生活や演じた役に本来とは違う性質を付与していいわけじゃない。
それでも「そうだ」と主張したい気持ち悪い我々のような人間は隠れねばならないんですよ、という話。これは2次元にも言えることだけれど、今はより火急的な問題としてナマモノに限定しています。2次元のオタクも気をつけような。
最後に、女性芸能人界隈の痴漢行為を働いている人、須らく逮捕されるべきだわ。
でも今回話したいのは、本人への対応(=痴漢行為)うんぬんというよりは、本人の本来とは異なる性質を付与する行為(=ナマモノ創作)についてなんだ。
ナマモノ創作者でも本人に凸る輩がいるので本人への対応の話に及ばないわけじゃないが、より原理的な話をしているつもりである。
”新しい家族の形”とは全く言えないが、社会全体で子育てをしていこう!という取り組みのひとつとして、シルバー人材センターが個人的には挙げられる考えている。ここではその内容と、実際に自身が使ってみた感想、より良いものにするために足りないものが何か、個人の意見を述べる。
⒈はじめに
東京大学大学院の講義「問いを立てるデザイン」(尾崎マリサ准教授)内でシェアオフィスRYOZAN PARK(https://www.ryozanpark.com)を経営する竹沢徳剛さんの話を聞いた。RYOZAN PARKは、「働く」「学ぶ」「暮らす」「育てる」の新しい形を提案するシェアコミュニティとして活動しているとのことだが、「さすがは東京!色々おもしろそうなのがあるな!」と言うのが率直な感想で、身近にあれば是非参加してみたいと強く思う・・・。と言いつつ、地方暮らしの企業勤めの人間には無理だなぁ、というのが正直な感想である。若い人が羨ましい。
我が家は共働きで、仕事が忙しい時に夕方二人の子供をどちらが迎えに行くかや、保育園の休園時に子供の面倒をどうやって見るか、という問題によく直面する。現状、妻に代償を払ってもらうことが多くて大変心苦しいのだが、お互いどうしても都合がつかないときは、シルバー人材センターにお願いして、子供を預かってもらっている。以下では、このシルバー人材センターの概要と、実際にお願いした結果感じた点について述べる。個人的には、このシステムを上手く回すことが、今後の日本高齢化社会を支える上でのひとつのキーになるのではないかと考えている。
2.シルバー人材センターとは
シルバー人材センターとは、簡単に言ってしまうと、高齢者人材に仕事をお願いする場所である。私の住む茨城県では、つくば市(http://www.tsukuba-sjc.or.jp)の場合、「高年齢者が持つ豊富な経験と技術を活かし、働くことを通じて生きがいを高め、社会参加し、活力ある地域社会づくりに役立つこと」を目的とした団体とのことである。頼むことのできる仕事の内容を見ると、事務作業や植木の剪定など、多岐にわたる業務を依頼できるようである。色々お願いできるわけではあるが、ここでは講義のテーマである”家族の形”とリンクする「子育て支援」についてピックアップする。
3.シルバー人材センターの子育て支援
■保護者の産褥期の援助
実際に子供を預ける際は、市の子育て支援センターに預ける場合、面倒を見てくれる高齢者の家庭に預ける場合など色々と選べるようである。
このセンターの活動の良い点は、子供を預けたい親と、そのサポートをしたい高齢者双方のニーズがマッチする点にある。我々親の側は比較的安く預けることができることに加え、上手くいけばいつも同じ方に子供を預けられるので、子供も親も安心して頼むことができる。一方高齢者の側も、仕事を続けられる、社会とのつながりを維持し貢献できるので、皆楽しそうに働かれている印象である(話をすると楽しそう)。
4.実際に使ってみた印象
我が家では、市の子育て支援センターに子供を半日預け、その間は高齢者の方々に子供の面倒を見てもらうことが何度かあった。実際に活用してみて、良かったなと思う点と微妙だなと思った点は、主に下記のような点であった。
■良かった点
・希望して都合が合えば以前利用した時と同じ方を選べるので、親も子供も安心
・子供1〜2人に一人ついてくれるので、保育園よりも目が行き届いている様子
・子育て支援センターのイベントごと(外部のパフォーマーのステージが見られる、など)に参加できる
・安い
■微妙だった点
・週末は満員で受け入れNGのことがある(人気がある)
・高齢者個々人の育児思想が垣間見えることがあり、少し微妙な空気になることがある
これらは個人の感想ですが、どの家庭でも概ね似たような感想を抱くと思っている。時間内はしっかりと面倒を見てくれる点では大変ありがたい反面、育児思想の点が少し難しく、個々人色々とポリシーがあるため、大変面倒臭い。
5.まとめと提言
ここでは、地域社会全体で子育てを支援するという観点で、シルバー人材センターの子育て支援に関して述べた。この支援の形は昔からあるはず(つくば市は平成3年設立)で、なんら新しいスタイルではない。とはいえ、シルバー人材センターが掲げている思想は、RYOZAN PARKの思想のうち、「育てる」の観点では殆ど同じではないかと思う(金銭が発生している点ではもしかしたら違うかもしれません)。じゃあ何が違うのか、と考えると、その一つは働いている人たちの間での”哲学の共有”ではないでしょうか。社会をどうしたい、この子供達をどう育てたい、といった哲学がRYOZAN PARKにはあって、シルバー人材センターにはない。逆に言うと、哲学を共有できるシルバー人材センターができれば、もっと多くの人が使うはずだし、それこそ大きなビジネスになると思われる。
高齢者の方々はこれまでの経験から様々な知を有しているはずで、子育てに関しても多くの経験をもっているはずである。ここに今の我々が考える哲学・思想を加えてあげられれば、きっと地方でも良いコミュニティが作れるのではないかと考える。
以上
DDRはな、いいぞ。
一世を風靡してから二十年経つけれど、まだ新作はで続けているぞ。
喝采をあげていたパフォーマーたちもまだ大阪とかでパフォーマンス大会やってるぞ
家庭用だって様々だから、ゲーセンに行くのが億劫な奴だってプレイできる
何よりな、曲がいい。
今ならカロリー計算システムもあるから、ワークアウト分析してどれだけ動いたかも大体わかる。
そしてだいたい筐体があるところにいるプレイヤーは優しいぞ!
初心者のプレイを見ても笑わないし、場合によっては指導してくれる人もいる。
単に踏み方や難しい曲だけでなく、靴とか、飲み物とか体力作りなんかも教えてくれるぞ!!やったな!!
そしてこの20年で、また筐体が新しくなったぞ
まだまだワクワクさせてくれるな!!!楽しませやがってこのやろう!!
未だにDDRを続けているご夫婦(70歳くらい?)もいるくらいだ!!
最初は怖いし恥ずかしいだろうけど、是非とも一回やってみようぜ!
静岡県民です。
放送回・サブタイトルはWikipediaを参考にしました。放送内容など、細かい部分は記憶違いもあるかもしれません。
他局であるSBS静岡新聞社に潜入して、番組告知をしようという企画。
広瀬アナがSBSラジオに出て、瀧からの無茶振りでスギちゃんのモノマネをさせられる。
モノマネはめちゃくちゃ低クオリティで、広瀬アナが「もう千葉に帰りたい……」と弱音を吐くのが可愛い。
オカマさんたちによる料理対決シリーズ。参加チームは静岡県内のオカマバーが主だが、名古屋からの参加もあった。
「カマ」に関係する料理・食材がテーマとなる(カマ飯、カマンベール、カマあげうどん等)。
オカマさんたちによるショータイムがあり、深夜番組らしいシモネタが次々繰り出される。
冬季オリンピックの開催に合わせて4年ごとに開催される、缶詰を模したストーンを使うカーリング大会。
静岡の缶詰メーカーチームの対抗戦で、出場するのは各社の社員なのでカーリングに関しては全員素人。
基本的にぐだぐだな試合展開だが、偶然うまくストーンが投げられたりすると急に白熱したりする。
元電気グルーヴのまりん(砂原良徳)がゲストとして呼ばれるが、同じくゲストの久保ひとみ(静岡のローカルタレント)のテンションの高さに引き気味になっているのが面白い。
静岡市で毎年秋に開催される大道芸ワールドカップに合わせて行われる。本家には出られないレベルのパフォーマーしか出ない。
おかゆ太郎とハリウッドザコシショウが毎回出場している。
2018年はおかゆ太郎が優勝したが、過去優勝したパフォーマーは次回以降出場しなくなっているので、「この番組が唯一のレギュラー」だという彼は今後出られなくなることを恐れていた。
現状では次回開催自体がなくなりそうなので、彼の不安は的中したことになる。
河原に落ちているエロ本をドローンで探すシーンがシュールで好き。
番組冒頭で瀧が出身校の校歌を歌うのだが、自分は同じ学校を卒業しているため、そのシーンでやたらグッときてしまった。
某CXの番組っぽい企画。以前に行った企画「ちりファミ交換」で集まったファミコンソフトを使って行われる。
瀧は他の仕事のため途中で離脱し、ほとんどザコシ(と、一部広瀬アナ)がプレイすることになる(途中から助っ人を呼んで参加させる)。
広瀬アナが基本的に天然ボケなので、瀧不在だとザコシがツッコミに回ることになり、常識人のように見えるのが面白い。
静岡の団体や企業PRのために作成されたご当地ソングの鑑賞会。3回目はスピンオフ企画として、全国の防犯ソングを取り上げた。
まりんが毎回ゲストとして参加し、音楽的な観点からコメントする。
毎回取り上げた曲を集めたCDを作成して視聴者プレゼントするのだが、まりんはこのCDを大量に作らせようとする。
ローカルグルメ「たまごふわふわ」のPRソングを取り上げた際に、実際にたまごふわふわを試食したのだが、まりんは食レポができないので、変な空気になっていた。
広瀬アナが野球に挑戦する。静岡出身の元プロ野球選手・鈴木尚典がゲストで、コーチとして指導する。
番組終盤、バッティングセンターで打撃に少し自信をつけた広瀬アナが、リトルリーグの少女ピッチャーと対戦する。
相手は子供とはいえ実力のある投手なので、少し練習しただけの初心者が打てなくても当然なのだが、広瀬アナは打てないのを本気で悔しがっており、それが可愛い。
広瀬アナと、番組視聴者から選ばれた女性たちで野球チーム「ポンコッツ」を結成する。
参加者のレベルはまちまちで、広瀬アナ含め初心者が多いため、最初は練習もままならない。
女芸人の野球チーム「ミラクルキッシーズ」との試合を最後に解散となった。
ラストゲームでは、広瀬アナが悔しさから涙を見せるシーンもあり、それを励ます瀧が良い。
初めてのJ2降格が決まったエスパルスサポに、平畠啓史とJ2先輩サポがJ2についてレクチャーする。何故か、J3の藤枝MYFCサポも呼ばれていた。
この企画のときはそもそもサッカーのルールすらよく分かっていない様子だった広瀬アナだが、後にエスパルスの河合選手と結婚することになると思うと、なんというか感慨深い。
エスパルスは1年でJ1再昇格を果たし、その際には「J2卒業式」が行われた。
愛媛県松山市在住の和田ラヂヲをゲストに迎え、愛媛を観光する企画。
松山の写真館で3人の写真を撮り、店頭に飾ってもらっていたのだが、あれはもう撤去されてしまっただろうか。
プレゼンターはアンタッチャブル柴田だが、散々土を食べることを勧めておきながら自分はほとんど食べない。
広瀬アナの誕生日企画。学生時代を過ごした東京でやり残したことをやる。
渋谷の街でハイタッチがしたいということで、雨の中合羽姿でスクランブル交差点に突入し、道行く人に「わたし誕生日なんですー!」と言いながらハイタッチを迫る図は狂気を感じる。
一度行ってみたかったという高級寿司屋で特別料理を出してもらい、板前さんに「これ味見しました?」などととてつもなく失礼な発言をする広瀬アナが良い。
広瀬アナの好きな芸人である若井おさむがサプライズで登場するのだが、2018年に若井おさむに会って大喜びする彼女はなかなかレアな人種だと思う。
広瀬アナと河合選手の結婚式に送られた番組関係者からのお祝いメッセージを鑑賞し、どれが一番良いかを決める。
披露宴の様子も放送されるのだが、ハリウッドザコシショウの余興がまったくウケず、焦ったザコシがネタの最中瀧の方をちらちら見て助けを求めるのが面白い。(新婦の広瀬アナにはウケていた)
お祝いメッセージは全体的に微妙なネタが多い(結婚式なのに、元貴乃花親方のモノマネをして離婚の話題になってしまっていた松村邦洋、いつも通りのおかゆ太郎など)が、広瀬アナにはウケていた。
放送休止前最後の放送回。あまり市場に出回らない貝類を試食して、味をランキングする。
変わった味であるという事前情報のあった貝をまず広瀬アナが試食し、普通に食べた後、瀧とゲストが口に入れるがあまりの不味さに吐き出してしまう。
他、ヤングランド思い出バスツアー、ごはんのお供選手権、ロケ出前、わらしべ長者、ザ・ベストテンシリーズなども好きです。
あまり録画など残していなかったので、もう観られないと思うと寂しい。
数年前、好きだったアイドルが脱退を発表した。
それはSNSを騒がせ、友人たちからは心配のラインが続々と届いた。
アニメオタクの私だが、三次元のアイドルを推す事になった時は驚いたし、
奨学金を借りながらの苦学生という身分もあり茶の間から応援するようになっていった。
元々同担を探して交流をしていなかったのもあって茶の間になるのは容易だった。
音楽番組に出れば観ていたし、
ドラマに出れば録画して観ていた。
しかし、ある時脱退を発表した。
でも脱退したんだよ。
茶の間でもショックだったよ。
今一番応援してるかと言ったら、正直めちゃくちゃ応援しているアニメの方に財産を全フリしてる。
けれど、最初で最後の三次元のアイドルがアイドルを辞めるということが
どうしてもショックで、悲しくて、悔しくて、しばらくロスが続いた。
しかし、ある程度の沈黙期間を破って、芸能界に復帰するという報が入った。
もう後悔するまいと、茶の間じゃいられないと、
リリイベではそれはもう近くで見られた。
これ以上ないぐらい推しを間近で見た。
でも、ココロが遠かった。
なんとなくこっちのジャンルが好きなのかなぁとは脱退頃には思っていたが、
私が落ちた頃の推しとは表現するものもレベルも世界観も違っていた。
「もう推せない」とリリイベの会場を出た瞬間に痛感した。
私の場合はグループの中のアイドルとしての推しにココロ惹かれていたのだと。
嫌いになったわけではないとはっきり言える。
だけど、「音楽性の不一致」なんてありふれた陳腐な言葉の重みを知ってしまった。
物をすぐに処分できる質なら良かったのに、
そこに思い出が乗るとアルバムのように思えて手が伸びない。
数ヶ月で感じたこと
Vtuberの面白さは「その人を知る過程」という面が一番大きい
これは友人、恋人、同僚と知り合う行為に近いし、もちろん生主、キャバクラ、メイド喫茶にも近い。
(以下、便宜上「知人化」と呼ぶ)
・動きが見えるのに、素顔は見えない
・双方向性が強い
という点がある
これらのお蔭で「知人化」作業は複雑かつよりエキサイティングになる
作業を分解するとこんな感じ
(中の人の趣味や経験 + ロールプレイ + 状況 → 発話)
発話から逆算して、「中の人の趣味や経験」と、「ロールプレイ(つまり設定)」を学習していく
中の人と設定は2つで1つであって片方だけで成り立つものではない
もちろんVtuberによっては、中の人を完全封印していたり、ロールプレイを完全放棄しているので片方だけとなる
素顔が見えないので、見た目から得られる情報が制限されることが大きい
普通よりもスタート地点が後ろにあるので、この作業はゲーム足り得る
これは姿が見えない相手と文通する楽しさにも似てるかもしれない(メル友でもいい)
双方向性が強く、質問を投げかけることができる(マシュマロ、質問箱)
これもゲーム性を強くしている
視聴者は時によって「中の人」を聞き出したり「設定」を聞き出したりする
やってることは「その人を知る」作業だ
身バレはどういう過程で起こるのかと言えば、この「知人化」のネタバレを見ようとする行為に近い
これは3Dモデルを触ってみるとか、制作関係者を調べる行為があたるだろう
ただ、生身の人間に比べたら圧倒的に情報量が少ないので身バレの方が確実に目立つ
これらによって参加型に近くなる
言及するほどでもないだろうが、画面の向こうに自分の行動が影響するのは楽しいものだ
その人を「知った後」
「知人化」作業はそのうち終わりを迎える
複雑なパーソナリティや、人生経験を持った人であっても、大体1クールもあれば底が尽きてしまう
この時点で視聴者とVtuberの関係は、双方向性が強ければ友人、単方向ならキャラクターに近いだろう
これによってどんな些細なことであっても「その人がやってるだけで面白い」という状態になりエンタメ足りうる
「Vtuberが面白くない」と批判してる人は単純に知人化できていない可能性が高い
視聴者の中には「知人化」が好きな人と、「知人(知人になったあと)」が好きな人が居る
これがこの界隈を地獄たらしめていると思う
知人化そのものが好きな人は「新しい出会い」を求めて自然と離れていくわけだ
おそらくだが、知人化が好きな人はリアル生活でも大人数と知り合いたいタイプではないだろうか
逆に知人が好きな人は少人数と長く付き合いたいタイプかもしれない
わかりやすいところで言うと、箱推しは知人化好きタイプ、個別推しは知人好きタイプだと予想してる
パーソナリティをさらけ出したあとはどうあがいても「パフォーマー」と「視聴者」という関係が強くなる。
この時に取りうる視聴者との関係性でいくつかパターンが考えられる。
↑単方向性が強い
・テレビ型
・ラジオ型
・劇場型
・リクエスト型
↓双方向性が強い
テレビ型が一番大きなパイを狙えるが、最も難度が高くネタ切れに喘ぐ方向でもある
またどれを狙うにしても「何か面白いことをする人」あるいは「話していて楽しい人」にならない限り視聴者は離れていく
最初の「知人化」の時期は少なくない人数が注目してくれるので
それまでに如何に楽しませるかで長期的な勝負が決するのではないだろうか
(ただ一部の企業的な戦略に乗ったVtuberはちょっとまた法則が違いそう、あれはもはやタレント業だ)
____
おまけ
最近VtuberのYoutube登録者数が伸び悩んできている
大体100万人は居ないくらい?
よぉオタク、よく来たな。
そりゃタイトルにオタクなんて入ってるのにわざわざ読んでるようなのは、
.
さて、attention!
そう、pixivのlogとかによくあるあれだ。オタク、よろしく頼む
.
・このエントリにはガルパライブ5thの両日ネタバレが含まれます
・一発書きなので多分誤字脱字がある(恥ずかしくて通読してない)
・なんでも大丈夫な方のみどうぞ
・無理そうな方は無理せずブラウザバックして、どうぞ。
さて、それでは話を始めます。
.
悲しむこともあったし、怒ることもあったし、楽しくなることだって、感動することだってありました。
CLANNADの汐みたいに、「泣いていいのは~」みたいなのを決めてたわけでもありません。
ただ、とにかく、何か起きても概ね因果関係を把握してしまい、Aが起きたなら結果はBだ、というように世の中を処理するようになりました。
オタクなのでアニメ見たり映画見たりするのですが、「あ、ここ泣き所だな?」みたいな所で
定まった型のような感動を味わおうとする、そんな風な性格をしています。
.
さて、そんな私の過去ですが、物心ついたころから捻たタイプの百合厨でした。
わざわざ百合と銘打って検索し始めたのは少女セクト見てからのような気もしますが、
それ以前の私は女子プロレスにキャットファイト的興奮を素で覚えるような人間だったので、
嗜好としては推して知るべきといったところでしょう。
.
一方で成績も悪くなく、本が好きなデブとしてオタクの例に漏れずインドア派の青春を送っていた私は吹部にそれを捧げます。
バイエル程度のピアノを履修したことのある私にとって、吹部はいい場所でした。田舎だったので周りのレベルが低く、
演奏技術として課されるノルマも相対的に低かったので、熱くなることもなく、無難な日々を過ごしていたと言えるでしょう。
感情に疎いので、コンクールの結果も概ね予想通りだなくらいの感想しかなく
――そりゃ金賞取ったら嬉しかったですし、銅賞なら悲しみもしました。でもそれはメンツやレベルで推し測ることができるものです――
ユーフォ一期一話の久美子ちゃんみたいに、「あ、皆悔しかったら泣くのか」みたいな感想を持つような人間でした。
まぁそれは今も変わってないのですが。
.
そうやって生きてきた感情の薄いオタクは、――まどマギ見て胸がいっぱいになって人生で初めて感動で泣きそうになったりしましたが――
大学受験に失敗し、ラブライブに出会います。あ、ガルパのサービス開始はオタクが大学に入ってしばらく経ってからなのでもうちょっとかかるよ。
.
高校で悪い友人に音ゲーを仕込まれたオタクは、project DIVAにのめり込みます。
extendを一日2~3時間くらいやってたのであえなく浪人。LPのあるゲームなら大丈夫やろと安易にスクフェスに手を出します。
浪人期の私にとって、スクフェスは勉強を除けば全てでした。リズムゲー、三話で現実を見るアニメ、二次創作で無限に供給される百合。
オタクがオタクたる所以がそこには三つの柱として屹立していました。ちなみにデレステのサービス開始一年前とかの話です。
オタクがラブライブを認めた理由は多岐に渡りますが、大きく三つ、曲と「演者である」というアニメの見せ方とライブです。
曲はスクフェスやってたので無限に聞き込みました。結果、メチャクチャ好きになりました。
アニメは三話が全てでした。オタクは吹部だったので、幕が上がった瞬間に、あれだけの宣伝をしたにもかかわらず客がいないその絶望に共感することができたのです。
自分たちの初めての演奏会、そんなに凄いものじゃなかったことは分かっていたけれど、やはりお客さんが少ないことに一抹の悲しみを覚えたことを。
理屈では分かっていても、目に見えて人が居ない、というのは堪えるものです。シンデレラガールズのNGお披露目回での未央ちゃんの反応も納得です。
そこを乗り越えてライブをするμ's二年生の姿に共感と誇らしさのようなものを覚えて、かつて一話切りしたアニメを見始めました。
ストーリーが死ぬほど面白かったか、と言われると人によって意見が分かれるところですが(いつもの私なら茶化してつまらなさを弄るところです)、
どうしても穂乃果ちゃんから逃げきることができず、オタクは穂乃果ちゃんのオタクになります。
普段の私からすると元気おバカ、それも主人公にハマるなんてひっくり返っても起こらないことです。
そして何気なく見てたyoutubeで、オタクはラブライブのライブ映像を目にします。
始めは何気なしにアニメのライブか、程度で見ていたのですが、オタクは気づきます。中の人がマジでパフォーマンスしていることに。
ラブライブはアニソンの例に漏れず歌唱難易度が高く、その上ライブではもともとアニメーションとして動いているダンスを再現しています。
このヤバいことを同時にやってのける凄い人たちがいる――。オタクはいよいよラブライブのオタクになりました。
しかし時は5thライブ直前、ラブライブのオタクとして日々思索するうちに、パフォーマーとしてのμ'sの中の人の体力的限界問題について考えるようになりました。
アニメ二期の流れ、μ'sが実は5周年を迎えていること、そういった諸々を鑑みたオタクは、μ'sの引退を予見し、取り乱し始めます。
結局、6thがファイナルとなった訳ですが、オタクは再受験に失敗し、μ'sが終わるという現実にも上手く対応できず、
それまで全て歌えたラブライブ楽曲も、PSYCHIC FIRE以降、把握してるかすらも怪しいまでになります。
そうして、初めてコンテンツの興隆と寿命なんてものに触れたオタクは色々な感情を整理できないままラブライブから疎遠になっていきました。
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さて、ラブライブ疎遠期のオタクですがデレステやってました。CoolP、主にかえみゆPとして性懲りもなくスマホ音ゲーに手を出し、沼に浸かる日々です。
あ、ナナシスは曲が好きです。WUGは未履修です。すまない。アイカツは一番古いOPとEDしか知りませんが適当に聞く曲が大体好きなので大丈夫そうですね。
プリパラは3Dのやべー奴だしアイドル事変も未履修ですすまない。何を書いているんだ私は。
とりあえず大学に進学し、サークルに授業に忙しいオタクは、またしても感情を動かさなくなりました。人並みの情動はあれど芯が動くことはない、そんな感じでしょうか。
二次創作百合に手を出し、癒され、適宜アニメ干渉するような生活でした。そうしてリア充と言えなくもない時期を過ごし、
他人から「ホントにヤバいやつ」扱いされぬよう感情を覚え、心の外縁でそれが機能してるようなふりすることがちょっとずつできるようになっていきました。
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そんなあるときガルパの配信が始まり、少ししてからオタクの好きな曲がいっぱい収録されていることを知って、オタクは徐々にガルパをやるようになります。
大体半年くらい経った頃でしょうか。オタクはキョン子、久美子を始めとするクーデレのような何か(久美子は解釈が分かれるところでしょうね)が好きなので、
奥沢君が推しになります。その一方で曲の割合はポピパとRoseliaがメインなので自然とそれを聞くようになりました。配信サービスに乗っかってたのが大きい。
オタクの音楽の趣味ですが、F、Δ、7といったマクロスが履修済み、シンフォギア(履修中)の曲が好きすぎてパチンコを打つといった具合なので、
大ヒットしたのはRoseliaでした。今も昔も推しは奥沢君ですし、バンドとしては昔のアフロ推しから一転、箱推しになりましたがそれはそれとしてRoseliaはめっちゃ好きです。
Roseliaの何が好きって、Re:bitrth dayです。バンドストーリー本編最終話からの再生の曲、何度聞いても胸が熱くなります。
dearestに似た浮遊感すら感じますし、もはやロボットアニメの最終話、主人公機覚醒シーンとかでかけた方がいいんじゃない?みたいな妄想もよくしてました。
とまあ、いつものようにオタ活に励んでいたわけですが、Roseliaのプレイリストを聞くうちに、またうっかり好きな曲が増えました。
ここでようやく登場する本題、陽だまりロードナイトです。attention含めて3500字近い何かになってきましたね。なげぇよ。
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さておき、もともと私はこの曲のサビが大好きでした。今までのRoseliaの曲から一転、ボーカルの友希那を包むようなコーラス。
片方が主旋律で片方がハモりのはずなのですが、どうしても主旋律が二つあるように聞こえます。普段、好きな曲はある程度聞いたら歌えるようになるのですが、
この「どっちが主旋律か分からない問題」のせいでオタクは久々に一人で歌えない歌に出会いました。しかしオタクはこれはこの曲の良さだと素直に受け止めます。
それから、忙しさにかまけてRoseliaへの解釈はリサゆきメインの百合厨にそれをゆだねる日々を送っていましたが、その中でリサ姉はRoseliaの精神的支柱だという気付きを得ます。
そして友人のゆりしぃオタクから引退の報を聞きます。この友人、プロジェクト東京ドールズとガルパにめちゃんこハマっており、それはまぁゆりしぃオタクなのでした。
引退。よくあることですね。ラブライブのオタクとしてμ'sの実質的引退を経験した身としては、来るべきゆりしぃロストに向けて色々と語る友人に昔の自分を重ねつつ、
Roseliaのメンバー、中の人が一人交代するのか、位に捉えていました。オタク、FGOエンジョイ勢だったので丁度FGOでのマシュみたいなもんかな?といった感じです。
このオタク、ホント感情の動かなさが種田さんにも高橋さんにも失礼だな?ともあれゆりしぃ引退を聞いた時はそんな印象でした。心の外縁が悲しんでいる様子。
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それから暫くして、ラッキーボーイだったゆりしぃオタクの友人から吉報が届きます。ガルパライブ5thに当たったから一緒に行かね?と。いやほんとこいつ神だな?
ラブライブしか知らなかった頃と違い、大学に行くために実家を出たオタクは、物理的にライブ参戦が可能になっていました。もちろんOKの返事を出します。
もともと田舎出身の貧乏学生だったオタクにはライブ参戦という発想がそもそも無く、何もかもが初めてでした。オタクの知っているライブは、youtubeに公式が上げている
映像か、親切な友人等が貸してくれる円盤かのどちらかでした。そもそもOKした時はワンチャン黒沢さんが出るんか?みたいな印象でした。いやHPくらい見ろよ当時の私。
ラッキーボーイ友人のラッキーは流石に両日は保たず、day2が近所でLVとなりました。その時の私は「初日遠征、二日目がLVでRoselia」くらいの認識だったと思います。
許せ、リアルがごたごたしとったんや。そうしてライブの週になってようやくライブの中身を把握し、ポピパとRoseliaの聞き込みを始めます。一月前からちょいちょいやってたけどね。
その週、気の利くラッキーボーイはGiGSを読ませてくれて、Anfangを貸してくれました。おまけにAnfang付属のRoselia1stライブまで見せてくれました。ほんまいい奴やな……。
これが幾つもある今回のタイトルの原因のうち、最大のものでした。
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GiGSに載ってたのはRoseliaの中の人達が本気で楽器をやっていることの証明でした。吹部だったのでジャンルは違いますが、書いてあることは大体分かります。
全ての楽器の詳細な設定とか、横でそれの担当の奴が弄ってたな……。なんて読みながら感慨にふけりました。そしてその全てはたった一年で為されたのです。一年。
かつて私の部活にもいたのですが、途中から入部して毎日本気で練習して、最高のパフォーマンスをこなす凄い奴。横でその軌跡の一端を眺めてたからよく分かります。
Roseliaは考え得る最高の教育を、最高の形で受け取って、そして最高の形でそれを昇華したんだということを心にすっと感じました。芯に、真っすぐ感情が入ってきたのは久しぶりでした。
そして見せてもらった1stライブ。中の人たちのキャラを知るには十分でした。あいあいはぽんこつだし、くどはるはアクが強い。めぐちは良い人だし明坂さんはりんりん。
そしてゆりしぃはリサでした。まごうことなき今井リサでした。ツッコムわトークを回すわリサゆきだわでオタクはRoseliaの中の人たちにもメロメロでした。
キャラ作ってるのは知ってますが、そんなことはキャラとしてのRoseliaに、そして中の人としてのRoseliaにメロメロのオタクにはあまり関係ありません。
というか罹りたくて罹っている催眠が解けるはずないじゃないですか。そんなことより、これはパフォーマーとしてめちゃくちゃ優秀だということの裏返しだということにしましょう。
こうやってライブ数日前、私の中でRoseliaは完全にRoseliaとなりました。
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さて、ライブ当日です。一日目の遠征は最高でした。Light Delightのサビのサーチライトの演出とかほんま神だったしポピパの中の人の新曲への熱意が凄かったしでオタクは普通に楽しんでいました。
ここで、オタクはかなりの感傷に浸ります。何となく生きてきた人生とは、全力でパフォーマンスする演者による素晴らしいパフォーマンスとは、そして自分とは――。
ポプテピピックの「明日死んじゃったらどうする?」状態です。今までの情動しかない人生に比べて無限に大きな感情がやって来た。処理しきれなくてバグっていました。
そうして帰りの夜行バスの中で最後に落ちてきた風船を眺めながら、パフォーマンス、ライブとしてのラブライブをちゃんと終わらせてなかった、
ラブライブから逃げ出してしまっていたのかもしれない、というところまで何とか思考が帰ってきました。このぐちゃぐちゃと感動、感傷、とにかく感情のすべてを解くカギとして、
幕張から持って帰ってきた風船は捨てずにとっておこう、なんてことを考えていました。そう、遠征一日目はこんな感情だったのです。外縁で処理しきれることも多かった一日目でしたが、
それでもかつて心の中心に居た何かを呼ぶには十分だったのです。
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そして二日目、LVでした。始まる前からゆりしぃ引退が頭をよぎり、「今日はタダじゃ帰れないな」と気が気でなかったような思いがありました。
何事もなくライブは進み、そして陽だまりロードナイトが掛かりました。どこか冷めた自分が、「お、陽だまりロードナイトだ」と心の中で平坦に言ったような気がしています。
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声となって
表情となって
導いてくれる
やさしい人よ
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リサ姉はほんとにそんな人なんです。こんなにも長い間音楽と触れ合ってきて、歌詞のすべてが心の芯まで揺らしていたのは、人生で初めてのことでした。
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二番に入り、
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離れていても 帰る場所がある
どんな時でも 傍にいてくれた
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Aメロはリサであるゆりしぃのことなんだな、というのがさっき心にやって来た衝撃以上の共感となって、瞬時に理解できました。
たとえRoseliaのパフォーマーとしては離れることになっても、ゆりしぃにとってRoseliaは帰る場所であることができるし、
Roseliaのメンバーにとって、ゆりしぃはリサとして、ゆりしぃとしていつだってRoseliaに居たんだ、そんなことを思いました。
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太陽となって
月となって
照らしてく
つよい人よ
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陽だまりロードナイトを聞くとき、これはリサの歌だと思ってたんですけど、ライブでここが流れたのを聞いた瞬間にその思いは少し変化しました。
Roseliaのベーシストとして、太陽のようにファンの前で、Roseliaの中で輝いてきたリサとしてのゆりしぃが、
これからはRoseliaとして表舞台に立つことはないけれどメンバーの心を照らし続けるように、Roseliaに、そしてファンの中に残り続ける。そんなことを思いました。
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この曲では、語り手が「語り掛ける相手」が居て、二回出てきますがどちらもリサを想定することができます。
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「あなたがいれば、怖くないよ」
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と
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名前を呼ぶ声
こんなにも特別な事だと
想い あふれてゆく
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です。文字通り、リサが、ゆりしぃがいればもう怖くないし、たとえそれがRoseliaのなかであってもそうでなくとも、という感情がやって来ました。
これからいなくなってしまうゆりしぃが呼んでいた誰かの名前、Roseliaのメンバーが呼んでいたゆりしぃを呼ぶ声。その一つ一つが、全て特別なものだったんだよ、と語り掛けてくるようでした。
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