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2019-08-02

anond:20190802170916

建築物建築物からといって即美術著作物じゃないと思うぞ

まず美術著作物定義

2条1号思想又は感情創作的表現したものであつて、文芸学術美術又は音楽範囲に属するものをいう。

2条 この法律にいう「美術著作物」には、美術工芸品を含むものとする。

次、公的団体説明

http://copyright-npo.or.jp/commentary/kenchiku6/

 第3回の冒頭で、設計図書の著作物性を検討するとき建築設計図建築著作物はともに著作権法上の著作物として保護されるが、建築著作物」は建築物それ自体を指し、かつ、その建築物建築芸術といえるものでないと建築著作物としては保護されないことを述べました。

あともしエッフェルが著作権として保護されていたとしても保護期間がキレている可能性がある

https://gigazine.net/news/20190402-photos-eiffel-tower-night-illegal/

死後70年でみても1993年に切れたって書いてある

日本は死後50年だろ

 

ていうか見当違い横増田への反論のために調べてただけで元増田にもクリティカルなやつ引き当てたけど商業目的景観でもアウトなのな>フランス

フランスではアプリつくっても公開できない

日本では大丈夫かもしれないけど不正競争法とかでカバーしてるだけなのかもしれないから調べてよって話

2019-06-05

anond:20190605175744

くその通りなんだけど、いらすと屋っぽい絵を当選させるのはびっくりしたのよね。

創作的に正しい」というフォーマットが、いらすと屋になってたとしたらびっくりするよ。

いらすと屋的な表現問題と言うより、画一化するスピードが異常であることが驚き以上のものを産んでると思う。

2019-04-15

創作ができないオタクの悩み

私は、名もなき1人のオタクである最近ある悩みで苦しんでいるので、整理するためにここへ記そうと思う。長いぞ。

私は普段アニメイラスト漫画ノベルゲーム音楽動画、等など様々なオタクコンテンツを楽しんでいる。が、それらを自分で作ることが出来ないのだ。当たり前のことのように思うかもしれないが、私はそこに強いコンプレックスを感じている。

コンテンツには絶対に作り手がいる。そりゃそうだ。作る人がいなければ、何も生まれない。

さらに、オタク世界には「ファンアート(二次創作)」という文化がある。自分はこれが好きですよ、とハマっている作品キャラクターを描いたり、そのキャラの登場する小説を書いたり、動画を作ったりすることだ。オタクをしていると、それらを目にする機会がとても多い。上手い下手はともかく、全てのオタクが何らかの創作活動をしているのではないかと思ってしまう程度には多い。オタクは、オタクが生み出したものを目にする機会が途轍もなく多いのだ。

だが私は、絵も満足に描けなければ、小説も書けないし、音楽が作れるわけでもないし、何も生み出せない生産性のないオタクだ。

それの何が問題なのだろうか。

自分なりに考えてみた。

魅力的なコンテンツがあって、それを好きなオタクコミュニティがあって、そのコミュニティは大抵絵や小説が描/書ける人間構成されていた。少なくとも私の周りではそうだった。(オタク友達を求めて入った部活美術部や文芸部だったからね)

生産が出来なければ、オタクの輪にはまず入れない。友達ができない。

私もオタクであるはずなのに、何一つ生み出すことが出来ない。ただ消費するだけの存在。世の人々(私の目に映るオタクたち)が当たり前のようにやっていること(創作活動)が、私にはできない。技術力も、才能もない。今更頑張る勇気もない。

素晴らしいものを見て、聴いて、私も同じことが出来たらどんなに素敵だろうかと夢想するだけの日々だ。

絵を描いたり、小説を書いたり、音楽を作れたり、動画を作れたり、立体物を作れたり、作品考察を発表したり、そういう生産者側への憧れが非常に強く、消費するだけのオタク価値はないと本気で考えているのに、どこまで行っても結局消費者しかない不甲斐ない自分

最近ではどんなに良い創作物を見ても、罪悪感と劣等感ばかりが己の中に積もり、楽しめない。

コンテンツに深くハマっていくほどその裏にある作者の存在意識せざるを得なくなる。生産者の才能への嫉妬生産努力すらしようとしない自分への苛立ち。

だんだんと、オタクコンテンツを見ること自体がしんどくなる。しかし私の趣味はそれしかない。

幼い頃からパンピの持て囃す流行アーティストアイドルドラマスポーツetc…には唾を吐いて生きてきたのだ。今更手のひらを返して推すことはできない。

八方塞がりのような状態である

こんな私だが、創作的活動をしてみたいと手を出したことはある。

漫画を初めて読んだ小学3年生の頃から絵は描き続けているし、ライトノベルにハマった高学年の頃から数年間小説執筆トライもした。

ボカロ流行っていた中学時代楽曲制作に憧れてギターピアノを始めた。DTM勉強もそれなりにした。

MMD等のCG動画にハマった頃は動画作ってみたし、3Dキャラクターモデリングにも挑戦した。

拙いシステムとクソみたいなシナリオゴミのような立ち絵で、自作ゲームを作ったこだってあるのだ。

しかし何一つ、満足に完成させることはできなかった。自分で納得のできるものは作れなかった。納得ができるクオリティになるまで粘り強く努力をするだけの忍耐力もなかった。

軽率に何かに挑戦し、すぐに諦めるダメ自分。結局無産な凡人のまま。

才能のある人が羨ましいと喚きながら、努力をしない自分から目を背け続けている。

オタクとして生きていくのがつらい。でもオタク以外の生き方を知らない。オタクっぽくない話はできない。

絵描き絵描きしか相手にしないという話が一時期Twitter話題になったように、生産者でなければオタク友達はできないように思う。(大抵のオタク創作活動をしているという前提)(その前提が間違っている可能性には気がつかないふりをしている)

マジで人生詰んだなぁ〜!と思う。

この状況を打開できる策はまだ思いついていない。

なにもかも諦めて消費者として一生を終えるしかないんだろうか?

どうなんだろうね。

ちなみに今私はバーチャルYouTuberにハマっている。

好きになったものに軽々しく手を出す癖だけは治らないので、自分で描いた立ち絵を動かして、ボイチェンを使って美少女ライバーごっこをしようとしている。

でも途中で挫折ちゃうんだろうなぁ。

長くて読みにくい文になってしまったが、少し自分気持ちを見つめ直すことが出来たので良しとする。

2018-11-29

ボヘミアン・ラプソディへの賛否腐女子の今昔

先日、こちらのブログ記事を読んだ。

http://www.ishiyuri.com/entry/2018/11/25/bohemian-rhapsody_

こちらのブログ結構好きなのだけど、この記事にはううーんと首をひねってしまった。

特に『この映画がよくないのは、それらの価値観現代視点から洗い直したり、疑義をさしはさんだりする部分がひとつもないということ。』部分だ。

この映画はフレディの伝記映画であって、少なくともスクリーンの中には存在する彼の『現実』に、疑義をさしはさむべきだろうか?

といっても私はクイーンについてはまったく知らないので、私がもやもやしたのは、私自身を投影たかである

私はもう20年以上腐女子だ。

腐女子になった理由は逃避だ。現実がしんどかった。家族がしんどかった。自分自身を愛せなかった。フィクションに救いを求めた。

かつて栗本薫中島梓の名義で『コミュニケーション不全症候群』という本を出した。1991年だ。その本の中で著者は『(自己愛の発露と解釈されることもあるが、現実には)彼女たちは自分を愛してなんかいないのだ。』といったことを書いている。その一文は私の胸を貫いた。また栗本薫が受け取ったファンレターには、彼女が描くBL小説主人公になることだけが自分の望みだ、と書かれていたという話もある。

まり誰もかれも自分自身を愛せなかった。そこには女性性の否定が強い人もいるだろうし、とにかく自身への嫌悪が強いという人もいるだろう。理由割合もそれぞれだ。ただ辿り着いた場所けが同じだ。自分自身を愛せない。別人になることで得られる愛に一時の救いを求めた。そうしなければ生きていくのは苦痛しかなかった。

……しかし、1991年には大勢腐女子賛同を集め救いとなったこの本も、例えば今ツイッターに載ったりしたら、ボコボコに叩かれるのだろうなあと思う。

今の腐女子の間では『腐女子はただの性癖だ』というのが大勢賛同を集める。ただの性癖から現実逃避だとか自己否定だとかそういう理由はないそうなのだ。実際に、そういう人が多数派なのだろうし、1991年だっていたのだろうとは思う。

思い出すのはねほりんはほりんで腐女子テーマだった時だ。BL現実逃避といった類の答えに、ツイッターでは反論が渦巻いていた。

いわく、あんなのは10年以上前偏見だそうだ。

そういわれてしまうと、いやあなた達にとっては偏見であり抑圧であっても、それが真実人間だっているんですよと言いたくなる。

話を映画に戻そう。

私はクイーンはまったく知らない。映画を見ただけだ。

からもし、クイーンメンバーがこの映画を『フレディはこんなに孤独ではなく、もっと幸せだった。この映画ゲイへの偏見に基づいた創作的悲劇だ』と批判したなら、受け取り方はまったく違っただろう。

しかメンバーはこの映画好意的だ。それはブライアン・メイツイートからも感じられる。

孤独に苦しむゲイステレオタイプ偏見だという。

現実逃避で腐女子になるのは一昔前の偏見だという。

でもそれが真実な人だっているだろう。

私がそうであるように。

私が私の人生を描いたらきっと一昔前の古臭い偏見に基づいた腐女子像といわれるのだろう。この偏見現代価値観 ─── 腐女子性癖であってそれ以上でも以下でもない ─── をさしはさんで改めて見つめるべきだといわれるのだろう。

お断りだ。

ステレオタイプ真実の人だっている。それを、そうではない幸福人間否定されたくない。

ちなみに。

私は映画を見て彼の孤独自分を重ねて泣いたけれど、エイズ可哀想だと思ったことは、そういえば、映画を見ている間、一度もなかった。

にゆく彼を可哀想だとか、そういう感情はまるでなかった。

私はただ、ライブの発する熱量に圧倒されていた。

あの映画のどこからも、泣かせるための病気だという意図を感じなかった。

私が一番見ていて辛かったのは、ソロ活動を始めた後、馬鹿騒ぎをする来客たちがいる中で、二階でフレディが一人で座っているシーンだ。

ゲイだろうがヘテロだろうが関係なく孤独になる。孤独は辛いが孤独を感じない人間は一人もいない。

それこそ、友達が全員結婚して子供もいる中で、シングルでいる腐女子だって孤独を感じるのだ。

フレディの孤独はあまりにも露わに描かれていて、私は始め、この映画批判されていると聞いたとき、てっきりスター孤独ステレオタイプに描きすぎだ、という批判なのかなと思ったくらいだ。

2018-10-12

anond:20181012122031

アルゴリズム著作権は生じない

アルゴリズム実装したソースコードには著作権が生じる

ところで日本著作物定義

思想又は感情創作的表現したものであって、文芸学術美術又は音楽範囲に属するもの

なので、著作権が生じるソースコードなら思想または感情が含まれるはずだが、俺はそんなポエティックなソースコードは見たことがない

2018-09-06

ロゴ著作権保護されない

https://www.syouhyou-touroku.or.jp/shouhyou-touroku-no-kotsu/rogo-tyosakuken-deha-hujyuubun/

「いわゆるデザイン書体文字字体を基礎として,これにデザインを施したものであるところ,文字は万人共有の文化的財産ともいうべきものであり,また,本来的には情報伝達という実用機能を有するものであるから文字字体を基礎として含むデザイン書体表現形態著作権としての保護を与えるべき創作性を認めることは,一般的には困難であると考えられる」。(東京高等裁判所平成8年1月25日判決平成6年(ネ)第1470号)

著作権法で示す著作物定義である思想又は感情創作的表現したもの」(著作権法第2条第1項第1号)に該当しないので、ロゴ著作権保護されないと判断しているのです。

以上のことから、たとえ飾り文字創作文字でも、文字だけのロゴ著作権は認められにくいと言わなければなりません。

ロゴ著作権保護されないらしい。

なので、商標登録して保護しましょうという話。

という事は、ロゴ商標としての利用でなければ、自由利用ということになるな?

商標は同一区分で自他商品識別機能ないし出所表示機能を発揮している様態でないと効果がない。

例えば商品の箱にロゴを貼り付けると商標としての利用になるので無許可では違法ということになる。

一方で雑誌書籍内で商標登録されたロゴ掲載し紹介したところで商標としての機能を持っていない。つまり自由利用ということになる。

2018-09-05

盗作(パクリ)か否かを判断し易くする為の手法と法理。

https://www.kottolaw.com/column/180830.html

松澤邦典弁護士コラム

抽象化テスト(abstraction test

著作権法は、アイデアとその具体的な表現とを区別して、具体的な表現だけを保護対象とする。そのため、一般に、アイデア共通しているだけなら著作権侵害ではない、ということが言われる。「アイデア表現二分論」と呼ばれる考え方で、世界的にそのように考えられている。

アイデアまで保護してしまうと、自由表現活動が妨げられる、というのが理由の一つだ。

表現保護されるがアイデア保護されない。

そこで松澤弁護士は、アイデア表現区別するための手法として「抽象化テスト」というものを紹介している。

抽象化テストとは、具体的な作品から個々の出来事をどんどん取り除いていくと、より一般化されたパターンが導き出され、最終的には作品テーマについての一般的な記述か、ときタイトルのみに行き着くところ、この抽象化過程の一点にアイデア表現の境目が存在するという考え方だ。

リンク先ではドラえもん物語例を挙げて抽象化テストを行っているが、私ではよく分かりにくい。

個々の出来事を取り除いていくとアイデアが残る、取り除いたもの表現である、という事なのだろうか。

■「シーン・ア・フェール法理(scenes a faire doctrine)」(「ありふれた場面の法理」「ありふれた情景の理論」)

シーン・ア・フェール法理とは、特定テーマを扱う上で、実際上不可欠(indispensable)になっているか、少なくとも標準的(standard)になっている出来事登場人物、設定などには、著作権保護を与えない(unprotectible)という考え方だ。

大ざっぱに言えばありきたりな状況の描写だけしか見られない場合盗作とは言いがたいという事らしい。

その状況は物語で不可欠であると認められる必要はなく、標準的描写であっても同様に保護されにくい。

しかし、だからといって徒に捨象すると判断を誤るらしい。

理由は、ありふれている表現の組み合わせも創作的表現であるという事のようだ。

ところで、松澤弁護士によればいわくつきの廃墟といえば日本では旧日本軍施設施設で行われていた事といえば人体実験・・・というのは割と定番のような気がするとの事だ。

私は創作物に詳しくないがそのようなイメージが多かったのだろうか。それは知らなかった。

私の場合は曰わく付きの廃墟というと、人が事故死したとか、殺人事件があったという、オカルトというか心霊的な曰く付き連想する。

皆さんはどうだろうか。

ともかく、ここの手法と法理は法律家だけではなく我々素人も覚えていて損はなさそうである

2018-07-20

LGBT恋愛モノって、創作的にはかなりズルいよな

現代普通異性愛なら

社会的抑圧が恋愛の足かせになる事がないし

例えば「両親が反対する!」「家に汚名を着せる気か!」って感じに

物語上の強固な敵を作るにあたって、自由恋愛の無い時代舞台を移すしかない

(ロミオとジュリエットとかみたいにね)

 

でもLGBTだと、現代でも普通差別されてたり

恋愛対象の性的嗜好の側面もあるから

恋で超えるべきハードル普通恋愛よりもずっと多く

しかも必ず結ばれてハッピーエンドにならなければいけない異性愛と違い、

結ばれないバッドエンドを許容する文化的土壌もある

 

ということは物語的にはとてもおいしい(当の本人たちにとってはとんでもない話だが)わけで

市場に飽和した普通異性愛よりも脚本を練りやすいっつう

2017-10-07

とある女優ダンサーについての雑感

(この匿名ポストは、口下手な俺が近しい人間に近況をまとめて報告するための書き込みなので、「ワケわからん」という人は、無視してほしい)

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最近ちょっと面白いことになってる。

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とあるパフォーマー自分アンテナに引っかかった。

ダンサー役者シンガー

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そもそもきっかけは別の人なんだけど。

別の人ってのは、そうだな……あるところで、超っ絶美形、お耽美系おまけにXジェンダーという、やたらキャラが立ってるモデル役者さんを見かけたと思ってほしい。

そのヒト、ビジュアルと毒のあるキャラを買われてライブや芝居の客演に引っ張りダコで、思わず本人を確認しにライブハウスに行ってみたのよ。

期待にたがわぬ超絶美形だったんだけど、本題はこの人ではなく(いや、このモデルさんも追っかけるつもりだけど)。

そこに、いつも隣でコンビを組んでいるパフォーマーがいて。

聞けば、とある名門小劇団の主力級の女優さんとのこと。

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「ほんとかぇ?」と最初は思った。

その劇団サブカルとか下北沢とか、そういうのを全然わからん俺でも知ってるくらいの有名劇団で。

旗揚げ公演のときは、ギラッギラのお耽美女優キャストを固めていて、そこにサブカル大好きティーンが「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるような感じで。

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で、その女優さん。

いっつも学ラン、学帽のショタ扮装で、ほんとうに純朴な少年みたいなキャラで、セリフ回しもトツトツとしているし、どっちかというと「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるサイドのヒトじゃね? と思ってた。

あるときまでは。

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ところがね。

とあるライブゲストパフォーマンスで2人がコンビで出演した時。

ステージが明転したら、黒装束の彼女がいて。

そのままユラっとたちあがって身体を動かし始めたら、いきなり周囲の空気が変わったのよ。

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もうね。

ダンサー

ダンサー

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ボディコントロールの精度とダイナミックレンジがハンパじゃない。

スタイルとしては、最初土方巽的な暗黒舞踏系譜かな、と思ったんだけど、見てると洋モノのコンテンポラリーに近い感じ。

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いやもちろん、そんなスーパー超人じゃないよ。今のところは。

でも、それにしてもね。

あいう動きは、それこそモーリス・ベジャールなんとかカンパニーかに10年くらい所属しないと出来ないんじゃないの? まだ若いのに。

そう思ってチャラっと調べたら。

母娘2代、姉妹そろっての舞踏家ファミリーで、子供のころから母君の手ほどきを受け、美大に進学して上京してからは、もう在学中から現在にいたるまで、

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個展で踊る

地元美術館で踊る

クラシック演奏会で踊る

有名ミュージシャンのMVで踊る

バーレスククラブで踊る(いや本人は脱がないけど)

海外ボランティアインストラクターとして子供たちと踊る

ミニマルミュージックセッションゲストパフォーマーとして踊る

そして、誰からもお座敷がかからないとき自主活動として踊る。

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踊る踊る踊る。スキあらば所かまわず踊りだす、踊りの国の踊り姫であることが判明。

(いやマジメな話、ソロフリーランサーってどこで仕事を取ってくるんだろう?)

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かにも。

その女優さん、最初普通のチンマリした女の子だと思っていたら、ネット上に、背中出しのコスチュームプロに撮ってもらった宣材写真があって。

もうね、肩甲骨自由度と張り付いてる三角筋の厚みが、完全にアスリートのそれ。

ガチ喧嘩したら、たぶん俺が負ける)

いやもちろん、シルヴィ・ギエムみたいに絞りに絞った体型ではないけど、学ランの扮装に完全にダマされてた。

完全に本職のダンサー

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というわけで、がぜん興味がわいたんで、その“伝統の小劇団”の公演を予約して、行ってきましたよ、もう。

そこで、もう1つ彼女についてわかったこと。

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もうね。

シンガー

シンガー

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しかすれた、でもよく伸びるアルトで、ピッチアインザッツガチキープしたうえで、朴訥な少年みたいなキャラクターをいい感じにのっけてくる。

ほぼ本職のシンガー

そりゃもうあれだ、劇団の主力級にもなりますわ。当然。

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ところで、ここまで劇団女優女優と書いておいて、演技に一言もないのは。

・演技を始めたのは社会人になってからで、経験が足りない。

 だから客演の寸劇とかで短く少ないリハーサルではアドリブがきかない。

 (在学中に自主制作映画に1本出ているらしいが、内容までは知らない)

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・ただし、所属の劇団ガッチリ稽古をすれば、プロ水準の演技はできる。

 実際、主役級のキャスティングを的確にこなしていた。

 少なくとも、演技といえば映画とTVしかたことのない俺にはそう見えた。

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という感じ、なのかなぁ。

ダンスになると手持ちの材料ですごい振り付けをするのと対照的

ともかく、その意味ではキャスティングが当て書きとハマり役に限られる感じで、「アクトレス! 超アクトレス!」とは言えない感じ。

まだ今のところは。

案外、早い時期にその域に到達するかもしれないけど。

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劇団の公演自体はおおむね満足。アートビザール猟奇的な感じ。

ただ不満としては、ダンスシーンがあまりなかったことで。

そこで今度は彼女が時おり客演しているバーレスクチームのパフォーマンスに行ってきましたよ。もう。

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で、見てきた印象を簡単に書くと、

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ダンスを見て、

 やはり動きのキレすさまじき。

 どう見てもダンスじゃなくて舞踏だった。BUTOH。

 チップばら撒き、飲み代払いまくりなれど、かぶりつきで見た。元は取った!

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ダンスが終わって

 話を聞こうとしたら、追っかけが周りを取り囲む(俺も含む)。

 ファンが一杯いて安心した。将来は安泰だ。

 予想以上に饒舌微妙に毒入り)、チェーンスモーク

 あのショタぶりが演技だったのねぇ、大した女優だわ。

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・なぜ前衛劇団に?

 もともと芝居好き。

 劇団オーナー氏の文芸思想面に共鳴、心酔、ならば何も言うまいキャリアとか。

 少年役への思い入れ

 実験性と思想性の集団ネットで騒がしい品質論は埒の外。

 先輩キャストたちへの熱いリスペクト

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・余談、『草迷宮』以外にも女力士がいるらしい。寺山修司好みのモチーフらしき。

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というあたりで。

……興奮冷めやらぬ中、この3ヶ月の自分を振り返る。

自分は何をこんなに、このダンサー(と周辺の人たち)に入れ込んでいるのか?

あれだ。

何が楽しいかというと、若い人たち劇団ライブで頑張ってるのを見ると、その、あれだ。

大森望とか小林よしのりがAKBにハマっているのを「自分の娘みたいな年頃のアイドルに入れあげるって、それはどうよ?」とか思ってたのがね、これが自分がハマってみると、

_人人人人人人人人人人_

> スッゲー楽しいの <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

.

そしてね。

この歳になって「和風アングラもいいな」という自分を今さら発見した。

夢野久作とか寺山修司とか麿赤児とか唐十郎とか横尾忠則とか佐伯俊雄とか『ガロ』とか古屋兎丸とか、そういう日本猟奇的世界とは無縁で生きていくものだと思っていたんだけど。

これがねぇ。若い人が過去作品群や事件を掘り返しながら、自分にしてもまだガキだった'60年代新宿世界ガチでやろうとしているのが面白くて。

.

かにもね。

その女優さんと美形モデル氏を起点に人脈をイモづる式に掘っていくと、面白い人たちが出てくるわ出てくるわ。

誰に頼まれたわけでもないのに、全身を蛍光色にペイントして街角にくり出してフォトセッションをやってるギャル集団とか。

どこから出演料が出るわけでもないのに、「調香師の貴婦人助手たち」みたいな架空ストーリーコスプレ衣装合わせをして、参観料を取って企画として成立させてるコスプレイヤーとか。 

.

みんな“何か”になりたくて、

“何か”をしたくて、

でも、それが“何か”はっきりしていなくて。

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みんな若さにまかせて、アルバイトを掛け持ちしながら、もがいてる。

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おお! こりゃ、リアル日本版『レント』(と、その元ネタの『ラ・ボエーム』)の世界じゃないのよ!?

いいねぇ。じつにイイっすねぇ。

ひさしぶりに、自分日芸受験したときのことを思い出した。

.

この歳になると、知り合いで創作的なことをやってる人間は、

.

 ・完全にプロとして職業クリエイターになるか、

 ・趣味と割り切って市民オケかに入るか、

 ・その周辺で稼げる分野に落ち着くか(←俺のことだ)、

 ・完全に足を洗って別の仕事を見つけるか

.

どれかになるんだけど、まだ、そのどれでもない状態でやっている、やれている人たちが、まぶしくて、まぶしくて、もう。

.

この女優さんにしてもね。

もし俺に、彼女の才能と若さがあったら、

.

“在学中からプロとしてデビュー、メキメキと頭角をうんぬん”

っていう流れに乗る前に、

舞踏のみならず、芝居にアートパフォーマンスに大活躍

っていう流れに乗る前に、

.

多少無理をしてでも金と時間を作って四方八方にコネのある舞踏家師事して、それをテコに国内でも海外でもいいか名前の通ったダンスカンパニーにもぐり込むことを最優先にするだろう。

その後は、

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一般人にも名の通ったポジションを取ることを最終目標に、有名振付師ゴーストから経験をつむか、

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彼女の母君みたいにレッスンプロとして“ダンスを見たい人”より“ダンスを演りたい人”を客にするべく、行政かに売り込みをかけるか、

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・あるいは、ヨーロッパみたいにハイカルチャー一定需要がある国にイチかバチか、飛び出してみるか。

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……10年後、20年後も踊っていたいなら、これくらいしか選択肢はないんじゃなかろうか。

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でも、おそらく、それじゃ満足できない何かがあって、それに衝き動かされているんだろう。

(と思ったら、海外留学が決まったらしい。いいぞ、行ったれ行ったれ!)

.

ま、ともかく。

独立起業という名の引きこもりになって、はやЖ年。なんか世界がせまくなる一方だった自分生活彼女ら彼らのおかげでムチャムチャ彩り豊かになった。

この人たちには、いくら感謝してもしたりないが、直接言うとキモいので、ここでこっそり発言

.

2017-09-22

anond:20170922180351

女性男性創作的であることに対して結構ポイント加算するけど、男性女性創作的であることに対して全然ポイント加算しないよ

女性が、自分創作的から男性にも創作能力を求めるのは、「男性から見て良い物件ってわけじゃないのに狭量」になるだけだよ

婚活相手に求めるものを絞ったうえで譲らないということが一番大事

創作能力があるならキモい無職でもOK!ぐらいまで大事な要素ならもう止めはしないけど

個人的には「定職についてて普通に会話ができて生理的OK容姿である」ぐらいに絞り、創作能力はあきらめた方がいいと思う

創作の話は女性友達同士でも盛り上がれるじゃん

結婚する男性に求めるのは生理的OK容姿精神的・経済的負債にならないことでしょ?優先順位大事

2017-02-25

Google翻訳オープンソースプロジェクトに使うのはダメなのか?

免責: これは法律専門家によるアドバイスではありません。この情報にしたがって行動した結果に対して責任を負うことはできません。

最近プログラマの間で

Web翻訳の結果をオープンソースソフトウェア(OSS)の翻訳に突っ込んではいけませんという話」

http://blog.goo.ne.jp/ikunya/e/37e5a52e10ab26fcbd4f7ff867e9eace

が、話題になってますね。

Ubuntu翻訳プロジェクトで発生したトラブルの話です。

この話では、「もちろん、利用規約的に問題なければWeb翻訳の結果をOSS翻訳に突っ込んでも*ライセンス的には*問題ありません。」という追記がされてます

ですが、プログラマの間で単にWeb翻訳OSSに使ってはいけないんだという認識が広まってるように見えます個人的には、この認識が広まってしまうのはいやだなと感じたのでこの文を書いています

どういう話かというと、自分個人で開発しているオープンソースソフトウェア(OSS)のドキュメントの日英訳をするにあたってGoogle翻訳を利用するか検討して権利まわりの情報をしらべた結果、これは白に近いグレーだろうという判断したので下訳に使ったという話です。(日英両方についてのドキュメント自体も、オープンソースライセンスで公開しています)

注意書き

念のため言っておきますが、これは元記事問題になっている人を擁護するようなものではありません。翻訳コミュニティの人たちが自分たちのものにグレーなものを入れたくないと思うのは当然でしょうし、権利問題以外にも翻訳クオリティやその他の問題行動の話もあります

コミュニティ思想にそぐわない人が、そのコミュニティの中で作業していくのは難しいでしょう。

Google翻訳利用規約について

もとの記事のとおり、Excite翻訳利用規約には私的利用を超えた利用についての禁止が明記されています。こういった明確に禁止されているものについての話はここではしません。

ここでは、Google翻訳に焦点を当てた話をします。Google翻訳利用規約はどうか?というと、Google利用規約については翻訳結果の利用についての記載がありません。

https://www.google.com/intl/ja/policies/terms/

記載がないということは、使用してよいのか?使用してはいけないのか?いったいどちらなのでしょうか?

GPLコンパイラの例

機械翻訳権利問題と似た構造の話に、GPLGNU一般公衆ライセンス)で許諾されたコンパイラによってコンパイルした結果の利用があります

GPLの本文には、GPLプログラムの出力結果自体GPLのものを含む場合にのみその出力結果にGPL適用されることについての記述がありますが、GPLのものを含まない出力結果についてどういう許諾がされているか記載はありません。

これについては、コンパイラによるコンパイル結果に対して、コンパイラ著作者はなんら権利を持たないと考えるのが一般的です。

GNU自体もそういう見解を持っています

https://www.gnu.org/licenses/gpl-faq.ja.html#GPLOutput

著作権法は人々があなたプログラムとかれらのデータを使って作った出力結果の利用に関して、あなたに何の発言権も与えていません。

コンパイラ機械翻訳ツールとの違いが、対象が人工の言語であるか、自然言語かので違いしかないと考えるならば、Google翻訳の結果をOSSに利用することも問題ないということになります

ウィキメディア財団見解

ウィキメディア財団法務チームは、Google翻訳した文書ウィキペディア内での利用についての見解を公開しています

https://meta.wikimedia.org/wiki/Wikilegal/Copyright_for_Google_Translations

これはアメリカ法律に基づく話ですが、CC-BY-SA 3.0やそれに類似するライセンスコンテンツGoogle翻訳翻訳してウィキペディア使用してもGoogle著作権侵害する可能性はとても低い(very unlikely)と結論づけています

要点をまとめると以下の通りです。

ウィキメディア財団見解には含まれていませんがアメリカ法律でいえば、さらにもう一つ「フェアユース」にあたるのではという話があります。これはGoogle自体がよく知っている話かもしれません。

Oracle vs GoogleJava API訴訟

これはAndroidAPIJavaAPIが流用されていることについて、OracleGoogle訴訟したものです。

これについて、Java APIについての著作権が認められたものの、Androidでの使用は「フェアユース」に該当するとGoogleは主張し、カリフォルニア州サンフランシスコ地裁では著作権使用料支払いの対象にはならないという判決が下っています

(この裁判自体はまだ続いているようです)

フェアユース」というのは、アメリカ著作権法上の概念で、以下の4要素を判断指針として考えて公正な利用と認められれば、著作権侵害とはしないと考えるものです。

Google翻訳結果のOSSでの利用をこれに当てはめると

ということになり、4つの要素どれをとっても、フェアユースであると認めることに対して有利に働きます。これは、AndroidJava APIの流用と比べても、さらにフェアな利用であるように見えます

さて、ここまではアメリカ法律での話でした。

(ちなみにGoogle利用規約には、「カリフォルニア州抵触法を除き、本規約または本サービスに起因するまたは関連するいかなる紛争に関しても、アメリカ合衆国カリフォルニア州法律適用されます。」と書かれています)

文化庁見解

今度は日本法律に基づく話です。

著作権情報センターサイトに、 コンピュータ創作物についての文化庁報告書記載されています

http://www.cric.or.jp/db/report/h5_11_2/h5_11_2_main.html

この報告書は、機械翻訳ユーザー機械翻訳システム使用するために行う原文の編集や出力の編集創作的寄与となりうることを認めている一方で、機械翻訳開発者翻訳物の著作者になるということについては否定的です。

なお、原文解析等のプログラム作成者及び汎用的な辞書データベース作成者は、一般的翻訳物の作成の精度、正確度等を高めることに寄与することとなるが、特定翻訳物の作成自体にかかわっているわけではないので、その著作者とはなり得ないと考えられる。

これは平成5年とかなり昔に書かれた報告書であり、それから機械翻訳技術は大幅に進歩しましたが、創造個性表現を目指して作られているもので無い機械翻訳であれば、やはり翻訳の結果の利用について問題がないようにみえます

これにしたがえば、単純に文章をそのまま機械翻訳に投げ入れた出力結果は、原文の著作者著作物機械翻訳に投げ入れる前や後に十分な編集をしていれば、加えてその編集した人間二次著作物になるということになりそうです。

白に近いグレー

これまで、どうしてGoogle翻訳の結果をOSSに使うことが白に近いと言っているか説明してきました。

では、どうしてグレーなのかというと、新しい種類の権利問題なので判例がないからです。実際に訴えられたら負けました、ということもまったくありえない話ではないでしょう。

グレーなものを作ることの良し悪し

だいたい、ここまでが話したいことの半分です。ここからはグレーなものの良し悪しの話をします。

著作権などの権利問題についてグレーなことをやっているOSSというのはそれほど珍しいわけではありません。

有名なところでいうと、Monoが思いつきますAndroidDalvikJavaAPIを真似したものであるのと同じように、MonoMicrosoft.NETフレームワークを真似しています。つまりMonoについても訴訟リスクはあっただろうということです。

しかし、OracleGoogle対立したのとは対照的な道をMonoはたどります

2016年Monoプロジェクト運営していたXamarin社は、そのMicrosoft自身によって買収されました。権利的にグレーだったMonoMicrosoft公認プロジェクトになったというわけです。

権利的にグレーだからといって、プロジェクトとして失敗に終わるわけではありません。

Ubuntu日本語化プロジェクトでの良し悪し

すこし元の記事に話をもどします。冒頭にも書いた通り、Ubuntu日本語化プロジェクトに対してWeb翻訳の結果を突っ込むという行為は、批判されるべきだと思っています

まずは質の問題です。現在Google翻訳などは、UI翻訳に向いていません。UIほとんどは、意味合い文脈依存する単語や短文です。UI翻訳は、実際にその機能を動かしながら、動作にあった訳語を割り当てていくべきです。

Google翻訳などを使って一括で、訳語を割り当てても良いUI翻訳はできません。

UIにとっての良い訳については、元記事のいくやさんがとても良い話を書いています: https://github.com/ikunya/howtotranslatelibo/blob/master/howtotranslatelibo.md#ふさわしい翻訳の考え方 )

次に、白に近かろうがリスクのあるものを入れることになるということです。Ubuntu日本語化ローカライズであれば、すでに多くのユーザー使用しているでしょうし、そういうものについてリスクのあるものを後から入れることになります

そういったことを独断で黙ってやるというのは、歓迎されたものではありません。少なくとも、コミュニティに対して事前に方針を聞いたりすべきだったでしょう。

まりクオリティが低い上にリスクのあることを黙ってやったわけで、もちろん批判されるべきでしょう。

自分場合

はいえ、OSSには個々の事情があります。次は自分場合の話をしてみます

まずは質の話です。

自分プロジェクト場合Google翻訳を使ったのはドキュメントです。日本語で書いたドキュメントをあたらしいGoogle翻訳に入れてみたところ、そこそこのクオリティ翻訳が出力されており、自分ゼロから翻訳するよりも、原文を翻訳やす修正したり結果に対して修正を加えていったほうが質と速さの両面でよいと判断したので、Google翻訳使用しました。

次にリスクの話です。

OSS企業権利問題訴訟されるということはめったにありません。OSS公益性の高いものなので、むやみに訴えれば社会からの反感を買いますし、ほとんどの場合は訴えても大した金になりません。

訴えられるとすれば、そのOSSが十分に儲かっている場合です。もしOSS大金が儲かったらGoogleから訴えられてしまう!どうしよう!と考えるのは、宝くじに当たったら強盗におそわれてしまう!どうしよう!と考えるのに似ています

まず宝くじは当たらないですし、宝くじが当たったらそのお金対策を行えば良いだけの話です。

実際Linuxでは、特許周りの対策としてOpen Invention Network(OIN)を設立していますLinuxなどソフトウェアに対して特許を主張しないことに同意した企業から特許を買収して、そういった企業に対してロイヤルティー・フリーで許諾を行っている会社です。

これによって、Linux関連のソフトウェアに対して訴訟をしてきた、いわゆる「パテント・トロール」に対して訴訟をやり返すなどの対抗手段を得ているわけです。

別の視点でのリスク

それにOSSにまた別の角度のリスクがあります

権利問題訴訟されたことによって失敗に終わったOSSというのはほとんどありません。多くのOSSは、作者が飽きたり、面倒な作業うんざりしたり、誰にも使われなかったり、競合に勝てなかったりしたことで、フェードアウトしていきます

そういったこともまた、OSSリスクなわけです。

結局のところ、自分場合Google翻訳をつかったところで、Googleにも、自分にも、ユーザーにも、世間にも不利益はなく、むしろドキュメントの質は上がって、Google翻訳改善するためのデータを得られます

わずかなリスクを避けるために、時間を割いた上、質を落とすというのはくだらないですし、そんなことに時間を使うくらいならコードを書いていたいものです。

Web翻訳の結果をオープンソースソフトウェアで使うべきか、そうではないか

結局、Web翻訳の結果をオープンソースソフトウェアで使うべきか、そうではないか?というのは個別の話でしかなく、ひとまとめにWeb翻訳の結果をオープンソースソフトウェア翻訳にいれてはいけないとか、使うべきとかそう簡単には言えません。

質が悪いしリスクがあるのであれば単純に禁止で済む話ですが、機械翻訳が向上して、質が良いがリスクのある例が増えると話はさらにややこしくなります

OSS翻訳者コミュニティ機械翻訳の利用についてそのプロジェクトで使って良いか方針を定めてやっていくしかなく、後からコミュニティに入っていくような人が機械翻訳を使いたい場合コミュニティ方針確認した上でやっていくしかないんだろうなあと思うところです。

2016-11-12

ポリコレ棍棒勢の貧しさについて

トランプ大統領になったので、もう一回キャップについて書く。

キャップってのは、キャプテン・アメリカ愛称だ。知らない人は知らないと思うのでざっくり説明すると、アメリカ大人漫画大人主人公だ。映画にもなったんだよ。

で、そのキャップについてこういう意見があって

http://bylines.news.yahoo.co.jp/saruwatariyuki/20160525-00058032/

まあ、要するにキャップホモだって設定に変更してくれって話だ。もう、本当にうんざりしたんだが、これがトランプのいう「過剰なポリコレ」のひとつだ。

世の中には同性愛者がいる→わかる。同性愛者は一定割合存在する→わかる。同胞の一員である同性愛者の権利を守るべきだ→わかる。

フィクション登場人物にも同性愛者がいるべきだ→そうだろうね。世界の反映としてフィクション人物一定割合ホモにしてくれ→なにいってんだ? キャップホモにしてくれ→意味からねえ。

キャップホモだなんてとんでもない!」っていったら「お前は差別主義者だな死ね!」って炎上する。そういうのがポリコレ現場だ。

同性愛主題にしたフィクション否定してるわけじゃない。そういう作品はいっぱいあっていい。同性愛が主要テーマではない作品登場人物同性愛者でもいい。面白ければ大歓迎だ。

ただ、そういうのが欲しけりゃ、自分で作れよ。なんで「他の人が作って、もう走ってるものを、自分たち権利ひとつとして要求する」んだよ。

ポリコレ棍棒勢の貧しさたるや、ほんとがっかりするよ。

創作世界ってのは、「なんかいい感じのもの」を作ることによって前に進んできたんだよ。誰かが何か格好いいヒーローを考えたら、それにインスパイアされたり、対抗意識をもったりして、俺ならこういうヒーロー書くね、いいや俺なんてもっとスゴイの考えたんで書くぜ! そうやって互いに影響を与え合いながらどんどん作品が増えて豊穣になってきたんだよ。それは大傑作の純文学や名作映画から、取るに足りないエロ漫画まで全部そうなんだよ(お前のおっぱいの描き方柔らかそうで新表現だな!? 俺もやってみる!!)。

豊穣にしてあたらしい流れを生み出して豊かにするためには「なにか良いものを生み出す」んだよ。皆そうやってきたんだよ。本当にポリコレ世界を広げたければ、ポリコレテーマにした、あるいは表現技法として昇華した、すごい作品を作れよ。それが素晴らしかったら、みんな真似してそういう作品連鎖して広がっていくよ。それが豊かになるってことじゃねえか。

腐女子の書くBL作品であったって、それを「書く」と一点では尊いよ。もし腐女子が「キャップホモ漫画が読みたい」って思ったら、「キャップは本当はホモだって公式に訴えよう!!」なんてまだるっこしいことはしない。ヒゲダンディなトニー社長摩天楼スイーツベッドヤクザホモ描くよ。マンモーニなことを奴らはしない。二次創作についていろいろな意見はあるけれど、「実際手を動かしてその素晴らしさを表現しようとしている」という一点で、彼ら(彼女ら)はポリコレ棍棒勢よりずっとマシだと思うよ。

フィクションはかくあるべきだ」とか、しったこっちゃねえよ。「登場人物の20%は黒人であるべきだ」とかうるせー。深夜アニメなんて男女比でさえ守ってないんだぞ。なぜかっていえば、どこかのだれか(あかほり大明神とか?)が「色んな種類の美少女がでてきてきゃっきゃするのってすげえイイじゃん?」ってつくったら、それがいい感じだったので「俺もやってみる!!」ってみんなが作ったからだよ。それが気に入らない人がいるのはわかる。気に入らないのは全然いいよ。大歓迎だよ。その気持は「別の何か」を生み出すきっかけになるから。だから、「別の何か」を作れよ。

ジャンルテーマ否定してなにか新しい流れになるなんてことはないんだよ。異世界転移作品いくら叩いたって、叩いたことで何か素晴らしい別のものが産まれことなんて、ない。ましてや、すでに人気のある伝説的な作品をよってたかって捻じ曲げようとするその創作的な貧しさときたら、言語に絶するよ。

2016-10-28

我が世(玉潰し)の春が来た!

これまで特殊性であるM男向けジャンルの、更に極北として異常性癖扱いされ忌避されてきた玉潰しの時代が遂に来た! これがTwitter流行ってるらしいのよ! おれTwitterやってないからどう流行ってるのか詳しく知らんけど! でも流行ってるって聞いた! やったぁ! ついに玉潰しの時代が来た! 豆(ボルダリング漫画とは無関係)はないわ……とか、ハイパーピンチclover)はスカと玉潰しが無けりゃなぁとか、あかざわREDがGirls forMでやったら不評だったとTwitterで書いてた(という記憶があるけど証拠は無い)とか、これまで散々に言われてきた! あの玉潰しの時代が! 遂に! やっったああああああああああああああああああああ!!!!!

なんでも電車内や夜道でカジュアルに玉潰しするタイプのが流行ってるらしい。前提が女尊男卑社会なんだよね! あるある、そういう単純で極端な逆転ものペラテンプレだけどテンプレになるだけの良さがあるよね!しか根底にあるのが、女性本能として玉潰しをやめられないって設定らしいのよ。なにその過激M向け創作専用設定。すげー! マジすげー! これが流行ちゃうんだ! 玉を潰さずにはいられないけど、そうすると子孫を残すに残せないというジレンマドラマできそうだよね。そっち行くとあんまM男向けにはならんけど。

個人的に玉潰しは過激で分かり易いけど、シンプル故に作者の力量が出るから、仮にM男向けジャンル市民権を得たとしても流行らないだろうなぁと思っていたのよ。だって玉潰しは1アクションで成立しちゃう。蹴り潰す。踏み潰す。握り潰す。押し潰す。おしまい。ね? だから創作的には、ここに至るまでの話やシチュエーション、そして両者の心情を読み手提供しないと玉潰しの話は成立しづらい。それに玉は基本的に潰してしまえばそこまで(※)。潰された人は生物のオスとして終わるし、メタ的に見ると性を求めて読まれ物語としても終わってしまう。つまり玉潰しはオチしか使えない。だから作者の力量が求められてしまう。雑に使えば即座にバレる。編集に言われたからって感じで、流れで適当に潰すオチ漫画多かったよね、ガールフォームの初期号。でもTwitterなら過程とかオチとかもう全部関係無いよね! どうせ140文字しか使えないんでしょ? じゃあシチュ提示して即潰して終わりってことじゃん! プラットフォーム勝利まさか新天地! 玉潰しの聖地Twitterだった!!!!!!!!!! いっぱい潰していっぱい普及させましょう! 玉潰しは一般的な嗜好! 物語オチに玉潰しを! 絵師よ玉潰しを描いてくれ!

(※ いや玉蹴った殴ったしたところで終わらないでしょっていうのは、ちょっと勘違い。単なる玉蹴りや玉殴りはまた違ったジャンルなんじゃないかな。だって玉潰したら玉無くなっちゃうんだよ? 睾丸破裂よ? 男根切除と並んで性の最後になると思うの。肛門プレイってのもアリかもしれないけど、玉取ったら性欲消えた体験談とかもあるし。あ、いや、別にただ蹴ったり圧迫したりするだけを否定してるわけじゃないよ? でもそれって潰してはないよね、別物だよね、と指摘してるだけ。むしろさない方がやりなおしが効く分だけ汎用性あるし、懲罰としては優しさを感じるよね。それはそれで好きよ。イチャラブものにはなるべく盛り込んでほしい。射精管理でちゃんと我慢できたらご褒美搾精。ダメだったら睾丸殴打とかさ。愛があるプレイいいよね……)

これまで多くの玉潰し漫画掲載してきたかつての聖地・Girls forMもがんばれよ! いくら玉潰しが不評だからって、優秀な玉潰し作家に逃げられたからって、逆アナルと甘やかしプレイばっかり開拓してどうするんだよ! どいつもこいつも同じようにペニバン使いやがって。ふたなりも出しなさい! 甘やかしプレイにはちゃんと羞恥煽りプライド圧し折りをセットになさい! 見た目だけヌルくしたり過激にしたりしたところで、そこに男は虐げられるべきという情熱が伴わなけりゃ意味無いのよ! ちゃんと思想・信念を持って玉を潰して! あ、でもJKがこの奴隷飽きたからもういらないやグチャって雑に扱うのはアリです。あのね、情熱は作者が作品全体に込めてほしい。キャラは「玉とのお別れは済んだ?」みたいにノリノリで煽ってきても、冷淡な態度で雑に扱ってもいいから。作者はちゃんと玉潰しに情熱持って。取って付けたように潰さないで。ね?

しかしこれで報われる人たちもいっぱいいるだろう。細々と玉潰し商業漫画や玉潰し同人CG集や玉潰し同人漫画描いてた作家さんとか、玉を潰される妄想をこじらせてセルフ潰し(睾丸加圧トレーニング)したら潰れなかったけど勃起不全になってしまった人とか、彼ら偉大なる先人達の玉潰しへの気高い情熱流行を呼び覚ましたのだ。静かなる玉潰しへの滾る欲動がこのブームを巻き起したに違いないのだ! 昂れリビドー! 玉潰し漫画よ増えろ! 玉潰しイラスト集よ増えろ! 玉潰し小説よ増えろ! 玉潰しは一般性癖! 玉潰しは変態じゃない! 玉潰し万歳

そう、これをきっかけに世の中に玉潰しに限らず、もっとM男向け創作が広まってほしい。射精管理牧場とかさ。よくオークのエルフ牧場ってあるじゃん? あれの男版ね。精液を搾られんの。質のいい精液を搾るために体調管理を徹底されて、一生を精液家畜として過ごすの。精液出なくなったら玉潰して廃棄。でもエルフ魔法で性欲枯れない設定というのもありかもしれない。陰茎の摩擦しすぎがボトルネックになる感じの。搾精は機械でやってもいいけど、手袋手コキもアリ。好みだね、そこは。あと女性向けジャンルオメガバースってあったけど、あれもすごくM男向け創作向きの設定だよね。α女性の種付けを受け入れる意思の表明として玉潰しされるω男性とか良くない? あ、図らずもオメガ金玉出たよ!

2016-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20160904231904

君の名は。」は、同人業界エロゲを2桁年月で追ってるキモオタから家族連れや中高生カップルまでイケる幅広い客層に対して

減点・加点方式どちらでも高得点狙える上手い出来をお出ししたのが良かったのだろうと思う。

あんまりないでしょ、そういう作品って。

  

以下疑問点へのツッコミ

  

主人公2人はどうして惹かれ合ったのか?

…仮に自分女子高生だとして、無意識のうちに他人(男)と入れ替わってて、胸を揉まれていると分かったら、

逆に自分が男になっている間になんとかして社会的に殺そうとしないだろうか?

三葉は憧れのイケメン都会男子生活を満喫するのに忙しくてそんなことしてる場合じゃないですよ。

何時入れ替われなくなるか分からないので、この後も長く付き合わなきゃならない相手かも知れないですし。

何故惹かれ合ったのかでいうと、ああも強烈な体験でお互いのことを知り合って惹かれない方が創作的にどうかと思う。

  

・入れ替わっている時、年号が違うことになぜ気づかないのか?

…多少なり新聞TVなどのメディアを見ていれば、3年前or後にタイムスリップしている事くらいすぐ気づきそうなのに。

そもそもカレンダーとか曜日が違うから違和感ありまくりじゃないのか?

自分自分以外であることは分かっても、それ以外のおかしい点には気付かない夢とかないかな?

俺はTS淫夢とかTSケモ化淫夢とかよく見るので別に違和感なかった。

まあこれは「そういう条件の世界設定です」という前提部分であろうと思う。

  

・3年前に既に会っていることをなぜ忘れているのか?

受験期間というナーバスな時期に、あんキチガイじみた女子高生に遭遇していたら、

間違いなく覚えていると思うんだけど、記憶喪失にしては都合良すぎないだろうか…。

三葉の普段髪型(3年前にあった姿)と、瀧が入っている時の三葉の髪型が別物(瀧は髪を結えないし組紐存在も知らない)なので、

組紐エピソードを思い出すまでその姿が瀧の中で連結していない。

  

・三葉はどうやって父親を説得したのか?

…あえて描かないことで、観る人間解釈させる余白を持たせたのだ、という考え方も有ると思いますが、

絶対カットしてはいけない部分じゃないかと思う。

父親は三葉の母親祖母が入れ替わりを起こしていたことを知っている。

そこで、瀧が持ち込んだ未来情報と三葉が実際に入れ替わっているという確信を持って、危機回避に動いた。

しかし、三葉に入った瀧が山頂で入れ替わってその後の説得を託す展開はちょっと強引だとは思う。

  

この父親の詳細な描写書籍アナザーってやつに詳しく載っているらしいけど、映画1回見ただけでもこの辺までは読み解けた。

個人考察南男で間違ってたら悪いけどね。アナザーも購入済みなので今夜読む。

2016-09-03

[]

今回は裏サンデー

ヘビのたまご 第9話

うわ、もう殺しちゃうのか。

仮に死ぬとしてもしばらく先かと思ってた。

でも、う~ん……大してバックボーンがちゃんと描写されていない状態での退場だから、正直イマイチのれない。

世界観というか、この作品方向性を伝えるという意味では十分な役割を果たしたとはいえなくもないが。

国王理屈は、都合のいい解釈で、そもそも今回の事件を手引きした黒幕であるからすごく白々しい。

のだが、当事者の誰かがもう少し思慮深ければ起こらなかった、或いはそこまで酷くならなかった事態だったわけで、その点を考慮するとデュランは口をつぐむしかないわけだ。

後半のジンの答えは、大したことは言っていないのだが、まあ間違っていない。

桐生先生恋愛がわからない。 30話

うーん、二人のあたりの理屈は正直よく分からない。

そもそも、男女逆転させて性差を語るっていう発想は創作的観点から面白い思うけれども、マジになって語ろうとすると安易というか。

身体性差からくる、恋愛感やセックスなども含めた意識の違いというのは傾向として勿論あるのかもしれないが、そのほかの要素も加味して、総体的にかつ相対的判断しないと、どこかで齟齬が生じるだろう。

しかも、ここに個の問題を含めて考えないといけないわけだから

そもそも、たらればで地に足のついてない話で持論を担保するのって、結局は共感ゲームの延長線上にしかならないと思うし。

鐵血のアマリリス 最終話

まあ、打ち切りですな。

まあ、まずは作風が読者の何割かを遠ざけたのは間違いない。

リョナとかトーチャーポルノとかは一般受けしないんだから、その他の要素で面白く描かないといけないわけだが、それも拙かった。

DOG END 第2話(後編)

自分より体の小さい人間を盾にしたところで銃弾全て防げないだろ。

ましてや相手真正面以外からも撃ってきているわけで。

あんだけ規格外の握力とか腕力があるのに、普通に銃弾かれちゃうんだとか。

なーんか、ところどころ雑なところがあって、それが気になるせいでノりにくいんだよなあ。

2016-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20160731000611

物語製造業人間からコメント

まずはじめに、(対価のない)残業とか長時間労働は、悪であるっていうのは異論がない。

じゃなんでこんなドラマ作ってるんだよ、糞野郎死ね、と言われれば反論のしようがないんだけれど視点の補足として2点ほど足したい。

ひとつめは、僕等としては残業を戦いたいわけじゃなくて苦闘みたいなものを描きたいんだよ。物語上の要請として、成功や勝利の全段階として、苦戦や熱戦の描写必要だ。これは物語設計上の問題なので、もう、どうにもならん。エンタメとして人間が楽しめるパターンは限られてる。難問の提示→工夫や挑戦→解決(勝利)という構造は、壊せない(壊してもいいけれど、エンタメとしては大衆に訴求できなくなるだけだ)。

もちろん、「苦闘」という抽象的な設計要請を「長時間労働ブラック労働描写」にする必要はない。感情導線を作中のどういうエピソードとして描くかは、作者(この場合脚本家か)の腕の見せ所だ。他の苦闘描写にすればいいじゃねえか、と言われれば、Yesだ。それが視聴者や読者に不快しか与えないのは、作者側の技量不足、というほかない。という原則論を先ずは掲げておき、次には「じゃあ、現代日本の作者の平均的技量はどうか?」という視点で見てみると、例示されたテレビドラマ脚本家が著しく能力に劣るとは思えない。「家を売るための工夫」みたいな部分で、じゃあ他にどんな描写が出来たか、新素材開発の技術者敵苦悩? 銀行の根回しの政治闘争? どれも尺的な問題や、他のドラマ部分との整合性難易度が高そうだ。もちろんそういった変わったエピソード迫真性を持って描ける有能な作者もいるがそれは平均レベルではない。

(すべての作者や脚本家は有能であれ! という意見は一理あるが、それが現実社会実践できるかは、増田全員が自社や自分身の回りを見回せば納得してくれると思う。創作者の世界だって、有能な人間割合は変わらないのだ)

二点目の問題として、「このシーンは苦戦、苦闘のシーンなのだ」というのを視聴者に伝えるエピソードとして、ブラック労働というのは、視聴者からみて「理解可能なのだ作家脚本側)は、この「理解可能」という制限範囲内でしかものを作れない。その範囲を超えてしまうのは、芸術としてはありかもしれないけれど、大衆エンタメとしてはNGだ。増田がそのブラック的な業務(っていうか、子守って業務なのかどうかわからないが)をみて「これはひどい」と思ったのなら、それは「ヒドいシーンを描こう」という目論見が成功した結果だ。

たとえば、プログラマなどはその業務において、本当にクリエイティブなのは頭のなかで実装アイデアを考えている瞬間だ。そこに快楽ブレイクスルーの高揚があるとは思う。しかし、その瞬間は、他人から見れば散歩中であったりモニターの前で空中を見つめているだけだったりする。それを「熱戦」であったり「苦闘」だと、圧倒的多数視聴者理解できない。同じオフィスで働いているOLだって理解できないくらいだ。理解できるようにドラマ的な補助線を引いてやるなり、読者視聴者に分かる程度に戯画化してやるしかない。「ムカつく糞ガキの子守」というのは、この戯画化の結果だ。

まり、件の展開は作家脚本家の工夫の結果だといえるだろう。

第三に、ドラマなるものエンタメ創作は「特別もの」を描くものだ。これは、もうすこし常識として言語化されていいものだと思う。なんでコナンではあんなに殺人バンバン起きて密室が出てくるのか? それはそれが「特別もの」で「常とは異なるもの」だからだ。「だからこそあえてそれを描いて世に表す価値がある」という考えのもと、エンタメとして成立している。青春時代初恋や、大正時代ハイカラ女性の自立や、銀行員の造反もそうだ。日常系物語でさえ「日常の中のちょっとした特別」という意味特別を描く。描くという行為のものが、その描いたシーンを描かずに省略したシーンに比較して特別にするという創作的な処理なのだ

その「描かれた特別もの」を「一般社会常識に反している」という視点糾弾してしまうと、エンタメ作品の多くは枯れ果ててしまう。件のドラマは、逆に言えば「一般社会ではあっという間に糾弾されてしまうような『特別な』ブラック労働なので、あえてそれを描いたのだ」といえるだろう。

もちろん(対価のない)残業とか長時間労働は悪である。それを礼賛するような「描き」になってしまったのは、前述したように作家脚本家側の技量不足であるしかしながら、以上3点の視点補足が、この種の問題に対する考察の糧となってほしい。

2016-05-02

情報法律

不動産 動かない財産

著作物とは思想または感情創作的表現したものであって分外学術美術間は音楽範囲に属するものである

所有権 形のあるものに生まれる 所有している 限りなんでもできる

物理的に存在しているもの

著作権 無体物・・思想感情にある。

音楽などのコンテンツ

複数の人が同時に利用できる

著作権 ・・自分が生み出した著作物を独占的に利用できる

著作隣接権・・著作物を利用、流通させ、

多くの者に著作物享受させるためにはをれらを伝達、媒介する者が必要

著作隣接権・・実演家、レコード製作放送事業者の4者に 著作隣接権がある

2016-01-02

元日早々クッキーババアに暗黒面へ落とされかけた

去る元日、出掛ける予定も無いので家でのんびり過ごしていたら、友人からあけおめメッセージと共に

クッキークラッカー知ってる?」というラインがきた。一時期流行った事は知っているが、

全くやった事なかったし、自分は普段はブラウザゲーもスマホゲーも一切やらない。

何でこんな事送ってきたのかわからないんだけど、軽い気持ちで調べてたら気になってきて何のけなしにやってみた。

のが、13時間前。さっきまでずーっとPCにはり付いて、狂ったようにクッキーポチポチ押してた。

完全に人間として終わってた。魂抜けた顔でクッキークリックしながら、増減する数字をみて

時々現れるゴールデンクッキー押して......脳みそを全く使ってないのに辞められなくて

あと五分だけ十分だけ、が心の中で続いて日付がかわってしまった。

普段、創作的な事を仕事にしているだと思うけど、何の生産性もないのに

ポチポチカチカチで数字が貯まって満足感与えられちゃう感じ、改めて恐ろしいなと思った。

よく話題になっている、スマホゲーで射幸心煽られてガチャガチャ回す感じもきっとこれに近いんだなと思った。

お金を失わない分良心的だけど、気になって他が手につかなくて時間を浪費するこの感じ。

これ、免疫ない人はとことん駄目になる。自分は全く無い事が判明したので、改めてこの類のゲーム

興味本位でも絶対触れないと肝に銘じた。例え金銭が絡まなくとも。

あと、こういうゲームは頭使わないでも楽しめるけれど、創意工夫して楽しめる人は

きちんと頭を使って、どういう風に施設を展開していったら効率的か考えてやっているのだろう。

自分思考停止しながら遊んでて、それは結局ゲームを楽しむのではなく、

ゲーム現実逃避している感覚に近かった。誤解を恐れずに言うと日常放棄して

ゲームへ逃げても、作者(ネトゲとかだと運営)の手のひらで踊らされてるに

過ぎないんだなっていうよくわからん悟りを得ました。

風呂に入ってさっぱりしたらどーでも良くなっちゃって、何とか辞められたけど

後悔するだけでは悔しいので、こうやって書きなぐりつつ振り返ってみました。

下手したら正月休みが全て無くなっていたかも。怖いな〜

2015-09-08

http://anond.hatelabo.jp/touch/20150908204122

うーん、右下の銀の三角は亀倉案の円形くり抜きの構成要素である

言いたいんだろうけど、じゃあ亀倉案を依拠しているかというと

依拠しているようには見えないんだよね。

そもそも原案では亀倉案を踏襲してないし、

視覚の内部の円形を感得させるには、創作的な飛躍が必要で、

佐野氏の原案には、その土台となるくり抜きによる

図形の感得というアイデアさえ一切ないんだから

そして、右下である理由不明だし。

本当に佐野氏のエンブレム著作権的にアウトじゃないのかの論考

深津氏の文章を読んで、本当に佐野氏のロゴ著作権的にアウトじゃないか

疑問に思ったのでベルギー弁護士の人がやろうとしていた

ことを代わりにやってみた。

著作権侵害が成立するには

1.依拠

2.類似性

3.利用行為を行ったか

の3つをすべて満たす必要があるらしいので、順番に検討してみようと思う。

なお、著作権侵害が成立する要件については、こちら

(http://www.saegusa-pat.co.jp/copyright/cr_02_3.htm

を参考にした。


1.依拠

はつまりパクった経路が確認できるかをベルギー側が

証明する必要があり、Pinterestの閲覧の有無が争点になると思う。

当然ベルギーデザイナーPinterest自分ロゴ登録しているし

佐野氏もPinterest登録していたことが確認されている。

これによって佐野氏がベルギー側のロゴを見たということには充分妥当性があるように思う。

ここで佐野氏が実際にそのページをみたかどうかの証明必要ないし(もちろん証拠があればそれに越したことはないが)、

佐野氏がもし仮に、見ていないと発言しても、忘れたと発言しても依拠性が覆されることはない。



2.類似性

まず佐野氏のロゴベルギー側のロゴ類似している部分を列挙してみる。

類似点 ベルギー側のデザインの要素

・中心の縦の棒のパーツ

・左上と右下におかれたパーツ

・3つのパーツにより切り抜かれた円の形を視覚的に感得できること

・パーツの組み合わせにより『T』と『L』の合字が視覚的に感得できること

以上の4つではないかと思う。

(1)判例判断基準

判例では、他人著作物表現形式上本質的な特徴を直接感得できるかが判例判断基準となるようだ。

ここでは、"表現形式上の特徴"が争点となる。

9分割による"モジュール"による展開性や"書体"などは、

"構造的な特徴"となり、デザイン本質的な特徴ではない。

もし仮にまったく別のデザインなのに、モジュール展開性が

可能だったり、たまたま『T』の書体が一緒だとしてもそれは

構造的な特徴(つまりアイデアのこと)として処理され、

類似性があるとは認められないのと同じ。



(2)表現共通性

これは一目しただけで、類似していることが認められるのではないかと思う。

相違点はベルギーデザイナーデザインが外側に黒丸で囲んであり、

モノクロ(2色構成)で構成されているのに対し、佐野氏の、エンブレム

外側の黒丸に対する円がなく、4色構成であり、右上に赤い丸があることの

いであるが、これらの違いはベルギーロゴが土台にあってはじめて

成り立つものであり、ベルギーロゴ本質的な特徴であることが理解できる。

まりベルギーデザインが土台にないと、佐野氏のデザインはまず

構成できないことに着目したい。




(3)創作的部分の共通性

ここではベルギーロゴ創作的か、一般的かが問われる。

日本側は、幾何学的模様による構成は、どこにでもあると

主張していて立証は難しいように思える。

しかベルギーロゴが『T』と『L』の合字であることに

着目してみたい。

ベルギーロゴの着想の出発点は『T』と『L』の合字部分

である

それに対し、佐野氏のロゴの出発点は『T』のフォントである

原案を見てもそれは明らかである


佐野氏の案を出発点にすると、どうしてもロゴの右下にあった

パーツ(≒△)は右上にこないといけない。佐野氏の原案でも

右上に△があり、右下に△を入れる論理的必然性がなく、

ここに飛躍的がある。

ベルギーロゴには元々、『T』と『L』の合字であるという

出発点となっているため、飛躍的な超越はない。ここにベルギー

ロゴ創作性が認められる。

おそらく佐野氏は『L』の合字部分に気付かなかったのではないか。

ベルギー側のデザインが『T』のみのロゴだと思い込んだのである

日本人には一見なにも問題ないように思われる。しかし『T』の

右下にパーツを入れることは欧米では一般的ではないのである

まり佐野氏のロゴは、『T』としては非常に不自然な形状をして

いることになる。この不自然さこそ、一般的でないことの証明であり

創作性を保有しているということになる。

さて佐野氏はどこから、右下に三角(≒△)のパーツを配置する

という着想を得たのだろうか。


3利用行為を行ったかどうか

あきらかに五輪エンブレムとして利用すれば利用行為を行ったことになる。

佐野氏がエンブレムを取り下げたために、ベルギー側も告訴を取り下げるしかなかった。




おそらく以上のことをベルギー側は証明しようとしていたので

はないかと思われる。

これを読んでもみんな(深津氏や山本一郎氏を含む)は、佐野氏は

エンブレムをパクッてないということになるのだろうか、聞いてみたいところである

ついでに以前の自分記事

http://anond.hatelabo.jp/touch/20150903190148


よろしくどうぞ

2015-08-31

東京オリンピックエンブレム

食傷気味ではあると思いますが、佐野問題について自分の考えをまとめるために文章を書きました。

もうこの話題うんざりという方はそっとスルーして頂けると幸いです。

■前書き

デザイナーではないけれど、クリエイティブ職に携わっています

私の立場としては、

オリンピックエンブレムはそんなに好きではないけど

オリンピックエンブレムは(ほぼ)問題なし

トートバッグはアウト

・このような炎上懸念しています

というものです。

以下、目次です。

デザインとは

- 編集レイアウト、選択というデザイン

- デザイントレンド

佐野エンブレム

- このエンブレムは一体何なのか

- 似ているのか

- 著作権見地から

- 商標権見地から

- 原案は似てる

トートバッグコネ問題

- お粗末なマネージメント

- そんなデザイナーに任せてはいけないのでは?

- コネ悪用なのか

個人的には

デザインとは

編集レイアウト、選択というデザイン

デザインは、社会に受け入れられることを目的の一つとしています

受け入れられるということは抵抗がない方がいいですから、あまりに新しすぎて意味理解されないようなものはよくありません。

しかし多くのデザインにおいては、新しさや独創性を伝えたいという想いもありますからデザイナーにとって受け入れやすさとオリジナリティというのは永遠課題であると言えます

多くのデザイナーにとって、ロゴオリジナリティについて語りにくいのはこれが非常に繊細な問題であることが理由だと思います

ところで、デザインは「計画」「設計」「応用美術」という言い方もされることがあります

あるいは例えば、◯◯デザイナーという肩書きなどについて、プランナー(計画者)、マネージャー(管理者)という言葉を入れ替えても近いニュアンスがあるということについて考えてもいいかもしれません。

これらの言い方からも分かる通り、デザインとは一から全てを新しく作り出すという行為ではなく、適切に設計する、配置する、選択するという行為であるとも言えます

では果たして佐野氏のデザインは適切なものだったのでしょうか。

デザイントレンド

その前に、デザインにおけるトレンドというものについて簡単に考えたいと思います

参考に、近年のロゴトレンドと言われているものをご覧ください。

http://photoshopvip.net/archives/78102

http://www.radflaggallery-design.com/blog/2015-logo-trend

ちなみに以下は、2008年トレンドと言われたものです。

http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/788.html

すでに2008年トレンドが古く感じてしまうのが分かるかと思いますトレンドというのは、新しく感じられ、それでいて受け入れられている、という一つのラインです。トレンドを押さえる(上手く選択する)ことで瑞々しい印象を与えることができますが、トレンドが去った後には古さを感じるようになるものです。

新しさがありつつ、普遍性のあるデザイン、というものが如何に難しいかが分かります

佐野エンブレム

・このエンブレムは一体何なのか

それでは本題のオリンピックエンブレムについて考えたいと思います

図像的には非常にシンプルものになっています。また、恐らくは1964年東京オリンピック亀倉雄策イメージオマージュしており、色彩は日本的トラディショナルもので、あまり目新しさは感じられません。そういう意味でこのエンブレムはあまりトレンドに乗っていないと言えると思います

なぜこのような選択・デザインになったのでしょうか。

トレンドに乗らず、非常にシンプルものにしたのは、普遍的エンブレムになることを狙ったものだと思います

亀倉雄策1964年オリンピックは今でも素晴らしいデザインと語られるもので、古さは多少感じさせても未だに迫力が伝わってきます

佐野氏のデザイナー仕事にはシンプルで洗練されたものが多くあります。また、近年世界アピールできている日本デザインシンプルものや余白を活かしたもの自然融合的なものが多く見られます

このように、佐野氏、あるいは日本の強みであるシンプルデザインであり、また一時的トレンドではなく普遍性をもつもの、として単純な図像になっているのだと思います

もちろんこれにより、トレンドに乗っていない、古めかしく見える、単純すぎる、単純すぎるために似たデザインが挙げられる、といったことについて意見が出てくることについては想定していると思われます

・似ているのか

さて、よく問題として挙げられているベルギーロゴ比較してみます

前述の通り、単純な図像なので、近いロゴがあることは避けられないと思いますしかプレゼンテーション動画などを見ると、このエンブレムアピールは以下のようなものです。

東京の頭文字T

地球や繋がりといったもの連想させる円

トラディショナルカラー

日の丸

正方形タイルデザイン

パラリンピックエンブレムとの対称性

このうち、ベルギー劇場ロゴと共通するのは円のモチーフくらいではないでしょうか。

以上のような点を踏まえると、佐野氏のエンブレム図像的にはベルギー劇場ロゴと近く見えるところもあるが、その他の点で大きく異なっている、と言えると思います

著作権見地から

著作権は、思想感情創作的表現した著作物保護するものです。

佐野氏のエンブレムベルギー劇場ロゴ思想感情的表現とは違う発想で出来たものであることは明らかだと思われます

著作権侵害しているという指摘は間違いでしょう。

商標権見地から

Wikipediaによると、リエージュ劇場公共性が高いためロゴ商標登録がなく、商標権については問題にしていないとあります

商標権侵害ということはなさそうです。

原案は似てる

エンブレム原案が公開されました。

色彩、配置的なアレンジはありますが、これはヤン・チヒョルト展のタイポグラフィ結構似てると思います

しか原案として過去デザインを参考にすることは問題ないのではないでしょうか。個人的には、なぜ公開したのだろう、と思いますが…。

これがこのまま採用されるとしたら大変ですが、最終案ではかなり変化しているので、これはある意味で事前チェックが上手く機能したと言えるのではないでしょうか。

トートバッグコネ問題

・お粗末なマネージメント

佐野氏ほどのデザイナーですと、事務所を構え、他のスタッフデザインをさせるというのは勿論あることです。しかし本人の名前で発表する以上、その監督責任は本人に求められます

トートバッグに関しては、明らかに佐野氏の失態です。佐野氏もそれを認め謝罪し、社会的な罰は十分受けていると思います

・そんなデザイナーに任せてはいけないのでは?

私が冒頭に書いた「(ほぼ)問題なし」という括弧はここが理由です。

本来なら大きな仕事は少し控えた方がいいと思いますが、今回はエンブレムの後に発覚したものですし、取り下げる程ではない、と思っています

コネ悪用なのか

そもそもこのコンペは、一定以上のクオリティを信用されているデザイナーへの指名コンペです。

日本有数のデザイナーであれば、色々な人間との関係性ができるのは当然ではないでしょうか。

コネ悪用された時に問題になるものですが、今回のコンペがコネ悪用したものかどうかについては判断できないと思います

個人的には

個人的には、もう少しトレンドを押さえたデザインが好きだなぁ、と思っていますしかしそれと、ダサいかカッコイイか、良いか悪いか、善か悪かといったことは無関係です。

個人としてはそこまで好きになれなくても、表面的な華やかさを控えて理念としての重要性を選択したということは驚きでしたし、思い切った決断だと思っています

ところで、オリンピックエンブレムはどれほど重要なのでしょうか。

私はもう北京オリンピックロゴを思い出せません。

東京オリンピック世界に向けて恥ずかしくない誇れるものにするために、私たちは何を大切にしなければいけないのか選ばなくてはいけません。

インターネットのお陰でどこまでも検索することが可能になり、どんな事象でもどこまでも批判できるようになりました。

無限選択肢のある世界で、どれだけ冷静に選択できるかがこれからインターネット課題だと個人的には思っています

なんだか自己陶酔的な文章になってしまいました。気持ち悪くてすみませんありがとうございました。

2015-06-18

私は刀剣乱舞が嫌いだ

私は刀剣乱舞が嫌いだ。

家族が芝ゲーに嵌ってガンオケ語りしたり、スレに入り浸ったり、大絢爛舞踏祭ROMしてた頃から芝村嫌いだったけど、どっちかというと芝臭は薄いし、ある種のプレーヤーハートを掴む術は心得てるよねと思う。どいつもこいつも量産型八葉みたいなデザインだなとは思うけど、それもまあ別にどうでもいい。

明らかに安い釣りに来てる公式台詞気持ち悪い。審神者って言葉の使い方も、いかにも芝村らしくて気持ち悪い。サービス開始二日目位からアンチ発言したどこかの人を寄って集って炎上させて吊るし上げて叩いてたファンが気持ち悪い。自称創作厨が一気にあのジャンルに流れて行ったはいいけど、それ本当に元ネタあるのかみたいな突然のあるあるネタ気持ち悪い。TLにしょっちゅう流れてくる絡み漫画も、申し訳ないけど高確率気持ち悪い。

ブラウザゲー興味ないしモバマス艦これ他に食指が動く事も反感を覚える事もなかったから、自分でもなんでこんなに嫌いなのか理解出来ない。少なくとも自分にとっては創作的な人を悪い意味で刺激する芝村世界観が悪い方向に作用してるのかもしれない。

システムパクだの絵師トレパクだのネットから素材流用だの本体がキナ臭いことになっててある種ああ…って思った。それでも、あの界隈の雰囲気が元に戻ることはないだろうなと思う。それ自体が単純に好きな人に悪意はないの分かってるけど、全く興味ない、自重しない腐ネタガンガン飛んで来る状況にはそろそろ耐えられない。自分立ち位置だと思ってた場所が、実は全くそうじゃなかったってだけのことで、特にこれ以上悪く言いたいわけではないけど、合わないものは合わない。

2015-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20150529215943

↑を書いた者です。

予想外に心温かいコメントをいただいて恐縮です。

他者とどこかで共振できるというのは、やはりそれも美しいものであり、またたいへんに嬉しいことだなぁと実感しました。

それから、こちらは半ば予想通りではあったんだけども、意に反して、嫉妬、それも創作的才能に対する感情限定して捉えた方が多かったみたいでした。一度はてブを稼いでみたくて釣り気味に書いたんで、しょうがないんですけど。反省してます

で、たしか嫉妬的なやるせなさも想定して書いたのですが、頭に強くあったのは、それよりはむしろ、ただ自分自分であることが不思議しょうがなく、また自分以外ではありえないことが悲しいということでした。

私はあなたになることはできないし、花や鳥や音楽になることができない。比喩ではなく言葉通りの意味で。

偉大な何者かになりたいとか、現状が理想からはほど遠いとかいう話ではなく、私にはなにかが不足しているという話でもなく(不足だらけですけど)、自分自分でありそこからは抜け出せず、いま目の前にある美しいものにはなりえないということの不思議さを、他の人はどう考えているんだろうか、という疑問です。

そんなものは受け止めるしか選択肢のないことで、現実生活上、「そういうものです」で話は終わりなんですけども。

「ただのないものねだりじゃね?」っつー話なんですけども。

しかし、だからといって不思議なことに変わりはないと思うんですが、いかがでしょうか?

あ、『アマデウス』観てみますね。ありがとう

2014-07-22

自分表現できている人がうらやましい

歌や絵画といった芸術だけじゃなく、プログラミングやその他自分発信で一から何かを作る仕事をしている人がうらやましい。

から何か指示されて作ったものではなく、自分創作したい常々思っている。

社内SE的な事をしているので、業務内容を聞き効率的な作業方法を作り上げる、といえば一から作り上げている行為なのかもしれないが何か違う。

結局は目先の作業効率を上げる為にやっているだけの行為創作的行為ではないと思う。

ほぼ定時で仕事は切り上げるので、自宅で創作活動を行えばいいのだがそれは出来ない。

結局自堕落なくせに自分の器量より大きな対価を求めているだけなのかな。

それでもいつかは自分表現できる勇気がほしい。

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