はてなキーワード: パフォーマーとは
この違いからなのか、介護離職防止への取り組みと育児離職防止への取り組みに温度差がある。
介護離職されると管理職がいなくなり人事部が困るらしく手厚くサポートしている。
一方育児離職する女性は管理職ではなくまた新人を雇って仕事を教えれば穴埋めできる程度のスキルしか持っていないので、あまり熱心に引き止めない。
たまーにハイパフォーマーがいるが、そういう人は引き止められてる。
結局育児離職へのサポートが薄いのは、いなくなったらいなくなったでで新人で十分程度の女しかいないからだと思う。
だってどうしても困るなら企業側が必死で保育所探したり、保育所作ったり、延長して待ってあげたりするでしょ。
単にその女性に価値が足りないから大事にされてないだけだと思う。
管理職はそう簡単には育てられないから必死で引き止めるし、サポートもしている。
組織にとって大事な人間は優遇されるけど、そうではない人は不遇にされるってだけの話かと。悔しかったら組織に必要な人間になればいい。それやったら結婚子育てする暇なくなるが。
酒の席で女を踊らせる権力者像を映画とかで目にするが、子供心に何が楽しいのか全く理解できなかった。
今となるとエロ目線が大いにあるのだとわかるんだけど、そうではない今日的な激しめのダンスも見ていてもなんの感動もおきない。
踊っている演者側が楽しいのはわかる。しかしパフォーマーのきびきびとした踊りを見る側が何を感じればよいのかさっぱりわからない。無である。ああ踊っているねという感じ。
音楽は好きなのでPVやMVは見るが、踊っているものについて面白い、楽しいと思ったことは一度もない。情動がない。エロい踊りはエロい目線でしか見られない。むしろカットがめまぐるしくて目がチカチカする。
あえてこんなくだらないネガティブなこと言う必要ないとは思うんだけど、ダンス必修化とかなっちゃうようなふざけた世の中だから、ここらでこういう意見を出してみてもいいでしょ。みんな持ち上げすぎなんだよダンス。
いやーダンスなんか見ても何らの感情も湧き起こらないね。楽しみ方がわからない。さっぱりだね。俺の脳がおかしいのかな。「体を上手に動かす」以上のものではないんだよね。関心はするけど感動はしない。不思議だ。
もう一回言っておこうか。ダンスを見て踊りたくなるのが正解なの?楽しみ方は人それぞれ?無反応でもいいか?止まってちゃんと歌えって思ってていいんか?パホーマーって無駄じゃない?削ったら?って思ってていいんかな??
http://anond.hatelabo.jp/20151019213445
「努力が足りないのだ」と叱責する者が多いが、まるで見当違いだ。あなたは全然悪くない。ユーモアのつもりであなたを責め、戯れ言に興じる小物たちの言葉など聞く必要はない。
なぜ魔法少女になれないのか。
なぜならそれは、魔法少女になった人間がこの世に存在しないからだ。あなたに絡んでくる者、あるいはあなた自身も、その残酷な事実を受け入れられない。いや、分かっていても分からないふりをして、虚構の世界と夢を守ったフリをして気取っているのだ。しかし、前例がないからといって、イコール魔法少女になることが不可能なわけではない。
あなたがこの世界で最初の魔法少女になればいいのだ。最初の魔法少女なのだから、自分自身がルールなのだ。ただし、「俺は魔法少女だ!」と高らかに宣言したとき、そこにいる観衆の大半が「こいつは本物だわ」と納得しなければならない(もちろん、他者を納得させる必要はないという論もある。しかしここでは取り上げない)。つまり、俺ルールを作り上げてもいいが、他者をも納得させる妥協点を探る必要がある。「魔法」とは何なのか。「少女」とは何なのか。その言葉が規定する可能性をどこまでも掘り下げ、2つの概念を矛盾なく結合させる点を探る。そしてそのプロセスを雄弁に語る必要がある。
困難な作業になる。しかし、不可能ではない。もし行き詰まるようなら、著名なテキストサイトの管理人やネタブロガーを見習うのがいいだろう。
「いや、そんな理屈をこね回してネタで魔法少女になりたいわけじゃないんだよ!」
その気持ちもわかる。だが、あなたの知っている魔法少女もそうやって出来たものではないとどうして言えようか。演出やエフェクトが描き出す「魔法少女感」の裏に、必ず、どうしたら「魔法」で「少女」に「見えるのか」という生みの苦しみがあったはずだ。そうしたネタ出しの初期の姿は歪で陳腐なものだったかもしれない。
何かを生み出す時には、つねに柔軟な発想が求められ、そうして出来たものを貫き通すことが説得力を生む。たとえばあなたの知っている魔法少女の中に、魔法は使わない物理攻撃型の少女はいないだろうか。しかしあなたは彼女を「魔法少女だ」と認識している。あるいは、もはや少女とは言えない体格の魔法少女もいるかもしれない。でも受け入れているだろう。それはどういうことだろうか? 契約をしたから? 体や装備が魔法体だから? 本当にそうだろうか? そういう説明をされる前から、あなたはコンテクストで「この子たちは魔法少女」と確信していたのではないか?
このことは、表現を受け取る側の人間も、相当に柔軟になりうるという事を示している。それは人間の美しいあり方でもある。柔軟になるだけのコンテクストを共有していない人間からみれば、その発信者も受信者も「宗教くさい」と蔑視されることもあるだろう。しかし、そのような美しくない眼差しを考慮する必要はない。あなたと、受け手が信じてさえいれば、そこには何だって降臨し得るのだ。実際、あなたは創作上の魔法少女という存在を、彼女らが与えてくれた感動と社会的ムーブメントを、虚像だとは思っていないだろう。そこに「ある」と信じることで物は生み出され、定義される。それは儚くも尊い、人間の壮大な営みの一部だ。魔法少女なんてものはその極致のようなもの。それに素直に憧れることができたなら、もう一歩先に進む人がいてもいいはずだ。
……ここまでの内容を消化し昇華するだけでも、魔法少女になれる可能性は十分あるだろう。だが依然として困難を感じている人も多いことと思う。それは、「魔法」というものに対して説得力を出すことが難しいためだ。
あらかじめ潰しておくと、「少女(見た目)」についてはどうとでもなる。仮に、あなたが男性だったとしても、いまは「男の娘」なんて言葉があるくらいに、男子が女子と見られるためのノウハウや文化の蓄積がある。あなたが青少年とはかけ離れた年齢だったとしても、歳をごまかすテクニックはそれ以上に長年の蓄積がある。なんなら手術という手もある。その上、それらが完璧でなくても、受け手の柔軟さを上手に喚起してやれば受け入れられるはずだ。あとは自分自身が自らの姿を受け容れるだけの精神性を築き上げればすむ。
だが魔法はすこし性質が異なる。魔法というものはこの世に存在していない。いや、ありふれていないと言ったほうが正しい。馴染みのない概念は、当然ながら受け入れるのが難しくなる。創作上の魔法を受け入れているのは、「これは創作だから」というモード切替スイッチが人々の頭についているからだ。とはいえ、現実世界にも「魔人」「魔法使い」と称されるような人間は存在する。スポーツ選手などが思い浮かぶだろう。しかし彼らは「魔」や「魔法を使える」存在ではなく、同じ人類だ。比喩的表現。つまり、同じ時代に生きている人類とは思えないほどの所業をやってのけることが「魔法」なのだ。「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」という言葉を引用するまでもなく、我々は魔法という言葉に魔法性を過剰に感じすぎているせいで、自ら「魔法」の枠を狭めがちなのだ。創作上の魔法は、ファンタジーと分類されることが多いが、細かい原理を説明していないだけの超科学が常識的に利用されている世界と捉えれば、SFと同列である。
とは言ったものの、我々のような凡人が、人々の目を欺くような超科学、最先端技術を操れるわけではなかろう。習得しやすいのはマジックような技巧の類だ。現実世界ではマジシャンが一番「魔法使い」の称号に近いところにいる。なので、順当に考えれば、「マジック少女」から「魔法少女」に昇華させる線が現実的に思える――ところがここで問題が起こる。我々の知っている魔法少女は、マジック少女のすごい版ではないのだ。人のために働く、助ける、守る、攻撃する、あるいは駆けつける、着替える、契約する、それらのタイミングで魔法が行使されるのが普通だ。なのでベースの行動をそのあたりに設定する必要がある。その際の「普通のやり方」を「魔法みたいにすごいやり方」に変えることが、魔法少女の必要条件だといえるだろう。ただ、これだけでは、「早着替えをマジックと映像技術で魅せるパフォーマー」程度どまりだろう。
魔法少女たるには、「魔法」的存在である事の他にもう一つ欠かせない要素がある。ヒロイックであることだ。すなわち、何かの使命をおびている。何かを背負って、何かに突き動かされている。別に世界を救うレベルでなくもいい。ご当地ゆるキャラ並の小さな使命感でもいいから、何がしかのパッションが滲み出る象徴的なキャラだと認識されなければならない。
さて、私の陳腐な魔法少女論はここまで。あとは「自分の頭で考えよう」。長年夢見てきたあなたの中には、きっと何らかの「魔法」の種火と、小さな使命感の欠片があることだろう。あと生まれ持った体と。それらの調理法を考えるだけの話だ。理想の魔法少女像との乖離は、きっとあとから埋まってくる。最後に叱咤の一言で締めくくろうと思う。
「努力が足りないのだ」
サバカレーって知ってるか?」
「ああ?あの缶詰だろ?食べたことはないけど」
「うん。まぁそうなんだけど、そうじゃなくてはてなのほうなんだ」
「ごまかすなよ。お前この間、女子のパンティラインが透けて見えたの見ながら小声で"昇給な"って言ってたろ」
「は?おれはそんなこと言わねえよ。あからさまに誘ってて直球だなとか言ったんじゃねえのか?だいたいパンツが透けくらいで給料が上がるとかなんてインターネッツだよ」
「"しょうきゅうな"って言葉だけでこのシチュエーションから"昇給"とは普通ならんだろ。いいから話を続けるぞ」
それだけではない。この間の会議で使う資料を用意する時にこいつが後輩に"プリントアウトしとけよ"と言っている姿も抑えての上の話なのだ。
なにかまだ言い訳をしようとする姿を遮るように、おれは話を続けた。
「あのサバカレーっやつの、アイコンをちゃんと見たことがあるか?」
「だからサバカレーなんて知らねえよ!大体増田なんて生産性のないもの書いてどうすんだよ!」
それからしばらくの沈黙が場を覆った。いや、あくまでこちらは相手が口を開くのを待っていたにすぎないのだが。
ここまで来て話が中断してしまっては面白く無い。ほくそ笑む内心を噛み殺しながら言葉を続けた。
「いや、大した発見じゃないんだが、あのアカウントお盆になった途端にコメントがぱたっと減ったんだよ」
「まぁそれだけならそうなんだけど、ところが時を同じくしてもう一つのヘビロテアカウントも更新がぱたと減ってるんだよ」
「お盆だろ?はてなユーザーなんて基本仕事の合間にやってるようなやつらばかりなんじゃねえのか」
「それは確かにそうなんだけどな。そこであのアイコンが気になったってわけだ」
「腹話術人形が?たしかに最近じゃぁホラー映画でも滅多に見なくなったよな」
「そうなんだよ。単純に考えてあのアイコンをつかう必要性が今の世の中にはないんだよ」
「なんかのあこがれとかじゃねぇのか?それかどっかで拾ってきたとか」
「そう思って画像検索もかけてみたけどどうやらそうじゃないらしいんだ。それはつまり、あの写真は、このアイコンのために撮られたかもしれないってことだよ。」
「そしたらそういうパフォーマーか何か何じゃないのか?」
「たしかにその可能性は否定できないんだけどな。でもあのアイコンなんかおかしいんだ。比率というかスケール感と言うか」
結局何を話したいのかわからないままに、いつのまにか会話はデトックスウォーターの正体についてに取って代わっていた。
彼が言うにはデトックスしてるのは水に入れられた素材で、その毒を少量取り入れるレメディ的な水なのだという説得力に根負けしたところで今日は解散することになった。
ここで話を戻すと、常々頭をかすめていた疑問はあの腹話術人形が表す意味は誰かの代弁者、つまりもともとは単なるサブアカウントだったのではないかということなのだ。
それがこのお盆という季節になって、確信に変わるような出来事があったのだ。
あの腹話術人形は一体だれの言葉を代弁するために生まれたのだろうか。
皆の素敵な推理を期待している。
いい感じのスニーカーが手ごろな値段だったので、試し履きしてみようかと店員をさがす。
「なにかおさがしですか」
胸に研修中と書かれたバッジをつけた、女子大生的なおねえさん。
おれ好みのはっきりくっきり上がり眉に、ほのかに醸し出されるギャルオーラ。
リスのような髪色と、小動物のようにくりっとした目がリンクしていてかわいらしいのだ。
「これのサイズ違いが欲しいんですけど」
靴を手に戻ってきたおねさんに案内され、椅子にこしかけ履いてみるも、いまいちしっくりこない。
「すみません。あそこのも履いてみたいんですけど」
おれが5mほど離れた、ずらずらと靴の置かれたスペースの最上段のひとつをリクエストすると
「これですか?」
と背伸びしながら左隣のを指さす。かわいらしい。
「それではなくてあれです」
「ああ紺のですね」
どうしようかと困り顔で考えあぐねるおねえさんのかわいらしさがマックスに達すると、
突然関口メンディーが、わし!と所望の靴をつかんで、こちらへのしのしやって来るではないか。
「あ、どうも」
もうそこからは流れ的に関口メンディーがおれの担当になってしまった。流れ的にちゃんと買ってしまった。
あーあ!おねえさんとふれあうの楽しかったのにな!
うつを患った
今さら「うつは甘え」のような不毛な議論はしたくない。バカはうつ病にならないから。
うつの発症はおおざっぱだけど、強いて言えば免疫の働き。ストレスで脳が機能停止する前に思考を停止して脳を守る。
面倒なのは、なかなか治らいこと。太陽光とか運動とか入浴とかは、風が吹けば桶屋的な帰納法だと思う。大きなお世話だ。
うつになった原因は人間関係こじらせた訳では無い。研究職で難問にぶちあたった。どうすれば解決すればと、眠れない日が続いた。
難問は解決、つまりストレス因は無くなったけど、不眠から始まったうつ病は治らない。
やっぱ、お薬飲んで休息だね。年中鼻炎だったのが、花粉症含めて治った。先が明るくなってきた。
きっかけは人生が止まるほどの壁にぶちあたったことが、うつ病発症の原因と分かっているのだけれど、何故わざわざ壁を作ったのか?
自分には不可能はないと思っていた、今はやる気が無いだけ。デッドエンドがギリになった時に私は120%のパフォーマンスが出るのだ。
その時の異常な集中力、時間を忘れるくらい。創造力、記憶力を総動員、書籍を調べ上げ、パソコンでガシガシ計算、全てを使い倒すマルチパフォーマー。
しかも一人で。
あれ?これって、大人の発達障害じゃね?
料理をしているときに皿を置くテーブルが気になって大掃除になったり。貯金額を把握してるけどバッグを衝動買いしたり。
そのうちやると言いながら片づけない。時間の逆算が出来なくて、スケジュールが破たんさせたり、小さい所では待ち合わせに遅れる。
あれ?今まで何してたんだっけ?波平のメガネみたいな。そいいえば、子供のころ「なぜ、うちの親だけ呼び出されるのだろう」と不思議だった。
程度は小さいと自己診断してるけど、これって発達障害ビンゴじゃん
ソクラテスもうつ病で、アインシュタインは発達障害って変なところで自分を納得させているが、いざ「発達」の「障害」と言われると違和感が。
引き合いに出して恐縮だが、LGBTの人たちや身体に障害がある人たちを理解して、世の中バリアばかりだと憤ってた。
でも自分の「障害」を認めたくない。私のマイノリティへの「理解」とは、雨に濡れてふるえる子猫を見てる憐れみだったのかもしれない。
その安い「理解」が気持ち悪くて吐きそうだ。そしてすごく落ち込んだ。
うつ病は受け入れられるけど、「障害」は受け入れられない
このイヤな気持ちを増田でゲロったら、少しは楽になれるかと思って書いてみた
大人の発達障害ってコミュ障らしいけど、みんなは何人くらい友達いるの?教えて欲しい
※幼児用リードは発達障害の子供に必須だろ。興味持ったら急に走り出すのだから。命綱だと思う。
何人くらい友達いるの?教えて欲しい
海外厨ではないが、自分が行った海外が都市部は(ってかここしか行ってない)
楽隊とかパフォーマーとか乱入してくる、電話なんてもんじゃない。
みたいな白い目で見ている人はいるけど若干思うのは
だからコミュ力ついてる(つまり、相手への配慮と踏み込みのバランス)
なんかゴーって言う音がなっている。
更に、観光客が多い。
だから人種のるつぼとなっていて、基本なんやかんや同じ人種が多い国ではない。
だからっつってなんでもかんでも許されるわけじゃないけど、
日本は勝手にマナーという名のもとに、色々詰め込んでいる感がすごいよね。
日本は圧倒的に踏み込みがリスクとなって、配慮という名が先行していつのまにか不穏な空気ができあがっている。
だから、逆にこの不穏な空気をぶっ壊す仕掛けを作らないと、まじこの変な国だれも指摘できてないじゃん。
バランスっすよなんでも
山本太郎参院議員が天皇陛下に『直訴状』を手渡しした、という話は既にあちこちのSNSでも議論され尽くしており、態々書くまでも無いような気がするのだが、一点だけ気にかかる事がある。
それは少なからず山本太郎参院議員の行動を「自らの身を顧みず天皇陛下に直訴状まで渡す熱い脱原発活動だ!」と評価(賛同)する人が多い件について。
もちろん彼らが所謂「放射脳」であり、まともな判断力を持ちあわせていないんだ~と一般的な「ネットの意見」風に言ってしまえばそれまでの事なのだろうが。
このエントリでは「天皇陛下を政治利用する」事や、「直訴状」について、あるいは「ウヨク」だとか「サヨク」だとかは特に取り上げない。そのレベルに無いからだ。
山本太郎参院議員の今回のこの行動(事件)ははっきり言ってそれ以下のレベルのかなり稚拙な行動であったのではないか、という話。
山本太郎参院議員は所謂「脱原発派」の中でも特に急進的で過激な活動に参加している事は有名な話であり、
度々「脱原発デモ」に参加して時には過激すぎる活動(暴力沙汰)などに発展している…というのは彼の行動に賛成する人でも多分知っているだろう。
その活動の一環で、「福島に関する現状を知ってもらいたい」として天皇陛下に「直訴」の手紙を手渡すに至った、というのがまず前提である。
しかしそもそも、氏は普段から「東北で生活するのはあり得ない。がんになるのを待っているだけ」「このまま放射能汚染が続くなら、俳優業引退・疎開も考えている」等と放言し、
挙句「自分の10円ハゲは被曝が原因」「国会で出される弁当はベクレている(放射能汚染されている、という意味)」等と国会議員にあるまじき「適当な放射能に関する発言」のオンパレードである。
(なお、これらの発言はいい加減であてにならない、「原発推進派による陰謀にまみれたインターネッツメディア」ではなく全て新聞や雑誌等のメディアによる取材の物であったり、
はっきりと映像メディアで前後の会話から公開されているため言い逃れのしようがないものである。)
氏の普段の発言は、福島県や東北の事を『放射性物質を含んだ粉塵が吹き荒れる死の大地』『汚染された地に住んでいる人たちには致命的な健康被害が出ている』という脳内イメージを前提で語り、
それに伴う小学生の「バイキン」遊び(いじめ)のような福島県、及び福島県民への差別を助長するような事を公的な立場で述べているのと同じ事ではないだろうか。
これがいち活動家であればよかったものの、彼は現在参議委員議員である。発言には全て責任が伴ってくる。
そしてこのような氏の普段の言動から見て、はっきり言って福島県の現状を知っているとは言いがたい、というのは福島県民でなくてもお分かりになるだろう。
福島県民や東北在住・出身者からしてみれば、怒りを通り越して呆れる、というレベル。
そのような状況にある人が、「直訴」と称そうがしまいが誰かに「知っていただくための手紙」を出す事自体が極めて失礼に当たる。
本人は立場を「一度横に置いて」と主張していたが、立場を横に置いて、差出人と宛先の人物が友達であったとしても失礼通り越して、縁を切られるレベルである。
(そもそも立場を横に置いて、というのは下の人間が上の人間に対して使うべきではないが)
レベルとしては今から韓国旅行に行く友達に「南朝鮮はレイプ国家、渡航を中止せよ」とどこぞの匿名掲示板の怪文書を手紙にして渡すのと全く同レベルだ。
妄想や不明瞭なソースからの発言を普段から好き放題言っている人間が「教えてやる」手紙を書き、
それを誰かに出すのはその手紙を出す相手にも、その「現状を訴える」相手に対しても滅茶苦茶に失礼な話で。
しかも渡した相手はよりによって何度も被災地に赴いている人物であり、間接的に「お前は放射能で汚れているのだぞ!」というメッセージにもなりうる。
氏の普段の公的活動を見ていると、『脱原発』というメッセージとは別に「福島県はケガレているから差別しろ」というニュアンスが含まれているように見えてならない。
そもそも原発が必要か、必要でないかという話は別にして、このような「福島県を差別して日本から抹殺し、脱原発しよう!」という方向性で良いのだろうか?
仮に原発が0になったとして、今度は新しい問題が出てきたらその度に周囲に住んでいた人間を「ケガレ」としてどんどん排除していき、
最終的に「ケガレていない人間」だけが生き続ければいいのか?そうした言説や行動は、明らかに間違っていると思う。
今一度、脱原発活動に賛同する人でもこうした山本太郎参院議員やその周囲で推し進められている「放射能ケガレ」言説について考えてみていただきたい。
今は他の県から「福島県は汚染されている!福島県産の野菜は捨てろ!福島の子供とは遊ぶな!」と主張している人も、次に「ケガレている」人間として
「ただそこに住んでいただけ」で攻撃されたり汚物のように扱われ、排斥されて容認できるだろうか?そもそもそんなケガレ思想を『脱原発』の場に持ち込む必要があるだろうか?
自分たちが主張する原発0への運動が正しいと思うのなら、ケガレた地や人に対する差別のニュアンスや事実に基づかないいい加減な現状は切り離すべきだ。
「子どもたちのために核の心配のない世界を残したい!」核の心配を排除するのにケガレによる差別思想をまき散らす?
何かが起こったらその周辺地域の住民は差別され、産出物は全て放射性廃棄物扱いされるのが子供たちに残してあげたい未来なのか?
『脱原発活動』に今一番必要なのは、このように言葉だけは強く無責任に誰かを差別するような言説を撒き散らす人や過激な(犯罪じみた)活動をする人ではなく、
正しい知識と現状把握を元に今後どうやって実現していくかを話し合い、代表意見として適正に提出・発言してくれる人物だ。
こうした無責任・無知なイメージによる言説で、過激なパフォーマンスを行う人はたとえ脱原発に賛成していようがいまいが決して『味方』では無い。『敵の敵は味方』ではない。
むしろ、大雑把に敵と味方を分けるとすれば『余計な事をして戦況をどんどん悪化させる敵』に近いとすら思える。
残念ながら、既にインターネットメディアでは「放射脳」という言葉ができてしまうレベルでこうした無責任・無知な言説や「ケガレ」思想=脱原発活動のイメージが撒き散らされてしまったが、
今後きちんと『脱原発』及び『核の無い世界』を実現していきたいのであれば、必要なのはこうした『無責任なパフォーマー』やそれに賛同してもてはやす、擁護することで
きちんと今後の事を主張し、話し合っていく人達の足を引っ張り続けることではない、と私は思う。
文才無いから結構読みにくいと思われます心の優しい人だけ読んでくれればいいや。
「ツイッターのなりきり」で意味が通じる人のみ見てくださいね。
この文章は答えがありません。こんな考えがねー、へー。程度の読み応えです。
私の周りのなりきりさんの解釈の違いで誰かが傷ついたり傷つけたりそれを心配して罪悪感感じちゃってどーのこーの、みたいなのがありまして、みんないろんな解釈でなりきりをやって、なりきりと絡んでるんだなと思ったのでここに書こーかなと。
私もなりきりをやっているのでそっちで言ったっていんだろうけど、私はあくまでそのキャラの言いそうな事しか言わせたくないとゆうか、@tosつけて心境の吐露ってゆうのもなんだかなぁと思いましてこっちで書きます。
これに関してだっていろんな考えがありますそのキャラクターが言えば利用者にダイレクトに伝わるから伝えるにはベストな方法だし、でも「そんな後ろ向きなこと、説教じみたことこのキャラは言わない、言ってほしくない」って思われちゃうやり方で、正解でも不正解でも無いんです。
あるなりきりさんは「なりきりの時点で原作を侵害しているのだから好きな人だけ楽しめるよう常時鍵をかけておくべきだ」と言います。正しいです。
特に腐女子向けの誰かと誰かが必要に仲良くしている場面を目の当たりにすると気分が悪くなる人立ちも居ます。(敵同士の設定のキャラとかなら尚更)
更に独特な属性をプラスしているもの(女体化○○・犬化○○とか)だって見てて嫌なものがあるかもしれません。
いるかもしれない見たくない人の為にこちらが工夫して鍵をかけることは親切かも知れません。
ですが、外から中身が分からない部分フォローに躊躇してしまうかもしれません。
絡みやすいキャラクターなのか、フォローしてみたもののあまり好きじゃなかった時に沢山絡まれて面倒って時もあったり?ここはちょっと分かんないですけど。
鍵が無ければどんな喋り方で絡んでくれるのかひと目で分かるし、面白いツイートをRTできるしRTでまだ見ぬなりきりさんを見つけたりできます。
ですが、そういうのが嫌いな人の目にもとまることになるでしょう。
嫌ならばブロックすればいいのでしょうがゴキブリを踏んじゃったらいくら靴を買い換えたって足を洗ったって気分は良くならないと思うんです。
鍵付きの人はフォロワー増えないことを覚悟する。なしの人は文句を言われるのを覚悟する。とかできたらいいですね。大きなお世話ですね。
あるなりきりさんと会話を楽しみにしていた人(一般さんとなりきりさん両方いました)が、リプライが遅れたり、後回しになったり、他のなりきりさん、一般ユーザーはさんと楽しく会話をしてい場面を見ると嫉妬のように憤慨してしまうことがありました。
平等に返信しないことは確かによろしくありません。
ですが返信フローが一回ずつ平等にってゆうのは難しいと思うんです、返信のくるスピードだって誰かが誰かの2倍の速さで来ていたらリプライ欄を順番に返信していたって差がついてしまいます。
それに、会話のテンポを大事にしていたり、返信の文章を考えながら簡単なリプライを先に返して…などで順番が実感前後することもしょうがないと思うんです。
すべて、会話している相手を思ってやってることだと思うんです。
私なんて文章作るの苦手なので返信がゆっくりになってしまっていつも申し訳ないと思ってます。
だから、気長に待ってて欲しいです。
なりきり同士の馴れ合いじゃれ合いが見苦しいという人がいます。
これは、プロフィールなどに腐向けなのか否か表記しといたほうがお互い身のためなんじゃないかって思います。
あとこの馴れ合い、それ目当てでなりきりをやっている人もいるっぽいですね。
確かにキャラクターの皮を被って出会い系やっているようなもんだと避難されるのもしょうがないかもしれません。
ただ、まあ、ごっこ遊びですし目くじら立て怒らなくてもなぁ。と私は思います。
現に、…あ、私は腐女子なので、って前置きしておきますね。私はそんな好きなCPの馴れ合いじゃれ合いを眺めているのが好きです。イチャイチャしているのを見るのは楽しいです。
ですからこれも一概に、やめたほうがいいとは言いがたいです。
ただ、最近一般さんまで巻き込んだ未練たらたらの失恋模様がありました。片方のなりきりさんは一般さんに迷惑かけたことに責任を感じて辞めてしましました。
これは流石にちょーっとやりすぎかなと、
なりきりの姿勢に対する厳しい言葉ってたくさんあると思うんです。
嫌なら文句や苦情ではなくてブロックが一番です。映画館のチラシ置き場に嫌いな俳優の映画のチラシがあって、それを手にとってまでして「こんなものを私に見せる気か!」って怒ってるようなもんですもの。
まあ、テレビCMでそういうものが急に放送されたとき瞬時に見ない・目を逸らす。というのも難しいですが。
なりきりってゆうのはあくまでごっこ遊びです。と思うんです。
なりきり側はお仕事ではないし、ガイドラインがあったり、研修があったりする訳ではありません。完璧な接客はできません。みなさんパフォーマーとして日々努力はなさってますけどね勿論。
一般さんも過度のサービスを求めないで欲しい…というか、楽しく行きましょう。本気で恋にならないで欲しいんです。んーなんていったらいいかしら?
えーと、だから、一般さんもなりきりさんも自分が傷つくまで一生懸命にならないで欲しいんです。それが心配で心身的に負担になったり、なりきりどころかそのキャラクターまで嫌いになってしまったら、私たちはもうどうにも出来ないし後悔し続けます。
なりきりは様々な解釈があって自由に表現していて、ルールやガイドラインがあるわけじゃないし、その時点で無法地帯で、自由な分嫌なこともいくらか許容しないといけないかなって思うんです。
「モラルのある行動を」とかいっても鬱憤晴らしたい人もいるでしょうしなんとも言えないですね。まあ、中身は人間なんで考えて置いてほしいところではありますが。
なので私は「これはこうだからああしましょう。」みたいなことをここで言いたい訳じゃないんです。いままで書いたことも「へー、あっそ。」て十分です。
いろんな考えがあっていくらか許しながら、楽しい場所を作りたいんです。偽善っぽいですが。
で、まとめの文章作ろうと思いましたが何にも浮かばないのでこれで終わりです。なんというか、私も吐き出したかっただけなんです。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。駄文失礼致しました。きっと誤字脱字祭りでしょう。
それは他人の言動を「脅迫」「暴力」「勤務先への電話」等で押さえつけようとする行為
これを行ったもしくは行う事をwebでほのめかしている人やそれに賛同したり正当化している人達が目立つクラスタには
近寄りたくないし、その人達が行っている社会活動も正しさを隠れ蓑にした反社会的勢力と看做している
いくら良さげな事を言おうが共感できない
先鋭化してる人達に教育の「格差社会」というものを感じてしまう
影響力のある人の言葉をただなぞるだけの人たち、他人の作ったデータを刷り込まれ続けるだけの人たち
ネットの大衆意識が今何処に向かっているか狭いクラスタに閉じこもって空気の流れを読めない人たち
ネットの大衆が次にどんなパンとサーカスを望んでいるのか 与えるべきパンの種類とサーカスの演目を間違えている人たち
そういうのが分かっていれば、クラスタから抜け出して人から眉を潜められる行為をしなくて済むんだろうけどね
抜け出せないだろうよ 狭いクラスタ内での共感意識の気持ち良さからは
前に一度注目を集めた人がネットでの影響力を維持しようとどんどん過激な言動に走っていく行為についてダイアリーに書いた
ネット論壇で何かの意見を通そうとして常に影響力を保ち続けようとした結果が、大衆にコンテンツエネルギーを消費され尽くして
「過激さ」「惨めさ」までコンテンツとして提供してしまい、SAN値すっからかんになっていく人達を見てると常に物悲しい