「かんち」を含む日記 RSS

はてなキーワード: かんちとは

2021-03-22

The Japanese often stick their fingers into my asshole with the word "Kancho".

日本人はしばしば「かんちょう」という言葉とともに私の尻穴に指を突き立てます

2021-03-08

数学無慈悲なまでに積み重ねの教科

他の教科だとなかなかこうはならない。

小学校1年生の漢字を覚えていなければ小学校2年生の漢字を覚えられないということにはならない。

奈良時代学習完璧理解していないと平安時代学習がうまくいかないということもない。

同じ理系科目である理科物理化学生物地学)も、たとえば小学校学習ができなくても中学校で、中学校学習ができなくても高校で、得意になれるくらいには、カリキュラム独立している。

しか算数数学はそうではない。

小学校1年生の学習理解しないまま、小学校2年生の学習に進むことはできない。

学習したつもりでも、実は理解しきれていない箇所があれば、必ず後に響く。

もちろん他の教科も初めから順番に学んだ方が当然わかりやすいし、それに越したことはない。

ただ数学のそれとは取り返しのつかなさが違う。

誰かがスキルリーに喩えていたのがわかりやすかった。

数学は前のスキル解放しなければ次がとれないスキルリー

一方、他の教科は、推奨レベルお勧め解放順、必要ポイントの差はあるけれども、基本的にはどこからでも取っていけるスキル表だ。

この数学の積み重ね性を表す顕著な例として、たとえば、高校3年(2年かも?)で習う微分導関数)の定義を考えてみる。

f'という記号が導入されて、limなんちゃらかんちゃらで、f'(x)は定義される。

そうしたら教師が、例えばf(x)に具体的な関数x^3を当てはめると、ここがこうなって、3x^2になるんですと。

この「具体的な関数」って言葉面白いよなあとつくづく思ってしまう。

この説明の中ではx^3は「具体的」なのだ

中学の頃には、関数理解するため、xに「具体的な数」たとえば10を入れて考えてみましょうとか言っていたはずなのに。

具体的ってなんだ?

コトバンクで調べると、「はっきりとした実体を備えているさま。個々の事物に即しているさま。」だという。

小学校で初めに数を習う時、我々は指を折ったり、タイルを数えたり、林檎想像したりした。

そうだ、それこそが真に具体物だ。

自体が、それを抽象化した存在にすぎない。

したがって我々は、導関数定義を「具体的に」理解しようとする際、まずf(x)に具体的な関数x^3を当てはめ、そのx^3を理解するためにxに具体的な数10を当てはめ、さらにその10理解するために林檎10個を思い浮かべ……

とはならない。

関数のことを理解する時、我々は数のことはもう既に具体的だと思って接している。

同じように、導関数理解に臨もうという段階では、個々の関数のことはもう具体的だと思えるようになっている。

そう思えるようになるほど、個々の数や関数に対する様々な操作を、手癖レベル熟達し、理解している。

理解して慣れ親しむことで、抽象物は具体物に変わるのだ。

そうして、その新たに手に入れた具体物を土台にして次の抽象が受け入れられるようになる。

これが数学は積み重ねと言われる話の核であり、一度理解をとばせばたちまち着いていけなくなる要因である

2021-02-25

anond:20210225101639

ダブスタガイジの発言責任第三者に求めるの頭おかしすぎるんだが、自覚あるか?w

責任求めてないなら、全然関係ない話を始めるガイジそのものなんだが自覚あるか?w

「でもKKOがなんちゃらかんちゃらなんですよね」とか言ってるガイジと同質の存在だって自覚しろよな

2020-10-22

悟りがなんちゃらかんちゃら

 僕の好きな仏教系の挿話に「火事燃えてる家と赤児の話」というのがあって

 どんな話かというと、とある家が火事になっているとする――。その燃えている家の、崩れた瓦礫の隙間に赤ん坊が取り残されているとする。赤ん坊はどうやら周囲の状況にあまり気付いていないらしく、指を咥えてぼんやりとした面持ちのままその場に座り込んでいる――。まだ火の手はそれほど近くにまでは来ていないから、何らかの手段を講じれば赤児の命を助けられるかもしれない、みたいな話。

 でも、瓦礫でできたスペースは小さくて、その奥まった場所に取り残されている赤児の元へは、大人の体では大きすぎて辿り着くことができない。また、その瓦礫を除けようも、ちょっとしたバランスの変化で瓦礫は崩れ落ちそうに見えるくらい、その均衡は危うい。つまり、その時赤ん坊を助け出す手段としては、赤ん坊自らの力によって瓦礫の外へと這い出してもらうより他に方法がない、という状況である

 さて、この時赤児にアプローチするには幾つか方法があって、この挿話によればその方法は主に二つである。一方に関しては、これは失敗が決定付けられた最も愚鈍手段であるんだけど――次のようなものだ。

火事なんだ! すぐ傍にまで火の手がやって来ている。だからくそ場所から逃げ出すんだ。さもないととんでもないことになるぞ!」

 と赤児に向かって叫ぶというものである

 当然この方法は赤児の命を救うことができない。それは無論のことで、赤児はまだ大人の冷静な言葉を解するには年齢や知能の発達が不十分で、その言葉を正しく理解することなど到底できないから、正しい指示を送ったところで何の役にも立たないということなのだ。

 また、そこにはもう一つ細かい問題というのもあって、この挿話ではそれについて次のように述べている。大人必死な目をして、必死な声で赤児に対して叫ぶのを見て、むしろ赤児は言うことを聞くどころか怯えて、泣き出して人事不省に陥ってしまうなり、あるいは、間違った方向へと這いずって逃げ出してしまうなり、むしろ事態悪化する行動を取る結果にしかならないだろう――とこの挿話の語り手は述べるのである

 さて、そのような具合に、「正しい情報を与え、正しい指示を行う」といった方法はこの場合何の役にも立たないことが示された。それどころか、より事態悪化させることにしかならない、という結論が述べられた。勿論これはあくま仏教的な挿話の範疇示唆されていることではあるんだけれども。いずれにせよこちらは失敗にしか傾斜しない、二者のうち一方の愚鈍極まる手段ということであった。

 では、もう一方の手段とは何か。


 それは、「何か音の出るおもちゃを持って、笑顔で赤児に呼びかける」である

 上手くいけば、赤児はそのおもちゃに興味を示して、出口の方へと這いずって自ら正しい方向へ歩むことができるかもしれない。少なくとも、何ら言語を解さない赤児に向かって、「逃げろ」だの「火事が迫っている」だの叫ぶよりはずっと結果はマシになる筈であろう、とのことであった。因みにこの方法を用いる理由として一つ、さら重要な前提があって、つまりそれは赤ん坊はよくも悪くも自分自身がおかれている状況に無自覚であるということである。そのため、赤ん坊火事危険を知らず、余計な恐怖や危機感によって泣き叫んだり人事不省に陥ったりする心配は今のところ無い――つまりは割と平然としているということが、この第二の手段を更に正当化する理由となるのであった。

 時間制限は確かに存在する。火の手が回る前に、迅速な判断必要な場面ではある。とは言え、自らの膂力によって瓦礫を除けたり、あるいは赤児の取り残された小さな隙間に入り込むといった手段を使えるわけでもなし、正しい指示を送ることは怯えさせるだけで役に立たない――そんな時に用いるべきなのは、本当は「おもちゃ音色と、同時に浮かべられる朗らかな笑顔なのだというのが、この挿話の結論であった。


 賢明な読者の皆様はお気付きであると思うが、この「火の手が迫り今にも崩れそうな家」と、「状況を理解していないし、また言語を解すこともできない、取り残された赤ん坊」は、現世と衆生にそれぞれ対応した比喩となっている。もっと言えば、それは我々の世界と我々自身についての比喩なのだ

(あるいはこれは、悟り涅槃(救い)というものと、それを理解できない衆生の対比になっているとも言える。)

 いや、こんなこと言ったら気分を害する人もいるかもしれないんですけどね、まあ仏教というか宗教全般は大体そういう通底した考えとか世界観があるのはしゃーない。正しい言葉で語りかけても、衆生危険認識するどころか怯えて遠ざかり、尚の事炎の害に遭う可能性が高まるので、何らかの便宜的な他の手段(この場合おもちゃ笑顔)を講じるべき、というのが、仏教側のスタンスだということでした。まあいずれにせよ昔の人は面白い喩え思いつくなー、とかそういう話なんですねはい

2020-10-19

社会情勢的に着れない服の件。

ここ数日、社会情勢的に着れない緑色と黒の市松模様っぽい服を晒すのがツイッター流行っているが、それを見たある人が、別に鬼滅とか好きな訳でもなく「私もピンクの麻葉模様のなんちゃらかんちゃら(着物の種類)持ってて~」って格の違ういっちょ噛みをしていて、その煽りスキルに腹が立つのを越えて感心してしまった今朝だった。

2020-10-17

悟りがなんちゃらかんちゃら

 僕の好きな仏教系の挿話に「火事燃えてる家と赤児の話」というのがあって

 どんな話かというと、とある家が火事になっているとする――。その燃えている家の、崩れた瓦礫の隙間に赤ん坊が取り残されているとする。赤ん坊はどうやら周囲の状況にあまり気付いていないらしく、指を咥えてぼんやりとした面持ちのままその場に座り込んでいる――。まだ火の手はそれほど近くにまでは来ていないから、何らかの手段を講じれば赤児の命を助けられるかもしれない、みたいな話。

 でも、瓦礫でできたスペースは小さくて、その奥まった場所に取り残されている赤児の元へは、大人の体では大きすぎて辿り着くことができない。また、その瓦礫を除けようも、ちょっとしたバランスの変化で瓦礫は崩れ落ちそうに見えるくらい、その均衡は危うい。つまり、その時赤ん坊を助け出す手段としては、赤ん坊自らの力によって瓦礫の外へと這い出してもらうより他に方法がない、という状況である

 さて、この時赤児にアプローチするには幾つか方法があって、この挿話によればその方法は主に二つである。一方に関しては、これは失敗が決定付けられた最も愚鈍手段であるんだけど――次のようなものだ。

火事なんだ! すぐ傍にまで火の手がやって来ている。だからくそ場所から逃げ出すんだ。さもないととんでもないことになるぞ!」

 と赤児に向かって叫ぶというものである

 当然この方法は赤児の命を救うことができない。それは無論のことで、赤児はまだ大人の冷静な言葉を解するには年齢や知能の発達が不十分で、その言葉を正しく理解することなど到底できないから、正しい指示を送ったところで何の役にも立たないということなのだ。

 また、そこにはもう一つ細かい問題というのもあって、この挿話ではそれについて次のように述べている。大人必死な目をして、必死な声で赤児に対して叫ぶのを見て、むしろ赤児は言うことを聞くどころか怯えて、泣き出して人事不省に陥ってしまうなり、あるいは、間違った方向へと這いずって逃げ出してしまうなり、むしろ事態悪化する行動を取る結果にしかならないだろう――とこの挿話の語り手は述べるのである

 さて、そのような具合に、「正しい情報を与え、正しい指示を行う」といった方法はこの場合何の役にも立たないことが示された。それどころか、より事態悪化させることにしかならない、という結論が述べられた。勿論これはあくま仏教的な挿話の範疇示唆されていることではあるんだけれども。いずれにせよこちらは失敗にしか傾斜しない、二者のうち一方の愚鈍極まる手段ということであった。

 では、もう一方の手段とは何か。


 それは、「何か音の出るおもちゃを持って、笑顔で赤児に呼びかける」である

 上手くいけば、赤児はそのおもちゃに興味を示して、出口の方へと這いずって自ら正しい方向へ歩むことができるかもしれない。少なくとも、何ら言語を解さない赤児に向かって、「逃げろ」だの「火事が迫っている」だの叫ぶよりはずっと結果はマシになる筈であろう、とのことであった。因みにこの方法を用いる理由として一つ、さら重要な前提があって、つまりそれは赤ん坊はよくも悪くも自分自身がおかれている状況に無自覚であるということである。そのため、赤ん坊火事危険を知らず、余計な恐怖や危機感によって泣き叫んだり人事不省に陥ったりする心配は今のところ無い――つまりは割と平然としているということが、この第二の手段を更に正当化する理由となるのであった。

 時間制限は確かに存在する。火の手が回る前に、迅速な判断必要な場面ではある。とは言え、自らの膂力によって瓦礫を除けたり、あるいは赤児の取り残された小さな隙間に入り込むといった手段を使えるわけでもなし、正しい指示を送ることは怯えさせるだけで役に立たない――そんな時に用いるべきなのは、本当は「おもちゃ音色と、同時に浮かべられる朗らかな笑顔なのだというのが、この挿話の結論であった。


 賢明な読者の皆様はお気付きであると思うが、この「火の手が迫り今にも崩れそうな家」と、「状況を理解していないし、また言語を解すこともできない、取り残された赤ん坊」は、現世と衆生にそれぞれ対応した比喩となっている。もっと言えば、それは我々の世界と我々自身についての比喩なのだ

 いや、こんなこと言ったら気分を害する人もいるかもしれないんですけどね、まあ仏教というか宗教全般は大体そういう通底した考えとか世界観があるのはしゃーない。正しい言葉で語りかけても、衆生危険認識するどころか怯えて遠ざかり、尚の事炎の害に遭う可能性が高まるので、何らかの便宜的な他の手段(この場合おもちゃ笑顔)を講じるべき、というのが、仏教側のスタンスだということでした。まあいずれにせよ昔の人は面白い喩え思いつくなー、とかそういう話なんですねはい

2020-10-16

モテたい」と思うのは下品なんだろうか?

ネット非モテの話になると「異性にモテたい」という感情は恥ずかしいこと、下品なこと、みっともないことのような説教ばかりが飛んでくる。

「本当に大切な人がいればモテ必要はない」

モテたいというのは承認欲求がなんちゃらかんちゃら」

モテたいと考えるのは人生において時間のムダ」

などなど。

みんな「モテ」と「性」がつながってるからこういう意見になるのかな。

単純に「モテたい」と思うことは恥ずかしいことなんだろうか?

2020-10-08

昔の日本人たまごかけご飯食べてたの?

サルモネラ菌管理がうんちゃらかんちゃらで生卵が食べられる国は少ないーみたいな話があるってことは、菌の管理なんかしてないであろう昔は食べてなかった?

実はたまごかけご飯って割と最近文化だったりするの?

2020-08-31

お願いだよ、このやり方で飲んでよ缶ビール

無精ものは缶ビールは缶から飲むだろう?

そらそーだよこちとら喉乾いてるんだもん、ビール早く飲みたいんだもん。

でもお願いだよ、コップに半分だけ注いで。

コップで飲んだら泡がキメ細やかでなんちゃらかんちゃら、って話しとはちがうんだ。

肝要なのは半分だけ、ってとこ。

ふつうコップのフチまでなみなみ注いで泡をもっこりさせたりするけど、しないで。半分だけ。

これによってコップに空間ができる。ワイングラスになみなみ注がないのと同じかな、口をつけたときビール香りがふわぁぁ…っとして、コップに注いだもんだからビールはドクドクと喉に入っていって、こりゃーたまら!!!って膝を叩くことうけあい

今日はなんとなく涼しいからキンキンビールをこんな風にぐいっと楽しめるのはもう数日。ぜひ今日晩酌はコップに半分注いでぐいーーーっと飲み干して。

2020-07-17

anond:20200717055416

書きたいことがない、しかし長文が書きたい……グレイト!

ならば魔法呪文を教えよう。

タイトルに「anond:なんちゃらかんちゃら」とつけると、書きたいことが無尽蔵に浮かんでくるのじゃ。

2020-06-03

いろんな観点持ってるアピールおじさんと炎専門魔道士の話

「いろんな観点持ってるアピールおじさん」って会社の中にたまにいるじゃん

いや会ったことないならそれはあなた幸せだと思うのだけど

俺は人生で何度か出くわしたことがあって大体において何故か会社の中でそこそこ偉いポジションの人だったんだよね

書くのめんどくせーからいかアピおじさん」って呼ぶけどさ

いかアピおじさんの言動は大体パターンがあって

「Aで進めようと思いますけど〜」って言うと「Bについては検討してないって理解でいい?」って返すのが一番の鉄板コース

別にそれは良くね?って思うじゃん?

俺もいいとは思うんだよね。いろんな観点があることは大事だし選択肢を多く検討するのは悪いことじゃないからさ。

でも問題は、いかアピおじさんは「それが良い議論を生む」と思ってやってるわけじゃなくて「カッコいい」と思ってやってるんだよね。

人生において「いろんな観点があることが一番かっこいい」っていう謎の価値観を強固に持ってる。

小学生だったらオオクワガタがかっこいいし、中学生だったらビジュアル系バンドがかっこいい、高校生だったら洋楽を聞くのがかっこいいっていう、

あいう感じでそう思っているんだよね。観点の広さにおける中二病だとおもう。

から、いついかなるときも「Bについては検討してないって理解でいい?」「GAFAがCをやってるけどそれは検討した?」「そのやり方以外は検討しなくていいって確信してるってこと?」って言ってくる。

繰り返すけど、必要からそう言ってるんじゃない。毎回必要ないだろ、ってときにも必ず言ってくる。

しかアピール目的から微妙絶妙な嫌味差を含んだ言い方になる。嫌味のインコース高めギリボールくらいの感じ。

GAFAかい必要なくね?最近リファレンスGAFAから中国の巨大ITのなんちゃらとかかんちゃらに移ってる。

嫌味を言うためにちゃん観点仕入れているは尊敬に値する。

からまともに仕事の仕方を覚えてほしい。アピールのためじゃなくて、いい結論を導くためにその観点を利用してほしい。

あるところで見かけた観点おじさんは、現時点のリードプランに必ず「でも〇〇の観点もあると思うんだよな。」と言うかたで99.9999%の確率真逆意見をぶつけてくる。

くどいけど、逆の観点を出すのは悪いことじゃない、問題は毎回必ず、しかも「自分アピール目的で」言っている点だ。

このいかアピおじさんの挙動については、近くで働いていた人が鋭い考察をしていた。

逆の観点をぶつければ、大体の場合は煙たがられたり無視されたり間違っていたりしても、ずっとやっていればいつかは勝つ、つまりその観点の方が正しかったという状況が巡ってくる。

そのときは他の10人が賛成していた案のカウンターアイディアで勝ったことになるから記憶に残りやすいしアドレナリンが出る。

競馬3連単を当てた時の記憶けが脳にこびりついて、その快感が忘れられなくて、ずっと大振りしている遠い目をしたおっさんに近い。

鋭い考察だ。

どちらのおじさんも、炎呪文を覚えて氷のステージで大活躍した魔術師みたいなものだ。

魔法かっこいい。その中二的な幼稚な優越感が脳にこびりついて、炎系呪文ばかりを見につけて、砂漠ステージでも闇のステージでも炎魔法だけを使っている。

大抵は全く効果がなく、仲間からも疎まれているが、氷系の敵とエンカウントする日を待って、今日も新しい炎魔法をせっせと覚えている。ほのおまほうは、かっこいい!

いろんな観点持ってるアピールおじさんは、意外に勉強家じゃないとできないし、何故か偉い人に多いからきっと能力は高いんだと思う。

ただ、頭はいいんだろうけど価値観が幼稚で社会の中で取り残されていて、単純に仕事が出来ない人が多いイメージがある。

ただ、たしかにたまに氷のステージ活躍するからその残存イメージ王様社長)の印象に残って重用されていい役職にいるんだろう。

きっと組織の中にはそういう人も一部必要かもしれないが、その人がほのおまほうを張り切って撃ちまくるせいで迷惑している他の人もたくさんいると思う。

系全体で見たらシンプルマイナス影響しかないんじゃないだろうかと思っているが、俺が間違っているんだろうか。きっとそうだよな。

2020-06-02

あるひんけつ

もりのなかんちょー

くまさんにんにく

であったんこぶ

はなさくもりのみちんぽこ

くまさんにであった

2020-05-29

[]換地、替地

換地かんち)とは、土地区画を整理した際に新しく与えられた土地のことである

例えば、農地までが遠かったり、農地が入り組んでいて耕作する機械を入れるのが大変なときに、土地を交換して整然とした形の土地にする。

このとき考慮するのは面積だけではなく、地質や水利環境などが照応するように換地することになっている。

一方、替地(かえち)というのは、収用した土地に代えて与える別の土地のことだ。公共事業用地買収などの際、金銭に替えて譲渡される。

別に土地じゃなくてお金をもらってもいいじゃん? という話ではあるが、ダムのように村ごと引っ越して大規模に生活拠点が失われる場合や、公共事業による土地価格の上昇が期待されるようなときに、替地が要求されることがある。いきなり遠くまで引っ越したら生活再建が大変だし、これから土地の値段が倍になるのに、安いときの値段で土地を買われても納得できない、というのがその理屈

替地には歴史的意味もあり、単純な土地の交換を意味することもある。ときには田畑の売買の禁じる法律の抜け穴としても機能した。また、江戸時代には所領・知行地の交換のことも替地と称した。

それにしても、法律用語って、似た響きの癖に内容が全然違っていることが多くて、まことにややこしい。

2020-05-01

anond:20200501231601

システム名前

なんちゃらかんちゃらうんぽこぴーシステム

ってつけるのは普通だけど

macOSダサいなって感じるのは、

同じ名前でも説明呼称ブランド呼称があり、ブランド呼称場合はダサく感じるのかなあ

2020-04-16

日記タイトル

内容


削除されたトラックバックがツリーとして表示され続ける仕様が変更された模様.

これまではトラバを削除してもトラバ先には「記事への反応(1)」とかって残り続けたもんだが,

それがなくなって「記事への反応(0)」とかってなるようになっている.

なるほどな~


追記

ごめん誤りだったか

ノートルダムのせむし男を見てうんちゃらかんちゃら」ってトラバがあったはずなのだが, それが跡形もなく消えているので上記のようなことを書いてみた.

しかテストしてみると再現が得られなかった.

可能性として, 1.削除が反映されるのに時間がかかる 2.運営が手動で削除したものは扱いが異なる というのを考えてみた.

運営が手動で削除したくなるようなひどい内容の増田を書いてみればわかることなのだが, そんな内容は全然思いつかないので困ってしまう.


いや完全に誤りだった

ごめんなさいね

2020-03-12

横断歩道で遊ぶな

役場広場近くの横断歩道で、動画撮影してた高校生がいた。

女子高生二人(こっちは確実)と、男子高校生(多分)。

女の子たちは「女子高生二人の~~~‼‼‼‼‼なんちゃらかんちゃら(判別不可)」と何度も叫んでいたから。

私服から身元ばれないのに叫ぶなよ。

男子スマホ撮影

女子高生二人は横断歩道の両端から真ん中に向かって走ってきて、

ど真ん中に到達したら二人揃ってジャンプして上記内容を叫んでいた。

横断歩道上でパフォーマンスしてた女の子は勿論のこと、撮影者の男の子車道出てんのな。

映えるのかもしれないけどそこは遊ばんといて。

轢いてしまったらさすがに車の方が気の毒だ。

どこかのSNS動画上がってないかとざっくり検索してみたけど、それらしきものは見つからんかった。

まらぬ。完成動画たかったよ。

やってることはみっともなくてでもすごく眩しくて、

若いっていいねえでもうるさいねえって、

自宅近くに幼稚園できそうな老人の気分を味わった。

今日のオガールでのお話だよ。

当該少年少女に届くといいなあ。

2020-03-05

ニートなのでレスからリアルファイトする

増田たちは糞どうでもいいんだろうけど、合気道ガチヤラセかという論争がツイッターであった。

普通に考えればヤラセなのわかるよな。考えなくても見ればわかる。

インターネッツの隅で俺もその論争に参加してた訳だが、事実の指摘に耐えられなかった合気道おじさんがお叱りのDM送信された。もちろんやめないという返事を出来る限り粗略に送ると、礼儀がうんちゃらかんちゃらと言い出す。

「少なくともスルースキルは鍛えられないし精神修養にはならないんすねww」と煽ると大変に激怒

雑魚の癖に調子に乗るなだの、引きこもり(事実)の癖に口応えするなとプンスカプンプン。

その台詞一個づつスクショして、精神修養してようやくこの程度、とコメントをつけて送信してブロックしたら、別アカウントで再突入された。

リアルファイトでけりをつけたいらしい。

なんか気持ち悪いやんちゃ自慢とともに、俺くらいなら簡単に捻れると豪語してる。そらそうよ引きこもりやぞ。

せっかくなのでやろうと言ってルールを細かく決めた。殴り合うだけじゃ試合じゃなくて喧嘩じゃろ?スパーリングだよ。

1.打撃あり

2.投げあり

3.寝技は短時間

4.金的なし

5.目潰しなし

金魚バチ、なんて言われるスーパーセーフを向こうに二人分用意してもらって、お互いグローブは無し。金的の防具はお互いで持参。

非常時の連絡先、審判にあたる人間をつれてきてもらう、等々を綿密に話し合った。

もちろんバックレるつもりだ。

たぶん合気道おじさんの性格上、また怒って別アカ攻撃してくると思うんだけど、最高の捨て台詞を考えてくれ。

とりあえず

「真の戦う極意は戦わないことじゃよbyブルース・リー

ってお伝えする予定。

2020-02-21

anond:20200221092513

非正規公務員って実際「非正規」なんだから公務員法のなんちゃらかんちゃらとか適用外(副職禁止規定とかが適用されてたら生きようがないじゃん)だから実際非公務員と見る方が正しそうな気がするけどどうなん?

2020-02-16

古今伝授ウイルス

思うところあって中屋敷均『ウイルスは生きている』を再読。走り読みなので細部までは目が行き届いていないが、これを読んだ時に受け取った熱を思い出した。2016年3月初版発行からそう経たぬうちに読んだと思うが、今は随分ここから遠くに来た気がする。本書が今の自分とは縁遠いものという意味ではなく、寧ろ逆にずっと俺の心を捉えて離さなかった。自分世界認識に深く影響を与えた(与えている)ので、もっとずっと昔から自分の中にあったように感じていたが、たった4年前のことなのか。

思うところが何かを明確に言語化するのは難しいが、

古今伝授を真に理解するためには、それが中世社会特質と深く関わっていることを考えなければならない(古今伝授和歌という縦糸だけで説明しようとするからダメなんだ。中世という横糸を忘れている)。中世は壮大なコジツケの体系が構築された時代神仏習合本地垂迹説・卜部神道中世日本紀等々…の奇妙奇天烈世界観!古今伝授もその一環として見るべきではないか。コジツケと言われればそうだけど、それはその時代の人々にとってとても必要なコジツケだったのだ、という。もし積極的な意義を見出すのならその方向から説明しなければならないのだ。(古今伝授を受けた天皇を中心に優れた歌人が輩出された、だから歌学教育として意味があったとかバカか。優れた和歌とは何かという定義評価軸じたいが古今伝授支配圏内形成されるのだから、優れてるかどうかを論じること自体ナンセンス。)

古今伝授古今伝授になっていく過程、つまり古今集という単なる書物が、あるいは勅撰集編纂という律令制国家の一事業が、その枠を超えた何か大きな・尊い民族文化の精髄のように認識されていくそ過程において、付与された様々な言説――三木三鳥だの八雲神詠だの人麻呂がなんちゃらかんちゃら、後世から荒唐無稽とさんざ罵倒されることになるこれらの言説は、あたか胎盤形成におけるシンシチン(syncytin)のような役割果たしていた、と考えることはできないのか。異物を異物と感じさせない、捏造捏造と感じさせない仕掛け。それは、倫理的断罪とか文化価値の優劣の俎上に乗せるのはふさわしくなく、その仕掛けを通じて何が実現されたか、その何かはその仕掛けを用いずには実現され得なかったのか、をこそ見るべきではないのか。

本来ウイルスもつ能力自己の一部として、機能として取り込む。生物自己の維持に必要機能の一部を外部環境依存する。ポータブル外部環境としての細胞生命と非生命境界は我々が思っているほど明確に線引きできるようなものではない。我々の生命定義は、あまりにも我々が日常的に馴れ親しんだもの見方に、「個人」という概念にひきずられてやしないか・・・というのが本書の示唆するものの最も深い所だ。

契沖や子規の批判は分かる。俺も一個人としては古今伝授(に代表されるもったいぶったコジツケ家)はバカジャネーノと思う。が同時に、それは文化・知・個人といったものについてこっちの定義/概念押し付けてるだけじゃないの?とも思う。

根拠がない、合理的でない、和歌質的向上につながっていない、という。では何故根拠がなければならないのか?合理的でなければならないのか?なぜ質を向上させなければならないのか?

これらの批判は、文化とは何か、個人とは何かについての定義をすでに前提にしていて、その立場から加えられている(反論する側(古今伝授擁護する側)にもその立場から反論するやつがいからどうしようもない)。まず始めに個人がある、歌は個人気持ちを詠むものだ、しかるにコレコレの御方に入門しなければ和歌は詠めないのだとはけしからんしかもその御方の教えたるやひたすらややこしい制約ばかり、かつ透明性のかけらもない、おまけにそう教える根拠はどこにあるかと探してみれば無い、要はこいつがでっち上げた妄説じゃねえか、それで偉ぶったり金巻き上げたりするなんて悪どい奴らだ・・・、こういう自他の区別、新旧の区別、真偽の判別をつけずにはいられない、ある意味病的な正義感いかにも科学合理性に偏っている。

しかし、それとは全く異なる評価軸があって、古今伝授は(中世の壮大なコジツケ志向は)その軸からみればもっとずっと整合的に理解できるはずだ。

本書の示唆する構造は、外来文化自家薬籠中の物にする日本文化性質(漢字仏教等々)、中世の遺制としての近世身分制(身分的周縁論)、象徴天皇制(近代国民国家の中の「伝統」)などに比較してみると実に都合がいい。

本来異質な要素を自己の維持に不可欠な一部として取り込み、その「元異質たち」も含めた全体として再生産されていく。あるいは新しい政権が成立する際に、それ以前からあったが途絶えかかっていた慣習を改めて制度化し流用する。取り込まれた方は同一性が失われ単なる機能に解消されてしまことなく、細胞異変があれば細胞生物独立した生物としての振る舞いを取り戻すこともあり得る(少なくともあり得ると見なされる。226事件を想起せよ)。天皇機関説ならぬ天皇ミトコンドリア説。

文化じたいが多かれ少なかれこういう性質を持っているのだが、特に日本はその傾向が顕著というか、世界中に普遍的にみられる文化現象の一例というだけでは説明のつかない点が多い。(なぜ先端技術の粋を凝らした構造物を建てる前に、土地の霊を鎮めるための宗教儀礼をやるのか?なぜ参加者は誰もその宗教信者でないのか?わけがからない。)こういう部分を説明するうえで本書の示唆する構造は役に立つ。その応用系として、古今伝授についても似たようなことが云えるのではないか

2020-01-19

anond:20200119133055

学生時代の仲間と久しぶりに集まってSwitch

するかなあ…

よっぽどゲームきじゃないと誰かんちに集まってゲームってならないだろうし

ゲーム好きな仲間の集まりだったらやるのはswitchじゃなさそうなイメージ

恋人の帰りを待つ間にSwitch

これも普通スマホじゃね?わざわざswitchやるか?

家族団らんの間にあるSwitch

親にとっちゃ子供に付き合ってるだけだし…

CMに突っ込んじゃいけないんだろうけど、どれもこれも嘘くせえとしか思えない

(わざと嘘くさくしてるんだろうけど)

2020-01-02

anond:20200102080540

いやく

1.ひらてゆりながなんとかする

2.かんちゅーはいかって、おちゃのまなどですたんば

Sonyときはなんとかなったから、たぶんだいじょうぶ。

かんちゅーはいのんでくる

2019-12-26

ヒーリングっどプリキュア』はポリコレ的にどうなの?

ハッピーとかスマイルとかヒーリングとか

男の子向けコンテンツなら絶対看板に掲げないような概念

女の子向けコンテンツではどんどんお仕着せにされていく。

子供固定観念植え付けるのってこういうのでは?



(書いてて回復術士のなんちゃらかんちゃらっていうラノベ思い出したけど

 本当にどうしようもない下劣復讐レイ○が盛りだくさんなのでヒーリング要素はないです。

 あんなのアニメにするかね。)

2019-12-12

子どもってそんなにいいものか?

子どもほしいって思う気持ちわからん

時間お金もなくすし、シングルになったらずっと子どもに縛られることになるし、子どもに何かあったら全部親の責任だぞ?

結婚だって帰宅恐怖症とかワンオペ育児とか夫源病とかなんちゃらかんちゃらとかとにかくいろんな嘆きが溢れてる。子はかすがいなんていうけど、下手にかすがいを作りたいとも思わん。

結婚する気はないけどズルズル付き合ってる奴はクソだと思うが、恋愛にも結婚にも育児にも興味がないかパートナーを作りたいとも思わないって人の気持ちはすごいわかる。

特に子どもは、みんな欲しいと思ってるものとして語られがちだけど……そんなにいいものか?自分コントロール出来ない存在の全責任をおうとか、だいぶきついと思うけどなぁ……。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん