はてなキーワード: ケアとは
私(シス女性・ヘテロ)にはFtMの親友がいる。これから、私から見たその親友について、彼と初めて出会ったときから順番に時系列で書いてみようと思う。
この記事を書こうと思ったのは、ツイッターやネットには、ジェンダーについていろんな意見が飛び交っているけれど、LGBT(この言い方は性自認と肉体の問題であるトランスを性志向の問題であるLGBと一緒くたにしていてあまり良い言い方ではないと思うが)の当事者とヘテロの人との関わりについて、ヘテロ側から書いた記事が少ないなあと思い、そういう視点からの話があったら何かしらの意義はあるかもしれないと思ったからである。
最初に断っておくが、私は「性別なんて結局関係なくて全ては人間同士の問題だ」といった浅はかな話を伝えたいわけではない。私の親友は現在進行形で社会のトランスジェンダーの人々への不理解・不寛容による様々な不利益を被っている。そのような不利益はなるべく早くこの世から無くすべきだし、そのためには多くの人々がジェンダーにまつわる問題を自分事として、リアルに考えられるようになることが必要である。そのために、この記事が少しでも世の中のジェンダーにまつわる問題を考える人の参考になったら幸いである。
↓以下自分語り↓
彼とは中学で出会ったけれど、初めて出会ったころからしばらくは彼はまだ「彼女」として生きていた。お堅い私立の女子校に入った割には少しやんちゃなタイプで、4月早々の初めて一緒に帰った日に寄り道禁止の校則を破って一人で新宿で電車を降りようとした私に、彼女は「面白そう!」と言って付いてきてくれた。
一緒に帰ってる子がいるのに勝手に寄り道しようとするところから察せられると思うが、当時の私は集団行動がとにかく苦手だった。あと、謎のプロフィールカードを回して(書くのが地味にめんどくさい)、趣味とか性格とかをやたらと自己開示して同じ雰囲気の人同士で固まっていく、女子特有のあの謎の雰囲気にも全然なじめなくて、あんまり友達ができてなかった。彼女は一緒にいても無理に私のことを聞き出したり、自分のことを話したりもしなくて、そういうサッパリしたところがすごく楽で私たちはすぐに意気投合した。
毎日一緒に新宿で降りてその日のノリで無意味にアルタとか世界堂とかを気が済むまで一緒にぶらついた。私は可愛いアクセとか服とかをよく買ったけど、彼女は最新のごついボールペンとか、銀粘土という私が知らない謎の粘土(それを使ってクロムハーツっぽいかっこいい系のシルバーアクセを作っていた)とかを買っていた。お金がない日はパックのジュースをコンビニで買って地元駅のベンチで座ってずっとだらだらどうでもいいことを喋っていた。彼女も私もあんまり家に帰りたくないタイプだったので、無意味に夜の9時くらいまでベンチで喋っていた記憶とかあるけど、何をしゃべっていたのか全然思い出せない。多分最近やったおすすめのゲームとかそういう他愛もないどうでもいい話をずっとしていたんだろうと思う。中二の頃は二人してゲーセン通いにハマって、大金をつぎ込んでハウスオブザデッドをラストまでクリアしたり(金の無駄すぎる)、夏休みを全てクイズマジックアカデミーに溶かしたりした。マジアカに関しては昔は1クレで2回遊べるような気前のいい設定のゲーセンが結構あって、二人で交互にお金を出すと1000円もかからずに一日中遊べた。答えるジャンルは彼女は理系学問と歴史の担当で、私はアニメゲーム芸能の担当だった。あと彼女はクレーンゲームを一度やると取れるまで諦められないという悪癖があり、月のお小遣いを一瞬で溶かしてどうでもいい景品を取ったりしていた。いつだったか、彼女がクレーンで私のために戦国BASARAの伊達政宗のフィギュアを取ってプレゼントしてくれた時はすごくうれしかった。
中学二年生できっちり中二病になった私が突然ロリータに目覚めてピンクのフリフリドレスを着だしたときも、「似合ってるしいいんじゃね」の一言でそれ以上特に何も突っ込んでこなくて、その雑さがかえって楽でありがたかった。
とまあとにかくこんな感じで彼女と遊ぶのはとても楽しかったけれど、仲良くなるにつれてだんだんと、そして確信的に、私は彼女が他の「女の子」とはどこかが違うということを感じつつあった。何が違うのかはまだはっきりとはわからなかったけど、とにかく彼女は他の女の子と何かが決定的に違っていて、そして、違っているからこそこんなに気が合うんだろうなあと漠然と思っていた。
中学二年の終わりごろのある日、彼女が急に長かった髪をバッサリ切って学校にやってきた。私服の服装も、ワンピースとカーディガンみたいな感じから、Tシャツにジーパンみたいな男の子っぽい服装に変えた。他の子は「すごい大胆にイメチェンしたね~!」とか言ってたけど、私は彼女のそれが「イメチェン」なんかじゃ絶対ないことが何となく分かっていた。自分の性別についてとか、そういう話を彼女としたことは無かったけど、その時は漠然と「多分彼女は本来の自分の姿に戻ろうとしてるいるんだろう」と思った。私がロリータを着だしたとき、「うちのお母さん宝塚とか好きだからさ、そういうの着て欲しそうにするんだけど、嫌なんだよね。」とポツリと言っていたことを、何となく思い出した。髪の毛は、お母さんはもったいないから切るのやめなよ!そんなに短くしたら男の子みたいだよ!って言って反対したらしいけど、自分で勝手に美容室に行って切ったと言っていた。「そっちのほうがしっくりくるじゃん!」って彼女に伝えた。
中三の頃から、お母さんとの折り合いが悪いとかで、彼女の元気がない日が多くなっていった。私はそういうことに無理に相談に乗ろうとするタイプじゃなかったし、彼女も多分それを望んでないだろうと思ったので、元気がない日はとりあえず一緒に遊んで、彼女が家に帰らずに済むようになるべく長い時間一緒にいるようにした。ジョナサンのドリンクバーで追い出されるまで粘って、彼女が授業を休んだ分を一緒に勉強したりした(完璧に教えられるほど私が頭が良くなかったのは申し訳なかった)。一緒に夜遅くまでいると彼女の携帯にお母さんからしょっちゅう電話がかかってきていたけど、そうなると彼女は携帯の電源を切っていた。確か彼女の携帯はストラップも何もついていない、青いシンプルなソニーのやつだった。
高校生になると、彼女はだんだんと学校に来なくなる日が増えた。学校になじめないとかそういうことじゃなくて、多分、彼女が「彼女」でいることが限界を迎えつつあったんだと思う。たまに学校に来られる日はむしろ楽しそうにしていたし、学校はすごく楽しい、全然嫌じゃないって言っていた。今にして思えば、女子校で性別が一つの空間だったから、自分が男の子に対する女の子だっていうことをことさらに考える必要が逆に無くて、彼女を苦しめる色んなものから解放される場所だったんだと思う。
けど、そういうことを彼女のお母さんはどうやら絶対にわかってくれないようだった。学校の先生も「何でいじめもないのに来ないんだ」って感じだったし、周りの大人は誰もかもが、何か彼女の根本的な何かを理解してなさそうだった。私もその時はまだはっきりと彼女の苦しみを理解できていたわけではないけど、ただの思春期の悩みとか親子関係のもつれとかではないだろうことはぼんやりと感じていたし、そして多分、私が彼女のことを根本的に救うことは出来ないだろうということを感じていて、何とも言えない気持ちになっていた。私にできることはただ今までと変わらず仲良くすることだけだよな~と思って努めてそうしようとしていたけど、先生とかに「〇〇さんと仲良くしてあげてね~」といかにも不登校の子のケア的な感じで言われるたびに、そんなことずっと昔からとっくにしとるわ!と白けた気持ちになった。
彼女は結局高二高三と結局ほとんど学校に来られなかった。私はアホなりに頑張って何とか大学に合格したけど、彼女はそんな調子だったから、何とか卒業はできたけど当然現役で受験するのは無理で浪人することになって、春休みに会ったときに予備校に通うことにしたと言っていた。大学に入ってからは私も忙しかったし、彼女も親と一緒にいるのが限界で一人暮らしを始めたりした関係で、初めて半年くらい会わない期間があった。その半年の間に、私は女子校を出て男という存在に実に小学校ぶりに接触し、この世界には男と女がいてそうやって社会が成り立っていることを久方ぶりに思い出した。何なら初めての彼氏まで出来た。
そんなある日、サークルの部室でスマブラでもみんなでやろっか~ってなったときに「ゲームとかやったことある?」って何気なく男の子に聞かれて、その瞬間、「ああ、「男の子」と「女の子」っていう、こういう感じの雰囲気、あったな」という感覚が自分の中に鮮烈に蘇ってくるのを感じた。私は小学校の頃からゲームが大好きで結構いろいろなソフトを遊んでいたけど、女の子でゲームが好きな子は小学校のクラスに一人もいなかった。男の子が新作ゲームの話で盛り上がって「今日俺んちで一緒にやろうぜ!」って言ってるのを聞いて、混ぜて欲しいなあって思っていたけど、何故か言えなかった。そういう小さいころほのかに感じていた違和感とさみしさが心の中にバーッと思い出されてきた。小学生までの私はずっと一人でゲームしていてすごくさみしかったし、一緒に気兼ねなくゲームしてくれる友達がいればいいのにな~ってずっと思っていた。だから、男だからとか女だからとか考えずにとりあえず一緒にゲーセンに通って、アホほどマジアカやれたのが、あんなに楽しかったんだなあってことがようやくしっくりきたのだった。
夏の終わりころ、「引っ越し終わったから会おうよ」って連絡が来て、家に遊びに行って半年ぶりに会った。一人暮らし始めたてだという部屋はめちゃくちゃ殺風景で、唯一あるデカめな本棚に河合塾とか駿台のテキストに混ざって横光三国志とかジョジョとかいろいろな漫画がたくさん詰まっていた。プレステがない事にちょっとがっかりしたが、「浪人してるので親に止められた」って言われてまあそりゃそうかって納得した。けれど、親に干渉されない空間で前よりだいぶ生き生きしているようで安心し、それからちょくちょくまた一緒に遊ぶようになった。
最近はよくそういう話もするけれど、どういうタイミングで性同一性障害とか、FtMとか、そういう話を彼から聞くようになったかを私は何故かはっきり覚えていない。大学生になってからだというのは覚えているが、はっきりとしたカムアウト的なことを受けたのがいつだったか、記憶があいまいなのである。もしかしたらそういうはっきりしたカムアウトも無くて、「男なんだよね~」「そっか、まあだろうね~」みたいな感じで、ダラダラ喋ってるときにノリで言われたのかもしれない。どのみち、私は大学に入って自分の中で「男」という概念を思い出した時点で、ああ、彼女はやっぱり完全に「男」だったなという確信を持っていた。肉体の上での性などどうでもよく、長年一緒にいて相手のことを知りつくした結果、彼女が「女」では絶対にないということが理性を超え出でて感覚レベルでしっくりくるものがあったのである。性別というものは全くもって不思議なものだなあと思う。とにかく、大学生になってからは私の中では彼女だったあいつは完全に「彼」になった。もっとも、私は中学生のころからきっと、もともと彼のことを特別に彼「女」とも思っていなかったけれど。
けれど、「彼」として彼と一緒に過ごすようになってから、私は何回か彼のことを配慮のない言葉で傷つけてしまったことがある。例えば、「久々にプールでも一緒に行かない?」って何気なく誘ったとき。中高のときは家も近かったし、ゲームの合間にたまに区民プールに一緒に行って泳いだりしていたのだ。彼は泳ぎがとてもうまかった。けど彼は「水着が着られないから行けないよ。もうずっとプール行ってないな。」って、ちょっと悲しそうな顔をして答えた。私は、ああそうか、まだ一緒の更衣室で着替えていたあの時も、彼はずっと気まずい思いを抱えて過ごしていたんだなあと思って、そういうことにひっそりと苦しみながら誰にも言わずにずっと耐えていたことを思い、ものすごくつらい気持ちになると同時に、無神経に誘ってしまって申し訳なく思った。あとは、彼が中高の共通の友人の結婚式に出るのを断ったと聞いて、行けばいいのに!って言ってしまったとき。なんで行かないのって聞いたら、まだオペしていないから男物のスーツを着て行って浮きたくないし、何より「女子校時代の友人」って言われるのがつらいって言われて、ああそうかごめん…と思った。私の結婚式はドレスコード何でもOKで、「昔からの超マブダチ」みたいな感じでぼんやり紹介するから来てよって言ったら、それは行くわと言ってくれてうれしかった。
とにかく女として見られることがつらいので、彼は大学生になってからは名前の漢字も男の子っぽい名前に名乗り変えて(予備校で事情を説明して対応してもらったらしい)、高校を出てからは基本的に男として過ごしていた。だから、予備校で知り合った友人に私を紹介してくれたときも「高校の友達だとだけ言っといて!どこの学校か聞かれたら適当にごまかすから」と私に言った。何でわざわざぼかすの?って聞いたら、女子校出身だってバレたくないから、ごめん!って言われて、なるほどそうか…と思い、私はよく分からない共学出身の人としてその彼の友人とよく遊ぶようになった(ちなみにその人はすごく理解のあるいい人だったので、最終的には彼がFtMで女子校出身ということもきちんとカムアウトしてすっきり過ごせるようになった)。
とにかく、彼と友人として共に過ごしていく中で、私は世の中がいかにトランスジェンダーに対して無関心で配慮が無いかということを、図らずも身に染みて思い知ることが出来た。私は元々ジェンダーに対してあまり意識が高くなかったけど、彼は大学に無事合格してからはそういうジェンダーにまつわる問題に取り組むサークルに入って、この社会が抱える色々な、特にトランスジェンダーに関する問題について、私に色々と教えてくれた。「病院で保険証出してあれ?みたいになるときマジ困るんだよね~ここばっかりは女っていうよりしょうがないけどでもやっぱ嫌なんだよね~」みたいな、彼の身近な問題から分かりやすく説明してくれて全然押しつけがましくないのが、彼らしくて良いなあとよく思う。
つい最近、彼が昔の話になったときに、「一度だけ学校の先生に『自分は男なんだ』と相談したけど、その時『言ってる意味が分からない』と言われて否定されてすごくつらかった。それから中高の時にはそういうことを言えなくなってしまった。けど、お前に自分が男なんだってことを言ったとき、『やっぱそっか、私にとって〇〇は〇〇で男でも女でも変わらないけど、今度から男って思っとくわ!』とあっさり言われたのが、すごく気楽で救われた。自分の性別について否定されるのはつらいけど、逆に気を遣われすぎるのもつらいから。」と彼に言われた。私はマジで思ったことをそのまま言っただけで意識してそう言ったわけではなかったけど、そう言ってもらえたのはすごくうれしかった。これからもずっと、大切な友人として、過ごせたらいいなあと思っているし、彼を取り巻くあらゆる不利益が一刻も早くなくなるよう祈り、自分ができることをやっていきたいと思っている。
ハッピーニューいや~んばかんウィーンフィルハーモニアフルオーケストラへようこそ!
ドンドン!ヒューヒュー!パフパフ~!でお馴染みのヒュージャックマンです。
そんなこと言ってる場合じゃなくて
もうお昼だっつーの
私は私で今の今までぐーたらに寝ていたわけじゃないのよ。
今年の初風呂を決めてきたところなのよ。
今年の初風呂を。
素晴らしい銭湯っぷりを発揮しているところで
今日なんかも、
私は今年19歳で本厄ピチピチリアルホッツ柚子ウォーラー召し上がれ!ってやかましいわーいって
でもさいよいよもう2020年ってことで
なんだか年の空中に走ってるガラスのパイプの列車とかは走ってなくて、
一向にイルカも攻めてくる気配もないじゃない。
いつまで経っても私たちはスマホを手から話すことができないし、
ゴーンだって海外に行っちゃうぐらいのこの2020年の未来感は
キットキーワードとして家賃の味って言うパワーワードをもってしても持て余してしまうわ。
美味しんぼの山岡さんも「じゃあオレが本物の家賃の味を味わわせてやりますよ!」って言ったところで、
なんとも家賃の味がしないしょぼい食材のランチを食べさせてもらって、
なんだかみんなしょんぼりして
すごい家賃の味だったわねって。
でも海原雄山先生はあれはあれでちゃんと家賃の味がしたからね!って言うに違いないと思わない?
イキって焼酎の飲み方を「芋の熱燗で!」って言ったところで店員さんに大洗海水浴場級の大笑い大爆笑かっさらうだけなんだから、
ほらあなたは慣れないことしないで、
新春初笑いか!って言っちゃいたいほどよ。
そんなこんなで立て込んできたので
今日はひとまずここまでとしておくわ。
そんでもって、
今年本厄だけど厄じゃなくて大活躍の躍にしたいし
厄の上中下乗り切るために頑張るわ!
もしもピアノが弾けたなら~
思いの丈を歌にして~って
だけど僕にはピアノがないって、
うふふ。
年越す前に寝ちゃったのでとりあえず年明けお蕎麦です。
年明けに年越しでお蕎麦食べれなかったからって食べてる人多いんだろうなぁって。
そう思っちゃったわ。
まさか柚子湯だと知らなかった銭湯だったので丸かぶりのほぼかぶった
朝から温かく迎えたいところよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
俺はおっさんだが、キモいおっさんではない。紳士的だと女の子たちが言う。まあまあモテる。
キモいおっさんを脱出したいおっさんのために、俺のHackを共有する。人の振り見て我が振り直せで集めたHackが多いよ。
・ゴウ
目的がフラフラしてたり相手が名乗ってるのに名乗らなかったりなのはいいとして、作中で芯のない無礼者扱いされてない。というか何扱いもされてなくてキャラがよく分かんないし、その上いい奴そうでもなくて興味持てないのにすごく出番あって辛い。パッとしないモブをずっと見せられてる。キャラデザはいいと思う。
・レギュラーの絡み
ずっとサトシとゴウだけで寂しい。レギュラー仲間増えてほしい。そしてゴウの出番減らして。コハルちゃんとイヌヌワン今からでも遅くないから旅についてきて。
ポケモン同士の関係性の描写少ねえ。寂しい。ゴウはこれからも乱獲してその中から選んでバトルさすのか。ロケット団もガチャで毎度持ちポケ変わるのか。そら本来のゲームのやり方に近いけど毎度持ちポケ違ったら必然的にポケモン同士でもポケモンとトレーナーでも関係性の描写薄くなっちゃうじゃん。友達とか絆とかの矜持はどうしたよ。きれいごとと分かっていてもその姿勢はアニポケでは貫き通してほしいぞ。
・全地方巡り
まじでホウエンの回みたいに今までのレギュラーとの絡みなくちょっと寄って帰ってくる感じを繰り返すの?これからゲームで全地方巡れる新作が出るからそのタイアップとかなんでしょうか。だったらまあ仕方ないのかな…
日頃はてブのホッテントリを眺めていると、ツイフェミと呼ばれるフェミニストの中でも特に質の低い単なるミサンドリー丸出しの人たちをよく見かけるが、私はこういう人たちがきっととても頭が悪いのか、もしくは差別的な経験から何らかの病魔に蝕まれ症状を抱えているから思考が狂ってしまったのだろうと思い、何を言っていたとしても余り気にしないことにしていたが、どうもそうではないように思えてきた。
きっかけはこの池戸万作さんという人のツィートだ。
https://twitter.com/mansaku_ikedo/status/1210862614307168256
氏の唱えていることは、「貧困男性ほど未婚率が高い傾向があるので、貧困男性の年収アップが少子化対策になるだろう」というものだが、これ自体は私は眉唾だと思っている。
日本はバブルの頃には今と大差ないレベルの少子化に陥っており、平均賃金の上下と出生率の上下が全く相関していないのだから、少子化対策としては落第だろう。
ただ、「結婚したくても出来ない貧困男性」というのは事実として存在しており、その人が収入をアップすることで結婚することが可能になるなら、そういう対策もあっていいだろうとは思った。
が、ここにツイフェミ的な方々が猛然と噛み付いているのだから驚きだ、会話の流れは以下のような具合である。
私はフェミニズムというのは、「誰も差別されない平等な社会を作る」ためにあるのだと思っていたのだが、これは全くの勘違いだったようだ。
だってこの論争の中で女性側は「少子化をケアしなければならない」とも「結婚したい貧困男性を支援してあげなければならない」とも一切思っていないことが明白なのだ。
そこにあるのは、「他人に利益配分するな、私に利益配分しろ」という強烈な自己利益中心主義と、貧困男性に対する差別意識である。
このやり取りへのブクマを見ても、この女性の貧困男性蔑視と自己利益拡大への祈念は、当然のものとして受け止める向きが多いようである。
つまり彼女たちツイフェミはバカだから差別主義に陥っていたわけではなく、心から差別主義を行使したい、差別する側にまわりたいと思っているのである、そうとしか考えられない。
女性が「自分とは無関係な貧困男性の支援なんてやめろ、私を支援しろ」と言う限り当然男性側も「女性の権利擁護なんてする必要はない、なぜなら俺の利益にならないから」と返ってくると私には思われるのだが、多分そろそろそういう差別主義の殴り合いをしても勝てると踏んだのかもしれない。
他人のことを低く見積もって自分を相手よりも頭がいいと思いこんでいたのは全く恥じ入るばかりで、ツイフェミには謝罪しなければならないと感じた。
ごめんなさい。
この文章では、人種差別に関する実体験を綴る。もしあなたがこのような話題にトラウマがある場合、無理に読み進める必要はない。
私は20代の日本人女性である。先日ヨーロッパのとある国の大学院を卒業し、就職活動を行った。
ヨーロッパには、日本のような新卒一括採用システムは存在しない。企業が出している求人広告に応募→書類審査通過の場合のみ企業から直接連絡が来る→面接→採用、というのが基本的な流れである(大学のキャリアセンターを通す場合や特殊な業界の場合は異なるパターンもある)。
私は大手就職情報サイトである求人広告を発見した。その求人は私の大学での専攻と非常に親和性が高い内容だった。具体的な仕事内容については言及を控えるが、小さなスタートアップが私の住む都市で事業を展開することになり、プロジェクトをサポートするスタッフを募集する、という感じ。検索すると普通に会社のホームページも出てきたし、活動記録やネット記事、代表のLinkedInなどもヒットした。私は迷わずに応募した。応募は、その就活サイトを通じて行った。
すると、しばらくしてそのスタートアップの代表本人から連絡があり、面接審査に進めることが決定した。大学卒業後なかなか仕事が決まらなかった私は、このチャンスに少なからず期待していた。
面接が行われたのは中心部にあるシェアオフィスの一角だった。面接は代表自らが行っており、オフィスにいたのは彼だけだった(同じ部屋にもう一軒別のオフィスが入っていて誰かが仕事をしていたが、ドアで仕切られた向こうにいたので話してはいない)。代表の話によれば、この街に越してきたのは先週で、まだスタッフも全く揃えていない状態だという。実際に部屋の中は殺風景で、最低限のデスクやPC、ソファがあるのみだった。代表は40代半ばくらいの白人男性で、ネルシャツにカーディガンを羽織っていた。話し方も落ち着いており、ふつうの人に見えた。
面接は至って普通に始まった。代表は今回のプロジェクトの内容を私に説明し、大学院での専攻内容やこれまでの職歴について質問してきた。しかし、話し始めて30分ほど経った頃、とても腹の立つ出来事があった。彼が、アジア人を侮蔑するジェスチャーをしてきたのだ。少しでも海外経験がある人なら、どんなジェスチャーかピンと来るだろう。両手で目を細めて吊りあげる、あれだ。
アジアについて話し出したとき、彼は無意識のようにそのジェスチャーを行った。話の文脈からいうと私を個人攻撃するつもりではないように見えたが、少なくとも非常に不愉快だ。若い人などがギャグのようにこのジェスチャーを行うことはあるが、まともな常識を持った人ならこんな仕草はしない。このジェスチャーを行った時点で、それは教養ない差別主義者の証拠である。私はその場で危険な雰囲気を察知し、「あとで連絡します」などと適当に話を濁して面接を切り上げてその場を立ち去った。悲しい気持ちでいっぱいだった。
面接終了から1時間後くらいに、代表から再びワッツアップ(ヨーロッパのLINEみたいなテキストアプリ)で連絡があった。「あなたの専門分野に近い領域で仕事をしている知人もいますのでよければ紹介します」といった内容だった。私は、当たり障りのない返事をした。すると彼は、続けざまに日本についての話を始めた。「最近新聞で見たんだけど、日本って・・・」というような感じだ。3、4通に渡って日本経済に対する持論を展開したあと、彼は突然こんなテキストを送ってきた。
ものすごく腹が立った。日本人の私を面接に呼んでおいてこのような態度とは、何だろう?バカにされていると感じ、すぐにこのような返事をした。「私はあなたが想像するとおり、典型的な日本の若者です。残念ながら私があなたのプロジェクトに参加することはありません」
すると、彼の態度は文字通り豹変した。続けざまに、彼からはこんなテキストが送られてきた。
「あなたは面接中とても大人しそうに見えたけど、本性を隠していたんですね」「僕の優しさを攻撃性の欠如だと勘違いしないでください」「私の知人は、日本人は〇〇人に対して最も差別的な民族だと言っていました」「あなたは差別主義者のようですね」「僕はあなたと話して、自分の白人としての誇りが傷つけられたと感じました」
はっきり言って、この男が私に何を言っているのか全く理解できなかった。私は白人に対する差別発言はもちろん、如何なる人種に対しても何の言及も行っていない。ただ面接に行って仕事の話をしただけだ。しかし彼の逆上は止まらず、さらにこんなテキストが送られてきた。
「あなたは最低です」「あなたを差別主義者として警察に訴えます」「僕は差別犯罪を通報するアプリを持っているから、今すぐあなたを通報できる」「あなたをfuckする」
相手は話が通じる状態ではない。私は気が動転する中、彼にひとことだけ「why」と送信した。すると、それに対する相手からの返信は恐ろしい内容だった。
「僕は〇〇(とあるアジア系企業)が大嫌いなんだ」「〇〇人(その企業が本社を置くアジアのとある国)は大嫌い」「〇〇人は、腐った魚ペーストの臭いがする」
背筋が凍った。彼は気が狂っている。まともな人間ではない。明らかに私およびアジア人に対する激しい差別的感情があり、テキストを通じて私を脅迫・攻撃している。このテキストを受け取ったのは彼のオフィスから程近いカフェだったのだが、私はすぐに窓の外を見渡し、奥の座席へ逃げた。まるであの男が窓の外に立ってこちらを見ているような気がしたのだ。
気が動転していた。何より恐ろしかったのは、この男が私のCVを手にしているという点だ。CVとは欧米で就活時に使う履歴書のようなものなのだが、そこには私の名前、メールアドレス、電話番号、住所などさまざまな個人情報が書いてある。もしこの男が本当に私を犯すつもりだったらどうしよう?家までつけて来たら?待ち伏せされたら?
私が真っ先に思いついたのは、警察への通報だった。ヨーロッパでは、この手の脅迫や暴力はヘイトクライムと呼ばれる。もちろん立派な犯罪だ。震える手で警察に電話をしたら、男性警官が出た。詳しい会話は割愛するが、緊急性のない事件だと判断され、「明後日あなたの家に伺ってお話を聞きます」と約束した。
警察への通報後、私は卒業した大学の緊急サービスに連絡をした。健康相談やメンタルケアについて、24時間通話可能な窓口である。とにかく帰り道が不安だったのと精神的に動揺していたので、その旨を早口で話しまくった。窓口の担当者は警察への相談を勧めてくれ、最短で家に着くルートの検索なども手伝ってくれた。幸い私には同居人がいたので、彼女に最寄りのバス停まで迎えに来てもらった。その日はまともな食事も喉を通らず、夜も全く眠れなかった。
警察が来たのは週末だった。男性2人、女性1人が私の部屋まで来てくれた。私はワッツアップの履歴を見せながらことの経緯を説明した。彼らは真剣に話を聞いてメモをとり、証拠としてテキストのスクリーンショットを撮った。また、彼の名前や会社名などを控え、レポートを作成して記録を残した。警察の指示によって私は彼の電話番号、メールアドレス、SNSなどすべてを着信拒否した。また、警察は彼が求人広告を掲載していたサイトに連絡し、広告を削除した。彼の脅迫はとても卑怯だが、これは単に若いアジア人女性を傷つけたいがための悪戯な犯行であり、実際に家まで追ってあなたを襲う確率は非常に低い、というのが警察の見解だった。身の安全を保持するため、私が彼の犯行を警察に通報したということは決して外部に漏らさないことを約束してくれた。彼からその後連絡が来ることはなかったが、私は1か月以内に全く別の場所へ引っ越した。
私は、まさか自分がこのようなヘイトクライムの被害者になるとは想像もしていなかった。しかも就職の面接官、大手サイトで見つけた求人でこんなことが起きるなんて。まるで50年代のような差別的言動、30通を超える言いがかりのメッセージ、レイプを連想させる脅迫。精神的なダメージは計り知れず、しばらく携帯を見るのも怖かったし、SNSなどにこの事件について投稿することもなかった。
普段の私は、とても明るく元気な性格だ。友達もいるし家族との関係も良く、自己肯定感も高いと思う。私の周囲の人も口を揃えてこれに同意するだろう。しかしそんな私でさえ、この事件当時は性格が変わった。「こんな暴言を吐かれるなんて、私が悪いのかも・・・」そんな考えが頭をよぎったのだ。冷静になってみれば、私には何の落ち度もない。ただ求人に応募し、面接に行ったら、面接官の頭がおかしかったという話だ。しかし、アジア人であるという変えようのない事実を理由に差別されたことで、私の誇りはひどく傷つけられた。この男が狂ってるんだ、そう頭では理解していても、感情はしばらくグチャグチャだった。生まれて初めて、ベッドの上で「死のうかな」なんて想像した。本当に、人生の中で最も傷ついた出来事だった。
ひとつめは、「人種差別は犯罪である」ということ。とくに日本人は、この辺の意識が薄い気がする。これは私たちが他者を差別してはいけないということだけではなく、「自分が他者から差別されたときに怒っていい」ということである。私は迷わず警察に通報した。「これぐらいのことで・・・」なんて迷う必要はない。警察はきちんと調書をとり、クリミナルレコードを作ってくれる。とくにヨーロッパでは、この手の犯罪に対し警察は動いてくれる。すぐに逮捕には至らないまでも、記録が残るだけで全く状況は変わる。何より、私は精神的な安心を得ることができた。
今回のケースの場合、面接でジェスチャーをされた時点で彼にもっとはっきり否定的な態度を取るべきだったという見方もあるだろう。しかし、相手のテリトリーであるオフィス内、しかも体格差のある男性が相手だったため、感情的な反応はリスクが高すぎる。脅迫メッセージなども慌てて消してはいけない。あとから、証拠として提出できるからだ。とにかく、自力で解決しようとせず、警察を頼ってほしい。
警察に通報するのが最もおすすめだが、どうしても勇気が出ない場合は大学のホットラインなどでもいい。とにかくSOSを出し、怒り、差別主義者たちにNOを突きつけること。
ふたつめは、自分を責めないこと。差別犯罪に巻き込まれたとき、精神的な負担はあなたが思うよりずっと大きい。自分の国籍、性別、セクシュアリティ、容姿など、自分で選ぶことのできない部分を攻撃することはとても卑怯だ。激しい悪意を向けられた時、人間の心は深く傷つき、自分を愛することができなくなる。私は警察と話している時、メッセージの内容を反芻して頭が混乱し、支離滅裂な言葉で説明をした。あまりに動転していたので、私は思わず警察官に「ごめんなさい、この国の言葉が上手くないから、私の言葉がわからないですよね」と謝った。すると警察官は、「何を言っているんだ。あなたの語学力はとても素晴らしい。何の問題もなく聞けています。私たちは、あなたがどんな被害にあったか理解できているんだから、あなたは大丈夫」と返してくれた。この言葉を聞いて、それまで一滴も流さなかった涙が堰を切ったように溢れた。
悪いのは差別主義者だ。そのことを決して忘れないでほしい。あなたは悪くない。あなたは美しい。他人に何を言われても、何をされても、あなたの心も身体もあなただけのものだ。
私は現在、とても元気に暮らしている。新しい職場にも恵まれた。正直なところ、今も時々あの男の顔を思い出すことはある。しかし、新しい年の訪れとともに、前向きな気持ちで歩き出したい。
弱者や被害者をやたら持ち上げて、自説の棍棒として使ってる奴を見かけると、正直オエッてなるんだけどさ
それは「人の痛みがわかるから弱者や被害者は優しい」みたいな物言いを、ぜんっぜん信用できないからなんだわ
たまたまそいつがそういう風に生まれたり、偶然事故に遭ってしまったというだけで、別にそいつらがみんな聖人として生まれたわけでもないし、まして迫害や事故のおかげで聖人になりましたなんてことないでしょ
少なくとも俺ならそうはならない
迫害してきた奴には復讐したいし、事故の原因を作った奴からは金ふんだくって土下座してもらいたいし、なんなら関係ない奴でも、弱そうで殴り返してこないようならぶん殴ってウサ晴らししてえって、心のどこかで思っちゃうわそりゃ
それは強者の価値観への迎合がどうとかいうのよりもっと単純な話で、ぶつけられたマイナスというのはどっかからプラスをもらうか、さもなくば他者にマイナスを移さなければ、心のバランスが取れないからだ
むしろ実際の被害以上に被害者意識こじらせて、普通の人よりよほど凶暴になる可能性だって十分あるだろうに
だからなんだわ、オエッてなるの
それより先にとっととケアして、まずそいつのマイナスを埋めてやれよって思っちゃうわけ
つーかぶっちゃけあんたらそれわかってるよね、十分理解してるよね
だからお気に入りの奴が被害者ポジション取ってる分には、いくら口汚く暴れていても持ち上げちゃうんでしょ?
それでいて、気に食わない奴が被害者ヅラしてると急に「他人を叩かない聖人でなければ被害者とは認めない!」みたいなこと言い出しちゃうわけ
そろそろ義務教育制度の解体に向けて本格的な議論を進めて欲しい。
学校の縛りつけが厳しいあまり、不登校の児童・生徒が増え続けている。
不適格教員が全く排除されない一方で真面目な先生ほど過労死寸前の環境で働いている。
ここらでいったん学校は廃止して、希望する家庭の子どものみが私塾に通う形態の制度に移行して欲しい。
お団子に結い上げていた髪の毛をほどいてもらい、施術台に寝てもらう
「お勉強されてたんですね」
なにをお勉強しに進学なされたのかはわからなかったけれど、彼女の肩はとてつもなく凝っていた
今日で一番だった
とんでもなく労働基準を違法した企業で会社員だった時のわたしの肩と並ぶほどに
ケアされているであろうしっとりした肌とのギャップが印象的だった
着ている服は大学生御用達、安い量産ブランドのものだったけれど、それでも彼女は研かれた美しさを持っていた
「雨の中のご来店、ありがとうございます」
と声をかけてみたけれど、彼女はもう夢の中だった
背中も腰も、凝っていた
彼女のスマートフォンの通知の音と雑音、ヒーリング音楽だけの世界だった
とても綺麗な男性だった
建築業を営みながら、奥さんと二人三脚で育児に励んでいるらしい
ただ、わたしに子供ができていれば、いま彼はまだ東京にいたんじゃないかと、そう思った
「強くなりましたね」
彼女が声を出した
起こしてしまったのかもしれない
「雨、今日はだいぶ降るみたいですよ」
「雨足じゃなくて」
「お兄さんの、力」
「それくらいの方が好きですよ。たくさん考えましょ。わたしもいま考え事してました。アインシュタインが相対性理論を提唱しなければよかったのにって」
彼女ともう少し話がしたいと思った
雨足は弱まっていた
日本は諸外国よりも平等であるがために子どもが厳しい立場に置かれにくいというのは同意するが
諸外国よりも表に出にくいのも確か
しかもSNSやジュニアアイドル(お菓子系アイドル)で基地外親が観測されてもスルーされる傾向があるのは先進国では日本だけでは?
日本の現行法で医師/弁護士の守秘義務が解除される場合として、
児童福祉法第 25 条
児童虐待の防止等に関する法律第 5 条 同第 6 条第 1 項・第 3 項)
児童虐待に係る通告)
3 刑法(明治四十年法律第四十五号)の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第一項の規定による通告をする義務の遵守を妨げるものと解釈してはならない。
とはいえ反社会的なこと言っても実害が確認されなければ傾聴が基本
※カナダについて
通告義務について
・医師、看護婦(士)、歯科医、薬剤師、臨床心理士を含む、ヘルス・ケア専門職
・ユースワーカー、レクリエーションワーカー
・弁護士
刑罰について
上記の通告義務者が、疑わしい子ども虐待・ネグレクトに関して通告を怠った場合には、
通報者は子どもの虐待、ネグレクトに気づいたら、「疑い」だけで通告することができる。この段階では、虐待の疑いについて事前評価と調査を実施0の結果、通告の半分の45%が誤通となるが、逆に表現するとその半分の55%が保護などのサービスを受けている。
http://www.ritsumei.ac.jp/~yamamoto/seminar/03goudou/rits2ss.htm
※アメリカについて
<児童虐待通告法>
各州の通告義務者 約40種ほどの専門職 (特に重要な専門家は、医療関係者・保険従事者・教育関係者・社会サービス関係者・司法、警察関係者)
義務とはなっていない者 家族・隣人・一般人(但しこれらからも通告を受け入れる)
各州の特殊な例 コロラド・イリノイ・カリフォルニア州 写真の現像者にも通告義務(児童の性的な写真に明白に現れているような性的虐待や性的搾取を知る立場にある者)
フロリダ・ケンタッキー・ミネソタ州等 虐待を疑う立場にある者は誰でも通告義務がある
措置 以前に同様の虐待事実があることがわかり、その事実に疑いを持ちながらも通告しなかった通告義務者の存在が明らかになったとき、通告義務者にも訴追が行われる。罰金、拘禁刑の制裁に対応し、行政的には、医師等の免許取り消しまたは停止の措置がとられている。
問題点 監視の網の目を細かくしすぎた。→精神科医やカウンセラーに対しても通告義務を課し、虐待の範囲で不明瞭な法律規定をおいたことから、児童虐待の定義が不本意に拡張され、あいまいなものとなった
http://www.ritsumei.ac.jp/~yamamoto/seminar/03goudou/rits2ss.htm
イギリス
■ドキュメント映画:The Paedophile Hunter・・・文字通りペドを狩る。狩られた者は実際には行為に及んでおらず(逮捕後、釈放もされた)撮影が原因により自殺したが起訴なし。英国アカデミー賞テレビ部門 単発ドキュメンタリー賞受賞作品。なおペドの疑いがある者に私刑を行う団体と支援者がいる模様
■UK-wide operation snares 660 suspected paedophiles・・・存在的な児童虐待犯罪者が一線を超える前(他害する前)にアクションが大事
http://www.nationalcrimeagency.gov.uk/news/411-uk-wide-operation-snares-660-paedophiles
■法律の問題:通報義務があるのでペドがカウンセラーに相談できない事態 (治療拒否ならまだ良い方)
At the same time, laws can also deter them from even speaking to their therapists.
Across Canada, provincial rules require that mental-health professionals must report a patient to authorities if they have reasonable grounds to believe that a specific child is at risk of being sexually molested or exploited.
At the same time, laws can also deter them from even speaking to their therapists.
Across Canada, provincial rules require that mental-health professionals must report a patient to authorities if they have reasonable grounds to believe that a specific child is at risk of being sexually molested or exploited.
■それでは深刻化するばかりだと治療しようとするも、ペドは自閉症または統合失調気味で知能が低めとバッサリ
https://www.cbc.ca/news/canada/virtuous-pedophiles-group-gives-support-therapy-cannot-1.2710160
■法律の問題:通報しないといけないのでペドがカウンセラーに相談できない可能性
Many jurisdictions have passed mandatory reporting regulations for psychologists and other health care providers.
Consequently, when someone who thinks he might be a pedophile comes in for counseling or therapy, the psychologist may be compelled by law to report the person to the authorities.
https://www.theatlantic.com/health/archive/2013/08/what-can-be-done-about-pedophilia/279024/
■通報じゃなくて無害なMAP(minor-attracted person=未成年者に引かれる人)をメンタルヘルスの専門家は支援しようという試み。なお保守派右翼はおこ
http://www.asapinternational.org/index.html
「そんなこと言うなら別れる、なんて言うわけない」みたいなこと言ってたけど私普通の人なら別れるような失言してたんだろうか。
わたしは増田の彼氏ではないので、その彼氏の人の考えはわからない。
過去に好きになった人は増田に似た考え方のクセがあって、いいところがたくさんある人だった。しかし最終的にはものすごく辛くなってしまって連絡を断つことにした。仮にこの人をAと呼ぶ。
Aだけが問題だったのではなかった。様々なことが重なって、ある時期、体に力が入らずベッドから起き上がれない状態になった。眠れなくなって体の節々が痛んだ。治すために色々なことをしたのだけど、その1つがAと連絡を断つことだった。数年かけて少しづつ回復し、自分を弱らせていった物事に関する記憶はうすれていった。思い出して苦しくなってしまう記憶がうすく弱まっていって、最後まで残った辛い記憶が、なんとなく増田に似ているAの記憶だった。
「そんなこと言うなら別れる、なんて言うわけない」みたいなこと言ってたけど私普通の人なら別れるような失言してたんだろうか。
失言というかなんというか。ある人を本当に好いていて、自分のできるかぎりこの人は大事にしよう、そのためになにが出来るだろう、と思っている時に、当の相手が「人のことを傷つける事は耐え難い。が、しかし自分はまったく傷ついてかまわないので人と自分がぶつかることがあれば迷わず相手にゆずろう」みたいな姿勢でいるのをみせられると、大変にこう、傷つくのではないかと思うのだけど、どうだろう。少なくとも私はとても傷ついた。その時のことを今思い出している。
自分なりに頑張って色々な言い方を選んで伝えようとしたけどだめだった。
たぶんこの増田の彼氏も「この言い方なら伝わるかな」と考えて言い方を考えたり、
あるいは「言い方を間違えても増田が自分を責めるループに入ってしまうじゃないか」と思って言葉をのみこんだり、
わかってもらえず辛くなっても「でもいいところがたくさんあるじゃないか」と自分にいいきかせてみたりしているじゃないかと、つい思ってしまった。
増田の彼氏がどう感じているかは、本人に聞かないとわからないんだけどね。
Aが理不尽な目にあっている時に、「自分が我慢するのは大丈夫だから」と返されるのも、最初は我慢強い優しい人なんだなという受け止めていた。Aのことをそう感じたことが間違いだったとは思ってないんだけど、「自分は傷ついてもいい、自分と他人がぶつかったらまずは自分をひっこめよう、という考え方のクセがあるんだな」という側面もつきあっていくうちにみえてきた。
Aは、そもそも他人との対立を避けながら暮らしている人だし、我慢強くもあったので、それでもなお本人が苦しそうにしているときは相手が理不尽な場合が多かった。好きな人が理不尽な目にあっていると悲しいのに、その事を悲しむとAは「言わなくても言わなくてもいいことを言って人をを悲しませた自分が悪かった、次からはこんなことを言わないようにしよう」みたいな事を考えがちな人だった。そうなると「自分は好きなひとが理不尽な目にあって悲しくなる自由もないのか」というよくわからない怒りや悲しみがわいたりもした。しかし我慢強いAがが強いストレスにあっていて、普段は飲み込む言葉もこぼれ出るくらい追い込まれ、見るからに焦燥しているときに私が「こっちはこんなに辛い」と言っても相手がさらに弱るだろうと思うと、どうしたらいいのかだんだんわからなくなった。
こうなるともう完全に何かがもう完全にだめな感じだった。機能していない気遣いがお互いにループしていて、Aも私もお互いにどんどん辛くなっていった。
「Aのことをもっと大事にしてほしい、してくれないあなたの姿勢に自分はかなり追いつめられている、なぜわかってくれないんだ」というのが当時の気持ちだったのだな、と思う。Aはものすごく頑張って自分を抑制していて、そのくせ「自分が我慢をすればまわりはうまくいくのだ」というコンセプトに関しては無邪気に楽観的なようにみえた。当時の私がそんなふうに感じただけで、実際は〈いままでそういうスタンスで物事をきりぬけてきたし、それ以外の捉え方ややり方がイメージできない〉という方が、本人の感じ方に近いのかもしれない。ともかく「自分が我慢をすればまわりはうまくいくのだ」とAは思っていたようなのだけど、様々なストレスに耐えて焦燥していることは見ればわかることなので、その様子を見ながら私はどんどん弱っていった。でも弱ってるの見ててわかるよ、と下手に言ってしまうと「じゃあ自分の辛さが表に出ないようにもっと頑張ろう」みたいな捉え方をされかねない。ので言えない。辛い。
Aが、私も含めた周囲を優先しすぎてA自身を雑にあつかっていて、それがなんともない事であるような態度でいることが辛かった。辛そうなAに配慮して言いたいことを飲み込んだり、あるいは飲み込みきれない言葉が私の口をついて出ても何も私の辛さは特に理解してもらえてなさそうなことが辛かった。Aは「自分のせいで人に嫌な思いをさせるのは嫌だ」「自分が我慢すればうまく」強く思っていて、「自分が我慢して我慢して弱っていく様子は、その自分の事を大切に思っている人にとってはたまらなく辛いものになりうる」とは想像できないみたいだった。
ーーーーー
ここまで書いてみて、増田にむけて書こうとしたのだけど、なんだかそいういう文章ではなくなってしまったように思う。なにか改めて増田に伝えたいことがないか考えてみた。
・増田は彼氏が電車か何かでいきなり暴力をふるわれたら心配しないだろうか。(個人的には痴漢は暴力の一種だと思う。)大丈夫だったかと心配し、何でなにも悪くない大切な彼氏にそんな事をしたのだと腹立たしく思わないのだろうか。増田が彼氏を心配した結果、「こんなことを話してしまった自分が間違っていた、次からは黙っていることにしよう」と考えたとして、どう感じるだろうか。あまり嬉しくないんじゃないかと思うんだけど、どうだろう…。
・私とAはうまくいかなかった。では「自分が我慢すればいい」と深い確信を抱いている増田と彼氏は、お互いうまくいくだろうか。うまくいく場合だってあると思う。ただ、「自分が我慢すればいい」という考え方は行き着くところまで行ってしまうと、関係性が深い人を本当に傷つけることがあるよ、という事を伝えたかった。
だから他人を巻き込んで助けを求めたり、解決策を実行するべきと言ってくれたが、先にも書いた通り他人に迷惑をかけることがストレスに感じてしまうので、彼氏の提案がどうしても受け入れられなかった。
・苦しい状況が出てきたときに「私が耐えていれば大丈夫なのだ」と考えてじっと耐えている人と、苦しい状況が出てきそうな時に早め早めに人に相談したり、解決の方法を考えて行動できる人とがいた場合、一緒にいて安心感があるのは後者だ。仕事でも恋愛でも生活でも、早めに相談してくれる人の方がトラブルにならないので助かるし、抱え込む人は問題を大きくしたりストレスを溜め込んで弱っていく傾向にあるので周囲のケアが必要、みたいな話はよくある思う。こういう人はAにかぎらず世の中にいる。
・相談はしなれない人にとっては辛いことなんだろうと思う。私が増田の周囲の人なら、相談は(苦手だけど)やりようによってはむしろ周囲は助かる、という風にとらえてくれるとうれしいのだけど、どうだろう。
・今回彼氏に相談できたのは本当によかった。すごく頑張ったんじゃないかと思う。もしかしたらうまく相談できなかったかもしれないのに、できたのだ。
・文章を書いた私と増田の彼氏は別の人なので、結局のところ彼がどう感じているかはわからない。私と似たようなことを考えているかもしれないしまったく違うかもしれない。本人に聞いてみてあげるのが一番いいと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20191210171417
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
上2つの増田へのブコメを見て暗然とした、失望した。あなた方はなんでそんなに恥を知らないのか、愚かなのか。
まず明らかなのは元増田が「恋愛至上主義」のわかりやすい被害者だという事だ。
これからいくつか線を引いていこう。線の右側は判断を保留。左側は救いようのない阿呆だ、というような線だ。
1つめの線は「これが個人ではなく社会の問題だと気づいてるかどうか」だ。残念ながら、この時点で多くの者が左側に置かれる。早すぎない? せめてもうちょっと頑張ってくれよ。
あなたは1つの社会の長であり、その社会の構成員をしあわせにするのがあなたの責務だ。
あなたはひとつだけコントローラーを与えられている。その社会において「何が幸福」で「何が優れている」とされ「何が重要」だとされるか、社会の価値観だ。これをあなたは動かせる。
価値観にはいくつか選択肢があるが、「恋愛ができる者が優れている」とする「恋愛至上主義」はこのゲームにおいてチート級の強さを発揮する。なぜなら市民を殖やす生殖の領域にさわれるからだ。恋愛強者に他よりも優越しているという幸福感を与えながら、市民を殖やすことができる。いわゆるぶっ壊れ性能。「恋愛至上主義」は為政者にとってこれ以上なく都合がいい価値観だと言える。
恋愛強者でなければこの価値観の恩恵を得ることはできない。むしろそうでない者は自動的に「劣った者」の烙印をおされる。(元から劣っているのではなく、「劣っていることにされる」事に注目すべきだ。これは積極的な行為である)
「恋愛至上主義」を採用する限り市民のすべてを幸せにすることはできない。必ず生贄を必要とする。
これはそういう方法だ。一部の苦しみを積極的に生むことで大きなメリットを回収する。気にすることはない。苦しむのは自分じゃない。一部が苦しんで全体の幸福が上がるならそれでいいじゃないか。――そう考えるプレイヤーがこの方法を選ぶ。これは個人ではなく社会の構造の問題だ。
もちろんわかると思うが元増田はこの生贄だ。だから苦しんでる。彼の苦しみは社会が今の社会である限り絶対に必要とする苦しみであり、その存在は必然だ。
「そんなのはどの価値観でも同じだろ」と思うかもしれない。もちろんすこしはそういう側面もある。なにかを優と位置付けるかぎり自動的に劣は生まれる。どの価値観も犠牲は生む。ただし通常はこうした価値観をいくつも立てることでこれをカバーする。価値観Aで劣の者も価値観Bで優とすることでケアするというわけだ。
しかし重要なのは「恋愛至上主義」の「至上」の2文字だ。この価値観は単に「恋愛ができる者が優れている」とするだけでなく、むしろ他の価値観に対する自身の「至上」を主張する。つまりゲームシステムに落とし込めば、通常は複数選べる価値観を1つしか選べなくするという強い制約が「恋愛至上主義」には掛かる。ぶっ壊れ性能を考えれば当然の制約だろう。この制約のため、恋愛至上主義では価値観Bによるケアができない。
まとめよう、「恋愛至上主義」は恋愛弱者の苦しみというコストを払って大きなメリットを回収するが、加えて恋愛以外の価値観を劣位に置くことで恋愛弱者が他の価値観で苦しみを緩和する逃げ道をも奪う。その結果が元増田の「すべてが恋愛で解決される」という盲信だ。これは結果であって原因じゃない。元増田に「お前のその考えが原因だ」と言った者は恥を知るべきだ。これは増田個人が自由意志で手に入れたものじゃなく、社会が生贄を募集するために市民1人1人に植えつけた価値観の結果だ。はきちがえるな。
さて、チェックしよう。元増田にブコメなりコメントなりを送った者は自分のコメントを思い出してほしい。
そのコメントは社会ではなく増田個人に原因を求めるものではなかっただろうか? 増田個人にアクションを(そして責任を)求めるものではなかっただろうか?
この質問に「いいえ」と応えられなかった者はアウトだ。線の左側へどうぞ。椅子は用意してないから以降ぼーっと突っ立ってそのアホ面を晒し続けてくれ。
(ちなみに補足しておくが、例えばあなたのコメントに増田が従った結果彼女ができるなり幸せになったとしよう。その場合もアウトだ。思い出してくれ、これは社会の問題だ。例え増田が一抜けしたところでその苦しみは増田だけのものじゃない。別の生贄が補充されるだけ。全体の苦しみは減らない。あなたはなにもしていない。増田個人が恋愛至上主義から脱却しても意味が無いことを理解しよう。治療されるべきは個人じゃなく社会全体だ)
すでに線の左側に置かれた人もこれからの線で更に左になるかもしれないから以降もちゃんと読んでくれ。もし以降の線で右側に置かれたならひとまず喜んでいいしその部分は誇っていい。
さて、増田の苦しみが恋愛至上主義がのさばるかぎり発生を避けられないものであることは確認した。この程度のことは分かってた人も結構いるんじゃないかと思う。
ただし自覚したとてそれを避けられるかは別問題だ。むしろ自覚しても避けられないからこそこうした価値観は強力だし、卑劣でもある。
恋愛至上主義が犠牲を生むと分かってたとしても、それを内面化せずに居られる人は少ない。特にあなたが恋愛至上主義によって利益を得ている既得権益者なら、なおの事難しいだろう。
増田個人の問題の解決が社会の解決に至らないとしても、増田個人の幸せを願うのはもちろん自由だしそれなりに美しくもある。でもその幸せをまたもや「彼女ができる事」によって成し遂げられるとあなたは考えていないだろうか?
冒頭で紹介した2番目の「「彼女ができない苦しみを整理したい」に対するコメント返し」(↓)をあなたは読んだだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20191213170850
↑で増田は寄せられたコメントに一つ一つ真摯に答えようとしている(もっともその痛々しいまでの従順さは彼を幸せにするだろうか? と心配になるが……)
そしてそれに対するブコメは彼の真摯さを賞賛するものが多い。いいことだ。しかしその内容には反吐が出る。
なんと驚くべきことに彼の真摯さが「彼女ができる事」に役立つことを願ったり期待する声が多いのだ。なんだこれは? イカレてるのかあなた方は。
どうして彼の真摯さそのものを、それだけで独立した達成であり勝利だと考えることができないのだろうか? なぜわざわざ彼の真摯さは一度恋愛に換金されなくてはならないんだ?
あなたは彼の真摯さを賞賛しながら、なぜその手元の「恋愛至上主義」というものさしを手離すことができないんだろうか?
そのものさしこそが彼をひっぱたき皮膚を裂いた凶器であることを知りながら、そのものさしによって彼が幸福になることを望むのか? それがどれだけ残酷な事なのか、本当に分からないのか?
まず解決されるべきは彼の恋愛至上主義ではなく、あなたの恋愛至上主義なのではないか?
もう一度確認しよう。「Xが優れている」「Xをもつ者が幸福である」と規定するのが社会の価値観だ。あなたがたはXに「恋愛」なり「彼女ができる事」を入れることに抵抗はないようだが(彼の幸福が恋愛によって達成されることを望むならそういうことだろう)、一方で彼の美質である「真摯さ」はそれそのものだけではXに入らないと考えているようだ。
当然ながら、そのような価値観を持つあなた方が多く住むこの社会では「こんなに真摯なら彼女もできる/幸福になれる」ことも期待できない。ここでは真摯さの評価のされ方・されなさが問題だからだ。悲しくもあなた方はあなた方の願いが達成される見込みが薄いことを自分自身で証してしまっている。彼の幸せを願うコメントがどこか他人事なのもそのせいだろう。
チェックしよう。あなたのコメントは彼の苦しみの根源である恋愛至上主義を内面化したり強化するものでなかったか?
「いいえ」と答えられないなら線の左側へ。
なお、社会ではなく「彼個人に」「恋愛による幸せ」のためのアクションや原因を求めた者は2重にアウトだ。頼むから慎んでくれ。あなたは有害だ。
はじめに紹介したゲームを思い出してほしい。私はあなた方をゲームのプレイヤーに設定した。その意図がわかるだろうか?
あなたがたがやっているのだ。
あなたが彼の苦しみを生み、加熱し、支持し、育て、成った実を食べる張本人のひとりだ。
ゲームをプレイするうちあなた方は気付くだろう、このゲームはオンラインゲームだと。プレイヤーは自分だけじゃない、何億という人間がこのゲームに接続し、それぞれがこの社会に期待する価値観を送信する。その結果として恋愛至上主義はみなさまのご愛顧のおかげでランキング1位に輝きました。
そもそも具体的にどういう仕組みでこの価値観ランキングは動いているのだろうか?
当然ながら、為政者が「恋愛至上主義」ボタンをポチっと押したらみんなの脳に恋愛至上主義がダウンロードされる、わけではない。そうではない具体的な仕組みがあるはずだ。
その仕組みの中にあなたがいる。
あなたが寝て起きて食べて話して歩いて働いて遊んで観て笑って泣いて過ごす一つ一つの所作や言動が様々に作用して結びつく複雑系がこのランキングだ。
さて、あなたはセーフだろうか? あなたの好きなあのコンテンツやあの人やあの活動はセーフだろうか?
セーフだと思った?
だとすれば異常だ。どうしてあなたはあなたがセーフかどうか判定する能力なり権限があると思ったのか、どうかしているとしか思えない。
増田へのブコメを見てもわかる通り、この社会には恋愛至上主義を内面化してしまっている人間が多い。あなた方は日常の様々な場面で恋愛至上主義を強化するような言動をばら撒き、加害者となりながらそれに気付かない。
気を付けてほしいのはそういう行為なりコンテンツは必ずしも批判の的にならないという事だ。すでに社会の隅々に恋愛至上主義が行き届いてしまっている以上、それは社会からは「許される」。どころか「推奨され」すらする。この社会において批判されない行為やあるいは賞賛されているコンテンツですら、実際には恋愛至上主義をばら撒く害毒である可能性は十分にあるという事だ。聖域は無い。
こうした考えは、たとえばフェミニストならば割かし容易く受け入れられると思う。日常の仕草や多くの人間に支持されるコンテンツが誰かを生贄にして成り立つ価値観を静かに忍び込ませてしまう。そうしたことをフェミニズムは主張してきた。
たとえばフェミニズムへの敵対者は、残念ながらその逆のようだ。彼らは心情的には増田のような人間の味方になりたいのではないかと思うが、彼らの論理はその方法を提供しない。日常の些細な言動やコンテンツによる抑圧や価値観の忍び込ませといった話題に嘲笑で迎え撃つ彼らは、同様に恋愛至上主義を忍び込ませる言動やコンテンツを批判しえないのだ。
(もっとも、ここには反論があるかもしれない。全員がそうではないと。例えばフェミニズムの敵対者が「言動やコンテンツによる価値観のばら撒き」を否定しているのではなく、そのようなばら撒きへの批判の「偏り」を問題にしている、と主張するとしたら、それが本当なら確かにそうだろう。つまりあるばら撒きにはその存在や加害性を認めるが、他のばら撒きには認めない、という態度を取る人を批判するという事はあり得るし、実際増田へのブコメを見るかぎりそうした偏りを無自覚に持っている(自分の加害性を自覚できていない)人は多そうである。また↑のフェミニストへの期待も留保が必要な場合もある。彼女ら彼らはオタクコンテンツに対しては厳しい目を持っているが、彼女ら彼らが賞賛するコンテンツの恋愛至上主義のばら撒きに対して同じくらい厳しい目を持っていると言えるか? と言われると、うーむ、検討させてくれ、とならざるを得ないし、言動よりもコンテンツへの批判に偏っていると言われれば、それも自信をもって反論はできない。そもそも恋愛至上主義での既得権益者もそれなりに抱える集団なのだ、その点で不当であったり不誠実な人間も混じっているだろうし、そういう不純物に対する自浄性は多くの集団が備えていない。とはいえ、その辺りも自覚して気を付けてる人は多いと思う。思いたい(もっとも「自分は気を付けてるから大丈夫だ」とあなたが思ってるとしたら、あなたは線の左側にいる))
さて、チェックしよう。
あなたはあなたがこの社会で恋愛至上主義の蔓延に(従って増田の苦しみに)加担している自覚を持ってコメントしたか?
「いいえ」と言えないならあなたの居場所は線の左側だ。自覚を持ってくれ。お願いだ。
この他にも様々な線が引けるだろう。流石に疲れてきたので(本当にいい加減にしてくれ、せめてもっとマシになってくれ)このあたりにするが、気が向けばまた線を追加するなりするかもしれない。
さて、あなたはいま線の右側に居るだろうか? 左側に居るだろうか?
右側に居る場合はおめでとう。ただしそれは偶然の結果である事をお忘れなく。今回引いた線はあくまで私の能力の限界に規定されて選抜されている。私がまだ思いついていない他の線で左側に立たされる可能性は大いにある。
左側に居る場合は、あなたは他人にコメントする前にまず自分の問題や加害性をどうにかするべきだ。まずは恥を知るところからはじめるといい。
「こんなに細かい事をいちいち言われたら何もできないし言えないじゃないか」という感想をあなたが持ったとしたら「今更気付いたの?」と答えるしかない。現代は過去最高にアウトの線が増えた時代だ。あなたが何かする度、あなたは加害者である。あなたが何かをできるために倫理が気を遣ってあなたを避けてくれる事は無いのだ。
さて、気付いた方もいると思うが、これが価値観のしている事だ。
恋愛という線を引き、不躾にも他人をその右側に置いたり左側に置いたりする。もしもあなたがこれまでの私の言葉に傲慢さを感じたとしたら、いや、全く正しい。だから、あなたは、傲慢なのだ。
線を引くにしてもなるべくフェアになるよう言葉を尽くしたつもりだが、尽くしたつもりなら尽くせるとは限らないし、仮にその線引きがフェアだったとしても、その暴力性が無くなることは無い。人種や性別のような理不尽な線を選ばないとしても「差別じゃなく区別」などという戯言はやはり戯言でしかないのだ。
頼むから自覚してくれ、恥を、加害性を、暴力性を、知ってくれ。
「そうだそうだ」じゃねぇぞ。お前に言ってるんだよお前に。
"日本が繰り返した消費増税という過ち" By Mike Bird, The Wall Street Journal 2019年12月12日 14:28 JST https://jp.wsj.com/articles/SB11472337774144154450204586073110834531904 ちなみに英文のタイトルは"Japan and the Art of Making the Same Mistakes Over and Over Again"
今年の日本の年間利払い費は8.85兆円で、直近の名目GDPは559.22兆円です。そのまま割ると1.6%程度ですが、ここでウォールストリートジャーナルが純利払い費(英文ではnet interest payments)を対GDPの1%未満としているのは国債のうち政府機関(主として日銀)保有分に対する利払いをオフセットしているからです。
そのように観察すべき点については、アメリカのマクロ経済学者も指摘しています。
対GDP比で250パーセントにのぼる日本の債務に警鐘を鳴らす識者が少なくないが、この比率の危険性は誇張されている。金融市場は引き続き落ち着いており、2017年8月時点で日本の長期国債の金利はほぼゼロで、世界最低水準にある。金融市場が日本の債務を懸念していない理由は2つある。第1に、日本の国債の多くを保有しているのは、日本政府と日銀であり、それ以外の民間が保有する国債の対GDP比は40%に過ぎず、アメリカより大幅に低い。第2に、アメリカの場合は国債残高のかなりの割合を外国人が保有しているのに対し、日本の国債のほとんどは国内の貯蓄者や機関が保有している。
ロバート・J・ゴードン「アメリカ経済 成長の終焉」日本版・日経BP・2017年 https://www.amazon.co.jp/dp/B07KWMYP13/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
公的債務とは政府の負担するトータルとして定義されます。すなわちあらゆる経済主体に宛てて発行された債券(負債)の総額です。そしてその経済主体には他の政府部門、家計、民間企業、そして外国投資家が含まれます。公的債務は財政赤字の累積でもあります。
・・・ここで政府債務とは政府内の他の部門によって保有されている債券も含まれていることに留意してください。2010年の半ば時点において、連邦準備制度は1兆ドルの財務省証券を保有しています。それに加えて数兆ドルの財務省証券がソーシャル・セキュリティ(社会保障基金)やメディケア・トラストファンド(医療保険基金)によって保有され、それによってベビーブーム世代がリタイアした場合に増大する給付や彼らが支払ったペイロールタックス(※増田注:社会保障税。アメリカの公的年金の財源です)に対応する支払い等の将来の支払い義務に対処することが可能になっています。
このセクションで議論になるのは、将来世代の負担という問題は、政府債務が政府内の他の部門によって保有されている場合は必ずしもあてはまらないということです。政府が負担するグロスの債務は政府の保有する総額です。それゆえ、ネットの債務はグロスの債務から政府自身が保有する持分、すなわち連邦準備や政府系信託が保有する債券を控除して求められます。懸念すべき唯一の問題はネットの債務です。なぜならばネットの債務の利子は将来の納税者によって支払われるからです。それと対照的に、政府内部で保有されている負債から生じる利子は、支払われると政府に戻っていきます。例えば、Fed(連邦準備制度)はその大量の政府証券の保有から得る利子から毎年多額のドルを財務省に戻しているのです。
Robert J Gordon "Macroeconomics" 12th Edition,Pearson(2013) https://www.amazon.co.jp/dp/B00IZ0B3NK/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ところで、2019年の年間利払い費は8.85兆円は、実は名目GDPが350兆円程度だった昭和60年代よりも少ない額なのですが、財務省は5年前には利払い費は今後10年で2.4倍になると試算していました。
"国債利払い費、今後10年で2.4倍に 財務省試算" 日本経済新聞 2015年2月18日 https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS18H4K_Y5A210C1EE8000/
グロスの数字のみ示す不適切さはおくとしても、当時の試算によると2019年の利払い費は12.9~13.2兆円、来年は14.0~14.7兆円、再来年は14.8~16兆円。2020年の予想と2019年の実際の利払い費の差額は今年の増税分とほぼ同じ、このような試算をしていたのであれば、予想が外れた今年、むしろ消費税は下げるべきでした。
日本の経済がパッとせず人々の暮らしが苦しくなったのはGDPが増えなかったからで、GDPが増えなかったのはアベノミクスの以前の日銀が金融緩和に消極的かつ財政支出が不十分だったからで、アベノミクス以後少し増えるようになったのに物足りず、「生活が苦しい」という人が少ししか減らないのは安部政権が1年目を除き財政支出を渋るうえに消費税を増税しているからですが、そうした政策はこういう邪悪で愚かな試算を根拠としています。しかしながら盛大に外したことがあきらかになっているのに、財務省の責任を問う声はまるで聞こえず、財政再建を批判するのは外国の新聞やエコノミストばかりです。マクロ経済に関心が薄い社会は、財務官僚にとってはチョロい社会ですがロスジェネは救われません。
"れいわ新選組と立憲民主党 どちらが正しいか (自民党とどちらが正しいかも追記しました) " https://anond.hatelabo.jp/20190622204530
"金融政策はこれからもマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるのか サマーズとクルーグマンのツイートより" https://anond.hatelabo.jp/20190824134241
"国土強靱化いつやるの?今でしょう!" https://anond.hatelabo.jp/20191014111057
"お金が余ると財政健全化できない?そんなバカなことあるか!...あるんです " https://anond.hatelabo.jp/20191111070842
「生理でイライラするんだからしょうがない」っていうのはなんかちょっと逆に、あれだ、「男性の浮気は本能だからしょうがない」っていうのと同じことのような気がする。
コントロールできないほどイライラする日は有給をまともに取れたらそれでいいよね。
生理のイライラも浮気衝動も、どっちも自分でコントロールすべきもので、他人に配慮を求めるのはちょっと違うんじゃないかなって言いたかったわけです。
イライラがどうしても抑えられなかったりぶっ倒れちゃうようなひどい人は病気なので男女問わず休暇を取ったり、それで間に合わなければそれなりの個々の対応を会社と話し合ったらいいと思います。
臨時国会期間の3分DIETも本日が最後となりました。
本日は国会閉幕の裏側お届けします。
是非見てください‼️
《Law37》いよいよ臨時国会会期末〜メディア芸術センター法案は提出できませんでした〜 https://t.co/xh1ilAyr5F pic.twitter.com/6QiUZC7643— 山田太郎 ⋈3日目南フ10a(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) 2019年12月9日
見た。
見た限り大体こんな感じの内容だった。
後はメディア芸術ナショナルセンター法案の為に色々動いたよって話。
そりゃ怒るのも理解できる。
順序を入れなければならない理由:
主張 | 反論 | 反論への反論 | 再反論 | 再反論への反論 | |
内因性 | 文章題で出てきた数字をただ順番に並べただけでも点が取れてしまう方式では、本当に子供が理解しているかが見えづらい。また、定められた手順で問題を解くことの練習にもなる。 | 子供と話すなどの方法でも理解度は確かめられる。テストで掛け算の順序を間違えることではじめて子供が理解できていないことに気づくとすれば、そのような教師は無能であると言わざるを得ない。また、定められた手順で解くのではなく、自ら考えて問題を解けるようにするのが教育の目的のはず | 掛け算の順序だけで理解を測るものでは当然ないが、理解を測りやすくする仕組みは当然必要。教師はエスパーではない。思考力は当然必要だが、手順通り問題を解く能力もそれはそれで必要 | 理解度を測るための手段としては不十分であることが分かった。子供が自ら考えて出した式が、授業で教えた順序ではないからとバツされるのでは、思考力を削ぐことになりかねない | その方法だけでは測れないと言っているだけで、不十分との決めつけは一方的。また、文章の意味をよく考えて正しい順序を導くことは思考力アップにもつながる |
重要性 | 文章を読み取って計算を行う力が重要であることは言うまでもない | (反論なし) | |||
解決性 | 順序を正しく書けていない子供を注意深く指導することで、文章を読み取れていない子供に対するケアができる。子供自身、順序を間違えないよう注意深く文章を読み、手順通りに問題を解くようになる | そもそも掛け算が順序通りかどうかで理解度を測れると考えるのが乱暴。「単位があっている方が先」などとパターン化して覚えるだけなので無意味 | それでも、ただ出てきた順に数字を並べるよりは、よく文章を読めていることになる | 結局パターン化して問題を解くようでは、理解度を見るという目的には何ら寄与しない | 「何ら寄与しない」は言い過ぎ。ひとつひとつの試みを「効果が少ない」と言って切り捨てていては、何一つ有効な試みなど存在しないであろう |
主張 | 反論 | 反論への反論 | 再反論 | 再反論への反論 | |
発生過程 | 本来は自然数の掛け算には順序がないのに、嘘を教えているということになる。順序がないものをあると覚えてしまうことは問題だし、また、正しいはずの式を書いてもバツされてしまっては、子供のモチベーションも下がりかねない | まず、誤解があるので解いておくと、自然数の掛け算に順序があるのではなく、文章題を式にする過程で生み出される式に順序がある。その順序は教科書に書かれており、授業で教えている。モチベーションについては、順序を正しく書けるようになった子供を褒めるなどの方法で保つことはできる | 残念ながら、そのような認識をしておらず自然数の掛け算に順序があると考えている教師も多数いる。また、仮にそうであるとしても、文章題を式にする過程は一通りに定まったものではなく、生み出される式も、順序がどちらのものも存在するはずである。合っていても教科書通りでないと認められないというのか。また、掛け算に順序がないことを知っている子供がバツを喰らって、「正しい順序」とされるものにすることで褒められたとしても、バカバカしいとしか思わないであろう。モチベーション低下は避けられない | 算数は数学につながるものであるから、定義を大切にするのは当然である。数学であっても、定義から外れたものを証明なしに使うことはできないはず。賢い子供にこそ、それを理解してほしい | 文章題を式にする過程は形式的なアルゴリズムとしては与えられておらず、式にする手段は単なる一例であるはずである。それを「定義」と言い換えることでローカルルールを押し付けるべきではない。賢い子供は、そのような嘘を簡単に見抜くであろう |
深刻性 | 嘘を教えること、モチベーションが下がることが問題であるのは言うまでもない | 嘘でないことは上に述べた通りであるが。あなたはニュートン力学を教えている先生に「嘘を教えている。相対論と量子論を教えろ」と迫るのだろうか? 教育上の過程として、より限定的なものから、一般的なものへと広げていくことは何ら問題はない | 力学の例は極論である。相対論や量子論で議論するよりもニュートン力学で議論した方が有益な問題は多数あるが、掛け算に順序があると考えた方が有益な問題は一つでもあろうか? そもそも、自然数の掛け算に順序がないことは、小学生でも知っているべきことである | ニュートン力学は、単なる利便性のためだけでなく、教育的な意味もある。順を追って、少しずつ概念を拡張して教えていく。それを「嘘」と呼ぶのは大袈裟。また、自然数の積に順序があると主張しているわけではなく「嘘」ではないことは上に述べた通り | 教科書の記述を「定義」として扱うことへの疑問は上に述べた通り。順を追って最初は式には順番がある、と教えることの教育的な意味自体が怪しい場合には、単なる嘘である。それを見抜いた子供のモチベーション低下は避けられない |
固有性 | そもそも掛け算に順序を入れなければ、このような問題は起きないのは明らか | (反論なし) |
みんなもやってみてね