順序を入れなければならない理由:
主張 | 反論 | 反論への反論 | 再反論 | 再反論への反論 | |
内因性 | 文章題で出てきた数字をただ順番に並べただけでも点が取れてしまう方式では、本当に子供が理解しているかが見えづらい。また、定められた手順で問題を解くことの練習にもなる。 | 子供と話すなどの方法でも理解度は確かめられる。テストで掛け算の順序を間違えることではじめて子供が理解できていないことに気づくとすれば、そのような教師は無能であると言わざるを得ない。また、定められた手順で解くのではなく、自ら考えて問題を解けるようにするのが教育の目的のはず | 掛け算の順序だけで理解を測るものでは当然ないが、理解を測りやすくする仕組みは当然必要。教師はエスパーではない。思考力は当然必要だが、手順通り問題を解く能力もそれはそれで必要 | 理解度を測るための手段としては不十分であることが分かった。子供が自ら考えて出した式が、授業で教えた順序ではないからとバツされるのでは、思考力を削ぐことになりかねない | その方法だけでは測れないと言っているだけで、不十分との決めつけは一方的。また、文章の意味をよく考えて正しい順序を導くことは思考力アップにもつながる |
重要性 | 文章を読み取って計算を行う力が重要であることは言うまでもない | (反論なし) | |||
解決性 | 順序を正しく書けていない子供を注意深く指導することで、文章を読み取れていない子供に対するケアができる。子供自身、順序を間違えないよう注意深く文章を読み、手順通りに問題を解くようになる | そもそも掛け算が順序通りかどうかで理解度を測れると考えるのが乱暴。「単位があっている方が先」などとパターン化して覚えるだけなので無意味 | それでも、ただ出てきた順に数字を並べるよりは、よく文章を読めていることになる | 結局パターン化して問題を解くようでは、理解度を見るという目的には何ら寄与しない | 「何ら寄与しない」は言い過ぎ。ひとつひとつの試みを「効果が少ない」と言って切り捨てていては、何一つ有効な試みなど存在しないであろう |
主張 | 反論 | 反論への反論 | 再反論 | 再反論への反論 | |
発生過程 | 本来は自然数の掛け算には順序がないのに、嘘を教えているということになる。順序がないものをあると覚えてしまうことは問題だし、また、正しいはずの式を書いてもバツされてしまっては、子供のモチベーションも下がりかねない | まず、誤解があるので解いておくと、自然数の掛け算に順序があるのではなく、文章題を式にする過程で生み出される式に順序がある。その順序は教科書に書かれており、授業で教えている。モチベーションについては、順序を正しく書けるようになった子供を褒めるなどの方法で保つことはできる | 残念ながら、そのような認識をしておらず自然数の掛け算に順序があると考えている教師も多数いる。また、仮にそうであるとしても、文章題を式にする過程は一通りに定まったものではなく、生み出される式も、順序がどちらのものも存在するはずである。合っていても教科書通りでないと認められないというのか。また、掛け算に順序がないことを知っている子供がバツを喰らって、「正しい順序」とされるものにすることで褒められたとしても、バカバカしいとしか思わないであろう。モチベーション低下は避けられない | 算数は数学につながるものであるから、定義を大切にするのは当然である。数学であっても、定義から外れたものを証明なしに使うことはできないはず。賢い子供にこそ、それを理解してほしい | 文章題を式にする過程は形式的なアルゴリズムとしては与えられておらず、式にする手段は単なる一例であるはずである。それを「定義」と言い換えることでローカルルールを押し付けるべきではない。賢い子供は、そのような嘘を簡単に見抜くであろう |
深刻性 | 嘘を教えること、モチベーションが下がることが問題であるのは言うまでもない | 嘘でないことは上に述べた通りであるが。あなたはニュートン力学を教えている先生に「嘘を教えている。相対論と量子論を教えろ」と迫るのだろうか? 教育上の過程として、より限定的なものから、一般的なものへと広げていくことは何ら問題はない | 力学の例は極論である。相対論や量子論で議論するよりもニュートン力学で議論した方が有益な問題は多数あるが、掛け算に順序があると考えた方が有益な問題は一つでもあろうか? そもそも、自然数の掛け算に順序がないことは、小学生でも知っているべきことである | ニュートン力学は、単なる利便性のためだけでなく、教育的な意味もある。順を追って、少しずつ概念を拡張して教えていく。それを「嘘」と呼ぶのは大袈裟。また、自然数の積に順序があると主張しているわけではなく「嘘」ではないことは上に述べた通り | 教科書の記述を「定義」として扱うことへの疑問は上に述べた通り。順を追って最初は式には順番がある、と教えることの教育的な意味自体が怪しい場合には、単なる嘘である。それを見抜いた子供のモチベーション低下は避けられない |
固有性 | そもそも掛け算に順序を入れなければ、このような問題は起きないのは明らか | (反論なし) |
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