毒親育ちという言い方。あまり好きじゃない。「自分がそういう親の元で育った故に現状がこうなのは仕方ない」という考え方に陥れば、後に残るのは地に足を着けていける何かよりは、運命論的あきらめになりそうなのが本当に怖いから。
「親と子の間の葛藤」「配偶者間の葛藤」「嫁姑の葛藤」「介護の葛藤」等々、本当は多くの人の支えを必要とするような話にかぎって劇物すぎて誰にも話せない。だから、話せる人間=家族になりがちだが、その家族自体が原因だったりすると、悪いものが堂々巡りになる。
むしろ、家族こそ一番何も話せない相手だったりする。協調・共感する相手ではなく逃れるべき相手だったり、時には自分を守るために立ち向かわなきゃいけない相手だったりするから。
それでいて、いつでも笑顔で明るく何もなかった顔をして生きていくのが社会人のスタンダードだから割としんどい。
社交的な局面や親密圏、友人との交流ですら、そんな重たいものを吐き出したら人との繋がりを失っていく。
この手のコンテンツ、ブログエントリにするにしても、ずっとそれがそこにあると、後悔しそうな気もする。
ツイッターだと、それを目にした人との繋がりが濃く出来すぎるのも怖い。
応酬で成り立つ、濃密過ぎた人間関係からの半ば本能的な回避性向があるせいで、行き詰まってるのは理解しつつ。
ここで晒すのですら、書きっぱなしのつもりぐらいでないと書けないし。
泥で汚れたボールを他人にパスする前にまずそのボールを拭け お前に必要なのはまずコミュニケーションの前に適切なケアだ
神風特攻隊しないなら村八分だと言われても帰れたはずだ
英霊が来とる?!
それパスやない。 えぇか、あいてのゴールにボールを入れるのはパスとよばんのや。 おまえにパスするのもたぶんパスと呼ばれん。 おまえはサッカーでぱすがもらえないこや
センパイ、もう呑みニケーションは古いッスよ~
ほめてもらえたのはひさしぶり、ありがとう。
これは昨今珍しいマトモな先輩やで