はてなキーワード: 首席とは
運良く早慶の某文系学部の首席に選ばれた。これが何かに直接役立つことはないだろうけれどやはり嬉しい。
私みたいな馬鹿にも首席を取らせてくれるこの大学のこの学部に受かって本当に良かった。
思い返すと本当に、何故受かったのだろうと感じるような受かり方だった。やはり受験はロト6。(マークシートの場合)
元々高3の夏まではマーチに指定校推薦で行こうとしてた。(高校の偏差値が高くなかったので早慶の指定校推薦はなかった。)今思うと本当にやめて良かった。夏にオープンキャンパス行って通学時間長すぎると思ったのと、本当に早慶じゃなくて後悔しないか不安になったので、結局やめた。
浪人して早慶目指すつもりだったのと、学校通って宿題やるだけで疲れる人間だったから受験勉強は全然できなかった。予備校にも行ってない。受験勉強と言える勉強をし始めたのは高3の冬休み入ってからだった。学校が休みに入ったのと、一応で受けるセンター試験の結果を学校に報告するときにあまりにも点数が低いのは恥ずかしいと思ったからようやく基礎から勉強を始めた。といっても、その時ちょうど新しいソシャゲをはじめてしまったりとそれほど頑張れたわけではない。
寝不足でセンターを受けた。勉強不足と頭の悪さで国語は6割を切る始末だった。その後燃え尽きて一週間はほとんど何もやらず。その後ぼちぼち少しだけ勉強した。どうせ来年が本番だしと、始めたばかりのソシャゲのバレンタインイベを完走するなどした。
その後模試感覚でマーチを2,3回、早慶を2回だけ受けた。私は小テストにも一々気持ち悪くなるほど緊張する人間だったのだが、「どうせ落ちるし。お試しお試し。来年がんばろ〜」みたいな感覚で受けたのが功を奏し、緊張や焦りは抑えられた。しかしそれでも勉強不足。普通にマーチに落ちた。知ってたことなのであまりショックでは無かった。受からせてくれたマーチは1つだけだった。
その後1,2週間があき、早慶の受験。はじめに受けた方は赤本すら買っておらず過去問すら解いていない。「ここにいる人たちにとっては大事な日なのかな〜私はお試しお試し」と物見遊山感覚で受験。一応は真面目に取り組むも、英語でかなりの長文を書く問題が出され、めんどくさくなって放棄した。ここは落ちた。
そしてその次に受けた学部が私が何故か受かり、何故か首席をとれた学部だった。なぜだか忘れたけどここの学部の赤本は一応買っていて、一周くらいならしたような気がする。問題は平易な方だが合格点は高めの学部という感じだった。前に受けた学部とは違って、ここのは一応最後まで真面目に取り組んだ。模試気分だからこそ緊張せずに解けたが、それでもバカで勉強不足の私には難しかったから、まさか受かってるとは思わなかった。マークシートで運が炸裂したのだろうなと思う。(マークシートと記述混合)
そうして思いがけず早慶に受かって、浪人もすることなく予備校にも行かずに何故か早慶入学。模試も高校実施の以外面倒で受けなかったような人間なのに。受験って運の要素強すぎるのだなと感じた。
その後ちゃんと卒業できるのかも危ぶみながら学生生活が始まった。高校の偏差値は低いし真面目に勉強取り組めない人間だしマーチにも落ちるし、過去問等の入手もコミュ障ぼっちなので高難易度。単位取れないのでは?と思いながら授業情報雑誌とにらめっこ。
長くなったしここら辺で終わる。GPAとるために個人的にしたことなどやる気が出ればまた書くかもしれない。
とりあえず思ったのは、GPA取るのにあまり地頭は必要ないということ。過去問とかもあるに越したことはないが、無くてもA+はくるということなど。文系だけかもしれないが。
(追記)
首席(学部事務所の方曰く総代という言い方でした)に選ばれたのは学部の成績がトップだったからです。最終的にGPA約3.9でした。
とある増田経由でこのtogetterまとめにたどり着いたが。これはひどい。
山口先生の解析では山口(2008)で“男女の所得格差は男性に比べ女性に非正規雇用が多いことが一因ではあるが、より大きな原因は正規雇用者中の男女格差で、特に女性の管理職昇進率が男性に比べ著しく低いことが要因だ”ということが示され、さらに山口(2014ab)で勤続年数・就業時間・年齢・学歴・職場の種類だけでは男女の管理職割合/所得の格差を説明しきれない(これらの項目が全て同じだったとしてもまだ大きな男女格差が残る)ことが示された(※1,2)。
つまり、ショーン君の「山口一男氏を始めとして、多くの研究から所得の男女格差は女性が辞めたり時短にした結果によって生じているもので、そうしなければ女性の所得は男性並みであることが分かっておりますので、女性も自信をもって主たる家計支持者になって大丈夫ですよ。」は間違い。
むしろ何で山口先生の名前出したん?たぶん読んでないでしょ君。それで本人から訂正されるって一番恥ずかしいやつぅ。
……とまあ本来はここで終わり。あるいは、少し後退して「賃金の男女格差の要因の一部には女性が辞めたり時短にすることが含まれうる」と主張を弱めるか。はたまた「貴方の論文/解析は間違っている」と文献を挙げるか自分の研究結果を出すか。
※1:就業時間と管理職割合の関係は因果が両方向(長く労働する社員は管理職になりやすい/管理職になると労働時間が長くなる)だが、前者だけを考慮している。そのため、就業時間の実際の説明力は解析結果よりもっと弱い。
※2:平均の就業時間ではなく、就業時間区分に分けてその割合で解析している。理由としては平均値だとあまり男女差は無いが、区分分けすると“長時間労働者”区分の割合で男女差が大きくなるため。平均差より区分分けして解析した方が労働時間の説明力が高くなる。山口(2014a)では具体的に述べてはいないが山口(2014b)では週当たり平均労働時間の男女差は約4時間だが区分分けすると労働時間50時間以上の区分で女性割合が男性の3分の1になる。
ここからショーン君は鮮やかな論点ずらしを見せる。「男女格差は女性が辞めたり時短にした結果」という自分の発端のツイートとそれへの指摘は無視して、別の話を始める。
まあショーン君も実際に解析結果見て「あ、ヤベ」って思ったんだろうなあ。他の人の研究でも女の時短とか離職は数あるファクターの一つに過ぎないし。
『「男女格差は女性が辞めたり時短にした結果」ではありませんよ。要素の一つにすぎません』に反論しようがない。
でも凄いよショーン君は。まるで最初っからそう言ってたみたいに論点ずらすんだもん。ネット論客かくあるべし、みたいな?尊敬はしないけど。
1) 日本でも同じ勤続年数・職位・職階であれば所得の男女差はない
2) 日本の所得の男女差はa.勤続年数・職位・職階の分布の違いとb.職種の分布の違いで説明できる
というのが基本かと思います。
うんうん。まあもう少し言えば補正後も男女差は残るし、職階の分布の男女差の説明変数の一つが勤続年数なんだけど、まあ細かいことはいいんだよ。
山口先生と私が違っているのはそのファクトの解釈です。山口先生は例えば《意思決定ラインの登用には男性が優先されていると考えられ》とここに男女差別があるのだという解釈になっています。ですが、この解釈には直接的なエビデンスがありません。
うん?差別?突然出てきたが何の話だ。実際に解析結果では「係長‐課長‐部長という意思決定ラインの登用には男性が優先されている」し、少なくとも引用元では山口先生はそれを差別と呼んでいないぞ。
事務職コースみたいな、女性が多く(というか実質女性向け職)かつ賃金・昇給が低く抑えられている企業内コース制度のことは間接差別だと言ってるけど。
2020年管理職30%目標など企業も努力しており、その中で問題になってくるのが「女性に昇進を打診しても断られる」「管理職候補だった女性が寿退社してしまう」という問題です。女性の昇進意欲については山口先生の間接的データの解釈とは別に直接的エビデンスが存在します。
うぅん!?“昇進意欲”なるものが唐突に出てきた。え?女の時短や離職で賃金格差が生じてるんじゃなかったの?
しれっと別の話始めないでよショーン君。たぶん山口先生も混乱したでよ。
例えば、『多様な選択を可能にする学びに関する調査報告書』(gender.go.jp/research/kenky…)では女性の昇進意欲は男性のそれの半分です。パーソルの調査(rc.persol-group.co.jp/research/activ…)でも同様の結果で、日本の女性はアジアの中でも管理職昇進意欲が最低で、男女のオッズ比も最も大きい。
「女性に昇進を打診したのに断られる」という企業の困惑は実際そうでしょう。引用先から図表を持ってくるとこのようになります。
この問題は日本に限った話ではなく、例えばスーザン・ピンカーが「なぜ女は昇進を拒むのか」(hanmoto.com/bd/isbn/978415…)という本を書いていたりしますが、この本の主張はともあれ多かれ少なかれ「女性に昇進を断られる」という問題は現実的な話ではあります。
いやしれっと進めないでよね。それに女は昇進意欲が小さいんじゃい!と連呼されてもさ、それが職階分布の男女差をどれくらい説明できるのかなんも言ってないじゃん?(※3)
いやはややっぱりすり替えがうまい。女は昇進意欲が小さいというエビデンスを、それによって職階分布の男女差ひいては男女の賃金格差が生じているというエビデンスに誤認させてる。
山口先生がただ結果を述べているだけなのを「男女差別があるのだという解釈」ということにして信頼を毀損しようとする。
やりますねえ!
※3:たしか昇進・労働意欲の影響を調べた解析もあった気がする。あ、これだ馬&乾(2016)。これだと係長への昇進は意欲で一部説明可能だが課長以上はできないって結果。ちなみにこの調査では、管理職割合については属性格差(人的資本の男女差)より評価格差(人的資本の評価における男女格差。例えば同じ人的資本を持つ男女では男性の方がより評価されるなど)の影響の方が大きく、男女の職階差は差別的扱いに由来するものと結論付けている。馬ら(2017)でも昇進意欲の影響を見てるがこちらはもっと説明力が少ない。
次に、寿退社の話です。スローター「仕事と家庭は両立できない?」とその種になっているコラム"Why Women Still Can’t Have It All"(theatlantic.com/magazine/archi…)やサンドバーグ「Lean In」では夫選びの重要性が説かれます。妻の出世に協力的な夫でないと出世は難しいと言う話です。
こらまたアクロバティックな方向転換。なぜに夫選びの話に?
43歳でFacebookのCOO(その前はGoogle、さらにその前は米財務省の首席補佐官、その前はetc.)のスーパーウーマン、シェリル・サンドバーグが「女のリーダー少なすぎ!女だからって仕事辞めなくていいよ!子育ても仕事も両立できるし、バリバリ働けばキャリアだって男に負けない!頑張れ頑張れできるできる!!」と抜かすLean In (悪意的要約)と、それに「いや無理だし」と返しているアン・マリー・スローターを同じ意図で引用するってどういう脳みそだ。ほんとに読んだん?
夫選びに限定したって、サンドバーグは「理解のある夫くんが居れば無問題」、スローターは「夫は重要だけど、それだけじゃ無理」と言っている。
ちなみにショーン君の引用しているアン・マリー・スローターの文は日本語訳があるので置いとくよ。→https://courrier.jp/news/archives/77602/
最近の共働き志向の中では「出世に伴う転勤・引っ越しについてくる配偶者か否か」という問題で表出しやすくなっています。先生も研究者ですからポストを得るのに引っ越しが必要であり、現実的に引っ越しについてくる配偶者か別居を選ぶかしか選択肢がないのはご存じでしょう。
ただし、引っ越しについてくる夫を選ぶ女性が極めて少ないのは、中野円佳「育休世代のジレンマ」(kobunsha.com/shelf/book/isb…)4章2「なぜ夫選びに失敗するのか?」や、
あるいは有名どころで上野千鶴子のインタビュー(toyokeizai.net/articles/-/224…)にもそれは表れています。他人に白河桃子『「専業主夫」になりたい男たち』も同じ旨が書かれます。
女性が結婚相手選びで所得を重視するのは婚活産業や少子化関連の調査から明瞭で、言ってしまえば女性は自分の出世の邪魔になる夫を選んでしまうのですが、ここを変えようとしてもプライバシーへの干渉になるので、現実問題としてはここが非常に大きなボトルネックになっています。
まだまだ続くよ夫選びの話。ええい印象論はいい。エビデンスを出せエビデンスを。
って言うか最初に言ってた寿退社の話はどうなった。転勤・引っ越しと寿退社に何の関係があるんじゃ。
ちなみに山口(2014a)は制約は多いながらも「既婚および子供の有る女性/男性は、そうでない場合より昇進し難い/易い」という解析結果をだしている。あとさっき引用した馬&乾(2016)では結婚は女性の昇進に影響なし、男性にプラス。
しかし解釈は容易ではない(※4)。「夫が足引っ張るせいで妻が出世できない」のエビデンスには全く足りない。
あとこのツイートからわかるのはショーン君の「女が悪いフィルター」の強さかな。
「出世の邪魔になる夫」の問題じゃなくて『「出世の邪魔になる夫」を選ぶ女』の問題って言うんだぜ。賭けてもいいが、ショーン君ならDV被害はDV男を選ぶ女の問題って言ってくれるはず。
①/② 結婚が男性/女性(の昇進)にプラス/マイナスの効果を生じる
③/④ 独身が男性/女性(の昇進)にマイナス/プラスの効果を生じる
⑤/⑥ 昇進が男性/女性の結婚にプラス/マイナスの効果を生じる
①~⑥は全部同時に成立しうるし、①③⑤は⑦と、②④⑥は⑧と、⑦は⑧と排他である。
さらにプラス/マイナスが具体的に何によってもたらされるかも考えねばならない。超複雑!
最後に専門職の話。これは、実は「ジェンダーギャップ指数が良好な国ほど女性のSTEM系進学率が低くなる」現象があり、Gender-Equality Paradoxという名前で他国でも問題提起されています(eprints.leedsbeckett.ac.uk/id/eprint/4753…)。
問題提起?されたなあ確かに。その論文Stoet&Geary (2018)の信頼性についてだがね。
発端はこの論文に興味を持った他の研究者がデータから結果の再現を試みるも失敗したこと。よく見たらデータ自体も合わない(例えばポーランドの女性のSTEM学位取得率は43%だが、論文中では27%くらいになってる)ことが判明。著者らに問い合わせたんだ。
すると――聞いて驚け!――この論文の著者らはMethodsにも書いていない、非公開の独自の計算方法を用いて数値を算出していたのだと。
でまあ指摘を受けた著者は論文の大幅な――元論文の1割以上、1,113語にも及ぶ――修正をしている(Stoet&Geary, 2020)。
その訂正の多さもさることながら、元論文では言い切っていたところを「傾向(propensity)」という弱い表現に差し替えてる。つまり非公開の手法でデータいじって主張を誇張してたわけだ元論文は。
ぶっちゃけ個人的にはアウトもアウトな話だと思うんだけど、皆さんどう思う?
さらにそれを指摘した学者らの出したRichardson et al. (2020)では、国の数や男女平等の指標等が変わるだけで男女平等とSTEM分野の男女格差の相関は消えることが示された(=Stoet&Geary (2018)に再現性なし)。Richardsonら曰く「複数の指標や手法を試して結果の一貫性を確認すべき。自説に合う結果が出たやつだけ使うのはダメ」とのこと。
おっと、引用元の解説を長々しすぎた。Gender-Equality Paradox云々は置いといて、ショーン君が言いたいことは分かるよ。「女の選好のせい。女が悪い」でしょう?
良い手だが、それは結局ファクターの一つを提示したに過ぎない。それの説明力や、それがどの程度社会的に形成されたものであるのかが重要だ。
ちなみに山口先生の解析では、男女の専攻の選好は理工学部を除き、男女の職業分を説明しない。その理工学部にしても最大推定で約50%しか男女の職業分離を減少させない(※5)。
勘違いしないでほしいが、男女の選好の違いは男女のSTEM分野ないしより広い範囲の職業選択において重要なファクターの一つであることは間違いない。
論点はそれがどれくらい生物学的(対処不能)でどれくらい社会的(対処可能)であるかということだ。極端な主張の人達――100%生物学的 or 100%社会的――もいるがね。
※5:
男女の大学の選好の違いの多くは、男女の職業分離を説明しないが、例外は理工学部の女性の増大で、もし理工学部女性の割合が男性と同等になり、かつ彼女たちの職業分布が男性の理工学部卒の職業分布と同じになるという2条件が満たされるなら、タイプ1型(※6)の専門職割合の男女格差が最大の推定でほぼ半減すると期待できる。
※6: タイプ2専門職=教育・養育、医療・健康・看護、社会福祉分野の専門職から医師・歯科医師、大学教授(教員)を除いたもの。
タイプ1専門職=医師・歯科医師、大学教授(教員)およびタイプ2に含まれない専門職。
1) 元々出世意欲が低く打診しても断られる
まるで“山口先生が知らない問題”であるかのような口ぶりだが、2)と3)は山口先生の解析で男女の賃金格差の主因足りえないことが示されている(個別でも組み合わせても)。山口先生が研究で(たぶん)扱っていない1)についても要因の一つたり得るがエビデンスは少ない。
1) → 出世意欲の男女差では賃金/管理職割合格差を説明しきれない(調査も少ない)。
2) → 勤続年数が同じ(寿退社しない)でも格差は残る。また夫選びは勤続年数に影響を与えるファクターたり得るが、勤続年数そのものは
これから就職を考えている方は参考にしていただければ幸いです。
【入社前】
今はどの会社も
入社動機がはっきりしている専卒・高卒はもとより大卒の入社理由は人それぞれで面白い。
いわゆる私大文系で自己分析の結果、数字ノルマのある営業や全国転勤は嫌だから「とにかく安定している」という理由以外特にないままこの世界に入るタイプ。
近年はJRや大手私鉄だと、MARCH・駅弁以上だけど現業という珍種もいる。
そこで待っているのは今まで経験したことのない同じ釜の飯を食い同じ寝床で寝る楽しい楽しい集団生活。
基本的にどの鉄道会社も4週8休で朝~翌朝までの24時間勤務をベースに循環交代しながら働くことになる。
○よく説明される例
(土)休み
(日)休み
だいたい説明会や研修でもこのような勤務の仕組みの説明を受け「非番は自分の時間!自由に過ごせますよ!」とかキラキラした目のサクラ社員に説明されるが実際は、
●本当の例
(木)朝~夜・・・残業でラッシュ対応とお昼まで教育、そのあと先輩に強制連行されて平日昼から酒(20時~終電間際まで)
(金)朝~(土)朝・・・本来は日勤だったが病欠が出たので半分休日出勤でそのまま通して全泊仕事
(土)朝~夜・・・仕事を終えた朝から昼までは詰所で死んだように仮眠、昼から組合員講座へ動員され夕方からは飲み会
こんな感じ。
終車後の仮眠時間はどの会社も概ね5時間前後だが全員が着替えやシャワー浴びる時間も含めてその時間。
当然イレギュラーなことがあったりシャワーの台数と働いている人の数が釣り合わないと短くなる。
多くの若者にとっては今まで学校に行って家に帰れば親の用意してくれたあったかいご飯を食べて暖かい布団で寝れた生活からの転調なので当然ショックを受ける。
また、いくら時代が変わったとは言えまだまだ20年30年働いている先輩が幅を利かせてる超縦社会なので体育会系や集団生活の経験のない若者はのっけから洗礼を受ける事多し。
先輩への気遣いはどこの会社でもあるが、それがおはようからおやすみまでどころか翌朝のおはよう以降も続くのでやはり向き不向きはある。
ダメな奴はすぐにダメと判断し辞めるのが一定数いる(それはどの仕事も同じだけど)。
ただこんな生活でも半年もすれば身体が慣れてしまうので大丈夫。
若いうちは休日出勤も含めた残業代でそれなりに稼げるのでほとんどの若者は4週5~6休くらいにして休日出勤で稼ぐ。
会社によっては駅は子会社採用で乗務員にならないと親会社へ転籍できないところもあるので人によっては死活問題でもある。
もし駅が子会社採用で乗務員になる以外親会社へ就職できない鉄道会社への就職を考えるのであれば必ず入社前に運転の適性を確認すること(視力・聴力)。
やはり子供の頃からの夢で乗務員を目指す若手が多いが夢を叶えるのは同期全体で半分もいれば良い方。
どの会社も駅以上に超体育会系ではあるが、駅より拘束時間が短く給料も同じで休暇も取りやすいので人気が高い。
駅でそのまま係員として過ごす場合、ずっとルーチンワークが続くが年々後輩が入ってくるので仕事自体は楽になる。
組合関係の役職員で重宝されることが出世コースとなるかは会社によってケースバイケース。
御用組合の会社では組合役員は出世コース(ただしどの会社も組合関係は酒・ゴルフのお付き合いが付きものなので向き不向きがある)。
だいたいこの生活を30まで続けるともう月~金で毎日会社へ行く生活のほうが無理になる。
どの会社も30代40代で助役以上を目指すかどうか決めることになる。
給料は会社によって大きく異なるが、総じて助役になるとそれなりの収入になる会社が多い(ただしそれには理由があり・・・)。
駅という建物の管理(消防・建築)、駅員の管理(人事・総務)、売上の管理(経理)等、助役になった瞬間仕事の幅が広がる。
ルーチンワークをこなす事と他人にルーチンワークを正しくやらせる事では使う頭が変わってくる。
一昔前はパソコンも使えない高卒のおじさんが酒と煙草で飲みニケーションを図り、体裁の悪いものは上手く隠し、良くも悪くもどんぶり勘定で現場をまとめるのが良い助役とされた。
しかし、昨今のコンプライアンス重視の風潮や大卒者の増加により明らかに前時代より仕事に求められるクオリティーが上がった。
これは業界特有だが規則や規定を知ってれば知ってるほど偉いという風潮があり、最善の結果を求めた結果ルーチンワークに新たなルーチンワークが加えられるケースが多い。
脅しすかしで上手く若手を使った時代も過去の話となり、最近は係員に仕事を振るのも一苦労といった具合。
これはすべての会社共通だが助役に上がるとそこから残業が激増する。
係員として長年親しんだ明け番でバイバイ!というのもなくなる。
自分が当務者の日に係員がトラブルを起こし、翌日の家族旅行・子供の運動会・授業参観等ドタキャンになったなんて日常茶飯事だ。
そう、助役の収入が高くなるのは残業代が大きいからのである(ほとんどの会社では助役は管理職ではないので残業代が出る)。
そうなるとそこまでして助役を目指すべきか?という疑問も当然大きくなる。
助役を目指すのと一生係員でいるのとでは生涯賃金でどのくらい差がつくかは会社による。
本当に恵まれた一部の大手鉄道では一生係員でいても年功序列でそれなりの収入になるので助役を目指さない人も多い。
最終的には同期入社のうち定年まで残った者の割合は、乗務に行くのが3割(駅への出戻りもある)、助役以上になるのが4割、一生係員が3割という感じ。
役職で言うと助役が自分の実力だけで誰でもなれる最後のポストでそれ以上は上からの覚えが重要になる。
それ以上のポストの名前は首席助役・区長・管区長・駅長など会社によって違うが、いわゆる駅長ポジションになると泊まり仕事でなくなり日勤のカレンダー休みになる。
普通の会社でも課長になると残業代がなくなり年収が下がるという減少はあるが、鉄道現業職という性質上それ以上の出世は望めないので年収的には寂しい定年間際となる。
【年齢と収入(仮)】
元國鉄は額面はこれより少ないですが、超恵まれた福利厚生が凄いので体感はほぼこれと同じかこれ以上です。
あと私鉄は大半の会社が転勤に転居が伴わないので、大手でも住宅関係の手当がほとんどない会社が多いです。
なので家賃は社宅や独身寮に入らない限り給料から全額払うのが普通だと思ってください。
○一生係員コース
25・・・500万
35・・・700万
45・・・800万
60・・・900万
(30代半ばまではほぼ同じ)
45・・・950万
60・・・950万
よく言われるが恵まれた鉄道会社は給与形態や就労形態的には消防や警察に似てる(手当や退職金は消防・警察のほうが多い)。
警察や消防のようなパワハラ的な厳しさはないので、警察学校崩れや元自衛官で中途で入ってくる若手が多い。
子会社採用モデルで子会社で定年退職まで働いたサンプルはまだまだ少ないと思うので平均的なものはないと思う(あったらごめん)。
乗務員に合格したら親会社に転籍できるが、あくまでも「転籍」なので退職金の係数や休暇の日数も1年目からやり直しになるので注意。
ヤンキーとかマイルドヤンキーなんて言われる、地方に住んでて高卒で「アホ」で…みたいな層は最近同情を受けるようになりそうな流れがあるじゃん
俺は違うんだよな
両親ともに院卒で、田舎ながら世帯収入が多分800万とかあり、そこそこ裕福だった
五体満足で、地頭はあんまり悪くなかった 中学では塾にも行かず宿題以外やらないでも学年トップクラスにいられた
高校なんてなんなら首席で卒業した まあ偏差値55とかの学校だったけどな
そしていい大学にいったわけだ
そして今ニートになりつつある
何もやる気が起きないからだ
かといって勉強にも励まず、ボランティアもせず、サークルもやる気なかった
俺には何もない
他の人が俺に生まれたら、というか俺の人格がもうちょっと違ったら、わりと大成できてたんじゃないかと思う
高校にいたわりとガリ勉だけど成績的には俺に全然及ばなかったヤツ ヤツの性格で俺の身体と環境だったら東大とかいけてたんちゃうか
俺は本気出してないだけ!という気にもならない
なぜなら俺に本気を出すことはできないから
不可能なんだよな 1日に10分以上自主的に勉強することがマジでできない 途中から机に座ってぼーっとするだけになる
生まれつき気力の総量が少ないんだと思う
両親が恵まれた財力で海外旅行をさせてくれたときも、かなりの時間をホテルで寝て過ごした
ダメだ俺は
本当にカスなんだよ
そらニートにもなるわ
誰か代わってくんねえかな
わりといい機体なのにクソみたいなパイロットが乗って性能をまったく発揮できてないって感じがある
おれはある地方政令指定都市で生まれた。コンビニも電車も走ってるし本屋も図書館も徒歩圏にある恵まれた土地だ。おれの両親は両方とも同じ国立大出身だし父親の方は首席だった。それにも関わらずおれはとんでもない阿呆として生まれた。
おれがどれくらい阿呆であるかというと、知性以前に人として当たり前のことができない。例えばコミュニケーションだ。コミュニケーションというものは大まかな枠組みとして通信の確立、通信本文、通信終了の三つに分けることができ、それぞれで発信者が発信した後に受信者が返信を行なうことでその部分が終わることになる。このプロトコルは不足ないように簡潔にまとめたものであるため、三つすべてを含まないコミュニケーションというものもある。(例:広告。広告は"広告を打つ"という段階で通信が確立していることは前提と扱われるし通信終了は広告枠の制限で示されるのでそこについても返信は必要ない。)こうしたことは人間として生まれたならだれでもできることだ。人の話は人の目を見て聞く(通信の確立)、話を聞いているなら相槌を打つ(通信本文を受信していることの確認)。けれどもおれはそれができないままずっと育ってきたしこれからもできないであろう。
あるいは他に、おれはマルチタスクができない。よく「女性はマルチタスクができるが男性はシングルタスク向きだ」などという与太を吐くやつがいるがあれは嘘っぱちだ。水を飲むときのことを考えてほしい。口に含んだ水を飲むためにはまず鼻への侵入を防ぐために口蓋帆を上げて鼻への通り道をふさぐ必要があり、それと同時に喉頭蓋を裏返らせて気道を塞ぎかつ呼吸自体も水が通り抜けるまで止めなければならない。都合3種類ものタスクをこなさなければ水を飲むという行動はできず、おれはしょっちゅう一つ抜かしてえらい目に合っている。しかしよほどのバカか力の衰えた老人でもない限り水を飲むということはむずかしいことではないだろう。
そんなわけでおれはどうしようもない愚か者でありおそらく軽度の知的障害を患っているのだが、しかし両親はそんなことを疑わなかった。これはおれが一人っ子であったが故の不幸である。そしておれは適切なケアを受けることなく地元の公立小学校に通い、当然のように勉強についていけず落ちこぼれていた。テストで満点を取ったことなど小学校でさえ一度もなかった。どうやらクラスメートにもいじめられていたらしく、このままでは地元の公立中学校に通わせると深刻なダメージを負うと判断した両親は何を勘違いしたかおれを地元の学習塾に入塾させた。もっとも小学校の授業にさえついていけなかったおれであるから当然箸にも棒にもかからなかったのだが、入学試験ができなかったにもかかわらず県下二番目の中高一貫校に入学することとなった。確認はしてないがおそらく裏口入学という奴だろう。
中学校に入ったおれはますます授業についていけなくなり、ノートをとる習慣さえ失った。受けるテストはすべて赤点スレスレであったが中学校は義務教育であるからたとえどんな阿呆でもエスカレーター式に高校に進学した。今までの人生が万事こんな調子であるからそのころのおれはたいそう人生をナメており、高校一発目の進路指導で「両親の母校の医学部へ行きたい」などと大言壮語し担任に切々と諭されたのであった。当然である。2ケタのかけ算さえ間違え英単語の綴りさえ危ういような奴が高校(しかも進学校)へ進学しているのが間違いであろう。もっともおれ自身は阿呆であるから本一冊まともに通読できないままのほほんと高校へ通い、教師陣のお情けによって卒業した。両親の母校の医学部は最高でもC判定のまま受験をし、お話にならない点数で不合格と相成った。(センター試験は9割を下回っていた。)
どうにもならなかったので予備校へ入学した。予備校は商機を見つけるのがうまいので「医系への進学を目指すボンクラどもを自習室に縛り付け無理やりにでも勉強させるコース」というおれにうってつけのコースが存在し、わけがわからぬまま通学を続けた。2ケタのかけ算もままならぬままなぜか成績は上がっていたが、今から思えばあんなものはあてになるまい。というのも予備校としては「ボンクラが惜しいところまで伸びてもう1年通う」というシナリオが一番稼げるであろうから、ボンクラであるおれの成績が粉飾されていることは間違いなかろう。予備校の誤算としてはおれの志望校は両親の出身大学であることだった。ボンクラがボンクラなまま入試の日を迎え、愚にもつかぬ答案を根拠なき自信に満ち溢れたまま提出し、なぜか合格してしまった。すくなくとも自己採点では0点だった。(センター試験は結局歴史も数学も理科も満点を取れずじまいであった。)おそらく裏口入学というものだろう。
猫のほうがなんぼか賢かろうという馬鹿が大学に入ったが当然授業にはついて行けなかった。勉強する習慣さえないのだから当たり前である。教養課程は何らかの圧力ですり抜けたが専門科目は全くどうにもならず、2年生と3年生を2回繰り返している。そもそもこの学部に来たのだって父方の親戚がみな医師か医学者で母方の親戚はごたごたして面識がないのだから医師しか職業を知らぬせいであった。モチベーションなどあるはずもなく、解剖は2度やってかろうじて覚えたがそれ以外はどうにもならず教授に土下座してお情けで可をもらった始末である。現在は大学のカリキュラムの都合で研究室に遊びに行って研究ごっこをして遊んでいるが、自分が何をしているか微塵も把握していない。ただ聞こえてくる単語が授業で聞いた覚えのあるものだからわかったようにうなずいているのだが、先方もおれの阿呆具合など百も承知だから深くは追及されない。おれの阿呆を何とかしようと息巻いているのは父親だけで、母など最初からあきらめて「せめて清潔感を身に着けてヒモにでもなっていなさい」と言う次第だ。大学も3年生まで進級したもののここから先どうにかできるとは思えない、ましてどこかの病院で勤務するなど不可能としか言いようがない。かといって阿呆が研究者になれるほど世の中甘くない。おれの前に道はない。おれは何一つできないままここまで来てしまった。どうすればいいんだろう。
現在10/5(月)の夜ですが、今日から研究室に復帰しました。今日は片付けだけでなにもしませんでしたが、意外と皆排斥せず受け入れてくれて有り難かったです。申し訳ないです。
「今日からお世話になります!あ、留年が決まりましたので、あと1年半よろしくお願いしますね!」と挨拶回りをしました。
自分も増田と同じ有機合成専攻で、M1の3月に東日本大震災に遭って就活も修論もやる気がなくなり、大学に全然行けなくなって就職決まらず卒業した。(以下略)
増田で有機化学の人なんて見つかると思っていませんでした。コメント有り難いです。震災の時もやはり色々大変だったかと思います。
私はひとまず修士は出るか、と心に決めましたので、頑張りたいと思います。
こないだ久しぶりにマクマリー(学部の有機化学の教科書)を読んで、自分有機化学好きだったな、と思い出しました。
そうだよ、私有機化学好きだったじゃん。巻き矢印とかが楽しかったから有機化学来たんじゃん。高校生の時にカルボン酸とかせっけんとかアセチルサリチル酸とか作ったのが楽しかったから化学科来たんじゃん。
というか有機化学得意じゃないっつったってさ、比較対象は学年首席とかな訳で、まあそれと比べたらちっとも勉強は足りなかったが、有機化学の院生に最低限求められている知識は有していたつもりじゃん。研究室内学力テストだってギリギリだけどパスしたじゃん去年。(でも半年引き込もって多分結構忘れているからまた勉強しないとな……。)
中小製薬は人手不足ですか、本当ですか?製薬は興味自体はありますが、化学の人からすれば薬学部生と争う必要があって狭き門だからあまり視野に入れていなかったのですが、入れそうなら説明会くらい行こうかな…今年はネットだろうしな…
途中自分語りが入ってしまいすみません。なんにせよ頑張ります。コメントありがとうございます。
・研究ってやったからといって結果が必ず出るわけではないけど、やらなければ結果がでることは絶対にない
ある種の信念というか自信がなければ、結果が出るまでやり続けるのはつらい
そうした信念や自信に根拠がないことも多いし、根拠らしきものがあると思っても見当違いだったりもする
自分を信じられるようになるまで、結果がある程度見通せる仕事に就いたほうがいいかもしれない
心にささります。ある種の自信が無いと研究は続けられない、それはそうだな、とすごく分かります。私は少なくともアカデミアは向いてないです。
トラバを汚してしまってすみません。あなたの日記はとてもとても共感しながら読みました。
あなたが、中退という形になりましたが、無事就職できたようでよかったです。私はつまりあなたの過去を歩んでいるので、あなたのこれからについてあまり言えることが無いですが、あなたが納得できる人生を歩めることを望んでいます。
すごく理性的でためになる文章です。ありがとうございます。いわゆる「本当に適正のない」1-2割から「可もなく不可もない」7割にいけているかの自信が無いです。そこそこの条件検討を、先生に許可とってから振ってます。今、ちょうどテーマの切りがよくて、新しいテーマを自分で考えろと言われてすごく困っています。たかだか修士に無理では…?とも思うし、それが出来なければ修士ではないのでは…?とも思ってすごく困っています。せいぜい今までのテーマのまじでちょっと変えた派生しか出てこないです。色んな後輩とか助教の先生とかに助言を聞こうと思います。
私は元からアカデミアは目指していないので、そこは大丈夫です。アカデミックは向いてないな、と研究室入ってすぐ分かりました。
余談ですが、教授の性格はまさに「図太く、楽観主義的で、かつ超強烈な自我をもっている人」なので、先生は
教授に適正があったのだな、なれてよかったな、と思います。あの楽観主義はどこから来ているのでしょう、すぐ上手くいくよ!とすぐに言います。すごいですね。
うちの学科の卒業生でITに行く人はそれなりにいます。やはり院生の肩書きは求められているのですね。
学部の教養の授業でさわりだけ(if文くらいまで)触れたC言語は超楽しかったので、プログラムを書くことの適正が全くない訳ではないとは思います。
ただネットワークとかパソコン関係、機械操作にに全く強くないしあんまり興味ないので、それだときつくないか?と勝手に思っています。理系だからね、周りに私より機械に詳しい人が沢山いたらわざわざ覚えようとは思わないよね。
あと増田はIT系の巣窟だからすぐ引っ張り込もうとするが、あんなにITつらいの文章で溢れているのにみすみす行こうと思うのか、いや、ない。
増田の皆様のおかげで場末の大学院生の退学を阻止できたということで、誠にありがとうございます。
削除されたamazonレビューの供養として140字制限のあるSNSで以下を画像で投稿したら、思わぬ反響とともにテキストにしてほしいとの要望も一部頂いたので、増田の使い方として正しいのかよく分からないが、とりあえず貼り付ける。
投稿した画像の文章(=amazonに投稿した内容)からタイポ1か所とamazonの規約に引っかかったのではないかと思われる1か所の2点のみ修正してある。
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本文:
まだ半分ほどしか読んでいないので追ってこのレビューは修正する必要があるが,小池百合子の虚飾を良く暴いたという絶賛レビューしかないことに違和感を感じる。この本の記述をそのまま受け取っていいものだろうか。
この本の記述が確かなら,小池百合子は芦屋とは名ばかり(とまではいかないかもしれないが)の中流より少し上の家に生まれ,周囲のお嬢様との格差や才色兼備のいとこと何かと比較されることにコンプレックスを抱え,ほら吹きで政治に散財する控えめにいってもクズな父親の趣味で1970年代のカイロに19歳の少女の身空で体一つで放り込まれたことになる。
そこから(著者によれば)アラビア語も全くできない中で,自分の外見と若さだけで周囲の駐在日本人を誑し込んで人脈を作り,カイロ大学首席卒業という大法螺ひとつで日本社会に自分を売り込み,首脳夫人の通訳,番組アシスタント,ワールドビジネスサテライトキャスター,政治家への転身を決め,閣僚,都知事まで上り詰めた。小池には何ら専門知識がなく,頼みの学歴すら嘘であるというなら,むしろ恵まれているとは言えないスタート地点から自分の強烈な上昇志向だけでここまで上り詰める才覚は凄まじすぎる。よって立つものがないから法螺で戦ったのであれば,そのクソ度胸は同じ人類とは思えない。
小沢一郎から「ゲッベルスになれる」と称賛?された小池のPR能力について著者は所詮お飾りといったような評価で冷淡だが,クールビズは実際定着したし,最近では「密」など,天然ボケ的なセンスかと思われたPRが,〇〇〇〇〇である彼女の冷静な計算に基づいていたものだったのであれば驚嘆するしかない。著者はこれをテレビ的センスと片付けるが,テレビ界で数年アシスタント,キャスターを務めただけの小池一人で電通,博報堂と肩を並べる力がある。
田島陽子などの声を取り上げて,小池は他の女性政治家と違う名誉男性であるかのような言い振りをするのもフェアではない。そういう同調圧力が女性の進出を阻む最たるものなんではないだろうか。この本では,(少なくとも自分が読み進めた半分くらいのところまでは)小池がチャンスをつかむたびに,その理由は周囲の男性を誑し込んだから,ということで片づけているし,それ本当かなーという気がしてくる。
また,震災被災者の陳情をマニキュアを塗りながら聞き,塗り終わったらから帰れ,自分はもう選挙区変えたと言い放つ場面は,その是非はともかく,事実なら小池が並みの政治家とは一線を画す存在であることを浮き彫りにする。こんなの表に出た瞬間政治生命が終了する話であって,そういった態度を政治家が本当にとれるものなんだろうか。地盤のない小池にとっては評判が命だと思うのだが。
正直,著者の描写する小池が凄すぎて,著者の描写も一面だけを捉えた虚像なのではないかという気がしてくる。こうした悪評をすべて小池が権力で抑え込んでいるというなら,小池の権力は総理大臣をはるかに超えているんではないだろうか。証言者もナミレイの朝堂院とか,小池に劣らず胡散臭かったりする点も気になる(これはそもそも小池家が胡散臭いことをやっていたことにも起因するんだろうが)。
また,もしこれが小池の実像であれば,むしろ僕は小池が凄すぎてその評価を上方向に改めなければならないし,その立身出世物語は痛快な小説を読んでいるかのよう。小池が豊洲で無駄にした120億円を使ってこれを本人主演の映画にすれば,日本映画史に残る名作になると思うので,ぜひ小池にはスクリーンで注目を浴びてもらって,政治の世界からは永遠に離れて頂きたい。
6月9日追記-----------------------------------------------------------
最後まで読了したが,途中まで読んだ違和感は強まるばかりだった。著者は小池のなすことすべてにケチをつけずにはいられないようで,例えば著者は核兵器の使用の違法性についての小池の答えを自分の意見がないと批判的に述べつつ,テロ特措法の延長を努力すると述べたことについては「国内で審議も経ていないのに防衛大臣が早々に自分の考えを明かしてしまう」などと批判する。結局自分の考えを言えばいいのか言っちゃだめなのか。当然ながら防衛大臣が核兵器の合法性について突飛な持論を展開したら大問題だし,逆に担当閣僚が法案の成立に努力することを述べるのは普通のこと。もはや小池憎けりゃ何とやらの世界。おかしいのここだけではなく,後半に入るにつれてこうした強引な記述が各所に目立つようになる。多すぎてここには書けないが,終盤は一事が万事この調子。また,丸川珠代の主張はともかく,「日本人で良かった」というキャッチコピーだけで「人種差別的」と断じてしまう著者の姿勢は客観的とは言えないだろう。
本書を書くことで著者は身の危険すら感じているようだが,小池と裏社会のつながりが明かされるわけでもなく,小池の秘書の怪しげな不動産取引を指摘するだけ(その内容は新潮が報じたものの枠をでるわけでもない)。日本のODAが入っているからエジプトは小池の言いなりのような主張もエジプト舐めすぎ。日本より多くのODAをエジプトに出してるドイツ,フランスはもっとやりたい放題なんだろうか。
こう考えていくと,著者のインタビュー相手が一様に口が重いのも,小池が理由なのかも怪しくなってくる。いずれにせよ,小池という一級の面白材料を調理するのには著者の力量が足りてないのは間違いない。
https://japanese.joins.com/JArticle/267019?sectcode=A10&servcode=A00
最近、裁判所が強制徴用被告企業の国内資産売却手続きに入ることで韓国政府の中では「今年中に日本企業の資産の現金化が避けられず、日本の2次報復措置に備える必要がある」という雰囲気が強まっていると複数の消息筋が14日、明らかにした。
まだ外交部の公式立場は「現金化する前に最大限日本政府と解決方法を探りたい」というが、青瓦台など与党核心部では「現金化以降」に備える必要があるという声がますます高まっている。このままなら結局「現金化→日本の2次報復措置→韓国の追加措置」に続き、1965年韓日国交正常化以来55年ぶりに両国関係が最悪の状況を迎える兆しも見せている。
与党の内部事情に詳しいある消息筋はこの日、中央日報に「裁判所が年内日本製鉄の韓国資産を強制売却することに対して青瓦台内でもこれを既成事実として受け止めている雰囲気」として「これに伴い、日本の2次報復に備える動きがある」と明らかにした。
また「昨年から(現金化以降の)日本の予想される各種経済報復措置を検討した結果、日本が使えそうなカードが多くなくその衝撃による波も思ったより大きくないという判断が作用している」と伝えた。
政府のこのような判断の背景には昨年日本の「輸出規制」に対する“予防注射”の効果が働いているという。経済産業省が昨年7月1日付で韓国の主力輸出品目である半導体素材・部品の3品目を対象に規制したが、体感打撃がそれほど大きくなかったという結論を下したということだ。
消息筋によると、青瓦台経済首席室の主導で産業通商資源部・外交部はあの時から日本の各種報復シナリオを検討してきた。
これを受け、他の消息筋は「日本が取られる措置が多くないというのが現在政府内判断」とし「1次輸出規制の時のように現金化による追加的な報復も耐えられるという雰囲気がある」と伝えた。
これに先立ち、大邱(テグ)地裁浦項(ポハン)支院は1日、強制徴用被告企業「日本製鉄」が韓国に保有した「PNR」の株式などを差し押さえるという書類を公示送達した。8月初め、日本側が書類を受けたと見なして資産処分の手続きに着手することになる。実際、現金化までは差し押さえ資産に対する鑑定評価など多数の段階を経る必要があるが、8月初め以降にはいつでも現金化が可能だ。
同時に、3日産業通商資源部は日本の輸出規制問題で世界貿易機関(WTO)への提訴手続きを再開した。このような一連の措置は日本の2次報復措置に「耐えられる」という与党核心部の判断にともなう実行措置という観測も出ている。
よくありがちな「小学生の頃勉強しなくても100点取れた成功体験をいつまでも引き摺って中学高校はゴミみたいな成績になった」
みたいなこともなく,中学でも高校でもトップレベルの成績を維持してきた.
第一志望の大学でも腐らず勉強し続けた.首席ではないが上から5番目くらいの成績だった.
3年生からは研究も頑張った.少なくとも同期よりは結果を出し,国内のみならず海外での発表も何回か行い,英語力もビジネスレベルぐらいには身に付いた.
少なくともそのへんのカタカナ英語のバカ共よりかはずっと英語はできる.
こういうの好きだろ,バカ企業共は.俗に言う「ガクチカ」って奴だ.
あっという間に就職活動の時期がやってきた.
「何十社も受けて全落ちしました」みたいなのはアホらしいと思ったので,
サマーインターンに参加して,そこから特別選考ルートに乗って楽に内定貰おうという気持ちになった.
インターンの面接を何社も受けたが,通ったのは一社だけだった.
この頃から「企業って見る目ねえんだな」と思うようになり始めた.
そうしてサマーインターンを終え,3月になり,そろそろ本格的にゴミ企業の採用活動が始まる時期になった.
俺は内定はほぼ確実に出るもんだと思ってたから,余程のバカをやらかさなければ問題なく内定が出て,俺の就活は終わるはずだった.
だが内定は出なかった.理由の説明もなく,俺はゴミ企業に裏切られた.
就活サイトを見ても,「サマーインターンに行けばほぼ確実に内定が出る」と,そう書かれていたのにも関わらず,俺は何の躊躇もなく落とされた.
ふざけるなよ.
あれだけインターンで頑張って,御社に就職したいですって,犬か性奴隷のようにケツ振ってたのにこれかよ.
まあ優秀な俺は,こんなこともあろうかと他のクソ企業にも一応応募しておいた.
坂を転げるように次々に面接で落ち,ついに先日,最後の一社に祈られた.
現実感が無かった.
子供の頃から努力して,努力して,努力して優秀だった俺が,こんなにも企業は必要としないのか.
いや,企業の見る目がまるで無いのだ.
明らかに俺の方が優秀なのに,なぜかそれを見抜けない間抜けなバカ企業.
もったいねえなあ.
今採用した奴より俺の方が明らかに優秀なのにそれが分からないクソ人事,お前の目は節穴か?
もう俺は就職しない.
そもそも俺は働きたくない.
実家暮らしだし極論を言ってしまえば就職する必要が無い.フリーターでも生きていける.
よく考えてみたら貯金もあった.
よく考えてみたらこの家,将来は俺のものになるし家賃払う必要もない.
わざわざ優秀な俺様の時間を生産性のまるでないクソ企業に売ってやる義理も理由も無かったわ.
これをすまん……すまん……と思いながら読んでいた。増田は長女である。
元増田の姉御さんとは確実に別人なのだが、まるで自分に当てられたかのように深く突き刺さる。
エピソードは色々あるが、ともかく「優秀なお姉ちゃん」として育ってきた。
一方、弟は中学最初のテストで大きくしくじり、親にこっぴどくしかられる。
ピアノを子供用教室の首席まで登りつめた姉の傍ら、弟はすぐに放り出し、珠算や水泳の階級でも姉を上回ることはなかった。
弟が小学校低学年のとき、自由研究として地域の文学コンクールに俳句を応募することにした。
ところが後に理系となる弟には文学的興味が全くなく、作業は難航。最終的に頼まれて私が9割考えたものを持っていくことに。
ところがその俳句が、なんとあろうことかコンクールで入賞してしまったのだ!
私も同コンクールの小説部門で受賞した為、兄弟受賞と囁かれ、共に授賞式にもいった。
このときの感情といったら、「やってしまった……」というほかない。
「元はといえばお前が自分で考えず人に頼んだりしたからだ」と非を責めることは出来る。
が、そういう問題ではない。私が弟の自己肯定感を奪ってしまったのだ。
弟はその後も自分のものでない功績で人に誉め続けられた。学校で表彰され、成績表に書かれた。
果たしてどんな気分だったろうか。
幸いなことに、弟はその後THE末っ子気質のパリピコミュ強に進化した為、彼が深く思い詰めるようなことは起こっていない。
私が高校時代勉強より芸術に傾倒し、どうしても行きたい専攻が難関校になく低学歴で終わったこと、
弟と私の得意分野が芸術的な文系とコミュ強な理系で真逆であること、
など数々の状況に恵まれ、今でも週末一緒に遊べるような良好な兄弟仲でいられている。
だが、ふとした時に「増田の方が俺よりずっと優秀だからね」とか寂しそうな顔で言われると、つけた傷がまだ残っていることに気付かざるを得ないのだ。
この記事は29歳独身男性が正月に帰省して、家族とのやりとりから自分の生き方の癖の原点と、自分の慢性的な渇望を自覚した話を淡々と描くものです。過度な期待はしないでください。あと、部屋は明るくして、ディスプレイから3メートルは離れて読みやがってください。
もちろんフィクションですので実際の人物団体とは関係ありませんし一部フェイクいれてます。
今回帰省で1日目は母方の祖母の、2日目は父方の祖父を訪ねる日程だった。実家と祖母、祖父が住んでいる家はすべて関東圏内で、車で1時間程度の距離である。
今回祖父母の家を訪ねるにあたり、大学生の妹が練習のために運転して父が助手席で監督するというかたちだったのだが、運転席の後ろに座っている母が運転中に車間距離や運転速度、歩行者について大声で責めるような口調で口出しをするのがとてもいたたまれなく、つらかった。5分に1回以上のペースで「あぶない!!(どこに歩行者がいるのかなど具体性なし)」「(車間距離が)近すぎ!」「もっとスピード落とすようにしっかり指示しないと!(父に向かって)」と叫ぶのを聞くのが耐え切れなくなり、母に対しかなり強い口調で運転中に別々の人間から指示を出されるのは運転手にとってフラストレーションだし危険である、ということを伝えた。そうすると母はやや不満げにわかった、といいしばらくは黙っているのだが10分も我慢できなかったようで、またすぐに口を出すようになった。私が運転に慣れてなかった頃も同じように父に監督してもらったが、そのときも後ろに母が乗ると必ず口を出してくるためやめてほしい、と何度も伝えたのだったのが思い出された。
そこで私は、あぁ、母は本当に私や妹がどう思ってるか興味はなくて、自分の子が自分の思い描いた通りに動くかどうかに1番の関心があるんだな、と諦めがついた。この車のエピソード自体はまあ大したことではないのだけれども、私にとってコップから水があふれる最後の一滴だった。私は自分の感情や欲望というものに蓋をするのが非常に上手で、他人の顔色を伺い、自分の気持ちを表明せずに飲み込めば場がうまくいく予感がする場合、ほぼ必ず飲み込んでしまう。その原点のひとつがこの情緒不安定で話を聞き入れない母で、その対策として私の性格が形成されたんだろうな、と納得した。とても寂しいけど、とても腑に落ちる納得だった。
母は非常に心配性であるとともに、自分が正しいと思ったことは絶対に曲げない性格である。そして気分の波が激しく子供のころはそのことで随分苦しんだ。父は御三家中高→東大→大手銀行、母も御三家中高→名門私立大学首席と大変立派な学歴であり私が中学受験するのは生まれる前から決まっていた。(私が生まれる前の時点でマンションを購入するときの判断材料のひとつが御三家に私が合格した場合に通学しやすい駅であることだった、というエピソードから色々察してほしい)。3、4歳から公文を習っていて、宿題の計算プリントが終わらなくて家で泣きながらやっていたら強い腹痛を感じたため母にそのことを伝えたら嘘をつきなさい!と睨まれたのは今でも忘れない。自分のつらさを伝えても無視される無力感はいまだに生々しい。カリキュラムテストや公開模試の結果が返ってくることがとても憂鬱であったこともよく覚えている。専業主婦だった母にとって、私の中学受験、そして大学受験は一大プロジェクトだったのだろう、母のエネルギーと執着は私に注がれ続けた。
母の狂気、そして父の経済力のおかけで私は予定通り御三家に進み、国立医学部に進学、卒業し現在某県で四六時中働いている。普段はそこまで意識しないのだが、毎年年末年始はとくに情緒が不安定になる。愛し、愛されていますか?と周りから問いかけられているような被害妄想にかられてしまう。別に目の前で夕飯の具材を和気藹々と選んでいるカップルは私を追い詰めて孤独感をつのらせようとしているわけではないし、スーパーに鳴り響くクリスマスソングは今年も恋人と過ごせない私に意地悪して惨めな気持ちにするためにかかっている訳ではない。勿論そんなことはわかっている、わかっているが胸が締め付けられるし深呼吸できなくなるし、少しでも油断すると愛されない自分と、愛し合ってる幸福な関係を呪いたくなってしまう。こんなにも愛されたいのになんでこんな愛されにくい性格なのか、どうして愛されるのは私じゃなくてお前なんだ、と。
私は他者に従順で、他者の顔色を伺うのがうまく、自己主張は激しくない。他の人が面倒がってやらない仕事もするため上の先生受けは悪くない(はず)し、患者や病棟スタッフからは優しい先生だとどこの病院に勤めても言われる。病院を移るときに泣いて感謝されて別れを惜しまれたことも数回ある。それは大変、大変ありがたいし私の数少ない生きる支えになっている。本当に感謝している。単に便利な駒と思われてるだけかもしれないけど、それでも身が粉になるまで働くね。が、一方で私の利他的な言動の根幹に自己嫌悪と人間不信が深く深く根付いていることに最近気づいた。
人を信じていないため、相手の利益になることをしないと自分に価値はないからすぐに捨てられるだろうという確信、強迫観念がある。素の自分に価値はないから勉強すべきだし、素の自分に価値はないから他の人がやりたがらないことをやるべきだし、素の自分に価値はないから他人のために生きるべきしそのために自分の感情や欲望に蓋をするのは当然だ、と。見せかけの自分を偽装することが年々上手くなり、幸か不幸かその評判が職場では悪くなく、ただ自分の気持ちに厳重に蓋をして他人軸で生きているため満たされなさ、慢性的な空虚感、欠乏感がある。正直今なにかの拍子に即死したらお、ラッキーじゃん?と思う気がする。この欠乏感はどういうときになくなるか自分の気持ちを必死で感じてみると、心を許せる人と時間を過ごしているときだけはこの胸の裏をカリカリ引っ掻かれるような気持ちがなくなることに気づいた。ただ一人に誰よりも愛されたい、受け入れてほしい、という普遍的な、しかし切実な気持ちである。
私はとにかく異性に縁がなく、人生唯一の交際していた期間は24歳のときの1年間で、それ以外は凪である。そのときの相手には今でも深く深く心から感謝していて、あの未熟でどうしようもなかった当時の私をいっときでも受け入れてくれたことは生涯忘れない。幸せにしてあげられなくてごめんね、幸せになってほしいといつだって祈ってるよ。その後職場や婚活で何人かに好意を示したが、私の空虚がバレるのか交際まで至ったことはない。みなさん大変見る目がある。おそらく私にとっては2人の時間のおかげで心が安定するが、相手にとってはそうではなかったのだろう。包容力、余裕のなさよ。私は貯金もあるし料理もするし水回りの掃除は好きで家事機能付きATMとしてはそれなりに機能するのだがそれを差し引いてもお断りされるのだから笑ってしまう。私がなぜ愛への羨望、渇望があるのかと考えると、無条件に愛されているという実感を感じたことがなかったからではないかと思い至った。父も母も私を愛し育ててくれたが、それは条件付きの愛ではなかったか。従順で手のかからない優等生"だから"愛していたのではないか。だからこそ勉強をやめようとするとじゃあ中卒でいいんだな、今すぐ家を出ていけと言われたのではないか。患者やスタッフから好意的に受け入れてもらえてるだけで本来は幸せであるべきなのにそれでは全く足りず穴が空いたバケツに水を入れるような状態になっているのではないか。
私の魂の深いところに自己嫌悪と人間不信があり、他人軸な生き方をしてきている。そのため満たされなさ、空虚さがあるがいままで自分の気持ちに蓋をしすぎて、自分の気持ちの詳細がわからなくなっている。様々なひとが私にうっすら好意的だが、私を誰よりも深く愛してくれる人はこの世界に1人もいない。親は私を愛してくれてはいるが、それは条件付きである。愛への強い渇望感があるが、渇望感があるため愛されない。
このデッドロックを言葉にできただけでもこの正月に意味はあったはずである。いくつかの本(※)を読むと愛されるのを目指すのではなく愛せ、自分を愛せない人は他人を愛せない、と書いてあった。さすがに交際している人全員が交際前から自愛できているとは思えないのでそうであったほうがより幸せだよね、と解釈しているが… …突破点として自愛が鍵になりそうな予感はある。自分を愛せるようになるにはまず自分の気持ちや欲望を言語化すること、自分の身体感覚を取り戻し快不快を自覚することだろうと信じてこの記事を書いた。書いている最中はやや気が滅入っていたが、書き終わった今、かなりすっきりした気持ちでいる。
あと以前親からは酷く嫌がられたので諦めていたが、内緒ではてブで有名な某結婚相談所に申し込んだ。万が一出会ってしまったら何卒よろしくお願いします。
いつかこの記事を笑って読み返せる日がくることを願って、そして自分だけじゃなく他の誰かの心の整理の一助になれたら。
※「愛する意味」上田紀行、「生きる技法」安冨歩、「アダルトチャイルドが人生を変えていく本」アスク・ヒューマンケア相談室 など。どれもよい本でした。
しゅーかつって心病むよね。
おしゅーかつしたくなくて理系来たのに、理系も資格系でなきゃ結構普通に就活するのね。
面倒なのでフェイクもなく言うと化学専攻のM1で、まあ学歴フィルターには引っ掛からんだろくらいのそこそこの大学で、ラボの卒業生のメインは化学業界で総合化学メーカーの研究開発なんです。
まあ定番にそれかなーという思いは8割方あるのですが迷いもあって。
私は本当に研究開発に向いているのだろうか、という迷いがどうしても出る。
今研究室での実験をしまくる生活は超楽しいけれど、とっても好きではあるけれど、じゃあ活躍できているかと言われるとそんなこと無いような気がする。
これも気のせいなのかな?ちゃんと活躍できているのだろうか。活躍という言葉は違う気がする。
学部時代の成績があんまりよくなかったコンプレックスはあって。とはいえ真ん中くらいだけど。少なくともうちの研究室は学部時代の成績はマウント材料になれる。
それなら化学あんまり関係ないフィールドの方が気にせず過ごせるのかな?みたいな思いもある。
首席みたいなラボの先輩に比べると全然知識が足りないなぁみたいな思いがある。
でも今の私の経歴で入りやすそうなBtoBメーカーが他に何なのかは分からない。(BtoBがいいという強い思いはある。製薬や化粧品や食品は行きたくない。入りにくそうだから。)
ほら、いるじゃないですか。ああこの人は研究者向きだわ、みたいな人。うちのラボでいうとWさんとかYさんとか。私そういうタイプじゃないし。そういうタイプになりたかった。
自己分析が足りないのだろうか。足りないって同期には怒られそう。どうやったらいいの???
自分を四字熟語で表すと猪突猛進だな、と思う。実験のかけ方に丁寧さが足りないな、と思いつつどうやったらいいのか分からない。
あと傾向としてはADHD。今日も乗る電車を間違えた。5年も通っているのに。実験も何かミスをしないかとひいこら言いながらやっている。
ラボの中で、ラボの他の人と比較して私が優れているところって何だろう、無くない???愛想がいいところ?そのくらいじゃない??研究開発に要らなくない??
あ、お仕事好きアピールは欠かさず出来るよ!住めば都だと思える力は高いと思うから!僻地に飛ばされても他の人よりは多分腐らずやるよ!あとまあ人並みで申し訳ないけど朝から晩まで楽しくゴリゴリ実験する体力と根性はあるよ!
自己PRが書けない!!学部時代まともに過ごしていないから!!!
実験の何が楽しいって私は計画を立てた実験が計画通りに進んだことに一番快感を見いだす。大体実験は2,3個同時進行でかけるんだけど、反応と精製がいいかんじにどれもストップせず流れている時に一番快感を見いだす。ソシャゲのライフ管理が上手くいっているときと同じ快感。
それで研究開発でいいのだろうか??違うんじゃないか?でもだとしたら何??
あ、そりゃあ分かりやすい成果とか、これは世界で私だけが作ったとか、そういうのも快感ですよ。
上手くいかなかったときの条件検討は未だに得意ではない。過去の事例からのパターンマッチングでやっているからいけないのかな。いや、でもまあ大体こういうのは上手くいきそうな他の論文を見てその通りにやってみるもんだよね。まだM1ならこんなもんだといいな。
私が出した実験データによって他の人の研究が進んだときもとっても嬉しい。
研究室にいるときはこんな実験くそやりたくねーと思いながらやってるけど、他人に実験楽しい?って聞かれたら超楽しいって言う。なんでだろ?
まだ実験が上手くいかなかったときに自分の人格を責めてしまう思考回路は持っている。単純に生きづらいので改善したい。
理系の癖に論理的思考力が弱いのではないか?みたいな思いによくかられる。研究概要がちっとも進まない。
くだぐだ語りました。いつもこういう悩みを言うときも論理的にまとめられない。だってメインは私が不安だということを聞いてほしい、それでできたら君は間違ってないよって言ってほしい。こんな論理的でない女っぽい思考回路が嫌だ。理系の癖に。
いつも思う。誰かにお前はこれが向いているんだからこれやれよって言ってほしい。こういう他責思考は良くないんだろうな。上手くいかなかったときに他人のせいにするから。
キャリアカウンセラーってこういうメンタル的な話って聞いてくれるんだって?ES添削でしか使ったこと無いけど、これ印刷して持っていったら有用なアドバイスくれるかしら。でも会ったこともない学生に「私は研究開発向いていると思いますか?」って言われても困るよな。やはり辞めとこ。時間もったいないし。その分実験しよ。
以前、子供が風呂で溺死したというエピソードがTwitterでバズった。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1101455027544023040?s=21
この「きわきわこ」という主婦アカウントの、知人の子供の死をTwitterに書くサイコパスぶりが怖いと感じた。
でも、なぜかTwitterやはてぶではこれが美談というか、警鐘を与えるツイートみたいな扱いを受けていて、その状況も怖いと思った。
だって普通、知り合いの子供が死んだことを、「お風呂では目を離しちゃだめなのね」って、そんな軽くTwitterに投稿するか?100歩譲って、バズったら消さないか?
その後冷静に考えたら、こいつはバズらせたいから嘘を書いたのだと思って納得した。
さすがにこれが本当だったら、死んだ子供や家族が、Twitterで晒し者にされてかわいそうすぎるから、無理やり自分を納得させた部分も正直ある。
こないだ、その後こいつがどんなツイートしてるのかと思って見てみたら、やっぱり嘘松じゃんってツイートが延々出てきた。やっぱり溺死してTwitterで晒し者ににされた子供はいなかったんだと安心した。
こいつのツイアカは、自分が金持ちでいい母、いい女であることを自慢するツイートや、イケてる夫をもつ友人が不幸になる話のツイートで埋め尽くされ、現実離れした話がやたら多い。
それからは、今度はどんな嘘が飛び出るのかと面白くて監視してる。
直近1ヶ月程度の嘘松ツイを紹介する。この短期間でよくこれだけ嘘つけるな、と思うけど、承認欲求が止まらないのだろう。原文まま。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1175725279727063046?s=21
「よく夫との馴れ初めを聞かれるんだけど飲食店でたまたま隣に座ってて話してみたら家が隣の駅で弟と同じ業種で父が経営者で母がいまだに美しいっていう共通点があったうえにいい匂いがしたので半同棲の彼氏と別れ結婚相手として即決、出会ったその日に両親への挨拶の日取りも決定、そんなもんよ。」
→ねーわw漫画読みすぎだろ。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1169228973626146822?s=21
「祖母は若い燕と駆け落ちして刃傷沙汰になったりそれでも祖父に懇願されて家庭に戻ったり晩年は煙草を薫せながら1日中洋画観てたりイメージまんまの昭和の女優だったんだけど「人の陰口悪口言うやつに文化も教養もない」という言葉だけは共感できるしユニセフ募金箱に札束ポンと入れてる姿は尊かった」
→これもねーわw尊かった(キリ
じゃねーよ。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1171396212064342016?s=21
「娘を学童に迎えに行ったら、メガバンク勤務四年生ママが「SAPIX、講師陣の教え方がうますぎてその時わかった気になってるんだけど帰ってきたら全然なのよ。労働後に教える気力ないしカテキョ頼むしかないかな‥ってか小受正解よ!」と言っていてワーママこそお受験って思いがさらに深まったわ」
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1170651754209271808?s=21
「キャリア官僚友人、美人なうえに性格も良く東大首席卒業の夫との間に可愛い子供も生まれ順風満帆だったんだけど、育児ノイローゼとネグレクトで児相のお世話に。彼女は子供と隔離され一人暮らし、出世の道を断ち旦那様が子供の面倒みてる。隙のない化粧で淡々と語る彼女を前に虐待は身近にあると感じた」
“美人な上に性格もよく東大首席の夫との間に可愛い子も生まれ”と、バズ要素になりうる嫉妬され要素を並べて、最後は「虐待は身近にある(キリ」と、いい話風に終わらせる。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1167765468104388608?s=21
「W不倫真っ最中のワンオペ女医友人、彼に仕事しながら子育てや家事もやるオールマイティな君が好きだとか散々言われてきたのに専業主婦奥様が3人目を出産していたと判明。こっちは離婚調停中なのに時が止まったと泣く友人にかける言葉もない。」
→これも不倫を楽しむ金持ちという、ヘイトを集めやすい架空の人物を作って落とす、という現代版遠山の金さんのような話。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1164875994118799360?s=20
「仕事で昇進打診されたんだけど娘の宿題みないとだし来年から息子のお受験始まるしチーム纏めるのも好き勝手したいから今のままでいいって言ったら周りの希望なんだよ仕事今のままポストだけ上げさせてよ給料上げさせてよって言われて常に育児とキャリア天秤にかけてる身としては上出来だと思った、乾杯」
→正直何書いてるか読解できないけど、とにかく、子供がいるのに昇進を打診されるほど仕事ができると自慢したいようだ。
https://twitter.com/kiwakiwa7/status/1170298020795056128?s=21
「グルメ知人がさ○とうより美味い!と息巻いてた西荻窪の熟成鮨に夫と。生魚は全て熟成されていて私はそんなに寝かせなくてもいい派だけど鮨の合間に挟んでくるつまみは美味しいし赤酢のシャリも珍しいし鮨11貫+つまみ10種類位のコースしかないんだけど15000円くらいだからコスパいい〜」
もうなんか色々と辛すぎて勢いで書いたので文法等めちゃくちゃだけどこんな風に思う若者もいるんだということを知ってほしいなと思って書いた。
親がとても厳しく、小さい頃から非常に色々制限の多い生活を送ってきた。自分がしたいこと、気分が上がってふざけたいとき、何かに成功したり楽しいと感じるとき、調子に乗るなと言われ続けた。いわゆる心を殺されてきた。そのため楽しくても何か嬉しいと感じることがあっても決して人から分からないように表情や感情を殺して生きてきた。明るくて笑顔が可愛いと言われていたのに今ではクールだと言われるようになった。学生のころはこれでも生きていけたし、まだ良かった。就活もなんとか頑張ったから首席で採用され、ああ自分も無事社会に出ることができるのだとちょっと安心した。しかし、社会に出たときにすぐにおかしい、と感じた。いざ一人で戦えとなったとき、何もできないのだ。一歩も動けない、話せない、非常に恐い。周りは自分よりも一回り以上年上の人ばかりで、親と同じ世代だ。仕事を円滑に進めるためには、意見を言わなければいけないのに、言えない。ああ、こんなにも自分はただのクズでしかなかったのだと絶望した。
●自分で考えて行動できない
全て親の言う通りに行動してきたから自分で物事を決めたことがなく、いざ一人で決断しようとしてもできない、又は決断しようと思っても自信がなく、恐くてできない。
●目上の人に意見が言えない
基本的に年上の人が恐い。何か言うと怒られるというイメージが根付いてしまっている。
●したいことが見つからない
長い間自分のしたいことを制限され批判されてきたので、気付けばしたかったことを忘れてしまっている。ただ時の流れに身を委ねるだけの過ごし方しかできなくなる。
●自分を見失う
本当にしたかったことを忘れてしまうので、何をして何のために生きているのか、自分は何のために生まれてきたのか悩み、苦しむ。
結果、心がない、常に喪失感、何をしても楽しくない、嬉しくない、悲しい感情は人一倍大きい、悲しい、辛い、苦しい、助けてほしい、そんな感情でいっぱいになる。
人を強く恨むようになる、人を好きになれなくなる。
何か頑張ることを見つけたいが、見つからない、特にしたいこともない。
食欲がない、ただ寝ていたいと思うだけ。
このまま放置していたら、本当にひどくなるんじゃないかと思う、自分でもやばい状態だと自覚している、自覚しているだけましだということも分かっている。
助けてほしい、とまだ人に甘える気でいる自分にも腹が立つし情けない。
もう自分の力だけではどうしようもない。
だと言ってある一人の力に頼って流されたくもない。
あの頃の自分に戻りたい。
甘い、結局甘えなのだ。こんなでも頑張る人は頑張るし、逆に見返してやろうと闘心に燃える人もいるのだろう。でも私にはそんなことはできない、頑張れない。
好きなことをして、好きな人と笑って楽しんで、時に頑張って、努力が報われて、達成感を感じて、時に人間らしく情に流されてあほになってみたりして、そうしているうちに本当に正しいことに気が付いて、それを大事にして生きていきたい。
そんな人生を歩んでみたい。