はてなキーワード: 天賦人権説とは
別にはてな民じゃなくても普段反差別を気取ってる奴は全員ダブスタが酷くて面白い
・人種で差別することは許さないのに「白人」が差別される側になると突然差別主義者に豹変するリベラル
・宗教で差別することは許さないのに「ムスリム」が差別される側だと突然差別主義者に豹変するリベラル
・移民を差別することは許さないのに隣の家に移民が引っ越してくるとなると突然差別主義者に豹変するリベラル
・生まれで差別することは許さないのに「九州出身者」に対しては突然差別主義者に豹変するリベラル
・イジメは許さないのに「同和」の関係者がイジメ加害者だった場合は突然イジメ加害者に加担するリベラル
・死刑はもちろん国家による人権侵害は許されないと思っているのに「性犯罪」になると突然推定無罪の原則を忘れ国家による積極的人権侵害を奨励するリベラル
・不法移民にさえ就労機会を与えろと行政に迫るほど人々の就労に対して意欲的なはずなのに「ロリコン」については将来的な再就職も禁止し、ありとあらゆる社会復帰の道を閉ざし自殺しか認めないリベラル
・デマが嫌いなはずなのに自分が撒いたデマには視力が0になる不思議な目を持つため自分のポストについた「コミュニティノート」が見えなくなっちゃったリベラル
・住民が訴訟で自らの知る権利を勝ち取った稀有な事例なのになぜか「暇空茜国賠訴訟勝訴」の文字が読めないリベラル
・最近なぜか戦い始めたフェミニストとトランスジェンダー(勝手に戦え!)(もう結果だけ教えろ!)
・天賦人権説を採用しておりあまねく人類に普遍的に存在すると謳っているのに「健常者男性」に対してだけ何故か頑なに人権を認めたがらないリベラル
先日、大阪府の吉村洋文知事が0歳児に選挙権を認めるべきという考えを示し、コレに対して愚策であるとするブコメが散見するという事態になったけれども「そもそも民主主義とはどういうシステムなのか?」を考慮すると、直感的に愚策と判断するのもわからなくはないが、実際のところ愚策とも言い難い「決して釈然とはしないが案外悪くはない・・・」「いやでも意思決定に関して能力の低い0歳児に選挙権を与えるのは大人としてどうなんだ・・・」「でも認知症の人も選挙権持ってるしな・・・」と困惑する程度には真面目に考えたい案であるのは間違いないのだ。正直に言って困惑するくらいがバランスの取れた姿勢なんじゃないかと思うが民主主義とはどういうシステムなのか改めて認識してみよう。
民主主義とは人口を背景とした意志の多様性により意志権力の分散を発生させ意志権力の一極集中を防ぐシステムである。
まぁそもそもより新しい形が出てこない限り、現在の形の民主主義とは人口に依存したシステム体系を持っていて、現在の形の民主主義ベースの政治体制を持つ国家が民主主義の保全保護をはかるという意味では人口の源泉足る家族集団へ対してより多くの票を与えるという考えは愚策と断言できるほど頭の悪いものではないんだ(何度も繰り返しているが"現在の形の"である。将来はわからん)。
もう少し具体的に言わないと理解できない人も居るかも知れないから具体的に言うが、我々の国は民主主義を取ることによって天賦人権説が国と有権者によって肯定されており、即ち我々の国の天賦人権説は人口に依存した形で運用されているのだ。
我々の国は神のための国でなければ王侯貴族のための国ではなく人民のための国であるが、それは民主主義システムを背景として運用されており、天賦人権説み言論の自由も表現の自由も信教の自由も性愛の自由も、あらゆる自由が人口を背景として運用されているのだ。0歳児選挙権はこれを心の底からマジで認識してから考えなきゃいけない。
更に付け加えると、あまりにも傲慢でかつ悪逆非道の物言いだが、LGBTQ+の性愛がなぜ違法でないのか?それはLGBTQ+の方々の懸命な活動によって我が国の民主主義を突き動かし民主主義を背景とする我が国の法がLGBTQ+の性愛の自由を認めたからだ。我が国の法は人口を背景として運用されているのだ。LGBTQ+の性愛の自由は人口に守られている。民主主義とはそういうシステムなのだ。
民主主義とは人口を背景とした意志の多様性により意志権力の分散を発生させ意志権力の一極集中を防ぐシステムであることを考えれば、事実上の権力者である政治家が0歳児選挙権を訴えることは自身に集中する現在の意志権力を削ぐことを意味し、民主主義国家の政治家の考えとしては不合格ではなく少なくとも合格ラインには触れる及第点以上は与えなきゃいけない考えなのだよ。
確かに「家族集団という意志権力へ対して意志権力の一極集中をもたらすのはどうなのか?」というのは真っ当な批判であり、前述したLGBTQ+の方々や子供を持たない人たちが苦しい思いをするのではないか?という懸念はもっともである。0歳児選挙権の大きな問題の1つであることは間違いないだろう。
このエントリの目的は「民主主義とはどういうものなのか?」と多くの人々が「0歳児選挙権へ対して直感的に愚策であると判断して思考停止に陥ることを防ぐ」ことにある。
どうかご一考いただきたい。
https://twitter.com/If0r5do2xx3iL/status/1436884369231126536
これの話ね。
元ツイートの指摘がズレてるんだがブコメも同じようにズレてるコメントが多くて変な方向に行ってる
何がズレてるのかって道徳の教師は道徳科でやる道徳の話をしているのに、元ツイート主やブコメがなぜか人権の話や憲法の話をしろと主張する点だ
発端はDaiGoのホームレスの話なんだけどあの話自体は人権に絡んでくるものだと思うよ?ただそれは人権すなわち公民の授業でやれ
元ツイートでまず引っ掛る部分が「憲法で人権が保障されるということは道徳科においては重要すべきことではないっぽい」という一文
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである
と記されてる通り基本的に国家権力を縛るものであって私人同士のあれこれを既定するものではない
※1一応一部は私人に影響を及ぼすこともできる。でないと納税の義務とか適用できない。ここも参照
https://anond.hatelabo.jp/20210902174107
https://twitter.com/yorinobu2/status/1437267319411994624
じゃあ私人は基本的人権なんて何も考えずに行動していいの?って話だけど、そこは自然権としてみんなの心に備えつけられてるんで憲法では触れないよという建てつけになっている
そんなバカなとは思うけど憲法はそういう扱い。なので、元ツイートの文脈で憲法を出すのは変。
まあ憲法は筆が滑っただけかと思うけど人権そのものはDaiGoの話と超関係ある
でもそれを道徳科の教師にしてもしょうがないんじゃないか。一部オーバーラップしてても目的は別だ
例えば国語の教科書にはよく反戦をテーマにした題材の文学が載るけど
国語の目的は日本語の文章を理解することであって憲法で平和主義が歌われることは国語科においては重要すべきことではないっぽいとか言われてもそれはそうという感想しか出てこないわな
んじゃあ道徳科の目的は何かって言うと成り立ちから言うと戦前からの修身科に変わって現代的なモラルを教える教育だ
ぶっちゃけ今は何が主目的かって言うといじめ問題とかを防いで学級を恙無く運営するっていう感じになってる。(含むSNSいじめ)
こういうのを人権思想から解決しようとすると、人権には移動の自由みたいなのが含まれてるのでいじめが発生したらそれぞれ別の学校で勉強しましょうみたいな解決法が出力されちゃう
ていうか人権思想をちゃんと教えるには背景となる知識がいっぱい必要なんで
そもそも天賦人権説は王権神授説の対抗として出てきたものだけど、絶対王政の背景のない日本でいきなりそこを説いたとして
なんでホームレスの人権を蔑ろにしたらルイ十四世みたいなのの台頭に繋がるのか全然わからんじゃん?
アメリカやフランスは国家統合というか国の成り立ちの起源に絶対王政の否定が深くかかわってくる※2からピンとくるんであって
日本は何で日本なのかと言ったら昔から日本なんであって人権については社会を強くするのに便利だから思想を借りてきただけなんだよ
なんで、人権が弱いと社会も弱くなるって機序から勉強しないといけない
迂遠じゃん?だから中学高校あたりで地理歴史ちゃんと習ってから段階踏んで教えるもんだと思う
つーわけでこんな大変な話を道徳の教師に期待するな。彼らは学級運営でいっぱいいっぱいなんだ
※2 つまりホームレスだろうが何だろうが「俺たち」に安全と意見を言う権利を与えろと主張している
線引きはどこに引いてる?
俺は「どんなに教育を受けても絶対に人間の言語によって双方向にコミュニケーションを取ることが出来ない」を線引にして人権を持たない存在として扱っていいってルールにしてるんだけど、これだと植物人間は実はアウトになっちゃうんだよな。
だから「ただし、生物学的に両親が人間がである場合、その子孫は人権を持つものとする」ってことにしてる。
そして俺は「全ての人類が十二分に基本的人権を保証される社会になったと言えるまでは、人間以外の生物については一切の権利・権限を認めないことを良しとする」って考えで動いてる。
人類が真に基本的人権を尊重できるだけの社会成熟度にたどり着くまでの期間限定で人間中心主義を許容してるって感じかな。
そもそもこれは「人権というものは過酷な自然環境を技術革新によって克服した生物種に対して、天より授けられるものである」っていう技術革新母体型天賦人権説っていう発想に基づいてるんやが。
逆を言えば「自ら技術革新を起こし自然界の弱肉強食の摂理に立ち向かうことをせず自然に生まれたままに生きてきた生物種は、天より権利を授けられるに値するものとして、これを認めない」ってことなんだけど。
でもいま人類がやっていることこれからやろうとしていることに対して一貫性を持たせようとするこういった思想を持たざるを得ないんだよね。