はてなキーワード: GPAとは
野心とか闘争心とか一切持たずに生まれてきたのにうっかり親ガチャ大当たり(経済・教育面)を引いてエリートを目指す軌道に否応無しに乗ってしまった
年収1,000万円、都内在住の両親元に生まれた私は、幼い頃から複数の習い事と熱心な母の教育を受けた。母の口癖は「優秀な大学へ入学し、大手企業で働いて、そこでお金持ちの旦那さんを見つけるのよ」
決して毒親ではない、むしろ愛情深い母親の下で学力と感性を養った私は高校、大学受験を全て推薦でクリア。順風満帆な人生!
色々と要領よくこなせるタイプだったため、大学の成績のGPAは3.5越え。周りからは将来が楽しみだと期待の眼差しを向けられる。私も漠然と、有名な企業で働く自分を想像してた。
ところがね、残念ながら私には将来に対する野心というものをこれっぽっちも持ち合わせていなかった。これは大学在学中に薄々感じていたことだけど、就活を始めて決定的になった。お金持ちになりたいとか、社会的な地位を手に入れたいとか、思ったことがない。
私の幸福の基準はお金持ちになることではないなとそこで気づいた。(経済的に安定した家庭に生まれたくせに?というツッコミはさておき)
しかも、就活がゴールでは無いじゃん。就職したら、今度は「いかに高収入の男性と結婚するか」の競争が始まる。その後は、子供を産み、その子どもも優秀な人生を歩めるように母親として貢献すること。
そのどれもに興味がない。
そんなこんなで、高収入ではない代わりに安定してて、自由な時間を確保できる企業に内定。おそらく新卒切符を売り渡すには勿体無いと思われる企業なのだろう。
これまでに投資された金額(習い事、塾代、学費)と時間を考えれば、私は不良債権だ。
母が計画していた22ヶ年計画をおじゃんにしてしまった申し訳なさは覚えつつ、私の人生なので好きなようにさせてもらうことにした。(母は私の就活に関して苦言を呈したことは一度も無く、そういったところを私は尊敬しています)
母親が私に注いでくれた愛情とお金と労力が、私を「世間的な幸福」に固執せずとも自分を愛せる人間に育てたのかもしれない。皮肉なことに。
追加
お金持ちになることに興味がない
→学生時代にバイト代さえ持て余していた。これはコロナで旅行に行けなかった事も大きく関係してるかもしれない。それにしても私はブランド物とか派手な遊びに興味がないので、平均年収があれば十分。ネトフリと図書館で借りた本と日光があれば幸せな休日が過ごせるので(一生独身、子供持たなければ十分だと信じている)
結婚については、金持ちを捕まえて専業主婦になるより、一般的な年収の人と結婚した共働きをする方が良い。女性なら正社員の肩書きを失ってもいいでしょうという風潮が嫌。それに、安心して離婚もできる!
母の口癖について
→時代錯誤、毒親の典型例だと非難されそうだけど、実際問題として現代日本じゃこれが1番幸福ルートだと私も思う。私の基準に合わないだけで。女性の幸福は結婚相手で9割決まる。
生意気だというコメントがもっと来るかと思ったら意外と少なくて安心しました。ありがとう。贅沢な悩みだということは理解してます。
父はインフラ勤め、母は専業主婦の普通の家庭に生まれた。両親はふたりとも高卒で20代後半で結婚してわたしが生まれた。
住まいは社宅から一軒家になり、リビングのある1階と寝室のある2階の家になった。
父は酒を飲み、タバコを吸う男だった。そして母は一滴も酒が飲めなかった。
父は暴力は振るうことは一度もなかったが、酒を飲むと、少し語気が荒くなった。母はそれを毎日避難し、毎日2階に逃げた。
子供の頃のわたしは、母を2階に呼びに行かなくてはならなかった。
母は常にわたしに、年をとったらわたしが母を介護するのだと毎日言い聞かせた。
子供であるわたしは、毎日父の不満しか口にしない母に媚び、慰めないといけなかった。
そしてたまに1階でわたしは父が酒を飲んでこぼす母への愚痴を聞いてあげないといけないのだ。
わたしは2階の自室で部屋のベッドで小さくなりながら布団を抱きしめて毎晩過ごした。
わたしは体が小さく、運動はできなかった、また容姿もよくなかった。しかし勉強はそれなりにできた。
わたしは近くの中学校を経て、県立の進学校に進学した。わたしは少しだけやっていたスポーツをやめ、ガリ勉になった。
わたしの学力は上がった。地元の医学部の推薦を受けることの出来る成績であったし、父はわたしに医者になってほしかったようだった。
しかしわたしは官僚になりたかった。文部科学省で、子供の未来を司る教育を作りたかった。思い返すと、子供である自分が満たされていないことの代償行為かもしれない。
慶応には受かったのでそちらに行くことにした。当時は家がおかしいとは思っていなかったが、家で浪人はできる精神状態ではなかったというのは無自覚ながらあったのかもしれない。
滑り止めは大阪大学の予定だったが受けなかった。そのとき父が単身赴任で大阪に行っていたので、やはり避けたかった思いがあったのかもしれない。
大学は刺激的だった。
わたしはいわゆる陽キャに分類されるであろうサークルに所属し、おそらく人生で一番楽しく充実した毎日を送っていたと思う。
そこにいた彼らはみな優秀で誠実で、親の愛と期待、また財力もあった。彼らのほとんどは期待と自信に満ちあふれていた。
彼らは本当に善性に満ちあふれていて、世の中を肯定的に見ることが出来るのだ。育ちが違うというのはこういう事を言うのだろう。昔話題になった低学歴の世界と高学歴の世界はまさしくこれである。
そのうち、わたしに初めての彼女ができた。今思うと浅はかな考えだが、わたしは全くもてなかった、だから当時、彼女さえいればバラ色の人生とは行かずとも人生が好転すると信じていた。
しかし、それは何も自分の渇きを癒やしてくれなかった。自分の持っている悩みは解決されないまま恋愛関係という新たな悩みをわたしにもたらした。
わたしは彼女と別れた。そして気まずくなりあまりサークルに行かなくなった。
年次が進みわたしは就活に向けて、大学向けの官僚の話を聞きに行った。そしてショックを受けた。そこに来たのはみな東大出身だった。自分の大学向けの講演であったにもかかわらずだ。少しは慶応出身のひともいるはずなのに。
わたしは後悔し、東大に行けなかった自分を恥じた。そして受ける努力もせず官僚を諦めた。
わたしは堕落し、成績はどんどん低下した。お金もなかったが留学するだけのGPAも全く確保できていなかったと思う。卒業はぎりぎりだった。
わたしはインフラ企業に就職した。安定した企業で地方転勤がない会社に入りたかった。NGだけがあってやりたいことが思いつかなかったので公益性などを考えた、いや就職のための美辞麗句として使用しただけかもしれない。自分でもわからない。なんだかんだで父を尊敬していたのかもしれない。
しかし、コンプレックスは拭えなかった。先輩方はみな電通や博報堂に入社していた。そもそもわたしは受けもしていない。
同じサークル出身でまさに文部科学省に入った同期もいた。ハンデを乗り越えて入省した彼は本当にすごいと思う。しかしわたしは怖くて彼と連絡をとることはできなかった。
わたしは会社で体育会系の部署に配属され、不眠症になった。不眠症は一項に改善されず処方される薬はどんどん増えていった。
わたしは仕事にやりがいも見いだせず、また傍目にも優秀とは言えなかった。当然ながら、出世コースに乗ることはできなかった。
他の会社は違うのかもしれないが、この会社は出世ルートから1度でも遅れたらもう二度と追いつくことはできない仕組みになっている。
しかしやる気はでなかった。そもそも出世したいかしたくないかもわからなかった。しかしお金は必要だった。
わたしはそのうち花形部署に配属された。それなりの残業代を得て、それらはすべてソーシャルゲームに消えた。
そこではわたしの評価は勝手に上がるようになった。私は上位の等級に選ばれ、少し位が上がって係長になった。同期では真ん中くらいか少し遅いほうかもしれない。
昔の部署で自分より年下の後輩が係長になっていたのを見て、ショックを受けていたわたしは少し持ち直した。
そもそもそれでショックを受けるまで出世がしたいとも思っていなかった。もはや取り返しのつかないことだが。
わたしは奨学金を借りていた。そして、借りたお金を利子がつかないよう両親が建て替えて両親に返す形になっていた。
なぜかそれが親の好意みたいな形になっていたし、そもそも払えるじゃないかとも今は思う。そして母は利子をつけない代わりに、支援機構の倍の速度での支払いを要求した。
わたしは10年かけてそれを返した。そして最後に振り込みをした日に両親と絶縁した。
わたしは外から見たら、おそらくそこそこ恵まれているように見えているのではないかと思う。
部屋は最新のガジェットとデザイナーズ家具で溢れている。椅子はアーロンだし、キーボードもRealforceだ。Alexaは一声かけるだけでシャンデリアを操作してくれる。なのに、わたしは大枚はたいた高級ベッドの上で、大の字で寝ることもできず、子供の時と変わらず隅っこで布団を抱いて眠ることしかできない。しかも大量の睡眠薬が必要だ。
わたしは人の顔を思い出すことができない。父も母も妹も昨日あった同僚でさえもゼロから顔を思い浮かべることができない。
推敲もしていないし、考えがまとまらないまま書いているので読みにくい乱れた文を書いていると思う。その点だけ先に謝っておく。
私の悪い点として、自分が招いた窮地を他人のせいにしてしまう所がある。
自制心が弱く自己管理が出来ないので、大学生になって親や教師から管理されなくなった途端、生活リズムが破綻して授業をサボりがちになってしまった。そのツケが三年生になったときに押し寄せて来たのである。自分が悪いということは自覚していたがその事実から目をそらすために、「自分の大学生活が上手くいかなくなったのは当時の彼氏から受けたストレスのせいだったのだ」と自分に言い聞かせて彼氏との縁を切った。元彼氏は確かに束縛が激しく試し行為のために自作自演をしたり思い通りに事が進まないと号泣したり、人前でも幼稚退行して奇声を発する上に語尾が「にゃ」の大変気持ち悪く、私にストレスを与えて来る人間だった。しかし、そもそもなぜ私がそんな人間と付き合っていたのかと言えば、気持ち悪い男と交際するという自傷行為によって自分の置かれた現実から逃避しようとしていたからだ。自分で選んで気持ち悪い男と付き合い必修の授業を切り課題を出し忘れ、全て自分に非があるのだがその全てのストレスを元彼氏に押し付ける形で自分の心の中で折り合いを付けた。
通っている大学の大学院に進学を希望したものの、私のそれまでのGPAは2.0以下(4.0が満点)で内部推薦はもらえない状態だった。そのため、大学院の受験をしなくてはならず、今までサボってきた基礎科目を勉強しなおす必要があった。しかし勉強を始めた時期が遅く院試までに間に合うかどうか望み薄だった事もあり、全くやる気が出なかった。さらに、当時「生活習慣を正す」という目的で通っていた心療内科で睡眠薬をいくつか出されていたのだが、睡眠薬を飲むと夜間だけでなく昼間も頭がぼんやりしてしまい、勉強が思うように進められなかった。
そんな時期に、私のSNSにしつこくDMを送ってくるフォロワーの男がいた。フォロワーとは数回エンカをしたことがあるのだが、何回目かのエンカの後に長文ポエムとともに交際を迫る文言が送られて来たので、あまり刺激しないようにしつつ少しづつ距離を取ろうとしていた。フォロワーは長文DMが鬱陶しかったとはいえ元彼氏のように実害を与えてくる存在ではなかったので、適当に受け流して返信をすれば良かったと思うのだが無性に苛立ちを感じてしまいtwitterやpixivの全てのアカウントでブロックをした。今思うと完全に八つ当たりだったと思う。
また同時期に、学校の女友達とも縁を切った。買い物や通院など日常の些事をラインで何件もわざわざ送って来られる事が負担だった。しかし、これもただラインの通知を切ってあまりみないようにすれば良かっただけの話で、ラインをブロックまでしてしまったのは八つ当たりだった。この友達に関しては拒絶する前に自分の気持ちを話していれば良かったと後悔している。
院進が決まり頭が冷えてきた頃に、悪意があった訳でもない友達を急に拒絶してしまった自分の挙動がおかしかったという自覚が芽生えてきて自分の「ストレスを他人のせいにして相手ごと切り離そうとする」という悪癖に気付いた。
大学院一年生の今、私は就活と研究で行き詰まっている。頭が悪く社会性も低く、これまで何も成し遂げていない自分に入れる企業なんてあるのだろうか?
そして、ありがたい事にこんなクズの私を頻繁に遊びに誘ってくれる友達がいるのだが、やらなくてはならない事が溜まっている時期にswitchのログイン状況を監視されたり何度も遊びに誘われると鬱陶しく感じてしまって、ラインごと消したくなってくる。就活や研究が進んでいないのは自分のせいだし、友達との遊びも強要されている訳でもないのだから適度に断ればいいだけ。何より、クソキモ元彼氏や長文ポエムDM男と違って、この友達のことは大好きなのだ。冷静じゃない時に早まって連絡手段を絶ったら絶対に後悔する。
でもなんだか逃げ出したい
オンライン授業でレポートの精度が向上大学准教授が推測する背景とは
https://blogos.com/article/561722/
残念だが、諸君は何もわかっていない。
現役の大学生である私がオンライン授業で学生の成績がよくなった本当の理由を教えてあげよう。ちなみに2年生だ。
私の大学は都内の有名私立と呼ばれるもので、学生の質が著しく悪いということはない (と思う) し、同様のことが他大でも起きているということも念のため書き添えておこう。
オンライン授業がメインの大学では「課題だけの関係」が非常によく発達する。
課題だけの関係とは、ガイダンスなどで珍しく登校した際や #春から〇〇大 などで繋がった人とLINEを交換し、以来趣味の話をするでもなく課題のやり取りだけを行う関係のことである。
ネット上で〇〇大界隈などといって馴れ合っているじゃないかと思われるかもしれないが、それをする、或いはそれができるのは極々一部の学生だけだ。
少し調べてみると同じ人たちばかりがツイートしていることがわかる。
前期は一人孤独に耐えたが後期もオンラインが確定し仕方なくTwitterを始め、春でもないのに #春から〇〇大 でツイートする人も非常によくみてきた。
課題だけの関係の闇が深いのは、どうしても学力差がつきもの、という点だ。
次第にどちらかが答案を送りどちらかが写す関係に切り替わっていく。下請けだ。
そして大抵は複数人とLINEを交換するので、だんだん優秀な答案が出回っていく。孫請けだ。
こうして9割S (弊大学の最高評価) の講義なんてものが誕生する。解説するまでもなく簡単な話だろう。学校は社会の縮図とはよく言ったものである。
対面の頃も課題だけの関係は存在しただろうが、上級生の様子をみると、オンライン授業世代の我々ほどは深刻ではない。
対面試験が実施できず課題だけで評価されることが多いのも要因としてあるだろう。
出席率も高くて素晴らしいなどと言っているようだが、オンライン授業を休むとは一体なんだろうか。
一方で、対面授業のほうがオンライン授業よりも学習効果が高い、などとするオンライン授業に否定的な大学教員もいる。
現在はどの大学でもオンライン授業と対面授業を選べる講義が増えてきている。
その上で対面授業に来た学生のほうが成績がよい、という主張だ。
ここまでオンライン授業を批判してきたわけだが、私はこれにも懐疑的だ。
ちょっと考えれば当たり前のことを言っているだけなのがわかる。
世間は大学生はみな対面授業を望んでいると思っているようだが、大学生の本音は「一度キャンパスに行くという『大学生感』を味わえたならあとは正直オンラインで構わない」だ。
対面授業が本格化すると試験も対面になってしまうのでそれは困る。
ではなぜ対面授業のほうが成績がよくなるのか?もちろんオンラインの方がよくなった講義もあるだろうが、多くの場合、その答えは登校するのはそのうち勉強熱心な学生だけになるから、それだけだ。
ここまで読んで、あなたは大学生とはなんとわがままな人種なのだろうか、とでも感じただろうか。
大学生がわがままなのは否定しようもない事実ではある。申し訳ない。
ただ少し待って欲しい。おかしなことを言っているのは学生だけではない。
さて、冒頭で「諸君は何もわかっていない」と述べたが、正直なところ私は何もわかっていないとは思っていない。
出席の異常さに何も感じないわけもない。
指摘すると面倒だから何もしていないんだろう。わかる。私だってその立場なら指摘したくない。
私はただ、持っていない性善説をもとに存在しない大学生理想像を作り、それについて検証などと称して記事を書き仕事しました顔をしているのが気に入らないのだ。
大学生はみな自分一人で課題をやっている、毎朝対面授業に行き勉強したがっていると信じたふりをして話をするより、もっとすべきことがあるはずだ。
そんなことよりオンライン授業の質を高める方法を検討してくれ。
→中学が動物園で一ヶ月で転校したいと申し出るも父親に聞き入れてもらえず さらに教師複数人の体罰で不登校に
→親ガチャNだらけの学区がクソすぎるので学区外の高校に進学しようとするも貧乏で私立には通えない上に普通科は越境禁止の都道府県なので商業科に通う 大学希望だが就職にいっても困らないようにトップレベルの成績を維持する
→高校でも体罰(体罰問題で新聞記者に詰め寄られる体育教師を見かけた)があり普通科に行きたくなったので転校する
→高3の時に親が鬱で辞職 予備校に通うお金もないので推薦で地元大に行き学費はすべて奨学金で賄った
→編入した先でサークルを設立 1年足らずでサークルの最大目標をクリアするものの大学側のパワハラで中退
→フリーターでもいいからと上京でシェアハウスに住むも緊急事態宣言により大家側の都合で僅か6泊7日で家を出る羽目に
→コロナ禍になって現役世代が宅浪みたいになってるので自分も宅浪することに
やっぱり最初から恵まれてればこんな遠回りする必要無かったんだよね
親ガチャNを引いても SSRのやつと同じような人生を求められるのが悪い
俺自身はそこまで悲観するような人生じゃないと思うんだけど 世間的にみたら最悪だし 社会で必要とされないから悲観するしか無くなる
全部セルフサービスでキャリア積んでいかなきゃいけない状況で受験勉強なんか出来るわけないのに
予備校行って受験に挑めるようなやつは親ガチャじゃなく子ガチャ失敗だからな 俺みたいなそもそも挑む権利ないのが親ガチャN失敗だからな
①中学受験
もう後がないと言う試験でゾーンに入り奇跡的に難関進学校へ合格。
鉛筆の音ふくめ周りの音が一切しなくなった。
存在をわすれていた4000字×2本のレポートをゼロから10時間で書いた。飲まず食わずで気づいたら夜だった。
当時の先生が鬼のように怖く、一音でもミスれないという状況。極度の緊張状態で頭が真っ白になりそうだったが過集中に入って気がついたら弾き終わっていた。
優勝したが先生が怖すぎてやめた。
④就活
どうしてギリギリにならないとやれないのか流石に鬱になりそうだった。エントリーシートは全会社通ったが面接でほぼ全て落ちた。
⑤卒論
計画性とかあるわけないんだよなぁ
⑥単位
193単位取らなくてはならなかった。
過集中だけは自信があったのでまあやれるだろうと思い教務課の反対を押し切って履修した。
2週間で13本くらいレポートを書く羽目になったが過集中を使えば楽だった。
⑦マフラー
冬休みの課題だったがコツコツ編むなど無理だったので、10時間ほど飲まず食わずで編み続けて完成させた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210816/k10013204791000.html
まず接種券が同年代と同じタイミングで届くため、そもそも接種の予約ができない。
そして高齢者の接種が済んだから徐々に対象年齢が下がって来てるんだけど、そのせいで予約がすぐに一杯になって接種券が来ても予約ができない。個別接種はそもそも予約を中止している。
そして7月8月は試験期間。GPAのせいで試験を休むことだけは避けなければならないため、副反応で試験どころではなくなる可能性が高いワクチンを受けることはできない(これ若年層がワクチンを接種したがらない理由の1つになってそう)
当初は65歳以上の次に順番が回ってくるのだと思ってたのですがなかったことにされて接種できるのは最後の方になりそう。お金もないのでバイトをしていますがデルタ株の特徴から見ても感染するのは時間の問題っぽい。
【学部】早期入学と早期卒業がある もう記憶にない 以降は大学院について
【金銭面】早期卒業で院進すると月40,000くれる(僕の代から審査が入るようになったのカスすぎ、まあ僕はもらえたんですが) 貸与型奨学金を申し込むと授業料の免除申請ができる 学部とは違って「本人の収入」だけで決まるので書類を集めるのは(相対的に)楽(楽とは言ってない) M1は全額免除になった M2はコロナの影響もあったのか前期は免除されず後期は2/3免除だった 貸与型奨学金は月88,000借りて半額返還免除になった(†特に優れた業績†は査読付き国際学会 + ICPC WF) 引っ越しとかで割とでかい額が必要になったり(家賃二ヶ月分前払い+敷金+礼金とか)するので、一種(無利子)が借りられるなら借りておいた方が安心ではあるのではないでしょうか
【学生】学力が怪しい(大半は簡単な演習問題さえ解けない) 数少ないまともな人間に遭遇したら顔を覚えておこう
【英語】一応全ての講義が英語で行われることになっているが、受講者が日本人だけの場合は日本語になることもある 修論とか中間発表は英語 質疑も英語だけどあまりにもたつくと指導教員が訳したりしていてカオス
【講義】そんなに踏み込んだことはやらない 出席してちゃんと聞いていれば GPA 4.0 になる お話として聞く分にはおもしろい グループワークを要求される講義には気をつけよう!
【TA・RA】カス 学部で育成した「創造性豊かな人材」を時給1000円でこき使うのすごいぜ レポートの採点はグレーゾーンの中でもアウト寄りだと思っている 二度とやらねえ
【研究】教員がコネを持っていがちなのでそこそこ学会に通している人はいた 計算資源が研究室依存(東工大はスパコンがあるの羨ましいねえ)なので機械学習とかやるなら投資しているところを選んだほうが幸せになれそう 修論はピンキリ
【ICPC】コロナ前は毎年海外遠征に行っていたがしばらくは無理そう 三並列ルールだと層の厚さ的にどう頑張っても勝てなさそう
【まとめ】期待を込めて星四つです
地方私文(1敗)
浪人(2敗)
コミュ障(3敗)
クソ雑魚国家資格は持ってるけどその資格を使う職には就きたくない(4敗)
競争が苦手(5敗)
そもそもやりたいことがない(6敗)
バイトリーダーじゃない(7敗)
3月はゼミの教授の言うことに従って資格関連の業界のES出してSPI受けて面接行ったけどさぁ、資格持ってても普通に意味ねえんだわ。やっぱ"人間力"よなぁ。5社受けて全部1次面接で落ちたわ。特に大企業ってわけでもないのにな。向いてないのはわかってんだから適性検査で弾いてくれや。
ゼミの教授にもキャリセンの職員にも〇〇さんはやればできる的な扱いされるけどさぁ、二十数年生きてきたら自分では分かる通り、やってこれやねんな。
そりゃこの地域では頭良い高校卒だし資格とかTOEICスコアとかまあそこそこ持ってるしGPAも高えのは確かだけど、そんなのマジでクソほども自慢にならんし、結局F欄やし、まずやればできる子は浪人なんかしねぇし3年の3月から就活始めたりもしねぇんよな。
分かってることは自己肯定感の低さとかやる気のなさとか自分の立場を踏まえてない冷笑的なスタンスとか自分自身の人生なのになぜか客観視してしまっていることとかで、それただの怠け癖のある社会不適合者なんよなーって。これが自己分析か?
自己肯定感の低さとかやる気のなさはまあ昔からなんで変えられないわな。
小中高と同じ部活やってたけどほぼほぼベンチだったんよな。まあ実際普通に下手だったんだろうけど、監督やらコーチやら同輩から決まって言われる「お前はやればできるのにな〜」というお言葉。
やってこれやねんな。
元々の能力値が低いんだよ。
まあ部活で言えば周りの自分と同じ状況の奴は必死になって監督にゴマすって試合に出ようとしてたけど。
それが「やる」ってことなんだろうかね〜とか、まず俗に言うエンジョイ勢だから試合出なくたって良いよなぁとか考えちゃってなんもせんかったな。
練習に監督が来たときだけ動きが1.5倍になる他の部員見てキモって思ってな。
そういうお前が一番キモいって話。それも分かってる(と言いながら多分分かっていないんだろう)。
「お前はもう少し媚びを売るようにしたら人生楽になると思うよ」っていつか友人に言われたな。
まあその通りだと思う。それすらも面倒くさいからやらんのやけど。
自己肯定感のなさは成功体験のなさ由縁とか言うけど、今のところ何したって成功って感じないしよく言われるたとえみたいに、朝起きれた偉い!とはならんのよな。
部活10年続けました!バイト3年間続けてます!←続けてるだけじゃん。惰性でしょ?
年間GPA4.0でした!←でもお前勉強してないしF欄じゃん?
資格一発合格しました!←特に本気になって取り組んだわけじゃないやん。クソ楽テスト受かって何になるの?
テストとかなら結果出て5秒間くらいは嬉しいけど、その後は自分にツッこまれて「ま、こんなもんだろうな」って気持ちになってしまうんよな。みんなそうかもしれないけれど。
こういうの見ると自虐風自慢というか、自己肯定感ないって言う割に自分のことを高評価しすぎてる奴に見えるかもしれないけど、そこんところはよくわからんのよな。
とまあ、話は逸れるわ就活には関係ないわ、クソみたいな駄文書いてる暇なんてねえんだし、とにかく考えたってどうにもならんのだから早く必死になれって話なんよな。
必死になれないのはクズだから。まず必死になるってなんなん?根性論じゃなくてやり方を教えてほしいんだよな。
まあでも、そんなすぐに人に頼ろうとするクズに就職先はありませーん。
どうしたらいいんだろう?わからん。誰か教えてくれ。
運良く早慶の某文系学部の首席に選ばれた。これが何かに直接役立つことはないだろうけれどやはり嬉しい。
私みたいな馬鹿にも首席を取らせてくれるこの大学のこの学部に受かって本当に良かった。
思い返すと本当に、何故受かったのだろうと感じるような受かり方だった。やはり受験はロト6。(マークシートの場合)
元々高3の夏まではマーチに指定校推薦で行こうとしてた。(高校の偏差値が高くなかったので早慶の指定校推薦はなかった。)今思うと本当にやめて良かった。夏にオープンキャンパス行って通学時間長すぎると思ったのと、本当に早慶じゃなくて後悔しないか不安になったので、結局やめた。
浪人して早慶目指すつもりだったのと、学校通って宿題やるだけで疲れる人間だったから受験勉強は全然できなかった。予備校にも行ってない。受験勉強と言える勉強をし始めたのは高3の冬休み入ってからだった。学校が休みに入ったのと、一応で受けるセンター試験の結果を学校に報告するときにあまりにも点数が低いのは恥ずかしいと思ったからようやく基礎から勉強を始めた。といっても、その時ちょうど新しいソシャゲをはじめてしまったりとそれほど頑張れたわけではない。
寝不足でセンターを受けた。勉強不足と頭の悪さで国語は6割を切る始末だった。その後燃え尽きて一週間はほとんど何もやらず。その後ぼちぼち少しだけ勉強した。どうせ来年が本番だしと、始めたばかりのソシャゲのバレンタインイベを完走するなどした。
その後模試感覚でマーチを2,3回、早慶を2回だけ受けた。私は小テストにも一々気持ち悪くなるほど緊張する人間だったのだが、「どうせ落ちるし。お試しお試し。来年がんばろ〜」みたいな感覚で受けたのが功を奏し、緊張や焦りは抑えられた。しかしそれでも勉強不足。普通にマーチに落ちた。知ってたことなのであまりショックでは無かった。受からせてくれたマーチは1つだけだった。
その後1,2週間があき、早慶の受験。はじめに受けた方は赤本すら買っておらず過去問すら解いていない。「ここにいる人たちにとっては大事な日なのかな〜私はお試しお試し」と物見遊山感覚で受験。一応は真面目に取り組むも、英語でかなりの長文を書く問題が出され、めんどくさくなって放棄した。ここは落ちた。
そしてその次に受けた学部が私が何故か受かり、何故か首席をとれた学部だった。なぜだか忘れたけどここの学部の赤本は一応買っていて、一周くらいならしたような気がする。問題は平易な方だが合格点は高めの学部という感じだった。前に受けた学部とは違って、ここのは一応最後まで真面目に取り組んだ。模試気分だからこそ緊張せずに解けたが、それでもバカで勉強不足の私には難しかったから、まさか受かってるとは思わなかった。マークシートで運が炸裂したのだろうなと思う。(マークシートと記述混合)
そうして思いがけず早慶に受かって、浪人もすることなく予備校にも行かずに何故か早慶入学。模試も高校実施の以外面倒で受けなかったような人間なのに。受験って運の要素強すぎるのだなと感じた。
その後ちゃんと卒業できるのかも危ぶみながら学生生活が始まった。高校の偏差値は低いし真面目に勉強取り組めない人間だしマーチにも落ちるし、過去問等の入手もコミュ障ぼっちなので高難易度。単位取れないのでは?と思いながら授業情報雑誌とにらめっこ。
長くなったしここら辺で終わる。GPAとるために個人的にしたことなどやる気が出ればまた書くかもしれない。
とりあえず思ったのは、GPA取るのにあまり地頭は必要ないということ。過去問とかもあるに越したことはないが、無くてもA+はくるということなど。文系だけかもしれないが。
(追記)
首席(学部事務所の方曰く総代という言い方でした)に選ばれたのは学部の成績がトップだったからです。最終的にGPA約3.9でした。
授業受けてるだけでポロポロ涙が出るくらい鬱状態になったのでここに書く
田舎から上京してきて一人暮らし、コロナウイルスがじわじわと感染拡大していた2~4月の間ずっとアルバイトしていたため実家に帰ってオンラインで授業を受けるというスタイルはできなかった。それに、そもそも事情があって実家に帰れない。
そんな中オンライン授業が始まった。
Twitterでもさんざん指摘されているが、まあ課題が多くなった。そうなると一人暮らしをしている私は課題をするために、一日中、あるいは数日間家から出ない状態が続いた。
一人暮らしでなくとも、家から出ない状態がどれほどメンタルヘルスに影響を及ぼすかは自粛生活を体験した多数の人にわかってもらえるだろう。私の場合孤独だ。家から出るとしてもバイトや生活必需品・食品の購入のみの生活で、無駄な会話がほとんどない。コミュニケーションが不足した。人と直接関わり合えない。友達と通話やZoomもよくやったが、オンライン上のコミュニケーションではどうしても埋められないものがあると気付いた。そんな風にして誰ともほんとうに関わり合えない生活が続くと、どうしても自分のネガティブな考え方に閉じこもってしまう。
ずっと徹夜をしているうちに眠れなくなった。寝たとしても起きると気分が悪くなる。それに寝てない方が集中力が保てる。食欲はないが何かを口に入れたい。でも何か食べると気持ち悪くなる。
うっかり課題の提出期限を忘れて提出できなかった。これがGPAを落とし、卒業まで残る値になるのかと思うと死にたくなった。ほんの小さな減点にしかならないようなものだが、それだけでもうずっと上がらないんだ、もう自分はだめなんだとさえ思えた。あー嫌だな。死にたいな。
自分の自己管理能力が低くて、極端な考えに走りやすいことはわかっている。だからこれは個人的な愚痴だ。
後期は通常の授業に戻ってほしい。きっと無理だろうけど。
勉強できない どうしよう
勉学に対する志があるわけじゃなくて、コロナのせいで資格の実習がふたつ被っちゃって、留年すると奨学金が止まっちゃって、奨学金が止まると授業料免除が受けられなくなって……
とにかく色んなバグのせいで進学するかひとつ資格を諦めて単位を無駄にするか留年してお金がかかるかの三択に迫られて、進学を希望している
一応単位を落としたことはなくて、GPAは高くも低くもない 頭の出来は悪くない方だったはず ものを理解するのは得意だし、本を読むのに抵抗がないから勉強が苦しかったことは一度もなかった
どうしたらいい? 教科書を開くのが辛い、英語を読むのが辛い、指導教官の顔を見るのが辛い、なんならメールを開くのが怖い
卒論も進まない、勉強も進まない、進学どころか卒業する自信がなくなってきた
そもそも大学に行けてないから資料も相談する時間も調査時間もお金も何もかも足りない
でもここで止まるとせっかく今まで面倒を見てくれた指導教官や院の先輩になんと思われるか、と思うと勉強もできていないのに進路を変えられない
辛い
親は高卒で、相談できない。生きるためのお金はくれるから悪い親じゃない 。ただ勉強するための資金は自分で稼ぐべきだという考えの人で、私はバイトをして授業料を免除してもらう必要があるだけ
勉強したくないよ
でも本当はこの分野好きだったはずで、もっと勉強したかったはずで、資格だってちゃんと取りたいはずなんだよな。そんなことなかったのかな
どうしよう 死にたい