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はてなキーワード: 自己目的化とは

2019-11-15

anond:20191115102850

ウヨもサヨも馬鹿にする人は時折、さも自分こそ

言葉本来意味普通の人、一般人のように振る舞うことがあるが

本物の普通の人、一般人は、そもそもバカにする対象としてであれ)

右や左の政治思想にそこまで興味を持たない

たとえば家族とか職場上司とか取引先みたいな目の前の人間関係とか

昨日の野球試合テレビドラマ今日晩飯などなどの話題

その時々で頭をよぎり、たまーに政治にも興味を持つけどその場限りで

自分が直接足をつけている問題が頭の大部分を占めてるのが

本来普通の人とか一般人

から躍起になってウヨもサヨも馬鹿にすることが自己目的化している人もまた

普通の人とか一般人からズレてしまった

「歪んだインテリ

一種なんだよなあ

(心性がインテリでも地位エリートではない場合も多い)

元増田が挙げている例に近い人は、たぶん古代からいた

中島敦の『弟子』には、孔子(と弟子の子路)のような理想国家建設を唱える

知識人を「あんなもんは所詮~」と嘲うタイプ隠者が出てきたな

2019-10-21

追記日赤ポスター宇崎ちゃん

https://anond.hatelabo.jp/20191019021148

を書きました.たくさんのコメントありがとうございます.もう食傷気味かもしれませんが,追記します.

ただ,この追記基本的コメントに対するものではなく,前増田が長文になりすぎたために書けなかった部分についてです.論点はここ数日で既出のものリンク)に近いかもしれないです.

https://anond.hatelabo.jp/20191018230535

結論は,「フェミニズム性的表現非難する時には,非モテ男性に与える不平等感について自覚配慮し,主張をするべきである」というものです.いわば,私が前増田で書いた主張と対になる主張をします.

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増田では,「『公的な場で,女性男性目線性的に描くことには,女性規範に悪影響を与えるリスクがある』という認識が共有されるべき」と主張した.これは,当然,絵のみでなく,コンパニオン女子アナ芸能等の実在人物にも平等に主張されるべきだ.一方で,「では,なぜ絵には、とりわけフェミニズム非難が集中するのか」を疑問視する立場がある.この論点重要だ.

まず,前増田説明したフェミニズム非難の内容を再確認する.公的な場で,男性目線性的女性を描くことは「女性は,男性から見て性的存在であるべき」という社会的規範を強化する.この規範の例は,

だ.男性目線性的存在として女性を繰り返し描くことで,それが『通常』と認識され,規範となる.規範は,そこから逸脱する女性自由を制約する(例:「女性は皆,お酌をしている.自分もお酌をしなければ,普通じゃない生意気な女だと思われそうだから,お酌をする」).

規範特に問題となるのは,相手男性性的魅力がない場合である.例えば,「女性は,通常,『好意がある男性には』お酌をする」という規範と,「女性は,通常,『好意がない男性にも』お酌をする」という規範では,後者の方が,女性意思に反するだろう.このような規範を強化するのは,「性的に魅力のない男性非モテ男性目線で,性的に描かれる女性像」である.件の献血の絵の問題点は,前増田で述べた通り,公的な場における性的表現であるため,「女性存在は(一般に)男性目線で魅力的であることが『通常だ』」という規範を強化することであるしかし,それだけではなく,オタクであるために,「女性は,非モテ男性にすら性的に振る舞い,消費されるのが『通常だ』」という規範を強化しうることも問題なのだ.このように,非モテ男性向けの性的表現が,一般向けの性的表現よりも忌避されるのは、感覚として自然である.(これは、「単に非モテ男性作品自体を嫌っている」のとは似て非なることには注意が必要である)

このため,ある性的な絵がフェミニズム的に非難されるとき,「性的表現の程度(例:胸の大きさや強調され方)」だけではなく,「画風,タイトルセリフ知名度などを総合して,一般人にとって,『非モテ男性向け』なイメージがある絵かどうか」によって非難の程度が変化する.しかも,判断基準客観的事実(実際に非モテ男性がそれを性的に消費するか)ではなく,主観的事実一般人にとって,非モテ男性がそれを性的に消費しているイメージが湧くか)である.なぜなら,その社会の誰かが,非モテ男性女性性を消費するイメージを持った段階で,その人の主観においてその規範が繰り返され,強化されると想定されているかである峰不二子セーラームーン芸能人の有害性よりも,オタク絵の有害性が強調されるのは,一定数の人は,知名度の低いオタク絵に対し「非モテ男性向けの性的表現」というイメージを持つからである

ここで最も重要なのは上記フェミニズム文脈におかれた,非モテ男性立場配慮することである上記を雑に換言すれば,「モテ男性の好みの女性像は,多少性的表現されても問題になりにくい」「非モテ男性の好みの女性像は,少しでも性的表現されれば問題になりやすい」ということだ.しかも,それは,しばしば,事実と異なるイメージにより一方的判断される(例:「実際にはエロの要素が少ないマンガでも,作品を知らない人から一方的に,絵柄からオタク性的に消費する姿が想起されるために公的な場には不適切だと判断される」).つまり男性の間には,女性モテる/モテないの格差に上乗せして,好みの女性像が持つ市民権にさえ格差がある.非モテ男性立場からすれば,これは控えめに言って不平等であり,もっと言えば差別的である社会から女性差別的規範排除する試みは,自然に,非モテ男性差別的な側面を持つことを認識するべきである

フェミニズムがこの差別的側面を無視するのは得策ではない.無視するための手段としてよく見られるのは,性的表現非難する際,もっぱら「性的表現の程度(例:胸の大きさや強調され方)」だけを議論し,「表現対象非モテ男性向けか,一般向けか)」の影響は無視するというものだ.一見,これは,非モテ男性だけを問題視しない,公平な態度であるしかし,表現対象に依らず,同程度に性的表現の全てを非難するのは現実的でない.なぜなら,主張する本人すら必要性を実感していない様々な対象非難する必要があるからだ(例:オタク絵への非難正当化するために,峰不二子非難する.しかし,本人も実際には,峰不二子には不適切さを感じていない).すると,フェミニズム非難は無関心層・中間層には実感として理解されにくく,建前や自己目的化、更には単なる嫌悪表現と誤解される.当然,社会から性差別規範排除するためには,この無関心層・中間層から理解必要であるフェミニズムは,非モテ男性向けの表現特に問題視するということを認めなければ,社会から女性差別的規範排除することは難しい.

以上からフェミニズム性的表現非難するときには,まず,「非モテ男性向けの性的表現特に問題視する」という立場を認めるべきである.その上で,非モテ男性に与える不平等感について自覚配慮し,主張をするべきである.どちらの立場にとっても,一面的正義を主張することは,火に油を注ぐだけである

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10/21 12:49 加筆・修正

10/21 22:00 加筆・修正

2019-09-04

スパコン事業仕分け再考

スパコン事業仕分け議事録と音声データは以下のサイトに置いてある。

https://blog.wktk.co.jp/ja/entry/2015/06/08/renho-super-computer-siwake

スパコン事業仕分けのはじまり

事業仕分けがはじまったのは民主党政権時代で、記憶曖昧なのだが、自民党政権時代無駄仕分けしようと意気揚々と打ち出された政策だったと憶えている。

事業仕分け話題になったのはスパコン関連の蓮舫氏の「2位じゃだめなんですか」発言で、当時テレビ等のメディアではこの発言ピックアップされ何度も報道された。スパコン事業仕分け自体は「予算計上見送りに近い縮減」として事実上の凍結で終わったのだが、このとき蓮舫氏の発言が非常にフォーカスされ報道された。民主党政権が力を入れる政策で、その担当に抜擢されたのがズバズバ物言う気の強い蓮舫氏だったが、そのくせ科学技術に疎い素人質問事業仕分けが進み、本来必要事業事業仕分け対象にされてしまったと、事業仕分けが残念な形で行われてしまったという風に報道されていたと記憶している。

Wikipedia事業仕分けでの議論の項を読むと、評価者(仕分け人)側の評価コメントは以下のようになっている。

色々書いてあるが、つまり方向性必要性を再考せよ」ということだ。というのも、当時の状況では「そもそもスパコンプロジェクトが本当に完成できるのか疑問」だったかである

スパコンプロジェクト問題

当時の状況としては、NEC日立富士通が3社共同で開発するはずだったが、NEC日立経営不振を建前上の理由撤退し、富士通1社で開発をするという状況であったからだ。「建前上」と書いたのは、企業事業撤退するとき理由はたいてい経営上の理由を建前とするからだ。このことは事業仕分け会議でも指摘されている。しか撤退条項しなので、特に罰則はなかった(たぶん)。その後、理化学研究所賠償請求NECに対してするが、逆にNEC側に未払いの開発費を払う形で和解している(なんじゃそりゃ)。ともかく、この「撤退条項なし」というのが嫌な予感しかしなくて、そんなゆるふわ契約プロジェクトを進めていているのか?という懸念は、「もしかしたら他にもずさんな計画を立ててるんじゃないのか」という疑念を抱いてしまう。実際、事業仕分け会議で様々な角度からスパコン開発の方向性スパコン必要性が突っ込まれるが、理研文科省説明者は窮地に追い込まれ人間特有迂遠言い回しで具体的な回答ができていなかった。といっても、説明者が会議で言っていたとおり、研究費用対効果は相性が悪いし、必ず実を結ぶ研究というのは存在しないので、断定的な説明を避けざるを得ないという点では同情する。

もう一点の懸念事項としては、富士通単独での開発になるので、その1社に多額の国家予算を割り当てるという形なる。これは富士通事業に失敗、撤退すると言い出したらプロジェクト事実上崩壊するという意味である。そんなことはないと信じたいが、ともかく、当初3社でやっていくと言っていた中、2社が撤退し、1社のみの力でやっていきますと言われたら、予算を出す方は当然「ちょっと待てよ」となる。逆に言えばそれを説得する必要があった。

2社が撤退したこと問題は既に発生していた。スパコン仕様変更のことであるスパコンの当初の仕様としてはベクトル型とスカラ型の複合だったが、ベクトル型を担当していたNEC日立撤退したので、富士通担当していたスカラ型単体のみに大幅設計変更する必要がでてきて、ソフトも頑張って書き換え中とのことであった(議事録に書いてある)。そして総予算1154億円のうち、すでに100億円の予算超過をしている。このような状況の中で、第一スパコンさらに700億の追加予算を投じるか会議をして、追加予算が可決されるほうがおかしい。「予算計上見送りに近い縮減」という終わり方をしたのは、ふつう合理的理性的判断だったと思う。

会議議事録だけではわかりにくいが、会議はかなり詰められる形で進行されている(音声を聞けばわかる)。そんな会議なので説明者は疲弊するだろうし、ところどころ支離滅裂で、抽象的な回答をせざるを得ない部分もあったと思う。ただまあ、「世界一を目指す理由をきちんと回答できるように」と事前に宿題を出されておいて、抽象的な解答しかできなかったのは、多くの人が言及しているとおり甘いとしか言いようがない。

国民夢を与える発言

世界一を目指す理由説明者が「国民夢を与える」と回答したとされている。これについて一つ擁護すると、この回答をする直前には文脈があり、以下のような流れになっている。

内閣府大臣政務官「(中略)ですから、皆さんが今、本当に国民生活に向けて、届けたいメッセージが何なのかということをお答えいただきたいのが1つと。(中略)もう一つは、(中略)果たして一時的にでもトップを取るということの意味が、本当にどれくらいあるのかということも、併せてお聞きしたいと思います。」

説明者「(中略)サイエンスには費用対効果になじまないものもございます(中略)」

中村進行役「その一般論は皆さん共通認識でございますので、これだけのお金をかけてこれを来年度やる必要性について、具体的にお答えください。」

説明者「こうした国民夢を与える、あるいは世界一を取ることによって夢を与えることが、実は非常に大きなこのプロジェクトの1つの目的でもあります。」

国民に向けてのメッセージ」と「一時的トップを立つことの意味」を問われ、説明者は費用対効果の回答をしている。この時点で支離滅裂なので疲弊していることが察せられるのだが、その後、説明者は改めて回答する形で「国民夢を与える」と回答している。

この「国民夢を与える」という回答は、直前の「これだけのお金をかけてこれを来年度やる必要性」に対する回答と見るのが普通なのだが、もしかしたら「国民に向けてのメッセージ」に対する回答だったのではないか、とも思う。まあ、だからなんだよという話なのだが、つまり言いたいのは、文脈無視した切り取りで一意に解釈されがちだが、必ずしもそうではないと言いたい。音声データを聞くとこのへんの詰められた感じが印象としてわかるので、それも込みで勘案してあげたいと思った次第である

総括

まあ色々書いたけど、最終的には削減予算が割り振られプロジェクトは再始動し、スパコンは完成した。しかも1位も取った(すごい)。結果論としてはスパコンプロジェクト成功だったと思う(そうだよね?)。しかし当然、当時からしてみれば未来というのは不確かなものなので、結果論のみで語られるわけにはいかない。やはり当時の状況としてはプロジェクト合理的必要性を説明できない上に、そもそもプロジェクトがうまくいくかどうかも疑問という中での「予算計上見送りに近い縮減」は、まあ普通に考えてそうだよね。といった感じ。

削減予算プロジェクトは再始動したが、金田評価者の「少し足りないぐらいが一番いい。物すごく足りなくては困るけれど、少し足りなくて努力させるくらいが本当にアイディアも出るんです。それが新しい研究分野なり産業なりを育成するかもわからないです。だから一番を取るというのは、おかしいと思います。」という言葉の仮説が強化されたように思える。当時そのまま予定通り予算が与えられたとき可能性として、(1) 京よりももっと良いスパコン誕生していた、(2)京と同等のスパコン誕生していた (3)京より劣ったスパコン誕生していた、(4)スパコンプロジェクトがポシャった、の4つくらいの可能性が思い浮かぶが、(1)が達成できていたとは思えず、むしろ…と思ってしまうのである。私も労働者で、常日頃潤沢な予算が欲しいと思っている立場にも関わらず。

あとやはり、音声データを聞くのが一番である会議雰囲気も伝わるし、議事録だけではわからない発言意志意図がつかみやすい。蓮舫氏の「2位じゃだめなんですか」発言も、蓮舫氏一人が尖った発言をしたわけではないことがわかる。むしろこれより以前に金田評価からフルボッコに突っ込まれているわけで、むしろそういう中で、蓮舫氏があのような回答しやすくわかりやす質問をしたと考えれば、あれは「助け舟だった」という意見が出てくるのも頷ける。前後のやりとりが苛烈すぎるせいか蓮舫氏のあそこの発言ときは声色が優しく聞こえるくらいである。

最後に、会議の中でプロジェクトの様々な問題点が浮き彫りになり紛糾しているのに対し、その中でもどうでもいい「2位じゃだめなんですか」発言ピックアップしバズらせ世間話題提供したマスメディアの手腕には脱帽するばかりである

2019-06-24

『「男」に「男」は救えるか?』の『さらざんまい』の根本的な誤読について

https://font-da.hatenablog.jp/entry/2019/06/21/190301

 タイトルからはわかりにくいが、本論はアニメさらざんまい』の感想

 が、この記事の評者は根本的に本作を誤読している。

 "ここのところ、はてな匿名ダイアリーで、(シスヘテロの)男性男性関係についての、男性書き手による記事が次々と公開されて、ブックマークを集めている。"という書き出しかゲンナリさせられるが(一生、インターネットを見るだけで終わるお前の人生)、

 「主人公少年3人がその繋がりを支えに未来に進む」という結末の解釈はごく妥当ものに思える。

 しかし、その妥当性は表面的なものだ。

 本論をざっくりまとめると「男同士が女同士のように関係を築きにくく、そのため現状、男性間では人間関係が支えになりにくい。『さらざんまい』はそれを問題提起した」というものだ。

 これはセジウィックの有名な「ホモフォビアを起点としたホモソーシャル」の議論を参考にしたものだろう。そのホモソーシャルの対極は、これまた有名なアドリエンヌ・リッチの「レズビアン連続体」だ。これは女同士だと友情恋愛境界曖昧であり、このことを利用して男に頼らない女同士の絆、連帯を育もうというものだ。

 主人公3人、一稀、燕太、悠は最終回までで簡単に言って三角関係になるのだが、最終回では悠の危機に3人の繋がりが強調されて、最終的には「友情サイコー!」という感じで3人で未来に進むことを決断するので、その読みは大きく外れてはいない。まあ要するに3カプですね、3カプ。

 だが本論が合っているのはここまでだ。

 なぜなら、第7話にも、第6話に大きな危機があり、それを克服したことで3人による友情を築いたような展開があるからだ。そして、それは三角関係によって崩壊してしまう…

 『「男」に「男」は救えるか?』の記事はこのことを自覚的にか無自覚的にか、省いている。この記事の評者は曲学阿世の徒だ。

 第7話と最終回(第11話)のあいだにどうした変化が起きたのかと言えば、主人公たち3人が自立した存在になったことだ。このことは「忘れないで。欲望をつなぐものけが未来を手にできる」という台詞で何度も作中で強調されている。

 というか、作中で「つながり」という言葉は半分くらい「欲望をつなぐ」という文章で用いられているのに、『「男」に「男」は救えるか?』の記事は、やはり自覚的にか無自覚的にか、このことを省いて、「つながり」が作中で人間関係の繋がりを指しているかのように誤導している(もちろん、そういう用法で使われていることもままある。が、もっとも肝心な最終回では「欲望をつなぐ」という文章しか用いられていない)。

 この記事の評者にとって、あらゆる問題は同性間の人間関係によってしか救われてはならないらしい。だからこの評者は曲学阿世の徒だと言ったのだ。

 さて、前述の「レズビアン連続体」、女同士の絆、連帯、いわゆるシスターフッドは20世紀に被抑圧者である女性たちが戦うために必要ものだった。では、仮に現在ブラザーフッドなるものが実現した場合、それはいかなるものになるのか。現状、多くの男たちがそうした関係小馬鹿にしている。それは評者の言うとおりだ。

 ただ、私はそうした評者の言う「弱者男性」たちがネット上で連帯し、女性叩きや中韓叩きに走ったときに、ブラザーフッドなるものを揚言していた女性が急に前言を翻す気がしてならないのだ。

 女性叩きや中韓叩きに走るという仮定を不自然に思われるかもしれないが、もともとフェミニズム運動公準は「私的もの政治的もの」であり、個人的敵愾心敷衍しないシスターフッド、ブラザーフッド存在しないし、仮に存在しても、意味がない。

 また、評者は今、「生きづらさ」を描く作品商業的に大きな成功を収めており、また、それはすべて女性対象にしたものだと言う。

 現在世界的に女性の消費に占める割合は64%だ。人口の男女比が同じとして、女性の消費性向男性より20%以上も高い。実際には男性の平均所得の方が高いから、差はより大きいものとなるだろう。そして、この差はあらゆる社会的女性差別と相関している。

 仮に「生きづらさ」を描く作品商業的に成功して、それが女性限定されたものなら、それは社会的女性差別と連関したものに他ならない。

 これは差別の原因だろうか、結果だろうか。

 男性にもそうした「生きづらさ」があると言う評者の意見に従えば、性差別特別女性に「生きづらさ」をもたらしているため、結果的にそういう作品女性対象としてのみ存在していると言うことはできないだろう。つまるところ、そうした「生きづらさ」に過敏に反応し、感情論を振りかざし、問題解決ではなく共感を求める姿勢こそが、現在女性差別の一因になっているということになる。無論、これは男性にも「生きづらさ」があるにも関わらず、なぜか男性向けではそうした作品存在しないし、女性である自分からしてみれば、そうした作品存在すべきだ、という評者の意見に従えばの話だ。言うまでもなく、私はそのような意見に従うことはできない。

 そもそも、『違国日記』が「生きづらさ」を描いたものだと言うなら、それはあまりに粗雑に過ぎ、作品を読んでいるといえるか疑問に思う。

 『違国日記』は登場人物登場人物がそれぞれ分節化されており、それは感情的連帯とは一線を画している。

 また、本作でおそらく評者が「生きづらさ」を抱えていると言いたいのは槙生だろうが、槙生は独力で生計を立てており、そのために朝に影響を与えることとなる(これが会社員、もしくは無職なら朝にとっては何の影響ももたらさない。ただ無職なら悪影響だけはもたらすかもしれないが)。そうしたエコノミーを営むことは、情緒的な「生きづらさ」とは対極のことだろう。エコノミーという語はもともと節倹、家計を指していた。無論、感情資本主義全否定するのはただの犬儒主義だが……それでも私は、「生きづらさ」を云々し、消費活動SNSの利用に人生を費やしている人々には、「一生、『凪のお暇』を読んで、夜10時台のドラマを観て、SNSお気持ち投稿してろ」と言いたくなってしまうのだ。

 一生、インターネットで男女問題を論じているだけで終わるお前の人生

 そもそも評者は幾原邦彦監督がこれまでシスターフッド的な関係を描くだけで、ブラザーフッド的な関係をとり落としてきたため、その姿勢反省したという論を展開したいようだが……

 幾原邦彦監督の『少女革命ウテナ』で、主人公ウテナシスターフッド的な関係をもっているのは親友若葉だ。若葉の劇中での扱いは……観たひとなら知ってるよね?

 何にせよ、そうした感情的連帯は、副次的な支えになりこそすれ、そのものが救済になることはない。少なくとも『さらざんまい』ではそうだ。

 例えばねとらぼ社員である青柳美帆子はこんなツイートをしている。

 「男性男性の弱さに寄り添えないというのはいろいろな本で言語化されていて、「ケア役割女性に任せていた(なので訓練されていない)」「ホモフォビアが壁になる」「弱さの吐露男性性の剥奪になるのでまず弱さを言えない」というのがあり、つまりその人個人というより社会が悪いのです。しか男性が(限定された部分ではあるけど)弱さを吐露できるし、男性同士で連帯できる空間があるんですけど、それが運動コミュニティなんですよね。「男らしさ」が担保されている空間であれば弱音を吐けるし連帯できる、けど限定的なので、まあやっぱり社会が悪い。そんな2019年エンタメの中で登場人物全員に欠陥がありコミュニケーションがうまく成立してるとはいえないけど「漏洩」という強制的な弱音共有装置により男性たちがつながっていく作品が出てきてるのはすごいことだなと思っていて、今晩最終回の「さらざんまい」というアニメなんですけど…はい…」

 「さらざんまい」という現象がそうした個人間の差異強制的にとり去る装置であることは間違いないだろう。しかし、それはあくまでそういうメタ的なシステムであって、物語を進めるための小道具であり、劇中における日常的な物事ではない。

 仮に感情的連帯を結ぶことが救済なら、やがてそのことが自己目的化するだろう。ああ、でもいますよね。一生、人間関係だけやって終わりそうな人間

 さて、ではなぜこのような誤読が生まれたのか。

 一つには「インターネット感情的なことを言うと気持ちいい」からだ。

 このことはSNSに関する無数の社会実験が明らかにしている。代表的ものだと、フェイクニュースの方が真正ニュースより圧倒的に拡散の速度がはやいということの、幾つかの統計

 前述のセジウィックは有名な『クローゼット認識論』で作品センチメンタリティ属性付与することの危険を「解釈暴力」と言っている。同人界隈のこじらせた腐女子みたいな言葉だが、まともな文芸批評用語だ。

 もう一つには……これがBL作品であるということ。竹村和子は『愛について』でユニセックスセックスレスが標準となった社会では、ゲイネス記号化して商品として流通やすくなるということを分析している。『「男」に「男」は救えるか?』の記事の評者や、上述の青柳美帆子氏が「男性同士の連帯!」ということを言うときは、まるで目をキラキラさせてショーウィンドウの中のラッパを眺める少年のようだ。そこにはユニセックスセックスレスが標準となった社会で、ゲイネス商品として心地よく楽しみたいという欲望が潜んでいる。従順で飼いならされた消費者の姿。消費活動SNSの利用に人生を費やす人々の姿……

 『さらざんまい』は女性顧客層として想定し、そのマーケティング戦略はまず成功したと言ってもいいだろう。そのことは喜ばしい。

 しかし、まさにそのためのBL作品の外観のために、作品解釈が「感情的気持ちいい」ものに歪曲されて、そうした有害無益な「解釈」が、SNS論理性を欠き「共感」だけで拡散されているとすれば、それは悲しむべきものではないかと思うのだ。理性と真実ではなく、共感幻想インターネット。図らずもそれは、『「男」に「男」は救えるか?』の記事の評者の揚言する「つながり」を体現している。

2019-04-14

anond:20190414114821

客観をどこの誰も保証できない以上、それは単なるパワーゲーム産物であって、別に今あるものと変わりません

だいたい指標というのは作られた時点で自己目的化するものです

成果主義流行った時にどうなったかもうお忘れですか?

2019-03-12

anond:20190312180947

こういうスポーツマン気取りはなぜキモいのか

次はs-sportsとか言い出しそう

単なるヤリチンなのにww

 

たぶん、スポーツでさえスポーツエロを持ち込むな!って言われるのに

さらエロテクニック自己目的化してるとこがいらっとするんだな

スケベ下心ウエメセ物乞い迷惑さとうざさを全部正確に表現した新たな用語がほしいな

まあおまわりさんここでーすでいいか

2018-12-24

anond:20181224032047

世のパチンカーは、自宅に台があってお金を掛けずに打ててもあんなに熱中するのかという問題と一脈通じる気がする

成果(ゲームとしての快楽クリアの達成感)ではなく、かけた労力あるいはお金に対するこだわりが自己目的化する本末転倒というか

金額の桁は劣るけど、俺も定期的に秋葉原池袋に行って好きな作品同人誌を買い込んでしまう癖が治らず、10年ぐらい前に比べると多忙のせいで積ん読化が増えてるのに、やめられない罠

2018-08-29

はてな民繊細チンピラ多すぎ問題

増田でもくだらない煽り合いしてるのをよく見かけるので、普段Twitterとかでネトウヨパヨク煽りしてる程度の軽い煽りトラバ乱入するのをよくやってるんだが、かなりの確率で「そこまで煽りたがるのはっきり言って病気だ」だの「むやみに煽りたいだけ煽るのが自己目的化してる」だの言われるんだよね。

普通に大学教養程度の物理理解できないギリ健」「英語アラビア語もしゃべれない言語障碍者」「ガイジのトリソミー先生には難しすぎたか」「売春婦私生児母親と同じように倫理観崩壊してんな」くらいのことしか言ってないのに、なんで自分だけ煽り自体問題視されるのか、非常に憤懣やるかたない。

増田たちも同じように煽り合いしてんだろ何自分だけ清廉ぶってるんだ?

2018-07-03

anond:20180703150247

投稿したのは、団塊の世代

60過ぎのオッサンかオバサ

公務員又は元公共大企業社員年金暮らし

不自由無い生活で、勝ち組の方々

権力と戦うことが自己目的化した人たち

活動自体が、釣りゴルフと変わらんただの趣味

本当の目的は、仲間を見つけて、酒でも飲みたいだけなんだよな

こういうのは、もう流行らんと思う

政府感謝すべき立場人間が、権力に反抗しても、馬鹿に見えるだけ


このようにプロファイリングしました

2018-06-20

anond:20180619201223

全否定する気はないが、

「あえてわざと不快なことをやる」「ほぼ全編パロディで『ほらネット民元ネタ探しで盛り上がれよ』」が自己目的化してる演出が、王道・正道として誉めたたえられるべき物とは思わない

2018-05-14

anond:20180513112026

専業主婦価値を教えてやりたかったら

家事ストライキ

しかねえだろ!息子にぎゃふんと言わせてやれや

ただし

専業主婦てのは息子に構うのが自己目的化して、「息子は自分がやってあげないと何も出来ない」と思い込みたがるから

(俺の母は、高卒ですぐ家を出て独り暮らし20年以上の俺相手に「独身男性ごはんを食べない」という迷信をいまだに信じ続けているorz

夫と息子が居なくなっても自分価値ってのが持てるようにならなけりゃ生きてる意味ねえぞ

2018-04-01

anond:20180401133202

ガチャを回した結果後悔するのはいい結果が出なかったことに対してであって、回したこと自体には後悔してない。

回すことが自己目的化しているのである

2018-02-10

ポプテピピックって本当に面白いの?

いや、毎回「こう来たかw」とか「今日は誰がポプ子とピピ美を演じるんだ」みたいな意外性の楽しさは充分ある。

ただ、円盤買って何度もくり返して観て楽しい作品なのかと。1回観れば充分な気がする。

***

何より、本作は意図的に「生理的不快ネタ」をやってる感がどうにもなあ。

ボブネミミッミのとか、わざと絵も歪ませて声も変な調子にしてて、初見面白かったけど、ああいうのを毎回毎回律儀に入れるとか本末転倒くさい。

いや、「生理的不快ネタ自体も芸風としてはアリだよ。ただ、多分あれって演劇みたいなライブで観れば場の雰囲気で許容できるんだろうけど、毎回TVの前に鎮座して観るものかなあ、と。

***

おそ松でも、たまに意図的に「生理的不快ネタ」をやってるけど、あっちは基本ストーリー性で見せる路線だろ。

根元敬の漫画とかも絵柄的にわざと生理的不快にしているんだが、ストーリー性があったうえで、そのドギツイ部分を強調する手段になってる。

ところが、ポプテピピックだと不快さが自己目的化してるようにしか見えない。

まりポプテピピックって、米の飯とかスポンジケーキの部分がない「香辛料トッピングだけの料理」なんじゃないか

無論「それが良い」って人もいるんだろうし、世の中たまにはそういうのもあって良いと思う。

でも、ちょっと持ちあげられすぎじゃね。

2018-01-28

anond:20180128102306

日本以外の経済成長している国という定義で。

経済成長で言えば日本欧米さら中国韓国東南アジアひっくるめて段トツで悪いから。

日本って、「失敗の本質」という本で挙げられてるように「手段自己目的化する」という特性がある。

そこで、実際に革新的技術が生まれるとか、メガベンチャーが生まれるという方向の修正はせずに、

細々とした書類上のミスだとか、過去不正やらかしたのと同種のミスがやらないようにとか、そういう枝葉の不便にする方向の改悪ばかりが盛ん。

ここしばらくでもPEZYとか、iPSとかあったけど、不正不正なんだが、「じゃあ、研究革新ベンチャーが生まれるにはどうしたらいいか」なんて方向の修正はまずしないのが日本

忖度で、そういう中心部のところに口をだすのはおこがましいみたいな雰囲気でね。

ああ、唯一「教育すればいい!」みたいな、「精神を鍛えれば竹槍でB29を落とせる!」みたいな精神論だけは活発だ。

2018-01-20

シリーズ不寛容社会』0001 日本人が「ネットバッシング」を止められない理由に「日本人が元来持つ特性」があった

 日々、ネット世界悪人が仕立てあげられ、ネットバッシングネットリンチが繰り広げられている。確かに、叩かれるほうには否があり、叩くほうの意見に理がある場合が少なくない。しかし、バッシングが開始され、その流れが定まってしまうと、にわか大勢が参加し、過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。

 『他人非難してばかりいる人たち バッシングいじめネット私刑』(岩波 明/幻冬舎)は、こういったネット住民たちの多くは一見正義派」を装っているが、目的他人を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。

そうだとすると、なぜ、「バッシングすること自体自己目的化したバッシング」が横行しているのだろうか。本書によると、これには「世界が小さくなっていること」と「社会の変化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。

 まず、「世界が小さくなっている」というのは、インターネットSNSが大きな役割果たしている。“隣人”の範囲が広がりつつあると共に、個人秘密を保つことが難しくなってきている。

新しいデバイスを得たことで容易に他人の弱みにアクセスし、付け込むことができるようになった。また、匿名性が声を過激にしている。

 「社会の変化」については、社会で「コンプライアンス」が重視されるようになってきたことを挙げている。昨今の「クレーマー」は、“普通の人”や“善人”が豹変する特徴があるといわれる。

なぜか。内面的には「他人を許せない」「非難せずにはいられない」という不寛容日本人が増えてきているからだ。背景にあるのが、社会の「コンプライアンス重視」らしい。

 社会で「透明化」が推奨され、会社などで「コンプライアンス」が強調されることを、マジメな日本人は表向き良しとしている。一方で、「コンプライアンス」によって、これまでの慣行が突如「悪」として否定されることがしばしば起きている。

コンプライアンスを遵守するということは、不自由煩雑手続きを伴うということだ。ルールが細かく決まっているほど、余裕がない現場では「違反」も生じやすくなる。もちろん、コンプライアンスは遵守すべきだが、「違反」が発覚したとき他者は「自分は守っているのに」という抑圧された気持ち反動で、バッシングの火を過剰なまでに燃え上がらせる、というのだ。

 「日本人が元来持つ特性」とは、「差異に敏感」なこと。日本という島国の“閉鎖的空間”が培ったものだという。

閉鎖的な空間ではしぜんと同質集団形成され、「微妙差異に敏感」になる。たとえば、多様な民族宗教的背景を内部に持つアメリカに比べると、同質集団である日本には大きな「安心感」があるが、バックボーン価値観が似たようなものになりやすいため、すこしの異質でも排除しようとする働きが起きるのだ。

「アイツはどこか浮いている」「同期で能力はたいして差がないはずなのに、アイツだけ出世した」「あのガンダム作品好きが気に食わない」など、学校職場とかで生じる「妬み」や「憎悪」が「イジメ」や「ハラスメント」に発展しやすいのも、この日本人特性と深く結びついている、と分析している。

 以上の3つの要因が複雑に絡み合い、「ルサンチマン(常日頃から感じている悔しい思いやねたみの気持ち)」を抱えやす日本人は、攻撃できるはけ口を見つけると、ボルテージが一気に増幅。日常は抑えている攻撃的な衝動があらわになる、というわけである

 バッシングをすることによって、物質的な利益を得られるわけではない。むしろ、相当の時間エネルギーを消費してしまう。非合理的な行動なのだ

本書によると、そもそも人の行動の多くは、合理性よりも「快、不快」あるいは「好き、嫌い」の感情で左右されるものだという。攻撃的で不寛容な人たちは、自らの感情に忠実な人たちという側面も併せ持つ。

 閉ざされた狭い島国において、似たような顔をしたものどうしがお互いを監視しつつ、ほんのすこしの差異のために競い合い、憎みそねみ合っている。

私たち日本人は、こういった状況を世界的にみて特別だと気づくこと、特殊だと認めることから始めるべきではないか、と投げかけている。

https://anond.hatelabo.jp/20180120162858

https://ddnavi.com/news/270886/a/

2017-10-23

増田で使われる「リベラル」等の不明概念まとめ

◇「ネトウヨ」:2chまとめ等だけを見て政治思想形成してる人。ただこの定義だとまとめが好きなその辺のおばちゃんとかも含まれそう。

◇「右翼」:右翼団体所属して活動している人。民族主義という点を除けば意外と思想自由らしい。共産主義天皇制反対の右翼も居るとか。右翼団体所属しないが民族主義的な思想を持つ政治家などについては、「右翼」と呼ぶことに抵抗があるせいか保守」と呼ばれることがある。

◇「左翼」:マルクス主義代表される、弱者に同情的な思想大学等で身に付け、それに共感を持つ人。

◇「パヨク」:しばき隊とそのシンパ。上記の左翼的思想を持つ人に対する揶揄としても使われるようになりつつある。

◇「リベラル」:基本的には上記の左翼的思想を持つ人を指す言葉で「パヨク」と違い、揶揄する意図はない。ただ、歴史的沿革から様々な意味で使われてきた用語なので「結局誰のことを指してんの?」となりやすい。

◇「反日」:様々な理想主義から現在日本否定する人。特に理想実現のためとは思えない、批判自己目的化した言説を吐く人のことを指す。

◇「保守」:上記のいずれにも分類できない人のこと(適当)。

anond:20171023085947

ネットで使われる反日定義はそんな所で、定義が広すぎるとは思う。しかし、理想実現のためとは思えない、批判自己目的化した言説を頻繁に見るのも事実。テキトー日本批判するだけで、自省したインテリぶる事が出来るから愛国無罪方向性は同じ。

2017-02-11

謝らせたい症候群…だっけ?

とにもかくにも「謝らせたくてしかたのない人」のことをこんなふうに呼んでいた…ような記憶がある。

呼称はさておき、「謝罪」をしたがる人、させたがる人、ともに少なくないと感じる。

芸能人政治家のような公人ならば、わざわざ「謝罪会見を開く」「謝罪文関係各者に一斉送信する」なんていう大掛かりなことまでやる。

しかし、そもそも謝罪というのは後付け・後出ししかない。

謝罪しようとしまいと、起こってしまったことはほとんどの場合取り返しがつかない。

覆水盆に返らずなのは自明の理である

それでもなんとか…と必死リカバリーを試みる人もいるが、そのこと自体評価する声はまず上がらない(たとえ、結果的に修復しきれて何の不利益も残らなかったとしても)。

一にも二にもまず「謝罪」「謝れ」なのである

個人的に、こどものからこのような風潮・風習違和感を覚えていた。

それゆえに「謝れ!!」と圧力を受け不要不当過剰な叱責やペナルティを強いられた場面も少なくなかったが、それでもなお謝ることの必要性理解できていない。

それどころか、謝罪すること自体が「白々しい」などとよけいにマイナス曲解されることもあり、そのことがより一層謝罪することの意義を理解することから遠ざけた。

そしていまだに理解できそうもない。

さらに、謝罪といっても「誰に対する」「何の」謝罪なのかがまったく不明場合も少なくない。

まさに「とりあえず謝っとけ」状態、その内実よりも謝罪すること自体自己目的化しているだけで、依然としてその意義は不明のままである

「謝れば何やってもいいの?」という新たな疑念さえ浮かんでくる。

…などと理屈を並べ立てたところで、仕事上ではお客様などに謝罪の(意を含む)言葉を述べることはもちろんある。

まったく謝る必要などない、無意味行為だ、などと断じるつもりもない、だが積極的に行おうという想いにも至らない。

ただ、この「謝らせたい」心理を人々の中から取り去ることができたとき、今よりも閉塞感の少ないもっと住みよい世の中になりそうな予感がしてならないのだ。

2016-12-06

【ふざけすぎ】私鉄公共資産どころかだれかの玩具になっている

●日々、社会の何処かでガキ野郎が生まれ問題行為が繰り広げられている。

確かに、迷惑をこうむる側にも否があり、迷惑を掛ける側にも理がある場合が少なくない。しかし、問題行為が開始され、その流れが定まってしまうと、にわか大勢が参加し、 過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。

●今で言う鉄道リア充や重度な鉄道オタクは、昔で言う暴走族のようにこういった人たちの多くは一見「物好き」を装っているが、本音は物を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。そうだとすると、なぜ、「DQNすること自体自己目的化したDQN」が横行しているのだろうか。その理由は「娯楽文化スケールが極端に大きくなっていること」と「資本主義新自由主義の発展」、「世界肥大化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。

◯「オウム真理教」では疑心暗鬼かられた人間が、ついには隣人まで信用できなくなり、仲間同士が殺し合い、そして「一般人」も敵として攻撃される。そしてついには組織崩壊を招いた。今の鉄道消費空間はこれと似た状況になりつつある。20世紀カルト化の恐ろしさを教えた「オウム真理教」はある意味歴史から消してはいけない存在である

人間電波系として生まれるのではない。どこかで偏見憎悪を抱いた時、電波系になるのだ。何かを殺して気勢を上げれば、その囲いは狂気から心を濁らせていく。この連鎖はおそらくとどまることを知らないだろう。

集団ストーカー論者、1980~2000年代前半の青少年の行いがゆとり世代刹那主義世代理由なき犯罪者のような疑心暗鬼を生んだように、カルト化の横行はさらなる過激思想を生むと思われる。

ひょっとしたら電波系実在していて、この動きをほくそ笑んでいるのかも知れない。

では本題。私鉄オタクとその囲いの凄惨なやり口とは…

こいつらは自分切符などを買いあさり故意集団でその沿線で移り住み

現代でも私鉄社会は元気」という印象操作

をしやがった!実際は組織的に行っただけなのに!これは都会の人間としては絶対にみっともないことだ!

カルトとキ○○○を合わせ持つ最低最悪の行為だ!左翼活動家集団移住よりもよっぽどふざけてる

こんなことが許されて良いはずがない!いいや左翼以上に外道な行いかも。

最近やたら安い駐車場駐輪場や車やバイクが多いのもそれが理由じゃねーの?

最近公共交通利用促進ポスター都市部から消えているが、これで、公共交通利用促進の元に鉄道バスなどの公共インフラならず者のように我が物顔で好き放題弄んでいた私鉄オタクたちを委縮させ、需要が過剰に増えた鉄道バス需要適正化させる有効効果にもなると思われる。

一般市民などが私鉄の大盤振る舞いをやめさせて公共交通としての運営に専念させることが出来れば、鉄道で「遊ぶことが」できなくなり、鉄道の抱える問題のいくつかが減り、公共交通再生される。

鉄道利用者から消費者が減っていけば、よほどわずかな「露悪趣味を愛してやまない」卑劣人間けがふるいにかけられることになり、彼らのような異端存在は、「世論良心」によって糾弾を受けることになる。

大体この取り組みは嘗ての韓国で行われていたものだが、日本では、今こそ全国の自治体単位で当たり前のように広めるべきだし、もっといえば富裕層に対する公共交通の利用の制限マイカー利用の努力義務をすべきだ。国土が狭くて人口の多い韓国台湾でもできるのだから日本でもやらないとダメである

「これは民営だ!公営ではない!」みたいなうちはうちよそはよその発想ではだめだ。そうやって大都市から、過剰な需要を消し去る作業をするとともに、むしろ富裕層の健常者を対象にして公共交通目的外利用に対して何らかの社会的ペナルティ実施するべきだ。←ほんとこれ

一部のブルジョワ鉄道オタクや不良分子

自分達の歪んだ行いを「昔から伝統だ」とか「都会人の文化馬鹿にするな」などと妄言を吐くが、公共交通の利用は無限に認められるべきものではない。

少なくとも何らかの制限は行わなければならない。

ましてや公共交通のあり方に対する私鉄への批判を「不当だ」と言って何の疑問も感じないらしいネット原住民のような子供のような存在いつまでものさばらせておいてはいけない。

私自身、高校時代鉄道を娯楽目的に利用して教諭に嫌われたことがある。当時既にこういった連中を嫌う大衆意見が既に存在するからだ。

昔の私といい、私鉄オタクといい、公共に対する軽視が大手を振って罷り通っているこの社会の異常さを痛感する。彼らの不良ぶりがはっきりわかるんだね。

2016-07-24

ウヨもサヨも、手段自己目的化していった典型例だと思う

http://anond.hatelabo.jp/20160724063141

ウヨが全員そうかは無論知らないが、ナマポその他で、中韓などの連中が家族を引き連れたり、母国の親戚まで家族に入れたり人数水増しして、せしめている話を聞いて、そりゃいかんといったところから啓蒙活動していくうちに、マスコミによる歪曲や市町村議員の票田の種になっていることを知って、ナマポ自体に反対するようになったんじゃないかな、と考えている。ウヨからナマポ反対なのでなくて、逆方向のなれの果て?

サヨも、友人や近所の人の戦禍や被差別の話などからマスコミによる隠匿や米の陰謀につながって、日本国米国政府のすることを何でもかんでも潰す方向になったのかと。

2chは10年近く見ていないなあ。。どこの板のことだろう?

2016-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20160416032707

旅行先ではその地元の店で食事するのが醍醐味

とか、

「せっかく旅行に来ているのにチェーン店に入るのは無駄

かい見解押し付けてくる奴いるよな。

ほっとけよと。

そういう奴に限って地元の店をガイドブックぐるなびで探す。

主義主張じゃなくて地元の店に行くことが自己目的化してる奴。

別に咎め立てするわけではないよ。

生温く見守ってるだけだ。だからお前らも見解押し付けてくるんじゃない。

  

ちなみに世の中には、旅行先のホテルの部屋から一歩も出ない、鉄道オタで言うところの乗り鉄みたいな人もいる。

「せっかくお金を払ってホテルに泊まってるのに、部屋から出た勿体ないじゃないですか

乗り鉄の人はさすがに「降りたら勿体ない」とは言わないか……

2016-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20160124124521

本来はそう。

ただ現状はホウレンソウすること自体自己目的化してる。

部下に不要負担が増えているだけ。

業務の進捗状況なんかは日報や月報書いて出すことになってるからそれで必要十分。

2016-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20160118102055

3カ月くらい最低限度のネットしかみない生活(1日20分程度のコンビニWifiや月1程度のネカフェのみしか使用しない)をやってたが生活はしていけると思う

尼やメルカリ程度の通販程度しかやる意義は見いだせない

ネットをすること自体自己目的化して無駄に忙しくするね

2015-07-20

 ネットで論争している人が、

本気なのはわかるし、

ネット右翼アンチフェミニストは確かに厄介だ。

ただ、

これだけネット上に「実際にレイプすること」を肯定する言説がある中、

反性暴力立場をとる私から見ると、

ネットで暴れてる人はほっとくしかないよ」と思う

そんな人たちをつるしあげても性暴力問題はなくならないのは自明のように思える。

ネットで論争することには俺は否定的だ。

それ自体自己目的化して自己満足に陥るだけで、問題解決の役に立つとは思えん。

そう言う意味では、専門家でないのに、専門家以上にネット上で淡々情報を発信する人たちはいるし、

そういう仕事には頭が下がるいっぽう

ネットの論争とはほとんど何の意味もなさな

無駄な作業だということは認識しないといけない。

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