「自己目的化」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自己目的化とは

2018-12-24

anond:20181224032047

世のパチンカーは、自宅に台があってお金を掛けずに打ててもあんなに熱中するのかという問題と一脈通じる気がする

成果(ゲームとしての快楽クリアの達成感)ではなく、かけた労力あるいはお金に対するこだわりが自己目的化する本末転倒というか

金額の桁は劣るけど、俺も定期的に秋葉原池袋に行って好きな作品同人誌を買い込んでしまう癖が治らず、10年ぐらい前に比べると多忙のせいで積ん読化が増えてるのに、やめられない罠

2018-08-29

はてな民繊細チンピラ多すぎ問題

増田でもくだらない煽り合いしてるのをよく見かけるので、普段Twitterとかでネトウヨパヨク煽りしてる程度の軽い煽りトラバ乱入するのをよくやってるんだが、かなりの確率で「そこまで煽りたがるのはっきり言って病気だ」だの「むやみに煽りたいだけ煽るのが自己目的化してる」だの言われるんだよね。

普通に大学教養程度の物理理解できないギリ健」「英語アラビア語もしゃべれない言語障碍者」「ガイジのトリソミー先生には難しすぎたか」「売春婦私生児母親と同じように倫理観崩壊してんな」くらいのことしか言ってないのに、なんで自分だけ煽り自体問題視されるのか、非常に憤懣やるかたない。

増田たちも同じように煽り合いしてんだろ何自分だけ清廉ぶってるんだ?

2018-07-03

anond:20180703150247

投稿したのは、団塊の世代

60過ぎのオッサンかオバサ

公務員又は元公共大企業社員年金暮らし

不自由無い生活で、勝ち組の方々

権力と戦うことが自己目的化した人たち

活動自体が、釣りゴルフと変わらんただの趣味

本当の目的は、仲間を見つけて、酒でも飲みたいだけなんだよな

こういうのは、もう流行らんと思う

政府感謝すべき立場人間が、権力に反抗しても、馬鹿に見えるだけ


このようにプロファイリングしました

2018-06-20

anond:20180619201223

全否定する気はないが、

「あえてわざと不快なことをやる」「ほぼ全編パロディで『ほらネット民元ネタ探しで盛り上がれよ』」が自己目的化してる演出が、王道・正道として誉めたたえられるべき物とは思わない

2018-05-14

anond:20180513112026

専業主婦価値を教えてやりたかったら

家事ストライキ

しかねえだろ!息子にぎゃふんと言わせてやれや

ただし

専業主婦てのは息子に構うのが自己目的化して、「息子は自分がやってあげないと何も出来ない」と思い込みたがるから

(俺の母は、高卒ですぐ家を出て独り暮らし20年以上の俺相手に「独身男性ごはんを食べない」という迷信をいまだに信じ続けているorz

夫と息子が居なくなっても自分価値ってのが持てるようにならなけりゃ生きてる意味ねえぞ

2018-02-10

ポプテピピックって本当に面白いの?

いや、毎回「こう来たかw」とか「今日は誰がポプ子とピピ美を演じるんだ」みたいな意外性の楽しさは充分ある。

ただ、円盤買って何度もくり返して観て楽しい作品なのかと。1回観れば充分な気がする。

***

何より、本作は意図的に「生理的不快ネタ」をやってる感がどうにもなあ。

ボブネミミッミのとか、わざと絵も歪ませて声も変な調子にしてて、初見面白かったけど、ああいうのを毎回毎回律儀に入れるとか本末転倒くさい。

いや、「生理的不快ネタ自体も芸風としてはアリだよ。ただ、多分あれって演劇みたいなライブで観れば場の雰囲気で許容できるんだろうけど、毎回TVの前に鎮座して観るものかなあ、と。

***

おそ松でも、たまに意図的に「生理的不快ネタ」をやってるけど、あっちは基本ストーリー性で見せる路線だろ。

根元敬の漫画とかも絵柄的にわざと生理的不快にしているんだが、ストーリー性があったうえで、そのドギツイ部分を強調する手段になってる。

ところが、ポプテピピックだと不快さが自己目的化してるようにしか見えない。

まりポプテピピックって、米の飯とかスポンジケーキの部分がない「香辛料トッピングだけの料理」なんじゃないか

無論「それが良い」って人もいるんだろうし、世の中たまにはそういうのもあって良いと思う。

でも、ちょっと持ちあげられすぎじゃね。

2018-01-28

anond:20180128102306

日本以外の経済成長している国という定義で。

経済成長で言えば日本欧米さら中国韓国東南アジアひっくるめて段トツで悪いから。

日本って、「失敗の本質」という本で挙げられてるように「手段自己目的化する」という特性がある。

そこで、実際に革新的技術が生まれるとか、メガベンチャーが生まれるという方向の修正はせずに、

細々とした書類上のミスだとか、過去不正やらかしたのと同種のミスがやらないようにとか、そういう枝葉の不便にする方向の改悪ばかりが盛ん。

ここしばらくでもPEZYとか、iPSとかあったけど、不正不正なんだが、「じゃあ、研究革新ベンチャーが生まれるにはどうしたらいいか」なんて方向の修正はまずしないのが日本

忖度で、そういう中心部のところに口をだすのはおこがましいみたいな雰囲気でね。

ああ、唯一「教育すればいい!」みたいな、「精神を鍛えれば竹槍でB29を落とせる!」みたいな精神論だけは活発だ。

2018-01-20

シリーズ不寛容社会』0001 日本人が「ネットバッシング」を止められない理由に「日本人が元来持つ特性」があった

 日々、ネット世界悪人が仕立てあげられ、ネットバッシングネットリンチが繰り広げられている。確かに、叩かれるほうには否があり、叩くほうの意見に理がある場合が少なくない。しかし、バッシングが開始され、その流れが定まってしまうと、にわか大勢が参加し、過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。

 『他人非難してばかりいる人たち バッシングいじめネット私刑』(岩波 明/幻冬舎)は、こういったネット住民たちの多くは一見正義派」を装っているが、目的他人を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。

そうだとすると、なぜ、「バッシングすること自体自己目的化したバッシング」が横行しているのだろうか。本書によると、これには「世界が小さくなっていること」と「社会の変化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。

 まず、「世界が小さくなっている」というのは、インターネットSNSが大きな役割果たしている。“隣人”の範囲が広がりつつあると共に、個人秘密を保つことが難しくなってきている。

新しいデバイスを得たことで容易に他人の弱みにアクセスし、付け込むことができるようになった。また、匿名性が声を過激にしている。

 「社会の変化」については、社会で「コンプライアンス」が重視されるようになってきたことを挙げている。昨今の「クレーマー」は、“普通の人”や“善人”が豹変する特徴があるといわれる。

なぜか。内面的には「他人を許せない」「非難せずにはいられない」という不寛容日本人が増えてきているからだ。背景にあるのが、社会の「コンプライアンス重視」らしい。

 社会で「透明化」が推奨され、会社などで「コンプライアンス」が強調されることを、マジメな日本人は表向き良しとしている。一方で、「コンプライアンス」によって、これまでの慣行が突如「悪」として否定されることがしばしば起きている。

コンプライアンスを遵守するということは、不自由煩雑手続きを伴うということだ。ルールが細かく決まっているほど、余裕がない現場では「違反」も生じやすくなる。もちろん、コンプライアンスは遵守すべきだが、「違反」が発覚したとき他者は「自分は守っているのに」という抑圧された気持ち反動で、バッシングの火を過剰なまでに燃え上がらせる、というのだ。

 「日本人が元来持つ特性」とは、「差異に敏感」なこと。日本という島国の“閉鎖的空間”が培ったものだという。

閉鎖的な空間ではしぜんと同質集団形成され、「微妙差異に敏感」になる。たとえば、多様な民族宗教的背景を内部に持つアメリカに比べると、同質集団である日本には大きな「安心感」があるが、バックボーン価値観が似たようなものになりやすいため、すこしの異質でも排除しようとする働きが起きるのだ。

「アイツはどこか浮いている」「同期で能力はたいして差がないはずなのに、アイツだけ出世した」「あのガンダム作品好きが気に食わない」など、学校職場とかで生じる「妬み」や「憎悪」が「イジメ」や「ハラスメント」に発展しやすいのも、この日本人特性と深く結びついている、と分析している。

 以上の3つの要因が複雑に絡み合い、「ルサンチマン(常日頃から感じている悔しい思いやねたみの気持ち)」を抱えやす日本人は、攻撃できるはけ口を見つけると、ボルテージが一気に増幅。日常は抑えている攻撃的な衝動があらわになる、というわけである

 バッシングをすることによって、物質的な利益を得られるわけではない。むしろ、相当の時間エネルギーを消費してしまう。非合理的な行動なのだ

本書によると、そもそも人の行動の多くは、合理性よりも「快、不快」あるいは「好き、嫌い」の感情で左右されるものだという。攻撃的で不寛容な人たちは、自らの感情に忠実な人たちという側面も併せ持つ。

 閉ざされた狭い島国において、似たような顔をしたものどうしがお互いを監視しつつ、ほんのすこしの差異のために競い合い、憎みそねみ合っている。

私たち日本人は、こういった状況を世界的にみて特別だと気づくこと、特殊だと認めることから始めるべきではないか、と投げかけている。

https://anond.hatelabo.jp/20180120162858

https://ddnavi.com/news/270886/a/

2017-10-23

増田で使われる「リベラル」等の不明概念まとめ

◇「ネトウヨ」:2chまとめ等だけを見て政治思想形成してる人。ただこの定義だとまとめが好きなその辺のおばちゃんとかも含まれそう。

◇「右翼」:右翼団体所属して活動している人。民族主義という点を除けば意外と思想自由らしい。共産主義天皇制反対の右翼も居るとか。右翼団体所属しないが民族主義的な思想を持つ政治家などについては、「右翼」と呼ぶことに抵抗があるせいか保守」と呼ばれることがある。

◇「左翼」:マルクス主義代表される、弱者に同情的な思想大学等で身に付け、それに共感を持つ人。

◇「パヨク」:しばき隊とそのシンパ。上記の左翼的思想を持つ人に対する揶揄としても使われるようになりつつある。

◇「リベラル」:基本的には上記の左翼的思想を持つ人を指す言葉で「パヨク」と違い、揶揄する意図はない。ただ、歴史的沿革から様々な意味で使われてきた用語なので「結局誰のことを指してんの?」となりやすい。

◇「反日」:様々な理想主義から現在日本否定する人。特に理想実現のためとは思えない、批判自己目的化した言説を吐く人のことを指す。

◇「保守」:上記のいずれにも分類できない人のこと(適当)。

anond:20171023085947

ネットで使われる反日定義はそんな所で、定義が広すぎるとは思う。しかし、理想実現のためとは思えない、批判自己目的化した言説を頻繁に見るのも事実。テキトー日本批判するだけで、自省したインテリぶる事が出来るから愛国無罪方向性は同じ。

2017-02-11

謝らせたい症候群…だっけ?

とにもかくにも「謝らせたくてしかたのない人」のことをこんなふうに呼んでいた…ような記憶がある。

呼称はさておき、「謝罪」をしたがる人、させたがる人、ともに少なくないと感じる。

芸能人政治家のような公人ならば、わざわざ「謝罪会見を開く」「謝罪文関係各者に一斉送信する」なんていう大掛かりなことまでやる。

しかし、そもそも謝罪というのは後付け・後出ししかない。

謝罪しようとしまいと、起こってしまったことはほとんどの場合取り返しがつかない。

覆水盆に返らずなのは自明の理である

それでもなんとか…と必死リカバリーを試みる人もいるが、そのこと自体評価する声はまず上がらない(たとえ、結果的に修復しきれて何の不利益も残らなかったとしても)。

一にも二にもまず「謝罪」「謝れ」なのである

個人的に、こどものからこのような風潮・風習違和感を覚えていた。

それゆえに「謝れ!!」と圧力を受け不要不当過剰な叱責やペナルティを強いられた場面も少なくなかったが、それでもなお謝ることの必要性理解できていない。

それどころか、謝罪すること自体が「白々しい」などとよけいにマイナス曲解されることもあり、そのことがより一層謝罪することの意義を理解することから遠ざけた。

そしていまだに理解できそうもない。

さらに、謝罪といっても「誰に対する」「何の」謝罪なのかがまったく不明場合も少なくない。

まさに「とりあえず謝っとけ」状態、その内実よりも謝罪すること自体自己目的化しているだけで、依然としてその意義は不明のままである

「謝れば何やってもいいの?」という新たな疑念さえ浮かんでくる。

…などと理屈を並べ立てたところで、仕事上ではお客様などに謝罪の(意を含む)言葉を述べることはもちろんある。

まったく謝る必要などない、無意味行為だ、などと断じるつもりもない、だが積極的に行おうという想いにも至らない。

ただ、この「謝らせたい」心理を人々の中から取り去ることができたとき、今よりも閉塞感の少ないもっと住みよい世の中になりそうな予感がしてならないのだ。

2016-12-06

【ふざけすぎ】私鉄公共資産どころかだれかの玩具になっている

●日々、社会の何処かでガキ野郎が生まれ問題行為が繰り広げられている。

確かに、迷惑をこうむる側にも否があり、迷惑を掛ける側にも理がある場合が少なくない。しかし、問題行為が開始され、その流れが定まってしまうと、にわか大勢が参加し、 過激さが加速度的に増していくさまは、脅威を感じるときすらある。

●今で言う鉄道リア充や重度な鉄道オタクは、昔で言う暴走族のようにこういった人たちの多くは一見「物好き」を装っているが、本音は物を徹底的に糾弾し、傷つけ、ひねりつぶすことにあるという。そうだとすると、なぜ、「DQNすること自体自己目的化したDQN」が横行しているのだろうか。その理由は「娯楽文化スケールが極端に大きくなっていること」と「資本主義新自由主義の発展」、「世界肥大化」、そして「日本人が元来持つ特性」が関係しているという。

◯「オウム真理教」では疑心暗鬼かられた人間が、ついには隣人まで信用できなくなり、仲間同士が殺し合い、そして「一般人」も敵として攻撃される。そしてついには組織崩壊を招いた。今の鉄道消費空間はこれと似た状況になりつつある。20世紀カルト化の恐ろしさを教えた「オウム真理教」はある意味歴史から消してはいけない存在である

人間電波系として生まれるのではない。どこかで偏見憎悪を抱いた時、電波系になるのだ。何かを殺して気勢を上げれば、その囲いは狂気から心を濁らせていく。この連鎖はおそらくとどまることを知らないだろう。

集団ストーカー論者、1980~2000年代前半の青少年の行いがゆとり世代刹那主義世代理由なき犯罪者のような疑心暗鬼を生んだように、カルト化の横行はさらなる過激思想を生むと思われる。

ひょっとしたら電波系実在していて、この動きをほくそ笑んでいるのかも知れない。

では本題。私鉄オタクとその囲いの凄惨なやり口とは…

こいつらは自分切符などを買いあさり故意集団でその沿線で移り住み

現代でも私鉄社会は元気」という印象操作

をしやがった!実際は組織的に行っただけなのに!これは都会の人間としては絶対にみっともないことだ!

カルトとキ○○○を合わせ持つ最低最悪の行為だ!左翼活動家集団移住よりもよっぽどふざけてる

こんなことが許されて良いはずがない!いいや左翼以上に外道な行いかも。

最近やたら安い駐車場駐輪場や車やバイクが多いのもそれが理由じゃねーの?

最近公共交通利用促進ポスター都市部から消えているが、これで、公共交通利用促進の元に鉄道バスなどの公共インフラならず者のように我が物顔で好き放題弄んでいた私鉄オタクたちを委縮させ、需要が過剰に増えた鉄道バス需要適正化させる有効効果にもなると思われる。

一般市民などが私鉄の大盤振る舞いをやめさせて公共交通としての運営に専念させることが出来れば、鉄道で「遊ぶことが」できなくなり、鉄道の抱える問題のいくつかが減り、公共交通再生される。

鉄道利用者から消費者が減っていけば、よほどわずかな「露悪趣味を愛してやまない」卑劣人間けがふるいにかけられることになり、彼らのような異端存在は、「世論良心」によって糾弾を受けることになる。

大体この取り組みは嘗ての韓国で行われていたものだが、日本では、今こそ全国の自治体単位で当たり前のように広めるべきだし、もっといえば富裕層に対する公共交通の利用の制限マイカー利用の努力義務をすべきだ。国土が狭くて人口の多い韓国台湾でもできるのだから日本でもやらないとダメである

「これは民営だ!公営ではない!」みたいなうちはうちよそはよその発想ではだめだ。そうやって大都市から、過剰な需要を消し去る作業をするとともに、むしろ富裕層の健常者を対象にして公共交通目的外利用に対して何らかの社会的ペナルティ実施するべきだ。←ほんとこれ

一部のブルジョワ鉄道オタクや不良分子

自分達の歪んだ行いを「昔から伝統だ」とか「都会人の文化馬鹿にするな」などと妄言を吐くが、公共交通の利用は無限に認められるべきものではない。

少なくとも何らかの制限は行わなければならない。

ましてや公共交通のあり方に対する私鉄への批判を「不当だ」と言って何の疑問も感じないらしいネット原住民のような子供のような存在いつまでものさばらせておいてはいけない。

私自身、高校時代鉄道を娯楽目的に利用して教諭に嫌われたことがある。当時既にこういった連中を嫌う大衆意見が既に存在するからだ。

昔の私といい、私鉄オタクといい、公共に対する軽視が大手を振って罷り通っているこの社会の異常さを痛感する。彼らの不良ぶりがはっきりわかるんだね。

2016-07-24

ウヨもサヨも、手段自己目的化していった典型例だと思う

http://anond.hatelabo.jp/20160724063141

ウヨが全員そうかは無論知らないが、ナマポその他で、中韓などの連中が家族を引き連れたり、母国の親戚まで家族に入れたり人数水増しして、せしめている話を聞いて、そりゃいかんといったところから啓蒙活動していくうちに、マスコミによる歪曲や市町村議員の票田の種になっていることを知って、ナマポ自体に反対するようになったんじゃないかな、と考えている。ウヨからナマポ反対なのでなくて、逆方向のなれの果て?

サヨも、友人や近所の人の戦禍や被差別の話などからマスコミによる隠匿や米の陰謀につながって、日本国米国政府のすることを何でもかんでも潰す方向になったのかと。

2chは10年近く見ていないなあ。。どこの板のことだろう?

2016-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20160416032707

旅行先ではその地元の店で食事するのが醍醐味

とか、

「せっかく旅行に来ているのにチェーン店に入るのは無駄

かい見解押し付けてくる奴いるよな。

ほっとけよと。

そういう奴に限って地元の店をガイドブックぐるなびで探す。

主義主張じゃなくて地元の店に行くことが自己目的化してる奴。

別に咎め立てするわけではないよ。

生温く見守ってるだけだ。だからお前らも見解押し付けてくるんじゃない。

  

ちなみに世の中には、旅行先のホテルの部屋から一歩も出ない、鉄道オタで言うところの乗り鉄みたいな人もいる。

「せっかくお金を払ってホテルに泊まってるのに、部屋から出た勿体ないじゃないですか

乗り鉄の人はさすがに「降りたら勿体ない」とは言わないか……

2016-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20160124124521

本来はそう。

ただ現状はホウレンソウすること自体自己目的化してる。

部下に不要負担が増えているだけ。

業務の進捗状況なんかは日報や月報書いて出すことになってるからそれで必要十分。

2016-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20160118102055

3カ月くらい最低限度のネットしかみない生活(1日20分程度のコンビニWifiや月1程度のネカフェのみしか使用しない)をやってたが生活はしていけると思う

尼やメルカリ程度の通販程度しかやる意義は見いだせない

ネットをすること自体自己目的化して無駄に忙しくするね

2015-07-20

 ネットで論争している人が、

本気なのはわかるし、

ネット右翼アンチフェミニストは確かに厄介だ。

ただ、

これだけネット上に「実際にレイプすること」を肯定する言説がある中、

反性暴力立場をとる私から見ると、

ネットで暴れてる人はほっとくしかないよ」と思う

そんな人たちをつるしあげても性暴力問題はなくならないのは自明のように思える。

ネットで論争することには俺は否定的だ。

それ自体自己目的化して自己満足に陥るだけで、問題解決の役に立つとは思えん。

そう言う意味では、専門家でないのに、専門家以上にネット上で淡々情報を発信する人たちはいるし、

そういう仕事には頭が下がるいっぽう

ネットの論争とはほとんど何の意味もなさな

無駄な作業だということは認識しないといけない。

2015-05-27

ネットの論争とはほとんど何の意味もなさな

 ネットで論争している人が、

本気なのはわかるし、

ネット右翼アンチフェミニストは確かに厄介だ。

ただ、

これだけネット上に「実際にレイプすること」を肯定する言説がある中、

反性暴力立場をとる私から見ると、

ネットで暴れてる人はほっとくしかないよ」と思う

そんな人たちをつるしあげても性暴力問題はなくならないのは自明のように思える。

ネットで論争することには俺は否定的だ。

それ自体自己目的化して自己満足に陥るだけで、問題解決の役に立つとは思えん。

そう言う意味では、専門家でないのに、専門家以上にネット上で淡々情報を発信する人たちはいるし、

そういう仕事には頭が下がるいっぽう

ネットの論争とはほとんど何の意味もなさな

無駄な作業だということは認識しないといけない。

2013-02-07

「飲み」と「呑み」について

飲酒を「飲み」ではなく「呑み」と表現することに違和感がある、というか引け目を感じる。

こういった認識根底には「飲酒レクリエーション及び娯楽のための手段」という定式が私の中で成立していることもあるだろう。だが、それを抜きにして考えてみても、やはり違和感がある。字面の問題だろうか。

「飲み」という言葉は体内に摂取するような意味合いで用いられているということがある。そこには人間主体性があり、飲酒に用いられた場合ほろ酔い気分を連想させる、みんなでワイワイしゃべりながら「飲む」という楽しそうなイメージを与える。

これに対して「呑み」という言葉は「丸呑み」という言葉に象徴されるように、外部から不可抗力のようなものを受けているように感じる。謂わば人間主体性アルコールに脅かされているイメージがあり、ほろ酔いどころではなく泥酔を想起させる。

「呑み」という言葉はどちらかというと未成年者の飲酒で多く用いられている気がする。生理的な問題として、彼らが飲酒をするときはまさしく後者のような感覚で、気持ちが悪くなるほどまでに飲酒しないと「呑む」という行為が成立しないという認識がありそうだ。

杞憂かもしれないが、心配なのはこの程度までの飲酒行為時代がたつにつれて正当なものとなっていくことだ。吐くまで飲まないと飲酒にならないという認識が広がれば、飲酒はまさしくレクリエーションの手段ではなく、泥酔に達することが目的となってしまうだろう。

飲む行為自己目的化してしまったとき、そこにはどんな世界があるだろうか。きっと混沌としているに違いない。レイプ恐喝喧嘩といったマイナーな夜の世界の出来事が日常ものとなってしまうと思っている。

「それは性悪説に基づいている。草食化している日本若者がそんなことをするわけがない。」という反論もあるかもしれない。

でも国際交流海外旅行日常的になり、いわゆる貧困国と呼ばれた国の人々が裕福になりつつある今日の状況を鑑みれば、これからさらに多くの人が海外からやってくることは予測がつく。もしかしたら彼らは日本人と違って、もっと獰猛であるかもしれない。この2つの仮定が相俟って成立したとき、どうなるかは言うまでもないだろう。

酒に人間が呑み込まれてしまいそうで怖い、ということをこの「飲む」と「呑む」という言葉の間から感じる。

2012-10-15

右翼弁護士という生き方

 東京維新都議会で「賛成」した「大日本帝国憲法復活決議案」って、

 元は南出弁護士が出した議案らしい。

 

 南出弁護士、どっかで聞いたことあるなあ・・・と思っていたら、

 思い出した、「子宮頸ガンワクチン日本民族絶滅陰謀だ!」と医学の足を

 思い切り引っ張ってる御仁じゃないか

 で思ったのだが、この南出弁護士、まともな弁護士活動は、ちゃんとしているのかしらん?

 しかし、例えば右翼思想の持ち主がイデオロギー訴訟

 「負けることは承知のうえで提起する」場合

 「もっともらしい言説を裁判所で陳述する」のに、この弁護士の言説が、役に立つのかもしれない。

 右翼言説のロジカル化、「法的にもっともらしく見せかける」のに、

 南出弁護士弁護士資格が、威力を発揮する、そんなところじゃないか

 本人も、敗訴することは最初から承知の上で、「法廷右翼言説して、それを世間に広める」ことが

 自己目的化しているんだろうなあ。

 ところで、安倍総裁って、子宮頸ガンワクチンについてどう思っているのか、いっぺん確認してみたい。

 親学とか水伝とかトンデモに染まっているので、「子宮頸ガンワクチン危険から接種差し控える」と

 言い出しても、全然驚かない。

2012-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20120909222316

まぁ留学するにはTOEFLIELTSは受けないと門前払いなので、

その時期は英語自体が自己目的化ちゃうのは仕方がないと思うぞ。

2011-04-04

拡散という言葉デマを呼ぶ

最近ツイッターでよく目にする「拡散」という言葉が嫌いだ。

というより響きが気持ち悪い。

どうしてこんな下品な言葉を乱用するようになってしまったのだろう。

自分が「拡散」にもつ響きのイメージって


とかで、いままで生きてきた中では前向きな使われ方を見てきたことがない。むしろ不吉なものを暗示する言葉の響きなのだ。

三つめに至っては「注意を拡散する」とかは、要は陽動であり、扇動であり、相手を出し抜くということだ。

から、今回特に震災ツイートを「拡散希望」とかが大量に流れてくるのを目にして、これって用法違うんじゃないのとずっと違和感を感じていた。

ウィキペディアによると拡散とは

粒子、熱、運動量などが自発的に散らばり広がる物理現象

とある

つまり、それ自体が自律的な運動をともなっているということらしい

これは、それを発した「者」の意図や意志に依存することなく、好き勝手に一人歩きすることを示してもいる。

コンピューターウィスルが自身のコピーを増やしていくことのみを目的とし、相手を選ばず様々な宿主を媒介にするように。

相手を選ばないという意味においてはデマウィルスと相似している。

本来「拡散」というのはデマの要素を内包していたのだ。

拡散」という響きはその発した本人の意図に関わらず、言葉そのものが自己増殖していく運命を伴っている。

そこには発せられたソースの真偽の確度や意図された目的意図の紐付けは後回しにされる、ということだ。

拡散自体がコピーは新たなコピーを量産するという自己目的化が強く作用するため、簡単に収束する術をもたない。

その情報が正しいか正しくないかは関係なく。

これね、例えば自分が信頼しているフォローした人が、「拡散希望」なんてリツイートしていて、もし自分リテラシーが無かったら何も考えずにリツイートしちゃうかもしれない。内容なんて全く興味なくても。だってコピーしてくれって信頼している人から言われたら誰も断らんでしょ。思考停止世界へようこそ、ですよ。

拡散からシェア」に


これがもし「シェア希望」だったとしたらどうだろう。

シェアはもう半分日本語と言っても差し支えないほど浸透してきているけれど、この言葉がもつ響きは拡散のそれとは真逆かもしれない。

拡散がまき散らして放置しているに対し、シェアは単に「分け合う」という意味だけでなく、「分かち合う」という意味も含んでいる。

つまりそこには発せられた者の強い肯定的な感情や意志、意図が働いている。決して発した言葉放置しない。

そしてこれは常に同様の工程を相手に架してもいる。

つまり発したソースに紐付けされている意志を「分け合った」相手にも「分かち合う」作業を意図的に行わせる、ということだ。単なるリライトはなく、自分フィルターを通すという所作を意図しているため、情報の確度が無意識に求められる。拡げて放置することのみを目的とせず、一人ひとりの情報精査が前提としてあるということだ。

シェア」は情報自己増殖や自己目的化を許さない。

信頼ある人から来たリツイートでも、その前にシェアするべきか否か自分フィルターを通すという判断や作業が無意識に働くから、「拡散」のように無闇なリツイートというのは減るだろう。なぜなら「シェア」としてリツイートした情報というのは、自分という名のタグけがされた情報からだ。逆に言えばタグ付けしたくない情報は「シェア」をしない。言葉の使い方ひとつで、不用意な拡散の抑止になるはずだ。

拡散」という言葉を使っていながら「デマ」に注意しろという人は、車で練炭焚きながら一酸化炭素中毒には注意しろといっているようなもんで、なんかマッチポンプだ。拡散という言葉もにちゃんねらーから来たのをそのまま流用してしまってそのまま放置されているんだろうけれど、界隈の人も自己補正はちゃんとしてほしいよね。特に、言葉を使うプロ達が何も考えず「拡散希望」のリツイートを連発しているのは見ていてちょっと恥ずかしい

リツイートしたければ、「拡散」を「シェア」に変更すればいいだけのこと。

それは、自分というタグを付けた証でもあるのだから

2010-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20100917000022

内輪のきゃっふきゃっふ自己目的化してマイノリティの救済に最早重大な関心を持っていない。啓蒙して味方を作るよりも、攻撃して敵を作って排撃するマッチポンプの楽しみを重視している。

2010-08-25

http://anond.hatelabo.jp/20100825012848

はてサに従えとは言っていない。

はてサ憎しを言い訳にして、マイノリティに対する抑圧から目をそらす行為を正当化していないか?

はてサは内輪のきゃっふきゃっふ自己目的化してマイノリティの救済に最早重大な関心を持っていない。啓蒙して味方を作るよりも、攻撃して敵を作って排撃するマッチポンプの楽しみを重視している。こんなはてサを忌避するのは結構だ。

しかしそのはてサが嫌いだからマイノリティの抑圧に加担すると言う姿勢は強く非難する。それは、はてサを理由にして責任から逃げる言い訳でしかない。

2009-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20090627215410

男だが,高校のときに拒食症に陥った。体脂肪率が5%以内でないと自分が許せなかったな。その後一転して過食に陥って,2ヶ月で20kgも肥満した。その節は家族や友人に多大な迷惑や心配をかけた。今は心からすまなかったと思う。

患者自己申告が常に正しいわけじゃない。美容というのは表層的な理由にすぎない。俺の場合もデブは醜いから痩せたいという意識はあったし,周囲にもそう言っていたが,それが全てではない。宗教修行アスリートについても言えることだろうが,欲望をコントロールするって独特の快感があるんだよ。食欲みたいな生存の核になってる欲望を自分で制御しているという実感があるとたまらなく気持ちいい。カフカの『断食芸人』に描かれてるとおり。とっかかりは美容にあったとしても,いったんそのサイクルが始まると食欲の統制が自己目的化する。でも生物である以上,統制には限界がある。体脂肪率の低下が続くと飢餓状態になって食べ物に手が伸びる。寝起きとか,意識朦朧としているときに貪るように食べてしまう。その後に自分のしでかしたことに気づいて罪悪感に駆られ,それをなかったことにするために吐き出そうとする。これが癖になると,「たとえ食べたとしても吐けばいいんだ」みたいな考えに陥って,吐くために食べるようになる。こうした異常摂食を繰り返してるうちに,脳のどこかが傷ついて,正常な食欲が失われてしまう。

「痩せすぎは美しくない」とか「吐くのはもったいない」とかいった「正論」は,この際捨ててもらいたい。娘さんもそのことは熟知しているからだ。言われたから止められるようなものじゃない。治療には専門家の手助けが必要だ。娘さんが自分で好きなものを好きなときに食べる/食べないことができる環境をまず破壊しないとならない。入院措置も含めて対応している精神科医がいるので,まずはそちらに連絡を。娘さんは抵抗するだろうが(俺ともう一人の例から見て,拒食の人は拒食しない周囲の人間軽蔑している可能性がある),強制的になってもやむをえない。

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