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はてなキーワード: 創発とは

2021-02-09

be a 立候補者

おいしい思いをしたいのは誰だ

舵を取りたいのは誰だ

決裁者になりたいのは誰だ

創発的なアイデアマンは誰だ

使命を果たすことを僭越ながらお手伝いをさせていただきたいと思うのは誰だ

ピンチ、窮地に駆けつけるのは誰だ

責任を取るのは誰だ

2021-01-22

詐欺被害にあった

詐欺被害にあった。

警察事件として立件できなかったら、厳密に法律的意味において「詐欺にあった」と言えないものの、自分の中ではもう99%クロである

・・・長文ですが、他の人のためになれば。


概要

1.マッチングサイト出会った中国人女性に、仮想通貨取引所誘導され、ビットコインが引き出せなくなった。

2.被害額は25万円ほど、身分証登録もしてしまった。


女性との出会いから、気づくまでの経緯】

1. 大手マッチングアプリ中国人女性出会い、ラインアカウントを交換する。

2. 女性と何日か他愛もない会話をする。話の中で、女性自分仮想通貨投資をしていると言及あなたもやってみたら?と誘われる。

3. 仮想通貨取引所リンクが送られてくる。スクショなどを見ながら、サイト登録をする。

4. 登録後、ビットコインをそのサイトの口座に送金し、USドルに換金する。

5. ラインメッセージのやりとりで実際に誘導を受けながら、long short をする。150ドルほど利益が出る。

6. 「1万ドルくらいあれば君はもっと稼げる」と発破をかけられるが、そんな大金はないので、渋る。

7. やや女性の口調が荒くなり、もっと金額を増やすべきだと言われる。面倒なのと、long shortで儲かったので、資金を引き揚げようと思う。

8. しかし、引き出し実行をするが、withdraw failed となり引き出しに失敗する。

9. 理由がわからないので、カスタマーサービスに連絡しようと思い、サイトメールマークカーソルを当てても何のリンクもないただの画像。問合せ先見当たらず。

10. そういえば、資金の追加を渋ってから女性からレスポンスが悪いことを思い出す。

11. ここでようやく嫌な予感に襲われる。「サイト名+scam」でググって調べ始める。

12. まったく同じ事象記述発見パニックになる。いてもたってもいられず警察署に相談に行く。

13. 小部屋に通される。事情を話す。「確かにかなり黒いと思う。しかし、詐欺が確定した状態ではない」と警察官。「お金も取り戻せなさそうですね・・・

14. 「マッチングサイト出会った女性とのトラブルは多いようですね。中国人に限らず、日本人でも」と警察官。

15. くたくたになり帰宅気持ちの整理をつけるためと、周知をしたいので、はてな匿名ダイアリーに経緯を書く(いまここ)


反省点】

読者は「何で初めの段階でおかしいって思わなかったの?」と思うかもしれない。私は、正直に言うと、最後最後まで、何の疑いもなくメッセージのやりとりを続けていた。自分でも、唖然としている。まさか自分詐欺に引っかかるとは思いもしなかった。だが、起きたことは事実なので、なぜ自分は怪しいと思わなかったのかを考察し、次に活かしたいと思う。そうすることでしか自分を慰められない。

1. 仮想通貨に関して、一般的な人より知識があったため

 私は、かつて仮想通貨関連のサイトの開発などを行っていたことがあり、ビットコインブロックチェーンについても一般的な人より知識がある。

 仮想通貨取引所が、裏側でシステム的にどういう処理をやっているのか、何となく想像がつくくらいの知識がある。

 しかし、なまじ知識があることで、抵抗感なくサイト誘導される結果となった。「ふーん、海外にもこういうサイトはあるよね」「へえ、投資やっているんだ」というように得意になっていたのだ。

2. 出会った女性が優秀である無意識判断していたため

 金融的な知識生計を立てているというところに、優秀さを感じてしまった。優秀な人の言うことだから、優秀な人はこういうツールを使っているんだ、と無意識的に判断し、何も疑わなかった。

3. 女性発言もその人の性格なのだ合理化していたため

 今思うと、金額を追加しろと強い語調になっていると感じるが、実際にやりとりしているときはこれは海外女性だし、気が強いんだろうくらいしか思っていなかった。また、「これはあなたのためです」というような前振りもあったため、自分のためを思った発言なんだな、と解釈してしまっていた。

4. テキストだけのやりとりに抵抗がないため

 今やリモートワークでチャットズームのみという会社の少なくない。そういう社会の流れや、マッチングアプリSNSが当たり前になっていくなかで、テキストだけのやりとりで人を信用するということを無意識のうちに行っていた。習慣化されていた。

5. まとめ

 まとめると、ほとんど自動的に行動を起こしてしまうような条件がそろっていたことがわかる。自分自身の考え方の傾向、仮想通貨のものに対する抵抗の少なさ、習慣化されたオンラインでのコミュニケーション。様々な無意識的な癖が、今回の事件引き起こしたと言える。


懸念点】

1. 一番の懸念点は、身分証画像サイトアップロードしてしまたことだ。他のサイトで私を騙るために悪用することは容易だろう。これはもはや止めようがない。これ以降、不審なことがないか気を付けるより他ない状況である

2. メールアドレス、パスワード登録してしまたこと(パスワード流出懸念)。メールアドレスはいつも自分がメインで使っているもの登録してしまった。また、パスワードもいくつかのサイトで使いまわしにしているものである。この手のサイトパスワード暗号化しているはずないので、サイト運営からパスワードが見えてしまうだろう。


【よかったと思える点】

金額が25万円なのは、まだましだったか。それこそ1万ドルもつぎ込んでいたらと思うと、ぞっとする。

重要アカウントとそうでないアカウントで、パスワードを使い分けていたこと。アマゾンのような売買があるサイトは、長めのパスワードを設定していた。それ以外の気軽に始めるようなものは、短いパスワード使用していた(ちなみに、私が利用しているサイトのすべてのパスワードは変更済みです)。

重要アカウントは二段階認証にしていたこと。このおかげで、パスワード流出しても不正ログインが防止できる。幸いなことに、まだ知らないデバイスからアクセスの通知はない。


【じゃあ、どうする?】

一連の出来事を受けて、私はナシーム・ニコラス・タレブの『ブラック・スワン』のデブのトニーのエピソードを思い出した。

次のようなものだ(NNTとは著者のナシーム・ニコラス・タレブのこと)。

------------------------

NNT:お二人さん、ここに公平なコインがあると思ってくれ。つまり投げた時に表が出る確率も裏が出る確率も同じだ。さて、99回投げたら全部表だった。次に投げた時に裏が出る確率はどれだけだろう?

ジョン:くだらない質問だ。もちろん半分だ。オッズは50%で、一回一回結果は互いに独立だって仮定したよね。

NNT:トニー、君はどう思う?

トニー:もちろん1%もないよ。

NNT:どうして?公平なコインだと言ったでしょ?つまり確率は毎回50%ってことだよ。

トニー:てめえ、いい加減なことを言うんじゃねえよ。さもなきゃ「ごじゅっぱあせんと」商売に金を出すようなカモだろ。コインは細工がしてあんだよ。公平なんてありえねーっちゅうんだ!(翻訳:99回投げて99回表が出たコインが公平だというあなた仮定は、間違っている可能性が高いです)

NNT:でもドクター・ジョンは50%だって言っているよ?

トニー:(私の耳にささやく)銀行いたころ、こういうオタクがわんさかいたよ。こいつらトロすぎる。ちょろいぜ。みんな簡単にだませるぞ。

------------------------

私は間違いなくドクター・ジョン立場人間だった。私は目の前で起きた事象仮定)そのものは疑わずに、そのまま受け入れた。

結果、詐欺師が与えた枠内でしか物事を捉えられなくなっていた。つまり、もうその時点で、術中にはまっていたのだ。

気づけるか、気づけないか意識できるか、意識できないか。この差は無限と思えるほど大きい。

別に、これは詐欺に限った話ではなくて、日常でありふれたことでもある。私の場合詐欺だったが、新興宗教にはまってしまう人、ギャンブルにはまる人、自分思考の癖に気づかず溺れる人、社会構造的につらい立場に立たざるを得なくなってしまう人・・・人生落とし穴なんて色々なところにある。脚にヒルがくっついていても、たいていの場合、それに気が付くのは、ヒルが血を吸ってブクブクに太った後である。私は賢く振舞っているつもりだったが、25万の損失と個人情報悪用リスクを負ってしまった。正直なところ、今後、また同じような状況に出くわしたとき、うまく振る舞えるかどうか、自信がない。しかし、これから生活をしていかなくてはならないし、仕事もある。落ち込んでいても仕方がないので、教訓を活かして、リスクを減らすように生活を続けていきたいと思う。


【教訓】

・稼ぎたいなら自分で稼ぎなよ。一番信じられるのは自分だよ?どうして知らない人についていくのさ?(=枠を自分創発する)

デブのトニーの教訓。「現実」をわかっているかどうか。提示された情報、作られた状況は加工されてない?

・これまで交流のあった友人と話す機会を作ろうよ。他者視点を入れよう。今までは何事も自分は一人で考えがちだった。




【その他】

詐欺だと半ば確証したのは、このサイトhttps://sites.google.com/site/cryptokarakuchi/index)を見つけてから。これを見つけて、ようやく詐欺だと気が付いた。

警察署に向かうタクシーの中で、運転手に慰められた。

・「まだ会ったことのないチャットだけでのやりとりの人を安易に信じるべきではなかったですよ。画面の向こう側に誰がいるか知りようがない」と警察から言われたとき、ようやく目が覚めた思いがした。こんなこと昔からずっと言われていたのに。

犯罪国境をまたいで複雑化している。犯罪は身近にある。悪の法則という映画を思い出してしまった。怖い。


追記

・確かに写真美人でした(笑)。下心はないと言えばウソになりますが、ガツガツはしていなかったですね。そもそもコロナだし、気軽に出歩けない雰囲気もあったですね。冬が過ぎたら飯でも行こうくらいの感じです。

・ほんとにかなり軽いノリで事を進めてしまったので、相手としてもサクサク行き過ぎて驚いていたかもしれないです。

2020-03-27

今ちょうどテッドちゃん短編集『息吹』読んでて、ソフトウェアオブジェクトライフサイクルまで来て、作品にはそんなに関係ない一文なんだけど新型インフル世界流行経済が停滞し…のあたりでドキってなった。

当該作品自体は順番に読んでる中では一番おもしろかったです。最近イーガン短編集にあったクリスタルの夜とかゼンデギといった、AI創発記でのいかにしてAIを作るか、その時の倫理的な側面についての話というか。

2020-02-20

かつてJOIが語っていた創発民主制

Clay Shirkyはこの概念を「組織なしでの組織化のパワー」と言及した

2020年 監獄誕生

ダイヤモンドは輝いている

2019-11-18

世の中には、他人物事批判するときに限って、現実フィクション区別がつかなくなる人、二次元三次元区別しなくなる人、文化実用を同じ俎上にあげてしまう人がいる。

結局の所、怖いのだ。そうした無自覚混同に至るのは、自分理解の乏しい分野が伸長してくることが恐ろしく、脅威に感じられるという、無知ゆえの恐怖に他ならない。

ほとんどの場合、その恐怖は杞憂である人類総体は、一人ひとりが認識しているよりもはるかにまともであり、良くオーガナイズされた動きをする。創発のようなものだ。

だいたいのアクティティは、門外漢が取り沙汰し介入せねばならぬほど悪辣ものにはなり得ない。

バランサーはどこにでも存在する。外野からはそれが存在しないように見えていても。

その領域内独自ルール自然発生し、なんらかの形の自主規制に基づいて、守るべきライン形成されていく。それは動的であり、だからこそ発展していくものだ。

海外の(観光客からみると)おっかないエリアであっても、そこに住み日常を営んでいる人たちがいるのと同じように。過度に干渉したりケチつけたりすべきではないのだ。

世の中のあらゆる人々や物事は、多くの側面を内包している。その側面一つ一つごとに発展の度合いも方向性も異なる。

そのうち一側面の要素を一つの尺度で「ひどく拙く粗野だ」と詰って発展段階を批判したとしても、その主体価値がそれだけで毀損されることはない。

けれどもそれが可能であるかのように誤解させ、一事が万事のように誘導し、その主体のものを潰そうと息巻く人々が、事あるごとに出てくる。

それは、前述のように恐怖からくるのだが、同時に、疲れているのだろう。疲れている人がたくさん居るから、そのような一つの現象を生むのだ。

世の中が多様になりすぎて、受け入れるだけのキャパティを超えてしまった人たちの、許容疲れなのではないか

疲れている人とそうでない人とでは、その視野認知能力も噛み合いようがない。それが理論の屈折と、議論の非建設性を増長することになる。

この「許容疲れ」の解消こそが、21世紀課題だと私は思っている。モダンでありながら生きやす社会のために。

今までは、そのキャパティ物質的(経済的)にも精神的にも余裕のある成熟した人でないと拡張できなかった。

それをテクノロジー拡張できるのではないか

単にインターネットを通じていろんな立場の人の声が聞ける・読めるようになった程度では、人々の意識の器は拡張されなかった。

しろ、一気に大量のタスクを渡されたせいで混乱しカリカリと殺気立っている人、のような状況に陥っている。

インターネットがより意識の低い一般大衆に浸透すればするほどその傾向が強まってきたように感じられる。半端に意識を高められ、排外排斥および他責思考が強まっている格好だ。

これは過渡期的な、一時的現象だろうか。いや、そうではないだろう。

おそらく、インターネットハイパーテキストの先にはソリューション存在しない。

情報通信の分野の中にはあるだろうが、まったく異なるプロトコルによる情報摂取体系の普及が必要になるだろう。

多面的でファジー意識を、負荷なく脳に取り込む――可能ならば他人の脳そのものリンクして、認識統合する――

仮にそれをHCTP、ハイパー・コンシャス・トランスファープロトコル、と呼ぼう。

それが実現したとしたら、どのような形で運用されるだろうか。

ドラえもんなら、岡部太郎なら、あるいは長門有希なら、その答えを知っているだろうか。

2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件2

(長く書きすぎたみたいだ。途中で切れてしまった。。。)

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新たな研究分野の基礎を示した先駆的研究として評価することができる。

論文日本語文法事象を中心に扱っており、その記述分析の面においても、射程の広さと事例観察の綿密さが評価される。分析対象として、格、時制、主語目的語自動詞他動詞、態、形容詞といった広範な現象を横断的に扱い、本論文の主張する日本語の「主体化による認知モード」によって一貫した説明が試みられており、それらがいずれも西欧パラダイムによる言語研究標準的使用されてきた文法概念と完全な対応関係を結ばないことが、説得力をもって示されている。

日本語学で所与のものとして適用されてきた「動詞の自他」や「態」といった文法概念のものの再検討を迫るという点で、本論文日本語研究にも一定の貢献をなすものである。また、本論文日本語における文法カテゴリや語彙の変容にも照準を合わせたものであるが、その主張は単なる理論憶測ではなく、万葉集源氏物語などの主要な古典作品をはじめとする膨大な歴史的資料に基づいたものであり、言語研究において不可欠である言語データの観察の綿密さについても高く評価することができる。

論文共時的言語事例と通時的言語事例とを並行的に分析し、日本語言語現象全般個別現象の解明を目指した統合研究であり、認知言語類型論という新たな研究視点提供している点で、学術価値は高いと判断される。

よって、本論文博士人間環境学)の学位論文として価値あるものと認める。

また、平成26年11月26日論文内容とそれに関連した事項について試問を行った結果、合格と認めた。

まさにお墨付きだ。

最後ちょっと真面目な話。『認知言語類型原理』の問題は、この書評で間違いだと明らかになったことじゃない。学問は古い学説踏み台にして進んでいく。今の定説もいつかは否定され、乗り越えられていくかもしれない。だから、間違いを含んでいるとわかったこ自体問題じゃない。それまでの研究に新たな知見を付け加えたのなら、たとえ間違いを含んでいても価値ある研究だ。ダメなのは、従来の研究に何ら新しい知見を付け加えず、最初から間違いだとわかる研究だ。『認知言語類型原理』はまさにそのような本だと批判されている。もちろん、出版された本に対してそのような批判をする権利は誰にでもある。たとえ批判が当たっていなくても、ある。自由批判ができることは、学問の発展に不可欠だ。書評子が批判したことで将来不利益を被ることがあってはならない。

それにしても、どうして『認知言語類型原理』は『日本語主語はいらない』みたいに多くの言語学者から批判されていないんだ? 『日本語主語はいらない』は大手出版から一般向けに出たのに対して、『認知言語類型原理』は学術専門出版から専門書として出たからか? それにしたって、専門書でも専門家なら読むだろうし、なんならもっと真剣に読むだろう。他に書評は出てないのかとCiNii https://ci.nii.ac.jp/ で『認知言語類型原理』を検索したけど、ないみたいだ。もしかして京大とか超大物研究者とかの権威に怯んでるのか? 文系学問がそんな腐敗した世界なら、世間から不要とされるのも無理はない。この腐敗した世界に堕とされても、くだらないことでビビることなく「王様は裸じゃないか! 裸の王様、何を学んだの?」と喝破した書評子には拍手喝采を送りたい。だけど、こんなものを書くために生まれたんじゃないだろ…。

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

2019-10-19

anond:20191019104705

うそう。そういうこと。君はそう思わないんだね、了解した。で、それは間違っていると思うよ、と最初から申し上げているつもり。

合意点はちゃんと、自己組織的創発する。

強化学習で言えば、環境から返ってきたフィードバック報酬として自己モデル修正する、ということを繰り返せば、解はある範囲収束する。

環境は複雑だけど、この程度なら人間認知力で十分対応できる問題

じゃあなぜ解釈乖離するのか。それは現代若者学習を怠っているから、という認識

以上、分かり合えないとは思うけど、しつこくガミガミいってごめんね。

まあ分かり合えない、といのがあなた理論なのだからあなたの方が正しいよ。ってことで、解散

実存主義ぽいんだよね、あなたは。それはいいと思うけど、この問題に当てはめるのはどーかと思う)

2019-02-12

AI系の会社意識高すぎ問題

何の事業やってるかさっぱり分からん会社がちょいちょいある

経験的にはウニウニャよくわからんこと言ってる会社受託コンサルだと思うんだけど

今まで一番分からなかったのはSpeee(だっけ?)

 

さっきVISITSって会社Wantedlyで見かけたんだけど

https://visits.world/

 

AI技術が日々進歩し、人々の生活の様々なシーンにAI

組み込まれる日も近くなっています。同時に、AI私たち仕事の多くを自動化し、

人間はより付加価値の高い「創造的な仕事」に時間を使う事になります

ところが、そのようなAI共存時代に最も重要な「創造性」を定量化する手法は、

これまで世の中に存在しませんでした。

私たちは、ideagramという独自合意形成アルゴリズム特許取得済)を開発し、

人々の創造性や目利き力、アイデア自体価値定量化する事に

世界で初めて成功しました。この技術活用すれば、「創造性」だけでなく、

センス」や「スキル」、「人脈」といった本来価値があるはずにも関わらず

定量化が難しかった「感覚的な資産」を数値化し、

ブロックチェーン技術と組み合わせ、価値移転可能になります

現在アナログに集積されている世の中の資産デジタル化、分散化し、

価値移転可能にすることで、私たちは「社会価値創造の最大化」のための

新たな資産組み合わせ最適化問題を解き明かすことが可能になり、

人類イノベーションを加速させることができます

同時に、私たちはこれまで不可能だと思われていた「イノベーション創発」という領域

数学の力で理論体系化することで、世の中の本質的課題解決に対して世界中企業

人々がコミットできるエコシステムを構築します。

 

なあ、これ理解できないのは俺が頭悪いからか?

 

https://visits.world/service/

 

採用から人材育成まで、幅広くご活用頂けます

>弊社のコンサルタントが、導入から運用まで丁寧にサポートいたします。

Wikipediaが、オンライン上に過去事実をまとめた「『知識』の共有プラットフォーム」を構築したのに対し、私たち未来創造アイデア提示する「『知恵』の共有プラットフォーム」を構築します。

>具体的には、DODA内に蓄積された求人求職者ビッグデータを弊社が解析し、求職者キャリアの将来可能性を多次元空間マッピング人材紹介エージェント業務の多くをAI自動化する取組を進めています

現在は、その中でもコアになる合意形成アルゴリズム研究を中心に行っており、今後はこのような世界観を共有できる企業との協業、共同開発積極的に推進し、世界中UXアップデートを共創により実現していきます

 

若干わかってきた

機械学習系のコンサルで、人材系に強みがあるとかそんな感じか

ウニウニャ言いすぎだ

 

何やってるか分からん会社多いなあ

AI系目指してる人は、まずその会社が何やってるか読み解くスキル必要になるのかね

それこそAIで読み取ってくれw

2018-10-18

anond:20181018155952

でもそれってお前が見たいものだけ見た結果としてお前の脳内オンリー創発されたクオリアにすぎないじゃん

そんなもの基準にして従属だのなんだの言われてもお前がそう思うんならお前ン中ではそうなんだろう、としか言いようがないけど…

2018-10-07

anond:20181007142009

好きか嫌いかとか、仕事で仕方なくとか、そういうの関係なく東京出身から東京から出る理由もないので東京に住み続けてる、っていうのも結構いるだろうにね

自分地元を「人が多くて嫌い」とか「仕事のために仕方なく住んでる」とか言われてみろよ、何ナメ腐ったこと言ってんだ殴るぞカッペ、としか思えないだろ?

てめえにとっては東京は単に仕事をして家に帰って飯食って寝るためだけの場所なんだろうが、こっちにとっては地域の人と人とのつながりが有機的に創発する人生舞台のものなんだよ。

2018-08-14

寛容不寛容

能動者は不寛容受動者は寛容 から 能動者は寛容で受動者は不寛容になった

不寛容寛容でなく寛容不寛容でもない、寛容寛容を目指すべき。……違う気がする

能動者の寛容が認められるのは早さと多様性の為(プレリリースの得)

から早期の寛容寛容・以降の不寛容不寛容新規参入ブランド

まやは創発者の寛容・経営者不寛容受動者の寛容(これ名付けらんないな)

2018-07-04

anond:20180704124917

ライフワークにしては文化度低い。進歩しない。創発もないな。

パンティIoT化、男性対応化、仮想化とか義体化とか並列化、

そこまでいかなくても

・綿パンティからパッチワーク雑巾への始末とライフサイクル

・綿パンティ液クロ分析10代と40代との使用者による成分の違い

・80番手と120番手綿糸の違いによる装着感の研究

とか先鋭化がないと単に増田パンティパンティ言ってるだけでライフワークだなんてちゃんちゃらおかしいよ。

2018-06-25

いずくにか消えゆかん

まだ生きている、まだ生きている。心は、肉体を離れて生きることはない。

シータのいうとおり、人は大地離れては生きて行けない。

物質の離合融合の創発として、私のようなものがある。

あの世のようなものはなく、この場があるのみ。

波紋の重奏が織りなすモアレが私、波紋が動けば私も動く。

身も心も私、綴りゆく、移ろいゆく、いずれ消え失せる。

2017-10-27

anond:20171027172500

うーん、俺個人として嫌という気持ちよりも

貧乏学生派遣労働者への負担が大きいか経済的に消費が加速しない原因をまず少しでも取り除くべきではないか

という観点年金は終わらせるべきではないかという発想をした。

もちろん自分個人問題として実際にどうやって年金をもらえないで老後生きていくつもりだという話になるんだけど、

俺は単純明快死ねばいいと思う。

 

端的にいうと安楽死制度を導入して欲しい。

現在年金受給して生きている人たちには年金という信仰を元に生きているといっても言い過ぎではないと思う。

団塊の世代の中には今も金さん銀さんを目指さんとしている人たちがたくさんいるはずだ。

彼ら彼女らは死ぬまで長生きすることが自分人生幸福、終わること、死ぬことに対する幸福だという疑いを微塵も思っていない。

それが起き上がることもままならず、糞尿の始末を人の世話でしてもらい、ようやく気付く。

ああ、これは、楽しくないんだな、と。

誰もがそう思い、そう感じても、口にはできない。

それを認めてしまうと何も縋るものがなくなるから

俺は2人の祖母を間近で観察して死ぬときの青ざめた体を見て、表情をみて、話を聞いてみた1つの実体験を元にした結論が、

人間長生きよりもいかにして幸福に死を選べるのかを考えるのが、

最も生産性のある、同時に魂の救済になる行為だと信じている。

今の年金制度廃止への反発感情は、長生きが全ての幸福であるという洗脳教育創発させている思想だと断言する。

 

この考え方に抵抗を持つのは極めて自然だと思う。

なぜなら今の国民感情価値観がそういう風に教育された結果だからだ。

長生きをすることがよい。

生涯現役を目指すのがよい。

そう社会扇動してきて、だからこそ年金制度は良いという肯定がされ続けた結果、

今を生きる若者弱者が救われもしない世界に至った。

もちろん老人も若いときは苦労をしたことは認める。

しかし老人の苦労と今を生きる若者が受けなければいけない苦労と苦悩は決して等価ではないと私は思う。

若者はこの先この国を支える柱となり支え続けなければいけない骨子そのものであり、

これからにゆく老人たちには決してそれはなしえない偉業である

支え続けてきた先人、骨子となった老人たちには申し訳ないが、私は見捨てるべきである

使えなくなった者は捨てるべきである

それは死という平等権利を元に肯定されるべきである

そして国家とはそれを肯定するべきでもある。

国家とは存続すべきものであり、生活保障するものでもなければ、守るべきものでもない。

継続するべきものである

継続若者必要であるという素朴な考えを私は正とし、

若者幸福を老人の幸福より重要であるということも同時に正とする。

また若者に老後の心配をさせる方策を私は誤だとし、

死ぬ選択肢を与えることを正とする。

 

私は死ぬべきであり、

それを選択できるべきでもある。

私には死ぬ権利がある。

死を望む意志尊重されるべきであり尊厳されるべきである

老人が心やすかに死ぬ権利を今の国家は奪っている。

死ぬことにただただ、不安を産み付け危機感を煽る行為を続けるだけで、

事実現実として目の前に迫る恐怖、死への理解享受姿勢を学ばせる機会を老人から一切奪っている。

保護する、補償するという甘い言葉で実質は利権を太らせ続けているだけである

死により行き場のない不安焦燥感から解放させてやるべきであり、

それを望む意志社会が咎めてはならない。

またそういった選択が間違いではないことを社会が支持してやらなければならない。

2017-08-21

無言ブクマが表示されないのは

完全に運営はてブコミュニケーションツールにする方向に舵を切ったな。

元々ソーシャルブックマークっていうのは有用なページをレコメンドするためのものだったように思う。コメント機能はついでで、そこで議論するとか本来はあり得なかった。

でも、今回の仕様変更後者の方向をより強調するものになる。

これから多分、一つのページに複数回ブクマができるようになるぜ。

【追記】

10年くらい前にあったソーシャルブックマーク研究会ってやつに参加したことがあってさ。

うろ覚えだけどその時に聞いた発表で、

ブクマ数を集めているページには、短期間でブクマを集めその後はブクマがつかないページと、長期間かけてブクマを集めるページがある

・そして真に有用なのは後者サイト

っていうのがあった。有用かどうかなんてどう定量的に測ったんだなんて突っ込まれてもいたけど、なるほどなぁと。

また、当時は増え続けるWebページに対してユーザ自発的タグをつけることで、Googleなどのアルゴリズムとはまた違う検索アルゴリズムが作れるんじゃないかとも期待されていたように思う。

10年前のソーシャルブックマークには、様々な方向性があった。単純に、自分ブックマークオンラインにすることでどこからでも利用できるようにするだけという方向性もあったし、他者ブックマークを共有することで似た傾向を持つユーザを集めたりタグづけで似た傾向を持つページを集めたりして真に有用なページをレコメンドしようという方向性もあったし、様々なWebページにコメントをつけることで創発的な知性を生み出すことができないか、なんて話もあった。

しかはてブは、トップに表示されるのは短期間でブクマを集めその後はブクマがつかないページばかりになったし、タグもそんなに重視していないことがわかる。

いや、どっちもそうなるのはわかるよ。長期間かけてブクマを集めるページばかりを優先するとトップページが代わり映えしないものになるし、タグだって個々人が勝手につけたものばかりだからここに意味づけを見出し検索活用するなんて到底不可能だって話だし。

そして今のはてブ10年前の方向性のどれとも違う、Webページを出しにしたユーザ同士のコミュニケーションを活発化するような方向に進んでいるように思える。

なぜなら、それが一番PVを稼げる方向性から

個人的にはそれを残念だと思う気持ちがあるけれど、しかしながら注目されていることが数字でわかることが嬉しかったりもする気持ちもわかるので、この方向で突き進むのもアリだと思っている。

2017-01-02

惰性でダラダラするネット

AmazongoogleSNSもとても便利で、もう1020年前の暮らしには戻れない。

でもこの数年間、ていうか振り返ると10年以上になるかと思うが、

国内インターネットには落胆しかない。マネタイズと言い始めたころから広告屋跋扈するようになり、

あらゆるところがゴミのような広告スパムであふれ始めた。

郵便箱を見ても大事な人からの恋文や手紙は来ず、請求書かどうでもいい広告で溢れてる。

電子メールフォルダ大事な人からの恋文や手紙は来ず、請求書スパムで溢れてる。

LINE乗っとられた~再登録よろしくです!」っていうメールが1日に20通も来る。もちろんyahoo.co.jp拒否すれば減るのだがとても面倒だ。

プロバイダはたぶん本気で解決する気などないんだ。

キラキラした可能性、集合知創発、そんなものは全部広告に埋もれた。

日本インターネット企業」の大手がやっていることはカードガチャとか絵師使い捨てエロゲとかパクリ記事集客とか。

みかじめ料を払わないお店の評価は下げますよ!とか。

夢もモラル希望もわくわくもないことばっかりで、そんなところが有名優良企業でござい、とか。

回線利用料とハードディスク価格が下がった結果キュレーションとか名ばかりの大量のゴミ広告集積サイトとか。

・・・

はてなは数少ない希望だったんだよね。でもホッテントリ組織的広告に埋もれるようになったよね。

この現状には虚無感しかない。

2015-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20150915064551

重要なのは条件分岐が使われてるかどうかではなくて、創発性があるかどうかです(もし創発という言葉をご存知なければ調べてみて下さい)。

http://anond.hatelabo.jp/20150915043034

あの「感情エンジン」こそ、ただの水蒸気にマイナスイオンって名前付けて売るようなもんだと思うんですよね。

本当に創発的な何かなら論文なり何なり書いて人工知能業界に激震が走るはずで、ただのパラメータ管理処理が「感情エンジン」なら、RPGの敵キャラAIだってヘイト値溜めたりするので「感情エンジン」って言い張れますよ。

私は好きで関連書読む程度の素人ですが、専門家曰くって話なら、とある人工知能研究で有名な大学准教授ペッパーを思いっきバカにしてました。

ロボット」をメカニクスAIに分けるなら、あのメカニクス(関節)自体別に詐欺でも何でも無いと思います。見たままのものですし。

ペッパー駆動系が賞賛されてるのなら未来ドラえもん(の手足)に繋がり得ますが、頭脳・知性を賞賛するのは違うだろう、という主旨です。

ペッパーって景品表示法違反にならないの?

DPZのあの記事は好きだけど、その感想として「未来」「SF」「将来は〜もできそう!」ってコメント付いてるの見てちょっと驚いた。

ほとんどの大人は承知している通り、あれはSiriと同じくどこかのおっさんが考えたセリフを条件分岐再生してるに過ぎないわけですよね。

その人工無能に、筐体としてのロボットをくっつけて低価格で販売した、って商売自体は新しいけど、巷では明らかにそれ以上の新規性があるかのように評価されてる。

別に中身がどうだろが、それで癒される人がいるなら良いじゃないか!」って言われればまあ一部その通りで、社会的意義もあるとは思うんだけど、それを「人格」や「感情」と言ったものをエミュレートしてるかのように売るのは景品表示法違反とならんのかな(実際そう信じてそうなブコメがちらほら)。

現に「マイナスイオン家電だって偽薬効果で癒される人もいるだろうけど、科学的根拠があるかのように売ったから取り締まられたわけで。

それに、あの製品開発の延長線上にはドラえもんマルチもいない、という事も共通認識として持っておきたい。

俺はマジメな人工知能研究には期待してるし、いつか創発的な会話をする人工知能が生まれて欲しいけど、だからこそああい商品に金が集まったり、そのせいで人工知能一過性流行になるのはイヤだ。

あの記事書いた小野法師丸さん含め、ほとんどの人は「よく出来たファービー」ぐらいにしか思ってないと思うけど、一部の反応を見て少し心配になった。

2014-09-27

「気にする」と「注意する」の峻別

自己創発という言葉がある。一種の高度なシステムだ。wikipediaには「局所的な複数相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いから予測できないようなシステム構成される。 」とある

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E7%99%BA

うむ高度である。高度で重要だってんで専門の研究機関が数多くあったりする。しかし高度といっても場当たり的創発には明白な限界がある。長期視点創発を積み重ねること、つまり進化が求められるケースも多いのだ。そういったことを扱うのが「進化システム論」という学問領域である

翻って私たち個人の日常生活ひいては人生において根本的に重要な要素を1つあげるとすればそれは集中力である

人間として生まれたからにはまずその集中力がなんであるかを明確に会得せねばならない。分かりやすい例をあげよう。ハイスコアを叩き出したいテレビゲームがここにある。

画面に「注意する」ことは必要不可欠であるが、スコアを「気にする」ことは果たして必要なんだろうか?否!必要ない。

「気にする」とは余計な思考を含意し「何かを気にして別の大切な何かを気にできてない」ことをも含意する。かように様々なタイプの集中があるので集中力一口に言っても多種多様なことが分かるだろう。

電王戦タッグマッチにおける脳波測定マシーンの滑稽さもここにある。集中力を単純に脳波で量として捉えても殆ど実態は見えてこない。「何にどう」集中しているかに達人的集中のギミックがあるのであるから

ここまで言われると集中のための第一歩が「気にする」と「注意する」の峻別であることは容易に経験からイメージできるのではないだろうか?

テレビゲームの事例でも「画面には注意すべきだがスコアは注意しないほうが良い」と両方「注意」を使って捉えるからどうしようもない矛盾が生まれしまう。

ちゃんと2つの概念区別し「画面には注意するがスコアは気にしないほうが良い」と精密に捉えて初めて成長の道が切り開かれる。

これは人間特有のウェットな話ではなく純粋ロジカルな話なので当然色んなシステム適用できて進化システムもその例外ではない。

例えば会社本来目的を忘れて腐った企業体質のまま古い事業を続けている。これが「気にする」にあたる。一般にシステムをとにかくどんな形でもいいから進化させちゃえと安直に考えるならばその実現はたやすい。

しかし高度な進化まりシステムの根幹にある枠組み自体進化させるには「気にしない」ことの高度な実践がたいてい決定的に重要になってくる。簡単に言うと全体の情報をきちっと注意し続けるということだ。

このように私たち私たち個人と私たちを含む社会集団類比することで新たな側面を発見し打開策を見いだしていくわけだ。他人のフリして我が儘治せということわざもある。

人は自分が思っているほど自分のことを理解していない。それは高度情報社会の闇でもある。気になる情報が多すぎて自己への注意がおろそかになっている。

これが原因で世の中には無用無駄な争いが爆発的に増えているわけで、そこで提案されたのがジョージ・ハリスンの窓、略してジョハリの窓である

自分探しという言葉一部の人間の感情を逆なでするそうだが、注意の復権という意味では自分探しという言語表現こそまさに適切と言えよう。

2014-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20131231235418

ああ、「存在しない」ってなってるとこよか、自分が注目したのは『創発特性』の所ね。

欧米にはアイドルグループ存在しないっていうのは、自分ちょっと極論のような気もしている。

心理学者の考え、というソース念頭に探したらこのくらいのしか見つからなかった。

2012-11-10

ネット漬けのそこのオマエとは最も縁遠い、サバイバル記憶

やあ。分かるやつには分かると思うが、俺だ。ネット見てると一見真面目でマトモな空間にも2ch的な低俗で野卑た対立煽りがぎょうさんひしめいていて現実から乖離した事実認識が続々と形成されているのが観察できる。

さらに問題なのはその事態を2chと同等の低俗さだと気付いて「いねえ」人が結構というか殆どだということなんだな。いま何が起きているのか、世の中や人の心の仕組みはどうなっているか、その実際の姿が見えているか

それとも見えて「いねえ」か、その違いは凄まじく大きい。真実を洞察できる慧眼が求められている時代。冬の時代。いま、言葉の究極的な意味で「実際的」な人間が貴重。

さて。

記憶術の話なのだが、そもそも世の中のテクニック本の類は二重にワンパターン化されてしまっていると思っている。1つ目は受け手すなわち読者の問題で勝手パクリ認定したりそうでなくともあの方法の改変か

といった形でしか物事を理解できない人間が多いこと。理解は単なる既存フレームワークへの当てはめとする創発カケラもない受動的な認知モデルはとっくに古くなっているのに。2つ目は書き手の問題で読者と同じくワンパターンしか

考えられないから世の中の本はしょせんパクリだらけと「ガチで」思っているか自分もそういうパクリ本の量産に加担せんとて書くという輩である

まりワンパターンじゃないミュータントもかなり混入しているのに関わらず二重のワンパターン化の力が強力過ぎて業界全体が完全なるワンパターンマンネリの泥沼に陥っているかのように大半の人が錯覚してしまうのである

で。

具体例を言ったところで上記のワンパターン脳には効き目が無いので具体例をあえて挙げないのが俺の習性なのだが、ここではあえて具体例を挙げる。

そうだなイメージが苦手な人もいるだろうからこうしよう。方眼紙タイプの小さなメモ帳携帯し、そこに罫線にそってテキトーな図形を描き、その内部のマスに記憶したい事項を入れていくってのはどうだ?

ここまで聞いてなんだ「場所法」か等と思った記憶マニアだとか別に新しくないじゃんと思った一般人だとかはこのエントリを読んでも意味がないことを保証する。

あえてこの方法について突っ込んだ説明はしない。どこが新しいのか、どこが強力なのか、など。何か新しさを感じた人だけやってみたらいい。

で。

なんでこんな話をわざわざしているかというと、新しさってそもそも思い込みを外して見れるってことなんだよな。とくにネット漬けの人。記憶術そのものはどうでもよろしい。

と言ってもネット漬けの人を俺が治せるとは思わないし、せいぜい出来るのはネットから距離がとれている人を呼びかけてネット漬けの人について何か働きかけるキッカケを与えるくらいだな。

そのくらい彼らは思い込みで支配されているしこの世界もまた思い込みで埋め尽くされてしまっているんだ。すごい音楽絵画ってすごいのは伝わるけど何故すごいかは伝わらないんだよな。

何故が分かると言葉による思い込みが働いて新しさが欠如する。元電気グルーヴ砂原良徳もそういうコンセプトで「take off and landing」を制作したんだ。

ニュースを見て実際の有り様、つまり<実態>だな、それを確認することなく鵜呑みにするのは危険だろう?だがその罠を回避しようとしようとするフリはしつつも結局<実態>から逃げてるんだよな。

そんな時代からこそ、自分の足で歩いて自分の目で見たことだけ信じている人間の脳のつくりはまるで異次元だよ。たとえば、大前研一氏はそういうタイプ人間だよな。

2012-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20120103211405

いちおう、一つだけ確認。

世の中、何事にも例外はある。

事実意見を分けて書くトレーニングはそれなりにやってきたつもりで、これまで書いた文章で全称記号をつけてまで断定した記述はしてないはず。

日本最大最強企業であるトヨタなんかは、組織の大きさにも関わらずイノベーション継続する能力を維持できているように見える(内情は知らないけどね)。

これは同意見でトヨタは凄いと思うよ。ただ、(内情は知らないけどね。)も同立場で、トヨタ人材画一的トヨタ人材なんじゃないか邪推している。

まり認識の歪みは承知だが、「QC活動万歳!」「下請け明日からコスト50%減で作ってね」といったイメージ

大野耐一生産性向上運動サプライヤー企業との共同開発研究も大きく、そこらへんのホワイトカラーの貢献度で言えば小さいものだと思うけれども。

最近イノベーションは「イノベーションプロセスから生まれる、という話がある

紹介された「art of innovation」であるが、どうもIDEOというシリコンバレー企業の話らしい。

創発型のプロセスであれば、ワールドカフェ手法であるとか色々知ってはいるが、それが凡人からイノベーションを起こせるというプロセスならば大歓迎。

個人的には凡人からイノベーションは生まれ得ない、むしろブレーキと思っているが。

東大の」「優秀で」「意識の高い」学生

内なる組織改革か、外なる自己追求か。その閾値はこのカギ括弧にあると思うのだが、「東大の」はまあ明確だ。

それでは、「優秀で」は?「意識の高い」は?

私自身について言えば、

優秀:「話してみると、優秀なのが伝わってくる」「天才型」「期待している」とかいう評判は聞く。平均から見たら優秀な思考能力だと思うよ。

   ところが、外に出るとなると、なにか武器が足りない気がする。

意識の高い:インサイドアウトな状態ということだろうか。これまたよくわからない。

ちなみに、採用担当が「こいつは優秀だ」と思うやつ、オレは優秀でないと思うことが多いんだけど、どうなのかなあ。

強いて、絶対的な優秀という意味では、トラックレコードというのだろうか、

テニサー副部長といった肩書き、全国大会という実績、会計士という説明可能な資格こういったわかりやすい指標がホンモノの優秀なのかも。

2011-05-06

仲が良く皆で話し合える男女混合のグループステキ→そりゃそうだ!

Evidence for a Collective Intelligence Factor in the Performance of Human Groups

http://www.sciencemag.org/content/330/6004/686.abstract

Psychologists have repeatedly shown that a single statistical factor—often called “general intelligence”—emerges from the correlations among people’s performance on a wide variety of cognitive tasks. But no one has systematically examined whether a similar kind of “collective intelligence” exists for groups of people. In two studies with 699 people, working in groups of two to five, we find converging evidence of a general collective intelligence factor that explains a group’s performance on a wide variety of tasks. This “c factor” is not strongly correlated with the average or maximum individual intelligence of group members but is correlated with the average social sensitivity of group members, the equality in distribution of conversational turn-taking, and the proportion of females in the group.

適当訳(要つっこみ)】

しばしば「一般的知性」と呼ばれるものの創発が,広範な認知タスクにおける人々のパフォーマンス相関関係にあると,心理学者たちは繰り返し示してきた.しかし,グループ存在する「集団的知性」と呼ばれるものについて,システマティックに調査したものはいない.699人が2~5人のグループに分かれてタスクを行った二つの実験から,我々はグループパフォーマンスを説明する一般的な集団的知性の因子の証拠となるものを見つけた.この「c因子」は,グループメンバーの知性の平均や最大とは強い相関はなく,グループメンバーのsocial sensitivity,会話におけるターンテイキング分布平等さ,そしてグループ内の女性の割合と相関関係があった.

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グループパフォーマンスリーダーシップってのは関係ないのかね.

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