はてなキーワード: 敵愾心とは
絵師やその取り巻きの界隈がよくいうセリフに「絵柄パク」ってのがあるけど、あれマジで意味わからん概念だよね
AI関係の議論が活発化したのと比例して「絵柄をパクるなー!盗むなー!」みたいな主張も増えたようだけど、そもそも反AIが蔓延る前から絵師界隈ではよく絵柄パクについて学級会が行われていたように思う
本気で不思議なんだけど、絵師様って自分の絵柄は自分だけのものだと本気で思ってんの?
もっと言えば、自分の絵柄は過去のどの絵柄も模倣していない唯一無二のものだと本気で信仰しているの?
芸術全般に言えるけど、あらゆるアートはスタイルの模倣から始まっている
例えば文学なら自然主義とか新感覚派とか派閥の中で相互にスタイルを模倣し合ってそのジャンル内で色々な創作物を作り上げてきた
映画だってヌーベルバーグとかヒッチコック風とかスコセッシ風とか基本的には先人の作った映画のスタイルを模倣してそれを受け継ぐことで新しい芸術を生み出している
絵師様はダリはキリコのパクリ!とかヒプノシスはマグリットのパクリ!とか言っちゃうわけ?
今の絵師様の描いている絵なんて大概は大友克洋の丸パクリだよ?
大友克洋が切り開いた漫画における写実表現の先に桂正和がいて、そして桂正和が切り開いた「顔はアニメ調で体はエロテックな写実表現」って画風の先に今の絵師様の絵柄があるわけで、そこらの絵師様の絵柄ってのは先人たちの模倣の域から全然脱していないわけじゃん
先人たちの積み重ねてきた画風を丸パクリしておきながらそのことを自覚せず「絵柄パクは犯罪!」ってのたまう絵師様は流石にいくらなんでも傲慢が過ぎると思うよ
じゃあ今すぐ自分がこれまで読んだ漫画の作者なり見てきた画集の作者なりに謝罪しなよ
自分の糧になっているはずの先人たちの芸術作品に敬意も持たず自分の絵柄を自分だけのものだと思い込むのは大げさに言えば芸術活動を貶める最低な振る舞いだよ
AIなんかよりもその振る舞いのほうがよっぽどイラストの価値を毀損しているし、何なら一般層に嫌悪される最大の要因だとすら思うわ
絵師様やその取り巻きが模倣という行為に対して発揮する敵愾心は本当に異常
あれって一体何なんだろう
まがりなりにも『絵師』を自称するなら絵柄をパクられたときには「俺の芸術のスタイルに追従者が現れた!やったー!」って喜ぶべきでしょう
俺自身、AIについては色々と議論すべき部分も多いだろうとは思ってる
でも、絵師様特有のこの内向きに閉じた教養のなさ、傲慢な思考ってのが垣間見えるたびにAI規制論は絶対に支持されないだろうなって暗澹たる気持ちになる
当然ではあるが、統一教会自体は反社会的団体として、いずれは暴力団や過激派に近い存在として社会から排除していかなければならないとは思う
…思うんだが、それでも暴力団や過激派と比較すると現状はまだ合法な存在ではあるし、違法なドラッグを売りさばいたり、爆弾を仕掛けたりしてるわけでもないし、宗教法人である以上は信仰の自由との兼ね合いもあるので議論は慎重にならざるを得ないのも確か
にも関わらず、統一教会と関わっているというだけで白熱する人たちがいるのだが、明らかに統一教会よりも悪質な、暴力団や過激派と付き合いのある政治家に対して同様の熱量で批判していたという話はほとんど聞かない
この違いは一体なんなんだろうな
備忘録というか愚痴だけど、意外と版権二次創作の世界では同担拒否が多いらしい。今日は気になったCPのことを呟いたら「そのCP好きだったんですねフォロー解除します」ってマシュマロ飛んできてなんだこいつってなった
・同担拒否に至る経緯は様々だが「愛の抱き方や言動への解釈が様々だから」「解釈が異なる相手に自らの解釈を伝えても溝が深まるだけ」だから無用な争いを避けるため、というのが大きい
・他だとガチ恋勢の場合は同担は恋敵にもなりうるから、愛を競い合う不毛なマウンティング合戦を避けるため、などもあるという
・「拒否」の程度も人それぞれで、それとなく距離を置く形や最初からそれを示して積極的に関係を持たないようにする形や、他の同担に敵愾心を剥き出しにする人もいる(これは「同担攻撃」ともいうらしい?)
調べてみて思ったのは、同担拒否って争いを回避するためだったんだなって。正直その辺細かい、はっきり言えば面倒なオタクが言ってるだけだと思ってたけどそういう意図もあったんだーって勉強になった。
ただまぁ、わざわざそれを人に言う(自分はこれが嫌いだ~とか)のは同担拒否の本来の意味からだいぶ外れてるよなって。トラブルを避けるためだったはずなのに同担拒否を免罪符に殴りかかるのは違うっしょって。
だから、俺の「『安芸高田市での顛末を見て』ってじゃあ何を見たんだよ」には一切答えてないのなんで?
一応お前の言ってることにも二つ反論しておくわ
1. 「分断が進む」って言われても俺は20代だから分断もクソもない、勝手に年齢透視してるつもりになって「俺に反対する人は全員老害だ!」って思ってるかもしれないけど、そういうところがバカなんだぞ?
2. 「特定の宗教の人が関わっているだけで敵愾心を抱くのはおかしい」って主張、まず統一教会はカルトだからもはや宗教じゃないよ。そして世論が統一教会排除に傾いて、かつ統一教会がらみで元首相が暗殺されていたのを知っていてその発言ができるのか?石丸が暗殺されたらどうするんだ?カルトの政治的支配をなくそうっていうのは当然の発想だと思うんだけど、お前はカルトを容認してるのか?答えてくれ
ちなみに現代の海賊(アラビア半島周辺)は払えば人質を返してくれる。
というのも海賊呼ばわりしているのは西側の都合で、実態としては未承認国家なのでそれなりの信用があるからだ。
零細の海賊は船舶を拿捕、もしくは船員を拉致すると、海賊都市にこれらの資産を売却する。
海賊都市にはイギリスの大学を卒業したような「海賊」が多数いるので、彼らのエージェントやネゴシエーターが船主と交渉する。
色んな経路で支払いを確認した後は開放される。
余談
→イスラム法廷連合が一時的に支配を確立するも、イランへのウラン売却等々でアメリカの敵愾心を買い介入される
→エチオピア軍の侵入と同時にアメリカが爆撃を実施し、ソマリアの海軍や沿岸警備隊が壊滅する
このときエチオピア(と支援するアメリカ)のソマリア介入は国際的承認を得ていない事実上の侵略であり、カタールやアフリカ連合、アラブ連盟は非難し国連安保理で外国軍の即時撤退決議を提案するも、英米が拒否権を発動し侵略は続いた。
コミュニケーションにおいてお土産というものは効果を発揮すると経験的に体感している。
もちろん、どこかに遊びに行って…という形でお土産を渡していいのだがそれにはひとつ問題がある。
それはお土産を渡した人に、「こいつは何処かへ楽しく旅行してきやがったんだ」ということへの妬みの感情を引き出してしまうかもしれないからだ。
世の中、孤独な人は多い。
私自身も10数年前までは一人ぼっちで人生を送ってきて無駄に他人を妬むことが多かった。
そして、そのことに自分では気づけない。
そういう人は私以外にもいるだろう。
「いやあ親が帰ってこい帰ってこい孫の顔見せろとうるさくて」
みたいな雰囲気(あくまで雰囲気、実際に言葉にするわけではない)を醸し出し義務としての帰省を消化した、その副産物としてのお土産ということにしたいのだ。
ただ、この方式の欠点はたまに私のイマジナリー田舎と同じ出身地の人に接するときだ。
一応、現地には実際に行ったことがあるし日々情報を仕入れて(いっときは爆サイなどもチェックしていた)知識をアップデートしている。
それでも不意をつかれるとボロが出かねない。
やはり必要なんだ。
自分が殴られる側に回る恐怖が。
殴り合いの中で目を覚ます瞬間が。
攻撃されている最中に引き下ががれば、ここぞとばかりに丸めた背中を踏みつけられるという実体験が。
今のはてなーは自分が攻撃される側に回ったことが一度もない人も多いと思う。
お互いに容赦がなかった。
授業中地面に落ちた消しゴムがどっちのものか言い争う所から始まっていつの間にか殴り合いになるような自然な闘争があった。
今は違う。
拳を振り回すことは禁止されているからスポットライトを浴びている側は何も出来ないまま、匿名の人間だけが一方的に空き缶を投げつけている。
これでは駄目だ。
観客席に思っていると勘違いした人間の頭に横から手斧が叩き込まれる世界じゃなければ。
昔は良かった。
昔はすぐ横でアホ言ってる間抜けがいたらすぐに誰もがそのクビを撥ねに行った。
今のはてなーは変に団結しすぎている。
まず、仁藤夢乃は女性性を利用する男性向けコンテンツに対する憎悪や敵愾心がある。これは、彼女の生い立ちや、現在の社会的な位置、支持者や周辺の人物の意向などさまざまな要因があると思われる。
実在の女性をモデルに用いた性的コンテンツはもとより、イラストやアニメなど架空の女性を性的に扱うような表現について、明らかに敵対的に振舞っており、そのようなコンテンツの製造、流通、消費全ての段階において公的ないし私的な規制がされることを歓迎し、あるいは規制を行うように働きかけると予想できる。
重要な点は、仁藤夢乃はこれらの表現、コンテンツが一掃され、その作者、著作権者、消費者、流通や広告などの関係者が損失を被ることについて、一切考慮する必要が無いということである。少なくとも、そのような配慮、妥協そういった姿勢を見せたことは無く、現実的に温泉むすめのスポーツ文化ツーリズムアワードの受賞辞退という事態を招き、そのことに対し一切の後悔も配慮もしていない。
したがって、仁藤夢乃が、将来にわたって、その社会的影響力に応じて、そのような男性向けコンテンツに対して一切の限度なく攻撃し、最終的にはこれの完全な社会的排除を目指し続けることは間違いない。
したがって、そのような男性向けコンテンツに対して愛着のある者は、必然的に仁藤夢乃とは同じ社会で共存することが不可能な、実存的な異質者として対峙することになる。
仁藤夢乃は、都から委託事業を受けており、その中で都からの指導に対して不満があるという姿勢を何度も示している。
これは逆に言ってしまえば、都からの指導に対して適切に対応できていない可能性が高いということを示唆している。
これは、明らかな弱点である。
行政の無謬性という法的な擬制がある。これは、行政行為(いわゆる行政処分、つまり許認可や行政罰、補助金の交付決定など)は裁判で覆されない限り、法的に正しいと見なすという仕組みである。
この、行政の無謬性を担保するために、役所は間違ないように慎重に仕事をし、自分たちが悪くないと証明するために膨大な文書という証拠を積み上げている。そして、万が一間違ってしまったときは大問題になり、間違いを起こした事業は改廃を余儀なくされたりする。
しかし、現実的に間違いは存在する。ただ、多くの間違いは些細なもので、そんなものを細かく指摘することは、手間や金がかかる割に意味が無く、自分の利害にも悪影響を及ぼすから、誰にも気づかれず無かったことになる。
稀にオンブズマンが重箱の隅つつきをするが、これは、政党や労働組合、市民団体といった人的・金銭的なバックアップがあるから、政治的目的のために手間がかかることができるだけである。
そして、役所はこのような事態が起きることを徹底的に避けようとする。
実は、私も開示請求で精査しようと思ったが(元地方公務員なので文書は読める)、金と時間の問題で諦めた。
しかし、金と暇があり、最高裁まで戦った実績のある男が現れたのである。
実質的に監査委員会が認容した段階で、戦略的には勝利している。
役人の立場から言えば、舛添以来の認容であり、それが出た時点で本事業や受託者はアンタッチャブルな存在になった。
「桜を見る会」は今後開かれることは無いし、「温泉むすめ」が今後何かの公的な賞を取ることも無いだろう。それと同じである。
ボカコレ2023夏というドワンゴが主催の音楽イベントで、ルーキーランキングで一位を獲った楽曲の一位褒賞である音ゲーへの楽曲採用が、不明な理由により延期されている。
この楽曲には、その作者が前に投稿していた楽曲も含め、ある一つの音楽ジャンルを継承した特徴がある。作曲者から直接の言及はないが、そのジャンルに与する作品として作られており、それが延期となっている原因ではないかという説がある。
ここでは取り敢えず、近年呼ばれるようになった『界隈曲』という名前で便宜的に呼ぶこととして、ここに覚書を残しておきたい。
10年ほど前に、ある人が一部の楽曲を残し他のすべての作品を削除して引退した。その騒動についてはここに書かない。最終的に四つの作品だけ、一定の条件下であれば転載しても構わないとし、最後に『自分について話をするな』との旨を言い残し姿を消した。関連した業界で今なお仕事をしているのか、それとも完全に手を引いたのかはわからない。
そして、残された四つの作品を転載する条件には、使用されていた素材の規約を守ることといった一般的なものに加えて、「作者の名前を明示しないこと」というものがあった。一般的な引用が名前を明らかにしろというのに対し、その真逆を求めた。
こうした奇妙な結論に至るには、様々な騒動が原因となっている。騒動の経緯は全て割愛する。端的に言えば、氏引退の理由は『解釈に対する敵愾心』とでも呼ぶべきものかもしれない。この文章による言及それ自体が、氏に対しての敬意を欠いている。
氏の作った楽曲群は殆どが消えて、正式に残ったものはたった四曲。それすら名前を出さないようにと請われたのに、氏の願いを聞き届けられないほど良いものであり過ぎたのかもしれない。少なくとも、10年以上の時を経てなお、その歌詞が件の作品に引用される程には。
一般に、音楽のジャンルというものはその先駆者の後追い、リスペクトとも呼ばれる音楽が生まれていくことによって作り上げられるものだと思う。実際に、氏の音楽によく似た楽曲が、インターネットに生まれていった。具体的な楽曲名やアーティストを例示することは、ここでは避ける。例えばノイズミュージック・エレクトロニカであるとか、MVに四角形を種とした幾何学模様やドット絵がリズムやコードなどを示すというような特徴を上げることはできても、その根本的な特徴としての模倣性は、結局のところ、作り手側の意図ではなく聞き手側の意識によって観測される。
『界隈曲』という言葉で今括られている楽曲群には、その系譜を明示している作曲者もいれば、暗黙の了解とばかりに仄めかす作曲者もいる。一切言及していない作曲者もいるし、むしろ否定しているケースまである。
問題があるとするのなら、その『類似性』こそが求められたことだったろう。得てして後追いとなった楽曲群は、特にその当初においては、最初の4曲とよく似ていて、むしろ似せることこそが求められているかのようだった。
時を経て、近年は類似させることも緩やかになっている。しかし、むしろその『類似』であること、氏の系譜であることを求めている、という宗教じみた性質は確固たるものになっていった。
その一つの根拠に、今現在のこれらの楽曲群の呼び名である『界隈曲』という言葉そのものがある。
最初は、ある後追い(とされているが、当人の直接の言及がないため、含めるべきでないという説もある)の作曲者の名前を取って『◯◯◯◯界隈の曲』という枕詞で呼ばれていたことがある。しかし、その後追いの作曲者をして名前を示すことへの疑義はあり、時には氏の名前を取って『XXXXリスペクト(ここのXは最初から伏せ字)の曲』のように呼ばれることもあった。海外では、名前を伏せた最初の四曲に対し(楽曲群のモチーフが全て海産物であることから)「海鲜市场」という名前が付けられたり、一部の後追いの作曲者たちを合わせて「Nameless cult」と呼ばれることもあった。
どうあれ、名前を伏せているせいで、だんだん呼び名それ自体の意味が薄れていくうちに、前の言葉は『例の界隈の』『XXXXの界隈の』と曖昧になり続け、最後にはその頭すら取れてしまった。
呼び名がないことの不自由さに対して求められた名前であっても、『界隈曲』というジャンル名が指すものは、前述した通り端緒となった氏の音楽を起点とした系譜だ。
系譜そのものへの人気は歪なほどに高い。ある作曲者が『界隈曲』とされる楽曲をほんの数曲だけ発表した結果、その数曲だけで、それ以外に投稿してきた楽曲の全ての再生数を足し上げた数の、その数倍以上の再生数を叩き出した。
今回の端緒とした件の楽曲は、その要素を明らかに含めている。それがイベントで一位を獲った最大の理由とは考えないが、一定の役割を果たしていたと思うし、それ自体は悪いことではないと思う。
ただ、氏が引退した理由は最初から何も変わっていない。『自分について話をするな』と言って消えたことに変わりはないのに、それでもなお『界隈曲』という名前で、さも継承してきたことが美しい物語であるかのように語り諂うのは、あまりにも無邪気が過ぎるように思う。
好きな音楽だから聞きたいとして、良い曲であるから肯定するとして、その情報の中に態々『界隈曲』という言葉を組み入れ、その系譜を遡って死人の墓を掘り返し死骸を残骸にし尽くしているのは、作る側ではなく聞く側ではないのかと思ってしまう。その残骸の成れの果てを美しいものだと祭り上げて見せびらかすのは、趣味が悪い気がする。
侮辱してでも聞き足りないほどの音楽だからだと言われれば、返す言葉なんて無いかもしれない。
けれど、無邪気に語るのは嫌だなと思ってしまっている。
うん、だから「そういう体」を繕って書かれた分断煽りか釣り創作って感じするよね
対象に対しての直接的な毒(しねとか二度とくんなとか人としての経験がないから幼く見えるんだとかそういうの)が全然ないからそのさじ加減というか、実際はそう思ってもなさそうだし対象そのものへの敵愾心はほんとはないのかなーって
増田ってはてブで言及されてより際立つみたいな入れ子構造だから、ブコメでだいぶ田舎(のバカ女)ヘイトが発生してる感あるのでそこまでの反応を含めてやっと完成で我が意を得たりって感じなのかなーって思った
自分の想像通りの対象の愚かさってそうだよねって真に受けてエンタメとして面白がりたくなるけどなんかね
本当にその立場の人のリアルな本音だとしてもなんかそこまで否定したくなさある
自分はどちらかと言えば田舎よりの地方都市の未婚子無し女なので(ブコメ群に対しては)そんなまんがみたいに2分されてわかりやすいもんじゃないよ、もっと複雑だろうってなったわ
最近AIイラストの登場による騒動で、絵師というものに対して異常な敵愾心や差別感情を抱いている所謂絵師アンチの発言やら増田が目につく様になったんだが
https://anond.hatelabo.jp/20230422133948
https://twitter.com/murakumokun/status/1655389210877243395
自分より絵が上手くて実績もある人に絡んだり何故かクソフェミガーとか言ってる人とか
https://twitter.com/Lantern_pumpkin/status/1655460095017512960
https://twitter.com/Lantern_pumpkin/status/1655450043036610561
公式の規約(イメージが悪くなるもの、公序良俗に反するもの、政治、宗教が関係するものは禁止)の範囲での使用が許可されているずんだもんの絵をプロフ絵にして他人に暴言吐きまくってる人とか
https://twitter.com/ak8gwc/status/1652338176093216769
https://twitter.com/ak8gwc/status/1654541057198260225
https://twitter.com/ak8gwc/status/1651963609734578177
https://twitter.com/ak8gwc/status/1639629015211442177
https://twitter.com/ak8gwc/status/1639620982846681088
自分も「セッション」は最悪に胸糞悪い映画だと思う。最後まで見たけど自分もご多分に漏れず、ブラック企業で働いてた頃の感情を思い出してしばらくぐったりしてしまった。ちょっともう記憶があやふやだが先生のハラスメントに反発心を燃やしてがむしゃらに練習してきた主人公が終盤、演奏会に乱入して、指揮者として立っている先生に演奏技能を見せつけるようにドラムをたたきまくり、最初はお互い敵愾心を示しているのに一瞬だけ相手を認めるような視線を交わすシーンがあって、これがもう最高最悪に気持ち悪かった。あの映画を評価する人はどこをほめているのかわからない。パワハラコミュニケーションのリアルさをほめているのか?
アベとかカタカナ呼び周りのアレはユーモアのガワを被せようとして失敗した剥き出しの敵愾心だと思うので、笑いとは縁遠いってのはそうだと思う