はてなキーワード: 千田とは
ターフの中のターフがうざい。
私はターフ呼ばわりされる立場(実際の思想は別)だが、GID(性同一性障害)の存在は認める立場。
脳が生まれつき女性で性別適合手術をしてるなら女性扱いでいいでしょう。
ターフの中のターフは脳に性別はないと騒いだりするし、ああうざい。
千田先生や滝本弁護士にも迷惑をかけ無礼を働くしで、うんざりである。
実際のところ、脳が女性で女らしいタイプなら下手に女らしさを否定する女性より仲間意識があるくらい。
私は女らしさを大切にする女性ですので。
詳しいことはこれを見てね。→ https://www.jschild.med-all.net/Contents/private/cx3child/2018/007704/002/0310-0318.pdf
はあ、疲れる、ただの愚痴です。
・エニックスとの縁は、エニックスが出していた森田将棋のアンケートハガキにCPUの駒組みについて文句を書いて本名で送ったら「あのすぎやまこういち先生ですよね?エニックスのゲーム音楽を作ってくれませんか」と連絡が来た。それからウイングマン2とかガンダーラとか一緒にやるようになった
・ドラクエの音楽はすぎやま先生が参加する前にすでにできていたが、千田Pの強い意向で全部すぎやま先生の曲に差し替えることに。1週間で全曲をファミコン上で鳴らせるようにしろということなので、数日で全部作った。ここでいう全曲というのは「レベルアップの音」「階段を降りる音」「鍵を開ける音」といったME(Music Effect)も含む
・序曲は5分でできた。作曲というのは「出物腫れ物」のようなもので、あの時は私もたまたま調子が良かったんでしょう。ただ、それまでの蓄積があったからできたわけで、「54年と5分でできた」という言い方もできる(※ドラクエ1開発時のすぎやま先生は54歳)
・ドラクエの初期は開発現場に毎日行って、サウンドプログラマーと直接やり取りをしながら作っていた。すぎやま先生自身もPCマニアで、PC-8801を使い実装までできた。プログラマーが楽器に無知だったため、アーティキュレーションの微調整は全部すぎやま先生がPC-8801上でやっていた
・よく「ファミコン用にシンプルなアレンジを~」と言われるが、ハードウェアに合わせて曲を作ったことなんて一度もない。ドラクエの曲も、1の頃からフルオーケストラのつもりで作曲していた。サイン波や矩形波でも、例えばホルンはホルンの音形で鳴らしているので、ピコピコ音でも何の楽器かは伝わる
・よく「少ない同時発音数で~」と言われるが、別に2音あればなんとでもできる。音数が作曲の制約になったことは一度もない。制約の中での作曲がどうとか言われる理由がわからない
・作曲は頭の中でやる。仕事場にピアノは一応置いてあるが、ほとんど触ることはない。頭の中で鳴らした曲を直接、Overture(序曲)という譜面ソフト/DTMソフトに打ち込んでいく
・(頭の中でフルオーケストラを鳴らすのはどういう訓練をしたのかと問われ)いえ、何も訓練なんかしてませんよ。今、貴方(インタビュアー)は日本語を話しているが、日本語の訓練なんかしましたか?ベートーベンや素晴らしい音楽を浴びるように吸収し続ければ、できるようになりますよ(※すぎやま先生は東大卒で、音楽の専門教育を受けていない独学作曲家である)
ドラクエは発売前から当時の黄金期ジャンプが総力を挙げて毎週巻頭で宣伝していたAAAタイトルで、
そのためにわざわざ(ゲーム会社社員ではなく外部の大物である)鳥山先生とすぎやま先生を呼んだんだから、元増田の「大ヒットを狙ってなかった」は明らかな間違い。
当時、堀井雄二は毎日のようにジャンプ編集部に入り浸ってマシリトと一緒に英語版Wizardlyなど海外製RPGを遊びまくっていた。そういう中から生まれた企画(ファミコンでもRPGを出そう!ジャンプの力でRPGを布教しよう!)がドラクエ。
説明書のイラストが土居孝幸、ドラクエのロゴデザインが榎本一夫というジャンプ放送局・ファミコン神拳の面々という座組みで、鳥山明の担当編集はマシリト。
鳥山の起用を含めたジャンプのバックアップなくして、あそこまでの爆発的ヒットはなかっただろう。
高度な技術よりも労働時間に価値を置くっていう、はてブでよく叩かれてる発想では?
及川眠子さんも残酷な天使のテーゼを資料に目を通して2時間ぐらいで書いたって話と「エヴァのアニメは興味ないので未だに見てない」という発言から手抜きだのやっつけだの言われるが、手抜きでもやっつけでもねえのよ。
ドラクエもエヴァもプロがプロとしての技術を尽くし本気出して作ったものではある。たまたまそのときは何かのシナプスが繋がって短時間でできたってだけの話だろう
俺は唐突に発作を起こして「ドラクエができるまで」を語り始めたわけじゃないの
元増田が「大ヒットを狙ったわけじゃないのにウケちゃった」みたいなボケ発言をしてるので、
それが間違っている根拠として
「当時の黄金期ジャンプが全面バックアップしたゲームが大ヒット狙ってないわけないだろ」
これが「文脈」というやつな
ジャンプの話をしてるんだからジャンプと関係ない話はどれだけ重要でも触れる必要がない
私たちには、創業当初から大切にしている「Soup for all!」という価値観があります。……お客様のライフステージが変わり、ご家族やお子様と一緒にご来店いただく方も増えてきた中、Soup Stock Tokyoとしてお子様の成長を一緒に見届けることができればと……
自ら望んで独身を続けてきていたとしても、こう言われれば、自分だけがバスに乗り遅れたかのような感覚を持たされてしまうものである。しかも、これまで味方だと思っていたスープストックに、「他のひとは、新たなステージに進んでいるんですよ」と、後ろから刺されたような気持ちになろう。
https://president.jp/articles/-/69655?page=2
「ライフステージが変わってないなら、お客様じゃないって言うのか」
こんな言い方をニュースでよく聞くと思う。
大抵インタビューされた店主が有り難がる展開になるんだが、しかし在日の日本人客が怒ったりはしない。
俺たちだっているだろ、とはならないのは何故か。
「増えた」
だからか?
だったなら怒りは湧いてこないか?
ホームコンピュータに家のLEDを点けるように命令して、玄関だけ暗かったら憤ると思う。
LEDを点けろ、には、すべてのLEDを点けろってニュアンスがある。
同様に、お客様のライフステージが変わった、と言ったら、すべてのお客様を意味してると捉えられる。
だから、ライフステージが変わった客にだけ言及すればいいのではないか。
男は力が強いんだから荷物持って当然とか、理系が多いんだから機械には詳しいでしょみたいな扱いをされると怒る男も多い。
なぜだろう?
例外だ、普通ではない、異常だとみなされると腹をたてるのは、その人たちの心の中に異常であるのを怖れる・蔑む傾向があるせいではないか。
だとするとライフステージが変わってないお客様が怒るのは理不尽ということになる。
いや妙だな…。
ライフステージが変わっていないお客様が少数派になっただけでは、普通でなくなったとはならないか。
セクシャルマイノリティがマイノリティだと言われてるのを問題視したなんて話は聞いたことがない。
数の多少は単なる事実。
だけどそれでも。
おそらく、ステージは登り階段で、成長の概念に直結してるのが理由ではないか。
これらがポジティブなイメージを持ち、肯定的な使い方を基本とするのは、
社会は拡大して繁栄するのが目的だとみなされているからだろう。
人間の価値観極めてプリミティブな部分に、成長 = 絶対善 がインストールされている。
神を信じない人でも成長の善さは信じてる。
誰であれ「これから頑張っていくよ!」と宣言する人に、いや頑張るな、と横槍を入れたりしない。
なぜ成長が重宝されてるのかは分からん。
だけど、成長概念が善として人々の中に強く内面化されている以上。
生き方の多様性が認識されてる現代で、直線上の成長過程に結婚が含まれてるのは、反社会的だと思う。
同性カップルはもちろんありだし、結婚しない女性の生き方だっていいじゃないか。
弱者男性でも構わない。
ファビョると発言して炎上したスラム街出身の Vtuber を思い出してる。
頭の中で次に使われる機会を待って凍結されてる言葉たち。
腐ってメタンガスを出してるかもしれない。
注意深くみても気付かないかもしれない。
正直こんなの、無理だ。
炎上沙汰が怒ってないパラレルワールドでライフステージの単語だけ見たら、それが内包する排斥性を見落としていただろう。
だけど考察の中で得た結論としては、ライフステージは時代遅れの概念と言わざるを得ない。
ツリー。
https://president.jp/articles/-/66175?page=1
「フェミニズムは大嫌いで、巨乳キャラは大好き」日本社会でジワジワと存在感を増す"萌え系保守"の正体
石原慎太郎はそんなことは言っていないし萌え絵とかもいってない。こういう低レベルの思いつき、これでお金を取るのか。
これも相当異常。むしろフェミニストの方が遥かに酷い。トイレを借りるだけで成人雑誌が不愉快とか泣きわめいていた。
ついでに太陽の季節とか書いててよく言うわ。というのが本当。
その前にも、弁護士の太田啓子氏が2018年、NHK「ノーベル賞まるわかり授業」でVチューバーのキズナアイを起用した際に、キズナアイのイラストが性的に強調されていると批判して、論争になっている。
社会学者千田有紀のキズナアイ批判の悪質な印象操作。日本の社会学の惨状に対する、社会学者太郎丸博氏の危機感表明
こういうのを知らないのは嘘つきか狂っているかのどちらか。プレジデントも頭がおかしいのです。
タイトルからして主観に過ぎない。これも白人至上主義、キリスト教至上主義です。
当のG7は少子化で滅びます。ロシアや中国もにひざまずく運命です。
どちらの表現の自由を認めるべきかという戦い
こんな問は成立しない。バカはだまってろ。
○BUMP OF CHICKENの「アカシア」(ポケモン)
「いつか君を見つけたときに君に僕を見つけてもらったんだな」
20年以上寄り添い続けてくれてるポケモンを端的に表現した完璧な歌詞。
ポケモンは実在する、という表現がTwitterなどで一般化していったのはこの歌詞がその一端があったと思う。
大なり小なりゲームは異世界を覗くような楽しみがあるんだけど、ポケモンは本当にそれがありそうな気がして、ポケモンはいるんだよなあってなる。
○鈴木結女の「One And Only」(街)
いや、花火のSEは歌詞じゃないだろってツッコミはさておいて、沢山いる人たちの人生を覗き、それらが絡み合う様を楽しむ街というゲームの趣旨を踏まえた素晴らしい歌詞。
428は特別なあの五日間を切り取っててそこ以外では成立しないけど、街はあの五日間以外を切り取っても成立する違いがあると思ってて、世界はそれでも回ってるはそういう意味ではカナンスフィア(カナンのコミカライズ、ゲームとアニメの間を書いてる)なんだよなあ。
ほりいゆうじが本書いて
鳥山明が絵を描いて
すぎやま
すぎやまこういちが曲書いて
光一が
ラムしてー
ほりいゆうじが本書いて
鳥山明が絵を描いて
買い物リスト作って買い物アイテムゲットしたらチェックボックスを消すというか、
いざ買い物!ってなってマーケットに行っても
何買うんだっけ?って
もう大冒険もいいところの健忘感なので、
言わばトーナメントの上位の買ってないアイテムがずっと残っていると言うことは、
思っていて買いたいけど思いが募っているって募集していないけど思いは募っていることなのよ。
買い物に立ち寄れることができる反面
そのトーナメントの上位のいつまでも思っていて買えないアイテムは
ようやく買い物チェックシートが消すことが出来たのよね。
車でお出かけしなくちゃいけない範囲の、
要は遠いのよ。
まあ珍しく遠出して買いに行くことができたから良かったんだけど、
でも遠いって言っても
遠いと言えば遠くないんだけど、
どうしても気持ちが遠のいているというか
遠いから行くの面倒くさいけど、
なんか解消されてスッキリした反面、
1度買い物チェックメモのいつまでも買わずにいる買いたいものでトーナメント戦やったら面白いかも知れないし、
ホームセンターが近くにあったらもっと便利なのにって思うジョイフルだわー。
まあ近くにあったら近くにあったで
ああいうのは用事があるときにパパッと買い物競争的なタイムアタック要素を入れつつ
くまなく店内を散策するよりは目的意識をもって行かないと寄り道しちゃいまくりまくりすてぃーだしね。
まあそんなわけで、
久しく今日の私の買い物チェックシートのメモが全部消し込めたので
今日は私の買い物チェックシート消し込み記念日と言ってもいいかもしれないわ。
そうとも言えないけど、
とにかく
買い物しておかないと行けないアイテムは
そうすればメモで揉めることもないし、
良いなと思ったわ。
うふふ。
焼き鯖朝定鯖焼きたてが美味しくて、
でも秋に食べるものが美味しいからついつい食べたくなっちゃうわー。
寒いなぁって思ったら、
窓開けっぱなしで寝てたわ!
危うく寒さで寒くなるところの寸前で朝を迎えることができて良かったし。
でも気を付けないとね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
https://twitter.com/frroots/status/1556797875123732480
https://twitter.com/frroots/status/1556856073016856577
https://twitter.com/ekodayuki/status/1556829119878336517
小宮友根先生と千田有紀先生の「論争」について、内容自体は専門的なものも多く、その当否については判断できないが、Twitter上では千田先生への同情票が多いように感じる。しかし、あくまで個人的な印象としては小宮先生に対して軍配をあげている。というのは、小宮先生のほうが、明らかにトランスジェンダー研究クラスタの多数派に沿っているからである。
外野から見ると、千田先生トランスジェンダー研究クラスタから不当に排除されているに見えるかもしれない。しかし、歴史でもサブカルでもなんでもいいが、冷静になって自分が関心のある詳しい分野について思い浮かべて欲しい。そこに必ず少数・異端の「トンデモ」な人がいて、専門内の人からは相手にされていないが、専門外の人から妙に共感を集めている人がいて、それを苦々しく眺めていないだろうか。
たとえば自分の関心は社会保障だが、時々経済学者による社会保障政策論で、「鈴木亘」を全面的に参照しているものを目にすることがある。その時点で、こいつは真面目に社会保障を勉強する気がないのだなと見切りをつけて、もう読まない。関心のない人からすれば、特定の説を読まずに排除するなんて閉鎖的でけしからんと感じるだろうが、関心のある人間からすれば、「鈴木亘」を跋扈させたことで、どれだけ社会保障への不信感を増大させ、ネオリベ的な政策に誘導させていったことか、長年蓄積されてきた怒りや恨みがある。事実、鈴木氏は社会保障入門というタイトルの新書を書いているため、最初に手に取って厚労官僚陰謀論や世代間対立論にはまる学生を一定の確率で生んでおり、現場の大学教員はそれをたしなめることが最初の指導になっている。鈴木氏も学会誌に書くことがあるが「こんな奴になんで書かせるんだ」と苦々しく思っているのは、自分だけではないと思う。
ジェンダー研究は全くの素人だが、小宮先生も同じ気持ちなのだろうと想像する。千田先生を直接というよりも、反トランスの人たちとつるんでいたり、反トランスの人たちの差別的な言動に甘くなっていたり、ということに怒っているのだろうが。
そもそも一般論として、「異端」の人は多数の「正統派」からの批判を意に介さないか、アンチのスタンスをとることが自己目的化しているので、「トンデモ」な情報に飛びつく可能が高くなる。それに対して「正統派」は身内の多数の専門家からの批判に敏感にならざるを得ないので、間違った情報を流さないように慎重になる。一般にはガリレイのような事例ばかり思い浮かべてしまうけど、基本的に「異端」と「正統」が論争して、前者が正しいことは滅多にない。