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はてなキーワード: 島聡とは

2024-03-28

ほら皆もう桐島聡のこと忘れてる

金成行のことも忘れてる

2024-03-04

anond:20240304173444

https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/2300149/image/1/

これね。

「うーやん」こと、桐島聡が、ひげ面で潜伏していたことで、ひげ面が嫌になったらしい

2024-02-25

anond:20240225231300

身分証使えない桐島聡でもあの歳まで生きてこれたか身分証持ってる増田ならなんだかんだなんとかなると思うやで。

2024-02-21

anond:20240221125727

「逃げる前提」ってのがピンと来ないんだけど、逃げることが最大限効果を発揮するのって、

1. 告訴内容が嘘だという前提で(真実なら逃げる必要ないよね?)

2. どうにかして裁判勝利して金をゲットして(負けるつもりで告訴なんてしないよね?)

3. その後、新事実の発覚などによって立場が悪くなったときに、金を返したくないから逃げる

みたいな話?

ていうか、逃げるって何?

島聡みたいに時効(?)まで身分を隠して逃げ続けるの?逆訴訟から可能なの?

2024-02-03

弱者男性なので桐島聡が羨ましくて仕方がない

島聡犯罪者ではある。許されないことをした点は事実だ。

だが、今になるまでのうのうと逃げ延びてたし、恋人もいて、友人もいてバンドなんかもして、職場や近所からの印象もよかったらしい

普通に俺よりいい人生を送っている。人生が楽しそうだった、その点が本当に羨ましい

これを言ったらじゃあお前も爆弾仕掛けてこいよって諭されたが、俺には爆弾を仕掛けてまで伝えたいこともないし、そんな情熱もない

爆弾仕掛けてまでやりたいことがあったってのも正直羨ましい

世の中案外指名手配されるくらいの生き方した方が幸せになれんのかなあ

anond:20240203193639

金がなくても桐島聡のように楽しく生きられるよ

金ないから苦しいわけじゃない

2024-02-02

anond:20240202212812

島聡別にイケメンでもないしね。

その上逃亡犯だしこれだけハンデあって女と付き合えるってことはやっぱコミュ力弱者男性の条件なのでは。

anond:20240202211854

島聡の例を考えても経済的に貧しくても充実した人生送れている人もいるぞ

島聡のこと考えてもコミュ力があれば高収入でもなく、ボロ屋に住んでいて、身長160センチ前後でも年下女性と結婚考えるまで行けるので弱者男性弱者男性なのは収入とか見た目とかではないよね。

島聡の逃亡生活、今報道されてる範囲だと、

初期で言われたような協力者や偽造保険証存在しなくて、

一方で、行きつけの飲み屋があって、バンド組んで、友人がいて、異性との交友もあって…等々それなりに文化的生活を送ってたっぽくて、

フィクションだったらリアリティが無いって批判されそう

多分Xに「騒音警察沙汰になったところで普通バレるだろwあの世界の警察どんだけ無能なんだよ」みたいに書かれるやつ

島聡を生き長らえさせたのはサヨク労働者保護政策

少なくとも桐島が逃亡を始めて以降にタコ部屋禁止だの暴力団排除だの進めた馬鹿者は

島聡共犯と言っていい。

なぜなら桐島を生きながらえさせたのはそういう規制からだ。

そんな規制がなければ桐島はとっくの昔にみじめに死んで今頃どこかの現場コンクリートにでも沈んでいただろう。

根本的にこういう底辺を守ることは潜伏するテロリスト支援することと本質的に何も変わらない。

それどころか、飯場待遇改善などと宣った奴には知ってて桐島を支援する目的でそういう政策を訴えていたのではないかとすら思う。

島聡バンドやってたってよ

ライブ行きたかったわ。

島聡人生をヴイム・ヴェンダース監督役所広司主演で映画化したい

キャッチコピーは、「こんなふうに生きていけたなら」

島聡って似てる人が即10人くらい思いつくような絶妙な顔してるから誰にも気づかれず生きてこられたんだろうな

ラジオ東アジア反日武装戦線とその時代を振り返り、見えてくるもの

2024/1/31(水) 20:10

TBSラジオ荻上チキ・ Session」#ss954

メインセッション

東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの

https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782

初見(初聴)の固有名詞略語も多かったので振り返ってみる。

(約3600文字

青木理氏:

最近判決が出た大坂正明被告渋谷暴動事件)は中核派だった。

中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。

島聡「さん」

田原牧氏:

(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。

私は急に森田童子を思い出した。

荻上チキ氏:

「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師主題歌)の。

田:

もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。

荻:

時代を振り返っていく。まず60年代

田:

戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス

60年代学生運動日本戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。

(「戦線設立1972年1975年まで事件を繰り返す)

田:

60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。

運動竹竿ゲバ棒火炎瓶爆弾となり、'71には三里塚東峰十字路事件警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。

荻:

まず全共闘から

田:

60年安保の頃は大学生の数も少なくエリートだった。

大学に行くことと政治活動をやることが矛盾しない世代だった。

その後、大学入学率があがり、全共闘運動が起きてきた。

男子大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)

田:

東大全共闘リーダー山本義隆氏が、闘っているに自分たち特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。

田:

60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国責任は問われなかった。

田:

入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本新左翼党派は頭を下げた。

田:

60年代は「黙っているのは加害」(ベトナム

70年代は「日本の安定自体アジアへの加害」

この自己否定の流れと「戦線自体アナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。

荻:

今振り返った時代の前半、大学自治学費問題から階級闘争安保闘争反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。

その後「戦線」に行くまでの時代の流れは?

青:

戦後の一時期共産党武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争放棄した。同時期にソ連スターリン批判が起きた。

共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派革マル派赤軍派などの母体となる。

全共闘は当初セクト党派)ではなかったが最終的に合体していく。

青:

学生たちはベトナム日米安保三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。

このあとよど号大菩薩峠連合赤軍などの事件がおき、さら爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線活動もこのころ。

田:

戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。

青:

狼煙を見よ」や「腹腹時計から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。

荻:

60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配反省中で農村コミュニティ市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織反省攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。

青:

戦線」の事件肯定はしないが、アイヌ在日コリアン沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。

また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。

荻:

戦線」はなぜ闘争攻撃を選んだのか。

田:

原罪性を持つ日本人への落とし前だと思う。

また時代の流れが、新左翼国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たち武装する、という意識が強かった。

昭和天皇暗殺未遂朴正煕暗殺未遂文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識暴力時代を切り開く意識があったのではないか

青:

松下竜一狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂しょんぼりしていたときに同世代文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。

お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道将司は痛切に反省をした。

荻:

今の若いからすると左翼マルクス主義だというイメージが強い。

新左翼マルクス主義距離、「旧左翼」とマルクス主義距離、「戦線」の立ち位置はどうか?

田:

新左翼の各党派マルクス主義に基づく綱領路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクス時代的に当然読むが、全共闘学生たちと同様に倫理から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに水俣山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。

荻:

分かりやすイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが

田:

戦線」は革命ではなく落とし前国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方問題ある意味ものすごくピュアな人たち。

CMと前半の振り返り)

荻:

この半世紀どうか。

青:

ドイツ戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカ基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。

荻:

現代の「反日」は、歴史に向き合う人への罵倒語になった。

青:

皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。

青:

新左翼セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊リーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺評価している。こういう流れが新右翼ムーブメントを生んだ。

リスナー

戦線」は何をしたかったの?

田:

将来構想はなかった。個々人の落とし前三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理日本国家転覆まで。

太田竜という、世界革命世界赤軍を唱えたイデオローグ理論指導者)は、第三世界革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。

荻:

今後の公安国家の語りは?

青:

反共左翼対策としての公安役割は終えた。

ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代必然

今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。

荻:

テロ正当化はしないが歴史と向き合うことの課題

そして、マルクス主義はなくなっても、性教育性的マイノリティ権利保護選択夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。

青:

妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本左派というかリベラルへの大きなダメージマイナス面になっていると思う。共産党左翼へのアレルギーヨーロッパでは緑の党や旧共産党政治ムーブメントを作っているのに。

荻:

理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズム空気のようなものは残ったかもしれない。

田:

今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代河野談話村山談話につながっていると思う。

荻:

振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。

2024-02-01

指名手配ポスターで桐島聡の隣にいたせいで捕まったやつwww

人生の悲哀を感じます

うーやん(桐島聡)年表

18歳頃 明治学院大学入学

21歳頃 爆破テロを起こす

22歳頃 「岡山県に女といる」との電話最後消息を絶つ

23歳頃 全国一斉指名手配

30歳頃 神奈川県に定住し始める、工務店で勤務

33歳頃 バンドを結成

35歳頃 20代女性交際するも結婚せず

37歳頃 バンド解散

45歳頃 30代女性交際するも結婚せず

55歳頃 DJバーギターの上手い常連として「うーやん」の名で親しまれる

58歳頃 アパート爆音洋楽流して神奈川県警のお世話になる

70歳頃 「最期本名で迎えたい」

島聡が一つだけ行った良い事

指名手配書の隣の奴の目撃情報が多数集められて逮捕に至ったところ

2024-01-31

はてブ民「桐島聡悲惨人生だったに違いない!」

労働で汗を流し近所で酒を酌み交わす。

友達もいて、気になる女性や言い寄ってくる女性もいたが生涯家庭を持たなかった。

これが惨めな人生

こんな人山ほどいるじゃん?

俺氏指名手配犯(桐島聡)より交友関係が狭い

行きつけの飲み屋は無い。

行きつけの銭湯も無い。

顔見知りのご近所さんも居ない。

2024-01-30

大川隆法「桐島聡です」

50年に及ぶ逃亡生活の全てをお話しま

anond:20240130085109

60~70年代ロックブルースとのこと

島聡容疑者と見られる男は、神奈川県藤沢市工務店で 「内田洋」を名乗って働き、20年ほど前から職場近くのバーに通っていた。陽気な音楽好きで、店のライブでは盛り上げ役 となり、音楽に合わせて踊る姿も。周囲からうっちー」と呼ばれ、人目を気にする素振りもなかった。

バー男性オーナーによると、男は新型 コロナウイルス流行前に月1回ほど一人で来店し、カウンタービールを2、3杯飲んでいた。1960~70年代ロックブルース、米ソウル歌手ジェームス・ブラウンが好きだった。ライブでは「イェイ、イェイ」と声援を送り、バンドをもり立てていた。

小柄で黒縁眼鏡を着用。オーナーは男が住んでいた家を訪れて歌手ビデオをもらったこともあったが、ここ数年は姿を見なかった。「普通のおじさん。不幸な様子もなく、指名手配写真とは全く印象が違う。 びっくりだと」話した。

よく似た男は近くの別のバーにも約20年前から頻繁に通っていた。店長によると、いつも一人で来店し、ぼそぼそとした声で話す特徴があった。霧島容疑者広島県福山市まれだが、男は「岡山出身」と周囲に話していた。海岸バーベキューをする店主催イベントにもよく参加していた。店長は「よく飲み歩いていたようで、近辺では知られた存在。愛されるキャラクターだった」と振り返った 。

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