「よど号」を含む日記 RSS

はてなキーワード: よど号とは

2017-10-18

ラリーズ

平壌日本人村生活する若林盛亮

と1枚の写真があり、

BABYMETALにハマって妻から小言

最近だと、特によく聴いているのがBABYMETALですね。

――ベ、ベビメタですか。

日本の方が送ってくれて。最初ヘビーメタルだと思ったのですが、よく見ると「BABY」と書いてある。気になって見始めて以来、「おっ、なかなかいいな」という感じで結構ハマってますよ。

――動画で見ているのですか。

動画ですよ。動画で見なきゃダメでしょう。

とあるが、写真に写っているPCはハリボテじゃなく使えるやつなのか……。

2017-09-23

70年代日本って本当に日本なの?

wikipediaで調べ物をしてるうちに何故か70年代事件のページに迷い込んでしまい、幾つか読んでしまったんだけど怖すぎる。

あさま山荘とかよど号ぐらいは知ってたけど、中隊規模の武装テロ集団機動隊がぶつかり合ったり爆破したりって西部警察じゃねーんだぞ。

朝霞自衛官殺害事件(1971)

幹部自衛官制服着ただけで侵入されたのもアホかと思うが、そもそも自衛官を襲って武器を奪うって発想がヤバい

連続企業爆破事件(1974)

神社本庁爆破事件(1977)

三菱三井帝人鹿島といった企業を爆破とかこれ本当にドラマじゃないの?と思ったが神社本庁まで標的とか本気すぎでしょ。

八鹿高校事件(1974)

政治的には社会党共産党対立があるようだけど、むしろ怖いのはこれだけの大事件を警察は見て見ぬ振り、マスコミは(すぐに)報じず。闇が深すぎる。

東京高裁長官乱入事件(1974)

東京高裁判事襲撃事件(1976)

いずれも狭山事件絡み。気に入らない判決が出たら襲撃って法治国家を何だと思ってるんだ。

東峰十字路事件(1971)

芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件(1977)

成田空港管制塔占拠事件(1978)

成田関係東峰十字路事件とか完全に戦争だし、派出所襲撃とか文字通りテロだし、管制塔占拠とかなろう小説じゃねーんだぞ。



こんなのが終戦直後のドサクサでもなく、当時産まれた人がまだ生きてるぐらいに近い時代出来事って信じられる?

毎年のようにこんな事件が当たり前のように起きてたらそりゃ感覚は鈍ると思うが、当時の人はよく明日死ぬ不安を抱かずにいられたな。

こういうの、ちゃんと教科書に書いて近現代史として教えなきゃ駄目じゃないの?

右とか左とか興味なかったけど右傾化してるって言ってる人達が正しいのはよく分かった。

左寄り過ぎてこんな世紀末な状況なら、せめて中央寄りにしなきゃダメでしょ。

2015-01-25

そういやよど号ジャック犯人が帰りたいって言ってるのは助けに行ってやらなくていいのか

http://www.asahi.com/articles/ASG5J7JG5G5JUTIL047.html

自業自得と言ってはいけないのか

2015-01-22

中田さんや常岡さんを拘束したりしたことで、ISISとの繋がり(交渉ルート)が絶たれた!政府無能!みたいな主張見るとげんなりする

そもそも北大生がそのまま渡航してISISに加入してたら、あの人質二人の間に立ってたのは北大生だったかもしれない(基本的人質国籍を合わせるとかなんとかいう話を見た)

日本語で、72時間以内に要求飲まなければ殺すと語りかける動画だったかもしれない

そうだとしたら、きっともっと世論は混乱してただろう

自分も今のスタンスを保てるか分からない

よど号事件とか、自分はまだ生まれてなかったんだけど、当時はどれ位の衝撃だったんだろうなあ

2011-07-02

はてサよ、在特会から派生した団体に献金なら?

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110702/crm11070208000002-n1.htm

はてなブックマーク - 菅首相側、北の拉致容疑者親族の周辺団体に6250万円献金+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/affairs/news/110702/crm11070208000002-n1.htm

komamix 政治, ネタ

政権交代をめざす市民の会に献金。この団体は市民の党から派生」。その市民の党よど号事件の犯人の「息子」を公認し落選。/何度読んでも兄弟友達のいとこのお母さんが芸能人と知り合いってレベルの話にしか。 2011/07/02

Gl17

容疑者親族の周辺て ・・・それは「他人」と言わないか普通反日とか言い出せば何でもアリだな、たしか産経ネット愛国者反日認定されてたはずだが。/ だから容疑者親族って「只の人」だろよ先進国なら。 2011/07/02

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110702/crm11070208020003-n1.htm

はてなブックマーク - 菅首相献金 「信じられない」「姿勢に疑念」 拉致被害者家族が怒り+(1/3ページ) - MSN産経ニュース

http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/affairs/news/110702/crm11070208020003-n1.htm

scopedog これはひどい

←騒いでる奴らが。「日本人拉致事件容疑者家族所属する政治団体から派生した団体」こういうのって普通「無関係」って表現しないか? 2011/07/02

はてサはただのアホだから、他のことと関連した思考ができないんだが、この件についても人気のブックマークコメントで、アホはてサクズコメントがトップになっているのは、はてなはいい加減に一般人から離れすぎているのを自覚しろよ。

で、はてサよ、そのアホな論理なら、「在特会から派生した団体に献金」していても、「何度読んでも兄弟友達のいとこのお母さんが芸能人と知り合いってレベルの話」「只の人」「こういうのって普通「無関係」って表現しないか?」と、もちろん言うよな?

北の拉致事件の甚大さは在特会なんか比較にならないが、その拉致事件の件でも擁護するなら、「在特会から派生した団体に献金」ということが起こっても、「そんなどうでもいいことを報道するなよカスゴミ」とか言わないと、全く一貫性がないが、言ってること分かる?分からない?だからはてサネット上のクズなんだよ。

はてサのロンリでいけば、「在特会から派生した団体に首相献金も何の問題もない」ということになるからへぇはてサってそう考えているんだ?そうなんだね。

2010-09-06

日本人家族観

国柄探訪: 日本人家族観

 先祖から子孫への連綿たる生命リレー

中間走者として自分がいる。

転送歓迎■ H20.07.13 ■ 38,373 Copies ■ 2,891,505 Views■

無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/

  • ■1.「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」■

 秋葉原での無差別殺傷事件で逮捕された青年の両親が自宅前で報道陣に取り囲まれ、会見をした。父親が「謝っても償いきれない」などと謝罪の言葉を述べている途中、母親は急にひざから崩れ落ち、頭をうなだれ土下座するような形でそのまま動けなくなった。

 両親に法的な責任はないが、こういう子どもを育てた道義的責任はある、というのが、日本人常識的な感覚であろう。

 かつて神戸中学生小学生を殺し、その首を校門の前に晒す、という異常な事件が起きた。これに関して、儒教研究家加地伸行大阪大学名誉教授は、こう書いている。

 ・・・もし私が加害者中学生の父であったならば、自裁(自殺)をする可能性がある。私は日本人であるから、親は親、子は子、別の独立した人格であるというような、欧米人流の個人主義的行動をとることはとてもできない。それに、自裁する前に、罪を犯した子を自らの手で処置する可能性さえある。[1,p6]

 殺人を犯した我が子を手にかけた後で自殺する親がいても、日本人感覚からは、同情こそすれ、「狂気の沙汰」とは見なさない。

 加地氏は、これを「親と子の血のつながりに対する運命的一体感」と呼び、「欧米個人主義の立場からは絶対に生まれない感覚意識」だとする。

 こんな所からも、日本人家族観が現代においても欧米とはまったく異なるという事が窺われるのである。

 日本欧米との家族観の違いは、我々の日常生活でも随所に姿を現す。

 たとえば、最近では日本でもキリスト教式の結婚式が広まってきているが、神の前で互いに相手を伴侶とする宣誓をするのは良いとしても、さらに契約書にサインまでするというのは、どうにも違和感がある。日本人普通感覚では、「契約」とは他人行儀のビジネス行為であって、それが家族の中で行われるというのは、どうしてもなじめない。

 欧米キリスト教的な家族観では、家族とは男女の個人間契約を基盤としている。そして神の前での契約こそが、神聖なものなのだ。

 また欧米の家庭では、子どもが生まれて大学生にでもなれば、もう親とは別の独立した「個人」となる。ある小説で親が成人した子どもに「これからは友人としてつきあっていこう」などと語るシーンが出てきて、こういうセリフ日本人では思いつかないな、と感じたことがある。

 当然、子どもの方にも、年老いた親の面倒を見なければならない、などという義務感は薄い。子や孫との家族的関係を持ち得ないアメリカの老人たちはいかにも淋しげである。

 実はヨーロッパにおいても、ギリシア時代やローマ時代など、キリスト教が栄える前は、人々は家毎に祖先の神霊を祀り、それが家族の基盤をなしていたのである。それは古代日本も同じであり、現代日本人家族観はその伝統を色濃く受け継いだものである。

  • ■3.先祖の霊は「草葉の陰」で子孫を見守っている■

 古代の多くの民族は、亡くなった祖先の霊は、子孫が祭祀してくれれば、いつでもこの世に戻って来られるものと信じた。日本語で言えば、「草葉の陰」で子孫を見守ってくれるのである。

 「死んだらどうなるのか」というのは、常に人間不安にする疑問であるが、死んでも自分の魂は存在を続け、子孫とともにある、というのは、生死の安心を与えてくれる信仰であった。

 また残された子孫にとっても、自分を愛し、育ててくれた祖父母や両親が、死後も見守ってくれる、というのは、その死の悲しみを和らげてくれる物語であった。

 先祖祭祀というのは、先祖キリスト教的な唯一絶対神として祀る、ということではなく、先祖の霊とともに生きている、という生活感覚なのである。それがわが国においては古神道となり、中国においては儒教に発展した。

 キリスト教では、死者の魂は最後の審判を受けて、魂は天国地獄に行く。仏教では、魂は輪廻転生を続け、解脱をしない限り、次は蛇や虫として生まれ変わる恐れがある。

 よくキリスト教仏教を「高等宗教」とし、先祖祭祀などは未開の宗教であるかのように言うが、死後の魂がどうなるか、ということについては、それぞれが違う「物語」を持つ、というだけのことであって、どちらが高等かなどと比較できるものではない。

 魂が輪廻転生を続け、解脱をすれば浄土に行ってしまう、とする古代インド仏教が、先祖祭祀を信ずる中国日本に入ってきた時、その死生観の違いが文化的衝突を引き起こした。

 インド人にとって見れば、魂は他の人間動物に生まれ変わるか、浄土に行ってしまうので、肉体はその乗り物に過ぎない。だから焼いて、その灰はインダス河にでも流してしまう。これが本当の火葬である。

 日本火葬というのは、遺体を焼却した後に骨を拾い、墓に収める。これは本来の意味火葬ではなく、土葬の変形なのである。古代中国では、人間精神を支配するものを「魂」と呼び、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んだ。人間死ねば、「魂」は天に上るが、「魄」は地下に行く。「魄」を地下で大切に守るのがお墓である。

 これと同様の感覚日本人も持っており、遺骨には死者の「魄」を感じる。戦後アジア太平洋の島々にまで戦死者の遺骨収集に行くのも、骨を故郷の地に埋めなければ、死者の魄を供養できないと考えるからだ。

 これについて興味深い話がある。昭和45(1970)年日航よど号ハイジャックして北朝鮮に逃亡したグループリーダー田宮高麿が平成7(1995)年に亡くなり、「祖国の地に骨を埋めたい」という気持ちから、田宮の遺骨は北朝鮮にいる妻子と日本家族とに分けられ、新潟県内の家族の墓に埋葬されることになったという。

 共産主義者は無神論者のはずだが、異国で死期が近づくと「祖国の地に骨を埋めたい」と願うのは、心の底には日本人死生観が根づいている証左である。

 輪廻転生を信ずるインド仏教中国に入ってきた時、遺体は焼いて川に流してしまう、という生死観は、先祖祭祀を信ずる中国人にはとうてい受け入れられるものではなかった。

 そこで中国における仏教は、魄を納める墓や、先祖の魂を呼び戻して依り憑かせるための位牌を取り入れた。

 わが国に中国から仏教が入ってきた時には、このように先祖祭祀を取り入れて換骨奪胎したものになっていたので、比較的抵抗は少なかった。

 それでも日本にも仏教輪廻転生をそのまま信ずる人はいた。鎌倉時代初期の親鸞である。親鸞阿弥陀仏衆生を救おうという本願にすがって、浄土に行けば輪廻転生の苦しみから脱却できると説いた。となれば葬儀も墓も先祖供養も不要になる。

 しかし、親鸞弟子たちはその教えに背いて、葬儀・墓・先祖供養を続けた。その後裔たる現代の浄土真宗本願寺派も、墓を作り、葬儀先祖供養を行っている。

 今日日本では、大方の人々が仏教に求めているのは、墓・葬儀先祖供養である。そもそもの輪廻転生からの解脱仏教に求める人々は例外的であろう。これほどに先祖祭祀は日本人の心の奥底に根付いているのである。

  • ■6.仏壇に向かう■

 仏壇も、墓や葬儀と同様、仏教本来のものではない。中国においては、一族の長の家に宗廟(そうびょう)という別の建物を建て、そこで先祖祭祀を行った。これが後に、祀堂(しどう)や祀壇(しだん)となり、それを仏教が取り入れた。

 日本では、これが部屋になって「仏間」となり、さらにはそこに置かれた仏壇が、一般の部屋に置かれるようになった。各家に仏壇を置くという習慣は、中国朝鮮にもない、日本独特のものであるそうだ。[1,p191]

 仏壇には、灯明と線香と位牌がおいてある。灯明は先祖の霊が降りてくる場所を間違えないよう、明るくするためのものである。線香に火をつけると、その香煙に乗って、霊が降りてきて、位牌に依りつく。

 そこで子孫たる我々は、降りてきてくださった祖霊に対して「ご先祖さま。おはようございます。今日も一日よろしくお願い申し上げます」などと挨拶をするのである。

 今日自分たち家族が生きていられるのも、亡くなったご先祖様のお陰であり、そのご先祖様の恩に応えて、自分家族のため、子孫のために今日も頑張ろうと、心を新たにする。これが先祖祭祀に基づく生き方だろう。

 核家族化が進んで、仏壇のない家も少なくない。しかし、仏壇のある祖父母の家に里帰りした時などは、幼い子どもとともに、仏壇に線香を上げると良い。幼い子どもは遊びのように喜んで仏壇に向かう。自分がここにあるのも、ご先祖様のお陰だということを教える何よりの機会である。

 もう一つ、インド仏教中国日本先祖祭祀と衝突した点は、出家を説いた点である。「出家」とは文字通り、家を出て、財産への執着や家族への愛着を振り切って、個人の解脱を求めることである。

 しかし息子に出家されたら、その家は断絶し、先祖の霊を祀る子孫がいなくなってしまう。個人的な解脱のために、先祖の霊をさまよわせ、子孫の未来を奪うのは、先祖祭祀の立場からは、とんでもない「不孝」と考えられたのである。

 そこで中国日本においては、「在家」すなわち家族の実生活の中で仏教を奉ずることが理想とされた。聖徳太子在家の長者・維摩が教えを説いた「維摩経」、および、同じく在家女性信者である勝鬘(しょうまん)夫人が仏道を説いた説いた「勝鬘経」をとりあげて注釈書を書かれた。

 前述の親鸞は、聖徳太子を「和国の教主」と仰いでおり、その在家主義を受け継いで、結婚し、子をもうけている。今日でも日本の多くの仏教僧は、結婚し、家庭生活を営んでいる。

 オウム真理教インド仏教を受け継いで、出家して修行を積めば、輪廻の苦しみを脱して解脱できると説いた。それを信じて家族を捨てて教団に入った子どもたちを、親が返せと叫ぶ。これも「出家」と「在家」の衝突の一例である。

 「在家」とは、家族の一員として生きていくことであるから、まことに不自由なものである。「出家」のように好きな所に行って、好きなだけ座禅を組む、などという気ままは許されない。

 しかし、その不自由な家族の中で、我々は生まれ、育てられて、大人としての生活を送る能力を身につけていく。まず家族の中に生まれて、育てて貰わなければ、大人として自由な生活を送る事も、そもそも不可能なのである。

 さらに成長の過程で自分を育ててくれた親への感謝や、その恩返しとして今度は自分子どもを立派な人間に育てる義務を学ぶ。このような事が人格の基盤を構成するわけで、感謝や義務の心のない人間は、自由を与えられても、自分利益しか考えない利己主義者になってしまう。

 西欧に発展した近代個人主義においては、ひたすらに個人の自由と権利の拡大を図ってきた。しかし、キリスト教社会においては、神に対する畏れがあり、それが野放図な利己主義に転化する抑止力となってきた。

 わが国においても西洋的な自由と権利の主張を鵜呑みにして、家族制度を「個人の自由を抑圧する封建的制度」などと罪悪視する思潮がある。

 しかし、わが国においては家族制度が、利己主義への抑止力となってきたのであり、それを破壊することは、利己心の抑制を持たない人間に野放図の自由を与えることになる。都会の雑踏で無差別殺人を行う青年とは、その極端な姿ではないのか。

  • ■9.「なぜ生命は大切なのか」■

 こうした事件を防ぐべく、子どもたちに単に「生命を大切にしよう」とだけ教えるのでは、「なぜか」が伝わらない。

 それがわが国の家族観に従えば、「生命を大切にしよう。生命とは何代ものご先祖様から君たちに伝えられ、そして君たちから何代もの子孫に受け継いでいくべきものなのだから」と教えることができるのである。

 先祖供養とか仏壇、お墓参りなどは、すでに形骸化した「葬式仏教」の遺産であると考えがちであるが、それらは我が先人たちが産み出してきた工夫なのである。そこには先祖から子孫へと連綿とした生命リレーの中で人間を捉える伝統的な家族観が生きている。

 その家族観の深い思想を知らずに、単に古くさいの一言で片付けながら、新しい家族観を産み出すこともできずに、社会的混乱を招いているのが、現代の日本人ではないだろうか。

 これではご先祖様も草場の陰で嘆いていよう。

(文責:伊勢雅臣)

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

  →アドレスクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 加地伸行家族の思想』★★、PHP新書、H10

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569603084/japanontheg01-22%22

2010-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20100829123447

元増田です。

まあ確かに希望的観測が混じっているのは確かだし、英語マンセー派みたいな奴らはそもそも主張以前に心性が嫌いなのでバイアスがかかっているのは否定しない。あの連中の、何でも「欧米だから正しい、日本だからダメ」という態度は日本で頑張っている人間馬鹿にしているし、何よりも「欧米」の中でも自分たちにとって都合のいい部分だけつまみ食いして「日本から出れば全て解決する」みたいなデマを煽る奴も信じる奴もとことん腐ってると思うからね。そんなにあんた達が言うほどみんな「グローバルエリート」になりたいなんて思ってないし、起業して金持ちになりたいなんて奴は最初から一握りだろうとか(ああいう連中の「起業」には町工場飲食店を開くことは絶対含まれてないよね)。ああいう連中って団塊世代に生まれてたらよど号に乗って北朝鮮亡命したり、そういう連中のシンパになってたりしてたんじゃないかって思うよ。

英語の国際共通語化に伴って、日本はハンデが大きくなっていく一方だけど、それを覆す方法はそもそも無いから、英語マンセーとか夢見ないでちゃんとハンデを織り込んで負け戦の損害を減らす方向で頑張りましょうね、論ですね。

まあ、負け戦を認めるならあなたの言うように撤退戦の戦略を考えることになるだろうね。いずれにしても、あなたの言うとおり「一旦崩壊したはずの大英帝国が再び世界を征服する」ということになるとしたら本当に憂鬱だね。そうなるくらいなら鎖国した方がよっぽどいいと思うしね(最近一般レベルでも知られるようになってきていているけれど、鎖国日本人の「ガラパゴス」性を決定づけた誤りというようなものなく、西欧帝国主義から身を護るためのやむを得ない戦略だったんだよね。実際、日本のみならず中韓なんかも同時期に鎖国しているわけで)。

2010-03-11

衆議院議員 安倍晋三 公式サイト

拉致実行犯の釈放署名 誠意なき菅副総理答弁

ttp://www.s-abe.or.jp/mailmagazine/1441

拉致実行犯の釈放署名 誠意なき菅副総理答弁

最終変更日時 2010年2月5日

昨日の参議院決算委員会に於ける質疑で、菅直人副総理北朝鮮拉致実行犯・シンガンスの釈放を求める書類に署名した事を謝罪しました。

大臣は謝罪する際、延々と言い訳に終始していた事は見苦しく、拉致被害者家族に対する誠実な気持ちは、微塵も感じられませんでした。

自分以外にも沢山の議員署名していたとの菅大臣の発言にはあきれました。

ほかに何人愚かな議員がいようが、菅さん、あなたの罪が軽くなるわけではありません。

あの委員会室に菅氏以外にもう一人、スパイの釈放を嘆願した議員がいました。

千葉景子法務大臣です。

釈放要求に署名した「愚か者」は多くの国会議員がいた委員会室に2人しかいません。

その2人が内閣の主要閣僚である事に、寒気を覚えます。

こんな内閣北朝鮮とまともな交渉が出来るわけがない。事実鳩山内閣政府拉致問題解決の基本方針三原則から「拉致容疑者の引き渡し要求」を落としてしまいました。

岸信夫議員の追及に中井担当大臣は狼狽え、「よど号犯の引き渡しと万景峰号入港禁止を取り引きしようとしていた事もあったじゃないか」とあらぬ事を口走りました。

私はまったく聞いた事がありません。

担当大臣の発言は重い。

でたらめであれば責任問題でしょう。

また仮に本当であれば、興奮して極秘である、政府の交渉事項を漏らした事になります。

中井大臣鳩山総理も逃げの答弁に終始しました。

なぜか。

北の外交術にはまり、何も得る事無く譲歩してしまったからです。

中井大臣の狼狽ぶりは、それを証明していました。

残念です。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん