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2020-10-11

一生懸命」と「一所懸命

子供ときから一生懸命勉強してきた、大人になってから毎日一生懸命働いている。例えばこういうような言い方をする。私も一度そう言ってみたいものだ。が、ここでの問題は、そういう努力や真面目さのことではなく、「一生懸命」ということばの形である

腰痛力士初日を出すと、スポーツ紙が「一『勝』懸命」などという苦しい見出しをかかげるぐらいだから、たいていの人はふだん「いっしょうけんめい」と発音しているだろう。たまに「いっしょけんめい」と聞こえてきたりしても、全然気にとめない。気がついても、あの人は急いでいるため発音が雑になったんだと思う程度だろう。相手外国人であれば、注意深い日本語教師は「イッショー」と長く延ばすように指導するかもしれない。相手日本人であっても、小学校などでは、「ちゃん発音しなさい」と注意する熱心な先生もありそうだ。

ここで終われば平和な日々がうち過ぎるのだが、なかには気になって「いっしょけんめい」というふうに短く言う俗な発音も認められているのかなあと、念のために国語辞典で引いてみる人もいるかもしれない。すると辞書には、「一所懸命」ということばが出ていて、「武士が賜った一ヶ所の領地を命をかけて守り、生活の頼りとしたこと」と説明してある。そこから一般に、物事を命懸けでやる意味に広がったらしい。びっくりして、それまで疑うこともなく信頼を寄せていた「いっしょうけんめい」のほうを引いてみると、あろうことか、「一所懸命の転」とある。形勢逆転だ。

今まで乱れだと思って軽蔑まなざしで見ていた「イッショケンメイ」がにわかに高貴に見え、これまで牙城を誇っていた「一生懸命」が反対になんだか色あせて見える。なんの引け目もなく天真爛漫に使っていた「一生懸命」という語が、とたんに使いにくくなる。向学心に燃え前後の見境がつかなくなった若人なら、まったくためらうことなく「一所懸命」に切り換えるだろう。

だが、いくら世間というものがわかってくると、手のひらを返すように切り換えることには抵抗をおぼえる。「イッショケンメイ」と発音しては相手に通じないのでは、と心配するからではない。また、別に古なじみの「一生懸命」に侍の義理を感じるわけでもないが、知ったばかりのことばを得々として弁じたてるのは、生半可な知識をひけらかすようで、どう見ても、成熟した大人のふるまいではないような気がするのだ。

そうかといって、「イッショウケンメイ」という発音で通すのも問題がある。そのほうが、世間からの疎外感を味わわなくてもすむ点では無難だが、国語先生のくせにこんなことばも知らないのか、と軽蔑されるかもしれないなどと、今までは思ってもみなかったことが不安になったりする。しかたがないから、「ほんとはイッショケンメイというんだそうですが」とよけいな挿入句を用いたり、意味ありげに二様発音で繰り返してみたり、やむなく単に「懸命」ですませたり、あるいはほかのことばに逃げてしまったりする。ともかく、そのことばを、以前のように無心では使えなくなっているのだ。なまじ知ってしまっていたために、余分な神経を使っているわけである。そんなとき、知らないうちが花なのよという、全然関係のない古い文句が浮かんできたりする。

私にとっては「独壇場」がまさにそれだった。辛口批評となればあの評論家のドクダンジョウだとか投げの打ち合いとなったらあの力士のドクダンジョウだとか、なんの疑いももたずに言ってきた。ところが「壇」でも「檀」でもなく、正しくは「擅」なのだという。「擅」という漢字は「ほしいまま」という意味で、しかも、「せん」と読むらしい。つまり、「独擅場」と書いて「ドクセンジョウ」と読むのが正しいというのである

しかに、これで一つ利口になった。が、そのときから新たな悩みも始まった、「イッショケンメイ」とはちがって、「ドクセンジョウ」のほうは意味が通じるかどうかさえあやしい。通じたとしても、なんというペダンティック言動かと思われるのが関の山だろう。「ほんとはドクセンジョウというんだそうですが」と前置きすると、今度は相手が、学問があるのはわかったから、そんな偉そうな顔をしないで、すっと言え、と言わんばかりの表情になる。そうかといって、辞書ちゃんと「独擅場の誤読から生じた語」とことわっている「独壇場」ということばを、今さら無邪気な顔で使いつづけるのも気がひける。結局、どちらのことばも平気な顔で言えなくなり、自分の話しことばから私はその語を失った。

同じ単語でも、読み方でそういう結果になることもある、「異国情緒」「情緒不安定」などの「情緒」ということばは、ふつう「じょうちょ」と読んでいるが、国語辞書を見ると、「ジョウチョはジョウショの慣用読み」と説明してある。つまり本来「じょうしょ」と読む語なのに、「じょうちょ」というくずれた読みが慣用として世間に広まった、という事情らしい。それまでなんのためらいもなく「じょうちょ」と発音していたこの語を、こだわりなく、すっと言えなくなってしまうのである。そうなると、そんなことを知らなかった昔がなつかしく思い出されるかもしれない。

外来語日本語読みにする際に清音と濁音の違いも、同じような問題をひきおこすことがある。「ニュース」で「クローズアップ」された情報を「スムース」に受け取っていたのに、原語の発音意識した日から、「ニューズ」で「クロースアップ」された情報を「スムーズ」に受け取れなくなるのは、その一例だろう。「スムース」などは比較的すんなりと「スムーズ」に席を譲ったように見えるが、「ニューズ」はまだそこまで進んでいない。そういう発音が聞こえてくると、思わず相手の顔をみたくなる。

まり、これらのことばは、その意味を伝えると同時に、その語を使う人の知識教養の程度をもあらわす。臆面もなく使うとか、照れて使わないとかいたことをとおして、その人の性格を伝える場合もあるから、油断ができない。

これまでは、ふつう気がつかないところに一部の人が気がつくために起こる問題点をあげてきた。その逆もある。人のうわさをしているらしい。ひとりが「あいつネーモーだからな」と言うと、相手が「うん、ほんとにネーモーだ」と簡単に応じて、それでおしまいになる。そんな話を聞いた。おたがいに通じ合っているのだから、なにも今さら話を蒸し返すことはないが、これはおそらく「獰猛」のことだろう。たまたま二人とも「どうもう」と読まずに、「ねいもう」と読むものと思い込んでいたために、運よくツーカーと通じたものにちがいない。

しかし、そうそういつもうまく行くとはかぎらない。聞き手が「どうもう」と読むという知識をもっていることのほうが多いはずだからふつうは「えっ、ネーモー?」と聞き返すことになる。聞き返すのが失礼だと思えば、「ん?ああ」などと曖昧な返事でごまかすかもしれない。が、もし通じた場合はどういう性格コミュニケーションになるのだろう。

獰猛」を「寧」の旁につられて「ねい」と覚えているんだな、と聞き手が頭をまわせば、意味はわかっているわけだから、伝達は成立する。だが、「獰猛」を正しく読めないという話し手についての情報も同時に伝わる。魚の「生け造り」を「生き造り」というのも、程度の差こそあれ、似たような印象を与える。

『影を慕いて』というはるかな昔の歌に「月にやるせぬわが思い」ろいう文句がある。「やるせぬ」という言い方は許せぬなどと息巻く人もいる。「やるせない」という形容詞が「やるせぬ」となるのなら、「はかない」が「はかぬ」となり、「しがない」が「しがぬ」となるはずだから、たしかに、そんな日本語はないと言っていい。リズム関係でそうなったのだろう。が、そういう形が思いつくのは、「やらない」が「やらぬ」となり、「しない」が「せぬ」となる現象があるからにちがいない。つまり形容詞の語尾の「ない」を助動詞混同した結果なのだろう。

同種の例に「あの人みたく」といった「みたく」がある。これは直接には、「みたい」の「たい」を「見たい」の「たい」という助動詞混同したものかもしれないが、「うれしい」「大きい」というふうに、日本語では形容詞終止形はすべて「い」で終わる、ということも心理的背景として働いたような気がする。逆じゃ必ずしも真ではないのだが、「い」で終わると、なんだか形容詞のような気がして、「うれしく」や「大きく」に倣って、「見た様だ」から転じた「みたいだ」という助動詞の「みたい」の場合も、つい「みたく」という連用形を作りたくなるのだろう。

いずれにしろ誤用によって生じた語形なので、ことばにうるさい聞き手は、相手教養を疑うかもしれない。しかし、この種の語感は地域や年齢、それに、もちろん時代によっても違う。「着替え」という名詞は「着がえ」でもいいが、動詞の「着替える」のほうは従来どおり「着かえる」と発音すべきだと、今でも主張する人がいる。靴を履きかえることを「履きがえる」とは言わないから、なるほど、そういう理屈になる。しかし、耳で聞くと蛙の種類とまちがえそうなこの「キガエル」に抵抗を感じる人は今やごく少数だろう。このぐらい定着してしまえば、もうほとんど特別の語感は働かない。

また、最近は、「ゆ」「らゆ」「る」「らつ」という長い伝統を引き継いできた「れる」「られる」の関係にも深い亀裂が入った。「やれる」「乗れる」「張れる」といった可能動詞連想も働いてのことだろうが、助動詞の「られる」との伝統的な使い分けを無視して無差別に「れる」をつけ、「見れる」「寝れる」「入れる」などと新しい臨時可能動詞を作る、いわゆるラ抜きことばの嵐が吹き荒れ、ほとんど修復不可能と思えるまでに日本本土を席捲している。ある若い中国人学者の話では、日本留学したてのころ、某女子大で「眠くて朝なかなか起きられない」と流暢な日本語で話したところ、大学院友達が「られる」は尊敬意味で、可能は「れる」だと親切に教えてくれたそうだ。こうなると、せめて「見れる」は「見られる」のくだけた口頭語形とでも制限して、正式に認めてしまったほうが、かえって勢いをいくらか食い止める力になるかもしれない。

しかし、いずれにせよ津々浦々の老若男女に心底その形が容認されるまで、頑固一徹日本語担い手たちが「アナウンサーよ、お前もか」と眉をひそめるような語感が、そういうことば保守派にとっては」、またしばらくはついてまわることだろう。

ことばの形は崩れたわけではないが、「気がおける」と「気がおけない」という慣用句用法が乱れかかっていることが、ひところ話題になった。例えば、「校長先生は気がおけないので肩がこる」「親友は気がおけるらしい」といった使い方が若い人たちの間に広がりつつある、というのである最近校長が人なつっこくなって、生徒とばか話をしながら遊びまわるとか、今どきの親友は油断がならないから、わきにいると緊張しどおしだとかいうような、時代の変化が起こっているのかもしれないが、それは別の話だ。事態の変化に応じた表現でないとすれば、ことばの使い方が本来用法とむしろ逆になる例があらわれたことになる。

「情けは人のためならず」ということわざの「人」を「他人」ではなく「その当人」の意にとって、全体の意味を、他の人に親切にしておくと、めぐりめぐって自分自身にいいことがやってくる、という本来意味ではなく、へたに情けをかけたりすると、かえってその人のためにはならない、という意味で使う人が増えてきたともいう。

このようなずれた用法のことばは、たとえ通じたとしても、相手も同じようにずれて理解していないかぎり、無教養に類した印象を同時に伝えてしまうだろう。

2020-08-15

ITアレドスが放出されると何が怒るのだね?

NOTってホームページ誤作動して全世界震撼してるようですね。

私も職場ではエクセルマスターとして名を馳せている手前、こういったセキュレテー関連のニューズについてインセンティブを求めていきたいのですね。

手前味噌ですが、私も昔はパソコン通信を齧ってはいたのですが、昨今のテクノロジー爆発にはついていけずお恥ずかしい限りです。

さて、何がどう問題なのか教えてくださっていいんですよ?

知識欲をご自慢したくたまらないでしょう?

分かりますよ。

私も同類ですから

さあ、存分にアドバイス罪行使してください。

通報はいしませんので

2020-07-15

anond:20200715082512

お節介かもだがコロナ感染者と死者は低所得者に多い現実を知っといた方がいいぞ

  

  

BBC報道番組ニューズナイト」の司会者エミリーメイトリスは8日夜、

新型コロナウイルスは「金持ち貧乏人も誰でも平等に扱う」などという言い分や、

不屈の胆力があれば克服できるという政府関係者発言に、「そんなことはない」と反論した。

実際には、低所得者ほど感染する危険が高く、これは公衆衛生問題であると同時に、

社会福祉問題なのだメイトリス記者は主張した。

https://www.bbc.com/japanese/video-52253007

2020-03-05

死滅の刀知らない日本人とか本当にいるのかよwwww

MKKでもニューズになってるぐらいぞだ?

2020-02-27

コメントを見たい

見たいわけではないけど、見ないと落ち着かない。

からスマニューとかニューズピックスとかは消化不良な気持ちになる。

テレビニュースを見ても、はてブコメントではどう言われてるんだろう、わたし感想批判されるのかな、って確かめからじゃないと怖くて話題に出せない。

2020-01-15

なぜ大学教員教育者かつ研究者でなければならないか

研究をしていない大学教員教育者としてキツい.日本では概ね,科研費を始めとする競争研究資金を長年本気で取りに行こうとしていない人が非研究者かなとは思うけど,ここでは「論文や専門書を読んでないので,専門分野のトレンドを知らない」人を非研究者とする.もちろん近年,特に私学では校務の負担がどんどん上がっているので自分研究時間ほとんどない.査読付き論文の本数で世界と殴り合うぞっていう研究出身教員研究時間の作り方を知ってるけど,そうでない場合博士号持ってようとそもそも研究って何すんだっけ状態な人も結構いるというのが実態

今は教育機関として大学がどのような役割を果たすべきかということに結構焦点があり,シラバス厳格化ルーブリック作成といった様々な取り組みが行われている.それで,授業に完結した「学習」ではなく能動的な授業外の学びを含めた「学修」を行わせるために,授業を通じてどのような学びができるかということを強調するようにさせているところも多い.シラバス厳格化に含まれる,到達目標明確化評価の際に重要になるわけだけど,その授業を通じて自分がこうなれる,と想像させるという点も重要だと思っている.あまりきじゃないけど,「この授業が何の役に立つんですか?」とか言う人増えたしね.

本題だけど,非研究者は新しい知識がないから,教科書通りのことしか話せない.あるいは,かつての栄光の超古い自分の取り組みとかを語りだす.前者については正直授業である必要性がないし,後者ネットニューズパソコン通信いかに楽しかたかを語り出すおじいちゃんみたいな感じ.2000年って20年前で,今の大学生は生まれてないか乳児くらいなんですよね.そんな昔のことの話は,「この授業が何の役に立つんですか?」という疑問とは全然結びつかない.もちろん,最新の動向「も」知っていれば,点ではなく未来に向けた流れを重厚に語れることになるけど,昔のことしか知らなければ昔話にしかならない.

結局のところ,大卒という就職必要資格を得るために大学に進学してきた学生に,大学生のうちにサークルバイト以外に勉強も頑張るべき,というのを実感させるために一番必要なことは「この授業が何の役に立つんですか?」という素朴な質問にきっちり答える力を大学教員が身につけることだと思うんですよ.そのためには研究者になって,その分野の最新の知見を学生の身近な話題と紐付けて,学修に対する関心を抱かせるのが絶対必要不可欠だと最近は考えてます.たま~に他の先生の授業聞いたりしてるけど,こりゃ寝るわって感じの授業が多い.

まあ,根底にあるのは雑務が多すぎて研究時間が取れないということなので,共通テスト記述問題採点とかのどうでもいい仕事は増やすべきでないし,職員や私書ガンガン雇って事務作業を減らすべきなんだけどね.前者はただの思いつきに振り回されてるだけだけど,後者は金で解決できる.ただ大学は金が無いし交付金もどんどん減ってる.世知辛い

2019-08-24

自国大統領選フェイニューズを流して世論操作を行った人たちによる検閲

諸手を上げて賞賛しているのがわからん

2019-02-14

anond:20190214163606

数学における最大の謎: 望月新一と不可解な証明

日本人数学者が彼の分野で最も重要問題のうちの一つを解いたと主張している。困ったことに、彼が正しいのかどうか殆ど誰も分からないことだ。

2015年10月8日 Davide Castelvecchi

2012年8月30日の或る時、望月新一は静かに彼のウエブサイトに4つの論文ポストした。

論文は膨大(総計して500ページを超える)で密に記号が詰められており、10年以上の孤独研究絶頂だった。それらの論文はまた学界の突発的事件となる可能性を持っていた。論文の中で望月abc予想を解いたと主張した。abc予想は数論において他の誰も解決に近づかなかった27年目の問題だった。彼の証明が正しければ、今世紀で数学の最も驚異な業績となるであろうし、整数を持つ方程式研究を完全に変革するであろう。

しかし、望月自身証明について騒ぎ立てなかった。その有名な数学者は日本京都大学数理解析研究所(RIMS)で研究従事しているが、自身研究世界のどの仲間にも知らせなかった。彼はただ論文ポストして、世界が見つけるのを待っているのに過ぎなかった。

おそらく論文群を最初に注目したのはRIMSで望月の同僚である玉川安騎男だった。他の研究者達と同様に彼は望月が何年間その予想について研究していて、とうとう研究を終えたことを知った。同じ日に玉川は彼の共同研究者の一人である英国ノッティンガム大学の数論学者イヴァン・フェセンコにそのニューズ電子メールで送った。フェセンコはすぐに論文群をダウンロードし読み始めた。しかし、彼はすぐに"当惑した。それらを理解することは不可能だった"と言う。

フェセンコは数論幾何学という望月の分野の何人かのトップエキスパート電子メールした。証明の知らせは急速に拡がった。数日内に、熱のこもったおしゃべりが数学ブログオンラインフォーラムで始まった(Nature http://doi.org/725; 2012を見よ)。だが、多くの研究者達にとって証明に関する早期の意気揚々が急速に懐疑へと変わった。すべての人々(専門分野が望月のものと最も近い人々さえも)はフェセンコと全く同じように論文群に面食らった。証明を仕上げるため望月は彼の分野でも新しい分科をこしらえたが、純粋数学の水準においてさえも驚くほど抽象的なものである。"それを見れば、未来からの、または宇宙から論文を読んでいるのかも知れぬとちょっと思える"とウィスコンシン大学マディソン校の数論学者ジョーダンエレンバーグは論文出現の数日後にブログで書いた。

3年間ずっと望月証明数学的に未決定のままである。つまり、広くコミュニティによる誤りの指摘も無く、そして認められてもいない。望月は彼の研究理解出来るために数学大学院生が約10年かかるだろうと見積り、フェセンコは数論幾何学エキスパートですら約500時間かかるだろうと考えている。今のところ、証明全体を読めたと言っている数学者は4人しかいない。

これすき。

2018-03-31

anond:20180331001126

根拠がないも何も電波利用を成長戦略にってのはずっと言ってるでしょ

民主党政権時代も同じようなこと言ってたし

ニュース女子の三人って長谷川さんとかでしょ?

やりたい政権側が集めるんだからそりゃ政権寄りというかこの法案に賛成な人が集まるんじゃないの?

そもそも放送内容が自由になるんだからニューズ女子がどうのとか関係ある?

好きにできるんやで?

テレビ局ならともかく一般人がなんでそんなに嫌がるのか分からん

今でもネットでいろいろコンテンツ垂れ流されてるじゃん

2010-08-01

http://anond.hatelabo.jp/20100801153206

著作権ついて整理。

(1)利用許諾契約書、利用許諾ガイドラインがあるもの

 ⇒記載内容で許されている条件内で使用可

  クレジット要否、商用利用可否、改変可否etc

(2)利用許諾契約書、利用許諾ガイドラインがないもの

 ⇒版元に許可を得るor慣例にしたがう。

 例a)同人二次創作

  ほとんどの権利者は「黙認」、つまり同人者はお目こぼしを貰っている形。

  例外-i:ヘタリアボカロ二次創作OK宣言している

  例外-ii:ディズニーは厳しいのでアウト

 例b)トレス

  絵トレスNG

  写真トレスNG

   ・スラダントレスいっぱい。連載当時はトレスが世間に認識していないかった。

    この当時、写真トレスは容認されていた(?)

    連載終了後トレス発覚。かなり非難された?(すいません当時このニューズ知りませんでした)

2009-02-23

英国の老舗名門紙「インデペンデント」が迎えた経営危機 

英国の老舗名門紙「インデペンデント」が迎えた経営危機 

 マードックも買収を断念、ネットの脅威がペーパー・メディアを襲う

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 英国新聞界の名門「インデペンデント」紙は、1904年ダブリンで産声をあげた。

 ウィリアムマーチン・マーフィが創刊し、半世紀ほどはアイルランド最大の新聞として育った。

 1960年代に多角化経営を始め、1973年にアンソニーオライリー筆頭株主編集並びに経営権を掌握し、さらなる多角化経営を実践、オーストラリアニュージーランド南アインドへと進出を果たし、出版事業、通信、広告ネット部門にも拡大してゆく。

 経営母体は「インデペンデント・ニュースメディア」(通称INM)。

 2001年にオライリーには女王陛下からナイト爵位)が贈与され「サー・アンソニーオライリー」と呼ばれる。

 現在オライリーは73歳、嘗てはラグビー選手国民アイドル、同時に彼は名門窯業企業ウォーターフォルド・ウェッジウッド会長でもある。「ウェッジウッド」というブランドドイツマイセンハンガリーのヘレンド、日本で言えば九谷か、伊万里有田薩摩にならぶ高級品である。

 サー・アンソニーオライリーは1979年から98年迄「ハインツ」の会長も務め、米国でも有名経営者として知られた。当時の年収は7500万ドル推定。

 2001年から07年までにINMは売り上げを75%伸ばし、インドインドネシアへも進出した。

 2008年、インデペンデント紙はロンドンで14%の購読者減に直面した。

 ちなみに全米七大新聞は、同期にどれほどの部数減に見舞われていたか?

 

 媒体名             部数減少       ネットビジターの増加率

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USAトディ          かわらず        15%増

ウォールストリートジャーナル  々           34

ニューヨークタイムズ      ▲3・6%        6

ロスアンジェルスタイムズ    ▲5・2%       73

ディリーニューズ        ▲7・2        99

ニューヨークポスト       ▲6・3%       60%増加

ワシントンポスト        ▲1・9        12

 ネットへのビジターが増えても購読料は無料、ほぼ全額を広告で補うのがネットへのニュース配信である。たしかにビジターは増えている。しかし広告収入は増えず、一方で紙媒体の読者は激減し、広告収入は劇的に下がる。

アジアでは新聞購読者が増加

 新聞界の広告収入は紙媒体マイナス19・3%、ネットも落ち込んでおり、マイナス3%(おそらくこれは金融不況銀行証券広告が激減したためと見られる。数字はいずれもTIME、2009年3月2日号より)。

 借入金が14億ユーロ(邦貨換算1700億円弱)。ロンドン金融界もウォール街より深刻な資金難に陥っており、救援には動けない、INMは、まず世界新聞王マードックに持ち株を打診するが断わられた。

 世界を見渡すと、しかしながら紙媒体新聞が昇竜のように伸びているアジアの国々がある。

ダントツ新聞興隆はインドだ。

インドで64998もの新聞流通しており、インドネシアでも800の新聞がある。いずれも中間層が急激に増加したからで、中国でも識字率の向上と収入の上昇により、新聞検閲があっても部数が伸びている。

アジアでは世界最大発行部数をほこる読売新聞朝日新聞があるが、部数は減少していることは周知事実。さて明日の新聞、どうなる?

2009-02-11

米国マスコミを成功に導いたビジネスモデル地殻変動的に破綻

  “名門”のNYタイムズとて、新聞媒体として生き残れるのか

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 NYタイムズ経営計画の見直しを真剣に迫られている。

 果たして生き残る道はあるのか、と。

 同社はジャネットロビンソン社長サルバーガー家が筆頭株主で、ボストングローブとインタナショナル・ヘラルド・トリビューンなど高級紙を抱える。

 購読層が比較的裕福で、かつ知識階層であるため07年までは広告収入がよかった。インターネットとU―TUBE全盛を迎えるまでは。

2007年、NYタイムズは新社ビルをNYのミッドタウンに建て、周囲を睥睨した。工事費は6億ドルだった。

98年から2004年にかけては自社株買い。高度成長と広告費ののびを背景に自信満々おこなわれ、27億ドルを投じた。

これが完全に裏目に出た。

2003年にはワシントンポストと共同経営だったインタナショナルヘラルドトリビューンを完全に子会社化するため6500万ドルを投資した。ヘラルドトリビューン依然として赤字である。

この結果、同社は赤字体質が恒常的となる。

09年末に9900万ドル、2010年に2億5000万ドルの長期債務の期限が来る。

短期借入金は、この他に3億8000万ドル。このため新築ビルを売却し、社員を減らし、あいたスペースを賃貸にし、そのうえでメキシコ大富豪カルロス・スリム・ヘルから2億5000万ドルを年利10%の高利で借りてしのぐ。カルロスはすでに同社の6・4%の大株主でもある。

また所有球団ボストンレッド・ソックス」の売却も視野に入れている。

多角経営は負担になってきた時代の変化

米国に限らずマスコミネット時代になって、活字媒体ならびに地上テレビ局は極端に広告が落ち込み、どの企業社員削減、経営効率化、不採算部門閉鎖、ネット部門強化などを打ち出したが、時間的に対策は遅かったのかも知れない。

NYタイムズは、08年売り上げが14・2%のダウン、07-08年で19・5%の減収を記録した。

NYタイムズ社の陣容は1300名の社員と2億ドルの予算米国有数である。しかし近未来の明確な経営ビジョンを描けないのだ。

日本の大手マスコミが参考にしてきた「マスコミ産業」というビジネスモデル地殻変動的に破綻を迎えた。

ネット配信による広告収入はたしかに増大しているが、NYタイムズ全体の、まだ12%をしめるに過ぎず、かといって一旦無料にしたネット配信のニュースをふたたび優良に戻ることは無理がある。

 

 保守の名門・老舗ウォールストリートジャーナルとて、ニューズコープ社のマードックに買収(07年に56億ドル)されて以来、紙面をタブロイド版にし、経済ニュースばかりか社会ニュースを激増させた。

そのうえで、ネット配信ニュース無料とした。理由はネット広告料が増えれば、全体的なメリットがあると計算したからだった。

このような環境変化によりニューズコープは08年第四四半期に64億ドルの赤字に転落した。系列のフォックステレビさえ広告収入が劇的に落ち込んだ。

▲「USAトディ」のガネット社も大変だぁ

新聞大手グループのガネット社は五日間の無給休暇を導入した。

同社は最大手「USAトゥデー」など85の新聞を発行し、23局のテレビ経営、総従業員はおよそ三万人強。全米マスコミ最大である。

無給休暇を2009年1―3月期中の取得を義務付けると同時に、もし休暇取得を拒否した場合にはレイオフ(一時解雇)の対象になる措置をとった。

すでにガネット社は08年12月に傘下の新聞社で約10%の人員削減を決めた。広告収入の大幅な減少が原因である。

にもかかわらず売り上げ減退に歯止めがかからないため、コスト削減を一段と進める。

 一方、会社更生法を申請したトリビューンは、主力の「シカゴ・トリビューン」をタブロイド紙面として、再建を目指す。ただしタブロイド版は、駅売りに限り、宅配サイズは従来通りの方針という。

オバマ大統領地元ミシガン州。その地元大手マスコミ、「デトロイトフリープレス」と「デトロイトニュース」は毎週月曜日から水曜日の配達を中止し、インターネットで配信する方針を固めた。

 両紙は広告が集中する木・金曜ならびに日曜版に配達を限定し、ネット版は無料で閲覧という措置をとった。

デトロイトプレスは発行部数30万部を誇り、全米で20位の有力紙だがビッグスリー(GM、フォードクライスラー)の販売不振など、地元自動車産業からの広告が激減。

かくして米国マスコミ産業は急速に業界の淘汰・再編が進んでいる。

 シカゴ・トリビューンは08年に不動産王のサミュエル・ゼルが買収し、創業家経営支配から脱却、従業員による持ち株方式に切り替えていた。経営の効率化を急ぐゼル会長本社ビルの売却も表明していた。

 ▲雑誌媒体も変身の最中

 雑誌広告収入により成立し、購読料は付け足しである。

 TIMEとならぶ全米週刊誌の雄は、NEWSWEEK(親会社ワシントンポスト)だ。

 ところがNEWSWEEKも、07年末に310万部発行部数と豪語してきたが、09年2月現在、なんと260万部に激減し、09年には190万部、2010年には150万部に落ち込むと予測される。

 定期購読者が120万人、これが同誌の鉄票。駅の売店では4ドル95セントだが、定期購読にすると一部たったの47セント

 NEWSWEEKは、編集方針を変更する意図はないがサイズを変更し、写真頁を増やすという路線変更を考慮中と言われる。読者対象を特化し、豪華な広告を増やしていく方針も漏れてくるが、そんな対応だけで、このマスコミの危機を乗り越えるのは難しいのではないか。

2008-03-25

実名文化(≠主義)

トラックバックがずれてますか?

かな?

というか10年前は日本インターネット空間も実名文化だったんですがね…。

やっぱり転機は2ch出来てからなのかなぁ。

http://anond.hatelabo.jp/20080325091026

10年前、1998はもう微妙かな。転換期の中心は95-96あたりで、余波あその前後2年くらいの気がする。しかし、どっちにしても以前のインターネット実名文化だったのは本当。

1つ前増田ニュースグループの話してるの?

あれはあれで特殊な世界だったと思うけど。会社名まで公開してたし、単なる実名主義とも違うんじゃ。

http://anond.hatelabo.jp/20080325101130

ニューズグループを特殊な世界といわれても。いや、確かに特殊だけど、それはインターネットが特殊だったから。インターネットといえばメールメーリングリストニューズクループFTP、そして古きarchieとGopherに代わる新興のWWWで、だからWWWも色々特殊だったんだけど。

で、なんで実名文化(主義じゃないのがミソ)なのかといえば、

もともとインターネットって企業とか学校とかお役所とかが

ネットワークめぐらせていたから、名を名乗ったり所属を言ったり

するのに困るようなことはあまりなかった。むしろ推奨されていた。

http://anond.hatelabo.jp/20080325101130

という背景があって、推奨というより、まだ規模が知れていたから情報を発信すれば所属なんてばればれで、マシンの数や使える人も限られていたから身内なら誰がってのもすぐわかる状態だし、何より、同じ業界の人々なので面が割れてる。

そんな環境では名乗らない方が失礼でしょう。電話で名乗らないみたいな。

それが崩れたのはパソコン通信ゲートウェイサービスが始まったからなのか、個人向けISPが出来たからなのか。とにかく、家庭からつなげる個人が増えて、田舎集落が都会になった。で、今は都会にサークルが出来てると。

 
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