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はてなキーワード: チェコ語とは

2024-01-14

anond:20240108080849

ブルガリア語のтрикоの意味ちょっと調べてみた。

まず、響き(「トリコー」と読む)からして明らかに外来語なので、こういうときwiktionaryを引くのだ。

Borrowed from French tricot.

Noun

трико́ • (trikó) n

1. tricot (soft knitted fabric)

https://en.wiktionary.org/wiki/%D1%82%D1%80%D0%B8%D0%BA%D0%BE

もともとはフランス語から来た言葉で、「柔らかいニット生地」というのがтрикоの意味だ。念のために、英語フランス語tricot意味も調べてみよう。

https://en.wiktionary.org/wiki/tricot

どの言語でも「ニット生地」の意味だということがわかる(「tricot」で検索するとニット生地画像ばっかりヒットする)。

これだけだと「レオタード」という意味は出てこないが、単にwiktionaryに載ってないだけでそういう語義があるのかもしれないので、勃勃辞典も引く。

1. Плетен вълнен или памучен плат.

2. Дреха от такъв плат, обикн. спортен костюм за гимнастика. Гимнастичките се представят с черни трика.

https://rechnik.chitanka.info/w/%D1%82%D1%80%D0%B8%D0%BA%D0%BE

ニット生地からできた衣類も含み、体操用の衣装も含むらしい。

問題は、「体操用の衣装」が「レオタード」と同義かどうかだ。「спортен костюм за гимнастика」と書かれても読めないかもしれないが、「sporten kostyum za gimnastika」と翻字すれば何となくわかるだろう。「体操のためのスポーツ衣装」と書いてある。これ、「体操着」「体操服」って意味なんじゃないか? だって、原義は「ニット生地」って意味だろ? そこから派生してるんだから広く「体操着」全般を指すんじゃねえの?

ただ、「Гимнастичките се представят с черни трика(体操選手たちは黒いトリコーを着て演技する)」という例文があるから、「体操着」から派生して「レオタード」って意味もあるのかもしれないけど、やっぱり本来意味は「体操着」だと思うんだよな。だって語源が「ニット生地」だろ? 「ニット生地」→「ニットの衣類」→「体操服」→「レオタード」って語義変化を考えるのが自然じゃないか

したがって、「Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.」というのは、「黒/青の体操服に白いTシャツ女の子たち」という意味だ(Девойкитеが「女の子たち」の定冠詞形、сはwith、черноは「黒い」の中性形、илиは「もしくは」、синьоは「青い」の中性形、трикоは中性名詞トリコー」、иが「and」で、бялаは「白い」の女性形、тенискаが女性名詞「Tシャツ」)。

ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉表現される水着翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツ意味する。「бански」だけでも水着意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。

ロシア語のтрикоには複数意味がある。これもwiktionaryを引こう(URLは上に同じ)。

  1. tricotトリコー)
  2. tights, leotard(タイツレオタード
  3. jogging bottoms, sweatpants(ジョギングボトム、スウェットパンツ

「трико」で検索すると体操レオタード写真がいっぱい出てくるので、ロシア語では「レオタード」っていう意味がメインなんだろうか。ただし、「ジョギングボトム、スウェットパンツ」っていう語義を見ると、やっぱり「ニット生地の服」→「体操服」→「レオタード」っていう意味の変化を遂げている語なんじゃないかなぁ……。

で、ロシア語水着は「трико」じゃないぞ。купальник(クパーリニク)あるいはкупальный костюм(クパーリヌィ・コスチューム)だ(купаниеが「入浴」とか「治療のための水泳」とかそういう意味)。Wikipedia日本語版水着からロシア語版に飛べばすぐわかる。ブルガリア語でбански костюмなのは元増田の書いた通りだけど、ローマ字だとbanski kostyum(バンスキ・コスチューム)になる(お察しの通り、баня「風呂」に由来する形容詞がбански)。костюмは衣装全般だけど、「コスチューム」って書けば意味はわかるよね。まあ原義通りに訳せば「入浴着」か。

ついでにだな、ポーランド語のSokółは「ソクウ」と読む。「ソコウ」じゃないぞ。元ネタになったチェコの「ソコル」については、日本語研究書が出てるので気になるなら読んでみるといい(https://www.hup.gr.jp/items/65002123)。チェコ語で「trenýrek(トレニーレク)」がショートパンツって意味らしいので、「Jednotný cvičební úbor(イェドノストニー・ツヴィチェブニー・ウーボル、直訳すると「ユニフォームの体育用の服」、つまり学校指定体操服)」というひとまとまり検索語で調べるよりも、ひょっとすると「トレニーレク」とか、「イェドノストニー(「ユニフォーム」つまり単一形態の」の意、服装文脈で使われるなら「指定の」)」を抜かした「ツヴィチェブニー・ウーボル」で調べた方が良いかもしれない。

2024-01-11

チェコサマーキャンプドイツブルマ再び、バルト三国ブルマ

チェコアメリカサマーキャンプ

先日のことだ。

Deviantartこちらの記事を読み返していた。二列目の写真に、チェコ女の子ブルマー姿の写真がある。

また、ヤフー知恵袋の次のページも見返していた。

ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11230851566

どちらも、緑豊かな中で、女の子ブルマ姿になっている。

そこで思い至った。これはサマーキャンプなのではないか

欧米では子どもが親元を離れて何日か自然の中で過ごすサマーキャンプが盛んだ。では、そこでもブルマー姿だったのではないか。そこで、チェコ語で「Letní tábor. dívka. vintage fotografie」と検索した。「サマーキャンプ女の子ヴィンテージ写真」という意味だ。

すると、上の写真とは違って白黒写真なので色はわからないが、実際にブルマー姿で過ごす女の子が見つかった。

https://rohozna.net/akce/1983/letni-pionyrsky-tabor-zalesak/

https://zelenabara.cz/na-nocni-bojovky-se-nezapomina/

二番目のリンクでは、どうも男の子ブルマーはいているらしい。

個人的に興味深かったのは、以前書いたアメリカでのサマーキャンプとの関連だ。

20世紀米国の提灯ブルマーとロンパースーツについて

公共の場では女性スカートで過ごすべしという規範から自由だったのが、アメリカではサマーキャンプだったのだ。だからそこで彼女たちは体操服で過ごしていた。

なお、ポーランドについても調べてみたが、特にヒットしなかった。

ドイツブルマーについて

今までグーグルツイッター検索ブルマーについて調べていたのだが、そういえばFacebookはどうだろうと思って検索してみた。すると「gym knickers」「navy knickers」「basketball scungies」のキーワードで「60年代あるある」「昔の学校」みたいなアカウントがヒットした。実は今までフェイスブック検索アカウントを探す機能しかないと思い込んでいた。それぞれの記事検索できるのね。

そこで自分は、今までグーグルでは見つけられなかったドイツブルマー「Turnslips」を検索してみた。すると次の画像がヒットした。

ttps://scontent-nrt1-2.xx.fbcdn.net/v/t31.18172-8/13662363_1141951349213276_7500798634715242075_o.jpg?_nc_cat=110&ccb=1-7&_nc_sid=9da984&_nc_ohc=jmFgDFiNFfQAX_KJ31x&_nc_oc=AQn6SurxKJjLpIYzl0MgNdO7jgOmONz98MfbxkeqgJkz2mwIyCMrZe2f2EUuaMCYdS0G0gob9A6s_p2zFtMkC90W&_nc_ht=scontent-nrt1-2.xx&oh=00_AfBOSUR3LqK8Q3kTGK7UmaFsFuNOxa1RrId-KlfcIQSwLA&oe=65C63680

リンク切れ https://www.facebook.com/photo/?fbid=1141951349213276&set=o.299357643521861&locale=ja_JP

こちらは当時のドイツカタログだ。図のように、Knabつまり少年用のところに、ショーツ型のブルマーが描かれている。自動翻訳すると次のような個所がある。

当時私たちスポーツのためにドレスアップしたものです。 10歳までは男の子女の子トレーナーと半ズボンがあり、その後スウェットではなく男の子トレーナーを手に入れました。

これは、自分が以前投稿した次の証言と一致する。

女性女の子男の子場合(ただし、男の子場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。

このように、ドイツでは男の子10歳まではブルマーはいていたのだ。

「turnsilp」で検索すると、実際にブルマーはいている写真もヒットする。

https://www.facebook.com/groups/wisstihrnoch/permalink/2153063888287153/

上下黒なので、今までレオタードだと思っていたのも、こういうセパレートタイプだったのかもしれない。それにしても、数年越しに画像が見つかって謎が解けるとすっきりする。

ところで、これはドイツだけのことではない。日本の一部地域でも少年ブルマーはいていた時期もある。

ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/907768.html

他にはハンドボールブルマー姿がある。

ttp://www.tsv-radeburg-handball.de/verein/geschichte.html

バルト三国ブルマーについて

バルト三国は当時はソ連支配下だったため、どのみちロシアと同じようにブルマー採用されていたのだろうと思っていた。しかし、証拠がないので念のため検索してみた。

キーワードを思いつくままに検索したので、系統的ではない。

エストニア

「kehalise kasvatuse tund. tüdruk. 1970」つまり「体育の授業 女の子 1970」で検索

https://www.facebook.com/groups/916933231650615/posts/2272210679456190/

ラトビア

スポーツ」もキーワードとして使用した。

バスケットボールブルマー

https://www.sporto.lv/sporta-veidi/komandu-sporta-speles/kombinaciju-kamola-tineja/

体育学校の様子。

https://www.ventasbalss.lv/zinas/sports/43673-sporta-skolai-jubileja-70

リトアニア

体育学校の写真。「Lietuvos kūno kulra. mergina」つまりリトアニア、体育、女の子」で探した。

https://sportas24.lt/kuluaruose/50-metu-jubilieju-sutinkanti-kursenu-sporto-mokykla-ruosiasi-finaliniam-renginiui/

ちなみに、ブルマーリトアニア語で探そうとしたのだが、出力された「žydintys」は「咲く」という意味だった。「ブルマー」を英語経由で「bloom」と解釈したらしい。言語によってはブルマーがうまく翻訳されないので、やはり自動翻訳に頼りっぱなしなの危険だ。

学校の体育も体育大学も一緒くたなので、ブルマー存在を確かめたにすぎず、どの程度普及していたか不明だ。ブルマーの各言語での名称不明

なお、バルト三国では今でもナチスの鍵十字だけでなく、共産主義シンボルである槌と鎌を公共の場に掲げることは禁止されていると聞いた。

結論

感想

フェイスブックもかなり資料として使えそうだ。

また、今までは昔の写真文章だけを検索していたが、当時のカタログ存在盲点だった。これは素材や色合いなども細かく載っているだろう。

一方で、フェイスブックを使った調査もやもやするものがある。もちろん、基本的には本人や関係者アップロードしているのだろうが、すべてがそうではないだろうし、本来意図と違って歴史調査として使うのは何となく後ろめたい。

僕はネットとは危険もの個人情報安易に出してはならないものとして育ってきた世代で、facebookに始まりTikTokに続く顔出しの文化はいまだになじめない。

少なくとも自分子どもを授かったとしても、写真SNSに載せることは決してしないだろう。

また、ブルマー男の子のものでもあったということも知らなかった。

衣服露出強制女性同様、男性でも問題になりうる。実際、20世紀欧米の体育は、男性上半身裸でやっている写真もある。

今の学校での水泳の授業は、男性上半身を覆える。いい傾向だ。

あと、最近は「ポーランド ブルマ」「チェコ ブルマー」と検索すると、自分記事が上位に出てくることが多く、照れくさい。

以上。

2023-12-28

スイスブルマーと各国のブルマー呼称VtuberパンチラMV

近頃は夜に本格的に時間を費やして、ポーランド語でのブルマー名称を調べることはしていない。

そんな中で久しぶりにこちらのサイトコメントを読んだところ、70年代にはスイスでも黒のブルマー採用されていたそうだ。

しかし、それ以上の情報はなく、ドイツ語で何と呼んでいたかもわからない。

画像検索で「Sportkleidung. Sportunterricht. Schweiz 1960」(体操着、体育、スイス1960年)と調べると次のサイトが引っかかった。最初のページの写真には「Zürich」の文字がある。スイスではブルマーレオタード共存していたようだ。

https://geschlechtergerechter.ch/blog/bild-des-monats/frauensport-aufbruch-mit-hindernissen/

https://www.sac-cas.ch/de/die-alpen/eine-antwort-auf-die-68er-bewegung-37638/

いや、ドイツでもレオタードは広がっていたのかも。

https://de.wikipedia.org/wiki/Sportunterricht#/media/Datei:Bundesarchiv_Bild_183-N0912-0304,_Neubrandenburg,_Sportklasse.jpg

さっきブルマーについてあまり調べていないと書いたが、隙間時間スマホポーランド語などの東欧諸国言語で「ブルマ」と検索することがある。それでも、グーグル翻訳やChatGPTなどで翻訳した単語画像検索しても、当時の画像どころか、ブルマーについての記事がヒットしないことも多々ある。

どう頑張っても短パン陸上ブルマー名称しか出てこない。学校体育のブルマーではない。

はじめは、国外ではブルマーフェチが少ないので、当時の画像アップロードしていないだけなのだろうと考えていたのだが、ひょっとすると国によってブルマーをあらわす単語のものが無いだけでは? という疑いが兆してきた。

というのも、自動翻訳された単語を再び日本語にすると、単純に「短パン」などを意味する言葉になってしまうからだ。これでは検索してもヒットしないのは当たり前だ。

まり、短パンブルマも同じカテゴリとみなしていた可能性がある。

名前がついていない以上、それに対するフェチ・こだわりもそれほど強くならないのかもしれない。


ブルマー英語圏での名称は、以前の記事で、オーストラリア英語でのブルマ名称が州ごとに異なっていることを示せたくらいだ。

また、こちらも参考になるだろう。というか、このページを以前参考文献に上げるのを忘れていた。


各国のブルマー名称をまとめると次の通りだ。

英米bloomers, gym knickers, regulation knickers, bun huggers
豪州首都ニューサウスウェールズ州bummers
豪州クイーンズランドBummers, Runners
豪州ヴィクトリアChunders
豪州南オーストラリア州ニュージーランドnetball knickers
豪州西オーストラリア州Bloomers
ドイツ語Turnslips, Turnhose
チェコ語Jednotný cvičební úbor
ポーランド語陸上ブルマーMajtki dla biegaczek, Majtki na zawody lekkoatletyczne
ロシア語レオタード水着と同じ)Купальник
ウクライナ語レオタードと同じ)Спортивний купальник


これだけ調べても、結局フランス語などのメジャー言語で何と呼ばれていたかはわからないままだ。それに、チェコ語ブルマを表す言葉でググっても、ヒットするのは数件だ。

とはいえオーストラリアブルマー名称フェイスブックツイッターなどのSNSググると、当時のブルマー姿の生徒がヒットする。

また、東アジア中国台湾韓国など)のコスプレイヤーがへそ出しのブルマーコスプレをして、TikTokなんかで踊っているので、そちらでの名称もあるだろう。ただし、ときどきブルマーというよりは極端に短い短パンブルマーと呼んでいるケースもあるようだ。

今後

グーグル検索では限界を感じている。

今後はどうしても調べたくなったら、上の記事のようにDeviantArtアカウントを作るか、ブルマー増田として書いた記事英文翻訳し、ブログを作って海外勢に直接問い合わせるしかないだろう。あるいは、redditスレッドを立てるか。

60年代学生だった方もかなりの年齢になっていらっしゃるので、自分引退したあとの余暇に、というわけにはいかないだろう。

とはいえ、面倒くさいのは確かである。どの板に質問スレを立てるべきかとか、どうすれば読んでもらえるかとか、半年ROM必要がありそうだ。

余談

ときどき増田キーワード検索で「ブルマ」を読むのだが、そこで安心院みさというVtuberが紹介されていた。

ときどき太ももを前垂れで隠すことがあるけど、あれはなんでなんだ?w

余談2

海外旅行のときケーブルテレビを見ていたら、歌手女の子アニメ風の世界で、ミニスカートを翻して思いっきパンツを見せながら踊っているのが出てきた。パンツというよりは水着っぽい感触だったけど(へそ出しだからそう見えるのか)、アメリカ的にはこれはアリなのかな?

なお、普通にいい曲だった。

https://www.youtube.com/watch?v=ePao0cTGG-o&ab_channel=Marshmello

以上。

投稿をやめてから、どれくらい経てば番付から消えるかどうかを確かめようかとも思ったが、他人の目を気にして投稿するかしないかを考えるのも馬鹿馬鹿しい。好きにすりゃいいじゃん。

2022-12-18

[] 欧州委員会のヨウロバー副委員長

惑星ベジータベジータさん、みたいな?

ツイッター制裁警告 EU記者アカウント凍結共同通信

nordot.app/976576797572612096

ネタの先行ブコメ複数あるが気にせず続けよう。


欧州委員会副委員長ベラ・ヨウロバー (Věra Jourová) [ˈvjɛra 'jourovaː]さん。

チェコ共和国の人だそうな。

チェコ語ヨーロッパは“Evropa” [ˈɛvropa]。

片仮名表記してみると「エヴロパ」。

全然違った。

2021-10-24

anond:20211024153445

ロボットチェコ語語源だけど?

なにがいいたいのかわからん

俺の考えたさいきょうのロボット(へるめっといらないやつ)の話する小学生のたまり場だったのか?

2021-09-24

anond:20210923224447

チェコ語は一応程度でtryしてよい外国語ではない

何かスラブ諸語の1つでも勉強したことがあるなら一応程度とか言えるんだろうが

2021-09-23

anond:20210923224035

やっばりチェコ語とかも一応やっといた方がいいのかな?

2021-08-30

ドイツ映画と黒ブルマー日本海外ブルマーフェチ

ドイツブルマー映画

ある日のことである。以前のブルマーに関する調査に物足りないものを感じていた僕は、なんとはなしに「ドイツ ブルマ」で画像検索した。すると、個人のブログで、戦後西ドイツ舞台にした「橋」という映画ブルマーが映っているのが紹介されていた。1959年映画である戦時中舞台なので、これは明確に戦前にもショーツブルマーが使われていたことを示しているようだ。Youtubeにも動画が上がっており22:48頃からブルマーの出てくるシーンが確認できる。

そんなことから、もうちょっとドイツブルマー事情について調べたくなった。

ナチス時代女子教育

自分が以前調べたナチスブルマーとは、ドイツ女子同盟のものだ。

ウィキペディアによれば、ドイツ女子同盟は、もともとナチズムを信奉する少年の有志で構成されていたヒトラーユーゲントの下位組織として発足したものだが、ヒトラー政権の成立から3年後、全ての未成年男子ヒトラーユーゲント編入されると、これに伴ってドイツ女子同盟強制参加の団体へと変化した。

設立理念は、ドイツの将来を担う「良妻賢母」の育成であり、軍人教育は施さなかった。よって、健康子供を産むためにカリキュラム家政学ではなく、体育の方に重点が置かれた。つまり、国によって「女らしさ」「母性」「健康」が強制されていたわけである。そのせいか略称をもじった卑猥ジョークもあったらしい。

さて、そういうわけで、軍服のような制服のみならず体育教育に使う、こちらのように黒い短パンというか提灯ブルマー姿の女性確認することができる。写真によっては、サイズがあっていないせいか、角度のせいかほとんどショーツブルマーのようになっているものもある。

ちなみに、こちらのサイトによれば、ブルマー卒業すると白いワンピースになったそうである。また、色は黒である言及されている。

しかし、写真を見る限りでは、冒頭の映画ほどハイレグではない。これは地域によってブルマーの規格に差があったのか、それとも監督趣味だったのか、よくわからない。1930年代のThe Woman’s League of Health and Beauty(英国健康増進団体ヨガも取り入れている)ではhttps://flashbak.com/the-womens-league-of-health-and-beauty-nazis-pilates-and-the-birth-of-the-keep-fit-movement-4580/:title=

ショーツブルマーに似た制服]で運動しているし、https://aurora-ray.blog.ss-blog.jp/2017-09-15=ドイツ女子同盟フィギュア(オーロラモデル 1/35ミリタリー WWII ドイツ少女同盟 体操着姿 ガレージキットフィギュア ML76)]ではやっぱりショーツブルマーに似ているのだが、詳細はわからない。冒頭で紹介した映画ではのんびりしたシーンであり、ナチス的な全体主義をあまり感じない。もしかしたら、ドイツ女子同盟とは別に普段からブルマーがそれなりに普及していなことも考えられなくもない。

戦後女子体育

その後ドイツではブルマーはどうなったか。以前の記事にも書いたように、東欧ではブルマー採用されていたことを示す写真はちらほら見つかったが、制服として具体的にいつ頃採用されていたかなどの情報は見当たらなかった。そのため、しばらく調査暗礁に乗り上げていた。

きっかけになったのはDeepLやGoogle翻訳である英語ショーツブルマー意味する語の一つ「gym knickers」をドイツ語にしたところ「Turnhose」という語が出てきた。これで何かがわかるかもしれないと思った。確かにこれは「短パン」を意味する言葉に過ぎない。だが、ドイツ語のウィキペディアには、英語版とは違い、こんなことが書いてあった。

Für Frauen, Mädchen und Jungen (bei Jungen aber nur bis zum Alter von etwa zehn Jahren) gab es etwa zwischen 1960 und 1990 Turnhosen in Slipform, die zwar umgangssprachlich Turnslips genannt, im Katalog aber unter der Bezeichnung Turnhose geführt wurden. Als Material verwendete man anfangs schwarzen Doppelripp und Helanca. Passend dazu gab es auch die Turnhemden.

これを自動翻訳するとこうなる。

女性女の子男の子場合(ただし、男の子場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。

やっとのことで、具体的な年代特定できる情報を見つけた。1960年から1990年、確かにドイツではショーツ型のブルマー採用されていたのだ。

もちろん、出典が明記されていない以上どのくらい正確な情報かはわからない。ショーツブルマー(上ではジムブリーフと訳されている)を意味する「Turnslips」で画像検索してもまったくそれらしいものは該当しない。だが、調査は確実に一歩前進した。

ポーランドロシアでの調査は難航

ドイツブルマーがいつまで採用されていたか、かなり具体的な情報を手にすることができた。しかし、今回のドイツや前回のチェコとは違い、ポーランドロシアに関する情報はなかなか手に入らない。昔の記事のように確かに写真はある、動画もある。だが、文字情報が乏しいのだ。「ソ連 体操着 歴史」「ソ連 体育 制服」「体操着 1960」などと単語を変えてもなかなか引っかからない。おまけに、ポーランド語でgym knickersを訳して「majtki gimnastyczne」で検索すると、スポーツ用の下着しか出てこない。また、言語によっては体操着に該当する言葉を探しても、レオタードしか出てこないこともある。

プロ陸上選手ブルマ姿になっているものは出てくるが、学校での採用事情については、なぜかデータが少ない。

難航の理由? それから海外ブルマーマニア事情

資料が見つからない理由は恐らく三つある。一つは、ロシア語やポーランド語ではブルマーを何と呼んでいたか、正確な名称がわからないことだ。チェコ語では、幸運なことに「Jednotný cvičební úbor」が「体操用の制服」といった意味で、直訳でもよかったようだが、他の国の言葉ではそうでなさそうだ。

もう一つは、そもそもネット資料が載っていない可能性だ。国によってネットの普及した時期は異なるが、紙媒体資料をわざわざネットに乗せる熱意や理由がないことも考えられる。

最後に、これは前述の熱意がないことと重なるが、欧米ではそもそもブルマーに対して関心が薄いのではないか海外にも服装に対するフェティシズムはあるようだが、何がセクシーと感じるかは国によって全然違う。ブルマーフェチの人は海外では人数が少ないのではないか

全くの推測だが、ブルマー時代末期には、ブルマー性的に感じるあまり盗撮する者が後を絶たなかったという。それが原因で、ますますブルマー性的だという感覚が強まった。となると、日本ブルマーマニアが増えた理由は、個人カメラビデオ日本で普及した時期にも理由があるのかもしれない。

まとめ

今後

ポーランドロシアでのブルマーについての文字情報が見つかったら掲載する。しかし、いつになるかはわからない。また、東ドイツ西ドイツとでブルマーの普及に違いがあったか。このあたりも資料が乏しいが、見つけたら公開したい。

また、今まではブルマーはほぼ紺色と思い込んでいたが、黒という記録を見つけた。白黒写真画像しか見つからなかったケースを、再検討する必要がある。

2021-08-19

ダウソ生活には東京外国語首席並みの多言語理解必須らしい

162[名無し]さん(bin+cue).rar2021/08/18(水) 14:08:12.65ID:Fz3OojpA

少なくともドイツ語ロシア語中国語くらい出来ないと本格的なダウソ生活は出来ないよ

164[名無し]さん(bin+cue).rar2021/08/18(水) 14:09:31.29ID:Fz3OojpA

このスレの8割は君の言うように語学に優れた人ばかりだから

チェコ語からアラビア語まで操る人がいるくらいだ

過去ログROMればそれがよくわかるよ

出典:https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/download/1628419892/

ソフトウェアならいざしらず、割れ厨しかいないダウソ版に文系高学歴でも稀少言語能力者が何人もいてたまるかよ

ちなみに私はアングラ界のアーリーアダプターを書いた増田である

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201021172322

2021-08-06

交響曲第9番 (ドヴォルザーク)「新世界より

新世界「より」な(英: From the New World、独: Aus der neuen Weltチェコ語: Z nového světa

 

新世界」←串カツ旨いよな

新世界から」←難波までブラブラ歩いても15分や 「から」では風情があらへん

新世界寄り」←えべっさんに行きたいからって恵美須町駅で降りるとロクなことにならんで

 

新世界アメリカ滞在中に故郷に向けて書いた曲 なのでFromを忘れちゃ困る

2021-07-14

チェコ民族意識社会主義ブルマー

序文

あれだけブルマーについて調べたのだから、しばらくはブルマーに対する知的関心も収まるだろう。そう思ってはいものの、何となくツイッターブルマー検索したときに、ヨーロッパ女の子ブルマー姿を目撃し、疑問が再発した(画像はこちらフェチの人のアカウントにつき注意)。結局、東欧ブルマーの普及っていつからだったんだ?

以前の調査でも、チェコポーランドにもブルマー存在していることまでは調べたが、言語の壁もあり画像検索にとどまっていた。ならば、まとまった時間が取れたことだし、しっかり調べてみるべきではないだろうか。元々チェコ文化には文学音楽を通してなじみがあることだし。ドヴォルザークいいよね。

調査方法

チェコ体操着事情

社会主義政権下では、制服を着て体育の授業に出るのが義務であった。

体操服としての制服は、第一共和国時代(1918-1938)にはすでに一部の学校やソコル(後述)で必要とされていたが、社会主義時代になって初めて一斉に普及し、広く統一されたものとなった。

男子は白いタンクトップに赤い短パン女子は短い袖に青いスエットパンツだった。この強制され対象階級のない社会主義未来象徴だった。これは1965年チェコの3回目のSpartakiada(東側体育祭、後述)のためにデザインされ、70年代から80年代にかけてが最盛期であった。1985年のSpartakiadaではチェコ国旗三色再現するため、赤いブルマも導入されたようだ(ここは誤訳かもしれない)。

女子の短パンはお尻の周りゴワゴワとまとわりつき、ウエストは高く、太ももにはゴムが入っていた。ブルマーによく似ているが、体育の授業のたびに太ももに跡がつくくらいきつかったという。

ちなみに、この時代運動靴は後に普段使われたり、バレーダンサーがはくようになったりしたそうだ。のちに、ポーランドなどに輸出もされたらしい。

Jednotný cvičební úbor: noční můra děvčat za socialismu - ExtraStory

https://www.abczech.cz/Jednotny-cvicebni-ubor-P7035300.html

ソコル

プラハで創設された民族的体育運動協会。現チェコ国民性形成重要役割を果たしたと言われる。元々はハプスブルク家から独立を目指す意図を持っていた。

ソコル設立の動きは他のスラヴ系民族にも波及し、1908年スラヴ・ソコル連盟設立された。チェコ以外にもスラヴ諸国連盟が加入し、1912年にはプラハで全スラヴ・ソコル祭典が開催される。1926年には180,000の観客を収容可能マスゲームの上演のためのGreat Strahov Stadiumが完成。

大戦間にソコルはより発展するが、ソビエト連邦では活動禁止された。ナチス下では解散させられるが、戦後協会は再建される。しかし、共産党政権下では東欧諸国のソコルは事実上活動禁止され、協会国外活動継続した。1948年プラハで開催されたソコル祭典の集団演技には98,000人の学童と273,000の会員が参加し、2週間にわたって行われた大会の中で共産主義政権への反発が露にされた。

チェコスロバキアではソコルの活動が停止した後、社会主義的な演出を施した「Spartakiada」というマスゲームを中心とした体育大会1955年から5年ごとに行われるようになった(後述)。

なお、もともとは同じユニフォームの着用、マスゲームの参加は過去には民族主義による開放感をもたらしていたが、関心が多様化した社会ではそれらの行為は拘束として受け止められているそうである。現に、上から国民教育しようとしたこ運動はあまり成果が出ず、徐々に管理主義的になっていったという。民族自由を求める戦いも、完全にクリーンというわけでもないらしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%AB_(%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%8D%94%E4%BC%9A)

Spartakiadaとは

ソビエト連邦スポンサーになったスポーツ大会であるソビエト連邦はもともとオリンピックに対抗し、これを補完しようとしていた。国際Spartakiadaは1928年から1937年に5度開催されたが、のちにこれは東側ブロックの国ごとのイベントになった。名前スパルタクスから来ており、プロレタリア国際主義象徴する。貴族的・資本主義的な(古代オリンピックとの対比になっている。

その後、チェコでは大規模場マスゲームを指す言葉にも転用された。これは先述のGreat Strahov Stadiumで5年に一度開かれた。規模は非常に大きく、1960年は75万人が国中から参加し、200万人がイベントを目にしている。

1955年から5年ごとに開かれたが、1970年プラハの春で中止、1990年ビロード革命で中断され、小規模な形で再開した。

1994年以降ソコル祭典は6年ごとに開かれているが、祭典のマスゲームパレードに参加する会員の多くは過去のソコルに馴染みが深い高齢者で占められているらしい。

Spartakiad - Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Spartakiad_(Czechoslovakia):title]

結論

今後の研究


今後も調査継続したい。

2020-10-29

カフカかい流行らない作家がいる

 勿論タイトル釣りで、カフカは全世界に影響を与えたユダヤ人かつオーストリアチェコ)人なわけですけど。

 独文学というとカフカカフカというと独文学。そんな感じですよね、実際のところ独(語)文学においてはトーマス・マンとかゲーテとか他にも様々な著名な作家がいるわけですけれど、カフカはその研究テーマとしては比較ポピュラーな御仁でありますユダヤ人の家庭に生まれ生地である現在チェコプラハ言語に依らずドイツ語にて創作を目指したカフカの、ミステリアス人間性はその作品群に対しても同様に、謎めいたベールを投げ掛けています

 カフカ文学をお読みになられたことはございますでしょうか。まあ僕もそれほど熱心な読者とは言えないかもしれないのですが、とりあえず『変身』・『城』・『審判』のほか幾つか著名な短編を読ませて頂きました。まあカフカ作品の特徴は、感情的な部分を敢えて抑制するところにあります。勿論十分に感傷的な部分を持った短編とかも散見されるのですが、基本的に、感情の伝達、あるいはその伝達の手段としての文学というものカフカはあまり信頼していなかったのではないかとも思われるのです。というのは、基本的に作中人物達は様々な問題に取り囲まれていることが多いのですが、弱音を吐くことがあまりなく、ついでに言えば仮にその感情というものが滲み出るにしても、基本的にそれはレトリック暗喩といった形によって示されるので、はっきりとした感情というものが作中に表れるということは稀なんですね。この辺に、カフカ抑制的な人格と、コミュニケーションそれ自体に対するカフカ立場というものが表れているように思われますカフカ基本的コミュニケーションというものを信用しておらず、また、コミュニケーションを通して自分自身人生をくつろげるものに変える努力に関しても、冷ややかな見方をしてきたように思われるのです。

 コミュニケーションという営みは人間基本的に切り離せないもので、人間はそれを用いて自分人生他人人生コントロールしようとします。しかし、そのような一般的コミュニケーション立場と、カフカコミュニケーションに対する立場は明らかに違うように思われますとはいえカフカの立たされていた環境を考えれば、我々が用いるようなコミュニケーションのあり方と、カフカにおけるコミュニケーションのあり方との乖離は、さして驚くべきものではないでしょう。

 つまりカフカユダヤ人でありかつオーストリア人でありかつチェコ人と呼べる極めて国家国民性というアイデンティティが複雑に錯綜した人物であったからです。これはカフカ研究においては極めて一般的な基礎知識ですが、カフカ現在チェコに当たる地域で生まれたにも関わらず、その日常においてはチェコの土着言語を用いずにドイツ語を用いました。また、当然のことながら創作においてもドイツ語を用いておりました。チェコで生まれながらにしてチェコ語を使うことを許されない――つまりカフカ自身の持つ言語によってさえ一種の疎外を受けていたと言えるわけです。超基本です。

 カフカにとってコミュニケーションとは――なかんづく、コミュニケーション根本的に支える言語というものは――自身人生リラックスさせ、他者との間に健全コミュニケーションを成立させる、我々における言語のあり方とは少しばかり違うものだったということです。カフカは生まれながらにして一種異邦人であった、ということですね。この「異邦人」という記述はもはや陳腐な言い方なのでしょうがしかしやはりこの視点カフカ理解する上では切っても切れない重要な点となりますカフカはそのアイデンティティの複雑さ故に、生粋異邦人でありましたし、そして彼が用いる言語レトリック基本的に、一種生存戦略だったのです。要は、植民地支配を受けた国家国民が土着言語を用いず宗主国言語を用いるのに近い、生存戦略の一環として言語を用いる生活を送ることが、彼の人生においては定められていたのです。我々にとって言語人格は複雑に結びつき、そして、自身人格感情を表す際に、極めて重要役割を演じます。恐らく、この世界におけるほぼ100%近い人類が、言語に対してそれと同じ感覚を抱いていることでしょう。しかカフカにおいてはそれは事実ではありません。

 カフカ作品群において、カフカ言葉によって感情を語ることはありません。カフカが語る感情は、物語構成依存しているか、ないしは物語中における舞台装置によって、つまり暗喩によってのみ語られることとなります。その、感情表現の大いなる欠落が、カフカ文章における特徴ですらあるのです。あるいは、それは仏教における「見立て」の感覚に近いかもしれません。つまりは、一種の擬似的な曼荼羅と言いましょうか、物事物質をある特定の配置に並べ変えることで、何らかの物質を超えたメッセージを贈ろうとする試み。枯山水現実自然を表すように、カフカはある種の機械や道具立てによってのみ自身感情説明しようとし、翻って言うならば、カフカは直接的な表現によって感情説明しようとなどしなかったのです。感情の欠落。

 この「感情の欠落」が文学の特徴であることは明らかにカフカが作り上げた文学の一潮流と言えると思います。後年の作家であるトーマス・マン文学においても、感情内省と言うべき人間の心のあり方が、敢えて描かれない抑制的な文体の影を見ることができるように思われます感情とはなんなのでしょうか? コミュニケーション言語は、我々にとって慰めと言えるものなのでしょうか? カフカはそれに対して否と答えます言語は、必ずしも我々に結びついていない。同時に、言語を基底として成り立っているコミュニケーションもまた、我々に属していない。我々は、根本的に言語によってコミュニケーションを取ることができない。

 しかしそのコミュニケーションへの失望結論ではないのです。何故ならカフカは、コミュニケーション失望をしていてさえなお、小説ものしたのですから

 何故カフカ文学を書いたのでしょうか? 文学自己表現である、という一般的見方と、カフカ文学的なあり方には乖離があるように思えてなりません。カフカにおいては寧ろ、文学自己から自己への感情乖離です。いわば自己自己に対する乖離のものです。

 そのような営みは、恐らくカフカ人間性に淀みを与えているようにさえ思えます自己自己に対する分離、乖離を通して、恐らく彼の感情も一部彼から乖離し、分離していたからです。そのような営みが、彼にとって一体何だったのか? それは我々には想像するほかありません。短絡的に考えれば、その営みは、その乖離と分離の営みは、単純な自己破壊行為であったと断じれるかもしれません。自己から自己を分離し、乖離させることは、明らかに自己にとって好影響を及ぼす行為ではないからです。とは言え、彼の行為は本当にその自己破壊目的にしていたのでしょうか? あるいは、世の人々が芸術家小説家に対してしばしば言うように、彼は文学というものを用いて、彼の生命生活痕跡世界に残そうとしたのでしょうか? それも、疑わしいと僕には思われます。つまりカフカ文学コミュニケーションに対する諦観なのですから。そこには、コミュニケーション言語に対する深い諦めの影の姿を見て取るほかないのです。

 結論から言えば、カフカ文章を書いていたのは、恐らく乖離目的とした、逃避行動だったと言えるでしょう。そして同時に、彼は自己から自己乖離させることによって、一般論的に自己省察を深めようとしたのでしょう。敢えて、自己から自己を分離させることによって、自己省察可能対象として対置する行為が、彼の文学目的の一部だったと言えるでしょう。


 このような記述文学における一般論範疇を出たものではなく、彼の人生文学目的は未だもって謎に包まれていますカフカに限らず、一部の文学者は、そして小説家は、コミュニケーション媒体である文字言語を用いながらに、コミュニケーションを諦めているのであり、つまりは何かを伝えようとしながらに、我々に対して何も伝えようとなどしていないのです。あるいは、最終的には彼らのような小説家の目的は、一言によって表せられるのかもしれません。

 つまりは、彼らは何かを諦めたかったのであろうと。

2020-09-04

ロシア語表記揺れはなぜ起きるのか

ロシア語固有名詞カタカナで書くときに色々表記揺れがあって紛らわしいよね! 表記揺れが起きる原因をまとめといたから、参考にしてね!

ヴ音の表記揺れ

これは純粋日本語内部の問題から一番わかりやすいね! БладимирВладимирを「ウラジーミル」と書くか「ヴラジーミル」と書くか、Иванを「イヴァン」と書くか「イワン」と書くか、という単純な話だから、好みに合う方を選んでね!

強勢の棒引きをめぐる表記揺れ

強勢の置かれた母音は長く強く読まれるんだけど、この母音を棒引き(ー)で表現するか否かが問題だね! これはだいたい慣用によって決まっているけど(「イワーン」じゃなくて「イワン」、「ウラミル」じゃなくて「ウラジーミル」)、別に慣用じゃない表記を使うことは自由だし見慣れない語だとフィーリングで決めたりするから表記揺れが生じる余地があるよ!

ыの表記揺れ

ыは日本語では書き表せない音なんだ! でもどうしてもカタカナにしないといけないときがあるよね! そういうとき表記が揺れちゃうんだね! Кадыровは「カディロフ」でも「カドィロフ」でも間違ってないよ! どのみち正確な日本語表記は無理なんだし! でも「カドイロフ」はさすがにどうかと思うな! めんどくさいのが形容詞の語尾で-ныйみたいな形になってるときだね! 「~ヌィ」だと語末のйを無視してるみたいで居心地が悪いし、「~ヌィイ」だと煩雑だし、「~ヌイ」だとなんかыっぽくないよね! こういうときは多少正確さを犠牲にしても日本人にとって一番簡単表記を選んでおくのがいいよ! だからВерныйは「ヴェールヌイ」でСовременныйは「ソヴレメンヌイ」なんだね! でも別にヴェールヌィイ」でも間違いじゃないよ!

оの表記揺れ

ロシア語では強勢の置かれないоは「ア」みたいに発音されるよ! Москваは実際には「マスクヴァー」みたいに聞こえるけど、日本語では綴り通りの「モスクワ」で定着してるよ! っていうか日本語表記では反映しないのが慣用になってるね! Достоевскийは「ダスタイェーフスキー」じゃなくて「ドストエフスキー」、Чеховは「チェーハフ」じゃなくて「チェーホフ」って書くことになってるね! ただし例外的に、Спасибоは「スパシーボ」じゃなくて「スパシーバ」、Хорошоは「ホロショー」じゃなくて「ハラショー」で定着してるよ! でももちろん発音を優先して「ア」って書いてもいいよ!

еの表記揺れ

ロシア語のеは「エ」というより「イェ」であって、теは「テ」というより「チェ」、деは「デ」というより「ジェ」のように聞こえるよ! 強勢があると特に! 逆に強勢がないとき母音が弱く読まれて「チ」みたいに聞こえたりするよ! だからЕкатеринаを「エカテリーナ」とするか「エカチェリーナ」とするかで揺れるよ! まあ実際に聞いてみると「イカチリーナ」みたいに聞こえるような気がするんだけどそんなふうに書くわけにもいかいからね!

иの表記揺れ

еと同じで、тиは「ティ」じゃなくて「チ」、диは「ディ」じゃなくて「ジ」みたいに発音されるよ! なんなら由来を重視して「ヂ」でもいいよ! だからПутинは「プティン」じゃなくて「プーチン」なんだね! БладимирВладимирが「ウラディミル」じゃなくて「ウラジーミル」なのもそういうことだね! まあ別に「ヴラヂーミル」でもいいんだけど! ただ「ティ」や「ディ」に聞こえなくもないところがややこしいところかな! でもやっぱり基本的には「チ」や「ジ」って書いとくのがいいと思うよ!

шやчの表記揺れ

шは日本語のシャ行の子音で、чはチャ行の子音なんだけど、後ろに母音を伴わないときになんて表記するかが問題だね! 「シュ」と書くか「シ」と書くか、「チュ」と書くか「チ」と書くかってことだね! Эйзенштейнは「エイゼンシュテイン」と「エイゼンシテイン」のどっちでも間違ってないよ! なんなら「エイゼンシチェイン」でも間違いじゃないよ! もう理屈はわかるよね!

語末の濁音の表記揺れ

語末だと濁る子音の濁りが消えたりするよ! でも表記するときには反映されないね! Петербургは「ペテルブルク」じゃなくて「ペテルブルグ」って書くことになってるよ! ドイツ語地名は「アウクスブルクハンブルク」みたいに書くことになってるのに不思議だね! たまに「ペテルブルク」って書いちゃう人がいるけどあんま好ましくないね! なんでかというと上で書いたような発音法則があるから実際の発音に即して書こうとすると「ピチルブールク」みたいな表記なっちゃうんだよね! 「ペテルブルク」だと中途半端なんだね! 発音に忠実に書くのはめんどくさいか綴り通りに日本語にした方がマシだね!

ёの表記揺れと間違い

ёは形の上ではеに似てるけど、読み方は「ヨー」だから全然違うね! でも、大人ロシア人は読み書きするときにいちいちёとеを書き分けたりしないんだ! 日本人が「これははんこです」を正しく発音できるのと一緒だね! Аксеновを「アクセノフ」って書いた新聞社があったけど、もちろん正しい綴りはАксёновだから「アクショーノフ」だね! このへん、慣れれば「これってёじゃね?」という目星をつけられるようになるよ!

そして、この文字表記揺れを引き起こすこともあるんだ! Фёдорは「フョードル」って読むんだけど、たまに「ヒョードル」って書かれたりするよ! もちろん「フョードル」の方が正確なんだけど、「フョ」は日本人には発音が難しいから「ヒョードル」でも構わないと思うよ!

ьの表記揺れと間違い

ロシア語のьは軟音符っていうんだよ! この文字自体発音しないんだ! じゃあ何に使うかというと、前に置かれた硬い子音を軟らかい子音にする(口蓋化する)ために使うよ! 日本の慣用表記だと、軟らかくなった子音はイ段で表記されることが多いんだ! たとえばл「ル」に軟音符がついてльになると「リ」になるんだね! そしてこの文字は、ほとんどすべてのローマ字表記法で’の記号を当てることになってるんだ! でも、論文とかじゃなくて新聞とかの通俗的表記だと、この’が落とされちゃうことがすごい多いんだよね!

たとえば、большевикиっていう単語をきちんとローマ字にしようと思ったらbol’shevikiになるはずなんだけど、実際はbolshevikiって書かれることがすごく多いんだよね! ロシア語を読める人なら「ボリシェヴィキ」って書くのが正しいってわかるんだけど、ロシア語を知らない人は「ボルシェヴィキ」って書きたくなっちゃうかもしれないね

そしてこれが語末や子音の前に来ると表記揺れを引き起こすことがあるんだ! -ньという綴りが語末や子音の前に来ると、「ン」と「ニ」の中間っぽく聞こえるよ! だからКазаньは「カザン」とも「カザニ」とも書かれるんだね! ポーランド語のGdańskが「グダンスク」とも「グダニスク」とも書かれるのと同じ理屈だよ!

хの間違い

хは喉の奥から出す「フ」の音だよ! 日本語のハ行とは発音の仕方が違うけど、どの行に聞こえるかと言われるとハ行が一番適切なんじゃないかな? 袴田茂樹先生の妹さんはИрина Хакамадаだし! でもこれ、日本でよく使われるローマ字表記だとkhになるんだ! それに引きずられてカ行で表記されちゃうことがあるけど、間違いだね! ハ行で表記しようね!

яの間違い

яって文字はよく見るけど、何て読むか知ってるかな? そうだね、「ヤー」って読むんだね! でも、これをローマ字に直そうとしたらどうなるかな? 実は、ロシア語ローマ字表記はいくつかの種類があるんだけど、それらの表記によってяをどう表記するかが違うんだね! イギリスでよく使われるローマ字表記だとyaだけど、アメリカ議会図書館式だとiaになり、そして国際式表記だとjaになるんだ! そうだね、ロシア語を知らない日本人ローマ字表記だけ見ると読み方を間違える余地があるんだね!

たとえば、Настяっていう女の子愛称は「ナースチャ」って読むんだけど、議会図書館式でローマ字に直すとNastiaになるんだよね! ロシア語を知らない人からすると「ナスティア」にしか見えないよね! 綴りの後半部分はti-aじゃなくてt-iaで切れてるんだけど、そんなの普通わかんないよね! Надяは「ナージャ」って読むんだけど、ローマ字でNadiaって書かれると「ナディア」って表記したくなっちゃうよね! 違うアニメなっちゃうね!

さらさらに、ローマ字に直すときにяの表記が誤魔化されちゃうことがあるよ! この文字は女の人の名前の語尾によく使われるんだ! たとえば英語の「メアリ」に当たるロシア語名前はМарияで、日本語だと「マリヤ」って書かれることが多いね! でも、ローマ字にするときMariaって書かれることがすごい多いんだ! たぶんMariiaやMarijaやMariyaだとわかりづらいと思ったんだろうね! けどMariaって書かれるとロシア語を知らない人は「マリア」って書いちゃうんだよね! Лидияも本当は「リージヤ」なんだけど、Lidiaってローマ字表記に引きずられて「リディア」って書かれることが多いね

複数の間違いが組み合わさることが多いのがТатьянаだよ! これは女の子名前で、素直に読み下せば「タチヤナ」になるよ! 議会図書館式に忠実に転写するならTat’ianaになるんだ! 真ん中の部分はt’-iaで切れるんだね! ’がついたことでtが軟音化して「チ」、iaで「ヤー」だね! でも’が省略されていると、iaが「ヤー」だと知らない人は、Tatianaを「タチアナ」って書いちゃうんだ! ひどい場合には「タティアナ」なんて表記されたりするね! そうだね、ti-aで切れると勘違いしてるんだね!

Литвякを「リトヴァク」って書いてある本があるんだけどさすがにちょっと許せないかな! どうやれば「リトヴァク」になるのかな!? もちろん「リトヴャク」が正しいよ! 「ヴャ」は発音しにくいっていうなら「リトビャク」って書いておくといいよ! 「何百」を発音できない日本人はいないよね!

юの間違い

じゃあみんな、юはなんて読むか知ってるかな? そうだね、「ユー」だね! でもこれもяと同じで、yuとかiuとかjuとか色んなやり方でローマ字表記されるよ! だからたまにiuっていうローマ字に引きずられて「イウ」と書いちゃう人がいるんだ! 気をつけようね!

強勢の位置の間違い

ロシア語は強勢の位置がすごい大事なんだけど、間違えて書かれることがあるんだ! БладимирВладимирは「ウラジーミル」なんだけど、「ウラジミール」って書く人がたまにいるね! チェコ語ならVladimírだからウラジミール」でいいんだけどね! 父称のВладимировнаも「ウラジミーロヴナ」じゃなくて「ウラジーミロヴナ」だからね!

たまにロシア風のキャラクタ名前として「イゴール」っていうのを見かけるけど、これは複数の間違いの複合だね! Игорьはロシアの男の人の名前だけど、厳密にローマ字に直すとIgor’になるんだ! そこから’を抜いてIgorにした上で強勢の位置を間違えると「イゴール」になるんだね! もちろん「イーゴリ」が正しいよ!

結局のところ、なんで表記揺れが生まれるの?

いくつかの理由があるよ!

  1. 日本語にない音や日本語だとどう表記すべきか迷う音が多い
  2. 綴り発音が離れすぎているのでどちらを基準にするかで変わる
  3. ローマ字に直されたものを読むときに間違いが発生する余地がある

これ、つまるところ英語名詞カタカナで書こうとするときの苦労と一緒だね! そういえば英語も「発音に忠実な表記を諦めて綴り通りに表記することにしている」場合がすごく多いよね! Bostonは「バッスン」じゃなくて「ボストン」、Donaldは「ダナー」じゃなくて「ドナルド」って書かれるよね! そういう意味では英語ロシア語って似てるね! オラ英語に親近感湧いてきたぞ!

Fateサーヴァントとか、あんまりメジャーじゃない方表記ゆれ名使ったりしてる印象があるが、検索避けみたいなこと一応気にしてんのかなと思ったりする。

奈須きのこそこまで考えてないと思うよ!

訂正

最初から間違いが…ウラジーミル綴りは Бладимир ではなく Владимир。

ま……マジだ! めっちゃ恥ずかしい! ごめん! 気づかなかった! 訂正しといた! 教えてくれてありがとう! Владимировнаの部分は正しく書いてたからそれで許して!

言い訳すると、ローマ字対応キーボードキリル文字打ってるから、ボーッとしてるとつい目の前のBってキーを押しちゃうんだ! でもそれを押すとБが出てきちゃうんだ! 稀によくある!

アウクスブルク煩雑発音とつづりとの中間点・妥協案的表記であるので,その直後に「ペテルブルクは中途半端ダメ」とか言われれると増田お前自己矛盾してんぞって顔になった。

ごめんね! 正直「~ブルク」ってつく地名なら何でも良かっただけなんだ! よく知らない言語について迂闊なこと言うもんじゃいね! 「ハンブルク」に直してみたけど、これならどうかな?

2019-09-12

言語とは陸軍海軍を備えた方言である

 そんな格言があるそうだが、まさにその通りだ。言語方言を隔てているのは何かと問われれば、国家によってそれに公的地位が与えられているかどうかだけで、本質的な違いはない。現に、気仙方言翻訳した福音書ケセン語聖書として発表し、時の教皇ヨハネ・パウロ二世から祝福を受けた例もある。

 そこで気になるのが、出版との兼ね合いだ。よく、海外文学ミステリを手に取ると巻末に「翻訳独占権取得」がどうこうと書いてあるのだが、たとえば「オリエント急行殺人事件」か何かをケセン語翻訳することはできるのだろうか。つまり出版から私たち翻訳独占権があります」と訴えられたとしても、「これは日本語ではありません。ケセン語です」と言って反論することは可能なのか。

 どう考えても東北方言だって立派な日本語だろう。しかし、「今日は海さ釣りっこしさ行ぐべし!」ならまだしも、「おぼっこさおづっこあげろでば」「あぞごにあったちかいぼっこしてしまったのっさ」という文字列を見て、東京弁話者理解できるだろうか。東北方言話者をおとしめるつもりはまったくない。ただ、神奈川県で育った私に取っては、仮名交じり文でようやく何を言っているのか推測できるのが実情だ。ましてや、母音発音が大きく異なる地域場合、口頭でのコミュニケーションはそれなりに困難になるだろう。現実的ケセン語版が出るかどうかは疑わしいが、出版されたとしても、独占権を持っていた側は、現実的にはそれほど懐は痛まない気がする。

 さて、こうしてケセン語が立派な言語とされ、ケセン語で「オリエント急行殺人事件」が出版されたとしよう。そうすると、今度は関西弁出版したらどうか、などという話になるかもしれない。関西弁は立派な独立した言語だろうか。大阪府人口八百万を超え、ブルガリアを超える。というか、近畿全体を含めるなら、チェコ語話者の一千万に及ぶだろう。ちょっとした規模の言語だ。いや、もっと深刻な問題がある。もしも、ウチナーグチ日本語とは別の言語として認め、翻訳出版されることになれば、自治独立問題を含めた政治的問題にまで発展するだろう。私たちは別の言葉を話す、別の民族である、と。

 もっとも、私が言いたかったのは、「おらおらでひとりいぐも」や「面影と連れて」みたいな方言文学自分日本語境界がぐらぐらするような小説が読みたいな、みたいなことなのだ。特に後者は、池澤夏樹世界文学全集短篇コレクションで読んだのだけれど、東京方言とはまったく異なる語りを、感じ仮名交じり文にすることで、沖縄言葉が全く分からない私にも理解できるようにするテクニックがすごかった。

 そう言えば、円城塔が「プロローグ」か何かで、「古語とは外国語日本語の間をふわふわ漂っているような印象だ」という趣旨のことを述べていた気がするが、僕にとって方言とは、そんな魅力を持つ存在だ。

 記事中の方言wikipediaケセン語」より引用した。

2018-10-21

anond:20181016202406

オリジナルに近い作品でも「日本人が考える西洋架空世界」て、なんで大抵、人名地名英語ドイツ語ぽくなるのか

フィン語とかチェコ語とかハンガリー語とかから引っ張ってきたら、大いに意外性あると思うんだが

2018-10-08

みんな日本語学術言語としての重要性を軽く評価しすぎ

この件.

https://togetter.com/li/1274544

査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは本当に理解できない.

何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系研究業績の大半は自国語だから

文系研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準から

インドサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えないけれど)

そりゃ英語論文を持ってたらすごいと思うよ.でも英語論文がないことが叩かれる理由になるのは本当に理解不能.

そもそも社会学には膨大な日本語研究蓄積がある.いくつもの査読誌があり,日本語査読を経た研究成果が積み上げられている.博論をもとにした出版も多く出ているし,入門書からから日本語で一通り揃うようになっている.

自国語で用が足りるんだから論文執筆言語自国語でいいだろ.繰り返すけど,それが世界標準です.

イギリスアメリカ学者英語で書き,フランス研究者がフランス語で投稿し,ドイツ博士ドイツ語で教授資格申請論文審査を受け,ロシア院生ロシア語で報告している中で,なんで日本教授日本語の業績しか持っていないのを責められなければならないのか皆目わからない.

これは社会学に限ったことじゃない.政治学だって歴史学だって文化人類学だって文学だってそうだ.だいたいどの分野でも有力な査読つき学術誌を持っているし,それらの雑誌日本語で書かれている.

そして日本語というのは,世界でも有数の学術言語だ.もちろん英語ほどの網羅性は持っていないかもしれないが,ドイツ語やロシア語ほどの重要性は持っていると思う.それは,先人たちが日本語で積み上げてきた研究業績の賜物だ.

世界でも有数の学術言語」というのもいろいろな尺度があると思うが,どれだけ広い分野で高度な研究を積み上げているか,というのをここでは述べたい.

もしこれを読んでいるあなたが,アフリカに興味を持って,アカデミックな本を読んでみたいと思ったとしよう.大学図書館で文化人類学の棚の前に立てば,数ダースの優れたアフリカ研究あなたの前に現れるだろう.その多くが,西欧学者と同じようにアフリカフィールドワークをし,日本語西欧語の先行研究を読みこなした上で書かれたものだ.

あるいは,ヨーロッパ歴史を知りたいと思ったとしよう.あなた造作もなく,フランスドイツイギリススペインロシアや,そしてチェコポーランドポルトガルボスニアについての研究書を見つけられるだろう.どれも現地語の史料や文献を消化した上で,日本歴史学の積み重ねてきた問題意識接続されている.

それとも,言語学に興味があるだろうか.心配はいらない.オセアニアの数百人しか話していない言語文法記述した本も,ヨーロッパ小国言語の音声を論じた本も,中東言語政策についての本も,あなたは探し出すことができる.政治学? 問題ない,EU制度アメリカ大統領選挙,韓国歴史認識ロシア愛国主義湾岸諸国君主制,どれも日本語最先端研究が読める.

こんなことは当たり前に思えるかもしれない.でもこれは決して当たり前のことじゃない.

とあるアジアの国に行ったとき書店に行ってみた.西洋史の棚に並んでいるのはどれもそのアジア言語で書かれた本だったが,著者はみな西欧人だった.それらはいずれも西欧から翻訳だったのだ.たまにそのアジアの国の著者が書いた本もあったが,イギリスとかフランスとかメジャーな国についての本ばかり.マイナーな国の歴史について扱った本を開いてみたら,参考文献はほとんど英語で,ちょこちょことドイツ語やフランス語が挟まる程度.要するにその本を書いた学者はそのマイナー国の言語を読めなかったのだ.日本には,そのマイナー言語を読める歴史学者が何人もいるのだが.

あるいは,ヨーロッパ小国書店.その国は小さいので国民の多くが英語を達者に話すのだが,本屋を覗くと,自国史や周辺諸国歴史についての本以外は英語の本がそのまま置かれていた.もしも遠いアジアの国に興味を持ってしまったら,その国の人は,自国語のペラペラ入門書の次は英語を読まなければならないのだ.日本語なら,遠いヨーロッパの国についても専門書が手に入るのだが.

たとえ外国語が読めないシロートだろうと,ある程度自国語で難しい本を読める力があれば,中世ヨーロッパアフリカ社会ラテンアメリカ先住民近世朝鮮史東南アジア政治についての最先端研究書が読める.そんな豊かなアカデミアを有している国,そんな潤沢な研究蓄積のある学術言語は,実はそんなに多くはない.

私の感覚だと,英語網羅性には劣るし,フランス語の豊かさには負ける気がしないでもないけれど,ドイツ語やロシア語並の水準に達してはいると思う.もちろん自国民ゆえのひいき目かもしれないし,カバーしている範囲微妙に違っている以上正確な判定は不可能なのだが.

カバーしている範囲が違う,というのはどういうことか.たとえば,上で英語網羅性に劣ると書いたが,英語よりも日本語のほうが研究蓄積の豊かな領域というものがある.当たり前だが,日本史については英語の文献よりも日本語の文献の方が圧倒的に豊富だし,日本史以外でも前近代中国史についてはまだまだ日本語の方が英語よりも網羅性が高いと思う.なので前近代中国史については,読者はともかく,歴史学者は中国語の他に日本語を読まなければいけない.その人がアメリカまれ英語ネイティブ白人であってもだ.ザマーミロ.

というか,実は文系分野に関しては英語網羅性は理系ほど高くない.そんなのは当たり前で,ロシア人はロシア史についてロシア語で書き,カタルーニャ人カタルーニャ言語政策についてカタルーニャ語で書き,チェコ人はチェコ文学についてチェコ語で書き,韓国人は韓国社会について韓国語で書いているのだから英語の文献を読むだけでそれら全ての情報が手に入るわけがなく,本格的に研究しようと思ったらそれらの言語で書かれた文献を読まなければ話にならない.日本事情について一番詳しく正確な研究が読めるのは,英語ではなくて日本語だ.

なので,上で挙げた主要な学術言語は,それぞれ積み重ねが豊富領域とそうでない領域がある.得手不得手というやつで,たとえばマグレブ西アフリカ地域研究ならフランス語で,東ヨーロッパ前近代研究ならドイツ語で,旧ソ連圏の研究ならロシア語で重要研究が蓄積されてきたので,江戸っ子だろうがロンドンっ子だろうが研究を志すのならそれらの言語を読まないといけない.中国近世史を専門にする者が日本語を読めなければいけないのと同じだ.これらの分野で英語で書かれた研究だけを読んで済ますことはできない.

この辺が,理系とは事情の違うところなのかもなぁと思う.理論物理学とか分子生物学とか再生医療とか深層学習とか,ほぼ全ての分野で英語さえ読めれば研究には用足りる(んだよね?).英語最先端研究のほぼ全てが流れ込み,あらゆる情報が蓄積される.しか文系では違う.英語には限られた情報しか流れ込まず,最先端研究の全てが英語提供されるわけではない.

なので文系では,英語理系ほど特権的地位を占めているわけではない.もちろん英語文献が読めるのは今や前提だし,重要な先行研究英語なら読んでいないと問題外だ.けれど,英語ではなく自国語の研究でも研究業績にカウントされるし,外国語での業績といっても英語に限られるわけではない.韓国語やトルコ語論文を書くほうが英語で書くよりも楽だ,と言う研究だっているし,日本語でも英語でもろくな業績がないがそのかわりロシア語で何本も論文を書いているという研究者もいる.

というわけで,文系研究者が英語論文を書いていなくとも,それが直ちに問題だとは思わない.査読論文にしても,そりゃゼロってのはちょっとどうなの,って思うけど,研究者が集まって作った本の一章として論文を発表するとか(いわゆる論集ってやつね),出版社が出してる研究者~教養人向けの雑誌に依頼を受けて研究成果を発表するとか(岩波書店の『思想』とか,青土社の『現代思想』みたいなやつね),査読されてないけど業績としてカウントされ得る論文の発表形態というのはいくつもあるので,査読論文以外にそれらも論文としてカウントしないとフェアじゃないと思う(ただ,私は査読がついていない媒体に出すのは怖いなと思ってしまうので,なるべく査読誌に出している).

別に理系のひとが査読つき英語論文のみを業績としてカウント和文論文勘定しないというローカルルールをお持ちなのは結構なのだが,そのローカルルール文系押し付けないでいただきたい.

私が危惧しているのは,上で書いたような日本語で積み上げられた先行研究が,日本人に真っ当に評価されていないことだ.

文化の豊かさというものを考えたときに,自国語で世界中の情報を知ることができるということが,どれだけ重要なことか.まして,日本コンテンツ産業が主要輸出品目のひとつだ.中世ヨーロッパアフリカ部族社会について日本語での研究が充実していることが,創作者が想像の翼を広げる上でどれだけ有利か.たとえば最近Cuvieという漫画家さんが『エルジェーベト』というオーストリアハンガリー舞台にした漫画を描いていたが,巻末の参考文献にはずらりと日本人が和文で書いた研究が並べられていた.

別に文化に限ったことではない.政治経済,そして人権についてもそうだ.ルワンダ虐殺スレブレニツァの虐殺について日本語で書かれた研究があるのとないのとで,どちらの方が日本人にとって国際情勢を理解やすくなるだろうか.外国で一旗揚げようと目論む商売人にとって,その地域専門家が書いた本や論文和文で手に入るのと入らないのとで,どちらが現地の文化や歴史理解する助けになるだろうか.欧米フェミニズムについて日本語研究を積み重ねる学者がいるのといないのとで,どちらが日本女性の権利の向上に資するだろうか.

すべての国が自国語でこれだけ充実したアカデミアを持てるわけではない.人口があまりに少ない国ではどうしたって物理的な限界があるし,人口が多くとも植民地支配の歴史が長く自国語の大学教育が充実していない国では歴史的遺産がその発展を阻む.

日本人は恵まれ研究蓄積にあまり無頓着なばかりか,その豊かさをみずから捨て去ろうとしている.それが私にはもったいなく思える.

英語は,世界の始まりから覇権言語だったわけではない.明治時代日本医師ドイツ語で論文を書き,外交官たちはフランス語で交渉していた.英語外交学術の分野で覇権を握ったのはせいぜい戦後のことで,それまではフランス語やドイツ語と同格の存在だった.今も文系ではprimus inter paresに過ぎない.ひょっとしたら将来,欧米物理学者たちが中国語で論文を書くことになるかもしれない(そのとき現在私たちが定冠詞や三単現のsに悩まされるように,欧米人が泣きながら漢字習得するのだろう.そう考えるとなんとも愉快な未来予想図だ).せいぜい百年単位覇権言語の移り変わりにあわせて,自国語の学術言語としての地位貶める必要はないと思う.それは私たち社会の豊かさを,長期的に損なうことなのだから

最後に.

どうせ和文論文しか持ってないやつの負け惜しみだろって思ったひとがいるかもしれないけど,和文論文だけじゃなく英語論文も書いたことあるし,英語以外の外国語での論文も持ってます.今それとは別の外国語での研究発表を準備中.私より多くの言語研究報告してきたひとにならともかく,たかが1言語か2言語しか論文書いてないガラパゴスの住人にだけは文句言われたくないですわ~~~~~~.

追記

英語論文が優れているとは言わんけど、査読なしの研究なんてゴミだし。

日本国内の、査読なし論文が実績になる分野の教授たちによって、査読された研究にも何らの価値も感じない。

anond:20181008221502

id:bocola 自分でも言ってるように査読しなの問題査読なしの論文なんて、読書感想文と変わらない程度の価値。やはり文系は無価値だと改めて思った。

arXivのない世界からやって来たのかな? グリゴリー・ペレルマンって聞いたことない? 査読なし論文が業績としてカウントされてるひとだけど.

事前の査読は,論文信頼性担保するための手続きひとつであって,それが欠けている「からダメ論文というわけでも無価値というわけでもない……というのはわかってくれるよね? 当たり前だけど論文価値は最終的には書かれている内容に依存するわけで,だからこそペレルマン査読なし論文であってもポアンカレ予想を解いたと認められたんだよね.

私も査読はないよりはあった方がいいと思うけど,査読がすべての論文につくわけではない分野のすべてをダメと論ずるのは不当すぎる.まあ最近文系査読重要になってきているし,若手は査読つき業績を増やしたがっているけれど,査読がつかないかダメとは限らない,ってだけの話.当たり前だけどダメダメ論文は後発の研究によってちゃん批判されるか鼻にもかけられず無視される.公募の際には論文を提出させたりするんだから査読なしダメ論文を量産していればそこで撥ねられるでしょ.理系ローカルルールで事前の査読必須なのはよくわかったけど,そのローカルルール文系敷衍されても困る.

id:zyzy まぁでもこの噛みつきは、もうすでに南京大虐殺の時に通った道だし、虐殺否定論者と同じ轍を踏み続けている以上、恐らくオタにこの説明が通ることはないんですよ。

私もオタクですが.

追記

続きは anond:20181009084352 anond:20181009213503 で.

2018-08-27

エセ関西弁覚えるような感覚日本人がチョロくマスターできる外国語

存在しないないとか…海外の国ほんとズルい。

スペイン語ポルトガル語ドイツ語オランダ語チェコ語スロバキア語……こういの全然ないじゃん。恐ろしいくらいないじゃん。

韓国語簡単っていうけど「エセ関西弁覚えるように」って感じの楽さとはさすがに程遠いし。

マジで日本語糞だな。せめて日本語母語者がもっと世界に散らばっとけよ。

日本語話者が1億人もいるのにほとんど日本領土内にいるんなら意味ねえじゃん。

2017-10-30

anond:20171029222728

ネイティブに習えるなんて羨ましいな。外国語学習楽しいよね。

私も最近チェコ語学習を始めた。

スラブ言語学習なんて久しぶりだがロシア語に似てるところもちょこちょこあって楽しい

2017-07-25

欧州人名

日本語だと王様名前とか各国名だけど、一般的書籍だと平気で自国語風にしてるので、「えーと、こいつはあいつのことだよな」って感じになる。

英語だとチャールズフランス語だとシャルル、ドイツ語ならカールチェコ語ならカレル、ラテン語ならカロルスあたりはまだいい。

アーサーがラテン語アルトリウス、フランス語でアルチュールもまだいい。

でも、ギリシア語ステファノスラテン語でステファヌス、英語スティーブはまだ分かるが、ハンガリー語のイシュトヴァーン、スペイン語エステバンフランス語のエティエンヌあたりはどういう音韻変化か良くわからない。

2015-12-19

Pocketを使わないではてブを使う理由は何?

何で、Pocketを使わないで、はてブを使ってんの?


Firefox更新したら、「世界で一番よく使われているあとで読むサービスPocket」がFirefox統合されました。Firefoxアカウントサインインするだけで、ブログニュース記事動画などをPocketに保存できます。保存したものは、いつでも、どこからでも見ることが可能です」だって


Firefoxで簡単にPocketが使えるようになった。


SBM本来目的タグ付けでまとめて分類すること(フォークソノミー)であって、コメント欄でやり合って罵詈雑言だらけになるはてブは、SBM本来目的から大きく外れてるわけよ。アメリカでもコメント欄の閉鎖が続いているし(はてブのような罵詈雑言問題になって)、SBMの主目的から大きく外れたはてブ存在価値コメント欄でのクズだの言うことなのか?


Pocketタグ付けもできし、あとで読むこともできるし、はてブコメント欄での下劣なやり取りはないし、スマート(賢い)ユーザーほど、はてブでなく、Pocketを使うだろ。


Pocket for Firefox現在Firefox 41 以降のチェコ語版、オランダ語版、英語版 (米国英国南アフリカ)、フランス語版、ドイツ語版、ロシア語版、スペイン語版 (スペインメキシコ)、ハンガリー語版、イタリア語版、日本語版韓国語版、ポーランド語版、ポルトガル語版 (ブラジルポルトガル) および中国語版 (繁体字簡体字) で利用できます


結構あるな。ところで、はてブって、日本語圏で閉じたSBMとは名ばかりのSBMと離れたコメント罵倒の場だよな。100文字議論(笑)したつもりで、結局、罵倒のし合いのコメントだらけ。FirefoxPocketボタン独立してあるし、スマートユーザーならこっちを使うわな。


http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20151219184556

id:ider_kondo え、はてブってSNSでしょ? 「あとで読む」って何? 確かにはてブにそういうタグがあるのは知ってるけど、それって「この記事は読まない」って宣言一種でしょ? 違うの?

こんなコメントスターが付きまくるのが、はてブレベルの低さ。

はてブって何の略だ?はてなブックマークだろ。はてなブックマークってのはソーシャルブックマークだろ。

ソーシャルブックマークってのはな、こんな意味不明コメント罵倒コメントするところじゃなく、

フォークソノミーが主目的なんだよ。

ソーシャルブックマークではなく罵倒が主になってるコメントから

SBMでなく、罵倒コメントの場で、はてブ罵倒場とでも名称を変えたほうがいいな。


それに、SNSならもっとコメントでやりとりできるようにするだろ。

twitterみたいにな。

何で、1ページに100文字制限しか書けないんだよ。

100文字以内で一方的単純明快罵倒するような仕組みになってるよな。


コメントを見ると、フォークソノミー意味が分かってないコメントだらけで笑った。


100文字制限での罵倒twitterと同じ?

はてブ反知性主義の場

http://anond.hatelabo.jp/20151214115737

まさかtwitter文字制限があるだろとか言わないよな。

twitterはてブよりは文字が書けるが、

はてブと違うのはtwitterツイート連続してつなげられるわけ。

はてブコメントはそのページは100文字で終わり。

twitterはそのページで連続して書ける。

全く違うな。

はてブ反知性主義のアホの集まり


これを書いた後で調べてみたら、はてブはかなりやばいことをしてきてるんだな。

Pocketは、スパイウェアマルウェアはてブボタンに埋め込むことなどしてないので、

その意味でも、Pocketのほうがいい。


http://ja.wikipedia.org/wiki/はてなのサービス一覧

4 はてなブックマーク

4.1 誹謗中傷問題改善の取り組み

4.2 行動情報の無断収集事件

無断でトラッキングを行うことは機能的にはマルウェアスパイウェアと同じであり、はてなの「企業技術者倫理観」に対する懸念が広がった。


https://twitter.com/HiromitsuTakagi/status/178146151344783360

特に悪質なのは、仕掛けなしの当該ボタンが広範に普及した頃合いを見計らって、後からトラッキングの仕掛けを注入してきたこと。まさに騙し討ち。悪質極まりない。 .js 埋め込みパーツが突如マルウェア化する危険性を体現している。

はてなブックマークボタンの行動情報取得と第三者への提供」周辺(「停止」公表

http://togetter.com/li/272393


メタブを知らないとか言ってるのがいるが、メタブで「議論」するつもりなのか。

1ページに100文字制限があるページでメタブしまくって、メタブってのはまさにうんこの投げあいの場だが、

それが「議論」と思ってるのがはてブを使ってるのだな。低レベルが分かるよな。

はてブトップホッテントリ広告記事がうざい

http://anond.hatelabo.jp/20151209132519

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (1/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)

1 - 2 - 3

この夏、私は初めての日本への旅行を企てた。

村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。

ところがその目論見は外れることになる。

私は村上の作品の影響下にあるまま、東京に降り立った。

期待していたのは、バルセロナパリベルリンのような街だった。

そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ劇場文学シットコムフィルム・ノワールオペラロックといった、

西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタン世界都市を私は期待していた。

誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。

実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。

そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。

東京での初めての朝、私は村上の事務所に向かっていた。

アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、

私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。

最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、

どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。

私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。

そして蜂の巣状のガラスピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき

ついにユキという村上アシスタントに見つけてもらうことができた。

このようにして私は東京の地下の洗礼を受けたのである

まりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。

実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。

そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。

村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなた最初記憶はなにかと尋ねる。

やっと村上に会えたとき、私は彼の最初記憶について尋ねた。

それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。

彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。

流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル

そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。

「明確に覚えている」と彼は言う。

「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」

村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。

その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶自分の中にある、と感じた。

ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。

村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分記憶を写し込んでいたのだ。

村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中

週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。

それは非現実的なまでの災害の余波を受けた夏だった。

4ヶ月前に北日本を襲った津波で2万人が命を落とし、

いくつもの街が破壊され、原子力発電所メルトダウンした。

その結果、電力、公衆衛生メディア政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。

日本を代表する小説家である村上に会いに来たのは、

大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。

この本はアジアで数百万部を売り上げ、

まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。

62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学最高峰としての地位を確かなものにしている。

疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界大使となった。

そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。

村上は常に自分日本アウトサイダーだと考えている。

彼は不思議社会環境最中に生まれた。

アメリカによる戦後占領を受けた1949年京都日本の前首都である

「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。

「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。

「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。

彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、

それはそのまま彼の最初人生経験の基本構造でもある。

村上は成長するまでのほとんどを神戸郊外で過ごした。

そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である

彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説ジャズに没頭して十代を過ごした。

そうして反逆のクールさを自分ものにし、

二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブ東京で開いた。

掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、

彼は約10年間をその仕事に費やした。

作家としての村上キャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。

どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生根底から変えてしまう。

29歳の村上地元野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴヒルトンというアメリカ人助っ人バッター二塁打を打つのを見ていた。

平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上天啓に打たれた。

自分小説が書けると気づいたのである

そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。

そして彼は書いた。

試合が終わった後、書店に行きペンと紙を買って、

数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。

それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。

アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。

わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。

名犬ラッシー』、『ミッキーマウスクラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲フランス映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディランマーヴィン・ゲイエルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストックサム・ペキンパーピーターポール&マリー。

以上はごく一部に過ぎない。

そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本芸術引用がまったくない。

村上作品のこうした傾向は日本批評家をしばしば苛立たせている。

村上は『風の歌を聞け』を権威ある新人賞に応募し、受賞した。

そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。

時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。

30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。

すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。

彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。

そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。

彼は自分の事務所を監禁場所だとみなしている。

「ただし自発的な、幸せ監禁だけれど」

「集中は僕の人生もっと幸せものだ」という。

「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」

そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。

30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンルSFファンタジーリアリズムハードボイルド)と様々な文化日本アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。

どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。

時とともに村上小説は長くシリアスになる傾向が強くなった。

シットコム引用もその傾向に調和している。

そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。

低く深い声で村上たくみ英語を操る。

彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。

なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。

はいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。

特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。

安全言葉いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。

英語即興の遊びをしているように感じられたのである

私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。

その事務所は半ば冗談ながら村上製作所と名付けられている。

数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。

村上は青いハーフパンツと半袖のボタン付きシャツで現れた。

彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロンけが好きだという)。

靴は履いていない。

彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップブラックコーヒーを飲んだ。

その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からお気に入り小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。

話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。

村上純粋にびくっとしたようだった。

その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。

「大きいな」と村上は言った。

電話帳みたいだ」

1 - 2 - 3

2011-12-24

虐殺器官 リマインダー

一度虐殺器官を読んだ人(=自分)が内容を思い出すためのもの

第一部

 

 死者の国の夢と、そこに現れる死んだ母さん。

 僕は「濡れ仕事屋(ウェットワークス)」として、二〇一〇年代後半に頻発する内戦をおさめるため、「レイヤーワン」を殺してきた。レイヤーワン――罪の多寡とは無関係に、それを殺すことでもっと効率的に争いを終結させられる標的。

 仕事で殺してきた数多くの(時に罪のない)標的のことは少しも心に留まらないのに、プライベートでの、母に対する医療行為打ち切り決断したことで、僕は気を病んでいる。

 仕事で、二人の標的AとBを殺すように命じられ、異国に入る。標的Bについての情報は、上司から与えられているはずなのだが、それが上司意図により隠されている。

 標的Aはその国で虐殺行為を率いていた為に、ぼくの手により暗殺される。

 ぼくは標的Aに、なぜそのようなことをしたのかをきくが、彼はしきりに「わからない」と繰り返す。

 標的Bはすでにそこにはいなかった。

第二部

 仲間のアレックス自殺する。

 彼はしばしば「地獄は頭の中にある」と言っていた。

 ぼくの父も、かつて自殺したのだった。

 家の天井に散った父の血を拭き取ったのは誰なのだろう?

 標的B――ジョン・ポールを追って、僕らは殺しを繰り返してきた。彼は内戦から内戦渡り歩いているようだった。

 だが、ぼくらが暮らすアメリカは、「ドミノ・ピザやペイムービーリピート平和」か支配し、戦火とは無縁だったのだ。

 ペンタゴンに召集される。

 そこで「ジョン・ポールは軍とは無縁の文人学者でいる」、「しかし、彼が関わった国は決まって内戦が起こる」と聞かされる。

 彼は今度、ヨーロッパに入ったらしい。

 ぼくの新たな任務は、チェコで彼を追跡すること。

 死者の国の夢――「死体物質にすぎない、生きた人間も」と母さん。

 幼少時、僕は家の中で母さんの視線を感じ続けて育った。その視線から逃れるために、「濡れ仕事屋」を始めたのだった。

 視線と、認証との類似性。

 ジョン・ポールと関係を持つらしい女、ルツィアと接触する。チェコ語講師をしている彼女の生徒として。

 ルツィアに、「言語進化によって獲得された『器官』である」という話を聞かされる。

 チェコプラハ行方くらませた人間(ジョン・ポールもそうかもしれない)のIDの追跡可能性はゼロらしい。

 9・11のテロとの戦い以後、認証を繰り返さなければ買い物も交通機関を利用することもでしないのに。

 ルツィア曰く、「ジョン・ポールはもともとMIT学者だったが、いつからDARPA研究(ぼくが使う武装、SOPMODを作ったのもDARPA)をするようになった」

 それは上司からは当たられていない情報だ。

 ルツィアの部屋からの帰り、若者におそわれるが返り討ちにする。おそらくは、ジョン・ポールの協力者。

 彼は、指紋と虹彩とで、認証されるIDが異なる。

 サラエボの核クレーター

 IDトレースによれば、かつてジョン・ポールとルツィアが密会していたとき、彼の妻子はサラエボで核に吹き飛ばされた。

 ――彼が関わった国で虐殺が起こるようになったのはそれから

第三部

 死者の国の夢――夢の中のプラハでは、例の虐殺が発生していた。

 その夢でも、母さんが現れる。

「母さんは意識はなかったけど、内蔵は動いていた。そして、ぼくが医療行為の中断を認証した。

 ……母さんが死んだのは、ぼくが認証イエスと言ったときだったんだろうか?」

あなたは、任務での殺しでは「それは政策が決めたことだ、自分が決めたことじゃない」と、責任の重みから逃れられた。

 でも、医療の中断の責任からは逃れられない。あなた自身の決断から

 ……そう思っている。もしくは、中断をする前から私は死んでいたと信じたがっている。

 けれど、本当は、私だけじゃなく、あなたがころしてきたすべての人々が、あなた決断によって死んだ。

 私を殺した罪を背負い込めば、あらゆることが帳消しになると思っているの?」

 夢の虐殺後の静けさとは裏腹に、プラハのあるクラブには、生き生きとした騒々しさが満ちている。

 そのクラブでは、ID認証せずに支払いできる紙幣(みなくなって久しい!)を使うことができる。

 クラブオーナールーシャス曰く、

「プライヴァシー(認証されない)自由と、テロの自由からの恐怖はトレードオフ。自由の選択の問題」

 クラブでの、ルツィアの告白

 

 ジョン・ポールの妻子がサラエボで核の熱で蒸発したとき彼女はジョン・ポール不倫し、セックスを楽しんでいたという罪の告白

 罪悪感の対象が死んでしまうということは、いつか償うことができるという希望を剥奪されること。

 死者は誰も許すことはできない。

 ぼくの告白――もちろん、仕事の部分はルツィアに隠しながら。

「濡れ仕事」で数々の骸を見、中央アジアからワシントンに帰ってくると、母さんは事故で死んでいた。が、彼女心臓は再び動き出した。――危険軍隊へ行ってしまったぼくへの復讐として、ぼくに生き死にを決断させたかたから?

 決断材料を探す為に、母さんのいえ――ぼくの生家でもある――に行く。

 かつてそこでも母さんの視線を絶え間なく感じながら、ぼくは育った。

 見つめられることの安堵は、(認証され続けることの安堵は、)息苦しさの表面にすぎない。

 結局、母さんの残したログは見ずに(ロックがかかっていて、他人が見ることはそもそもできなかった)、ぼくは母さんの「死」を決断する。

 ――母さんの視線の「気圧」から逃れたくて、ぼくは母さんを「殺した」んじゃないのか。

 僕の告白に対してルツィアは、

人間生得的に善ね利他行動を行える。あなたの、お母さんを「殺した」決断も、本能による利他の行動。だからあなたは許されるべき」

 ルツィアとの帰り道、気を失う。

 ジョン・ポールによる電撃を食らって。

 とらえられた僕は、ジョン・ポールと会話をする機会を得る。

 ジョン本人により、虐殺言語の詳細が語られる。

 虐殺言語は、僕の装備を作ったDARPAが協力した研究により生まれ、僕の殺す対象を選ぶのと同じシステムを利用してる。

 ジョンの協力者によってつれていかれた先は、ルーシャスの店。

 ルーシャスは、〈計数されざる者〉という、ポールの協力者集団の一人だったのだ。

 〈計数されざる者〉は認証を嫌う。プライバシー平和トレードオフの関係にあるはずなのに、実際は、認証をすればするほどテロが増加している。

 それは、世界の人々が、自分のことにしか興味がないから。ドミノ・ピザビデオクリップ平和に浸っているから。すぐに手にできるはずの現実に手を伸ばそうとしない奴らばかりだから

 ジョンとルツィアは去る。

 僕はルーシャスに殺されかかる。その寸前のところで、ウィリアムズに助けられる。

四部

 旧印パ国境地区。そこにいるらしいジョンをとらえるように命じられる。

 痛いと「感じる」ことはなくても、痛いと「知覚する」ことはできる。人をためらうことなく殺せても、その殺意自分のことのようには感じない――僕は「濡れ仕事」をこなせるように、DARPAによって、そのように調整されている。

 ――「殺される」前の母さんと同じ、希薄意識だ。僕が「濡れ仕事」をするために必要な、意識希薄さ。

 この殺意は、本当に僕のものなのか、僕が「殺す」前、母さんが本当に「死んで」いたのか、僕にはわからない。


 仲間のウィリアムズとリーランドとともに、インドに入る。

 ジョンを文化顧問として雇った、ヒンドゥー原理主義国、ヒンドゥーインディア。

 その少年少女の兵を、「他人の殺意」で殺しながら、ジョンのもとにたどり着き、彼をとらえる。

 ジョンを輸送する列車

 ジョンは、

「私が行っている「虐殺言語」と、きみが施されている「「他人の殺意」による殺人」は同じだ。どちらも、良心抑制する」と。

 ぼくは、

「あんたには内通者がいるな。政府部内に。僕らの面子か、もっと上のほうだ」

 ぼくらアメリカと同等の技術を持った敵によって、列車が襲われる。ジョンは僕たちによる拘束から逃れる。

 僕たちも敵も、痛みを「知覚」するが、感じない。体の部分が吹き飛ばされても、戦闘は続く。お互い、「ハンバーガーになるまで弾と火薬をたたき込むしかない」。

 リーランドミンチになりながら、死の間際まで、冷静で希薄意識で戦い続けた。

第五部

 インドミンチになったリーランドは、商品と違ってメタヒストリーを持たないから、つなぎ併せて一つにして、棺に納めるだけでも一苦労だった。

 それでも、ミンチにさえならなければ、認証によるメタヒストリーを僕らは持つ。母さんもそうだった。

 母さんのメタヒストリープロテクトされていなければ、僕は母さんを「殺す」か否かの決断を、認証の蓄積によるライフログを手がかりに探すことができた。

 リーランドミンチになった戦いがきっかけで、ジョンとの内通者が発覚する。

 発覚した情報を手がかりに、ヴィクトリア湖へとジョンを追う。そこは、誰も追おうとしない人工筋肉メタヒストリーの行き着く先。

 〈ヴィクトリア湖沿岸産業同盟〉は、人工筋肉利権を得るために、独立しようとしている。

 ジョンはそこの文化顧問だ。

 ジョンがいるはずのゲストハウスにルツィアを見つける。

 ルツィアを探してゲストハウスに入ると、ジョンが待ちかまえていた。

4(物語のコア)

 ジョンは、

虐殺利他も、進化によって得たモジュールという点で同じ。むしろ両立すらできる。生存のための大量虐殺というのもありうる。たとえば、食料を多部族から奪って自部族の仲間を生きながらえさせるためだったり」

 ルツィアは、

あなたは、サラエボの奥さんや子供を失って絶望しているか虐殺言語をばらまいているのね?」

 ジョンは、

「いや、愛する人々を守るためだ」

 ――そうだ。ジョンがいたどの国も虐殺に見回れていたはずなのに、彼の過ごしたアメリカチェコでは、それが起きていない!

5(物語のコア)

ジョンは、

「人々はみたいものしか見ない。だから、いくら認証しても、テロはなくならない。

 ならば、テロで爆発するはずの憎しみがこちら、アメリカチェコといった先進国に向く前に、彼ら同士で憎しみあってもらおう。――そのために、虐殺言語をふりまいた」

 ジョンは、ぼくらの世界へのテロを未然に防ぐため、虐殺の旅を重ねた。

 ルツィアは僕に、ジョンを殺さずに逮捕するように言う。僕らの世界平和は、ジョンによる無数の死者の上に成り立っているのだと、みんなが知るべきだと。

 と、ルツィアがヘッドショットを決められて死ぬ。

 ウィリアムズによって。

「なぜ殺した」と僕。

「妻と子のためだ。彼女らは、この世界虐殺の上に成り立っていることを知らなくていい。

 ドミノ・ピザ認証で受け取る世界くそったれの平和世界を、俺は彼女らのために守る」

 ウィリアムズはジョンを殺したがっているが、僕はルツィアの最後の言葉の通りに、ジョンを生きてアメリカにつれていき、証言の場に立たせたい。

 ジョンとともに、逃げる。

オリジナル

「おまえを逃がせばまた、虐殺言語を振りまくのだろう?」と僕。

「いや、死んだルツィアの望んだ通り、世界真実を知らせよう」

 タンザニア兵と合流しようとするが、それはタンザニア兵になりすました、僕の「濡れ仕事」の仲間だった。

 彼がジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。

エピローグ

 僕のもとに、母さんのライフログ権利譲渡される。

 ……僕は、プロテクトがあるためにライフログを見られなかったのではない。ただ、漠然とした恐怖があって、ライフログの閲覧を申請しなかっただけだ。

 僕は幼いころ、常に母さんに監視ID)されているような気でいたが、母さんのログを読んでみると、必要最低限にしか、僕の存在記述されていない。

 母さんの記録の中に生きていたのは、圧倒的に父、自殺したはずの父だった。

 僕は、ジョンからもらった手帳を元に、虐殺言語を語る。虐殺言語でもって、ルツィアの願い通り、真実を世に知らせるのだ。

 そして、世界にとって危険な、アメリカという火種を、虐殺に突き落とす。

 僕はこの決断を背負う。ジョンがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。

☆改変版

「お前はまた、虐殺言語をばらまくのか?」

 ジョンは、

「いや、私は米国内の後ろ盾を失った。深層構造原理を知られれば、たか言葉だ。応用されるのも時間の問題だろう。マスコミ政府公報で、いくらでも虐殺言語を打ち消せるさ。

 だが、私は〈計数されざる者〉という新たなバックアップを得られた。認証に対して憎悪を抱く、世界的な組織だ。この力を使えば、私たちのすむ「こちら側」を静寂に保つことができる」

「なにをするつもりだ?」

 僕の「濡れ仕事」の仲間が、僕がジョンの答えを聞く前にジョンを射殺し、僕の任務は(アメリカからすれば)成功裡に終わる。

エピローグ

 僕はジョンに、「真実」が書かれたテキストファイルを渡されていた。

 それを世界に知らしめ、僕たちが虐殺の上にたっていることをみんなが理解することがルツィアの願いなら、僕はそうするべきなのだろう。

 公聴会で、ぼくはジョンの件で見聞きしたものを語る機会を得る。

 ジョンから渡された「真実」オルタナに浮かべて話そうとする。

 すると、僕が見ずにいた、母さんのライフログオルタナに突きつけられる。――これが、〈計数されざる者〉、ジョンが最後に得た力か。

 幼少の僕は、母さんに監視ID)され続けていたと思っていた。しかし、母さんのライフログには、あまりにも父ばかりがいる。彼の死語ですら。

 それを皮切りに、次々に、アメリカの全議員、いや、オルタナをつけているすべての人々の視界に突きつけられる、真実ログ世界からアメリカ憎悪の数々が向けられているという真実。〈計数されざる者〉のルーシャスは言っていた。プライバシー提供と、テロとのトレードオフの不均衡は、みたいものばかりを見ることによって起こると。認証の中に閉じこもり、ドミノ・ピザビデオクリップ平和の外を知ろうとしないことで起こると。

 ふと、アメリカはもう死んでいるのだと思った。母さんに視線を返せない、父さんのように。憎悪を浴び続け、しかしそれを無視しているアメリカは、死んだ父さんと同じだ。

 ……だが、アメリカ憎悪を向ける小国とて、自分の窮状をしらしめようと騒ぐばかりで、他の小国を知ろうとすらしていないのだ。僕が母さんのログを見ようとしなかったように。

 ジョンが行った、〈計数されざる者〉の力の改変。それは、小国の内部で争いを起こす虐殺言語よりも規模が大きなものだった。互いに無視しあっていたずの、小国小国視線をぶつけ合わせる。そして、小国同士で戦争を起こすことで、「こちら側」の平和を保とうとするものだった。

 ジョンの考えと僕の考えは違う。

 母さんが僕を見ないのは、父さんというすでに存在しない項があるからだ。アメリカから存在しない視線小国が期待するように。

 存在しないものを、存在しないと意識させること。僕にはそれができる。ジョンから得た「真実」の欠片、虐殺言語と、僕のマザータンアメリカで語られる英語によった。

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