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はてなキーワード: 月経とは

2020-08-09

志望動機が思い浮かばんのやが

いま25歳、衝動的に仕事を辞めてしま無職です。

頑張ったてきたんだから少し休もうと思ってダラダラしてたらもう三ヶ月経っていました。

無職って怖いね社会のどこにも属していないこの感じ。駅の外でダンボールを敷いて生活している人たちと今は身分が変わらないのだなあと自己嫌悪に陥り、何に対しても意欲が落ちている。

貯金もそろそろ底を尽きようとしている。

カード請求も今のままじゃ足りない。

とりあえずバイトは始めようと思うが、給料請求日に間に合うだろうか。

気づくのが遅すぎた。

同時に正社員募集を探していくつかいいなと思う職は見つけた。 

が、ここで問題志望動機が思い浮かばない。

前職が販売業だったから、より質の高い接客態度を身につけたいと思って高級外車ディーラーに応募しようと思っているけど、ぶっちゃけこの動機って他の会社でも良くない?なんでウチなの?と突っ込まれると言い返すことができないのだ。

俺は大学時代就活セミナーでこの企業でなくてはいけ無い理由しろと耳にタコができるくらいに聞かされた。たしかにそんな理由志望動機に書くのが理想ではあるだろう。しかし、これがなかなか思い浮かばない。

この企業に応募しようと思って志望動機を考え始めてから約一週間が経とうとしている。

みんな志望動機ってどんな感じで書いてるの?

2020-08-06

anond:20200806174804

正社員解雇されることになると

解雇通知で1ヶ月分の給与を貰える

職安で直ぐに手当もらえる(事故都合だと3ヶ月経過後)

等々の待遇がある。また何らかの正当な理由がないと解雇できない。

フリーランスにはそんなの無い。

2020-08-04

レジ有料化から一ヶ月経った。

自分小売店で働いている。

8月に入ってからレジをしているときにどんなにお客の買い物の量が多くても、

シールでいいでしょうか?」と言うようにした。これで少し楽になったような気がする。

基本的にどんなに多く買っても袋を買う人はまれ

マイバッグを持ってなくても商品を裸で持って帰る人がほとんど。

なので、いちいち「袋いりますか?」って聞くのが面倒くさくなった。

買う気もないのに考えるふりして待たされるのも何気にツラいし。

袋いる人は会計前に「袋ください」って言う人が多いような気がする。

それにしてもお金がかかるようになったらみんな袋もらわなくなったよな。

無料ときペン1本でも「袋に入れてよ」とか言ってたのに。

4ヶ月ぶりに彼氏に会った

通話はするけどカメラオンにはしない、zoomもしないで4ヶ月。第2波の中だけどやっと暇ができて会うことになった。

会うと予定を立ててから私は人間に戻るために四肢ムダ毛を全て剃り(ここまで長袖で過ごしていた)、マスクで隠れる顔も全部綺麗にした。そしてマスクから出ている部分を華やかにすべくアイシャドウを新たに調達した。

本当に一大事である。4ヵ月ぶりに会って「老けた?」などと聞かれてはたまったもんじゃない。まるで夏休み明けの学校に行く時のようなドキドキした気持ちで会いに行った。

そして、彼は待ち合わせ場所にいた。「お久しぶりです」という彼は4ヶ月経っても全く変わっていなかった。すごい。4ヶ月経ってもそのままだ。挨拶ついでにつついてみたらきちんと人の感触がする。変わらず生きていて目の前にきちんと存在している、なんと愛おしいことか。これは4ヶ月声だけで関係を持たせていた私(達)にとって堪らないくらいに嬉しいことだった。ちなみに彼には「縮んだ?」と聞かれた。そっちか。

それから2人で街を回った。彼は見慣れない風景の中を楽しげに歩いていたが私はその楽しそうな顔を見ているのが幸せだった。終始緩みきった顔で見ていたと思う、マスクがあってよかった。目と眉のみで顔の情報制限されていたとしても、彼の見せる表情の一つ一つが彼が今ここに生きていることを実感させてくれた。気持ちで言えば5分に1回は表情を撮っておきたかったくらいだった。

たくさん話もした。今、目の前に写っているもの感想を2人で言い合うのも4ヶ月ぶりだ。ラグがない状態で話が進んでいくことが新鮮だった。あまりに楽しくてどこかで一息つくこともせずにただ歩き続けた。いろんなものを見て、その話を2人でし続けた。4ヶ月前と変わらずに話が弾むことに私は少し安堵した。

別れ際、最後からと手を握ったら温かかった。私は生きた彼に会えたのだ。この喜びで胸がいっぱいになって、そしてこの気持ちを忘れたくなくて、駅のホーム階段を踏みしめるように歩いて帰った。1〜2時間、以前よりは本当にちょっぴりの時間だけだったけれど、会えて良かった。

2020-08-01

コロナ禍に振り回されてる新入社員だけど

普通に辛い

新入社員研修リモートだった。

やっと配属されて出社できると思ったけど、またコロナ感染者増えたせいでリモートになった。

ただでさえわからないことだらけなのに、リモートのせいで環境会社の人にも慣れないまま時間だけ過ぎてる。

大学卒業して、遠く離れたところに就職して、気軽に会えるような人も周りにいないまま4ヶ月経ってる。

慣れない仕事に疲れて、華金で同期のこと飲みにいくようなそんな社会人生活を送っていると思ってたんだけどな。

インスタ見てると、毎日のように仕事終わり飲みに行っている友達ストーリーが流れてくる。同じ東京にいるのにね。

別に法律制限されてるわけでもないし、結局は良心問題だ。誘いはくるし、行ってる人もたくさんいる。

行こうかなと思う自分もいる。

でも職場には小さな子供を持つ先輩がたくさんいる。もし私が飲みに行ってコロナになって、先輩を通して子供たちもコロナにかかったら?

仕事もできないのにウイルスだけ持ち込んでくるテロみたいな存在なっちゃうよ。

そう思うとなんの躊躇いもなしに飲み会なんていけないし、結局毎日家にいる。

でも毎日寂しい。

仕事終わって、料理作って、テレビ見て。

友達電話することもあるけど、でも寂しい。

明日からまた予定のない土日が始まって。

そしてまた月曜日が始まって。

帰省の目処も立たないし、ただ日にちだけ進んでく。

あぁ早くコロナ終わらないかな。

なんでこないだ彼氏と別れちゃったんだろ。

2020-07-31

シャワーやって2か月経った

普通最後に軽く水で流して毛穴を締めるみたいだけども、私は最初から水で洗ってます

初めの1~3日は寒すぎて微熱が出るくらいだったけども2か月経って結構慣れてました。

今では、シャワーを浴びる瞬間の心臓キューと縮こまるあの感覚病みつきになっています。肌が乾燥しにくくなって、ニキビとかできやすい人もいいのかなー体臭も減った感じ。

シャワー時間も明らかに減るので、水道代安くしたい人はいいかも。風呂場がカビにくくなるので掃除も楽になりますよ。

でも、ハゲハゲのままです。1年くらいやると変化あるのかな。

2020-07-30

シューゲイザー

好きだった音楽関係仕事をしていたが、職場人間関係に悩み、鬱で休職をし始めて数ヶ月経った。

生き甲斐だと思っていた音楽だったが、今となっては楽器に近づくのも怖くて、音楽聴くことすらも疲れてしまう。

散々寄り道しながらも、自分には音楽しかないと思い、ようやく進んだ道だったが、どうやら心が折れてしてしまったようだった。

この間の通院からカウンセリングによる治療が始まったのだが、職場で受けたストレスを振り返る場面があった。

私は周囲の期待の一方で、先輩・上司からの「指導」に精神的苦痛を覚えており、それを隠しながらも期待に応えようとしなければならないことに葛藤していた。

そのストレスを、何を支えに乗り越えていたのかと聞かれた時、私は酒を飲んで誤魔化していたとしか答えられなかった。

心理士は、例えば好きな趣味とか、ペットとか、家族恋人や友人とか、大切にしているものとか、そういったものがあったはずだろうと問う。

ワークシートに目を落とすと、人生サポート資源という欄に、いくつもの項目が書けるように設定してあったが、私が書いたのは酒、たったそれだけだった。


帰りの待合でもう一度考えるが、何も浮かんでは来なかった。

かに、私は多くの人の支援があって生きてきたし、感謝している。しかしながら、それが人生原動力であったかと言われたら、異なるように思えた。

私の勝手な我儘を、音楽勉強をさせてくれた両親には借金もある。

歳の離れた恋人とは、価値観の違いからの衝突が増えており、私はいつ別れ話をしようかと考えあぐねていた。

学生時代の友人や会社の同期とも、もう随分連絡をとっていない。特に病気になって会社を休むようになってからは、どうにも気まずく、殆どの友人と疎遠になっていた。

何より、自分自分たらしめるものと信じて疑わなかった音楽は、今では向き合うことも苦しいものになってしまった。

自分には音楽しかない、そう言い聞かせて進んできたのは、思い込んでいただけであって、音楽そもそも自分のものではなかったのだ。

私の精神的支柱なんて脆いものである。確固たるものなど、端から持ち合わせていなかったのであった。


まり専門性の高い仕事を選んでしまったために、他業種への転職の潰しは効きそうにもなかった。

コロナ禍の現在、自ら職を失うことがどれだけ馬鹿たこであるか、資格も大した職歴もない自分転職をすることが、どれだけエネルギーが要ることか、考えるだけで気が滅入ってしまった。

全てふりだしに戻ってほしい。

仕事のことも、恋人のことも、人生も、全て清算してしまいたい。

待合では、小さい子ども母親に抱きかかえられながら、どこかで覚えたのだろう読経の真似事をしていた。母親は疲れの滲んだ悲愴な表情で、やめなさい、静かにしなさいと繰り返している。

救急隊員が担架を運んでくる。毛布の隙間から、冷たい顔が見える。

しばらくして、両親らしい男女二人が処置室に案内される。

緊張感に覆われた空間に、ヒーリングミュージックアレンジされたショパンが流れ続け、別れの曲はクライマックスを迎える。



私は心臓をばくばくさせながら、焦燥を必死に隠して、薄汚れたジャックパーセルの爪先を睨みつけていた。


私の人生はまだ続くのだろうか。

アラフォー女だけど21歳を最後セックスしてない

その後いい感じになった人はいたし終電逃してホテルに行ったりもしたけど何もなく、もう20年近くセックスしていないことになる。

全く困ってない。すごく楽。むしろセックスする方が面倒が多いと思う。

ピル月経困難症治療生理日調整のために19の時からこれまた20年近く飲み続けてる。

すごく楽。どんな大事な予定にも絶対生理かぶらないように自分コントロールできる利便性生理も軽くなるし。

性欲がないわけではなくて、エロ本エロ動画も見るしオナニーもする。それで十分。

わざわざ性病妊娠リスクを冒して他人に満たしてもらおうとは思わないかな。

彼氏がいた頃のセックス別にこっちの性欲が満たされる訳ではなかった(=気持ちよくなかった)し、適当アンアン言っとき彼氏が興奮してさっさとイクから、それだけ。

「付き合ってたらセックス」みたいな惰性だったな、若かったなと。

資格も職も定収入不動産もあるし、一人のままでも人生困らないと思うのでこのままでいい。

2020-07-26

26歳になってから生理が辛い

こんなに辛いものだったの?

今まで生理痛に悩まされたこともなかった。

痛みはあったけど、うわーきたか、と思うくらい。

から血が出る数日が不快なだけだった。

26歳になってから半年くらいだけど、ホント急に辛い。

ホルモンバランスとやらのせい?


■予定日の1週間〜10日前に体温が37度を超える

(平熱からするとやや高めの微熱

ぼわーっと暑い

これは熱がありますねぇ、という感覚

体がダルいし頭ぼんやりするし、夏場なんか最悪。

最近は毎月、コロナじゃないかと怯えてる。

検温される店には入らないようにしてる。


■予定日の1週間前くらいから極端なネガティブ思考に陥る

元々根暗だけど、輪をかけて酷くなる。

何年も前の言動を突然思い出して頭を抱えたり、

あの時ああだったこうだった、あんな失敗した、

周りにはこう思われてたんじゃないか

嫌われてる、好かれるはずがない、みたいな思考が止まらない。

人と会ったり、話したりするのが怖い。


■期間中、腰の鈍痛と下腹の捻じ切られそうな痛み

これがみんな苦しんでた生理痛か…と思った。

めちゃくちゃ重たい荷物を、

腰だけに体重かけて持たされてるみたい。

下腹はずっとギリギリ、ああここに子宮がありますねぇ…となる。

あと穴がとにかく痛い(生々しくてごめん)

筋肉が無理やり収縮してる痛み、みたいな感じ。

日常生活は送れるからまだマシな方なのかも。

ただ、前まではせいぜい2日目だけが痛みのピークだったから、

こんなに何日も続くと泣き言も言いたくなる。


■期間中、引くほどイライラする

世で言うPMSって月経"前"だったと思うんだけど、

私は期間中に来るタイプらしい。

普段なら電車で順番抜かされても何も感じないけど、

この時ばかりは突き落としてやろうかと思う。

絶対しないけど。思考けがギラついてる。

できるだけ外に出さないようにしてるつもりだけど

"その時"の精一杯の努力なので

平常時からしたら不機嫌かもしれない。


10日くらい続く(これは前から

3日くらいで量が減って、あとはダラダラ終わらない感じ。

痛みもイライラじわじわ続くようになった。


・・・こんなのを中高生の頃から耐えてきた

"重い"タイプの人たちを本気で尊敬してる。

単純計算で毎月の半分近くが不調なの、

どう考えても人体のバグでは?

生理ビギナーすぎて、この歳で驚いてる。

みんなどうやって乗り越えてるか教えてほしい。

2020-07-25

豹変する妻、PMDDにつき(月経不快気分障害)

些細なことがきっかけだった。

全身から火が出るほど夫に腹が立ち、LINE暴言を載せた。

貴方がすべて悪い、私は被害者だという趣旨を延々と。

全面降伏するまで絶対に許さないと結婚指輪も外した。

強い怒りの中で冷静な返答をされるとさらに傷つき、死にたいとさえ思った。

着火原因は何なの明らかにしたい夫と問題解決など望んでおらず「寂しかったんだね。」という共感けが欲しい私。

いつもならばこれは男女の脳のせいにできるのに・・・

それでも今回は化け物のように怒り狂ってしまった。

夫に迷惑をかけ、困らせていることさえもつらく涙が止まらない。

狂えば狂うほど嫌われるとわかっていながら魔物を止めることができない・・・

私たち夫婦仕事の都合で別々に暮らしている。

お互いに仕事を持っており、普段の連絡はLINEである

「悪く思わないでほしい、少し異常な感じがする。心療内科へ行った方がいいかもしれない。」

そのメッセージを見て怒りとともに恐怖心も湧いてきた。

異常・・・

薄々PMS(月経前症候群)が酷くなっているとは思っていたが今回のそれは毎月のものとは違っていた。

詳しく調べてみると私のそれはPMDD月経不快気分障害)と思われた。

PMDDとはPMSよりも特に精神面での症状が重く、自制が効かずに対人関係問題を起こしたり自殺念慮を持つそうだ。

欧米とは違い日本ではまだあまり知られおらず、比較的新しい病気のためはっきりとした原因もわかっていないとのこと。

どうにかしてこの夜だけでも魔物を鎮めたい、その一心ネット検索をした。

漢方薬ホルモン剤抗うつ剤・・・

色々と検索をしたところ、午前1:00でインスタントに手を出せるものといえばアロマだけだった。

玄関からロマ精油スプレーを持ってきて(マスク用だが買っておいてよかった・・・

カバーの隅に吹きかけた。

暴れまわっていた魔物がするすると小さくなっていくのがわかった。

嘘のようだった。

PMSPMDDは「甘え」だと思われるだろうから夫へ言うつもりは無かった。

しかし私の異常性に首をかしげたままの夫を放っておくわけにはいかず、こういった病気かもしれないと告げた。

「甘え」だとは言われなかった。

PMSPMDDについては知らなかったとやや腑に落ちた様子だった。

私はというとすっかり魔物が消えて、もとの楽観さを取り戻していた。

魔物が消えた朝は夫のことが大好きな自分に戻り、いつものコーヒーも一層美味しく感じた。

宝物を箱から取り出して、再び左手の薬指にはめた。

すべてのLINE履歴を消してしまいたいほど情けないし、夫へ心的外傷を与えてしまたことを深く反省している。

PMSPMDDは月に一度の一過性病気であり、放置されてしまうことが多いそうだ。

ロマ魔物が鎮まるならばそれでいいと個人的には思うが、夫へ迷惑をかけてしまった以上クリニックで受診すべきとも思う。

これは自分にとっての備忘録でもあるし、同じ症状がある方へのtipsとなれば。

(アロマスプレーの成分:エタノール、水、ライム油、ローズマリー葉油、マンダリンオレンジ油)

2020-07-24

吐き出させてくれ

追記(1):07/25 09:14

・嘘の話なのに優しい言葉が並んで朝から涙腺がああああああ、ありがとう。いくつかレスします。

・つまり今はどんな状況?>親権を持っているが、私が元夫に養育費ものを払い子供に会えない

弁護士は?>ついてます親権もってるなら会いに行っても問題ないとのこと。でも今回のことはまだ相談していません。子供に嫌いって言われると強引には会いづらいよな……

堂々巡り思考再婚した人がいたら子供母親に会いたいっていいづらい説ないかな、いや、それは私に都合のいい考えであって本当に会いたくないのかもしれない、いやいや(無限ループ)→身動きとれない

ピザ食った手でコントローラ持つな>ポテチも箸

チンニング>正しくはドアのふち?のほうで行います、歪みますのでおすすめしないです

事実上誘拐>そうですね。親権を持ってシングルマザーに戻れるかというと本文の通りです。本当に悩ましい、金・体力・時間、頼れる親戚、精神力がないとシングルマザーはこなせない。私だって本当は子供と過ごしたいが自分事故にあったらどうなるか、考えると怖い。合理的判断するのも冷たい人間かと思いますが、子供は見る大人の目が多いほうがいいのでこの状況には納得していますが、やはり定期的に会いたい。もちろん全部私の体験主観です、やれる人はやれます。その方は尊敬します。まさにこれ、です。代弁すみません

ブコメ引用: 子は親権的には取り戻せるけど取り戻して育てる自信や体力がもう尽きてるんでしょう。 (略)

・変なところに句点があったのを修正

・「大変な子育てをしている自分」というポジションを失いたくないのでは?>いやいや、ないです。なんでしたっけそういう症候群みたいなのありますよね。ミュンヒハウゼン症候群?違うか。ないと思いたいです。むしろ周囲に大変な状況というのは見せたくない、というほうが強いです。それも性格上、問題なのでしょうけど。誇れるもの仕事趣味です。そこらへんの承認欲求は満たされています

・生い立ち嘘だろ>設定、盛りすぎですよね、奇妙な人がいるもんですね。

子供が現妻に話していることや、現妻、元夫のことには触れないように書いているため情報の偏りすみません

以下本文

子供誕生日前日に離婚したんだ。

元夫が二人目が欲しいというので、それは無理だと答えたら「僕は傷ついたか離婚したい」と。

セックスレスではない。

二人目が無理だという理由には、40日あった有休が消えるほど予防接種病院保育園イベントに目まぐるしかたからだ。

二人目がいたら有休が倍あっても足りない。身体がいくつあっても足りない。よくわからないけど耳から血が出たのは初めての体験だった。

医者ストレスだろうと。ちな元夫の有休は余っていた模様。

私はこのことを重くならないよう、冗談めいて元夫に伝えたつもりの結果がこれだ。

とにかく離婚の流れは意味不明だったが、離れた人の気持ちにすがっても仕方ないので了承し、離婚提示から二週間で財産分与引っ越し離婚をした。

子供小学生に上がる直前の話だったので、交友関係リセットされるタイミングだったのは都合がよかったのか悪かったのか。

母子ともに不安で慣れない環境子供にもストレスがあったのだろう。

もともと発達障害のグレーだと診断されていた子供は、自分気持ちの伝え方がうまくできなかったようで、喧嘩した友達道路に突き飛ばし危うく事故になるところだった。

親歴6年生、子供の成長に応じて接し方もこんなに変動的だとは思わなかった。

毎年親歴1年生にリセットされている気分だ。

から私も𠮟り方がわからなかった。

校長先生学校先生の前で子供を突き飛ばし「お前がやったのは、これだ。人殺しのようなものだ」と叱った。

かに喧嘩を振ったのは相手の子からだった。

それは悔しかったね、と認めたうえで「でも、暴力ダメだと」と私も子供に手をだしてしまった。わかってる、無茶苦茶だ。

こうしないと伝わらないのか、相手の子は怖い思いをしていないかもっと別の叱り方がったのではないか

でも突き飛ばした先に車がいたら取返しがつかなかったのでは?さまざまな思いが過り、不覚にも人前で泣いてしまった。

校長先生から「お母さんは頑張ってます」という言葉をもらって救われた。

子供は泣きもせず、黙ってうつむいていた。

私に親族はいない。いや、いるが刑務所にいるのでノーカンだ。

身近に頼れる人がいない。

頼れるのは己の身体と金インターネットだけだ。筋トレをし、仕事で金を稼いだ。

困りごとがあればセーフティーネット各所、ネット検索相談をした。

安定した大企業に入り込めたのも運がよかったのかもしれない。

友達にも恵まれた。足りないものがあればAmazonリストからいろんなものを送ってくれた。まだお返しはできていない。でも感謝はしている。

だが友達は頼れるとは違う気がする。相手にも生活があるからだ。

弱音は吐けず、とにかく友達の前では明るく(SNS上)ふざけた投稿ばかりをしていた。今もそうしている。

で、なんだっけ?そうだ、気ままに吐露させてくれ。

はいつもイライラしていた。

シングルマザーからとしっかりやらなきゃと。

同時に期待する相手がいないというのはとても楽だということにも気が付いてしまった。

元夫がいるのに動いてもらえないと思うとストレスが溜まるが、端からからいなければ期待もしないし家事育児自分のペースでできる。

とはいえ、なぜイライラするのか。

シングルマザーからとしっかりやらなきゃと(大事ことなので2回)。

力の抜き肩を知らないんだ。

つーか気ィ抜いたらシングルマザーなんて餌食っしょ(誰の?)。

子供学校の授業にぜんぜんおいついていないので宿題のほかにドリルやらせた。

家のことをしながら宿題を見る。イベントプリントも多い。

そう、ランドセルの奥底でぐちゃぐちゃになったプリントを持ってくる。

工作トイレットペーパーの芯が必要ね、なるほどなるほど。

え、あれ……このプリント先週のじゃん!てことは、明日必要ってことー!?

(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!)

ああ、これが小学校の壁か。

ここで振り落とされたら、子供の将来がどうなるか。

私はスラムまれで親が犯罪者、中卒、ヤ〇ザに連れていかれそうになったこともあるがなんとか生き延びた。

それはすべてタイミングと運がよかっただけなのだ子供はそうとは限らない。

Luc値なんてどうやって増やすんだよ、クソが。

そうだInt、少なくともIntなら目に見えてわかる!そう思いながら子供宿題ドリルやらせた。

そんなばかりの毎日は疲れる。たまにはピザを頼んで子供ゲームしながら食った。楽しかった。毎日こうだったらいいのにな。

日々ピリピリしていたのには間違いなかった。私が倒れたら詰むからだ。

シングルマザー金も時間も限られている。ジムなんか通えないから部屋のドアを使ってチンニングする35歳。

元夫とは月1で会わせて、家庭裁判所提示する一般的養育費をもらった。

月5万円で子供が育つわけがないんだけども。

私が欲しかったのは金じゃなくて手伝いでもなくて、当事者意識だった。

子供病気意識をなくし、救急隊が部屋の中をドタバタの入っていく中、元夫は寝ていた。

私が不安からそばにいて欲しいといっても仕事中だからと断られた。

救急車に運ばれること4~5回。全部、私が対応した。

この記事自体、私の視点しか書かれていないので、元夫にものっぴきならない睡眠(?)事情があったのだろう。

たとえば、救急隊員と目をあわせたら死ぬとか、そういう事情が。

あくまでも私の体験主観だけで述べる。

元夫の悪口のつもりもない。対話をしてこなかった自分にも非がある。

元夫にもいいところだってあった。例えば……ええとつまり結婚前と結婚後、人は変わってしまうんじゃない。

それ以前の人の本質。そういうのを見極めて結婚することは難しい。その差分を埋めていくのが結婚なのだと思う。しらんけど。

話を戻そう。離婚した元夫とは関係が良好だった。

元夫は一人暮らししたことがなく、家のことがこんなに大変だったなんて知らなかったよ。ごめんね、という言葉が出てきた。

離婚後2か月、それは嬉しかった。

しばらくして『今度こそうまくいく。よりを戻したい』といわれて、悩みに悩んだ。半年くらい保留にした。

半年くらい保留にしていたら、私が体調を崩して家庭のことが詰んだのでよりを戻してしまった。

やはり身体を壊すとメンタルも壊す。メンタルも壊すと身体も壊す。

よりを戻すためにすぐに再婚はせず同居をはじめた。

子供は喜んでいた。

そうだよな、子供の前でわかりやす喧嘩をしていたわけでもなく突然の離婚だったからな。

『また一緒に暮らすの?やったー』と喜んでいたよ。

でもダメだった、期間にして3か月。

「お前は親に向いてないから出ていけ」だと。

どうやら元夫が帰宅するタイミングで、わたしイライラしながら宿題を教えていたのが親に向いていないと判断したそうだ。

なぜイライラたか、それは前述のとおりだ。

(1)戦力になると思っていた人がいない→(2)全部自分でやる→ちゃんとしなきゃ→思い通りにいかない→イライラ子供が怖がる。

(1)がなくてもシングルマザー状態の(2)でも詰むんだ、この場合は。

それを伝えたが、ダメだった(あれ、(1)の時点で助けてと言ったつもりなんだけど?)。

とにかくかばひとつで家を追い出された。子供には月1で会うことはできた。

元夫は家事はできるようになったが(同居の時には週末のみの家事だったけども大きな進歩や!)子供イベントは参加できているのだろうか?

子供イベント関連にほぼ出たこともなければ結婚離婚保育園学校年末調整書類を書いてこなかったのに!?

大丈夫か?

だが、元夫から報告する言葉安心に足るものだった。

私だけが夫婦生活子育て向いてなかったんかーい!

そう納得するしかなかった。

「じゃ、子供にはたまに会わせてくれないかな。何かあれば全力でサポートするから。」

そう言うしかなかった。

親権者は私だが別居しているという謎の状態から1年が経過したある日、

知らない番号から「うちの夫に手をだすのはやめてください!」という電話がかかってきた。

はて、人違いでありんしょう?わらわはひと様の殿方と戯れるほどの悪趣味はござりんせん。

通話相手の話を聞くと 元 夫 が 再 婚 し て た 。

私を家から追い出し、すぐに再 婚 し て た 。

元夫は現妻にも私にも良い顔をしていたのだ。事実小説よりも奇なり。

私は追い出された背景や、勝手浮気相手にされた怒りもあったが、何より子供に隠し事をさせたことが許せなかった。

ある時期からお母さんいつ戻るの?と言わなくなったこと、それは現妻から配慮だろう。優しい子だ。

子供が間違えて再婚相手名前を言ったとき、私がそれは誰?友達?と聞いたら少し間をあけて「うん」と言ったこと。

子供だって大きくなれば隠し事や嘘だってつく。だが、それはこういう状況ではないだろう、もっとこう違法アダルトサイトをみたときとかさ……

とにかく、子供大人事情で隠し事をさせるな、嘘をつかせるなと怒った。

現妻には、私だって再婚は寝耳に水だと事情を伝えたら納得したがあちらはあちらで修羅場だったがそれがしらん。夫婦なら話し合ってくれ。

で、だ。

子供にはCovid-19のせいでで会えていないんだ。5か月も。

あちらにも生活があるから写真をくれ、子供に会いたいメッセージを送りあぐねいていたら5か月経過した。

それまで手元に残ってる子供写真を眺めて過ごした。

だが先日、写真を欲しいと伝えたらくれたので、調子にのってビデオ通話したいと言ったところ「子供が嫌がっていますのでできません、子供意志尊重します」だそうで。

そうか、小学校中学年でもはっきりと自分意志が言えるんだ、そうか。成長に感動しつつも、母親権利としても認めていただけませんかね?と伺うと「子供曰く、お母さんは怖いから嫌」だそうで。

そうか、現妻(はもともと優しいのかもしれないが)や現妻と修羅場を経て夫婦生活できている元夫は子供に対して優しいのか。

よかった。

よかったけど悲しかった。私は怖いお母さんだったのか。

いつもピリピリしながら宿題を教え、軍隊の如く、今日タスクは終わったのかと詰め、関係各所に頭を下げつつ、ドアで懸垂していたお母さん。

子供にとってはそんな思い出しか残せなかったのか。

そりゃそうだ、セクハラパワハラだって被害者加害者しかいないもんな。

最後に、よけいないことは言わないから「おやすみ」だけ言いたい、聞きたいと頼んだが「子供は嫌がってます、やめてください」で終わった。

そりゃそうだ。「相手と直接 離せばわかる!」なんてSNSでもやばい発言上位に入るやつだもんな。

私は引くしかなかった。

親権を持っているなら、お前が引き取ればいいじゃねーか。

そう思うだろ?

だがシングルマザーやってみ。マジ大変だから。ヤ〇ザの非じゃない、別のベクトルやばい

有り余る金と時間と体力、あらゆるトラブルに動じない精神力ががあればシングルマザーをやりたいよ。

割とメンタルゴリラゴリラ、本当は繊細だからね。隠喩だよ)だと思ってたけど、訪問者のノックですら怖いかダンベルを隠し持ってドアをあけたもん。

余裕がないんだよ。

シングルマザー、出来る人はいる。だがそれはそれこれはこれだ。

私は直接言われたわけではないものの、現妻伝手に「お母さんは怖いから会いたくない」と言われたのにまた子供を親として見る自信がない。(人伝手のほうがダメージでかいね?)

合理的に考えて、何かあったときのための大人の目は多いほうがいい。

子供の今が幸せならいいだろう、とも。

別に悲劇のヒロインになるつもりもない。いやちょっとだけ悲しいか吐露してんだけども。

現妻と話したあと、私はこのまま子供に会えないのだろうかと思ってちょっと生きるモチベーション下がった。割と修羅場くぐって生きていたけど自死が過るくらい。

でも死んだらそもそもチャンスもなくなるじゃん。子供と同じ空気を吸ってるだけでも嬉しいかなくらいに思わないといけないね

いつか会えるのだろうか?いつか会える……か。

かに期待することは辛いことだって十分体験したよな。

子供と過ごした8年間の思い出と写真を見ながら過ごすかー。

子供親孝行は生後数か月っていうし、十分に幸せ体験をさせてもらったよなー。

私が残せるのは金くらいかなー仕事がんばろーっと。

これって(もちろん両者に非、ネグレクトがない前提で)共同親権みたいなのがあれば解決されるのかなー。

でも、制度に期待してもダメか。いつかお母さんに会いたいって言われるといいな。いやー、ちょっと辛いなー。

世の中最後に頑張っているシングルマザー/ファザーの皆様、尊敬していますあなた方はすごいです。

あー書いて多少なりともすっきりしたわ、長々とご清聴ありがとうございました。

ま、全部嘘なんだけどね。

ここまでコロナ対策無能だともっと酷くなれと思ってしま

もう何ヶ月経っても未だに対策という対策を実行しないし

GoToキャンペーン始めるし

 

第一波のときも思ったけど

こうなってくると真面目に国民努力した結果で政府評価されるのは癪に障る

 

もっと感染が酷くなって、おまえらのせいだ!ってなってほしいと心のどこかで思ってしま

睡眠の質を上げたければPanasonicの照明を買え

昨日のはてブエントリーにこんな記事が上がってた。

「たった2分で眠りに落ちる睡眠導入法!米軍採用お墨付きで、96%のパイロット成功

https://news.yahoo.co.jp/articles/f00c6e7a6b330a232f415c7e1a6e9318bcc66fb3

'' 効果を発揮するのに6週間のトレーニング必要 ''

続けられねよ。

睡眠の質を上げる為に色々試した俺がオススメしたい。

睡眠、いや生活全体の質を上げたいなら、Panasonicシーリングライトを買え。

これだけで睡眠の質が劇的に上がる。

なぜPanasonicシーリングライトを推すのか、その前に以下の2つ機能を注目してほしい。

お目覚めモード

'' 起床時刻に合わせて少しずつ明るくなる機能 ''

目覚まし時計を知っているだろうか?よく朝日を浴びると目が覚めると言うだろう。それを元に作られた照明付き目覚まし時計だ。

市販されている光時計はどれも卓上型で、顔の向きによっては光が当たらず目覚めが上手くいかないケースが頻発する。

しかし、お目覚めモード付きシーリングライトであれば、顔をどこを向いていても光が当たるので目覚める事ができる。

自分場合、朝を起きた時の不快感が全く無くなった。朝のモヤモヤした感情を引きずる事がないので日中も楽に感じる。

そしてもう1点、メラトニン朝日を浴びてから14時間後に分泌するらしい。夜ぐっすり寝るためには朝日を浴びろと言うだろ?

就寝時間になると自然あくびが出るようになり、布団に入った後スグに寝る事ができるようになった。

おまかせモード

'' 日中時間に合わせて部屋の明るさを自動で変えてくれる。 ''

この機能在宅ワークをしている人に注目して欲しい。1日家にいると、日を浴びる量が減り体内時計が狂い疲労感に繋がる。

俺も在宅ワークスだが、おまかせモード使用する事で目の疲労が減った。正午から日没にかけて窓からの明かりが充分なためシーリングライトを光を抑える。そして仕事が終了する時間に見計らって控えめの暖色にすることで心も身体オフにするわけだ。

もちろんこの機能は、他のメーカーで手動で出来る。ただ毎日決まった時刻に明るさを変えるのは面倒だ。それぐらい自動化してもいいだろう。

そして、睡眠の質にも影響する。夜は控えめの暖色することで身体に就寝時間が近い事を伝える。布団に入った時に自然に寝りに入る事ができる。

シーリングライト選び

メーカーについて

上記の2つの機能が付いているなら、国産メーカーでかつアイ○ス以外ならどこでもいいと思う。

アイ○スは照明の質が低いと、はてブ人気エントリーで読んだため除外した。

Panasonicシーリングライト選びについて

残念ながら、お目覚めモードとおまかせモード両方付いた商品現在販売していない。

しかしどちらかに機能を絞ったモデルは主力商品として今も販売されている。値段は2万円あれば足りるだろう。

https://panasonic.jp/light/sleep.html

優先すべき機能はお目覚めモードである体感でお目覚めモードの方が良かったかである

どうしても2つ機能使用した場合、寝室と仕事部屋の照明を別々にするか、または両方の機能が付いた古い型番の商品を探すかである

両方の機能がついたモデルの型番はHH-CB1071A。

なぜここまでシーリングライトを推すのか

自分睡眠の質を上げるために色々試した。

瞑想や筋弛緩法は体感がなかった。その域に達せなかった自分にも問題があるかもしれないが、向いていないと感じた。

マットレスサプリメントは、プラシーボ程度で買ってから数ヶ月経てば何も感じなかった。

唯一効果があるのは入眠剤だが、こんな物ずっと飲み続ける訳にはいかない。

そんな中見つけたのがこのシーリングライトだ。毎日決まった時刻にスッキリ起きる事できるようになり、寝るのに苦労しなくなった。

寝るのに苦労していた過去自分に教えたい気持ちでこのエントリーを書いた。

梅雨の季節は晴れ間が少なく、睡眠にも影響が出てくるだろう。睡眠生活の質を上げるためにもぜひ試して欲しい。

シーリングライトの参考して欲しい記事

https://the360.life/U1301.doit?id=6791

https://j-fitness.jp/blogs/news/qol_ceiling_light

http://monomania.sblo.jp/article/55673572.html

2020-07-23

出会い系友達を失った話

私の高校時代から友達に、とても美人女の子がいた。

華奢で、シンプルニットタイトスカート高校のうちから着こなして、大学では大学院まで行って英語を学んで海外仕事をしたいと語る、耳で綺麗に揃えられたショートヘアの彼女は、私の自慢の友人だった。

高校卒業して大学に入っても、彼女とは頻繁に連絡を取り合っていたし、お酒を飲めるようになってから月に一度は私たちには少し敷居の高いお洒落なお店で近況報告をした。ふたりで丸一日ディズニーランドで過ごすことなんて何度もあったし、初めての海外旅行は彼女とだった。つまり、かなり仲が良い女友達だったのだ。

彼女はあまり男運が良くなかった。

本気で好きになった人に秒でやり捨てされた大学1年の夏、男がダメなら女と付き合うことにしたと言っていた(私はその日初めて彼女バイだったことを知った)翌月、親のために結婚をしたいと言われ振られたと泣いていた2年の春。

もはや自暴自棄になった彼女が手を出したのは出会い系アプリだった。

そこで出会った10個上の男性は、彼女曰く「完璧な人」だったらしく、彼女はわかりやすくそ男性にのめり込んでいったし、あっという間に付き合うことになった。

それはおめでたい飲み会を取り付け、肉を焼きながら話を聞くのだが何かがおかしい。

「彼は社長らしくて、忙しいから月に一回会えるかどうか」

「家が2つあるらしくて、ひとつの家にはお邪魔させてもらったけどもう一つの家には社員さんとルームシェアしてるから行けない」

「付き合って3ヶ月経つけど、未だにおうちデート以外したことがないし、写真も撮らないでねって言われてる。そういえば苗字も知らない」

「あと、完璧主義で私にもそれを要求してくるんだけど、それは全部私のためになることなだって。」

………いやいやいや。いやいやいやいやいや。

どう考えてもおかしい。麻雀のことはよくわからないけど、「役満」ってたぶんこういうことだろう。ダメ役満。どう考えても奥さんか、それか本命の女と一緒に住んでるオチだろうし、完全に遊び相手にされてるだろ。喉まででかかった言葉を飲み込んで、

ちょっとモラハラ気味じゃない?大丈夫かなあ」

と一番突っ込みやすそうな部分を笑い混じりで指摘してみたところ、彼女の顔色が変わった。

「でもね、彼と私は、今のままの私じゃ釣り合わないんだって。だから彼は強く言ってくれるし、私が気づかないような部分まで指摘してくれるの。伝えてくれたところを頑張って直すと、自分がとてもいい女になった気がするの」

「それよりね、こないだ彼と〜」

あれ、彼女、こんな子だったっけ?

最初に抱いた違和感はそこだった。一瞬言葉に詰まったのを覚えている。

無我夢中で彼の「いいところ」を並べ立てる彼女は、可愛らしいというより少し不気味だった。

そんな別人のような友達と喋ることが辛くなり、その日は早めにお開きにした。

それからは恋は盲目、あばたもえくぼ、そんな自分に気づかない彼女は周りを蹴散らしてどんどん彼に猪突猛進。そんな状態が続いた。

「ベッドに長い髪の毛が落ちていた。でも大丈夫。私は彼を信じているから。」

「彼の通知画面に出会い系アプリの通知があった。でも大丈夫。私は最後には幸せになるから。」

「彼には何年も付き合っている彼女がいて、その人と同棲していた。でも大丈夫。私が一番愛されているから」

私はそのたび彼の矛盾している部分を何度も何度も指摘したが、私の言葉彼女には何も届いていないようだった。

友達出会い系アプリで彼と出会ってから、もう一年半が経とうとしていた。

私は就活をしながら、めっきり会う頻度が減った彼女の裏アカウントツイートを眺めていた。いつのまにかラインもしなくなった私たちが、お互いの近況を知るためのツールツイッターインスタグラムだけだった。

基本的には、彼のどんなところが好きだとか、自分には何が足りないのかとか、そんなことを綴っていた裏アカウントに、衝撃の言葉が綴られていた。

「彼の会社就職することにした♡面白そうだし、楽しみだなあ。」

頭がくらくらした。たしか、彼の会社ベンチャー企業で少なくとも海外で働けるような環境ではない。

いやお前、、、あのさあ、、、

海外で働く夢は?進学予定だった大学院は?その夢を応援してくれていたご両親は、、??

もう、私が知っている彼女はどこにもいないのだとその時痛いほど突きつけられた。私が大好きだった彼女は、出会い系出会った32歳の男性によって全て塗り替えられて、まったくの別人になってしまったのだ。

大体、出会い系20歳女の子を引っ掛けて会社にまで入れちゃう30代社長って何?最初から最後まで地雷物件じゃねえか。

まあ、幸せならそれでいいのかな。話のネタにもなるし。

そんな気持ちで裏アカウントフォローも外さず、監視を続けていくと(わかっているとは思うが、私の性格全然良くない。)、彼女の様子はどんどんおかしくなっていった。

仕事が辛い。けど、頑張らなきゃ。」「大学辞めたい。仕事に集中したい。」「仕事に集中したいのにゼミの人たちが邪魔をしてくる。」

「闘っていかなきゃ。仕事を楽しまなきゃ。」

「こんなの、やりたい仕事じゃない。」

うーん、このままだと、大学中退就活経験フリーターが出来上がってしまうのかな。それとも先に鬱になっちゃうのかな。でもまあしょうがいか。もはやエンターテインメントひとつとしてしか彼女を見ていなかったが、それも長くは続かなかった。

彼女が裏アカウントを消してしまったのだ。理由は確か、仕事愚痴をここに吐いてしまって甘えてしまうとかだった気がする。

これで完全に彼女との深い友人としてのつながりは切れてしまったと思った。あとはうわべだけのインスタグラムしか残っていない。インスタグラムストーリーで、彼がついに本命女と別れて、彼女ちゃんとした同棲を始めたことを知った。(ふつうにすごい。健気さと執念と若さ勝利だと思った。)(本命女は30前半だったらしい。)

ただ、すでに私の中で、心からおめでとうと言える段階ではなかった。

私は高校時代から大好きだった友人があっという間に変わっていくのが悲しかったのかもしれない。私の話も聞かずに彼のことばかりを上の空で話し続ける彼女から目を逸らしたくて、連絡する頻度も少なくなっていったのかもしれない。ただ、今となってはそんなことはどうでも良くて、彼女は私にとって「どこからどうみても地雷の男に溺れて忠告も聞かず自分との友情を切った女」でしかなかった。そんな女を今でも大好きな親友♡と思えるほど、私はお人好しではない。

彼女同棲を始めて少し経った時くらいだろうか、彼女から急にインスタグラムDMが来た。(驚きすぎて、その日の夜は彼女社長の彼と私の3人で遊ぶ夢を見た。悪夢だった。)

2日間ほどぽつぽつとやりとりをしていると、送られてきたのは「彼が浮気していて辛い。自分の思い描いてた幸せはこんなものじゃなかったのかもしれない」というメッセージだった。

「今更気づいたのか」以外の感情が沸かなかった。ていうか彼との関係不安定になってきたから私に擦り寄っているようにしか見えないんですけど…。

ねえ、私たちってまだ友達なのかな。私がもっと優しい人だったら、今でもあなたの悩みに寄り添えるのかなあ。そう思いながら、興味本位で話を聞き続けた。彼女はいつのまにかポエマー気質になっていて、文章はとても読みづらかった。(彼も清水翔〇の書く歌詞のようなLINEをすると話していたことを思い出した。やっぱり彼氏彼女は似るのかと思ったし、良くないところばっかり似る気がする。勘弁して欲しい。)

ついきのう、彼にもう無理かと思ってると言われた、辛いけど離れようと思うと彼女から連絡が来た。これを伝えるためにライン1スクロール分くらい使って送ってきた。

ねえ、もう大学四年生の冬になるよ。失ったのは、たぶん彼に費やした時間だけじゃないんじゃないかな。学校での信頼とか、ご両親の信頼とか、私との友情とか。あなたはこれから、どうやって過ごしていくの?

あ、お願いだから、私にだけは頼ってこないでね。

そんなふうに思いながら自分の心の整理のためにメモ帳アプリに書き起こしてみたら、想像以上に大長編になってしまった。とりあえず残しておこうと思う。

後日談

結局彼女はのこのこ彼と復縁をして、また頑張ってみると抜かしやがった。2時間電話して別れたのは正解だったよとテープレコーダーのように繰り返し声をかけ続けた私の虚しさを返してほしい。

怒り半分、悲しさ半分。この時の気持ちは、同じ経験をした人にしかからない気がするが、ここまで読んでくれた人にはちょっとでも共感してもらえたらいいなとも思う。

気付いたら「なんでもいいけど彼の言うことしか聞けないならもう私に連絡してこないでね」とラインしていた。完全に友達を失ってしまった瞬間だった。(何度でも言うが、私は性格が良くない。)

ねえ、Tちゃん。今までこんな私が友達で本当にごめんね、仲良くしてくれてありがとう、彼とお幸せに。

2020-07-22

うつ病休職して1ヶ月経つんうつになったきっかけとか書く②

文字数制限引っかかったんで前回の続き

もう書くことないしここみることもないです

フリーター時代

仕事をやめてから寮も出て友達と2人、都内の端っこの方でルームシェアを始めた。これは小学校同級生で、今も一緒に暮らしてる。

彼女大卒で、就職を機に上京するというので私から話を持ちかけた。家電代浮くし、部屋探しやライフライン周りの手続き全部やるし、ってことで。

ぼんやりニートをして、中々バイトが決まらなくてめっちゃ苦労した記憶がある。給料はそんな良くないけど暮らしていければいいなー、っていうのでクリーニング屋さんでバイトを始めた。

めっちゃみんな優しくてびっくりした。おばちゃん3人と、年の近いお姉さんが1人。駅前にあるクリーニング屋なので今でもたまにあったりする。

その中にめちゃお上品な人が居て、何かと本当に気にかけてくれる。お菓子持ってきたよ~!とか、これお土産!お友達と食べて!とか。未だに道端で会うと「マックごちそうさせて!笑」とか言ってくれる。

常連クレーマーかいうよく分からん人に当たって苦労もあったけど凄く良い環境だった。労働時間も5時間ぐらいで短い代わりにたくさん出勤させてくれて稼がせてくれた。

多分おばちゃんたちからすると「有給使って休めるラッキー」くらいだったのかも。就活とかも大丈夫?とか、旦那会社紹介しようか?って本当優しい人たちばかりに恵まれたいい環境だったなあ。

お盆休みも2週間くらいあった。初めて夏休みが出来た……って思ったくらい。大体半年ちょっとクリーニング屋で働いてる間にそろそろ就活しよう!と思った。

バイト始めてから仕事を覚えるので手一杯で、就活するような余裕が無かった。なので、落ち着いてきた秋ぐらい。生活の安定しないフリーターだと友達不安だろうし、と思ってたまたま母親の紹介してくれた就職エージェント的な人に会った。

ふとフォロワーが「縁切り行けば?」と言ってくれたのを思い出してその日のうちに縁切りに行った。



行った縁切りは於岩稲荷陽運寺。お岩さんの階段で有名なとこ?らしい。縁切りと縁結び、両方あるってネットで見てこれは今の私に最適じゃ~んと思った。

そこで今までの悪縁全部切って、今月中に就職したいです!あと櫻井孝宏みたいな(声の)彼氏欲しいです!!ってお願いした。(櫻井孝宏の声に人生狂わされたオタクなので)

その効果があったのか分からないけど、縁切りに行った3日後に内定が出た。それが去年の10月末のことで、友達自分ことみたいに喜んでくれた。

今までしたことなかったけど、決まった次の日が土曜日だったのでピザとか頼んじゃって、お酒冷やして、ハロプロライブみて騒いだ。今までで一番うまい酒だった。



転職して休職するまで

転職先はインフラIT企業警備員だったときの基本給が14万だったので、多分17万くらいだろうな~と思って雇用契約書みたら21万って書いててひっくり返った。ドッヒャー!

研修中にCCNA取得して、12月中はなかなか常駐先が決まらず、月末頃にやっと決まった。その間は本社研修のお手伝いとか電話番とかしてた。この時ぐらいにマッチングアプリ彼氏出会ってお付き合いに至る。

なお、櫻井孝宏みたいな声ではぜんっぜんない。ただ、名前が「ささき たかひろ」という。名前に寄せろって言ってないんだけど~!?wwwwwwみんなもお岩さんにお願いするとき絶対ちゃんと細かく指定したほうが良い。

私のようなニアミスを起こす人が出ないことを祈ります。ただ彼氏お酒は苦手、タバコは吸わない、ギャンブルもしないっていう良い人なんでオッケーです。


年明けからは常夜勤、土日祝休みの超ホワイト現場で働き始めた。最初は何が何だかよく分からん~ってなってたけど先輩は優しかったし、「僕もよく分かってないこと多いです」って言ってくれた。本当にこの言葉に助けられた……

初めての夜勤最初は辛かったけど警備員時代の体力で普通に乗り切れた。仕事も慣れてきたら楽しいし、現場におじさんが多いのもあってお菓子とかよく貰った。優しくて厳しい人たちだった。

夜勤のうちは本当に良かった。満員電車に乗ることも無く、コロナ流行りだしてから通勤があったけど人がさらに減ってラッキーぐらいに思ってた。でもコロナのせいで、夜勤で出来る仕事がなくなって日勤に移動になった。

それと同時に、現場の人は変わらないが場所だけ移転となった。今まで通っていた場所までは1時間だったのが、通勤に1時間半かかるようになった。

夜勤は広いフロア20しか居なかった。日勤は常にたくさんの人で溢れかえっていた。常にどこかピリピリした空気が漂っていて、人多いな~、嫌な感じだな~くらいだった。

通勤の時も満員ほどではないけどほぼ満席、それでも毎日座ることは出来てた。日勤になってから、徐々に徐々に、自分でも気付かないうちにストレスが溜まってたのかもしれない。

日勤に移動したところで仕事はほぼ無く、暇な時間を過ごすことが多かった。何もやることも、出来ることもなかった。

この頃からなんとなく自分の体調がおかしいことに気付いてた。なんとなく落ち込んで、イライラしてしまう。生理前だからだろ、って勝手解釈して片付けてた。

食事を摂らなくなって、早朝覚醒が多くなったのはこのへんからだと思う。

これが、5月20日頃の話。


私の心と体のバランスが完全に取れなくなったのは緊急事態宣言解除後からだったと思う。

今までにないくらいの満員電車職場の人の多さ。思い返してみると6月中はずっとピリピリして彼氏に当たり散らしてた。先月までの私は口を開けば愚痴ばかりの女で、何をきっかけに怒るか分からない。そういうヤバい人だった。

コロナの中での通勤、3密を避けられない満員電車、新しい場所現場、常にピリついた雰囲気、人の多さ。これが私のストレス源になってたんだと思う。

6月10日の夜。

気が付いたら自宅のベランダ、3階から飛び降りていた。幸いなことに怪我は打撲と切り傷しかなかった。痛くて涙が出て、その時に「もしかして私は限界なのでは?」と思った。もしかしなくても限界である。気付けバカ、と過去自分に言いたい。

痛い……って思いながら階段登って家に帰った。次の日、寝て起きて普通に出勤した。今思えば普通に病院行けって感じだけど、とにかく私は出勤しなきゃと思った。

そこで初めて飛び降りたことは伏せて「気持ちの具合が悪い」的な感じで先輩に相談すると「早めに医者には行くほうがいい」と言われる。先輩も前の会社メンタル病んで辞めた人だった。

日勤はやることが殆ど無かったし、そういう日は先輩に時々相談したり、LINE自殺相談チャットとか、自殺相談電話とかを週に2、3回してた。

6月10日の週や、その前の週は「私は何もしてないのに周りは仕事をしている」。というので落ち込んでた。勝手に周りと比較して、勝手会社の中で泣きそうだった。

15日以降は通勤電車の中で泣きそうになった。「この人達は今から出勤して働くんだ、なのに私は今日出勤しても何もやることない。その上通勤するだけでもう泣きそう、なんてダメなんだろう」って思った。

確か出勤したのは17、19の2日間だけ。あとは休んだ。休んでしまう罪悪感で押し潰されそうだった。夜中、車や大雨の音が怖くて怖くてたまらなかった。


22日はコロナ抗体検査を受けるように、と言われて抗体検査の会場に会社の人たちと向かった。昼からだったので午前休を取って、会場に行った。

自宅で玄関を開けるだけで手が震えて、最寄り駅に行くまでの間で泣きそうになった。すれ違う人が怖かった。行かなきゃ、使命感みたいな義務感で向かった。

その会場がよくなかったのかもしれない。今まで行ったことがない場所で、たくさん人が居た。検査結果はオール陰性で、これから会社に行こう、って向かう駅の改札前で具合が悪くなった。

突然目の前が真っ暗になるって感じかもしれない。フラフラして、しゃがみこんだ。すぐに駅員さんが椅子持ってきてくれて、先輩がポカリ買ってきてくれた。


流石に改札前じゃ目立つ、って思って駅のホーム椅子に座って、半泣きで先輩に色々話した。

先輩が教えてくれたのは「いい意味で休んでも大丈夫。休んでも今みんな暇だから代わりにやってくれる人はたくさんいるし、みんなやりたがる。だから一度休んだほうがいい」。

その先輩は色々限界な人だったらしく、一時期生活保護貰って生活してたこともある、生きてたらなんとでもなる、と言ってくれた。出会って半年くらいの小娘にここまでいろんなことを教えてくれるいい人だった。

やっと自分限界なのを悟って休職に踏み切った。心療内科電話して、予約を取って、人生二度目の医者にかかった。



最初看護師さんとカウンセリングをした。その時今ここに書いてあるようなことを喋った。生育歴、というらしい。

カウンセラーさんには「うーん、親離れが出来てないのかも?」と言われてめちゃくちゃ衝撃を受けた。

私は今までの人生母親の言うことは絶対だと思って生きてきた。何なら今もそう思ってる節はあるかもしれない。

お母さんが言うから女子より男子の多い学校に行って、お母さんが言うからAOで入れる学費の安い専門に入って、お母さんが言うから仕事社員寮のある場所にして、お母さんが言うから前の会社を辞めた。

私は無意識にそういう話し方をしていたらしくて、自分でも無意識のうちに、母親の言うことにずっと従ってたらしい。あまりの衝撃に呆然とした。待合室でぼんやりしてた。

他にもいくつか心理テストみたいなものも行った。自分の思ってるものに近いものに丸をつけましょう、みたいなやつ。


その後の診察でお医者さんに言われたのが、「まあ、いわゆるうつ病ですね」だった。自分でも「ですよね」って思った。多分、ホッとした。

心理テストの結果で点数が出るらしい。その数値は「平均的なうつ病」らしい。平均的なうつ病、有る種のパワーワードだなと言うのが率直な感想だった。

そして、休むことに対する罪悪感が大きい、と告げれば「うつ病一種に過剰な罪責感って項目があるのね。だから病気のせいだよ」と言われた。それと同時に、「多分あなた場合はお母さんから言葉があるのかも」と言われハッとした。

「休むことはサボり」という価値観は、母親に植え付けられたものだった。職場にいるのに仕事をしない=サボってる状態、と無意識解釈してたのかもしれない。それで疲れていたのもあったのかも。

元々うつ病の素質(警備員時代)があったこと、環境の変化がストレスに繋がりやすタイプなこと。今回は後者きっかけで表に出てきたんだろうね、と丁寧に図を使って色々説明してくれて、休職診断書を書いてくれた。

私に言い渡されたのは3ヶ月間の自宅療養だ。



休職してから

会社の人とオンラインでの面談なんかを済ませ、なんだかんだ休職して1ヶ月近くが経過する。

一緒に住んでる友達は「お父さんがうつで休んでた事あるし、私は私で生きてるから大丈夫。今はめっちゃ休んだらいいぞ」と言われた。理解の有る友達で一生大事にしたい。

最初の1週間は何したらいいんだ…?って凄い焦ってたし、休むことに対する罪悪感が大きかった。

でも、彼氏友達、お医者さんにも「休むことは権利として存在してる。そうじゃなかったら公休以外の有給祝日存在しない」と言われた。

そしてお医者さんには「休まなきゃ人間は病む」と言われた。医者が言うならそうなんだな!って思える単純な脳みそで良かった。

薬のおかげもあってか、死にたいとか思うことは無くなった。段々夜も眠れるようになった。外に出るのが苦にならなくなった。休んでも良いんだと思えるようになった。

何より説得力があったのは「警備員時代に休めなかった分休むと思えばいいんじゃない?」という彼氏言葉だ。月3、4休みの1年半。3ヶ月休んでも多分足りないんだよな~!

今は買い物に出るぐらいは出来る。ただ、人が多いとパニック状態になってしまうのでオフピークや、パニクったら一人になれる場所に行く、とかで対策してる。

外で店員さんと話すのとかはちょっとまだ不安なことが多いけど一時期よりは随分マシになった。

当面の課題電車に乗れるようになる、あとは選択肢が多すぎるとパニックになるのを克服する。この2つかな、と思う。

徐々にだけど良くなってきたので無理せず今はやりたいことをやって行こうと思う。


最後にこんなアホ長文読んでいただいてありがとうございます。何かの役に立てば幸いです。

それから真・女神転生3 ノクターン HDリマスター、発売決定めっちゃ嬉しい。はよ復職したい。

うつ病休職して1ヶ月経つんうつになったきっかけとか書く①

6月頃に一回自殺未遂したけど死ねなかった女の話です。

したことは書いてないけど「へーこういう女もいるんだな」って思ってください。

休職中ずっと増田読み漁って色々な考えに触れたので、この記事も誰かの役に立てばいいな、と思います

クソ長い自語り、家庭環境諸々から書いてみる。ちょっとフェイク入れてるし人名は全部仮名です。


私について

北海道から上京してきた20代前半、上京してきて多分4年。学歴は専門卒、高校工業出身。今年始めて彼氏が出来た陰キャ

きしょいオタク文章書くのは割と好き。漫画アニメソシャゲ全部好き。乙女コンテンツに入り浸る典型的な女ヲタ

母(7人兄弟の次女:中卒)、弟2人の母子家庭。弟は今21(医療系の大学)、20(専門学校)。父親は小5の時に離婚した。

記憶にないけど死んだ妹がいる(私の1つ下だと思う、親に未だに聞けてない)

両親も親戚もみんなオタク父親ラムちゃんアイマスプロレス母親最近イケメンシリーズ、ボイフレ、アンジェと遥か、アトラスゲー。

弟2人はFPSとかモンハン兄弟二人ともゲーマーガチ世界ランク上位に入るレベル。一番下は格ゲーボドゲに目覚めた。

実家は村に近い山奥のドドドドド田舎同級生農家酪農やってる子がいっぱいいる。


小さい時

育ての親は母親の妹(3女:以下さっちゃん)。母親は働きに出てた。多分パートだったのかな?分からん

保育園に入ったのが5歳くらいだったんでそれまでは母方の祖母の家に預けられて育った。

イマジナリーフレンドが4人いた(らしい)、よく見えないお友達と遊んで親戚をビビらせた。ごめん。

ちなみにお婆ちゃんは私の見えないお友達存在しているもの扱いしてたらしい。とんでもねえばあちゃんだ……


物心ついたときには父方の祖母と両親、弟2人と一軒家に引っ越してた。

保育園に入った時にはもう住んでた。この頃から父方のおばあちゃん長男の弟かわいいで私に対して興味なかった。つーか嫌いだったのかも。

母親は土日関係ないサービス業なので、土日の食事祖母。弟たちの分はあっても私の分は無いとかザラだった。今思えば普通に虐待

ただご飯が無くてもゲームと本があれば全然平気だったのでお母さんは私がご飯を食べてないのを知らなかった。

後に私がさっちゃんに「お母さん(これは父方の祖母を指す、実母はママ)がごはんくれない」と遊びに来た時に漏らしたらしい。

当然ながら怒り狂う母とさっちゃん。父方の祖母は「お腹へったって言わないからいらないと思った」としれっとした顔で言ったのを見て目眩がしたらしい。そらそう……。

あとはさっちゃんが当時、父方の祖母の作ったご飯を食べてあまりの味の薄さに「これを毎日食べてて、ごはんも用意してもらえない日がある、食べた気しないんじゃ……」って思ったら私が不憫すぎて車で泣いたと聞いた。

かに味は薄かった。天ぷらだけはめちゃくちゃ美味しかったな。今狂ったように辛いものとしょっぱいものを食べてるのはその時も反動かもしれない。



小学生時代

全学年2クラス、2年ごとにクラス替えだった。2クラスしかないんで全員顔見知り状態

入学してからは超絶人見知りを発揮。保育園の頃に仲良くしてくれた子たちとだけ交流してた。毎日連絡帳に口数が少ないとか書かれてた。

家が近所のゆみちゃんと一緒に登下校してた。お互い何も言わなくても一緒に帰る仲だった。今は看護師やってるらしい。

教室でずっと本読んでた。徐々に色んな子と喋れるようになる。ぼっちに話しかけてくれたみほちゃんありがとう……

あとは算数が出来なくて宿題解けない……って泣いた記憶がある。ちなみに時計が読めなかった。


3年生ぐらいか普通に社交的になったと思う。クラス委員長とか誰もやらないなら…でやり始める。この時ちゃお読んでた。

この頃、休み時間教室以外にも図書室で本を読む女になってた。

同時期ぐらいに父親仕事をクビになってニート引きこもりになった。今で言うFXかな?やってたらしい。けど、あんま才能無かったのかも。

ただ、父親なりに色々と私も含めてかわいがってくれてたと思う。漫画とか全部父親が買ってくれてた。


高学年に上がってからは弟2人も一緒に学校に行くようになってたので、周りの親から評価めっちゃ高かった。

勉強ができて、運動もできて(足が速いだけ)、面倒見もいい女の子

実際、3年からは毎回クラス委員長だったし、同じクラスになったことない子も下の兄弟同級生同士で仲良し~とかあった。

ちなみにこの頃はちゃお少年Aジャンプ、母方の祖母の家でガンガンGファンタジー読んでた。


ただ両親がしょっちゅう家で喧嘩してた。祖母の部屋は1階、私達の部屋は2階。

多分祖母は病んでたのか、深夜に父親の部屋の前で名前を呼んでいるのを見た。めちゃくちゃ怖くて夜中トイレ行けなくなった。

祖母の私と弟への差別は益々酷くなっていて、私の家で友達と遊んでる時に「ごはんの準備しろ」「洗濯干してこい」とか言うようになる。

弟がなにか手伝おうものなら「あんたは長男からしなくていい」って言ったの聞いてなんで?と思ったけど、弟に手伝わせるのも可哀想だなと思って大丈夫って言ってた。


小5の夏、庭で土いじりしてる祖母に「倉庫からスコップ持ってきて(でかいやつ)」と言われてめんどくさいな~って思いながら取りに行った。

祖母に渡すために後ろに立った時、(あ、これ今殴れるな……殺してもいいんじゃない?)って思った。今思えばこの時には既に私ももう心を病んでいたのかもしれん。

その後、親が離婚して一軒家から団地引っ越した。離婚父親には一度も会ったことない。ただ、車で事故って半身不随になったのは聞いた。


これは高校に入ってから母親に聞いたけど、あの頃の祖母は枕の下に包丁を入れて寝てたらしい。こえーよ。病むっていうかキチだと思う。

母親はい祖母に殺されるか分からなくて毎日不眠の状態仕事に行ってたらしい。それでも授業参観運動会も学芸会絶対全部来てくれた。



中学生時代

田舎あるある小学校から生徒が全員持ち上がりなので知らない子はいない。お母さんがパソコン買ってくれたのもこの時じゃなかろうか。

半年間は平和だった。でも、中1の秋頃から毎日登下校をともにした仲良しのゆみちゃんいじめを受け始める。

ゆみちゃん堀北真希に似てる超絶美少女で、当時仲の良い男の子に数合わせでいいから、という理由野球部所属していた。私はゆみちゃんに「1人じゃ不安から……」と頼まれ野球部に入った。

まあよくある、男の集団に女がいるの気に入らないムキーッみたいなのが原因だったんだと思う。いじめてたのは女バスと女バドの5、6人。

私はゆみちゃんいじめを受けてるのも知ってた上で普通に仲良くしてた。ゆみちゃんの家も母子家庭で、当時は母親が家に彼氏を連れ込んで家に居にくいからってよく私の家で過ごしてた。

彼女の凄いところは毎日学校に行ってたところだと思う。私に泣きながら「リスカが止まらない」と相談してくれたこと、リスカ跡は今でも忘れない。


結局、ゆみちゃんは2年に上がるタイミングで転校した。その結果どうなったか

私がいじめを受け始める。いやなんでだよ。私は当時160cm80kgのデブだぞ。何が気に食わねえんだよ。と思ったけどいじめ相手が居なくなったから仲良かった私になった。

ただ、いじめられてることに気付いたのがゆみちゃんが転校してから2ヶ月後くらいだった。私は超鈍かった。周りは気付いてるけど自分だけ気付いてなかった。

なんでか自分ノートがないとか、教科書がないとか、下駄箱の上靴がないとか。そういう事が起こってから気付いた。

当時から仲良かった子に「あの頃めっちゃ陰口言われてたし、あんたと話したら次お前をいじめるとか言われたことあるで」って言われた。

そういえば当時はいじめを題材にしたドラマ流行ってたし、あれはいじめのお手本になってたなと思う。本当によくない。


中2の夏ぐらいだったかな。衣替えするかしないか、とかだった気もするから9月ぐらいかも。半年くらい我慢して学校に通ってた。

私は学校に行くのやめた。というか、行けなくなった、のほうが正しいかもしれない。制服を見ると気持ち悪くなって泣きそうになった。

休みたかったけど、母親は私が生理痛で辛い、と言えば痛み止め飲んででも学校に行け、サボるなと言う人だった。休むことはサボりだと言う人だった。

それでも母親には迷惑かけたくない、という一心で吐きそうになりながら学校に行くフリをしながらおばあちゃんの家に行った。

おばあちゃんは何も言わなかったし、おばあちゃんちの犬と遊ぶのが好きだった。おばあちゃんの膝が悪いから代わりに散歩に行ったのも覚えてる。

ただ、学校担任から「1週間ほど無断欠席が続いてるが大丈夫か」という連絡が家に入りバレてめちゃくちゃ怒られる。怒られた時に初めていじめられてると言えた。

母親はその日のうちに学校電話をして、学校側もいじめを知ってたけど本人が言わないから、とかそういう理由で何もしてなかったらしい。

後日、私は学校に行っていじめてきた女たちから「形だけのごめんなさい」を受ける。クソ無意味。謝られたからと言って事実は消えないわけだし。

どのみち私は学校に行っても教室に入れなかったし、教室に入れないなら授業も受けられない。だったら行く意味が無いな、と思って家に引きこもるようになる。

家に引きこもってる間も勉強は出来た。そう、みんな大好きTwitterです。当時高校生だったり大学生だったフォロワーたちが勉強を教えてくれた。スカイプ使って。


ネットが私の居場所だった。勉強ってどこでも出来るんだ、って思った。


そのフォロワーたちもいじめ経験した人たちで、私の学校に行けない、けど勉強はしたい、という気持ちに寄り添ってくれて教えてくれた。本当に頭が上がらない。

なので、テストがある日だけ学校に行った。テストは出席番号順で座るし、いじめっ子たちと真逆の席なのでその時だけは制服着て教室に入った。

クラスメイトたちは「久しぶり!」とか「テスト範囲大丈夫?」とか声かけてくれる子も結構居た。あの子達の勇気は今思うと凄い。

修学旅行は行ってない。何されるかわからないし。代わりに学校先生マンツーマン勉強した。凄い有意義時間の使い方だったなと思う。

卒業までテスト期間だけ登校する生徒をやった。家の近い子がテスト範囲プリントを持ってきてくれたし、フォロワーたちが勉強を教えてくれる日々が続いた。

高校は女で嫌な思いをしたので男子比率が高いし、比較的家から近い方(といってもバスで1時間)の工業を選んだ。仮に落ちたら通信制高校へ行く気でいた。

卒業式も出ていない。式が終わった次の日が高校合格発表で、無事に工業に受かったという報告と卒業証書アルバムをそこでもらった。アルバムはその日のうちに捨てたけどな。



高校時代

ぶっちゃけ担任がクソゴミだった。生徒の机を蹴って見せしめみたいに怒鳴り散らすタイプ体罰普通にあったし、クラスメイトの男子教室内でデカデカ万引を自慢するようなクラスだった。

担任はそれに対してもっとバレないようにやれとか、スリのほうが良いとか、教育者としてありえんことを言ってるのにドン引きして学校に行く気が失せた。

ラッキーなことに全日制の単位制だったので単位さえあれば進級できた。単位計算をして、単位分だけ出席した。常にギリギリ単位の女で普通科先生に「お前は出席点が足りない」と言われまくった。

後々、クラス男子に教科の単位を聞かれた。私と同じように単位しか出席しない人が増えたらしい。毎日の出席率は最悪だったと思う。まあ工業だしな。

担任露骨わたしを毛嫌いしてたし、私も嫌いだったのでお互い様だろと思ってた。高校ちゃんと授業に出たのは専門科目だけ。これだけは教科書読んでもどうにもならん。あとは実習。

他は中学の時と同じようにフォロワーを頼ったり、ネット検索したら大体答えの出し方があったので家で勉強してた。親は私が家に居ても何も言わなくなった。

学祭とか体育祭は出たことがない。強いて言うなら修学旅行東京だったので行った。お世話になったフォロワーたちに会いに行くという理由で。クラス女子は私含め7人で、うち1人は中学が一緒。

の子と出席番号が前後だったジャニヲタまなみちゃんと仲が良かった。ちなみにまなみちゃんまなみね、山田涼介くんのお嫁さんになるの!」と平然と教室でも言ってた強い女であるマジで強い。

ここまで書いてて思うけど本当に協調性のきの字もない女だな……。ちなみに進路相談も凄い適当で、適当AOで専門行くわ、と一方的に言って終わり。AO入試なんて軽い面談書類審査のみ。私は高3の夏休み中に進路が決まった。

この頃にハマってたのは黒子のバスケで私はほぼ毎日夢小説を書いて過ごしてた。あと支部BLも書いてた。当時黄黒を読んでた人はもしかしたら私の黄黒も読んだかもしれない。読んでくれた人が居たらありがとう

適当単位取って適当卒業した。これが私の高校時代の思い出である


専門学校は今までと比べたら楽しかった。ここでいろんな資格も取ったし、クラスメイトも普通に接してくれてた。唯一毎日学校に行けた時期だったと思う。ただ行事だけはゴミ

ここで就活頑張っとけばよかったんだよな~~~と思う。就活サボって適当に警備会社入社した。そしてこの後、地獄を見る。



2年間の社畜時代

前置きすると私より辛い人もいるとかそういうのはどうでもいい。私は私の辛いを話してるので。

上京してから半年横浜警備員をやってた。この半年はまだ良かった。残りの1年半は川崎地獄を見る。

警備は万年人手不足で月の休みは多くて4日、私が限界を迎える頃は3日だった。勤務時間は朝6時半~16時半の早番と13時半~23時半の遅番。あとは9時~22時までの中番。

入社時の条件は月8休みと言われてたのにマジで騙されたと思ってる。入社して半年は確かに8日間の休みがあった。でもその後から毎月3、4日の休み

休みの前日は絶対に夜間警備が入るため、帰宅は朝5時。当然、遅番か中番が終わった後に続勤。休みは実質半日しかない。寝て起きたら仕事に行く。

休めるわけねーだろバーーーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そりゃあ毎日寝ても寝ても眠いし、突然気分が落ち込むし、情緒があまりにも不安定にもなる。思えばもうこの時にはうつだったんじゃなかろうか。

心がしんどい……となり始めた頃、母親に「しごとつらい」といえば「社会なんてそんなもんだよ笑」と返ってきた。そして根拠のない「大丈夫!」「なんとかなるよ!」という返事。

私もそうだよね、なんとかなるよね、頑張るね、って返してた。これは絶対に良くなかったと思う。

そしてある日、体のほうが出社を拒否した。会社に行こうと思うのに涙が止まらない。手が震える。こりゃ今日出勤出来ねーわ、と思って職場電話を掛ければ「いや来てもらわなきゃ困る」。あっはい……。

無理に決まってんだろ、そう思いながら電話を切って母親電話した。泣きながら電話した母は、「偉い人に電話しなさい」と教えてくれて、私は本社に連絡を入れた。

元々寮で暮らしたこともあり、総務のとよく話をする事があったのでまずは総務に事情説明、そのまま直で警務部長から「休んで下さい」と言われた。

私は初めて、会社を休んだ。そしてそのまま退職した。

その時に初めてメンタル系の医者に行ったけど、まるで私がメンタル系にかかるの常習みたいな態度を取られるしいか自分が凄い医者なのかを言われた。あのクソジジイ一生許さねえ。



文字数制限引っかかったので適当に続き別の記事にでも書きます

私立女子校の思い出語り(支離滅裂で長くてつまらない)

私は某私立女子校卒業生である。身元を特定されたくないので、入学卒業年度はフェイクにした。

これを書いたのは、学校自体にそれほど恨みはないが、中学校口コミを集めるサイト誹謗中傷判定されているのか自分体験談が載せられないことに違和感を覚え、とりあえずどこかに載せたいと思ったからだ。

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入学1週間で始まったいじめ

北の大地に建つ某私立女子校(以下、S校)が私の通っていた中学校である。これだけで候補がだいぶ絞られただろうと思う。

S校には、各地から生徒を集めるため、寮が付属しており、2010年頃、私は関東の親元を離れて入学・入寮した。

入学式の日は今まで訪れたこともなかった土地での親元を離れた生活に心を躍らせていた。この先6年間、新しくできるはずの友達と一緒に楽しい寮生活を送る自分想像していた。

しかし、私のその期待は叶えられなかった。というのも、入学してから1週間が経過すると、たちまちいじめが始まったかである


いじめっ子は入学してわずかな期間でスクールカーストの上層に地位を築き上げた“かわいい子”(以下、H)とその取り巻きである

Hは外国の血が混ざっているとかで目鼻立ちがくっきりしており、明るい色のくるくるした地毛が愛らしい子だった。そのかわいさとハキハキと物を言う性格から成るカリスマ性を発揮し、あっという間にクラスの内外で忠実な部下をこしらえた。

いじめ理由は大したことではなくて、要約すると「気に入らないから」。気に入ってもらえなかった原因はさっぱり分からない。

(Hとは入学式の前にあるガイダンスで知り合ってはいたが、「綺麗な髪だね」「これ地毛だよ」「そうなんだ」と会話したのち、すぐに別れた。綺麗な髪だねという言葉彼女の気に障っていたのだろうか)


Hもその取り巻きも中1女子だったので殴る蹴るなどの暴行はなく、主にシカトハブ掃除の押しつけ・呼び出しての暴言が主だった。

同じ寮生のみならず、自宅から通う生徒(以下、自宅生)にもHの影響力が及んでいたようで、友達は一切できなかった。

教室でも廊下でも校庭でも教師の目がないところでは常に陰口をたたかれていた(らしい)。

テストの点数が良ければカンニングだと根も葉もない噂を立てられ、点数が悪いとき知的障害者だと笑われた。よく分からん噂で教員説教されるよりも、バカだ、知恵遅れだと言われるほうが楽だったので、テスト時間いっぱい寝るようになった。もともと授業態度が良い方ではなかったのでなんら不自然ではなかったと思う。

彼女らの寮則破りはすべて私の責任になって、しょっちゅう先輩や寮母に怒られていた。生徒間では私に友達がいないことはほとんど周知の事実だったのに、部屋のお菓子パーティーの声がうるさいとか片付けがなってないとか怒られた。

在室時は部屋の前にスリッパを並べるのが規則なのだが、毎日、知らぬ間にスリッパ廊下の端と端に飛び散っていた。寮則違反なので怒られる。

乾燥室に干した衣類はぜんぶ床に落とされ、足跡が残されていた。何度だって洗濯する。1回100円、中1には痛い出費だった。

洗濯機を回している時に目を離すと止められるので、洗濯中は見張る必要があった。トイレに行った一瞬で止められたとき相手気合の入れように驚いた。

週末の昼は寮の洗面所に呼び出され、4~5人に囲まれて1時間から、長いときは3時間くらいひたすら悪口を聞かされることが多かった。負けず嫌いだったのでいじめっ子たちの前では絶対に泣くまいと歯を食いしばって聞いていた。慣れると聞き流すようになった。

避難訓練の際、自分スリッパが見つからず、裸足で外に出る羽目になった。「ガラス片が落ちていたら危ないでしょ? ケガしたいの?」と寮母に怒られた。スリッパ洗面所ゴミ箱から見つかった。汚くなっていたので買い替えた。

一番ダメージが大きかったのは、いじめが始まる前までは口をきいてくれていた子たちが、Hの「増田と喋ったらハブるよ」の一言で口をきいてくれなくなったことだ(寮生活を始めたばかりの13歳の女の子たちにとって同級生からハブられることは何よりの脅威だった)。

いじめが始まる直前まで仲良くしてくれていた子に「増田のことは嫌いじゃないし、増田は何も悪くないと思うけど、私もいじめられたくないから……ごめんね」と言われたときは、さすがに堪えて、1日中ベッドのなかで泣き続けた。(断っておくが私のケースでは、こうして私から離れた子、私と話さなくなった子は何も悪くないと思っているし、今も彼女らを責める気はない)

泣き続けるかたわらで、いじめっ子のひとりが同室の子と楽しそうに喋っているのが心底ムカついた。単純に、死ね、と思った。

家族悪口を言われたこともあった。両親に申し訳なく思った。


両親は私がいじめられていることを知ると、高い入学費や学費を払ったのにもかかわらず、すぐに「いつでも戻ってきていいんだよ」とか「退学したくなったら言いなさい、退学手続の準備はできてるから」とか「がんばって通い続ける必要はまったくない」とか「退学していじめを避けることは逃げでもないし格好悪いことでもない」と何度も何度も私に言い聞かせて、自分たちが味方であること、逃げ道があることを教えてくれた。

逃げ場を提示するという両親のサポートのおかげで私はいじめを乗り越えることができたのだと思う。

※決していじめは乗り越えるものではない。むしろ逃げるほうが最善・最適である。周囲に何と言われようといじめられている子供いじめを乗り越えようと努力する必要はないし、何より周囲は彼・彼女いじめを乗り越えさせようとするべきではない。


表立ったいじめ中学2年生の夏頃まで続いたが、寮生ほど影響力を及ぼしづらい自宅生の子たちが喋りかけてくれるようになったのをかわぎりに、いじめっ子集団以外からハブりやシカトはなくなった。中2の夏休みが終わった後にようやく友人がひとりできた。

相変わらず掃除の押しつけやパシリ悪口・陰口は続いていたが、私自身も慣れてしまったのでほとんど気にしないで学校生活を送っていた。


いじめられている後輩の退学時期を予想して遊ぶ私たち

中学3年生になった頃にはいじめっ子集団を除いた同級生とはおおむね仲良くしていた。

スクールカーストトップグループとはいえ彼女たちを嫌う生徒も出てきたからだ。そういう子たちは彼女らの前で嫌悪感をあらわにはしなかったが、それまで避けていた私との交流を持つようになった。

そうして心に余裕が出てくると、2学年下の中1の間にも同じようないじめが起きていることに気づいた。話を聞くと、1年前(私が中2の時)も新1年生の間でいじめは起きていたらしい。さらに毎年、1年生は誰かしらひとりがいじめられると聞いた。

いじめられているのは、少し太っていて、自室のベッドに引きこもり、お風呂に行かなくなってしまった女の子(以下、K)だった。

わが寮では、「いじめられる側にも非がある」という考えが徹底していた。

いじめられっ子にはいじめられるような理由があるのだからいじめられたくなければ自ら改善しなければならない。改善努力がないならいじめられても仕方がない』

こう考えることで、私たちは後輩間のいじめを黙認し、いじめを止められない自分たちを擁護していた。

実際、Kちゃんは「汚い」「くさい」って言われているのに風呂に入らないんだから、まあ仕方ないよね、とかなんとか話した記憶がある。

風呂では当然、全員が裸になる。私も経験があったが、風呂場では普段見えないところの悪口を言われる。私も体毛が濃いことをさんざんバカにされた。勝手憶測だが、Kもおそらく風呂場で太っていることを笑われたのだと思う。それで風呂に入れなくなってしまったのだろう。彼女は何も悪くなかった。

さて、入学から2ヶ月経つと、Kは夕食の場にも出てこなくなった。その頃合いか上級生の間では彼女が退学する時期を予想するのが流行りだった。

「去年の▼▼ちゃん夏休みが終わったら帰ってこなかったんだよね」

「Kちゃん夏休みじゃない? ぜったい帰ってこないよ」

「いや、夏休み前にやめそう」

「Kちゃん電話で『やめたい』って言ってるの聞いた子がいるから、私も夏休み前だと思う」

みんなで休日お菓子を食べてカードゲームをしながら、その話題で盛り上がっていた。

私も、「増田はどう思う?」と聞かれて、「1回親元帰ったらもう学校には戻らないんじゃない」と答えていた。

賭ける? という言葉もチラホラ出てきた。お菓子を賭けて遊ぶのだ、いじめられている子がいつ耐えきれなくなって退学するかを。

後輩間のいじめを止めようともせず、いじめられる人に非があるという考えに迎合している時点で手遅れだが、賭けへの参加は固辞した。

結局、Kは夏休み開始と同時に退寮・退学した。親御さんも来て片付けをし、最後、寮の玄関で寮母に「ありがとうございました」と頭を下げていた。

食堂の窓から退寮する彼女を見かけた。入学時は小太りだけど小綺麗な女の子だったのに、たった半年も経たずにずんぐりと太り、髪もボサボサで、みすぼらしくなっていた。

弁当箱を洗いながら、2学年下のKと同室だった後輩の「やっと部屋の空気が綺麗になる」という言葉を聞いていた。


ちなみに私の代では、中2になってから同時進行でいじめられるようになった他の子が2人ほど中途退学した。

入学時の人数が最多だった私たちの代は、卒業までの間に減った生徒数も最多だった。


あなた中学しか卒業していないので卒業生ではありません」

2年間をいじめ無駄にしたものの、私は卒業まで在籍し続けた。

だが、付属高校エスカレーターで進学する気にはなれなかったし、それ以上在籍する価値がある学校じゃないという親のアドバイスもあり、外部へ進学した。

そして、高校2年になる直前くらいに、かつて仲良くしていた自宅生の子から久しぶりに遊ばないかという誘いを受けた。

私が3年間過ごした寮は卒業生なら無料宿泊できることを知っていたから、快諾した。卒業生の先輩が泊まっていたのを見たこともある。

念のために、電話で寮に問い合わせ、確かにまれることも確認した。

しかし、事はそう簡単に運ばなかった。

いざ荷物を持って寮まで行ってみると、問い合わせたときとは別の寮母(当然顔見知り)が、

増田さんはね、中学しか卒業してないから、ウチの卒業生扱いはできないのよ」

と言ったのだ。

おもしろすぎて笑った。いや、中学卒業してるんですけど。今あんたも言ったけど、中学卒業生なんですけど。

なんとまあ、中学のみだと卒業生認定してもらえないらしい。

心の底から、くだらねえ学校だな、と思った。


いじめてきたやつはせいぜい一生苦しめ。そんで死ね

あースッキリ

anond:20200722135353

これは本当正論だと思う。

この正論に「男は理性で性欲を抑えられない動物かよ」みたいに怒る女性も多い。

腹が減ったらご飯を食べたくなるとか月経前にイライラするとか生理的現象女性にも分かりそうな物だけど

男にだけ高潔聖人である事を求めているのかな。

2020-07-21

私が死にたかった時、私は幸せだった

直接メッセージを送る手段が無いからここに書く。

みんな色んなことを言う。あんなに売れてるのに、あんなに人気なのに、あんなにイケメンなのに、あんなに笑顔だったのに。

価値観を鏡のように映している。

売れているのに、という人は、社会的地位が安定して高収入なら人生安泰…と思っているのだろう。

イケメンなのに、は容姿が優れていれば、自己評価も高く異性にもモテ幸せ人生のはず…と思っていて、

先輩や仲間がたくさんいたのに、は信頼できる人に囲まれていれば辛いことがあっても乗り越えられると思っている。多分。

私が死にたかった時、私は幸せだった。

仕事難易度はそれなりで、残業は少し、ちょっとならサボれたし、怖い上司もいない。

給料は同世代の平均よりちょっと下ぐらい。

通勤は片道20分くらいで満員電車に乗らずに済んでいた。

大好きな趣味もいくつかあって、友達と遊ぶ予定もあって、職場でもらったお菓子は美味しいし、今日晩御飯なにしよっかなーと思いながら仕事終わった1830ぐらいにスーパーうろうろして、

死にたかった。

正確には死につきまとわれていた。

数年前の話。

不安気持ちがずっとあった。

でも原因となる出来事は何もなかった。(正確には「あった」のだが、これは後述)

将来の心配は多少あったけど、仕事があって友達がいて健康からそこまで気にしてなかった。

職場の人は、ちょっと感じ悪い人もいるけど別に怒られたりいじめられたりしてない。みんな落ち着いてて、コミュニケーションちゃんと取っている。

趣味の予定もたくさんあった。(オタクなので、イベントライブなど…)

不安気持ちが生まれる原因がまったく分からなかった。

生理前にイライラすることが多かったのでたぶんPMSだろうと思って、サプリを飲んだり漢方を試したりした。

でも不安気持ちはどんどん大きくなっていった。

不安気持ちをモノに例えると…、もやもやした雲のような形で、わたしのまわりを漂っていた。

雲が小さくて、自分が元気なときは手で振り払える。

(振り払う方法 好きな音楽を聴いて気分転換、美味しいものを食べる、友達とおしゃべりなど)

たまに濃くなったり重たくなったりするとなかなか動かせない。

(なんとかする方法 ひらすら寝る、長風呂号泣、怒る、どか食い)

最初は小さくて薄い雲で、大きくなったり小さくなったり、でもうまくコントロールできてると思ってたのに、

だんだん大きくて重い雲の状態が長くなってきて、目の前をふさいだり肩にまとわりついたり、寝てるときに胸の上から押しつぶすように乗っかったりするようになった。

不安の雲に邪魔されることが多くなってきて日常生活に支障が出てきた。

ごはん食べてるときに急に目の前にやってきて、突然不安になる。食事してるだけなのに。

仕事で打ち合わせしてるときにやってきて、なんともないルーチンワークでも不安から焦りが生まれ失敗する。

自転車こいでとき、お風呂入ってるとき

突然、ふっとしみ出すように、原因不明不安が襲ってくる。

心配事なんて何もないのに、ただ心だけが不安になる。

そんなのが2年くらい続いてた。

だんだん疲れてきた。

ある日(確か金曜だった)仕事から帰ってきて、ごはん食べてお風呂済ませて、明日休みから…ってツイッターしながらダラダラしてたら、また大きくて重い不安の雲がやってきて、体を包み込んだ。

耐えかねて、もういい加減にしろよ!なんなんだよお前は!!と叫んだ…と思う。

原因なんてなにもないのに、なんでこんな目に合わなきゃならない。

怒って、不安の雲をバリバリに引きちぎった。

(引きちぎるのは例えで、不安の正体を考えて、こんがらがった自分感情をひもといて、自分感情認知しようとした。)

雲のまわりのワタを取ったら中に黒いものが入ってた。

これなんだろうと思って覗いてみたら、「死にたい」って書いてあった。

びっくりした。

え、わたし死にたい」のか。いやだ。死にたくないよ。

こわい。死にたくないのに「死にたい」って思ってるの?こわい。

なんで。こっち来ないで。わたしやることいっぱいあるし、やりたいこともいっぱいある。明日休みなのに。なんで。

死にたくない。自分自分じゃなくなる感じがした。

狂いそうだった。

確かツイッターで「早く人間になりたい」ってつぶやいて、すぐに消した。

不安の雲は私の「死にたい」を隠していたらしく、私はそれを自分で引きちぎって取ってしまった。

次の日から不安の正体=「死にたい」がそのまま私のまわりをうろつくようになった。

ごはん食べてるとき

仕事電話とってるとき

買い物してるとき

困ったのは線路の前で出てきたとき

あ、これか、この瞬間か。と思った。

この瞬間に引っ張られちゃうんだ、そうか、みんな大変だ…

できるだけひっそり生きようと思ったけど、日常生活のなかで「死にたい」が叶う瞬間はいっぱいあって、避けて生きるのも限界だと思った。

このままだと私は「死にたい」に殺される。

死にたい」は呪い人形みたいだった。

ゴミ箱に捨てても、山に埋めても、海に流しても

家に帰ると机の上にある呪い人形みたいに、

友達ご飯行っても、ライブで感動しても、美味しいもの食べても。これでもう大丈夫!と思ってもしばらくしたら目の前に居る。

こわくてこわくて、半泣きで生活してた。

殺されないために何とかしないといけない。

自分の「死にたい」には一定の周期があって、生理周期と連動している部分があった。

月経がはじまると肉体の猛烈なだるさと痛みが勝り、死にたい一時的に消える。

(でも肉体の辛さが精神の辛さを上回ってかき消されているだけなので快適ではない…)

この状態から、PMSの悪化版PMDDではないか?と目星をつけた。

うつ病にしては食欲がありすぎるし周期があるし、なにより月経中のだるさと痛みがすごいから、月経不調に詳しい婦人科に行くことにした。

病院選びは今後の人生を決める、慎重に選んだが合わない病院なら即やめて次に行くと考えた。

政令指定都市に住んでいるので選択肢が多いことが幸運だった。

初診なので電話予約し現状を説明するのだが、絶不調メンタルのしどろもどろの説明でも診察項目に月経不調を掲げているだけあって理解してもらえた。

人気病院から予約が詰まっていた。直近だと空きがないかも…という状態だったが、

受付の方が「でも辛いでしょう、はやく診てもらいたいよね?時間が調整できないか調べますね」と言ってくれた。

最終的に、ちょっと中途半端時間だけど…と言って予約を入れてもらえた。

別に時間帯はどうでもよかった。

「いま辛いよね」と言ってもらえたのが衝撃的で、電話が終わってから泣いた。会社の休憩室で。(誰もいなくて良かった)この悩みは誰にも話していなかった。

病院では、PMSPMDD子宮内膜症について色々説明をうけた。(ただ全部ネットで調べまくった情報と同じで復習の感じだった)

提示された治療方法は3つ。

低用量ピルSSRI漢方

どうしても漢方がいいなら出せるけど、僕はあんまり漢方詳しくないから他院を紹介するね。詳しい先生のほうがいいからね。SSRI抗うつの薬だけど親御さんが服薬を嫌がることが多いねあなたお一人で暮らしてるの?それならまあいいね。でもあなた月経痛も酷いと言うことだから、まずはピルを飲んで頂くのがいいと思います

ピルも色々種類があるんだけど、うちで取り扱うのはこれ、この表にあるやつ。このなかで一番軽いやつをまず一ヶ月試して、一ヶ月後にまた来て頂くということで。でもこの薬は副作用とか、合わない人もいらっしゃるから。あとでしっかり説明しまから

あとこの薬はね、これを飲んですぐ健康になるとか、元気なるとか、そういうものじゃないからね。

結果はすぐ出るものじゃないし、様子見て、合わなかったら他のお薬に変えます

時間がかかるからね、急がないでゆっくりやりましょうね…

月経困難症の治療薬として低用量ピルを処方され飲むことになった。

先生説明は今思うと当然だけど、当時はすぐ元気になりたかたから、ちょっと残念だった。

ドラゴンボール仙豆みたいな薬が欲しかったなあ、ひとくち食べたら疲れも痛みも不安も全部ふっとんで元気になって…

でもそれって現実世界だと覚せい剤とかだよな…と思った。

真面目なクリエイターがおくすりやっちゃうのってこういう状況なんだろうか、ちょっとかわいそうだと思った。

薬は次の月経がはじまったら飲む、というスケジュールだった。

その日がちょうど生理が終わったくらいの日で、薬が飲める日までだいたい2~3週間ぐらい。

まだ飲めないのか、早く飲みたい、もう10錠ぐらい一気に飲みたい、でもこれは一日1錠、早く飲みたい…

いや、これを飲めばなんとかなるかもしれない薬をわたしは持っているんだ、前のわたしとか違うんだ…そう思い込んでなんとか乗り切った。

飲み始めて一か月はほとんど変わらなかった。

二か月~三か月くらいでちょっと安定してきた。

半年ぐらいでだいぶ良くなって、一年くらいたつと不安が生まれることがほぼなくなった。

普通に生きられるようになった。突然涙が出ることもなくなって、ライブ中に感受性が突然「無」になることもなくなって、「死にたい」もなくなって、目の前にあることを普通にとらえることができるようになった。

薬が合ったので治療成功した。今も飲み続けている。

死にたいのは本人の意思じゃないと思う。

たぶん。

自死を選ぶ直前の人を保護して病院に連れて行ったら、います治療を開始しましょう!

ってなると思う。だいたいは。

それで治療してお薬飲んで病気が良くなったら、100%元通りまでいかなくても自死は選ばないと思う。

から自死を選んでしまうのは病気のせい。

病気じゃなかったらそんなことは選ばない、だから本人の考えや意思じゃない。

病気が原因、だから自死じゃなくて病死が正しい表現だと思う。

わたしが死にたかった時わたし幸せで、

ひとりぼっちじゃなかったし、いじめられてなかったし、楽しいこといっぱいあったし、仕事は安定してたし、ちゃんとした収入もあった。

誰も悪くなかった。幸せだった。ただ、病気だった。

からあなたのせいじゃないと思います

それを伝えたくて書きました。

あなたのせいじゃないです。

2020-07-20

5km

コロナでぶくぶく太り、運動嫌いの自分もさすがにヤバいと思い、5月から週に2-3回、15分のウォーキング+15分のランニング(5-6km)を始めた。

運動の中でも取り分け走ることが嫌いで、ほぼ学生時代マラソン大会以来の試みだった。

目標は、3ヶ月以内に5kmを走れるようになること。

2ヶ月経ったが、10分のウォーキング+20分のランニングがやっとだった。翌日、翌々日まで筋肉痛が残るし、膝も痛くなるし、何より息が続かない。

加えて生来のだらしなさから、天気や筋肉痛言い訳サボることもあった。

あと1ヶ月じゃ到底目標達成は無理だな、と思った。



ある俳優さんの訃報に驚いた。



ぱっと出演作を列挙出来るわけでもなく、特別ファンでもないが、見ていて不快になることなんて無かったし、きちんと演技してる印象があったので寝耳に水だった。

今まで顔と名前は一致する、程度の認識だった同じ世代の、一見順風満帆の彼の訃報は悲しみというよりもショックだった。

故人を惜しむ声は真面目さ、誠実さ、優しさ、ストイックさで溢れ、自粛期間をいいことに、呑気に鼻をほじりながらゲーム漫画に明け暮れていた自分を恥じた。


久しぶりに晴れたので外に出た。

いつも「早く終われ、早く終われ」と願いながら走っているが、今回は件の俳優さんを頭の片隅に、「もっと頑張れ、彼はもっと頑張ってたんだ」と言い聞かせた。



嘘のように呆気なく、歩くことなく5kmを完走できた。

たかが5kmされど5km。自分にとっては到底なしえないと思っていたことがいとも簡単にできた。



嬉しさと同時にどれほど甘ったれた考えでいたのか思い知らされ、また自分を恥じた。


走り切った後、縁もゆかりもないけど、彼の分も頑張って生きていかないとならないと勝手に思った。



心よりご冥福をお祈りします

オンライン授業で壊死する大学生

今年の大学1年生はかなり不運だ。自制心のない一人暮らし学生は一瞬で堕落する。

月曜4限。1つ切って全休になるので迷わず切った。まともに話を聞いたのは初回のみ。ふと気が向いた日には授業に出るが今となっては何の話をしているのか全く分からない。

火曜1限。眠い。欠席3。

火曜3限。昼飯後なので眠い。欠席3。

水曜1限。眠い。欠席4。

水曜2限。目は覚めたがオンライン麻雀楽しいので聞き流している。欠席4。

水曜3限。まともに話を聞いたのは初回のみ。

水曜4限。これで今日の授業終わりだと思うと身が入らない。そのくせ授業後には今日4コマよく頑張ったという気持ちになる。自分でも意味がわからない。

木曜1限。眠い。初回の授業で出席は取らないと言われたので出ていない。課題も出していないがレジュメ見て期末試験をどうにかすれば単位は来るんじゃないかと甘えた考えをまだ捨てていない。

木曜2限。退屈。欠席3。

木曜5限。昼寝の後だと授業に出る気が失せる。欠席4。

金曜1限。予習の内容を授業で指名されて答えるという連絡を受けたので一度も授業に出ていない。

金曜2限。講師レジュメを読むだけで退屈なので聞き流している。欠席3。

金曜5限。初回しか出ていない。

例年通りの対面授業なら堕落しなかったかと言われると自信を持って首を縦に振ることはできない。が、オンライン授業だと授業への義務感が幾分か損なわれるというのは実感として確かにあって、その上毎日自室のベッドの上で寝起きしそのままベッドの上に座ってパソコンを開き惣菜パンを齧りながら授業を聞き、外出は最寄りのコンビニとの往復だけ、娯楽はインターネットだけの大学生活がどんなに味気ないか。2時間3時間と授業を受けるといい加減疲れてきた目を閉じたくなる。心地よい睡眠に身を任せたくなる。実際任せてみて気付いたときには今期の履修の半分以上が落単の危機で笑えない。地元から東京へ送り出してもらった両親に申し訳が立たない。学生保証人には成績が郵送されるので、どう言い訳しようかと考えると今から夜も眠れない。

第一志望ではないにせよ希望する学科へ国公立後期試験をくぐり抜け合格を勝ち取った。去年一年間夢見てきた大学生活は、入学後4ヶ月経った今もまだ夢のままであるGoTo なんとかとかいキャンペーン貼るぐらいなら大学に行かせろ。大学生が登校禁止なら生活インフラに係るとかのごく一部の職種を除いて社会人も出社禁止しろクソッタレ

そういえばオンライン授業に対して義務感を感じないのは授業時間内に提出しなければならないような課題がないからかもしれない。大抵の場合は次週の授業までが締め切りになっているのでそれまでにレジュメ見直せば授業は聞かなくても良いなという気持ちになる気がする。

こんなしょうもないのを書いていたら日曜日が終わった。今週も何もできなかった。眠い。寝る。

二次創作を始めた友人に抱く複雑な心境

これは自分自身問題であると頭では理解しています。そして友人への気持ちをあえて総括するなら「好き」です。


はじまりは、自分があるジャンルにはまったことだろう。そのジャンルで初めてカップリングおよび二次創作を知って、とある小説書きの作品たちに心を打たれた。始発でイベント会場に行き、新刊を買って、感想をしたためた手紙を渡した。そしてこう思った。この人と同じ土俵に立ちたい。

このとき自分にはすでにいわゆる地雷があった。自分の好きなCPをABとするならば、それはBXとしよう。ようは相手違いCPだ。相手違いCP全般好きではなかったが、特にBXについては、CP名を見ただけでショックを受けるようになっていた。何もない2人というような題でBXの体の関係がある漫画を見たときはとても驚いたが、恋愛感情がなければ「何もない」判定になる文化圏の人もいるんだな…と学び、ブロックミュートを駆使して、平和Twitterライフを過ごしていた。

それから、たぶん1年は経っていない頃だと思う。タイトルの友人から二次創作していることを打ち明けられた。友人は自分よりも前からそのジャンル者だし、本好きなので驚きはなかった。ただし、前からそのジャンル者と言っても、二次創作を始めたのはごく最近のことだった。そして友人が書いていたCPは、BXBY、AYだった。評価は二桁中盤くらいだったような。

とはいえこの時点では、まだ以前とそう変わらなかった。

おそらく、BX割合がかなり低かったことと、自分小説をアップすればすぐ追い付けると思っていたからだ。

自分作品を完成させることができないでいた。あの時から数ヶ月経つのに。書き始めてはいた。気が向いた時に取り組み、永遠に修正を繰り返し、飽き、放置し、取り組み……その繰り返しで完成するはずがなかった。

いつかわからないうちに、BXだけでなく、BYも、AYも、地雷と化していた。元々相手違いCPが嫌いな上に、TLによく流れてくるそれらを嫌いになったのかもしれない(BXもそんな経緯だった)。

今まで友達自分の嫌いなものを好きでも、大した問題ではなかったように思う。しかし、これほど嫌悪感を抱くもので、自分がやりたくてもできなかったことを実現させていると思うと、それはとても重大な問題のように感じられた。嫉妬だ。

やめとけばいいのに、作品サイト掲載されていたリンクから友人のTwitterを見に行った。

「Yの幸せを願う!原作至上主義

プロフィール文言に目を疑った。

AやBは、Yを幸せにするためだけのアイテムなのか?

AやBである必然性はないのだろうか?

幸せって誰かと結ばれることなのか?

待て、待て、待て。Yは“原作“で片思い相手がいる(今までに出てきたどれでもないキャラだ)。それは無視して「至上」とは?

いや。

幸せを願うことがカップリングイコールとはひとことも言っていない。別にやっている創作がYの幸せだと言ったわけでもない。Yの片思いは報われないことが確定している。作品解釈は人それぞれで、言葉定義も人それぞれだから、それを考慮に入れれば至上と言えるのかもしれない。

気に触るツイートはたくさんあった。

「AYも好きだけど素敵な作品が多いか自分BY書きます」とか。

「このジャンルはサブ」とか。

一番あり得ないと思ったのは、原作でBが取り上げられる回があった後のツイートだった。

「初めてBのこと素敵だと思った!」

へえ。じゃあ今まではなんだったの?

どんな種類の感情もYに抱いたことのないBと、別の人が好きなYをくっつけて楽しんでいたのは、両方のキャラを好きだからだと思っていた。それも本当はどうかと思うけど。理解の外にいると実感した。

数ヶ月おきに無性に気になって、友人を裁くためにTwitterを覗き、そんなこと決してできないんだと裁いた気になった自分に言い聞かせた。愚かしい。

そしてもっと嫌なことを知ってしまった。友人はオフ活動が決まったと。

自分もオンで活動10冊くらい配れそうになってからオフ活動したいなと思っていた。あわよくばもっと……ところが友人ときたら、周りに本作りなよ!と散々言われ、10冊どころではない数を頒布したらしい。嫉妬自分が周りに認められ、求められたかったのに(もちろん友人が相応の努力をしたであろうことはわかっている)。

CPを嫌いな気持ちと、二次創作への態度の気に食わなさと、嫉妬が入り混じって、友人のことを思い出すとウッと思う。

同時にこの友人のことはすごく大事に思っている。

Twitterはもう見ていない。たまにふっと見たくなるけど、我慢している。

あと、心打たれた書き手の方は活動しなくなって久しい。だから自分の中に嫉妬が残っているのかもよくわからない。友人とCPに関する嫌悪感がセットで思い浮かぶようになっていることだけが事実

会う機会があるからこの気持ちを想起してしまうんだと思っていたけど、コロナで会わなくてもこれを書くぐらいには思い出してウッとなる。

こうなる前の、好きな気持ちだけで友人といられたらいいのに。

7/21追記

タイトルにもかかわらず友人がいつ二次創作を始めたのか書き忘れるという失態を犯していたので追加しました。あと作品を完成させられるのは一種の才能なのでどうか誇ってください。

2020-07-19

32歳腐女子の友人側に共感する話

高校時代からオタクという共通趣味を持ち中の良い友人達がいる。

32歳腐女子の友人の様に毎月全員で会ったりすることはなく、全員で会うのは半年から1年に一度だか、それぞれが数ヶ月に何度かお茶をするし、おそらく高校からの仲良しグループというのは全員思って居ると思う。

そんな中、30歳にもなれば各々母親になったり、大病を患い現在も定期的に通院したりと色々ある。

そんなある程度距離があるから気にしないで居た振りが出来たその中の一人Aのことを考えると、私は32歳腐女子の考えに共感しかしない。

Aは高校卒業大学へ行き福祉関係勉強をし、福祉施設に就職したが、2ヶ月経たずに辞め、そのあとずっと高校大学バイトをしていたコンビニのでアルバイトを続けている。

別に働いているからと気にしないで居たが、都内とは違い関東とはいえ車の必須地域17から22時で基本は週4だと他人とはいえ大丈夫か?と気になる。

前にガソリン代は自分で出しているけれど実家お金を入れているわけでもないし、車は親に買って貰い、保険年金も親に出して貰っている状態で親の愚痴を言ったり、趣味コスプレ衣装コラボカフェ都内カフェの話をしているのを聞いたのときは良い歳して…と呆れたが口を出す立場じゃないし…と相づちを打つだけで終わった。

特にグループ内でAに関して話題が上がったりはしていないし、これからもA本人に直接伝えたりグループ内で話したりはしないだろうけれど、この年齢を重ねたことで出て来た違和感が決定的な違いとなりグループと疎遠になることがあるんだろうなと思っている。

脱毛した感想

8年前にレーザー脱毛ヒゲ消したんだけど

何か前より進化してるんだね

8年経った結果半分戻ってまた青ひげになったので最近通ってるが

1撃で結構消えるようになったし痛みも少なくなった

それでもエグい痛みだけど

もちろんこれはそのクリニックの機械に依るんだけどね

前回行ったところは潰れてた

 

ただ1撃で結構行くようになったおかげで薄くするってのは難しいのかもと思った

1回目で既にまばらになってしま

生えてるところは生えてるけど既に生えないところも出て美しくない

ツルツルにするしか無い感じになるかも

腕と脚もやってるけど、1ヶ月経ってまだあまり生えてこない

特に

生えてこないんだけど毛穴に次の毛が待機していて気持ち悪い

生えるのかい、生えないのかい、どっちなんだい

体は2か月おきらしい

VIOちんこきんたま)も興味あるんだけど、ツルツルまでいっちゃうみたいだからどうしようかな

地黒だから無理かも

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