はてなキーワード: 読経とは
我が家は、実家に近い住まいに住んでいるので、季節の変わり目やお盆には、お寺さんが来てくれる。
大体30分から1時間ぐらい。読経して、雑談して、お茶飲んで、だいたい5,000円ぐらい包んでる。(今のところ両親が負担している。)残念ながら宗派は伏せておく。
読経の時間は、瞑想時間に利用している。一定のリズムで詠まれる読経は、瞑想に入るバックグラウンドミュージックとして、とても良い。むしろ大学合唱部レベルの訓練を受けた人の生歌を聴きながら、瞑想できるとは、なんと贅沢なのだろう。
ちゃんとした線香を使えば、心地よい空間が演出できる。個人的な推し線香は白壇である。1,500円ぐらい出せば、ちゃんとした白壇の香りが嗅げるので、スタバのコーヒー3杯分で、100回ぐらい楽しめる。
そう、お寺さんがくる空間というのは、最近のスピリチュアルで推される要素をすべて満たした超良好空間なのである。
そして読経が終わると、お寺さんとの雑談をしている。近所の話題だったり、季節の事柄だったり、仏像の話だったり。
なによりもお伝えしたいのは、お寺さんの傾聴力の高さである。
色んな人と雑談するの仕事みたなものだと思うが、とても柔らかい物腰で聞いてくれる。このレベルの傾聴力があって、仕事できる人は、普通に都内で働いてる人なら、年収1000万クラスは硬いと思う。※某1on1支援企業に勤めている人を知ってるが、その人とくらべても遜色ないどころか普通にレベルはお寺さんの方が上かも。ビジネス的な側面だと1on1企業の方がわかってくれる感はあるだろうけど、一方のお寺さんには、地の利がある点で、わかってくれる感は上にくることがある。
坐禅・瞑想体験は、普通にセミナーに申し込んだら1回5000円~とか。某企業の1on1に申し込んだら普通に1時間数万ぐらいとか。自宅に来てくれた上で、2つセットで受けれるサービスなんで、普通はない。
このライフハックの一番むずかしい点は、接点を持つのが難しいところだ。入会要件が不明だからね。自分もあえて、寺を探そうとはならない。郊外住まいなのだが、いまのお寺さんは、お祖父さんが引っ越しをするタイミングで、本山に相談して紹介してもらったところだそう。
今のお寺さんの先代の人は、読経がうまくなかったので、おばあちゃんから難癖つけられていた。うまく代換わりで、お寺さんガチャに成功しただけかもれない。
お葬式になれば、だいたいちゃんとしたところを紹介してくれるし、変な葬儀会社紹介されてぼったくられるより安心。もし5,000が安すぎると思うなら、そのタイミングで課金すれば良いだけではある。懐事情も相談すれば良い※そういう意味では、お布施の多寡を問わないのは、所得の再分配機能をになっている。とも言える。
自分ひとりの体験では説得力に欠けると思うので、もう一事例を紹介しておく。奥さんの実家はそこそこ田舎なため、高齢化が進んでいる。そういう中で、ちゃんとニーズに合った活動をしていて、エンディングノートをテーマにした講演や、老後の資産活用のセミナーなんかもやっている。お寺で。下手な営業で詐欺に引っかかるよりはまともな人を呼んでくれているので、また信頼感をベースにしたコミュニティが維持されているようだ。
ということで、ライフハックとしてのお寺さんを紹介した。自分はたぶん、このままお寺さんとの関係は続けるだろうし、おそらくどこかでまた代替わりするかもしれない。お寺さんの良さみたいなものが少しでも、伝われば幸いである。
お経を読んで得したこと?
まあ、正直に言うと、直接的な得は感じたことないんやけどな、ちょっと考えてみたら、「あ、これええかも?」って思った瞬間もあるで。
例えば、般若心経を読んでたら、なんか心が落ち着く瞬間があったんや。
それに、無心で文字を追いかけてるうちに、普段考えすぎてることがどうでも良くなってきたってこともある。
それと、意外とみんなお経読んだことあるから、親戚とかと話題にできるやん?
そういう時に「あ、ワイも読んだことあるで!」って共通の話題ができるのは、得したと言えるかもしれへん。
今朝父が亡くなった。朝8時過ぎぐらいに病院から電話がきて、母と弟を連れて病院に着いたのは9時過ぎぐらい。その時点で既に心臓が止まっていた。
蘇生処置は行わないとしていたため、私たちの到着後すぐに死亡確認となった。眠っているような顔で、それでも体は少し冷たくなりかけていた。
昨日お見舞いに行った際にはこちらの声や周りの音は聞こえている様子だったが、喋ることはできず時折うめいているような状況だった。ここ数日は痛み止めの薬がかなりキマっており、夢と現実の間を反復横跳びしているように見えた。私たちがお見舞いに行ったときには、白目を剥きかけながら現実に戻ってこようと頑張ってくれていたように思う。
父の病状は基本的には容赦なく悪化して行ったが、その進行にはある程度の時間がかかったと言うのが唯一慈悲深かったところだと思う。3年近くの時間を稼ぐことができた。私も最後の半年は父と過ごすことができた。父にとっては苦しみがいたずらに長く続いただけだったのかもしれないが。亡くなる数日前に食べたいものはあるか、何か買ってくるものはあるか、と母が父に尋ねたところ、父は「命を買うてきてくれえ」と言っていたらしい。父ももっと長く生きたかったと今際の際まで思っていたのだと信じたい。
父が入院する前、夕食後に毎回ハグしていた。最近はずっと管がついててできなかったから今日は久しぶりにハグできた。もうできなくなってしまうと思うと本当に悲しい。
私はたくさん泣いたけど、ひとつも泣かなかった弟は大丈夫なんだろうか。いつもと同じ調子で虚空を見つめていたけど、泣いていないことで後々辛くなったりしないのかな。個人的には泣くと涙と一緒に悲しい気持ちとか記憶を流せるような気がする。
10:00 葬儀屋と地域の縁戚の中で顔役的な人に連絡した。葬儀屋の病院への到着は正午ごろの予定。顔役の人は昼ご飯を食べたら自宅に来るとのこと。
10:30 私と弟は先に自宅へ戻ることになった。病院に置いてあった父の荷物もまとめて持ち帰った。お客さんに配るためのお茶を道中買った。自宅で作るって選択をしなかったのは正解。
11:00 帰って座敷に布団敷く。頭は西向きまたは北向き。来客用スリッパは出したが結局ひとつも使われなかった。四歩ぐらいやしなー。玄関に出しっぱなしの靴は一旦片付ける必要がある。来客ラッシュが予想されるためお茶を冷やし来客用のコップを洗
11:30 おうとしたところ、顔役の人が自宅にきた。昼ご飯食べたらって言うたやーん。葬儀屋の病院到着予定時刻を伝えたところ、「ほな13時には着くからみんな呼ぶ時間早めるわー」と仰り各所に電話し始める。ここから怒涛の展開なので時間がよくわからない。
11:45? サブ顔役みたいな人がくる。何か式次第チャートみたいな表を何部も印刷して持ってきててビビる。
12:30? 続々と縁戚の人が来訪する。
13:00? 葬儀屋さんと母と父が到着する。ドライアイスの処置とか化粧をしてもらう。今の時期虫が発生しやすいので蚊取り線香とかあるといいとのこと。
13:30~14:00? 菩提寺の住職さん(女性)と坊守さん(住職さんのお母さん)がきた。お経をあげてもらう。住職さんも代替わりしたばかりで、今回の父への読経がデビュー戦とのこと。坊守さんが住職さんへ船場吉兆みたいな指示の仕方をしていた。
14:30~15:30? 田舎の葬式は怖い。縁戚の人たちがどんどん式次第を決めていく。家族葬にして後のおかえしの負担を減らすのが父と母の意向だったが、真反対の方向に話は進んでいった。私はぬるっと喪主になった。決裁権者は母だし、そもそも私と母の頭上で色々なことが決まっていくため途中からは流れに身を任せていた。
15:30~16:30 役場に死亡届を出しに行く。様々な書類を書いた。喪主(私)と新世帯主(母)が別人でしかも世帯分離してると相当めんどい。火葬許可証をもらう。これ火葬場に持って行き忘れるとえらいことになるらしいよ。戸籍の変更の関係上2週間経たないとできない手続きが色々あるらしく、時間をおいてまたいらっしゃいと言われた。
16:45 役場から帰ってきたら勝手口に野菜が大量に置かれていた。顔役の人たちが家にいたけど誰が届けたのかは全然わからないらしい。だれぇ……?
17:45 エアコン設置の下見を頼んでいた業者さんがくる。今日キャンセルしたらいよいよエアコン設置が今夏中に行えない可能性があるから実施できてよかった。もっと日中の訪問だったら終わってた可能性ある。
17:00~18:00 家に残ってた顔役の人の自慢話を聞く。
今日はこんな感じ。ねむい。
使ったことがないのならまずはオズボーンのチェックリストを使おう。
手っ取り早く例を挙げる。
あなたの脳内でいつもあなたを励ましてくれるかわいい女の子の魅力を書きたいとしよう。
1. 転用してみる
かわいい女の子にさらに魅力が追加されるとしたら、どんな属性があるか考えてみよう。
元々想像していたのが黒髪で巨乳で運動神経が鈍い料理上手な女の子だったとする。
ここにさらに他に得意なモノやコトがあるとしたら何があるか考えてみるといいかもしれない。狙撃とか。読経とか。
2. 適合・応用してみる
料理好きのかわいい黒髪女子に匹敵する魅力のあるモノは他に何かないだろうか?
かわいい料理上手な黒髪女子に対抗意識を燃やす平行四辺形や水死体が存在したら、何が起こるだろうか?
3. 変更してみる
黒髪で巨乳で運動神経が鈍い料理上手な男の子を登場させてみるとどうだろうか。
4. 拡大してみる
ネタを壮大にしてみよう。
死神が宿る漆黒の髪をなびかせ、アカシックレコードを秘めた乳房を持ち、家の外に一歩も出たことはないがその腕が生み出す料理は建物を土台から吹き飛ばすことができる宇宙一の美少女の話にしてみたらどうだろう。
5. 縮小してみる
逆に控えめにしてみよう。
茶色っぽい黒髪が特徴で、やや胸が大きいことを気にしていて運動はすこし苦手だが料理人の父を持っていて料理上手になりたい女の子である。
なんだか急にリアリティが生まれて、これはこれでなんだか物語性を感じないだろうか。
6. 代用してみる
元ネタを直接書かない、登場しないとしたら誰が代わりになるだろうか。
例として「黒髪で巨乳で運動神経が鈍い料理上手な女の子」に恋する人物、例えば前頭三枚目になりたくて異世界から来た不死鳥の甥がいたら、どのような主人公になれるだろう?
7. 再配置してみる
例えば、巨大料理を作りたくて市民運動をしている乳牛大好きな色黒の女の子がいたらどんな物語が生まれるだろうか?
8. 逆転してみる
金髪で低身長で運動神経がいい料理下手な男の子を登場させたらどんなシナジーが生まれるだろうか?
9. 結合してみる
いままで挙げたアイデアを合体させてみよう。
例えば、黒髪で低身長な平行四辺形の猫が市民運動を展開する前頭三枚目の乳牛に恋をしてアカシックレコードと水死体を料理する話があったとしたら、それはどのようにドラマチックにできるだろう?
いかがだろうか。
「黒髪で巨乳で運動神経が鈍い料理上手な女の子」という例から少し極端なアイデアを作り出してみたが、ありふれたフレームワーク(オズボーンのチェックリスト)を使うだけでも恐ろしいほどにたくさんのアイデアを作り出せることがわかっていただけたと思う。
ここまで極端でなくても、身近なものを上記のように捻るだけでいくらでも書きたいものが生まれると思う。
あなたが仮に政治に興味があるとしたら、自民党の党首が仮にアメリカ生まれのブロンド美女だったらどうなるか、考えてみてもいいだろう。
野球なら、横浜ベイスターズを異世界魔導ギルド球団に、読売ジャイアンツを異世界冒険者ギルド球団に置き換えたらどのような選手構成に置換できるだろう。
もっと身近なもの、例えばXとInstagramとTiktokが巨大大陸だとしたら、それぞれどんな民族が住んでいて、どのような文化を形成しているだろうか。
思い返してみれば、上記のような「少し違う」何かを混ぜたフィクション作品はたくさんあると思う。
他にも似たようなアイデアを生み出すためのフレームワークはたくさんあるので探してみてほしい。
時代はつねに進み、移り変わっているので、新鮮さやなつかしさも同じように少しずつ移り変わっている。
https://mainichi.jp/articles/20240319/k00/00m/040/120000c
https://www.fnn.jp/articles/-/470192
https://www.sankei.com/article/20230323-ZDOYSBZGNBO7RNGJNLTBPMNKRM/
重大犯罪が起きたり
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1249166207
そして、本当に時代に合っていないし、まだそんなことやってんの、清風らしいなと思っていることでしょう。
高校レビューサイトにも現役OB問わずボロクソ言われています。比較的偏差値のレベルに合わせて順位がつくこのサイトで、ある程度の偏差値の進学校で大阪府176位は異常事態です。
https://www.minkou.jp/hischool/school/review/2447/
毎朝全校生徒朝礼(4000人の男が一堂に集う)があり、毎日読経し、毎日教育方針を暗唱します。校長の説法で「借金の保証人になるな」と高頻度で言われます。
https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2008-09-12
勉強に集中するべきであるから生徒会が存在しません。(似たような学校の言いなり組織はある)
勉強できなくてもいい、寺の息子たちとスポーツ推薦のやつだけのクラスがあります。
運動が強いように見えていますがほぼ推薦でクラスも分かれているので、普通のコースで入ると太刀打ちできないことも多いです。(池谷幸雄をはじめとしたオリンピック選手多数)
普通に入ると、完全に受験のみに焦点を当てた教育(+宗教教育)で育っていきます。
親から見れば予備校に行かせなくても阪大や同志社にいっぱい進学してるように見えて魅力的です。
昔であれば「厳しい学校」程度の話で済んだかもしれません。私立校ですから、厳しい校則も別にいいと思います。しかし、この時代においては世の中とのズレが大きくなりすぎたと言わざるを得ません。
寺を継ぐ息子たちの学校に割り切るのであればそれもありかもしれませんが、このズレで教育しつづけて、卒業した子たちは社会でやっていけるのでしょうか。
教育方針に掲げた「安心と尊敬と信頼の対象となる」人物になれるのでしょうか。
春はばけもの。やうやう白くなりゆく山ぎは、にわかに曇りて、だんだら染めなら雲の乱れ飛びたる。稲妻天に向ひて走るもをかし。ふりさけ見れば、几帳の陰に、おどろおどろしき物どもこそ重なりゐたれ。追はれて暗き廊下をひた走るに、黒髪みな逆立ちて細くたなびく。
夏はへねもね。へねもねは稚児にも似たり。暑き夜、読経などして明かすをりに、うしろよりほと、と頭をうちたたきて逃ぐる、さてもさてもにくし。さりとて、闇夜にふねふねとすねこすりて歩くこそ、いみじうなまめしかれけれ。八月つごもりのころ、道の辺にて生き腐りてあるのはわろし。犬の半ば食らひてあるなど、いふべきにもあらず。
秋はぞぞろけ。ひともどき。にゃらにゃら草。一つはさらなり、二つ、三つと出たる月のいみじう赤ければ、極楽達磨のまろび狂ふもことわりなり。明り障子もみな紅に染まりて、狂ひ舞ふ人の影のみ黒し。えもいはれず。えもいはれず。
冬はあしきり。つとめて、ひとり広き野を歩くに、すすき野の、一面に白く枯れわたりて、すさまじげなるに、ふと足切らるる心地するはこれなり。あしきりにあひし人は、二、三日のうちに、必ず失せにけるとや。
中3の夏に祖父のお葬式に行った時、私の真後ろに発達障害か何かって感じの挙動の男の子(背はそれなりにあって学ラン着てたから中学生か高校生だと思う)が母親らしき女性と並んで座ってきた。
祖父母の家にお坊さんを呼んで、襖を取り払ったスペースに座布団をたくさん並べて、近しい親族から順に座っていたので周りは見知った親族ばかりだったが、その二人は今まで一度も見たことのない人たちだった。
なので近親者っぽくもないこの人たちは一体何者なんだろうかと私は思っていた。
違和感はあったがお葬式も始まってしまうので、私は隣の母にも何も聞かず出来るだけ気にしないようにしていた。
お坊さんの読経が始まり回し香炉での焼香が始まった頃、ふいに背中を触られた。意図せず少しぶつかったとかではなく(そもそも皆座ってるので意図せずぶつかることも基本的に起こらないと思う)、指先でツーーっとなぞる触り方で。
知らない人に明らかにそういう行為がそぐわない場面でいきなり触られる。はっきり言って気持ち悪い。小学生の時に通学路で痴漢に遭遇して体を触られたことがあったが、それと同じ類の気持ち悪さだった。
気持ち悪いが、こちらが注意したとしてどんな反応が返ってくるか全く読めない。黙ってやめてくれる可能性は低そうだし、もし男の子が大声をあげたり暴れるような人だったら祖父のお葬式が無茶苦茶になるかもしれない。
そう考えると、注意するどころか気にする素振りを見せるのもすべきでないような気がして、私はじっと我慢することにした。
男の子が私の背中をなぞる行為は読経の間も、私が焼香をあげる時も、その後もずっと続いた。出棺になって皆が立ち上がるまでずっと続いた。男の子の隣にいた母親らしき女性はその間、止めたり宥めたりすることもなかった(私が何も出来なかったのと同じ理由で何もしなかったのかもしれないが)。
皆が立ち上がりだした時に、さりげなく後ろを振り返ると男の子と女性は既にいなくなっていた。
中3の私は腹を立てた。障害とか何か事情はあるかもしれない。しれないが。
もし簡単な事情の説明と一言「ごめんなさい」と謝られていたら違ったかもしれないが、これでは一方的に嫌な目に遭わされただけでどうにも納得できない気持ちでいっぱいになってしまった。
納得はいかなかったが、お葬式の後でも親族の集まりでそんな話をするのも憚られてしまい、結局祖父母の家でこの話をすることはなかった。
一通り終わって帰宅した後で母に聞いたら母も全く知らない人たちだったので、近親者ではなかった。一体誰だったんだろう。
母は男の子が私にしていたことには気付いていたそうだが、私と同じ理由でお葬式の間は何も出来なかったと謝られた。母は何も悪くないし、祖父(母の父)との最後のお別れだったのにこんな変な出来事があってむしろ気の毒ですらあった。
障害のある人とその家族が皆あの母子のようとは限らないが、あれから10年以上経った今でも外出先で見るからにそんな感じの人がいると少し距離をとろうとしてしまう自分がいる。痴漢に遭った後、一人で外を歩く時は後ろを振り返る癖がつき、背後に男性がいるとその人が不審者とは限らなくても警戒して歩くスピードを速めるのと同じように。
わりとポピュラーになってきたちん活。俺もやり始めて3ヶ月なので参考に書いてみる。
とりあえずちんこを眺めるところから。帰宅したらちんこをジッと見る。10分経ったら、読経。「ちんちんちんこ ちんちんこ おおきくなーれ 誰よりも」とお決まりの18条を唱える。
「ありがたや〜ちんこの神さまどんどこしょ」まで来たら、おもむろにパンツを2枚履いて、街を闊歩。例のトイレまで来たら、パンツを一枚脱いで奉納。気持ちが良い。
帰宅したら、一度パンツを頭に入ってかぶって、ちんこを♾の動きに回す。100回終えたら、食事だ。
まあこんなふうなルーチンを3ヶ月続けた。結果は?すごいよこれ。ちんこ、七色に光り始めたんだよ。綺麗。ゲーミングちんこ?いや、虹のちんこ。虹んこ。画像をアップしたいが禁じられてるので残念。
ちん活おすすめだよ。みんなのちん活もできたら教えてほしい。スイーツちんこの舞とか、フィーリングハートwithちんことか、やってる人いる?先輩方の意見を聞かしてください!
北陸のとある田舎の町に住んでる。田んぼばっかりの農業地帯。うちの町には、町所有の墓地があって、お金ださなくても、空きがあれば町民は墓を作れるらしい。仕組みは知らん。
その町有墓地にある他人の墓の面倒をここ100年ばかりみている。
お盆前には汗だくで草をむしり、当日には花を供えて、お坊さんに読経してもらっている。
父によると、大昔、近所で開拓のために北海道に渡った一家があり、そこの人たちに「残していく墓を頼む」と頼まれたのが始まりだそうだ。気のいい先祖が「いいよ!」と受け合ったため、子々孫々と他人の墓守している。
墓石はもうかなり古びていて、花もうちが供えたものしか飾られていない。100年前に移住した一家を実際に知ってる人も、今は誰もいない。
北海道に住んでいる子孫たちも同じだろう。北陸のこの町なんか来たこともないし、もしかしたらもう先祖が住んでた町の名前も忘れちゃってるかもしれない。
ほんと何でこんなこと100年もしてるかわからないんだけど、いつか、この北陸の街に、北海道から自分たちのルーツを探しにくるかもしれないし、その時に先祖の墓がちゃんとあったら気分あがるよなとは思う。
そんなことを想像しながら、今年も顔も知らない
Twitterに書こうとしたら字数制限でめちゃくちゃ嘘っぽい文章になったので、こちらにお邪魔することにした(場所を変えたところで書き手は変わらないのだから、まともな文章になるかは微妙だが)。
大阪の街の中にはバスと電車で1時間ちょっとの、中途半端な田舎で生活中。
うつ病発症以来、趣味はほとんど楽しめなくなったが、それまでは生活費以外のお金をほとんど趣味に使ってしまうタイプのオタクだった。
2023年4月13日、大学の同期生(以下A子)からLINEのメッセージが届いた。近々お茶でもどうだという、遊びのお誘いだった。
4年制の私大(女子校)を卒業したのが2014年3月。確か入学時が1学年1学科100名程度だったので、一般的な私大よりは学生数は少なめだったのではないかと思う。
A子は学科こそ同じだったが学籍番号(名前順)が離れていたので、座席や授業グループといった講義での接点は少なめ。ただ、私もA子も生息する沼は違うが推しグッズを持ち歩くタイプのオタクだったので、講義で顔を合わせた時には軽く会話するようになり、校内の食堂で昼休みを一緒に過ごしたこともあったと思う。
その程度の関係性だったので、卒業後は「また会おう」なんて言いながら、一度も連絡を取り合ったことはなかった。
Twitter、Facebook、InstagramといったSNSでは繋がっていなかったので、卒業後の進路や近況は一切知らなかった。LINEだけは交換していたようだが、それまでにメッセージをやり取りした履歴は残っていなかった。昨年末頃に連絡していない人をLINEの友だち一覧や電話帳アプリから削除した際、トーク履歴も削除していたためだ。
幼少期から交友関係は狭めで、誰かと遊びたい時は自分から(かなりの葛藤の後にそれ以上の勇気を持って)誘わなければならなかった。学生時代、誘われるのはプレミアがつくくらい超レアだった。
なので、卒業から時間が経ってるのに私の存在を覚えていてくれたのね、と脳がしあわせを感じていたのである。
冷静に考えればこの時点で9割なにかあると怪しむべきなのだが、私は舞い上がっていた。直近で都合がつく日を伝え、何も疑っていなかった。疑うという感覚すら持っていなかったと思う。
4月14日、私は祖母の付き添いで地元の理容室にいた。店内には壁掛けのテレビが設置されており、昼のワイドショーが流れていた。店主や祖母との会話が途切れた時、ちょうどワイドショーのテーマが変わった。
「○○社(マルチの社名)は明日15日、6ヶ月の行政処分期間が明け、新規会員獲得ができるようになる」といった内容で、言葉巧みな勧誘や押し売りに注意を促す報道だった。
その社名は聞き覚えがあった。
20歳になったばかりの頃だ。幼稚園の時から知っている、最終的には高校の同級生だった子(以下B子)が、誕生日のお祝いをしたいからと大阪のカフェに呼んでくれた。
喜んで行ってみると、サプリメント等の健康食品や化粧品を購入しないかという、勧誘活動だった。
カフェのお手洗いで戻すくらいショックだった。そういう会社があり、会員が多くいるのは、インターネット経由で知っていた。でもそれは外の世界の話で、自分がそういう目に遭うとは考えていなかった。それが幼稚園の時から優しかったB子からなんて、想像もしていなかった。
挨拶もそこそこに飲食代を置いて逃げ帰り、B子と関わった全てのSNSをブロックし、着信もメールも拒否し、疎遠になった。
高校の同窓会を断り続け、グループLINEにも入らないのは、この一件の衝撃が大きすぎたからだ。B子にとって私はカモだったのか、それとも純粋な善意だったのか、今となっては知る由もない。善意だったとして、救いだったのはB子が一人で来てくれたことくらいだ。彼らの常套手段である囲い込みを最初からされていたら、上手く逃げられたかわからない。
※ちなみにこれらを思い出した後、B子がどうなっているのか、怖いもの見たさでSNSを覗いてみた。旦那さんと子供がいる幸せいっぱいな母親像と共に、チャクラを開眼した精神世界の住民になっていたので、そっ閉じした。
しばらく連絡のなかった相手から、突然会いたい等の連絡があった時は、身を守るためにまず疑いましょう。と、特集は締めくくられた。ニュースキャスターは次の話題に移る。
どこかで聞いたような話である。
A子からもらった連絡を読み直した。「久しぶりだね、元気だった?コロナに負けない、健康にいいものがあるの。よかったら近いうちに会えない?」近況語りを省いて要約するとこんな感じだった。もっと早く気付けよ私。でももう会うと言ってしまったしな…、それに万が一A子がシロだったら申し訳ない。と、この期に及んでまだそんな淡い期待を抱いてしまっていた。
だが、少し冷静さを取り戻した私は、保険を用意することにした。探すのに手間取ったが見つけ出し、明日のカバンに忍ばせた。
4月15日。朝から夕方にかけては別件で動いていた。大阪まで往復1000円以上出しているので、用事はなるべく一度に済ませたいのだ。哀ちゃんはあまりに可愛く、ミリオタには組織の懐事情が恐ろしかった。気づいたらパンフレットを購入していた。
そして待ち合わせの時間。
やってきたA子は、仕事帰りだからかパンツスーツだったので、別人のように感じられた。記憶の中の彼女は、当時の大学生が好んでいた「森ガール」の姿だったからだ。
挨拶を軽く交わし、場所を百貨店内の喫茶店に移す。大学時代の、講義で印象に残った話や友人関係なんかを話してくれたが、私の記憶はうつ病を機にぶっ壊れていたので、曖昧な返事しかできなかった。20〜30分ほど話して、A子はお手洗いに立つ。本当にただ会いたがってくれただけだったらしい、なんて油断が生まれかけたが、本題はA子が戻ってからだった。
会話が私の話題になる。自分のことを開示するのは気が引けた。慎重に言葉を選び、私のSNSのフォロワーなら知っている内容を話した。
A子は私の「うつ病」というワードだけを拾い、苦労しているねと言った(そういう話ではなく、周りに支えられていると話していたのだが)。
そして始まる。予習していた通りの、営業トーク。このサプリメントを飲んでいたからコロナに罹らなかった、この化粧品で細胞から健康になった等々「怪しい」が笑顔でパレードしている。時折、私の身に起きた事象を織り交ぜながら、巧みに購買欲を刺激することも忘れずに(この頃私は呆れを通り越して飽きていたので、映画の感想を思い出したりしていた。哀ちゃんは可愛い)。
極めつけはブラウスの袖ボタンを外して見せてくれた、パワーストーンの珠数ブレスレットだ。これを身に付けてから会社での評価は鰻登りで、恋愛も上手くいき結婚秒読みその他諸々。あの日のB子と重なる。同じだった。キラキラした純粋な笑顔は、こんな欲にまみれた営業トークと共に見たいものではないのだ。話が一区切りした時、私はにっこりと微笑みながら、カバンのポケットから「保険」を取り出した。そして「保険」をそっとA子側に差し出す。
「成功してよかったね、本当に嬉しいよ。いかなる時も、神は見ておられます。」
噛まずに言えたことを褒めたいと思った。
保険とは、名刺サイズのカードである。なんとなく捨てづらくてとっておいた、以前某宗教の宣教師さん(という肩書きでいいのだろうか?詳しいことはわからない)からもらった、コンタクトカードという名称のものだ。表面には「人生の疑問の答えは何処にありますか」という問い。裏面にはこの宗教法人のホームページのQRコードと、手書きで宣教師のものと思しき電話番号が書かれている。
A子は私とカードを見比べては、しまったと言わんばかりの顔をしている。掛かった。
「私が現在、病により仕事が思うようにできなくなっているのは、神が試練をお与えになったからです。私には乗り越えられると、神は言っておられるのです。」
「私には幸い、よき隣人がおります。神が与えてくださったよき出会いに感謝し、彼らと共に歩むのです。」
「A子、あなたも私のよき隣人に違いないのです。何故ならばあなたは私が試練に耐えているこの時にやってきて、私の身の上を聞いてくださいました。理解を示し、体に良いものを勧めてくれました。あなたは本当に善人なのです。さあ、共に祈りを捧げましょう。A子と共に安息の地へ行ける日を楽しみにしていますよ。」
大体こんな内容のことを言った。もう少し長かったかもしれない。興が乗り、舌もよく回ったので、思い返せば支離滅裂で古今東西の宗派が入り乱れた最悪な内容だったが、A子は瞬く間に青ざめた。顔色が悪くなるって、彼女のことを言うんだろうなと納得できるくらいに。
ダメ押しで家のポストに入っていた某宗教の勧誘チラシも渡しておいた。勉強会に来ませんか的なやつだ。一刻も早く離れたかったのだろう、A子は自分のお茶代を出すと、明日は用事があるからと言って、逃げるように帰っていった。多分チラシのことを言っていたんだと思う(読んでないから中身は知らなかった)。
まとめ
9年ぶりに連絡を寄越してきた元学友は、やっぱりマルチの勧誘だった。ここまで読んでくださった方は察してくれていると思うが、私は宗教に関して言えば不勉強である。信仰心は全くないことはないけど、私は(だいぶ落ち着いたとはいえ)血の一滴までオタクなので、そんなことに金を使う余裕があったら、推しに貢ぎたいのである。
そんな私の推し(FBIの腕利きスナイパー)も活躍する「名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)」をぜひ劇場で観てください。
私は元学友がマルチかシロか考えなくていい状況でもう一回観たいと思います。
「見ておられます」ってコメントに、自分で発言したのに「怖っ」って口から出ていました。
宗教観に関してですが、付き合いのある親族が多かったため、その分永遠のお別れもありました。その都度(関わったのは全て仏式だったので)読経があり、法話があり、最後のお別れがあり、お棺が閉じられ焼かれ、故人が骨壷に収まり、その先も月命日だなんだと法要がたくさんあり、墓への納骨を終えて、ようやく一区切り、という流れを子供の頃から何度となく見てきました(親戚付き合いの良し悪しの話ではなく、個人として貴重な経験を積ませてもらったと思っています)。この流れを何度か見ていると、幼いながらも生きること死ぬことに対する価値観が形成されてきました。葬儀、祭儀は生きている人のためにあるのだと感じるようになりました。その後、宗教とは生きている人が生きていくために縋ることがあってもよいのだろうと考えていくようになります。法話により心が軽くなった喪主を見てきたからです。救いを求める方向は人それぞれなのだろうと感じました(今問題視されている宗教の事案を軽視しているわけではありません)。
何が言いたいかと申しますと、私は宗教に大して明るくもなければ知識もないのに、神を騙り軽々しく利用した点に関して、時間がたった今猛省しております。ご不快に思われる方も少なくないと思います。真っ向から買わない付き合わないとB子に宣言した際、しばらく執着されていたので、この時はこれしか逃れる方法を思いつけなかったのです。
もし本当に神様がいらっしゃるなら、アホな方法を取ることしかできなかった愚かな人間を笑い飛ばしてくれるような存在であってほしいと願うばかりです。
最後になりましたが、この話はマルチへの賢い対策法ではありません。マルチはすぐそこにいたよ、というだけの話です。賢い対策法は会わない、これに尽きます。誉めてくださったコメント、嬉しかったです。ありがとうございました。映画はスピッツもすごく合ってたので観てください(笑)