好きだった音楽関係の仕事をしていたが、職場の人間関係に悩み、鬱で休職をし始めて数ヶ月経った。
生き甲斐だと思っていた音楽だったが、今となっては楽器に近づくのも怖くて、音楽を聴くことすらも疲れてしまう。
散々寄り道しながらも、自分には音楽しかないと思い、ようやく進んだ道だったが、どうやら心が折れてしてしまったようだった。
この間の通院から、カウンセリングによる治療が始まったのだが、職場で受けたストレスを振り返る場面があった。
私は周囲の期待の一方で、先輩・上司からの「指導」に精神的苦痛を覚えており、それを隠しながらも期待に応えようとしなければならないことに葛藤していた。
そのストレスを、何を支えに乗り越えていたのかと聞かれた時、私は酒を飲んで誤魔化していたとしか答えられなかった。
心理士は、例えば好きな趣味とか、ペットとか、家族や恋人や友人とか、大切にしているものとか、そういったものがあったはずだろうと問う。
ワークシートに目を落とすと、人生のサポート資源という欄に、いくつもの項目が書けるように設定してあったが、私が書いたのは酒、たったそれだけだった。
帰りの待合でもう一度考えるが、何も浮かんでは来なかった。
確かに、私は多くの人の支援があって生きてきたし、感謝している。しかしながら、それが人生の原動力であったかと言われたら、異なるように思えた。
私の勝手な我儘を、音楽の勉強をさせてくれた両親には借金もある。
歳の離れた恋人とは、価値観の違いからの衝突が増えており、私はいつ別れ話をしようかと考えあぐねていた。
学生時代の友人や会社の同期とも、もう随分連絡をとっていない。特に病気になって会社を休むようになってからは、どうにも気まずく、殆どの友人と疎遠になっていた。
何より、自分を自分たらしめるものと信じて疑わなかった音楽は、今では向き合うことも苦しいものになってしまった。
自分には音楽しかない、そう言い聞かせて進んできたのは、思い込んでいただけであって、音楽はそもそも自分のものではなかったのだ。
私の精神的支柱なんて脆いものである。確固たるものなど、端から持ち合わせていなかったのであった。
あまりに専門性の高い仕事を選んでしまったために、他業種への転職の潰しは効きそうにもなかった。
コロナ禍の現在、自ら職を失うことがどれだけ馬鹿げたことであるか、資格も大した職歴もない自分が転職をすることが、どれだけエネルギーが要ることか、考えるだけで気が滅入ってしまった。
全てふりだしに戻ってほしい。
仕事のことも、恋人のことも、人生も、全て清算してしまいたい。
待合では、小さい子どもが母親に抱きかかえられながら、どこかで覚えたのだろう読経の真似事をしていた。母親は疲れの滲んだ悲愴な表情で、やめなさい、静かにしなさいと繰り返している。
救急隊員が担架を運んでくる。毛布の隙間から、冷たい顔が見える。
しばらくして、両親らしい男女二人が処置室に案内される。
緊張感に覆われた空間に、ヒーリングミュージックにアレンジされたショパンが流れ続け、別れの曲はクライマックスを迎える。
私は心臓をばくばくさせながら、焦燥を必死に隠して、薄汚れたジャックパーセルの爪先を睨みつけていた。
私の人生はまだ続くのだろうか。