はてなキーワード: チェロとは
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
人気の高い楽器を演奏する人は、演奏させてくれる楽団を探すのが大変である。一方、上達のための情報も選べるパーツも多い。私は体格に恵まれず昔から競争を避ける習慣がついたので体格に恵まれないにも関わらずバリトンサックスを選び20年以上演奏させて頂いている。フルート、アルトサックス、クラリネット、トランペットなどメロディーを担う楽器の奏者はそのポジション数と比較して演奏人口が多いため
等の必要に迫られる。ロックバンドのエレキギターリストも似たような状況である。一方、低音管楽器奏者はどちらかというと頼まれて楽団をヘルプする形で演奏に参加する。ロックバンドではドラマーがそのような位置づけである。日本の吹奏楽文化がアマチュア管楽器奏者を大量生産しているの対し弦楽器奏者は少ないのでアマチュアオーケストラの弦楽器パートは常に人数不足という話も良く聞く。
低音管楽器。おいしい様に思えるが色々困難もある。
ツイッターで論争してるリベラルな人のTL見に行くと、バチュラーとかバチェロレッテとかテラスハウスとかああいうの好きな人結構多くない?
リアリティショー以外にも、韓流アイドルやハリウッドスターとか歌手の推し活(単に曲聴いたりするだけじゃなくてSNS上の振る舞いや関係性や感情の揺れ動きや思考をガンガン摂取する感じの消費の仕方)をしてる人とかとも親和性高い。
リアリティショーも「推し活」も、ああいう「曲を聴く、映像を見る」みたいな事から一歩進んだ消費の仕方って結構いろいろな問題を孕んでると思うんだけど
特に気にすることなく楽しそうにしてる人のが多いっぽいのが不思議でならない。
なんというか、よくオタクを批判してるわりには自分達も別の何かのオタクというか…いやオタクというよりもしかしたら甲子園とか好きな人に近い?
自分はツイッターの論争をROMしててリベラルの側の意見に頷くことも多々ある(もちろんそうでないときもある)ので、だからこそ気になった。
なお自分は女だが子供の頃の交通事故のせいで子を成す器官を部分的に失っている。治療などしたら人工的に産めるかもしれないが、産む気はない。それでも構わないという人と結婚している。養子縁組や治療も一切してない。
もしも自分が五体満足であったもしても、子供を産む選択は絶対しなかったと断言できる。
その理由をここに書いていこうと思う。少子化のリアルな原因が見えてくるかもしれないから。
きょうび、女性に課せられたのは出産子育てたけでなく、+仕事+介護があたりまえとなっている。これは、女性本人が望むと望まざるとに関わらず、一馬力では子育てできない事を意味しているのだろう。
保育施設の前、塾の前、スーパーの中、駅などで子供をつれたお母さんたちを見ることがあるが、皆一様に肌ボロボロ・服は適当。それだけでなく、忙しさのあまりか、子供にキツイ言い方・なにかするたび叱ってばかり。
自分の母親がああだったら、子供心に「自分が邪魔なんだな」と感じてしまうだろう。
先の理由と少し似ているが、鍵っ子で塾通いしている子どもたちは親と接する時間が短すぎる。数少ない親との時間では叱られてばかり。夜遅くまでやってる進学塾なんて虐待の権化でしょ。
友達同士で遊びに行ったりとか、季節の移ろいを感じたりとかもできないんだろうな。帰り道の落ち葉を踏み鳴らして遊んでたら「早く帰るよ💢」って叱られるもんな。
大人になってからも頑張って入った会社で頑張り続けるだけ。一瞬も楽しかった記憶を辿れないんだよ。人生ずっと辛いよ。
辛いことのほうが多い人生を、親の快楽ごときで生み出してはいけないと思う。
競馬や競艇みたいな国営の博打とは違って青天井、一度賭けたら二度と降りられない。障害者になるかも。犯罪者になるかも。健康で普通の大人になっても、ブラック企業で使い潰されるかも。詐欺に合うかも。結婚も自立もできずにこどおじ(おば)になるかも。22歳超えてから「お母さんお父さん助けてくれ」って言われても助けてあげられるか?
そんな最悪の未来だけじゃなくても、進学や習い事にとにかくBETする必要がある。公立の学校で学費が浮いたとたん「オーケストラ部に入りたいからチェロ買って!」とか言われるかもよ。
100万円単位のお金を常にポンと出してやれる環境じゃないと、子どもを大人の勝手な都合で悲しませることになるってこと。そんなの耐えられない。
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
平均年齢高めのはてな諸兄なら、なんとなく覚えている人も結構いると思うが、今ほどシンセサイザーが発達する前の昭和の歌番組は、伴奏やジングルのためにお抱えのミュージシャンが多数出演するという、現在では考えられないほど贅沢な造りだった。
なおかつ演奏者の調達の都合(まとめて声掛けできる)からか、それが歌番独特のサウンドを生んでいた。
そのサウンドを自分の耳で聴いた感じや、当時の関係者が昔どこかのサイトに書き残していた情報によると、どうやら楽器編成は以下の通りのようである。
さて、「自分の耳で」と書いたが、これは別にyoutubeに上がっている昭和の歌番組のアーカイブだけが頼りではない。
というのも、このサウンドは平成を通じて令和の現在に至るまで、着実にアップデートしつつ受け継がれているからだ。
個人的には主にアニメやゲームとかの2次元コンテンツ関係で見る機会が多いので、以下全てそっち系から、古い順に曲紹介である。
昔と違って予算の関係もあるのか、曲によっては弦やリズムセクションが打ち込みだったり、更にはブラス隊まで打ち込みになってそうなのもあるにはある。
ただ最近のシンセ音源はかなり高品質なようで、そこそこ「生っぽい」感じ。
ともかく、いずれの曲も華やかなトランペット、印象的な旋律を奏でるヴァイオリンがとても魅力で、上手いアレンジだとピアノの立体感、サックスの艶、トロンボーンの直線的で力強い咆哮、ヴィオラ・チェロの全体を包み込むような響きも楽しめる。
聴き慣れてくると癖になるサウンドだし、何よりバンドやユニット以上に「プロミュージシャンが集まって奏でている」迫力がひしひし伝わってくるのも良い。
なので、今は色々厳しい話も多いと思うけど、細々でもいいから無くなってほしくないサウンドだ。
あと、個人的に当時の昭和の歌番のサウンドが途方もなかったと思うのは、予算や人の都合からか、レコード(CDすらない時代)の原曲と同じかそれに近い楽器編成を実現できない場合でも、番組ではレコードと同じに聞こえた点。
少なくとも素人の視聴者には違和感ない程度に一緒に聞こえるというのは、個々のミュージシャンがちゃんと歌手の個性とか歌の性質を理解し、音に仕上げていたことを意味するわけで、これこそプロの技だよなあと感心してしまう。
既婚。子持ち。30代。
別にすごい美人じゃないけどまあまぁ可愛いと思う。自己肯定感が高いだけかも。顔面偏差値60ぐらいの気分で生きてるけど、実際は53ぐらいだと思われる。
平たい顔族。地味系雰囲気美人。最近、鞘師里保に似てると言われた。
片方平行二重、片方奥二重に近い二重で、二重埋没の整形するか迷ってる。
毎日、とも限らないが、朝起きたときにアイテープ貼るのめんどくさくなってきた。
朝起きたときに平行二重になってるときもあるし、日によって何もしなくても二重になる時期もあるし、まつエクしたら液が合わなくて?微妙に腫れて二重になったりもするし、筋トレやマッサージで二重になりうるレベルだと思うが、めんどくさがりな上、美意識が低い三日坊主なので続かない。
普段は日焼け止めと眉毛書くぐらいしかしてない。仕事もすっぴんで良いような仕事。職場は男ばっかりでおじさんどころかおじいさんが多くてどうせ細かいところなんて見てないだろと思うので、女相手ならバレバレだろうアイテープをつけたまま出勤している。もし女の職場やキラキラした職場ならTPOを考えて絶対そんなことしないが。
自分の顔は割と気に入ってるし、髪の毛はサラサラ、スタイルも良く、外見コンプレックスもあまりない方だと思う。特別美人ではないが恵まれた外見だ。別に今のままでも十分可愛いが、平行二重の時の自分の方が気に入ってるのは事実だ。一方で、多様な美を大切にするムーヴも素晴らしいと思うし、バチェロレッテ萌子の「生まれ持った自分の顔を変えたいとは思いません」というセリフにも痺れる。(それ貴女が美人だから思えるんですよね?)とは思うが。世界(日本か?)が画一的な美に収斂していくのもどうかと思う気持ちがある。そう、私は薄顔で日本的な和風美人の代表者という気持ちが仄かにある。日本ではハーフ顔系の流行と離れた顔というのもあって言うほど可愛くないが、サラサラのストレートヘア、透き通るような白い肌で、顔の造作はそうでもないが海外ウケする顔である。
こんな私が整形してQOL上がるのか?と思う。
ダウンタイムも嫌だし、今の顔がそこそこ気に入ってるから、歴史ある技術だといえ(新しい技術は怖い)、失敗のリスクもある。
整形は肯定派で、他人に対してはそれでコンプレックスが解消されたり便利になるなら整形依存にならない程度にどんどんやったらいいと思うのだが、自分のことになると、果たしてやるべきなのかどうか、正常に判断しかねる。結局のところ、自分がどう思うかなんだろうが。
だとすれば
「だったらもっと管の短い、高音が得意な楽器を作ればええやん」
となりそうだが、そうするとフルートを半分の長さにしたピッコロよろしく、音質が大きく変わってしまってNGなのだろう。
実際チェロでト音記号の音域を弾いたときの美音を、ヴァイオリンやヴィオラでは絶対に出せないのと同様、
ホルンの美点である「甘く柔らかい音」は恐らく「管の長い楽器でハイトーンを吹く」ことでしか実現できないみたいな事情がありそう。
ということで、そんな無茶振りに等しい演奏が常態化していることも踏まえ、改めて「世界一難しい金管楽器」というのも納得である。
さて、そうなると金管楽器でホルンに次いで不満があるのがトロンボーン。
なんつーか
と言わんばかりの、騒音に等しい、潰れたような汚い音を平然と吹く人が多すぎな件。
欲しいのは力強く立体的な音なのに、そんな音に少しもかすらないのは、なんか勘違いしてんのか?と感じてしまう。
原理的には「長くて太いトランペット」である以上、そこまでノイジーな音なんて出ようがないと思ってるんだけど、なんでそうなるの?
Twitter広告で見かけた東方Projectのオペラ配信がとんでもなかった。
一流のオペラもしっている
それでもとんでもなかった。
このメンバーでゲームの演奏(しかも<オペラ>)をやる意味がわからない。
しかし、これは違う。とんでもない。驚いた!
チェロ荒井結さん、オーボエ浅原由香さん、ホルン濱地宗さん、ギガスラッシュ
初めて知るメゾソプラノ山下裕賀さんやばいっ、ファンですっっっ
語彙力を失うとんでもなさ。とにかく聞け!
それしか言えない……………
第二に映像もとんでもない。
調べてみると
父上が
第三に編曲もとんでもない。
間違いないじゃないですか!!
ねえ!
ねえ!!!
頭飛び抜けたお方なのです!
文章もかける人……………天は二物を与える…る…
おかわりオーエン
ありがとうオーエンでした…………
第四に運営もとんでもない。
なんと
なんと…………
JAGMOをつくった人なのです!!!
小生は泉志谷さんファンでパトロネージュ会員になったのです!!
おはなしもしたことがあるのです!!
王子のような人です……
運営も落ち………………
BM(Before Mishiya)
ばかなことをいいますがそのくらいちがうのです
ひとつききたいこと。
残念ながら配信は昨日でおわりました。
おわってしまったので書きなぐりました。
歌ってそんなに生活に密着してない。聞いても1曲くらいですぐ切っちゃう。
親とか退屈な作業が続くときにはラジオで歌謡曲聞いて歌ってたけどそういうのはわかる。
ただそういう覚醒剤的なものまで必要になる退屈な作業って今の世の中そうそうころがってないし。
リラックスしたいときのインスツルメントではチェロのソロとか好き。溝口さんとかいう人の何十年もまえにiTunesにいれたやつ何度も聞いてる。
あと前の前くらいの代のディズニーレジェンドCDもたまに聞く。新婚旅行でいったカリフォルニアディズニーワールドのおみやげ。CDセット現地で買ってきてよかった。
本は生涯で300万くらいは買ってるんだろうなぁ
あとどうでもいいけどさっき某小田氏の名曲のギターソロのイントロみたいなかっこいい屁をこいていった家族が笑えてしょうがない
なおせばいいのに、痔。
ちょうどいいから匿名日記で備忘録。多すぎてそろそろ整理しなきゃなと思っていたところ。
リュウジのバズレシピと、コウテンケツは毎回検索からたどり着く
あずまんがに始まり、ハルヒ、らきすた、けいおん、東方、ガルパン艦これウマ娘、、、
なんというか、オタクカルチャーっていうのは、愛とか恋とかが絡むようなお話って、クソ喰らえだった気がするんだ。
オタクたちはそうやって、自分に縁のないものを、自分の庭の外に投げ捨てて、マイワールドを楽しんでいたはずだ。
まるで修行僧のように。
少なくとも俺はそうだったし、今もそう。
それがなんか、どうした?
なんでシンエヴァの、あの無駄に生々しい、現実じみた終わり方に感動できるんだ?
進撃の巨人もうすぐ終わるけど、あのミカサのチューに生々しく盛り上がっちゃってるよな?
あとさ、なんだかよく分かんないけど、「バチェロレッテ」見ただろ?杉ちゃんにちょっとだけ自分重ねただろ??
なんなら、「花束みたいな恋をした」見ちゃってるだろ??泣いちゃってるだろ???
オタクたち、いつの間に愛を楽しめるようになってしまったんだ?
俺には分からない。
エヴァでは「女性は弱い」という描かれ方が旧劇からされてないので良い
・マリの「どこにいても見つけ出してみせるからねワンコ君」への違和感。そんなにシンジに思い入れある?
・トウジー!生きてた
・綾波が「私は綾波レイじゃない」というと、「そうなの、そっくりさん」という流れで自然に肯定されてたのがよかった。
・その後もレイはプラグスーツを脱がないけど、「汗水たらして働いて」周りに受け入れられるにつれ、
「エヴァパイロットではない自分」としてのアイデンティティを確立できて、プラグスーツを脱ぐことができるようになったのがよかった。
・レイが委員長に「おやすみって何」「おはようって何」ってたくさん聞いたとき(それこそ赤ちゃんのように)、委員長の答えがお母さんのように優しくて、
よかったねという気持ちと、女に母性を求める意図が透けて見えて気持ち悪かったという気持ちの両方があった。
・トウジやケンスケがシンジに話しかけるシーン、自分は大人になったのにいきなり14歳のままの同級生(シンジ)が出てきたらどう接していいか戸惑うだろうなと思った
・ケンスケのことをアスカが「ケンケン」って呼んだのが一番衝撃だった。そして全裸のアスカ。動じないケンスケ。あっ・・これはやることやってませんか?
アスカとシンジがくっつくものだと信じていたので、あこりゃだめっぽいなと少し悲しみがありました
(と思ったけどこれ、ケンケンが大人でアスカが14歳の体だから動じなかっただけなのかな。そしてラストでは大人の体になっていたので無事ケンケンとくっつけるとか)
・アスカにもDSSチョーカー。後で明かされるけどアスカも人造人間で使徒入りのため?
・だんまりなシンジにアスカが無理やり食事をさせて、そこで無気力にしてるかと思ったら、勢いよく家出していって驚いた。鬱の人ってそんな衝動的に行動できる?
・アスカがレイに「サードのこと好きになるように設計されてる」と言ってたのが印象的だった。そしてアスカもそう。悲しい。
アスカも人造人間だったんだ。式波に改名されてたのも理由があったんだね。
シンジが庵野の投影だとすると、モテモテな自分みたいなのが透けて見えて少し嫌だった。
・アスカがシンジのこと「好きだったわよ」というのがよかった。過去形!「卒業」という感じを受けた。
なお、ラストでシンジも「僕も好きだったよ」と返すの、さわやかだと思ったけど、庵野がアスカの声優に一方的に恋してたエピソードもあるので、
「お互い好きだったけどうちらもう卒業だね(アスカにはケンケンがいるし、シンジにはマリがいる、あとボク庵野には安野がいるし)」みたいな良い話風にねじまげるのはちょっと…と思った
・レイが渡したカセットプレーヤーを跳ねのけたのはどういう心境だったんだろう。ただの拒絶?プレーヤーを拾ってくれてたはずの本当のレイはもう死んじゃったから?
・ペンペンがたくさんいてほっこりした。トウジと委員長とツバメのシーンでも思ったけど、子を産み、次世代に託していくことの尊さのモチーフがいっぱいあったね。猫とか。
・シンジの「どうしてみんな優しいんだよ」の嗚咽、緒方さんほんとよかった。
旧劇で「どうしてみんな優しくしてくれないんだよ」みたいな台詞があったけど、そのアンサーだと感じた
・レイがシンジに「名前を付けてほしい」とお願いするシーン、ラストのほうでユイがゲンドウに「子供の名前決めてくれた?」と尋ねるシーンとの対比でよかった
・レイが目の前でLCLになっちゃうシーン、シンジにまた新しいトラウマを植え付けるなんてひどい…と思っちゃった
・加持さん!一瞬綾波式波みたくクローンかと思ったけど子供!ミサトさんは産休とったんだろうか?とる暇なさそう。
あと死んだお父さんと同じ名前つけるってどうなってるの?呪い?
・シンジ乗船後にアスカとサクラが話すシーン、アスカは「監視」としてシンジを引っ張ってたんだな・・・と切なくなった。ヴンダーに乗らなくてもいいとも言ってたし、それだけじゃないだろうけど。
・マリがアスカにべったり。レズ的に好きなの?そういえば漫画版ではマリはユイにガチレズで…と思ったけどラストでマリはシンジと(ry
・13号機がトリガーなの、13っていう忌み数と関係あるのかな?
・ヴンダーがめっちゃ攻撃受けてるとき、クルーがみんな最速で状況伝達していてよかった。パリでのマヤとのやり取りと違って弱音を吐かない。
・リツコがためらいなく速攻でゲンドウに発砲したのよかった。旧劇では撃てなかったので…
リツコのベリーショート、昔の男(ゲンドウ)からの「卒業」感を感じて好き。評判悪いけど。
・ゲンドウが脳みそ拾うところちょっと笑っちゃった。要るんだそれみたいな。
・ゲンドウが意味深なカタカナ語いっぱい話すの、ビジネス用語を多用しすぎる上司みたいで笑っちゃった
・ところで六分儀ゲンドウっていう旧姓が新劇ではなかったことになった件、考察必要ですか?惣流→式波の改名も意味あったわけだし…。それともユイの苗字を綾波にしたかっただけ?
・ミサトが一番好きなので、ミサトのサングラスが銃で吹っ飛んで彼女の感情が見えるのがよかった。
誰かが言ってたけど、ミサトとゲンドウはサングラスで視線の全部を、アスカは眼帯で視線の半分を隠してシンジと目を合わさないという考察。これでやっとミサトの心が見えるようになる。
・サクラ「怪我したらエヴァに乗らんでいい、ちょっと痛いかもしれないですけど我慢してくださいね」、その通りなんだが、めちゃくちゃだな…
・ミサトがシンジを庇って「私がすべての責任を取ります」というシーン、よかった…よかった…
・そのあと、シンジと抱擁を交わすシーン、シンジ大人になったなあという感じ。親愛はあっても、その間にあるのは大人のキスではなく、他人である別の人間との適切な距離感。
・量子テレポート、めちゃシュバババってなってて笑うでしょあんなの…
・親子対決、いきなり特撮っぽいなと思ったけどミサト家や学校やらでいきなりスケール感のおかしいエヴァが暴れてるの、どういう演出なの…?シン・ウルトラマンの番宣ですか?
・シンジがゲンドウと対話したいと伝えたの、大人になったなという感じ
・ゲンドウの過去、全く想像通りのやつがお出しされてそうだねとなった
・ゲンドウがピアノ好きなの、Qでのシンジとカヲルのセッションが効く演出でいいなと思ったけど、シンジのチェロ設定どっかいっちゃった?
・冬月はなんで(どういう理屈で・どんな感情で)LCLになっちゃったの?
・ミサトさん…死んじゃって悲しいけど、加持さんのところに行けてよかったね
・ゲンドウがシンジの中に「そこにいたのか」ってユイを見出してよかった。
ユイがいなくなっても、いなくなったからこそ忘れ形見のシンジを大事にしなくちゃいけなかった。
ゲンドウが幼いシンジを大事そうに抱きしめるシーン、今まで描写がなかったので良かった。シンジと向き合えないっていう不器用な愛情だけじゃなくて、やっと向き合えた。
人は子を産み育てることが尊いという生命賛歌。生きてていいんだという存在の肯定。
・この辺旧劇とそれほど伝えたいこと変わってないのかな?と思ったので、こんな大々的に焼き直す意味はあったのかな
・どこだったか忘れたけどシンジの突然のすしざんまいに笑っちゃった
・大人ゲンドウを子供シンジが見つめ、今度は子供ゲンドウを大人(少年)シンジが見つめるのがよかった。親のインナーチャイルドを息子が癒してあげたんだね。そういうことあるよね。
マリがシンジに執着するの、漫画版を読んでいたらマリがユイにガチレズ感情を持ってたためにユイの息子(シンジ)に執着してたって視点を持てるけど
ゲンドウの追憶で出てきた、マリがゲンドウにユイを紹介したシーンでBSS(僕が先に好きだったのに)の波動を感じ取れと…?
その流れから惚れた相手(同性)の息子(異性)に「だーれだ」「胸の大きいいい女」って躾込んでるって考えたくなくないですか…?【追記ここまで】
・アスカケンケンカプを公式でダメ押ししててつらかった。そんな、余ったの適当にくっつけるみたいな…
・カヲルの救済はなんで加持だったの?接点あった?あと渚指令ってなに?
・「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」とか意味深だったけど、円環とか言ってたからループ世界だったんだね。
・ユイがこのためにエヴァにいたんだというのもよかった。子の背中を押して親は去る。
・槍に貫かれて「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」はものすごくきれいだなと思った。ここでも「卒業」を感じた。
シンジに、ゲンドウに、レイに、アスカに、カヲルに、すべてのエヴァンゲリオンに、そして『エヴァンゲリオン』という作品に。さようなら。
・シンジとマリがくっついたの、旧劇にはいなかったマリ(安野)を手に入れて救われましたっていう庵野と嫁のストーリーだなと感じた。
なんで神木隆之介なの?君の名は。?なんでスーツ着てるのに昼間から仕事してなさそうなの?
そもそもシンジとマリって接点あった?なんでマリはDSSチョーカー外せるの?
ていうかDSSチョーカーずっとつけっぱだったんだ…
チョーカー外すってモチーフはエヴァの呪縛からの脱却ってわかるけど、それはエヴァを槍で刺したのとシンジが大きくなってるのでもう分かるし…虚構から現実への移行のトリガーとして外したの?駅構内で?
・レイとカヲルとアスカが遠くにいて(遠くの虚構)、こっちにはシンジとマリ(庵野と安野・現実)、そして宇部新川駅(庵野の出身地)という現実に帰っていく。
これは、シンジとゲンドウに仮託した庵野の個人的な成長ストーリーだったのだ…
【終劇】
ということなら、ベートーベンのエグモント序曲なんかはどうでしょう。超有名というわけではないけど名曲で長すぎずまとまりが良くて盛り上がる曲です。いかにもベートーベンらしい感じのオーケストラ曲。
他には、そうだなあ、有名過ぎずってのが難しいところですが、例えばスターウォーズのテーマなんかが好きな人ならチャイコフスキーやワーグナーあたりが合うかも。『序曲1812年』とか『ワルキューレの騎行』とか『さまよえるオランダ人』序曲とか『マイスタージンガー前奏曲』とか(正確には『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲)
もっと颯爽として軽やかなのなら、メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』序曲とか、『交響曲イタリア』とか。
もっと繊細で切ない感じなら、モーツァルトの交響曲40番とか。(歌詞を付けて「哀しみのシンフォニー」としてヒットしましたね)
もっと明るいモーツァルトらしさなら、『アイネ・クライネ・ナハトムジーク(小夜曲)』とか『ディヴェルティメントK136』とか『クラリネット協奏曲』とか。
もっと暗くて深刻な感じのクラシックなら、ブラームスの弦楽六重奏曲 第1番 第2楽章 とか、モーツァルトのセレナーデ ハ短調 K388 とか。
もっとロマンチックでリッチな感じなら、ラフマニノフのピアノ協奏曲なんかどうでしょう。もっと短い曲で手軽にラフマニノフを味わいたいなら、ヴォカリーズがオススメ。(楽器はチェロがいいかなぁ。フルートもいいけど。)
もっとインパクトの強いピアノ協奏曲がお望みなら、グリーグのピアノ協奏曲が一番かも。出だしの印象は強烈です。
もし、スウィングルシンガーズのバッハ(ダバダ〜)やネスカフェの昔のCM(ダバダ〜)やダニエル・リカーリの「ふたりの天使」(ダバダ〜)がお好きなら、映画「恋するガリア」のラルゴ(歌:ミレーユ・ダルク)で有名になった、バッハのチェンバロ協奏曲へ短調BWV1056の第2楽章ラルゴなんかいいかも。「バッハのアリオーソ」とか「バッハのラルゴ」とか呼ばれたりもします。チェンバロでもピアノでも他の楽器でも声でも素晴らしいですよ。(僕の好みはレオンハルトのチェンバロ)
ゲームの音楽のことは何も知らないのですが、初代ドラクエの音楽はクラシック調でしたっけね。CDも出てた。
もし、伝統的なヨーロッパ風の世界が舞台のゲームなら、古い時代の音楽が合っているのかな? だとすると、バロック期やルネサンス期ですね。バロックなら超有名なのはヴィヴァルディの四季やバッハの小フーガト短調ですが、有名なだけあってやっぱり名曲だと思います。(ついでにバッハの『イタリア協奏曲』と『ゴルトベルク変奏曲』もあげときます。)
もしヨーロッパの伝統的な村の雰囲気が味わいたいなら、近代的なオーケストラ用の曲だとレスピーギの『リュートのための古代舞曲とアリア』などもありますが、やはり当時の本物がいいでしょうし、ルネサンス期の舞曲なんかはどうでしょうか。YouTubeで「ルネサンス舞曲」と検索するといろいろ出てきます。
それから、昔の歌だと、マドリガル(またはマドリガーレ)と呼ばれる歌曲が親しみやすいですが、とりあえずジョン・ダウランド(John Dowland)の歌曲はいかがでしょう。YouTubeで John Dowland と検索してみましょう。あのスティングも歌ってますよ。