はてなキーワード: エヴァンゲリオン新劇場版とは
とにかく、嬉しくて少しでも息子のことを思うと、ほんとに一日中涙が止まらなくて、逆療法みたいなもので吐き出したらいいのかなと思ったから増田に書いた。
実は前もそうだった。
そこに書いた娘の不登校の話。増田を探せばまだある。消した記憶はないので残ってるはず。
その時も、増田の登録ボタンを押して号泣したけど、すぐ涙は止まったので、今回もそのつもりで投稿し、同様に涙は止まった。
普段は常に感情を抑えてるんだけど、その反面で、息子に「死ね」と書かれた手紙をもらった時のように、極端なほど感情のコントロールが効かないことがある。滅多にはないけど。
でも、息子を殴った、と書いたけど、頭の硬いところを狙って、コツンと力を入れずに2、3回叩いただけだよ。
だって、やらないと、息子がやり返してくることが見え見えで、先制する必要があったから。
部屋に入った途端、息子は送風機を持って待ち構えてたんだから。当時中三で身長170cm以上あるんだぞ、私だって怖い。
たぶん、はっきり暴力したのはその時くらいで、過去には、布団にくるまって出てこない息子を布団の上から体重かけずに踏んだことが一回あるだけかな。
それでも暴力は暴力かもだけど、実際のところ、めちゃくちゃ悩む。
本気で殴らないと、本気と思ってもらえないかも、だなんて考えもある。
結局、その時で、最善だと思った行動をするしかない。それが良かったのか悪かったのか、なんて分からない。
子育てに正解なんかない、ってよく聞くけど、マジでそう思う。だからって、親の自由にやっていいわけでもない。
その辺は、悩むしかない。
色んな、育児書みたいなのも読んだし、色んな人に話も聞いたけど、参考にはなっても、正解なんてどこにも見つからなかった。
だけど、色々苦労しつつ思うのは、私の親だって多分、悩み抜いたんだろうってこと。
私は親にとって、酷い息子だったと思う。
ゲーム機はね、確か、妻が壊してから、しばらくして同じものを買い与えたという記憶がある。
一応、弁解みたいになるけど、親の許可なくやってはいけないと言ってるのに、隠しておいたところから息子が親がいない間に、探し出してこっそりやってたんだ。
それでも確かその頃は、息子のために、六時間くらいはゲームの時間は作ってたんだ。
その代わり、保健室登校頑張れって、応援したりしていた。ところが息子は「頑張る」って嘘ついてたわけ。
たまたま、妻が、忘れ物をしていたので、普段はいない昼間の時間帯に自宅に戻ったときに、それが発覚した。
そりゃ、妻だってキレるよ。
ただし、それすら予測済みだった。だから、そうならないように絶対に見つからないところにゲーム機を隠した・・・筈だった。
それでも、息子の方が親の想定を上回った。まさか、あんなところに隠したのを見つけるなんて、完全に想定外だったから。
風呂場にある天井点検口の裏だよ? マルサでもあるまいによく見つけたもんだと関心すらした。
だから、それをきっかけに、ゲーム規制を諦めた。取り敢えずはその場凌ぎで昔のWiiかPrayStation2かなんかを渡した記憶もある。
好きなだけやれ、と。
その後は、大画面ディスプレイや専用コントローラまで買い与えた。
結局は、方針はただ一つだった。
実は、これはエヴァンゲリオン新劇場版にあった庵野監督の所信表明にそうあったのを覚えていたから。
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
娘の時も、確かこれだった。
何度も何度も挫けそうになるかもだけど、その度に自分の意思で立ち上がるしかない、って。
親ができるのは、信じることだけ。そう思ったのです。
Yahoo! 映画の評価は4.32点で、お役立ち度の高い感想は概ね5点満点。概ね好評のようだが、ぼくはあまり楽しめなかった。ここ数日、このことをずっと考えていて、気持ちを整理するために書くことにした。
エヴァンゲリオンは、使徒という人知を超えた存在との、生き残りをかけた戦いがテーマだと思っていた。生き残りのためにエヴァという力にも手を出し、本当にギリギリのところで危うく戦っていく物語だと、少なくとも新劇場版の序と破までは認識し、そこに魅力を感じていた。
登場人物の内面を丁寧に描きつつ、ときに人類存続の危機を前に、個人の思いが非情に潰されてしまう。破で3号機に閉じ込められたアスカを守ろうとするシンジや、使徒殲滅のためにダミーシステムを使う判断をするゲンドウの行動、そしてその後のシンジの怒りなど、そのあたりはとても心に響いた記憶がある。
しかし、Qから雲行きが怪しくなってくる。使途との生存をかけた戦いというテーマは影を潜め、人類のために戦っていたはずのシンジは、逆に人類を滅ぼしかけた張本人になってしまう。そして戦いは使徒対人間ではなく、ネルフ対ヴィレ、つまり人間同士の争いになっている。シンジとアスカがエヴァで戦う羽目になるが、そこには使徒との戦いにあったような心に響く要素はなかった。
Qで共感できたのは、「何でこんなことになったのか、ちっとも分からない」と叫ぶシンジの声だけだった。
あれだけ切羽詰まっていた使徒との戦いはどうなったのか。勝ったのか負けたのか。結局人類を滅ぼしたのは使徒ではなくシンジだったということなのか。それなら、あの序と破で描かれた必死の戦いはなんだったのか。生き物がほとんど消滅した地球で、ゲンドウは今更何をしようとしているのか。Qを観たあとは疑問ばかりが残り、釈然としなかった。
ぼくは結局、「破の予告の続き」をQで観たかったのだと思う。しかし、それはQには描かれていなかった。
そしてシン・エヴァンゲリオン。そこに描かれていたのはQの続きであり、TV版と旧劇場版の再構築だった。終わらせ方としては、本当にきっちりしっかり終わらせたと思う。しかし淡い期待は裏切られ、「破の予告の続き」は描かれなかった。
ぼくは使徒とのギリギリ、ボロボロの戦い、多大な犠牲を払う戦いのなかで、最後の最後で使徒に勝利し、やっとのことで人類の存続を勝ち取るという展開を観たかった。しかし、描かれていたのはシンジの救済、そして主要登場人物の救済であり、戦いはある意味で添え物のようなものだった。
ひとつ言いたいのはゲンドウ。あいつはどうしようもない。ネルフの長であるゲンドウは、死んだ(消滅した)嫁さんに再会するためにヴィレと敵対し、ラスボスをやっていたのか? エヴァを使った謎の儀式は嫁さんに会うためにやった? 人類が滅ぶかどうかという状況で、それはあまりにも話が小さすぎる。共感できない。そんなことだから部下が離反するんだよ!
最後のほうの劇中劇のような演出、登場人物の内面語りと救済の展開は、やっぱりエヴァならこうなるよねと思ったし、救われていく人たちを観るのは悪くなかった。でも、シンジ以外は軒並み非業の死を遂げて、最後にやっとのことで使徒に勝ち、使徒が襲来しない世界が実現するという話も、やっぱり観たかった。
エヴァンゲリオン新劇場版は、Q以降、方向性が大きく変容しているように感じる。変容する前の新劇場版に魅力を感じていた身としては、シン・エヴァンゲリオンは不満の残る内容だった。
もちろんこれは、ぼくの「チラシの裏」であり、ほかの方の感想を否定するものではありません。気に障るようなところがあったら許してください。
ガンダムと戦うのがエヴァンゲリオンかと思っていたらそうではないらしい。
少し調べてみたら、「生命体」っていうのがキモらしいんだけど、
始まりがトム・クルーズ主演の「宇宙戦争」を彷彿させる部分が無い事もない。
などと言ったら、ファンには叩かれるのだろうか?
こんな頓珍漢な事をいう人間が「エヴァンゲリオン新劇場版」を観に行ったら楽しめるのだろうか?
エヴァンゲリオンの事を何も知らない人が観に行っても楽しめるもの? と、二の足を踏んでしまう。
ファンが多そうだから暫くは上映しているのだろうけれど、もたもたしていたらDVDしか無くなってしまうかもしれない。
でも観そびれたからと言って、さほど喪失感のようなものを抱くわけではないだろうが。
そうか、今上映中の前バージョンをDVDで観てから行けばいいのか?
今のが第4話らしいから、前3作を観ることになるのか?
それともそれ以前の劇場版か?
どれから見ればいいのか、誰か教えてくれ。