はてなキーワード: あずまんがとは
①から続く
https://anond.hatelabo.jp/20220714042431
あずまん、震災まであんたはおれにとってののヒーローだったよ。
今でも方向性こそ違えど、当然意味のあることをやっているのだと思ってたよ。
それがまったく転向したならまだいいけど、今でも誤配とか言ってるらしいじゃん。
かっこつけて「誤配の可能性を意図的に高めていかなければならない」とかさ。
福島の郵便をあんたはそもそも受け取ろうとも思っちゃいなかったろう。
本当にがっかりだ。
「外国人のカルト宗教団体が政府やメディアなどを支配して、奴らは自分に都合の悪い情報を隠蔽している」というとても公的な言葉とは思えない言葉こそが公的に働いて、「テロリズムに屈してはならない」という言葉が私的なものとされる状態がどれだけ「例外的」であるかは、おれなんかよりあんたのほうが余程うまく説明できるはずだろう。なのにそれができてないのは、いまのあんたの目に「友か敵か」の区別しか映ってないからじゃないのか。
大塚英志との2007年の対談ですでにあんたはこんなていたらくだった。
東 (略)ちなみにぼくは南京虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞状況でしかない。そういう状況を自覚しているのが、大塚さんにとっては中立的でメタ的な逃げに映るらしいですが、それはぼくからすれば誤解としかいいようがない。
大塚 南京虐殺があると思えるんだったら、知識人であるはずの東が何故そこをスルーするわけ? 知識人としてのあなたは、そのことに対するきちんとしたテキストの解釈や、事実の配列をし得る地位や教養やバックボーンを持っているんじゃないの?
東 そんな能力はありません。南京虐殺について自分で調査したわけではないですから。
大塚 でもそれを言い出したら何も言えなくなる。(略)とにかく、東浩紀っていうのは、結局は人は何も分からないって言ってるようにしか聞こえないよ。
東 ある意味でそのとおりです。
大塚 君が批評家であり知識人であり、言論人である、という事実は客観的な事実としてある。でも、なぜそこで、君はスルーしちゃうようなものの言い方をするのか。つまり君が言ってることって言うのは、読者に向かって、君は何も考えなくていいよと言っているようにぼくにはずっと聞こえるんだよね。
東 ええ、それは、そういうふうにぼくはよく言われているので、そういう特徴を持っているんだと思います。
東 (笑)そうではなくて、大塚さんの批判は僕という人間の全体とかかわってしまっているので、その部分だけを取り出して修正することができないんですよ。そう答えるしかないでしょう。
(『リアルのゆくえ』p210-1)
2007年から2022年まで一歩も動いてないじゃん。「南京大虐殺」が「統一教会」に変わっただけで、しかも大塚と全く同じことをまた町山智浩や天原誠に怒られてんじゃん。
おれは『リアルのゆくえ』のあとにあんたが秋葉原と震災をへてどういう風に変化したのか詳しくは知らないけど何となくは生存確認的に見てたつもりだったよ。でもこのあまりに文字通りに十年一日なあんたを見ると、遠くから見ててもあんなに東浩紀という人間が慌てふためいていたのは何だったんだろうとは思う。たとえば大塚こそ数十年一日だ、という反論は可能ではあるが、大塚は自分がロートルと呼ばれようとも気にしないだろうけど、あんたはそういう人じゃないじゃん。あんたは大塚よりははるかに腰の軽さを身上とするひとでしょう。
で、しかも単なる十年一日ならともかく、どう見たって劣化してるわけじゃないですか。15年前の大塚に対しては一応はていねいに理解を求めていますが、福島に対しては言ってもいないことで批判してよしとしているわけでしょう。知的サボタージュが過ぎる。
あずまん的には震災や秋葉原以前と以降でオールド東とニュー東で別人になったつもりかもしれないけどさ、もう見たように全然変われてないんだよ。あずまんが自分でも認めるようによくやってた「Aは前半と後半で思想が断絶したとされているが、前半における問題に対して真剣に向き合うと、必然的に後半のような思想にならざるを得ない」という思想戦――露骨に言えばパイの奪い合いの論理――を仕掛けられる側にあずまんはなったんだよ。
で、あんたはそういう状態において絵図を書くことを=想像力を働かせることを得意としてきたはずなわけだ。たとえば15年前は「思う」とわざわざ私的な語にすらかぎ括弧をつけないと突っ込まれる、危ないと「思った」わけでしょう。不毛なメタゲームと言えば言えますが、でも一貫してたし、必要なことだった。
でも、もう素朴に「思う」ことが許される立場じゃないんだよあんたは。……もちろんこの論理だって十分に決断主義的で正しくない。でも、「責任を持てない」という主張は、責任を持たないのに持ってるふりするよりはずっと倫理的だと思うよ。
あずまん、あんたはおれのヒーローだったよ。きっとおれはあんたみたいになりたかったし、なりたいんだと思う。だからさ、いまのあんたを見てると「お前の人生は、お前の世界は最大限にうまくいってもこんなもんだ」と、それもヒーロー自身に言われてる気がしてすごいつらいんだ。たのむよ、俺が50過ぎになる20年後くらいに思い出す意味のあるひとでいてくれよ。すくなくとも、いま35歳に向かわなきゃ行けないおれにとって、20年前のあんたの仕事は、とても助かってるよ。だからさ、頼むよ。
https://twitter.com/terrakei07/status/1546767371888537601
「アベ」という観念的存在に甘えきって、それに反対するだけで「正義」「反権力」「道徳優位」のポジションを
https://twitter.com/terrakei07/status/1546767808586924032
https://twitter.com/terrakei07/status/1546768218831826944
「アベ」を敵視しこれを糾弾していればそれで自分が「邪悪な抑圧権力にあらがう闘士」になれていた、
シンプルでわかりやすい善悪二元論的な物語が、今月8日なんの前触れもなく終わり、物語から放り出された人たちが混乱している。
https://twitter.com/terrakei07/status/1546768408854687745
「もしかして、自分はアベではなくアベ的なものに憑りつかれていたのかもしれない」—―と、
https://twitter.com/terrakei07/status/1546768946224721920
「アベ」という物語がいきなり終了し、現実世界に戻されてみると、永遠の青春時代を生きているうちに、
https://twitter.com/terrakei07/status/1546769515882590208
寄りかかるにしても反発するにしても、まるで「父」のように甘えてしまった存在が突然消えてしまった「物語」のない世界で、
そろそろ現実を生きていこう。「年下の年上」に囲まれているのにまだ、「若者気分」をやるつもりなのだろうか。
そんな哀しい気分を綴った散文です。ぜひ読んでみてください。
白饅頭氏が語る高齢左翼って実在するの?観念的って、まさしくこの一連のツイートのことでは?
わりと個人的な好みを排して真面目に選んだ。
選定基準としては、後発作品への影響≧大衆的な人気>カルト的な評価って感じ。
30 頭文字D
29 殺し屋1
27 ゴールデンカムイ
26 HELLSING
25 るろうに剣心
22 グラップラー刃牙
21 あずまんが大王
19 ベルセルク
18 クローズ
16 キングダム
15 DEATH NOTE
13 課長島耕作
8 NARUTO
7 名探偵コナン
6 賭博黙示録カイジ
5 寄生獣
2 ONEPIECE
1 ドラゴンボール
・少女漫画および女性向け漫画は守備範囲外のため、一切入れていない。
・鬼滅の刃はあくまでアニメが売れた作品、という認識のため、入れなかった。令和になってからのヒットという気もするし。
・萌え系(らき☆すただの、けいおん!だの)もアニメありきという認識のため、基本的に入れていない。(あずまんがはそのハシリで、アニメ前から影響力高かったと思う)
個人的に好きで入れたいけど入らなかったのもいっぱいある。
忘れてるのもあるかもしれないので、これはどうなんだ!みたいなのあったら指摘してくれれば。
<追記>
個人的な好みのTOP30も選びました。
https://web.archive.org/web/20090211144605/https://twitter.com/tsuda/status/1179192301
それにしても10年前のツイートが突如として現在の不仲な津田・東に倫理性ジャッジバトルを迫っているのは面白い。これはあずまんが倫理勝利だな
@hazuma
90年代はこんなことが活字にできたのだと、そちらに戦慄する。 RT @kdxn: 小山田圭吾のいじめ話にはこんな後日談があったのか…。https://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1 ほんと最低のやつだなあ。クズでもいい音楽はつくれるので、ここは音楽性云々とは切り離して単に最低のクズ野郎
あずまんがに始まり、ハルヒ、らきすた、けいおん、東方、ガルパン艦これウマ娘、、、
なんというか、オタクカルチャーっていうのは、愛とか恋とかが絡むようなお話って、クソ喰らえだった気がするんだ。
オタクたちはそうやって、自分に縁のないものを、自分の庭の外に投げ捨てて、マイワールドを楽しんでいたはずだ。
まるで修行僧のように。
少なくとも俺はそうだったし、今もそう。
それがなんか、どうした?
なんでシンエヴァの、あの無駄に生々しい、現実じみた終わり方に感動できるんだ?
進撃の巨人もうすぐ終わるけど、あのミカサのチューに生々しく盛り上がっちゃってるよな?
あとさ、なんだかよく分かんないけど、「バチェロレッテ」見ただろ?杉ちゃんにちょっとだけ自分重ねただろ??
なんなら、「花束みたいな恋をした」見ちゃってるだろ??泣いちゃってるだろ???
オタクたち、いつの間に愛を楽しめるようになってしまったんだ?
俺には分からない。