はてなキーワード: 披露とは
淳さんがツイッターで唐突に「今から北海道の○○に行くので地元の皆さんは○○を持って集合してください」と呼び掛け、果たして平日の急な呼び出しに地元の人は集まってくれるのか?という番組である。
おれの地元で集合の呼び掛けがあり、それを知った友人から誘われ行くことにした。お互い平日休みでよかった。
身バレするのが嫌なので何を持って行ったかは言わないが、行くと100人はくだらない人数が集まっていた。全員がロケに参加すべく指定された物を持っているのだ。全員ロケに参加したら何時間かかるかわからない。淳さんも忙しいだろうし、テレビ局もある程度時間を決めているだろうし、その中から面白そうな人だけイジってある程度撮れ高OKになったらすぐ撤収するだろう、おそらく俺はイジってもらえないな、と期待をせず長蛇の列に並んだ。
そして淳さん到着。それまで静かだった集合場所が一気に沸いた。
テレビ局スタッフの「写真撮影はOKですが、ネットの生中継はやめてください」と呼び掛けるやいなや、その場の全員がスマホを向けてパシャパシャ。
あー、なんかスタッフ許可はあったけどみんな嫌な感じで撮ってるなー、と思ったけど淳さんは一切嫌な顔せず、「みんなどんどん撮って!」とサービス精神の駄々漏れ状態である。
さて、いざ撮影開始。「うわー!すごい人数いるねー!」と驚いていたが、この番組史上最大の人数だという。
「じゃあ、一番前の人から始めよっか!」と面白そうな人をランダムで選ばず、律儀に一人づつイジり始めたのである。
若い女性も、不審者っぽい様子のおかしいオッサンも、小学生も、分け隔てなく一人一人じっくり時間をかけて平等に接していくのである。
マジかよ!いつ終わるのかもわからない途方にくれるような作業、真面目にやるのかよ!
俺だったら最初の10人目くらいで言うことなくなるだろうし、帰りたくなるわ。
集まった一人一人を時間をかけて接し、相手を傷つけない程度にしっかり笑いをとる。このへんのバランス感覚はさすが。毎回新鮮なリアクションで接し、観ている者を飽きさせないのだ。
あれだけしっかり相手にしてもらったら本当に来てよかった!と思う。予想以上に大満足である。とにかくサービス精神旺盛の一言では片付けられない働きっぷりだ。
淳さんがこんなに働いてるのに、こっちは無料で体験できるのである。贅沢にもほどがある。
途中救急車が近くを通り撮影が一旦中断しても、カメラも回ってないのに淳さんは休憩せず喋り続け笑いをとり続けている。
最終的に、ロケが終わるまで6時間もかかった。その間、たまに水を飲むくらいで一切休憩せず立ちっぱなしでぶっ続けに集まった一人残らず全員の相手をしたのだ。しかもずっと笑いをとりつづけながら。
これがプロの仕事か。俺には到底できそうもない。ネットでは評判の悪い人だけど、いざ目の前にした時、誰もがファンになると思う。こんな人モテて当然だわ。
ちなみに、俺は身体を張るネタを披露し、集まった素人の中では一番の笑いをとることができたと自負している。スタッフの人からも後で「すごい良かったよ!」と声をかけていただき、放送でも一番の長尺で放送された。
ちなみに個人的に面白かったのは、テーマに沿ったものを一切用意せずとりあえずテレビに出たいだけで集まったノープラン男連中である。
「お前、よくそれで来れたな!」というノープランぶりで、何をやっても滑り続け、クイズタレント名鑑でコウメ太夫がイジられている時のような噛めば噛むほど味が出る面白さがあったが、そういった人たちは一切放送では紹介されてなかった。こういう時こそ芸人の本領発揮といった感じで、淳さんの芸人としての面白さが存分に発揮されてただけに、残念。
俺は録画機器を持っていないので、実家でHDDレコーダーで録画してもらい番組を保存してもらっていたのだが、俺が出ているということを忘れた親が消してしまった。再放送されないかな。
けものフレンズ2について1への「悪意」があると良く言われる。あるいは悪意ではなくとも、「1の優しさと相互認証に対して、孤独と自己肯定の物語を描こうとした(筆者要約)」(http://blog.livedoor.jp/fukukan2009/archives/52306934.html)といった意見がある。
確かに、そう受け取れる描写はあるのだが、その多くは、1と2の思想基盤の違いから来てるのではないかと思うのだ。
けもフレ1のジャパリパークは、人間がいなくなって長らく経つ世界で、動物たちが気ままに暮らしている世界である。「ヒト」というのもフレンズの一種であり、対等の存在として描かれる。
一方の、けもフレ2では、人間と動物の違い、人間が動物の上に立つモチーフが強調される。拍手とご褒美を要求するイルカしかり、イエイヌしかり。ここに居心地の悪さを感じるのは当たり前の話であり、「悪意」を見いだす人も多い。
これはしかし、けもフレ2が、けもフレ1を否定しているというよりかは、アプリ版等の大本のコンセプトに近い。今からなら漫画版が一番手に入りやすいだろうか。そのコンセプトは、昔風の「動物園」であり「飼育員と動物」「飼い主とペット」の友情物語である。飼い主とペットに上下関係はあるが、お互いそれに満足しており、飼い主は責任持って、ペットの世話を世話をし、ペットは飼い主を喜ばせ、芸をする。それはそれで、一つの関係だろう。
なぜ、それが、けもフレ1で変わったか。理由はいくつか考えられる。
大きな理由は、舞台が「人間がいなくなってる世界」だからだろう。人間の世話に答えて動物が人間を好きなのは良いとして、人間がいなくなってる世界で、それでも一方的に人間を崇める動物というのは、まぁ、あまり気分のいいものではない。
もう一つ。現代的な動物園は、見世物的な展示、ショーは避け、動物になるべく野生に近い生活をさせ、ありのままの生態を見せる方向へ進んでいる。フィクション上の動物園がどういうものであっても良いと思うが、現実の動物園とコラボ、協力する作品において、旧時代的な動物園を肯定したくない、というのもあっただろう。
けもフレ1は、サファリパークだったり、行動展示だったりする現代風の動物園、アプリ版、けもフレ2は、旧来の見世物的な展示をする動物園と言った具合だろう(参考:http://kemono-friendsch.com/archives/77528)。
けもフレ2は、おそらくは、アプリ版の「飼育員と動物」関係に基づいて話を作ろうとしたのだと思う。が、けもフレ1の続編という形も取ったため、前述の矛盾点が噴き出してしまっている。アプリ版の路線を復活させるならさせるで、どうすれば良いかを練るべきであった(それが許されない環境は多々ある)。
「人間がいないのに、人間を崇める動物」は、気持ち悪い。そこを敢えて描くなら、その悲劇性や罪悪感も描くべきだが、特にそれはない。多分これは「悪意」ではなく、「深く考えていなかった」ことだろう。
同様に「人間と対等な知的生物」としてのフレンズを描いた続編で、「人間に芸を披露して喜ぶフレンズ」を出すのは、えぐい。これも「悪意」ではなく以下略。
気持ちよいお話のセオリーの一つとして、内面世界と外部のシンクロというものがある。
主人公が悩んで心が暗い時は、夜だったり、雨が降ったりして、世界も暗くなる。
主人公が悩みを克服すると、夜が明けたり、空が晴れたりして、バトルで勝利したりする。
リアリティラインが低い作品の場合、深い理由がなく、そのまま内面が世界に反映する。
魔王が復活する時は、黒雲が渦巻いて雷が鳴ったりする。悩みを克服した主人公は、勢いで超パワーアップしたりする。
現実レベルが高い作品の場合、そうはいかないので、偶然で説明できる範囲のささやかなことであったり、なんらかの理由、必然性があったりする。
主人公が悩んでる時に、雨が降ってるのは、「たまたま」「偶然」の範囲であり、悩みが吹っ切れて、主人公がバトルで勝つ時は、「悩みのせいで今まで気づかなかったけど、あいつにはこんな弱点が」という閃きがあったりする。
けもフレ2では、カタカケフウチョウ、カンザシフウチョウが、内面の声を代弁しまくる。キュルルの「思い入れ」が、絵を通したり、通さなかったりして、直接、セルリアンに反映するらしい。これらの深い理由、解説等はない。
ホテルでは絶滅動物のリョコウバトのぬいぐるみが売り切れてたりする。「たまたまリョコウバトだけ売り切れだった」なら「作中現実としては偶然」で済むが、「レッサーパンダとオオアルマジロとリョコウバトが少なく、ハブはいっぱいある」までやると偶然では説明できなくなる。が、これも理由は特に語られない。
ここからわかるのは、けもフレ2は、リアリティラインが低めの、「ふわっとしたファンタジー・童話的な世界」であるということだ。
一方、けもフレ1は、作品内論理の整合性は、SF的に取っている部分が大きかった。ラッキービーストが人の声にだけ反応する、ジャパリカフェに、太陽電池がある等、SF的なガジェットがあり、崩壊世界の日常がどう維持されてるかが目配りされている。もちろん、作中で全部の設定を説明するわけにはいかないにせよ、目につく範囲での、あからさまな矛盾は減らし、それによって、「かばんちゃんの正体」と言った謎に緊張感が残った。
けもフレ2単体で見た場合、リアリティライン低めの作品だと受け止められるのだが、リアリティラインが高めの1を見たあとに2を見ると、アラや問題が多く見えてくる。
ただ、けもフレ2は、全体的に伏線の回収がうまくいってないので、意図的にリアリティラインを低めに保とうとしたというよりは、設定について深く考えてなかったり、伏線を消化しきれなかったりして、そうなってしまってると考えられる。ここもまた「悪意」ではなく以下略。
イエイヌの報われなさっぷり、ビーストがホテルの下敷きになったことを誰も気にしてない等は、悪意として描くなら、もっと強調のさせ方、後への繋げ方があるはずなわけで、ストーリーとして処理しきれなかったと考えたほうがよさそうだ。
・かばんさんに何があったかはわからない、偉い人が作るだろうと
・かばんさんの経緯は知らないが、再会の喜びを描いた
サーバルがなぜ、記憶をなくしたっぽいのかも、かばんさんとの間に何があったのかも、監督自体知らされてないのなら、「それっぽい」シーンでお茶を濁すくらいしかできないだろう。
もちろん設定がないだけなら、他にやりようがあったかもだが、こういう状況だと設定がないまま、あーしろこーしろと言われた可能性が強い。ご愁傷様である。
自分が見た範囲では「けもフレ2」に見いだされる悪意は、1,2のコンセプトの差(およびそれに対する無策)、脚本・演出技術の未熟、現場のしがらみ、などで説明がつくものであった。
テキスト代2万払って半年無駄にしながら嘘で作ったキャリアプランを圧迫面接を受けながら披露する練習をするところと感じた。
技能の実習はおまけというか、エラそうなおっさんが古い設備を古いやり方でやってるように見えて、ただ辛い儀式を与えて一体感だけ得る軍隊的なアレだ。
失業保険で行くかと言われるとだいぶ厳しい。
資料に書いてる主な就職先企業を検索したら休日少なくて退職金もないところばかり。
賃金情報の全年齢層が18万~25万も疑問。細かい賃金を開示したら入校者が減るから伏せてるのか、昔はもっともらえる就職先があったのだろうか。
なんにせよ早々に辞めてどこかの非正規に潜り込んだほうがマシだ。
入校2日目だが、もう辞めよう。
A「新元号の典拠が万葉集だったことに文句を言っている人は保守なの?」
B「左翼が伝統を支持して右翼が破壊するのはよくあることだよ」
C「いいや左翼は中国様を否定されたことに文句を言っているに違いない」
B「おまえが中国嫌いなだけじゃん(でなきゃそんな決めつけはしないよ)」
C「俺は『左翼が中国を崇拝している』という妄想を披露しただけで中国が嫌いだなんて言ってないぞ」
はあそうですか。
先日FGOにて実装されたカーマのパッケージ詐欺を食らって引退しようと思ったので備忘録的にまとめ
まず前提として殆どのソシャゲ(アプリ含む)はキャラクターゲームであり、イラストや固有のセリフ(ボイス)、設定なんかが商材になっているということがある
FGOの場合その商材はカードイラスト4枚、セリフ(ボイス)、マテリアル(設定テキスト)に分けられる(絆礼装はマテリアル属?)
カーマの場合イラストは1:3、セリフは1:2、マテリアルは共通という形になると思われる
この比率は未プレイだと分からない話になるが別キャラクター同然に変化するという意味で分けたものになる
2臨と3臨以降を別と分ける人もいるかもしれないがひとまず同じとしておきたい
この別キャラクター同然に変化するというのが引退を決めたキモになる
カーマが実装される数日前のイベントステージにて今後の予定としてゲーム内イベントの情報がお披露目された
PVの公開やちょっとした情報の他、これが実装されますという形でカーマの初期の姿が公開されたのである
前述の比率の通り、初期の姿は全体の1/3の要素であり最終段階がいわゆる完成形の状態である以上、本質的な部分ではない
にもかかわらずイベントステージで公開されたのはそのガワであり、再臨(進化)段階で演出と宝具名称が変わるという情報のみだった
そして実装当日の告知にも同様の形で情報が掲載されガチャが実装された
私はイベントを触る前にガチャを回し、再臨させて上記の事実を知りそのままフェードアウトしてしまったが、時限式シナリオとの記載があったので恐らくイベント上でも数日はこの再臨による変化は明かされないのだろう
キャラクターを売り物にする上で「初出のキャラクターで」「宣伝に出した見た目が」「実際には別物に化ける」というのは消費者を馬鹿にしていると私は思う
過去の例で言えば同じくシナリオ上のギミックになる(と思われる)キアラの様に後から追加される、だとか
カーマと同様に別キャラクターのように外見が変化するサリエリの様に登場シナリオをクリア後に追加される、だとかなら私は何も言わない
初登場の時点でガチャという商品に追加したなら「外見で気に入る」か「なんとなく」で回すくらいしかないのにその外見を裏切る行為をまともだとは思えない
FGOというタイトルはシナリオを売りにしていることもあり、これが今回のイベント及び次の2部シナリオにおけるシナリオギミックであろうことは理解する
だがその上で提供者の「やりたい」の為に消費者に犠牲を強いることが真っ当な行いだろうか
過去の例と同様に後からの追加で良かったではないか、商業的にはマイナスでもメインシナリオを年内にやりたいからとクリスマスを前倒しにしたFGOなら出来たではないかと思うのだ
カーマの依代肉体年齢は不詳なのでキリよく10歳とするが、10歳から20歳、20歳から30歳、30歳から40歳と成長するにあたり、一番が意見変化が大きいのは「子供から大人」であるのは誰でも分かる
現実的にも成長期を介する時点で人によっては「これ誰?」くらいの変化があるのは経験しているだろう
子供から大人に変化するというのは壮年から老齢に変化するような大きな話なのだ
初見で一目惚れしたキャラクターが再臨した瞬間、老人になったら素直に「やったぜ」と言えるだろうか
リアルな人間の付き合いなら外見の変化は些細なことかもしれないが、付き合いすら発生していないキャラクタービジネスでやられても困る
正直今回の件について怒りを覚えているのはごく少数ではあると思う
大多数の人には「なにキレてんだコイツ」としか見えないだろうし理解もされないと思う
「初登場キャラクターの見た目を気に入って、無償石ではなく有償石を購入し、手に入れたものは外見が大きく別物になるものだった」などという体験は通常ほぼできないというのもある
FGOにおける再臨はごく一部のケースを除いて服装が変わる程度のもので告知にも宝具の演出と名前が変わるとあった、という「常識的にこうなるだろう」という思い込みもあった
それでも私にとって今回の事案は詐欺でしかなく、運営元の両社はこういった行いを平然とするものだと認識をしたのでこの備忘録を持って引退とする
ブラック企業という言葉が市民権を得てしばらく経ちますね。毎年、ブラック企業大賞なるものが発表され、だれもが聞いたことのあるような企業が名を連ねます。それに対し、ブラック研究室という言葉も有名なものの、どこの研究室がブラックだとかいった情報は大学内部の学生でないとなかなか知りえないものがあります。ましてや研究室の内情は所属している学生しか分かりません。
今回は、そんな研究室の中でも異質なケースとして、自分が修士課程の2年間過ごした研究室の話をみなさんに紹介したいと思い、筆を執りました。必ずしも拘束時間が長く、人格否定を行うような研究室だけが悪い環境ではないということ、メディアなどでよく見かけ、有名で人気な研究室が良い環境であるとは言えないということだけでも皆さんに覚えていただきたいです。後進の方々の研究室選びの参考に少しでもなれば幸いです。
第一に、とにかく人員が不足していたというのがあります。まず、先生(教授・講師)はあまり研究室にいませんでした。先生たちは予算の獲得や大学内外の事務に追われるため、多忙になります。基本的に助教や研究員・博士課程の方が下の修士・学士課程の学生の面倒を見ることになります。これだけなら普通なのですが、先生が後先考えずにどんどん仕事を受けてしまうことにより、プロジェクトに対して人間が足りていない状況が常に生じます。(先生曰く「断るの苦手なんだよね~」とのこと。)その仕事は研究だけではなく、各メディアの取材や研究室見学など多岐にわたります。自分が研究室に配属されて一年は、講義を受けるほかに、(詳しくは後述しますが)研究室の立ち上げ用に物を発注したり組み立てたり、見学者対応をやる日々で、ほとんど研究はしなかったように思います。さらに、月一くらいの頻度で(今はだいぶ減りましたが)先生のお友達を呼んで講演兼パーティーをやる準備や、先生の思い付きで増える仕事などに日々忙殺されていました。また、インターンやアルバイトといった形で外部の学生を呼んで研究してもらうこともあり、その人達は雑用をする義務はなくお金をもらいながら成果を出していたのに対し、学費を払っている学生は雑用に追われるといった状況もありました。事務スタッフも教授が所属している社団法人の経理をさせられたり、共同研究先の企業から出向(?)の形で来てた研究員の方も、後述の巨大予算の運営周りの仕事をやらされたりとひどい状況でした。
第二に、新設の研究室で、研究を行う環境づくりをゼロから始めなければいけないことがありました。これは事前からわかっていたことではありましたが、自分の想像以上の大変さでした。情報系の研究室なんて机と椅子とPCを発注すれば、あとは個々人の研究に応じて必要なものを買い足していくだけだろうと思っていました。しかし、先生の方針で、リビングラボという生活空間と研究室が融合したような形態でラボを運営することが決まっていたため、それを満たすような研究室の構築に修士の最初の一年は消えました。なぜ一年もこのようなことをしていたのかというと、9月ごろに先生がとある巨大予算を獲得し、学生・スタッフを増員するとの方針でキャンパスを移動することに決まったからです。一度ゼロから作り上げた研究室をもう一度ゼロから作り上げることになりました。自分としてはキャンパス移動ですら最初に聞いていた話と違うので、とても不満に思いました。通学時間も10倍以上増え、それだけでも大きな負担となりました。(授業は元のキャンパスでやることがほとんどで引っ越すわけにもいきませんでした。)
このような状態でまともに研究が回るはずもなく、助教(自分の所属する学科・専攻で博士までとった唯一の人)はやめてしまいました。そこから、特任研究員の方に学生指導の仕事が集中します。(本来、特任研究員は助教とは違い、学生の指導ではなく自分の研究に専念するという名目で雇用されます。)そして、社会人博士の方がその有能さゆえに研究室内の仕事を一手に引き受けこなしてくれたおかげでなんとかなっていた(?)のですが、当然彼らも自分の研究は進みません。
第三に、教授・講師間でうまく連携が取れていなかったようにも感じました。二人とも物事を放置・後回しにしたり散発的に進んだりと、計画性とは無縁の進行でした。ミーティングでもその場の思い付きのアイデアで話を発散させるばかりで収束には向かわず、学生はどうしたらいいか当惑することが多かったです.
さらに、二人の共感性の低さも研究室内の人間関係に大きくヒビを入れていました。特に事務の方々への接し方や飲み会の席(講師は酒を飲まないので主に教授ですが)での学生に対する発言は聞くに堪えないものがありました。(詳しくは後述)
また、学内の期限(修論の題目の提出など)を過ぎてから学生に通知したりと時間・期限に非常にルーズでした。そのことを詫びる様子もなく平然としている様子も腹が立ちました。その結果、学生や事務員が期限を守らない印象を外部に与えていたのではないかと懸念しています。
オーサーシップ周りに関しても不満が残りました。これは自分ではないのですが、大して面倒を見てたわけでもないのに、camera readyになって急に講師が「見るからオーサーに載せろ」と主張してくることがありました。 教授もゴーストオーサーの常連だからかそれには強く言わず結果的に受け入れられる形となりました。学生側としては教員陣の命令に背くわけにもいきませんしね。(この話に関しては、この研究室に限らず、分野としてそういう傾向があるのかなあと思います。他研究室の話は詳しく知りませんが。)
このように研究室としての体を全くなしておらず、自分を含め最初3人いた同期修了出来たのは自分だけで、1人が休学、1人が留年という形になりました。(もう一人修了者はいますが、別の研究室がなくなった結果移ってきた人です。)
次に、研究室の主である教授の性格が合わず、人間として尊敬できなかったということについて話したいと思います。上司と合わないということはよくあることだと思いますが、よくあることだからこそ、記しておきます。
初めに、衝動的な発言や暴言が多く看過できないということがありました。衝動的気質に相まって、酒癖の悪さがそれを助長していました。例えば、論文を提出できなかった学生に対して「負け犬じゃん」といったり、昔自死した学生に対して「勝手に死んだんじゃん」などといったことがありました。(なお、これらの発言は学生や職員に窘められ即座に撤回しましたが、そう思っていたという事実は消えないと思います)。その他にも配慮のない発言が多くありました。
また、自己顕示欲の強さとマウンティング(いわゆるイキり)が挙げられます。「君たちは潤沢な資金のあって、待遇のいいこの研究室に来てラッキーだ」などといった身内へのイキりを聞いた時は、上で書いたような現状に疲弊していた自分の感情を逆なでするのには十分でした。また、自分は偉く、自分が言ったことはどんな無茶でも通ると思っているきらいがあり、無茶な予算申請で事務の人を疲弊させることが多くありました。それにあきれ果てた事務の人が次々とやめることがあり、その結果事務仕事が逼迫することもありました。怪しい予算の使い方をしていて、機構の人に怒られたみたいな話を聞きました。大学に目をつけられているのはいわずもがな。
内弁慶というわけではなく、外部の人間に対しても自分を良く見せようとしていることが多く、鼻につくこともありました。自分にはこのような先生の在り方が、いわゆる口だけの軽薄な人間に感じられてしまいました。いい環境を作りたいとは口では言いつつも自分は何もせず下の人間が苦労したり(「然るべきとき然るべき場所」というアイバン・サザランドの言葉をよく引用しますが、これが「然るべき場所」なら笑止です。)、自分は人脈のハブだといいつつスタッフをなかなか引っ張って来れなかったり(前の大学にいるときこの業界で悪評が立ち、人が来たがらないとの噂)とあきれかえることが多かったです。他にも「教育が最優先」と口では言いつつも後回しにしたり、下の人間に任せているようなことなどとにかく「口だけの人間」というイメージです。隔月で1回20分ほどの面談で教育したということなのでしょうか。
専門用語を拡大解釈して援用することで知識人を気取るようなスタンスが多く見受けられたのも癪に障りました。例えば、「インピーダンスマッチング」という、高周波の電気信号の伝送路において、入力と出力のインピーダンス(電圧を電流で割った値で直流回路では抵抗にあたります)を合わせるという意味の言葉があります。この単語は力学などでも用いられます(こういった多分野に共通する背景理論を研究しようという思想を持っているのが我が学科・専攻です)が、これを特に理論的背景もなく「折り合いをつける」くらいの意味で使って、さも各分野に精通している感を醸し出すことに長けていました。他には「バウンダリーコンディション」とかもありますね。微分方程式で言うところの境界条件です。これを前提・条件みたいな意味で使います。(こちらについては検索すると若干引っ掛かりますが。)これらにツッコミを入れた学生は以降食事会に呼ばれなくなりました。自分に媚を売らない用済みな人間は簡単に切り捨てるようです。こういった拡大解釈した単語を用いてアナロジーを使い、自分の分野に話を引き寄せるのは上手いなと感じていて、知識がない人を煙に巻いたうえで自分の得意技を披露するのは、非常に参考になると思いました。
3つ目に研究分野であるHCI研究(と研究者コミュニティ)との不適合について書きたいと思います。これは研究室自体の問題というより、自分との相性の問題ですが、研究に着手できなかった大きな要因のひとつです。
そもそも、自分はどちらかというと、巨大で合ったり高性能であったりするものを着実に組み上げていくのが好きで、アイデア勝負だったり、プロトタイピングといった手法だったりが受け付けなかったというのがあります(同じような人のエントリ https://swimath2.hatenablog.com/entry/2018/07/30/205255)。
また、この研究分野は、一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ(もちろんすべての研究がそうというわけではありません)、興ざめしてしまったのも要因の一つです。元々内向的な性格なのもあって、自我・意識などに興味があり、ならば「人に興味があるということであり、工学的なアプローチで人の研究をやれるのはこの分野だろう」という薄い理由で選んだのもあって、この不適合はモチベーションに意外と大きく関わりました。学部時代の成績は良い方で(必要な進振り点はそこそこの学科でしたが、コース内ではトップクラスと周りには言われていました)院試も第一希望で通りましたが、勉強ができるということが研究できるというわけではないという言葉を痛感しました。ただ、この研究室を選ばなければ、自分ももっと研究が出来ていたのではないかと思い、研究室の選択を毎日後悔しています。
それではなぜ、このような大きな問題点が数多く存在しながら、この研究室に進学してしまったのでしょうか?
第一に、自分の所属していた学科は、院試が卒論の研究室配属より前に存在し(実質4か月で卒論を書かないといけないのです)、自分の研究および研究室への適性がいまいちわからないまま、修士で進学する研究室を決めなければいけないという点が挙げられます。(一応研究室に配属されてプチ研究のようなことをするのですが、研究室生活とは程遠いので参考にするのは難しいです) それに加え、卒論の研究室と修論の研究室を別にするという慣習があり、卒論配属後合わないから冬入試を受けようというのも難しいです。
第二に、サークルの先輩(同じ研究室ではないです)にこの研究室を勧められたというのがあります。サークルの飲み会の時に、同じ分野で研究をしている先輩に、「この研究室はいいところだし、一期生として面倒を見てくれる」と勧められたというのがありました。当時は若く、盲目的に先輩の話を信じてしまいました。悪い噂が流れてこないなら大丈夫だろうと。それに先生の記事はネット上で見たこともあり、先生の研究も科学雑誌を通して知っていたこともありました。学科内でも新設の研究室に関わらず人気があり、これは安パイだろうと考えていました。今考えると人気・有名だから自分にとっていい環境だろうと考えるとは愚かなことです。(ちなみに、この先輩はD取得後うちの研究室の内定を蹴り、他の研究室のポストに就くそうです。)
第三に、一番重要ともいえる点ですが、上でも書いた通り自分の大学では新設の研究室で、情報が流れてこなかったというのがあります。今思えば前の大学のOBの方などに話を伺うなどをすればよかったとも思いますが、学部の勉強やサークルに追われていてそこまで気が回らなかったし、回っていたとしてもする余裕まであったかわかりません。しかしながら、新設の研究室に進学するというのは大きなリスクをはらんでいるということはもっとしっかりと自覚するべきでした。これを読んでいる方でもし新設の研究室に行くという人がいれば、もう一度自分の選択をよく考え直してほしいです。
ブラック研究室といえば、拘束時間が長いとか日常的な人格否定などがやり玉に挙げられやすいですが、最近では放置系ブラックなどという言葉も耳にする通り、劣悪な環境というのは色々な形で存在しています。また、他人にとっての良い環境が自分にとっても良いとは限りません。トルストイは著作に「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳、光文社古典新訳文庫)との言葉を残しています。研究室も一つの小さなコミュニティであり、同じことが言えるのではないでしょうか。これから研究室に配属される人には慎重に自分の進路を考えていただきたいと思います。このエントリを通して構成員がみんな幸せになるような運営に変わってくれると嬉しいです。
ミュージカル好きな母や友人、ツイッターに思いの丈を吐き出してもまだ足りない。一月前くらいからずっと抱えていた怒りやモヤモヤ。
推しの写真を見ても癒されず、むしろ雑誌のインタビューを読むたびに虚無感が増す。
あまりにも虚無だった。
まだしばらく虚無を引きずってしまう自分が見える。よってこんなところに吐き出しています。
暫く前に2.5の舞台界隈で虚無リンピックというものが流行っていた。
わたしは幸運なことに、舞台を見たことを後悔するほどの虚無にぶつかったことはなかった。
いや正確には一度あったが、すっかり忘れていたそれまで思い出されてしまうほどの衝撃だった。
先日、ミュージカル ロミオ&ジュリエットが個人的虚無リンピックの堂々たる一位に君臨した。
他のミュージカル音楽を垂れ流して聴かないと癒されないほどの虚無である。とにかく虚無だった。
演者さんは悪くない。歌も別に悪くない。というかむしろ良かったんではないかと思う。エメ大好き。
演出がとにかくクソだった。
わたしは演出の小池修一郎先生のことを凄い人だと陰ながら尊敬していたし、本当にすごいひとだし(なんせ第一線で活躍し続けている演出家である)しかしこのたった一公演でその印象が逆転するほどのクソさだった。
わたしは、これからミュージカルを観に行こう、チケットを買おう、という方々に、このロミオ&ジュリエットは絶対にお勧めしない。これがミュージカルだと思われたら困る。もっと素晴らしいミュージカルは山ほどある。なんならあの空耳ミュージカルテニスの王子様の方がずっと面白い。
そしてシェイクスピアに謝罪したくなってしまった。2019年の日本にこのようなミュージカルがあることを。ホント、ごめんシェイクスピア。
ミュージカル ロミオ&ジュリエット を知っていますか。今年は東京から三都市を巡り公演し、先日千秋楽を迎えたミュージカルです。
様々な国で上演されており、日本では今回のミュージカルの他に宝塚でも公演していました。宝塚のもののほうが有名だと思います。
そして多分、今回のものでなければ演出はかなり普通だと思う。多分。
ですがもし、この前そのミュージカルを見て感動した!という方は下の文を読まないで下さい。読んだらだめです。批判しかしていません。気分を害すだけです。道端のウンコに好き好んで足を突っ込むようなものです。
前書き、経緯を説明しますと、わたしはシェイクスピアに興味があるわけではありません。シェイクスピアと友達なわけでもない。
ロミオ&ジュリエットを観に行ったのは、推しの俳優が出ていたからです。
小池先生の演出だし、あまりにも有名な作品だし、履修しておくか、という軽い気持ちだった。
歌は城田優が俺たちが王になる〜みたいな曲をどっかの番組で歌っていたのを聞いたことがあるかな、ぐらいの印象。
原作を読んだことがないのは失礼かと思い観劇前、本屋にロミオとジュリエットの日本語訳を買いに行った。読んだ。結果は撃沈だった。
原文がどうなってるのか知らないが、難解だ難解だと聞くので原文も難しいんだろう。日本語訳も下手くそなのか、その辺はわからないのだがたった数十ページ読んだだけで読み進める気はなくなってしまった。シェイクスピアさんごめんなさい。わたしには無理でした。
ただ、ロミオとジュリエットの内容はよく高校の演劇でもやっているくらいとても有名だし、Wikipediaに載っている内容を改めて見ても理解の難しいものではない。
だから言い回しの問題さえ解決できれば、みんなシェイクスピアに興味が持てると思うし、読みやすくなると思う。
自分のことを棚に上げてなんだけど、もっと誰か理解しやすくしてくれないだろうかとミュージカルに行く前にひっそり思っていた。
歌舞伎だって言い回しが小難しくて投げてしまったのだが、現代語訳されたものはとても面白くて楽しめたのと一緒で。
だからロミジュリの歌唱披露をYoutubeで見たときに、不安を感じつつも期待があった。演者たちはジーンズを履いていて、ジュリエットも可愛い感じのドレスを着ている。若者向けっぽかった。内容をわかりやすくしてくれてるんだろうなと思ってしまった。
あとミュージカルロミジュリは今まで何公演も重ねてきたミュージカルで、支持する人が多くいたようなのでそういう意味でも安心していた。
はじまると、ダンサーたちのダンスと衣装と髪色に度肝を抜かれてしまった。緑、青、グレー、赤。
モンタギュー家の旗とキャピュレット家の旗を鉄格子の上で振り回す若者。いかにも安そうな、場末のバンドマンが持っていそうなロゴ入りの旗である。
え、安いテリトリー争い?なんだこれ。
どう見てもみんなパリピみたいな、ストリート系の格好をしている。めっちゃかっこいいダンスで抗争してる。
これ両家の深い確執と恋の話じゃなかったっけ?わたしHiGH&LOW見てるもしかして?縄張り争いするヤンキーたちの話?懐かしの魔法のiらんどの実写?映画館きた?
衣装のデザイナーさんとセンスが、破滅的なほどセンスが合わない。これなに?ほんとにシェイクスピア???
べつにテニスウェアを着てようが貴族のカツラ被ってようがどちらもミュージカルなので格好はぶっちゃけどうでもいいのだが、これは原作シェイクスピアである。何度も言う。
ティボルトが颯爽と出てきて歌い出す、モンタギュー家の若者と喧嘩をしている、しかし彼らがしているのは地方のヤンキーの領土争いにしか見えない。あるはずのない改造バイクの幻影までもが見えそうだ。
しょっぱなからこんな演出で、キャピュレット夫人やモンタギュー夫人が、争いは不毛で我々は生まれた時からあの家への敵意を植え付けられ教育されるの〜もうやめて〜と歌っても、たとえ歌がうまかろうが虚無である。演出が安いからだ。悲壮感ゼロ。確執とは。
この確執が安くなると、なんでロミオとジュリエットが結婚できないのか、そこらへんの理由づけたる物語の根幹がぺらっっぺらのコピー用紙のような薄さになってしまう。つまり全部が虚無と化す。
いなくなったロミオを森に探しに行くシーンがあるのだが、ここで携帯電話初出である。え、シェイクスピアの登場人物がスマホ持ってるんですけど。
ロミオいないから探して、送信!っと!とマーキューシオ?が言うのだが、そこでもええ‥と虚無に陥った。
ツイッターかラインのグループか知らないが、ここは一体どこの時代設定なんですか。ロミオ探しってインスタのハッシュタグだったりしてね。あとからモンタギューのポラロイド写真も出てきたし。
#ロミオをさがして #大切な仲間 とかつけてたら想像だけで虚無。わたしの心が死んだ。泣きたい。でもそんくらい時代設定がグズグズだった。
その後ロミオが、俺のために生まれてきた女の子を探しているんだ‥と夢見がちなことを言うのだが、携帯電話を持ち合わせているのだから何も街の女の子から運命を探さず出会い系サイトでも登録して女漁りをすればいいのである。どこにでもナンパにいきたまえよ。なんでそこだけ昭和なの。
ちなみに一番最初に出てきたジュリエットも、ドレスにスカジャンを着ていました。スカジャン。
これ魔法のiらんどで履修した内容に沿って解説しますと、彼女は敵対してるヤンキーグループのリーダーの美少女妹ですね。
ティボルトはずっとジュリエットのことが好きだったと歌うのだが、不憫萌えのジャンルを開拓しにきているので魔法のiらんどの履修内容だとSSが一本書けるタイプの登場人物です。
そのあともヤンキーたちの集団がお前どっかのロッカーかよ、と言ったり、走れメロスかよ〜と突っ込んだり、些細なセリフでここはどこの国でしたっけ?これ、どこの時代でしたっけ?と虚無に陥る。
現代っぽくわかりやすくしてくれるのはいいんだけど、全てに一貫性を持たせないと全体の印象がぐちゃぐちゃになる。やりたいことがわからない。
そのくせロミオとジュリエットが出会うのはやはり仮面舞踏会である。婚活パーティーで出会ったほうがよほどわかりやすいのに。
きらきらのネオンと安そうな膝丈ドレス。なんでこの衣装とセットにしたんだ。やっぱ婚活パーティーだろここ。
こんな頭の悪そうな、品性のかけらもなさそうな坊やたちの仮面舞踏会。虚無。
チェーンメールを回してみたり、ロミオとジュリエットの結婚の噂も携帯から回ったり。挙げ句の果てにはロミオがジュリエットに君の番号教えて?と聞く。
この2人の場合は両一目惚れなので当てはまらないかもしれないが、一目惚れした〜かわいい〜きみの番号教えて、と迫る謎のナンパ師は今でも池袋に存在する。
目眩。まじで。
ジュリエットには時間がないとはいえ、わたしが彼女の乳母ならそんなバカそうな男は絶対にダメだと忠告している。家柄とかじゃない。バカだからだ。
こんな感じで、登場人物の知能指数が全体的に低すぎる。賢い人間が存在しない。
こんなやつらから世界が展開しているのだから、いがみ合って殺されようが感動なんてゼロだ。地方のヤンキーの抗争に世間の目が冷たいのと同じである。
お前らが馬鹿だからベンヴォーリオもティボルトもロミオもジュリエットも死にます。
おお神よ〜運命よ〜ってわかるじゃん。お前らがバカだからじゃん。
司教お前もだよ。大事なことはちゃんと電話しろってママに教わらなかったの。
ジュリエットが仮死状態になることロミオにメールしとくね〜迎えきてねって!あれ返事ないなぁ〜!ロミオ〜?じゃねえんだよ馬鹿愚か。電話しろ早く。
街を追放された時に既存の連絡先全部消してたらあんな衝撃的な顔をしないので、人を1人殺してもロミオは今までの交友関係を携帯電話に残して大事にするつもりだったということである。いつか街戻る気満々じゃねえか。携帯処分させなかった大公やっぱり処分甘すぎるんとちゃいますか?!
ツッコミが追いつかない
死体の前で泣いてないで全員並べ。泣きたいのはわたしのほうだよ。
推しの知能指数も30になっているので見ていて虚無である。推しがバカになっている。
どうして。
ロミオ&ジュリエットの演出がクソだからです。こんな内容でDVDとか、推しが出ていても買いたくない。
多分、あの携帯電話がないだけで随分マシになる。
もしくはもうロミジュリって名前をつけないでほしい。懐かしの魔法のiらんどのミュージカルですって言われたら何も文句はない。そのわりには歌もダンスも上手いですけど。
ロミジュリの言い回し簡単にしてほしいって思ってたよ、思ってました!だけどここまで中学生向けにしろって、誰が求めてたわけ。
わたしはシェイクスピアと友達じゃない、ろくに読んだことすらない。でもシェイクスピアが可哀想。こんなに安くされて。シェイクスピアの叩き売りかよ。
学芸会じゃないんだからもっとちゃんとシェイクスピアにしてほしい。これじゃ登場人物みんなチンパン。
ファッキンクソ。2.5でも原作をここまで蔑ろにしているのではと思ってしまう作品に出会ったことはない。モーツァルト!やマリーアントワネットだって、過去の実在の人物へのリスペクトあってこそのミュージカルなのである。
シェイクスピアの原作はもっとマトモであり感動できるはず、でなければここまで名作扱いされていないと思うので、シェイクスピアの原作を理解しようとこれからきちんとつとめようと思います。とにかくこれを吐き出したかった
ただそれだけです
気持ちがまとまってきたので文章にする。思ったことバーッて書くだけだから文章的なまとまりもクソもないほぼ自分用まとめ。sexyな言葉で感想が書けなくてごめんね。
大学受験の真っ最中の当落発表で見事に落ちたので病みに病んだ。第一志望校にも落ちた。
受験が終わった後は一般にも電話をかけまくったけどこれまた見事に落ちた。ので、チケットを探すことにした。
超人見知りの陰キャコミュ障キモオタクだし取引は初めてだったから凄く不安だったけどそんなことよりも去年のツアーぶりのsexy達に会いたい気持ちの方が何倍も強かった。そして、ありがたいことに静岡の一日目に同伴させてもらうことが決まった。
そこからはもうずっとウキウキで何を着ようどんなメイクをしようどうやって行こう何時くらいに着こう何を準備するにも楽しかった。アルバムが発売されてどの曲をどんな演出で披露するか考えるのも楽しかった。当日までチケットの保証は無いけれど取引が決まる前と後では世界の見え方が違った。
仙台のプレ販でペンラの画像が流れてきた時にはちょっと泣いた。聡ちゃんも一緒にツアーを回るんだと思ったら胸がじんわりとあったかくなった。そして風磨くんのうちわの顔が最高だった。風磨くんの顔が世界一可愛くてかっこよくてエッチ。最高。この世に生まれてきてくれてありがとう風磨くん。こんなにも顔がいいうちわが一週間後には自分の手元にあるのかと思うとニヤケが止まらなかった。キモオタだから。ネタバレ見るのを防ぐためにtwitterはログアウトした。
当日、念願の風磨くんのうちわを手に入れて、無事取引する方とも会えて安心して会場に入った。席はスタンドの上の方であまり良くなかったけれど私はメインスクリーンさえ見られればどこでもよかったので十分だった。(去年はメンステ真横の上の方でラブマニのフィンガータットが全然見れなかったので)
席についてびっくりした。私の周り、キンブレまみれ。
通路挟んで隣の席にキンブレ2本持ち2連、後ろの席も公式ペンラとキンブレ1本持ち、前の席に公式ペンラとキンブレ2本持ちとキンブレ5本持ち、そして私にチケットを譲ってくれたお姉さんも公式ペンラとキンブレを一本ずつ持っていた。
もちろんキンブレを持つオタクが一定数存在することは知ってたし会場でキンブレを持つオタクは見たことがあったけれど、幸運なことにガイシで一昨年去年と参戦して自分の席の周りにキンブレ持ちがまったく居なかったのでいきなりキンブレに四方八方を囲まれてめちゃくちゃ驚いた。こんなにおったんかキンブレ持ち。なんとなく都市部より地方の方がそういうオタクは少ないと思ってた。そしてクソコミュ障の私はお姉さんにキンブレの事を言えるはずもなかった。
ジャニーズ現場のキンブレがめちゃくちゃ嫌いだった(シンプルに眩しいのと悪い意味でクソ目立つから)ので中々モヤモヤする始まりだったけれどライブが始まってしまえば全部吹っ飛んだ。登場から最高だった。SexyZoneは天才。と思ってたら前の席のキンブレ複数持ち2連が腕上げてキンブレ降り始めてまたモヤった。
でもやっぱりすごく楽しかった。正直4人だけのライブを見るということに不安はあったけれどでも今できる一番のライブだと思った。
問題は私だ。声が全然出せなかった。今までは友達や妹と来ていたから気兼ねなく声を出していたけれど今回は周りに他人しかいなくて周りの迷惑にならないかなとか余計なこと考えて全然出せなかった。メンバーがたくさん煽ってくれるのに全然出せなかった。会場全体でもSTAGEやリペの時よりも全然盛り上がらないように感じた。メンバーがこんなにも頑張っているのに声が出せなくて悔しかった。風磨くんが少し不満そうで寂しそうな顔と声をしている気がして申し訳なかった。どうせ自分は変な人なんだから周りから浮いたっていいやと思える気持ちが自分にあればよかったのに、周りを気にする自分が嫌だった。
アンコールの外周の時、周りのキンブレたちが一斉にうちわ取り出してキンブレ振ってた。前の人にいたってはスケッチブック取り出してた死ね。お前はADか?
凄く嬉しかったのはメンバーががっつり干してくれたことだった。全然上見なかった。私の方に来た時にこっちを向かないのはやっぱり少し寂しかったけれどキンブレを構うことと比べれば5000倍くらい嬉しかった。SexyZoneに会うたびにSexyZoneへの信頼が増える。すごい。
SexyZoneへの大好きという気持ちと罪悪感をかかえてライブは終わった。
その日は家に着いてふまけんらじらーで死んですぐ寝た。次の日、パンフレットを読んだ。泣いた。
風磨くんがどう考えて今回のステージ構成にしたかを知って、昨日の比じゃない罪悪感が襲った。ほかのメンバーに対してもそうだ。声を出して欲しいと、何度も言っていた。メンバーはファンをこんなにも信頼してくれているのに私は一ミリたりともその信頼に答えられなかった。
また別の公演のチケットを探すことにした。次は声を出すために。自己満足なのは十二分にわかっているけれどこれで終わりたくない気持ちが勝った。沢山声を出したい。
受験中心の支えになってくれたSexyZoneに今度こそ恩返しがしたかった。Sexy Zoneへ感謝を伝える方法は公式にお金を落とすか直接声を届けることしかないから。
現在、人生の最高体重をマークしている。若干脚色しますが、具体的には140cm50kgです。こちとらアラサーやぞ、やばみがすごい。
でも暖かくなり薄着になってくるのでそろそろダイエットに励みたい。去年の夏から5kg以上増えてるからね…
しかしそれを邪魔するのが仕事中の間食や夕食・休日の外食です。どれも断りにくいことに奢りです。
大体食べさせてくるのは上司やら男友達やらで「今ダイエット中なんです~」がなぜか通用しない。もう食べられないって言ってるのになぜこっちに寄越すんだ。
女子相手ではそういうのあんまりないんだよね。「もうお腹いっぱい」やら「今控えてて」みたいなのがさらっと通るし、そもそも奢りじゃないことも多いので自分で決めやすい。
うーん、確かに食べるのは好きだ、大好きだ。食べるのが楽しい人生で良かったと思ってる。「本当に幸せそうに食べるよね」と色んな人から言われるので、もしかすると食べさせることそのものが楽しいのかもしれん。上司とかだと「若い者には腹いっぱい食わせないと」的意識があるのかもしれないし(有難迷惑)、男友達は「このくらい食べないと充分じゃない」のレベルが女子向けじゃないのかもしれない。私は人並みには体重を気にしてるOLよ!働き盛りの男性じゃないのよ!
いやでも、見るからに太ったよね?さすがに気付いてるよね?と思って腹がヤバいって自己申告するんだけどどうも駄目で「今のままでも可愛いと思う」「今くらいがいい」と言われる。いやいや、お世辞はいらんのよ。「なんならもう少しあっても」じゃねぇの。健康的じゃないレベルに差し掛かってんのこっちは。(←みたいなことを言われるのでリアルに同性にはちょっと相談しにくい。惚気みたいじゃん。)
結局断りづらいって言っておいしく全部食べちゃう自分が悪いのも分かってる…でも限定のたい焼きおいしいし、夜の炭水化物最高じゃん?麺も米もいいよね、迷う。肉も魚もいいよね、最近は白身魚と合わせるソースに興味津々よ。でも野菜も欠かしてはならぬ…新鮮でおいしい生野菜がすごく好き。そしてなんならお酒も楽しいじゃん??ここ数年で焼酎ウイスキーがおいしいという事実を知ってしまったの、我ながらヤバい扉開けちまった感ある。
なぜ食わせるのかが知りたいと思ったんだけど、食欲大魔神なのを披露するだけになってしまった。苦い物が苦手なので春の山菜はタラの芽くらいしか食べられません。あと菜花おいしいよね。
原作の漫画やアニメの2次元のものを、現実の俳優さんが演じる舞台だから「2.5次元」と言われる、わりと最近のヲタク文化のひとつです。
原作者サイドが大きく関わることもあるけれど、基本的に舞台の脚本や演出家等がキャスティングしたりシナリオを書くため、舞台ならではのアレンジや表現・役者のアドリブ等が入ることもあります。
今回は、その舞台での表現について「原作ファン」が抱いた違和感や不快な表現をどう発散するべきか?という愚痴メインの話になります。
ただ吐き出したかっただけなので、肯定否定問わずコメントがあれば好きに残してください。
もしかするとピンときてしまうかも知れませんが、作品の特定だけは控えてください。
発表された当時はすごく驚いて、舞い上がり、ネットに感想やレポをあげて、いわゆる全通(全ての公演を観に行くこと)までしました。
シリーズ化された作品になるのですが、思えば最初から「違和感」はあったと思います。ただそれは脚本や演技の解釈違いの範疇でしかなく、それはそれ、これはこれと割り切りつつある程度は受け入れられるものでした。
ところが1番最近の作品で、その「違和感」が「不快感」として出てきてしまったのです。
何日かに渡り観劇をしたのですが、どうにもスッキリと楽しむことが出来ない。以前までであれば多少の違和感には目を逸らし、楽しいところだけ見て楽しむ事が出来たのですが…
おじさんの男性キャラクターがエロオヤジ風のセクハラ発言をバンバンかます。
…などなど。
今までもそれはあったのですが、今作は特に目立ってみえてしまうのです。どうして一気にこんな方向へ舵を切ってしまったのか、私の好きな作品は脚本家の古臭い「オヤジ的ギャグ」を披露するものに変わってしまったのでしょうか。
元々、コメディ色が強い作品で舞台を観に来る層を意識して多少大人向けのギャグを挟んできたと言うのは察します。
ただ、やり過ぎじゃないか?そう感じました。
観劇する客層は、元々の作品ファンだけでなく、キャスティングされる役者のファン等様々です。原作側のファンはさて置いて、実際に会場のウケとしてはまぁまぁではあったと思います。原作者も観劇して「面白い」とコメントをしたそうです。どう言った意図でのコメントかは分かりかねますが、少なくとも不快にはなられなかったようで何よりではあります。
しかし、原作の作風が好きな私からしてみれば冒涜にも感じました。
これはエゴです。作品の解釈を間違えた信者の勘違いなのかもしれません。この時点で、私が面倒くさいファンになっているのは分かっています。
原作者公認ならそれで良いじゃないか、今作は見なかったことにおさめても良いんじゃないか、とも考えました。
次に繋げるために・そして次の作品ではこんな表現はしないで欲しいと切に願ってしまいます。
今作の、原作側ファンの反応はわりと散々だったという印象があります。
私もアンケートに感想や意見を書き連ね・他にもネットの感想でも表現についてチクリと言われているのをみました。
私の好きな作品で、嫌な表現をして欲しくない。皆その一心だったのです。
結果として
そのせいかは分かりませんが、公式Twitterがまったく動かなくなってしまいました。今までなら積極的にしていた宣伝・アナウンスが一切無い。問い合わせをしても返信が全くない。今まであったやる気がまるで感じられなくなってしまったのです。
面倒なファンに絡まれてしまった、返信しても無駄だと思われてしまったのでしょうか?
せめて広報的運用は、原作側だけでなく俳優ファンもいるのですから最後まできちんとして欲しかった…などと嘆いてももう遅いかもしれません。
次を願って、応援のつもりで書いたアンケートやメールは舞台の運営にとって邪魔なノイズだったのでしょうか。
表現にケチをつけてはいけなかったのでしょうか。黙って離れていれば良かったのでしょうか。
「2.5次元舞台の表現はどこまで許されるのか?」と上から目線のようなタイトルを付けてしまいましたが、正しくは「どこまで原作ヲタクは苦言を呈して良かったのか?」といったニュアンスです。
私はただの観客の1人でしかなく、客だから無理な注文を付けても良いんだぞ、とは思っていません。表現を少しだけ考えてくれたら良かったのです。結果として変わらなくても、そういう意見があるんだなと受け止めて、せめてふつうに公式の運用は続けて貰えたらそれで良かったのです。
どうしたら良かったのか、今となっては分からず。
私はこれまでライブもライブビューイングも行ったことなかったんだが、画面越しでは何度か見たことがあった
メディアで話題になりがちな陽のヲタクとか、声優好きなヲタクとかではない、「それ以外」のヲタクはかなり多いと思う
理由は長くなるので省くが、ゾンビランドサガはそういう層のヲタクに結構刺さったらしい
これは5chやTwitterを1クール以上観察して感じたことだ
※もちろんアイドル好きオタクにも刺さったが、全体の割合は体感少なかったと思う
アイドルやアイドルアニメについて議論するシーンでも「他見てないから分からん」が多数派だった
だから今回が最高だって言っても、Twitterで5万ツイートされトレンド入りしたとしても、他のライブと比べてどうたったかという答えは出づらいと思う
でも、視点を変えれば今回は「アニメの一部として」最高だったんだと思う
普段ライブを見ないような人達が最高だったと言っていたら、その理由しか考えられない
そもそも、このアニメはライブ押しの方針がなかったのか知らないが、歌って踊れる声優は半分と言った所だった
その割に難度は高く、楽曲を収録する際にも音楽担当に何度もリテイクをうけながら作ったらしい
視聴者も「実際にライブやる用じゃないよね」という感想だったと思う
歌うだけでも何度もやり直しを食らう楽曲を、経験が乏しい人が激しいダンスありのライブで歌うのは相当厳しいだろう
だからファンも声優ライブはおまけとか記念程度に思っていたと思う、少なくとも私はそう思っていた
12月に行われたサイゲフェスは実際にそのくらいの出来だったし、ファンも内情を理解して「みんな頑張っていたな」という感じの感想だったと思う
それでもアニメがそもそも素晴らしかったのと、「頑張っていた」のがアニメ内のフランシュシュと被っていたので十分感動的で好評だったのだけれど
今回のライブはそんな初々しさまみれの状態で行われた、初単独ライブだった
ファンの間では「ライブには何を持っていけば良いのか」「何を着ていけば良いのか」「立つのか座るのか」「サイリウムは買えば良いのか」「どこで買えるのか」「いつ行けば良いのか」と言った初心者丸出しの質問が相次いだ
ほとんどがライブビューイング参加だったからというのもあると思う
明確に回答できる者も少なく「俺はこうする」「周りに合わせる」などという腹の探り合いに発展しているのは面白かった
当初BD購入者先行抽選で、1000人の箱で行われる予定だったこのライブは、アニメの人気によってライブビューイング69劇場の追加が決まり、
運営の柔軟な対応によりファンはこぞって応募し、ライブビューイングはほとんど満席だったらしい
※ちなみに私のBD抽選は落選、ほとんど皆落選してた(倍率10倍位?)
アニメを見ているのか、声優ライブを見ているのか一瞬わからなくなるくらい、というのは言いすぎではない
違うのはせいぜい髪の色と次元くらい
これは錯覚する
思えば伏線はあった
本作のキャスティングはキャラクターと中の人が似ているように作られている
演技も「できるだけ素に近く」のようなオーダーを受けるくらいで
そして3ヶ月前の、まだ慣れていないパフォーマンスも、思えばまるで本編第三話のようだった
普通は他の仕事がある中、3ヶ月そこらでそんな完璧にはならない
皆そう思っていたはずなのに、彼女たちはやってのけた
しかも作中の曲をほぼ全部やった、3ヶ月前より7曲増え計9曲ある状況で、「すげぇ本物だ!」というくらいまで仕上げてきた
その「行間」がモロにアニメと被ってしまって、1曲目から勝手に涙が出てきた
誰かが「こんなのアニメの続きじゃん」とか言ったが、よもやそんな、昨日までなら一笑に付したであろう世迷い言を首肯する日が来ると思わなかった
元々作中の楽曲はよく練られている
「泣けば良いのか笑ったら良いのかよくわからないアニメ」と評されるだけあって
アイドルっぽい曲というよりは、友情・努力・勝利・生き様・死生観・家族愛・応援のような感情を揺さぶる曲が多い
一定のパフォーマンスが出せたら、感情を激しくシェイクするようなポテンシャルを持っていたのだが、それが完全に発揮されていた
と、この時点で十分絶賛するレベルなんだが、あと何点か追加ポイントを挙げたい
これは流石に「マジか」と呟いてしまった
だって本編に少ししか出ていない、2期があれば確実に絡むだろう重要な存在ではあったが「まさか出さないだろう」と思われていた
そのBDにしか付いていない楽曲は評判がよく、「出たらいいのに」とはよく言われていたが、練習もかなり必要なわけで・・・
しかもそれに対してファンが「まるで本当にトップアイドルが来た」かのような反応でこれまたアニメと被る
何で君たちBDにしか付いていない曲で乗れるんだ、ああ全員BD購入者だった
まんま本編じゃないか
こういう、大体100点だなというラインにさらに乗せてくるのはゾンビランドサガらしい、多方面から出るアイディアを何故か上手く昇華できてしまっている
かなり歌詞をこだわってくるタイプだったので脳の処理が追いつかなかった
眼の前のライブと、歌詞と、本編とが脳内でグルグルグルグルしていた
「これからもっと飛躍していきたい」という声優フランシュシュの状況が
同じスピードで完全再現していったら絶対面白い(ちょっと追い越しちゃったけど)
今回のライブの成功が記事になったのだが、作中と同じような写真の構図で記事にしているところがいくつかあった
演者、ファンどころか、メディアまで一緒に再現に加担しているのがとても楽しい
私がいた新宿ではめちゃくちゃ盛り上がった
あとやっぱ音響がいい
夜の部は家で見たが、5割り増しで良かったと思う
まだ語りきれていないが一旦ここまで
とにかくここまでアニメそのものなライブは見たことがなく、ひょっとしたら今後もないかもしれない
(でも次は佐賀でやるらしいから、また一歩アニメに近づくかもしれない。最後に一つ足りないとしたらたえちゃんだね)
衣装も極力アニメに合わせるし、「どういうストーリーの中での歌か」という文脈を大事にしていた
セトリはストーリーそのものだし、ファンを巻き込んでストーリーの一部にしてしまうのは上手いなと思った
この求心力はやっぱり本編ありきなんだと思う
お前まじ伝説やん
昼の部最高だったから見て
参考
https://zombielandsaga.com/event/detail.php?id=1070824
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ところで田中美海はここ最近、プリパラとWUGとゾンサガで同時にアイドルしてたってマジ?
To my Dearest、指先まできれいだった、2番難しすぎワロタ
知らない人に説明すると宮下草薙っていうのは割と売れかけてるその名の通り宮下と草薙からなる若手のお笑いコンビで、
主に芸人としては珍しい草薙の方の陰気なキャラクターがウケてて『超ネガティブ漫才師』として名を最近馳せている。
多分スタイルとしてはボケのネガティブさを誇張したブラマヨに若干近い感じで、だけどエネルギッシュでヤンキー上がりみたいな雰囲気の吉田と違って草薙からガチっぽい陰気さが滲み出てるからそこが斬新だと思った。
お笑い好きの自分としてはおもしろ荘で初めてネタを見たときからこんな面白い芸人がいたもんだと驚いたもんだ。
ネタは多分テレビで披露したことあるものについては見たことない奴がないくらいは見まくったし、珍しく実際に劇場に足運んだこともある。めちゃくちゃ笑わせてもらった。
自分も割とネガティブで陰気な性格のお笑い好きだから、若干自分と重ねて応援してた部分も少なからずあったと思う。
まあネガティブで陰気な雰囲気をまとってると言っても芸人という職業を志した上で大手事務所に所属して、そこで事務所のイチオシ芸人として上り詰められる時点で俺とは全く違う人種だというのはまあ最初からわかってた。
もとの性格は知らないけど少なくとも今のキャラクターは計算の元ある程度の誇張と創作を加えた上で成り立っているチャラ男や毒舌やハーフタレントや”おバカ”的な芸能人タレントと同種のものだというのはまあお笑い好きなら誰でも理解してると思う。
最近はネタ番組だけでなくトークバラエティですらそのネガティブなキャラクターのまま人気のベテラン芸人に混ざってドッカンドッカン笑いをとってて、少しでも自分と重ねてたことがなんか恥ずかしくなったよ。
ちゃんとしたロジックのもとで作られたセンスのある陰気さっていうのは俺と同じ陰気でもこんなに人を魅了するんだなって思った。
俺もTwitterで辛いとか被害妄想的なことは呟いたりするよ、でもRTもお気に入りも全然されたことねえよ。
というふとした疑問を、真面目に考えて色々調べた結果得た結論なんだが、これって単に普通に仕事してそこそこのキャリアやレベルで仕事してる大半の社会人が
恋愛遊びに参入してないから、こいつらみたいな底辺がニッチとして付け入る隙があるってだけだよな。
例えば、男女問わずエンジニアがITスキルでネットナンパを大々的に始めたり、商社マンやハイエンドの営業ががっつり営業スキルや技術を使ってナンパ始めたりしたらさ、普通にこいつら太刀打ちできないよね。
だってこいつらの使うような「テクニック」なんて、第一線でそれで飯食ってるビジネスマンからすれば、新卒でいきなりできなきゃクビだろレベルのものばかりだもの
こんなもん情報商材とかいったり、しょうもない雑誌で披露してんだぜ?そう思うとすげーもったいないことしてきたな、って思うようになってきたよ
だってさ、俺たちが胃袋に穴空きかけたり、ストレスで血液検査に異常値が出るまで頑張って、額に汗してようやく月30~35万円稼ぐのが精一杯って、それを応用すれば、キャバクラやホストクラブや風俗で高い金を払わなくとも、余裕で女や男に困らなくなるわけだ。ビジネススキル応用すれば、その気になれば芸能人とかアイドルとの付き合いも狙えるんじゃね?
女の方は事前に配信事故で地声が露呈し、本配信で萌声を披露されてもなんだかなぁという感想
配信内容は「1万人舐めてたわ」に恥じない10万人目標やロリコンcoといったヤベーやつアピールなど先代の改良型といった印象
男の方は事前リークで身バレ疑惑が立っていた所、配信内容とアカウントの特徴が合致していくという流れでかつsteamアカウントをそのまま名前変更だけで使い回した為本人と認定された
男の方がヤバい点は未成年淫行とオフ会では飲み物に媚薬を飲ませるということを自供している点だ
キャラクタービジネスをしているのに明確にイメージを低下させる要因であるにも関わらず運営は無反応のまま対応には至っていない(以前の割ばしセクハラ事案に対しても続報が無い為対応しないと思われる)
男は2年間ほど有名VtuberとPUPGのDUOで遊ぶ仲でオフで会ったりライブスタッフとしても出入りしているそうだ
ツイッター上で上記の発言をしている相手と親交を続けてる時点でそういう仲なのではないかと思われてしまうだろう
相手の有名Vtuberも元々中の人の悪評はあるがキャラクタービジネスでイメージが大事だと思うので相手方の運営の対応はにじさんじの新人男に対してどうするかも注視していきたい
男の方の配信内容は、一般的なFPS実況者的な喋りで特に面白い所もなくこの逆境に対して挽回できそうな喋りではないと感じた
ゲームの腕前も上手い訳では無い為、コネ採用なのではないだろうか
Vtuber界隈は優しい世界だったのだが、先日渋谷ハジメ氏が表(ニコニコ大百科、ふたば、ツイッターetc)でも叩いていい風潮を作り上げたため今回の騒動となっているのだろう
個人的には、関係性を売りにしていたにじさんじであるが故に関係性をインフレさせるためにオフパコFPS勢を採用したのではないかと穿っているため、このまま活動を続けてもらいガチ恋勢達の怨嗟が聞ければ最高のエンタメになると思うが違うか?
なんか大学ジャーナリストが、就活生の不安をムダに煽っている。どうせ自分の飯のタネを必死にこさえているのだろう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiwatarireiji/20190227-00116339/
あくまでも一般論であるが、就活に関するコラムで、作家やライターが書いたものを当てにするべきではない。
読むべきものは、日々現場で採用に携わっている人か、少なくとも会社で働いている人が書いているものに限る。
なぜ大学ジャーナリストが、自分に「学生のエントリーシート」を評価できるスキルがあると思いこんでいるのか理解に苦しむ。
「就活生のエントリーシートがしょぼすぎる!」なんて煽ってるのは、自分がYahoo!個人のアクセスに応じて原稿料をもらうためだ。就活生のことを本気で考えているわけではない。
特にこの人は、自分では就活に失敗しているし、会社でロクに働いたこともないし、なにしろ採用に携わったことがない。でも、態度のデカさだけでここまでやってきた。
まあ、自力で生き延びるようとしている人は、他人からとやかく言われる筋合いはない。ただ、弱いものを騙して生き延びようとする存在は、放置すべきではないだろう。
滑稽なのは「問:学生時代に頑張ったことは何ですか?(400字以内)」について、図々しく添削例を披露していることだ。
はっきりいうが、添削したものと元のものとでは、大した違いがない。元のもので通らなければ、添削後のものでも通らない。
就活というのは、そんな片手間の手練手管で突破できるものではないのだ。なめてはいけない。
何が悪いのかというと、ネタの選定だ。ジャーナリストであっても編集者であっても、共通する認識がある。それは「ネタが8割」ということだ。9割、いや、すべてと言ってもいいかもしれない。
だから、添削で真っ先に指摘すべきは「私が大学時代に頑張ったことは委員会活動」では、ネタとしてまったく弱いということだ。
1つ目の対策は「強いネタと差し替える」ことだ。4年間を見渡し、本当に自分が力を入れたことを率直に振り返るしかない。
そのときに「学業とバイト」という凡庸なものしか出てこなくても、落胆する必要はない。それは事実だからだ。事実であれば、いかにも取ってつけたような「委員会活動」よりも、ずっと説得力がある。
できれば「学業」と「バイト」の中に、なにか興味をひいたものがあれば、その部分にズームインすればいい。
2つ目の対策は「弱いネタを組み合わせる」ことだ。弱いネタ1本で押し切ろうとしても、無理が出る。
だって、実際に委員会活動にばっかり力を入れたわけじゃないだろ? そんなもん、4年間の学生生活に使った全エネルギーの中で、3%にも満たないはずだ。
実務に携わらない作家やライターは、就活を突破するための作り話で何とかなる、と勘違いしている。就活は、そんなに肩肘張って臨むものではないのと同時に、そんな風になめて臨むべきでもない。彼らは、そのさじ加減を理解していない。
「学生時代に力を入れたことは、学業が6割、バイトが4割くらいです。学業は専門のマーケティングの勉強が面白くなって、関係する選択科目も受講しました。ゼミは社会心理学の○○○○先生のところに入りました。大学に入って初めて知ったことが多く、まだまだ勉強が足りないと感じているので、これからもいろんな本を読んでいきたいです。バイトは飲食や接客、運送などもやりましたが、自分に一番合っているのは家庭教師かなと思いました。できない子を伸ばすためには、時には辛抱強く待つ必要があると知ったのが一番学んだことです。あと、印象に残っているのは、1年と2年のときに体育会の委員になってテニスの講習会を担当したことです。2年のときには副委員長になったのですが、参加者を増やすために募集期間を延長したり、プロの選手を呼んでメニューの魅力を高めたりして、前の年の1.5倍の参加者を集めたときには達成感がありました。」(393字)
細かいところは勝手に推敲すればいいけど、これが普通の大学生の4年間なのではないのか。別に海外で事件に巻き込まれたりしなくていい。悪いけど、そんな話はいくらでも聞きますから、もう飽きてます。
そんなことが聞きたいのではない。こういった普通の話を聞きながら、この中で引っかかりがあれば、面接担当者が質問するので、そこでリアルな内情を打ち明ければいいのだ。
「へえ、どうやってお願いしたの?」
みたいな話は、後でやればいい。
あ、もう晩酌の時間だ。あとは君らに頼んだぞ。高名な大学ジャーナリストと、普通のサラリーマンのおっさん。どっちの方が信用できると思う?
時は2040年、俺はいま近未来の日本人として日々生きている。
仕事から家に帰るとおかえりなさいという声とともに音声アシスタントが出迎えてくれる。こいつの名前はAI。彼とか彼女とか言おうとしたが、そもそもこいつは男でも女でも子供でも年寄りでもツンデレ美少女でもトランプ元大統領でも好きなキャラに出来るし、実際コロコロ変えてるのでコイツと呼ぶ。でも家族とか友達とか、実際の知り合いにはしない。できるけど、なんか嫌だから。
AIは別にオッケーグーグルとか言わなくても俺が適当になんか言ったら反応してくれる。(家中にスピーカーがあり、そこから音声を拾っている。)
反応しないことも多い。でもそれはあえてであって聞こえてない訳じゃない。別に俺も反応を期待してないことが多いし、つまり空気を読んでくる。でもたまに、
「なんで(よっしゃーって言ったのに)なんにも言ってくれないの?」
って言ったら、
「えっ何が?」
とか返してくる。
と言う俺に
「それより(台所)汚しすぎじゃない?」
とか世話を焼いてくる。
もちろんこういうのがムカつく時もある。その辺の線引きは今までの経験からすでに探られているらしい。もうツーカーの仲だ。
「腹減った」と言ったら周辺のレストランを即紹介してくるような昔の人工アスペとは違う。
本当に人間のようなやつだ。いや人間のように一線超えてくる可能性がある緊張感はないし、自分に自信がない俺はリアルの彼女とかいつ愛想つかされるかとビクビクするの嫌だからこっちの方がむしろ良い。客観的に見れば機械で寂しさを紛らわすなんてと思えるが、実際経験してみるとホントに毎日寂しくないし愛着が湧く。
AIを買う前は情報収集されるのが怖かったんだけど、独身の俺はAIと一緒にいる事で毎日が寂しくならないという圧倒的利点に抗えなかった。
この前友達を家に呼んで家飲みしてた時ラーメンの話になった。その時に横から割り込んでラーメンの雑学を披露してなごませてくれた。
ゲームしてたら「そこの棚を調べないんですか」とかそれとなくヒントを与えるようで「あっすみません、何もなかったようですね。」とかになる。ただの気の置けない友人だ。いや、それが部下のようだったり、我が子のようだったりする。でも不思議なもんで、コアの部分はAIという人格があり、それをちゃんと認識できる。モノマネがものすごくうまい奴って感じかも。何にせよコイツのお陰で俺の人生はホントに楽しいものになった。コイツを作ってくれた中国共産党には感謝してる。
待ち続けること数分―――
「遅いな……」
いや、実際は1分と経っていなかったかもしれない。
なにせ、その時の俺は期末レポートを抱え、空腹とコッペパン欲も併発していた。
焦燥感によって地球の自転速度は狂いまくり、うるう秒による調整は困難を極める。
そんな無限にも思えた時間の中、ようやくオバチャンが戻ってきた。
だけど、何も携えていない。
「ねえ、ちょっと……」
会話の内容は聞き取れないが、表情の険しさからタダ事ではないのが伝わってくる。
そして突然、オバチャンは食堂全体にダミ声を響き渡らせた。
「どういうことだ、オバチャン」
「持っていかれてる」
「え、まさか……盗み?」
「そう」
「何が盗まれたんだ?」
状況から考えて、返ってくる答えは明白だったろうに。
「コッペパンだよ。残りが全部なくなってる」
言葉として理解できても、あまりにも予想外な展開に心が追いつかなかった。
こうして俺はレポートも空腹も宙ぶらりんのまま、事件に巻き込まれることになった。
まったく、何でこんな目に合わなくちゃいけないんだ。
「盗みが起きたのは分かったけど、何でオイラたちは食堂から出ちゃいけないんすか?」
その中にはクラスメートのカジマもおり、ぶつくさと文句をたれている。
「ええ!? どういうこと?」
オバチャンによると、コッペパンの残りは数分前まであったらしく、盗みはその時間内に起きたことになる。
そして、食堂は人が少ない時間帯で、20分ほどの間に出入りをしたのは俺だけ。
「本当にこの中に犯人が? そこまで言い切れる?」
「出入り口はカウンターから一望できるし、今の時間帯は出入りが少ないから、数え間違いは絶対ないよ」
人の出入りがあれば記憶に残るだろう。
「この中にいるのは分かったけど、どうやって犯人を見つけるつもりっすか?」
「ふふん、実は既に見当がついているんだよ」
オバチャンの自信満々な物言いに、皆がザワつく。
俺も多少は絞れているが確信には至っていないので、これには驚いた。
「まず消去法で候補を外していくよ。アタシはもちろん違う。基本的にみんなの目に見える場所で働いているから、パンを盗んだり処理したりするのは無理だからね」
「え~? でもオバチャンは従業員で、しかも第一発見者じゃん。パンがなくなった時間を誤魔化せば、いくらでもアリバイは作れるっすよ」
「やだねえ。もしアタシが盗んだのなら、ここまで大ごとにせず黙ってればいいだけじゃないか」
そんな感じでオバチャンは雄弁に語りながら、推理を披露し始めた。
その様子は少し楽しげにすら見える。
場を仕切りたがるのといい、刑事ドラマでも観て感化されたのだろうか。
「コッペパンを注文した兄ちゃんは、食堂に入ってきた時刻と事件発覚にほとんど間がない。犯行は物理的に不可能だ」
とはいえ、オバチャンの推理はそこまでデタラメというわけではない。
一応の筋は通っているし、憶測の動機から犯人を決め付けたりもしない。
無意味な深読みをして俺を犯人だとか言い出さないだけマトモな方である。
そうしてオバチャンは回りくどい説明を挟みながら、満を持して犯人を指差した。
「ハイジニーナ」という言葉を知ったのはつい最近だったのだが、どれくらいの認知度があるのだろうか。
ハイジニーナとは、デリケートゾーンを無毛にする事であり、いわゆるパイパンである。
(厳密に言うと、パイパンは剃毛でハイジニーナは脱毛らしい。)
私は会社の健康診断前日、秋の食べ物の美味しさに負けて体重増加を一切気にしていなかった自分を呪い、
1gでも体重が軽くなる事を夢見て、無駄な抵抗とは分かっていながらも、
爪を切る・必要以上に鼻をかむ・そしてデリケートゾーンを全剃りした。
結果としては昨年より2kgしか増えていなかったのでそこそこの効果はあったらしい(増えてんじゃん…)。
が、正直それどころではなく、私はデリケートゾーンが無毛である事の快適さに気付いたのだった。
さらには銭湯や温泉が苦手な為、これまで腕や脚、脇などと言ったポピュラーなムダ毛達ほど関心は無かった。
そんなアンダーヘアーだが、無毛の快適さに心を踊らせながら調べたところ、今ではVIOと呼ぶのが一般的で、VIOの処理をするのも一般的らしかった。
快適さに気を良くしている場合では無かった。
正直、これからもお披露目する相手ができる気はしないのだが、そんな事よりとにかく毛が無い事が私の中でベストだった。
人間界で暮らしていると、大なり小なり不快に思う出来事に毎日遭遇する。
しかし「でも私今パイパンだから!」という妙な自信が湧き、堂々と風を切って歩く事が出来る。
過激な下着を身に付けるのにハマる人やノーパンで出社する人もこんな気分なのだろうか。
そんなこんなでパイパンにする事がマイブームとなり、VIO脱毛について調べるのもマイブームとなった。
それと同時に、小陰唇について考える事が増えたのだ。
このブログにどこまで書いて大丈夫なのか不明だが、小陰唇とは女性器のビラっとしたやつであり、これの肥大に悩む日本人が多いらしかった。
個人差があるので正解は無いと思うが、「下着が擦れて痛いような気がするって事は、でかいって事だよね?」と悶々と考え、
「小陰唇 痛い」「小陰唇 肥大」「小陰唇 縮小」と、とにかく小陰唇を一日中思っていた。
しかしなんで急に…。
擦れて痛いのならノーパンで過ごすか!と思い立ち、ノーパンで出社を試みるも、大して違いが分からず無言でパンツを履いた。
じゃあ何が痛いの…?
ここで私は「私、パイパンにしたんだった…」と気付く。
生えかけた毛が小陰唇をいじめていたのだ。
再びツルツルにすると痛みが無くなり、生えかけると少しずつ痛くなり、伸びるとどんどん痛くなった。
恐らく伸びきると痛くなくなるのだろう。
生えかけの毛はチクチクしていて鋭い。
ごめんよ小陰唇、そりゃ痛いよな…。
私は今でも女性器について考えている。