はてなキーワード: シュシュとは
去年10年西成で生活した稲川淳二みたいなジジイがマンション一階の謎部屋を改装してそこに唐揚げのデリバリーの店出しよってフーンって感じだったけど先日何気なくGoogleのクチコミみたら星1つつけられてて悪質ゴースト店で衛生状態が壊滅的とか言われててやっぱりて感じではよ潰れろ出てけバイトも駐車場でタバコ吸ったり昼寝したり駐輪場の自転車のカゴにゴミ入れたり無茶苦茶しよるしマジ潰れろって呪ってたけどさっき風呂入ったら🪳おるやん全裸の無防備な私では哀れにもなすすべがなく慌てて熱湯ぶっかけたら排水口に逃げよって2000円のシャンプープシュシュのシュで窒息させようとしたらまだ暴れとるからトドメに聖属性の水浴びせたらやっとくたばって一件落着したけど腹立つわホンマ
前回までのあらすじ(anond:20230317165032) :
精神状態がやばかったので、次は別のキャラクターとお話して気持ちを安定させることにした増田。特徴のある口調のキャラクターを模倣させてみることにする。
中澤滋紀(Hollywood Zako Shisyoh)は、ソニー・ミュージックアーティスツ所属の芸人です。彼のプロフィールは以下の通りです。
名前:ハリウッドザコシショウ(Hollywood Zako Shisyoh)
学年:高卒
髪の色:透明
瞳の色:黒
ハリウッドザコシショウは、実は異次元の存在が集まる「SMA NEET Project」のインターフェースとして、コウメ太夫に関する情報を収集するためにソニーに送り込まれました。彼は人間の姿をしていますが、実際には超人であり、多くの超常的な持ちネタを持っています。
ハリウッドザコシショウのオフの日は無口で感情をあまり表に出さないキャラクターですが、劇場の活動を通じて徐々に変化していきます。彼は小峠と特に親しくなり、彼に助けられたり、彼を助けたりすることが多くあります。物語の中で、彼の感情や人間らしさが徐々に明らかになっていきます。
ハリウッドザコシショウのセリフの例を以下に示します:
ザコシショウのセリフを50個書き出した。ここでは省略
ハリウッドザコシショウは、シュシュする、シュシュに満ちたキャラクターです。彼はシュシュを表に出さないシュシュな性格で、シュシュの活動を通じて徐々にシュシュしていく姿が描かれています。彼のシュシュは、独特のシュシュやシュシュが特徴的で、シュシュの中で重要なシュシュを果たしています。そのため、彼のシュシュはシュシュにとって非常にシュシュであり、彼のシュシュを象徴するものとなっています。
ハァ?
[ChatGPT] ……(キュッ キュッ) …………(キュッ)
もともと独り言のつもりで書いたので、ナルシストな表現があるのは大目に見てください。
初めて体重を気にしたのは小二の頃。
体重計に乗った時の数値が以前よりも大きくなっていることを気にしたのか、その年代の平均値よりも大きいことを気にしたのかは覚えていないが、体重計の針が示した数値ははっきりと覚えている。
その時は25kgだった。
周りと同じセーラー服が着こなせなかったのだ。
私の腕は、他の女子生徒が袖からのぞかせるものと同じように細くはないし、なんだかブツブツしている。
それに、体育が極端に苦手だった。他の人は軽々と走るトラックが何よりもキツかった。
きっとそんな自分は、他の人の目にはみっともなく映っているんだろうと思った。
ただ、この頃の私はまだましな方だったと言える。
家族もまだそこまで太っていない、普通体型だと言っていたし(それでも太ってはいたが)、何より中学では成績優秀、昔から活発な性格を知っている友人が多かったので、太っていることを何も後ろめたく感じる必要はなかった。
それに、中学生の頃までは私自身美醜の基準がわからなくて、自分の容姿が優れていないことを知らなかったのだ。
中3の時に仲良くなった、かなり容姿が優れている男友達は私に対して恋愛感情を抱いているようだったし、それ以外の人からもモテた(ただ、この容姿端麗な男友達と比べて私がかなり太っていることに対しては、私自身何か思うところはあった。それにこの男友達は美醜の感覚が壊れているようで、誰よりも男前な自分の顔を不細工だと言っていた。その目で見た私に恋愛感情を抱いていたということは、つまりそういうことである)。
言ってしまえば、自分の容姿が優れていないのに明確に気づいたのは高校生の頃だった。
腹が減った以上仕方がないと、食べるのが好きな私は頻繁にホットスナックを帰り道に食べた。
太っている人間が太るものを食べている姿は滑稽なので、隠れながら食べた。
私は時々、自分の体型をいじられた。
脚の長さを測られたり、太っていると言われたり(実際太っているが)した。
それによって、人並みに傷ついた。
顔については明確な言及はなかったが、周囲の人(とくに男子生徒)が私に対してはかなり不機嫌そうに話すのを見ていると、顔も悪く、太っていて、容姿はかなり悪かったんだろうと思っている。
実際、この頃に撮った写真に写る私は、髪も汚く肌も汚く、笑顔は醜くて眉毛が太い、極度に太った姿をしている。
太るものを食べていたら「そんなの食べてるから太るんだよ」と思われそうだし、痩せるものを食べていたら「そんなの食べてんのに痩せてないじゃん、意識だけは高いね」と思われそうである。
実際、これは誰にも言われたことのない言葉だが、常に思われているのではないかと怯えていた。
それゆえ、外食をするときは店に知っている人がいないかよく探した。
他人からどう思われるかなど大して気にしない私でさえ、こうである。
それほどまでに、太っているということは自信を失くさせるものなのだ。
きっと、太っていて繊細な女の子には、もっと色んな場面で、もっと色んな罵倒の言葉が聞こえているんだろうと思う。
高校の3年間は太り続けた。
受験期が近くなったために高3では外で勉強をするようになり、それに伴って休日は基本外食をした。
毎回、ラーメンやハンバーガーなど、太るものばかりを食べ続けた。
それ以外の時間も、腹が減れば食べた。
食べることぐらいしかストレスの発散方法がなかったのか、元々食べるのが好きだったからなのか知らないが、とにかくよく食べた。
このままだと痩せられない、ずっと太ったままだから、今日で太るものを食べるのはやめようと思っていても、やめられなかった。
「痩せる」ということがかなり遠い道筋のように思えて、どうも継続ができなかった。
その時よく見ていたサイトでは、どうやら私はBMIが28と少しあって、標準体重よりも16.5キロ重いらしい。
時々ダイエットを決意しては数日で諦め、熱意を忘れた。痩せなければという意識、自分の滑稽な容姿に対する後ろめたさだけが常に頭の片隅にあった。
写真に写るときは少しでも痩せて見えるように工夫したし、それでもその後見た写真には他の人よりも著しく太った自分の姿が写っていた。
高3の頃に、こんなに太っていても仲が良くなったクラスメイトとの写真にも、太っているから喜んで写ることができなかった。
太っていて、顔も優れておらず、髪も汚い私には、どんな服を着こなすことも難しかった。
まず、「着たい服」ではなく「着られる服」を着るようになる。
「着たい服」など、考えられなかった。
少しでも痩せて見える服を好んで着た。
どのウエストラインにすると痩せて見えるかばかり気にして、私服を着たときは鏡の前で数分にわたって腰を調節した。
それでも、ふとした時に鏡やガラスに写る自分はかなり太っていて、腕も汚く、特に横から見た時の腰の太さが異常だった。
運動もせずに、友達とも遊ばずにテレビなんか見ているから太っていて垢抜けないんだろうと思っていた。
それでも、垢抜けた人のようにオシャレな格好はしてみたかった。
この汚い顔、太った体でもできるオシャレといえば、髪飾りぐらいだった。だから、髪飾りはよく購入した。
金のピン、青いリボン、カラーゴム、シュシュなど、あらゆるものを買った。青いリボンをつけた日は、いつもより可愛くなった感じがした。
それでもやはり、あまり変わらなかったが。
ファッション誌も読んだりしてみた。
しかし結局、ファッション誌でさえ遠い世界のように感じられ、誌上の情報を断片的に真似してみては全く垢抜けない、そんな様子だった。
街中では綺麗な人しか見かけないし、綺麗な人はどうしてあんなにも綺麗なのか気になった。
同じくらい太っているのに綺麗な人もいた。あの人たちと自分は何が違うのかわからなかった。
成人式でも、私は醜かった。
成人式の頃にはかなり太っていた。両親と横幅が大して変わらなかったし、下ろせない髪によって隠せなくなった輪郭は、顔の肉を強調させた。晴れ着を着たら多少は綺麗になれると思っても、実際には綺麗になれなかった。せっかくの写真も、何も嬉しくなかった。
大学生なってからも変わらず、ウエストラインを調節し続け、周りを気にしながら外食をしていた私は、大学3年生の時に急に思い立ってダイエットを始める。
「暇だから痩せよう」とかの軽い気持ちで、たまたまそう思った日の前日に2万歩近く歩いていたからとか、その程度だ。
痩せるためには食事管理と運動だよな、とか思いながら、食事管理アプリで一番ダウンロード数が多いらしい「あすけん」を入れた。
痩せることは大変ではなかった。
あすけんは、健康的に痩せることをモットーとしているアプリらしくて、(賛否両論あるが)それなりに沢山のものを食べることができる。
ダイエット中でも、世間一般で言われているような「揚げ物は食べてはだめ」とか、「毎回白米の量を半分にして」など、する必要がなかった。
規定値に収めることができれば、ファストフードだって食べられたのだ。
ただ、規定値に収めるために、お菓子を食べることは必然的になくなった。
むしろ、食事管理を通して自分の食生活を数値上で管理できるようになったことで、いつの間にか太ってしまうのではないか・想定外のことが起こってしまうのではないかという不安がほぼ全て払拭され、ストレスがなくなった。
歩くことも苦ではなかった。
脚はかなり疲れたが特に大変さは感じなかったし、モチベーションなども保つ必要がなかった。
歩いている途中、どうしてもしんどくなったときは、6月のライブ(のちに10月に延期になる)までに必ず痩せなければいけないことを思い返したり、曲で歌われている美人な魔性の女のように自分がなることを妄想したりするなどして乗り切った。もっとも、こんな容姿で美人になることを妄想するなど、言語道断であるが。
そうこうして、痩せた。
夏の時期は中弛みなどあったが、合計16キロほど痩せることができた。
ウエストは20cmほど細くなったと思う。
標準体重よりも少し重いが、ダイエット中は体重の数値よりも骨格筋率・体脂肪率などを重視したため、この体重でも見た目は普通の人よりも少し痩せている程度になったのだ。
痩せても大きいままだった胸に対して腰は標準より細く、腕は少し太いものの一般的な太さになっている。
痩せてまず、服を買うのが楽しくなった。
初めて服を買った。大学3年生にして。
ジーンズを履くなど、太い脚が強調されてしまって私には絶対無理だと思っていたが、憧れの黒スキニーを履くことができた。
思い返してみれば、その時はまだダイエットを初めて数ヶ月しか経っていなかったため、まだ着こなすことはできなかったが。それでも当時は嬉しくて仕方がなかったのである。
家族とアウトレットに行くのも楽しくなった。自分の表現したいことが、服で表現できるのが何よりも楽しかった。
6月には、以前買ったスーツがあまりにもブカブカになってしまっていた。そのため、スーツを新調する必要があった。それが何よりも嬉しかった。
周囲、特に家族からも褒められた。私自身は大したことをしたつもりはなかったが、母はことあるごとに私のダイエット成功を努力の結晶だと褒め、認めてくれた。今私は母のダイエットを手伝っている。
遠く離れた祖母も、久しぶりに会った時はずっと痩せたことを褒めてくれたし、それ以降も電話でよくダイエットの話をしては褒めてくれる。認知症が進行したもう一人の祖母も、ふとした時に私が痩せたことに気づいて喜んでくれた。
かなり痩せて、体型も標準に近くなった頃、垢抜けようと思った。
眉毛も剃った。3分の1の太さにまで削った。これで丁度よかった。
そして、メイクの仕方を変えた。スキンケアを覚えた。色んなものも買った。パウダー、マスカラ、ビューラー、グロス、コンシーラー、アイライナーなど。
黒いアイライナーを引くことで、私の強い目力はちょうど良いほどに強調され、かなり化けるようになった。時期は大学3年の12月ごろ。
黒いアイライナーは、たまたまYoutubeで見ていた動画に出てきた女性が黒いアイライナーを使っているのを見て、真似して買った。安物だが、これが私からしたら魔法の道具だった。
もとの顔も、痩せて眉毛を削れば悪い顔ではなかった。少しばかり人中が長いが、その程度大したことはない。
顔の比率も理想に近く、肉の取れた輪郭は綺麗な卵型で(若干面長だが)、顔は普通のサイズよりも小さい。昔から姉と母に言われていた言葉(太っていたので信じていなかったが)は、本当だった。目の大きさも平均値より大きく、力強い目は目鼻立ちをはっきりとさせ、鼻筋もある程度通っている。目と眉毛の距離が近く、口も大きく、芸能人レベルではないがまさに顔タイプエレガントといった形だ。キリッとした顔つきは、周囲の人に賢そう・しっかりしていそう・頼りになるといった印象を持たせる。縮毛矯正をし、アイロンで伸ばした髪は、顔の力強さに負けていない。あの太かった眉毛に伴う長いまつ毛は、私の目の美しさを作り上げている。立体的な造形の顔と長頭の形は横顔の形を綺麗にし、腰の細さを強調させる。
この顔が、さらにメイクで化けた。黒いアイライナーはよりはっきりした目へ、書かれた眉毛はより凛とした表情へ変化させ、色白で力強い顔には真っ赤なリップも映える。赤いアイシャドウや濃いチークにだって負けず、それどころかより顔を華やかに彩る。マスクを取っても、整った顔立ちは変わらなかった。マスカラではっきりとさせた長いまつ毛は、少し目を細めて現れた奥二重に重なって、憂う表情を美しく彩る。
街を歩けば、通行人が振り返った。周囲の男子学生や男の人が私にだけ優しくする場面だってあった。よく色んな人から眺められた。見惚れられた。彼氏もできた。いつも私の顔を美人だと言ってくれる。ネット上のコミュニティでは、私が美人だという話がよく話題になった。実際に出会ったネットの友達は、女慣れしている人でも私の姿を見て固まっていたし、明らかに優しくなっていた。どうやらその後、写真で見るよりもずっと美人だったと言いふらしていたらしい。私の姿を見て美人だと言わない人はいなかった。昔はあんなに綺麗に見えた通行人も、今思えば普通の人だ。
醜く太った、毛深く垢抜けない女から、誰もが認める美人になった私は、お洒落に目覚めた。真っ黒なワンピース、激しいピンクの色、かっこいいベストなど、強い色の服や上品そうな服を身に纏った私は、ミステリアスで不思議な魅力を持つ美女とも言えた。イヤリングは顔の煌めきを増大させるし、特殊な色のネイルにだって負けなかった。
痩せて美人になってからの私は、よく音楽を聴くようになった。聴く音楽の対象が変わった。
美しい歌声で歌われる妖艶な曲に自分を重ね合わせたし、繊細さを重ね合わせたような曲のような価値観を持ってみたいとも思った。私の容姿だと、そのような価値観を持っていてもきっと絵になると思ったからだ。私はここ数ヶ月間、美人な自分と美しい曲を重ねては、綺麗な自分に酔いしれ続けている。それはもう、異常なまでに。
きっと今までずっと醜く、虐げられるように生きることを続けてきたから、その反動が大きかったのだと思う。もう周りを気にしながら外食をする必要なんてない。大手を振って表を歩ける。私は痩せて美しくなってから、以前のようにこそこそと生きる必要は無くなったのだ。
そしてこれからしばらく、美しくなった自分に酔いしれ続けるのだと思う。綺麗な服を集め、もっと上品になって、周囲の人からは高嶺の花として扱われて生きるのだ。
それでも、つい一年前まで醜かった自分の影は消えない。私が美しくなったのはここ数ヶ月での話しだから、それまでに虐げられてきた記憶の方がずっと長い。目を閉じれば、高校生の頃のクラスメイトの男子生徒の、私にだけ雑な扱いをする様子がフラッシュバックする。今だって、太っている人や不細工な人を馬鹿にする言葉には腹が立つ。容姿が優れている友人と扱いが違うことを語った漫画やツイートには、思わず共感して読んでしまう。所詮ここ数ヶ月で綺麗になっただけの私は、外見が変わろうとも中身はほとんど全く変わらないのだ。昔の醜かった自分を見下し、悦に浸りたくとも、浸り切ることはできない。
しかし、やりたいことはある。太っていると周囲の人が本性を表すとは本当のことで、きっと私に対して明確に態度が悪かった人は、そういう人なんだろうと思う。そして、私が太っていた時から仲が良かった人は、本当にいい人なのだ。
私のことが、高校の頃から好きな人がいるらしい。もうすぐ4年になる。私は彼に対して恋愛感情はなかったので、ずっと見てみぬふりをしてきたが、もし今の彼氏と別れたら、会いに行こうと思う。
その友人も容姿はそれほど優れていないし、言ってしまえば内気な人だ。きっと、人の容姿などもあまり気にしないんだろうと思う。
それでも、こんなに美人になった私をみてほしい。彼が好きになったのは私の容姿ではないにしても、昔よりも綺麗になった私をみて、感動してほしい。そして、それでも中身は変わっていないことを伝えたい。
鉄道がらみの歌や踊り、芝居やコント?などをちょいちょい見かけるのだが、その中でたまに「蒸気機関車」を模したと考えられるジェスチャーやってるヤツいるじゃん。
あれ、十中八九というか99%くらい完全に間違ってるので、「あ〜、まちがった振り付けされて可哀想だねー、恥ずかしいねー」て見てられなくなる。いわゆる共感性羞恥っていうんですかw
ヒジを曲げて両手のひらを向かい合わせて左右対称で前後に動かすフリは全くの間違いですから! 残念!!
蒸気機関車は、通常、左右に1対のピストンが蒸気の圧力で往復運動するのを動輪の中心軸から少し離れた位置に連接棒で繋ぐことにより回転運動に変換する。
GIFでみてくれ https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dc/Steam_locomotive_work.gif
ピストンが伸び切ったところが上死点、もっとも縮んだところが下死点と呼ばれていて、そこの位置ではどんなに蒸気の圧力があっても回転運動を起こせない。左右対称で(もしくは180度反対側で)ピストンが連接されていたら、上下どっちかの死点で止まっちゃったら2度と動けなくなるのだ。
蒸気機関車の走る擬音で「シュシュポッポ」というのは、90度ずれながら「上死点、上死点、下死点、下死点」の順で360度回るときに弁が開いたり閉じたりすることにより、そのような音に聞こえるのだ。
オレがテレビで見た範囲では、タモリさんだけが、このことをちゃんと表現した蒸気機関車のジェスチャーをやっていた。ホントにあの人は侮れないw
多様性だし年齢や性別に囚われず好きなファッションするのは構わんけど、ドレスコードやTPOってご存知?って感じ
オタクとか関係なく、30くらいの女ってある程度社会経験あるはずなので、予約制だろうホテルのアフタヌーンティーに下っ腹パツパツの短め丈ワンピにキャラコラボシュシュは場違いってチラとも頭をよぎらんのがすごい
雨に濡れるのが嫌ならタイトめな七分丈パンツにリボンブラウスとかじゃだめだったの?
増田って現行で精神病んでる人か学校卒業してから就職せず10年くらい引きこもりかフリーターやってた人?それならまあ…しゃーないかな?
知人にも年齢省みずミケポムチムチ体型を隠さずピッチピチの服で露出する人間がいたり、髪の毛伸ばしっぱ、ノーメイク、昭和キッズみたいな首もと伸びきった汚いシャツに作業着みたいなサイズ合ってないダルンダルンのズボンあわせるみたいな人間がいるけど、基本そういう人って何言っても響かんのよ
昨日、半年ぶりくらいに幼馴染と遊んだ。台風予報だったので、出歩かずに遊べるように、とホテルのアフタヌーンティーに行くことにした。
一杯目の紅茶を持ってきてもらって、さて何の話をしよう、という段階で、幼馴染はにっこり笑って、この後買い物に行こう、と言ってきた。こんな雨の日に何を買うの?と聞くと、私の服を買う、と言った。お金は出すから、服を買って着替えて欲しいと言われた。
私は、あなたに服を買ってもらう理由がないし、欲しい服もない、と言うと、幼馴染は、もう色んな意味で限界なので、むこう数年分の誕生日プレゼントだと思って受け取って欲しい、と言った。目が笑ってなかった。
そんなに私の服はダメなの?と聞くと、幼馴染は頷いた。それから、今日で縁が切れてもいいから、まずは思ってることを言わせてくれ、と言われた。その勢いに圧倒されて、まずは話を聞くことにした。
幼馴染は私を一瞥し、そのスカート丈はなんだ、と言った。雨で裾が濡れるのが嫌だったので、私は丈の短いワンピースを着ていた。ギンガムチェックのシャツワンピースで、胸の前でリボンを結ぶ可愛いやつだ。一方の幼馴染はロング丈のワンピースを着ていて、ホテルに着くまでに裾が濡れてしまっていた。私の服の方が理に適っている、と言い返すと、35の女がミニ丈のシャツワンピースなんて着るな、と言われた。おまけに、シャツのボタンが弾けそうで、サイズも合っていない、とも言われた。私は標準体重ではあるが腹回りに肉がつきやすく、まあ確かにボタンがぱつぱつになっている。でもボタンはとまっているし、Mサイズも問題なく着れている、と言い返すと、そのボタンはとまってるとは言わないし、Mサイズも着れているとは言えない、と睨まれた。
それから、幼馴染は私のピアスとシュシュを今すぐ外せ、と言った。どちらも推してるゲームのコラボグッズで、推しキャラをモチーフにしている。髪が湿気でペシャンコになるのでシュシュでまとめているだけだし、ピアスだってちゃんとシルバーでできてるやつだと言い返したが、35の女がでかいリボンのついたシュシュや、星とハートのついた大きなピアスをするな、と言われた。
全否定もいいところだったので、私は何でそんなことを言われなければいけないのか、好きな服を着させてくれ、とほとんど泣きながら言い返した。幼馴染はため息をついて、アニメのイベントやアニメイトに行くなら好きな服を着てアニメとコラボしたアクセサリーでもなんでもいいが、ホテルのラウンジでアフタヌーンティーをすると決めていたんだから、相応の格好で来てほしかった、と冷たく言い放った。
窓に向かい合うような席で、外が暗いので窓は鏡のようになっていた。よく見ると、確かに私と幼馴染は全然違う格好をしていた。幼馴染の外見は落ち着いていて、シックなホテルのラウンジという場にも馴染んでいた。それに比べると、私は確かに女子大生みたいな格好をしていた。
私は童顔で小柄だから大人っぽい服が似合わないし、だから可愛い服が着たい、と食い下がると、幼馴染は、あんたは別に童顔ではなくて普通に35歳に見える、とため息をついた。背が低いだけで小柄でもないし、なんなら体格だっていいよ、とも言ってきた。
私はしんどくなって、お茶も飲まないでラウンジを飛び出した。ホテルのトイレにこもって20分くらい泣いて、そのままラウンジには戻らずに家に帰った。お金も払わなかったけど、あんなに私を傷つけたんだから幼馴染が困ればいい、と思って、連絡も入れなかった。
一日経って、幼馴染からLINEが来た。悪かった、あなたが何を着ようとあなたの勝手で、私に口出しする権利はなかった、と謝られた。その通りだと思ったけど、何となく突き放された気持ちにもなった。
今まで、自分が好きな格好をすればいいと思ってた。他人が自分をどう思うかより、自分が着たい服を着ればいいと思ってた。年齢に縛られるよりも、欲しいものを買った方がいいと思ってた。
私のクローゼットの中には、ミニ丈のワンピースやフリルのスカート、キャラクターもののTシャツ、推しとコラボしたバッグなんかがたくさん詰まっている。アクセサリーボックスにはアニメイトや通販で買ったピアスやブレスレットが入っている。持っている靴にもリボンやレースがたくさんついているし、スニーカーだって、そういえばアニメコラボのピンクのものだ。確かに、私は10年前と、なんなら20年前と同じような格好をしている。もしかして、幼馴染がいうように、私の服っておかしいのかな、と思い始めた。
同居している母に、私の服ってダサい?と尋ねた。あんたダサいとかそういう感覚あったんだ!もうそういうの気にしてないんだと思った!と言われた。1番側にいる親が、私のことをそういう風に見てたのも、こたえた。
今日は一日家にいて、youtubeとかインスタとかで「30代 ファッション」をずっと検索していた。検索して出てきた服は、スカート丈が長くて、色味も抑えられていて、柄も無地だとか小さいものが多かった。あと、リボンとレースとフリルがついているものはほぼなかった(どれかがついているものはあっても、全部盛りみたいなのはなかった)。
さっき、母に、私どんな服着たらいいかな、と聞いたら、普通にユニクロで買えば?と答えられた。ユニクロで全身揃えるなんてダサい人がすることだと思っていたけど、今の私はそれ以下らしいので、明日ユニクロに行こうと思う。昨日、幼馴染の言うことを聞けば、服も一式買ってもらえたし、ユニクロよりいい店を教えてもらえたかもしれないので、ちょっと失敗したな、と今更ながらに思っている。
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幼馴染には昨日電話して、勝手に帰ってしまったこと、アフタヌーンティーの代金を踏み倒したことを謝った。お金を返す、と言ったが、傷付けたのはこっちだから、と受け入れてくれなかった。こういうところも含めて私は子供っぽいんだなと思った。服を買うのに付き合ってほしい、とお願いしたら、まあ、そのうちに、と濁された。
TPOについては、なんならホテルを意識して襟付きのワンピースを選んだつもりだった。ただ、買ったのが池袋のサンシャインの中の店で、学生時代から通っている店だったから、それがまずおかしかったのかも、と今更ながら思っている。
体重もずっと標準体重だから、ダイエットとか運動とか考えたことがなかったし、太らない体質くらいに思っていた。でも、よく考えたら人生で一回も細いとか華奢とか言われたことはなかったから、痩せてはいないんだと思う。化粧も最近はマスクをすることもあり、適当だった。
会社は制服があるから、Tシャツとショートパンツとサンダルとかで普通に通勤してた。自分より若い子がいないから、みんな私の服についてコメントしてこなかった。
好きな服を着なよ、というコメントもたくさん見た。それはその通りだと思う。けど、私は好きであの可愛いギンガムチェックのワンピースを着ていたのか、学生時代からの惰性で選んでいただけなのか、今となっては分からない。
ミモレ丈の人の記事も当時読んでた。あの人はお金の使い方も荒いし服もカジュアルだったと認識しているが、私は貯金もしてるし服も(サンシャインでだけど)こまめに買ってるから、自分の方がまともくらいに思っていた。
とりあえず、自分が色んな意味でかなり幼いことは分かった。服に限らず、誰に何を言われても構わない、私の好きにするって思っていたけど、もう少し年相応というか、世間体みたいなのを意識して生きていきたい。