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はてなキーワード: 万葉集とは

2022-07-18

anond:20220718174150

競技かるた百人一首は「ちはやぶる」って読むよな

漫画の方は読んだこともないけど、今気になって映画の予告動画見てみたら「ちはやふる」って発音してた

理由はわからないけど実態はそうらしい

ちな、万葉集の頃から清濁両方ありだったらしいし、なんなら競技かるたも濁らせないほうが正しいと言ってた時代もあるらしい

結局明確な答えはないとかいうはっきりしないオチになってしまったが、おかげで勉強になった

2022-07-16

山上による安倍晋三銃殺事件長屋王呪い・・・

山上憶良の件を調べたら面白い事が分かった

山上憶良と深い関係にあった長屋王藤原四子陰謀死ぬんだけど、藤原四子末裔安倍だった。

しか安倍銃殺された場所長屋王が死んだ場所とほぼ同じ

まり1300年越しの復讐山上徹也によってなされた形になってる

しか長屋王の変に関連して成立してるのが万葉集

長屋王祟りを鎮めるための祭り祇園祭

祇園祭が中止になって万葉集から取られた『令和』に藤原四子末裔安倍山上によって殺されるという

なんかもうこれ長屋王呪いやんみたいなことが起きてる

2022-06-05

anond:20220605024921

「うららか」という語自体は、万葉集の有名な歌「うらうらに照れる春日ひばり上がり心悲しも一人し思えば(大友家持)」にあるように、古くからある和語に由来する。もっとも、古語にある語だからといってそれを名前にするのが適切か否かは別問題

ただ、名前について時代に合っているか否かを考えるのは正直無意味な気もするので(落語寿限無ではないが、そんな議論は昔から果てしなく繰り返されており意味がない)、難読でなく周囲が呼びやす名前であればそれでよいと思う。やれ「子」のつく名前の子は賢いとか、逆にシワシワネームだとかいろいろ言うが、「子」のつく名前女子名前としてメジャーになったのは20世紀も後半の話で伝統というほどの歴史もない話。それがすでに廃れ始めていることを考えれば、今生まれた子が死ぬ頃には、また全然違う常識が「伝統」のような顔をしていることだろう。ただ、自己満足に陥った名前がいただけないのは事実名前は周囲(社会)とのかかわりに関するものなので、周囲に受け入れられにくい名前だと思えば避けた方がよい、という判断はアリ。その意味では、今なら最低限「うらら」でネット検索して、語感や関連するものが何か、他人からどういう風に受け止められるかくらいは調べてから命名するのがよいんではないだろうか。別に、今から命名するって話じゃないんなら関係ない話だけど。

2022-01-27

ネタバレあり)今日読んだBLと、頑張って再読した非BL

しまちゃん家の番事情』(三日ミタ)

あらすじ

 しまちゃん家にはパパが二人いる。能天気マイペースな茜パパと、理性的で優しい葵パパだ。

 そんな二人に愛されすくすくと健やかに育ったしまちゃん。ところが、授業参観の後、パパが二人いてママがいないなんて変だとクラスメートに言われてしまう。

 「変じゃない」と言い返したしまちゃん。だが、しまちゃん自分家族に何の不満もないものの、茜パパと葵パパがどうして結婚したのか、ふと疑問に思ったのだった。

 授業参観の帰り道にパパ二人に疑問を投げかけたしまちゃんに、茜パパが葵パパとの馴初めを語ってくれた。そう、初めての出会いは、葵パパの「秘密基地」で……。

 二人のパパ達のちょっと物騒な青春物語

増田感想

 オメガバース作品オメガバースとはなんぞ? というのは、ググれば私の説明よりもよっぽど解りやすい図解がいくつも出てくるので割愛

 私は普段、ツルツルテカテカな絵柄のビーボーイコミックスってあまり読まないんだけれども、表紙が助平じゃない作品は当たり率が高いという個人的観測により、試し読みを読んだ。そしたらパパ達の過去話の出落ち感が気に入ってしまい、購入してしまったという次第。実際のところ、わりと当たりだった。

 オメガバース設定の作品性質悲惨になりがち……特にΩのほうが。そして悲惨暮らしぶりのΩが理解のある彼くんに出逢って幸せになるというのがよくあるパターンのようだ。

 だが、本作は型破りなストーリーだった。つまり、野性の本能に振り回された挙げ句の不幸展開ではなく、αもΩもそれぞれ本能を抑え着けてお互い相手を気遣って着々と幸せになっていったという、そんな結婚生活の序章話。

 このご時世なんで、なるべくポリティカルコレクトネス配慮したストーリー構成なのだろうか……。BLという時点で男性同性愛者の性的搾取だろけしからんと言われたら終わりだけれども。まあ、Ωが一方的にヤられて不幸になる話よりはストレスなく読めていいと思った。

 茜と葵の若い頃に使っていたガラケーの型からして、彼らは00年代半ばくらいに高校生だった模様。ということは、現在は見た目は若いけど30代半ば。で、娘のしちゃん小学校低学年ぽいので、彼らはガチ計画的人生を歩んできたことがわかる。芸が細かい……。

 とはいえエロシーンはエロい。別にエロエロいのは悪くないけど、個人的あんまりけが派手にトロ顔するのは好きじゃないんで、そこだけは微妙と思った。

 あ、これはネタバレになるけど、彼らはちゃんゴムは着けていたというのが後のページに書かれていて、そんな後出し設定をだされてもなと思いつつ、ページを遡ってみたら、ほ、本当にゴムして致している!? それを修正が入らないように描くだなんて、なんつう芸と配慮の細かさなんだ……。半端ねぇ。

 オメガバース設定はその性質物語のよくあるパターンから、ずっとBL読みから批判され一部から嫌悪されて来たのだけれども、批判される部分を全て排除した作品も出て来るとは……。これもまた業界自主的表現規制のたまものかと思えば、良し悪しだなぁ。そもそも女性向けの作品で今時は古風な嫁入り譚とかが書きづらくなってきたというのも、オメガバース特殊設定が流行った原因の一つだと思うので、オメガバまでクリーンになると行き場のない物語の受け入れ処が更になくなってしまうのでは。


再読『その花の名を知らず』および『左近の桜』シリーズ長野まゆみ


左近の桜』シリーズとは。

 この世ならざる者をホイホイ拾い、しかもまぐわうことで相手成仏させるという特殊スキルを持った若者左近桜蔵(さこんさくら)を主人公とした短編~中編連作集。シリーズは『左近の桜』『咲くや、この花』『さくら、うるわし』『その花の名を知らず』の全部で四作品刊行されている。


『その花の名を知らず』のあらすじ

 大学生の桜蔵は、父方の祖父墓参りに行く為にバスに乗った。そこで彼はまた自分が異界に迷い込んだことを察知し身構えたが、起きたのはなんと交通事故

 そこで物語は四年前、彼が高校に上がる春に遡る。祖父の遺品を祖父の縁者に形見分けをする際、遺品の一つが函だけを遺して中身がないことが判明。桜蔵は無くなった茶碗〈ざくろ〉探しの手伝いをすることになった。桜蔵は〈ざくろ〉の手がかりを求めて、祖父の生家・白鳥家の家系を辿るが……。

増田解説感想

 『さくら、うるわし』までは幻想小説の体だったが、『その花の名を知らず』はそこにミステリー要素が加わる。といっても、殺人など事件が起きて主人公がその解決にのり出すという話ではない。テーマは茶碗〈ざくろ〉の行方探しというよりは、茶碗探しにかこつけて桜蔵と血の繋がりのない父親・柾の系譜を遡り、彼らの因縁を解き明かすことにある。

 そもそも、『左近の桜』シリーズのはじまりは、桜蔵が柾に懐いた疑問、「どうして柾は子どもを持つことにしたのか」なので、今回もまたその謎に、一族系譜を紐解くことで迫ろうということのようだ。

 私はずっとこのシリーズをなんかよくわからん幻想小説と思って読んでいたので、物語ミステリー要素があるということを完全に見逃していた。なんなら、あれだけ頻繁に登場しまくる柾をただの味のある脇役くらいに思っていたりとか……。なんだかなぁ、すごい訳わかんない話だけどなんなのこれ? と。

 ところが、最新作『その花の名を知らず』を読んでみて、既刊とテイストが違いミステリー要素があるのは一体何故なのかと不思議に思い、それから万葉集などの和歌謡曲などの引用があるのが気になった。もしかすると、このシリーズは単なる思いつきとインスピレーションで書かれた幻想小説というより、何らかの大仕掛けが仕込まれた大作なのでは? と思い付いて、シリーズ一作目から全部読み返した。ああ疲れた

 細かいことは全部省くけど、『左近の桜』ワールドには「蛇性」というかつては水神を祀っていた一族……その者達自身が蛇あるいは水神なのかも……と、その伴侶となる「女」の血筋があって、前者が柾の家系後者が桜蔵の血筋のようだ。桜蔵の育った左近家は、何故か「女」の血を継いだ男の子を、養子にするなど何らかの形で代々引き取ってきたらしい。

 「蛇」も桜蔵の血筋(おそらく、『左近の桜』に出てきた「とても長生きな蜃=龍の子ども」というのがこれだ)も長寿だというが、家系図をみれば、柾の先祖にも桜の先祖にも誰も度を超えて長生きした人物はいない。「長寿」というのは、血統が絶えることなく長く続いているという意味なのだろう。

 そもそもタイトルおよび主人公の名が「左近桜」に由来している。左近桜は京都御所にあるとても長い歴史を持った桜だが、すごく長生きな一本の木なのではなく、枯死するごとに新しい桜を植え替えて守り続けて今に至るものだ。『左近の桜』シリーズにおける「長寿」も、そういう意味での長寿なのだと思う。

 まあそういうわけで。桜蔵は「蛇」の伴侶になる「女」で、彼の戸籍上の父親の柾は「蛇」だ。柾は過去に彼の最愛の「女」を亡くした模様。そこで柾は桜蔵を自分のあたらしい「女」にするべく桜蔵を育て、彼が大人の「女」になるのを待っているのか、それとも単に「女」を育てるのが自分の役目と思って育てただけなのかは、『その花の名を知らず』でもまだ不明

 まあ、柾×桜蔵というカップリングが成立するのかどうかってとこだけど、年齢差が20歳以上もあるから、どうなるんだか。

 『その花の―』はストーリーの大部分が桜蔵の子ども時代の話で、柾と桜蔵が親子らしくキャッキャしているシーンが微笑ましくてよかった。それを読まされると、あーこの二人がカップリングになることは無いかもしれんなぁーという気もしてくるけども。



『猫道楽』(長野まゆみ

あらすじ

 「猫飼停」と呼ばれる豪奢な屋敷に棲む兄弟達のもとへ、とある必然によって引き寄せられた男達のなんやかんや。

増田感想

 『左近の桜』シリーズみたいに深い謎があるわけではない、肩の力を抜いて読めるちょっとえっちBL短編連作小説だったー。

 猫シッターアルバイトのつもりがセックスポジション的な意味で猫にされてしま大学生の話から始まったので、猫飼停に住まわされて客を取らされる話かなあと思ったら別にそんな話ではなかった。

 BL要素以上に、猫飼停の和洋折衷の豪華絢爛な内装や調度を想像するのが、とても楽しかった。

 

今回はこれまで。最近BLレビューサイトのくじが当たらないし、長野まゆみ先生新刊待ちでBLに使えるお金が乏しいので、BL日照りだ……。

2021-11-25

日本語の原郷」について、補足説明

「『日本語の原郷』についての論文を読んでみた」(anond:20211121124146)を書いた増田です。思ったより多くの反応があって嬉しいので、調子に乗ってはてブの反応に対して補足説明みたいなのをしてみます

言語学でわからないところを他の学問補正するのはアリ?

そもそも言語学では分かりようがないところを考古学遺伝学の視点から補正したっていうのがあの論文の眼目だと思うので、言語学の面だけ否定しても…

こういう意見がみられましたが、少なくとも考古学遺伝学の成果から言語については何もわからない、ということを強調しておきます

極端な例を挙げると、100年前にアメリカ移住した日本人の子孫で、ご家庭でも英語しか使っていない日系アメリカ人のことを考えましょう。彼もしくは彼女遺伝的には日本列島に遡ることができます(おうちを探すと日本列島由来の品が出てくるかもしれません)。では言語的には? 彼もしくは彼女が話しているのは英語であり、英語というのは印欧語族ゲルマン語派西ゲルマン語群アングロ・フリジア諸語に分類されるイングランド発祥言語であるわけです。どれだけ遡っても日本列島には行き着かない。「この人は遺伝的には日本列島出身なのだから英語起源日本列島にあるんだ!」なんて話はおかしいでしょ?

古代にどのような人口の変動があったのかはわかっていません。移民同化が起きたのかもしれない。婚姻によって遺伝子が混ざりあった可能性もある。その場合遺伝子の伝播と言語の伝播が異なるルートである可能性もあります遺伝子はヒトの移動について詳しく教えてくれるけど言語の移動についてはなんも教えてくれないんですよ。せいぜい傍証になるだけ(「言語学観点からは○○語は××地域あたりが原郷だと思われるが、遺伝学で調べてみたら××地域からの大規模な人の移住があったっぽいので、このとき言語も広まったんだと思われる」みたいな)。

ニュースになるのは仕方ない

と言うことで、こんな与太話、なんで毎日新聞記事にしたの?と周りの研究者が頭をかけている、と言う話なのかしら。

様々な仮説があるのはいいけど、定説化とか定説エビデンスによって覆されたとか以外はニュースバリュー無いと思うんだが、なぜ報道されたのか。

いやー、Natureマックスプランク研究所研究者が載せた日本に関する斬新な論説をニュースにするな、という方が無茶じゃないでしょうか……

正直、これメディアを責められないと思うんですよね。実は著者のロベーツさん、去年オックスフォード大学出版からオックスフォードトランスユーラシア語族ガイドブック』なんて本を出してるんですよ(Robbeets and Savelyev 2020)。天下のオックスフォードUPから『~語族ガイドブック』なんて出てたらその語族実在は学界の定説になってるって勘違いちゃうのも当然っていうか……これ、今回は日琉語だから気づけたけど、パプアニューギニア言語とかでやられたら引っかからない自信ないです。

なおその『ガイドブック』には辛辣書評が出てます(Vovin 2021)。掻い摘んで批判の内容を紹介すると、「分析されてるのが現代語ばっかりやんけ」「系統関係があるって言うなら明確な対照表を示してみろや」「中期朝鮮語の再建がおかしいけどちゃん韓国語の先行研究読んどるんか?」「“leading international scholars”が書いたガイドブックって謳ってるけど著者のうち6人は院生じゃねーか」みたいな感じです。さらには、

We move now from the bad quality of research to the realm of science fiction in Table 39.1 that is supposed to present core Koro-Japonic etymologies. But there is at least one mistake and/or data fabrication on every line. (Vovin 2021: 126)

なんて書かれてます。怖ぁ~……おしっこちびっちゃう……

大野晋トンデモです

大野晋先生が生き返ってあと数十年研究してくれんかな

これは元増田でも書きましたが、大野晋は、少なくとも日本語起源という点については完全にトンデモです

タミル語はドラヴィダ語族というインド南部語族に属する言語ですが、大野は「日琉語族とドラヴィダ語族はより大きな語族内包される」というありえそうな穏健な主張ではなく「日本語起源タミル語である」という主張をしていますしかし「なぜドラヴィダ語族全体ではなくタミル語比較するのか」「ドラヴィダ語史がまったく考慮されていない」「語義の解釈おかしい」「サンスクリット語から借用語に気づいていない」などのツッコミに対して有効反論ができていない上、ツッコミを受けた箇所をしれっと書き換えたりツッコミを入れた人たちに人格攻撃を加えたりしています長田 1998;児玉 1996;山下 1996; 1998)。やり口がもうきちんとした学者のそれではありません。

大野語源論が誤っている一例として、amarar「不死なる者」という単語について挙げておきます大野はこれを日本語「あま」と関連付けて「天上界の人」の意だと解釈するのですが、これはサンスクリット語amara「不死の」から借用語です。これはさらにa-maraと分解でき、a-は否定接頭辞、そしてmaraの語根mr英語murderやmortalとも関連しています(つまり印欧祖語に遡る語ということであり、どう考えてもタミル語起源単語ではない)(山下 1996: 204–205)。

八丈語系統位置について

日本祖語から琉球語、もう片方の枝が本土語と八丈島語に分かれた系統図を覚えてたんだが、あれからずいぶん研究が進んでるんだなあ。/20年前に既にずいぶん版を重ねた本で得た知識から当然か…。

五十嵐2021)の説は発表されたばかりなので「定説」といえるほどではないですが、きちんとした分岐学手法に基づいて系統解析してるんで個人的には信用してます

で、従来説における八丈語位置づけですが、正確には、上代東国語の唯一の生き残りが八丈語というものです。つまり、「本土日本語派」がまず上代日本語(OJ、奈良など当時の首都で使われていた言語)と上代東国語(『万葉集』の東歌と防人歌に痕跡が残る)に分かれ、後者八丈島(&青ヶ島)以外では滅んだ(=上代日本語同化された)ため、現代では八丈語日本語対立するひとつの語派を形作っているということです。

系統樹にするとこんな感じ(樹形図をどう書けばいいのかわからないんでとりあえず「うんこするの?」の樹形図からコピってきたんですが、見づらかったらすみません)。

日本祖語 ─┬─ 上代日本語現代日本語

        │

        ├─ 上代東国語→絶滅

               │

               └─ 上代東国語の八丈島方言八丈語

この樹形図から絶滅した言語を取っ払って現代にのみ注目するとこうなります

日本語派 ─┬─ 本土日本語

      │

       ├─八丈語

それに対して、五十嵐2021)は、上代東国語は滅びたわけではなく、表面上は関西からの影響を受け続けたものの、現代関東東北地方方言として生き延びていると主張しています。つまりこういうことです。

日本祖語 ─┬─ 上代日本語関西の諸方言

        │

        ├─ 上代東国語→関東東北の諸方言

               │

               └─ 上代東国語の八丈島方言八丈語

八丈語が際立って特殊に見えるのは、この言語が失われた東国語の唯一の生き残りだからではなく、他の東国語の末裔茨城弁とか)と比べて中央からの影響が少なかったため東国語の特徴が保たれたおかげだ、とするのが五十嵐説です。

要するに、「東国語は滅んだ(=東国話者が完全に同化された)」のか(従来説)、それとも「東国語は生き残っている(=東国話者中央からの影響を受けたけど完全に同化されはしなかった)」のか(五十嵐説)、という違いです。個人的には後者妥当じゃないかなーと思うんですが、どうでしょうか(だってそんな大々的な言語置き換えはどうやって起きたの? ってなりません?)。

なお、五十嵐2021)だけでなく、元増田でも言及したローレンス(2013)も、八丈語には他の東日本の諸方言と共有される要素が見つかり、それは西日本の諸方言には見られず、したがって八丈語東日本の諸方言の内に位置づけられる(=八丈語本土日本語対立する系統であるとする旧来説は誤り)と主張しています

味噌」の語源朝鮮語

日本語に興味のある&研究手法を学んだ”素人には、この論文言語部分はとても怪しい。増田の指摘以外に日本語の粟を他言語大麦の借用としたり、味噌(未醤)を漢語ではなく朝鮮祖語からの借用にしたりしてる。

実は増田もそれを見たとき「えっ……?」って思ったんですが、否定できるほどの根拠を持ってないので書きませんでした。確かに先行研究では意外な言葉朝鮮語から借用語だとされてることがありしょっちゅう驚いているので(たとえば「つち」とか)、「味噌」が朝鮮祖語からの借用というのをありえないと即断することはできないんですが……。

いちおうここで論文の内容を紹介しておくと、『鶏林類事』に[mitsu]という語があって、そこから朝鮮祖語*micuを導き、平城京木簡みえる「末醤」から上代日本語の*misoあるいは*misəを再建し、それは朝鮮祖語*micoもしくはその交替形*micʌからの借用である、という議論になってます。これだけじゃ門外漢増田には当否がわからんのですが国語学的にはどうなんです?

なお、該当箇所に、

...This fragment preserves the following inscription: 御末醤一石二斗, i.e. HON-“bean paste” reads as miso. The Wamyoshō, a Chinese to Middle Japanese dictionary compiled in the mid Heian period has the same kanji (末醤) glossed as miso (美蘇)...

とあるのですが、「一石二斗」の部分いらなくね? とか、転写するならWamyōshōじゃね? とかはケアレスミス範疇だろうから突っ込まない方がいいのかな……

やはり女王は強かった

マイルCSグランアレグリアが有終の美を飾ってくれて最高でしたね……あとはコントレイルジャパンCで有終の美を飾ってくれれば……実はまだ「三冠馬が勝つ」ところを見たことがないので、一度は見ときたいなぁと(にわかですいません)。

「この分野は素人なのですが」

本当に素人なんだけど何でみんな信じてくれないんです……?

参考文献

2021-11-21

日本語の原郷」についての論文を読んでみた

歴史言語学についてはまったくの素人だけど、最近話題になった「日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表 | 毎日新聞」(はてブ)っていう記事の元になったロベーツらの論文(Robbeets et al. 2021)を読んでみたよ!

結論

うさんくさい

前提知識

うさんくさい理由1:その系統は正しいの?

トランスユーラシア語族系統関係、ちっとも証明されてなくね?

著者のロベーツは過去に著書(Robbeets 2015)を出版して、そちらでトランスユーラシア語族系統関係証明したとしているようである。残念ながら増田はその著書を読めていないので、著書の方では厳格な比較言語学手法系統関係証明されているというなら恐れ入谷鬼子母神シャッポを脱ぐしかないのだが、正直言ってめちゃめちゃ怪しく見えるよ……この論文では農業関係の語に絞って借用も含めた系統が論じられているんだけど、正直かなり無謀な気がするし、なんでこれでトランスユーラシア語族証明された扱いになってるのかちっともわからん。さすがに著書の方では基礎語彙の対応に基づいた議論してるんだよね? うーん……

かいツッコミになるけど、論文のSupplementary Informationで、お米を表す「まい」という語について論じている。著者らは琉球祖語に*maïを再建するんだけど、そこから派生した語形として与論語mai、沖縄語のmeeやmeと並んで奄美語misiやmiisɨを挙げている。いやいやどう考えても後者「めし」転訛だろ(標準日本語のエ段に対応する母音琉球諸語だとしばしばイ段になる)。まさかとは思うけど「まい」と「めし」区別がつかないで日琉語の系統を論じてるの?

追記:「それそもそも呉音じゃね?」というid:nagaichiさんの指摘を受けて追記。この論文ではちゃんと「The Chinese loan morpheme is also found in Sino-Japanese mai and entered Proto-Ryukyuan as *maï ‘rice’」と書かれていて、漢語から借用語であることは前提になってます。これは日本語の「早稲(わせ)」が朝鮮祖語*pʌsalから来てるんじゃね? っていうことを説明してるパートに付け足された部分で、借用語であることが誰の目にも明らかな「まい」に言及するのは蛇足じゃねーのと思うんですが……)

っていうか日琉祖語や琉球祖語の「土」が*mutaになってるけど何これ? *mitaじゃないの? 日本語方言形にmutaがあるから*mutaを再構したのかな? でも先行研究(ヴォヴィン 2009: 11)で指摘されてるように祖語形は*mitaだよね……(cf. 八丈語mizya)(なお標準語「つち」は先行研究によれば朝鮮から借用語

さらに、著者は3年前の論文の中でトランスユーラシア語族系統推定しているが、その系統樹では、南琉球語群(先島諸島の諸方言)のうち、まず八重山語分岐して、次に宮古語与那国語が分かれたということになっている(Robbeets and Bouckaert 2018: 158)。……なんていうか地図見ておかしいと思わないのかな。もちろんそんな分岐絶対にありえないと言うことはできないけど、こんな分岐はこれまでの琉球研究提唱されたこともない。もっと言えば、ウェイン・ローレンス2000; 2006)の言語学的な研究によって、宮古語には見られない改新与那国語八重山諸語が共有していることが明らかにされている(つまり琉球祖語がまず宮古八重山に分かれ、八重山祖語から与那国語分岐したと推定される)。大丈夫? 日本語の先行研究ちゃんと読んでる?

余談。本論文はやたらと琉球諸語から例を引っ張ってきてるけど、個人的には「本土日本語」は側系統であって琉球諸語は薩隅方言姉妹関係にある南日本語派の一分岐だという五十嵐陽介(2021)の分析妥当だと思うので、根本的に日本語琉球語を姉妹群とするかのような系統樹には納得できないんだよな(ちなみに五十嵐研究活字になったのは今年だけど5年ほど前から活発にあちこちで発表されててレジュメはresearchmapで誰でも読める状態だった。まあプレプリント以前の発表原稿の段階のもの引用しろというのは酷だと思うのでロベーツが参照してないのは仕方ない)。考古学的・人類学証拠からは、琉球列島へのヒトや言語流入比較的遅いことが推測されるけど、その頃にはとっくに日琉語は複数系統分岐してるはずなんだからcf.万葉集』の東国語)、琉球語が日琉祖語まで遡る古い系統か? っていうとどう考えても違うわけで。

うさんくさい理由2:他の研究からの評判が微妙

ロベーツらの研究依拠しているソースの1つに、セルゲイ・スタロスチンというロシア研究者による語源辞典がある。しかしこのスタロスチンという研究者は、日本語が「アルタイ語族」に属すという証明のために色々と強引な当てはめをやっているのだ。アレクサンドル・ヴォヴィンは、スタロスチンがいかにテキトーなことを書いているか検討している(Vovin 2005; ボビン 2003: 19–26)。たとえば、スタロスチンは日本語に基づいてアルタイ祖語に*u「卵」を再構するのだが、これはどう見ても「卯」と「卵」の取り違えである。また、スタロスチンは日本祖語に*situ「湿っぽい」を再構するが、「湿」をシツと読むのは音読み(=漢語からの借用)であることは説明するまでもないだろう。こんないい加減な「語源辞典」を使って日琉語の系統を論じるってかなり勇者だと思わない?

(っていうか、スタロスチンをはじめとする「アルタイ語族」説の支持者、与那国語標準語のyにdが対応する(cf. duru「夜」;dama「山」)のを祖語形の残存だと主張してるのか(Vovin 2010: 40)。思ってた以上にやべーな)

案の定、ロベーツの著書も他の研究からボロクソ言われているようだ。ホセ・アロンソ・デ・ラ・フエンテは、彼女の著書に対する書評で、「Throughout the book there are inconsistencies which may stem from a lack of familiarity with the languages involved and their scholarly traditions」(Alonso de la Fuente 2016: 535)として、彼女満洲語転写が実にテキトーであることを指摘している。前述のヴォヴィンはさら辛辣なことを書いている(Vovin 2017。出典表記は省略)。

The recent attempts to prove that Japanese is related not only to Korean, but also to the “Altaic” languages fare even worse. In spite of the devastating critique that has been leveled at these quasischolarly publications, they [Starostin and Robbeets] still continue to sprout like mushrooms after the rain, greeted, of course, by yet another round of devastating critique...

こんなこと書かれたら僕だったら泣いちゃうな……

なおこの論文朝鮮祖語の再建にも問題があるらしい。以下の連ツイを参照>https://twitter.com/ian_joo_korea/status/1458706979870838788

まとめ

少なくとも言語学の側面からは非常にうさんくさい

増田素人なので確信を持って間違いだと言い切ることはできないけど、論文全体から信頼できない香りがプンプン漂ってきてる。

考古学とかそういう方向から考察は知らんけど、言語学的な根拠については賭けろと言われたら間違ってる方に賭けるね。

追記:こっちの増田anond:20211121201022も見てね)

蛇足だけど

このへんの言語史については、古代朝鮮半島には幅広く日琉語(大陸倭語;Penninsular Japonic)が分布してたんだけど、北方から朝鮮話者が進入してきて言語が置き換わった、という説(Vovin 2013)が個人的には面白いなぁと思う(大陸倭語については、Vovin 2017; 伊藤 2019; 2021も参照)。いや、素人の考えだからひょっとしたら大間いかもしれないけど。ただ、仮に大陸倭語の存在を認めるなら、日琉語の故地(Urheimat)が列島の外にある可能性もあるわけで、故地をめぐる議論どうしようかっていう議論は生まれてくるところだと思う。

あと、この増田で「標準語」って言葉を使ってるのにツッコミが入るかもしれないけど、国が言語規範を決め全国に普及させているというのを無視して「共通語」と呼ぶのは国家による言語政策権力性を覆い隠すから良くないと思うので「標準語」と呼ぶ派です。

ところで

著者のRobbeetsさん名字を「ロッベエツ」と書いてる新聞があったけど、日本語表記するなら「ロベーツ」じゃない? ベルギー研究者らしいけど、bが重なってるのは詰まって読むこと(促音)を示してるんじゃなくて、その前にある母音が短母音である(「ローベーツ」ではない)ことを示すためのものでしょ、オランダ語的に考えて……。

それにしてもマンチュリア(いわゆる満州)を「中国東北部」と呼ぶの、ヤウンモシㇼを「日本北部」と呼ぶようなもので、先住民族である満洲人の存在を透明化し漢人の入植を自明のものとする植民地主義的な用法から政治的に正しくないと思うんだよな。ちゃんマンチュリア or 満州と呼ぶべきでは。

Q. 増田って賭けに強いの?

A. スプリンターズSではダノンスマッシュ秋華賞ではユーバーレーベン、菊花賞ではステラヴェローチェ天皇賞(秋)ではコントレイルエリザベス女王杯ではアカトリノムスメの勝利を予想していました。マイルCSではグランアレグリアに賭けてますジャパンカップは今度こそコントレイルが勝つはず。

追記

niwaradi そもそも著者が多く日本大学学者が共著者に10人以上いてNature編集部レビュワー賛同したはずなので学会で揉めてる分野なのかな?日本語朝鮮語の共通祖先はどこかにあると思うが。

共著者が多いのは、色んな分野にまたがって調査してる理系論文だとよくあることだと思いますNature基本的理系雑誌なんで言語学みたいな文系領域事情にはあんまり明るくなかったんじゃないでしょうか。ちなみにその「日本語朝鮮語の共通祖先はある」って考え方にめっちゃ反対してるのが本文で言及したヴォヴィンです。最新の論文(Vovin 2021)では日本語起源は「アルタイ語族」じゃなくてオーストロアジア語族だーって気炎を上げてます(ほんとかよ)。

behuckleberry02 大野晋先生が生き返ってあと数十年研究してくれんかな

大野晋日本語タミル語起源説はただのトンデモです。結論どうこうじゃなくて方法論の時点でおかしい。詳しくは長田(1998)や山下(1998)を参照してください。

c_shiika 令和の騎馬民族征服王朝説だったか…… / ウマ増田さんはウマの記事ちゃん増田投稿するべきだと思うの

手持ちのジュエルを全部つぎ込んだけどメジロドーベル引けませんでした!!1!(代わりにすり抜けでナリタタイシンが来た)

mori99 話は逸れるが、恐れ入谷鬼子母神とか、増田、何歳だよ。※あるいは寅さんフリーク

ナウでヤングなガラスの十代だっちゅーの

参考文献

2021-10-30

そんなに歌詞に拘るなら万葉集でも読んでろよwww

恋愛脳のお貴族様のレスバなんぞにゃ興味がねえんだ?

お前知ってるか?

アイツラも結局ラブソングばっかしか書いてないしラブソング

「うぉぉぉぉセックスめっちゃしたいぞ~~~かわいい昨卵母と鮑をクリクリちゃうぞ~~~」

「きっしょ……勘弁してもらえます?そのうち訴えますよ」

みたいなのばっかぞ

あれをすげーと持ち上げてるやつ本当に読んだ?

読んだ上で当時の事情とかちゃんと学んだ?

学べば分かるよ

会いたくて会いたくて震えてるだけの奴らばっかだって

そんな時代AKBまみれのランキングみたいな奴の中でも真面目に謳ってる奴らが後世に残った

今も変わらねえ

そしてAKBでも西野カナでもない奴の人数はここ100年ぐらいのほうがずっと多いんだよ

分かったか

万葉集西野カナモー娘。が1位になってる時期のランキングなんだよ

2021-10-17

季語ってなんであんなにキモいの?

万葉集には季語は入ってないけど日本トップクラス歌集だよね。

そんでもって季語なんてなくても季節感なんていくらでも出せる。

まり季語って本来必要がない癖に誰かが後付で偉そうに付けたタスポB-CASカードみたいなゴミなわけ。

わざわざ季語なんて発明した理由ってマジでキモくて、結局の所は「俺達がマジで凄いことしてるってのアピールやすいように縛りプレイしようぜ」っていうマジキモすぎるキモさなわけ。

聞く側の気持ちとか一切考慮せずに「俺達が身内でやってる芸がマジで最強であるってことを教えてやるために敷居高めたろ」でしかないの。

マジでキモいよね。

まりは何の哲学も持たない料理人が「ヴィーガン料理名乗れば客くるし高くても売れるらしいから俺野菜縛りするわwwww」ってやるのと何も変わらねーわけよ。

マジキモくね?

こんなキモもの文化って持ち上げてる奴らキモすぎない?

俺はありえないと思うよ。

2021-09-05

どこまで自己責任と見做されるのか?

 新自由主義批判していることで知られる、英国の著名な人文地理学者David Harveyは、彼の著書の中で「『個人自由』を至上の価値に戴く個人集団は、容易に新自由主義に乗っ取られる」と云う箴言を記しています

 福澤諭吉は、おそらく最も本邦のネットウヨクに人気がある思想家です。福澤諭吉は神仏の類いを一切信じず「人間の在り様は全て『個人努力』のみによって決定される」と考えるような「近代日本における『自己責任論者』のパイオニア」でした。ですから、巷間よく言われる「ネットウヨクは『保守』ではない」と云う言葉は、正しいと言えると思います。(四書五経日本儒学者著作仏典古事記日本書紀・万葉集古今和歌集などの国文学等に親しんでいるネットウヨクなどは、ゼロではないしょうが多数派でもないでしょう。)

 その福澤諭吉は、彼の自宅を訪れる人間が貧しかったり地位が低ければ「そいつがそんな状態に在るのは、努力を怠っているそいつ自身自己責任なのだからそいつぞんざいに扱っても構わない」という態度で、わざわざ安物の茶を出すなど対応の仕方を変えていたと伝えられています

 我が国におけるアジア諸国に対する蔑視感情も、福澤諭吉系譜に連なる「日本努力して脱亜入欧を果たした。しかし、彼奴等の国は努力をしなかった。だから、オレたちが彼奴等を見下しても彼奴等の自己責任だ」という考えに帰着します。

 さて、現在はてな界隈では「不寛容な(例えば、人権意識が低い)人間に対しては、こちらも不寛容な態度に出ても構わない」とする考え方が主流のようです。

 そこで、私個人の考えていることは、

(1) 寛容性は、教育学習により身につく知的財産である

(2)_a 格差社会が深刻化すれば教育学習格差も拡大して、貧しい教育しか受けられない人間が発生する。

(2)_b 仮に経済的に貧しい家庭ではなくとも、保護者問題があって、教育ネグレクト洗脳状態に置かれれば、学習機会を得られない人間が発生する。

(3) そうして教育学習の機会が貧しくなり、寛容性を身につけられなかった人間が発生する虞がある。

ということです。なお、(2)_bの教育ネグレクト洗脳被害者に対するセーフティネットも、格差社会が深刻化すれば、貧弱なものになると予測されます

 それを踏まえて、ここで私が問いたいのは、我々が不寛容人間に遭遇した時に「それは、そいつが『不寛容人間』にならないように努力することを怠った結果なのだから、我々もそいつ不寛容な態度をとっても構わないのだ」とすることが許されるのか?と云う点についてです。

 ある人は言うでしょう。「教育学習の機会が貧しくても、そういう人間の全てが『不寛容』になるわけではない。だからそいつ不寛容なのは、やはり、そいつ自身責任なのだ。したがって、こちらも不寛容な態度をとっても構わない」と。

 あるいは「こちらが不寛容な態度をとることによって、奴らに目を覚まさせるのだ」と。

 かつて生活保護バッシングが起きた時(と言うか今でも現在進行形で起きているのですが)に、決り文句のように言われた/言われるのが「貧しい人間の全てが、生活保護に頼っているわけではない。条件に拘らずに働き口を探せば、生活保護を受けるような貧困状態に陥るはずがない。生活保護を受けるような人間は、そいつ怠惰からなのだ」とか「生活保護に頼らざるを得ないような、不健康状態にまで身体を壊したのは、そいつ努力を怠って不節制生活を送っていたからだ」といった言葉です。

 はてな界隈では、リベラル左派の方が多いので、経済的な貧しさ、疾患・障害などの肉体的な貧しさ等に関しては『自己責任』論者が批判される傾向にある一方で、知的な貧しさに関しては『自己責任』論者となる人が屢々見られるので、私は不思議に感じてます

 以前は「攻撃や争いよりも対話教育を」という姿勢の方も多数見かけたような気もしますが、最近では「彼奴等は、あんな奴らだから、関わったり対話を試みるのは徒労だ」として、対話努力放棄たかのような人も増えたように見えます

 はてな界隈は、個人自由を重んじる人が多いので、D. Harveyの言うように新自由主義に乗っ取られてしまい、結果として「自己責任論者」が主流となったのでしょうか?

 もしも、この文を読んで気が向かれた方は、ご自分のお考えを書いていただければと思います。 

2021-07-31

負けヒロイン歌集

はかなくも なほ実ればと 思ふかな かく乱れたる 心厭はで

【訳:もう終わってしまった恋だけれど、実っていればと想像してしまう。そんな自分が厭わしい。】


春すぎて にほいたちばな しずけさに けふも昔の すひたかづらに

【訳:春が過ぎて橘の香り立つ季節になったけれど、私はひとりあのときの忍冬を、好きだったあなた面影や髪を思い出します。】


をちかたに ゆきて帰り路 双つ影 伸びのびてゆき なほをちかたに

【訳:帰り道に、遠くで見かけたあなたとあの子の連れ立つ影。私はつい立ちすくんでしまい、あなたたちはどんどん遠ざかっていきました】


ねぎごとや 夕露濡れし 青懸巣 去りゆく我を いひかけてとめ 

【訳:アオカケスのような青い髪のあなたは、あのとき去っていく私に何事か言いかけましたね。夕露のような涙で眼を潤ませ、何かを願うようにして。


身一つを 藍に染めあげ 待つ鳥や 撃たれて泣くな 飢えて歎くな

【訳:深い藍色の髪を持つあなたは愛もまた深かったのでしょう。不幸もまた、多かったのでしょう】


汀なる あらまほしきを さやかにも 荒浪くもる あたしってバカ

【訳:『魔法少女まどかマギカ』の美樹さやかのことを詠ったとされる】


さざなみ大津見かかり あはれなる 近江におもき 淡江のころ

【訳:琵琶湖から大津を望むたび、かの場所いたころ背負った罪が、今も哀れな私を苛みます。/滋賀志賀)を負けヒロイン見立てた歌。『万葉集』(古の人に我れあれや楽浪の 古き都を見れば悲しき)などにあるように、滋賀を負けヒロインに重ねるのは古来よりポピュラー主題。】


かぎりある おんみをつくし 相逢いへ なんでもするから ダメなとこなおすから

ギリシャ神話、もといFGOキルケーのことを詠ったとされる。「相逢いへ」はアイアイエー島にかかっている】


さめざめと 背中なでつつ 歎くぞよ 道さだかにも 決めかねる身を

【訳:涙に暮れるあなたをこうして抱きしめているあいだにも、私はどのヒロインルートにするかで迷っています。なんという卑怯者なのでしょう】


はつこひは 遠くこそなれ いとどなほ 夜の嵐に 髪を吹かれて

【訳:初恋はもう遠い昔なのだけれど、今なお夜の嵐のように私をかき乱します】

2021-07-07

文学部不要論

個人的に一番文学部について許せないのは、自分たちがもはや「文」学を研究できなくなっているという単純なスペック不足を認識もしていなければ論じてもいない事だ

人類が生み出すtextの量と流通速度は、加速度的に高まり続けている。

文学部をなのる人々が対象としている文のウエートは全体の量に対して比率が下がり続けている。

万葉集に万の歌は載ってなくて大体4500くらいだが、tweetがどれくらいの総量書かれ読まれいるか

マスとしての文章を今のところ取り扱えているのは自然言語処理系の研究者の方であろう。

読む価値のありうる文を人力では読みきれない時代に、ずいぶんと前からなっている。その事実を論じも研究もせず、に何が文学部なのか。

文学を学ばない文学部は当然不要だ。

文学をやりたければGoogleに行け。

2021-07-06

サッカー選手差別発言フランス在住作家

 フランス人サッカー選手フランス語日本人/アジア人差別する発言したことに関して、フランス在住の日本人作家が「これは差別発言ではない」と擁護していた。これを擁護した理由は、彼が「仮想的(ヴァーチャル)フランス人」になりきっているからだろう。

 昔から日本では「仮想的(ヴァーチャル)外国人」になりきって「日本/日本人ダメだ。ただし『ヴァーチャル外国人である自分例外とする」というスタイルで、自分たちが棄てた日本日本人を腐すビジネスを行う人間がいる。例えば、外国人結婚してパートナー出身国移住し、日本人向けに「ダメ日本人とは異なり、X国人はこんな素敵な生活を送っている」的な日本書籍を出して小銭を稼ぐタイプ人間である

 万葉集には、桜を詠んだ歌よりも梅を詠んだ歌の方が多い。それは、梅を愛でることが、当時の先進国であった中国大陸文化だったかである。実は、昔から日本人舶来信仰が強いのである。それでも万葉人たちは、大陸文化に憧れる一方で、日本列島に生きる自分たち自身文化を、自らの手で作り出そうとする気概も持ち合わせていた。しかし、現代仮想的(ヴァーチャル)外国人は、そうではない。日本ダメな部分を何とかするべき当事者としての責任を持つことや、日本改善する為の具体的な営為に携わる泥臭い努力を、彼らは好まない。それよりも「ダメ日本/日本人のことを罵ったり嘲笑する」ことの方を好む。言うまでもなく、その方がラクからである

 仮想的(ヴァーチャル)外国人としての思考の持ち主は「日本死ね!」が流行語大賞に選出されれば快哉を叫ぶし、外国人による日本人差別発言に関しては「これは差別発言ではない」と擁護したりする。こんな彼らの根底に有るものは何かと言えば、仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムと、それに加えて、没落国/発展途上国人間相手ならば何をしても/言っても許されるという強烈な差別意識である。私は、このような仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムを“盲目的愛異国心”と心密かに呼んでいる。

 最近よく「もう日本は没落し始めた国なのだから、その国民である日本人も何かを言う資格は無い」的なことを言う人間を、はてなブックマークでも見かけるが、こういう人間仮想的(ヴァーチャル)外国人の一つの例と言えるだろう。これも「日本ダメになったのは自分以外の日本人責任である」という考え方である

 さて、人間は大なり小なり、他者差別する欲求を持つ。とはいえ少し知恵が身に付くと、己の差別意識をそのまま表明することは、社会的に良ろしくない振る舞いであると(よほどの愚か者ではない限りは)学習する。その時、真っ当な人間たちは、差別をしない方向に努め始めるが、他方では、何とか理屈を付けて合法的(?)に差別欲求を満たしたいという明後日の方向に努力する人間も現れる。そんな彼らが編み出したのが、仮想的(ヴァーチャル)外国人になりきって、日本/日本人馬鹿にすることで、己の差別欲求を満たす手法というわけである。「日本日本人を罵ったり嘲笑することは、差別ではない。何故ならば、言っている自分日本人から」という理屈である

 「これは嘲笑罵倒ではなく、自嘲的な批判である」「ダメ日本/日本人を何とかしたいと思っているからこそ、敢えて汚い言葉を使うのだ」という論法も頻繁に用いられる。そんな彼らの言う「ダメ日本/日本人」に、彼ら自身が含まれることは決して無い。彼らの中では、あくまでもダメなのは「彼ら以外の日本人である。また「日本を良くしたいから汚い言葉を使う」とは言うが、その汚い言葉使いを、彼らが属しているつもりになっている、仮想母国であるX国を相手に使うことは無いと言っても過言ではない。欠点の無い国や過ちを犯したことの無い国は存在しないのだから、従って、彼らの精神的・仮想的(ヴァーチャル)母国に該当するX国も、日本と同様に汚い言葉で罵ったり嘲笑しても構わない筈なのだが。

 件のフランス在住作家や、彼のサッカー選手擁護鵜呑みにしていた人間たちも、仮想的(ヴァーチャル)フランス人になろうとしているようである。それだけならば、別に彼らの勝手から好きにすれば良い話ではあるのだが、しかし彼らのしていることは、畢竟「おフランスダンナ。あっしは他のニホンザルと違って、ダンナのすることに逆らいやしませんからね。あっしのことを、他のニホンザルと同じに扱わないで下さいね?あっしはダンナと同じく『フランス人』ですからね?」という阿り以外の何物でもない。ビリーアイリッシュのC-word発言映像に対して「自分アジア人だけど気にしない」と、彼女に阿るコメントをする日本人アジア人が多数いたのも、これも同じ動機である

 日本人(アジア人)としてのダメな部分に、きちんと当事者として向き合っていないから、いざ日本人(アジア人)差別に遭遇した時に「これは差別ではない!非日本人(非アジア人)に生まれ変わった現在自分が、アジア人差別なんかに遭うはずが無い!」と現実逃避する羽目になるのである

 X国の部分をフランス以外の国に入れ換えれば、同じことをしている人間は沢山いる。貴方の周囲にだって、一人や二人はいるだろう。そういう人間は、件のフランス在住作家と同じ轍を踏む可能性が有る。気をつけた方が良い。

2021-05-29

anond:20210524165855

古代ってどのへん? 万葉集時代には平仮名ないよ。飛鳥時代奈良時代もそれなりにちがうけど、平安のまんなかの国風文化時代とは一緒にできないよ。

2021-03-25

人妻」という言葉

文字通り他人の妻を指す一般的表現と思っていたが、実はあまりよくないニュアンスが含まれていて常用するものではないらしいね

無知だったわ。

しか語源万葉集なのだとか。

2021-02-20

anond:20210220024108

なんで教えて教えてばかりで自分で調べようとしないんだ。

なんで自分で調べるかどうかって話になるの?

相手発言根拠を尋ねているだけで、その相手コミュニケーション可能状態にも関わらず、相手質問せずに、書籍等にあたる必要性って何?

自分で調べようとしない」と判断した理由は何?

個人的には「他人質問すること」も「自分で調べること」に含まれるしね。

興味があるならこのあたり読めばいいよ。おそらく近隣の図書館にあるだろう。

 『万葉集発明 新装版』 https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b455381.html

 『創造された古典』 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784788506695

論文がいいなら、このあたり。

 「国語教育史における「古典概念の成立時期についての一考察--国民国語における「古典トシテノ国文から遡及

 https://ci.nii.ac.jp/naid/120002220719

すごい!ありがとうございます

よくポンポンでてきますね。

義務教育対象である理由を知るためには、当然に義務教育目的理解する必要があって、その理解を深めるには政治歴史を知っておく必要がありますよね。

その役に立ちそうです!

数値データを期待してると思うけど、これらには確か数値データはない。どちらかといえば、なぜ「古典必要とされたか」を言説研究から読み解こうとするものだ。

言説を「個人の感想」と見なすかもしれないが、そんなことを言われると質的データが取り扱えなくなる。データの捉え方をもっと広く持ったほうがいい。

もちろん数値データが必ず必要なわけではないし、数値データがあったところで、それをどう分析するかで結論操作できることが多い。

ただし、数値データ必要としない場合ってのは、観測方法が成立されていないとか理由がある。

古典義務教育とする理由」の証明に、「数値データ必要ない」という主張でしょうか?

この場合、その主張の根拠は何になりますか?

個人的には、全ての人が一次データにあたるだけのスキルを持つ必要はないと思うけど、「古典」のようなものを事後的に創る(当たり前だが、どんな作品でも生まれた直後は古典ではなく、必ず何かしらの共同体での価値づけを経て「古典」に祭り上げられる)仕組み自体があることを知っておくことは必要だと思う。相対化の視点必要からな。

それにピンと来るためには、ある程度古典に触れておくことは必要だろう。

これって、「義務教育として必要」の説明ですか?

これって、大学なりなんなりで専門分野としての必要性説明じゃないですか?

anond:20210220002733

なんで教えて教えてばかりで自分で調べようとしないんだ。

興味があるならこのあたり読めばいいよ。おそらく近隣の図書館にあるだろう。

 『万葉集発明 新装版』 https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b455381.html

 『創造された古典』 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784788506695

論文がいいなら、このあたり。

 「国語教育史における「古典概念の成立時期についての一考察--国民国語における「古典トシテノ国文から遡及

 https://ci.nii.ac.jp/naid/120002220719

数値データを期待してると思うけど、これらには確か数値データはない。どちらかといえば、なぜ「古典必要とされたか」を言説研究から読み解こうとするものだ。

言説を「個人の感想」と見なすかもしれないが、そんなことを言われると質的データが取り扱えなくなる。データの捉え方をもっと広く持ったほうがいい。

個人的には、全ての人が一次データにあたるだけのスキルを持つ必要はないと思うけど、「古典」のようなものを事後的に創る(当たり前だが、どんな作品でも生まれた直後は古典ではなく、必ず何かしらの共同体での価値づけを経て「古典」に祭り上げられる)仕組み自体があることを知っておくことは必要だと思う。相対化の視点必要からな。

それにピンと来るためには、ある程度古典に触れておくことは必要だろう。

2021-02-19

anond:20210219212737

万葉集をみても、「待つ恋」を詠んだ歌が多いことに気付かされる。そう、人が恋焦がれるその気持ちは、時間と共に強くなっていく。

まりインターバルは長い方がよい。待ちの時間が長くなるほど、そのー…あれだ、あの快感があれしてあーなるから

君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く(君を待って恋しく思っていたら私の家の簾を動かして秋風が吹きます

ここでこ家の暖簾というのは…そのー、あれだ、増田のあれ。つまりそういうこと。

2020-06-22

anond:20200615131518

日本では万葉集時代から歌と言えば恋、恋と言えば歌なので

その他の思いはだいたい漢詩の方に集まって漢籍勢力の弱化によりほぼ消えた

2020-04-18

小倉百人一首カードバトル

「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関~。出でよ、蝉丸!」

こんな感じで和歌呪文にして歌人召喚して、歌人能力和歌が描く情景などを具現化して攻撃する。

これを100人分終わらせたら、次回作では万葉集サラダ記念日シルバー川柳などから歌人召喚する歌人バトラーとの戦い、さらタロットトランプなどを使う海外カードバトラーとの戦いが描かれる。

2020-03-11

anond:20200311112204

は? マジだが?

優しい(ヤサシイ)とは - コトバンク

① 身もやせるような思いでつらい。他人世間に対してひけ目を感ずる。恥ずかしい。 「世の中を憂しと-・しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば/万葉集 893

② 心づかいをして控えめである。つつましやかである。 「されば重木は百八十に及びてこそさぶらふらめど、-・しく申すなり/大鏡 序」

③ (節度をもって振る舞うさまが)殊勝である。けなげである。 「己が振舞-・しければ、一筋取らするぞ/保元 中」

動詞やす(痩)」の形容詞形で、身もやせ細る思いだというのが原義。

平安時代には② の意でも用いられ、つつましくしとやかなさまを優美と感ずることから③ の意が生じた。

③ は優位の者がほめことばとして用いた。→やさしい(易)

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