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はてなキーワード: 万葉集とは

2021-07-07

文学部不要論

個人的に一番文学部について許せないのは、自分たちがもはや「文」学を研究できなくなっているという単純なスペック不足を認識もしていなければ論じてもいない事だ

人類が生み出すtextの量と流通速度は、加速度的に高まり続けている。

文学部をなのる人々が対象としている文のウエートは全体の量に対して比率が下がり続けている。

万葉集に万の歌は載ってなくて大体4500くらいだが、tweetがどれくらいの総量書かれ読まれいるか

マスとしての文章を今のところ取り扱えているのは自然言語処理系の研究者の方であろう。

読む価値のありうる文を人力では読みきれない時代に、ずいぶんと前からなっている。その事実を論じも研究もせず、に何が文学部なのか。

文学を学ばない文学部は当然不要だ。

文学をやりたければGoogleに行け。

2021-07-06

サッカー選手差別発言フランス在住作家

 フランス人サッカー選手フランス語日本人/アジア人差別する発言したことに関して、フランス在住の日本人作家が「これは差別発言ではない」と擁護していた。これを擁護した理由は、彼が「仮想的(ヴァーチャル)フランス人」になりきっているからだろう。

 昔から日本では「仮想的(ヴァーチャル)外国人」になりきって「日本/日本人ダメだ。ただし『ヴァーチャル外国人である自分例外とする」というスタイルで、自分たちが棄てた日本日本人を腐すビジネスを行う人間がいる。例えば、外国人結婚してパートナー出身国移住し、日本人向けに「ダメ日本人とは異なり、X国人はこんな素敵な生活を送っている」的な日本書籍を出して小銭を稼ぐタイプ人間である

 万葉集には、桜を詠んだ歌よりも梅を詠んだ歌の方が多い。それは、梅を愛でることが、当時の先進国であった中国大陸文化だったかである。実は、昔から日本人舶来信仰が強いのである。それでも万葉人たちは、大陸文化に憧れる一方で、日本列島に生きる自分たち自身文化を、自らの手で作り出そうとする気概も持ち合わせていた。しかし、現代仮想的(ヴァーチャル)外国人は、そうではない。日本ダメな部分を何とかするべき当事者としての責任を持つことや、日本改善する為の具体的な営為に携わる泥臭い努力を、彼らは好まない。それよりも「ダメ日本/日本人のことを罵ったり嘲笑する」ことの方を好む。言うまでもなく、その方がラクからである

 仮想的(ヴァーチャル)外国人としての思考の持ち主は「日本死ね!」が流行語大賞に選出されれば快哉を叫ぶし、外国人による日本人差別発言に関しては「これは差別発言ではない」と擁護したりする。こんな彼らの根底に有るものは何かと言えば、仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムと、それに加えて、没落国/発展途上国人間相手ならば何をしても/言っても許されるという強烈な差別意識である。私は、このような仮想的(ヴァーチャル)外国人としてのショーヴィニズムを“盲目的愛異国心”と心密かに呼んでいる。

 最近よく「もう日本は没落し始めた国なのだから、その国民である日本人も何かを言う資格は無い」的なことを言う人間を、はてなブックマークでも見かけるが、こういう人間仮想的(ヴァーチャル)外国人の一つの例と言えるだろう。これも「日本ダメになったのは自分以外の日本人責任である」という考え方である

 さて、人間は大なり小なり、他者差別する欲求を持つ。とはいえ少し知恵が身に付くと、己の差別意識をそのまま表明することは、社会的に良ろしくない振る舞いであると(よほどの愚か者ではない限りは)学習する。その時、真っ当な人間たちは、差別をしない方向に努め始めるが、他方では、何とか理屈を付けて合法的(?)に差別欲求を満たしたいという明後日の方向に努力する人間も現れる。そんな彼らが編み出したのが、仮想的(ヴァーチャル)外国人になりきって、日本/日本人馬鹿にすることで、己の差別欲求を満たす手法というわけである。「日本日本人を罵ったり嘲笑することは、差別ではない。何故ならば、言っている自分日本人から」という理屈である

 「これは嘲笑罵倒ではなく、自嘲的な批判である」「ダメ日本/日本人を何とかしたいと思っているからこそ、敢えて汚い言葉を使うのだ」という論法も頻繁に用いられる。そんな彼らの言う「ダメ日本/日本人」に、彼ら自身が含まれることは決して無い。彼らの中では、あくまでもダメなのは「彼ら以外の日本人である。また「日本を良くしたいから汚い言葉を使う」とは言うが、その汚い言葉使いを、彼らが属しているつもりになっている、仮想母国であるX国を相手に使うことは無いと言っても過言ではない。欠点の無い国や過ちを犯したことの無い国は存在しないのだから、従って、彼らの精神的・仮想的(ヴァーチャル)母国に該当するX国も、日本と同様に汚い言葉で罵ったり嘲笑しても構わない筈なのだが。

 件のフランス在住作家や、彼のサッカー選手擁護鵜呑みにしていた人間たちも、仮想的(ヴァーチャル)フランス人になろうとしているようである。それだけならば、別に彼らの勝手から好きにすれば良い話ではあるのだが、しかし彼らのしていることは、畢竟「おフランスダンナ。あっしは他のニホンザルと違って、ダンナのすることに逆らいやしませんからね。あっしのことを、他のニホンザルと同じに扱わないで下さいね?あっしはダンナと同じく『フランス人』ですからね?」という阿り以外の何物でもない。ビリーアイリッシュのC-word発言映像に対して「自分アジア人だけど気にしない」と、彼女に阿るコメントをする日本人アジア人が多数いたのも、これも同じ動機である

 日本人(アジア人)としてのダメな部分に、きちんと当事者として向き合っていないから、いざ日本人(アジア人)差別に遭遇した時に「これは差別ではない!非日本人(非アジア人)に生まれ変わった現在自分が、アジア人差別なんかに遭うはずが無い!」と現実逃避する羽目になるのである

 X国の部分をフランス以外の国に入れ換えれば、同じことをしている人間は沢山いる。貴方の周囲にだって、一人や二人はいるだろう。そういう人間は、件のフランス在住作家と同じ轍を踏む可能性が有る。気をつけた方が良い。

2021-05-29

anond:20210524165855

古代ってどのへん? 万葉集時代には平仮名ないよ。飛鳥時代奈良時代もそれなりにちがうけど、平安のまんなかの国風文化時代とは一緒にできないよ。

2021-04-11

いわゆる「自己責任論」に関して

 新自由主義批判していることで知られる、英国の著名な人文地理学者David Harveyは、彼の著書の中で「『個人自由』を至上の価値に戴く個人集団は、容易に新自由主義に乗っ取られる」と云う箴言を記しています

 福澤諭吉は、おそらく最も本邦のネットウヨクに人気がある思想家です。福澤諭吉は神仏の類いを一切信じず「人間の在り様は全て『個人努力』のみによって決定される」と考えるような「近代日本における『自己責任論者』のパイオニア」でした。ですから、巷間よく言われる「ネットウヨクは『保守』ではない」と云う言葉は、正しいと言えると思います。(四書五経日本儒学者著作仏典古事記日本書紀・万葉集古今和歌集などの国文学等に親しんでいるネットウヨクなどは、ゼロではないしょうが多数派でもないでしょう。)

 その福澤諭吉は、彼の自宅を訪れる人間が貧しかったり地位が低ければ「そいつがそんな状態に在るのは、努力を怠っているそいつ自身自己責任なのだからそいつぞんざいに扱っても構わない」という態度で、わざわざ安物の茶を出すなど対応の仕方を変えていたと伝えられています

 我が国におけるアジア諸国に対する蔑視感情も、福澤諭吉系譜に連なる「日本努力して脱亜入欧を果たした。しかし、彼奴等の国は努力をしなかった。だから、オレたちが彼奴等を見下しても彼奴等の自己責任だ」という考えに帰着します。

 さて、現在はてな界隈では「不寛容な(例えば、人権意識が低い)人間に対しては、こちらも不寛容な態度に出ても構わない」とする考え方が主流のようです。

 そこで、私個人の考えていることは、

(1) 寛容性は、教育学習により身につく知的財産である

(2)_a 格差社会が深刻化すれば教育学習格差も拡大して、貧しい教育しか受けられない人間が発生する。

(2)_b 仮に経済的に貧しい家庭ではなくとも、保護者問題があって、教育ネグレクト洗脳状態に置かれれば、学習機会を得られない人間が発生する。

(3) そうして教育学習の機会が貧しくなり、寛容性を身につけられなかった人間が発生する虞がある。

ということです。なお、(2)_bの教育ネグレクト洗脳被害者に対するセーフティネットも、格差社会が深刻化すれば、貧弱なものになると予測されます

 それを踏まえて、ここで私が問いたいのは、我々が不寛容人間に遭遇した時に「それは、そいつが『不寛容人間』にならないように努力することを怠った結果なのだから、我々もそいつ不寛容な態度をとっても構わないのだ」とすることが許されるのか?と云う点についてです。

 ある人は言うでしょう。「教育学習の機会が貧しくても、そういう人間の全てが『不寛容』になるわけではない。だからそいつ不寛容なのは、やはり、そいつ自身責任なのだ。したがって、こちらも不寛容な態度をとっても構わない」と。

 あるいは「こちらが不寛容な態度をとることによって、奴らに目を覚まさせるのだ」と。

 かつて生活保護バッシングが起きた時(と言うか今でも現在進行形で起きているのですが)に、決り文句のように言われた/言われるのが「貧しい人間の全てが、生活保護に頼っているわけではない。条件に拘らずに働き口を探せば、生活保護を受けるような貧困状態に陥るはずがない。生活保護を受けるような人間は、そいつ怠惰からなのだ」とか「生活保護に頼らざるを得ないような、不健康状態にまで身体を壊したのは、そいつ努力を怠って不節制生活を送っていたからだ」といった言葉です。

 はてな界隈では、リベラル左派の方が多いので、経済的な貧しさ、疾患・障害などの肉体的な貧しさ等に関しては『自己責任』論者が批判される傾向にある一方で、知的な貧しさに関しては『自己責任』論者となる人が屢々見られるので、私は不思議に感じてます

 以前は「攻撃や争いよりも対話教育を」という姿勢の方も多数見かけたような気もしますが、最近では「彼奴等は、あんな奴らだから、関わったり対話を試みるのは徒労だ」として、対話努力放棄たかのような人も増えたように見えます

 はてな界隈は、個人自由を重んじる人が多いので、D. Harveyの言うように新自由主義に乗っ取られてしまい、結果として「自己責任論者」が主流となったのでしょうか?

 もしも、この文を読んで気が向かれた方は、ご自分のお考えを書いていただければと思います。 

2021-03-25

人妻」という言葉

文字通り他人の妻を指す一般的表現と思っていたが、実はあまりよくないニュアンスが含まれていて常用するものではないらしいね

無知だったわ。

しか語源万葉集なのだとか。

2021-02-20

anond:20210220024108

なんで教えて教えてばかりで自分で調べようとしないんだ。

なんで自分で調べるかどうかって話になるの?

相手発言根拠を尋ねているだけで、その相手コミュニケーション可能状態にも関わらず、相手質問せずに、書籍等にあたる必要性って何?

自分で調べようとしない」と判断した理由は何?

個人的には「他人質問すること」も「自分で調べること」に含まれるしね。

興味があるならこのあたり読めばいいよ。おそらく近隣の図書館にあるだろう。

 『万葉集発明 新装版』 https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b455381.html

 『創造された古典』 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784788506695

論文がいいなら、このあたり。

 「国語教育史における「古典概念の成立時期についての一考察--国民国語における「古典トシテノ国文から遡及

 https://ci.nii.ac.jp/naid/120002220719

すごい!ありがとうございます

よくポンポンでてきますね。

義務教育対象である理由を知るためには、当然に義務教育目的理解する必要があって、その理解を深めるには政治歴史を知っておく必要がありますよね。

その役に立ちそうです!

数値データを期待してると思うけど、これらには確か数値データはない。どちらかといえば、なぜ「古典必要とされたか」を言説研究から読み解こうとするものだ。

言説を「個人の感想」と見なすかもしれないが、そんなことを言われると質的データが取り扱えなくなる。データの捉え方をもっと広く持ったほうがいい。

もちろん数値データが必ず必要なわけではないし、数値データがあったところで、それをどう分析するかで結論操作できることが多い。

ただし、数値データ必要としない場合ってのは、観測方法が成立されていないとか理由がある。

古典義務教育とする理由」の証明に、「数値データ必要ない」という主張でしょうか?

この場合、その主張の根拠は何になりますか?

個人的には、全ての人が一次データにあたるだけのスキルを持つ必要はないと思うけど、「古典」のようなものを事後的に創る(当たり前だが、どんな作品でも生まれた直後は古典ではなく、必ず何かしらの共同体での価値づけを経て「古典」に祭り上げられる)仕組み自体があることを知っておくことは必要だと思う。相対化の視点必要からな。

それにピンと来るためには、ある程度古典に触れておくことは必要だろう。

これって、「義務教育として必要」の説明ですか?

これって、大学なりなんなりで専門分野としての必要性説明じゃないですか?

anond:20210220002733

なんで教えて教えてばかりで自分で調べようとしないんだ。

興味があるならこのあたり読めばいいよ。おそらく近隣の図書館にあるだろう。

 『万葉集発明 新装版』 https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b455381.html

 『創造された古典』 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784788506695

論文がいいなら、このあたり。

 「国語教育史における「古典概念の成立時期についての一考察--国民国語における「古典トシテノ国文から遡及

 https://ci.nii.ac.jp/naid/120002220719

数値データを期待してると思うけど、これらには確か数値データはない。どちらかといえば、なぜ「古典必要とされたか」を言説研究から読み解こうとするものだ。

言説を「個人の感想」と見なすかもしれないが、そんなことを言われると質的データが取り扱えなくなる。データの捉え方をもっと広く持ったほうがいい。

個人的には、全ての人が一次データにあたるだけのスキルを持つ必要はないと思うけど、「古典」のようなものを事後的に創る(当たり前だが、どんな作品でも生まれた直後は古典ではなく、必ず何かしらの共同体での価値づけを経て「古典」に祭り上げられる)仕組み自体があることを知っておくことは必要だと思う。相対化の視点必要からな。

それにピンと来るためには、ある程度古典に触れておくことは必要だろう。

2021-02-19

anond:20210219212737

万葉集をみても、「待つ恋」を詠んだ歌が多いことに気付かされる。そう、人が恋焦がれるその気持ちは、時間と共に強くなっていく。

まりインターバルは長い方がよい。待ちの時間が長くなるほど、そのー…あれだ、あの快感があれしてあーなるから

君待つとわが恋ひをればわが屋戸のすだれ動かし秋の風吹く(君を待って恋しく思っていたら私の家の簾を動かして秋風が吹きます

ここでこ家の暖簾というのは…そのー、あれだ、増田のあれ。つまりそういうこと。

2020-11-12

anond:20201111193404

昔は肉も米も小麦も食べるものがないから食えるものはなんでも食ったし

醤油味噌、酢を発明したのは大発明でえらいけど、それまでは

塩、コショウを始め香辛料も少なく貴重だしチーズも無いし、味は平坦だったから、

アジヘンできる山葵やトウガラシは重宝されたと思うよ

今調べたら万葉集源氏物語にもにんにく料理についての記述があるんだね、おもしろいね

2020-06-22

anond:20200615131518

日本では万葉集時代から歌と言えば恋、恋と言えば歌なので

その他の思いはだいたい漢詩の方に集まって漢籍勢力の弱化によりほぼ消えた

2020-04-18

小倉百人一首カードバトル

「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関~。出でよ、蝉丸!」

こんな感じで和歌呪文にして歌人召喚して、歌人能力和歌が描く情景などを具現化して攻撃する。

これを100人分終わらせたら、次回作では万葉集サラダ記念日シルバー川柳などから歌人召喚する歌人バトラーとの戦い、さらタロットトランプなどを使う海外カードバトラーとの戦いが描かれる。

2020-03-11

anond:20200311112204

は? マジだが?

優しい(ヤサシイ)とは - コトバンク

① 身もやせるような思いでつらい。他人世間に対してひけ目を感ずる。恥ずかしい。 「世の中を憂しと-・しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば/万葉集 893

② 心づかいをして控えめである。つつましやかである。 「されば重木は百八十に及びてこそさぶらふらめど、-・しく申すなり/大鏡 序」

③ (節度をもって振る舞うさまが)殊勝である。けなげである。 「己が振舞-・しければ、一筋取らするぞ/保元 中」

動詞やす(痩)」の形容詞形で、身もやせ細る思いだというのが原義。

平安時代には② の意でも用いられ、つつましくしとやかなさまを優美と感ずることから③ の意が生じた。

③ は優位の者がほめことばとして用いた。→やさしい(易)

2019-12-09

最近いない増田一覧

①まいるす!@デイビス

半値とは裏腹につけ麺が好き。むしろ音楽は嗜まないし

BGM意味を15歳まで知らなかった

今もBuckGrandMusicだと思っているらしく、スペルミス言及されるとどんな時でも「ウエハースうまい」という書き込みを50個乱立する非常に厄介な架空増田

架空なのでもちろん今もこれからもいない。

②右利きの左翼

左利きに異様な執着を持っており、就活をかなり頑張り

大手銀行内定全部蹴ってまで人事職が約束される謎の健康食品会社入社

面接勉強のためと、上司に同席し採用権限もないのに

利き腕を質問し、右利きは落とすべきと候補者の前でいう。は左利き社員には異常な好意を示すが夜になると嫉妬にうなされしきりに落とせ落とせと言う。

もちろん、日本のクビにしにくいシステムでなかなかクビにならないが、増田ではわりかしおとなしい。

架空増田なのでそもそもいないのは自明であるという一面もある。

野菜ジュースさん

人間価値が肺活量で決まると思う節があり、悩んでいる。顔はそこそこ整っており異性は愚か同性からモテるデートで毎回ボルダリングに行き、

自分よりうまく登れない人は付き合わないというこだわりを持つが肺活量とどれだけボルダリングのうまさが関係するかは未だ疑問を持っているがめんどくさくて検証する気はしないし、存在しない増田なのでいなくて当然である

④るみ16歳

本当は61歳なのだが、書き込むたびに免許証画像があるブログURLを必ずコピペ

自分が61歳だと主張するが実際には87歳で

なぜ増田に書き込んでいるのかわからず、質問するもいつも万葉集の話にすり替えられる

そのすり替えレスバが強い増田からも「まるで手品のように自然だ」と評判で独特の魅力があるが

そもそも存在しないということを考えると考えるだけ時間無駄である

⑤屏風さん

半値は野菜ジュースさんからインスピレーションを得たらしいが、詳細を聞くといつも教えてくれず「スパゲッティAGF!」という固定レスを残す。

どんな人にも必ず固定レスをくれるが、それ以上のことは教えてくれない。

ある増田が「さん」の部分を参考にしたんか?と聞くと固定レスしかしなかった屏風さんは突然「ちげぇよ人のプライバシーにいちいち首突っ込むな」と怒り出すので喜怒哀楽スイッチが謎である

ちなみに彼が貼ったおすすめ演歌YouTubeページのスクリーンショットのimgurURLには屏風の広告も映りこんでいて、屏風自体は好きなのかもしれないと指摘するユーザーもいるが、そのユーザーは愚か屏風さんも存在しないのでその謎は永遠にまれたままである

中日ファン豊橋速報さん

日課散歩で、その時間毎日podcast野球の実況をリアルタイムで聞くのが好き。

podcastそもそも録音でライブなんかありえないのでは?と誰もが思うだろうが不思議なことに数年間誰もそれに触れたことはない

中日ファンで、青木宣親がだいすきらしいが

今彼は中日はいないことを指摘するとそうなんだと素直に感心する。

しかし、一週間後にはそのことをすっかり忘れてしま記憶力になにか重大な欠陥があることを匂わせる架空増田である上に、青木宣親は元ヤクルトである

イシツブテ

その名のとおり、「イシツブテ一覧」という書き込み毎日立てては筆、ペン鉛筆、木彫りなど多彩な手段で「イシツブテ」と書いた画像URLを無言で投稿する。

一ヶ月に一度「イシツブテ結果発表」という書き込みでそれまでアップロードした「イシツブテ」の直筆サインを狂ったように投稿するがもう最近は誰もレスしない。

その割にブクマは毎回10以上はあり(全て無言)、密かなファンがたくさんいると思われる。

唯一惜しまれるのは実在しない架空増田であることだ。

⑧さすらわない虎

自称公務員最近マイナンバー運用に疑問を抱いていて定期的に批判をするが、

反論もしっかりと受け入れる比較的柔軟な増田

名前の由来は、さすらわない虎ってどんな虎だろうとふとおもった入浴中の出来事らしいが

なぜそんなことを疑問に思ったのかという核心にはなかなか触れられず、

最近はそれをしつこく質問する増田もいる。

なぜか、それを粘着だと批判する増田複数人いて、それについてさら反論を述べる増田もいて

一大文化圏を築いていると言っても過言ではないかと思いきや実在しないのでやはり過言である

⑨つかれた

架空増田でっち上げるのが大好き。

そんな彼のささやか趣味は、SNSによって多くの人が知ることとなった「マスゴミ」のデマ報道が発端らしく

どうせデマ拡散するなら無害なもののほうがまだマシという信条に基づいているらしいが

そもそもデマを広げる必要があるのかは考えたことがない。

名前の由来は仕事のあとに書き込み疲れていることらしく、実在する増田

2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件2

(長く書きすぎたみたいだ。途中で切れてしまった。。。)

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新たな研究分野の基礎を示した先駆的研究として評価することができる。

論文日本語文法事象を中心に扱っており、その記述分析の面においても、射程の広さと事例観察の綿密さが評価される。分析対象として、格、時制、主語目的語自動詞他動詞、態、形容詞といった広範な現象を横断的に扱い、本論文の主張する日本語の「主体化による認知モード」によって一貫した説明が試みられており、それらがいずれも西欧パラダイムによる言語研究標準的使用されてきた文法概念と完全な対応関係を結ばないことが、説得力をもって示されている。

日本語学で所与のものとして適用されてきた「動詞の自他」や「態」といった文法概念のものの再検討を迫るという点で、本論文日本語研究にも一定の貢献をなすものである。また、本論文日本語における文法カテゴリや語彙の変容にも照準を合わせたものであるが、その主張は単なる理論憶測ではなく、万葉集源氏物語などの主要な古典作品をはじめとする膨大な歴史的資料に基づいたものであり、言語研究において不可欠である言語データの観察の綿密さについても高く評価することができる。

論文共時的言語事例と通時的言語事例とを並行的に分析し、日本語言語現象全般個別現象の解明を目指した統合研究であり、認知言語類型論という新たな研究視点提供している点で、学術価値は高いと判断される。

よって、本論文博士人間環境学)の学位論文として価値あるものと認める。

また、平成26年11月26日論文内容とそれに関連した事項について試問を行った結果、合格と認めた。

まさにお墨付きだ。

最後ちょっと真面目な話。『認知言語類型原理』の問題は、この書評で間違いだと明らかになったことじゃない。学問は古い学説踏み台にして進んでいく。今の定説もいつかは否定され、乗り越えられていくかもしれない。だから、間違いを含んでいるとわかったこ自体問題じゃない。それまでの研究に新たな知見を付け加えたのなら、たとえ間違いを含んでいても価値ある研究だ。ダメなのは、従来の研究に何ら新しい知見を付け加えず、最初から間違いだとわかる研究だ。『認知言語類型原理』はまさにそのような本だと批判されている。もちろん、出版された本に対してそのような批判をする権利は誰にでもある。たとえ批判が当たっていなくても、ある。自由批判ができることは、学問の発展に不可欠だ。書評子が批判したことで将来不利益を被ることがあってはならない。

それにしても、どうして『認知言語類型原理』は『日本語主語はいらない』みたいに多くの言語学者から批判されていないんだ? 『日本語主語はいらない』は大手出版から一般向けに出たのに対して、『認知言語類型原理』は学術専門出版から専門書として出たからか? それにしたって、専門書でも専門家なら読むだろうし、なんならもっと真剣に読むだろう。他に書評は出てないのかとCiNii https://ci.nii.ac.jp/ で『認知言語類型原理』を検索したけど、ないみたいだ。もしかして京大とか超大物研究者とかの権威に怯んでるのか? 文系学問がそんな腐敗した世界なら、世間から不要とされるのも無理はない。この腐敗した世界に堕とされても、くだらないことでビビることなく「王様は裸じゃないか! 裸の王様、何を学んだの?」と喝破した書評子には拍手喝采を送りたい。だけど、こんなものを書くために生まれたんじゃないだろ…。

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

2019-11-07

[]2019新語・流行語大賞ノミネート解説

あな番(あなたの番です)日本テレビ系のテレビドラマ。「交換殺人ゲーム」を描くミステリーサスペンスネット上でも推理考察が盛んに行われた。
命を守る行動を災害時の「特別警報」において呼びかけられる文言。今年10月台風19号上陸に際して、首都圏を含む広い地域特別警報が発表されたことで、耳にする機会が多かった。
おむすびころりんクレーター小惑星探査機はやぶさ2」が小惑星リュウグウ」上に生成した人工クレーター呼称。「リュウグウ」にまつわる名称童話にちなむことになっている。
キャッシュレス/ポイント還元電子マネーを用いた決済のこと。消費税増税に伴い、キャッシュレス決済を用いるとポイント還元される制度が、経産省により実施された。
#KuTooTwitter上で広まった「女性へのパンプスハイヒール強制」に対する反対運動のこと。昨年の流行語大賞にもノミネートされた#MeTooのもじり。
計画運休災害に備えて計画的に電車運休を決めること。今年10月台風19号上陸に際しても計画運休話題となり二年連続ノミネート
軽減税率今年10月消費税増税に伴い導入された生活必需品の税負担を軽減する制度のこと。その曖昧基準への批判や「イートイン脱税」などが話題となった。
後悔などあろうはずがありません野球イチロー選手引退会見での発言。「思い残すことは?」との質問に対しての返答。
サブスクサブスクリプション本来新聞の購読などの意味だが、現在は単に「定額制」を表す言葉になった。雑誌音楽動画などの月定額サービスが普及している。
ジャッカルラグビーにおいて、タックルで倒された相手選手が持つボールを奪うプレーのこと。ラグビーワールドカップで活躍した姫野和樹選手の得意技として話題となった。
上級国民一般国民」の対義語として作られたネットスラングだが、池袋自動車暴走死傷事故加害者が「上級国民」だから優遇されているのではないか話題になった。
スマリングシンデレラ/しぶこゴルフの全英女子オープンで優勝し、日本人女子選手では42年ぶりの海外メジャー制覇ということで一躍知られることになった渋野日向子の愛称
タピるタピオカ入りミルクティーを飲むこと。2018年ごろから始まった「第三次タピオカブーム」が今年に入ってピークを迎えた。
ドラクエウォーク2016年流行語大賞ノミネートされた「ポケモンGO」のドラゴンクエスト版と言える位置情報ゲームドラゴンクエストウォーク」がリリースされて話題となった。
翔んで埼玉魔夜峰央ギャグ漫画。元は1986年刊行された作品だが、2015年ごろに再注目されたことで復刊されて大ヒット、今年公開された実写映画も異例の成功を収めた。
肉肉しい肉の味が濃い、食べごたえがある、などの意味。肉バルブームなどに伴い近年使われはじめたとされる。それ以前では「女性肉感である」というような意味での用法がまま見られる。
にわかファンラグビーワールドカップでは「にわかでいいじゃないか」がキャッチコピーとなるなど新しいファンが歓迎され、これまで注目度の低かったラグビーの「にわかファン」が急増した。
パプリカ東京五輪の機運醸成」を目標米津玄師作曲した「NHK2020応援ソング」。子供たちのあいだで人気となり大ヒットした。
ハンディファン携帯扇風機中国韓国流行していたものだが、今年の猛暑もあり若い女性を中心にヒットした。
ポエム/セクシー発言環境大臣に抜擢された小泉進次郎ののらりくらりとした答弁が「ポエム」と評された。また国連気候行動サミットに出席したときの「セクシーに取り組む」発言批判された。
ホワイト日本の輸出管理制度において優遇されている国のこと。「日韓間の信頼関係が著しく損なわれた」という理由韓国ホワイトから除外したこときっかけに日韓関係悪化した。
◯◯ペイLINE Pay」「楽天ペイ」「PayPay」など、QRコード決済の呼称によく使われたため、その代名詞的な単語となった。また「セブン・ペイ」の不正使用ニュースとなった。
MGCマラソングランドチャンピオンシップ東京五輪と同じコース日本代表を一発選考する、というコンセプトで開催されたマラソン大会。ただしマラソンコースは後に東京から札幌へ変更となった。
免許返納池袋自動車暴走死傷事故など、高齢ドライバーによる暴走事故が多く取り上げられたことで、高齢者が自主的免許を返納することが注目された。
営業お笑い芸人所属事務所を通さずに営業を受けること。吉本興業お笑い芸人が、闇営業振り込め詐欺グループパーティ仕事を受けていたことが報じられ、騒動となった。
4年に一度じゃない。一生に一度だ。ラグビーワールドカップ2019 日本大会」の公式キャッチコピー
令和新元号最初元号である「大化」以来初めて和書典拠とされ、万葉集の「于時初春令月 氣淑風和(時に初春の令月にして気淑く風和ぎ)」から字が取られた。
れい新選組/れいわ旋風政治家山本太郎が結成した新政党独自の主張・選挙戦略により、参議院選挙において存在感を示した。
笑わない男ラグビーワールドカップで活躍した日本代表の稲垣啓太選手のこと。プレー中はもちろん記念写真などでも無表情をつらぬき「笑わない男」と話題になった。
ONE TEAM(ワンチーム)つのチームとして結束するという意味で、ラグビーワールドカップの日本代表が掲げたスローガン。そこから東京五輪マラソン移転問題でも多用された。

2019-10-13

anond:20191012060522

芸術の話をするときなぜか地元日本万葉集や絵巻物の話は避ける増田

どこの国の人なんですかあああああああ

2019-08-11

anond:20190810150453

1000年前から清少納言紫式部はいるし、万葉集にも女の歌人はたくさんいる。

能力があれば自然と発揮される。

でも女が強い分野は偉人としては扱われにくい。

感性勝負ばっかりだから

2019-07-25

うなぎ食反対派に論理的思考が見えない

うなぎ絶滅危惧種で、貴重な生物ということは理解している。はてな民うなぎを食べることを好まないのも知っている。その上で聞いて欲しい。

まず、うなぎ食は日本の文化であり、やすやすと消して良いものではないと思う。うなぎ万葉集浮世絵にも登場するなど、古来より日本人食文化であった。うなぎ食は日本文化のものなのである それをエゴイズムでその文化を潰そうとするのは、本当に正しいのかよく考えて欲しい。うなぎ食を批判している時の自分の顔がどんなに醜いか気づいているか

それから絶滅危惧種指定されたことと、実際に絶滅するということには大きな差があり、うなぎ現実的絶滅するにはかなり長い年月かかると思われる。海洋は広く、海洋にいるすべてのうなぎを食べきるなど現実的ではない。生息数に影響を与えているのは確からしいが、そのサンプルデータあくまで「日本付近を回遊しているうなぎ」に限った話である日本以外の各地で定点観測した上でうなぎ絶滅に瀕している、というデータ存在しない

そして最後に、ナマズ穴子などのうなぎ代替食品がさほど広まっていないという点にある。これははてな民も全く抜けている視点なので猛省して欲しい。仮にうな重の代わりに穴子重を食べよう風潮ができれば、既存うなぎ屋も経営上の問題を抱えずにシームレス穴子重を出す形態に移行できる。しか現実的にそのような風潮は起こっておらず、ただ思考停止うなぎ食に反対するだけの小さなムーブメントが起きているだけである自己責任論が大好きな人たちにとっては「うなぎ屋を経営しているのが悪い」と言いそうだが、実際問題自己責任というだけで人の人生に口出しするのは誤りだ。彼らにも人生があり、その人生はこれからも続く。

上記理解しているか水産庁規制しないのであるネットDE真実を得たうなぎ擁護派の中で実際のデータを見た人など1%にも満たないだろう。うなぎ絶滅危惧種指定されたというのは事実であるが、だからといって思考停止して日本文化破壊して良いというわけでは無い。思考停止せず正しいデータを持って批判することを心がけて欲しい。

2019-07-20

anond:20190720162551

当初は、命令の令を彷彿とさせるとか、万葉集から採用したと言いながら元を辿れば中国古典からきた言葉だとか議論もあったけど

いまだに議論してる人間をみたことがないし案外みんな順応したのかもな

2019-05-26

anond:20190526102312

ここ数日の猛暑について、慣れてない令和ちゃんなる子供が万葉集時代だったら5月は夏だものねーとか、温度が上がりすぎてふぇええ、となっているイラストいっぱい出てますが?

まあ、でも見るから擬人化バカにしているような感じだから、そのまま見ないでほしいし「いない」でいいとは思う。

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