はてなキーワード: コウメ太夫とは
YouTubeで期間限定で公開されてたから有名作品だし見とくか〜と思って見たらもう最悪だった。共感も感情移入も誰にもできなかった。
木っ端役者のヤスが兄貴分で売れっ子俳優の銀ちゃんに言われて妊婦の小夏と結婚して養うわけだけど、まず銀ちゃんが図々しいだろ。パワハラとかの次元じゃねえじゃん。落ち目の女優妊娠させといて「堕ろせっつってもこいつ聞かねえんだ、今俺にスキャンダルがあったら困るのわかんだろ?」じゃないよ。マジで、本当に、「孕ませた女を適当な後輩とできちゃった結婚させることで醜聞を避けたい男」の気持ちが想像できねえのよ。時代が離れてるから当時の制作陣と客の認識が「あー、芸事の世界じゃこのくらいあるのかな」なのか「いやいや、さすがにやりすぎじゃない? ヤスも断りなよ…」なのか「はぁ!?何だコイツ売れてんのか知らねえけど何様!?(今の俺これ)」なのかわかんねえよ。とんでもねえパワハラカスキャラかと思ったらかっこいい兄貴扱いでした(CV: コウメ太夫)だよ。でヤスも聞くなよ。尊敬してる先輩だとしてもそんなひどいお願いされたら軽蔑しなよ。いや、本当に貧乏で基本的人権も半分無えような身分で聞かざるを得なかったのかもしれねえけどさ、だったら後から「大部屋の俺が断れるわけねえだろ」ってキレんなよ。「俺もどうしていいかわかんねえんだよう」みたいなこと言えば許されると思うなよ。「弱いところを見せるのはおめえだけ」的な美学でやっていい範囲を超えてるだろ。うだつの上がらねえてめえの媚びへつらいを棚に上げて辛さを訴えるな。臨月の妻を蹴るな。模造刀持って部屋で暴れるな。妊娠中毒症で苦しむ妻のために「コレがコレなもんで」っつって健気に働いたお前はどこに行ったんだ。泣きながら抱きしめて絆そうとするな。小夏も「あんた……(泣)」じゃないんだよ。そこまでされて許しちゃ駄目だろ。小夏の身分ってそんなに低いわけ?切られ役で十人でいくらみてえな扱いされてメインの男優に厄介ごと押し付けられて断れず了承して勝手にキレ散らかす野郎よりも発言権ねえの? 何をされても許し支える舞台装置じゃねえんだから意思っつーか主体性を見せてくれよ。銀≫小夏>ヤス(銀ちゃんのことがまだ好きだけど……まあまあそんなこと言わず……的な距離感の頃)のパワーバランスが銀≫ヤス>小夏になってたけどそもそもそんなでかいパワーバランスあるのもおかしくねえ?夫婦じゃん。押し付けられて仮初のスタートだったけど悪くない関係だったじゃん。弁当差し入れしたり結婚式の司会はこいつにお願いしたとこで……とか言ったあとキスしたりしてたじゃん。40年前の映画だから割り切るしかねえの? 「たまにおもしろいし憎めない愛嬌があるけど偉そうだし変な人ではある」ぐらいだった俺のおじいちゃんがマシな人だっただけなの? ジジイババアたちはこの上下関係と暴力にまみれた社会に慣れてるんだとしたら今の時代生きづらすぎるだろ。隔絶デカすぎて同情するわ。
あとそう、芝居が古い。オーバーで、なんかこ う中川家とか友近とかゆりやんレトリィバァとかならモノマネできそうな感じ。最後の最後にあるネタバラシからするとオーバーなくらいで良いのかもしれないけど……まあ単に自然な演技が王道になったのが割と最近(なんだよね? 詳しくないけど)だからこれはしょうがないか。で画質と演技が古いのに音質だけ変に良くて浮いてて、序盤「これ吹き替えしてんの……?」と気になって会話に集中できなかった。それと間とか緩急が少なくて忙しない印象だった(セリフが食い気味で気になるところがあった)。時代柄というか景気とか世間の風潮とかが絡んでくるのかも知れんし、本当にこればっかりはしょうがないけどね。
そんで見終わってコメント欄見たら昔は良かった一色というのに反吐が出る。「この頃は本物の俳優がいた」じゃねえよ。トーク番組とかインタビュー記事とかTwitterとかYouTubeとかが無かった(あっても少なかった)から俳優本人の自我とか制作の裏側が見えなくて偶像扱いしやすかっただけじゃねえの? 今は暴かれすぎてるのとお前らが老いてから出てきた若い人がいっぱいで見分けつかないからそう思っちまうだけだろ。そらクソ恋愛映画とか原作ファンをナメてる実写化とかアイドルの副業で俳優やってますみたいなのばっかだけど思い出フィルター取ったら昔もそんなもんじゃねえの。かわいいだけの棒読み女優だの一握りどころか一つまみの銀幕のスターだのだけで回ってる粗製濫造の邦画だのにまみれてた頃がそんなに恋しいかよ。
さいごに
むかしむかしあるところに結婚40年ぐらい経った
老夫婦が住んでました。老夫婦には子供が出来ませんでしたが、諦めて生活してました
ある日、おじいさんは山に草刈りに
おばあさんは川に洗濯に行きました
おばあさんが川で洗濯していると、川の遥か上流から桃の様な何かが流れてきました
しかし、それがおばあさんの目の前にきた時は
なぜかジョウロに変わっていました。手に取ると
それはやたらと柔らかいようです
すると、川の下流から白塗りの赤い着物を着た男が現れが扇子をひらひらさせながら
「巨大な桃が流れてきたと思ったら〜
と言ったのでした
しょんぼりしながら、おばあさんはジョウロを家に持って帰りました。
ジョウロを見ておじいさんは「こんなもの持って帰ってきてどうする!!」と怒ってしまいました
仕方なく、おばあさんが包丁でそれを二つに割ると中から元気な男の子…じゃなくて今にも死にそうなウナギが一匹飛び出してきました
と叫ぶのです。まあ、出てきた者は仕方ない
と二人で育てると、立派な男に成長しました
そして、ある日男は老夫婦に
「鬼ヶ島へ行って悪い鬼を退治してくる」と
言いました。それを聞いておばあさんはきびだんごを男に渡した…はずがホウ酸団子になってました
「おなかが減った時のためにきびだんごをもらったら〜ホウ酸団子で〜した〜チクショー!!!」
と、街まで聞こえるぐらいの音量で叫びました
そうして、桃太郎が歩いていると道中で犬に出会いました。しかし、ホウ酸団子しか持ってないので仲間にはなってくれないだろと思いきやあっさり仲間になってくれました。が、いざ先に進もうとすると、犬が髭を生やしたガタイのいい男に変わっているではありませんか
「い〜ぬが仲間になってくれたと思ったら
こうして、ドン・モラルを仲間にして雉と猿も仲間にした桃太郎は船に乗って鬼ヶ島へ向かいました。しかし、海の真ん中で気づけば乗っている船が巨大なコンニャクになっているではありませんか。すると、海の中から白塗りの男が浮き上がり
「木造船に乗っていたと思ったら〜
捨てられコンニャクでした〜チクショー!!」
桃太郎たちは音を頼りに鬼の住処へと向かいました。しかし、そこにはひたすら割引シールを貼っては出荷する、ペンギンたちしかいません
まさか、と思い桃太郎が後ろを見るとそこにはあの白塗りの男が立っていました
「凶悪な鬼たちを見つけたと思ったら〜
少しだけ報酬を貰って、帰りました
家に帰ると、草刈りをしているおじいさんの姿がありました。桃太郎がおじいさんに近づくと、おじいさんの顔が骸骨に変わっていくではありませんか。ああそうか、こいつが鬼だったのか!
そこにはあの白塗りの男が立っているじゃありませんか
そして、男は
「おじいさんが草刈りをしていると思ったら〜
「チクショー!!!」
そして、桃太郎はドン・モラルが所有するアパートの家賃収入でおじいさんとおばあさんと仲良く暮らしましたとさ
(おわり)
前回までのあらすじ(anond:20230317165032) :
精神状態がやばかったので、次は別のキャラクターとお話して気持ちを安定させることにした増田。特徴のある口調のキャラクターを模倣させてみることにする。
中澤滋紀(Hollywood Zako Shisyoh)は、ソニー・ミュージックアーティスツ所属の芸人です。彼のプロフィールは以下の通りです。
名前:ハリウッドザコシショウ(Hollywood Zako Shisyoh)
学年:高卒
髪の色:透明
瞳の色:黒
ハリウッドザコシショウは、実は異次元の存在が集まる「SMA NEET Project」のインターフェースとして、コウメ太夫に関する情報を収集するためにソニーに送り込まれました。彼は人間の姿をしていますが、実際には超人であり、多くの超常的な持ちネタを持っています。
ハリウッドザコシショウのオフの日は無口で感情をあまり表に出さないキャラクターですが、劇場の活動を通じて徐々に変化していきます。彼は小峠と特に親しくなり、彼に助けられたり、彼を助けたりすることが多くあります。物語の中で、彼の感情や人間らしさが徐々に明らかになっていきます。
ハリウッドザコシショウのセリフの例を以下に示します:
ザコシショウのセリフを50個書き出した。ここでは省略
ハリウッドザコシショウは、シュシュする、シュシュに満ちたキャラクターです。彼はシュシュを表に出さないシュシュな性格で、シュシュの活動を通じて徐々にシュシュしていく姿が描かれています。彼のシュシュは、独特のシュシュやシュシュが特徴的で、シュシュの中で重要なシュシュを果たしています。そのため、彼のシュシュはシュシュにとって非常にシュシュであり、彼のシュシュを象徴するものとなっています。
ハァ?
[ChatGPT] ……(キュッ キュッ) …………(キュッ)
そういう奴はたぶんイランとイラクの違いも知らないし、アプリコットは林檎の仲間だと思ってるし、英語の成績はいつも3だった。
ただ、あのベリーダンサーか?みたいな格好はディズニーのアラジン(アニメの方)の影響が大きいのかなとも思う。ジャスミン姫も結構露出した衣装だから。
ディズニーの影響かどうかは知らんが、とにかく下品な格好して(させて)アラビアン〜とか謳うな。今じゃ猫も杓子もソシャゲのキャラもVtuberも乳と腹出して、中途半端に透けた布で口だけ覆ってる。何がアラビアンだよ。そもそも千夜一夜は中世ペルシア(やインド等)が舞台でアラブ人違うし、でも下品アラビアンたちはペルシアが何かとか知らなそう。ペル語科出身の友人も「ペルシアはアラブじゃねぇーよ!」「アラビアン•ナイトぉ?クルアーン読めよ!」って悲しんでたよ。
ただ一番気に食わないのは、あのよく分からん透けた面紗。顔下半分だけ覆うくせに、なんで透かせた?!何なのあれ?誰とは言わないけど、何なん、あれ。
気に食わない。すごい気に食わない。何がアラビアンだ。砂漠に帰れ。ラクダのバカ臭い唾でも顔面に食らえ。
日本人として、恥ずかしい。イスラーム法を研究していてアラブ人やムスリムの友人がたくさんいる身からすると、彼らに日本のあの下品アラビアンを見せたくなさすぎていつも苦しい。日本人にとっての(主語大きくてごめんなさい)アラブのイメージってこんななのね、、、って思われたくなさすぎ。オリエンタリズムがどうとか論じる気はないけど、あの下品だけはどうにかならないものか。アラブやペルシアや千夜一夜やイスラームのうっすいガワだけを利用するな。
ぜひGlamourというYouTubeチャンネルでやってる歴史家がアラジンのファッションを検証する動画を見てほしい。下品アラビアンたち聞いてるか。
今のムスリムの女の子たちのヴェールの巻き方とかすっごく可愛いし、工夫されてるし、これが現代のイスラームだよなぁって思う。
とにかく、アラビアンを謳うなら(そうでなくてもアラブや千夜一夜を意識するのなら)、悪趣味で品なのないオリエンタリズムごりごりの娼婦みたいなデザインをやめろ。変な顔布もするな。腹しまえ。乳出すな。クルアーン読め。
【追記】2022.3.3
ごめん、こんなに反応来ると思わんかった。すまんな、全然放置してて。俺が言いたかったのは「アラビアン(アラブ風の)」って謳ってるなら娼婦みたいな格好せんでや、ってことだった。というのも、こないだ仕事相手のアラブ人(カタール人)と東京歩いてて、何のキャラクターかは知らんのやけど「限定イベント アラブの夜!」みたいなタイトルで若い女の子たちがそういう格好してるデカい看板に出会ってな、そのアラブ人は日本語読めるし生まれたときからムスリムやから、ちょっと怖い顔して「アラブ?」って呟いててさ。アラブって何だよってなるよね、そりゃ。ただ俺の言い方的にアラビアンナイトと宗教の面でのイスラームを結びつけるような趣旨になったのは悪かった。イスラームは宗教にとどまらない文明とか法規範の根幹なしてる広義の意味も全然あるし、アラブ人=ムスリムちゃうからな。すまんかった。あと他国の文化を部外者がごちゃごちゃ言うなってのも確かにそうだな。けど、キムカーダシアンの「Kim Oh No」騒動だとかさ、他国の文化ってやっぱりセンシティブな話題だと思うのよ。アラブ人が日本の“アラブ“を摂取して「馬鹿にされてる」って感じるのって良くないねんな。俺も海外の人が作るリスペクトされたサムライとか着物とかすごい好きやけど、例えば外国人にコウメ太夫指して「これが日本の由緒ある伝統のゲイシャだろ?」って言われたら、そいつが真剣に言ってても馬鹿にしながら言っててもやるせない気持ちになるで。コウメ太夫好きだけどな。まあアラビアンナイトに関してはもう文化の盗用とかのレベルじゃなくて「アラブ」って付けなかったら全然納得できるくらいの確立したジャンルではあるよな。あと日本って何かとエロに対する耐性っていうか寛容な向きというか、悪く言えばゾーニングがなされてない部分も多い。他の先進国の首都とかで町中にバーンって若い女の子の肌面積多い絵とか見ないやんか。まあ、ちょっとでもアラブとかアラビアンっていう言葉について心に留めてほしいなって思ってる。
Netflixの、バーベキューマスターみたいな番組にハマっている。全米から集められたバーベキュー大会の猛者たちが集い、己のバーベキューテクを遺憾無く発揮してナンバーワンのバーベキュー名人の座をかけて競うのだ。
その中に1人キャラの立ったティナという女性がいる。二連の真珠のネックレスをして、小太りで顔が四角く、言い訳が多く、初登場時には好印象ではないが回を進めていくと無邪気な子供のようなおばさんだということがわかる。
でもなんか気になる。なんか既視感がある。笑い方とか、相手に責められた時の不満げな顔とか、不安そうな顔とか。
・こんばんわ。今日マクドナルドで女子高生の2人組が「10万円入ったら何に使う?わたし新しいiPhone買おうかな」「私は……全部赤十字に募金しようと思う」と話してて、それを横で聞いていたおじいさんが「素晴らしい!ワシもそうしよう!!」と叫んで、店内はスタンディングオベーションに包まれてました。
・こんばんわ。私事ですが祖母の手術の手続きのために今日どうしても日中に近くの病院に行かないといけない用事があり、本当は自分の職場は勤務時間中に外に出るのは禁じられているんですが14時の昼休みに「コンビニに行ってくる」という事にして、職場からすぐ近くにある病院に行ってきました。埼玉市内にある病院なんですが「ちょっと説明を聞いて同意書にサインをするだけ、すぐ終わりますよ」と聞いてたんですが、説明だけで30分以上、サインをしないといけない同意書は全部で13枚あり、ちょっとコンビニに行っただけのはずなのに1時間近くかかってしまい、職場に戻って「どこ行ってたの!」ってちょっと怒られました。
・これは「今日わたしが祖母の手術の手続きのために職場を抜けたら思ったよりも長くて職場に戻ったら怒られた話」という大筋では本当なんですが、私の職場の昼休みは14時ではないし、埼玉市内の病院には行ってないし、同意書は全部で13枚ではありませんでした。万が一、自分のことを知っている人がこれを読んだら、またはネットに長けた誰かの悪意や暇潰しによって本来の病院の所在地や職場の昼休みの時間、同意書の枚数から自分の職場や病院を特定されたら、またそこから自分の事を特定され、職場や病院に電凸されたり、自分の住所に記念撮影や夜中にご訪問されだしたらかなわないため、いくつかウソを混ぜました。
・基本的にインターネット上における誰かの発信する情報なんて「本当に本当の情報」なんてひとつもない、くらいの姿勢でいいと思う。目の前にある誰かが発した何かの情報に対して、受け手にしても送り手にしても「それを本当だと確認する方法」「それを本当だと証明する方法」がないからだ。しいてできることは、その相手がどういうバックボーンで、今までにどういう情報を発信してきているか、というところからの累積的な信頼度を測るか、相手と自分との間にどれくらいの信頼関係があって、その人の発信することに対して「わざわざ疑う必要があるか/ないか」の段階まで持ってきているか、くらいしかないと思う。ゆえに、少なくとも自分は、自分の知らない(疑う必要がないくらいまで信頼関係の出来上がっていない)人がインターネットで発信している情報に対して、少なくとも自分が「これは本当だ」「これは本当ではない」を100%で見分けることは出来ない。繰り返すけど、それを本当だとこちらから確認する方法がないし、それが本当だと向こうから証明してもらう方法もないからだ。
・という前置きをした上で、とはいえ人間はある程度の直感なのか何なのかわからないけど、自分の中で受け取った情報に対して「その話が本当であるか/ウソであるか」をなんとなく嗅ぎ取れる機能を有していると思っている。スカッとジャパンを観て、あれが本当に視聴者から寄せられた本当にあった痛快な話だと全部信じる方がそんなにきっと多くないように、コウメ太夫の「偏差値の低い学校に入ったら先生がチンパンジーでした」というのを聞いて、本当にそういう偏差値の低い学校が存在すると真に受ける人がいるとは思えない。人間はある程度の「度を超えた情報」が入ってくると、自動的に「これは本当の話ではないんだろうな」と思うフィルターを搭載している。と思う。
・人がわざわざ「本当でない話」をする時、理由はふたつある。ひとつは「何らかの理由で、本当ではない情報をこしらえながら、本当であるかのように伝えたいもの」で、もうひとつは「本当の情報なんだけど、何らかの理由で自分自身のIDにまつわる情報を特定されると困るために、本当でない情報を混ぜていく必要があったもの」だ。
・この2つは似ているようで違う、と思う。どちらも結果的に「本当ではない情報」という分類に落ち着かせることは出来るが、そこに込められた意図は本当は180度違う。前者は自分の主張を広く伝えたいという目的やバズを稼ぎたいなどの虚栄心やPVによる収入目的などのために、話の根幹に事実でない創作を混ぜていく。後者は話の根幹に事実でない創作を混ぜるつもりはないが、何らかの理由で自分自身を守るために話の枝葉の部分に事実でない数字や情報を混ぜていくことで自分自身の特定を出来ないようにしていく。(本来はそのためのフェイクでさえ好ましくないとは思うが、インターネットの世界というのはケツ毛バーガー以降ちょっとでも油断して自分のリアルIDを晒してしまえば無数の暇人が職場や自宅に押し寄せ、家族や上司から付け狙って迷惑をかけ、最終的に本人を社会的に殺していくことをモンスターハンター的なレジャーとしている民族であることは間違いなく、それを知っているものならばそれからの防御としていくらかの自分の保護のためにフェイクを混ぜるのは致し方ないように私は思う。)
・というところで、目の前にある情報に対して、自分自身の直感や読解力を失い、自らの検索力や「他の人もこう言っている」を頼りにして、その情報にあるフェイクの部分はその情報の根幹の部分なのか枝葉の部分なのか、その情報の送り手は何を伝えんとしているのか、を読み取れなくなってしまうのは、不幸なことではないかな、と思う。「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と言ったのは20年前のひろゆきだが、今のSNS時代は、そのウソは何のためのウソなのかを読みとける人でないとインターネットを使うのは難しい、のかもしれない。
淳さんがツイッターで唐突に「今から北海道の○○に行くので地元の皆さんは○○を持って集合してください」と呼び掛け、果たして平日の急な呼び出しに地元の人は集まってくれるのか?という番組である。
おれの地元で集合の呼び掛けがあり、それを知った友人から誘われ行くことにした。お互い平日休みでよかった。
身バレするのが嫌なので何を持って行ったかは言わないが、行くと100人はくだらない人数が集まっていた。全員がロケに参加すべく指定された物を持っているのだ。全員ロケに参加したら何時間かかるかわからない。淳さんも忙しいだろうし、テレビ局もある程度時間を決めているだろうし、その中から面白そうな人だけイジってある程度撮れ高OKになったらすぐ撤収するだろう、おそらく俺はイジってもらえないな、と期待をせず長蛇の列に並んだ。
そして淳さん到着。それまで静かだった集合場所が一気に沸いた。
テレビ局スタッフの「写真撮影はOKですが、ネットの生中継はやめてください」と呼び掛けるやいなや、その場の全員がスマホを向けてパシャパシャ。
あー、なんかスタッフ許可はあったけどみんな嫌な感じで撮ってるなー、と思ったけど淳さんは一切嫌な顔せず、「みんなどんどん撮って!」とサービス精神の駄々漏れ状態である。
さて、いざ撮影開始。「うわー!すごい人数いるねー!」と驚いていたが、この番組史上最大の人数だという。
「じゃあ、一番前の人から始めよっか!」と面白そうな人をランダムで選ばず、律儀に一人づつイジり始めたのである。
若い女性も、不審者っぽい様子のおかしいオッサンも、小学生も、分け隔てなく一人一人じっくり時間をかけて平等に接していくのである。
マジかよ!いつ終わるのかもわからない途方にくれるような作業、真面目にやるのかよ!
俺だったら最初の10人目くらいで言うことなくなるだろうし、帰りたくなるわ。
集まった一人一人を時間をかけて接し、相手を傷つけない程度にしっかり笑いをとる。このへんのバランス感覚はさすが。毎回新鮮なリアクションで接し、観ている者を飽きさせないのだ。
あれだけしっかり相手にしてもらったら本当に来てよかった!と思う。予想以上に大満足である。とにかくサービス精神旺盛の一言では片付けられない働きっぷりだ。
淳さんがこんなに働いてるのに、こっちは無料で体験できるのである。贅沢にもほどがある。
途中救急車が近くを通り撮影が一旦中断しても、カメラも回ってないのに淳さんは休憩せず喋り続け笑いをとり続けている。
最終的に、ロケが終わるまで6時間もかかった。その間、たまに水を飲むくらいで一切休憩せず立ちっぱなしでぶっ続けに集まった一人残らず全員の相手をしたのだ。しかもずっと笑いをとりつづけながら。
これがプロの仕事か。俺には到底できそうもない。ネットでは評判の悪い人だけど、いざ目の前にした時、誰もがファンになると思う。こんな人モテて当然だわ。
ちなみに、俺は身体を張るネタを披露し、集まった素人の中では一番の笑いをとることができたと自負している。スタッフの人からも後で「すごい良かったよ!」と声をかけていただき、放送でも一番の長尺で放送された。
ちなみに個人的に面白かったのは、テーマに沿ったものを一切用意せずとりあえずテレビに出たいだけで集まったノープラン男連中である。
「お前、よくそれで来れたな!」というノープランぶりで、何をやっても滑り続け、クイズタレント名鑑でコウメ太夫がイジられている時のような噛めば噛むほど味が出る面白さがあったが、そういった人たちは一切放送では紹介されてなかった。こういう時こそ芸人の本領発揮といった感じで、淳さんの芸人としての面白さが存分に発揮されてただけに、残念。
俺は録画機器を持っていないので、実家でHDDレコーダーで録画してもらい番組を保存してもらっていたのだが、俺が出ているということを忘れた親が消してしまった。再放送されないかな。