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はてなキーワード: 法的拘束力とは

2024-04-04

anond:20240404230846

ハロワで出力させてくれる募集要項にもちゃんと「これ自体法的拘束力は無いので面接するときに必ず相手と条件を詰めてくれや」と書いてある

しかし、多くはいや殆んどの場合、雇ってもらえるのが第一条件なので、応募する側が相手の二転三転する条件説明に折れて当初の募集内容の条件とは下がった(悪くなった)もの契約してしま

2024-02-29

教師が意地悪で給食時間を短くしていると思っているバカ

一年間にこれを教えましょうとかこれをやらせましょうとか学習指導要領で決まってるわけ

国が、文部科学省が決めてんの

法的拘束力があるかどうかは微妙ラインだけど無視すれば訴訟リスクもある

土曜授業がなくなって久しいのにそれを考慮せず

減らすどころか英語学習小学生のうちからやれとかPCタブレット操作を覚えさせろとかディベートやらせろとかあれこれ詰め込んで

国のせいで予定がギチギチになってる

アレルギー持ちや発達障害の子はどんどん増えていくし保護者も躾とかろくにしないから色んな「対応」でどんどん時間が過ぎていく

時間余ったから好きな本を読んでいいとか外で雪遊びするかとかなんかビデオ見るかなんて余裕はなくなって

削られるのはそういった遊びの時間

担任個人趣味子どもに意地悪をして憂さ晴らしするために年間を通して給食時間勝手に短く設定している!!みたいな妄想に憑りつかれている奴が多すぎてマジかってなる

もしお望み通り給食時間をなが~~く取ったら学習指導要領をこなすために授業がよりハイスピードになって落ちこぼれる子が増えるだろう

から夜遅くまで学校缶詰にしておくわけにもいかないし

というかツルツルした食べ物が何かの拍子にスポッと喉に入り込んでしまうとか大人でも年間通したら数十人か数百人か知らんけど死因としては稀にとはいえ存在するものだろう

気をつけていても日本中のどこかで誰かが起こしてしま可哀想事故しかない

食べ物を喉に詰まらせてしまった」これだけのことでいちいち大騒ぎしなくてもよい

2024-01-30

プラスマイナス岩橋さんの鬱っぽさは司法制度への絶望が原因だと思う

あくま勝手想像という前提で読んで欲しいのと、法知識素人で間違っている箇所はあると思うのでご了承下さい。

(内情全く知らない狂人便所の落書きです。

昨今の離婚ニュースの中で、プラスマイナス岩橋さん・ネルソンズ和田さんの気落ちが印象的だった。

岩橋さんは「二度と法の元の関係性は作らない」と述べ、和田さんは「芸人を辞めようか迷った」と述べていた。

お二人とも詳細は語っていないが、おそらく以下3つの理由により苦しんだのではないか想像した。

一方的な母方の親権獲得が認められてしまたこ

母親が面倒を見ていたか母親親権を持つ」という理論が現状の日本では認められてしまっており、為すすべもなく子供を取られてしまった可能性が高い。

世界的に見て非常に時代遅れな考え方であり、諸外国では大抵共同親権となる。

大黒柱で働いていた間に実家に戻りそのまま離婚されるといったケースでも、

「連れ去り」とならずに「現状維持すべき」という判断で連れ去った側が親権を持つと認められてしまう。

婚姻費用養育費が非常に高額になること

子供2人で元妻が収入0・年収を1000万とすると、養育費算定表から20万ほどの支払いとなる。

https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/file5/youiku-3.pdf

この支払いは法的拘束力を持つものであり、子が成人するまで支払う必要がある(なお成人が18歳になった現在でも20歳までと判定されることが多い)

また、金額育児必要金額で決まるのではなく、夫と妻の収入差で決まることも大きい。

子供の為と頭で理解してはいても、おそらく月1回程度しか会うこともできない状況で、十数年支払いが強制される未来が確定することの絶望は計り知れないだろう。

この法律離婚時に知ることで、専業主婦としてしまたこと、法律婚としたことを後悔して苦しむことになったのではないだろうか。

③法の下、元妻が合理的で(本人視点で)人道的に厳しい要求をすること

一度は愛した元妻から、法の元①②の要求をされたら誰だって絶望するだろう。

念の為、今の日本で①②の要求をすることは全くの合法であり、法的に何も間違っていないことは言及しておく。

ただ、これが合法であることが本人にとって、また絶望になる。

思うこと

囚人のジレンマでいうところの「協調裏切りモデル」があるが、今の日本制度だと一馬力-専業主婦家庭の場合裏切りリスク親権婚姻費用養育費)が非常に高く、裏切られた場合に働き盛りの男性絶望して鬱になったり、自殺したり、無敵の人となるのは想像に難くないと思う。

専業主婦側の行動が「裏切り」で定まる以上(専門的にはナッシュ均衡状態)、ルールが変わらないとどうしようもない。

リスクを恐れて結婚出産を避ける人が増えるのも当たり前だと思う。

本内容に対して、個人で出来ることは少ない。

養育費を払っている人を肯定し励ますことや、共同親権運動・親子連れ去り反対運動支援することくらいだろうか。

ミツカン福原愛騒動など)

司法政治に関わる方は是非、諸外国と同様にな共同親権制度の発足、夫婦の差額ではなく必要金額としての養育費算定表の作成女性収入向上などにより、バツイチ男性自殺を減らせるように進めて欲しい。

家庭を持つこと自体幸せなことだし、日本人が増えることは社会全体としてパレート最適になることなので、徐々に法律文化が変わっていくと嬉しい。

#まあお二人はアルファしまパートナーはできると思う。

2023-03-06

ノーマスクの3年、余裕だった話

はじめに

2019年の暮れ、中国武漢市で発見され、翌年客船経由で日本にて蔓延が始まり2月より世界的大流行となった新型コロナウィルス感染症

政府医療系の有識者などからマスク着用や自粛要請がなされた。

一方で私は、ノーマスクandノー自粛暮らしてきたが、まったく体調は崩していないし、他人に害を加えられたこともない。

そんな私が3年間で続けてきたことを3つピックアップして書いていきたい。

ノーマスク電車

外に出てみると、誰も周りにいないというのにマスクをしている人ばかりだ。

本来マスク感染対策として着用するものだが、そういうところでつけていても意味がない。


一方で、人と人との距離がどうしても近くなり、マスクの着用が効果的といわれる場面もある。

その最たる例が公共交通機関だ。

航空機(日系航空会社に限る)はマスク着用が強制で、未着用の場合客室乗務員に注意され、(その他指示含め)従わない場合搭乗拒否となる。奥野淳也(マスパセ)氏の一件が有名だ。

ちなみにあるTwitterユーザーによると、全日空はその理由を「不安がる客に配慮するため」としており、感染対策おざなりになっている印象を受けた。

バス会社による。筆者は西東京バス(八王子駅サマーランド線)にノーマスクで乗車したとき乗務員に注意されたことがある。

一方未着用者を追い出して行政処分を食らったところもある。


鉄道ほとんど強制してこない。一応マスク着用の呼びかけはしているが、「国土交通省からのお願い」とどこか他人事のようだ。

そこで、ノーマスク電車に乗ってみた。

改札口ノーマスクで通過しても、すぐ目の前にいる駅員は何も言わない。こちらをしっかりと見ているはずなのに。

ホームに降りる。監視カメラで見えるし、なんなら構内放送で注意できるのに、やはり何も言わない。

あるのは先述の他人事チックな電光掲示だけだ。

マスクをした客の間に並んだがやはり特に変わったことはない。

そのまま電車に乗ったが、注意されることもない。

Twitterを見ると「ノーマスクを殴りたい」「控えめに言って死ね」などと物騒なことを言ってはいるが現実はそうでもない。

周りはこちらのことなど気にしないし、なんなら隣に座ってくる。

目立とうと思い、その場でデレステのMASTER+(かなり手を動かす)をプレイしてみたが一瞥だにされず。


もし殴りたいなら殴ればいい。穏便なやり方で済ませたいなら口で注意するなり、通話装置乗務員にチクればいいはずなのに。

乗務員通報すれば施設管理権で追い出すことができ、運が良ければ警察行きにすることもできます

(車内の通話装置は非常停止ボタンではありません。乗務員通話できるだけで運転見合わせにはなりません)

ヤバい奴と分かっているから何もしないんだ」と言われるだろうが、これも怪しい。

ヤバい奴だと思うなら、それを避けることだってできる。別の車両に移ればいい。

乗務員へチクりるにしても、離れたところでやればこちらに知られることがないかリスクさらに低い。

それすらもできないならできないでそっと離れればいいのに、なぜかそうしない。

それどころか自分から近づいてくる。解せぬ。

いやホントTwitter愚痴を言うくらいなら勇気を出した方がいいですよ。


中には「顔に自信がないかマスクする」「マスクマナー」と頓珍漢なことを言う人も出てきた。

前者はともかく、後者の「マナー」とは何だろうか。

当然法で定義されたものではない。調べても色々な人が全く異なること、下手すると正反対のことを言う。

どこを探しても各論的なものしか出ず、誰かが言うたびにその種類は無限に増えていく。

(最近は「マナー講師」とかいう、嘘をでっちあげるビジネスが横行しているそうだが)

「人を不快にしないのがマナー」としても、その基準は人によって大きく異なる。

その論理でいえば、無感情な人の前ではマナー存在しないし、自分を嫌っている人の前ではどう策を講じてもマナーを履行できない。

結局のところ、「マナーを守れ」というのは「自分が気に入らない」ということなのだろうか。


元々マスク感染対策のつもりだったのだろう。

しかし今ではその目的を見失い、マスクすることそのもの目的と化している。

おそらく周りの乗客マスクの意義についてはよく理解していないか、薄々疑問を感じているのだろう。

しか日本の文化上権威の申すことや周りと同じことをしないのは社会的デメリットが大きい。

から嫌々ながらも、あるいは何にも考えずにマスクをしているのだろう。

…と思ってTwitterを見てみると、「私だって苦しいのに」「みんなやってるのに」という、仮説ドンピシャ投稿多数。

要は小学生学校でよく言う「みんな苦しいけど頑張っているんだよ」「障害持ってるあの子もやってるんだよ」的な代物だ。

(後者障害者を見下したうえで無理やりやらせている気がする点人権的にいただけないが、ここでは論じない)

大人になるとなまじ知識があるからこれをカムフラージュする言説を組み立てられるが、これは非常にわかやすい。


それに匿名を前提としたインターネットのことだ、案外リアルでは影響がないのかもしれない。

過激意見は目につきやすい(閲覧回数が増え、拡散されやすくなる)からどうしても検索上位に来る。

それはインターネットでは目立つが、実生活では無視できるくらい小さな意見なのだろう。


そういえば、インフルエンザときマスク着用者や感染者を見下していたくせに今となっては手のひらを返した小説家医者がいたっけ。


ノー自粛旅行

世界パンデミックとなった当初は世界各国が都市封鎖及び外国人渡航者の受け入れ停止をしていたため、海外旅行へは行けず。

日本国内でも外出や旅行自粛要請、それを踏まえた各種イベントの中止などがなされた。


だが交通機関普通に動いていた。航空路線は大幅減便があったが、それでも移動には影響しない。

従って旅行自粛しなくてよいと判断し、感染大前と同様の行動をとった。


とはいえ1年目は、入国関係で支障をきたすことへの不安から海外旅行はできなかった。

そこで沖縄旅行にとどめることにした。当然ながら全行程ノーマスクである

沖縄本島高校修学旅行で行ったので、ここは簡単に回る程度にし、主として離島を回ることにした。

初日羽田を出てまずは沖縄本島へ向かった。ここを経由し粟国村で一泊。

次いで本島に戻り渡名喜村、その後は北大東村最後与那国島観光

航空機船舶路線がないところ(ナガンヌ島黒島水納島など)に行けなかったのは残念だったが。


その後各国が入国者受け入れに寛容になったので、海外旅行スタートした。

すでに5回渡航しているが、最近だと、数日かけてシチリア島からコペンハーゲンまで列車縦断した。

成田からシンガポールを経由(ついでに空港シャワーでひとっ風呂)し、早朝にミラノに到着。そのまま午前の便でパレルモへ飛んだ。

列車パレルモ中央駅に出て、正午過ぎの寝台特急24時間以上。今の日本にはない列車船舶積載も体験した。

ミラノから特急ヴェネツィアへ。これだけで1日が過ぎてしまったのでまた寝台特急。初めての国際寝台列車シュトゥットガルトへ。

ハンブルクへ向かいミニチュアワンダーランド(模型遊園地)へ。

さすがに疲れたので、その日はここでホテルを取り、翌日電車コペンハーゲンに到着。

で、SAS直行便にて2月半ばの金曜日帰国した。そのまま土日で東京ドームコンサートへも行った。

このときから政府の指針により声出しOKとなったうえ思いっきり「密」だったが、やはり健康のものだ。


感染拡大当初はともかく、自分以外にも自粛などしなくてよいと考える仲間がいたのが心強い。

普通に外出をし、飲み会をし、と人生を楽しんでいるようで何よりだ。

ある日のサンシャイン通りは人でごった返す中、外出自粛を呼びかける豊島区役所職員の声がむなしく響いていたのが印象的だった。

(ちょっとかわいそうと思ったが、本人は職務上やらされているだけで本心バカバカしいと思っていたりして)


「お願い」と「義務」を分けて考える

ここでは、行動というより気の持ちようについて話したい。

タイトルの通り、「お願い」「要請」と「義務」「命令」は異なるものだ。

後者は守らない場合に何らかのペナルティが科せられるが、前者は無視しても問題ない。

日本政府は「自粛要請』」「休業『要請』」などと、「要請しかしておらず、受けるかどうかはこちらで決められる。

一応「強い要請」もあるが、「お願いします」が「しなさい」になった程度でやはり無視することができる点は変わらない。

言い換えると法的根拠がない以上ペナルティを持った法的拘束力はなく、すなわち自由にできるわけだ。

そもそも自粛したところで何の見返りがあるのか。ないのであればする意味はない。

自粛保障はセットだろ」といわれたが、国が何もしない以上こちらが義理を尽くす必要もない。


ここから、よくある批判反論していく。

政府が言っている以上義務

何度も言うが、政府は「お願い」しかしていない。

「お願い」=「義務」という言説があるが、きちんと文字国語辞典を読めと言いたい。

どこをどう解釈したら「お願い」が「義務」に飛ぶのか。そんなことが書いてある辞書がどこにあるのか。論理を飛躍させるな。

お隣さんが言おうが政府が言おうがお願いはお願い以上ではない。守る義務はない。

じゃあ感染しても病院に来るな

いったいいつから発熱外来は真面目に要請を守っている人だけのもの」になったんですか?なってませんよね?

どこにも「外出自粛していない人は当院の受診お断りします」なんて貼り紙はないし、ましてやそういう法律もない。

よって、どうしていようが体調を崩したら病院受診する権利は誰にでもある。

それでは社会が壊れる

そもそも政府の「お願い」レベルのことを聞かないだけでだ。いつまでたっても権利が来ない義務を守り続けないだけでだ。

そんなことで壊れる社会なのですか?

その程度で壊れる社会だったら壊れてしまった方が、そして各個人もっと自由にふるまっても壊れない社会にした方がいいのでは?

結局は運次第!

ここまで私のノーマスクandノー自粛暮らしをつらつらと書いてきた。

当然ウィルスは見えないので、こちらが感染たかどうかはわからない。

しかし1つだけ言えるのは、感染して発症するかだとか、それでどうなるかは結局のところ運でしかないということだ。

家の中でもマスクして趣味いくら我慢しようとも感染するときはする。体調が悪いときは悪い。死ぬとき死ぬ

逆にそういったことをしなくても健康のままということもある。

どちらも確実ではない。神のみぞ知る確率でどれかに行きつくだけだ。

(素人適当確率を言おうとしているものもあるが、大概不正確だ)

ちなみに、私はこれでも3年間一切体調を崩しておらず、毎月PCR検査を受けているが陽性判定が出たことはない。


結局のところ、したくもないのに我慢したり、自分が気に入らないからと他人我慢してないのを攻撃するのはやめましょうよ。

それであなた健康幸せになるわけじゃありませんから

もし少しでも我慢している、相手が妬ましいと思うなら、あなたもやっちゃいましょうよ。

2022-12-21

Colabo・東京都契約公法上の契約について

Colaboと東京都との契約が「公法上の契約」とのことで、その取扱いについて話題になっている。

東京都に予定価格算定に関する資料の開示請求をした所、公法上の契約のため当該資料存在しないとのことであった。

https://note.com/opp406/n/nd2618e696693

また、先行したまとめもあるが、

公法上の契約」の含意をググった範囲解説する

https://anond.hatelabo.jp/20221221090611

もう少し詳しく見ていこうと思う。

結論を先にいうと、

Colaboと東京都契約公法上の契約に該当する可能性は極めて低く、また、仮に該当したとしても予定価格を算出しない根拠不明であり、東京都には説明する責任がある

と考えている。

公法私法とは

一般に、法律公法私法区分される。

どのように区分されるのか。

国や公共団体市町村がその典型)の内部や相互間の関係規律するルール、および、それらと私人との関係規律するルールが《公法》であり、私人相互間の関係規律するルールが《私法である

リーガルイシス民法入門(第3版)(道垣内弘人)】

具体的にいうと、公法に該当するものとして、刑法民事訴訟法刑事訴訟法国家行政組織法などがあり、私法に該当するものとして、民法商法会社法などがある。

ただし、公法区分されている法律にも私人間について規定した部分があったり、私法区分された法律にも国家について規定した部分があるなど、法律単位で明確に区分できるものではないので、概念的なもの理解してほしい。

公法私法二元論公法私法一元論

公法私法はそれぞれ別の法体系として捉えるべきかどうか、という議論がある。現在の通説は一元論(というより区分意味がない)であり、判例・実務も一元論寄り(あえて区分しない)と理解されている。

解釈技術的に見る限り、今日公法私法二元論を取って取れないことはないにしても、その場合一元論に対比しての独自意味は余り無く、従って、どうしても二元論固執しなければならない、という理由もまた無い、というのが実態

行政法Ⅰ(第4版改訂版)(藤田宙靖)】

行政意思の実現方法

公法上の契約に入る前に、行政庁がその活動を行うにあたって、どのような形式があるのか見ていこう。

行政行為

一般的に、私人間の法律関係権利義務関係を作るもの契約である

では、行政私人との関係ではどうだろうか。

契約という手段を用いることもある(後述)が、そのほかに行政行為」という概念がある。法律上の用語ではなく、講学上の用語であるが、便利なのでこれを用い、具体例を挙げて説明する。

行政行為の種類(例)

・下命(…しなさい):租税賦課

禁止(…するな):営業停止

許可(…して良い):営業許可

免除(…しなくて良い):予防接種免除

その他、特許道路占有許可)、認可(公共料金の値上げ)等

行政行為にはこのような種類があるが、それ自体は余り重要ではない。重要なことは、行政行為とは私人に多大な影響を与えるものであり、法的な根拠が強く求められる(行政の好き勝手は許されない)ということだ。

行政行為権力行為象徴としてとらえられ、その限りにおいて行政権についての法の拘束を問題とする法律による行政原理を中心とする行政法の諸原理が直接妥当する。

行政法Ⅰ(第4版)(塩野宏)】

例えばあらゆる行政活動につき妥当する「法律の優位の原則」は言うまでもなく、「法律留保原則」に至っては、そもそもそれ自体行政行為を中心とする個別具体的な行政活動をめぐって展開されて来た

行政法Ⅰ(第4版改訂版)(藤田宙靖)】

ざっくり言うと、「法律による行政原理」とは、行政法律に従って活動しなければならない、という大原則(例外あり)のことであり、この原理から導かれる「法律の優位の原則」とは行政法律違反してはならないということで、簡単理解できると思う。

また、法律に反しなければ行政は何をしても良いわけではない。そこで登場するのが「法律留保原則である。これは、「行政活動を行うには法律の授権を必要とする」という考え方だ。ただ、これはすべての行政活動妥当するとは考えられておらず、例えば純粋な私経済作用(例えば文房具を購入するなど)については妥当しないと考えられている。

行政指導

行政行為に法的な根拠必要なことは理解できた。

しかし、我が国における一般的な行政慣行として、行政行為に至る前に、行政指導というものが行われている。具体的にいうと、役所に「こんなことできませんかね?」と質問した際に「それじゃちょっと難しいっすね。ここをこうしてもらえるならできまっせ」と回答して貰ったり、役所から、「建物が壊れそうで、このままだと行政処分をせざるを得ないから、今のうちに危険を除去しといてね」と指導されたりするやつだ。

これは行政行為処分)ではなく、単なる事実上指導であるので、基本的には法的な根拠不要であるし、訴訟対象にもならないと考えられてきた(例えば行政指導を信じた私人不利益を被った場合行政庁に責任はないと解されてきた)。

行政行為には法的根拠必要で、手続き守らなければならず、訴訟対象にもなるということで、面倒くさい行政行為ではなく、行政指導活用してきたということだ。

しかし、あまりに便利で幅広に使いすぎたせいもあり、一定手続きの整備や訴訟対象とすることは必要だ、と解されているのが現在である

行政指導には何らの法的拘束力も無いという基本的な考え方からして、行政指導に対する私人の信頼の保護ということが、行政法学上重要問題とは考えられなかったような時期はもう終わった、ということだけは明らかとなった

行政法Ⅰ(第4版改訂版)(藤田宙靖)】

行政手続法】

第三十二条 行政指導にあっては、行政指導に携わる者は、いやしくも当該行政機関の任務又は所掌事務範囲を逸脱してはならないこと及び行政指導の内容があくまでも相手方任意の協力によってのみ実現されるものであることに留意しなければならない。

2 行政指導に携わる者は、その相手方行政指導に従わなかったことを理由として、不利益な取扱いをしてはならない。

第三十五条 行政指導に携わる者は、その相手方に対して、当該行政指導趣旨及び内容並びに責任者を明確に示さなければならない。

2 行政指導に携わる者は、当該行政指導をする際に、行政機関が許認可等をする権限又は許認可等に基づく処分をする権限行使し得る旨を示すときは、その相手方に対して、次に掲げる事項を示さなければならない。

一 当該権限行使し得る根拠となる法令条項

二 前号の条項規定する要件

三 当該権限行使が前号の要件に適合する理由

(略)

第三十六条の二 法令違反する行為是正を求める行政指導(その根拠となる規定法律に置かれているものに限る。)の相手方は、当該行政指導が当該法律規定する要件に適合しないと思料するときは、当該行政指導をした行政機関に対し、その旨を申し出て、当該行政指導の中止その他必要措置をとることを求めることができる。ただし、当該行政指導がその相手方について弁明その他意見陳述のための手続を経てされたものであるときは、この限りでない。

(略)

まとめ

行政行為行政指導を見てきたが、大まかな考え方として、「行政フリーハンドは認めない」方向で議論が進んでいる点が重要である

行政上の契約公法上の契約

行政意思の実現は、これまで見てきた行政行為行政指導以外に、契約という形式を用いることがある。例えば、住民水道局との給水契約官公庁舎の建築契約消耗品売買契約等々、幅広く存在している。

そして、これらの範疇に含まれない、公法上の契約というもの存在する、と議論されてきた経緯がある。

しかし、先ほど見てきたように、そもそも公法私法二元論自体疑義があり、公法契約にも疑義が呈されているのが現状である

いわば狭義の行政契約すなわち公法契約公法上の契約)という行為類型存在する、という主張が、伝統的になされて来た。

(略)

特に公法契約」というカテゴリー解釈論上設定する意味は極めて薄い、と言わざるを得ないことになる。このような事情にあるために、現在わが国では、公法契約なるもの存在可能自体否定しないにしても、現実には極めて例外的にしかその例を認めない見解が、多数であると言ってよい。

行政法Ⅰ(第4版改訂版)(藤田宙靖)】

そこで、これら行政の行う契約をひっくるめて、行政契約行政上の契約)として議論されることが多くなっている。

いずれにしても、大きな議論の流れとして、契約であるから行政庁は好き勝手して良い、という方向では議論はされておらず、行政行為行政指導で見たように行政庁の自由裁量を認めない方向で議論が進んでいることは間違いない(もちろん契約内容にもよるが)。

したがって、行政契約であることをもって、契約主体行政庁と契約相手)が自由裁量を得る、というのは誤りであると言える。

特に公法契約存在するとした場合行政庁と私人自由意思に任せることが原則の通常の契約よりも行政庁の裁量の幅が狭くなることはあれ広くなることは考えにくい。

この方法には、私人との合意があったことを理由に、行政主体が好き勝手なことをなし得る、という危険が内在することをも意味する。先に見たように、現行法上、行政主体の結ぶ契約について、様々な制約が付されているのは、まさに、このような危険を防ぐためである

行政法Ⅰ(第4版改訂版)(藤田宙靖)】

今回のColaboと東京都契約

Colaboと東京都契約は、「東京都若年被害女性支援事業委託仕様書」に基づいてなされた一般的な委託契約請負契約か準委任契約かは結論に影響しない。)であり、公法契約という概念が出てくる余地はない。

従来の行政法学では、行政上の契約公法に属する「公法契約」と私法に属する「私法契約」とに二分し、前者のみを行政法学の対象としてきた。そして、「公法契約論」においては、報償契約公用負担契約などを念頭において、こうした公法契約を締結するには法律根拠必要とされるかとか、いかなる要件のもとに締結が可能かといった問題公法契約の許容性と可能性)を主に議論してきた。

行政法要論(全訂第3版)(原田尚彦)】

また、仮に公法契約であったとしても、競争入札において、予定価格を定めなくて良いという特別法がない以上、一般法(地方自治法)の規定適用されるものである

したがって、東京都の「公法上の契約のため当該資料存在しない」という説明は、①公法上の契約とは考えられないこと、②仮に公法上の契約だとしても予定価格の算定は必要なこと、と二重の意味で誤っていると思われる。

(予定価格の算定をしなくて良いのであれば、地方自治法第234条3項が適用されない法的根拠説明必要だ。)

第二百三十四条 売買、貸借、請負その他の契約は、一般競争入札指名競争入札随意契約又はせり売りの方法により締結するものとする。

2(略)

3 普通地方公共団体は、一般競争入札又は指名競争入札(以下この条において「競争入札」という。)に付する場合においては、政令の定めるところにより、契約目的に応じ、予定価格制限範囲内で最高又は最低の価格もつて申込みをした者を契約相手方とするものとする。ただし、普通地方公共団体支出の原因となる契約については、政令の定めるところにより、予定価格制限範囲内の価格もつて申込みをした者のうち最低の価格もつて申込みをした者以外の者を契約相手方とすることができる。

東京都若年被害女性支援事業競争入札なのか

法律上、競争入札では予定価格を算定することとされている。

すなわち、競争入札でなければ予定価格を算定する必要はない、ということだ。

では、東京都若年被害女性支援事業競争入札で行われたのだろうか。実は、この公募関係ウェブページが全部削除されているのである

かろうじて、平成30年度は公募が行われたらしきことが見て取れる。

[都]平成30年東京都若年被害女性支援モデル事業の一部を実施する事業者を公募しま

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/jakunenjosei/jakunenjosei.html

https://www.tcsw.tvac.or.jp/php/contents/mailmagazine.php?key=617

だが、リンク先を見てもらえばわかるようにすでにリンク切れであり、ウェブ魚拓ウェブアーカイブさえ見つけることができなかった。そして、平成31年度~令和4年度までは公募が行われた形跡すら見つけられない。

通常、こういった公募手続きについては終わった後も消すことは余りないように思うのだが、何故見つけられないのだろうか。(見つけた方はぜひ御提示ください)

予定価格とは

不意に予定価格と出てきて、何のことかわからない方もおられると思う。

予定価格とは、ざっくりというと契約金額落札金額)の上限だ。

不思議なところであるが、例えば議会予算が1000万円と認められた事業について、入札を行う際には予定価格は950万円くらいになったりする(なので980万円で入札しても落札することはできない。)。

予定価格の算定方法公表されてないが、一般的には業務ごとに一定割合を乗ずることによって算出している(例えば役務労働力)の提供であれば予算額の95%等)。

(ここではそういうものだとご理解ください。詳しくするとまた長くなるので)

最後

ここに書いてきたことは、「東京都が、都とColaboの契約公法上の契約ととらえており、また、予定価格を定めていない」という情報が正しかった場合です。

個人的には何かの間違いだったと思い

2022-11-25

anond:20221125082038

これ参照しても辞書的な意味以上の解説載ってなくないか

法的拘束力云々とか。

2022-11-06

から何度も言うけど、法的拘束力のないアンケート調査外国人投票権を認めようと言った程度のことで「売国奴」だのなんだのと言われる筋合いは流石にないでしょうよ。

とはいえ外国人参政権に抵触しかねないセンシティブ領域でもあるので、慎重すぎるくらいでちょうどいい」という反対意見ならわかるけど。

2022-10-08

新聞の読み方』のハウツー本を探してる

具体的には「新聞記事上で当然のように多用される独特のターム」の解説が充実しているものを探している。

例えば『枠組み合意』という単語

国同士がする約束事だというのは記事を読んでなんとなくわかるのだが、「法的拘束力があるのかどうか(あるとしたら根拠となる法律制度が何なのか)」とか「合意無視した国はどうなるのか」とか、そういったことまでは記事上で言及されていないので全く腹落ちしない。

他に、『議員連盟』という単語

参加資格を現職議員制限した結社?で政策推進や業界連帯目的とする、とかはググれば出てくるが、志があるといえどこの任意参加のサークルのようなものが、具体的にどのようにして利権に食い込むことができるのかまでは調べてもわからないし、やはり新聞記事上で解説されていない。

他にも、『清和会』というものはなぜ自民党という政治結社のなかでわざわざ存在しているのか(サークルなかにサークルがあるような違和感がある)、どのような制度根拠に、どのような手続きで発足・存続することができ、何の後ろ盾のもと自民党の外でも動けているのか、とか。

二階派』、『高村派』とかもよくわからない。

二階が「俺は『二階派』という集まりを〇月〇日に結成する!メンバー来たれ」みたいにあるとき募集を開始してできたものなのか、『永田町ストロングファイターズ』みたいに自由派閥名をつけてはいけないのか、議員一年生のとき杉村太蔵が早々に『杉村派』を結成してもよかったのかどうか、そもそも派閥団体規約とか細かい手続事項みたいなものがあるのかどうかとか。

とにかく、新聞記事1つ読んでみるだけで、謎のタームが続出しており、しかも別の記事・別の日にも幾度となく登場するので、全くニュース理解できた気がしない。

自分自身大学受験とき政治経済勉強し、社会学部に進み一応丸山眞男ウェーバーなどの洗礼を一通り受けてきたつもりなのだが、そうした経験をしても上述の疑問を解消する手助けには遂にならなかった。

私にとっての痒い所に手が届く、新聞の読み方のハウツー本にもし心当たりがあればどなたか教えてください。

2022-09-06

anond:20220906215057

生きていく上のパートナーは欲しかった、それだけ。

法的拘束力のあるものが欲しかったし、男女間だったので法律婚しました。

2022-07-29

転売ヤーと小売の違い

小売 → 様々な商品流通の末端を担っている、消費者との接点を作る

問屋 → 調達を担い、在庫の調整弁となっている

転売屋 → 高騰が期待される商品を買い占め、更に高騰させて消費者に売る

 

転売屋の役に立っている点

・人気商品争奪戦に参加できない人に届けることが出来る

・現地に行かないと買えない商品を遠隔地にいる消費者に届けることが出来る

 

上記の役に立っている点は、バイヤーに近い気がする

バイヤーって日本語でなんだ?買い付け人

 

転売屋問題点

・独占 → 争奪戦の敗者からまれ

・高騰させる → 市場全体からまれ

 

なぜ最近転売屋問題になっているのか?

流通の仕組みが整ったことで、楽して稼げる状態が生まれ

 昔なら転売屋みたいなことをしようとしても、結局小売や販売員のようなことをしなきゃいけなかった

中抜き業者時代とともに消え去り、産地直送に近づく流れがずっとあったが、それと逆行したか

フリマ流行ることで可視化された

SNS可視化された

・品薄商法

 

転売屋以外の問題点は何か?

・固定価格問題 → でもどちみち買い占められたら終わり

・買い占めに法的拘束力が無い

・小売が客を選ばなさすぎる

 

防ぐ方法は?

・一番いいのは在庫をぼかすこと

・客を選ぶ

抽選にする

・お一人様○点まで、は業者が人を雇うので意味がない

2022-07-14

anond:20220713174614

ブダペスト覚書のことか?あれには「安保理に行動を依頼する」としか書いてないぞ

最初から軍隊送って助けに来てくれるなんて話じゃない

法的拘束力がないことはクリミア併合前のベラルーシ経済制裁確認済みだし

2022-07-05

必要のないオプション高齢者等に故意に付けさせる、詐欺みたいな販売方法

データ使い放題というが実際は使い放題ではない、詐欺みたいな広告表現

通信障害が実際は復旧していないのに、復旧作業完了という、詐欺みたいな報告。

携帯電話会社は、詐欺みたいな売り方や表現をしないと会社として成り立てないのでしょうか?

消費者バカにしていると思います

総務省消費者庁等の監督官庁法的拘束力のない行政指導ではなく、法的拘束力のある行政処分もっと行っていただきたいと思いますhttps://news.yahoo.co.jp/articles/2cde8bc9f45092923c82c03d28ff33be50d6ca81/comments

2022-04-20

anond:20220420165404

なお、就業規則規制よりも民法の方が優先されます就業規則あくまでも「会社ルール」なので法的拘束力はありません。

したがって、就業規則で「退職1ヶ月前申告が必要」と記載があったとしても、退職2週間前に申告していれば違法になりません。実際、雇用主の都合で労働者退職時期を「2週間」以上遅らせることはできないという判例もあるくらいです。

退職時期に関しては判例あり

2022-04-04

anond:20220404193907

元増田じゃないんだけど、この話について当の本人たちの表現よりブクマで「挙式だけなら誰でもできるんだからおかしいことはない、一人でも友達同士とでもできるんだし」って言ってるブクマカの方が気になっちゃったよ。

そりゃそうなんだけど、現状同性同士については「挙式しかできない」わけじゃん。シスヘテロ法的拘束力のある婚姻というか、入籍に加えて他の選択肢として楽しみや決意や他の動機からの挙式を当然に選択できる自由がある状態

婚姻入籍ができなくて区切りとしての「挙式しかできない」不自由状態とは全然イコールじゃなくて、そのうえでそれ言うのか…と思って「入籍」の話でない方がすげえ残酷だなと思っちゃったよ。

(その人たちがその意見のまま普段なにか同性婚賛成についてアクションをしてるなら別に文句はないんだけどさ…。でも実際はただ話を聞きたくないだけの人がすごく多い気がしない?)


一応パートナーシップ制度のある市区町村養子縁組はあるわけだけど、これって結局は「法が同性婚を認めない」上でとれる対症療法のような抜け道のような方法にすぎないわけで、

生来権利と言われるとちょっと違うし、婚姻ができるならこちらを選ばない人がきっと多いよね。(事実婚については話がブレちゃうんで措くけど)

というか異性で、恋愛的、あるいは親愛的了解のある二人がなにか関係を結ぼうとして、婚姻を選べる状態の上でさらにこういう方法一般的にとられていない以上、

やっぱり両者には権利の上での格差があると思うんだよね…婚姻ができない状態において法的、金銭的な不利益を被っている現在がある以上、誰でも「挙式」はできるでしょ、それなら問題ないと思うよ!と言われても、

当事者としてはやっぱりひっかかるものがあるのはあると思うんだよね…。立っているライン全然違っているんだから、なんかそこについてはもう少し耳を傾けてもいいし、

変わってない現在とそれに対する彼らの行動が現在進行形である以上は今回あがったような声自体別に不当でないし「性的少数者としてなにかを解決しようとしてる態度とは思えない!」みたいに

大上段から複数で言われるほどおかし意見でもないなって思うんだよね。言い方は強かったかもしれないけど、あの写真を出した側の考えなさと商業主義姿勢に比べて

個人的には今回のような表現をやめろとは言わないけど、世間的に嘘をついていい日っていう了解のある日にあれを出すことについてデリカシーがないというのは全然否定はできないとこだと思ったし、

 それに対する批判だって同じように表現自由で守られていいと思ったよ)それ以上に予断や思い込みのあるものとも思えないし、

未だに同性婚が法的にできないことを知らない人もいる、それを気にしなくていい人の多い社会構造の中の現状を生きてる人間にとって

あい発言をすることにおいて「逡巡がない」と受け取られるのもそりゃあ違うだろって感じたよ(これはこう言っているブクマカの人がいたので)、

そもそもこういう何か言えば猛烈な反応の返ってくる状況をずっと見ていてカミングアウトできてない人だっていっぱいいるのだろうし、マジョリティ側が持ってる発言することの気楽さのある世界とはかなり違う世界を生きてると思う。

我々が特に気にすることなブクマで見られるような発言をしているとき、もうすでに黙って何度も何度もそれに耐えて頷いているかもしれない当事者はいっぱいいて、隣の席の同僚とかクラスメイトとか家族だってそうかもしれないわけでしょ。

そのことについてちょっと考えてもいいし、元ツイート主のああい意見を見て、じゃあこの先どうしたらいいかなって両方で歩み寄っていけないものかなって思った。別にそんなに損することなくない?

我々に話を聞いてもらいたいならそういう態度をとるんじゃないよっていうのも、「理想の〇〇」(この間橋下さんが理想戦争被害当事者規定して燃えてたね)をやすやす規定できる側の考え方に見えるし、

現状特に何かを変える必要にない側にいる人間から言えることだなって思ったよ。今性的多数派の側にいることそれ自体で被る法的な不利益自分にはないし、

他のいろんなもの対象にしたコンテンツ表現を楽しめる状態に水を差されることの方が自分たちが持ってる権利を持ってない人がいる社会が変わらないことより重いなって思うのも結構傲慢だなって感じるし、

よっぽど他の人間表現自由どころか得られていない権利自由侵害しといてそれはないよ…と思う感情自体否定されなくていいんじゃないのかなって思ったよ。

何か言いたい人の話をもうちょっとばっさり切り落とさずに聞いたってそんなに損なことある?って思ってしまった。とにかく多数派多数派論理でそうでない他者規定しすぎている反省はあってもいいのではないかな…って少し感じた。

一連の紛糾を見ていて、そもそも戦い続けてもまだ同性婚法制化できてないくら全然強い力を持ってない側にいる人たちの批判表現自由規制する側=権力としてとらえてるところから変だし、

とにかくもうちょっと「なんでそんな風に思ったんだろう?」って聞いたっていいじゃんってなった、「お前の態度が気に入らない」「論理破綻している(こっちもたいてい破綻しているのに向こうにばかり完璧を求めるのヘンだよな)」で切り捨てるんじゃなくて。

社会を動かす力も現状の社会構造を温存するのもどっちに対する力もむしろ多数派の方にこそあるんだから、それでとっとと同性婚成立させて好きなような冗談好きに言いあえる世の中になるのが一番いいよ。

2022-02-27

春になるとおかし人間が湧く【更に追記

俺もその春になると湧くおかしいやつだった。4年前まで。

【更に追記→『背景はそれぞれだろうが、こういうケースもあるんだな』という話だ。

花粉症がここまで問題になる前から〜』に星入れる前に、『木の芽時知らんのか』とかコメする前に、ちゃんと読もう。

なにぶんただの日記ホッテントリになるとは思ってなかったので、見落としやすい書き方にはなっていたのだろうが、春におかしいやつが湧く理由は様々あろう中で、こういうケースがあった、そして解決できたんだという主旨の日記だ。】

 

毎年春にはなんかしら発狂していた。そして、夏になる頃に後悔する。けど次の春にはまた何かやらかすというループだった。

さすがにいくらなんでもおかしいと思っていたんだが、精神科かにかかるのは怖いというか世間体やらで気が引けて、「次こそは気をしっかり持つぞ!」と意気込んで、結局毎年何かやらかしていた。

だが、4年前の春に警察の厄介になることを起こしてしまった。家族に対してだったので、事件化はさせずに夏まで一時的公営住宅隔離するという措置になった。期限付きの接近禁止みたいな感じだと思う。

んで、その時にカウンセラー(?)のおじさんがついてくれて仕事終わりに電話相談とかをしてもらっていた。

相談の中でおじさんはなんか思い当たる節があったらしく、家に行くからお薬手帳を見せろと言ってきた。

俺は別に大病を患ったこともないんで大した記載はないんだが、とりあえず見せた。

で、カウンセラーのおじさんが理由を突き止めた。

 

その理由というのがセレスタミンという花粉症の薬だった。

この薬、俺には滅法効いて花粉症をほぼ抑え込めたんだが、錯乱副作用があるそうな。

それがわかって以来、花粉症の薬は別のものに変えてもらって、春が来ても発狂しなくなった。春に湧くおかしいやつの背景はそれぞれだろうが、そういうケースもあるらしい。

よく効く薬をやめたのでまぁ花粉症の苦しみは多少出るのでそれはつらいが、発狂して周囲に迷惑かけてた時よりはだいぶマシになった。

さてそんなわけでそろそろ花粉の季節だぞ!

 

 

追記

ただの日記ホッテントリになることもあるんだな。

一部出ている疑問等に答える。

 

花粉症セレスタミンを処方する病院とか大丈夫か? → 知識もなかったし特に気にしてなかったが、聞くに結構ヤバそうだな。他の治療で済むなら他にしろって書いてあるとかさすがに大草原を禁じえない。

けどド田舎地方なので選択肢あんまりないんだ。ちなみにその病院は一応総合病院なんだが、大病を患った時には行くべきでないと地元では有名だ。何か大病があったら少し遠いが医大にかかれと。

 

カウンセラーのおじさん有能すぎない? → うん、有能すぎる。税金運営されてる半公的サービス支援員だそうなので、その辺のカウンセラーとは訳が違うのかもしれない。

ただ俺が話を省略したせいで誤解したブクマカがいるので訂正しておくと、別におじさんがお薬手帳一目見て独力で突き止めたわけではない。あくまでいくつか規則的に使ってる薬があるという事実確認して、その時の顛末医師に報告した。

そのおかげで、薬を変えてみるってことに繋がり、おじさんによる経過観察兼ねた相談の機会もあってどうやら原因はセレスタミンだったとわかったという成り行きだ。

 

セレスタミン副作用聞かなかったの? → 眠くなってないかとは何度も確認されていた。気がふれるとかは聞いたことなかった。

 

警察周りの話と隔離の話 → 家族から通報受けてウチに来て、一旦仲裁して「あとは必要に応じて第三者も交えてご家族でよく話し合ってください」的なことを言われた。例のカウンセラーの方へは言うなればアフターサービス業務外なので紹介したという感じ。俺の見ていないところでの話はわからないが、現場判断事件化しなかっただけで手続きとかはないんじゃないのかなと感じる。

隔離という表現は的確ではなかった。あくま当事者同士を同じ家に住まわせておくのは危険(事件化しないといけなくなる)と判断されたので、距離を取ったくらいのもの。ただの外出は出来る。接近禁止ってのも実態としてはそんな感じだったというだけで、別に正規法的拘束力が発揮されていたものではないはずだ。俺は法律家じゃないから間違ってるかもしれないが。

ちなみに公営物件カウンセラーの方で紹介された。

 

発狂ってなんだったの? → いいものも悪いものもいろいろあるが、とにかく普段と極端に違う考え、行動を取っていた。

悪いものだと、普通イラッとはするけどそれで暴言吐いたりしないよねって事でもキレたり、日頃から溜まっていた鬱憤普段なら我慢できたであろうことをきっかけに爆発して暴力振るったり、物壊したり。4年前の件ではこの鬱憤が爆発したタイプだった。

良いものだと3県隣の震災復興ボランティアに志願したり、SNSで見かけた困ってる人を助けに車出したり。

良いも悪いもないものでは突然ナンパしてみたり、人に奢る機会をやたら設けたり。

共通して言えることは、先のことを考えれば普段はやめておくであろう事を思いつきだけで実践しているってこと。

世の中全てを損得で考えるのはよくないが、冷静に見ればリスクコストが大きい事に躊躇なくなるってのは好ましいとは言えないし、俺はこれを発狂と言って差し支えないと思っている。

 

なんで自分で気づかないの? → 結構若いからずっとセレスタミン出てたもんだからまさかこれが原因とは思わなかった。そもそも自分はよく耳にする「春に出てくるおかしいやつ」の一員なんだって無意識的に思っていた事も、原因追求を妨げた一因だと思う。

anond:20220227093616

ロシアシンパシーを感じることは無いが、この戦争の発端はどこにあったかをたどっていけば、



というロシアソ連?の詰めの甘さというか、アメリカ調子の良さというかがスタートラインになっている。

それまでも歴史的経緯あんだけど、今日に至るまでと考えたらここかなと思う。

NATO解散しなかった理由としては、東西統一されたドイツ単独行動をさせないためという立て付けであるが、

それならばなぜその後東に拡大していったのか?

なぜその時にロシアNATOに加盟させなかったのか?

対立構造を作りながら東へ東へ幅を利かせてロシア圧力をかけていったのはなぜか?

そこに納得のいく理由は見つけられない。


NATO口約束反故にし東へ拡大しはじめたとき冷戦下で対ソ連包囲網作戦指揮を担当していたおっさんは、「これはいつか戦争火種になる。絶対にやめるべき。愚策にも程がある」という旨の発言をしていたそうだが。


当たり前だけど、ロシアが今現在やっていることには一ミリたりとも賛同しない。賛同しないけど理解はできる。

西側が唱える平和及び対話によってというのは賛同しかないが、これまでやってきたことにはまったくもって理解できない。

結構複雑。

2022-02-16

もうロシア戦争するしかなくね?




クリミア半島の実効支配を解いてウクライナに返すからNATO加盟を諦めてって交渉する?そんなの何の取引にもなんないよねぇ。クリミアウクライナ領なんてのは、竹島日本領ってくらい当然の事実しかないんだし。

詰んでるよなぁ。欧米サイドが身銭を切ってロシア利益供与したら、軍事力によって隣国を脅せば欧米が金をくれるって話になってアフリカとか地獄になりそうだから

そんなことする訳ないし、そんな金の使い方を各国の国民が許さんでしょ。ウクライナは今でも改めてNATO加盟を求めているし、それは当然の事にしか思えん。

お人好しの日本尖閣諸島問題だけでなく台湾沖のシーレーン防衛必死になってようやく目が覚めて来たので、次は自分だというのでロシアが納得するATMにはなる気がない。

いやあ、ロシア人ってのは定期的に数千万人死なないといけない民族なんですかね?

戦争になってうっかりキエフまで侵攻したら、役立たずの安保理に替わってNATO主導の連合国が反攻して、ウクライナ東部でウクライナ人を殺しまくってるロシア人が復讐で殺され続ける以外に、解決する方法ないじゃん?

追記

開戦したので、馬鹿な人は晒しておきまーす

ロシア戦争しないと言ってた連中、息してる?w

https://anond.hatelabo.jp/20220224123954

2021-12-23

松下玲子さんの「本条例参政権を認めるものではなく、住民投票の結果はあくまで参考にされるだけで、法的拘束力はないのだから、たとえ外国人であっても意見を表明する自由は認められるべきだろう」という考え方も理解できるし、玉木雄一郎さんの「所謂"参政権"を認めるわけではなくとも、一般的意味で"政治に参加する権利"を認める以上、憲法などとも調整しながら最大限慎重に判断されるべき」という批判も、どちらもよくわかる。

ふたりとも非常に優秀な政治家で、私はどちらも応援しているので、変なイデオロギー闘争に巻き込まれるのは勘弁して欲しい。

外国人参政権を持って何が悪い」と言う左翼の人たちも、「外国人意見を表明する自由なんて必要ないだろ」と言う右翼の人たちも、我田引水するのも大概にして欲しい。

2021-12-21

http://www.city.musashino.lg.jp/shisei_joho/sesaku_keikaku/kikakuseisakushitsu/1034683/index.html

本市の住民投票制度は、外国籍住民市長市議会議員国会議員選挙投票できるものではありません。

参政権のうち、もっと一般的重要もの選挙権とされていますが、本市の住民投票制度条例に基づき実施されるものであり、投票結果に法的拘束力を持たず、「意見を表明するため」の制度です。投票結果に法的拘束力があり、「代表者を選ぶため」の選挙権とは明確に位置けが異なるものです。

よって、本制度確立により、外国籍住民選挙権(市長市議会議員選挙等へ投票する権利)や被選挙権市長市議会議員等へ立候補する権利)を与えるものではありません。

外国人参政権ガーとか言うから何かと思って警戒してたら、そういう話か。

やっぱ一次ソース参照しなきゃダメだな。


例えば「投票結果を国籍別で見られるようにすべき」とか、そういう批判ならわかる。

2021-08-09

anond:20210809020500

しろ法的拘束力もない自粛要請に真面目に従っていたこれまでの方が異常。

日本人は1年以上よく我慢した。

その気持を日本政府は裏切って五輪を開催し感染者を爆増させたのだから、国から心が離れた日本人自粛しなくなるのは当然。

2021-08-01

anond:20210801035541

AI暴走によるユーザー不利益に何の罰則補填もないのはおかしいわ

YouTubeAIとか特にひどい

あーいう個人特定サービスお金を得る際の法的拘束力もっと強くした方がいい気がする

2021-06-11

結婚

 ここ1ヶ月、図らずも『結婚』について考えることがとても多かった。

 本当に偶然色々なところから結婚とかそれに関係するものを見せつけられたというか、「目を逸らすな」と言われている気がした。今までも度々結婚に関して否定的なことも確かに書いてきたけど、手放しに「結婚なんてクソだ、絶対したくない」と思っているわけではない。

 ただあまりにも「結婚幸せ」の価値観を、全くの思考停止で受け入れている人間が多すぎることに辟易としていることは事実。それへのアンチテーゼというか、警鐘というわけではないけど「あんたらそれちゃんと考えて言ってんの?」と言いたかっただけ。

 結婚にはメリットデメリットもあると思う。今の自分にとってはデメリットの方が大きいような気がする、というだけで否定的なこともつらつら発信してきたのもまた事実なので、しっかり言語化して考えないとな、と思った次第であります

 まあメリットデメリットと言ってもそれらは結局表裏一体で、扱う人間タイミングによって良くも悪くも簡単に変わってしまもの。まずその良し悪しは考えずフラットに、恋愛から結婚に変わることによる影響を挙げてみる。

⑴ 2人の関係法的拘束力が生まれ

子どもを産み育てることがスムーズになる

 …あれ、こんだけ?って感じだけど、マジでこんだけ。この二項の中に色々な面が潜んでて複雑に入り組んでいるだけだと思う。

 強いて言えば、⑶ 社会的立場の構築 ってのも追加できるけれど、自分にとってそれは全くメリットでもデメリットでもなければ、何かアクションを起こすに当たって原動力になるものではない。一緒にいることの周囲への説明が楽になるぐらい?

 結果としてついてくる分には勝手しろって感じだけど、社会的立場のために何かをしたりしなかったり、という判断はしない。それは結婚云々に限らず。

 てことで⑴⑵について順番に書いていくけど、既に長丁場になりそうな予感がプンプンする。

⑴ 2人の関係法的拘束力が生まれ

 それによって生まれるのは①安心感と②義務感。この時点でも善玉と悪玉に分かれてそうだけど、実はもう一つ階層がある。

安心感

 安心感がもたらすのは、文字通り “不安が取り除かれた心地よさ” ともう一つ、あらゆる人間関係において最大の敵 “馴れ合い” だ。

 文字通りの意味については書くまでもないけど、やっぱり本能的に人間自分以外の人間に求めるものってこれしかない。「愛されている」っていう実感が欲しいし、そこからの変化が一番恐ろしいものだと感じる。

 つまり愛し愛されていると思っていた人が目の前から消えてしまう、という最も恐るべき状況に陥るリスクを最小化してくれる正攻法として、婚姻届という書類を提出して認められる結婚という契約が、最も手っ取り早くて一般的手段であるということ。それによってお互いがある程度心地よく生活できるし、信頼にも繋がってくる。するとパートナーにも自由を与えることが容易になる。

 それが一つ。厄介なのはもう一つの馴れ合いというやつで、先述の通り男女中に限らずあらゆる人間関係において最も脅威になるのがこいつ。

 これは交際前と交際後という比較的浅い次元関係性の変化でも猛威を振るう。「付き合ってから冷たくなった」だとか「もっと誠実だと思ってた」だとか、こういった類のパートナーに対する愚痴って全て馴れ合いから来ていると思うのだ。それは言う側も言われる側も同じこと。

 言われる側からすえば、付き合う前だったら「この人に好かれたい、嫌われたくない」という一心でどんなことでもできてしまう。親切にするし、優しく受け答えするし、浮気な様子は見せない。けれど付き合い始めて「この人は自分が好きだ」と認識できた途端、「これぐらいいいだろう、許してくれる」という感情が生まれて、それまでとは違った対応や行いをしてしまうようになる。

 言う側からすれば、付き合う前であれば「自分はこの人の何でもないし、相手にされなくて当然」という謙虚気持ちでいられるのに、付き合い始めると「自分はこの人に大切にされて当然、自分のために動いてくれて当然」という傲慢さが顔を出して自分勝手な期待を相手押し付けて、それが叶わないと裏切られたような感覚になる。だから上記のような愚痴をこぼす。

 言う側と言われる側は固定された立場ではなくて、どちらともがどちら側にもなりうる。こうしてすれ違って、ある日プツンと切れて、もうバイバイ。これがよくあるカップル破局パターンなんじゃないかと思う。し、自分もこれまでほとんどそうだったような気がする。

 浮気、冷たい、優しくない、好きじゃない、…どこにでもありふれた別れの真因としてこの馴れ合いがある。

 人と人との関係を良好に保つには、「それぞれの人間だ」と認識できるほどの距離感が常に必要だ。

 付き合う前のような「好かれたい」「嫌われたくない」というある種の緊張感が、その最たるものだということ。それがあるからこそ気遣いや思いやりが生まれるし、欠けてしまったところも受け取る側がカバーできる。

 交際から後への距離感の変化を乗り越えられたとしても、結婚前と後ではまた違ってくる可能性は大いにある。それは交際という口約束とは異なり、婚約というもの法的拘束力を持つからだ。

 これが安心感がもたらす負の側面。乗り越えるには所謂「親しき仲にも礼儀あり」という先人の智慧を、片時も忘れないよう脳裏に焼き付けておくこと。しかない。

義務

 さっきの安心感に比べればこちらはシンプルもので、「この人を幸せにしなければならない」とより強く思うことができれば、そのおかげで仕事モチベーション向上に繋がる良い面がある。

 その代わりに、義務感という言葉強制的な印象を持ってしまうと一気に嫌悪感を覚えてしまうことが大いにある。

 人間は何でも強制されるものが嫌いだ。「好きだった物事も、強制されると嫌になる」なんてのは世の中にありふれた陳腐言葉だが、それだけ多くの人に当てはまってしまう内容でもあるということだ。

子どもを産み育てることがスムーズになる

 できちゃった婚、なんてのが存在することからも分かるように、一般的に真っ当に子どもを育てようとしたらその両親は夫婦であることが望ましい。

 とされている、と言った方が正しいのかもしれないけど。

 まあともかく、「子ども作るなら結婚するでしょ」「子どもできたなら結婚するでしょ」という発想が当然という世の中であるということ。それが⑵の文意から必然的にここで議論を進めるのは、子どもを作る・子どもがいることによるメリットデメリットになる。

 子どもが家庭の中で担う役割はやはり二つあると思っていて、一つは①家族の一員としての役割、もう一つは②夫婦の間に生まれ子どもとしての役割、というこの二つ。

家族の一員としての役割

 これはやはり一般的幸せとされていること。「家庭を持つことが全人類の夢」とでも言わんばかりの勢いで押し付けられがちな価値観だけど、確かにそれも一理ある。

 正常に機能している家族であれば、そこに帰属する幾人かの繋がりはとても強くて、無条件に愛し愛され、外敵から攻撃から守ってくれる居場所になるはずだ。そこに血縁関係が有るか無いかなんてそこまで重要問題ではないとも思う。これが家族であることの幸せ

 ただ、現実問題そのように理想的機能している家族は少ない。と思う。そんなことないのか?いや、きっとそうだと思う。そうだと思いたい。良いな、と思う家族は知り合いの中でも一握りだし、実際SNSなんかでも家族に対する愚痴ばかり流れてくる世界

 そして自分が育った環境もあまり良いものとは言えなかった。育児放棄だったりアルコール中毒者による虐待だったり、そんなような何か明らかに大きな問題を抱えていた訳ではないけれど、家族であることの決定的な意義でとなる、愛されているという実感や安心感自己肯定感を育む教育、そんなものを一切享受することはできなかった。

 それに、世間一般家族における父親に対する風当たりというのは、相当に強いものがある。自分父親が大嫌いだし、母も姉も、だ。家族から愛されている父親なんてパーセンテージでみたらほんのわずかだろう。

 ほとんどの家族で見られる構図として、まず夫婦仲は良くない。子どもたちはずっと面倒を見てくれている母の味方につき、母を攻撃する存在である父を敵とみなす。ありふれた構図だ。

 それだけならまだいいのだが、何故か、いくら育児に協力的であっても、家事をこなしていても、父親というもの基本的孤立するようにできているらしい。悲しい習性だけど。

 世の母親が「腹を痛めて子どもを産んでよかった」と答えるのは、そういうことだと思う。そこに綺麗なものは何もない。

 もし自分父親になったら、と考える。先述のように「愛されたい」という欲求を家庭で満たされることなく育ったがため、自分はこうも恋愛依存的になってしまったのだと確信している。他にその欲求をぶつける対象として友人や集団帰属などの手もあったにはあったんだろうが、自分にはそのどちらも受け入れられなかった。

 まあともかくそうやって、ようやく見つけた「自分を愛してくれる人、肯定してくれる人、守ってくれる人」と結婚したとして、その人との間に子どもができれば、それがまた全て奪われて無に帰してしまう。

 子どもにとっては母である自分パートナーを奪われ、挙句の果てに家庭という場所から孤立する。そうなるとまた生まれ育った悪夢のような家族に逆戻りだ。それを恐れている。

夫婦の間に生まれ子どもとしての役割

 「子は鎹」という言葉がある。

 こんなクソみたいな言葉はこの世にないってぐらいクソみたいな言葉だと思う。鎹がなければ離れてしまうような関係人間と一緒に過ごさざるを得ない上に、それに子どもを付き合わせるなんて最悪だ。

 けれど皮肉なことに、その離れる原因はほとんどが子どもだったりもする。

 子どもができることによって夫婦関係は父母という関係にもなって、彼氏彼女、夫と妻、という1:1の関係性ではなくなる。その変化の中で上手く2人の間を擦り寄せていかないと、育児教育家計問題でやっかみ合うようになり、関係悪化する一方だ。そうして子どもが原因で離れていった2人を、繋ぎ止めるのもまた子どもなのである

 これを果たして幸せと呼ぶことができるのか。

 …とまあ、長々と書いたけど今の自分で考えが及ぶ範囲はこれぐらいだ。

 あとはもっと歳をとったり、独り身になったり、自分結婚してみたりして見えてくるものもあるのだろうなとも思う。それはその時にならないとわからないし、とにかく今はこう考えている。

 という記録。

2021-04-25

緊急事態宣言に「慣れた」んじゃなくて呆れ果てただけだよ(追記2)

「慣れた」から自粛が甘いってことにされそうなので書いとく。

慣れたんじゃなくて相手にする価値のないアホだとみなされたからだよ。

政府要請にマジメに付き合ってもバカを見るだけなのがこの1年で広く伝わった。もう政府の信用が尽きたんだよ。

いま自粛してる人はあくま自衛のためにやってるだけだし、大雑把な人はもう緊急事態宣言なんかなかったように路上飲みしている。

なぜか花見シーズンに合わせたのか特に理由も示さず緊急事態宣言を解除したり、首相の訪米と重ならないようにするためか緊急事態宣言を遅めに発令したり、事実でなく気分で操作してる様子を何度も見てきている。その割に(それだからこそ?)2,3日前にいきなり緊急事態宣言しますとか酒の提供をやめてもらいますとか言い出す。人間のことナメてんのか?在庫管理ってわかるか?

実際、政府の言うことにつきあっても事態は何も改善されない1年だった。

厚生労働省「(2020年7月ワクチン確保できた」→できてなかった

政府「このままでは医療崩壊予測される」→ブルーインパルス飛ばして満足して終わり

政府「会食の自粛を」→政治家は会食してた。なんなら首相の息子と官僚もしてた

政府不要不急の外出を控え……」→GO TOトラベル!外出しよう!→政府不要不急の外出を控え……」

政府20時以降の飲食店営業自粛を」→厚労省20時以降も店に居座って送別会して感染、その他役人の事例も多々あり

政府イベント自粛を」→オリンピック絶対にやるが他のイベント勝手に潰れてろ

せめてCOCOA入れる→動いてなかったし開発管理体制杜撰なのが明らかになった

マンボウ→何その名前ふざけてんの?緊急事態宣言との違い何?

バイデン挨拶しに訪米→当然のように2週間隔離無視して帰国後すぐ公務に復帰

ぱっと思いつくだけでこれだけの不義理をしてきた。

政府がどの口で「お願い」してるのか自覚あるか? そのふざけた「お願い」が効かないからって、次は国民のせいにして厳罰化でもするのか?

最初緊急事態宣言国民もわりと協力的だった。初めてだからというのもあるが、まあ政府が言うんなら従うかって人が多かった。協力して疫病の抑制に繋がるなら、という公共心もあった。それはこともなげに裏切られた。

COCOA入れて」の声に従った人は完全にバカを見た。今後政府が何かアプリ入れてと言っても相手にする人は激減するのが当たり前だろう。

1年掛けて政府自分自分の信用を削ってきた。言ってることとやってることが見事に一致しない。成果と言えるものほとんどない。

国民にさんざん「お願い」しておいて自分たちは例外みたいな振る舞いをし続けてきた。

みんなで貧乏になろうと言いつつ豪邸に住んでる人間を誰がまともに取り合うのか。

これは政治どうこうではなく人間のごくごく基本的道義の話だ。説得力の話だ。

軽い無政府状態になることで不利益を被るのはまあ国民だ。そういう意味では自業自得だが、ちゃん自分たちの不始末は自分たちに降り掛かって報いを受ける。

政府はこの1年ほどの無為無策について何か責任を負うのか? そんな無責任かつ無能な連中の言い分に従うべき理由が何かあるか?

3度目の緊急事態宣言下では国民自力救済が多発するだろう。それは「慣れた」からでは決してない。

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追記

「いい大人はそんなことしない」とか言ってるけど規模感わかってるのか? 構成員が数百人レベル組織ならほぼ全員を「いい大人」で揃えることもできるだろうし、選別だってできる。

東京だけでも成人は1000万人以上居るんだ。グローバル大企業従業員数ですら多くて20万人程度だ。その50倍近い人数がほぼランダム勝手に集まってきて生活してる。

この全員が「いい大人」なわけがない。そういう前提で動くのが当然だろう。「お前はい大人」「お前は悪い大人からいい大人になれ」とか説教して回るつもりか?

そもそもこんな人数をなんとか統制できていた第1回緊急事態宣言が快挙だったわけだ。法的拘束力もないただのお願いに協力するやつがそんだけ多かった。人口密度も考えれば世界最高峰の「いい大人」の集まりじゃないか

実際これでかなりの時間を稼げた。欧米でどんどん人が死んでいってるなかでも日本はいまだその水準に達していない。1年くらいの時間を稼ぐのには成功した。

時間稼ぎには大成功したが、稼いだ時間を空費する大失敗を犯した。前者は国民努力によるもので、後者政治というか上層部責任だろう。国民努力して時間を稼いでも、政府がそれを無駄に捨てるのを見せつけられるだけだった。いやむしろその時間稼ぎすら入国管理がザルだったりGO TOだったりで妨害したとさえいえる。経済云々といいつつろくな根拠も示さずに営業自粛させるなど、不要な混乱を招いたのもそうだろう。

国民ひとりひとりが努力すると医療体制改善できて医者看護師や病床が増えるのか? ワクチンが手に入るのか? COVID-19を自力治癒できるのか?

国民にできることは感染抑制だけで、つまり時間稼ぎだけだろう。そうして稼いだ時間有効に使うには、政府トップダウンで動いて条例やら給付金医療関係者負担を少しでも減らし、薬や医療器具調達を助け、ワクチンの入手交渉に尽力し、ウィルス研究に協力する必要があるだろう。政府がそういったことを何か達成したか

次の緊急事態宣言オリンピックに最大限配慮したものになると誰もが理解している。「東京オリンピック感染者が激増したら困るだろ?」と半ば脅してワクチンを手に入れるなんてことも、感染者増を活かしてなるべく有利にオリンピックを中止するなんてこともできそうにない。政府は稼いだ1年間を何も有効活用できなかった。路上で酒でも飲んでたほうがマシだと判断する人が増えても俺は何も言えない。

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追記2:

大きく拡散され、概ね同意されてるようだ。さすがに全部の反応は読みきれないけど、目についたものにいくつか反論しておきたいと思う。

ワクチンはもう来てるだろ

これはそのとおりのようだ。よかった。本文を書いていたころはワクチン担当大臣が動いている程度の情報しかなかったが、その後すぐに(公式発表ではないものの)EUから日本に入ってきているらしいという情報が流れ出した。まだ接種率は低いし体制も整っていないようだが、進展していること自体はいニュースだろう。順調に進んで欲しい。

からといって感染抑制をサボっていいわけじゃない

これについては上の追記で書いたように、それも踏まえて動くのが行政だという認識だ。「お願い」だけで効果が出るなら犯罪なんて起きない。それでも起きる犯罪を取り締まるために警察が居る。また行政ができる犯罪率を減らす取り組みもある。地味だが街灯を設置して夜道を明るくするなんてのもそうだろう。「お願い」なので警察は使えない、となると街灯を設置するような地味なことを積み上げていくしかない。これの舵取りが難しいのは理解できるが、せめて科学的根拠に基づいた施策であるべきだろう。今はただ飲食店若者悪者にしているだけにしか見えないが、むしろ高リスクである高齢者に外出を控えるよう強く言うべきじゃないのか? これは本当に不思議なんだが、高齢者向けのメッセージが出されたことは今までなかった気がする。ただただ若者が悪いと言い続けているように見えている。

別の観点でいえば、いくら「お願い」されても飲食店経営者や従業員などは生活がかかっている。今回は対象さらに拡大された。多くの店舗は去年から店舗入口に消毒用アルコールを置いたり、店内に仕切りを設けたりと一定感染防止策も打っている。それらを一顧だにせず一律に営業自粛を「お願い」し、かつ金も出さず、仕入れた分を捌き切る暇もない直前の宣言で、新たに酒類禁止も追加となれば、そんな自粛に協力できるのはほんのひと握りだろう。いくら説教されたところで自分生活がかかってるなら反発するのが当然だ。そしてそれは非合法活動ではないのだ。

自粛への協力率に関与する重要パラメータとして、本文では「信用」というのを書いた。去年9月ごろに首相が代わってすぐに着手したことがなんだったか覚えているだろうか。携帯電話料金の値下げ要求だ。そして今はオリンピックだ。国のトップ新型コロナウイルス感染症にまったく興味がないように見える一方で、私権制限スレスレ緊急事態宣言を発出して国民生活を縛ろうとしている。自粛要請に従わない店を応援する声が以前より多いのも、そちらに理があると見る人が多いからだろう。

東京都でいえば、JRの減便によってわざわざ乗客密度を上げている。感染者数が減っているときにそれをやるなら封じ込めのための荒業ということでまだ理解できるが、増えているときにそんなことをすれば医療崩壊を招きかねない大博打しかないだろう。もうワクチンが到着し始めているのなら、まずは迅速に接種が進む方向で仕事をするのが本筋だろう。ワクチンが届いているのに接種体制が整っていない、なんてことになればさらに信用を失うが、今のところワクチン接種について何か進めているといった発表は見ていない。

現在の状況では、まずは目先の感染者数を減らすか、少し先を見据えてワクチン接種体制を整備するか、あるいは両睨みで進めるか、くらいしか論点はないだろう。暗中模索の去年と違って状況はずいぶんクリアになった。ワクチン国民に広く普及すればほぼ元通りの生活が得られるのはイスラエルの事例でわかっている。このタイミング緊急事態宣言を出すなら、国民にもうひと頑張りしてもらって感染者数減を目指してもらいつつ、国は全力でワクチンの早期接種に向けて動くのが筋だ。そしてそのようなメッセージを明確に出すべきだ。国からオリンピックの話しか聞こえてこないし、第3回の緊急事態宣言IOC人間が来るのに合わせて解除される。我々はワクチンではなくオリンピックのために生活を削られるのか?

子供運動会を見るためなら多少の無理でもやりきろうと考える人でも、オリンピックのためにそれをやる人なんてほとんど居ないだろう。オリンピック開催によって国民に直接の利益があるわけでもなく、むしろ感染爆発のリスクしかない。

自衛のために自粛し、生活のために店を開け、仕事のために出勤する。連帯はもう失われたが、オリンピックのために死ぬのは嫌だという認識だけは広く共有されている。

政府をぶん殴りたいという感想もちらほらあったが、それは投票によって合法的に成し遂げられる。たとえ投じた票が無駄になっても投票に来た人間属性は記録され、世代投票率などの形で反映される。明らかな高リスク群の高齢者スルーされて常に若者のせいにされるのもそのためだ。下のツリーのどこかにあったが、別に「正しい」候補者を選ばなくていい。この1票でぶん殴るという意思表示こそが投票に行く理由だ。投票したあとコンビニで酒を買って路上で飲むのもそれはそれで楽しいかもしれない。

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