はてなキーワード: 装丁とは
さっきまで聴いてた曲が今つけたカーラジオで流れ出す。懐かしいタイトルの漫画を読んだら、翌日近くの席の奴らが示し合わせたようにその作品の話をしている。
ちょっとした偶然というか、シンクロニシティみたいなのって割とあると思う。
おれの中でそれの最大級がある。
高校の頃おれはほとんど本を読まなかったけど、何の気なしに図書室で本をいくつか借りた。小説を5〜6冊。それきりあまり借りてない。
1年か2年後に羽田圭介が芥川性を受賞した。又吉とダブル受賞の時だ。
おれが借りた本の中にも羽田圭介の作品があった。確か『黒冷水』だったと思う。
それだけならまあ、お〜偶然だな〜くらいだったけど、さらに1,2年後に荻原浩が直木賞を受賞した。
こちらもおれが借りた中にあった。何冊か借りたと思う。『砂の王国』は超面白かった。
朝のニュースで受賞を知って、なんか非常にインパクトがあった。
高校の図書室だから本も厳選されてて必然的に賞にも近いだとか、本を読まない奴にも興味を惹かせるようなタイトルや装丁だったんじゃないかとか、偶然を必然にするつまらない理屈はいくらでもつけられるけど。
それでも気まぐれで借りた本の中から芥川賞と直木賞の二人が出て、非常に印象深かった。
どちらも別に図書室がプッシュしてたとかはなくて、開架をボーっと眺めてフィーリングで手に取ったから。
慧眼というのとは違う。それは数ある作品を読んで、その中から評価されるであろうものを的確に選び抜く事だろうから。
それが人生トップの偶然で、次点が大学生活中で入り用なのにマジで金がない時、あぶく銭が転がり込んできて事なきを得た時。
詳細は忘れたけど、口座にも財布にも誇張抜きで金がない時にそういう事が何度かあった。それがなくて痛い目見てたらもっとしっかり覚えていたかもしれない。
79Pに小さな折り紙みたいな紙が斜めにくっついているのを見つけてぎょっとしてしまった
その紙には頭に水玉模様の布を被ったお化けみたいなキャラクターが巨大なブドウを食べている絵が描かれている
最初から読む前にパラパラとめくって発見したので、何だこの変な落丁みたいなの?となった
そのページの短歌の内容とも関係なさそうだし、意味不明で、何かどこかに意味が書いてあるのかと探したら、
この歌集が31年前に出たときに美しい本にしたかった著者は、集めていたかわいいお菓子の包み紙を編集者やデザイナーに見せたらしい
この新装版を作る際にその話を聞いた方のアイデアで、本当にオリジナルデザインのキャンデーの包み紙を本の中に入れているとのこと
グレープ味、レモン味、ストロベリー味の三種があって、僕が買ったのはグレープ味だったようだ
そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。
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5歳の頃、家族旅行でアメリカへ行った。国外へ旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験。
私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。
幼稚園はキリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。
先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たちに理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書を記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学の概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。
でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。
先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。
前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」
小学校の頃は全く覚えてない。
英語と音楽と国語だけできた。でも国語の担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。
英語は楽しかった。小さい頃漠然と定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論と知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。
音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノのソロパートを担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽の先生は卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。
「お嬢さんが音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。
周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップでビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメの情報を共有してみたかった。
彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。
家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。
正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜は没収された。
ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。
少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。
私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日は友達とお出かけをしたい。バレンタインは友達とチョコレートの交換をしたい。
ことごとく跳ね除けられた。
おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校にお菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノの練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ。
そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。
ちなみに上記の言葉を言われた後で私は一度だけ地域のお祭りに友人と行ったことがある。
一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノの練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。
…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。
高校は私立女子校に入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。
周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。
街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。
ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけが幸いである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。
その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである。
英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。
音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノの先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノの技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。
必死で勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったから絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望の希望通りの学科。
高校生の頃(というか小学校中学校から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。
何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。
同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。
でもこれだけは断言したいが「明日の屋根を心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。
「7時半には返って来れるでしょ」
つまり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。
あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。
遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。
少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールしたかったのだ。
その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。
あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。
私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。
その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。
少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。
当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニのアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。
さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。
母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。
そしてその友人は彼氏になった。
彼から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分に証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。
しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。
きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白に同意した。
彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。
その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。
私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。
母は私から家の鍵と財布の金、銀行のカードを没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行のカード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)
母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホのGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。
彼は「気にしてないよ」と言った。
私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。
彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。
その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。
「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識の傲慢だった。
「救いたい」と言った彼は、きっと人間が人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者の立場の人間が他人を救えるのなら、今頃イエスキリストも聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典も聖典も要らない。でも世界にはそういうものが存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。
私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。
彼氏の母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。
「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」
…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉は一種のネタとして消費されたらしい。
私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。
追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中の刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。
結局、私は彼と別れた。
彼は普通の家で育った普通の人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまったことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。
それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。
どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。
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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。
感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。
指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。
ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)
仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証と現金を没収した。よって私は途中で治療が止まっている。
ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲームは自分のスマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)
うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。
衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)
さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。
翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。
「関節炎の湿布」
この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。
手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。
そもそもコンビニのアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。
それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。
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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。
出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たちが電車で行ったと思っているが。
私は彼が運転する車に乗って遠出した。
帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。
私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。
その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。
まだ私が早朝6時のバイトのシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出の時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。
ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。
そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。
変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。
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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。
家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。
幸せになりたいな、と思う。
でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい。
そもそも私はいまだに感情の生成についての問題を解決していない。
たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。
でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分で自分の母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分の未来だと思う。
と言われた記憶がある。
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当時高学年女子の間で、図書室にあった占い本のシリーズが大流行していた。
星座だとか手相だとかをテーマにしたチープな装丁の本で、同じ世代の人なら あ〜あれかとわかってもらえるかもしれない。
大人気だったそのシリーズの何巻かをたまたま貸し出せた同級生の女の子が私を占い、確かにそう言ったのだ。
その頃はそんな年齢の自分なんて想像もできなかったけど、妙に具体的な数字だったので今日までなんとなく覚えていた。
あの女の子の顔はまったく思い出せない。
もうこの記憶が事実なのか、なにかの創作物とごっちゃになった妄想なのかもわからない。
ただそう言われたことと、図書室にあったオレンジ色の長机だけを覚えていた。
長時間のフライトや車の運転中、突然体調が悪くなった時など、その度にもうすぐ死ぬのかなぁなんて阿呆なことをぼんやり考えてきた。
ぜーんぜん無事。
余裕で元気。
元気で良かった。
モンブラン買ってきてひとりでお祝いしちゃったよ。
あたちが美しくあるために化粧して努力してるんだからお金払ってよねと同じ経済的に自立していないメンヘラ女の理論
そもそも裁判で交通費や宿泊費を同人誌の原価に含めるの認められませんでしたのでご承知おきください
(平成30年(ワ)第39343号 損害賠償請求事件)
即売会への参加費や交通費・宿泊費を経費として控除すべきであると主張するが,
原告は,本件各漫画の頒布のためだけに即売会に参加するのではなく,他の漫画家との交流や,同人誌の購入等,複数の目的をもって参加し,
自身の作品を頒布しない場合でも参加することがあるから,参加費は本件各漫画の原価に当たらない。
また,交通費や宿泊費は固定費であり, 本件各漫画の販売数量に応じて増加するものではないから,限界利益の算定 に当たって控除する必要はない。
ただ、同人で小銭を稼ぎたい、なんなら大金を稼ぎたいって気持ちならわかるぞ
ちゃんとファンアートではなく『金儲けしてます!』って顔した後なら、好きなだけドヤっていいぞ
昨日まで机の上に置いてあった本が今は無くなっている。最近はその上にいろいろ積み重ねていたのでの存在を忘れていたけど、持ち主に「返して」と言われて掘り返すことになった。
〜〜〜
"歌集をプレゼントしたことがある人"になりたくて、誰にあげようかと機会をうかがっていた。たまたま、仲良くしたい人が雑誌「ダ・ヴィンチ」の短歌のコーナーを毎月楽しみにしているという話を聞き、きたきたと思った。渋谷のhmv&booksの詩歌の棚とにらめっこして、帯に書かれていた
「目がさめるだけでうれしい人間がつくったものでは空港が好き」
という一首に惹かれ、装丁も彼女のイメージにぴったりだと思い、雪舟えまの詩集『たんぽるぽる』を誕生日に渡した。
なんと彼女はそれを図書館で借りて読んでいてとても気に入り、今度買おうと思っていたという。恋人のいる人をプレゼントでぐさりと刺してしまってヒヤヒヤしたが、それくらいじゃ揺らいではくれなくて安心した。
そんなに人を刺したプレゼントをできたことを自慢したくて、好きな人と遊んでいるときにその話をした。彼女もその一首をきいて、「わたしもその歌集が好きだろうね」と言っていた。
その話をした帰り道、気持ちを伝えて彼女と一歩先へ進んだ。恋人という契約はいらないので特に「付き合ってください」とは言わなかったが、そう名づけてもよい関係に、それからなった。
少し経って二人でhmv&booksに行くことになったとき、彼女が『たんぽるぽる』を買った。私は同じ棚から同じ本が2冊別々に旅立っていくのに初めて立ちあった。
そしてまた少し経ったあと、ファミレスで並んで座り、二人でその詩集を読んだ。ドリンクバーのティーバッグやそれが入っていた紙の袋を散らかしながら、ページをめくる係を交代しながら、一首ずつ読んだ。逢わなかった次の日に「『逢えばくるうこころ会わなければくるうこころ愛に友だちはいない』だね」なんて言っていた。
彼女がこの詩集をほしいと思った理由のうちに"嫉妬"が入っていたらどうだろうと思った。"好きな人が私以外に上げたプレゼント"を自分でも持っていたいという感情の渦のなかに自分がいるのだとしたら、とてもなんだかあれだな。雪舟えまの歌は、まるくて優しいものを紡いでいるけれども、そういう棘と無縁ではない感じがあって、このエピソードはこの詩集にぴったりだなと、胸に秘めていた。どうせいつでも返せるからということで、『たんぽるぽる』は私が持っていることになった。
その時をピークに、だんだんと二人の心は離れていき、今まで1ヶ月以上膝を突き合わせていない。「付き合おう」と言っていないせいで「別れよう」と言う必要がないので宙ぶらりんにある。先に向こうの恋が冷めて、友だちでいましょうという話はした。特別で大事な人間に変わりはないとも言ってくれた。だがこちらは今、それも受け入れられないほど心が離れている。それはまだ話題にもあがっていない。伝えたら驚かせるのか、察しているのかもわからないほど離れたところにいる。「話そう」とも「離そう」ともとれるよう「はなそう」とは言ってある。
宙ぶらりんをやめるためになにか伝えるとして、「もう好きではありません」と自信をもっては言えないが「あなたのことが嫌いです」とは実感を持って言える。"嫌いになった"わけではなく"もともと嫌いだった"ことに気づいた。ひどいことをされたとは思わないけど、向こうが普通にすることにモヤモヤするなと気づいて今に至る。こうしてわたしが日中の物足りなさを純粋な孤独で埋めるよう感傷にひたっている今、彼女は自分を愛してくれる世界へと健やかに目覚めていくために体を休めているのだろうと思うと、そういう人間に魂の何を捧げるつもりなのか、ちゃんちゃらおかしいと思えてくる。同じものをみて同じことを切実に考えていたつもりだったけど、生きているだけで愛され満たされている彼女に切実なものなどなにもないんだろうどうせ。「大事な人だ」とか、「君しかいない」とかは、そのときは本当に口に出して気持ちよかったから言っていたけど、今は口が裂けても言えない。好きになるために無理して言ったわけではないけど、客観的にみると事実ではない。そのときの「私」はそう思っていたけれど、それは今の私と違う心の持ち主だという気がする。先に"冷めて"いただいたあなたですがこの"覚めた"感覚わかるでしょうか。
そういうつい最近までの「あのころ」感じていた気持ちは、"私のものであったことはないけれども、買ったことも読んだこともある"あの本と同じだ。
でも『たんぽるぽる』を読んだときに感じる、"美"みたいなものは同じように感じることができるだろうことは否定できない。でもそれは言葉にできないから確かめようがない。
言葉にできないなにかで繋がっていて、言葉にできるすべてで離れている、そんな気がする。
話す必要も会う必要もないが、完全に拒みたいわけではない。持っている必要もない本だけど、これを返してほしい理由が「他の大事な人と読みたいから」だとしたらめちゃくちゃモヤモヤする気持ちはある。まぁこれは誰にでもあることでしょう。本は埋もれていたけれど、あなたのことはこの1ヶ月ずっと手前にあってどうすればいいか考えている。
とはいえどうせ愛される自分がだいじで足りないものなどないあなたは「ならそういうことで」と、本といっしょにこれっきりになるだろうから、悔しくて残念。あなたにとっての"切実なもの"に私がなれたら嬉しいのだけど、私にとってあなたがそうである理由が見当たらないように、あなたにとって私がそうである理由も見当たらないから、悲しいけれど驚きはしない。
わざわざ伝えることではないけど知りたいことかもしれないと思い、見つけてくれればとこんな使ったこともない媒体で書いたことのない類の文を書いている。もらってばかりのあなたにはもう何もくれてやるつもりはないが、手を伸ばしてくれるならどうぞ手に入れてほしい。「違うよ」と伝えたいと思ったら伝えてほしい。
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一年くらい前に、アメリカでグラフィックノベルの売れ行きランキングを日本の漫画が独占するという出来事があって、そのときにアメリカ人がなぜアメコミが売れてないか説明する動画を大量にあげていた。
動画のいくつかを見て、アメリカ人の考えるアメコミが売れていない理由をリストアップしてみた。
・ポリコレ
・価格
・装丁
漫画は小サイズで本棚におさめやすい。子供がスクールバスの中でも手軽に読める。小売・流通も扱いやすい。
・敷居の低さ
漫画はワンピースのような長大なシリーズでも1巻から読み始めたらいい。
アメコミは平行宇宙のシリーズやリブートが大量にあってどこから読み始めあらいいかわからない。
漫画原作アニメを見て先を知りたいと思ったら続きを漫画で読める。
・ジャンルが多様
私がゲームを始めた頃には、すでにABは二次創作上で「公式カプ」の扱いを受けていた。当然のように付き合ってるし将来結婚することが決まっていた。Aの実家が跡継ぎの必要な家柄でも、Bが男体妊娠できるので問題ないらしい(腐界隈のこういうなんでもあり精神は嫌いじゃない)。
実際には、ゲーム内での彼らの関係は二次創作で語られるほど親密ではない。ストーリーを読んだとき、なぜこの二人が公式カプとして推されているのか理解に苦しんだほど、本当にそこまで親しくなかった。でもそれは私に腐の才能が無いだけで、ABを楽しむ人たちにはまた違う世界があるのだと割り切り、推しの腐も夢も見たくないものはまとめてTwitterのミュートワードに放り込んだ。嫌なものは見ない。二次創作は自衛が基本。支部で推しのフルネームタグを検索するとおすすめにABがずらっと並ぶので、そこで作品を探すのも諦めた。
以前、かなり衝撃的な事件(事故)にあった。フォローしている誰かのRTで、3万弱のいいねがついたバズツイがまわってきた。「最高の印刷してもらった! 全人類に見てほしい!」みたいな呟きと共に、素敵な装丁の本の写真が4枚貼られていた。かわいいなと思って1枚目を拡大すると、表紙でABがキスしていた。
それはもう驚いた。私は文字でも絵文字でも「AB」をミュートワードに設定していたけど、その人はcp名を記載していなかった。身内向けにツイートしただけで、ここまで伸びるのは想定外だったのかもしれない。それでも「全人類に見てほしい」。同じ界隈に、ABを見たくない人がいるとは考えなかったのだろうか。リプ欄も引RTも賞賛の言葉だけで、cpの記載がないことを指摘している人はいなかった。なぜなら彼らは大手の公式カプだから。キスしていてあたりまえだから。このことがあってから、ABを公式扱いする界隈自体に苦手意識が出始めた。検索避けせずにABを呟くアカウントを片っ端からミュートにした。こっちも自衛してるんだからそっちも避けてほしかった。でも、公式カプにそんな配慮は必要ない。だってABは公式で、誰もが認めるお似合いのカップルだからね。
最近、本物の公式が、直々にストーリー内でABの関係性を否定した。「この2人は友人でもなんでもない」と提示してくれた。私はそれを読んで本当に本当に嬉しかったし、運営に足を向けて眠れないとさえ思った。今までも運営の推しに対する解釈にがっかりさせられたことは無かったものの、ここまでやってくれるとは思っていなかった。ABは晴れて「知人ではあるが親しくはない間柄のカップリング」になった。今までストーリーのスクショを根拠にABを推していた人たちは、きっとこれで考えを改めてくれるだろう。「公式を根拠にするには弱い」と、きっと思いなおしてくれるに違いない。そして明日からは検索避けと注意書きを丁寧にしてくれるようになる。ハッピー二次創作ライフ!
そんなこともなく、ABを推してた人たちは普通に怒っていた。「シナリオライターが設定を忘れている」らしい。AとBは親友で恋人で一生涯を共にする相手であることを、あろうことか運営が失念してしまったらしい。それは大変だ。
私はもうほとんど諦めた。ここまではっきり言われても認めないのであれば、この先どんな話が出てもこの人達はABを公式だと言い続けるだろう。別に二次創作でカップリングを楽しむ分には何も悪くない。どんなにAとBが寄り添い合えるように性格を変えられていたとしても、公式では語られない新設定が付け加えられていたとしても、二次創作だから自由だし、共感できる人たちで楽しむだけなら何も問題はない。公式設定と妄想の区別をつけて、しっかり検索避けしてくれさえすれば。
「公式カプ」って、そこまで声高に主張し続けなければいけないものですか? 都合の悪い話を無視してまでしがみつかなければならない称号ですか? 公式から関係性を否定されても、運営の勘違いだということにすれば公式カプなんですか? AかBどちかを推していればABを許容して当然ですか? 検索避けしなくても、公式カプは万人に認められているから配慮しなくても構わないんですか? 勘弁してください。公式から明言されない "公式カプ" なんて存在しないんですよ。
利益をあげよう!
利益をあげるということは、ようするに
= 印刷コストに対して付加価値分をプラスして、その分を販売価格に上乗せしよう
2. 一人の読者あたりの回転率(購入サイクルの短さ)をあげよう
= 文字数は少なく、すぐ読めて、お手頃価格で、なおかつコレクション制が高いものを作ろう
じゃあ、何を作るのって話だけど、僕が提案するのは「大人の絵本」です
大人が読むに足る絵が一ページに一枚のってて、その上のレイヤーか、下の空白部分にセリフと短い説明が書いてある
文字数は少なくして、一冊20分もかからず読める分量が良いです
メインは絵です
一ページ一枚絵なので、週刊少年漫画の漫画家が一週分の漫画を描くよりも少ない枚数で済みます
彩色や背景は分業でもいいでしょう
イラスト集と漫画とラノベと絵本のよいとこどりの新しいバランスだと思ってください
とにかく絵が上手い人をメインに据えて、一冊2000円から2500円くらいで売りましょう
もちろんハードカバーで、装丁のデザインもこだわって「インテリアとして飾っておけるおしゃれ」な路線や「インスタなどに載せたくなる高級感」を目指しましょう
これなら「すぐ読める」「買う価値がある」「毎月買える」くらいの価格帯になります
これだと、継続的に、それなりの付加価値があるものを売ることができると思います
最初のコンテンツは、人気漫画の絵本版(話を抽象的に抜粋して、象徴的なシーンを作者や作者が指名したイラストレータにリメイクして大ゴマにしてもらう)や映画やドラマでよいと思います
内容も装丁にもコストがかかっていないなら、なぜその価格なのか? を疑問に思ってるんでしょう。
最近、なろう系のTL小説買ってるけどやたら値段高いなって思う
悪役令嬢転生物とか貴族令嬢が王子とか公爵とイチャイチャするような奴を主に読んでる
それなのに値段は1200円オーバーとかクソ高い
1500円近くなのも割とある
電子書籍でこの値段
紙なら更に+100円とかとられる
作者を応援する意味でも買ってるけど、何であんなに高いんだろうねー
せめて、電撃文庫とか一般的なラノベの価格ならもう少し買いやすいのに
鈍器ぐらいのページ数なら1500円でも納得するけど、あのページ数と内容じゃなぁ……
レーベルにもよるんだろうけど、たまに安い1000円以下のやつもあるし
もしかして、無料で公開してるのを書籍化した奴は元を取るために高いとか?
試しに持ってるやつ確認したけど
・1500円で290ページ
・1300円で165ページ
・1400円で300ページ
・730円で182ページ
ちなみにソードアート・オンラインは、730円で249ページ
因みに鈍器は1000円で500ページだったのに、続編になったら1500円で370ページ程になってた
アニメ化してるようなやつと比べるのは間違ってるけど、こうもページ数の割に値段が高いとビックリするわ
やっぱり採算取るためなんだろうなー
自分は、普通にDLsiteとかで同人誌をバカスカ買ってるので、同人誌の価格設定は理解してる
ただ、これはもう同人誌じゃなくて商業誌なんだから、もう少し価格設定考えて欲しいと思っている
本の装丁がしっかりした物だしサイズが大きいから高いんろうとは思ってるけど
電子書籍で買ってるのは、そもそも一般的な本屋に置いてないから
商業施設の比較的大きい本屋に行ってもそもそもこのジャンルはほぼ置いてない
性的消費なるようわからんジャーゴンを用いて「広告載せるな」とか意味わからん。
二次絵の巨乳JKが振り向いてる絵で元気になったとして、現実の加害にどう繋がるかもわからん。
二次元を見て「元気になる」のが駄目なら現実でアイドルやってるJKとかどういう扱いになるんだよって話だし、キモいと言うのは良いにしても「載せるな相応しくない」は筋が悪いでしょうよ。
という感じで、あの漫画の広告に関しては別にそこまで言わんでもいいんじゃないのというスタンスだけど、
漫画、というかあのコンテンツに関しては正直めちゃくちゃ嫌い。気持ち悪い。
Twitterで調べてみると、あの手の漫画に理解のあるオタク層でもたわわに対しては違和感を持っている人間は少なくない。
何故か、というのは推論ながらわかる。
これから語るのはそういう話。
「エロ漫画と近似の設定と世界観で小悪魔的なヒロインが性的さを自覚的に押し出すくせに、読者には匂わせるだけでエロが何も見えない齟齬」
が引き起こすもどかしさに尽きる。
そもそも発端として語らねばならないのは、月曜日のたわわには「前身」となる作品があるという事。
それは、同作者の「艦隊これくしょん」同人作品である「魔性の潮」というシリーズである。
細かい設定は抜きにして、話の内容としてはヒロインである巨乳中学生が、色んな男から性的に見られたり相手をさせられたりするのを一枚絵で「匂わせる」。
直接的な描写があるわけではなく、ただ自分が性的に見られている事に辟易しているヒロインの表情と、周りの男の反応で起こっている事を読者に想起させる。
この「自分の性的さに自覚的なヒロイン」が「直接描写なく性を匂わせる」という点に関しては明らかにたわわに引き継がれている。ついでに装丁が青いのも共通してる。
たわわには複数のヒロインがいるが、だいたい小悪魔系か天然系かに分かれる。
そしておそらく看板キャラと言っていい、件の広告でも描かれているアイちゃんであるが、
彼女は明らかに前述の「魔性の潮」の反転、つまり性的に見られてる自分に辟易するのではなく、逆に積極的に利用して相手を弄ぶキャラに設定されている。
対して男は表情も描かれない没個性な、まさしくエロ漫画の描き方だ。
その極端な世界の中で、「魔性の潮」由来の生々しい性の「匂わせ」と、その世界観で自身の性を理解し利用するヒロインがいながら、
読者である我々にはその先にあるであろう直接的なエロ描写にたどり着く事は決して無い。
ただ、エロい体型の女に性欲をくすぐられはするが、延々とお預けをくらう。
この小馬鹿にされている感じが自分はとてつもなく嫌なのである。
これがエロ漫画だったらエロを目的として読めるのでヤッてるのを見てシコッて終わりだが、たわわは扇情的で湿った画面を延々見続けているだけ。
どういう感情を持てばいいのかわからない。竿役いつ逮捕されるんだろうかとか思えばいいわけ?
「ただ単にエロ見れなくて怒ってるだけやんけ」という話だが、全くもってその通りだ。
あの全体的にそこはかとなく漂う淫靡さと背徳感が良いという意見もあるだろうし、だからこそ売れてるのは否定できない。
発端からしてエロを匂わせる作風をしておきながらエロを見せないというのは、まぁあの作者らしい捻くれ方ではあるが、
でも、そういうどっちつかずな態度がずっと続くのは結構かなりイライラする。
困った事にそれが曲がりなりにも「健全漫画」という顔で出ているのだから、新聞の広告に出たら燃えちゃったというのもわからんでもない。
とにかく、あのコンテンツの気色悪さは明らかに胸の大きい女で性を匂わせ欲情させる作りをしておきながら、
結果的に何も起こらない(というか見れない)、身の置き所がなさに尽きる。
じゃあ乳以外の描写に見どころがあるのかというと、別に何も面白くないのが余計。
これで売れてるのが正直モヤモヤするが、まぁでも広告燃やされるのはあんまり過ぎるだろうという複雑な気分を抱えている。
日経広告のキャラ絵で元気になるヤツがいたとして、何か困る事あるのかよ。
内容としては前述した「性」が前提になっているのはあるにしてもだよ。
内容知ってる奴は既に読んでるんだから今更どうとでもないし、
興味ない奴はスルーするし、嫌な奴はそのまま新聞捨てればいいだけだろ。
こういうしょーもない炎上させる人間がいるせいで、「たわわは健全」とか的はずれな反論するオタクが発生するのでやめて欲しいです。
元々、グラフィックデザイナーとか装丁デザイナーとかになりたかったんだけど、
就活失敗して、誰でも入れるアポ電営業みたいな、派遣で、数年人生無駄にして、今ようやく業界特化の情報誌の編集室に入った。
あーやりたいこと100%じゃないけど皆いい人ばっかだし、なんとなく楽しいな~って思ってた。
けど!!
4年目にしてそろそろしんどい。
しかもめっちゃディープな業界専門誌で、その業界にはミリも興味ない。
あと私はまじで今ナウなヤングに爆流行りの鬼滅の刃に出てくる派手柱よろしく派手ッ派手なデザインが好きなんだけど、業界的にというか印刷コストの関係というか、そういう大人の事情でモノクロかつインクをけちった、余白まみれのシンプルなデザインしかできない、悔しい。
モヤモヤしながら、でも転職を繰り返すのも良くないと思ってたけど、コロナになって色々変わると、やっぱモヤモヤが濃くなってる。
転職しようにも、最低限ソフトは触れますみたいな程度の業界スキルと、全く育たなかったデザインセンスで、誰が雇ってくれるってんだ。
あと超絶田舎でバスが一時間に一本あるかないかみたいな、こんなところで、そんな求人ねーよ。今もコロナなのに往復3時間以上かけて通勤してるのに。いや、金はあるんだから都会へ引っ越すか?それもそうだな。
つらい、しんどい。