はてなキーワード: ドル箱とは
サラリーマンと兼業なので、専業で生計を立てていらっしゃる増田さんの苦労は大変なものだというのは理解できます。
ほんと、原作やらシナリオライターのフィーって、驚くほど安いですものね……。
この金額だけで食べて行けている増田さんにはそれだけで尊敬してしまいます。
ただ、もとの記事を読んで同じ物語の力を信じてきた者として、ちょっとさびしくなってコメントしてしまいました。
シナリオライターの方の仕事は全くわからないのでご苦労を全て理解することは出来ませんが
ちょっと悲観的だし、自分のシナリオに自信なくなりすぎじゃないでしょうか?
例えば、
>ゲームでは、広く浅くキャラを大量に用意してエロくするソシャゲがウケる。
これ、本気で言っていますが?
今、一番売れているとも言えるFateGOなんて、奈須きのこさんのシナリオがなかったらこんなに売れているはずもない究極のクソゲーですよ?
ブラック化が指摘されている業界が、遊園地やブランド品の店舗のようなどうでもいいものではなく、国民の日常や社会を成り立たせるるうえで必要不可欠なものばかりなのが気になる。だって鉄道なければ人が都市に住めなくなるし、銀行がだめじゃ大金の管理が大変になる。
地元の駅前にいくらでもあるスーパーマーケットのうち1店舗がレジ打ちを用意できなくなって休業しても誰も困らないが、警察署が警察官を失えば、学生の自転車の修理をする人間がいなくなれば、社会人のオートバイや自動車を整備する人がいなくなれば、それだけで現代人の生活にかなり支障が出ると思う。
ブラック化が炎上しまくっている最大の原因は、昔のように閉鎖的だからではなく、むしろ逆。社会があまりに厳格過ぎて、その割に理想が現実と乖離しているため、誰もが不満を許せなくなっているということである。つまり適切な解決方法は、「社会にゆとり」を構築するしかない。
かつては退屈そうに本当に客を運ぶだけだった鉄道が、今はぜいたく品販売でもなんでもやってくれるし、私鉄の駅では旅行代理店業務もある。便利にはなったが、客層の質は昔と変わらず、不満要素もそのままならそりゃあ誰も使わなくなる。
そんな社会の現実を魅力に思う人はどこにもいないわけで、たまに運よく鉄道が好きな人がいても、年齢や身分に見合わないくらい張りきれる者(前者)ではなく、耐えがたきを耐えて村八分になるまで地元にしがみつく後者でもないなら、末期のソビエトや東ドイツみたいな勢いの環境についてこれなくなる。
彼らがそのペースについてこれなければ、ただでさえ仕事を背負いながら子育てだってやらなければいけない大人たちもストレスをぶつけ、暴力まみれになるだろう。そうするとどちらも疲弊することになる。それで、消える。誰かが消えると増えたストレスの量を残ったメンツが背負う。これが繰り返されると、最終的には鉄道の商売そのものが疲弊するんじゃないか。膨大な収入をいっぺんに稼げる会社もけっきょくは公共交通なのでどこかで不満が爆発して潰されてしまう。自分よりもずっと貧しい客層に「邪魔だ!」と言われながらも観光列車にのるお得意様やオタクももちろん潰れる。そういう風な突然死が今後各地で起きる気がする。
景気が特別よくなってないのに公務員希望者が企業に流れているのは、試験ではねられるわけではなく、職場の現状に耐えられないからだろう。エリート大学からのエリート公務員を目指す人に貧乏人出身者が多いのも同じことだろうし、若者が娯楽を離れていること、大都会の社会人が二輪車や自転車を日用品として持っている理由も同じかと。
ブラック問題のキモは、つまりそういう社会空間の機能不全にあって、仕組みが成り立たなければやがては産業そのものが突然死する(どこかの先進国の専門学校がある日突然、若者の専門学校離れなどをきっかけに、ある学校は潰れ、ある学校は大学になったように)。運よくどんな理想的な現状であっても、この論理のままでは行き着く先は死だ。
専門学校はまだいい。なくても世の中成り立つから。大学や短大で代用できるし、学費は大学のほうが安いから。でも、この構造問題がもし出版業界で起きたら誰が作家の面倒を見るの?もしある日突然どこかの街の公共交通が破綻したら、市民の生活はどうなるのか。
ブラック社会の最大のリスクは疲弊による「文明社会そのものの突然死」。改めて多くの人が認識してほしい。公共に大きな影響を与えている仕事であれば、官業でもサービス業でも関係なく、一律に現状改善のための策を講ずるのが政治の役割だと思うのだが、何もしてなくね?
あるとすれば決まりを変えるというやり方だ。これからは知的障碍者や精神障碍者でも公務員になれる流れだという。地方公務員はすでに身体障碍者の採用が進んでいる。このままいけばいずれは学歴や中小企業に入れるくらいのスキルがなくても「ブラック企業レベルの雇用環境で」公務員として働けるようになるんじゃないか。人を選ばないなら誰でもできるようにすれば本当にいいのか?
そんなことをすれば、あらゆる人を選ばない職場は機能不全に陥るだけではないかと思う。最近相次いでいるベストセラー書籍の電波化は、売れっ子でありながら出版社にその利益が還元されていないことが指摘されている。ブラック系の出版社から、世間で時をきらめく有名人のドル箱作品が世に出たのだよ。
このままいけば、高卒以上の日本人かつ筆記試験と面接に受かるだけでエスタブリシュメントになれるようになって、街のそこら中で役人がタメ口で市民に応対する事件が頻発するようになるだろうし、現役の役人がサイコ野郎で横領とかやりまくって自治体そのものを潰すことだってありえる。これじゃあ、まずいよ。
そうするとまともな人は支配層になることがバカバカしくなってしまう。バカバカしすぎてエリート層が民間に流れてしまう。あらゆるセクターで同時多発的にそうなって、文明全体の質が一気に低下し、以前は考えられなかったトンデモな事件が頻発し、文明社会が突然死することは絵空事ではないだろうね。
http://anond.hatelabo.jp/20170128155016
例えば東京大阪間を移動するとして、多くの人は「普通は新幹線だろ」と言う。
実際には羽田伊丹線は航空会社のドル箱になるぐらいたくさん飛んでるし、目的によっては関空や成田絡みの航空路を使う人もいる。
高速バスもあり、18切符期間には鈍行を乗り継ぐ人も多く、自分で車を運転して行く人もいないことはないだろう。
もはや「新幹線以外で東京大阪間を移動する」は「例外的」であっても、「あり得ない」わけではないのである。
それでも一部の人は、新幹線以外で移動する人なんて「いない」とみなしてしまっていいという思想を根底に交通を語る。
あるいは、飛行機を使っている人などを異常とみなす。
要するに、これほど「ある程度は一般的」な場合ですら、「例外的だから無いとみなしていい」とされることも多いってことだ。
なのにもかかわらず、なんで「女児に手を出す男性保育士」などという、飛行機で東京大阪間を移動する程度の例外に比べたらもっと少ないような例外に関しては
「無視」することが許されないのか。勿論どちらも完全無視は許されない話ではあるが、それでも多少の配慮で良しとするとか、そうなってもいいはずである。
「自然な感情」とやらが関わってるからという話も、飛行機を宗教的に嫌ってる人(http://anond.hatelabo.jp/20170127232138参照)からすれば羽田伊丹線を忌避するのも「自然な感情」だろう。
このあたりで「筋が通ってない」というところに、なんらかの違和感を感じる。
交通論、商業施設論、趣味嗜好etcでは、かなり多くの「例外とは言えそこまで少ないわけでもない例外な人達」が不適切な取扱を受けてきたのだ。
なぜ男性保育士の話「だけ」そうなるのかよくわからない。あんなの東京大阪間で例えれば新幹線で名古屋までいって近鉄に乗り換えて大阪へ行くとかそういうレベルの「例外」ではないのか。勿論全くいないわけではないだろうし、それに対する配慮が全く必要ないとも言うつもりはないが、「矛盾に対する違和感」があるのも事実だ。
レスポンスがあって、いい意味で驚いた。もっと、みんなの考えを共有したいものですね。
ひとことで言うと、ドル箱を大きくして、ずっと続くようにしようとしてるように見える。
・分業による組織化によって事業拡大を見込んでいる。上手く行けば、法人化(既にしている?)できるように進めていると思われる。 プロダクション化というやつでは?
・「宗教ビジネス」という人もいるように大衆の人気を取ることを考えると、伊藤ナナとしての経歴は不利に働く(アナグラムとまで調べていればご存知のことと思う)。今後、トイアンナは伊藤ナナでない者からの情報が発信されると、その存在に気が付きにくくなる。すると、大衆のトイアンナ像のイメージ形成をより収益化しやすい方向へと操作できる。
>入社して1週間後に告げられた自分の配属先は、山奥の工場でメインフレームを主とするシステムの開発・保守を行う関連会社への出向だった。
富士通がそうかは知らないがこういう部署って黙ってても利益が入るドル箱なので会社からの評価は高いはず。
新卒の右も左も分からない時期にこういうイージーモードな部署に配属して貰えるのはむしろ良い待遇だと思う。
国税庁が出してる所得統計を見れば分かるけどFのような大企業は30代に入る頃から一気に年収が跳ね上がる。
>入社して1週間後に告げられた自分の配属先は、山奥の工場でメインフレームを主とするシステムの開発・保守を行う関連会社への出向だった。
富士通がそうかは知らないがこういう部署って黙ってても利益が入るドル箱なので会社からの評価は高いはず。
新卒の右も左も分からない時期にこういうイージーモードな部署に配属して貰えるのはむしろ良い待遇だと思う。
国税庁が出してる所得統計を見れば分かるけどFのような大企業は30代に入る頃から一気に年収が跳ね上がる。
>法律上の良い悪いは道徳によるものではなく、国家にとってプラスかマイナスかで判断されるんじゃないの
たばこ税は打ち出の小槌で、年間二兆円を超えてかつその自治体にも落ちるということでドル箱の税金です。
かなり値上がりしたみたいですが、韓国のように激減はしていません。政府としては生かさず殺さず搾り取りたいのです。
しかし状況がかわって喫煙者への風当たりも強く、火を使う場合は火災のリスクもあり、またパイプで摂取するとタールを取り込みます。
精神系の作用がするので車の運転とかは飲酒運転や薬物使用と同じ基準で罰則をとればいいと思います。
ちなみにタバコもやるし大麻もやるという人もいますが、僕は大麻だけです~という人もいます。
個人的にはもうタバコ吸っても吸わなくてもあと10年ぐらいしたら普通に死にそうなのでどうでもいいのですが
部屋がくさくなるのでタバコはすいません。なんとか両立するような道が探れればいいのですが、大麻解禁してもたばこ税が激減しては意味がないと思います。
僕は数年来のにわかボクシングファンだけど、年末ボクシング商戦とTBSの現状について語ろうと思う。
まず、確認しておきたいのが日本ボクシングの歴史において、現在は非常に盛り上がっている時期だといえる。
理由としては、日本の総合格闘技の凋落と日本人ボクサーの世界における相対的なレベルの向上が挙げられる。
00年台の日本格闘技といえば、総合格闘技全盛だった。立ち技系のK-1と寝技ありのPRIDEという2大団体だ。
かつてはこの2大団体が興業としても、選手のレベルも世界でトップクラスだった。そのため、年末の格闘技放送は総合格闘技+泡沫色物プロレスがメインだった。
しかし、ヤクザ問題やUFC等海外団体の台頭など色々あった結果、K-1もPRIDEも消滅した。後発団体ももはやかつてのそれほどの求心力は持ち合わせていなかった。
そして、時期を同じくして日本人ボクサーのレベルは急上昇した。
かつてはファイティング原田や浜田剛史、具志堅用高など日本人ボクサーのレベルは世界の中でもレベルが高かったが、日本人ボクサー冬の時代が訪れていた。
世界的にはボクシングチャンピオンというと、各階級ごとに4つの団体があって、その一つを保有することで世界チャンピオンになれる。
WBA、WBC、WBO、IBFの四団体で、さらに暫定王座やスーパー王者などがあり、世界チャンピオンは階級に一人ではないのだ。
冬の時代のボクサーはこのうち最も弱いチャンピオン(俗に穴王者と呼ばれる)を狙って世界戦をしていた。
それでも勝ち切ることができなかった。勝ったとしても、防衛戦が待っている。そこでも弱い相手を迎えるのだけれど、負けてしまうことが多かった。
日本人チャンピオンの数は冬の時代に比べて格段に多くなり、さらに防衛戦でも勝ち続けているのだ。
それだけにとどまらず、世界戦で強い相手と試合をすることがとても多くなった。
軽量級世界最強と呼ばれるローマン・ゴンサレスとマッチメイクをした八重樫東の世界戦は記憶にあたらしい。
それは、今の世界ボクシングの風潮がビッグマッチ思考といって、世界王者であるということよりも、実力者に勝つことが重視されることもあるだろうし、アジア人のマニー・パッキャオが世界トップクラスのボクサーとして評価を受けていることもあるだろう。
日本人の西岡利晃がメキシコでジョニー・ゴンサレスを、ラスベガスでラファエル・マルケスを破ったこともあるだろう。
なにはともあれ、日本におけるボクシングの注目度は今世紀最高であるといっても過言ではない。
さて、こうしたわけで年末の格闘技には当然ボクシングが放送されるわけだが、テレ東、フジ、TBSの3局がボクシングを放送する。
TBSが育てたチャンピオンとして最も有名なのが亀田兄弟である。
放送権をTBSが囲い込み、対戦相手は徹底的に弱い相手を選ぶ。後はキャラクターと試合前の煽りVTRで視聴率を取る。
試合は日本で行われ、判定に持ち込めば地元判定と謎の疑惑判定で有利に戦う。これぞボクシングの黒い部分だ。
しかし、亀田兄弟はやり過ぎた。日本ボクシング協会の逆鱗に触れ、日本追放された。
手持ちのボクサーが失われたTBSは新たな手駒として井岡一翔を中心とした井岡ジムの囲い込みに出た。
井岡一翔は若手の中でも実力者で、ファンの中でも評価は非常に高かった。かつては。
しかし、井岡一翔もTBSボクサーに成り果ててしまった。マッチメイクは段々とレベルが落ち、弱い相手としか戦わなくなった。
その上、弱いと思った相手が想定外の奮闘をした結果、一方的な内容で負けてしまった。なぜか判定は僅差の判定だったが。
そのTBSが、ボクシングを愚弄しているとまで言われたTBSが、年末にギレルモ・リゴンドーの試合を放送する。
これはかつて東京でマイク・タイソンが世界戦をした以来であると言っても過言ではない。スター性は別だが、傑出度とクオリティという意味では間違いないだろう。
ここでギレルモ・リゴンドーの紹介をすると、アマチュア時代にあらゆる大会で勝ちまくり、キューバから亡命して鳴り物入りでプロデビューした。スター候補としてだ。
その目論見は半分はあたった。リゴンドーはプロのリングでも無類の強さを見せ、かつて日本人ファンの期待を一身に背負った西岡利晃を寄せ付けなかったノニト・ドネアを完封した。
この一試合でリゴンドーの名は軽量級最高峰として轟いた。かに見えたがリゴンドーはスターにはなれなかった。
その試合内容があまりに堅実で、テクニカルで、盛り上がりに欠けたからである。
打たれずに打つというボクシングの本質を体現したリゴンドーの試合はその完成度と裏腹にエキサイトできないものであった。
結果的にリゴンドーはアメリカのスター戦線、ドル箱スター街道から干されてしまった。ショービジネスの悲しい側面である。
あのリゴンドーが地上波で見られるというのは恐ろしいことである。
あろうことかこの放送をスポーツバラエティ番組とバーターにしてしまう所がTBSのTBSたる所以なのだ。
井岡は名も無きロートルとノンタイトルマッチを組み、リゴンドーは名前も出ない。もう一試合にはノーコメント。
せめて井岡だけでももっとエキサイトできるカードを組めば、年末ボクシング商戦で頭一つ抜けられるところだろう。
ボクシングなんて野蛮なものは見ないというはてなユーザーに年末の注目カードを伝えておく。気が向いたら見て欲しい。
日本人最速世界王者に加え、マッチメイクが素晴らしい。強い相手としか戦わないという宣言通り、強い相手と戦い続けている。今回のナルバエスも王座11度防衛の強敵だ。
そして八重樫東。軽量級最高峰との呼び声高いローマン・ゴンサレスと戦い散るも、その勇姿はファンの心を踊らせた。回転の早い連打に注目が集まるが、フットワークを使ったアウトボクシングが光るスピード溢れる選手だ。
ホルヘ・リナレス(これ放送するのか?)は日本人に馴染みが浅いが、幼い頃から日本のジムで練習を積んでいる。ハンドスピードが早く、スタイリッシュなボクシングを展開し国内では敵なし。海外でも有力選手を退け、スター街道を歩むかに思えたが、打たれ弱いのが玉にキズ。イケメン。
そしてリゴンドーだ。天笠選手はここでいい結果を出せば一気に世界に名が広まる晴れ舞台だ。
さて、年末が楽しみですね!
クリスマスとは無関係に平日を過ごされている皆さん、お疲れ様です。
さて、ハイスコアガールから恋愛要素を完全に引いた形で青春を過ごし、
過去の殺伐とした記憶が上書きされるくらい身悶えするような甘ったるさを
完全に枯れたジジイの目で暖かく見守っていたファンも多かろうと思います。
「ああ、これ売れ残ったらオレが買わされるんだろうな……」と寒空の下、
声を張り上げるコンビニの売り子よりは幸せだと思う貴方に送る怪文書です。
末端価格は同じなのに、街の小さな本屋と、都市部の大型書店とで、卸値が違います。
カネとモノの流れは取次が超高効率で仕切ってますが、営業は出版と本屋でほそぼそと行います。
そして、膨大な作業量の割に、日本の商習慣が結晶したようなビジネス機構で動いています。
つまり、口約束が多く、事なかれ主義で、担当者の約束は会社のソレと一致しなかったりします。
(このあたり「真吼えろペン」が誇張や脚色も入って適度に生臭くてオススメです)
が、産業になるにつれて官僚的でビジネスライクになっていきます。
ローカライズや世界展開が早かったこともあり、まあ、普通になったと言って良いでしょう。
法律を守り契約書を作り、それなりにガチでやりあうこともある世界です。
任天堂の法務は世界一との評判も名高い、それなりに蓄積のある業界です。
引用を理解するには、ミッキーマウスを漫画に登場させるにはどうすべきか?を想像するのが早いでしょう。
例えば、夏目房之介さんは法律上認められた引用を漫画に対して行い批評をすることで有名ですが、
これが有名なのは、慣習的に絵の引用は相手の許諾をもらってから、という業界の風習に切り込んだからです。
また、逆に他からネタを持ってくることは「コピーしない」範囲内において普通に行われています。
水木しげるのようにうまく取り込むこともあれば、久米田康治のようにパロディーにすることもあります。
しかし、アイデアのパクリやトレースなどに対しては、自粛も含めて相当に敏感です。
ここでのポイントは、法律とは全く無関係の慣習で業界が動いていることです。
ジャニーズは異様に著作権管理にうるさいことで有名ですが、それはそれで正しい訳です。
また、過去のドラマシリーズの出演者に連絡がとれず、ソフト化出来ない、なんてのも良く聞きます。
一方で、アニメに関しても、「これぐらいなら良いだろう」という甘えが見える分野もあるにはあるわけです。
有名なところでは「ワクドナルド」でしょう。デニーズやロイヤルホストにそっくりな店舗も良く見ます。
(象徴的な「あの花」のインタビューを張っておきます。http://toyokeizai.net/articles/-/18789?page=2)
また、古くは企業戦士YAMAZAKI、最近でもへうげもの等に、実在の芸能人がそっくりな形で登場することがあります。
今のところ、闇のイージスにリュック・ベッソンがクレームを入れたとの報は入ってきておりません。
ただまあ、ムダヅモ無き改革もハリウッドで映画化されたら、意外に国際問題になるかもしれません。
さて、ゲーセンでカツアゲされた記憶のある人なら覚えはあるだろうSNKの筐体。
ハイスコアガールでもわりと重要なエピソードに絡んで登場します。
どっちがビッグサンダー・マウンテンに多く乗れるか勝負だ!みたいな使い方をしていれば、
第一生命やオリエンタルランドからクレームぐらいは付くかもしれません。
が、劇中に登場するのはSNKの対戦格闘ゲームで、残念ながらSNKは倒産しました。
そして、版権管理業務を行うプレイモアがSNK破産時に知財を取得し、SNKプレイモアに商号変更しました。
「NEO GEO X」でドライにライセンス契約を解除した件で記憶している人も多いでしょう。
つまり、牧歌的な時代を引き継いで緩い企業も多い中、ワリとガチな企業なわけです。
さて、今回ハイスコアガールに関して、刑事になったことに驚いたゲーム関係諸氏も多かろうと思います。
なぜなら、普通に考えてSNKプレイモアって企業は、取り扱い注意系の企業だと認識しているからです。
パチスロメーカーのアルゼとやりあった裁判は相当に有名で、1件は4億で和解しているものの、
現在もガチガチにやりあっている、いわば「あそこ怖いよね」という企業なわけです。
本事案、田中圭一が本宮ひろ志にぶちギレ金剛されたのとは違い、ビジネスライクな話です。
つまり、あまり言いたくは無いのですが、ルーズな出版業界が一般的な法律の世界に疎かったという話になります。
「は?普通にまず侵害をやめて頂いて、被害額の算出、それから著作権使用料の支払いと慰謝料ですよね?」
というのが、世間一般の日の当たる企業にお勤めの皆様の感覚なわけです。
菓子折り持って七重の膝を八重に折り、許諾頂ければお金の話は儲かってからで、みたいな感覚と違う世界ですね。
時系列で見てみましょう。
至る現在。と言う状況ですね。
9番の、連載停止差し止め回収からはちょっと厳しんでは、というのは、だいぶ感覚が毒されてます。
版権で食ってる会社の版権を勝手に使ってるので、まずは不快感を示されるわけですね。
ここはまだ法律的・金銭的にどうのではなく、商習慣として信義的にありえんでしょう、から始まってるわけです。
あと「聞いてくれるな、聞くのならば不許可」という会社も居ます。
商業誌でまんまジバニャンをバリバリ出してどこにも話し通してないとか、ちょっと想像つかないでしょう?
12番の部分ですが、この辺は「600円で累計100万部なら、ウチが半分で3億ですかね」の可能性も微レ存な状況です。
まあ、いずれにせよ「役員は把握していた」としないと、普通書類送検時に起訴相当と意見はつかないので。
18番のスクウェア・エニックス側が民事で「著作権を侵害していないことの確認」を大阪地裁に提訴したのは、
恐らく金額でケリをつけたいから、なんですよね。
チョット不可解に見えるかもしれませんが、この辺はロジカルなんです。
万が一、著作権侵害無しとされれば丸儲け。
よしんば著作権侵害有りとされても、どの部分が侵害していて、全体の何割、という具体例の把握になるわけです。
SNKプレイモアは、「著作権侵害なんかねーよ」と言われているので反論しないといけないわけです。
つまり、「このコマとこのコマとこの部分、全体で3割だね」みたいな形でスクウェア・エニックス側は敗訴するわけです。
すると、販売価格600円のうち、出版社利益が3割で、そのうち3割がSNKプレイモアの版権物のおかげになって、108円です、
100万部なんで、5千4百万円で手を売って下さい、みたいな形になるわけです。(+通常の著作権使用料。この辺は慣習が考慮される)
ここまでいけば、どのコマかは明確なので、修正&再販売&アニメ化にはいけるわけです。
そうガンガンとドル箱作品は生まれないので、これでも損益分岐点を割らないと踏んでの行動でしょう。
たらればいってもしかたがないんですが、本事案に発展するまでに、いくつも止められるタイミングがありました。
ご協力願えませんかと声をかけていって、OKでたところだけでやる。
「もやしもん」がビール会社との協賛してましたね。あれは金銭発生してないと思います。
(例えば脱衣麻雀を描くならスーパーリアル麻雀は外せないハズだが、作中には出てこない。セタ解散してるけど)
PCエンジンを描いた6-CREDITは、ほぼ改変せずに書き写しなので、これは民事にはならない(と判断する弁護士が多い)ハズ。
引用の要件を満たしていなくても実質的にカネが取れる民事訴訟は避けることが出来るというグレーで行けた。
あそこで、対外的な理由はなんとでもつけてよくて、「連載休止」「回収」「アニメ化は未定」にするだけでずいぶん違った。
日本の司法は実は「十分な反省」「真摯な態度」など、「情」を重視するので、誠意ある態度と見なせる行動を起こすだけで違ったはずです。
法人の著作権侵害は意外に重くて、刑事罰は最高3億です。ただし、刑事罰は故意の侵害時のみなので、
法廷戦略として「著作権侵害の認識はなかった。誰かが許可を取ってると思っていた」は徹底するよう弁護士から言われてるハズ。
おそらく刑事で「過失によるもので故意ではない」として刑事罰は無し。
平行して民事で侵害部分が特定されて、損害賠償と慰謝料で和解。
ハッピーケースで、著作権使用料を払って漫画は再開、再販売。アニメ化。
ベターケースで、SNK関連を削ってスト2を主軸に据えてアニメ化。漫画はリブート。
いずれにせよ、5,6回で結審、控訴せずに1年未満で決着、と言ったところではないでしょうか。
民事でケリをつけるべきなのに、刑事から入るの良くない、みたいな声明が出てますが、
版権持ちからとりあえず連載止めろと言われている時に、ド直球で「真サム」と「KOF95」を題材にして、
日高とハルオとの対戦を描けば、そりゃ刑事告訴もされるだろうよ、相当悪質だろうよ、とは思います。
(ただSNKプレイモアも嫌な裁判慣れをしているので、引っ張れるだけ引っ張るつもりかも知れませんが)
裁判では不利に働くであろう捜査期間中の連載を40-creditまで強行したのは、
社内の法務部門でも「許諾されない場合の再販売は難しいだろう」と判断されていたからでしょう。
逆に言えば、その態度(2014 vol.07まで連載継続)が家宅捜索にまで発展してしまったわけです。
単行本組は残念ですが、連載組はギリギリ、一応の区切りまでは観ることが出来ています。
どう書いても場所や個人の風評被害につながるのでぼかすけれども、
AKB48握手会で刃物で切りつけられた事件について、芸能界によくあることみたいなのは全く違うというのを書いておこうと思う。
また、現在様々な握手会やイベントが中止や延期になっているのは、(遅すぎたとはいえ)その判断は素晴らしいと思う。
テロに屈するのではなく、そもそも何の対策もしていないありえない状況の是正に繋がると考えるからだ。
今回のAKB48の事件は、当然かけるべきコストをケチった為に起きた人災。
防げないテロが存在することと、防げたはずの凶行とは、分けて考える必要がある。
どうせなんか湧くだろうから本題に入る前に当たり前の事を書いておくが、
当然、斬りつけるようなヤツが悪い。
刃物振り回すようなアレな人間が間違いなく悪くてそいつさえ居なければ良いというのは十分わかった上で、
(根底にはAKBファンにはキチガイ割合多いだろみたいな蔑視があると思ってるが、本題じゃないから省く)
テロの標的になるのは、目立ってるものだろうし、本質的に対策が難しいというのはある。
ただ、程度問題というやつは当然ある。
町内会長のオッサンがスーパーの開店挨拶で切りつけられた時に、犯人許すまじ、で終わるのなら良いが、
外務大臣のオッサンがどこぞの講演会挨拶で切りつけられた時に、犯人許すまじ、で終わったら正直困る。
警備は何してんだ、って話になってもらわなきゃ困る。
俺は安倍さんは嫌いだが、ぶら下がり取材中にのこぎりでホイホイ切りつけられたら、国益を損なうと思ってる。
だから、ファンが全部で10人の地下アイドル握手会と、CDに握手券つけるAKB握手会では、当然警備の量・質共に段違いであるべきだ。
その上で、芸能界でも今まで多々あってきた凶行と今回の件は、どうすれば防げたかという観点で見直しがいる。
見直さずに握手会を行うのであれば、それは蛮勇ではなくて単なる商行為における人名軽視だ。あってはならない。
美空ひばりが塩酸をかけられた、誰それが誘拐された、ファンが自宅に押しかけた。
だから、「昔から芸能人はターゲットになってきて、今回のAKB握手会の凶行も同じだ」は正しいか。
正しくないのではないか。
移動時でもなければ私生活時でもなく、業として商売として行われている最中の出来事だ。
犯罪者が悪いことに変わりはなくても、興行を行う主催者のミスとして責められるべきではないのか。
総選挙の時にステージに向かってモノを投げつけたわけではなく、直接触れ合えるタイミングで切りつけているのだ。
根本的に状況が異なる。
例えばだ、北海道で島本和彦がサイン会をして、色紙に熱い言葉を殴り書きしているときにファンに切りつけられたとしよう。
ビデオレンタルショップで手荷物検査があるでなく、取り押さえるにも時間がかかったりするだろう。
いずれ漫画にネタとして昇華される日が来るかもしれないから、オイシイとかバカなこと言われるかもしれない。
この場合、それは一過性のものなので、警備の不備を指摘しても、あまり意味が無い。
もちろん島本和彦レベルのビックネームであれば警備を強化すべきとの声もあるだろうが、ファンとの触れ合いを大切にしたい作家の気持ちもある。
そもそも、殴りつけるなら兎も角、切りつけてくるような犯罪者が混じっていることなど、判ろうはずがない。
会えるアイドル、という部分と本質的に異なり、アイドルと触れ合える機会が、偶然ではなく確実にある。
CDを書い、握手券を手に入れ、会場に行けば(体調不良などのアクシデントがなければ)、握手できるのだ。
年に数回、並ぶファンも総勢50人以下なんていう状況とは異なる。
もう一度言おう、そこに行けば確実に直接手と手を触れ合わせることができるイベントが、かなりの頻度で定期的に行われている。
この手の話は、規模や頻度、人気やファン層を無視しがちだ。
セキュリティという観点で見た時、性別年齢職業地域などで、想定する警備体制を見積もるのは当然のことだ。
文化ホールで年中行われるさだまさしコンサートと、ホテルで行われる美輪明宏ディナーショー、ロフトプラスワンの地下アイドルイベント。
のこぎりで斬りつけられるタイミングはそれぞれ違うし、警備体制を同様に論じることは当然出来ない。
ロフトプラスワンの警備体制でジャニーズのコンサートを行ってはいけないというのは、判るだろう。
差別的だというのを十分承知の上で言えば、美輪明宏のクリスマスディナーショーに、のこぎりを持った今回の犯人が紛れ込む可能性は無視できるほど低い。
単純に行きづらいからだ。
さて、テレビにAKBという名前で出る、CDも売っている、ファンも多い。
そんな相手に、1600円で直接触れ合えるイベントがある。
あの規模の握手会で、握手対象者はドル箱たるアイドルそのもので、手荷物検査がザルなんてあってはならないのだ。
クリント・イーストウッド主演の、ザ・シークレット・サービスという映画をご存知だろうか。
あの映画では、ジョン・マルコビッチが金属探知機をすり抜けて銃を持ち込んでいる。
ポイントはそこではなく、アメリカの上流階級が参加するパーティーであっても、礼儀を尽くしたまま警備レベルを上げることができる点だ。
コストは当然かかる。
佐渡金山の労働者のように、一旦全員裸にして、ケツの穴までチェックしてから入場させる必要はない。
手荷物を全て預かり、アクセサリー類は全て外させ、金属探知機ゲートを潜らせてから、手を洗わせて、係員立ち会いのもとで握手させる。
たったそれだけだ。
富士急ハイランドではアレだけの入場者が居るにもかかわらず、メガネはおろか時計まで外させてロッカーに入れさせる。
長机はちゃんと固定しているか?
アクリル壁とか言う前に、やるべきことは山ほどあるはずだ。
時間は今よりかかるだろう。会場も限定されるだろう。置き引きや荷物間違い、つけ爪や服装規定に関しても揉めるだろう。
だが、コミケのコスプレ会場スタッフは乗り切っているし、準備会は柔軟に対応しながら当局の規制を免れてる。
実質的に有料の商業行為である握手会で出来ない理由はないし、コストを掛けないのは良く言って怠慢で、悪く言えば人名軽視だ。
職業暗殺者を防ぐことは出来なくても、自暴自棄になった若者程度ならハジく警備体制になっていなければならないのだ。
今回の事件は、当然行っておくべき対策を怠った為に、起こるべくして起きた事件であって、運営の責任は重い。
防ぎようのないテロではなく、簡単に防げた凶行だ。
防ぐのが難しい高級車窃盗団がいるからといって、鍵をつけたまま車を放置して良いことにはならない。
町内会長の講演と、国家元首の演説で、求められる警備レベルは異なるし、そのコストは省いて良いものではない。
もちろんファンが自主的にできることもある。
握手会にはできるだけ手荷物を持っていかない、時計を含めたアクセサリーは付けない、スタッフの指示には必ず従う。
そういったマナーが浸透すれば、そうでない人物を警戒すれば良く、スタッフの負荷は減る。それはアイドルの為にもなる。
(それをすり抜けるキチガイも当然でるだろうが、現状よりもずっと難しくなる。無策の言い訳にはならない)
わかりやすくするためにきちんと書くが、世俗や習慣、風習という意味ではなく、性風俗の意味を持つ「握手」の事だ。
異性同性に対して何らかのサービスを行う物事は多いし、国や時代によってモラルも風習も違うので、良い悪いは無い。
ただ、今の時代の日本において、少女に握手をさせるというサービスは、どこまで許されるのか?
はっきり書こう。AKBのCD代金の何割かはこのイベントのために支払われている。
つまり「会場に行って、1000円支払って、好みの女性と握手をする」という商形態だとしたら、許容されていたか?
いまはこれを、CD代金に含めることで有耶無耶に誤魔化している。
規模が小さい頃は、ファンサービスの一環という言い方もできるし、実際そうだろう。
大規模になり、十分にビジネスモデルとして回り、実態として握手券のためにCDを買う人間が増えてきた。
法律がなければ何をしても良いわけではなくて、何かあればすぐに規制がかかる。
握手会を無くさない為に、この業界トップランナーであるAKB運営は早急に自主規制を行う必要があるのではないか。
誠に残念だが、「ファンサービス」に戻すための努力をすべき時期に来ていると思う。
ほっとくと、ホントに刑務所の面会室みたいな場所でガラス越しに手を重ねあわせるだけになりかねないと思う。
アイドルなぞ賤業でメンヘルなので、斬り付けられる程度の覚悟はしておくべきと考える人がもし正しいとしても
商売人として運営がアイドルにコストをかけないのは、美術館が展示の目玉の国宝の壷を触れるように展示するレベルにありえない。
これは徹頭徹尾、人間を商品として扱う商売人がかけるべきコストをかけていなかったという、運営の話だ。
そんなコストを掛けてまで握手会は出来ないというのであれば、サービス残業がなければ潰れる会社と同じく、元々出来ないのだ。
正直な処、男性アイドルグループや、無名のグループでは起きなかったであろう犯行だと感じるので、
美味しんぼが売れすぎるものだから、雁屋哲は小学館の編集部の誰も何も言えないアンタッチャブルな存在になっているというのは、十年以上前に聞いた話。
一度連載を辞めたあと、部数が落ちたのと、単行本があまりにもドル箱過ぎたから経営判断もあって三顧の礼で復活。
俺はこんなの業界人ならだれでも知ってる常識みたいな話だと思ってきたので、どこからもこの話が出てこないのが不思議でしょうがない。
たしかに小学館の上のほうにも、熱心に反原発デモなどに顔を出したりしている左の人はいる。でもそれたぶん関係ない。
はっきり言うけど、スピリッツ編集部も「被害者」と言っていいと思う。
いまどうやって雁屋の首に鈴をつけるか協議してるんだろうけど、雁屋はもう一生遊んで暮らせる金を持ってるから怖いものなし。
どうすんだこれ。
いい悪いは別として、世界的に見て日本人は、文化的、社会的、そして言語においても極めて特殊だが、異常にオリンピックが好きな事も特殊。
そんなに努力したら報われる瞬間に飢えているのだとしたら、未だ社会生活、仕事で、健全で公正な環境に置かれていないということか?
実際問題どうなのだろう?
純粋に考えるとオリンピックが好きということはスポーツが好きということになる。ところがどうだ、サラリーマンの大半が休日又は
仕事の後に、スポーツに興じ汗を流しているという話は聞かない。そのような光景はあまり目にすることはない。
その代わりに目にするのは、抱えきれない日々の不満を、アルコールで解消しようとする、お腹の出た酔っ払い達だ。
その横を流行りのジョギングシューズ、ジョギングウェアーに身を包んだ健康志向の誰かが、お気に入りの曲をipodで聞きながらすり抜けていく。
俺は夢でも見てるのか?
マラソン中継を放映している国、それを飽きもせず見続ける国民。私はそんな国は日本以外知らない。世界を知らないだけなのか?
この状況を客観的に見れば、日本人はスポーツを観るのは好きだといえるが、自ら進んでスポーツをする事はあまり好きではないということになる。
中学、高校と部活等を通じてスポーツで汗を流す少年少女は多い。それが例え決められた制度であったとしても、スポーツに興じてることに変わりはない。
この期間で自らが興じるスポーツが好きになる人も多いだろう。
そして、そのスポーツに対するアクションは、”観ること” よりも "する事" の方が大きなウエイトを占めている。
それがいつの間にか逆転するのだ。
スポーツの価値観が、健康的な価値観から余暇的な価値観に置き換えられると言ってもいいだろう。
その背景に見え隠れするのは、 仕事が一番でなければいけない という強迫的なあれだ。こう感じるのは考えが飛躍し過ぎだろうか?
かくして、仕事に疲れ果て、体を動かくこともままならない日本人の、スポーツをしたい欲求を満たす為に、代わりに、スポーツ映像をメディアは垂れ流す。
自分の満たされない欲求を、映像の中の選手に投影する。選手たちは、希望どおりの働きをしたり、逆に残念な結果を出したり、ときに想像を超えた活躍し視聴者を刺激する。
そう、視聴者にはスポーツをする時間も、余力も持ち合わせていないのだ。
「もっとくれ!、もっとくれ!もっと!」「視聴者は欲しがってる、こいつはヤツらの希望を満たすドル箱だ!どんどん垂れ流せ!」そんな幻聴が聞こえてきた。
こんな話がある。
オリンピックの放映権はドル箱ビジネスで、年々高騰している。その対策としてNHKを含む民放6社がお金を出し合い、放送権を獲得することにした。
1976年のモントリオールオリンピックから今にまで続いている。オリンピック期間中、ほぼどのチャンネルを回してもオリンピック放映となるのはその為だ。
各社は特色を出すためにタレントや芸人を起用した演出を模索する。芸能人にとってもオリンピックは稼ぎどきなわけだ。
話を戻そう。映像というのは優れた面も沢山あるが、使い方次第では非常に危険な装置に成り代わる。
昔から洗脳に使われたように、無意識化の脳に直接働きかけるため、思考や行動をコントロールすることに威力を発揮し、中毒性も高い。
これは少なくてもメディアの中枢に関わる人達には常識と言えるものだろう。
だとしたら、結果的にメディアは、 仕事が一番でなくてはならない という強迫的なあれに協力、貢献し、スポーツをすることもできないぐらい疲弊し、時間もゆとりもない国民を作り出してしまった。と言い切るのは歪んだ視点なのだろうか?
しかし、そんな惨めな自分たちに気づき、これではダメだとゆとり教育を推進し、彼らが社会に出ると、ゆとり教育は失敗だった。ゆとりは使えないと大合唱し、元の詰め込み減点方式の教育に戻すのは、なんの三流喜劇なんだか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/national/news/20130808-OYT1T01677.htm
http://nueq.exblog.jp/20276833/
ここまで情けなくなった日本人
8月7日 追記
「 エスカレーター キャンペーン 」 で検索してみて下さい。
よっぽど、恐れを為したらしい。
なんとも哀れな骨抜きニッポン人 ( にほん人ではない ) の へなちょこ根性だ。
※ ニッポン と にほん については、
Japanって、どこの国よ?
を参照下さい。
先日の大阪講演会( 4月7日 )で、最近( ここ10〜15年 )ほどの間に、エスカレーターでじっとしてる人が増えて嘆かわしい限り。 エスカレーターは歩くもの!
ピンヒールや重い荷物を持ってる人、身体に問題のある人は止まってても良いが、その他の連中はエスカレーターを歩いて昇り降りすべき!!!
それを最近では、「 危険ですのでエスカレーターを歩かないで下さい。」などとアホゲたアナウンスまでするようになっている。 と、糾弾した途端、
朝日新聞に「 転倒事故多発、恐怖のエスカレーター歩き 」など云うアホな記事が。。。
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201304100691.html?ref=nmail
エスカレーターは歩く人のため片側を空けて――。
都市部では定着した習慣だが、本来は「歩かない」のがルールだという。
■ 本来は立って、ベルトつかむ
左側は乗るのを待つ人の列が…
アホ抜かせ!!!
あんなもの歩いて転倒するとは、、、、一体どんな運動神経してるのか?
どのみち、一人二人が転んだだけで、このような大げさな事になってるのだろうが。。。。
前に東名高速で飲酒が原因の居眠り運転で前の家族が乗ってた自家用車に追突し、幼い子どもが二人焼死した悲惨な事件があったか、その事件をもって飲酒運転の暴虐な取締り = 高額罰金が始まってしまった。 実は適度な飲酒は運転能力を向上させるのである。 警察発表の飲酒に依るブレーキ操作に至る反応時間の遅延はイン・ビトロ = 実験室内の閉じられた系 での反応時間の話しであって、開放系 = イン・ビボ 環境では逆に反応速度も運動神経も向上するのである。 尤も酔っ払ってしまっては逆効果になるが。
このデータを週刊プレーボーイ誌上で公表した千葉大の教授は即刻クビなると云う弾圧が行われたのである。 この高額罰金により、田舎の美味しい料理屋さんは軒並み経営不振に陥ってしまっい、「 地方の活性化 」とはまるで逆方向のベクトルが動いてしまった。
ポチ公のそのまた飼い犬のミドリムシによる駐禁取締といい、警察の2大ドル箱路線となっている。 しかもその罰金の用途は一切公表されてない! 信号や交通標識、そして国庫への編入とされているが詳細は一切公表されることなく、どのみちそのまま工作費や飲み代、退職後の保険に回されているのは明らかである。 ミドリムシ登場直前、警視庁の全パトカーがゴージャスに刷新されたことをみなさん、ご存知だろうか?
さて、エスカレーターの話題に戻すと、それにしても、いくら僕の電話やメール、講演会が公共放送になってるからって云っても、この素早い反応には驚いた!
日本人は洗脳が行き届き、頭の中が狂牛バーガー状態になってる上に、毒の素( 一般的に「 アミノ酸 」と表示されている )漬けでヘタリ牛・たれパンダの骨粗鬆症と脳内スポンジ化がかなり進行し、鉄棒から堕ちて骨折はするわ、エスカレーターで転倒はするわ( って、ホントかよ? 植草痴漢事件みたいなもんじゃないの? )と、運動神経・骨とも軟弱化があまりにもひどい状況となってしまっている。
それに、人の歩行スピードが90年代以降全然ノロくなってしまっている!
駅の階段も一段・二段飛ばしで昇降する人を最近は殆ど目にすることがなくなった。
◆ 60代以下の男女はエスカレーターを歩くべしッ !
※ 但し、身体の不自由な方、ピンヒールの女性、小さな子ども連れ以外。
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201304100691.html?ref=nmail
エスカレーターは歩く人のため片側を空けて――。
都市部では定着した習慣だが、本来は「歩かない」のがルールだという。
エスカレーターは自動車や鉄道と同じく目的地により速く着くために作られた。
従って、階段を登るスピードより遅くなるエスカレーターでの立ち止まりは本来の目的に整合しない。
「 余計なお世話 」であるばかりか、「 アホ 」としか言いようが無い!
■ 本来は立って、ベルトつかむ
だれがそんな「 本来 」を決めたのか?
左側は乗るのを待つ人の列が続くが、右側に立って乗る人はいない。
飼いならされ、何事にも疑問を持てなくされてしまった哀れな羊:日本人の姿である。
だが、日本エレベーター協会によると、エスカレーターは
本来、立ってベルトをつかんで乗る前提で安全基準が作られている。
その「 安全基準 」とは、日本エレベーター協会の責任回避のために「 作られた 」言い逃れに過ぎない。 日本人全体が「 官僚化 」し、責任の所在をとにかく自分のところには置かなくすると云う卑屈な根性の顕れである。
1段ごとの踏み面(奥行き)が階段より大きいため、歩くとつまずきやすい。
転倒すれば、周囲の人を巻き込み大事故につながりかねない。
従って高さ・奥行きもまともな運動神経を持っていれば何ら問題はない。
問題は、そんな運動神経、、、どころか身体の基本的な機能や免疫力などを奪う味の素・サントリー・ハウス・雪印・山崎製パンなどに代表される化け学物質を垂れ流す食品業界にある。 今度は狂牛肉や遺伝子組み換え食品がTPPによって大手を振って日本人の口に詰め込まれることになる。
協会の5年ごとの調査で、2008~09年の2年間に発生した事故は1200件。
その5年前の1・8倍に増えた。7割が段上や乗降口での転倒だった。
この数字は本当だろうか? と、まずは疑ってかかるのが初歩的アプローチ。
次に5年間で1.8倍に増えたとするなら、なぜ増えたのか?
5年前に比べてエスカレーターを歩く人は確実に減っている。
減っているにもかかわらず、事故が増えるのはなぜなのか?
つまり、立ち止まってるがために、注意力が散漫になるからである。
スピードを出してないので注意力が散漫になる。
一番の安全運転とは少しスリルを感じるくらいの快適なスピードで転がすことである。
少しの緊張感があるので360度全方位に注意力が隅々まで働き、前方方向に関してもより遠くまで見えるようになる。
交通法規を改悪してるのは、罰金稼ぎを増やしたい警察官僚と自分では運転しない国会議員「 先生 」たちである。
道路脇の標識に数字があるが、あれは道路事情も自動車の性能も今から比べると劣悪だった1968年の東京オリンピック当時のものであり、あの数字は「 最低時速 」を表示している。 「 最低時速 」以下で走行すると、交通のジャマになるだけでなく極めて危険でもある。
怖い思いをしている人もいる。
横に並んで支えたいが、押しのけて上がっていく人も。
「 弱い側が自分の身を守る方法を考えなければならないなんて 」
エスカレータを歩く人はたとえ急いでいても止まってる人に充分に注意し、ケアすべき人はケアしなければならない。 自動車の運転と同じようにスピードが上げれば上がる程、注意力は高まるものである。
片側を空ける習慣はいつ始まったのか。
元技術者で、エスカレーターの歴史に詳しい後藤茂さん(71)によると、
1944年、混雑解消のために役人が考えたとされる。
日本では、長いエスカレーターができ始めた70年代に広まったとみられる。
後藤さんは「歩くのは安全性からも輸送効率の点からも問題」と指摘する。
マスゴミの得意技である やらせ発言であることをまずは疑うべきである。
日立のUFOみたいな建物に登っていく長〜〜〜〜いエスカレーターは鉄腕アトム的未来技術の象徴の見えたものである。
阪急電鉄(大阪市)はかつて、「お急ぎの方のため左側をお空け下さい」
と放送を流していた。
「 右手が不自由な人もいる 」と苦情を受け、98年にやめたが、今も習慣は残る。
甘え過ぎ!
見上げたもんだ!
JR東日本など25の鉄道会社は昨夏、「手すりにつかまって」と呼びかける
キャンペーンをした。
遠回しに歩かないよう促す戦略だが、隣に階段がないところもあり、
歩行禁止までは呼びかけていない。
という事情もある」ともらす。
当たり前だ!
横浜市営地下鉄では、歩行禁止を呼びかけるポスターをはっているが、
アホもここまで極まれり。。。。
今も右側を歩く人が少なくないものの、意識は変わってきたという。
以前は右に立つ人を怒る人がいたが、
今は急ぐ側が「すみません」と声をかけている。
「5年くらいかけ、少しずつ認知された」という。
さ〜〜〜すがは、名古屋ッだぎゃァ〜〜〜〜〜ッ!
カタチと見栄を重視するナギャオならではッ!
利用者はどう考えているのだろう。
ツイッターで聞いてみると、「 片方空いてないと不便 」という声の一方
「 怖い思いをする 」「 歩くなら階段を使うべきでは 」という声も多かった。
これまた マスゴミの得意技!
少数意見・誘導意見・洗脳意見をさも大多数であるかのように見せかけるマスゴミの得意技!
「 一律禁止より、声をかけあい、譲り合う社会の方が健全では 」と提起した。
急ぐ人間がいちいち声をかけてる暇はない!
注意して登り降りすればいいだけのこと!!!
これだけの簡単なことが何故問題になるのか?
歩くことでどのくらい時間が短縮できるのか、計ってみた。
エスカレーターに立って乗ると約16秒。
流れに合わせて歩くと8秒だった。
エスカレーターが2段階であれば、合計16秒差。
閉まる電車のドアに突入するには、最後の0.3秒が問題だ!!!
16秒だの、8秒だの、気が遠くなりそうな程 長大な時間である。
暇人は、なんとも呑気なもんだ。。。。唖〜〜〜然。。。。
5年前の1・8倍に増えた。7割が段上や乗降口での転倒だった。
にある。
ここに 「 段上 」 と 「 乗降口 」 と表記されているが、「 乗降口 」とは、「 乗り口 」 と 「 降り口 」 のことである。
ならば、「 段上 」とは一体何を意味してるのだろうか?
と、すると、乗り口 〜 途中のステップ上 〜 降り口 とエスカレーター利用の全行程で起きる転倒が7割と云うことになるが、転倒以外の事故が3わりあったと云うことなのだろうか?
転倒以外の事故ってなんだろう?
まるで想像することが出来ないのだが。。。。。。。
さて、5年間で、1.8倍になった転倒事故、先にも書いたが、歩く人がこれに絡んでるのだろうか?
先にも書いたように5年間で確実に歩く人の数が減少してるにも関わらず、
と、云うことは、これはエスカレーターを歩くことが事故の原因ではない!
と、いうことを示唆してる。
と、なっている。
つまり、歩く人がいることで事故が倍増してる。 かのような印象を読者に与えるべく、歩く人への非難の声を中心に記事を捏造してるのである。
この情報操作の 「 意図 」 は、どこにあるのだろうか?
もちろん、従順な奴隷をより従順な奴隷にするための 「 洗脳 」 の一環である。
自分たちが何をしでかしてるのか、よ〜〜〜〜〜く考えてみる事だ。
朝日新聞は大東亜戦争前、日本が支那と戦争するように記事を捏造し、デッチ上げた張本人である!
そして大東亜戦争中は、「 大本営発表 」 を垂れ流して日本人の戦争指向を煽り、戦線での事実を隠蔽・歪曲・捏造した張本人でもある。
ゾルゲ事件の首班となった尾崎秀実は、朝日新聞の幹部でもあり、コミンテルン( ユダヤ世界支配の道具 )の巣窟が朝日新聞である。
まさに、第2次世界大戦突入前の大政翼賛会と朝日コミンテルン新聞の様相である。
このエスカレーター記事も戦争〜徴兵制を睨んだ 「 より従順でなんでも従う日本人 」 づくりに向けた下準備である。
「豪、河野談話見直し望まず」
豪 「そんなことは言ってない」
http://maaz2.iza.ne.jp/blog/entry/2977220/
NHK
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現在も中継中
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http://live2.ch/jlab-fat/s/fat1362718811183.jpg
<参考>
「FLASH」(9.11号)
http://abirur.iza.ne.jp/images/user/20120830/1911502.jpg
http://abirur.iza.ne.jp/images/user/20120830/1911468.jpg
http://abirur.iza.ne.jp/images/user/20120830/1911503.jpg
「慰安婦問題は、日本の左翼が種を蒔き、それに韓国が乗っかって花を咲かせたのだ。
では、この問題を大きく育てた朝日新聞は『捏造批判』にどう答えるか。
『締め切りまで時間がないので回答できません』。
日韓関係をここまでめちゃくちゃにした謝罪の言葉は、いっさいなかった」
http://www.kobunsha.com/img/sys/magazine_number/cover/flash_20120828.jpg
以上!
事業環境は厳しいです。ドル箱だったiモードの栄華も今は昔、「ただの土管になりたくない」という強い意志も、いまや具体的戦略のないただの願望になってしまいました。通信インフラはコモディティ化していて他キャリアとの差別化はできなくなったどころか、LTEのカバレッジでは最も出遅れている始末。他キャリアへの流出が止まらなくなり、キャンペーンの甲斐なく何度も純減を繰り返しています。もはや減収減益の構造が定着しつつあるといっていいでしょう。
そこでiPhone導入が取り沙汰されるわけです。
確かに、まだiPhone人気が十分に高い日本では、短期的にはiPhone販売がMNP流出防止&純減ストップの切り札になることはわかっています。それでもiPhone販売に踏み切れない一番の理由は、これまで株主総会でも日経記事でも繰り返し観測気球を出してきたとおり、Appleが課す高い販売シェアノルマ---一説には50%---がドコモの負担になると予測されるからです。
でも、「販売ノルマ率を切り下げてくれればウチも採用しますから、そこは何とかお願いしますよ」というドコモからの数年越しのメッセージに、Appleは反応しませんでした。確かに中国・インド・アフリカといった途上国の巨大市場に比べれば、ドコモはたかだか6000万契約の極東のいちメガキャリアでしかありません。最後発のドコモに対して契約条件を緩和したら、当然ソフトバンクやauも最恵国待遇を要求するでしょう。Appleからすれば、各社に販売ノルマを緩和したらトータルではツーペイになってしまうし、利益率を緩和したら、まだiPhoneが高い競争力を持っている地域の市場を自らスポイルすることになってしまいます。Appleがドコモに妥協してやる意味は今のところないのです。
だから、ドコモにはもう後がなくなってしまいました。とにかくiPhoneの販売ノルマをクリアできる体制を整え、iPhone販売契約に踏み切るのが喫緊の課題です。そのためはどうすればいいか? iPhoneを豊富な選択肢のなかのワンオブゼムにしてはだめですよね。実際に数を捌かなければ、Appleが課すペナルティで今度は営業利益率がガタ落ちしますから。となれば、今は1シーズンに10機種も出しているAndroidスマートフォンの投入ラインナップをせいぜい3〜4機種程度に絞り、それらとは別格の位置づけでiPhoneを売りまくらなければいけなくなります(ソフトバンクやKDDIは実際そうしています)。「業績回復のためにやれるべきことは全部やっている」と株主に説明するためのステップとして、これはもう必須の条件でしょう。
さて、では実際にラインナップのどこを整理して、誰にiPhoneを売ってゆくのか。ドコモの既存ユーザーのうち、特に重視すべき移行見込層は、1)フィーチャーフォンのユーザーと、2)Androidに乗り替えたものの、その機能や操作性に不満があるユーザー…ということになるでしょう。1)はかつてブランドだった「ドコモのN」や「ドコモのP」などを長年ご愛顧戴いてきた層。2)は、Android機種のなかでも差別化に失敗しているコモディティ的端末、すなわち、N・P・F・SHのユーザー。これらのユーザーを「わかりやすいですよ」「使いやすいですよ」とiPhoneに誘導してゆくためには、これらのセカンドラインのメーカーが作るスマートフォンは、むしろ、選択肢から消えていてくれたほうがいいですよね。
こうして事前にキャリア内の浮遊層を作っておき、適切なタイミングでiPhone移行キャンペーンを投下すれば、そこは衰えたりとはいえ国内最大の契約者数を誇るキャリアのドコモですから、その数字的なインパクトはかなり大きいはずです。
だから今回話題になった「ツートップ戦略」は、巷間言われているように、スター機種のXperiaとGalaxyを重点的に売り込むための、攻めの施策というだけではありません。それは、来たるべきiPhone時代を見据え、長年ドコモと蜜月関係にあったメーカーたちと縁切りすることを意図した、非情な身辺整理の作業でもあります。今般報道されているNECカシオやパナソニックモバイルのスマートフォン撤退は、ドコモの販売奨励戦略の「失敗」ではなく、はじめからの狙い通りの「成功」だったというわけです。
ネット世界では投資家、ゲーム開発者、ラノベ作家、企業探偵、ベルロックメディアシニアマネージャーなどの華麗な経歴で知られる山本一郎さんという人に拙文へのリンク貼っていただけたようで、恐縮至極、汗顔の至りです。
【悲報】ドコモ関連で「いかにも」な与太記事が増田に掲載され局地的に話題に(山本 一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
はい、もし上の文章からそんな経緯を想像する人がいたら、企業経営には向いていないでしょうね。山本一郎さんがドコモの経営陣だったとしても、当然、Appleと今期以降のiPhone販売契約について話の筋道をつけてからの「ツートップ戦略」で年末大水計に打って出るのではないでしょうか? 見込みベースで話を進めて裏目に出たら、ツートップ転じてオンリーツー状態になってしまいますのでね。もしここまでの話がすべて机上の空論なら、それはすなわち、「ドコモは次の機種サイクルから事実上ソニーとサムスンだけでスマートフォン市場を闘い続けることを選んだ」という話になるわけです。
しかし、本邦のモバイル業界のフラッグキャリア格ともいえるドコモが、たった2メーカー×1〜2機種の最新スマートフォン・ラインナップで次の秋冬商戦に挑むなんてことがあるでしょうか? この会社は今年に入ってからの一連の動きのなかで、どんなコストを払い、何を仕込んでいるのでしょうか? 山本さんが並べているリンクの数々も、ツートップ戦略が「単体では」純増の切り札として奏効しなかったことを示していますが、それは本当は「切り札」ではなく、さらなる戦略転換のためのひとつの手段だったのではないでしょうか? 予定では2013年中に市場投入され、サムスンとの密な提携関係ならびにモバイルOSの第三極戦略の礎となるはずだったTizen派筆頭の永田氏をいきなり傍流に追いやってしまったことには、果たしてどんな意味があるのでしょうか?
さまざまな状況証拠から考えて、今のドコモがその機種戦略・プラットフォーム戦略の中に、何か大きなパズルのピースがはまるための「スペース」を作っていることを全否定できる人はそういないのではないでしょうか。そして、その巨大な空白に当てはまる商品は、現状では1つしかありません。
もう、おわかりですね?
先日人身事故でドラフト会議を一部見逃したという先輩から、どうして鉄道会社はホームドアの設置に消極的なのかという愚痴を聞かされたので、とある鉄道会社に勤務する友人からの話を基にかなり長くなってしまったものの私なりの考察をまとめてみた。
鉄道会社も一民間企業だ。赤字出し放題であった国鉄を民営化し誕生したJRも同様である。
企業というのは、基本的に新しい取組みを行う時、経営上のメリットが無いとそれを実行することはほとんどない。
例えば、鉄道会社の中でも特に頭の堅いことで有名なJR東日本が、Suicaという画期的なIC乗車券システムの導入に踏み切ったのは、利用客の利便性向上以外に次のような経営上のメリットがあったからだと考えられる。
まず、自動改札機や自動券売機へのコストを減らせるから。自動改札機は1台あたり数百万円もする。導入にも金がかかるし、きっぷや定期券を内部で高速に搬送する構造上、ベルトなどの消耗品が必ず発生し、メンテナンスコストがかさむ。自動券売機についても同様だ。
しかしSuicaであれば、こうした構造は必要ない。IC読み取り機だけであれば安いし、磁気券のように可動部分がないので点検箇所も劇的に減り、メンテナンスコストの大幅な削減ができる。券売機についても、チャージ専用の機械に置き換えてしまえば磁気の紙を用意する必要がなくなるし、自動改札機同様可動部がほとんどなくなるので、メンテナンスコストを削減できる。
次に、電子マネービジネスへの参入だ。毎日JRを使う人が定期券を磁気券からSuicaに移行すれば、Suicaを使った電子マネーサービスを一気に拡大できる。細かい小銭を用意すること無く売店で買い物できる便利さを一度体験すると、もう現金払いに戻れない。駅以外にもSuicaを使える店を増やしていけば、手数料収入という新たな収益源を期待できる。これらの経営上の大きなメリットが、JR東が莫大な金をかけてSuicaの整備を進めていった理由だ。
JR東日本は、山手線の全駅にホームドアを設置する計画で、実際に現在数駅に設置されている。設置コストは全駅で550億円とのことで、山手線は29駅あるので単純計算で一駅あたり約19億円ということになる。ホームドア自体も高額だが、重たいホームドアを設置するためのホームの補強工事や、車両とホームの両方のドアを連動させる装置を設置する車両側の工事も必要になる。設置が終わってもメンテナンスコストが毎年かかる。
また、「徹底解析!!最新鉄道ビジネス (洋泉社MOOK) 」によると、山手線は営業係数48.9を叩き出すドル箱路線だ。営業係数というのは、その路線が100円の収入を得るのにいくらの費用がかかっているかを示す指数で、例えば営業係数100であればトントン(もうけ無し)、100を超えれば赤字である。これだけ輸送人員が多く収益力のある(経営に貢献している)路線であれば、JR東日本がコストのかかるホームドア設置に踏み切るのも納得できる。しかし、逆にこれほどの輸送人員がないと経営上ホームドアの設置に踏み切ることができない、と考えることもできるのではないだろうか。山手線のような黒字路線で地方路線の赤字を補填する形になっているJRにとって、追加コストの発生は無視できない。
私鉄に関してはもっと厳しい。前出の資料によると、営業係数2位の京王井の頭線の数値は55.1だが、これは稀なケースであとはもっぱら70〜80台である(営業係数1位は京急空港線の46.2だが、加算運賃が設定されているため除外)。例えば東急東横線の営業係数は76.9、目黒線に至っては112.7と赤字である。東急以外の会社に関しても、小田急多摩線や京急久里浜線など赤字路線を抱えている。
もともと私鉄は連結の営業収益に対する運輸事業の割合は低い。週間ダイヤモンド8月4日号によると、JR東の連結の営業収益に対する運輸事業の割合が67.4%なのに対し、京急電鉄が37.7%、小田急電鉄が32%、東急電鉄に至ってはわずか17.2%だ。つまり、運輸事業以外の収益のウエイトが大きい私鉄にとって、ホームドアは会社の行方を左右するぐらい莫大なコストがかかる割に経営上のメリットが少ない。かといって、「ホームドアの設置のため運賃を値上げします」ということも簡単にはできない(独占企業でもある鉄道会社の運賃は、国交省が非常に厳しい目で審査するからだ)。輸送人員が減少する中、駅のバリアフリー工事や、福知山線事故以降に求められた保安装置の強化など、ただでさえ出費の多い現状で投資に対する収益効果の薄い鉄道事業への新たな出費は私鉄にとって厳しいのだ。
また、ホームドアを設置すると電車の停車時間が長くなるため、ラッシュ時に運行本数を減らさなければならなくなる可能性がある。その場合、混雑率が悪化しサービス品質の低下に繋がりかねない。ホームドアに荷物が挟まったり、故障でもすれば新たな輸送障害の原因になることも考えられる(実際、山手線は年に何回かホームドアの不調で遅延が発生している)。
「ホームドアが出来たから、電車にどんどん乗ろう!」と思う人はいないだろう。踏切などがある以上ホームドアを設置しても人身事故を完全になくすことはできないので、莫大なコストをかけてホームドアを設置するよりは、人身事故に対する振替輸送の費用などを負担したほうが現実的には安上がりなのだ。
皆様は、電車の扉の数というものを認識したことはあるだろうか。例えば東海道線の車両はほとんどが4つドアだが、つい最近まで3つドアの車両が走っていた。また、グリーン車両や踊り子などの特急に関しては1つないし2つである。このように、JR・私鉄を問わず、ある路線をドアの数や位置が違う車両が走っていることは珍しくない。
同様に、電車の両数も違う。前出の東海道線の通勤車両に関しては基本的に10両または15両だが、例えば京急では4両・6両・8両・12両と4種類の両数の運用があり、その上2ドア・3ドア・4ドアの車両が走る。
こうした違いがある路線でホームドアを設置するのは、現在の技術では難しい。仮に出来たとしても更なるコストがかかるだろう。山手線ではホームドアを設置する為にまだ新しい6ドア車両が廃車されたし、小田急新宿駅で特急ホームにホームドアが設置されていないのも、車両によってドアの位置が違うため技術的に困難という理由だ(京急の国際線ターミナル駅にはホームドアが設置されているが、これは空港線に入れる車両の形式を制限するという運用上の工夫が行われたからだ)。ならば車両の規格を統一すればいいという話になるのだが、20年以上というスパンで使われる鉄道車両をそう簡単に変えることはできないし、特急車と通勤車という用途の異なる車両のドア数を統一することはできない。
では、ホームドアを積極的に設置している路線の共通点は何なのだろう。
東京メトロは最近丸ノ内線や銀座線、有楽町線等でホームドアの設置を積極的に行っているが、これは設置されている路線で使用されている車両の規格が同一のため設置しやすいからだ。また、地下鉄は基本的に全列車各駅停車で運用が単純なことや、天候など運転の阻害となるものが少なくワンマン化が容易なため、丸ノ内線や南北線等に関してはワンマン運転化することで、人件費の削減が可能という経営面でのメリットもある。同様の理由で横浜市営地下鉄も2007年にワンマン化された。
2005年に開業したつくばエクスプレスは、踏切のない高規格な路線であり、全駅にホームドアも設置されワンマン運転を行っている。踏切0+ホームドア設置の効果は絶大で、開業以来人身事故は一件も起きておらず、人件費の抑制と安全対策の両立を達成している。
これらの事実から見えてくるのは、前述の2点の問題を地下鉄や新規開業路線はクリアできているということだ。東京メトロのホームドア設置路線に関しては、繰り返しになるが路線ごとにほぼ統一された規格の車両が走るので、技術的ハードルが低かったこと、ワンマン運転化により経営面でのメリットが生まれること。つくばエクスプレスに関しては、新しい路線だからこそ実現できたもので、他の既存の在来線の踏切全廃止やワンマン運転化などは現状不可能だ。
長くなってしまったが、これがホームドア設置問題に関する私の考察だ。
ホームドアを設置すればいい、と口で言うのは簡単だが、鉄道は慈善事業ではない。実際、鉄道事業は私たちが考えるほど収益は上がっていないようだ。ホームドアの設置のためなら、皆さんは運賃の値上げに同意できるだろうか。ホームドアの設置は短期的には最善の策だが、ハード面だけでなく、それ以外の取組みで誰もが不幸になる事故を減らして行くことはできないだろうか。
東京から鹿児島までの距離は在来線だと1500kmで、大阪から札幌までの距離に等しい。
これはもう運賃その他諸々の金銭的コスト以前の問題として、鉄道で東京から九州は遠すぎるという話になる。
しかも東京から九州までひとっ飛びで行く需要は、北海道行きに比べたら全然小さそうだし。
実際、羽田-新千歳の航空路線は航空各社にとってドル箱みたいだけど、九州方面の路線でそんな話は聞いたことがない。
そう考えると、九州ブルトレが上述の距離の問題に加え、あの高い料金としょぼいサービスで21世紀まで生き永らえていたことは、ほとんど奇跡だと思ってしまう。
個人的にはサンライズのような寝台電車かつトワイライトみたいな臨時列車でもいいから復活して欲しいけど、かなり無理があるかも。
長文は面倒なので端的に書くと
1、ゲーム性を高める為にファミコンからソフトメーカーは高画質・高品質のゲームを作り続けているが、
モバイルゲームで利用されている内容は、ほぼファミコン時代のシステムその物で、単純な物にしか客がお金を落とさなくなると、
ハードゲームで高度なレベルのソフトを作る会社に資金が回らなくなり、ゲーム業界の力が無くなる。
(現在、家庭用又はPCのみのハードゲームだけ作っている会社はほぼ皆無)
2、課金システムは企業にとってはドル箱のシステムであるが、ゲーム性という観点から見れば最低な手段
少し前にゲーム業界で問題になったのは、乱数により釣れるつりゲームにおいて、魚が釣れる可能性が高くなる釣竿(回数制限あり)に数百円の値段を付けたという物
壊れるので際購入が必要なのである、確立が高いだけで確実に釣れる訳ではないのである。
そもそも乱数により釣れるつりゲームの何処にゲーム性を見出せばいいのかという疑問もあるが、その上でこの鬼畜システムである。
消費者は安い(基本無料)便利(携帯ダウンロード一発)早い(何処でも暇な時間に出来る)に流されたわけだが、
その結果現実になったのは、ゲーム性皆無の作業プログラムを嬉々として延々やるパンピーと、ゲーム性を追及する層に完全に分断されるという事である。
ゲームの終着点の一つとして、完全なる仮想現実を構築して、そこにおける様々なプレイを実現させるという壮大な考えがあるが、
2011年現在流行っているものは残念ながらそんな理想とは程遠い物なのである、結果ソフトメーカーは資金難で潰れる。
パチンコで一番難しいのが、その止め方。この中途半端な1箱なくなったら、というのはもったいなさ過ぎる。ある一定の基準が必要だろう。
基本的にこれは迷ったときの基準
時短が終了し、さらに10~20回転させた後にその後、打つ玉を決めて、それ以外は貯玉する。
(いっぱい遊ぶ日として無くなってもいいときは別)
わかりやすくするため1箱を5000円とする
全体の玉の10%~20%を残し、後は貯玉
ドル箱 | 金 | 20%損失 | 損失額 |
1未満 | ? | 自由 | ? |
1箱 | 5000 | 2cup | 1000 |
2箱 | 10000 | 4cup | 2000 |
3箱 | 15000 | 6cup | 3000 |
4箱 | 20000 | 8cup | 4000 |
5箱 | 25000 | 1箱 | 5000 |
迷ったときには、箱数かける2cup打って止める。
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/908
堀江 今もやっているんです。個別で何十万円とか何百万円とかでやるコンサルティングってあるわけです。
それをネットでやったらどうなるだろうってことで、トライアルとして昔、ブログで一回三万円の有料コンサルティングをやってみたら、結構来たわけです。(料金の)決済の仕組みとかはあんまりよくなかったんですけど、かなり来ていた。
そこでちょっと考えたんですよ。「月840円のコンテンツの中で、みんなに見られるという前提でQ&Aをやってみたら面白いんじゃないか」と。そうしたらそれがまず当たったんですね。それが評判になって2000~3000人増えたんですよ。
堀江 それはアイデアが出る仕組みを作っているからです。自分の中でつねにアイデアが出るようにしている。
堀江 僕は福岡出身だったんで、ダイエーのビジネスモデルをつぶさに観察していたんです。ダイエーが「買わないか」と言ってきたときから、いろいろ見たんです。そうしたら九州ではすごいんですよ、ダイエーは! 毎日超満員なんです。
堀江 でもそれはね、いろいろ調べたんですけど、それって結局、巨人っていうのは長島だったんです。
僕、実はプロ野球の歴史ってすごく詳しくて、歴史オタク的なところがある。例えば松竹ロビンズなんて知らないでしょう、みんな。その頃の球界再編とかいろいろ見ていくと、戦前、まあ戦後すぐくらいまで、プロ野球って人気なかったんです。その頃人気があったのは大学野球、高校野球なんです。特に高校野球です。
高校野球ってものすごいドル箱だったんです。で、毎日新聞と朝日新聞が分けていたわけじゃないですか。
長島が大学野球にいるときはプロ野球は人気がなかった。けれど、巨人入りした途端、プロ野球人気に火が付くわけですよね。
つまり、あれはあの時代の正力(松太郎)さんとかあの人たちが作り上げた一大ビジネスモデルなわけです。だから「巨人の俺が知らねえヤツは入れない」って言うわけですよ、ナベツネが。
[2010.3.24]
国民皆保険制度を始めるという法案であり、下院で過半数を取って成立した。しかし、現状の法案にはかなり大きな穴があいている。アメリカの医療費が世界一高額なのは、その費用の大部分が、訴訟リスクに対する保険料と、あまりに高額な医療費によって破産する患者が踏み倒した分の回収に占められているからである。
この問題を放置したまま皆保険を始めるとなれば、高額な医療費の請求が、そのまま保険という丼勘定によって全員に背負わされる事になる。破産によって踏み倒された分の回収が終わってしまえば、それ以上の破産による踏み倒しは発生しなくなるので、税法が認める償却期間の間は高額で推移するが、その後は徐々に下がっていくという見通しらしいが、肝心の、医療過誤裁判に対する訴訟リスク保険については、放置されている。
訴訟リスク保険は保険会社のドル箱であり、患者向け医療保険よりも、はるかに効率の良い儲け口である。
皆保険制度によって、国民は医療を受けやすくなるが、訴訟リスク保険には、一年間に診療できる初診患者数に上限がつけられており、患者は居ても、診療できないという状態になる事が簡単に予想できる。初診患者数に上限があるのだから、診た患者からは、可能な限り高額な診療報酬を引き出さなければ、採算割れを起こすという構造になっている。つまり、皆保険制度によって医者にかかりやすくなったからといって、お金にならない簡単な病気の患者ばかりが来るようになると、医者の側が破産する事になる。来た人全員を、緊急の手術が必要な患者であるとするぐらいのことをしないと、割に合わない。腹痛なら盲腸、盲腸を取っているならば腹膜炎や切除しても害が無いとされている脾臓破裂。熱や眩暈といった内科的症状ならば腫瘍があるとするぐらいの事は平気でやってのけるし、病理検査機関は、医者の診断通りの結果を出すというサービスができなければ、仕事を受注できない。こうして、高額な医療費と、それで破産する患者という存在が生み出されている。この構造こそが問題なのだが、現状の皆保険制度は、状況を悪化させるだけである。破産する患者は減るだろうが、医者のモラルは悪化していくであろう。
これを避ける為に、初診患者数に上限の無い訴訟リスク保険契約を作れば良いというのは、明らかに間違いである。一日に集中力をもって対応できる患者の数には限界があり、その限界を越えて診療せよというのは、幾らなんでも間違いである。
医療費の見積もりを出すコンサルタントの所に行って、自費で各種の検査を受けて、高額の治療が必要な場合には医者の所に行くが、そうでない場合には市販薬を適当に飲めば治るとやるには、その診断を下すコンサルタントが、結局は初診担当医となってしまい、訴訟リスク保険に入らなければならなくなる。各種の検査キットやレントゲンのセルフ撮影といった自己判断の為のサービスを一般化するというくらいしか、やりようが無いが、これはこれで、手技を持った医師以外は不要という事になりかねないし、そんなことをしたら、限られた初診患者数という制限の中で利益を追求している医師にとっては、いろいろとバレてしまってマズい。
医療過誤訴訟における賠償金額は、支払った診療費を上限とするという制限を加えるのが一番合理的なのだが、こうすると、訴訟リスク保険は不要になってしまい、保険業界と医療過誤裁判でメシを食っている弁護士業界が困るので、猛烈なロビー活動を展開する事になる。実際、このロビー活動によって、医療改革法案は、今回成立したような、保険業界と弁護士業界の既得権益には一切触れないという、不自然で歪んだ制度となったとも言える。
始まるばかりの制度に問題があるのは当然であるが、そういった問題のうち、制度が始まる前の検討の時点で確認された問題については、制度が始まる前にすべて対応が取られるのが、最低限度の仕事であろう。