はてなキーワード: 眩暈とは
ほぼ週一で猫の通院に10時間かけているので、インパクトを持つタイトルであるか否かの感覚も既にかなり曖昧になってきている。
所定労働時間?
月延べ40時間、猫の通院に時間をかけている今は、人生を振り返ってみてもかなり稀有な体験をしている時期だ。
この記録を残そうと思うにあたり、まず、担当獣医師、及び飼い猫(順不同)に敬意を払いたい。
健康だった時期の飼い猫を知っている身としては、通院に時間を費やさなければならない現状に文句たらたらではあるが、獣医療と猫に対しての敬意だけは常に忘れてはならないと感じている。
担当獣医師は、少なくとも飼い猫を診せる日は、おそらく10時間以上勤務しているはずだ。重病を抱え、寿命がそう長くはないであろう犬や猫が集まる医療センターで10時間、ないしはそれ以上の勤務、それによる凄まじき労苦は想像に難くない。
対して飼い猫は、朝から晩までの間、檻に入れられているか、抗がん剤の投与をされている。週に一度とはいえ、人間のエゴイズムによりそんな訳のわからない目に遭わせてしまって、心底申し訳ないとは思っている。
担当獣医師と猫に敬意を持ち、それぞれの境遇にも思いを馳せながら、文章を記すことにする。
猫は現在15歳の老雄猫である。約一年前にがんであることが発覚し、経口薬その他による対処や諸々の検査を経て、約二か月前から血液投与による抗がん剤治療を開始した。
チャーミングな見た目についても少し記しておこう。
毛並みはサビ模様と白い胸毛(および腹毛)、靴下のような白い足先がトレードマークで、なかなか洒落た雰囲気だ。
耳の形は猫らしい三角形ではなく、丸みを帯びていて、常にぴん、と立っている。
猫らしからぬその耳の形状故に、電車の隣席に座った女性からケージを見つめながら「うさぎちゃんですか?」と訊かれたことがある。猫です。
そんな茶目っ気すら感じる飼い猫が、がんにより闘病中だ。なかなか、ままならないものである。
10時間も何するんすか、と改めて思うが、時間割としては以下の通りである。
1) 午前8時~午前9時(1時間):往路(自宅から病院まで)
2) 午前9時~午後13時(4時間):猫を病院に預け、抗がん剤投与前の検査
3) 午後13時~午後16時(3時間):検査結果確認後、抗がん剤投与
4) 午後16時~午後17時(1時間):医師との面談、薬の処方、会計
5) 午後17時~午後18時(1時間):復路(病院から自宅まで)
1)、5)の往復路にかかる時間や、4)に関しては大した話ではない。
2)、3)が曲者だ。
「通院」の大部分を占める7時間をどのように過ごすか。
医療センターは辺鄙な立地にあり、周辺に存在している施設はごく限られたものになる。
飲食店で過ごすのも手だが、せいぜい潰せる時間は2、3時間程度である。
そもそも、猫の検査結果や現在の体調、検査中の猫の姿を思いながら過ごす時間というのは、憂鬱であり、賑やかな飲食店で過ごすには心が落ち着かない。
少し足を延ばせばラブホがあるが、毎週ラブホに行くのも滞在費が嵩んで仕方がない。観光できるような場所も近くには存在しない。
そうなると、行きつく先は自然と定まってくる。
通院時間のメインである7時間を過ごす場所として最終的に落ち着いたのは、インターネットカフェ、通称「鬱箱」である。(これは世間一般における通称ではなく、私が便宜的に名付けたという意味での通称です)
人々が蚕の繭のように小箱に収納されており、その小箱は窓がなく、暗い。曇っていようが晴れていようが、空が見えない。常に暗い。
パソコンの画面には、よすがを求める者に向けた結婚相談所の広告や、行く当てのない者に向けた入寮可能、即金の仕事を勧める広告が忙しなく踊っている。
そんな小箱の中で、猫のことで気を揉みに揉みながら7時間過ごす。
しかしながら、7時間という迫力のある長い時間を過ごすには、やはり鬱箱以外にはなかなか見当がつかない。
7時間のうち2割はパソコンでの作業に充て、1割は食事や病院との連絡に充て、4割は眠り、3割は『あたしンち』(これ以外に鬱を加速させない漫画を知らない)を読む時間に充てる。
不穏な時間の中、暗闇で読んでも鬱が加速しない漫画を知っている人がいたら、ぜひ教えていただきたい。
ここまで散々陰鬱でトホホな文章ばかり記してきたが、救いはある。
猫が元気なのである。
猫は少々痩せてはいるが、闘病中ながら食欲は大変旺盛で、便通も申し分ない。家の中を悠然と徘徊し、腹を天に向けて放り出し、ぐうぐうと眠る元気がある。
先日も通院から帰宅し、屋内に開放した途端に人間の足元に纏わりつき、ニャンニャンと大声で啼いて飯の催促を始めた。もちろん大盛りの猫缶を食わせてやった。処方された薬も忘れずに。
投薬の効果か否かは定かではないが、本当にがんなのか疑わしいほどの生活ぶりだ。
ともあれ、本猫に今、有り余る元気があるのは何よりなことだ。
猫が生きて十五年を過ぎ、これからもまだ元気でいてくれるなら、通院10時間も苦ではないと思っている。
いや、少ししんどいが。会計の金額を見て、毎回眩暈がするような思いをしているが。頑張りたいと思っている。
朝病院を訪れて、病院から猫を連れて帰る頃には日がとっぷり暮れていようと、鬱箱に7時間籠ろうと、猫が元気ならば、頑張りたい。
猫も、もしまだ人間の寝床に潜り込んでくることが楽しいのならば。申し訳ないが病院へ連れていくことを、どうか許してほしい。
紆余曲折ありつつ、今日生まれて初めてソープなるものに行き、嫁以外の女性を抱いた。
この経験を経て、私は今後二度と性風俗を利用することはないだろうと思えた。
店が悪かったとか、嬢が悪かったとかそういった話では断じてない。性的欲求と興味本位で足を向けた風俗というものそのものが私に合っていなかったと痛感させられたのだ。
何かの漫画でも読んだが、性的興奮を高める要素の一つとして「その人との関係性」というものがあると思う。例えば行きずりの男女よりも友人関係が長かった場合や仕事で関わっている場合など、少なからずその人間との関わりを持っている場合の方がより、興奮が増すというものだ。(私も無縁だが例えばこれまではずっとそんな目で見ていなかった同僚とそう言った雰囲気になる…などが興奮しそうなのは容易に想像ができる)
その要素がセックスという行為において私の中ではとても大きかったらしい。
当然嫁以外の経験はおろか、そういった店が立ち並ぶ場所に足を運んだことすらない私がド緊張していたのは言わずもがなではあるが、それなりにタイプな女性を見繕い、現物も悪くなく、コミュニケーションも取れる相手に対して「関係性がない」せいで全く下半身が反応しなかった。
120分もの時間をかけてなんとか途中に、ちくわくらいの強度は取り戻し、行為はできたのだが達成感も興奮もほとんどなかった。そのあとは嬢とただただ楽しくお喋りをし、人生初めての体験を終えた。
結構話し込んでリラックスできた後には、より嬢が魅力的に見え、ああ自身にはこれが必要だったのだと痛感させられた。中身の見えない人間に欲情できない性質だったのだと。
そもそも私は性的興味は強い方だと思う。(性欲とはイコールでない)生まれてこの方嫁しか経験がないことに少なからず思うところはあったし、AVで興奮できるので当然嫁とはまた違ったタイプの女性を抱いてみたいという欲求はあった。
自身の許容範囲の女性であれば、ましてやその女性を問答無用で今から抱けるというシチュエーションであれば、当然に動悸•眩暈と共に下腹部に血流を集中させ、獣になることができるものだろうと思っていた。
だから嬢と対面し、ハグをした時点で既に私は自身に違和感を抱いていた(緊張での動悸はしていたが)
退出し、無愛想なボーイに見送られながら店を出た。どちらかといえば喪失感に似た感情しか持ち合わせていないくせに、一丁前に気取った足取りで風俗街を抜けた。そんな自分を客観視しながらも、虚無感と同時に風俗にのめり込む心配がないという安心感をどこか心の片隅で抱いていたのは、男としてはどうなのだろうかと思いつつ、帰路に着いた。
既婚者でありながら風俗に行き、綺麗事を吐くとは何事かとお叱りは承知の上ではあるがこの経験によって、より自分がどう言った人間なのか理解できたと思う。
正直、今日に至るまで本当に何度も葛藤し、頭を悩ませた。こんな歳になって情けなくもあるが、私にとっては風俗で人生二人目を相手にセックスするというのは様々な面でかなり大きな問題で、決断に向けては馬鹿馬鹿しくもまあまあな時間と思考を消費していた。入店数十分前レベルの直前まで「なんだかんだ言って行かない」という選択肢も残していたが、結局こういったことは実際に経験するまで多分一生執着を抱き続けるのだろうなと思い、踏ん切りをつけたが、お陰様でつきものが取れたように執着は消え、本当に行ってよかったと思う。
おそらく死ぬまでにもう二度とそういった店を利用することはないと思うが、良かった悪かったという属性に関わらず今日の日のことは一生忘れないと思う。
治ったと思っても、今度こそあんなに苦しい思いしないさせないと思っても、再発するから。
もう脳の不可逆的な癖なんだろうな。いくら認知行動療法とかやって考え方を改めたってあの特有の頭のもやが突然やってくるんだ。本当に突然。
軽い軽いストレスでもすぐに脳はもとの癖に直ろうとしやがるから、必死に、いろんなものを失わないように押しとどめなくちゃいけないの、それがずっと続くと思うと眩暈がする。押しとどめるための気力だって病前ほどには戻らないから、押しとどめきれなくて動けなくなってしまうときがある。こんなのが一生?勘弁してくれ。
増田がうつになったのはよくある話で、新卒で配属された部署が合わなかったのと、生来の強すぎる自責思考(まあこれは来歴とかいろんな要因があると思うから詳しくは書かない)が最低の絡み合い方をして、どんどん自分を追い詰めていった結果なんだろうなと自分では思ってる。悪化は緩やかだったけど、重症のときは会社から飛ぼうとした(迷惑)。本当に希死念慮に押しつぶされると他のこと何も考えられなくなるからな。理由もなく急に来るんだよ、便意と同じだ。
幸い、今は毎日泣いて早退するような状態でもぼくの意思を尊重して会社に居場所を作り続けてもらえたから、一進一退だけどなんとか勤め続けられているけど、ずっと頭にもやがかかりつづけてずっと悲しいんだ。こんなに恵まれた環境で自分のやりたい仕事をやらせてもらえてるのに、喜びも楽しみも病前に比べればほとんど感じられないし、頭だってまったく働かない。こんなはずじゃないのに。もっとできるはずなのに。感情も不安定だから、不調な時に無理な業務をすると涙が止まらなくなる。それでもなんとか手は動かすけど、成果物なんて人に見せられないほどひどいことがほとんどで、またダメだったが積み重なっていく。上司が手を止めて話を聞いてくれるのも申し訳ないから、自分でコントロールしたいのにコントロールする気力すら残されてない。どうにかして抜け出したいのに、全然治らない。治ったと思っても、いとも簡単に再発する。増田は一回目のときにもう大丈夫だと思って自己判断で通院を辞めて、より重症化した形で再発したからうつの再発率の高さに関する研究の信憑性は高いと思ってる。
頭の良かった病前の自分に戻りたい。ずっと動いてる自分に戻りたい。意欲や喜びを感じられる自分に戻りたい。感情の安定した自分に戻りたい。体力のある自分に戻りたい。頭の靄を取っ払いたい。
いくら望んだって戻れない。うつ病が完治じゃなくて寛解だって言われるのもこういうことなんだろうな、と最近は思う。治ったって思ったって、最大HPもMPも減ったままだし、引き金があればまた真っ逆さまだ。
希死念慮は死にたいな~くらいのものじゃなくて、急き立てられるように死ななきゃいけないって観念から逃れられなくて、いてもたってもいられなくなっちまうんだよ。そこに理由はない、というか理由なんてなんでもいいんだよ。上で便意みてえな希死念慮って書いたが、便意を覚えたときにああ肉を食ったからか、じゃあ肉を食わないようにすれば間隔を伸ばせるかなとかそんなこと考えないだろ、それと似たようなもんだと思えばいい。生死を左右する行動観念が理由なくやってくるってのはなかなか恐ろしいぞ。
うつ病で失ったものも戻ってこない。増田は幸い周りに本当に恵まれて仕事は失わずにいられているけど、精神病者の枷から逃れられる日は来ない。
調子が良くなったと思ったって病前と同じくらい元気になれたと思えた日なんて一度もない。ずっと心のどこかが悲しいんだ。
自分はなるわけないと思ってるやつ、それでいい。その性格でいい。ただ、一度でも病識を得てその恐ろしさ、避け方を覚えておけ。なるわけないと思われてた人がうつ病になって地位を失った例なんていくらでもある。
なるかもしれないと思ってるやつ、全力で回避しろ。うつ病は不可逆な病気で一度かかったら普段の落ち込みなんて比にならない、まさに"精神病"としか形容できない日々が待っている。大切な人にも心配&迷惑をかけることになるぞ。
なりたいと思ってるやつ。やめとけ。お前が想像するようなメンヘラちゃんじゃない。精神病の世界に足を踏み入れるな。本音ではそんな奴にはなってみろよ、って言いたいところだが人類みんな幸せがいいからな、言わないよ。みんな笑顔で生きようぜ。
まだまだうつ病界隈ではひよっこだから、この後に何が待ってるかなんてわからんけど、界隈を見てると10年、20年なんて人間もいるから基本的には完治しねえんだろうな。
けどさ、やらかした本人が全然反省してる様に見えないんだって。
またやっちゃったとか、今日は早く帰れないとかそんな感じだったんだって。
その場にいた上席も処理は明日で良いよとか言って帰ったんだって。
他のスタッフも「上席が言ってたし、ミスの処理は明日で良いよ、明日いるスタッフに任せれば
部下、次の日休みなのにね。誰がケツ拭くと思ってたんだろうね。
結局、上司も部下も中間管理職の私がやれば良いと思ってたんだろうね。
責任感感じた昭和世代の部下が「この状態で全部投げるの?」って言ってくれて
連絡くれたから分かったけどさ
もうね、何だろうね。いつも皆が仕事をしやすい様に、すごく気を使ってきたのに。
明日笑えない、いつも通り接する事が出来ない気がする。
「アンタのミスで顧客に怒鳴られた」「今は顔も見たくない、必要以上に話しかけるな」
って言ってしまう気がして怖い。
こんなに我慢して、我慢して、上と下の間で四苦八苦して、それでも上記の事を
言ったらパワハラになるんだろうね。
漫画や映画・小説もそうだけど、ネタバレしたら面白く無くなる物なんてその程度の作品なんですよ。真に面白い作品は結末知ってても面白い。戦争とか歴史とかそうでしょ。
そもそもネットやってる以上ネタバレは完全回避できないんだから、バレても面白い物になる様に考えシフトしてくのが当たり前なんだけどなあ。
まだノベルゲーはネタバレすると致命的だから云々とかまだそんな事言ってるんだよね。今だにシュタインズゲートみたいな事言ってるの流石に眩暈するよ。何年前だよ
そもそもゲームの動画上げること自体違法なんだから別に取り締まりたきゃガンガンやれば良いじゃん。モラル云々の話にするのって単にムダ金払いたくないだけでしょ。
人生初の経験で適切な対応がよく分からないまま行動してしまったので、日記に残しておく。
・どうすれば良かったのか後で追記していく。
◎8:50
飲み物を飲むよう勧めるが「ペットボトルの水を枕元に置いといて」とのこと。
→いつから悪いのか、どんな症状か、お医者さんごっこでいいから聞くべきだった。
→この時点で休みをとって病院に連れていくべきだった。金曜日の昼すぎに病院に搬送しても、その後なかなか転院ができない。
◎12:00
寝てるかもしれないので12:30にもう一度連絡しようかと考える。
とのこと。
一度電話を切ったが、自宅はメゾネットタイプのアパートなので、救急車が来た時に自力で階段降りて鍵開けられるか…?と思い、再度LINEと電話をするが、返事無し。
◎12:40
(普段は電車とバスで通勤しているが、車の方が早く家に着く。)
慌てて「私用ですが社用車借りていいですか?」とろくな説明もしない自分に「ほんとはダメだけど、今日だけだぞ」と快く言ってくれた社長に感謝。
◎13:05
家の鍵は開いていて、母が玄関に座っていた。
泊まり用の荷物も自力でまとめたらしく、複数のバッグが準備されていた。
グッタリして歩くのもままならない様子だが、救急隊員の質問にはいつも通りの声でハキハキ答えている。
◎13:25
病院に到着。
社長に電話して事情を話し、社用車を引き続き借りる許可をもらう。
受付で案内された待合スペースで待機。
上司(出張中)と先輩(別の出張中)に「親が救急搬送されたので病院に来ており会社を不在にしてます。」と連絡。
父(他県住み)にすぐ報告しようとしてLINEを打つが、
「検査の結果出てから報告したほうがいいか?」「余計な心配をかけるか?」
「母はよく体調不良をあえて家族に話さない、とかしてるし自分ももっとそういうこと考えたほうがいいのか?」
などと考えて送信できない。
→社長に事情を説明したのは良かったが、口止めすべきだった……たぶん、社員みんな知ってる気がする……やめれ……
→父には連絡しなくて正解。検査結果、今後の方針が決まってから報告したほうがいいということで母と意見が合った。
◎14:30
を伝えられる。
救急車の中で母が話していたここ数日の体調不良のこともiPhoneのメモに書いていく。
→申込書?的なのを書かされたが、親の生年月日、覚えてないとサラッと書けない……!これを機にちゃんと昭和〇〇年とか19〇〇何まで覚えようと思った……
◎15:10
処置室に呼ばれた。
母は起き上がれないがお喋りはできる。
その間にここ数日の体調不良についてもう一度母に聞いておく。
(父には慌てて連絡しなくて正解だった。)
それにしても待ち時間が長い。
→待ち時間、母と話したことはひたすらメモをとった。転院した時使えるかもしれんからこれは大事だったと思う。
◎15:50
医師からは帰宅してよしと言われるが、目眩で身体を起こせない母を連れて帰るのは難しい。
→検査結果聞いたらすぐメモ。聞き慣れない言葉は一瞬で忘れる。
→お医者さんも忙しいので、「入院したいです」とかはすぐに言った方がよかった。
◎16:45
緊急連絡先、部屋の説明、必要なもの、入院費用のこと、上限額のこと、食事や小物の費用、会計手続きについて、面会についてetc…
→親の職場書かなくてよかったっぽい?でも書けって言われたし…うーん……これはどうしたらよかったのかまだ分からない
◎17:30
処置室に戻ると入院する部屋の準備は18:00頃になると告げられる。
また長い待ち時間だな。
トイレに行きたいと言うので、看護師さんの手助けを受けて車椅子で移動。
上体は起こせるようになったみたいで良かった。
◎17:50
◎18:15
◎18:40
病院に到着。
先に話を通してもらえてたみたいで、本来は面会時間では無いが病室まで入れた。
入院申込書(さっきも書いたけど)に記入して、
迎えにいく時持ってきてほしいものが数点。
少しおしゃべりして、じゃあそろそろ、と言って19:30頃病室を出た。
職場の人が心配して「社用車、今日返しに戻らなくても大丈夫そうだよ」と連絡をくれた。ありがたい。
◎20:00
職場に到着。
欠務届など諸々書いてメールチェックして退社。
→もうちょいしっかり喋れ。社会人やろ。
◎21:00
ご飯。
今入院してる病院は脳神経外科はあっても耳鼻科はないので、これ以上検査のできない。
早く治してやりたい。
女性には理解できないかもしれないが、男には不思議な時がある。
疲れていると性欲は自然と抑えられるが、疲れ過ぎていると逆に性欲が湧く時があるのだ。
その日、俺は疲れ過ぎていた。
数日ろくに眠っておらず、仕事は決壊したダムの水の如く押し寄せてきた。
缶コーヒーを何缶も飲み干し、部下へ指示する場面も多かったのだ。
休まる時は少なく、常に気を張っていた。
会社を出たのは20時過ぎだった。食欲はない。少し前にコンビニのおにぎりを二つ食べたせいだろう。
疲れていた。それでいて、不思議とムラムラしていた。30過ぎにもなって年甲斐もなく露出の多い女性が前を通ると勃起しそうになる。
俺は馴染みの店に寄ることにした。そこでいつもの嬢を指名し、身体を洗ってもらっている最中にも振り返って抱き着いた。
嬢は胸が大きく、俺の顔は嬢のおっぱいに挟まれた。柔らかく、間近で嗅ぐとベビーパウダーのような香りがした。
それからすぐにベッドに行って、いつものようにセックスを始めた。俺は仕事の疲れも忘れ、荒々しく、獣のようなセックスをした。
二度、射精した。一度は嬢が俺の上に乗り、二度目は正常位だった。
二度目の射精の瞬間、眩暈がした。目の前が真っ白になり、俺は倒れ込むように横になった。嬢は俺の後ろで息遣いを聞かせ、ゆっくり抱き着いてきた。
俺にはそれが溜まらなく鬱陶しく感じられた。そんな風に思うのは初めてのことだった。
一人にしてほしかった。ただ、一人で眠らせてほしい。心の底から、願うように思う自分がいた。
それに気づいて俺は愕然とし、怖くなった。その恐怖は影の中から浮き出たように俺の心へ纏わり、世界中で誰よりも孤独な瞬間のように感じられた。
愛しいはずの相手の傍で俺は殻に覆われ、俺は俺だけの世界の中に閉じ込めれらたような、そんな思いに駆られていたのだ。
俺は体を丸め、じっとしていた。そのまま眠りそうになる。嬢が何か甘い言葉を言っていた。それも、耳には入らない。
俺は夢の中で泣きそうになるのを我慢した。いつから眠っていたのか分からない。
時間になって俺を起こす嬢は微笑んでいて、「目が赤いよ?」と言った。
仕事のせいだと俺は言った。
それはごまかしで、俺はセックスの中に孤独が潜んでいることを初めて知った。
店を出て、喧噪の中を歩き、路傍で若い男が女をナンパしていた。誰もが飢えているような目をしていた。
俺は途中で水を買った。今はそれだけで十分だったのだ。
俺は疲れ過ぎていたのだと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240609075919
https://web.archive.org/web/20170710053740/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201302
2013.02.25 Monday02:42
YTV 2月6日(水)より、毎週水曜26:37~放送
です!
遅くなりましたが、、関西地区の皆様、お楽しみくださいませ~。
1
お仕事---
2013.02.25 Monday02:06
して頂きましたよー。
素敵なタイ料理のお店を選んでくれました。
シャッターチャンスを逃してしまいました。動きがトロ過ぎた。。
か、、可愛すぎて眩暈がする
他にもいろいろ素敵過ぎて泣けた。
私がプレゼントを皆から貰ってるシーンを、アシスタントさんがこっそり?動画に
おさめてくれてたんですけど、私、アホみたいに「かわい~かわい~!」しか言ってなかったです。
なんて粗末な語彙力、そして表現力。。
全部、大事にする、、!
他にも、色んな編集部の方々に、お祝いして頂きました
最終回は、いつもより少し多めの100ページです。
まだ、下絵中。長々付き合って来たキャラ達とも、これで最後か―と思うと、
感慨深いです。ラストは、これまで登場したキャラ達が、そこそこ勢ぞろいですよ。
1
日記---
前回の日記を i Phoneで確認してみたら、私、「バスローブ」を
まあ、いいけど。
去年の夏の長岡花火大会の日記に、嬉しそうに「名物 へぎそば~」
と画像付きでアップしましたが、「あれは、へぎそばじゃない。普通にざるそばだ!」
ま、まあ、いいけど。(てゆうか、もっと早く教えて)
えーーっと。単行本が出てました!とっくに発売してたことに、今頃気付きました!
これは、まあ、よくないです。大事!!
「Pure Love Seasons ・4 冬~ずっといっしょ~」
プチコミで描いた「スゴロク」という、50P読み切りが収録されてます。
是非是非こちらを手に取ってみてくださいませ。
吉永ゆうさんの、とっても可愛らしい表紙が目印です。
やー、やっぱこういう絵は、少女漫画の醍醐味ですね。甘酸っぱい!
私の漫画は、この「4 冬~ずっといっしょ~」にしか載ってませんけど、
なんてったってシリーズ4ですので、春~秋まで、あと三冊出てるみたいです。
ピュアラブお求めの方は、そちらもぜひどうぞ~。
近所のスーパーでは卵の特売をよく行っている。
10個入りのそれは他のスーパーより断然安く、そのためすぐに売り切れてしまうのが常。
私も一度、特売の卵を購入しようと試みたことがあった。
開店時間ちょうどにスーパーを訪れると先客は多く、彼らは迷うことなくたまご売り場へ直行した。
私もその後に続き、たまご売り場に辿り着くと我が目を疑った。
誰もが特売の卵を買おうと詰め掛け、奪い合うかのように手を伸ばしている。
自分が望むものを手に入れるためなら他人のことなど知ったことではない。
利己的私欲の塊が私の目の前を跋扈し、彼らは手に取った卵を戦利品のように籠へ入れる。
それは現代人ではなく蛮族の姿だった。
私は眩暈を感じながらその場を離れ、間を開けて戻ると特売の卵は既に無くなっていた。
それでも構わない。
それで満足だった。それ以上に特売の卵を買うことが恐ろしかった。
私は一度30万円の借金を親に肩代わりしてもらったことがある。競馬で溶かし、首が回らなくなったから。もうやらない。そう決めたはずなのに。また資金が底をついた。今日だけで6万円負けた。来月のクレカの支払いは35万。バイト代では賄えない。大学も4回生になって私は何をしているのか。もう死にたい。人間は変わらない。カフェインに依存し、ギャンブルに依存し。コンサータでも抑えきれない衝動と、コンコルド効果で破滅する。死にたい。死んだほうがいい。助かりたい。そんな罪悪感で死にたい。頭が回って眩暈がして現実感がどんどん薄れていく。こんな繰り返しばっか。人間は変わらない。変われない。変わるのは環境だけ。自意識過剰な私がまた親に告白する。怖くて耐えられない。そうして助かろうとする自分が許せない。変われない自分が憎い。こんな気質の私自身が憎い。死にたい。死にたい。楽になりたい。助かりたい。自分に責任を持ちたくない。怠惰で傲慢。生まれた時から欠陥品。ごめんなさい。私みたいな人間と血縁関係があるなんて。そんなことないよ、じゃなくて。社会的に終わってるんだもん私。今までありがとう。ごめんなさい、また今度。
生きてることが辛いなら / 森山直太朗
夏を待っていました / amazarashi
雨燦々 / King Gnu
Dear my.... / Janne Da Arc
自分ならこの5選
当時小学生だった。
子供ながらにあの頃は発達障害についての情報がほとんどなかったと思う。インターネットも今より普及していなかった。母親は髪を振り乱しながら、おかしい、普通の子じゃない、普通に出来ないなんて、おかしい、おかしい、変、変、変、どうして出来ないのと毎日叫んでいた。
じゃあどんな小学生だったかと言うと、まず運動音痴だった。リレーはいつもドベだし、逆上がりもできない。跳び箱に挑むとタイミングがわからなくて、そのままぶち当たって箱を破壊する。マット運動で転がると眩暈がして上手く起き上がれない。逆に勉強は自分で言うなって話だけどかなり出来た。字を書くのは上手くはなかったけど、勉強自体は楽しかったしすぐ理解できたので何もしなくても満点だった。
運動会ではお荷物だったしドッヂボールでは毎回泣きたくなるくらい当てられてたけど、体育自体は好きだった。勉強だったら負けなかったし、友達も沢山いた。
子供なんてちょっとしたことでいじめてくる。田舎から来たからとか、身長が高くてのろまだったからとか、服がユニクロだからとか、ゲームを持ってなかったからとか、流行りのドラマを見てなかったからとか、塾に行ってないのにテストで満点取ったからとかであっという間にいじめられるようになった。
教室に入るとささっと4人くらいから囲まれて、色々言われた。メンバーは日替わりだった。半年くらいは我慢してたけどある日急に行く気がすっかり失せてしまって、仮病を使って休むようになった。
それを母親は許してくれなかった。学校に行かないなんて普通じゃない、おかしい、と毎日私を打つようになった。いじめられるから行きたく無いと言えばよかったのかもしれないけど、私が田舎から来たのもユニクロを着てるのも、ゲームを持ってないのも、ドラマを見てないのも、塾に行ってないのも、テストが満点なのも全て紛うことなき事実だし、事実を言われただけだしな…これはイジメではないはず!ただなんか学校に行きたくないだけ!と謎に前向きだった。いじめってバカとか死ねとか言うものだと思っていた。
(あの頃の自分に言いたいけど、階段から突き飛ばされたり、靴の中に土入れられたり、クラスメイトが川に落ちた時お前の責任にして学級裁判もとい糾弾会開くのは立派ないじめだと思うよ!)
叩くものが母親の手から布団叩きに変わる頃、ようやくクラスの子からダサいとか謝れって言われるから行きたくない!と泣いて吐き出した。それくらいがなんだ戦え!やり返せ!と言われた。
ブランド物の服を着たあの小柄なクラスメイトたちが、私には小鬼に見えた。そんな小鬼と戦えない。
普通はどんなことがあっても行ってるはずなのに、どうしてこの子は行かないのか、普通じゃないのか、こんなのおかしいと母親はノイローゼになっていた。父親は俺は知らないの一点張りで、他の女性たちに夢中だったし、もう少ししたら私にも手を出すようになってきた。我が家は完全におかしくなっていた。
真冬に寝巻きのまま裸足で外に出されたり、どこかの川沿いや公園や児童養護施設の前に置いていかれるようになった。この頃になると、うちの親は話が通じないからおまわりさんに助けてもらおうと交番に行くようになった。毎回家に送ってもらってお宅の娘さんが…とインターホンを押すや否や両親は飛び出して私を抱きしめていた。涙を流して、ほんの些細な喧嘩なんです、私たちが悪いんです、厳しくしすぎました、本当に帰ってきてくれてよかった、この子は私たちの宝物、ご迷惑をおかけして申し訳ありません…と泣いてぺこぺこしながらおまわりさんたちにお礼を言っていた。そういう両親を見ておまわりさんたちもすっかり態度を軟化させて、ご両親に迷惑をかけちゃ駄目だよ、と私に説教をして帰っていく。外面はめちゃくちゃいいのと隠すのが上手いので、今でも両親は周りからは、上品で優しいお母さんと思慮深く手先が器用でなんでも作れるお父さん、こんな素敵なご両親なんてあなたは幸せだよと言われている。嘘だろ。
子供ながらに何もかもがもうだめかもしれない、と思うようになったある日、機嫌の良い母親ならお出かけしよう、と連れ出された。狂言自殺を繰り返していた母親を前に心中という単語がチラッと頭をよぎった。長い長い時間電車に揺られ、着いたのは病院だった。そこでまた長い時間、ゲームのような、簡単なテストのようなものを受けた。今まで何度か精神病院に引きずられて行ったことはあったけど、あそことは全然ちがうな、と思った。
アスペルガー症候群の傾向が出ています、みたいなことを言われた。
なにそれ?頭の病気?治らない?一生?と一瞬ショックを受けたものの、治らないなら仕方ないと諦めた。
それから母親は激しい浮き沈みはあるものの私の不登校を基本的には許すようになった。この子はアスペルガーだから、頭の病気だから仕方ないと。反面で私に天才になれと言うようになった。エジソンだってアスペルガーだった。学校にも行かなかった。同じアスペルガーだから絶対になれると当然のように言った。少しでも逆らうと怒り狂って、お前は人殺しになってお母さんのことも殺すんだろうと怒鳴ってきた。当時話題になっていた事件の犯人が、発達障害だったからだそうだ。
私が中学の頃に父は単身赴任となり、私たち母子だけで暮らすようになってから、だいぶん楽になった。ちゃんと「学校」と呼ばれる場所に通えるようになったのは高校からだった。そこの高校は名前を漢字で書くことができれば受かると言われているくらいのレベルだった。一番最初の数学の授業は2桁の足し算のプリントをひたすら解けと言われた(後ろの席の男子からこれわかんねぇから答え教えてくれと言われた時はびびった)。長い期間のストレスからか、自分の名前の漢字と平仮名カタカナ以外ほとんど書けなくなっていたのでとにかく早く、どうにか楽しつつ巻き返せないかと試行錯誤した。相変わらず短距離走や球技は酷いものだったけど、長距離ならそれなりにできるとわかった。家にいたくなくてボランティアやら勉強会やらに積極的に参加した。授業態度は良かったので(そもそも周りが最悪なのもあった)先生からは良くしてもらえた。先輩達は挨拶もろくにできねぇのかと凄んできて恐ろしかったけど、お陰で誰にでも大きな声で挨拶ができるようになったし、怒らせなければ面倒見の良い人達だった。ヤンキーばかりかと思ったクラスメイトも親切で、今でも何人かとは親しい付き合いがある。頑張れたお陰か無事大学にも通えた。
途中就職に失敗して鬱になりかけたりニートになったりして、心療内科から貰った全然効かない薬を飲みながらカウンセリングを受けたけど、結局一番効果があったのは、気晴らしに始めたバイトの給料を使っても良いと言われた時だった。現金を使える自由が私には何より効いた。
今本屋に行くと発達障害に関する本がズラッと並んでいる。少し前までは発達障害の人とどう付き合うかという内容ばかりだったのに(それでも最初は本屋にあった時点で衝撃を受けた)、発達障害の自分がどうやって生きていくかのライフハックが書かれた本たちが並んでいるのを見ると、昔に比べて良い時代になったのかもしれないとしみじみ思う。
ところで、私が子供の頃貰った「アスペルガーのお友達どう付き合うか」の本を読んでみると、症状が全然当てはまらない。肌触りに敏感でもないし、誰か(この本で言うとクラスメイト)が泣いていたらどうしたのかと心配になる。怒らせてしまったら私のあの言葉や態度が悪かったのかと気付くし、これじゃないと駄目みたいな強いこだわりも特にない。社会復帰してからは遅刻も寝坊もした事がない。作業にのめり込むこともないし、無くし物もしない。特に親しい友人や夫に、もしかしたら発達障害かもしれないから当てはまるなら正直に教えてほしいと頼んでみたけれど、特にない、別に普通だと言ってもらえた。私を含めた全員素人だからなんとも言えないけども…。
最近気になる話を聞いた。子供のうちに猛烈なストレスを受けると、発達障害によく似た症状が出るらしい。それに関する論文をしっかり読んだわけでもないので、あくまでそうかもしれないの粋だけど、もしかしたら、と思ってしまう。もう一度あのテストでも受ければ良い話なんだけれどめんどくさい。
好きなものは人それぞれ楽しめばそれでいい。
身体に悪かろうがなんだろうが、それで早死にしたって、好きなことやってるんだから本人の勝手だと私は思っている。
ただ一言だけ言いたい。
酒飲みの文化は、酒を飲まない/飲めない者を疎外する側面があるということ。
この社会は、成人したら誰もが当然酒を嗜むものであるという前提で回っているところがある。
夕刻以降の飲食を伴う会合は、居酒屋という酒を飲むことを主たる目的とした場で開かれることが少なくない。酒を飲まない者からすると、明らかに供されるものが少なかったり、自分が消費したものに比して支払額が割高だったりする。
純粋に食事を楽しもうとレストランへ出かけても、アルコールを飲みながら食べることを前提としている店だと、飲まない者は歓迎されなかったりする。もちろん、アルコールとの相性を念頭に置いていても、飲まない人も歓迎してくれる店もある。一方で、高級店でも(さすがに面と向かってはっきりは言わないが)心理的圧を感じさせるところもある。 (飲食店の収益モデルが間違っているのだと常々思っているが、)それなりに生きているので、その場に合わせてノンアルコールドリンクをオーダーする。ただ普通に食事をしたいだけなのに、なんでこんなに気を使わなければならないんだ。
食事と酒のマリアージュが素晴らしいというのも、多少は分かるよ。
(飲まなくても)眩暈がするほど多種多様な酒があるのを見れば、飲酒というものがたいへんな文化だというのも理解できる。
だが、飲まない者にも、勝手に絡んでくる困った側面があるのですよ。飲酒文化には。
たとえば、(酒ほどには層が分厚くはないが)ギャンブルという文化は、別にギャンブルをしない者に干渉してきて困惑させたりすることはないよね。
(身近にギャンブル依存症がいて困るというのは、特定の個人の問題であってギャンブルという文化の問題ではない)
増田への攻撃的なコメントには、飲まない者がこの社会で肩身の狭い思いをさせられていることへの反感があるのではないか、と思ったりした。
この社会は、酒を飲む人と飲まない人とでは、飲む人に都合がよく作られているんだ。
(いまどき無理やり飲まされるなどということは少ないだろうから、昔に比べれば、随分と状況はよくなっているんだろう。 )
年始でずっとそのことを考えている。
もし災害が起きたら一緒には逃げられないかも避難所で拒否されるかもということも、飛行機では手荷物扱いだからいざというときは諦めないといけないということも、知っていたしわかってはいたけど改めて実感として苦しいし怖い。
幸いにも今の所飛行機で移動するような用事はないし、転勤がある仕事でもないから飛行機で犬と移動しなくてはならないという事態にはならないとは思う。
でも災害はわからない。海の近くに住んではいないが、家の近くが震源の大地震が来たりしたら。そのとき家に誰もいなければ犬の為に戻れはしないだろうし、居ても一緒には逃げられないかもしれない。うちは妻の希望で犬を飼うことになって、子供も犬が大好きだ。いざというとき子供や妻は犬の為に危険の中家に戻りたい、犬が一緒でなければ逃げたくないと言うかもしれない。そのとき自分は止める諌める側の立場でいなくてはならないな、と正直考えてみて即断で動ける気がしなかった。自分もうちの犬のことがもう大好きだからだ。
犬を飼うときいつか死んでしまう別れる覚悟は決めて飼ったつもりだが、いざというとき諦める、もっと言えば見捨てることになる覚悟も決めないといけないのだと思った。
怖いしすごく嫌だ 眩暈がする
自分の不安を書き出したら伸びていて驚いた。みんな同じことを考えてしまっているんだな……と思う。
ブコメでも頂いた通りいざというときは車で避難するつもりでいるのだが、石川では渋滞で車での避難が難しい場合もあったと聞いて最悪の事態を考えてしまった。前述したけどそもそも家に自分が居られるときに震災が起きるとも限らないから。
本当にいざというとき、生きるために自分の判断で犬を諦める、“自分の判断で”犬が死んだという状態がないとは言えないのだと実感していて、その責を妻や子供には背負わせたくないので自分の責任として下すべきだと思っている。だが突然来たそのときにそうできる自信がない、という話です。
来ないでほしいと強く強く祈っているが、逆に言えば出来るのは祈ることともしもの備えをちゃんとすることくらいだ。怖い。全ての動物が幸せに天寿をまっとうできますように。
俺は性差別主義者ってヤバいおっさんとヤバいツイフェミと匿名掲示板住人くらいしか見た事無くて
身の回りの人たちは皆普通に男女交流してるし自分達若い世代は別に性差別とかさほどしてないと思ってたんだけど
某対戦ゲームの配信見てたら大学生くらいの主が女性差別トークして囲いがコメント欄で女叩きしまくってたんだ
「女だからバカ」とか「女は脳味噌ついてないから」とか「股開いてればいいから」みたいなコメントを推定中学~大学生くらいの子達が発信していて
彼らは本当に実在しエコーチェンバーの中で現に生まれ続けているんだと眩暈がした
まさかゲームやりながら男女論で異性を呪うなんてゴミみたいな行為を今の世代がやっているとは思わなかった
しかも彼らは女性を見下しながらも性欲だけはばっちり向けてて好きな女アイドルとかは存在する有様
なんで?なんでお互いが同じ人間だと理解できない…?小学校に女子の友達くらいいただろ…?
そういうのが上にいると下のキッズ共もそれをモデルにインセルミソジニストとして成長していくわけで
実際何人かツイートをのぞいてみたら道端ですれ違う女の容姿はけなすわ行った施設に女が多いから不快だと愚痴るわ世も末だった
なのに女性差別しまくった直後に今日は好きな女子と話せて嬉しかったみたいなツイートが出てきたりもして「差別はするけど俺の好きな○○」は特別みたいなダブスタも平気でやってる事がわかりまあなんだ、うんざりした
信じられない