はてなキーワード: 標語とは
埼玉県議会で取り下げられた子供放置禁止条例案、取り下げられてよかったんだけど、親も子供を好きで一人にしてるんじゃないわけ。一人にせざるを得ない状況なんだわ。
そのフラストレーションの大部分を減らすには、親の仕事を早く上がらせろよ。ってか子供の親だけじゃなく、日本全体で残業やめてくれ。そういう働き方になって初めて、ひょっとすると今回の条例が受け入れられるくらいに子供を育てる環境が整うんだと思う。
子供いねえんだから関係ないだろって思うだろ?そうじゃないんだな。あなたが定時で帰るスピードで仕事してくれないと、子持ち(や介護持ちや病気持ちやモチベーション低下持ちや推し持ちや趣味持ちなどその他大勢)も平静に働けないんだな。自分のペースだけで働ける人が、好きに残業やりまくって仕事さっさかこなしちゃうと、そのペースで仕事しろやってことになっちゃう。いま日本社会ではそうして仕事しまくる人が偉いってことになってるから。だから良くない子育て環境を改善したいなら、みんなで働き方改革(つってもセーブするだけ)するしかないのよ。
埼玉県議会は、県内企業の働き方改革を強化しまくる条例案でも出して、テレ玉カラオケ大会に出てる人たちに根回ししときゃ、全国の模範になれたんじゃないかな。りそなあたりが先陣切るでしょ。
子供の放置が問題なのは程度の差があれ多少同意する部分はあるが、「親が見とけ」で思考停止するのは日本の良くないところ。日本はすぐ「注意喚起!ヨシ!」「標語掲示!ヨシ!」で末端最前線にリスク対策を押し付けるが(今回もそうね)、ホントはそうならないように頭をひねらせて仕組みを改善しなきゃあ。
親だけに押し付けるな、ベビーシッターや一時保育の拡充を、と叫ぶ声もある。もちろんそれも大切。ベビーシッターもっと使いやすくなるとすごくいい。でもそれって、生じた需要に手当するだけの応急処置にすぎない。ベビーシッター利用助成の拡充だけやって対策した気になるんじゃねえぞ内閣府。
「性的消費」という言葉は一種のバズワードであり、多くの人はその意味を深く考えずに使っている。
そのような状況では、「性的消費はよくない」という標語も意味をなさないだろうが、同時に「性的消費の何が悪い」と開き直るのも感心できない。
これを改善するため、そもそも「性的消費」とは何なのかについて整理しようと思う。
対人性愛を持たない筆者としては対人性愛中心主義云々など言いたいことはあるが、そういったことは最後に少し触れて終わりとする。
まず、「消費」とは何か。
「食料を消費する」、「燃料を消費する」、いずれも人間にとって当たり前の営みであり、何も批判されるようなことではない。
一方、「文化を消費する」には多くの人がネガティブな印象を持つだろう。
ここで言う「消費」とは、「漫然と、思考停止して」という言外のニュアンスが込められているのであって、字義通りの「消費」のことではない。
このような「消費」が批判されるとき、字義通りの「消費」活動が批判されているのではなく、言外に込められた「漫然と、思考停止して」の姿勢が批判されているのである。
「文化を消費するな」とはどういうことだろうか。
「音楽を消費するな」とは、「音楽を聴くな」ということではない。
「映画を消費するな」とは、「映画を視聴するな」ということではない。
ただ、「漫然と、思考停止して、消費するな」「頭で考えて中身を理解しろ」という意味だろう。
「性的消費」が批判されるときもまた、字義通りの「消費」活動が批判されているのではなく、言外に込められた「漫然と、思考停止して」の姿勢が批判されているのではないか。
「AVを見るな」という話ではなく、「どこにフィクション的演出があるのか」「適正なプロセスで制作されているのか」といった点を考えて視聴しているのか。
より日本語に真摯な言葉遣いをするならば、「性的消費をするな」と言うよりも、「性的消費をするからには、性に対して誠実な態度であれ」と言うべきかもしれない。
逆に言えば、性的表現そのものを「性的消費」扱いするということは、その表現に最大限の作意を込めるクリエイター達に対する侮辱でもあるのだろう。
異なる文化について学び、親しむこと、それらは言うまでもなく「盗用」ではない。
しかし、元の文化に対する敬意もなく、不誠実な引用を「消費」すること、それが「文化の盗用」と呼ばれるのだろう。
対人性交渉が「性的消費」と呼ばれないのは、コミュニケーションが介在しているからと言うが、そのコミュニケーションとやらは果たして完全無欠なものだろうか?
特に異性愛の場合、そもそもこの男性社会において、男女間の権力勾配を無視して簡単に「コミュニケーションの成立」を信じてよいのか?
そうした問題を常に考え続けることが、対人性愛者としての「誠実な態度」ではないか。
性的表現の中には、女性の人権を蹂躙するプロセスで制作されたものや、実在女性に対するミソジニーを内包するものも存在するのは事実だろう。
しかし、そうしたものが「すべての性的表現の連帯責任」だというならば、実際の性犯罪者やセクハラ加害者が「すべての対人性愛者の連帯責任」にならないのはなぜか?
そこには間違いなく対人性愛と非対人性愛の間の権力勾配があることを意識してもらいたい。
また、私個人は実写AVを見ないFセクだが、実写が対象になるFセクもいるし、また例えばリスセクシュアルのような「対人性交渉を欲望しない人々」にとってもAVは必要な表現であろうことには注意して欲しい。
・臭い
・汚い
・キツい
・買えない
特に「臭い」「買えない」のコンボは慣れてない人が受けるダメージはかなりのものだろう。
「臭い」
毒性の雲が生成されるコミケは滞在するだけで全身に悪臭が吸着されていき、コミケ帰りの人間は独特の空気をまとう。
コミケに行った時は清潔だった人間が、帰ってくれば汚物となり、そのまま自分の部屋に入ってしまうと自分の部屋がコミケの臭いになる(更に嗅覚麻痺が起こるので自分で意識している数倍臭いことが人に指摘されてから分かる)。
「買えない」
目的としているものが有名人の本であるなら転売ヤーの餌食にあっていると思った方がいい。
どうせ買うための人数制限に挑むなら通販サイトに毎日張り付いて出品即ポチを目指す方が成功率は高いだろう。
有名ではないが興味がある人の本を買うにしても、その人のHPから購入したり、通販サイトに降ろしてないか調べるのを先にやった方がいい。
本人の顔を確認したいのだとしても、売り子を頼んでいる場合が多いので本人に会えない可能性もある。
コミケでの目的は半分も達成できないという前提で挑んだほうが良い。
臭いを我慢し、帰った後に自分がその悪臭をまとうことになるという清潔感にマイナス100点のコストを払うにも関わらず、目的のブツを仕入れるだとか、気になっていた人に挨拶するだとか、そういう目的はなかなか達成されない。
コスプレブースも有名レイヤーはなぞのカメコ取り囲みが起きていて遠目にしか見れなかったり、夏の暑さにやられてすぐに日陰に引っ込んでしまう人ばかりだったり、わざわざ行って楽しかったと思えるかという疑問がある。
強烈な目的意識を無数に持ち合わせて、最初の予定の3割も達成できなくても問題がなく、コミケの後2日ほどは人に会う予定が全くないような人でないとコミケはオススメ出来ない。
「気楽に来て下さい」というにはコミケはアカン要素が多すぎる。
気楽に行って楽しみたいなら造形物のオンリーであるワンフェスの方がまだオススメだ。
本の即売会というのは結局のところDL販売で代用できてしまうし、内容の確認もネット上のサンプルと現地での立ち読みに大きな違いはない(全部のページを読むなら話は変わるが……)。
造形物の場合はそうではなく、写真と実物とでは遠近感に全くの違いが出る。人間の目の構造上これはもう間違いない。
「色んな人達の独自の世界観を見たい」という目的でコミケに行こうとしているならオリジナル同人誌即売会のコミティアの方がいいだろう。
コミケと比べてそれぞれの作家性がより強く出ているし、界隈の加熱によってニワカが群がることも少ないため全体的に人口密度が下がり初心者でも呼吸がしやすい。
コミケは誰でもウェルカム。日本最大の即売会です。というのはやはりコミケ的な態度ではないように思う。コミケはやはり特殊な空間であり、そこに参加するのには多くの準備と覚悟を持っていった方がいい。ただの物見遊山でコミケに行くのは富士山頂を目指して近所を散歩するのと同じ格好で歩みだすようなものだ。
「お客様は誰も居なくて、誰もが参加者です」といった標語もなんか違うと思う。そもそもどんなイベントだろうが、たとえいくら入場料を払っていようが、常に全ての参加者はそのイベントを構成する人間の1人なのではないか?「STAFF」を意味する言葉として関係者という表現がよく使われてしまうため、 客≠関係者 ということに現代の日本語ではなってしまっているが、参加している全ての人間がそのイベントの存続に関わる重要な役割をしている関係人物であることは間違いない。
会場を大事に使う意識や、近隣住民への配慮などは、客として入場していても絶対に必要なものだ。
一部界隈のオタクにあまりにもお客様意識が強くアイドルライブで目立ったものガチをしたり、公共施設で写真撮影のための無許可場所取りをするような悪しき文化があるためあえて「誰もが関係者である」という今更な表現を使うことになってしまっているのも実にモヤモヤする。
コミケだけを特別扱いする場当たり的な解決策ではなく、あらゆるイベントにおいて社会を構成する1人の関係者として、他者に配慮できる人間になることを推奨し、その感覚をコミケを通して身につけてもらおうという方向にはいけないものだろうか……。
実際ギスギスすんのはそんな単純な話じゃなくて解釈の幅がある話じゃないの?
幅があるなら先述した通りいちいち目くじら立てるべきじゃないし
ほんとにそのくらい単純な話なら、頭の中でアイドルと生活してるレベルに入り込んでるやつが「同担拒否」なんて標語で警戒するレベルに居るってことでしょ
世の中ではまだまだ全然理解されていないんだなと感じる。例えばこれについてとりあげたハフポへのブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4735313363514283237/comment/vkara
内容はいいよね。相手がYESと言ってないのに性的なことしていいと思ってる人いるの?相手はYESともNOとも言ってないのでつまりYESです!仕事進めましょう!って営業いるのかな。
こういったの。現在の制度、あるいは裁判所の判断含めNo means Noが基本となっているから、
相手がYesと言っていなくてもNoと示されなければ性的なことしていい、となっていることを知りすらしない。
裁判でも、Noを示すものがあったかーーこれは別に言葉でNoということに限らないーーが重要で、
仮にそう取れるものが一切なかったとしたら、Yesがなくて性的なことをしても強制わいせつ等にはならない。
あれ透明に近い水色なんだよ、もとは。何故かというと、人工池が元ネタだから。
古代って、ダムの概念無いから池に水ためるじゃん。水って古代から資源じゃん。だから税じゃん。
ここに池作りました!承認お願いします!って地方の長がやる。大体地方の上位の長が立ち会う。
上位長は立ち会えば税取れそうか見れるから。当然下位長は池を綺麗にしておく。だから、水も綺麗。
池って水張った初日は水綺麗じゃん。だから透明で美しい。見た日には一句詠めそうなくらい美しい。
でも水は日を経ると腐る。
偉い人は「この池いとすみわたってへき!」とか言っちゃう。水色のつもりで。
でも古代は立会すら日がかりで、役人が見に来るのはさらに数日後。
予想通り役人は「この水くっさ!へきってこの草色かよ」と書物に書いちゃう。
ここで認識の食い違いが生じる。
・貯金箱
・手で彫るハンコ
・エプロン
・ポケットティッシュ入れ
・フェルト小物
・豚汁
・ラジオ
・点描(点だけで絵を描く)を描いて、学校のしおりの表紙になった
・電気糸ノコギリを使って板をくり抜き、クリリン型パチンコを作った
・石の塊を彫ってオブジェを作り、なんか賞をもらった
・画用紙を使って、ビー玉で遊べる立体的な迷路を作った
・写生大会で、なぜか割り箸で線画を書くという縛りをさせられた
・体育館にみんなの写生画が貼られ、それぞれ評価順に金、銀、黄色のラベルを貼られた。今考えるとちょっとひどいかも
・写生大会で神社を描いてたら、時代劇の撮影が入って移動させられた
・ラジオを作るか盗聴器を作るか選べて、盗聴器を作る人もいた