はてなキーワード: 非情とは
今後おなじ被害の遭われた方の為の
参考としてあくまで
◎私はSNSをしていません。
なので文章の上手な方、
漫画の描ける方等、
とにかく今も停電の続いてる方や
今後同じく被災された方向けに、
【被災時の状況】
私は県外出身で旦那の出身の千葉県で24歳・妊娠8ヶ月の状態で里帰り出産の為単身滞在。
この時の家族構成は義父義母(60代半ば以降)と認知症の義祖母(91歳、この方は義父母の避難や生活において1つの課題になるので後述)と
【9月9日の午前4:00から停電被災〜11日午前8:30頃まで停電】。
●全て30~35度気温の日。晴れ、晴れ、雨(復旧日)のち晴れ。
●一軒家、停電開始が午前4:00からだった為エアコンが切れている事に違和感はあるがカーテンを開けていつも通り動いた為、最初停電に気がつかず。
→判明後は
少し今後の為の避難準備を開始する。
→水が出たので明るい内に洗浄する事でそれ以降は使用)
●信号がついていないのに外を車が走っている
●トイレは2つで1階が自動水洗な為機能しない。使用禁止の紙を貼る。
テレビ、冷蔵庫、携帯電話の充電、風呂が全滅で、最初はスマホで情報を得た。
→【①カーテンや窓が手で開けられる
※開けた所で蒸し風呂です。
【②コンロがガスで火がつく】
という条件だけで
精神面がきっとかなり違う。
加熱した物を後3日間
家では食べていない。
(ガスや食べ物を車移動をして
外に求める事にした為)
●家電関連で助かった事、
1500Wの日中のみ使用出来るソーラー発電パネルが家に乗っていた。初日は実働した事がない為不使用で、2日目の日中から義母の提案により使用。
→スマホの充電と冷蔵庫と扇風機が日中だけでも生き返る事により「電気のなくなる夜」への精神的な備えと安定をかなり得る。
★11:00頃
近所のセブンイレブンにておにぎりとパンのラックのみが全て空、食べられそうなサンドイッチや卵等を見つけたと思ったら
「3時間無冷蔵な商品は売れない」との規約の為売ってもらえず、
まず直面したのは食料確保。
「営業している同系列店の立地とエリア(例:千葉駅付近は営業している)」の情報を得る
●精神的にはまだ余裕がある。
★私自身の祖母がたまたま安否確認の為に家の固定電話に電話かけてきた為、固定電話が繋がる事が確認。
→スマホの連絡よりまずは被災地の固定電話が通じるか否かをまず身内は確認してください!
→「お見舞い申し上げます!」等のLINEは不要、淡々と終日空いている公民館や電力会社のサイト情報や「今電気が通っている県内地域」の情報を送ってください。
物凄く助かった。
「15秒で見られる被災者に関わる情報(通電地域の進捗や避難場所等)」しか不要です)
→★ただし被災地の方が弱音を吐いたりしたLINEがきた時等には、当事者としてはものすごく心の支えになるのでぜひ返信してください。
(①スマホの充電が刻々となくなっていく絶望感は凄いので、ニュースだけを得る機械として使用した方がいい。
③復旧地域の人の「千葉県●●町復旧しました」Twitterのつぶやきだけでかなり救われた。
→停電3日目には台風が過去の話となりニュースが入れ替わりホテルで見たテレビでバラエティーばかりがやっていてそれらの情報がかなり減ってしまう)
④夜は初日から蘇我地域が復旧していたので、車を出してみて、ショッピングモールで外食。
この時点では「翌日10日復旧予定」と出ていたので朝ごはんの時をしのいで昼以降はまた考えればいいと思っていた。
→帰路にて左右の町内は見事復旧していた為希望を持ったが、
最寄り駅を超えた瞬間、
徒歩数百メートル区間違うだけで「自分達の家が恐らく確実に復旧していない現実」に段々直面していく道中となり
さすがに常にプラス思考の姿勢を見せる義父母達も心にダメージを負っていた。
→★本格的な精神と身体的苦痛を感じたのは帰宅した18:00以降の真っ暗になった家に帰った夜から。
→真っ暗な風呂に懐中電灯をドア外に吊るす、最低限のシャワーとシャンプー等だけ入浴。
→認知症の義祖母は、風呂ではなく濡れタオルで拭いて着替える事になったが目を離すと浴槽の蓋をあけて浴室に入ったりし「いつも通り」の動きをするので静止する。
→実はこの日の正午に「辛うじて手に入ったセブンイレブンの片手分しかない人数分はないパンを、お腹がすいたのか正午になると時間通り触り出す」等
★認知症の方のこういう「1日の本来ならするはずの生活のいつも通り」の行動に、要介護者と初共存生活をする事になった妊婦の私は少し精神を削られる感覚がした。
→恐らく慣れている介護している方にも同じ様に心労が積もる。
→トイレはLEDのスタンドライトを常時設置した状態で、事前に案内したので認知症の義祖母も夜間きちんとそこで用足しをするが流せはしない。他の人が入った際気づいたら流す。
(せめての義父母の負担減になるよう寝られない私がメインでしていた)
→固定電話で旦那に連絡、非被災時の旦那には正確状況わからず、非被災地の友人達や親類のふとした一言や数秒で電話を切られる対応に傷つく。
泣きつつ現状の本音を1時間程話す。「頑張れ」と言われ精神的に持ち直す。
【2日目】
→前日夜間は自室にうちわと懐中電灯持ち込みはしたが到底寝られず、
肌に触れるベッドや布のシーツが全て気持ち悪く感じ、眠いのに横になっていられない。
基本的にうちわで仰ぎ、窓の外の景色を見て1:00~3:00位の時間位に気絶したのか寝られた。
→旦那が置いていった自家用車に充電ソケットを忘れたとLINEが来た。少し救われる。
→
暑さに耐えきれず、思いつき
4:45~5:00まで、
夫の置いていった自家用車の
充電もしてみる。
低速充電モードだったが、
最悪少しは出来るのかと確認。
→スマホのバッテリーは40%台になっている。今日で電池切れになる事を覚悟をする。
→朝5:00頃諦めて起床(ほぼ完徹)、
私は軽度の熱中症により
フローリングの上で辛うじてまだ冷えていた保冷剤をタオルで巻き、2時間ほど寝ていた。
「日中の晴れた時にしか使えないが、リアルタイムで発電する為ものすごく便利」なシステムだった。
※Twitterにて、
→
1500W以内の家電の組み合わせ
冷蔵庫は40W、
使わない、
使わない)で
【スマホ、冷蔵庫、扇風機】の組み合わせで朝10:00程まで過ごす。
→★特に扇風機を出してきて使える点とスマホの充電が満了できる点。
→旦那の車が
テレビ・ラジオ・クーラーの役割を果たす事をこの日の朝確認した為、ガソリンを満タンに入れに行く事は早朝に決めて義父母に伝達。義父にも全ての車の操作を教え、この車をメインで使う事を共有。
★ついでに市街を周回、
★そこの町内のコメダでは待合時に備考欄に「電源」という文字が客側の欄に書かれていて、
→被害を免れた各店が
「我が家は水の汲み上げが電気システムなので、水も止まっている」との事。同じ境遇の人たちと話す事で気は紛れた。
店内は皆その住宅の住人らしい。
(近くの公的施設が9:00-21:00までは解放されていると町内会長が自転車で連絡周りをしていたが、
義祖母の環境が違うことによるストレスになるとの事でそこには行かず行けず、
飲ませないといけない為、
この時点で4人中2人が2泊エアコン無し家での2夜目確定で危険)
→
★ホテルの空室確認をタウン誌で1番最初から義父母がしらみつぶしに電話をかけて行くが見事に全て埋まっている。
全て埋まり、
空いてない状況。
→部屋の価格
¥20,000(空室紹介時)
→¥17,000(停電避難をしたい旨を伝え可能ならもっと安価はないかと問い合せて結局この部屋)
お世話になりました。
→夜にホテル室内で
12万戸まで減らす」と
電話あり、
どうかその12万戸には入りたくないと
ただその件は義父には伝える。
■この時、53万戸停電
【3日目】
「昨夜言っていた
悪天雷雨のため立たず」の
まあ、だよね.......」と
義母が言っていたが、
この朝65歳の女性が同じく亡くなるニュースをみて「同い年だよ!」と戦慄する。
→
★徐々に刻一刻と
「自分の身近に自分達と似た状況の死亡者が増え出す」環境になる事を自覚する恐怖が増える。
どこがどれだけ復旧したのかを教えてくれ!」と私と義母。
①9日初日は
「翌日の10日には復旧予定、
入っていなかった為
明日には復旧すると思っていた)」、
②終日復旧せず、
2日目の10日夜には
「翌日の11日には
減らす事を目指す
「目指す」なので
期待は当然してない半々の気持ち
③11日の3日目朝は
「本日中の復旧の見通しは
立たない(断言)」と.......
→
★延期発表が「明日中(以降)復旧」を
繰り返しすぎて少し振り回される。
初日から2日目ですでに復旧予定が覆っている為、非情な内容でも
正確な情報が欲しい。
→
が重なると
はなから今どこをやっていて、
どこが復旧したのかだけ情報が欲しい。
→チェックアウト後の、
過ごし方までも当然覚悟した。
→8:30頃
「もう一泊部屋を確保出来るならするか(テレビがある、電源がある状況を確保する事はとても心強く感じたが、
義父が3日連続して義祖母と家滞在になる為、義母は帰って公民館とかを
利用しないといけないか)」と
義父より「電気復旧きました」と
電話連絡があった為。
少なくとも我が家の
停電状況はここで終わる。
【今回の教訓〜停電編〜】
●認知症の方や妊婦や幼児等がいたり、高齢者のみだったりすると途端に避難場所の選択肢や「我慢できる事」の範囲が狭くなる。
でも例えば20代妊婦の私だけだった場合はネカフェやカラオケ等やラブホまで視野に入れて宿泊可能施設として使えるが、
今回は私以外が全て
65歳以上の高齢者だった。
そうすると本当にそこらへんの
電話をかけ続ける事になり厳しい、等。
少なくとも水ガスが普段通りの
停電になった際においては、
不足していない】。
→長期に渡ると必要かもしれない。
→ただただ充電が出来ない事と
明かりがつかない事と
暑さ寒さがしんどいので、
ただひたすら
日中は車のある人は
とにかく店が空いている時間は
【外に出た】方がいい。
→★家の中にあった方がいいものや
防災グッズを揃えるというよりか、
「もはや蒸し風呂に
なっている家が不愉快と
夜だけはどうにもならないので
だが本当に体感が厳しいのは
店が空いていない夜21:00以降
どこから誰から情報が入ってくるかはわからない為本当に情報と人の伝達頼り。
かなり精神的な安定を得られた。
早く見つかり、
また楽だったと思う。
多少のお金を出してでも、
空調設備の下に
逃げ込んで欲しい。
ガス火はガスにするか
卓上ガスコンロ常備。
(追記)
反応ありがとうございました。
もう被害の日数とレベルが私が経験した物をはるかに超え援軍物資が必要な被害レベルになっている為停電対策にはならないあくまで実録として残し、復旧進捗をTwitterにてRT協力していきます。
どの道具を備えるか、どういう行動を取るかは個々人のその時の判断で正解はないと思います。
今後参考になる箇所のみ使用して頂ければ幸いです。
高校に入ると皆、多かれ少なかれ、高校デビューというものをする。それが「理想の高校生活」というイメージと混ざりあい、最初の3ヶ月は妙に皆テンションが高く、性格がおかしくなる。
俺はこれを俗に集団的高校デビューと呼んでいる。そして俺はこの集団的高校デビューというものに、根本的にトラウマを持ってしまった。
まず初めにいうと、俺の高校デビューは初っ端から失敗した。中学からの顔見知りが俺の事を話しのネタに使い、「こいつは下ネタ好きの変態ドインキャ」って事をバラされた。まぁこれ自体は大した話じゃない。下らない笑い話だ。
当時は斜に構えた腐った15歳だったから、高校デビューしてテンションが高い友人を薄ら笑いして見つめていた。
最悪だったのは、いや、最悪の始まりだったのは、集団的高校デビューした輩を統率する奴が居たことだった。
そいつは力が強く、常に偉そうで、周りにちょっかいをかけて声が大きくオラついてる。漂流ネットカフェの寺沢にそっくりだった。
「普通だったら」避けられるが、集団的高校デビューしている輩は一種の催眠状態なので、そう言うのに簡単についていってしまう。皆そいつが何か言えば機嫌をとり、無理して笑う。そいつに認められる為に媚び諂う。特に中学の頃からの顔見知りで俺を売った奴は、そいつのスネ夫ポジにいた。
俺はそう言うのが嫌でそいつにプチ反抗した結果、ボコされてカーストから外れた。
ピエロになった。
中学からの顔見知りや、その他取り巻きも俺の事をゴミみたいに扱った。
俺はそもそも斜に構えてたし、同じように寺沢っぽいやつを嫌って俺と交流する奴が居たから、つまらなくは無かった。寺沢はそんな俺にちょっかいを出し続けたが、正直どうでも良かった。寺沢にもまぁ憎めない所があったし。
高校生活への理想がなくなり、みんな省エネで目の前にある勉強や部活を楽しむ方向にシフトしていった。
そこに寺沢みたい奴の居場所はない。うるさくて、煩わしいリーダーを気取る奴は要らないのだ。
結果、皆そいつの事を無視し始めた。中学の顔見知りも最終的にそいつを無視し始めた。
寺沢を天辺に形成されたカーストが上下にひっくり返り、相対的に俺と寺沢が一番仲が良いと言う状況になった。
寺沢と一緒に俺にちょっかい出してた奴が、寺沢を無視する、その何というか変わり身の速さというか非情さというか
寺沢は、悪い奴では無かった。ただ俺とは相容れなかっただけだったはずなのに、その取り巻きは完全に、悪い奴だった。
結果的に寺沢を利用し、切り捨てた。権力に縋り、権力でなくなったら捨てた。
そいつの事を思い出すたびに、寺沢に対する少しのムカつきと、同情、その取り巻きの寺沢に対する仕打ち、人間のあり方に絶望する。このモヤモヤはずっと消えない
増田さんたちは、知的水準が高そうな増田さんの悩みには丁寧に応える傾向にある!!!!
知的水準で脳内仕分けしとるねん。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
知的なことで努力をし結果を残してきた増田さんには優しいというか。。。。。。。。。。
キーワードは、理系・旧帝・修士、こんなとこやな。。。。。。。。。。。。。。。。。。
増田さんたちはほんとに知が好きやな。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
んー。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
これどうしたらええんやろ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ここで相談する方が悪いんやろか。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
かわいそう。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
きっと藁にも縋る重い思いで書かれたであろう、各種お悩み記事たち。。。。。。。。。。
あんなに書いたのに反応という形で報われることのない書き手たち。。。。。。。。。。。
これが増田の限界か。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ああ無情、いや非情なり。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
増田さんたちに血は通っているのか。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
アニメなんてなくても生きていける。
そう論じるのは簡単なことだ。
だが
人間はそもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。
それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。
アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ、音楽、アイドル、スポーツ観戦、特撮、映画、小説…
多くの人間は一見非生産なものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。
まずこういったものに批判をすること自体禁酒法時代のアメリカや天保の改革の風俗取締令のようなナンセンスさがある。
すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学の純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。
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/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。
そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。
このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。
アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。
にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。
なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。
夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
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「京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人の女性が戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実。劇場版も企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。
また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。
日本のオタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者が経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。
京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定の収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。
エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。
終わりなき学園祭としてひとつの象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、
うる星やつらが漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性の人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、
近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパンが基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかもうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当な時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。
しかもアニメファンは常にコンテンツの新陳代謝にさらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社だからといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。
1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。
そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。
そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社の非情なる現実。
そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品を供給できる会社を存続させてきた、業界の良心の要石のような会社が京アニであって、それはこういう批判の俎上に上げるべき存在ではそもそもない。
事件前からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨な事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。
このケースは犯人の特性も含めて極めて異常であり、安易な因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。
この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達の大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。
まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造なものも見受けられる中、ひとつひとつの作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。
あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化の嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーはアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。
最後に
人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長と京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである。
そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。
信者が作画至上主義で他のアニメを貶すし、意識高い系で鼻についた
だから放火で大変らしいと聞いただけの時は、これで京アニが失速したらウザい信者も懲りるかな、とか思ってしまった。すまない
でも火事の映像を見て、死者が出ていること、さらに増えていることを知って肝が冷えていった
あれだけのアニメーションを作るために、どれだけの労力と時間と情熱が注がれてるかは想像できる。
アニメーター1人を一人前に育てるために、作品1つを仕上げるために、それを事業として会社を経営していくためにどんな苦労があったかは想像できる。
それが死者34人、スタジオ1つが全焼。犯人の動機は小説をパクられたから?
今まで費やされたもの、亡くなった社員達が築いてきた人生、磨き上げてきた才能と技術
そしてこれから作られるはずだったもの、それを世界中の人が見て感動して、感性に影響を受けて新たに生まれたかもしれない可能性
宮崎駿だって最初は1人のアニメーターだった、未来の巨匠を失ったかもしれないというのは誇張じゃない
それが何もかも全部、灰燼に帰してしまったのがやりきれない
京アニの会社理念は「人を大切にし、人づくりが作品作り」だった、らしい
人の心を打つ美しいものを創れば世の中を良くできる、そう思っていたと言いたげに
そういう理想みたいなのは、俺も思った頃があった。良い作品に触れて幸せになる人が増えれば、心が豊かになれば皆もっと優しくなれるだろうと
んなこたぁないと、どうしようもない奴らばかりで自分と家族を守っていくだけで精一杯だと割り切ったつもりだった
でも火災現場を見て、理想や善意も心無い人間に踏み躙られてしまう現実の無情さを改めて突きつけられて、まいった、堪えた
俺もアニメに現実逃避してたんだろうな。ああいう創作の世界は現実からは侵されない、色褪せない夢のようだと信じてたのが、真っ黒な焼け跡を見て覚めた
もう京アニのアニメを昔と同じ気持ちでは見れない、という話も分かる
アニメ界の911なんて表現も大袈裟だとは思わない。見慣れた景色が前と同じに見えない感覚は911や311の時と同じだ
こんなことがあっても社会や日常は続くし、一番堪えてるアニメ業界の人達も立ち止まらずに作り続けるしかないんだろうけど、ほんと、あんまりだろ・・・
私の家で友達とお菓子を作った。2月13日、バレンタイン前日のことである。
もう夏だって?うるせえ書き溜めてたメモを発見したからいま投稿すんだよ。
私を入れて4人、その中の2人は数ヶ月前に彼氏ができたばかりだった。一人をAとしよう。
クリスマスイブに告白され、なんやかんやで後日付き合い、バレンタイン当日に彼氏の家に泊まりに行くというAとその彼氏を「イベントに乗っかりすぎじゃね?」とからかった。
私たちのグループはとても下品で、よく下ネタを話していた。ちなみに全員処女である。Aに彼氏ができてからはよく彼氏の下半身の話をよくした。まあ、有り体にいうとち◯このことだ。
わたし「一人で致す時でさえ指二本も入らんのに、ちんこなんか入るのか?」
A「いやほんまにそれすぎる……しかもあいつ(彼氏)のブツはかなりでかいっぽいしどうしたらいい?」
普段からこんな会話ばかりなので、お菓子を作り終わる頃には「避妊に気をつけよう」という結論を出して解散となった。
そして、後日。
「快感が3、痛さが7。でも、まあ、なんとかなるもんだ」
という非常に力強いメッセージだった。
こいつに一生ついていこう…という頼もしさを抱きつつ祝福をした。
そのあと。
ふと、「自分はこうならないんだろうなあ」という漠然とした予感が頭をよぎった。
自分は愛されない。資格がそもそもない。ステージに上がれない。確信めいた予感である。
小学校の時からあるこの予感は、幽霊のように私に付きまとっている。
ここから急転直下に暗い話になる。下着売りのJKのエロい話を期待していたなら申し訳ない。
話は戻るがAとは高校からの付き合いである。しかし彼女は中学の頃から何度か彼氏がいたことがある「女の子」である。
私はというと、街中を歩けば容姿を見ず知らずの人に貶められる体験を何度もしたことがあるブスだ。ナンパをしようとしたやつが「よく見るとブスじゃねーか!」と叫ぶ、というものだ。ブスは「女の子」ではない。男女という枠から追放されたバケモノなのだ。私がそう実感するようになったのは小学校からである。
ブスと馬鹿にされ、毎年クラス替えの度に違う男子からいじめられていた。そうして自信を無くしたブスはカースト上位の女からもいじめられた。いじめの内容はテンプレすぎるのでつまらないと思う。まあ一つ例をあげるなら、プールの自由時間に複数人に足を掴まれ背中に乗られたりして軽く溺れたりした。ちなみにこれをやった女子で、今看護師を目指しているやつがいる。怖すぎる。
自己嫌悪の塊となり私はいつしか精神を病んだ。朝、身体が動かない。何もないのにいきなり涙がでる。人が集まる場所に行くと馬鹿にされている気がして体が動かなくなり涙が出る。声を出して泣くと姉にうるさいと言われるので夜は声を出さずに泣けるようになった。リストカットは親にバレるので足や腕を殴ったり、見えない部分を引っ掻いて血を出していた。相談したスクールカウンセラーは嘲笑し「かまってちゃん」といった。やはり手首を切らないと精神を病んでるとはいえないのでは?と思ったが心配した親に心療内科へ連れていかれた。親は泣いていた。
そして通院をし、カウンセリングを受け、薬を飲み、生活に支障をきたすほどの病状は高校に進学する頃にはほとんど治っていた。
だが根本的な問題が残ったままだった。圧倒的な自己肯定感の欠如だ。私には「根拠のない」自信がない。
私は顔はブスであるが、身体はエロい。スレンダーでもないがデブでもないし、なんといっても巨乳である。Fカップである。意味がわからない。発育の良かった私は小学校四年生からブラをしていたし、中学生ではDカップになっていた。私のようなタイプは基本的に男に軽んじて見られるのだ。
そういうことだ。
性被害には頻繁に合うのに、告白は一度しかされたことがない。しかしその告白の理由も後から聞けば「胸がでかいから」だった。死ね。
でも私は、異性からの「かわいい」がずっと欲しかった。女の子として見られたかった。「価値のある女の子」になりたかった。
そんな私が自分の裸をネットにアップし始めたのは高校の頃からだった。
リアルではないネットの世界でなら、たとえ性欲の先にある「かわいい」でも受け止めることができたのだ。何も目の前でブスだと罵られたり暴力を振るわれる訳ではない、安全な位置からの「かわいい」は単純に嬉しかった。私は自分の身体を自分で好きになることができなかったのだ。だから誰かにジャッジされないと価値がないと思い込んでいたのである。歪んでいるとは自覚していたが、「かわいい女の子」ではない私にはこの方法でしか価値は与えられなかった。
ある日、テレビでJKビジネスのうち「下着売りの少女達」といった特集をやっていた。
そんなものがあるとは知らなかった私は、早速検索して下着売買の掲示板を見つけた。
現役JKだと警察から「やめとけ」的なメールが送られてくるのを知った。
待ち合わせ場所近くのコンビニで脱いだ下着を男性に渡して5000円貰った。つけられていないかの確認の為ロフトのトイレで身を隠していた。個室でボーっとしながら男性のポケットから出されたクシャクシャのお札を見て「汚いお金」とは思わない自分に驚いた。これが自分につけられた価値かと冷静になったのである。
だが下着売りはそれ一回きりで辞めた。ちなみに私は小心者なので、これでもかというほど念には念を入れて個人の情報につながらないようなやりとりをしており、辞めた理由としてその労力と対価が見合っているとはとても思えなかったというのもある。もう一つの理由として、いい意味でも悪い意味でも、なんだか自分が自分ではないような感覚になったのは確かだったのだ。
帰りの電車でその男性からまたリピートしたいというメールが来ていたが、捨てアドを消して終わった。してはいけないことをしたという気が私にはなかった。これから男にブスと貶められても5000円で私のブラを買ってオナニーする男もいるのだな、と思うと笑ってしまう。なんだかいろんなものがバカらしくなった。
人は見た目が100パーセント。それは真実であり、ブスに人権はない。世間がどう取り繕っても現実は非情である。それでも自分の好きなように適当に生きようと思った。恋愛なんてできる気はしない。好きの気持ちの前に諦めがくるからだ。自分が嫌いな人間を好きになってくれる人なんてありえない。それに時々送られてくる異性のメッセージも、男友達がいない私からしてみれば「急に友達でもないのに連絡とったりなんかしてこいつも彼女(という名の穴)がほしいだけのやつか」という捻くれた物の見方しかできず相手する気すら起きない。相手にも失礼だし、この考えが間違っているのはなんとなくわかっている。若い頃の恋愛なんて、そんな真剣に考えずに「寂しい」という理由でフィーリングで付き合うのが正しいのだ。
幼いころから肯定されてきた人間、または周りの環境に恵まれてきた人間の、「根拠のない自信」からくる落ち着きや振る舞い、言動にはどうあがいても勝てない。
それでも一度精神を病んで薬を飲んでから、これでも大分マシになったのだ。時間はかかったが、昔より自分を客観視できるようになった。努力をして人並みに容姿や外ヅラを誤魔化すことができるようになった。メイクも洋服も好きなのを着れるようになった。スカートやスキニーを履けるようになった。友達も増えた。
けれども。それでも。
それを悲観しているくせに、自分から目を背けているところもあるのだから手に負えない。
多分これは私の中の私と向き合わなければ解決しない根深い意識だ。まだ血が流れてる傷を見なきゃいけないのかと思うとしんどい。それでも幸せな友達を見て、私は半ば諦めつつも幸せになる努力をしようと思った。
恋愛は諦めている。では自分で自分を幸せにするしかない。他人からの「かわいい」だとか他人からの承認に頼るんじゃなくて、自分自身が「かわいい」とか認めてあげることが1番大事なんだってことに漸く気付いた。自分を大事にすれば、いつか他人と向き合える日も来るかもしれない。
あのとき下着を売ったことを後悔したことはない。ブスという化け物が執着していた「かわいい」なんてクソほども価値もないことに気付くことができたからだ。愛されなくても自分が自分のことを愛していたらそれでいい。
メモに書きためていた、数年前のバレンタインに思ったいろんなことをまとめてたら夏になってた。
今読み返してみて思うところはたくさんあるが、あの時だからこそ感じた決意などがはっきり書けていた為このまま記事にしようと思う。JKビジネスなどを推進する記事ではないということを明記しておく。
えー本日、ガルパン最終章第2話を見たわけですが、なんていうか、これまでガルパンの魅力の一つであったスポ根的な爽やかさ、ジャイアントキリングによるカタルシスといったものが全く無くなってしまった。対戦校が王者である大洗にいかに立ち向かうかという構図になり、最終章以前以後で大洗の立ち位置が完全に入れ替わってしまっているのだ。
まず第2話はBC自由学園との戦いの途中から再開される。BC自由学園の攻撃をなんとか切り抜けた大洗女子学園は、身を潜めるBC自由学園に対して作戦を立てるのだが、それはなんとカモさんチームを犠牲にして同士討ちを誘うという非情な作戦。正直これはかなり引いた。高校生がやる作戦じゃないでしょ…もはや卑怯と言わざるを得ない作戦により、BC自由学園は統制を失い同士討ちの果てに隊長であるマリーが身を挺して争いを止める始末。しかもアニメ的演出とはいえ、アレは一歩間違えたらミンチでしょ…蛸壺屋作品だったら間違いなくマリーは惨死だったな…。閑話休題。ともあれ、体制を立て直したBC自由学園は一矢報いるべく立ち向かう。終盤で士気を上げるべく歌いだすBC自由学園の姿は悲壮感が高まり思わず涙が出そうになった。試合後はノーサイドということで敗者であるBC自由学園が勝者である大洗にスイーツを(なぜか)振る舞うが、あんな卑劣な作戦で負けた後で爽やかにノーサイドってわけにもいかんでしょ…。正直、あのシーンは薄ら寒さがあった。
続いて2回戦の相手は知波単学園。知波単学園は福田の参謀的活躍により目を見張る変化を見せる。前回王者の大洗女子学園に立ち向かう姿は「あれ、これってTV版の大洗vs黒森峰っぽさがあるぞ…」という感じ。知恵を振り絞って戦う知波単学園はまさに勇敢で、判官びいきに拍車がかかる。一方の大洗は泥濘地に知波単学園を誘い込んで上から一網打尽、一斉射撃で完膚なきまでに叩き潰すか、というところで知波単学園が勇気ある撤退を決断し、次回へ続く!というところで第2話が終わった。
うーん、なんだかなぁ。後味悪いんだよな…第2話。大洗が完全に悪役じゃねーか。西住殿はケイさんの名言「ザッツ戦車道!これは戦争じゃない。道を外れたら戦車が泣くでしょ?」を忘れてしまったんでしょうか。王者の意地としてなんとしてでも勝つ、たとえそれが卑怯卑劣であっても絶対に勝つという執念を見せている。まぁいいんだけどさ、ガルパンの魅力ってそこじゃないでしょ。あっと驚く奇襲作戦、息を止めて手に汗握る戦い、圧倒的不利からギリギリの勝利を掴むカタルシス。そういったところにガルパンのエンターテイメントがあったと思うんだよなぁ。各校がそれぞれに成長を見せている中で大洗が見せた「成長」が非情な作戦から対戦相手を徹底的に叩き潰すのだとしたら、あまりにも悲しい。
今後はどうなるんだろうか。いっそこのまま悪辣を貫いて対戦校を蹂躙して無限軌道杯で優勝、ももちゃん先輩は各校の屍を踏みにじってめでたく大学進学めでたしめでたしというほうが清々しいかもしれないな。
追記:
タイトルはややキャッチーなタイトルだが、これは茂木氏に悪意を込めて書いているわけではない。
ここ数年、茂木健一郎氏やネットで話題の天才少年に群がる大人たちに問題点があるので、このエントリーにまとめておこうと思う。
このエントリーを書くきっかけは、自称・少年革命家ゆたぼんを名乗る小学生Youtuber(以下、ゆたぼん)君が話題になったことだ。
彼の動画をいくつか見てみると、案の定、茂木健一郎氏が動画に登場していた。それを見ると、「あぁ〜またやったか・・・あのおっさん・・・」という言葉で表現するには難しい
虚無感に襲われた。なぜ、そう感じたかというと茂木健一郎氏が子供を持て囃すのは今回が初めてではないからだ。
最近では、昔に比べ大人しくなり、軌道修正に成功した感じのあるTehu君だが、彼も茂木健一郎氏の犠牲になった一人だ。
ただ、一時期の彼は彼自身も認めているように調子に乗っていたのも事実である。そして、その原因の全てではないが、茂木健一郎氏も
大きく関わっていると言えるだろう。茂木氏はTehu君を「天才少年」とラベルを貼りまくった。
そして、Tehu君と対談しては未来のスティーブ・ジョブズと言わんばかりに持ち上げた。結果、彼は自分を「天才」と本気で勘違いしてしまい、
不遜な態度をとるようになっていった。そうして、理想のTehu君と現実のTehu君のギャップはどんどん大きくなっていき、彼はネットのおもちゃに
なってしまい、イタイ発言をする意識高い系代表格になってしまった。
何度も書くが、もちろん、本人にも問題があるし、茂木氏だけのせいではない事に加えて、Tehu君を持て囃した人間は他にも数え切れないほどいるからだ。
茂木氏と距離を置くようになった現在は、昔のような不遜な態度や振る舞いは影を潜め、地道にがんばっているようだ。
同じく茂木氏に絶賛された元女子高生社長の椎木里佳についても書こうと思ったが、彼女はまだ、Tehu君のような軌道修正の兆しが見えないので、今回は書くのをやめておく。
ゆたぼんを見たときに、真っ先に思い出したのが中島芭旺君である。正直、未成年なので、名前を書くかどうか非常に迷ったが、親も含めて名前を公表しているため、
伏せ字にする意味がないと判断し、本名で書かせてもらうことにする。
この芭旺君は茂木健一郎が世に売り出したと言っても良いだろう。彼は数年前、天才哲学少年としてテレビなどに登場しており、紹介される際には、必ずといっていいほど、
「茂木健一郎さんが絶賛!」などのキャッチコピーがついていたと記憶している。
しかし、登場する番組を何本が見た記憶があるが、彼の言葉は前向きな言葉ではあるが抽象的でふんわりしたものばかりで、「今を大事にしろ!」とかそんなレベル。
加えて、彼が書いたとされる著書の語彙との差が、あまりにも激しい印象を受けた。9〜10歳にしては喋れてるような気はするけど、これは本当に本人の言葉なのか?という違和感がずっとつきまとっていた。
当時、彼を起用しているテレビ局もおそらく、その違和感を抱えながら、ゲストに迎えていたのではないかと推測するが、実際のところはわからない。
2019年現在、中島芭旺君を「天才!」だと称賛している人がどれほどいるか?言いにくい事だが、過去の人になった感は否めないだろう。
その大きなきっかけかどうかはわからないが、中島芭旺君がTVタックルに出演した際に、元政治家でタレントの杉村太蔵氏に論破されたことがあった。
彼はアドリブに滅法弱く、度々、言葉に詰まり、他のタレントがフォローしなくてはいけない状態になっていたのだ。
そんな中島芭旺君だが、Youtubeで世界こどもサミットでスピーチする姿を発見することができた。
この動画の感想は人それぞれ違うだろうが、自分は中島芭旺君がとても不憫で見ていられなかった。
彼の主張、彼の言葉、彼の仕草全てが虚像に見えてしまい、本当に彼はあの場でスピーチしたかったか疑問しか残らなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=rFslPQQOuBw
茂木氏が絶賛したかつての二人の少年は一人はネットのおもちゃとして苦しみ、もう一人は、貼り付けられた天才哲学少年というラベルに苦しめられているように見える。
茂木健一郎氏の一番の問題は、彼が子供が持つ無限の可能性を潰してしまっているということに彼自身が気づいていないことかもしれない。彼は普通のレールから外れてしまった子供を見つけては、
俺が育てたと言わんばかりに「天才」というラベルを無責任に貼っているのだ。そして、対談などを行い、意識高い系界隈がしっぽを振って喜びそうな会話をして話題を作りをして、ネットや雑誌の記事を書いてもらい悦に浸る。こんな事繰り返せば、誰だって自分が天才だって錯覚するだろう。実にタチが悪い。
しかし、現実問題、茂木氏が簡単に見つけられるほど、本当の天才というのはなかなか現れない。なんなら、生まれながらの天才なんていないかもしれない。
にも関わらず、茂木氏はゆたぼんのチャンネルに動画出演し、脳科学者茂木健一郎お墨付きを与えてしまったのだ。「頼むから、学習してくれ。茂木健一郎よ。」
子供に天才を背負わせるということがどれほど残酷で非情なことかなぜ理解できない?小学校の宿題ごときで反発したゆたぼんの未来に何が見える?
私とデレステの出会いは26時間も前の事です。つまり、1560分も前という昔の事です。
友人から「そろそろ楽になったらどうだ」と言われデレステを進められました。
友人曰く、
『いつまでも765ASを追っかけていてはいけない。765ASを追っかけていたいくせにミリシタもせず、「これがアイマスなんだ」とシャニマスをしている姿は見苦しい。
大丈夫、きっと好きな子が見つかる。お前が萩原雪歩が好きだろう?ほらみろ、これが三村かな子だ。声が大坪由佳というお前が艦これで聞き飽きた声だということを除けば完璧な少女だ。
おまえは過剰に巨乳化された雪歩の同人誌をあつめていたな?ほらみろ、これが十時愛梨だ。雪歩ほどの清情さはないがほぼ巨乳雪歩だ。
真くんがいない?大丈夫だよ、これが速水奏だ。見た目はイケメンだが、実際は乙女だ。真とは方向が違うがな。』
実際見た子はどれも可愛く、「参考に裸が見たい」という旨を伝えた所、何冊か貸してあげようと言われました。
その後、出社し、会社のパソコンをスマホテザリング回線につなぎ直しのchromeのウィンドウを極小にした状態でシャニマスのフェスを消費しながら考えていました。
デレステをやるべきかどうか。
友人は三村かな子Pなので、多分俺に総選挙とやらで三村かな子に票を入れさせようという算段なのはわかります。
何故気づいたかというと、ぶっちゃけ三村かな子は萩原雪歩と似ておらず、声が原因でお前は三村かな子を好きになれないといっていたが、その原因はもっと、こう、「これを言ったら友情が破壊されるな」って思い言葉を発せられない部分にあるのを隠した上でマーケティングしてきたのが怪しすぎます。
雪歩は、こう、間接的に言ってしまうことになって申し訳ないが、華奢な体に強い芯っていうのが良いのであって、やはり相容れないという事を理解した所存です。
散々悩みました。
特に十時愛梨ちゃんは見た目が非情に良く、性癖を異常に刺激してきたので、我慢できずにPixivで「R-18 十時愛梨」と検索し、「暑くないですかぁ~?」っていいながら騎乗位してる画像がクリティカルヒットしたため昨晩の行為をほぼ気絶同然の状態でおえました。
諸葛亮の強さの秘密は知謀よりも非情さにあると私は思う。凡人が道徳的にためらうような手段を平気でとり、良心の呵責を感じることはない。
別の人と間違えてない?
それでも、君主や武将、後の世の人々から絶大な支持を得ているのは、自分が属する集団の役に立っているからである。このことは古今東西の実力者にも当てはまる。
諸葛亮は道徳的な人格(フィクションによるねつ造や誇張含む)込みで親しまれてるのであって
そんなマキャベリスト的な人気じゃないぞ
やっぱりなんか別の人と間違ってるんじゃね?
諸葛亮は自分がどのような状況に置かれようと感情に流されれず、数手先を読み、敵対する相手に罠を仕掛ける。彼が感情的な態度を取るのは誰かを騙すときであり、全ては計略の一つである。
諸葛亮の強さの秘密は知謀よりも非情さにあると私は思う。凡人が道徳的にためらうような手段を平気でとり、良心の呵責を感じることはない。
それでも、君主や武将、後の世の人々から絶大な支持を得ているのは、自分が属する集団の役に立っているからである。このことは古今東西の実力者にも当てはまる。
何者であろうと全ての人を幸せにすることはできない。それならば敵対する相手を叩き、自分の周りにいる人を幸せにした方が良いのではないだろうか。
上司の無理なスケジュール進行のせいで連休が潰れるのではヒヤヒヤしたが、なんとか旅立つ前日に休日出勤は終わった。
初めて訪れる土地、初めて食う名物、初めて関わる人たち。そのすべてが温かく、荒んだ東京での暮らしから癒してくれた。
あれは旅行最終日、フェリー乗り場近くでのこと。雨模様がずっと続いていたが、最終日だけでも晴れてよかった。今しがた出た喫茶店でコーヒーを飲みすぎたせいか突如尿意に襲われた。近くに公衆トイレがあったので小便器に用を足していると、屁も一発こきたくなってきた。どれ景気づけに「ブッ」といくか、と思い力むと
「 」
音がしなかった。代わりに残ったのは、ぬるりと何かが這い出てきた感覚だけ。
しまった——いや、噓だろう?
何かの間違いではと祈りつつ個室に入り、パンツを下ろしたが、現実は非情だ。チューブからパレットに出した絵の具のよう形状で、ブツが俺の下着を染めあげていた。
咄嗟にジーンズも確認する。黒のスキニーにはうっすら丸く濡れた跡が見えた。顔に近づけて鼻を鳴らしてみる。
不幸中の幸いであるのはこれが一人旅であること。当然待たせる相手もいないし、替えの下着や服はすべてバックパックに詰め込まれている。
クソ漏らしの達人たる増田諸氏には「なんだ、その程度で」と鼻で笑われるかもしれない。だがそれでも、つい開放感あふれる青空とどこまでも続くような大海に囲まれて清々しい空気を吸っていた5分前までの俺が、ゴキブリが今にも壁を走ってきそうな狭く汚い便所で自分のクソの始末をしている。
浮かれた気分を一瞬で茶色に塗りつぶされてしまったのだ。その絶望は、脱糞ビギナーの俺には耐えきれない。
ケツだのパンツだのを拭いている最中、俺は5年前に別れた彼女のことを思い出していた。偶然にも、その日の朝に彼女の夢を見たのだ。
ホテルで目が覚めたときは「令和の初夢がこれだなんて、未練がましい」と自嘲気味に笑っていたのだが、そんなセンチメンタルに酔う俺はとっくにどこかへ行ってしまった。
昔の女を引きずるよりも情けない、うんこ漏らしマンがここにいる。
久しぶりの旅行だったものだから持ち物リストをネットで調べていたのだが、あるページに「ビニール袋は何枚あっても便利!」と書かれていた。なるほどここまで想定されていたのかと感心しながら、俺はズボンとパンツをドンキのレジ袋に詰め、固く口を縛った。
ひと仕事終えたので扉を開け外に出る。太陽が眩しい。忌々しい気分だ。
トイレからフェリー乗り場に歩いていると、道端の立て看板に「合図を出そう」という交通標語が書いてあった。これを先に見ておけば肛門もあんな事故は起こさなかったのかもしれない。
近くに置いてあった燃えるゴミ箱にうんこパンツとお気に入りだったジーンズ、すなわち旅の恥をかき捨てる。今思えばファスナーやボタンを分けて出さなければならなかったかもしれない。
とても申し訳ない。あのときの俺は、そこに気をやれないほどに傷ついていたんだ。
喫煙所があったからタバコをふかそうと100円ライターを取り出したが、オイルも切れかかっていたため全然火がつかない。やっとついたと思えば、潮風に吹き消され、その繰り返しだ。
カチカチカチカチ何度も音をたてていると、情けなさが苛立ちを経て怒りに変わってきた。
どうしてこんな目に遭わなきゃならないんだ。
俺がいったい何をしたんだ。
もうこの土地に来ることはよそう。
きっと俺はここに来るたび「俺はここでうんこを漏らしたんだ」と悲哀に暮れる羽目になる。
あんなに楽しかったのに、たった一度の過ちのせいで辛い思い出しか残らない。
こっちも観光客なのに道を聞いてきて互いにカタコト英語で交流を試みながら一緒に地図を回し見たアジア人家族も、
オススメの地元グルメを聞いたら俺そっちのけで論争を始めた居酒屋の店主と常連のおっさんも、
予約の日付を間違えてホテルが取れず夜を明かしたバーでの酒の味も、
カチカチカチカチ。
「ありますよ」
60から70くらいの人の良さそうな爺さんが、俺を見かねたのかにこやかに話しかけてきた。
「風、強いですからねぇ」
「ええ、本当に」
会話はそれだけで、あとはふたりとも無言でタバコを吸っていた。人の優しさに触れて少しだけ落ち着くと、自分の思い違いに気付かされた。
被害者は脱糞した自分ではなく、勝手に脱糞されてその汚物を公共のゴミ箱に捨てられたこの土地ではないか。
——俺、ここでさっき、うんこを漏らしたんです。
結局言い出せないまま、彼はタバコを消して、近くで遊んでいた孫らしき子どもと手を繋いで行ってしまった。
言わなくてよかった。あの人の一日まで汚してしまうところだった。自分は余計なことまで口走ってしまいがちだ。
そういえば、彼女ともそれが原因だった。平成も終わったのだ、もう少し上手に生きよう。上の口だろうと下の口だろうと、滑らせて取り返しのつかない過ちを犯すのは、もうゴメンだ。
また来よう。
今度も、ビニール袋だけは忘れない。
彼は無能だ。周りの彼に対する人物評という相対的な評価、生み出した数字という絶対的な評価、どちらの評価軸で考えても無能言って差し支えないだろう。
おまけに外見もあまりいい方とはいい難い。清潔感を損なっているわけではないが、なんとなく自分が異性だったら避けて通るような雰囲気だと思う(もっと具体的に説明できるが、この場にはふさわしくないだろう)。
で、ホントによくイジられている。職場の会話は多い方だと思うが、仕事の話を除いた彼の会話は、ほぼ彼をイジる話題が発端だ。
彼はというと、時に場の空気を読んでたどたどしくも三枚目に徹し、時に聞こえなかったフリのような生返事を返し、時に無視していた。
彼が居ないとき、盛り上がる話題があった。彼がいかにダメかという話題である。
「○○君、成長どころか退化しているくさくな~い?」
「○○、そんなことも知らないの? 子供じゃないんだからさ……」
「書類を読んで一発でわかるって、○○には別の才能があるんじゃないか?」
そして締めの言葉が、
「まぁ、○○だからな……」
僕はいつも、この会話へ普通に参加しつつ、でもなにかモヤモヤしたものを感じる。
できるだけポジティブに考えるなら、「まぁ、○○だからな……」で終わらせず、会社として、無能を有能へ教育するために「じゃあどうするか」と続けるべきではないのか。
そんな事を考えて、僕は頭を振る。
「思いついたプランを何個か列挙して、良かったものを試してみよう。もちろん仕掛けるのは君だ」
そんなことを言われたならたまったものではない。
いや、本当にたまったものではないのは、一番地位の低い人間を失うことだ。そして、順位が変動した結果、自分がその地位へ落ちてしまうことだ。
分かっている、周りの非情な連中と僕、根本で考えていることは同じだって。
でも反面、周りの「私は○○よりは優れた人間だ」とふんぞり返っている人間より僕は優れている、という自負もある。
無能を積極的に攻撃する人間より、僕のほうが断然マシな人間である。
そんな自負によって、結局僕も彼をダシに心の安定をはかる。
なんて醜いのだろう。
僕が欲しいのは弱者からの信頼よりも会社や業界からの信頼だってはっきりしているが、彼がイジりに対して言葉に詰まっているとき、彼だけミスを許されず当然のように残業しているとき、彼に話しかけられた時だけ変わる態度を見たとき、もし僕が彼だったら、と考えると泣いてしまいたくなるような罪悪感を感じる。
彼は何事についても、努めて考えないようにしているふうに見える。多分、考えすぎると鬱になってしまうのが分かっているのだろう。だから、僕が代わりに彼について考える。まるでダメな人間から這い上がっていく漫画の主人公みたいに。どうすれば彼をバカにしている彼女を黙らせられるか。どうすれば彼を荷物と考える上司に計算間違えを認めさせられるか。
でも、いくら考えても現実的なビジョンは描けない。彼は単純に、全く成長しない無能だった。
「思いついたプランを何個か列挙して、良かったものを試してみよう。でも、彼はきっとどのプランも半笑いでごまかして、手を付けないだろうね……」
有能に見える有能にお願いがある。あなたの支配しているコミュニティのパワーバランスを揃える努力をして欲しい。力に差があるのはお互いに辛い。
有能に見える無能にお願いがある。無能を使って自分の相対評価を上げないで欲しい。その場では笑っていても、誰かはきっとあなたから離れる事を考えている。
無能に見える有能にお願いがある。謙虚に振舞うのは美徳だし、静かに暮らしたいのも理解ができる。ただ、あなたが有能を示すだけで救われる存在がきっといる。
無能に見える無能にお願いがある。自分の力で、周りとの力量差を埋めて欲しい。できないならば、自分に合った環境へ静かに去って欲しい。
なーに変なことを考えてるんだろう。それで片付けられない日々が、また来週から始まる。
anond:20180903115144 の続き。
NHKで全マクロス大投票(https://www.nhk.or.jp/anime/macross/)が開始されましたね。えっご存知ない?そんなあなたはこんな文章を読む暇があるなら今すぐ回れ右して魂の一票を投じましょう。ちなみに増田は複数票なら初代とプラスも入れるのにと作品はフロンティア、キャラクターは真っ先にシェリルに投票してその後に悩み抜いた末、もっとも印象的だった人たちであるカムジン(文化の負の側面を体現してみせた)と熱気バサラ(歌の力のみで世界を救った)に投票しました。
以下ネタバレ全開の感想。なお、三角関係の項が相当気持ち悪いので注意。
追記。視聴環境はバンダイチャンネル「劇場版マクロスF 〜イツワリノウタヒメ〜(HDクオリティ)」(https://www.b-ch.com/titles/3414/)の7日間視聴コース。540円なり。
冒頭の新曲ライブでいきなり劇場版クオリティを見せつけられたのだが、正直前半はTV版からの流用が多かったので、間違い探しをしている気分だった。しかしそのせいで新規カットは圧倒的にシェリル関連であることに気がついてしまった。後半に入ったら新しい映像がほとんどになったのだが、TV版と展開の違いは無かった。一番大きなTV版の違いはアルトに託したシェリルのイヤリングが無くならなかったことかな。イヤリングはシェリルの手元に一つアルトの手元に一つ……つまり……。
個人的には人間関係を積み上げる日常パートも好きなのだが、劇場版でやっている暇ないよな。ちなみに一番好きなシーンは、自由落下中にシェリルの髪が風圧で直毛になるところと、オズマがガウォーク変形で地上回避をやってみせるところと、事故でアルトにのしかかられたシェリルが焦って思いっきりグーパンチをアルトに叩き込むところ。
VF-25は相変わらず超かっこいい。そしてTV版の感想で不満点として挙げた待望の地上戦が最高の演出で追加された!フロンティアの街という市街地を舞台に重力異常というフレーバーを加えたことで、ビルの合間を漂う瓦礫を回避しながらバジュラを撃墜するというものすごく映える状況が生まれた。高速で移動をするバルキリーが浮遊する瓦礫をマニューバやガウォーク変形で回避しながらピンポイントで射撃を行い再びファイターで加速する。すなわちバルキリーの様式美。そしてその高速機動を行うバルキリーに追従するカメラワーク。最高アンド堪能である。
前回のマクロスプラスの感想で、現代の戦闘機マニューバはプラスやゼロで濃密に描かれているので、それらを超えるドッグファイトを描くのは難しいのではないかと書いてしまったが、完全に誤りだった。疑ったことを深く反省する。シチュエーションさえ違えば十分に新鮮なドッグファイトを作れるのだ!それから戦闘中に操縦桿やペダル操作をしている部分を描写するのはリアルさを感じてグッド。
まず最初にこれだけは書いておく。 (祝)シェリルさまがメインヒロイン! いやもうデート・日常パートの新規カット追加や、劇場版でのランカとシェリルのポジション変更(ランカは初対面から後輩に、シェリルはトップアイドルから怪しいトップアイドルへ)、失われなかったイヤリングにより名実ともにメインヒロインと言って良いだろう。特にシェリルがデートパートを新規に書き起こされたのに対して、ランカは歌の道へ歩む大事なきっかけであるアルトの紙飛行機が幻視に変更された。TV版と同じくランカがフォルマで what 'bout my star を歌い出すきっかけとなるのはアルトの紙飛行機なのだが、劇場版ではアルトは紙飛行機を飛ばしていない。だからランカの見た紙飛行機は空へと溶け込み、(今後を暗示して悲しいが)幻想だったことが分かるのだ。
TV版では、シェリルとランカの歌うことに対する気持ちというのは、シェリルはただ一つだけの自己表現手段であり、ランカはみんなに歌を届けたいと思っていたけど実はアルトに聞いてほしいというものだった。TV版でランカが三角関係の一角を占めていたのは、この気持ちが育つ段階があったからに思う。だからランカが以前からアルトに淡い気持ちを抱いていたという劇場版の変更は、ランカのフラグにしか見えなかったよ。劇場版の関係性の中でアルトとランカを引っ付けようとするなら、シェリルを強制退場するしかないよなーなんて思っていたら……サヨナラノツバサへ続く。
新曲を含め劇場版でも好きな曲はいっぱいある。OPから鮮烈なビートを叩きつけてくる「what 'bout my star」、を耐えたと思ったらいきなりの新曲アンドグリグリ動く劇場版クオリティの3Dモデルに言葉も出なかった「ユニバーサル・バニー」、悲しすぎるニンジン再びの「スターライト納豆」とランカの変形(とキメ顔)含めてメロディアスな名曲である「ダイナム超合金」、雪降るシティに寄り添うような歌声の「そうだよ。」などなど語りたいことは大量にある(そうだよ。の歌詞、サヨナラの伏線だったのかな)。
しかしながら劇場版で増田が一番好きな曲は「pink monsoon」。この曲はアルトとシェリルのデートで流れるメロウな曲調かつ大人っぽい歌詞の曲なのだが、個人的にこの曲以上にフロンティアの街角に流れるのにふさわしい曲は無いと思っている(次点でwhat 'bout my star)。シェリル・ノームがトップアイドルでアルトやランカが学校やバイトに毎日過ごしている、そんな平和な街の日常にテレビやラジオからこの曲が流れている。そんな感覚を呼び起こすような曲だ。pink monsoonを聞いていたら、マクロスフロンティアという作品が好きな理由には魅力的なキャラクターや歌があるけれど、坂と路面電車、街中のSFガジェット、中華飯店娘々やゼントラモール、そんな近未来感とノスタルジーに溢れたフロンティアの街そのものがすごく好きなんだなって思った。魅力的なフロンティアがあるからこそキャラクターたちも生きてくるのだな、と。
ところで「pink monsoon」の歌詞があまりにも曲調にマッチしているから、作詞家のGabriela Robinって誰なのか気になって調べたら、菅野よう子さんの変名だと知った。菅野さん、作曲センスだけでも才気爆発しているのに加えてアレンジまで手がける超人だと思っていたら、さらに歌詞まで書けるのか。もしかして菅野よう子さんって天才では?
それから音楽演出で感心したことがあったのでメモ。後半の「ライオン」の時に気がついたのだが、歌ありの曲は全て劇中に音源があり、しかも音源の状態が音に反映されている。例えば「ライオン」であれば、ランカがセリフを喋るのはシェリルが歌っている間で、シェリルが喋るのはその逆。そして二人が喋るときは間奏など歌詞が無い時。また、サヨナラノツバサになるけど、ビルの壁スクリーンから「ダイアモンドクレバス」が流れる時はスピーカーの品質が良くないので音が割れる(ひび割れた歌がギャラクシーの非情な作戦を象徴するという演出効果)。気にする人はそれほど多くないかもしれないが、このような劇中歌の整合性に対する細かい演出は非常に好感が持てる。歌が作品の柱というだけのこだわりであると思う。というか自前の歌でストーリーを回せてしまうのって冷静に考えたらすごいな。
サヨナラノツバサまで入らなかったので次:anond:20190315022241