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はてなキーワード: 知的水準とは

2021-07-15

anond:20210714190525

真面目に勉強して基本情報落ちるレベル知的水準だとするとその道は無理なので他に行った方がいいだろうな。パン屋とか。いやパン屋なら誰でもできると言ってるわけじゃなくてその方面の才能があるならって意味だけど。

2021-06-09

ここにもまた

読解力のなさを曝け出して恥じないのが一人。

はてなもいつからこんなに知的水準が下がったのだろう。

id:HanPanna

妻で勝ち負け決めようとしたのだから、オッカムさんが通訳者を夫のトロフィー扱いしたのは間違いないよね。(通訳者の夫が妻をトロフィーにしてるわけではなく、あくまでオッカムさん側の話な)

https://b.hatena.ne.jp/entry/4703812367223530658/comment/HanPanna

2021-05-08

anond:20210508232549

quoraがいい感じに知的水準がはてぶに近くて、かつ時事ネタから外れてるから暇つぶしに見るのにいいぞ。

2021-03-17

anond:20210317092200

知的水準」で公的サポートが受けられるかどうかが決まる、とか。

言葉概念意味を間違えてるか、社会不適合者かのどちらかですね。

知的水準が察せられるな

自称KKOはいよいよとなったら公的サポートが受けられる知的水準にあると思ってるけど

ぶっちゃけ増田ブクマカTwitterで見るアレな腐女子は無理なんじゃ?って思ってる

からこそのちんぽ戦士であり理解ある彼くんだと思ってる本気で

2021-02-04

anond:20210204044019

はてブ知的水準レベルにまで落とした投稿をしないとダメだよ。

今のはてブは、「僕個人」を「ボッコ人」と書き間違えた誤記キャッキャウフフしてるレベルで、

そこにツッコむブコメスターを集めている。

思考のズレというより、思考レベルを下げることを考えないとスターをもらえない。

2021-01-05

anond:20210105121922

増田とその友達だと知的水準が違いすぎるから、絶好したほうがいいぞ。

2020-12-28

anond:20201226231316

こんだけコロナ世界中すっちゃかめっちゃかになってんのに

畜産耐性菌とか出たらとか一切考えないんだよな自称リアリストさんってのはw

 

なんにせよ基本リアリストってのは目先の快楽自分以外のことを考えない単細胞なわけで

こういう連中にいくら環境保護とか人権だとか唱えても無意味

一切無視して直接政治家と関われるよう、革新派知的水準をコツコツ上げていくしかない

天才承認欲求犯罪傾向とパズル就活面接について

なにが天才なのか、という厳密な定義はともかく置いておく

とりあえず、この人はすごく頭がいい、は天才ということでいいとしよう

天才的で、承認欲求が強すぎて犯罪まで走ってしまったのではないだろうか、と自分が思う人は色々いるような気もするが、

日本比較最近の例としては酒鬼薔薇聖斗事件があると思う

それから宮崎勤である

宮崎勤宅八郎マスメディア扇動ロリコンだのアニメオタクだののイメージ視聴者に植え付けることに成功してしまっている気がするが、

宮崎勤パズル雑誌を愛読しており、独自パズルを考え掲載されもしている

宮崎勤パズル能力に関しては優れていたと思う

しかしたらgiftedと呼ぶに相応しい能力があったかもしれないが、幼女連続殺人を犯したというのは揺るがない事実であろう

酒鬼薔薇少年Aに関しては宮崎勤パズル雑誌のような話は自分は聞いたことがないが、

まず、彼は弁護士資格を取得していたと思う

なんとなくではあるが、彼は弁護士資格ぐらいなら余裕で取得できるだろうと思う

少年A人間的にどうかは分からないが、知的水準が高いだろうなと思ったのは、あの赤い字で書かれた犯行声明である

schoolのスペルを間違えたりはしているものの、知的人間だというのは十分感じられる

本人は別人を装うための偽装工作だと供述しているが、自分には納得できない

絶歌」を読んだわけではないが、報道されていた内容から考えるに、

少年が開設したHPタイトル存在の耐えられない透明さ」を納得させるようなものに思えた

死体に対する性的興奮、ナルシストなぐらいの筋トレ好き、ナメクジへの異常な執着などがあったようにうろ覚えだが記憶している

自分が思うに、少年A犯行動機性的興奮のためでもあったと思われるが、

そのHPタイトル存在の耐えられない透明さ」というのはかなり的を射ている気がしたのを覚えている

まり承認欲求である

しかし、それが普通の人の承認欲求レベルではなく、自分存在がいつも揺らいでいる、自分存在するかどうかさえいつも不安であるとしたらどうだろうか

ラヴクラフトの「アウトサイダー」のように、他者自分認識されて初めて人は存在するのであり、そして自分怪物であったことも明らかになるのである

少年A偽装工作と述べているが、いちいち鼻を突く挑戦的な文言偽装工作にそぐわない

もちろん、天然でこれが偽装工作だと思っているのかもしれない

しかし、あの赤字犯行声明偽装工作の裏から犯人少年A承認欲求が滲み出すぎてしまっている

宮崎勤将棋も得意だったようだしパズル能力も高かったと思われる

高校卒業後の1981年4月東京工芸大学短期大学部画像技術科に進学する。このころはパズルに夢中になり、自作パズルを専門誌に投稿したり、雑誌パズル回答者として雑誌名前掲載されることもあった。

宅八郎マスコミの作り上げたロリコンだのアニオタだのウルトラマンの切断技が影響しただのは疑わしい

部屋に収集したビデオは視聴目的というより収集目的であったようである

まり、膨大な積ん読である

このころアニメ同人誌を発行するが、態度や言動から仲間に嫌われ、1回だけの発行で終わっている。その後は数多くのビデオサークルに加入し、全国各地の会員が録画したテレビアニメ特撮番組ビデオを複製し交換・収集するようになるが、持つだけで満足してしまい、テープほとんどは自ら鑑賞することはなかった。ビデオサークルでは、ほかの会員に無理な録画やダビング注文をするため、ここでも仲間から嫌われていた。逮捕後の家宅捜索では6,000本近くのビデオテープを所有していたことが判明する。

無理なダビングを注文する、というのは極度の完璧主義者であったのだろう

天才かどうかはともかく、狭い領域に極端に執着するタイプであったのは事実だと思う

そして、宮崎勤犯行声明も、これもまた挑戦的な文面だったように記憶している

凡人の自分からすると、挑戦的な犯行声明など逆効果なようにさえ思う

雄弁は銀、沈黙は金ではないが、なぜ少年A宮崎勤犯行声明ではここまで挑戦的な文面になってしまうのか

コンプレックスの裏返しと述べるのは簡単だが、ここにも承認欲求の拗れみたいなのを感じるのは私だけだろうか

天才的な能力を持っていたかもしれないのでありながら、ここまで非人道的犯罪にまで走ってしまうと、その能力を役立てることも不可能になってしま

ただ、少年A少年院に入っても更生が難しく、出所後も出版物週刊誌の内容から更生できているとは思い難いところがある

座間事件もそうだったが、凡人の自分にはまったく理解できない話である

ではあるが、怪物のように思われるシリアルキラー人間であることに変わりはないわけで、

根本的なルールが異常であったとしても、その異常なルール根底に考えれば、なんとなくこんな気持ちだったのではないか、と思うところはある

少年Aにしても宮崎勤にしても、正解は自分けが知っていて、当ててみ?という優越感はたまらなかっただろうと思う

他人を試す優越感というのはどこにでも存在する

例えば、就職活動面接である

面接する側、雇う側だけが正解を知っている、就活面接はまったく情報が非対称なゲームである

面接官側というのは問題を出す側、パズルを出す側である

パズルを解くというのは、その挑戦に抗い、打ち勝つことで逆転する喜びなのかもしれない

2020-12-19

知的水準劣化すれば社会は分断されないか無問題漫画のような話だが本当の話である

最近は、textを扱うどこのサーヴィスでも「お金があればこれができた」と「お金があればここに行けた」のオンパレードである日本も本格的にこの文句が踊るようになってきた。大学入試に関する限り、あと30年ほどはこの文句はどうやっても消えることはないだろう。

明治維新によって、日本にもヴァイオリンピアノ演奏会が始まりつつあった時も、聴衆のほとんどはこのように感じていたのだといわれている。しかし、当時の日本人は、西洋との格差を感じつつも、西洋文化をかつての中国のように否定はしなかった。明治を抜けて、大正昭和時代になってさえも、首都圏に限ってはゴドフスキープロコフィエフ来日した。アンリ・ジル=マルシェックスも来日し、ストラヴィンスキー日本初演して帰っていったことは梶井基次郎の「器楽幻覚」でわかる。海外との絶望的な生活水準格差を感じつつも、「格差を感じるのでこの作曲家は嫌だ」ということを日本人は言わなかった。追いつけ追い越せなので文句は言えなかった。「名人芸披露したところでは客が拍手をした」としっかり、プロコフィエフ日記に書いており、日記に何でも付けた彼のことだからまるっきり嘘ではないだろう。

令和はどうだろう。

田舎地方ですらもピアノ電子オルガンによる教育が浸透し、ポップカルチャーの中のピアノニコ動ですらもキーワードになり、挙句の果てにはどこの大学にもピアノクラブがある。ジナステラピアノソナタ第1番は東大生によって日本初演され、リゲティ練習曲集第2巻は元京大生の手によって日本初演された。昭和田舎サルゴリラ動物園で騒いでいた時よりも、平成から令和期にかけての状況は良いではないかという主張をする者さえいる。しかし、今の東京藝大ですらもレベッカサンダースやオクサナ・オメルチュクを招聘できるほどの体力はコロナ禍で残されていないだろう。

アカデミアの中核が、「格差を感じるのでこの作曲家は嫌だ」と言い出しているのである

はっきりと、「お金があればこれができた」と「お金があればここに行けた」が飛び交うのは名古屋だといわれている。何の同人イベントを行っても成功しない名古屋名古屋人は受験勉強には強くても、ほかがさっぱり、というのが平成常識であったが、令和になったら変わるのだろうか?愛知平成期にオーケストラを4つも持っていたが、戸島美喜夫にオーケストラ曲を委嘱することはほとんどなかった。単に、個人怨嗟で終息するのなら問題がないのだが、同調圧力とでもいうのだろうか、市民のまとまった声になるのだといわれている。

かつてストラヴィンスキーメシアンブーレーズCIA支援していた(グリフィスのModern Music And Afterを参照のこと)昭和期の日本では、海外からようこそいらっしゃいましたという敬意で満たされていた、と、されていた。事実は実は違っていた。招聘して喜んでいたのは首都圏身の回りだけで、田舎地方はそのような情報すら一切入手できなかった。田舎では、ピアノを床に置くスペースで演奏会を行う風習すらない。つまりベートーヴェンの「熱情」すら生で聞く演奏会がない。地方ではラヴェルスペイン詩曲すら聞けない。これが1980年代日本であった。

2020年代日本は、主に田舎地方居住者によって、格差証言されることが増えた。まだまだクラシック音楽現代音楽を専攻する人間に向かって「金の無駄遣いだ」と言葉暴力を用いる偏見は残っているが、奨学金で600万円も借金する学習障碍者が増えたおかげで、音楽アカデミアに集う人間への攻撃は減った。もう、音楽アカデミアで勉強する人間よりも、ほかの人間のほうが金を使うことは珍しくなくなった。中学勉強で躓くと、地方ならあっという間に私大文系コースだろう。そちらのほうの教育が高額になってしまうのである

こうして、底辺教育費で底上げされ、アカデミアへの偏見は全体としてへっているというのに、アカデミア自らが「格差を感じる」ので大物の招聘が少なくなっているのである。かつてはジャンカルロ・カルディーニだろうが、ヘルベルト・ヘンクだろうが、ティニー・ヴィルツだろうが昭和日本では交流会と称して招聘ができたのである。ところが、1990年代からなぜか変わってきた。「インフルエンザ休みます」というファックスを送付したのはハンス=ユルゲン・フォン・ボーゼであった。各種イベントに「非来日」という書き添えが加えられることが多くなったのである日本経済難を指摘する音楽評論家は多いが、ただ単に個人招聘することくらい地方自治体でもできる。地方自治体が、「もう知的進化することを放棄」したのが目立って増えたのが1990年代であった。

知的格差自己責任になってしまったのである1980年代昭和時代まではこうではなかった。知的格差を埋める人材山本直純芥川也寸志のようにいた。田舎地方教育は相変わらず公立に丸投げで、大卒組と非大卒組でしっかりと会話が分かれていた。「お金があればこれができた」という声があっても一瞬で黙殺できた。女性はまだ一方的男性に殴られ、中傷されていた。殴られた現場を見ているので間違いがないのである東京黙殺すれば、それが常識にすらなったといえば言いすぎであろうか?

東京地盤沈下は進んでいた。杉浦の解析入門を一行も理解できない東大生が増えたのは1990年代であったと聞いている。このことは、当時東から遠く離れた私の耳にまで風のうわさで入ってきたので、結構有名なことだったのだろうか。1990年代東京はもうどうしてよいか、さっぱりわからなかったのではないか知的格差を埋めるために行った政策も、ほとんど功を奏さなかった。作曲コンクールもかつては30分も自由に書けて3管編成で30段以上で攻めることができたのに、少しづ演奏時間オーケストラの規模の縮小が始まっていた。「お金がないので、この編成で我慢しといてね」とアカデミア自らが言う羽目にまでなった。

そのうち、NHK電子音楽スタジオというものがなくなった。ドイツアカデミー・シュロースソリチュードマスタークラスがつぶれた。今、知的格差を埋める国家プロジェクトといえばIrcamのCursus1か2ではないだろうか。「あとは自分でやっといてください」と教育者が放言するのである。これも、誰かが言った現場を目撃した。ネット時代なら、この男は失職したのかもしれない。

私はそのような教育者の怠慢があっても、なんともなく一冊づつフルスコア図書館文字通り「積んで」勉強したのでノーダメージなのだが、私のような人間がほかにいるのだろうか?他の人間憎悪と怒りで満たされ、やる気をなくすのではないか教育者が、これに気が付いたのはここ数年であろう。性差という観点から考慮すると、女性への人権向上が始まったと同時に、日本国内ではアカデミアの怠慢が始まっている。これは女性の手によってアカデミアのレヴェルが下げられたのではない。なんと、女性気持ち悪がられるのを男性が恐れ、知の最先端放棄しているのが東京なのである

最先端ピアニスト作曲家って誰なんだろう。そういう会話はもう日本では行うことは不可能である。できるのはドイツオランダくらいかアカデミアの中核にいる男性を、赤の他人女性が難なく受け入れるということはきわめて難しい。首都圏人同士だと、女性から難なく受け入れたケースがあるのは知っているが、これが首都圏地方人だとそうではないことがほとんどのはずである首都圏の人にとって、首都圏以外の人間アカデミアに乗り込んでくるのは、本音では嫌だろう。それと同じことが男女関係にも及ぶ。アカデミアに触れた男性赤の他人女性が受け入れるということなどあるのだろうか、という問題は、今後切実になってくると思われる。これは男女を逆にしても成立する。田舎地方では「アカデミアに触れた男性は、一般女性と会話が合わないので気持ち悪い」「アカデミアに触れた女性は、一般男性と会話が合わないので気持ち悪い」というのが真相ではないのか?

そんなことはないという日本人は多いだろう。しかし、少子化と出生数が裏付けている。後進諸国ではアカデミアと大衆が切り離されているので、日本韓国のようなタイプの急激な人口減などという問題には遭遇していない。しかし、日本を含む多くのヨーロッパの国々は「お金があればこれができた」と「お金があればここに行けた」が盛大に飛び交って少子化しているのであるフォーミュラ1アレクサンダー・アルボンは、莫大な資金援助で一年半だけレッドブルに乗ることができた。リオ・ハリヤントですらマノー半年乗れた。「お金があるのでこいつはドライブできる」という声はタイ人インドネシア人からは聞かれない。タイは確かに少子化したが、まだまだアカデミアと大衆は交わらない。交わらない国家から刺激的な作曲家が次々と出てくるのは、性の限界を示している。交わった国家けが衰退しているのである

2020-12-10

anond:20201209202741

多様性尊重するのが大事とか言いながらそんな多様性の無いところに子供を行かせることが理解できない、という話なのでしょうか。

一応その前提で私の考えを書いていこうと思います

まず多様性尊重できる人に育つかどうかと、多様性のある環境いるかどうかはあまり関係が無いと思います

例えばマルチカルチュラリズム標榜するオーストラリアがちっとも異文化尊重できない白人を量産しているのは白豪主義という思想が根強いことだし、アメリカでも未だに黒人差別が根強いのは、かつての奴隷開放運動が尾を引いているからだと聞いたことがあります日本在日問題なんかもそうですよね。

多様性尊重できるかどうかは、究極的には個人資質思想信条もあるため、本質的には簡単問題ではないし、全く無意識のうちに多様性尊重を欠いた言動や行動をしてしまうこともあるでしょう。

以前Googleプログラマが「女性プログラミングという仕事は向いていない」ということを言って解雇されたことがありました。知的水準が高いことが期待されるGoogleプログラマですら、こういうことをしてしまうわけです。なので、水に放り込めばそれなりに泳げるだろうと言わんばかりに多様性に飛んだ環境に放り込んでみても、うまく行くかはその子資質次第ということになり、どちらかというとハイリスクローリターンな掛けになる可能性が高いでしょう。

もしも本当に多様性尊重する子供になって欲しいなら「 多様性尊重するとはどういうことか」を学ばなくてはなりません。そしてこれは歴史の中で人類試行錯誤してきたことなので、学校で学べることでしょう。

こういった前提になるものなしに多様性尊重しろと言っても、よくわからないのではないでしょうか?

セクシャルマイノリティ人権問題に敏感でありながら、教室内で行われるいじめ差別無頓着な人を見たことがあると思います

アメリカ黒人問題悲劇しか産まないと拳を握りながら一方で在日排除などと大騒ぎする人もいるでしょう。

自分たち差別されている被害者だと言いながら、同じ口で他者差別している人もいるでしょう。

こういう人々もまた多様性尊重することは大事だ、と思っているでしょうが、一方で「この問題とあの問題は別」という考えも持っているからこのような矛盾したことをやってしまう。

多様性尊重する、という上で特に大事なのは一貫性です。そしてこの世界では今も一貫性を追求しています

ですが、一貫した多様性尊重をする事は人類普遍的実践できるほど出来上がっていません。ですが、今できる範囲で最大限に多様性尊重できるようになるべきです。

多様性尊重できるようになるには、まず、世界の現状を理解できる程度の知性が必要です。次に、短絡的に判断しない慎重さも必要です。最後に変化していくことに躊躇しない精神性が必要です。これらの3つは、上質な勉強を基盤にした経験の中で身についていくものです。

これまでの人々がやってきた試行錯誤勉強によって理解した上で、自分は次に何をするかを考えて実践する、人々と情報交換しながら自分を微調整していき、より良い多様性尊重を目指していく、ということですね。

そういうふうに考えるならば、いきなり実践するよりも、まず学ばせてから、というアプローチも間違いではないと思います

2020-12-09

日本現代音楽も、様変わりしてきた。

2020年日本日本音楽大学教員勢も国際コンクール組が主流となり、学生たちの人権は大いに向上したと思われる。しかし、目に見えないところで、少しづ知的水準劣化は進んでいる。

まだNHK-AM第1でアルフレド・デ・アンジェリスのタンゴ放送されていた当時、日本は極貧国家だった。小平邦彦さんは「日本大学生の質が劣化した」と喝破していた。けれども、彼の世代大学に行けるのが7%で、喝破当時14%なのだから当たり前である小平さんはそんな統計データにも気が付かなかったのだが、自分が正しく自分以外はすべて間違いだと錯覚している日本人は珍しくない。今でも日本田舎地方は、自分が正しい人たちでいっぱいだ。

その極貧国家高卒で国際コンクールグランプリの取得に成功した人物が、武満徹さんであった。彼がグランプリを取得したことで、現代音楽学歴関係ないと錯覚する人物が多く出たのだが、そのおかげで注目してくれるスポンサーが大量に見つかったのだから結果的には好都合であった。ミルトン・バビットさんはピッチクラスセット理論を開発していたが、そんなことに気が付く日本人は今とは比べ物にならないほど少なく、日本人の娯楽は酒と風俗パチンコたばこしかなかった。「低学歴何が悪い!」が、通ったのであるピッチクラスセット理論といっても、ここにいる増田の何人に通じるだろうか?

そんな日本新幹線授業や新数学のおかげで教育熱が盛り上がり、教育ママゴンなる単語が出現した日本ではピアノブームが起きたが、相変わらず日本勢は国際コンクールで敗北の日々であった。園田高弘さんは1980年ルービンシュタイン国際ピアノコンクール審査員席で、怒られたらしい。日本勢は何をやっているのかと。もう少しましに弾けと。それはそのはずで、ピアノやらせている親はお金のある中卒か高卒なので、教養の質はいきなり向上できないのである。金は持っていても、無教養だよねえ日本人ってという言葉が40年前のヨーロッパではよく飛んだ。

その当時の日本ではピアノブームはあっても作曲ブームなんてものは全く存在しなかったので、作曲専攻は大いに肩身が狭かったと思われる。当時作曲科の受験和声法、対位法フーガソナタを18歳で全部完クリしなければならず、そのためのレッスン費用バカ高くなる。この間世間を騒がせた道央増田には想像もできない世界であるが、それでも片道5時間でレッスンを受けた人物大勢いたのである。片道5時間程の悲劇ではない普通の家から作曲家としてダッラピッコラ国際作曲賞に輝いたのが西村朗さんであり、片道5時間レッスンを拒否して自称独学の作曲家になったのが、ルトスワフスキ国際作曲賞の江村哲二さんである。独学といっても、彼は各種国際マスタークラスに参加しているので、厳密には違う。

ルトスワフスキ国際作曲賞の江村さんの受賞作とダッラピッコラ国際作曲賞の西村さんの受賞作を、お聴きの増田はいるだろうか?おそらくいないはずだ。日本知的水準劣化はもうこの時に始まっていた。劣化が始まると、始めた人物が急に偉そうな態度をとるようになり、それが多数決になった瞬間に文化崩壊する。

現代音楽の様変わりが始まったのは日本に関する限り1990年代で間違いがないが、二極化が進行していた。東京藝術大学を出ても調性音楽しか書けない連中から高校大学飛ばしヨーロッパ在住10年組になってまで国際コンクールタイトル奪取を心掛ける者とに、分化が始まっていた。なぜこのような分化が始まったのかはわかっていないが、1980年代のフリードリヒ・ホンメルさん時代ダルムシュタット講習会がもうジェイムズ・ディロンさんやクリス・デンクさんやリチャード・バーレットさんやカイヤサーリアホさんやアレッサンドロ・メルキオーレさんを擁するレヴェルであったため、日本人の知的水準では理解できないところにまで遠くなってしまったのが大きかったのではないだろうか。

長髪のディロンおじさんがクラーニヒシュタイナー音楽賞を獲った曲ってなんだったっけ?Parjanya-Vataだよね。これを弾けるアジア人チェリスト2020年現在、まだ存在していない。もう40年前のチェロ独奏曲だが、もう日本人では弾けないだろう。40年前の音楽すら消化できないのが、日本チェロ業界である

2000年代に入ると、日本現代音楽報道ほとんどしなくなり、藤倉大さんや望月京さんのようなヨーロッパ在住10年組の応援だけはNHKTBSでやる、いびつ国家になった。武満徹さんがもしも生きていたら、このような偏向報道に異を唱えたであろうが、もう遅かった。日本はいくら知的水準劣化しようが、自分の頭だけが大事で、他はもうどうでもよいのだ。私は「それは仕方がない」という立場に立つことはできない。日本人が今のロシア人のように、すべての領域で国際コンクールを制覇する程の教育底力があるのであれば私は折れるが、今の日本人はガチ勝負して来いといわれると一発で刎ねられるのだ。

そのガチ勝負典型例が今年のブゾーニ国際の予備審査ロシアのNew Classics国際の譜面審査ではないだろうか。私の想定の範囲内だったが、日本人は全員落ちた。これに危機感を持てないようでは、どこの分野でも日本人は早晩通用しなくなるだろう。そして、2030年代は、落ちる人も通る人も、すべてが中国勢にとってかわるのである

落ちてもいいという増田もいるだろう。しかし、落ちてもいいが多数派になったとき日本知的水準1960年代に逆戻りし、だれが何をやってもうまくいかないという未来が待っているはずである。まだ日本ヨーロッパ在住10年組でかろうじて最先端についていけているが、10年後はこれができなくなるはずである。今の日本大学生はMusik-Konzepteも読まないし、Perspectives of New Musicも読めない。鬼滅の刃は読めるらしいが、いったん劣化した知性は、元に戻ることがないのである道央増田のような人材放置し続けた結果が、日本の今の現代音楽である東京が腐ると地方も腐り、田舎も腐る。

2020-12-05

anond:20201205180848

アメリカの少数の非定形発達者に合わせた専用プログラムって、ギフテッドプログラムのこと?

ギフテッド」という名前の通り、飛びぬけて優秀かつ変わり者の「浮きこぼれの子供たち」への特別教育だった気がするけど。

発達障害はあるけど知的障害はない、どころか知的水準は非常に高くて、

研究者や高度頭脳労働者としてハイレベルな成果を出すことが期待できる子供と、その家族でないとグリーンカードもらえないと思うよ。

2020-11-10

anond:20201110125853

今はエッセンシャルワークに求められる知的水準もそれなりに高いから、それが最低限できるライン足切りしたとしても弱者男性は切られると思う

2020-11-07

知的水準上位10%の人間だけに参政権がある世界

楽しそうなんだよな

センター試験みたいに、全国民が定期的に学力テストみたいなやつを受けさせられてさ(どこから財源と人間を出すんやという話はここでは無視!)

興味ない/バカ自覚あるやつはその試験ごとボイコット…すると、上位10%ってところがちょっと揺らぐけどまあいいか

上位10.01パーセントくらいのとこ止まりだった人の悲哀とか、全国一位の人の投票先への関心とか、いろいろドラマが生まれそうな感じはある

2020-10-07

anond:20201007113759

悪意はなかったとしても

知性もないので

増田なんかで無駄時間を使わず

まともな知的水準になる程度までは勉強したほうがいいと思う

2020-09-24

ウェブはバカと暇人のもの進化論 中川さんのセミリタイアに捧ぐ

ウェブ編集者中川淳一郎さんが、ついにセミリタイアするという。著書「ウェブバカ暇人のもの」(光文社新書から11年あまり。たまに「ウェブバカ暇人だけのものではない」なんて言い張るジャーナリストを見かけるけど、現実ネットはより一層バカ暇人のものになっている。

ウェブバカ暇人のもの」は、終わりのない進化過程にあるのだ。そこで、肝心の本は倉庫に預けて手もとにないままではあるのだが、記憶をたどりながら(詳細は追って訂正したり肉付けしたりすることを前提に)ざっと書いてみる。いろいろ突っ込んで事実誤認補正してほしい。

STEP.1 軍用インターネットを商用に開放させたバカ暇人

実はウェブ、あるいはインターネットが「バカ暇人のもの」であったのは、中川さんが指摘するよりずっと以前の、それこそネット誕生のころから性質だった。もちろん、バカ暇人性質はずいぶんと異なる。

そもそもインターネットは、ロシアから攻撃に備えた分散情報ネットワークとして、アメリカ軍用に開発されたものであった。それが、冷戦終結とともに商用活用検討され、90年代の終わりに民間に開放された。

そのころには、インターネットが将来どのような姿になるか、影も形もなかったのだが、その得体のしれないもの情熱を注ぎ、いまから考えれば信じられないほどレベルの低い機材を使いながら、インフラを整えていった人がいた。

学歴は高いが身なりの汚い若者が、寝る間も惜しんで延々と何やらやっていたのである。傍からは、何をやっているのかまったく分からない、バカなことをしている暇人に思えたのではないだろうか。

STEP.2 インターネットを遊び場にした最初バカ暇人

商用プロバイダインターネットサービスが始まったとき最初に飛びついたのはインテリだった。教養とは、何もないところでの楽しみ方を自ら思いつけることなである教養のないやつは、出来合いのエンタメしか楽しめない。

インターネット最初に遊び場にした人たちは、学歴は高かったかもしれないが、好奇心と遊び心のある「バカ暇人」だった。

さらにその中から登場したのが梅田望夫さんの「ウェブ進化論」(ちくま新書)だった。要するに「インターネット世界を変える」という主張で、そこに新しい創造性の夢を抱いた人たちが増えていった。

STEP.3 オルタナティブ空間ウンコの投げ合いをしたバカ暇人

しばらくたつと、現実世界でイケてない非モテたちが、インターネットを新しい居場所として見出した。ネット匿名で楽しむオルタナティブ現実となった。

参加者好奇心が強く、知的水準も低くなかったが、STEP.2のインテリのように自分で居場所を作ったというよりかは、作られた居場所の中で傍若無人な振る舞いをしたバカ暇人といっていいだろう。

典型的ウェブは、2ちゃんねるだ。そこは素姓を隠しながら、ウンコの投げ合いのできるバトルロイヤルリングだった。

その後、現在に至るまで、匿名での発信に対する批判が跡を絶たないが、ネット非モテたちの限られた居場所であり、いまもそうであるという歴史を忘れるべきではないだろう。

STEP.4 現実流入私たちはすべてバカ暇人

STEP.3と並行して、一般の人たちがネット流入してきた。「逝ってよし」だの「半年ROMれ」だの「ggrks」だのという言葉は、何も知らずに2ちゃんねるに入り込んでフルボッコにされた素人たちの存在証明するものだ。

中川さんの「ウェブバカ暇人のもの」は、こういう現実対応したもので、3年前に出版された梅田さんの「ウェブ進化論」が仮想敵となった。

中川さんは少年のころにアメリカで過ごし、人間という存在いかバカでありうるかということを目の当たりにした。

そして広告代理店で働いたり、ネットウンコの投げ合いを見たりして、匿名ネット空間で露わになる人間バカさ加減に呆れたのだと思う。

言い換えると、ここからネットだのウェブだのは関係なく、リアル世界のある要素がネットによって視覚化されたという段階になる。ウェブ以前に、人間バカ暇人なのであって、ウェブはそれを可視化したに過ぎない。

現実人間は、梅田さんがいうような利口で立派な人ではなく、いかにそう見えたとしても、一皮むけばエロ美人芸能人に目がなく、匿名ネットメディアでそういうコンテンツウケるのは当たり前――。そういう身も蓋もない現実あらためて提示したわけである

STEP.5 「インフルエンサー」というウンコとそこに集るハエ

ここまでは、ネットリアル侵食してきたときに、匿名という要素が、もともとあった人間の愚かな面を可視化したという段階に過ぎなかった。

次に現れたのが、ウェブあるいはネットが、人間バカ暇人を加速する段階である

中川さんの本に「インフルエンサー」という言葉が出てきたかどうか忘れたけど(ブロガーという言葉は出てきたような気がする)、インフルエンサーがなぜ成り立つかというと、そこに集る「バカ暇人」たるザコあるいはハエ存在するからである

インフルエンサーは、自分に魅力があるから人が集まり、影響力を行使していると勘違いしているが、あれば「バカ暇人」がたかっているだけなのである

からインフルエンサーマーケティング」とか言ってるけど、そこで捕まえることができるのはウンコに集るハエのみであって、ハエ顧客にするビジネスしか成り立たない。

試しに見てみればいいが、インフルエンサー投稿に「なるほどです」「そうですね」「さすが」などと応じている“囲い”たちは、すべからくバカだ。そういうハエどもに集られて喜んでいるインフルエンサーは、ウンコにすぎない。

STEP.6 エンタメとしての正義と反権力

もうひとつネットが加速したのは、エンタメとしての反権力である

権力は、もともと一大娯楽、エンタメではあった。朝日新聞市場にしていたのも、反権力を生きがいとする人たちであって、新聞の内容も取材によって「問題の真のありか」を突き止めるジャーナリズムとは無縁のものだ。

権力エンタメ市場は、ツイッターなどのSNSと非常に親和性が高い。中川さんはその点について「非常に意見が鋭いもの」「モラルを問うもの」という言い回しをしていたけど、ダイレクトに「正義」や「義憤」がエンタメになるとは指摘していなかった。

60~70年安保のころからそうだけど、反権力とか義憤エンタメにするのは、バカ暇人だった。普通の人はそんなヒマもなく働いてるし、正義だけで世の中わたっていけるわけがないことを知っている。

まあ、主義とか理念とかを持ち出して、現実問題化しなければ生きがいを感じられないというのも、ある種「バカ暇人」な人間の側面なのかもしれない。

ということで、他にもあるかもしれないが、きょうはこんなところにしておこう。

言いたいことは「ウェブバカ暇人のもの」(タイトル天才編集者・柿内芳文との共同制作なのだろうけど)には、中川さん以前~中川さん以後の歴史があり、これから進化を続けていくのだということだ。

2020-09-16

anond:20200915164306

こーゆ記事が上がってるの見ると増田知的水準の高さをうかがえる。

2020-08-24

コロナ騒動を見ていると、日本人知的水準はどうしてこんなにも低いんかなと思う。

2020-07-16

「舞台クラスター」はなぜ起きるのか〜意識の低さとわたしたちができること〜 - STELLA

知的水準の分断がすごいんだろうが、しか日本人の平均はこんなウェーイよりなんだよな。アベも苦労するわなw

posmoda 教育水準が低い層は比較的多めに産むので人類全体の知的水準やばいことになるんじゃないかと思っている。

その結果が現在なのでは…? あ、だから解決策を見出せなかったってことか。スターもたくさんついてるしな

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