はてなキーワード: 銀河鉄道とは
また死ねなかった。
人生で初めてバイトを無断欠勤をした。いや、一応電話はしたのだ。二回。
「体調が悪くて。申し訳ないんですが今日は休ませてもらっても良いでしょうか」
「すみません、代わりがいなくて」
「そうですか……」
そうですか……。
私は多分真面目な方だ。バイトを始めて4年、無断で遅刻も欠勤もしたことがない。今日私が行かなければ外国人のバイトのワンオペになることはわかっていた。
だからなんだと思った。
スマホの電源を切った。なんだか自棄になった。シフト予定だった22時を超えたら川へ行こうと思った。
家を出るとき、二日シャワーを浴びていないことに気づいた。化粧もしっぱなしだった。パンツにも血が付着していた。4日洗っていないジャージしか着れるものがなかった。
だからなんだ。
うるせ〜!!知らね〜!!
今を越えれば何も関係ないと思った。死ぬにしても死なないにしても、今日で何かが変わると思った。
自転車に乗って走る。道行く人の喋り声が不快。じろじろ見られてる気がして気持ち悪い。
川に着く。良い場所を見つけるためにサイクリングロードを走った。
夢のような気分だった。空の黒が海のように深くて、飛び散るホワイトが生き物みたいに輝いた。電車が上に向かうのを見た。
ああ、よかった。きっとここは夢の世界だ。
きっとずっとこの川をゆけば、銀河鉄道に乗れる。
ふわふわした気分で走った。いくつか橋を越えた。川の近くまで下りられる場所を見つける。ここにしようと思った。
自転車を置く。
暗くて周りがよく見えず、最近の雨のせいで地面はどろどろしているし、背の高い草が邪魔で、川までの距離もよくわからなかった。
やけに川に至るまでが遠く感じた。
改めて今日の格好を考えて、このまま発見されるのは少し恥ずかしいかもなと思った。
川と見つめ合う。
その揺れる面に私がどれほど惹かれたか。その流れを、その深さを、何度夢に見たか。
近づいたそれは、けれどもリアルで、暗くて、汚かった。
あと一歩で死ねるところまで行った。
いろんなことを考えた。
取り憑かれたみたいに泣き喚いた夜。
死なないでと言われたこと。
可哀想な目。
息ができず苦しかった。
今まで見たこと。
怖かった。
助けて欲しかった。
無理だと悟った。
生から脱せたらどれほど楽でしょう。
涙が出た。死ねないなと思った。
帰り、自転車を乗ったおじさんに
「ちょっとごめんな」
と言われて、入ってたカプセルが割られたみたいに急に肉体に現実感が戻ってきた。気持ち悪い。行きはあんなに夢心地だったのに、帰り道は最悪だった。
結局一歩が踏み出せない。これで何度目だろう。惨めだ。こうしてずっと死ねずに止まれないまま明日がやってくる。
空を見上げると星が馬鹿みたいに綺麗でムカついた。空気読めや。
写真を撮った。また見返すだろう。生の連続性を思った。無意識にこれからがあると考える。自分のそういう甘さにまた絶望する。
家の近くの富士そばに「カツ丼カレー」のポスターが貼られていた。
「カツって美味しいじゃん」
「うん」
「カレーも美味しいじゃん」
「うん」
「美味しいと美味しいで最強だよね」
「俺も全く同じこと考えてた」
何も変わらなかったね。そうやってお前はダラダラと生を引き延ばしていくんだね。
明けない夜がないことは、あなたにとって良いことですか?
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 79 | 8058 | 102.0 | 40 |
01 | 85 | 10419 | 122.6 | 45 |
02 | 37 | 4185 | 113.1 | 47 |
03 | 43 | 3865 | 89.9 | 64 |
04 | 39 | 9776 | 250.7 | 88 |
05 | 41 | 5134 | 125.2 | 40 |
06 | 40 | 3695 | 92.4 | 44 |
07 | 40 | 3573 | 89.3 | 56.5 |
08 | 75 | 6120 | 81.6 | 29 |
09 | 49 | 5963 | 121.7 | 92 |
10 | 50 | 4207 | 84.1 | 33.5 |
11 | 49 | 5768 | 117.7 | 33 |
12 | 86 | 6247 | 72.6 | 30.5 |
13 | 64 | 6438 | 100.6 | 58 |
14 | 54 | 2726 | 50.5 | 31.5 |
15 | 109 | 6826 | 62.6 | 31 |
16 | 151 | 8944 | 59.2 | 29 |
17 | 91 | 4588 | 50.4 | 28 |
18 | 173 | 8111 | 46.9 | 29 |
19 | 78 | 4451 | 57.1 | 38 |
20 | 59 | 4175 | 70.8 | 38 |
21 | 110 | 11805 | 107.3 | 28 |
22 | 79 | 6129 | 77.6 | 35 |
23 | 81 | 5211 | 64.3 | 36 |
1日 | 1762 | 146414 | 83.1 | 36 |
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アニメなんてなくても生きていける。
そう論じるのは簡単なことだ。
だが
人間はそもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。
それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。
アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ、音楽、アイドル、スポーツ観戦、特撮、映画、小説…
多くの人間は一見非生産なものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。
まずこういったものに批判をすること自体禁酒法時代のアメリカや天保の改革の風俗取締令のようなナンセンスさがある。
すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学の純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。
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/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。
そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。
このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。
アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。
にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。
なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。
夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
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「京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人の女性が戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実。劇場版も企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。
また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。
日本のオタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者が経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。
京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定の収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。
エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。
終わりなき学園祭としてひとつの象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、
うる星やつらが漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性の人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、
近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパンが基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかもうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当な時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。
しかもアニメファンは常にコンテンツの新陳代謝にさらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社だからといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。
1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。
そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。
そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社の非情なる現実。
そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品を供給できる会社を存続させてきた、業界の良心の要石のような会社が京アニであって、それはこういう批判の俎上に上げるべき存在ではそもそもない。
事件前からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨な事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。
このケースは犯人の特性も含めて極めて異常であり、安易な因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。
この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達の大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。
まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造なものも見受けられる中、ひとつひとつの作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。
あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化の嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーはアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。
最後に
人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長と京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである。
そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。
最近、週刊少年ジャンプで連載している「アクタージュ」にはまっている。
登場人物たちを掘り下げ、苦悩を描き、そこからの前進を一つ一つ綴る。
作者、編集者、そして関わっている方々に敬意を表しつつ、引き続きエールを送りたい。
例えば「アクタージュの銀河鉄道は宮沢賢治の原著を理解していない」といったコメントも見かける。
私にはこれが良くわからない。
この物語において、銀河鉄道は物語のテーマを構築するピースの一つでしかない。
だからこそ、物語中でジョバンニとカンパネルラの背景も位置づけも再定義されている。
それは宮沢賢治の銀河鉄道とは少し違うのかもしれない。脚本とは元々そういうもののはずだ。テーマに合わせ、物語の表現も重心も変わる。
萩尾望都と光瀬龍の組み合わせものとかどうでしょ?百億千億とか。
竹宮恵子も多いよね。「地球へ・・」のラストシーンも数百年後かなぁ
少年キングの2大SFの1つ、「超人ロック」もかるーく1000年超えてたな。
もう一つの「銀河鉄道999」もラストに出てくるメーテルが運んだネジ(になった少年)の数かぞえれば1000年クラスかも。
佐藤史生の「夢見る惑星」もラストで・・・ネタバレになるけど10億年超えかな。
以前、少年ジャンプでやってた「暗黒神話」(諸星大次郎)は56億7千万年(w。
今のジャンプで連載している Dr. Stone も2000年後の世界が今とつながっているというストーリーでいいです。
Dr. Stone を書いてる Boichi の日本でのデビュー作 HOTEL も10億年くらいだっけ。
スピリット・サークルは、作者の宗教観の結果ではあるけど、これも壮大なストーリーでおすすめ。骨太です。
ヤングキングつながりなら、六道神士の作品も結構スケールがでかい。エクセル・サーガとかデスレスとか。
あ、「みかルンX」もキリスト生誕からやってるから2000年超えですね。これは小松左京オマージュで多分「果しなき流れの果に」の影響受けてる。
同じキリストネタならば、佐伯かよのの「Quo Vadis」も2000年ものか。ただ面白さで言うなら微妙。同じタイトルのシェンキェヴィチの方を読んだ方が良い。小説だけど。
吸血鬼とかの不死者モノは、「周りが天寿を全うする中、死ねない自分に苦悩」ネタで結構あるはず。
でも、本当に楽しみたいならマンガじゃなくて小説の方がいいと思うよ。
とりあえず誰か一人挙げろ、といったら、萩尾望都がマンガ化やってた光瀬龍とかかなぁ。「喪われた都市の記録」とかは電子書籍無理だろwww
小学生の頃、SFが大好きだった。スタートレックやサンダーバード、スターウォーズ、ギャラクティカはいうまでもなく、
スパイ大作戦、猿の惑星、ミクロの決死圏、アトランティスから来た男、600万ドルの男、バイオニックジェミー、
キャプテンフューチャー、未来少年コナン、銀河鉄道999、宇宙戦艦ヤマト。ちょっと後になってスペースコブラ
テレビを見たいために(ビデオがなかったので)他の生活の時間をやりくりして放映時間に合わせて、忘我の境地で見た。
筒井康隆、小松左京、星進一、アイザック・アシモフ、ロバート・ハインライン、P.K.ディック、アーサー・C・クラークとか
手当たり次第に読んでいた。萩尾望都なんかも。まだ広告が少なくて薄かった工学社のI/Oや同人誌の匂いの残るASCIIとか
隅々まで繰り返し読んだ。Z80の機械語ダンプを手打ちした。(あれは辛かったが16進数に耐性がついたのは後々役に立った。)
いま30歳代より若い後輩たちはコナン、999、ヤマト以外ほとんど何もしらない。
仕事で忙しかったというのもあるが、自分もこの20年位そんな本にもテレビ番組にも出会っていないような気がする。
本の実物も引っ越しなどでほとんど処分してしまったので自分がSF好きであるということを知っているのは自分だけで、
万が一本棚を覗いた誰かに気づいてもらえることもない。
少し寂しい。
90分で4000円すっただけだった。
前から、カネは出すから一回やってみない?って言ってくる友人がいた。
今日は他にもうひとりいて、そいつにもカネ出すからやってみようよという話になってなし崩し的にお試しパチンコすることになった。
交換率がいい?店と、遊べる店があって、後者にすることになった。
前者だと人が多いからという理由。
店内に入ると思ったより換気されてたことに驚いた。
1円パチンコ。
マクロスフロンティアのを選んだ。当選確率1/150くらいだった。
上のボーナスって書いてあるところらへん狙えって言われたからとりあえずそこらへん狙った。
回転?したりしてたけどよくわからず打ち続けてたら、4発回転分たまったら(戦闘機マークが4つたまってたら)打たなくていいって言われてだいぶ損したかもと思った。
でかい当たりは結局こなかった。
でも1000円でだいぶ時間がもった。30分くらい?
今考えればそれでもマシだったと思える神経ってどうかしてるわ。
銀河鉄道999。
演出もろくに見る間もなく。
マクロスって演出見るだけでもそこそこ楽しめてたなーとここで思った。
エヴァ。
TVシリーズの演出しかないと思ったら破の演出もあったからサプライズって感じだった。
でもこれも、単純に当たらなかったせいだとは思うけど、マクロスほど演出も派手じゃなくて地味だった。
銀河鉄道999ほどじゃないけどマクロス・フロンティアほどはもたずに終わった。
このあたりでタバコの煙で喉が痛くなってきた。
少しでも長くやっときたいと思ったし。
やっぱり演出も派手でそこそこ時間は稼げるなーとおもった。
当たりはしなかったけど。
アルトが手紙持って、「ん?」っていうのを何度みたかわからないくらい見た気がする。
お色気演出目当てで。
光がぴかぴかする演出とか、あれ催眠術的な効果もあるんじゃないの?
みんなぼーっと見てるし、パチ中毒の人って催眠術的なものにかけられてるといえなくもないのかもとか思った。
回転してあとひとつで揃うかもってとこで揃わないと、「スロットと違って自分で止められるわけでもないし、これで運と言っちゃうと厳しいなー。完全に搾取されてるじゃん。。。」って思った。
とりあえず、やったあとに何も残らないって意味では、不毛さとしてはピカイチって感じ。
当たればどうこうとかじゃなくて、本当に無心でやるものというかなんというか。
たとえば「児童文学は児童を喜ばせる方向に動いていて大人を蔑ろにしているから不当だ」や「日本の漫画は日本人を喜ばせる方向に動いていてアフリカ諸国民を蔑ろにしているから不当だ」といった主張は常識的には認められないでしょうな。
そら認められないでしょうな。なぜなら児童文学は大人をないがしろにしていないし、日本の事を描いた漫画は海外の人間をないがしろにしていないからだ。
ごんぎつね然り銀河鉄道しかりクレヨン王国に至るまで、大体の児童文学において大人はないがしろにされてなどいない。登場人物としてもそうだし、読み手としてもある程度は想定されている。
子どもに与える本を選ぶために大人が目を通すなんて当たり前だもの。そこで大人目線から「不当故に不快」と判断されたら買ってもらえない。
ドラえもんのアニメに某国人が「日本の事ばかり描いていて某国の事を考えていない」ってクレーム付けたというデマのようだがマジらしいニュースがかなり前に話題になったが、それは一般的に言って日本において展開される物語を描いているだけでその某国を不当に貶めないがしろにしているとは考えられないのでいちゃもん扱いされていた。
「ある作品が特定の読者を対象としている」と「ある作品が(抗議が認められるほど)対象読者以外の人間を蔑ろにしている」がイコールだというのは自明ではな
い、まさにそういうわけでお前が出した例は全て不適当なんだ。
反論する側のくせに俺の論理を補強してどうすんだよ間抜けw
これが例えば魔法の出てくる話だったら、素手の手のひらに火の玉乗せて平気とか既存の物理法則まる無視だろう火傷しないとかオカシイ、「現実をないがしろにしている」という批判は成立する。
その批判は正しい。そして、「その通り現実をないがしろにしているが、そうしてでも描きたい物語、表現したいものがあるのだ」という動機が、「これはファンタジーなので、そういう世界なので」というエクスキューズを「ファンタジー」なる物語ジャンル立ち上げと共に用意させる。
それでも批判を免れたことにはならない。「ファンタジーは非現実的」という指摘を跳ね返すことはできない。
そして、特に性的な欲望の物語に顕著なのだが、ある種の物語はそういった「非現実的」という指摘に対するエクスキューズの他に、もうひとつ言い訳を必要とする。その「表現したいもの」の自己中心性、自分の欲望を満たし肯定するために全てが動いている世界を描くことにガンガンツッコミが入ってくるからだ。
性的欲望の物語であっても葛藤や決裂を含むものはそれほどこの手の突っ込みはきつくない。