はてなキーワード: オープンとは
「自分は、はっきりしないけれど不倫されているであろうという立場になったら間違いなく不快なのでそう言っている。」
そうは思わない人がたくさんいるからオープンマリッジなんていう単語が生まれている
以上
というのはさー、歳を取ると皆家族という共同体の中に閉じていくから、単純につまらないんだよね
おもしろい異性がいても、旦那がいるからこの距離までみたいな付き合い方しかできないし、それもつまらない
それと、ぶっちゃけあんなどうしようもない男と付き合ってるからこの俺とセックスできないし会話もできない人生とか、あの女悲惨だなと思う事が多い
俺が刮目するような男が相手なら全然納得するんだけど、あんなののオナホとして生きて人生潰してるの脳が腐ってるのか?と思ったりするし
4月に書くの忘れてた
ファンド名 | (1)残高評価額 | (2)累計受取分配金額 | (3)累計売付金額 | (4)累計買付金額 | トータルリターン(1)+(2)+(3)-(4) |
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SBI・V・S&P500インデックス・ファンド(愛称:SBI・V・S&P500) | 662,222 円 | 0 円 | 0 円 | 500,000 円 | 162,222 円 |
iシェアーズ 米国株式(S&P500)インデックス・ファンド | 299,859 円 | 0 円 | 0 円 | 200,000 円 | 99,859 円 |
フィデリティ・USハイ・イールド・ファンド(資産成長型)D(為替ヘッジなし) | 153,762 円 | 0 円 | 0 円 | 100,000 円 | 53,762 円 |
インデックスファンドTSP | 149,548 円 | 3,653 円 | 0 円 | 103,653 円 | 49,548 円 |
世界経済インデックスファンド(株式シフト型) | 146,238 円 | 0 円 | 0 円 | 100,000 円 | 46,238 円 |
eMAXIS TOPIXインデックス | 145,997 円 | 0 円 | 0 円 | 100,000 円 | 45,997 円 |
<購入・換金手数料なし>ニッセイ外国株式インデックスファンド | 142,935 円 | 0 円 | 0 円 | 100,000 円 | 42,935 円 |
<購入・換金手数料なし>ニッセイ日経平均インデックスファンド | 141,991 円 | 0 円 | 0 円 | 100,000 円 | 41,991 円 |
SMT 日経225インデックス・オープン | 140,729 円 | 0 円 | 0 円 | 100,000 円 | 40,729 円 |
iFree 全世界株式ESGリーダーズ・インデックス | 139,901 円 | 0 円 | 0 円 | 100,000 円 | 39,901 円 |
iシェアーズ ゴールドインデックス・ファンド(為替ヘッジなし) | 132,311 円 | 0 円 | 0 円 | 100,000 円 | 32,311 円 |
<購入・換金手数料なし>ニッセイ・インデックスバランスファンド(4資産均等型) | 126,238 円 | 0 円 | 0 円 | 100,000 円 | 26,238 円 |
トルコ・ボンド・オープン(年1回決算型) | 0 円 | 0 円 | 75,952 円 | 100,000 円 | - 24,048 円 |
合計 | 2,381,731 円 | 3,653 円 | 75,952 円 | 1,803,653 円 | 657,683 円 |
(先に私が伝えたいことを言っておくと「バカシリーズ面白いよ!みんな投稿しようぜ!」の一言に尽きます
彼は自身のYouTubeチャンネルで「空昼ブランコ」というラジオ形式の配信を定期的に行っています
その配信では定番のコーナーがいくつかあります そのうちのひとつが「バカシリーズ」です
「バカ水族館」 「バカトラベル」 「バカ予感」 「バカ偶然」などバカ◯◯というシンプルなタイトルのコーナーです
私は声を大にして言いたい このバカシリーズはジョー・力一の発明であり大喜利におけるエポックメイキングではないかと
実質大喜利とはいえリスナー全員が大喜利に造詣が深かったり経験があったりするわけじゃないし
おたより採用者の中にも大喜利未経験の人がたくさん居ることでしょう
にも関わらずこのバカシリーズは毎回数千通の回答が寄せられ毎回大いに盛り上がります
それはひとえにバカシリーズが非常にハードルの低いお題だからなのです
営業時間 立地 建物の構造 入館料 飼育されてる動物 動物のショー 飼育員 お土産コーナー etc...
どれをバカとして回答してもいいのです(馬鹿にする という意味ではありません)
お題が分解できるということは自分なりにお題を再構築することも可能ということで
「こんな水族館は嫌だ」 「オープンから1ヶ月で潰れた水族館、何があった?」 「アホ山館長が経営する水族館にありがちなこと」
「水族館のペンギンがストライキ!なぜ?」 「オープン以来十年間一度も売れていない水族館のお土産」 「この先順路を右に曲がると◯◯です」
といったようにより具体的なワードにフォーカスしてみることもできます
そうやってお題を分解→再構築したものに回答したものが元に戻って「バカ水族館」というお題に沿っていればいい訳です
参加ハードルの低さと自由度の高さはまさにエポックメイキングと言えるのではないでしょうか(お察しの通り私はエポックメイキングと言いたいだけです)
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
今回分析したチャットログでは、非常に幅広いテーマが議論されていることが特徴です。
テクノロジー: AI、家電、ソフトウェア、スマートフォンなど、テクノロジーに関する話題は頻繁に登場し、最新技術への関心の高さが伺えます。
経済: 株価、物価、給与、仕事など、経済に関する話題も多く、特に物価上昇や経済状況への不安が共通の関心事として浮上しています。
食: ラーメン、料理、食材など、食に関する話題は多岐にわたり、特に地域ごとの食文化や健康への関心が高いことがわかります。
社会: 教育、政治、社会問題など、社会に関する話題も取り上げられており、社会に対する関心の高さがうかがえます。
エンタメ: 音楽、映画、ゲームなど、エンタメに関する話題も豊富で、特に音楽フェスやアニメなど、若者層に人気のコンテンツに関する議論が活発です。
これらのテーマは、単に情報交換にとどまらず、個人の意見や経験に基づいた深い議論に発展しているケースが多く見られます。
参加者は、テクノロジーに詳しく、最新の情報を積極的に収集している層が多いと考えられます。また、食やエンタメなど、生活に密着した話題にも関心を示しており、多様な興味関心を持っていることがわかります。
チャットログには、時事問題に関する話題が数多く含まれています。特に、新型コロナウイルス感染症、物価上昇、気候変動など、社会全体が直面している課題に対する関心が強いことがわかります。
チャットは、単なる情報交換の場にとどまらず、コミュニティとしての機能も果たしています。参加者同士が互いの意見を交換し、共感し合うことで、孤独感を解消したり、新しい知識や価値観を得たりしていると考えられます。
感情分析: チャットログから感情を抽出することで、参加者の感情的な反応や話題に対する態度をより深く理解することができます。
コミュニティ構造の分析: 参加者間の関係性やコミュニティ内の階層構造を分析することで、コミュニティのダイナミクスをより深く理解することができます。
トピックモデリング: チャットログ全体から主要なトピックを抽出し、話題の変遷や関連性を可視化することができます。
自然言語処理: 自然言語処理技術を用いて、チャットログからより詳細な情報を抽出することができます。例えば、特定のキーワードを含む発言を検索したり、質問に対する回答を自動生成したりすることができます。
これらの分析を通じて、チャットコミュニティのさらなる理解を深め、より効果的なコミュニティ運営に貢献することが期待されます。
(注: 上記の分析は、提供されたチャットログに基づいた一般的な傾向をまとめたものです。より詳細な分析を行うためには、より多くのデータや文脈を考慮する必要があります。)**
ご希望に応じて、より詳細な分析や特定のテーマに絞った分析も可能です。
特定のキーワード(例:AI、環境問題、経済)を含む発言の頻度と内容の分析
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
電子ルーレットの結果に不正が無いという納得感を演出するにはどうすればいいのか考えている
公正である、という印象を与えるにはどうすればいいのか……
電子じゃなく物理のなんらかの抽選でもあまりに出来すぎた、一方に都合のよすぎる結果が出れば不正だという人はいるだろうけれど
より多くの人に納得感を与える乱数生成方法、何か先人の知恵が既にありそうなものだけれど
こういう話が書かれた本だかブログだかニュース記事だかを何かで読んだ記憶があるんだが…… なんか、自分でその結果を選んだという実感があれば納得感がある、みたいな
何かこれについて書かれた本を探して読みたいが、本のタイトルをどんな検索ワードで探したものか思いつけていない
数日前にゲームの確率をプレイヤーが理解だとか納得だかしてくれないという開発者側の嘆きについて書かれた記事を見かけたけれど、あの話に近くはある しかしFEとかだと納得感を出すために確率操作しちゃっているんだよな 本末転倒だ
なんだろう、ソシャゲ運営側の本とか……あるいは数学的な読み物の本とか……ひょっとしたら手品の演出の本とか……?あたりが探すターゲットか
夕飯を食べながらぼんやり考えるか…… 頭に糖分が回れば何か閃くかもしれん 風邪気味だし空腹だしで今はダメだ
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「不正が入り込む余地がないと外部から判断できる電子的な乱数生成方法は何か」
と
「オーディエンスが「この抽選結果は納得だ」と感じることができる電子的な乱数生成方法とその演出は何か」
あるいは「電子的である限りオーディエンスは乱数生成の結果に納得感を抱くことはない」という話で終わってしまうかもしれない
そこをなんとか電子的であっても納得できるような演出はないものか探したい……
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【CEDEC 2021】"「確率機?」と勘違いさせない!何度も遊んでもらえるプライズマシンのつくりかた"を、タイトーの梅山プロデューサーが解説 | gamebiz
「確率機?」と疑われる要因として、クレーンゲームをプレイした時に、しっかり景品を掴んだのにメカが動いている最中スルっと落ちてしまったり、クレーン以外のルーレット機の場合はタイミングが合っていると思ったのに当たりのマスからズレて止まったなどが挙げられる。
これにより、「あれ?おかしいぞ、とプレイヤーは思う。なぜそうなったのか理解できないと強く感じたとき、これって確率で制御されているのでは? と判断する人が多い」と梅山氏。
難しいな……抽選である限り理不尽な結果がたまにでてしまうものだ
うちのおばあちゃんでも納得できる……公正だと騙す演出の方法論 そんなものがあればみんなそれ使っとるねん それはそう
探すべきはゲームの演出方法について書かれた本とか、かなあ いかん昨日既にその筋は悪いと書いたのを忘れていた ゲームは納得感を演出するために確率の数字側を本当に変えがち でも一応探すか
一晩寝ても風邪が回復するどころか悪化してつらい 仕事は休むしだらだら本読むか
「Excelの計算結果を信用せず手計算する人」の話に近いものを感じるような気がする 一応留意
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まさか「電子抽選機の結果を公正に見せるノウハウ」の先行研究を見つけるのがこんなに大変だなんて
「Hot Lotto fraud scandal」とか興味深い事件の話とかは見つかったけれど 電子的に乱数生成して抽選していた宝くじで不正があって、その事件の後から抽選方法が物理的なボールマシンに変更されたらしい
東は2018年12月18日にツイッターでゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、解散は思いとどまる。東は21日付で代表辞任し、上田が代表に就任する。「ゲンロンに搾取されているという不満」(「ゲンロン戦記」、212頁)を抱いたそうである。ゲンロンの代表として会社のために苦労しているにもかかわらず、社員は楽しくやっているように見えるのが不満だったそうだ。理解しにくいところであるが、こういう理由から自分と同じくらいの貢献を社員に求めることになるようである。「ゲンロン戦記」のこの個所は異彩を放っていて、他は笑えるエピソードなのであろうが、ここは笑えないところであろう。代表辞任という重大な局面なので書かざるを得なかったのだろうか。
上田洋子の人生がゲンロンで好転したことは疑いない。博士号取得後燻ぶっていたが、チェルノブイリツアーの通訳を引き受けたところ、東に気に入られ、ゲンロンの副代表に就任し、それだけでも出世であろうが、東の代表辞任に伴い、代表の座に就くに至った。代表は女性ということでフェミの批判をかわせる部分もあるようである。2023年度日本ロシア文学会大賞を受賞している。東を諫めるべき立場ではあるが、そういうものとしては機能せず、東の発言をひたすら支持している。
2020年に新型コロナウイルス(COVID-19)が世界に蔓延する。東は断固としてコロナはただの風邪という立場に立った(小林よしのり×三浦瑠麗×東浩紀「コロナはしょぼいウイルス。世界中で騒いでるのが一番の問題。」【ゲンロン200328】)。田中康夫が切り抜き動画を作っていたのであるが、消されてしまっているようである。アガンベンも生権力批判の観点からコロナ対応に批判的であったが、コロナは致死率こそそれほど高くないものの、後遺症がひどいので「しょぼいウイルス」とは言えないであろう。
2020年7月に黒瀬陽平のセクハラが発覚する。東は黒瀬との関係を断つが、これはこの時世であるから仕方ないところであろう。黒瀬は「思想地図vol.1」(2008年)でデビューしており、ゲンロンではカオス*ラウンジ新芸術校などもやっていた。
2020年10月19日にシラスがオープンする。ユーチューブとどう違うのかとも思われるが、その理念は「ゲンロン戦記」第6章第2節で語られている。
2021年はキャンセルカルチャーが吹き荒れた年であったが、東京オリンピックでの小山田圭吾の炎上が最も目立つ事例であろう。音楽家の不祥事が新聞の一面トップを飾ったのは小室哲哉の逮捕以来ではないだろうか。この件で宮台真司は小山田に対して批判的であったが、これに東は反発して、関係を断つ。九〇年代に宮台も露悪系でやっていたのだから、小山田の側に立つべきだったというのであるが(「東浩紀無料突発 またどうせ消す」)、これはまっとうな批判であろう。一晩で数百万もの売り上げのあるイベントの相手をこのくらいの理由で切れるのだから、東の行動原理は損得にはないということは認めていいのであろう。
2021年4月4日、オープンレター「女性差別的な文化を脱するために 研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人へ」が公開されたが、これはキャンセルカルチャーの烽火といっていいものであろう。日文研助教(当時)呉座勇一が武蔵大学准教授(当時)北村紗衣を鍵垢で揶揄していたことを非難するものである。東北学院大学准教授の小宮友根が書いたらしい。呉座は日文研から准教授への内定を取り消される。同じ年に、立憲民主党の衆議院議員・本多平直が辞任に追い込まれたりもしており、リベラルが連携して動いていることは明らかであろう。キャンセルカルチャーの年表としては、「桐野夏生『日没』と2020年代の「大衆的検閲」」がある。
2021年9月29日、呉座は日文研を提訴したが、これに加えて、2022年2月27日、オープンレターの差出人に対して、オープンレターの削除と損害賠償を求める書面を送付し、同年2月25日、オープンレターの差出人らが呉座に債務不存在確認訴訟を提訴している。2021年12月に、草津町町長が女性町議から強制わいせつ容疑で告訴されたのに対して、名誉棄損と虚偽告訴の容疑で女性町議を逆に告訴したりもしていたが、キャンセルカルチャーに対して反撃が始まったという印象である。ツイッターでアンフェが気焔を上げていたのであるが、オープンレターは、署名していない人が署名したことになっていたり、差出人に加わることに合意していないのに差出人にされていたり、差出人が五十音順で並べられていなかったりして、杜撰なところが多く、そこを突かれていた。いわゆる法クラの弁護士が加勢したのも大きいのであろう。キャンセルカルチャーの本邦第一号としてモデルケースにするはずだったものと思われるが、躓いてしまった。
この呉座が、シラスにチャンネルを開設すると発表される。キャンセルカルチャーの犠牲者に助け舟を出したかたちであるが、ここからが問題であった。2022年6月、呉座が春木晶子を姫と言ったところ、辻田が咎めたが、呉座は姫の初出は東であると反論する。後日、春木は呉座に指摘を感謝し、東にこそ問題があると批判する(5ちゃんねる、東浩紀671の12)。このような経緯で呉座のチャンネルは、契約は未了であったものの、開設されないことになってしまった。また春木のチャンネルも契約更新を拒まれる。こちらはアップルパイを番組で焼いていたことも問題視された。このことからアップルパイ事件とか五反田ベース事件などと呼ばれることもある。呉座と春木はユーチューブに「春木で呉座います。」というチャンネルを開設した。
悪いことは続くものであるが、今や東のトレードマークともなった「とんこれ」発言が飛び出す。衆議院選投票日を二日後に控える2022年7月8日、元総理大臣の安倍晋三が統一教会に家庭を破壊された過去を持つ山上徹也によって射殺される。7月10日、ニコニコ生放送で「【参院選2022】開票特番|三浦瑠麗、東浩紀、石戸諭、夏野剛と見守ろう」が放送されるが、中継で社民党の福島瑞穂が「それで現在はまだ詳細がわかっておりませんが、統一教会との関係などとも言われております。ですから詳細が明らかになると同時に、もし自民党を統一教会が応援していることが問題とされたのであれば、まさに自民党が統一教会によって大きく影響を受けているということも日本の政治の中で問題になりうると思ってるんですね」などと発言した。中継終了後、東は「あの、これさ……自民党は統一教会と関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?もしかしたら」と述べ、一連のやり取りの中で「これとんでもない話だなぁこれ」との印象深いフレーズが口にされる。福島に安倍への銃撃を容認する意図はないと思われるが、そのように曲解したのであろう。しかし、この発言がネタになったのは、味わい深いものがあったからであろう。「五反田式人文パフォーマンスは①唐突で②滑稽で③絶妙にピントが外れていないといけない。極めるのは大変ですよ」(5ちゃんねる、東浩紀スレ817の622)。狙ってやれるものではないように思われる。
2022年10月頃、暇空茜が一般社団法人Colaboの杜撰な会計を追求しはじめる。これは2021年後半から始まったキャンセルカルチャーへの反撃のうちで最大のものであった。暇空の活動は、表現を燃やすものを燃やすことでキャンセルカルチャーを終わらせることを目的にしているが、そのために情報公開請求や住民監査請求などの合法的手段を用いている(一部デマもあるようだが)。青識亜論のような従来の「表現の自由戦士」は原理を唱えるだけであったが、行動に移したかたちである。東は暇空についてほとんど言及していないが、暇空を支持している宇佐美展也と「都知事選は本当にこれでよかったのか!?」(2024年7月7日)で共演している。
「とんこれ」発言で東の評判はずいぶん落ちたため、それからは安全運転を心がけているようである。しかし、安倍が死んだこともあり、検察が息を吹き返した。東京五輪の汚職で株式会社KADOKAWA会長の角川歴彦は逮捕・起訴され、「とんこれ」発言に同席していた夏野剛が棚ぼたで取締役・代表執行役社長兼CEOに就任した。同じく「とんこれ」発言に同席していた三浦瑠璃にはそういうラッキーはなかった。夫(当時)の三浦清志は、建設の見込みがないのに太陽光発電の出資を受けたとして、詐欺容疑で告発されていたが、2023年3月7日、業務上横領罪で逮捕されたのである(同月27日に起訴)。三浦瑠璃はしばらく活動を休止していたが、2024年4月26日、夫との離婚を発表し、活動を再開した。
辻田真佐憲は、「訂正可能性の哲学」の副読本「訂正する力」(2023年10月)の聞き手・構成を担当するなど、東の最側近になっていたが、2024年5月31日の「東浩紀突発#136 ただなんとなく雑談」で批判される。「みんな格好つけたいんだろ?俺、自分が格好つけるとか考えない。ゲンロンとシラスのためにめっちゃやってるから!俺シラスを盛り上げようと思ったんだよ。シラサーと一緒に。やってくんないよ!みんな自分のチャンネルのことばっか考えてるじゃん!」などの発言があったそうである(5ちゃんねる、東浩紀スレ酒849の290)。「石戸諭×桂大介×東浩紀 ネットで(ついに)社会が変わるのか?」(同年7月18日)でも辻田は批判される。辻田が論壇フェスというイベントに出るのが気に食わないようである。辻田は「【雑談配信】東京都知事選後日談、中間の重要性、論壇フェスほか」(同年7月19日)で反論した。しかし、辻田は売り上げトップであるだけに東も軟化し、辻田がシラスを止めることは今のところないようである。
現在に追いついた。これまでのあらすじをまとめると、東は郵便本で確立した視座でずっとやってきたといえるのであろうが、ゼロ年代はネット草創期のコミュニケーションの変容をアーキテクチャ論から考えていて、この頃がいちばんよかった。個々人は社会から下りていても、社会は回っていくというような夢が語られた。このような夢まで否定されるいわれはないだろう。テン年代になると、SNSによってネットが政治的なもので満たされるようになり、東はそこから距離を置こうとしてゲンロンに立てこもるようになった。ゼロ年代はネットの勢いに乗っており、その可能性を引き出すべく理論化に励んでいたが、テン年代はネットの動向に批判的になり、アーキテクチャ論も捨ててしまい、時代を作るような存在ではなくなっていった。
時代を作っているのは、左派ウォーキズムであろう。東に近かった人でも、津田や藤田はこちらに付いていったのであるが、ゼロ年代の東は、環境を変化させることで行動を変える環境管理型権力がこれからの権力であり、内面に介入する規律訓練型権力は過去のものになりつつあるとしていた。しかし、左派ウォーキズムは明らかに内心に介入しており、先祖返りしている印象である。外山恒一はキャンセルカルチャーについて「云ってることは新左翼だが、やってることがイジメ」(情況 2022年春号)と言っているが、これにならえば、左派ウォーキズムは、云ってることはフーコーだが、やってることがキリスト教といったところであろうか。しかし、左派ウォーキズムは収まりそうになく、これに対する抗議運動も続くであろう。
展望も記しておくべきなのであろうか。宮台真司は東に健康診断を受けるように勧めていたが、宮台はステージ0のすい臓がんを発見しており、しっかりと健康診断を受けているのだろう。東はアル中ではないということらしいが、酒の飲みすぎであることは疑いない。しかし、健康さえ保てれば、今の地位は揺らぎそうもない。思想的な伸びしろは乏しいのかもしれないが、依然としてアイデアマンではあり、あと十数年は売れる本を出せるであろうし、ゲンロンも続けようと思えば続くであろう。
これでこの伝記は終わりであるが、記憶に頼って書いたところも少なくなく、誤りもあるかもしれない。東の埋蔵量は油田のようであり、書き終えられるか不安になったこともあるが、何とか書き終えることができた。これを読んだ人にネット草創期の興奮が少しでも伝われば幸いである。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌「ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。
東のゼロ年代はゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムがゼロになる」という意味らしい(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか。
3 ゲンロン
ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観で編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。
ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズは2010年4月6日に創業された。2009年の秋の飲み会でアイデアが出たそうである。宇野常寛、濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜(空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズの代表に就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表に就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかったかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。
「一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月号から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿は2010年代に書かれたのですが、出版は震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代のパラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもので民意をくみ上げようというものである。ゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代とゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。
「サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画は2ちゃんねるの動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSにネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。
「一般意志2.0」の次の主著は「観光客の哲学」(2017年)であるが、サブカルチャーを批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれてから、アニメやゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客の哲学 増補版」第2章によると、観光客は二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタクは原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客も住民の暮らしなどお構いなしに無責任に観光地をつまみ食いしていく。このように観光客は現実を二次創作しているそうである。
「福島第一原発観光地化計画(思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発で事故があり、ダークツーリズムの対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズムは二次創作への抵抗である(「観光客の哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地に観光に出かけると、普通の場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである(二次創作への抵抗)。
社会学者の開沼博は福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞のウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故のイメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客の哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府の戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年に東京大学大学院情報学環准教授に就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣「脱原発の哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラーは佐藤の博論(「権力と抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤はバトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラーの著作の邦訳を担っている)。「脱原発の哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤の博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。
「観光客の哲学」はネグリ・ハート「帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学的であるとして、郵便的マルチチュードとしての観光客を対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというもの、リベラルはマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客の哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二やこたつぬこ(木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判的である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実「革命的なあまりに革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命が成功していることになるのか」(「現代日本の批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。
東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である。経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうである。ブレイディみかこ・松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルがマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田は2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員の代表を務めている。
「観光客の哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学」である。こちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢が大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念の意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能性なのだという(森脇「東浩紀の批評的アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。
こうして現在(2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身の気質を自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事を自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体と境界侵犯の欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀・桜坂洋「キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からぬものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。
宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客が結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利を宇野が要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である(映画の原作なのだろう)が、宇野のウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代の論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代の批評をふり返った本の終章なのだから、2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代の論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。
濱野智史は「アーキテクチャの生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised:情報社会の倫理と設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドルが流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年、アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史(社会学者)が経験したアイドルプロデュースの真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。
千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰と東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベントで千葉はゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀と何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生を全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。
大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。
福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談「現代日本の批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。
津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田は2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督に就任し、東は2017年10月、企画アドバイザーに就任する。しかし、企画展「表現の不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルからも顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
呉座先生がオープンレターされたのは学説で争ったからではなく女性の教え子もいるのに「女は学問してもどうせ彼くんに養われるだけ(だから学ぶな)」という性差別発言や
止められても繰り返し誹謗中傷するのやめられなかったせいだぞ
30代中盤で診断された。
それまでは発達障害を専門にしていない心療内科でうつ病として治療を受けていた。
全IQ=89
知覚推理=97
ワーキングメモリ=79
処理速度=79
高卒。
年齢は30代後半。性別は男。
音に弱い。
例えば電車で会話する人や咳をする人が近くにいると逃げ出してしまう。
全ての音を同時並行で脳が処理している気がする。
人の動きに敏感。
仕事中も向かいの席の人の挙動や、席を立ってトイレに行く人の動きに常に気を取られている。
一つの物事を頭に入れると一つ前の物事が頭から消えるし、同時に何かを処理しようとすると脳が硬直する。
例えば電話応対では受け答え自体は人並みにできるけどメモ取りが壊滅的になる。
ADHDの特性として、将来の報酬より目の前にある欲求を重視してしまう。
単純に物欲に弱いというのもそうだし、スポーツなどでは練習を詰め込みすぎてすぐに足を壊したりする。
「ほどほど」が見極められない。
常に頭の中が混雑している。
やらなきゃいけないことが山積しているのはわかるが、その中の何を優先していいのか決めるのに時間がかかる。
「思い立ったら即行動」という行動原理が過ぎる。
瞬発力が人並み以上に高いのでそれで得をすることもあるにはあるが、大抵は思慮が足らず失敗する。
ある程度の道筋はつけられるが、厳密に計画するということができない。
例えば旅行などは常に行き当たりばったりで、スケジュールをきちんと組んだためしがない。
視覚的な情報を記憶する場合はディティールが著しく低下するので、動画として何度も見たりしないと頭に入らない。
どれだけ懇切丁寧に説明されても一度でそれを理解するのは困難なので、いつも必死に反芻と類推を駆使して乗り切っている。
聞こえてくる情報が断続的に途切れる。脳に入ってこなくなる。
聴覚の問題なのか集中力の問題なのか記憶力の問題なのかわからない。全部かもしれない。
常にカクテルパーティ効果のような状態で、断片的な情報から類推して会話している。
会話の途中で「え、それってどういう意味?」と聞きたくなる場面が多々ある。
でもそういう時に一々質問していたら会話にならず相手にストレスをかけるので、スルーする癖がついている。
上記の特性と相まって意味もわからず相槌をうっていると会話についていけなくなって頻繁に困る。
こうしたらコミュニケーションが円滑になるな、という嘘を思いついたらついついそれを口にしてしまいがち。
些細な嘘であれば方便として有用かもしれないが、その嘘をつき通せるほど能がないので大体は詰む。
これでも子供の頃よりはだいぶ自制できるようになった。昔はもっと突拍子も無い嘘をついていた。
相手が何の意図もなくそっけない返事をした時、「自分が何か悪いことしたんだ」とか思いがち。
朝の挨拶で返事が返ってこないだけで「嫌われたんじゃないか」とか心配する。
もちろんそれは認知の歪みでその都度修正するわけだけど、人との接触は常にそういうストレスがある。
ASDの特性としてよく「空気が読めない」みたいなことを言われるが、別に空気が読めないわけではない。
空気が悪くなった時は敏感に悟れるし、できるだけ変なことを言わないように意識することもできる。
ただこれまで述べてきた特性によって咄嗟に変なことを言ってしまう時がある。
側から見ると「空気が読めない奴」なのかもしれないが、後悔の念自体はある。
物腰自体は落ちつてる方だし、あまり喋る人間じゃないのでそう思われるのかもしれない。
診断を受けてからは治療薬を飲んでいるので多動はかなり抑え込めていると思う。
けれども頭の中はいつもとっちらかっているので、外見的な行動だけじゃADHDかどうかは分からない。
マルチタスクができない特性の裏返しなのか、普通の人が緊張するような場面でやたら自然体で臨める。
練習より本番に強い。
思いつきで行動する特性と相まってファーストペンギンになりがち。
なので人からの印象は初対面が好印象のピークになる。面接のような場面では強みになるが、段々メッキが剥がれる苦しみもある。
ネガティヴな感情を抱かない作業であれば人よりルーチンワークに強い。
学業も高校以降はドロップアウトしてしまったが、小中の単純な問題を大量に解くような作業は得意だった。
運動も瞬発力を競うものより持久力が問われる種目の方が断然好き。
他の人の会話をBGMにしながらわりと楽しく働いている。
就活のイロハやコミュニケーションのコツなんかを面白おかしく学んでた。
企業の見学や実習も手当たり次第に参加したので、いい経験になったと思う。
肉体労働の仕事の説明会で「福利厚生として塩飴が支給されます」とか言われた時はどんな顔していいか分からなかった。
まあ自分の経歴からすると「だよねー」という感じだけど、大学出ててスキルもある人が同じ条件で働いてたりするので闇だなと思う。
フルタイムじゃないので月給にすると12万円程度だし、一人暮らしは無理な水準という感じ。
1年も就活してるといろんな学びがあった。
まず給与の高い仕事は身体障害の人を求めてる。体の困難さえ調整すれば一般人と同じパフォーマンスが出せるからなんだろうね。
特に市役所とかの求人は「身体障害以外は要りません」と最初から言われる。謎。
肉体労働系だと知的障害が求められてる。仕事が過酷でもタフネスがあるからだと思う。
じゃあ精神障害はどうかというとよく分からない。強いて言えば清掃系とかが多い。人との関わりが少ないからかな。
事務系は競争率が高い印象がある。説明会とかに行くと意識高そうな人たちが集まってる。
でもなんというか、障害者雇用の採用で一番重視されてるのは「人柄」だと思う。
職場の輪を乱さず当たり障りなく仕事ができるコミュニケーション方法を身につけてる人が一番強い。
企業にとって最も大切なのは仕事がよく出来るかどうかよりも「長く働いてくれるかどうか」なので、より困難の少ない人を選ぶ。
働いてるこっちも分からない。
自分の場合は「優先順位を指示してもらう」とか「マルチタスクの状態にしない」とかがある。
でもこれは内容どうこうより職場の水準が全てだと思ってる。
今の職場は周囲がみんな正社員だし、営業やってた人たちだから話も上手くて大した苦労をしないけど、
これが指示を出す人もパートだったりして変化の多い職場だとどれだけ詳細に条件を詰めても働くのはしんどいと思う。
最初の2、3年は定着支援として月1で支援機関を交えた面談をしたりするので、そこできちんと自分の困りごとなどを相談するのが大切。
炊事は得意だ。昔は全然わからなかったけど、今は大抵の人より上手くこなすと思う。
YouTubeに感謝してもしきれない。料理の全てをYouTubeで学んだ。特にイタリアンは専門のYouTuberが多いので話題に事欠かない。
大体母と交代で炊事に当たっている。
自分はものを捨ててどんどんシンプルにしたい人間なので、それができない現状にはストレスを感じている。
金がかからないし健康にもいい。歩く時は10kmくらい歩く。ADHDの特性とも相性がいいのだと思う。もう10年くらいハマってる。
あとは漫画をよく読む。職場への通勤時間は大抵電子書籍を読んでる。
アニメもそこそこ見るけど、最近はなろう系がやたら多くて辟易している。いつまでブームが続くんだろうか。
そこそこ好きな方だが、持っている服は100%ユニクロとGUだ。他の店で買ったことが無い。
スタバによく行く。
と言っても甘いものは苦手だし太るのでホットコーヒーしか頼まない。
家でじっとしてるより適当に散歩したあとスタバに入ってスマホやPCで時間を潰すのがルーチンワークになっている。
コーヒーはお通じにもいいので百薬の長だと思っている。
どこから話したもんかねという感じだが、1つ言いたいのは「人より成長が10年くらい遅れてる」という感覚があることか。
20代の自分と30代後半の自分はほぼ別人だし、障害との付き合い方も全く違ってくる。
よくネットで特性が顕著に出てる人を指して何かしら論ったりするけど、その人も10年経つとだいぶ別人になると思う。
人は成長する。それは発達障害を持つ人も同じだし、俺たちは日々何かを学び取って生きている。
学校か、支援機関か、病院か、就労か、それがどの時点であれ、「こうすれば生きやすくなるな」と分かるタイミングがある。
生きづらさや苦しみはあるけど、チャンスを逃さずどんどん挑戦していってほしい。
長らく一緒に働いたバイト仲間のAさんがついに辞めた。某企業に中途採用で就職出来たというまっとうな理由での退職だったのだが、そうなる前が色々まっとうじゃなかったので、当店のオーナーと店長、そして私ども従業達にとっては、「はぁー(クソデカ溜め息)」という事案だったのだ。
当店は、この春にオーナー交替による新装オープンをした。その際に前オーナーのはからいにより、従業員全員が従前通りの条件で新オーナーのもと再雇用されることになった。勿論、前オーナーの下じゃなければ働きたくないとか、これを機にコンビニを辞めて他で働きたいということで去った人もいる。
Aさんも当店に残ることを選び、新オーナーとの面談の際は長く働きたいと熱烈にアピールまでした。だが、Aさんは端から辞める気でいて、しかし期限ギリギリまで就活はしなかった。それで、1ヶ月間就活に専念しつつ、収入が途絶えないよう当店で働き続けることにしたのだ。
ということを、自分の心の中に留めて置けばいいものを、Aさんは自らバイト仲間達に吹聴してまわり、自分がどんなに上手いことやっているかと自慢しまくった。
かといってバイト仲間達はAさんがそんな事を言ってるだなんて誰もオーナーと店長に告げ口はしなかったので、二人は裏切られるギリギリまでその事を知らなかった。
新装オープンから一ヶ月ほどの間は、多忙だったが悪くない労働の日々が過ぎた。Aさんだけが終始不機嫌で、この世の終わりみたいな顔をしていた。
Aさんは変な奴で、バイト仲間の私どもはAさんの変人ぶりには慣れていたし、そもそも人生の落伍者みたいな者どもの多い職場だから、同病相憐れむみたいな感じで上手くやっていた。
ところが店長がわりかしまともな人間だったことがAさんにだけ禍となってしまった。Aさん以外の私ども従業員達にとっては、店長がわりかしまともな人間だったことは、理不尽に怒られなくていい職場だな~、のびのび働けていいわ~という感じで、前より忙しいものの快適な労働環境になりありがたかった。しかし、Aさんは今まで誰からも言われなかったような事で店長から小言を言われることが大いに不満だったらしい。
Aさんが店長から言われる小言の類いは、たとえばレジ周りを散らかしながら仕事をするなとか、お客様には見えない所の掃除を堂々とサボるなとかいうことだ。Aさんの視野が極端に狭いとか、人に迷惑をかけても気づかないとか、すごく忘れっぽくてあちこちに物を置き忘れるとかいうことに、長く一緒に働いてきた我々は慣れすぎていた。言って治るもんじゃないし自らが人の事を言えるほどデキた人間じゃないので、まあしょうがないよね、気づかないのは、気づいた人がフォローすればいいでしょ、と暗黙の了解のもと、細々とAさんのやりっ放しや出しっぱなしの片付けをしたり、ちょっとのサボりには目を瞑ってきたのだ。
やたら弁がたち一見しっかりしているAさんがこういう人だと店長は思わなかったらしく、Aさんの仕事が超速いとか度胸があってカスハラに屈しないとかの美点よりも細かい所のダメさのほうが気になってしまい、一々を注意して直させようとした。
店長はパワハラしない主義で話せば解るはずと信じていて、従業員に何か頼んだり注意したりと丁寧に関わろうとする。ところがAさんは相手にブチギレられて初めて悪さをする手を止めるタイプで、しかも自分は何かやっただろうか? と疑う前に「何かこいつ今日は機嫌が悪いみたいだな」と思いがちだ。更に酷いことに悪い意味で「話せば解る」というか、「話せば許してもらえる」と素で思っていた。
そんな彼らが衝突するとどうなるのかというと、店長がちょっとここは直して欲しいなとAさんに指摘すると、Aさんは超長大な言い訳を怒濤の如くに浴びせて店長が口を挟む隙を与えない。ほんの小さな事を直して欲しかっただけなのにすごい時間を取られ、しかもやってくれるのかくれないかよくわからないがやるつもりはないっぽいらしいという曖昧な感じの話を延々聞かされるので、店長はイライラしやがて爆発する。
店長はパワハラする気はないがすごく気が強い上に短気なので、はっきりしない相手には普通にキレる。するとAさんはキレてる奴=ダメ、冷静な人=いい人、という価値観なので、正しい自分がしっかりしててあげないとと思ってより解りやすく諭すように自分の言い分を述べようとして火に油ぐ。
というわけで、まもなく店長はAさんの事を「使えるけどヤベェ奴」と思うようになり、Aさんは辞めたみを強めていった。
だが、辞めたいというわりにAさんの就活は捗らなかった。Aさんはジョブホッパーになりたくて、まだ就職が決まらないうちから「次」の仕事の糧になるような踏み台を求め、転職エージェントからおすすめされた企業を値踏みし、ろくな会社がないといって選り好みした。
私どもバイト仲間達がAさんの就活は所詮口だけだったんだなと思った事すら忘れかけた頃になって、Aさんはとある企業に応募したら書類審査が通ってトントン拍子で最終面接を受けるところまで行った。
二次面接で手応えを感じたAさんはオーナーに1ヶ月後に入社予定なので辞めると伝えた。その時初めて、Aさんはオーナーに対して自分はコンビニ店員で終わるつもりはないと打ち明けた。
ところで、Aさんが採用の手応えを感じたのはどこなのかというと、二次面接の後に抜き打ちで受けさせられた適性検査だった。
Aさんは適性検査を受ける時、「いい機会だから自分という人間の全てをわかってもらおうと思って」ありのままに回答した。その結果、某企業の求める人材のイメージ像とありのままのAさんが完全に一致した、というわけではなかった。
サイコ野郎がありのままの自分を適性検査にぶつけたところ、当たり前にとってもサイコパスな結果が出た。それを見た面接官は怒り出した。
「こんなのダメに決まっているだろう。君、今からもう一度テストを受けなさい。そして私の言う通りに問題に答えること」
ということで、ありのままのサイコパスAを余すところなく表現したテストは白紙に戻されて、面接官公認のカンニングによりAさんは二次面接を無事突破した。
そこまでして、某企業の面接官はAさんを欲しがった。という可能性はなきもあらずだが、それより馬鹿過ぎる子が来ちゃったのを面接官は憐れに思って模範解答を示し、次の機会にはこのようにやりなさいと諭したつもりだった、という可能性が高いですよと私はAさんに言ったのだが。
Aさんはボサボサの頭で最終面接に行き、たっぷり2週間待たされたあとでご活躍をお祈りされた。
そんなこととは露知らず、ある日私がレジ接客をしているとAさんが威風堂々たる歩みで来店したから、Aさんはついに就職が決まって当店を辞めるとオーナーに言いに来たのかと思いきや、「大事なお話があります」とオーナーと店長呼び出しておいて、「採用試験落ちたので、もう少しの間ここで働かせて下さい」と頭を下げた。
半年くらい前にオープンしてからというものの、毎朝毎朝駅の通路で爆音の宣伝音楽鳴らしてる気の狂った居酒屋がある
ただ音楽がうるさいとかなら耐えれるのだけど、例えるなら「バーニラ!バニラ、高収入!!」みたいな曲が10秒くらいでループしてて本当に不愉快で仕方ない。改札まで一本道だから逃げ場もない。
蓮舫さんを支持していたが、その蓮舫さんが小池百合子さん、石丸伸二さんに惨敗したのは日本人が読み書きできないからとのこと。
もちろんその裏には、「蓮舫さんを支持した私たちはリテラシーがあるんだけどね」というのが透けて見える。
https://x.com/Elephant1372456/status/1817766816288321558
東京都知事選の結果の背後には、この25年ほどの間に起こった、日本人のリテラシー、つまり読み書き能力の、急激な凋落があったのではないかと思っている。たとえば、人々は政策を読めない、理解できない、ということを前提に、政策を説明せずに経験談を語って共感を呼ぶ。真剣な議論をしない。質問されると別の話題にそらす。あるいは冷笑して質問し返す。街頭演説は短く、発信の言葉も短く、数は多く、という手法を徹底するなど、「ともに学び考える」のではなく、できるたけ考えずに投票できるように導く。そういう候補者に票が集まった。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik24/2024-06-08/2024060801_04_0.html
「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」(代表・田中優子法政大学前総長)は6日、「東京都知事選への私たちの考え方」と題する声明を発表し、「私たちは今回の都知事選で蓮舫さんを支持します」と表明しました。
以下の経歴の通り上野千鶴子さんや山口二郎さん等とともにリベラル派の大物、中心人物なんだけどこんな差別的な思想の持ち主だったとはがっかりだ。
(御経歴)
「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」(他に上野千鶴子、東村アキコ等)
「戦争をさせない1000人委員会」(他に山口二郎、瀬戸内寂聴等)
他多数